State Action Doctrine and Human Rights

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Kyushu University Institutional Repository

State Action Doctrine and Human Rights

榎, 透

九州大学比較社会文化研究院日本社会文化専攻・文化構造講座

https://doi.org/10.15017/8652

出版情報:比較社会文化. 9, pp.1-17, 2003-03-01. Graduate School of Social and Cultural Studies, Kyushu University

バージョン:

権利関係:

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Bulletin of the Grαduαte School(ゾSociα/αnd     Cultural Studies, Kyushu Universitbl       vol.9 (2003), pp.1 一一17

ステイト・アクション法理と人権の対公権力性

透*

キーワード 憲法,ステイト・アクション法理,「国家からの自由」,私人による人権侵害,私的な選択

はじめに

 これまで米国のステイト・アクション法理については,

連邦最高裁判所により編み出された様々なアプローチとそ の判断の結果が,論文や判例研究の形で臼本にも紹介され てきた1).これらの先行業績が,日本の人権規定の私人間 効力論に対して,一定の意味を持つことは言うまでもない.

本稿では,これまでの先行業績で為されることの少なかっ た,ステイト・アクション法理に関する初期から近年まで の連邦最高裁判所の主要な判決を紹介するとともに2),先 行業績とは問題意識をやや異にし,ステイト・アクション 法理の背後にある憲法理論に注目したい.というのもステ イト・アクション法理は,「国家からの自由」という人権 の性格を出発点としながらも,私人による人権侵害を解決 する試みであると考えられるため,法理論の適用を巡る議 論の中に「憲法」の意義を考察する手掛かりがあると思わ れるからである.そこで本稿は,連邦最高裁判所がステイ

ト・アクション法理の適用を判断する際に何を問題として いたかを検討することで,「憲法」の意義,とくに人権の 対公権力性について考察するための手掛かりを得たい.

1.人権の対公権力性

 (1)人権の対公権力性とそれを確保するための制度  アメリカ合衆国憲法修正第14条は,その第1節で「……

いかなる州も合衆国市民の特権または免除を損なう法律を 制定し,或いは施行することはできない.またいかなる州 といえども正当な法の手続(due process of law)によ らないで,何人からも生命,自由または財産を奪ってはな らない.またその管轄内にある何人に対しても法律の平等 なる保護を拒むことはできない」と定め,また修正第1条 は「連邦議会は,国教の樹立を規定し,もしくは信教上の 自由な行為を禁止する法律,また言論および出版の自由を

制限し,または人民の平穏に集会をし,また苦痛事の救済 に関し政府に対して請願をする権利を侵す法律を制定する ことはできない」と定めている3>.これらの規定は,憲法 の制約に服す者が,州や連邦議会といった公権力であるこ

とを示している.

 この人権の「国家からの自由」という性格については,

!883年のCivil Rights Cases4)で連邦最高裁により確認さ れた.ブラッドリー判事の法廷意見は,「連邦憲法修正第14 条第1節で禁止されているのは,特定の特徴を持つ州の行 為である.私入による権利侵害はその条項の対象ではない」

と述べ,また「州の侵害に対して憲法上保護される市民権 は,法,慣習,司法・行政手続という形で私人に対して州 の権威が付与されない限り,私人の不正な行為によって侵 害されるものではない.……そうした行為は,私法上の権 利侵害か犯罪である」と明言した.連邦最高裁判所はその 後の判決でも,「どんなに差別的あるいは不正な行為であっ ても,修正第14条は単なる私人の行為に対して防禦するも のではない」5>,「憲法により保護される多くの権利は,政 府による侵害に対してのみ保護される」6),「修正第1条が 政府による表現の自由の侵害を禁止することは,基本的な ことである」7),そして「個人の自由や平等についての憲法 上の保障は,通常,政府の行為のみに適用される.……修正 第13条のようなわずかな例外を除いて,個人の自由や平等 についての憲法上の保障は私人の行為に適用されない」8)

などと判示して,人権の対公権力性を確認し憲法規範の制 約を受ける「公権力の行為」を画定してきた.つまり憲法 上の人権は,基本的に「国家からの自由」であると理解さ れてきた.

 ステイト・アクション法理は,憲法上の人権規定の役割 が専断的な政府の行為から個人を防禦するという考え方に 基づき,憲法の制約に服す「公」を定めることで「個人の 自律:」の確保を目指すものであった.岡時にステイト・ア クション法理は,その主たる根拠条文である修正第!4条の

*日本社会文化専攻・文化構造講座

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文言が「州」であることからも理解できるように,私的な 人権侵害を解決して「個人の自律」を確保する役割を担う のが州と連邦のいずれにあるのか,という問題についても 探求するものであった9).さらにこの法理は,「個人の自 律」を確保するために,議会と裁判所がそれぞれどのよう な役割を果たすべきであるのか,という問題についても同 様である.というのも,連邦裁判所により私人の人権侵害 行為がステイト・アクションと判断された場合には,その 領域では,人権侵害をしたとされる個人の自由が抑制され,

また州は憲法上の制約が存在することになるので自由に活 動することができないし,反対に私人の人権侵害行為がス テイト・アクションと判断されなかった場合には,その領 域において,人権を侵害したと訴えられた個人の自由が確 保されるとともに,州は憲法上の制約が無いことになるの で自由に活動することができるからである.つまり「ステ イト・アクション要件を注意深く守ることは,連邦法と連 邦裁判所の権限の範囲を制限することによって,個人の自 由の領域を維持することである.また州,州の機関または 州公務員に対して,彼らの責めに帰すことのできない行為 の責任を課すことを避けることにもなる」と連邦最高裁自 身が明言するようにゆ,ステイト・アクション法理は,合 衆国の基本的な統治構造である「連邦制」および「権力分 立」を維持・調整する装置としての役割を果たすことで,

「個人の自律」の確保を図るものだとも言えるのであるll/.

 (2)国家(州)の脱法行為

 しかし,ステイト・アクション法理が「州の行為」とい う本来の意味に限定されるのではなく,それを越えて拡大 して適用されてきたことは,間違いのない事実である.で は,何故ステイト・アクション法理が拡大して適用される ようになったのか.この問題について,ステイト・アクショ ン法理が確立する初期の連邦最高裁判決White Primary Casesを手掛かりに検討する. White Primary Casesは,

黒人を排除して実施された大統領予備選挙の効力が争われ た一連の事件である.

 最初の事件であるNixon v. Herndoni2)では,政党の 実施する大統領予備選挙において黒人の投票を禁止したテ キサス州法の連邦憲法適合性が問題となった.ホームズ判 事の法廷意見は,連邦憲法修正第14条が州による黒人差別 を禁止していることを確認した上で,問題の州法は肌の色 の区別だけで黒人を差別するものであり同条に違反すると 判示した.この違憲判決を受けてテキサス州は,新たな州 法を制定して,政党の州執行委員会に対して党員資格およ び予備選挙での投票資格を決定する権限を委任した.テキ サス州民主党は,委任された権限に基づき黒人に予備選挙 での投票を認めなかった.NixOn v. Condon13)では,こ

の州法の連邦憲法適合性が問題となった.カードウゾゥ判 事の法廷意見は,修正第!4条は州の行為を抑制するものと 解した上で,州法が政党の州執行委員会に対して政党の意 思と関わりなく構成員の資格を決める権限を委任する場合 には,その限りで同委員会は州の組織であり修正第14条の 制限に服すと判示した.つまり問題の州法は違憲とされた

のである.

 2度の違憲判決が出たにもかかわらず,Condon判決の

後も黒人を選挙過程から閉め出そうとする動きは続いた.

今度はテキサス州民主党が党大会で,「州の憲法および法 律の下で投票権を有するテキサス州のすべての白人が,民 主党の一員としての資格とその討議に参加する権利を持つ べきである」ことを採択した.GrOvey v. Townsendユ4)で は,当該採択に基づいて実施された民主党の予備選挙の効

力が問題となった.Grovey事件が2つのNiXOR事件と

異なるのは,州法という州の行為ではなく,私的組織であ る政党の行為が裁判の対象になった点である.この事件で ロバーツ判事の法廷意見は,党大会は自発的な私的組織で あると理解した上で,党大会の人種差別に基づく決定は純 粋な私的行為であって,連邦憲法に違反しないと判示した.

しかし同種の事件が問題となった数年後のSmith v.

Allwright15)でこのGrovey判決は覆された.リード判事 の法廷意見は,本来は私的結社である政党が修正第!5条を 侵害したとは認められないが,その一一方で予備選挙につい て広汎な規制を定めるテキサス州法の下で「政党が予備選 挙の参加者を決定する限り,これらの立法の指示に従うこ

とを要求される政党は州の代理になる」として,本件選挙

システムは修正第15条に違反すると判示した.つまり

Smith判決は,憲法の射程を拡大して,私的組織であっ ても州の代理と評価される場合には,その私的組織を州の 行為と見なしたのである.このような判断を示す中で法廷 意見は,「合衆国は立憲民主主義の国である.合衆国の法 は……選挙で選ばれる公務員の選択に参加する権利をすべ ての市民に認めている,このような公職を選択する機会は,

州が私的組織の行った人種差別を許容する形で無にされる べきではない.憲法上の権利が間接的に否定されるのであ れば,それは全く価値のないものになるだろう」と述べ,

州の脱法行為を認めない判断を示したと言えよう.

 この後も,予備選挙から黒人を排除する動きは続いた.

テキサス州のあるカウンティで組織されたジェイバード民 主協会は,その構成員を白人に限定して,民主党の予備選 挙に先立ち,州法に基づかない協会の予備選挙を実施した.

そして協会の予備選挙で選出された候補者が,続く民主党 の予備選挙と通常選挙でほぼ例外なく選出されていた.

Terry v. Adamsi6)は,当該カウンティの黒人たちが協会 の予備選挙の違憲性を主張して提訴した事件である.連邦

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最高裁は法廷意見を形成できず複数の意見に分かれたが,

多数の意見は,協会実施の予備選挙は修正第15条の制約に 服すと判断した17>.例えばクラーク判事の意見は,「州が ある私的団体に対して,他の候補者のない状態で公務員の 選択をするように委任して,州の選挙機関を構築したとき,

その私的団体それ自体はどのような外観であっても憲法の 制約を受ける政府の属性を帯びる」と述べて,選挙という 公的機能を行使する民主協会の人種差別行為が憲法上許さ れないとしたのである.

 このようにWhite Primary Casesでは,大統領予備選 挙で黒人の投票権を憲法上剥奪できない州が,政党の州執 行委員会やその下部機関に投票資格者を決定する権限を委 任することで,黒人の投票権の剥奪を執拗に丹精したので ある.ステイト・アクション法理は,州からその権限を委 任された私人の行為が憲法の制約に服すとすることで,こ

うした国家(州)のいわば脱法行為を防ぐために発達した法 理論であったと言える.それゆえステイト・アクション法 理は,国家による権力行使についての憲法上の義務または 責任を回避するための口実やメカニズムに対して,マイノ リティーを保護するために発達したとされるのである18).

そして,州が憲法上の義務を回避するために私人に対して その業務を故意に委任してはならないのは,「州の権威の 行使が憲法価値にとって特別の脅威を持つ(から)である.

州の権威を与えられた私人は,州の機関と同じくらい明自 に憲法価値を脅かす存在」だからである19).このように連 邦最高裁のステイト・アクション法理判断は,直接的には 州の行為ではなく私人の行為を憲法の制約に服せしめるも のであるが,その背後にはそもそも国家による違憲の脱法 行為をも認めない,という国家への強い不信に裏打ちされ たものだということができる.

 それゆえ「裁判所はときおり,政府の領域がどこで始ま り,私的領域がどこから始まるかを考えなければならない.

私人の行為は多くの場合に憲法の射程外にあるけれども,

その行為者が政府の権威でもって行為をしたと考えられ,

その結果憲法に服すという程度において,政府の権限はそ の行為を支配する」.ステイト・アクション法理はそのよ うな政府の権威を持った私人の行為を見出すべく,「私的 領域とすべて憲法上の義務が伴う公的領域の間の『基本的 な二分法』を探求する」役割を担う理論だと言える20>.

2.憲法に拘束されるギ公」a)一 rステイト」の「拡大」

 国家(州)の脱法行為を防ぐための法理論として発達し たステイト・アクション法理は,ヴィンスン・コート(1946

〜!953)およびウォーーレン・コート(1953〜1969)の下で,

「拡大」・「発展」した.この時期のステイト・アクション

法理は,私的な人種差別の問題と修正第1条に関わる問題 という2つの領域で適用の是非が争点となった.2.では,

ステイト・アクション法理の適用がいったいどのように

「拡大」・「発展」したのかを検討するとともに,人権の対 公権力性という観点から同法理の「拡大」・「発展」を促す

/危惧する言説を可能な限り抽出したい.なおWhite

Primary Cases(大統領予備選挙の投票資格を巡る事例)

も,憲法に拘束される「公」・「ステイト」が「拡大」した 事例に含まれるが,「国家傍Dの脱法行為」の箇所で検討

したため,ここでは省略する.

 (1)人種差別の事例  人種制限的約款を巡る事例

 まず人種制限的約款を巡る事例を検討する.その代表的 事例であるShe!ley v. Kraemer2i)の事案は,次のようなも のであった.ミズーリー州のある居住地域で,30人の土地 所有者が白人以外の者に土地を売却・賃貸しない旨の制限 的約款に署名した.しかし黒人のシェリは当該約款の存在 を知らずに,白人の所有者からこの約款の対象である土地 の・一部を購入した.このためその他の土地所有者が,この 制限的約款を根拠に,シェリの土地占有の禁止を求めて提 訴した.州最高裁判所はこの人種制限約款を有効であると 判決したので,シェリが連邦最高裁に上訴した.連邦最高 裁のヴィンスン長官の法廷意見は,修正第14条の禁止する 行為は州の行為であるので,私人による人種制限的約款そ れ自体は修正第14条が上訴人に保障する権利を侵害するも のではないと述べる.つまり憲法の射程は私人にまで拡張 されないので,私人間で締結された入種制限的約款は,そ の条項を自発的に遵守することで実施される限り修正第14 条の権利の侵害に当たらない.その上で法廷意見は,本件 の場合,もし州裁判所の積極的な干渉がなければ,上訴人 は問題の財産を何の制約もなく占有できることになるので,

州の行為が存在したことは疑いなく,本件は,州が不作為 によって私的差別を放置した事件ではなく,「州が,人種 や体色に基づいて上訴人に財産権の享受を否定するために,

私人に完全に強制的な統治権力を利用させた」事件である と判断した.つまり本判決は,私人間の人種制限的約款の 司法的執行が憲法の制約に服す「公」的領域にあると判断

したのである.

 Shelley判決の「司法的執行」という考え方は,5年後の Barrows v. Jackson22)でも使用された.この事件は,黒 人に土地を売却した白人の土地所有者が,人種制限的約款 に違反したとして他の土地所有者から損害賠償を求められ たというものである.連邦最高裁ミントン判事の法廷意見 は,Shelley判決の理論を適用して損害賠償の必要はない と判示した.このBarrows判決によれば,州裁判所は,

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人種差別契約の違反者に対して損害賠償を命ずる際に人種

差別的条項を執行できないことになる.つまりBarrows

判決でも,甲種差別契約の司法的執行は憲法の制約に服す べき「公」的領域にあると判断されたのである.

 このようにShelley判決とBarrows判決はそれぞれの

事案について,反憲法的価値の実現を希望する私人に対し て完全に強制的な統治権力の利用を認めなかった.つまり これによって,私人には差別的行為を行う自由が存在する が,その一方で各私人は自らの差別行為を行うために司法 機関を含む国家機関を利用できないと言える.本判決は,

憲法上の人権規定が「国家(州)からの自由」であることを 宣言し,私人は憲法の制約に服すことなく活動する自由が あることを認めつつ,Shelley判決の射程を広義に解せば,

司法的執行を通して憲法の規定が全ての私的行為に適用さ れると読む余地を与えたものだと言えよう23>.また人種差 別に対する施策は,本来,立法権および執行権の任務であっ て司法権の任務でないにもかかわらず,司法権がこのよう な施策を実質的に決定していることや,司法的執行によっ て生じる連邦司法権の拡大といった問題も生じることになっ た24).つまりShelley判決で示されたアブw一チでは,人 権の対公権力性やそれを支える統治構造を崩す可能性があっ た.このため,「Shelley v. Kraemerはステイト・アク ション法理の混乱の源泉である」25>,「Shelley v. Kraemer は憲法の分野における最も不可解な判決の一つである」26)

というように,Shelley判決の意味・射程に関して多くの 議論がなされたと言えるし27),連邦最高裁でもShelley判 決のアプローチを使用することは少なかったのである28).

 私的な飲食施設におけるサービス拒否の事例

 私的な飲食施設において人種を理由にサービスの提供を 拒否した事件でも,ステイト・アクション法理の適用が問 題となった.Burton v. Wilmingもon Parking Authority29)

では,黒入という理由だけでサービスの提供を拒否した私 的レストランの行為が憲法の平等条項に抵触するかどうか が問われた。問題のレストランは,デラウェア州の代理で あるウィルミングトン駐車当局によって所有・運営される 駐車場の敷地内にあり,また同駐車当局の賃借人であった.

本件では,州自体が差別行為を行ったわけでも,州がレス トランに対して差別行為を命令または奨励するなどして積 極的に関わったわけでもない.また本件レストランは,公 有財産でもなければ,公の目的のために活動しているわけ でもない.しかし連邦最高裁のクラーク判事の法廷意見は,

レストランが政府の施設内(公有財産)に存在し,レスト ラン及び州の「両者は相互に経済的な利益を得ている」な ど,「州はレストランと深い相互依存の関係にあるので,

その共同関係者(ajoint participant)として認識される」

ことを理由に,私的レストランの本件人種差別行為が,

「純粋に私的」なものではなく,連邦憲法の制約に服す

「公」的なものに当たると判断した.

 Peterson v、 City of Greenville30)も,私的な飲食施設 におけるサービス拒否の事例である.この事件は,黒人で ある上訴人が,レストランにおける入種の分離を定めたグ

リーンビル市の条例に違反するという理由でレストランか ら立ち去ることをその経営者に求められたものの,店内に 残ったためにサウスカロライナ州法違反(住居不法侵入)

の廉で起訴され,州最高裁で有罪を宣告されたというもの である.本件は,条例がある点でBurton事件と異なる.

連邦最高裁ウォーレン長官の法廷意見は,本件条例が「飲 食施設の所有者・管理者・支配入などに,自己の選択の余 地を認め」ず,レストランにおける人種の分離を義務づけ ていること,そしてレストランが「市の条例が要求するこ

とを正確に実施した」にすぎないこと,したがって本件レ ストランの人種差別行為が自らの選択というより州の行為 によるものと評価できることを理由に,州法違反の廉で被 告人に対して有罪を宣告することは平等条項違反であると 判示した.つまりPeterson判決によれば,州の機関が私 人に対してある行為を命じたり,公的にその正当性を承認 した場合に,制定法の指針に沿って行動した私人の行為は,

ステイト・アクション要件を満たし,憲法の制約を受ける

「公」的領域にあることになる.これは,公権力が行えば 憲法に違反する行為を私人に命ずる法が存在するときに,

その法に従った私人はその限りで選択の自由が存在してい なかったことを評価したものである.

 またLombard v. Louisiana3i)は,黒人である上訴人が,

レストランから立ち去ることをその経営者に求められたも のの,店内に残ったために財産危害の罪(criminal mischief)

で起訴され,ルイジアナ州最高裁で有罪となった事件であ る.本件ではPeterson事件と異なり,人種の分離を要求 する条例が存在しなかった.連邦最高裁のウォーレン長官 の法廷意見は,人種の分離を要求する条例がない場合でも,

ニューーオーリンズ市はレストランにおける人種分離のサー ビスの継続を命じ,そうでない行為を禁止していることが 明らかなため,レストランの差別行為に市の関わりがあっ たと判断した.つまりLombard判決は,ニューオーリン ズ市の人種分離に対する姿勢が,レストランの自らの意思 によらない人種差別行為を導いたと評価したのである.

 このように私的飲食施設の所有者等による人種に基づく サービスの提供を拒否する行為は,州が私人の共同関係者

と評価できる場合,また私人が活動するときの選択肢が州 の行為により限定されていたと評価できる場合に,憲法の 制約に服す「公」的領域にあると判断された.本来私人が

自己の所有に属するものを自由に使用できることを考えれ

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ば,その自由がステイト・アクション法理の適用範囲の

「拡大」によって制限されたと言える.この「拡大」につ

いて,Peterson判決では結果同意意見を,またLombard

判決では反対意見を執筆したバーーラン判事の次のような説 明が興味深い.「ステイト・アクション法理という概念に 固有なものは連邦制という価値であって,それは連邦の権 力が重要な手段を持つべきではなく,……地方当局の機関 に適切に残されるべき私的権利の領域が存在する」し,ま た「仲間や隣入を選んだり,自由意思に基づいて自己の財 産を使用・処分したり,または自己の入間関係において不 合理,恣意的,気まぐれ,不正でさえあることを選択する 個人の自由はすべて,政府の介入からの保護される権利を 持つものである.もし修正条項の制約が政府の行為と州の 行為に区別なく適用されるのであれば,この自由は平等の 名の下に覆されるであろう」.憲法の射程が私人にまで及 ばない理由を示したこの説明が,ステイト・アクション法 理を必要とする理由であるとともに,ステイト・アクショ ン法理の適用範囲の拡大を危惧する理由でもあることに,

留意する必要がある.実際にハーラン判事は,法廷意見の 使用するステイト・アクション法理では「自らの意思に基 づいて人種分離の営業を行う私的レストランの所有者の権 利は,表向きは制約されていないけれども,グリーンビル 市の条例のような法が存在し続ける州の中では,実のとこ

ろ裁判所が所有者からそのような権利を効果的に奪うこと になる」と述べて,私有財産の使用に関してその所有者が 自由に選択できないことを批判しているのである.

 その他の事例

 人種差別が問題になった他の事例として,まずEvans v.

Newton32>を挙げることができる.この事件は,遺贈者の 意思に反し,遺贈された土地に設営された公園の利用を黒 人にも認めたジョージア州メーコン市に対して,公園の管 理委員会の数人の委員が市を受託者としての地位からはず すこと等を求めて提訴したというものである.この事件で

は,憲法上の2つの原則  「各個人は,好き嫌いを表明 したり私的な生活を営むために,自己の所属する団体を選 ぶ権利を有する」ことと,「連邦憲法修正第14条は,州が 支援した人種差別を禁止する」こと  をどのように調 整するかが争点であった.

 ダグラス判事の法廷意見は,市が公園の管理・監督に関 わる場合に修正第14条の制約に服すとした上で,「公園に 対する自治体の監督の伝統が強固に確立したところでは,

受託者が私人に変わることにより,公園の性格が公的なも のから私的なものへと変わるわけではなく」,本件公園は 憲法の制約に服すと判示した.これに対してハーラン判事 の反対意見は,平等条項は専断的な州の行為のみを禁止す

るもので「単に個人的な偏愛,偏見および行為に由来する……

差別には適用されない」とした上で,本件は政府の重要な 関わりが無ければ,問題の公園が公有地でもなく,単に遺 贈者の個人的社会的思想の問題であり私的差別の事例であ ると判断して,本件公園への憲法の適用を拒否した.ハー ラン判事はその理由を述べる中で,公園の公的性格から結 論を下すという本判決の手法は,「拡大」の範囲が明確で

なく,通常政府の組織とは考えられないもの  例えば,

私立の孤児院,図書館,ゴミ収集業者,探偵機関および一般 に政府の活動ではないと考えられる多くの他の機能 にまで公的機能論の適用があり得るのであって,「従来の 憲法観念をくつがえす端緒を開」く危険を伴うものである と述べて,憲法の射程を拡大することへの警戒心を表明し ている.またステイト・アクション法理の「拡大」につい て,私的な差別行為の規制は「福祉権能(police power)の 認められる範囲で」州に任されており,私的施設の公的機 能に依拠して当該施設に憲法の適用があるという考え方は,

「連邦憲法で賢明にも州に任されてきた規制に関する広大 な領域を,連邦に移すことにつながる」と批判している.

 Reitman v. Mulkey33)も,私的な人種差別が問題となっ た事例である.この事件は,カリフォルニア州で起こった 次のようなものである.1964年の州憲法改正により,自己 の不動産を売却もしくは賃貸借したり,またはそれらを断 る権利を,州は否定,制限または剥奪できない旨の規定

(旧憲法第26条)が設けられた.人種のみを理由にアパート の賃貸を拒否された原告が,私的な住居の販売および賃貸 における人種差別を禁止した州法に基づいて差し止め等を 求めて提訴した.

 連邦最高裁ホワイト判事の法廷意見では,旧憲法第26条 の規定は,州が人種差別に中立的な立場をとったものでは なく,州が私的な人種差別を奨励したもの,また州が私的 な人種差別と重要な関わりを持ったものであるため,連邦 憲法修正第14条に違反する,と判断された.というのも法 廷意見によると,旧憲法第26条の目的は,州法を廃止し,

不動産の売買や賃貸において人種差別を行う憲法上の権利 を創出するために,住宅市場における私的な人種差別に権 限を付与することにあり,したがって州は私的な人種差別 に中立的な立場をとれたにもかかわらず,州憲法第26条に よって私的な人種差別を奨励し,その差別に重要な関わり を持つことになったからである.法廷意見は,人種差別が 純粋に私的な選択の結果により生じたものというよりも,

むしろ人種差別を行う権利が州憲法により具体化されたと 理解し,「人種差別を行う人びとは,もはや自らの選択の みに依存する必要がな」く,憲法上の権威を発動できるよ うになったことを評価したものだと言えよう34).

 これに対してハーラン判事の反対意見は,連邦憲法修正       5

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第14条について,同条が純粋に個人の偏見をコントロール するために企図されたものではなく,個人による人種差別 行為を行う自由を残すものだと理解するとともに,個人の 差別を防止するための立法を要求しないと理解した.反対 意見によれば,カリフォルニア州は,私的な住居財産の売 買・賃貸に作用する私的差別の領域における「個人の活動 を,憲法修正第!4条では触れることのできない自由な選択 の領域の中へ戻すという,まぎれもない中立条項を採択し た」のであって,原告の行為は彼自身の選択の結果以外の 何ものでもなかったのである.そして反対意見は,法廷意 見のステイト・アクション法理の考え方では「全ての私的 差別行為が,州法によって禁止されるか,それとも許容さ れるかということになる」し,またf微妙で面倒な入種に 関する問題を立法過程で処理する試みを阻害しうるのであ

(って),……連邦司法権の介入を認めるために不明確な憲 法上の概念を新たに考案することで,連邦最高裁は連邦憲 法上半の機関に任されている権限と責任を受け持つことに なった」と述べて,奨励という手段によるステイト・アク ション法理の「拡大」適用について異議を唱えているので

ある.

 以上のようにEvans判決は,市が公園の管理を私人に

委託した場合でもその私人の行為が公的機能を遂行したも のであり,本件公園の管理が憲法の制約を受けない私的領

域に委ねるべきではないと判断した.またReitman判決

は,問題の州法が私的な入種差別を奨励・促進するために 制定され,私人の行為が実質的に州の行為であると判断し た.両判決の反対意見(ともにハーラン判事執筆)は,問題 の行為を行為者自身の単なる選択の結果による私的差別と 判断し,法廷意見のようなステイト・アクション法理の適 用範囲の「拡大」について,「憲法」概念を覆す危険性,

すなわち通常政府の組織とは考えられない私人に憲法が適 用されうること,本来は州の役割と考えられる事柄を連邦 が行うこと,立法権の役割と考えられる事項を司法権が行 うことの危険性を指摘している.

 (2)修正第1条が問題となった事例

 修正第1条がステイト・アクション法理の適用との関係 で問題になった事例として,まずMarsh v. Alabama35)

を挙げることができる.この事件は,造船会社に所有され ている点を除いて他の都市の持つ全ての特徴を有する会社 町36>で,宗教上の内容が記載されている印刷物を町の許可 なく配布しようとした者が,制止を聞かずに他人の土地に 侵入・残留する行為を犯罪とするアラバマ州法を侵したと して訴追された,というものである.連邦最高裁ブラック 判事の法廷意見は,公衆に開かれた施設の運営は本質的に 公的機能であること,また本件会社町の果たすコミュニケー

ションの機能は他のいかなる町とも異ならないので,会社 町の支配人は人びとの出版と信教の自由を制限することは できないことを示した.法廷意見は財産権よりも修正第1 条の権利を優越させるに当たり,同条により保障される自 由は「自誓な市民による自由な政府の基礎であ(っ)」て,

「会社町に住む人びとも,自治体の居住者と同様に……善 き市民として行動するために情報を与えられなければなら ない.それらの情報が適切に与えられるために,それらは 無検閲でなければならない」と述べた.このように法廷意 見は,自由な政府のために必要な情報・言論の多様性を重 視して,会社町を憲法の制約に服す「公」的領域と解し,

本来は私的領域にある私有財産権の使用を制限したのであ る.これに対してリード判事の反対意見は,財産権と表現 活動の調整の問題は,連邦憲法によって解決を導くのでは なく,当事者による解決か適切な立法によって解決される べきだと述べている.

 Marsh判決の射程は,Amalgamated Food Employees

Union Local 590 v. Logan Valley Plaza, Inc.37)で拡大 した.この事件は,私的なショッピングセンターの所有者 等の意思に反して,同センターの中で暴力的な行為を伴わ ず平穏な方法でピケを張った労働組合の組合員が,ピケを 禁止する旨の差止命令(injunction)を不服として提訴し た,というものである.連邦最高裁のマーシャル判事の法

廷意見は,本件ショッピングセンターの機能がMarsh事

件における会社町のそれと同じことから,憲法の制約に服 す「公的機能」であると判断し,それゆえ敷地内でピケを 張ることが修正第1条によって保障されると判示した.こ れに対して反対意見は,自己の見解を表明するために他人 の敷地内でピケを張る連邦憲法上の権利は存在しないと考 えている.ハーラン判事は「連邦議会が競合する経済集団 間の微妙な均衡を試みた領域で,また連邦議会の選択した 手段によってどのような解決がなされるかを裁判所が知り 得ない状況のなかで,当法廷が厳格な憲法上の規則を確立 することは,相当な破壊的効果をもたらすであろう」と述 べて,私的ショッピングセンターにおけるピケ行為の問題 は裁判所が決定すべき問題ではなく,立法による解決に委 ねられるべき問題だとしている.またホワイト判事は,ショッ ピングセンターの機能を会社町のそれと同じだと理解する ことで,内容に関わりなく「ローガン・ヴァリー(本件ショッ ピングセンター)に対して,他人のコミュニケーションの ために,財産上でのピケを認めるよう強制することにもな る」と述べている.

 このように,Marsh判決は会社町の機能を自治体のそ

れと同じものと考え,Logan Valley判決はショッピング センターの機能を会社町のそれと同じものだと評価するこ とで,本来は私的領域に属するはずの会社町およびショッ

(8)

ビングセンターが,憲法の制約に服す「公」的領域にある と判断した.これに対して反対意見は,議会の立法により 解決すべき本件のような問題を司法の憲法上の判断に委ね ていることや,憲法を適用することで本来は財産の使用に ついて所有者ができるはずの選択の幅を狭めてしまうこと を問題にしているのである.

 (3) ノjx}舌

 1960年代後半まで,ステイト・アクション法理の適用は,

私的な人種差別と修正第1条に関わる問題38>の領域で「拡 大」・「発展」した.法廷意見は,私人がそもそも公的な機 能を遂行していること,州が反憲法的価値の実現を希望す る私人に対して完全に強制的な統治権力を利用させたこと,

私人と州との間に共生の関係があること,州の強制により 私的選択の幅が狭められたと評価できること,または私的 選択に州法の権威付けがあることによって,ステイト・ア

クション法理の適用を是認し,私人から人権の侵害を受け たとして提訴した者を救済してきた.しかし連邦最高裁判 所は,ステイト・アクション要件を駆使して私的行為を公 的行為と見なし,憲法の制約に服す領域を「拡大」させて

きたのか,その理由について十分な説明をしていない.そ の一・方で,それぞれの判決の反対意見,特にハーラン判事 の見解は,ステイト・アクション法理の適用を「拡大」す ることに対して,本来可能であるはずの私的選択ができな くなることや,憲法の想定している州と連邦または議会と 裁判所の権限配分を壊しうることの危険性を指摘している

と言えよう.

3.憲法に拘束されるr公」(2)一rステイト」の「縮小」

 バーガー・コート(1969〜!986)やレーンクィスト・コー ト(1986〜)ではステイト・アクション法理の適用が「縮 小」・「後退」した時期とされている.この時期のステイト・

アクション法理は,人種差別の問題と修正第1条に関する 問題の他に,適正手続の領域で適用の是非が争点となった.

3.では,ステイト・アクション法理の適用がどのように

「縮小」・「後退」したのかを検討し,また入権の「国家か らの自由」という点から同法理の「縮小」・「後退」を促す

/批判する言説を可能な限り抽出する.

 (1)人種差別の事例

 私的な人種差別に対してステイト・アクション法理を適 用すべきかどうかについては,「縮小」期・「後退」期で も問題になった.Evans v. Newton39>の差し戻し審であ るEvans v. AbneytiG)も私的な人種差別の事例である.連 邦最:高裁では,遺言に基づく信託は成立せず,問題の土地

を相続人に返還:するとした,州最高裁の判断が問題となっ た.ブラック判事の法廷意見はまず,本件遺言の解釈は州 法上の問題であることを示し,その上で遺贈者の意思が白 人以外の人にも利用できる公園を残すことにあるというよ りも公園を廃止することにあると判示したジョージア州最 高裁の解釈について,人種に関して中立的である州法の下 で他の選択肢は無いと判断した.また法廷意見は,本件と 黒人差別の私的な枠組みを積極的に執行した州最高裁の行 為を違憲と断じたShelley v. Kraem♂1)との状況の違い について,本件州最高裁判決の効果は公園の廃止により黒 人差別を排斥することにあるとした.このように本判決は,

「当裁判所の責任は,憲法および土地法を解釈・実施する ことであり,個人的な好みに基づき社会政策を立法化する ことではない」という考え方の下で,司法的執行を通じて 全ての私的行為が憲法の制約に服すと読む余地のあった Shelley判決の射程を明確に限定した.これに対してブレ ナン判事の反対意見は,ジョージア州が公共施設を遺贈者 の相続人への返還を実施・強制するための私的権利を作り 出したこと,および特定の人種専用の公園のために私有地 の提供を認めた当時の州法が存在していたことによって,

州は本件遺贈者の意思に特別の権限を付与し人種差別を促 進したと認めた.その上で,「本件公園を閉鎖することは,

入種差別にコミュニティが関わるという曖昧でないメッセー ジを伝える」ものであって,そうした差別的な公園の閉鎖 がステイト・アクションを構成すると判断した.このよう に,法廷意見が州法の解釈と司法の役割という点から判断 する一方で,反対意見は私的差別が州の行為によって促進

されたという点から判断したと言える.

 また「縮小」期でも,Moose Lodge No.107 v.1rvisti2)

で,私的な飲食施設における人種差別についてステイト・

アクション法理の適用の是非が問題になった.この事件の 争点は,私的クラブによる人種を理由としたアルコール飲 料のサービス拒否行為が,連邦憲法の平等条項に違反する かどうか,というものであった.このクラブは,公的な補 助を受けていなかったものの,ペンシルヴァニア州によっ て発給されるアルコール販売の免許を得ていた.レーンクィ スト判事の法廷意見は,酒類販売に関する州法や州の規則 が差別を助長する意図を持っていたとは認められないし,

問題のクラブが私的な建物の中の私的な社交クラブである ことから州との問に共生の関係は無いと判断した.また法 廷意見は,私的クラブの免許保持者に対する州の規制がど んなに細目にわたるものだとしても,それが人種差別を促 進または助長するものとは言えないし,州をクラブの事業 者のパートナーまたは共同事業者(jOint venture)にす るとも言えないこと等を理由に,クラブの差別的行為が

「平等条項ではどんな差別であっても防禦できない私的行

7

(9)

為」であると結論づけた。

 これに対してダグラス判事の反対意見は,修正第1条に よれば「政府は結社の構成員についてとかく言うことはで きず,それは結社の考えるところによる.ロッジ(本件ク ラブ)が人種制限的行為を行うことは憲法と無関係のこと である」としつつも,本件の場合には州が,免許に重きを 置くことで人種差別を支持し,明白に私的クラブの重要な 協力者になっているという特別の事情ゆえに,クラブの行 為が憲法の制約に服すと判断した.またブレナン判事の反 対意見は,州が私的クラブの開設希望者にクリアーしなけ ればならない条件一一「評判の悪い人」をクラブに通わ せてはならない,また「(クラブでは)わいせつ,不道徳

で不適当な娯楽を許可してはならない」など一を設定

している状況では,州がアルコール飲料に関して無制限な 権力を行使していると評価できるので,ステイト・アクショ

ンが存在すると判断した.このように反対意見は,共生の 関係や私的差別に対する州の促進の要素のないと判断した 法廷意見に対して,州が人種差別を行う私人の共同関係者 であることを,また州が本来私人の選択に委ねられるべき 事柄にまで権力行使のあることを重視して判断したと言え

る.

 しかし「縮小」期というステイト・アクション法理の適用 の後退傾向にあっても,司法過程における人種差別につい てはステイト・アクション法理が適用された.Edmonson v.Leesville Concrete Co.,1nc.tt3>では,民事訴訟におけ る訴訟当事者が,人種を理由に,理由不要の陪審員忌避権

(peremptory challenge)を行使できるかどうかが問われ た.ケネディ判事の法廷意見は,本件理由不要の陪審員忌 避がステイト・アクション要件を満たし,憲法の制約を受

ける「公」的領域にあると判示した.その理由について法 廷意見は,訴訟当事者が政府の明白かつ重要な援助を伴う 政府の定めた手続を使用しなければ理由不要の陪審員忌避 はできないように,政府は問題の行為を支配する法的枠組 みを創設し,自ら重大な方法で差別に関わってきたこと,

法廷という公式の場で人種差別を許すことは人種的な侮辱 を増大させること等44)を挙げた.これに対してオコナー判 事の反対意見は,私人による理由不要の陪審員忌避はステ イト・アクション要件を満たさないので,同忌避の行使に まで憲法の効力を拡張すべきではないと述べている.その 理由についてオコナー判事は,「理由不要の陪審員忌避は,

当事者に対して……陪審員候補者の排除を許すことである.

その行使は,完全に訴訟当事者の裁量に委ねられているの が,この忌避の性質である」とした上で,「理由不要の陪 審員忌避は,……私的選択の行使のためのメカニズムであ

り,政府が管理する手続に含まれる私的行為の領域にある.

……ュ府は陪審員忌避の決定を黙認・許容するにすぎず当

事者に何ら強制することはない」と述べている.

 刑事訴訟において被告人が人種を理由に,理由不要の陪 審員忌避権を行使できるかどうかという点も,Edmonson 判決の翌年のGeorgia v. McCollum45>で問われた.ブラッ

クマン判事の法廷意見は「刑事訴訟のなかで陪審員を選択 することは,憲法上義務づけられた政府独自の機能を遂行 することなので,Edmonson判決:と同じ結論は刑事訴訟 の文脈でいっそう強く当てはまる」と述べた.これに対し てオコナー判事の反対意見は,Edmonson判決と同じく,

本件でもステイト・アクションの存在はなく憲法の適用を 認めないと判断した.その理由についてオコナー判事は,

まず「もし被告人が州から有効かつ独立した弁護士のサー ビスを受けなければ,公平な裁判はありえない」ので,

「弁護士は州の統制から自由である」べきだし,弁護士を 州の行為者とすることには問題があると指摘する.その上 で「政府はいかなる方法によっても,特定の陪審員に一撃 を加えるという無条件忌避を行う弁護士の決定に影響を及 ぼさない.……被告人はいかなる理由も示すことなく,嫌 悪感に基づいて無条件忌避を行うことができる.被告人は 勝手気ままに,そして気まぐれにその権利を行使できる」

と述べて法廷意見を批判したのである.

 この2件のように,「縮小」期にあっても46),理由不要 の陪審員忌避権の行使という司法過程における人種差別に ついては  私的クラブ等での人種差別に比べると,や や特殊な状況であるようにも思われるが  ,ステイト・

アクション法理が適用され,憲法の制約に服す「公」的領 域にあると判断された.法廷意見は,政府が陪審員忌避と いう私的選択の行われる法的枠組を創設した点を重視し,

法廷という公式な場での人種差別を容認しないという考え 方に基づいている.これに対して反対意見は,陪審員忌避 とはそもそも政府に強制されることのない私的選択であっ て,政府がそうした私的選択を制限すべきでないことを重 視したものだと言える.

 (2)修正第1条が問題となった事例

 「縮小」期においても,会社町やショッピングセンターに おける表現活動が問題となった.Uoyd Corp, v. Tanner47)

では,私的なショッピングセンター内で平穏かつ整然とし た方法により徴兵や戦争に反対するビラを配布したグルー プに対して,オレゴン州ポートランド市から警察権の委任 を受けたショッピングセンターの警備員がビラの配布を禁 止した行為の憲法適合性が争われた。パウエル判事の法廷 意見は,ビラの配布等の修正第1条の権利行使が財産権に 優i越するには,当該権利行使が私有財産の設立・使用目的 に直接の関係があること,及び他にコミュニケーションでき る場所が存在しないことを要するとした上で,本件ビラの

(10)

配布はLogan Valley事件と異なりこれらの要件を満た

さないので修正第!条により保護されないと判示した48>.

 さらにHudgeRS v. NLRB49)では,シaッピングセンター の敷地内でピケを張る従業員に対して,退去しなければ不 法侵入の罪で警察官に逮捕させると脅したショッピングセ ンターの所有者の行為が,労働者の団結権・団体交渉権・

団体交渉をするための協定に基づき活動する権利の侵害に 当たるとして争われた.スチュアート判事の法廷意見は,

Lloyd判決が1.ogan Valley判決を完全に否定したと理解 した上で,「Logan Valley判決の言うようにショッピン グセンターが自治体と同じ機能を持つならば,ショッピン グセンター内で内容に基づく言論の制御は,修正第1条と 同第14条によって許さないであろう.修正第1条と同穴14 条の下で,自治体は表現の内容に基づき表現の規制に差を 設けることができない.とりわけ修正第1条の意味すると ころは,政府が表現のメッセージ・思想・主題・内容によっ て表現を制限する権限を持たないことである.それゆえ,

Lloyd事件の原告にショッピングセンター内でビラをまく 権利がなければ,本件従業員がストライキを知らせるため

にショッピングセンターに入る権利もない」と判示した.

 このようにLloyd判決とHudgens判決は,先例である

Marsh判決の射程を,自治体と同じ機能を持つ会社町に 限定することで,私的なショッピングセンターが憲法の制 約に服さない私的領域にあると判断した.この2つの判決 は,ショッピングセンターが憲法の制約に服す公的機能を 有しないという理由で,ショッピングセンター内における 表現の自由よりも,同センター所有者の財産権を優先した.

財産権を優先したことについては,HudgeRS判決のマー シャル判事反対意見が言うように,「ショッピングセンター の事例で表現の自由を認めない法廷意見は,形式主義に陥っ ており,私有財産と結びついたプライバシーと個人の自律 について全く問題にしていない」と批判されることになる.

 会社町やショッピングセンターにおける表現活動と異な る事例では,Rendell−Baker v. Kohn50)がある.これは,

私立学校教師の原告が理事長の方針に反対して解雇された ため,連邦憲法修正第1条等の権利侵害を理由に提訴した 事件である.本件私立学校は,予算の9割以上を公的基金 でまかない,事業に関してマサチューセッツ州の機関や委 員会と契約を交わし,また州や自治体の規制に服していた.

本件の争点は,私立学校の本件解雇がステイト・アクショ ンになるかどうかであった.連邦最高裁のバーガー長官の 法廷意見は,学校に対する州の財政的援助が直ちに本件解 雇をステイト・アクションにしないこと,本件教育は憲法 の制約に服す「州に留保された伝統的かつ排他的な公的機 能」には当たらないこと,学校と州との間に共生の関係は 存在しないことなどの理由とともに,州の規制が広汎かつ

詳細なものだとしても,「原告を解雇する本件決定は,い かなる州の規則によって強制されたものではないし,また 影響を受けたものではない」ことを理由に,本件解雇が私 的な決定でありステイト・アクションに当たらないと判示 した.これに対してマーシャル判事の反対意見は,本件解 雇がステイト・アクション要件を満たす公的な決定である

と判断するに当たり,「本件学校は,州によって極度に規 制され,かつ綿密に監督されている.……学校の意志決定 の自由は,マサチューセッツ州教育省のガイドラインおよ び州機関との様々な契約によって実質的に限定される.……

学校が決定するほとんどすべての決定は,州の規則にもと つく方法で実質的に影響されている」と述べた.

 「連邦制」という要素が全く存在しない問題で,ステイ ト・アクション法理と同じ基準により判断された事例とし て,San FraRcisco Arts&Athleもics, Irlc, v. United States Olympic Committeesi>カsある.この事件は,アマ チュアスポーツに関して規定する連適法によって,「オリ

ンピック」という語やその商標の排他的使用権を得ていた 連邦オリンピック委員会(以下,USOC)が,「ゲイのオ

リンピック大会(Gay Olympic Games)」という文句を 郵便物や新聞紙などで使用した民間会社に対して,「オリ

ンピック」という語の使用終了を求めて提訴した,という

ものである.パウエル判事の法廷意見は,USOCが憲法

の適用を受ける政府の行為者(governmental actor)か どうかを基本的な問題とする.その上で法廷意見は,ステ イト・アクション要件の先例を踏まえ,連邦議会による立

法,政府の広範な規制・補助金の付与やUSOCの果たす 機能という点から,USOCの行為が憲法の制約に服す政

府の行為にならないと判示した.また「最も基本的なこと は,通常,政府が私的行為に責任を負うのは,政府がその 行為を強制したか,その選択が法のなかで政府の行為と考

えられるような重要な関わり合いを持ったときに限られる.

USOCが排他的な単語使用権を行使したときに,連邦政

府はそれを黙認しただけであって強制も奨励もしていない」

として,USOCは政府の行為者でないと判示した.これ に対して,ブレナン判事の反対意見では,USOCの果た す公的機能,共生の関係および立法の目的がUSOCの集 金力を増強すること等を分析して,政府がUSOCに対し

て法を任意に執行する権限を積極的に付与したとして,本

件USOCの行為が憲法の制約に服す政府の行為であると

判断した.

 Rendell−Baker判決:とSan Francisco Arts&Athletics,

Inc.判決は,私立学校とUSOCという公益団体が憲法の

制約を受けない私人であると判断した.両判決の法廷意見 は,問題の私的行為がステイト・アクション要件を満たす かどうかを審査するに当たり,問題の領域がそもそも政府

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(11)

の伝統的かつ排他的な公的機能ではないこと,私人と政府 との聞に共生の関係のないこと,政府の強制・影響を受け るなど行為者の自律的な決定を妨げるものは無かったこと

を示した.これに対して反対意見は,私立学校やUSOC

の選択が実質的に州の選択と評価できるほど,私的行為に 対して州の影響があると判断したのである.

 (3)適正手続

 1970年以降,ステイト・アクション法理の適用が問題と なった主要な領域に,適正手続がある.この領域での最初 のステイト・アクション法理判断は,ステイト・アクショ ン判断の「後退」という点で最:も重要な判決だと評価され る52),Jackson v. MetropOlitafl Edison Co.53)である.

JackSOR事件では,私企業の電力会社による事前の告知

のない電力供給の打ち切り行為が,連邦憲法修正第!4条に 定められたデュー・プロセス条項に抵触するかどうかが争 われた.この電力会社は,ペンシルヴァニア州で唯一の電 力供給会社であり,州から免許を受け,かつ州の広範な規 制に服していた.

 連邦最高裁のレーンクィスト判事の法廷意見は,「伝統 的かつ排他的に州に留保された権限」を行使する私的行為 がステイト・アクションとされるが,電力サービスの供給

はそうした意味での州の機能ではないこと,州法により許 容された電力会社の選択は,そのイニシアティヴが原告に

よるものであって州によるものでない場合,ステイト・ア クションを構成しないこと,州と電力会社とは「共生の関係」

(symbioもic relationship)にないことなどを理由に,本件 電力会社の電力供給打ち切り行為は憲法の制約に服さない と判断した.これに対してマーシャル判事の反対意見は,

電力会社が電力供給を独占し,州の規制に服す基本的な公 共事業であることを重視して,電力会社に対して電力供給 の停止する事前にその旨の告知を要求する,と判断した.

同意見の中でマーシャル判事は,「公の利益に影響を及ぼ す機能を遂行する私人が,自分たちは選択の機会を最大に するために統治制度に適用される憲法上の諸要件から免れ ている,と説得力ある主張をすることができ」,多様性と いう価値が私人によって促進されることはあるけれども,

「私企業が街の中で唯一の電力会社であるときにまで,多 元性とか多様性といった価値が適切であるとは言えない」

と述べて法廷意見の判断を批判した.

 Jackson判決は,私企業である電力会社の電力供給行

為が憲法の適用されない私的領域にあることを明らかにし た.法廷意見は,電力会社の行為を,公的機能でもなけれ ば州の関わりもない,馬入の意思に基づく私的行為と評価 したのである.反対意見は,私人が憲法の制約に服さない ことの意義を述べつつも,私的領域の価値多元性について

限界があることを指摘している.

 次に適正手続が問題となったのはFlagg Brothers, Inc.

v.BrOoks54>である.統一商法典7−210条は,倉庫業者に対 して,債務者に告知した上で倉庫に預けられた保管料滞納 者の物品を売却する権限を与えている.本件は,保管料滞 納者の物品を留置権に基づき自ら売却したことに対して,

その滞納者が売却の差し止め等を求めて提訴した事件であ る.この自力執行を認める統一商法典の規定が,債権者に 対して州の「伝統的かつ排他的な公的機能」を委任したか,

また倉庫業者の売却行為を州が促進・奨励したものである かが争点となった.連邦最高裁レーンクィスト判事の法廷 意見は,まず債権者・債務者間の問題の解決が,憲法の制 約に服す「伝統的かつ排他的に州に留保された公的機能」55)

ではなく,純粋に私的な事柄であると判断した.という のも統一商法典7−210条に定められた売却行為は,債権者 に対する唯一の救済方法ではなく,「債権者と債務者は,

公職の選挙や会社町におけるビラの配布を希望する人びと が持つよりも,歴史的に数多くの利用可能な選択肢を持っ ている」ので,州に留保された排他的な権限ではないから だと説明した.つぎに法廷意見は,「州法が私人の行為を 強制している場合には,州は当該私人の行為につき責任を 負う.……州が私人の行為を単に黙認しているというだけ で当該私人の行為がステイト・アクションに変わる,とい

う先例はない」と述べて,州の関与が倉庫業者による保管 料滞納者の物品の売却にとどまるので,倉庫業者の行為を ステイト・アクションと認定しなかった.法廷意見は,倉 庫業者の本件売却行為が複数の選択肢から任意に選ばれた 方法で,かつ州の強制という私的選択を拘束する要素の存 在しないところで行われたものであると捉えて,憲法の制 約に服さないと判断したのである.

 これに対して2つの反対意見はともに,本件倉庫業者の 売却行為をステイト・アクションと認定している.マーシャ ル判事は,「当法廷が,貧困層の生活の現実に対して思い やりのない無関心な姿勢を示していることに,私は黙って いられない」とした上で,「いったん彼女の物品が押収さ れたならば,それらが保管料不払いのために強制的に売却 されたときに,彼女は倉庫業者にその物品の処分を任せる 以外に事実上選択権を持っていなかったことは明らかなよ うに思われる」と述べ,賃借人に事実上選択肢が存在しな かった点を指摘している.またスティーヴンス判事は,

「私たちの社会の圧倒的に大多数の論争が私的領域の中で 解決されることは,明きらかな真実である.しかし,それ が私的行為と公的行為との間に鋭い線を引くことができる と信じることは,かつては可能であったとしても,もはや 可能ではない」と指摘し,法廷意見の考え方では,州が同 意のない財産の剥奪を制御することと,州の制御が適正手

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続の規定に服すこととを分離することになるが,これには 同意できないと述べて,法廷意見の形式的な憲法適用方法 を批判した.

 このようにFlagg Brothers判決は,自力執行に基づく 留置権の行使が憲法の適用されない私的領域にあることを 明らかにした.法廷意見は,債権者・債務者間の問題がそ

もそも私的領域の多様性の中で判断されるべきでものであ り,また州の強制という私的選択を拘束する要素も存在し ないため,そうした領域での憲法価値による拘束を認めな かった.これに対して反対意見は,公私二元論という形式 的な考え方に基づいた判断では社会的弱者を救済できない

という点から,法廷意見のステイト・アクション論を批判 していると言えよう.

 なお差し止めの事案で反対の結論になったのは,公務員 である裁判所職員が関わる事案である.Lugar v. Edmondson Oil Co.56)では,ヴァージニア州裁判所の・書記官発行の仮 差押え令状とそれに基づく郡執行官による財産の差押え手 続を利用した,債権者による債務者の財産の差し押さえ行 為が,憲法の制約に服すかどうかが問われた.連邦最高裁 ホワイト判事の法廷意見は,債権者と州の公務員が共同し て財産の仮差押えをしていることなどを理由に,本件差し 押さえがステイト・アクション要件を満たし,憲法の制約

に服す「公」であると判示した.

 公益団体の行為が適正手続条項の制約に服すかどうかに ついて問われた事例もある。NCAA v. Tarkanian57)では,

全米大学体育協会(以下,NCAA)の勧告に基づきネバ ダ州立大学(以下,UNLV)の行った同大学のバスケッ

トボールのコーチに対する停職処分が,連邦憲法の適正手

続条項に適合するかどうかが争われた.NCAAは,学生

スポーツ選手のリクルート等に関する規則を制定し,当該 規則の違反者に制裁を課す権限を有している.本件では

NCAAがUNLVに対して,コーチを停職させない場合に

はさらなる制裁を課すと勧告していた.スティーヴンス判

事の法廷意見は,NCAAの規則・勧告に従ったUNLVの 行為が,NCAAの行為をステイト・アクションに変える かどうかを審査した.その結果,法廷意見は,NCAAの

規則は各州から独立した組織によって採択されたものであ

ること,UNLVは当該規則を拒否するだけでなくコーチ の停職を避ける権限を持っていたこと,UNLVは大学の 従業員に対して特定の処置を講ずることまでNCAAに委 任していないこと,UNLVはコーチに対する処置を講ず る権限を保持し,さらなる処罰を受けるよりもNCAAの 勧告の受け入れを選択したことから,NCAAには公式の 権限が無く,UNLVがNCAAから脱退する自由を有する として,NCAAの行為は憲法の制約に服さないと判示し

た.これに対してホワイト判事の反対意見は,「NCAAの

決定が間違ったものであるにもかかわらず,UNLVがコー

チを解雇したのは……UNLVがNCAAの会員である問,

NCAAの決定が最終的なものだからである」と指摘した 上で,UNLVがNCAAの規則及び勧告を受入れる等の理

由により本件解雇は両者の共同行為と評価できるのであっ

て,それゆえUNLVの行為はステイト・アクションを構

成すると判断した.

 同じく公益団体の行為が適正手続条項の制約に服すかど うかについて問われた事例として,Brentwood Academy v. Tennessee Secondary School Athletic Associatioft58)

がある.この事件は,テネシー州法に基づき設立された高 校体育連盟の下した会員に対する処分(連盟規則違反の廉)

が,会員の表現の自由とデュー・プロセスの権利を侵害し たかどうか,というものであった.連邦最高裁のス一類ー 判事法廷意箆は,私人の行為であっても州の行為として正 当化できるような,州との密接な関係がある場合にはステ

イト・アクションを構成するとした上で,連盟の構成(州 内の公立高校のほぼすべてが加盟,規則制定や運営の委員 は加盟校の教職員,広範な規則および州教育委員会による 規則の承認),財政(連盟の財源は高校のゲームの入場料

に依存),および運営(公立高校の極めて広範な関わり)

から,両者には「密接な関わり」が認められるとして,高 校体育連盟の本件処分行為がステイト・アクションを構成 すると判示した.これに対してトーマス判事の反対意見は,

高校体育連盟の本件処分行為がステイト・アクションを構 成しないと判断した.反対意見は,特に法廷意見の使用す る「関わり合い」が定義のない射程が不明確なものだとし て,次のように批判している.「もし法廷意見の新しい関 わり合いテストが将来において発達した場合には,活動を

促進し,規則を施行し,高校間で行われる課外競技一

運動競技だけではなく,農業,数学,音楽,マーチングバ ンド,弁論そしてチアリーダーの活動のような多様な領域 における競技  を主催・後援する多くの組織に対して,

影響を与える可能性がある.いやそれどころかこの関わり 合いテストは,消防士,警官,教師,市や県のような公務 員・公的主体によつで構成されるか,あるいは制御される 他の組織にまで拡張されうるのである.……(しかし)ステ

イト・アクション法理は,私人が……連邦裁判所の制御に 服さないように,真に州の責に帰すことのできる行為に限 定して適用すべく開発されたものである」.反対意見はこ のように述べて,憲法の射程の不明確な概念を使用するこ との危険性を指摘していると言えよう.

 適正手続の領域でステイト・アクション法理の適用が問

題とされた他の事例として,American Manufacturers

Mutual Insurance Company v. Sul!ivan59>を挙げること ができる.この事例では,保険業者が治療の合理性や必要

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