共同研究の経緯・日程・内容
沖縄国際大学(沖国大)沖縄法政研究所(法政研)では、二○○九年度から、共同研究の制度が創設された。今回「石川元平氏 オーラル・ヒストリー」(「石川オーラル」)を取り纏めた、本共同研究「戦後沖縄政治史の研究」も、五月に発足している。その際の共同研究者は、佐藤学所員/法学部教授、吉次公介所員/法学部准教授(のち教授)、黒柳保則所員/法学部講師(のち准教授)の三名(以下では共同研究者について初出以外は肩書を省略する)であった。「いずれオーラルを取れれば」と考えたのである。
本共同研究はこのように発足し、当初は個々人がそれぞれ研究を進め、成果を法政研の研究会で報告したり、紀要『沖縄法政研究』に寄稿したりしていた。折に触れてオーラルの人選について検討していたが、黒柳が二○一一年四月に副所長となったこともあり、「懸案」の実現を図る機運が徐々に高まった。
しかし、三名から構想は出るものの実現に至らないうちに、二○一三年四月には、吉次が立命館大学法学部に転出して特別研究員となり、黒柳は副所長二期目に入った。そんな折り、六月に、黒柳は、二○一一年度から特別研究員となっていた、櫻澤誠立命館大学衣笠総合研究機構専門研究員と、那覇にて会う機会があった。その場で、櫻澤から、今回の「石川オーラル」に結実する、それまで温めて来た聞き取りの構想が提案されたのである。
石川元平氏は、沖縄教職員会時代にはかの屋良朝苗会長に「秘書」として仕え、一九九○年代には沖縄県教職員組合執行委員長を務めて当時の大田昌秀沖縄県知事のブレーンとしても重きをなした。本共同研究の趣旨に相応しい人物であることは間違いない。二○一二年一一月六日(火)には、法政研第三二回講演会において、「『復帰四○年』屋良朝苗が遺したもの」と題してお話を賜ったこともある。
黒柳が佐藤と吉次に了承を求めたところ快諾を得たので、石川氏 からの聞き取りの準備を進めることとし、櫻澤を共同研究者とする手続きも取った。また、二〇一三年四月から沖国大に採用された、野添文彬所員/法学部講師も、共同研究者に加わっている。
聞き取りの準備は、まず、櫻澤が、二○一三年八月、石川氏に連絡を取り、実施について了承を得ることから始まった。それを受けて、櫻澤に質問項目の案を提出してもらい、九月に全共同研究者で検討している。こうして、石川氏の出生から現在に至る、五八項目にわたって聞き取りを行うことが固まった。挙げられた項目は、櫻澤から事前に石川氏にもお知らせした。
聞き取りは、各項目ごとに、まずは石川氏のお話を賜り、それを受けて櫻澤が質問し、これに対する石川氏による応答があり、さらに各共同研究者が石川氏に質問する形式で進めた。
聞き取りの第一回は、二〇一三年一〇月一九日(土)一三時〇〇分から一七時三〇分まで、沖国大一三号館研究所会議室(第四回が同館五○七教室で行われた以外は同じなので会場について以下では省略する)にて行われている。聞き手は佐藤・黒柳・櫻澤・高橋順子日本女子大学人間社会学部助教(櫻澤を通して参加を希望された)である。高橋は、二○一四年度から特別研究員と共同研究者になっている。出生から教員になるまでの時期について伺った。
第二回は、同年一一月八日(土)一四時○○分から二〇時三〇分まで行われている。聞き手は佐藤・黒柳・野添・櫻澤である。沖縄教職員会の専従となり、復帰運動や教公二法阻止闘争に取り組み、三大選挙に至るまでの時期について伺った。
第三回は、二〇一四年一月二五日(土)一三時三〇分から一八時三〇分まで行われた。聞き手は、佐藤・野添・吉次・櫻澤・高橋である。毒ガス移送から屋良主席誕生を経て復帰前後に至るまでの時期について伺った。
第四回は、同年三月一一日(火)一四時〇〇分から一八時〇〇分まで行われた。聞き手は、佐藤・黒柳・野添・吉次、櫻澤、高橋である。屋良県政の時期について伺った。
第五回は、同年四月二五日(金)一三時三〇分から二一時○○分まで行われた。聞き手は、佐藤・黒柳・野添・吉次・櫻澤・高橋である。日教組加盟から西銘県政の時期について伺った。
第六回(最終)は、同年六月二八日(土)一三時三〇分から一九時○○分まで行われた。聞き手は、佐藤・黒柳・野添・櫻澤・高橋である。大田県政から現在までの時期について伺った。
各回とも、石川氏はノートにびっしりとメモを取って臨まれ、また時には貴重な資料を配布されるなど、並々ならぬ熱意がひしひしと感じられた。ここに深甚なる謝意を表したい。
なお、聞き取りを受けての「石川オーラル」編集作業は、まず、各回ごとに、黒柳が南風原町にある光文堂コミュニケーションズ ( 株) に依頼して、録音データを文字に起こしてもらった。 それを櫻澤が二○一五年八月から九月にかけて通しで録音を聴きながら全て確認しつつ仮原稿を作成し、九月から一○月にかけて全共同研究者が確認した。さらに、確認済の仮原稿を櫻澤が再確認し、そのうえで黒柳から石川氏に送付のうえ、一一月から一二月にかけて確認して頂いている。
一二月三日(木)には、沖国大一三号館五○七教室にて、佐藤・黒柳・野添・櫻澤が集まって編集会議を開催した。石川氏に確認して頂いた仮原稿は、さらに櫻澤によって、二○一五年から二○一六年の年末年始に、本原稿にする作業がなされている。
本原稿をもとに、黒柳が目次や共同研究の経緯・日程・内容といった本文以外の部分を作成した。印刷会社は南風原町にある ( 株) 近代美術に決定し、二○一六年二月から三月に黒柳と櫻澤が校正作業を行っている。校正作業の過程においては、同年二月二九日(月)、沖国大一三号館五○七教室にて、石川氏と共同研究者で最終の確認を行った。
本共同研究については、法政研の稲福日出夫所長、照屋寛之前所長、石川朋子研究支援助手に、ひとかたならぬお世話になった。
また、本文の括弧内の文言は、編集過程において補足されたもの である。なお、本文には差別的表現も見られるが、時代の制約を前提とする使用法を、当時の雰囲気を伝えるためにそのまま用いたものであるとご理解を願いたい。 (黒柳)
2016年2月29日 沖縄国際大学にて
石川元平氏 略歴
■石川 元平 いしかわ げんぺい
1938(昭和13)年3月6日、沖縄県国頭郡東村字有銘生まれ。
1957年3月、辺土名高等学校卒業。3年間の代用教員(助教 諭)時代を経て、1960年より沖縄教職員会の専従(総務部付 会長秘書兼)となる。沖縄県教職員組合への改組後、総務部 長、組織部長、法制部長、副委員長を経て、1991~99年に執 行委員長を務めた。
2016年2月29日 沖縄国際大学にて
第一回〜第六回インタビュー目次
共同研究の経緯・日程・内容石川元平氏 略歴
第一回
「出生、家族のこと」
2
「戦前の記憶」
3
「出生、家族のこと」「戦前の記憶」の質問・応答
4
「沖縄戦について」
5
「沖縄戦について」の質問・応答
8
「戦後初期の状況」「小学生時代」「中学生時代」
16
「戦後初期の状況」「小学生時代」「中学生時代」の質問・応答
20
「高校生時代」
28
「教員になるまで(きっかけ、免許取得方法など)」
30
「高校生時代」「教員になるまで(きっかけ、免許取得方法など)」の質問・応答
31
第二回
「勤務した学校の状況」「青年時代の地域とのかかわり(青年団など、土地闘争時のこと)」
34
「勤務した学校の状況」「青年時代の地域とのかかわり(青年団など、土地闘争時のこと)」の質問・応答
37
「教職員会専従になるまで」
41
「教職員会専従になるまで」の質問・応答
43
「一九六〇年代の教職員会での日常活動」
46
「一九六〇年代の教職員会での日常活動」の質問・応答
51
「復帰運動(復帰協大会、海上集会、日の丸掲揚運動、日本語教育など)」
54
「復帰運動(復帰協大会、海上集会、日の丸掲揚運動、日本語教育など)」の質問・応答
59
「主席公選要求闘争」
61
「主席公選要求闘争」の質問・応答
62
「佐藤訪沖(来沖)」
63
「佐藤訪沖(来沖)」の質問・応答
64
「教育権分離返還問題」
65
「教公二法阻止闘争」
66
「教育権分離返還問題」「教公二法阻止闘争」の質問・応答
69
「屋良会長および石川氏の佐藤・ジョンソン会談への印象」
71
「三大選挙(それ以前の選挙への関わりとの比較も併せて)」
72
「屋良会長および石川氏の佐藤・ジョンソン会談への印象」「三大選挙(それ以前の選挙への関わりとの比較も併せて)」の質問・応答
75
第三回
「毒ガス移送」「核撤去」
82
「毒ガス移送」「核撤去」の質問・応答
83
「屋良主席時代」
85
「B52墜落事件、二・四ゼネスト」
86
「屋良主席時代」、「B52墜落事件、二・四ゼネスト」の質問・応答
89
「屋良主席(および石川氏)のアメリカ観、中ソ観、冷戦観」
92
「屋良主席(および石川氏)のアメリカ観、中ソ観、冷戦観」の質問・応答
94
「全軍労闘争」
99
「全軍労闘争」の質問・応答
101
「コザ事件」
102
「コザ事件」の質問・応答
104
「国政参加選挙」
105