弧箆簡
説 ﹁ 再 版 原 蓄 論 ﹂ と 現 状 分 析
‑山 田 盛 太 郎 氏 の 戦 前 と 戦 後 の 分 析 に つ い て
(
)
沢 田 幸 治
1 ある資本セ義国の現状分析を行なおうとする際︑その分析理論の一つとして再生産論昌再生産表式論をあげること
は展にみとめられていることであるとい.てよかろう︒そして︑この再生産論によって日本資本宅義の分析を行
なった代表的論者として由田盛太郎氏の名をあげることも︑一般にみとめられていることであるといってよかろう︒
われわれは︑先に︑山田氏がU本資奎義を分析する際に再生産論をどのように使用したかについて検討し規・そし
て︑われわれは︑山田氏の再生産論の使い方は︑戦前のU本資本t義を分析する場合と戦後の日本資本t義を分析す
る場合とでは異なっていると考えた︒そして︑その理由について︑われわれは︑分析対象である日本資本主義そのも
のが戦前と戦後では異なる性格の資本ド義になっているたあであるとした︒すなわち︑分析対象そのものが異なる性
2
商 経 論 叢 第28巻 第4号格のものになっているため︑解明すべき課題も異なるものとならざるをえず︑したがってまた分析用具理論の使い
方も異なってこざるをえなかったと考えたのであった︒この点︑やや具体的にいえば︑山田氏が分析を行なった時期
にすでにその型制の分解に直面していた戦前の場合と︑分析の時点で︑なお︑終局的に構成を整え切っていない〜
その途Lにある(とわれわれには思われた)戦後の場合とでは︑当然解明課題は異なるといつサ﹂と︑そしてそのため
分析理論たる再生産論の使い方分析の仕方も異なりざるをえないとい・つ▼﹂とである︒︿U清髭﹀の両戦
争を貰串する時期に構成を整えたとされる戦前の目本資本ド義については︑その基本構造を解明す登しとによ.て︑
この資本セ義における基本対抗・展望を示すことが課題であったのに対して︑戦後については︑いわゆる﹁再版原蓄﹂
を経て戦前とは比較にならないほどの発展をみせた重化学L業をもったとはいえ︑サ﹂の資本義がはたして安定し
た構成を整窃れるかどうかということを明らかにすることが山田氏の課題であ.たとわれわれは考えたわけであ
る︒われわれはこのような解明課題の相違こそが分析理論たる再生産論の使い方分析の仕方liの相違をひきお
こした理由であると考えたわけである︒
このようにわれわれは再生産論の使い方の相違に注目して山田氏の分析方法を検討したのであるが︑それに続い
ヨ
て・われわれは氏の農業ヒ地所有の扱い方資本セ義におけるそれの位置づけの仕方についても検討した︒その
検討を行なったのは︑山田氏の場合には︑農業⊥地所有の扱い方が︑戦前の資本義に対してと戦後の資本義に
対してでは大きく異なっているようにみえたからである︒そして︑このとり扱い方位置づけの相違についても︑わ
れわれは︑先の再生産論についての場合と同様︑戦前と戦後では資本t義の性格が異なり︑したがってまた解明課題
が異なっているためであると考えた︒
以上・われわれは︑山田氏における衆産論の使い方の相違や農業匙地所有の資李義における位置づけの"方
「再版 原 蓄 論 」 と現 状 分析
3 の相違は分析対象たる資本主義の性格の相違と︑そのことによる解明課題の相違によるものと考えたわけである︒こ
のよ.つに︑山田氏の分析の仕方の相違の基礎とな.ているのは氏の戦前と戦後の資李・義の性格についての見解であ
ろう︒すなわち︑それらを異なる性格の資本セ義︑極言すれば別個の資本セ義とみなしていることにあるといえよう︒
たしかに︑戦争と敗戦を︑そしてそれに続く戦後諸改革という一連の過程を間にはさんだ戦前と戦後では・資本室義
の性格にも人きな相違が存在せざるをえないであろう︒それゆえ︑氏が戦前と戦後を令く異なる資本誕義であるかの
ようにとり扱ったのもわれわれにはそのように見えるのだが当然のことというべきかもしれない︒しかし︑
芳︑.両者の性格にどれほど人きな相違が存在しようとも︑戦後の日本資李・義が戦前の資本義を受け継いで発展
してきたものであるということも否定しえない事実であろう︒したがって︑両者の間に一個同一の資本主義の連続"
発展とい.つ関係をみとめるワしとも当然可能であり必要なことといわなければならないだろう︒しかし・このように連
続したものとして戦前と戦後をとらえることが必要であるとすれば︑山田氏のようなとらえ方は︑不卜分なとらえ方
ー,1誤まったとらえ方ということにならざるをえない︒そこで︑いったい戦前と戦後の日本資本宝義の関係はどのよ
.つにとらえ︑bれるべきだうつかという問題が生じることになる︒周知のようにこの問題は︑﹁断絶﹂説と蓮続﹂説と
いわれて論争されてきたところの問題である︒そして︑いうまでもなく山田氏は両者の関係を﹁断絶﹂面を強調して
とらえているといってよかろう︒そこで︑何故氏がそのようなとらえ方をしたのかという問題が生じることになる︒
戦前と戦後の関係について︑その断絶という側面を芳的に強調した場合︑当然存在したであろう.両者の間の連続と
い.つ側面は軽視され蚤﹂とになりざるをえない︒しかし︑そのようなとらえ方をした場合に︑戦前と戦後の資李義
の統所な把握は不可能とな・りないであうつか︒そもそも山田氏にあ.ては︑戦前と戦後の関係の統一的な把握は問
題にならなかったのであろうか︒
商 経 論 叢 第28巻 第4弓' 4
小稿の課題は・ここで簡単にみた以前の拙稿での考察t山田氏の資本義分析の方法についての考察を補足する
意味で・右にのべた山田氏における戦前と戦後の資本裏の関係についての見解を検討する}﹂とである︒そして︑そ
のことを通して︑資本セ義分析のための一視角を獲得しようとすることである︒
(付)
山田氏の分析方法については︑のべたとおり︑かなり以前に.5の論文を発表したのであるが︑それ・りを発表した
時点で・実は・ここでとりあげる問題にづいての検討もかなり行なっていた︒しかし︑それを行なっていた冗八〇
年代末から九〇年代初頭にかけてわれわれは世界的な激動i蓮.東欧等のいわゆる﹁社会主義﹂体制の崩壊とい.つ
激動に直面した・このような激動期社会義﹂の円朋壊という事実を慈に入れた時︑社会義世界体制の発生11存
在を戦後分析の一前提にしているように見える山田氏の見解の検討の必要性は︑はたして︑どこにあるのかというこ
とを考えざるをえなくなり・この問題の検討をしばらく中断していたわけである︒ワ﹂れに加えて︑山田氏の戦後分析
の;の焦点が・いわゆる戦後亟・化学[業の分析におかれているわけであるが︑現在︑わが国で最大の問題にな.
ているのは・そうした璽化学工業ではなく︑いわゆるM・E産業等︑先端産業であるとい,つ事情も問題の検討を中
断させたもう;の理由として加わる︒ありていにいえば︑山田氏の見解を検討する}しとは︑すでに過去完了に属す
る問題を検討することになるのではないのかという危惧をも.たわけである︒︺しかし︑世界的な状況と生産力の水準
において大きな変化があったとしても︑山畏が見すえていた戦後日本資本義の基本構造1とそ▼﹂に存する茅
盾Llは今日においても︑根本的な変化をみせていないのではないのかと考えなおすにいたり︑▼し}﹂に盟の検討
を再開することにしたというわけである︒したがって︑あるいは占い歌を歌,つ}﹂とになるかも知れないが︑それが自
5「 再版 原 蓄 論 」 と現 状 分 析
らの認識が歌う白鳥の歌でないことをと願うばかりである︒
二いわゆる﹁断絶説﹂への批判
戦前と戦後の目本資本義の関係についての見解には︑いわゆる断絶説と連続説が存在するわけだが・それぞれの見解の代表的論者としてあげりれてきたのは︑前者については山握太郎氏︑後者については人内力氏であった・こ
の点︑例えば︑次のようにのべられているところである︒
﹁敗戦.占領.戦後改革喬期とする日本資本霧の変化について︑その国家独占資本義体制の発展.成熟とい.つ連続面を本質規定とするか︑それともその呆資李義の構造的特質の変化という断絶面を本質規定とするかに
よ.て︑大内氏に袋される連続説と山田盛太郎氏に袋される断絶説と︑︑5の相対亭る有力な見解が存為﹂・▼︑の断絶説と連続説とい・つ両見解の対蔭︑﹁いわゆる日本栞霧論争以来の︑戦前日本資李義の理解に関する
見解の相違に起閃している﹂とみなされているのであ馳︑ともあれ・まずは・断絶説に対する批判者であり・したがって連続説の袋的論者と目されていた人内氏の見解をみることにしよう(むろん・含では・こうした観点蘇承口発
展させた労作は多‑あるが︑ワとでは︑山罠に対する批判を麟にするために︑そうした最近の研究成果ではなく・あえて・大内
氏自身の見解をみることにする)︒
さて︑戦前と戦後の関係喬題にする際に人内力氏が強調されるのは二五年戦争L期における資本義の推嘗
変化についてであった︒次のとおりである︒
﹁と▼﹂ろで.・⁝五簡の歴史のなかでおこった日本経済の変化について︑⁝解明しておかなければならない・と
い.つのは︑}﹂の五年間は戦争によ.てほとんどおおわれており︑日本経済の構造変化も︑直接的には戦争の必要に
商 経 論 叢 第28巻 第4号 6
もとついて告たものなのであるが︑しかしそれはけっしてたんに蒔的偶然的な変化とはいえないものだか︑りであ
る・むしろこの変化n体が・国家独占資奎義的経済体制の発展強化をいみするものであるとともに︑Ψ﹂サしでつくり
だされた変化を出発点にして・戦後の呆経済の構造は規定されていると考えざるをえない.そのいみで︑(鐵後の経
済は・撃の遺産のうえ㌻てられたのであり︑この構造変化のいみを無視葛しとはゆるされないのである.L
みられるように・大内氏は・戦前と戦後の関係を問題にする時︑五年撃の間における日森済の憂化Lに承
要な意味をもたせているわけであるが︑では︑この期における日森済の﹁変化﹂とは具体的にはどのよ.つな変化の
ことであったろうか・人良の指摘されるもののうち︑とくに墨と思われる章の占ξいて次にみてお}﹂.つ︒
大内氏がまず第一にあげるこの期における日本経済の変化は︑﹁経済構造あ﹁高度化を9つ}﹂とである︒氏は}﹂
の点について・この期におい三藁生産のほうが漿生肇りはるかに早‑増大しL︑▼しの間に﹁それだけ工業化﹂
がすすんだということ・そして・﹁藁崖のなかでは⁝・璽化学棄の拡大がはるかに了︑繊維によって袋さ
れる軽棄の比重はずっと小さくなっている﹂とい,つこと︑﹁こうして︑呆の工業の獲は︑戦時中にすでに電.化
学工業中心に融成されていった﹂ということ︑以ヒの点を橋され︑﹁そのなかで戦後の産業構造が胆臼心されたとみ
て い い ︒ ﹂ と さ れ て い る ︒ ( 以 L ︑ 大 内 ︑ ︑ . 六 四 ‑ L ハ 五 頁 ) ︒
第二の点としてあげられているのは︑﹁右にみたような工業生産の急激な拡大と電.焦F工業化の進展によっ三生
じた﹁独占の側に﹂おける天きな変化をい・つことについてである.氏は︑ツ﹂の占州について︑まず︑﹁きわめ三般
的にいえば﹂それは・この間に﹁資本の集中・集積﹂が進み︑﹁独占資本・が置大化﹂した}しとだとされているので
あるが(以上・大内ー天六Lハ八頁)︑この点に関して︑より具体的三独占資本の内容に質的な変化が生じてきたソしと
こ告しておかなければならないLとのべられ︑と‑に︑次の.点に注意をむりりれている︒その,つちの;は旧ー・γ ⁝
一
1再 版 原 蓄 論1と 現1犬 分 析
7
財閥の編成がえLということである︒﹁これまで旧財閥は︑↓族が完全に支配ヵをもった本社を中核とした︑きわめて封鎖的な組織をなしており︑株式に
ついても︑金融についても︑財閥内部で保有され調達される儲がきわめて強かった︒そのいみで・社会的資金を動
員するとい.つ点ではいちじるしく凱ちおくれた︑不合理な構造をもっていたのである︒そしてそのことは何よりも・
財閥が鉱業をべつとすれば︑商業︑金融︑運輸といった流通過程の諸嚢に重点をおいており・生産的基盤とくに弔.焦r工業の基盤において弱体であ︒たことに由来するものであった︒⁝だがこの時期になって重化μ子工業の
ウェイトが大きくなってき︑財閥も活発にこの部面に進出するようになるにつれて︑このような封鎖的な形態をいつ
までも維持す登﹂とは︑不吋能になってきた︒そこでこの時欺に財閥は人幅な編成がえをとげてゆくのであるが・⁝⁝
一2口でい.喬それは万では株式を公開しつつ︑社会的資金の動員によって︑つぎつぎ要求された新投資に対応しよ
うとし︑他方では諸事業から財閥一族やチ飼いの番頭が退いて有能なサラリーマン経営者がこれにかわってゆこうと
する過程であった︒いわば扁の経営者娯命がおこなわれたわけであり︑それによって財閥は典型的なコンツェルン
の形態によほど近づいげしいったのである︒差︑﹄しそれとともに銀行と雫企業との結A関係が強められ・系列融資の
形がととの.てきた︒それは戦時の金融統制によ︒ていっそう促進されたものではあったが・しかし結果的にはそれ
も財閥の近代化の一指標たりつるものであ.た︒戦後の財閥解→再編成の過程は︑じつはこのときその原型がつく
ら れ た の で あ る ︒ 弐 大 勺 ︑ ・ . 父 L し ) 冥 毛
‑'ー1.ノノ〜工︑
独占資本の内容に生じた質的な変化として氏があげられているも2つの点は﹁いわゆる新興財閥の発壁という
ことである︒人内氏は︑この新興財閥について︑凹ごく一般的にいえば⁝⁝第一次大戦後︑弔・化学工業に進出するこ
とによってしだいに大きくなり︑とくに}しの時期のはじめに︑軍部との結合を強めつつ︑軍需4産の分野で巨大なコ
固」閂凹1曲III司」 戸
… 旧幽h踊 眺占■胸一一
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商 経 論 叢 第28巻 第4}」
ン ツ ェ ル ン を 形 成 し て い っ た ﹂ と さ れ て い る ︒ ( 大 内 ︑ ︑ ︑ L O 頁 ) ︒
この期に告た重要な変化として大内氏があげられている第.の点は︑農業における変化Lについてである︒▼しの
農業における変化としては具体的には次のよ・つなことがあげられている︒すなわち︑まず︑震業かり農外へ流出
する人︒に﹂おける変化としては︑﹁農家から男・rが直嵩接杢業に吸収されてゆま・つになった﹂とい.つ}﹂とを︑
また薪規学卒者が直接重化学斐に吸収される傾向が強まったLとい・つ}しとを︑そして︑⇔﹁農民層の動.同﹂に
おける変化としては・凹上層塾農家層が伸びてゆく動きをみせ三いるとい・つ}﹂と︑あるいは﹁兼業農家﹂が蔽増.
しているということを・また・のヒ地所有の面における変化としては︑地よ退潮が決定的になったLということを︑
そして最後に・㈹農業罎の側面における変化としては︑農業議物の護において﹁塞が頁して凋落し︑
その他の穀物がいちじるしーのびている﹂ということや農護術Lが﹁発津一したといつことなどをあげりれてい
る(以上・大内・亡四‑八ρ・皇ご︺のうち︑0としてあげら撃︑いるヒ地所有の面における変化については︑山田氏の
戦 前 呆 栞 義 に つ い て の 規 定 〜 濯 事 的 農 鴛 的 型 制 規 定 へ傍 占 { 沢 田 ) ー と も 深 ‑ 関 係 す 蚤 ﹂ と な の で ︑
いま少しくわしく引用しておこう︒
﹁畢妻以後は・蒔以﹂の讐は急速にへり︑とくに五〇町以ヒの大聖層のへり方はいちじるしい︒また︑不耕
作地主がへって耕作小聖がふえている.だが︑それよりも︑種々の政策的な手段によって︑地配小作関係が大幅
に変えられたことのほうが・よりめだつ動きであろう︒これも日離変にはいってかりと,\にめだ?しとであるが︑
まず兀‑バ年の農地調整法によって︑事峯小作権が物権化されるとともに︑築のヒ地取ヒげが強く制限される
ようになった・ついで三九年には小作料統制令ができ︑小作料の引ヒげが禁じりれるとともに︑整小作料の設定と
いう形で・蔀ではその引︑トげが強制された︒さらに門年からは米の統制が開始されたが︑甲し}﹂では在村聖の保
1再版 原 蓄 論1と 現 状分 析
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有米をのぞき他の小作米は︑すべて小作人が地セにかわって供出し︑その代金を地セに支払うという制度がとられることによって︑小作料は大部分事実ヒ金納化された︒ついで四一年度産米からは︑生産者の供出米についてはすべて
ーー地㌍に代って供出した分もふくめて奨励金が交付されるようになったが︑地セに支払う小作料の計算の基礎
となる地益米価はがいして据置かれたから︑小作料はいちじるしく引ドげられる結果を生んだ︒⁝⁝こうして︑事実
L小作料は敗戦までに︑その本質的意義を失なってしまったのである︒他方︑これとならんでn作農創設事業も拡大
されたし︑法制的にも︑また事実Lも︑地セにL地の開放をあるていど強制しうる体制もできてきた︒それは農地改
革にくらべればむろんずっと小規模の︑かつ弱い措置にすぎなかったが︑それでも地kを排除しようとする動向の拡
大としてこれをみれば︑市要ないみをもつものであったといわなければならない︒﹂(人内.こヒ八頁)
以L︑大内氏が指摘される﹁一五年戦争﹂の過程における日本経済の変化をみたわけであるが︑こうした変化の延
長線上に氏は戦後のH本経済のありようを展明Eされたわけである︒戦前︺本資本セ義と戦後のそれとの関係を問題に
する時︑単に一五年戦争の期間についてみるだけでは︑むろん不卜分であろう︒しかし︑われわれの当面の目的にとっ
ては︑すなわち︑連続説の特徴を知るためには︑ここで大内氏が指摘されている一瓦年戦争の期間におけるH本経済
の変化についての指摘をみるだけでも足りるであろう︒これによって大内氏が戦前と戦後の関係をいかなる意味で
﹁連続﹂していると考えられているのかは一応理解できるからである︒
さて︑以トのように人内氏においては︑戦前と戦後の資本k義は︑いずれもーi一互年戦争の期間も含めてーー刊
家独占資本ド義ドの資本k義であり︑戦前における日本経済の変化は︑戦後の日本経済に連なっていく変化とみなさ
れているわけである︒連続説の代表的見解であるとされる所以であろう︒
では︑次に︑戦前と戦後の関係について以上のようなとらえ方をされる大内氏の山田批判についてみてみよう︒少
10
1音1糸釜6命 叢 第28巻 第'4L]r」T
し長くなるが大内氏の見解を引用することで︑それをみることにしよう︒
﹁山田博bの﹃分析﹂は︑その﹁序︑︑口﹂においては︑日本における産業資本確疏の過程を明らかにすることを目的と
するようにとかれている︒しかし︑じっさいにはそのような歴史的過程を説明するとい・つよりは︑むしう﹂の過程に
よって確湖された資本柄義の尋殊日本型﹂を明らかにすることに屯点がおかれているといっていい︒そ}﹂で︑▼﹂の
山田博Lによって描き出された﹃特殊日本型の特徴をみれば︑つぎのよ・っぢ﹂山﹂になうつ,すなわち︑
笹に・山田博Lによれば︑日本経済の﹃基趣には﹃半封建的L地所有制十曲辰奴制的零細農耕﹂があるとされ
ている・すなわち・山田博レの理解では︑目本資奎義は農業諸関係︑とくにそこにおけるヒ地所有制度を基盤とし
て成立しているのであり︑この﹃基趣がH本資本義全体を規制しているのである︒}しのよ・つな土地制度史観がす
でに野呂のばあいにもみられた⁝⁝が︑山田博Lのばあいにはそれがきわめて強くなっており︑土地制度が一方的に
全経済の歴史的性格を規制するという論理構成がとられている︒:::
第・に・右のことととうぜん関連するが︑山田博Lの理解する日本資本並義には︑歴史的な発展がなく︑いわんや
段階的な変質がないといっていい︒たとえはこの﹃基竺をなす﹃半封建的土地所有制←農奴制的零細農耕﹂は︑
地租改正の過程で創出されたものであるが︑しかしそれはじつは﹃鎌倉府以降の隷農制的輩隷農制的従属関係の再
出確保﹂なのである︒そしてそれは一九.︑一〇年代まで︑本質的な変化なしに存続していたもののようにとかれている︒
もちろん︑山田博懸も︑﹃明治..レ年乃至四レ年の頃﹄に産業資本が確立したとか︑金融資本が﹃日露戦争前後︑殊に
四卜年頃を起点とし︑特に大戦中︑大臣ヒ年頃本格的転化完成﹄した︑とかいった段階区分をされていないわけでは
ない︒しかしそれにもかかわらず︑全体としては︑ただU本資本セ義の固定的な型の検出がこころみられているだけ
であって・この型そのものがいかなる歴史的変質過程のなかにあるかはすこしも明らかにされていないのである︒
「再 版原 蓄 論 」 と現 状 分 析
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⁝⁝﹂(大内︑.五八ー六〇頁)︒以上︑少し長く引用したが︑この引用にみられる大内氏の講座派理論(山田理論)批判をまとめてみれば︑それは次
の︑一点にまとめることができよう︒すなわち︑山田氏にあっては︑①土地制度が一方的に全経済の歴史的性格を規制
(7)するという論理構成になっているということ︑そして︑そのことと関連して︑②日本資本説義には歴史的発展がない
かのように理解されているということ︑ましてや段階的変質はみとめられない説明になっているということ歴史
的発展の認識欠如以ヒの︑↓点にまとめられよう︒
以卜︑簡単にではあるが︑連続説の代表的理論家とされる大内氏の見解と氏による山田理論の批判についてみた︒
ここでみた大内氏の山田理論批判は︑すでに︑.,○年以上も前に提出されたものであるとはいえ︑この大内氏によっ
て与えられた山田批判の内容は︑その後の山田理論批判と共通する内容をもっているように思われる︒したがって︑
三〇年も前の見解であるといっても人内氏の見解山田批判は︑A,日的な意義を失なっていないと考えてよかろ
う︒
ところで︑われわれのここでのH的は連続説や断絶説の代表的見解についてくわしい検討を加えることにあるので
はむろんない︒そうではなく︑単に︑山田氏の見解に与えられている批判その典型ーーがどのようなものである
かを知ることにある︒それゆえ︑ここで他の論者の見解に触れる必要は全くないのであるが︑いまみた大内氏の見解
が三〇年以上も前のものであることも考えて︑念のために比較的最近の由田批判についても︑一つだけみておくこと
にしよう︒ここでは︑山崎隆︑.︑氏について︑それをみることにする︒
さて︑山崎氏は︑戦前日本資本k義と戦後のそれとの大きな﹁落差﹂について︑まず次のように語られている︒
﹁欧米先進諸国に対してはるかに低水準にあった戦前の生産力段階と︑敗戦後四〇年を経て人きく変貌し︑戦前には
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商 経 論 叢 第28巻 第4号想像できなかったような世界的位置を獲得した日本経済の現状とを比較すれば︑だれしもこの両段階の人きな落差を
強調せざるを得ない︒しかもそのちがいは︑単‑に生産力の量的な差異のみにあるのではなく︑戦前においては︑明治
維新期のヒ地改筆の不徹底に起因する﹃半封建的﹄地ド制を内にかかえ︑それに由来するさまざまの歪みをもち︑ま
た外に対しては︑軍事的侵略によって朝鮮・台湾などの植民地を支配し︑また中国での特別な権益を保有していたの
に︑戦後は︑農地改革とその後の経済的変動によって地主制は解体し︑植民地体制もまた完全に崩壊するという質
的・構造的な変化でもあった︒さらにまた経済Lの変化のみでなく︑戦前の絶対セ義的天皇制の専制支配体制は打破
され︑国民監権の民tt義的政治体制が確し砿するという︑画期的な政治Lの変革があり︑そのことは︑なお不卜分なも
のとはいえ労働三法体制(労働基準法︑労働組合法︑労働関係調整法)による労働者の権利の確凱︑社会保障制度の実現︑
ヨ 嘩事的支出の激減など︑経済トにも大きい影響を及ぼしている︒﹂
このように氏は︑戦前と戦後の﹁︑両段階の人きな落差﹂について語られ︑まずは︑﹁ここに戦前.戦後の断絶性が﹂
張される根拠がある︒﹂とされている︒しかし︑氏は︑そのことをみとあられたヒで︑なお︑次のように続けられる︒
﹁その反面において︑戦後経済が戦前・戦時経済をその.歴史的前提として展開したものであり︑したがって︑たとえ
ば旧財閥系金融資本の実質的存続・発展︑独占と申小企業との︑一重構造の再現︑零細経営農業の継続︑財政の中央集
権的構造とそれをになう官僚機構の温存︑一九三〇年代にはじまる管理通貨体制とそれにもとつくスペンディング.
ポリシー︑戦時下の経済統制など種々の分野において︑それを継承しつつ発展していることも否定できないところで
ある︒﹂(山崎︑...頁)︒
このように氏は︑断絶説がk張される根拠の存することは認められつつも断絶説の全面的な妥当性には反対される
のである︒結局︑氏は︑﹁断絶と連続という問題は︑二者択一ではなく︑またこの両者を機械的に併記することもまた
13 「再版 原 蓄論 」 と現 状 分 析
無意味であって︑まさに両面を統一的に把握することが要請されるのである・L(山崎:頁)とされるのである・
では︑どのよ.つにして断絶と連続という.両面の統西な把握は可能となるのであろ・つか・この点についての氏の見
解は次のとおりである︒
﹁そのためには戦後段階の歴史的前提としての戦前段階をどのように理解するかが重要な讐なると考える・
たとえば︑.両段階をきわめて対称的に分つ要因である地セ制とへその解体)︑植民地・半植民地体制と(その喪失)は・
いずれも戦前日本資李.義の発展の︑天支柱とされていたが︑これらが消滅した戦後において資本義はかえって
いっそ.つの発展をなした▼﹂とを考えると︑これ・りのものが戦前においてもつ意味が︑その見地から再検討されねばな︑りなくなるであうつ︒すなわち戦前H本資李義が︑これらの.要因と固定的に結合した完結的な構造としてではな
く︑そむりを歴史的.経過的に包含するにすぎないものとして存在し︑したがって︑戦後においてそれらに代わる新
しい諸条件のLで発展して来たものとみるならば︑そこに資本主義としての一貫した連続性と各段階の特徴の差異を
意味する断絶性とをみることができるであろう︒﹂(山崎︑..頁)︒
み︑りれるよ.つに山崎氏は戦前と戦後の資杢義における断絶と連続という.らの.面の統的な把握の必要性を主張
されているのであるが︑では︑そのよ・つな観点に塑った時︑講座派ないしは山田氏の見解はどう評価されることにな
るのであろ.つか︒まず︑山崎氏は山田氏の見解について︑﹁﹃軍事的・半封建的型制﹂という規定によって・戦前日本
栞義の全体像を把握しよ・つとし藷座派理論︑なかでもその中心的存在であった出盛太郎氏の﹃日本資李義
分析﹄が︑以来支配的な理論.方法として日本資本義研究に指導性を発揮したことには︑それだけの理由があったL
(山崎︑..頁)とみなされて︑次のように語られる︒
﹁ ﹃ 半 封 建 的 ﹄ 聖 制 の 支 配 す る 肇 を 麟 と す る 剰 余 価 値 叢 詰 積 機 構 ︑ す な わ ち 低 賃 金 と 高 額 小 作 料 と の 相 互
商 経 論 叢 第28巻 第4号14
補完関係を擁として︑そのヒに成享る綿絹.両繊維L業の問屋製内L業.了三ファクチュアを広範にともな
う資本‑ー労働関係・この・聖業製品の輸出によって輸入慮築され・えた軍事的杢業︑他方︑労働者.農民の低所得
によって規定される国内市場の狭糧とそのための大陸への軍嵩侵略の必然性等々の講h座派の描く日本資本義像
は・当時のいわゆる護派なとによる個々の論点への批判はあったものの︑これに代わる全体像の提.小されたものが
ないままに・戦後の一時期まで・その支配的地位はゆるがず︑多あ分野において甲﹂の方法に必.研究が落され︑
日本資本義史研究に大きい貢献となったことは周知の通りである︒この研究史ヒの実績は︑それだけでも諜派理
論の卓越性を示すものであるといって︑決して過..︑壕にはないだるつ︒L(山崎︑..頁)︒
いのへこのように・山崎氏は講座派(宙)理論の卓越性についてのべているわけであるが︑しかし︑それにもかかやり弓
氏は﹁あえて・その日本資本義の全体的理解に批判的蕩をとる﹂(山崎︑︑.︑頁)として︑自己の見解を示されていく
のである︒すなわち︑次のとおりである︒
﹁この講座派的理解続治期の資本義確し賄についてはある程度有効であるとしても︑一九﹂,︑o年代以降におけ
る世界的転回のなかでの日本資本義の構造的変化を︑その方法的視角ではζりえ得ないと考えるかりである︒その
ことは・講座派理論が形成されたのがまさに三〇年代初頭であったとい・つ時代的制約によるξしろは否定できない
が・しかしその時点において・それまでの産業の轟であ.た綿・絹座業部門の行き詰りと衰退︑それに代わる重
化学⊥業の発展を観察しつつも︑その事態をも.て﹃軍事的.半封建的﹄型の日本資本義の崩壊とみなしたζ︑う
に・理論上の問題点があった・すなわち}あ三〇年代が︑いわゆる国家独占資本義への再編であり︑同時に産議
造の高度化すなわち繊維工業中心か・暴化学工業の急速な発展への垣程をなすとい・つ︑現在かり顧みれば自明の}し
とを見落すことになっていることである︒﹂(山崎︑︑..頁)︒
「再版 原 蓄論1と 現状 分析
萄 (9)み︑りれるように︑山崎氏は︑出氏が一九.6年代の蟻変化を正芝とらえていない点を批判されているのである︒そして︑この.∴○年代の構造変化を正しくとらえることを不可能にしている﹁方法的視角﹂を批判されているの
である︒
﹁われわれは︑奇形性等々の後進国的特徴とともに︑お急婁性を統τて認識するのでなければ・戦前日本資本
主義の全体像を正.確に描くことはできない﹂(山崎︑︑.︑良︒傍占丁沢田)︒
以ヒ︑比較的最近の山田理論批判の一例として由崎氏の見解の一端をみた︒山崎氏においても・山田批判のポイン
トは山田氏が戦前日本資本k義における発展︑あるいは構造変化についてよくとらえていないということに︑あるい
はむしろ︑そうしたと.bえ方をせざるをえないような論理構造になっているということにおかれているといえよう・
以上︑本項では︑大内氏と山崎氏の..人についてだけであるが︑講座派出旧理論についての批判をみた・むろん
両者の山田批判については︑いくつかの点でまた︑ニューアンスのおき方においてー当然相違するところがあ
る(両氏の目本資本L義そのものについての見解に関してはなおさら)︒しかし︑山田氏についての批判のポイントにおいて
は共通する面があるといえよ・つ︒すなわちくり返しになるが︑旧来いわれてきたように・山田理論では日本
資本霧の発展をA口理的に説明しえない痢の固定化Lとな.ているというような仕方の批判という点では佳ハ通
しているといえよう︒
山m氏の理論に対して与えられている批判は︑むろん︑人内氏や山崎氏による批判だけにとどまるわけではない︒
しかし︑小項の目的は︑先にものべたように︑こうした批判のいちいちについてみることではない︒そうではなく︑
山田氏の見解に対して与え・りれている批判の概要を知ることにあるので︑さしあたり︑大内・山鵠氏の見解ー山
田批判をみることで︑1.分であろう︒
商 経 論 叢 第28巻 第4号 16
以上・山田盛太郎氏の見解に対する批判の例をみたわけであるが︑はたして︑}しのよ・つな批判は当を得た批判とい
えるであろうか・そのことの当否を判断するたあには簡単にでも山田氏の見解そのものをみておく必要があうつ︒項
を改めてみることにしよう︒
三山田氏の戦前分析について
批判者によって発展の契撃みていないとして批判された山罠の戦曽本資本義についての見解︑すなわち︑
戦曽本資本義を走の時期(点)において1日清自露の職争霞串する時期であるところの産業資本讐
の時期・ないしは・堤産軌道の終局的定置の時期において戦曽本資本義の特墜型制Lが形ぞ.bれたとし︑
そして・その型製戦前を通じて不変の型制であるとみなしているとして批判された山田氏の見解︑}﹂れについて簡
単 ・ に み て お こ う ︒
ね戦曽本資本義についての山罠の見解は︑いうまでもなく︑氏の喜﹃日本資本義分析﹄において与え︑りれ
ているところである・しかし・むろん︑この﹃分析﹂の内容を詳細にみてい≦﹂とは不罷なので︑}﹂ワ﹂では特簸
要と思われる若干の点についてのみ触れることで満足しなければならない︒
ところで・山田氏は﹁﹃日本資本義の分析﹂を理解するためには﹃序︑.日︑袋︑索引を対照しつつ︑まず︑第編
末の付注﹁半農奴制的零細耕作と資本義との聾規定﹄(‑⁝)なりびに第=編末の後輯﹃日本栞義藁の一視
角﹄(⁝)に概覧を与えられるのを︑便とする︒﹂雰哲︑八頁)とのべ・りれているので︑われわれも︑}しの﹁序‑口﹂︑
﹁付注﹂︑﹁後輯﹂を中心に山田氏の見解をみていくことにしよう︒
さて・本項の日晶でもふれ・また︑すでに周知のところでもあるが︑まず最初に︑山畏雰析における最大の特
1再版 原 蓄 論 と現 状 分 析
17
徴をなす点について︑あらためてのべておけば︑それは何といっても氏が産業資本の確疏過程に人きな力点をおいて分析をおこなっているという点であろう︒次のとおりである︒
門本書においては︑産業資本確凱の過程を規定することに︑ひとつの亟要なる力点がおかれている︒この過程は︑ほ
ぼ⁝明治︑∴卜年ないし四卜年を劃期する所の︑すなわち︑正に日清日露両戦争の時期を貰串する所の︑過程であって︑
これによって︑H本資本柄義の軍事的半農奴制的型制は終局的に決定せられる︒特殊的︑日本資本t義におけるかか
る過程が︑同時に︑帝国ト義転化の過程でもあり︑また金融資本としての構成をとる過程でもあることは︑当該の特
質の然らしめる所である︒明治維新変革を起点として展開する所の日本資本r義における︑かくの如き産業資本確肱
過程なるものかここに日本・型を確定する︑L令分析L︑︑序︑︑︑月︑︑.︑頁)︒
右のように︑山田氏は産業資本の確疏過程に﹁屯要なる力点﹂をおいて分析を行なったのであるが︑ではなぜ︑そ
のように産業資本の確航過程にコ重要なる力点﹂をおいて分析を行なったのであろうか︒それは︑氏が次のように考
えられたからに他ならない︒すなわち︑﹁産業資本確航過程において軌道づけられてゆく構成の構造的(諸範躊︑諸編
成)把握によってのみ︑戦後の一般的危機における構造的へ諸範疇︑諸編成)変化が合理的に把握されうる︒したがって︑
産業資本確疏過程の把握によって︑その同時的規定たる帝国k義転化︑金融資本成甑→確立)の過稚の把握が可能に
されるのみに臣まらず︑また︑それによって︑その先蹴としての原始的蓄積︑産業革命︑ならびに︑その後続として
の一般的危機へ構造的変化)の把握が可能にせられ︑かくして︑日本資本主義の全生涯の把握が合理的ならしめられる︒
かくの如き︑産業資本確凱過程の把握を基調とする原始的蓄積︑産業資本確立り帝国貌義転化︑金融資本成凱ー確疏︑
一般的危機を貫徹する把握によって︑はじめて︑日本資本r義の場合の発達諸形態師劃期についての諸々の謬説なら
びに迷麦に対する︑批判が︑根拠を得る︒﹂(﹁分析﹄︑四ー11頁)と考えられたからである︒
18 商 経 論 叢 第28巻 第4号
みられるように︑山田氏は︑産業資本の確立過程に重要なる力点をおいて戦前日本資本L義の分析を行なったわけ
であるが︑それはなによりもそのことによって︑闘日本資本セ義の全生涯の把握﹂を︑合理的Lに果たそうとされたか
らであるということ︑この点は確認しておかねばならない︒
さて︑右のような観点から分析を行なった山田氏は︑周知のように戦前U本資本L義についてコ軍事的︑半農奴制
的一日本資本琶義という﹁型制規定﹂1﹁特殊型制規定﹂を与えたわけであるが︑次に︑この点について︑すなわち︑
構造的特質について︑みておこう︒この点︑若レ長くなるが︑﹁後輯﹂ならびにコ後記Lから引用しておこう︒
﹁いうまでもなく︑把握は全機構的のものでなければならぬ︒けだし︑構造揚棄の﹃必然制﹄と﹃条件﹂とが問題と
なる限り︑それは全機構的な問題提起として︑提起されねばならぬからである︒日本資本t義の場合におけるかかる
令機構的な把握は︑当面︑一応︑範晴的な点と段階的な点と︑その基本視角から︑要約することができる︒
第一︒範疇的に︒すなわち︑半曲辰奴制的零細耕作と資本ト義との相圧規定関係の把握の点︒
日本資本†義の場合における構造的特質は︒一方においては︑耕作規模の零細性(⁝・しと現物年貢の高額ハ)
とをもつ匿界に類例なきまでに劣悪至酷な︑彪大なる半農奴制的零細耕作の︑半隷農ヒ的寄生地ドによる隷役L壌と︑
他方においては︑右の半農奴制的零細耕作なる該ヒ壌基準の半隷農的零細耕作農民および半隷奴的賃金労働斉に対す
る半隷奴制的な労役に依拠する所の︑また右の半隷農的現物年貢よりの資本転化を基調とする所の︑強力的に設定せ
られた馴事的財閥的資本k義の︑地軟的資本家による隷役体様と︑以・ヒの︑双方の︑相玩規定的に組み合されている
関 係︒これである︒
第二︒段階的に︒すなわち︑軍事的半農奴制的資本主義の原始的蓄積から一般的危機に至るまでの過程的な把握の
点︒
19「 再 版 原 蓄 論 」 と現 状 分 析
裏的半農奴制的欝をもつ所の︑すなわち半農奴制的零細耕作と相互規定関係に立つ所の・日本資本義の場合
における︑段階的基調たる産業資本確遍程は︒衣料生産の量的および質的な発展を前提条件とする所の労働手撃
産の見透しの肇の過程として︑ほぼ︑明治三レ年ないし四レ年の頃の過程として・即ち・高額な半醒的小作料と低廉な半隷奴的労働賃金との二重関係を同時編制づける所の︑また︑日本での産業資本穫と帝国t義転化との二重関係喬時的に規定づける所の︑過程として︒現われ︑そしてそれを基窺定として・呆での金融資本の確遍程が︑すなわち︑日羅争前後}︑とに鉄道国有(明治︑.先年)に表現せられた所の笙階梯的端初的形態における金融資本成遍程と︑および︑鼻大戦中ことに軍需嚢動員法(人芒年)に表現せられた所の第階梯的本格的形態
における金融資本鰺過程と︑その軍事的半農奴制的金融資本の成立確話過程が進行し・そしてそれを基準として
展的危機が鯖するに至る︑以上の事情︒それは貿すべきものである・﹂(﹃分析﹄・↓互五四頁)・
以h︑長い引用を行なったが右の引用か・bわかるように戦前日本資本義の構造的特質として強調されているものは半農奴制的零細耕作と資本嚢との禧互規定関係Lということである︒まさに︑この点こそ・﹁軍事的半焚制的
資本主義﹂なる戦前日本資本義の型制規定の涛容の;をなす点であろう︒そして・そのまさに特殊型制規定の主内容にかかわる}︑の栢互規定関係Lという把握の仕方が批判者によって︑ヒ地制度ー農業によって資本義の性
格を規定しよ.つとするものだとして批判されている所の点であり︑また型の固定化に陥いるような把握の仕方である
といって批判されている所の論点でもあろ・つ︒}﹂こでは︑こうした批判の当否についてはしばらーおいて・山罠の
戦前資奎義に対する型制規定讐的特質把握についてより正確に理解するために・また・少し長くなるが・な
お︑﹁後記﹂から引用しておこう︒
﹁ そ の 一 . 半 灘 的 小 作 料 と 半 隷 奴 的 鶴 賃 銀 と の 相 脇 趣 ︒ 軍 壌 樺 露 肇 の 強 靱 な 統 一 性 を 基 軸 と し て 鯖
商 経 論 叢 第28巻 第4号 20
する所の表料雀の生産旋岬編成替えにおける諸々の型⁝これ︑り切の型を貫徹している所の法則.すなわち︑
日本資本義奪の地撃規定している所の碕.か‑の如き法則として︑目本における比類なき高さの半隷曲辰的小
作料とインド以下的な低い半隷奴的労働賃銀との相互規定を︑指摘し・つる︒}しれを要..口すれば︒賃銀の補充によ.て
高き小作料が可能にせられまた逆に補充の意味で賃銀が低められるような関係の成壷︑すなわち︑半隷農的小作料支
払後の僅少な残余部分と低い幕との合計で⁝ゼラブルな豪隻えるよ・つな関係の成立︑すなわち峯通りの
融.教鵡﹄の関係の成%呆の﹃家長的家族制度﹄の最後的な根拠たる所の︑かかる関係の成立︒かかる関係の
戊凱こそは半縫的小作料と半隷奴的労働賃銀との相互規定関係砺そのもの奪口心味する︒}︑の関係成立﹂そは呆
資李藷ハ隆の絶対要件たりし所である︒が︑その型の分解はその結帯を解体する︒
その・‑雀旋岬穫替えと段階との連繋.軍事機構11黙産業の強力な統痢を基軸とし︑また半隷農的零細
耕作養および半隷奴的績労讐を労役ヒ壌として︑展開する所の雀旋岬鰻替えは︑産業資森亥明治︑︑‑+
年ないし四+年頃)の段階には・応の完了を遂げる︒該生産旋回11編成替えにおける諸々の型は︑金馨本確立:⁝.
の段階には・分解進行し︑一般的危機は右の分解を擁とする︒L(﹃分析﹄︑六〇Lハ︑頁)︒
[付注半農奴制的零細耕作と資本セ義との相互規定︒
基準︒
1︒半隷農的小作料と半隷奴的労働賃金との相互規定の関係︒
第 二 集 義 は 半 縫 的 零 細 耕 作 農 民 に お け る 肇 と 豪 里 藁 と の 焚 口 を 解 離 し ︑ 後 者 を 剥 奪 し ︑ そ の 代 り
に次の物を置く且編成替え︒
‑養蚕萌治・・ヒ年‑・牙一戸)‑‑中農の場合の穫替え‑‑生計の補充﹁ナポレオン的観念の根幹﹂1世界恐慌
日1川臨 一 一 園
一一
21「 再版 原 蓄 論1と 現状 分析
による全局的破綻︒
2.賃轡織物職L数は..t年に八万人)蓋農の場合の編成替千半醒的詐の補充ー大戦巾・工場化によ
る階級分化の急速な進行︑その全局的影響︒
哉 舞 譜 肺 濃 麟 賃 斗 貧 農 ー 流 出 す 隷 奴 的 賃 銀 労 働 鍵 " 半 隷 奴 的 生 計 は 別
の問屋制度的家内工業(例︑マッチ)で補充ー深刻な階級分化︒
第.一︑賃銀の補充によって高き小作料が可能にせられ︑補充の意味で賃銀は低められる・
賃 銀 の 鉄 則 華 謎 的 小 作 料 支 出 後 の 僅 小 な 残 余 部 分 と 低 い 賃 銀 と の 倉 で ゼ ラ ブ ル な 一 家 を 支 え る よ う な 関 係
の成甑掃[11本の家族制度の経済的基礎]︒
H ︒ 大 戦 中 ︑ 以 後 ︑ 鼻 恐 慌 に よ る 禽 的 影 響
注意点
一︑段階との連関︒
11.産業資本確甑(.︑.卜年ないし四f年)の段階昌編成替えの一応の完了︒
2.金馨本轄(四雀頃を起占{とし︑特に大戦史L年頃肇の段階分化の広汎な糞仔‑帳後・急速広汎な
階級対抗展開を分析する一視点︒
H}般的危⁝機は右の広汎な分化を基礎とする︒
↓︑日本に問驕度的家内棄.マニュファクチ︑ア的のもの多きことは︑寄生的商業資本の相当に根強い原因・
1.産業資本確立の段階目商業資本の並存(寄生的特質)︒
商 経 論 叢 第28巻 第4LIFJ22
2・金馨本肇の段階織物製糸の機械化︑動力化︑棄化による商業資本の衰滅(形態転化).(﹃分哲︑△〜...
ド ロ
以L・﹁序亘﹁後輯﹂・﹁後記﹂・﹁付注﹂からの引川を行なった.これにより︑われわれは由畏の戦曽本資李
義についての見解tそのアーブイン〜につい三応智えたわけである︒そ}しで︑次に問題となるのははたし
て山罠は・批判者のみるように︑戦習本資本義の構造的醤を固定的にζりえているといえるかど︒つかとい.つ
ことである・すなわち・軍嵩半農奴制的と形容した日本資本義の特殊型制を購疋的なものとして把握しているの
かどうかということである・この占州︑確かに山畏は批判者のみるとおり︑固定的にーいわば戦前の資本義にお
いては不変の型制として〜とらえているとみなすべきだろう.戦前資本義の特徴をなす農制的.零細耕作と資本
義との相超定という関係は山罠にあっては分解すべき関係とみなされてはいても︑資本義の発展につれて解
消していくものとはみなされていないと思われるからである.ここで行なったい≦かの引用かり判断すれば︑戦前
日本資本義は・自然に・いわばより高次の資本義へ発展してい毛のとはみなされていないかに田心われるか.りで
ある・しかし・ではなぜ出氏は﹁発展の契撃みていない﹂とか︑同じ}﹂・﹂であるが︑山罠の理論は旧誕の契
撃排除するような論羅造になっているLというような批判を受けるよ・つな説明の仕方をしたのであろ.つか.問わ
れなければならないのはこの点であろ・つ.だが︑そのことを理解するためには︑山畏がいかなる目的で戦前の日本
資本義の分析を試みたのかということ︑すなわち︑﹃分析﹄における躁.題を明確に理解しておかなけれ寒りない
だろう・この点は﹃分析﹄﹁序.二︹﹂冒.頭における氏の課題設定の示しているξ﹂ろである︒
﹁ 奮 は ・ 呆 資 李 義 の 擁 の 分 析 を 企 図 す る . そ の 誌 分 析 に よ . て ︑ U 奢 本 義 寮 本 構 造 U 対 抗 . 展 望 を
示すことは︑奄[のセたる課.題とする所である︒﹂(﹃分析﹄︑.︑.頁)︒
一 幽 凹国剛0̲L酬圏田■幽 …
23 1再 版 届{諮6命一」 と現 斗犬分 雀斤
みられるように︑山旧氏の課題は︑戦前日本資本k義における﹁基本構造"対抗・展望﹂を示すことであった︒そして︑その課題である基本構造の解明iそのことによって対抗展望が明らかになるわけだがを宙氏はそれの鰺時点に焦点をおいて行︒たわけである.だが︑引用した﹁後起等の記述が示すように・氏の目的は・単にある特定時点に焦点をおいて目本資本嚢の基本構造賄抗・展望を小すことにあっただけではなかったとしなければ
なりない︒そ.つではなくて剛﹂の基本構造の蕩車こそがほんとうの問題だったとみるべきであろう・しかし・構造
揚棄は︑むろん︑基本対抗の展嬰通してなされうるものとみなされているわけであろう・そして・基本対抗の展開
fその激化は︑すなわち構造揚棄が現実の問題となるほどの展閉激化は︑﹁型の分解﹂を条件としているわけであ
ろ.つ︒﹁単純化していえば︑型雰解とは旧来の劣悪であったにしろどうにか生活しえていたその条件11康蕪造→型)の崩壊とい.つ}﹂とであうつか・り︑倒産や失業が増人し︑地セによる小作地のとりあげなども発生する・そして・
構造揚棄なしには︑安定した再生産の再開と労働者・農民の生活に展望が見い出せないよ.つな事態のことであろう﹂
以Lのよ,つに÷りえるなり︑山田氏にあっては︑戦前日本資本義は︑型の分解(‑.般的危機)のもとでの禁対
抗蔭級闘争の激化︑それを通じて︑その生涯をおえるべきものとみなされていたということになろう・つまり・h
田氏は雰析﹄において︑日本栞義の全生涯︑その︿生成発展ー消滅﹀を問題としていたととらえるべ
きであうつ︒論者の批判の当不日は︑〒﹂の点かり判断されるべきであろう︒日本資本義における発展の契機をみず・
その特殊型製固定的に夢﹂・り・毛いるという批判の当否も︑こうした山畏の解明課題との関係を考慮し乍で評価
されなければな・りないとわれわれは考える︒日本における栞義の発展を一般的に明らかにするのではなく・その
資杢義を揚棄の対象として認識した時︑必然的繰題も設定されぞるわけだろう︒すなわち・この資李義の基
本対抗は?.それの揚棄の条件莫機は?等々の解明・課︑題が設定されてくる︒範疇的に・また・段階的にとらえるとい
一 酬闇1㎜旧隅0
商 経 論 叢 第28巻 第4号 24
うことは・まさに以ヒのことを明らかにするようなとらえ方のことであろう︒﹃分析﹄のかかる課題設定こそ批判者が
批判するようなとらえ方を︑すなわち﹁固定的﹂な把握を山田氏に要請した原因であったとみなすべきであろ.つ︒山
罠の戦前日本資本義の分析についてわれわれは以よように考えるのであるが︑しか﹄しサ﹂で次のよ.つな問題が
生じることになる・すなわち︑もし︑以ヒのようにみた目本資本義が︑戦前においてその生︑涯を了えたのであれば︑
山畏の見解には何の不都合も生じなかったということ︑1墓本的に正当であったとい・つヴし♪になるが︑しかし︑
現実には・日本資本義は︑戦前においてその生涯をおえたのではなく︑︿,日︑なお存続しているとい.つ▼﹂と︑不日︑
単に存続しているだけではなく︑経済大困等々の形容を冠して語・りれるほどの﹁発展﹂をとげさえしたとい.つ}﹂と︑
こうし缶実が存在する以上は︑山田氏の戦前日本資奎義の把握の仕方についても︑その巣・をあ︑りためて検討し
なおさなければならないのではないのかという疑問が生じることになうつ︒蓮続説Lの虚される根拠のらは}しの
占⁝にあろう・はたして・山田氏の戦前分析の仕方は八,日の時点に︑砿ってみた時︑なお︑正しかったといえるのであろ.つ
か・その巣︒について判断を︑トすためには氏の戦後分析についても厳目しておかなければなりない︒項をちりためて︑
みてみることにしよう︒
四山田氏の戦後日本資本主義の分析
山田氏の戦後日本資本義についての論稿は︑農業に関する論文をはじめとして多数にのぼるが︑}︑}︑では農業等
特定の分野についてのそれではなく︑戦後U本資本義を全体としてとり扱っている︑....歪万作についてみる}﹂と
にする・しかし・ここであらかじめ断っておかなければならないのは︑①氏の戦後についての分析は︑分析対象とす
る時期が昭和四〇年代まででおわっているということ︑したが・てそれ以降く,日までのほぼ.6簡は当然視野に
蜥咄¶10 圏一 闇凶 四閣團
「再 版原 蓄 論 一1と現状分析 25
入っていないということである︒また︑②氏の戦後分析は︑戦前の分析f﹃日本資本ド義分析﹄におけるように・い
わば﹁完全﹂な形での分析にはなっていないように見えるということ︑すなわち︑﹁未完﹂の分析にみえるということ・
である︒この.一つの点についてチめ留意しておく必要があろう︒前者①の点は︑由田氏が︑それ以降の時期について
の分析を果たされる前に生涯をおえられた以ヒ︑いかんともしがたいことであるが後者②の点については・由田氏白
身の問題として︑未だ戦後について最終的な見解を打ち出すまで研究が進んでいなかったということによるのか・そ
れとも︑戦後の日本資本t義自体が︑戦前のような形でいわば﹁完全﹂な規定を与えることができるような段階にま
で発展していなかったということによるのかは︑にわかには判断しえない所である︒(われわれは後者によると考えてい
るが︑}﹂の点は論を進める中である程度明らかとなろう)︒しかし︑いずれにしても︑由田氏の戦後についての分析は︑未完
の分析の域にとどまっているようにみえるということ︑この点は氏の戦後分析を見る際に注意しておかねばならない
ところである︒
さて︑以上のような点に注意した上で氏の戦後分析をみることにしよう︒ここで主としてみるのは︑禰戦後循環の性
格規定(準備的整理墾.の豊・)﹂︑﹁戦後再生産構造の段階と農業形態署善⊥搾および蓄積の︒・§慧の崩壊と
再編ー﹂︑﹁戦後壌産構造寮礎過程などの論稿で裁・(この・・つの論稿はいくつかの点で逓する内容を含んでいる
が︑執筆された順序は(注H)に記したとおり︑﹁性格規定﹂︑﹃段階と農業形態﹄︑疑讐撰の順であり︑したがって・当然のこ
となが︑り後の論稿になるほど︑よりあとまでの時期を視野におさめているわけである.しかし︑最後の﹃基礎過程の場合でも視野
に入っているのは昭和四〇年代までである︒)
さて︑戦前と戦後の関係についての山田氏の見解をみることからはじめよう︒氏は︑戦前と戦後の関係について︑
両者の間には二つの断層がよこたわ﹂っているとして︑次のように語られる︒
商 経 論 叢 第28巻 第4号 26
﹁昭和衆は農業恐慌を伴った深刻な現心慌が日本→を蔽.た年であるが︑仮にこの年を起点としても︑天当り実
質個人消費支出(昭和午︑.年価格二﹂丙の水準から蒋は九両(昭和.︒一年)の線まで下り︑再び上昇に転じ
てもとの段階に到達するのがやっと昭和・..○年である︒実質設備投資(昭和.︑︑・年価格)の点で︑戦前の最頂点をしの
ぐのは昭和詫..年においてである︒
この深い谷間の実態をなすものが︑旧秩序の変革‑‑民髪義革命と再生産構造の再構成との︑薫のプロセスであ
る ︒ = ﹃ 性 格 規 定 ﹄ 四 ‑‑ .h 頁 ) ︑
みられるように由畏は・戦前と戦後の間には深い断層が横たわっているといつザ﹂と︑そして︑戦後の再生産構造
は・再構成﹂されたものであるという}﹂と︑このような見解を表明されている︒したがって︑明︑りかに山田氏にあっ
ては・戦前と戦後の関係は断絶という関係でとらえられヴ︑いるといわなければなりない︒断絶と連続についての
山田氏の見解はこのようなものであるとわれわれは確認できるのであるが︑サしの点を確認した上で︑次に山田氏か﹂
こで藻い谷間の実態をなすものLとのべている旧秩序の変革此t義革命と乗産構造の構成Lとい.つのは
具体的にはどのようなことを指しているのかについてみてみよう,
﹁旧秩序の変革とは・0杏巨制改編で︑髪財産凍饗.︑?.一)︑天皇神格否定由旨今.一..)︑シンボル規定(..
・一左)・⇔極東軍事裁判で戦犯処刑判決(︑︑...・.︑)︑追放規定(..〜.)︑0撃放棄憲法第九条︑..︑︑.丘)を根
幹とするが・その実態的基礎として︑ただちに四‑‑oの軍工場管理措置(....こがζりれ︑軍事補償九一七億円が
打切られ・財産税四9.・・億円が徴収せられ︑農地改革と財閥解体とが進φりれ︑それを支える保証として民花の
プ︒セスが進行する・労働者と山罠の解放が︑同時にインフレ←・ンの進行で︑旧所有を根▼しそぎ無力化する︒さ
コらに復員と外地引揚者を加えて失業人員ご..QO万人と記録される︒旧秩序の維持が不可能であったゆえんである︑
「再 版6原蓄 論 」 と 現 状 分 析 27
が︑それは一面で︑他面では同時に︑それと並行して︑再版"原始的蓄積の過程が進行する︒この再版月原始的蓄積
の規制者は︑価値体系と賃金規定︑すなわち低賃金・低米価の規制の形の下であって︑この段階に立ち至っては・も
はや独占資本の.再出(あるいは国家独占資本k義としての再編)以外に道はないことをあらわし︑またアメリカ独占資本
との連関をもつことを意味する︒ここで注意すべき点は︑旧秩序解体の支えが民L化であったが︑他の一面の再版月
原蓄の支えの七台が︑ほかならぬ彪人な未曽有の低賃金労働力の組織のしくみである点で︑両者は交錯しあいながら
この段階を特徴づけている︒﹂(﹃性格規定︑.丘.頁)︒
由田氏は旧秩序の変革と再生産構造の再構成﹂について︑右のように説明されている︒では︑そのような過程を
経て﹁発展﹂していったとされる戦後の日本資本セ義の戦前と人きく異なる点を氏はどこにみているのであろうか︒
むろん︑いくつかの点があげられようが︑氏がとりわけ注目する点は︑戦前に比べて巨大な発展をみせた重・化学工
業の存在という点であろう︒氏は︑この点︑戦前を﹁繊維﹂業段階﹂と特徴づけ︑戦後を㎜重・化学工業段階﹂と特
徴づけられていること︑周知のとおりである︒こうして氏は︑戦後日本資本主義の分析を︑この戦後﹁重・化学工業﹂
に一つの焦点をあてて行なっていく︒そこでわれわれも︑以ド︑この点を中心にみていこう︒
さて︑氏は︑繊維L業段階から︑重.化学L業段階への移行について︑そのことの合理的な理解を得るために必要
なこととして次の点をあげている︒
﹁第︑一次大戦を軸としての日本資本r義の再編︒繊維﹂業段階から重化学工業段階へ︒国家と独占資本と.再編と︒
fIこの問題は︑.止しくは︑世界的.再編のうちにおいてのみ︑合理的に理解できます︒この人戦を軸としての⁝世界的
.再編をば︑その根底において規定しているものは︑次の三つの︑要因であるように思われる︒すなわち︑ω社会t義国
家の躍進で︑世界L業生産のうちにヒロめる比弔が︑戦前の九%から戦後は三三%に増人し︑②植民地体制の崩壊で・
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幽
商 経 論 叢 第28巻 第4号 28
植民地および半植民地人口が︑四〇年前世界人口の七〇%以hを占めたものが現在は六%︑それ以下に低ドし︑㈹資
本主義諸国の内部における民t勢力の成長︑以ヒの一.一要因がここで指摘される︒ここでの問題点は次のごとく要約さ
れよう︒すなわち・従来︑資本圭義諸国はいずれも植民地領有の枠のヒで.再生産構造を構成しており︑したがって︑
いわゆるH<+∋n一一︒および蓄積を軸線とする総過程の構造は︑本来的には︑本国内での労働力の剰余労働取得と対
抗とにおける固有の資本増殖過程としての構成をとりながら︑同時にまた︑植民地領有と原住民労働力の搾取.収奪
とにもとつく超過利潤の領得を不可欠の補完部分としてもつ構成でもある︒そのような一定型をもつ資本t義諸国そ
れ自体は︑またそれぞれ相互の間に︑発展度に相応の段階で国際分業関係に入りこみ︑世界経済循環の機構が形成さ
れていたものである︒しかるに︑いま︑戦後の植民地解放と独立とによって︑A.A諸国の成立︑社会k義国家のあ
いついでの創出によって︑従来の世界資本k義の構造的体制は崩壊し︑資本主義諸国は植民地を喪失して再編を迫ら
れ︑しかもこの段階にあたって︑国内民セ勢力の頑強な成長が注目される︒戦後段階を規定する角度がここに与えら
れま島)・(霞階と肇形態﹄︑・四主L頁)︒
このように氏は︑戦後董・化学工業段階の成︑砿を︑世界的.再編のうちに位置づけてとらえようとされているのであ
るが︑われわれは︑山田氏が戦後日本資本セ義をとらえようとする時︑この戦後重.化学[業段階という規定のもと
で把握されようとしていることに注目しておかなければならない︒すなわち︑氏が戦後日本資本主義を︑いわば︑生
産力の側面1ーレベルで規定しているということに注目しなければならないiーここから逆に︑戦前は﹁繊維工業段階﹂
ととらえなおされることになっているわけであろう︒この点︑以前の拙論でも触れたところであるが︑注目して
おかなければならない論点であると考える︒この点についての考察はのべたとおり別稿で行なっているので︑ここで
は︑重化学工業の発展過程についての山田氏の見解についてのみみることにしよう(実は︑}﹂の過程についても先の別稿