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アビラの聖テレサのカスティーリャ語

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アビラの聖テレサのカスティーリャ語

El castellano de Santa Teresa de Jesús

Megumi Tanaka 田中 恵

Solía escribir en latín sobre los temas teológicos en España del siglo XVI y con el desarrollo del estudio del humanismo, apareció gente que trataban a escribir en castellano, su lengua materna, gradualmente. En el caso de que se escribían en castellano, siempre era en el estilo literario. Por tanto, escribir en el estilo coloquial sobre Dios como Santa Teresa era poco usual. Los estudios precedentes han mostrado que la condición de ser mujer y conversa es la causa principal para la Santa al elegir su estilo. Sin embargo no es muy persuasivo y hay que suponer otros motivos.

En este trabajo confirmamos el nivel de la educación de Santa Teresa, el sentido de tratar temas

teológicos en la lengua materna y la circunstancia lingüística. A consecuencia de esto, hemos llegado a la conclusión de que el motivo de su estilo afecta mucho al fracaso de usar el estilo literario y a su conciencia crítica de los libros espirituales de su tiempo.

目次

 1.はじめに  2.テレサの文体

 3.母語で神について語ること

 4.カスティーリャ語の発展とラテン語  5.テレサと文語体

 6.女性の口語体  7.おわりに

Resumen

(2)

1.はじめに

 スペインのアビラという町で

1515

年に誕生したテ レサ・デ・アウマダは二十歳の頃にカルメル修道会の 修道女となった。修道女名をテレサ・デ・ヘスース(「イ エスのテレサ」)と定め、五十歳頃からカルメル修道 会の改革に着手した。入会から改革までのおよそ三十 年にわたる修道生活を経て、テレサは執筆を開始し、

自らの精神修業で培われた経験をもとに祈りの手引書 を著した。作品は修道者に限らず、宗教生活を送る人々 全般に向けられ、内容も初歩的な問題から神学議論ま で幅広い。執筆は

1562

年頃から彼女が亡くなる直前 の

1582

年まで続けられた。テレサが使用した言語は カスティーリャ語であり、通常神学的問題を扱う際に 用いられたラテン語では書かなかった。著書の中では 日常的に耳にしていた聖句などをラテン語で記してい る箇所も多くみられるが、それらは音を頼りに表記さ れた。これまでの研究からテレサはラテン語で記述す ることができなかったと理解されており、本人も書簡 でラテン語が読めないことに言及している2。したがっ て、テレサは執筆の際にはラテン語ではなくカス ティーリャ語を用いたのであるが、それは書き言葉と しての教養カスティーリャ語ではなく、話し言葉であ るカスティーリャ語であった。

 16世紀スペインでは神学的な内容を論じる主要な 言語がラテン語であり続ける一方で、カスティーリャ 語による執筆が行われるようになったのも事実である。

だが、それは文語体のカスティーリャ語で行われるの が常であり、テレサのように口語体を用いる者はいな かった。テレサが文語体ではなく口語体で書くことを 選択した理由として主に二つの理由が挙げられている。

一つはテレサが女性であるためで、女性はたとえ教養 があっても沈黙すべきであり、自分の知識を見せびら かすべきではないという意見が存在したからであっ た3。つまり、砕けた調子の文体にすることで、女性 が人々に教えているのではなく、単なる女性の「おしゃ べり」であるという印象を持たせる意図があった4。 しかし、口語体であっても内容上、テレサが人々を指

導しているのは明らかなのである。そして、テレサが 口語体を選んだ二つ目の理由としては、彼女がコンベ ルソ(改宗ユダヤ教徒の家系に連なる人間)であるこ とが指摘されてきた5。コンベルソは異端審問の標的 とされていたため、テレサは自らの出自を隠さなけれ ばならず、ユダヤ人特有の知性を見せないために敢え て文語体を避けたとされる6。だが、こちらの場合も テレサの著作の内容や構成の巧みさからみて、話し言 葉がテレサの知性を覆うのに役立ったとは考えにくい。

また、テレサの書き方があまりにも新しかったため、

周囲にはテレサに従来の書き言葉での著述を勧めた者 がいたことを併せて考えるならば7、テレサが文語体 ではなく口語体を使用したのには別の理由があると推 測せざるを得ない。1611年に出版されたカスティー リャ語辞典によれば「新しさ」とは昔から慣れ親しん できたものに変更を迫るがゆえに往々にして危険なも の で あ り8、 テ レ サ の 著 作 に お い て も「 新 し さ 」

(novedad)という言葉には常に否定的な意味が与え られている9。本稿では、口語体で神について語る行 為が、新しいと同時に危険でもあった

16

世紀スペイ ンにおいてテレサが敢えて話し言葉を用いた別の可能 性について考えてみたい。

2.テレサの文体

 当時アビラの町で勢力を持ち始めた新興富裕層の間 では、財産や名誉、権力とともに知を手にすることに 関心が向けられていた。書物の所有は知のひとつの象 徴であり、書物の購入は新しい階層に参入した証でも あった10。アウマダ家も例外ではなく、テレサの家に はカスティーリャ語による作品や古典文学の翻訳書、

霊的な著作があった11。テレサの父親は単にこれらの 本を購入しただけでなく、子供たちが読めるようカス ティーリャ語の本を用意していた点で革新的であり、

テレサは当時同じ階層の女性たちが受けていたものよ りも高い水準の教育を受けていたといえる12。テレサ は大学などで専門的な教育を受ける機会はなかったが、

アウマダ家ではかなり早い時期から子供たちに読み書

(3)

きを教え、テレサは識字率の低い

16

世紀スペインに おいて、読み書き能力のある数少ない女性の一人で あった。現存するおよそ

500

通のテレサの書簡の宛名 には親しい友人だけでなく司教、高位聖職者、当時の 国王フェリーペ二世まで含まれていることから、彼女 が公式な手紙を書くことのできる人物であったことが わかる13。また、テレサは自身の改革した修道院へ受 け入れた女性たちの教育問題や自分の甥の教育にも高 い関心を寄せていた14

 テレサの幼少期の読書体験はテレサの母親と不可分 に結びついている。テレサの母親は父親の再婚相手で あり、十人の子どもを出産した後、絶え間ない妊娠に よる衰弱により

33

歳の若さで他界した。この母親か らテレサは祈ることを教えられ、聖人への信心を教 わった。テレサは弟のロドリーゴと聖人伝を熱心に読 み、7、8歳の頃には殉教者となるためにイスラム教 徒のいる地へ向けて家出をした経験もある。テレサは 生涯を通じて聖人伝を読み続けることになった。その 後は母親が愛読していた騎士道物語に耽溺する時期が 続く。テレサがいわゆる宗教書を読み始めるのはかな り先のこと(23歳の頃)であり、非常に敬虔な父親 方の叔父の勧めが契機となった。テレサはカスティー リャ語で読むことのできた宗教書をほぼすべて読破し ていたといわれている15。しかし、テレサ自身が宗教 生活の中心にある祈りについて論じる際には、彼女が それまでに読んだいずれの書物の形式や様式に倣うこ とはなかった16

 スペインの黄金世紀を代表する作家として知られる ルイス・デ・レオンにとって母語であるカスティーリャ 語で書くとは、民衆のように話すことではなく、特別 な選択をすることを意味した。それは語の中から適切 なものを選び、音を眺め、文字を数え、組み立てるこ とであり、言いたいことを明白に述べるだけでなく、

調和と優美さを持たせることが何よりも重視される作 業であった17。彼がカスティーリャ語で書いた散文の ひとつに旧約聖書の『ヨブ記』に関する著作があるが、

難解で、ラテン語に精通した神学者にしか理解できな い内容となっている18。テレサもまた彼と同じ時期に

カスティーリャ語で神学的な問題について論じたが、

彼女は市井の人々が使う話し言葉を使用したという点 で、ルイス・デ・レオンとは対極にある人物だといえ る。

 テレサの作品を読むことは、テレサが話しているの を聴くことに等しいという感覚は、当時テレサの作品 を読んだ多くの同時代人によって共有されている19。 テレサの口語体は何よりも、テレサの対話者のように 存在する読み手への呼びかけによって強く意識される。

「このような内的な恩寵について話し、…それらがど のようなものであるか説明することが何の役に立つの かとあなた方には思えるでしょう。私にはわかりませ ん。それを書くよう命じた方に聞いてください」。

(3M2,11)この想像上の「あなた(方)」は多くの場合、

改革カルメル修道院で暮らす修道女たちであり、彼女 に書くことを提案したテレサの聴罪司祭であったが、

このような二人称に向けた書き方はテレサと同じ時期 に書かれた宗教書にはみられない20。語り手である

「私」は、テレサのすべての著作の土台である宗教的 経験を持つ当事者であり、想像上の対話者と語らう人 物である。そして、常に存在する「私」は例えば内容 を訂正する時にも、インクで塗りつぶすことなく、会 話と同様にその後で言い直すことを選び、余談も多 い21。「主題からだいぶ逸れてしまったので、もう何を 話していたのかわからなくなりました」(3M1,5)と いった表現はテレサの作品にしばしば見受けられるも のだ。語順や綴りにも口語体が反映されている。1588 年にテレサの作品集を出したルイス・デ・レオンは、

テレサの作品集を編集する際、彼女のカスティーリャ 語を正確に読み取ることができず、最終的に改革カル メル会修道院で暮らす修道女たちの会話とテレサの文 章の間の類似を見出したことでようやく判読すること ができた22。だが、テレサは口語体によってしか書く ことができなかったわけではなく、例えば

1567

年頃 にテレサによって作成された改革カルメル会の『会 憲』では一貫して文語体が使用され、項目別に規則が 詳しく記されており、彼女の他の作品との違いは歴然 としている23

(4)

3.母語で神について語ること

 ところで、ラテン語で書くことができないことは、

必ずしも人が神について母語で論じる理由にはならな い。確かに、テレサの場合はラテン語を使用すること ができなかったが、テレサとは時代や地域、性別が異 なる人々の間にもラテン語ではなく自身の母語で神に ついて語った人々は存在する。人々が神について、ラ テン語ではなく自らの母語で書いたのは、単にラテン 語を知らなかったからではない。ラテン語で書くとい う選択肢を持っていながらも、母語で書いた人々は多 く、彼らがそのような言語選択を行ったのはラテン語 が

7

世紀以来、人々が言いたいことを述べるための息 吹をすでに失った、死んだ言語であり24、ラテン語が、

話者の生きた活力をすでになくした言語とみなされて いたからである。

 テレサが生きたおよそ一世紀前の

15

世紀スペイン では、ラテン語に関して女児は男児と同等の教育を受 けることができた。女性が家庭や子供たちの教育をよ りよく管理することを目的に女性の教育を勧めたエラ スムスの考え方が普及し、サラマンカ大学などでは貴 族や知識人、富裕層の娘たちに対し門戸が開かれたの だ25。テレサ・デ・カルタヘナはブルゴスの名高い司 教の孫であり、フランシスコ会修道女であったと考え られているが26、彼女はサラマンカ大学でラテン語を 学んだ女性の一人としても知られている。テレサ・デ・

カルタヘナは

1450

年以降に二つの著作を書く際、彼 女は自らの宗教的経験について書くためにはサラマン カ大学で学んだことを忘れなければならないと述べて いる27。つまり、彼女が話すすべを知っている言葉と、

彼女が真理だと感じる、言いたいことの間にある一致 に到達するにはラテン語ではなく、母語でなければ不 可能であった。そして、母語で神学を書いた人々が自 らの宗教体験を言葉にしたのは、神学を教授するため だけでなく、彼らの生きた経験の物語が、それを読む 者あるいは読むのを聴く者に働きかけるだけの力を有 していることを知っていたからなのである28

 本研究の対象であるテレサ・デ・ヘスースが修道女

になる決意を固めたのもまた、ひとりの修道女の生き た物語に突き動かされたからであった。当時のことに ついてテレサは『自叙伝』の中で書いているが、テレ サによれば彼女は成長するにつれて身なりに気を遣い はじめ、交友関係も派手になり、幼少期の敬虔さが失 われた。13歳で母親を亡くした三年後には姉が結婚 し、テレサの素行を心配した父親は、娘をアビラにあ るアウグスティヌス修道会の修道院に預けた。テレサ がその修道院で知り合った修道女は、福音書の一節を 読んだだけで修道女になった経緯をテレサに話した。

この修道女がテレサに語った宗教体験はテレサに強く 働きかけ、テレサの悪い習慣を遠ざけ、永遠のものへ の強い思いを彼女の心の中によみがえらせるとともに、

それまで修道女になることへの嫌悪を消し去り始めた のである。(V3,1)つまり、この修道女の回心の物語 はテレサのそれまでの生活を完全に転換させるだけで なく、修道生活に入るという彼女の生き方そのものを も決定づけてしまった。テレサ自身が生きた言葉で語 られた宗教体験を聴いて変容した体験は、後に彼女が 祈りに関する著作を執筆する際に少なからぬ影響を与 えたことは否定できない。

4.カスティーリャ語の発展とラテン語

 13世紀および

15

世紀はカスティーリャ語の転換期 とみなされている。中世スペインにおいては他の諸国 同様にもろもろの書類の記述、歴史や法律、宗教書な どはすべて聖職者を中心とする一握りの知識階級の言 語であった教養ラテン語で行われていた29。このラテ ン語偏重の言語状況を打破し、カスティーリャ語によ る散文の使用を協力に推進したのがカスティーリャ・

レオン王のアルフォンソ十世であった。しかし、アル フォンソ十世が規範としたのは、トレドの宮廷で用い られていたカスティーリャ語であり、それはテレサの 時代に至っても最良のカスティーリャ語であり続けた

30。それまで韻文にのみ用いられてきた書き言葉とし てのカスティーリャ語は、散文にも用いられたがそれ は宮廷人のカスティーリャ語であった。15世紀から

(5)

16

世紀になると、カスティーリャ語はラテン語やギ リシア語などの古典語を凌ぐ、帝国および世界の言語 となることを志向し始めた。この背景には新しい国家 の形成や、アメリカ大陸の発見などがある。カスティー リャ語が国家語という新しい地位において優位にたつ にはまず統一した性格を持たねばならず、文法をつく る必要性が生まれた。人文学者のネブリハは

1481

年 にラテン語の文法書を著すと

1492

年にはカスティー リャ語の文法書を作成した31

 ルネサンス期の古典文学研究において人文主義はそ の学問の基礎に文法学を据えた。人文主義にとって文 法とは重要なテクストの知に人を接近可能にするもの であり、文法こそがいかなる文献をも解釈させる鍵で あった32。テクスト伝達の過程で染みついた汚れを拭 い去ることで真のテクストが現れ、個人的に行われる 読書からは批判が生まれ、それはやがて絶対的権威を 持っていた師の言葉に取って代わるものとなると考え られた33。そして、文法を土台とし、真のテクストの 発見を目的のひとつとした人文主義の影響は聖典の読 み方にも色濃く反映されていくことになる。直接的な 読書に根差したテクストへの新しい接近は解釈の自由 をもたらし、個人的かつ主観的行為に変わり、権威や スコラ学の教義さえも拒否できるようになった34。真 のテクストはカスティーリャ語に翻訳され、解釈もカ スティーリャ語で行われるようになった。また読書の 個人的体験を通した、神の言葉へのより直接的な接近 からは神との親密な体験がもたらされた35。カスティー リャ語の文法書を

1492

年に著したネブリハの時代に はすでに、聖書解釈の独占を要求する神学者たちと、

古典の源泉に革新を模索する聖書学者たちの間での対 立が深まり出していた36

 16世紀頃に自らの母語であるカスティーリャ語に 目を向け始めた著述家たちは、カスティーリャ語をラ テン語と同等のものとして、あるいはその卓越を示そ うと努めた。彼らはカスティーリャ語の言語的劣性の 感覚を克服し、カスティーリャ語で表現する権利を主 張し始めた。だが、そのためにカスティーリャ語の擁 護者たちはカスティーリャ語がラテン語のように公的

言語や学術言語にふさわしいことを証明しなければな らなかった37。したがって、カスティーリャ語で書き、

創作するとは多くの場合、カスティーリャ語を洗練さ れた芸術的表現のための道具に変えるという文学的意 志の表れを示すものであり、そこにはカスティーリャ 語をラテン語と同じあるいはそれ以上の水準にまで高 めるという意図が含まれていた38

 また、この頃にはラテン語で執筆した文章をカス ティーリャ語に翻訳する者も現れたが、それは想像以 上に困難を要する作業であった。当時ラテン語文法は 教養人には必須科目であり、知識人とは単にカス ティーリャ語で読み書きできるだけでなく、ラテン語 文法に精通している人物を指した。ラテン語教育は通 常、母語習得後に当たるわずか

8

歳から

9

歳頃から開 始され39、彼らは幼少の頃からラテン語で思考し、著 述することに慣れ親しんでいた。そのため、彼らにとっ てカスティーリャ語で執筆することは異なる言語で書 くことを意味した。そして、使う言語が異なるとは、

文法も扱いうる主題もそれへの切り口もすべて変わる ことであり、例えば彼らがそれまでカスティーリャ語 では言語化したことのなかった概念や事象について語 るのはほとんど不可能なことであった40。そのため、

カスティーリャ語の使用を推進する者の多くは自らの 母語への信頼を持っていたにもかかわらず、経済や政 治などに関する専門書を書く際には依然としてラテン 語を使用しつづけたのである41

 このように、カスティーリャ語文法が整理され、カ スティーリャ語の使用が推進される一方で、ラテン語 は哲学や文化全般の問題を論じることのできる唯一の 言語と見なされ続けた。この傾向は特に神学の世界で 根強かったといえる。すでにみたように、16世紀に はカスティーリャ語による宗教書や聖書の翻訳が行わ れ、カスティーリャ語で直接神学的な問題を論じる者 も現れた。だが、宗教改革においてルター派がドイツ 語を武器に台頭したことを背景に、スペインの神学界 では

16

世紀半ば頃からカスティーリャ語を使用する ことへの疑念、敵意、危惧が強まり出していた。プロ テスタント地域では聖書の俗語への翻訳を通して自国

(6)

語の基盤が出来上がっていったのに対し、スペインで はトリエント公会議で聖書をロマンス諸語に訳すこと が禁じられたことにより、教会ではラテン語の使用が 再び増加したのである。教会側には教義の保護のため に一般信徒を聖典との直接的な接触から遠ざける意図 があった。

 教会におけるカスティーリャ語の使用は基本的には 民衆教育を目的としていた。だが、民衆に向けて著述 した聖職者や神学者は子供の頃からラテン語での読み 書き教育を受け、大学では

15

世紀末から

16

世紀にか けてスペインで著しく復興したスコラ学を学んだ人々 である。スコラ学のラテン語は、抽象的な思考を専門 的に行うための言語であった。スコラ哲学の思索と論 理は表現の正確さを追求し、修辞学の規範に従ったた め、表現の多様性を無視し、ラテン語に理性的になる ことを要求した。そのため、スコラ学の用語や文体は、

語義の明晰な一義性、単調で無味乾燥とした文体、理 路整然とした語順と文構成を特徴とする42。このよう なスコラ学的なラテン語に慣れ親しんだ人々にとって、

一般民衆の水準に合った著作を書くことが困難であっ たことは容易に想像することができる。また、宮廷で 使用された言葉を規範とした教養カスティーリャ語以 外で文章を書く機会もほとんどなかったと思われる彼 らが、ラテン語で学んだ難解な概念を正確に表現し、

教育を受けていない人々にも接近可能なものにすると いうのは極めて難しい作業であり、複雑な内容を単純 な言葉で書くことに内包される問題に彼らは直面する ことになった43

5.テレサと文語体

 16世紀のカスティーリャでは主に三種類の言葉が 使用されていたが、ひとつはラテン語であり、体系化 されすぐれた言語として通常大学で用いられ、ロマン ス諸語の伝達手段としても機能した。残り二つは大衆 の話し言葉から区別される教養カスティーリャ語と、

日常語として用いられたカスティーリャ語である。教 養カスティーリャ語は、一般民衆が使用する日常語か

らは大きく区別され、日常語は教養カスティーリャ語 を使うことのできない人々のための言語であるという 認識は

16

世紀には多くの著述家たちによって共有さ れている。それは読み書きのできない人や、彼らが理 解できることのためにだけ役立つ言葉として蔑まれ、

知識人や学者が使用する言葉とはみなされなかった44。  したがって、神学的な議論が主にラテン語や教養カ スティーリャ語で行われていた

16

世紀スペインにお いて、テレサのように日常的なカスティーリャ語の口 語体で書くことは非常に新しいことであり、まだカス ティーリャ語が十分に成熟していたとはいえない時期 であったことを考えれば、それは高度な技術を要する 作業でもあったといえる。そして、テレサの口語体は 同時代の宗教書で当時用いられていた文体の周縁に あったことでテレサは創造的自由を手にし45、深遠な 経験な満ちた内容を書くのに、思うままの形を与える ことができた46。メネンデス・ピダルはテレサが口語 体を用いたことにより、それまで神学者によって教義 的にしか扱われなかった魂の内奥について、豊かで想 像力に富んだ説明を与えることができたと述べてい る47。例えばテレサは『霊魂の城』で神の現前につい て次のように書いている。

私たちの主は魂を呼び覚ます他の方法も持っていらっ しゃいます。内なる事柄に注意を向けず、声を出して 祈っていると思いもかけない時に、心地よい炎が燃え 上がるように感じることがあります。それは突然、も のすごく強い香りがして、あらゆる感覚器官を通して においが伝わっていくような感じです。…それはそこ に花婿がいることを感じさせるためなのです。炎は 花婿を自分のものとする甘美な欲望を魂に抱かせます。

そして、この欲望によって魂には大胆な行動や私たち の主を賛美する覚悟ができます。(6M2,8

 また、ガルシア・デ・ラ・コンチャによれば、テレ サの文学の最も革命的な点は、彼女が自らの経験につ いて書いたことにある48。だが、テレサは自身の宗教 的経験だけを語ったのではなかった。14世紀末もし

(7)

くは

15

世紀初頭より信仰の経験としての神秘主義と、

信仰の経験の学問としての神学の間の分離が生じ始め ていた49。この構図は一般的に、経験を重んじる霊的 な人々(espiritulaes)と、経験よりも教義や理論を重 んじる学識者(letrados)によって説明される。しかし、

実際には神学と神秘主義はその真正のために互いを必 要としており、信仰の経験と接触のない、個人的体験 を熟考しない神学は現実から疎遠になる危険性がある。

同様に宗教的、神的体験は神学の擁護の下に身を置く ことを望まなければ、感傷的傾向に変質する恐れがあ る50。テレサはこの意味合いを十分に理解していたた め、個人的な体験を軸に叙述を進める際には常にそれ を聖書や神学者たちの言明によって確かめようとする。

テレサの神的な体験の価値は理論的な知識や神学から 離れることがないのである51。このように、テレサは 専門的な知識や用語を交えつつ自らの体験を口語体で 書くことを選択したわけであるが、テレサが自身の祈 りについて説明するために最初に用いたのは学術的な 文語体であった。

 テレサは二十歳の頃に修道女となる決意を固め、ア ビラの町にあるカルメル修道会の修道院へ向かった。

しかし、環境の変化もあり、間もなく体調を崩し、23 歳の時に療養のため一時的に修道院を去った。療養先 へ向かう途中に立ち寄った、父親方の叔父からフラ ンシスコ・デ・オスナによる著作『テルセル・アベ セダリオ』(Tercer abecedario, 『祈りの手引書第三巻』

1527)を手渡された。テレサはこの本を「師」として

修道生活の中心にある祈りの道を歩み出すのである。

次第にテレサの内に変化が現れ、テレサの言葉を借り れば「神の恩寵」が著しく増えていった。恩寵は、そ れまでの生き方や世界の見方が変わるといったことに 留まらず、テレサの場合には例えば身体の硬直や幻視、

啓示などが含まれる。このような体験はテレサにそれ が神からのものであるという絶対的な確信を持たせた。

そのためテレサは『テルセル・アベセダリオ』を手に してからおよそ

15

年後に、自身の体験について相談 することのできる人間を探し始める。テレサが最初に 頼ったのは親戚のフランシスコ・デ・サルセドであっ

た。彼もテレサと同じアビラの出身で、テレサの親類 の女性と結婚していた。アビラにあるドミニコ会の修 道院で神学を学び、1570年に妻を亡くすと司祭に叙 階されたが、テレサと会った頃(1554-1555)はまだ 一般信徒であった。

 フランシスコ・デ・サルセドはテレサの受けていた 恩寵の中には、その当時のテレサの到達していた精神 的な成熟度に見合わないものがあることに気付き、彼 自身が不安を抱き始めた。(V 23,11)この時、テレサ は自分の行っている祈りをよりよく説明するための方 法として、祈りに関して論じたフランシスコ会士ベル ナルディノ・デ・ラレドによる『スビダ・デル・モン テ・シオン』(Subida del Monte Sión, 『シモン山登攀』

1535)を選び、該当箇所に印をつけて渡すことを思い

つく。ベルナルディノ・デ・ラレドは

1482

年にセビリャ で生まれ、医学を専攻した後

1510

年に修道誓願を立 てフランシスコ会士となった。しかし司祭とはならず、

平修士のまま医師、薬剤師として修道院で暮らした。

医学書を著した他、宗教的な内容の書物も著した。上 記の著作は浄化、照明、合一の祈りの三段階を扱った いわゆる学術書である52。つまり、「自分の祈りがどの ようなものかまったく言うことができなかった」(V

23,11)テレサは最初に、教義的内容を扱った当時の

一般的な書物で使われる言葉によって自身の体験を説 明しようとしたのである。テレサは自分の言いたいこ とを述べていると思われる箇所に下線を引き、親戚の フランシスコ・デ・サルセドに本を渡した。そして自 らの生涯と罪について彼に報告した。(V 23,14)フラ ンシスコ・デ・サルセドは友人で司祭のガスパル・ダ サと共にその内容を吟味し、両者はテレサの身に起き ていることが神ではなく悪魔によるものだという結論 に達した。二人はテレサに、イエズス会の神父親に会 い、通常の告解によって自分の全生涯と状況を「わか りやすく話すよう」(V23,14)勧めた。「わかりやすく」

書くという意味で用いられている

claro

は「回りくど い言い方」や「遠回しな表現」を使わずに書くことを 意味する。彼女はイエズス会士との告解に向けてあら ゆる善悪を文章化し始め、言うべきことを何も残さな

(8)

いような「私が理解し、知っている私の生涯のきわめ て明白な報告」(V23,15)を作成した。この時

40

歳の テレサが告解し、報告書を渡したのはディエゴ・デ・

セティナである。彼はまだ

24

歳の若い学生であり、

司祭に叙階されたばかりのイエズス会士であったが53、 テレサの話から、それが明らかに神の恩寵であること を告げた。

 テレサは親戚のフランシスコ・デ・サルセドに祈り に関して相談する際に、『スビダ・デル・モンテ・シ オン』という書物に印をつけて渡すとともに、自らの 生涯と罪の報告を口頭で行った。ジャマスはフランシ スコ・デ・サルセドと友人の司祭がテレサ不在のとこ ろで本に引かれた下線と記憶に留めた事柄だけでテレ サの魂の状態に判断を下したことの不自然さを指摘し、

二人が何らかの報告書をもとに検討したと推測してい る54。その場合、テレサに関する報告書が彼女自身に よるものなのか、フランシスコ・デ・サルセドによる ものなのかは不明である。だが、その後テレサがイエ ズス会士との告解に向けて生涯の物語を書き始めたこ とに初めて言及していることを考慮すれば、報告書は サルセドによるものである可能性が高い。いずれにせ よ、サルセドと司祭はテレサの説明から悪魔の働きを 見出したが、それはテレサが期待していた答えとはい えなかった。というのも、テレサが親戚のサルセドに 相談する決意をした段階ではすでにそれが神からの恩 寵であるという確信をテレサは持っていたからだ。テ レサが聴罪司祭や学識者、聖職者などに助言を求める のは基本的には真偽の判定を下してもらうためではな く、自身の確信が真正であることを再確認するためな のである。したがって、サルセドに説明した「内容」

自体には彼女は自信を持っていたに違いなく、二人か ら否定的な結論を言い渡されたテレサは問題が「伝え 方」にあることを痛感したはずである。

 親戚のサルセドとその友人の司祭はテレサにイエズ ス会士に会い、通常の告解の形式で自分の状況と生涯 をわかりやすく話すよう勧めた。二人はテレサに単に 口頭で話すことを勧めたのだが、テレサはそれを文章 化することを選択した。この時のテクストが現存しな

いため、テレサが書き言葉を使ったのか、話し言葉で 書いたのかを確認することはできない。しかし、『ス ビダ・デル・モンテ・シオン』という学術的な書物の 言葉では自身の状況を伝達できないことを思い知った テレサが、自らの手で報告書を作成するに当たり、文 語体ではなく口語体に切り替えた可能性は高い。自身 の宗教的な体験や内面の変化を表現するには、生きた 言葉で、つまりより母語に近い話し言葉がふさわしい と判断したのではないか。そして結果的に、イエズス 会士の口からはテレサの望む答えを聞くことができた。

イエズス会士はテレサの経験には悪魔が関与していな いことを告げ、テレサを励まし、超自然的な現象の意 味についても詳しく説明した。

 テレサの親戚のサルセドおよび司祭と、イエズス会 士が下した判断が完全に対照的であるのは興味深い。

テレサが出会ったイエズス会士は叙階されたばかりの 若干

24

歳の司祭で、まだ学生だった。一方、サルセ ドと司祭はアビラの町で霊的信望を集め、宗教生活の 良き助言者としての名声を手にしていた人々である。

判断力からすれば経験も実績もある後者の方が高いと いえるが、テレサの良き理解者となったのは前者であ る。このことから、彼らの理解力以上にテレサの伝達 方法に大きな変化があったと推測することができる。

現在テレサのまとまった最初の作品として知られる

『自叙伝』(1562)を書く時点ではすでに彼女の口語 体は確立しており、テレサは神の恩寵について話すの にふさわしい言葉を見出し、宗教的経験の喜びを読み 手に伝達している55。サルセドやイエズス会士に会っ た

1554

年頃から、『自叙伝』初版を書き上げたのが

1562

年までの間にテレサの文体が形成されたわけで あるが、学術書の言葉による失敗が少なからぬ影響を 及ぼしたのは確かだろう。

6.女性の口語体

 最初のまとまった作品として知られる『自叙伝』以 降、彼女の主要な著作はすべて女性の口語体で著され た。テレサは書き手である「私」が女性であることを

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明示するだけでなく、気まぐれで感情的かつ論理的な 表現ができない典型的な女性像というものを積極的に 引き受け、文体に反映させた。テレサは、明確で直接 的かつ正確な男性の話し方とは対照的に、彼女の書く ものは間接的で反復が多く、不明瞭な書き方であるこ とを強調している。テレサは学問のある人々固有の、

彼らのための観念的な言葉から自身の女性的な言葉を 区別し56、文才のなさや語の不正確さを嘆くだけでな く、その都度選んだ表現への疑念と不満をあらわにし た57。だが、テレサは学識ある人間のように書くこと ができないことを嘆く一方で、理性の整然とした声と いうものに非常に否定的である。テレサが女性の口語 体で書いていることに関してこれまでテレサの書いた ものの大半は修道院における会話の延長だったという 見方が支配的であった58。つまり、カルメル修道会を 改革し、新しく創立した修道院の修道院長となったテ レサが修道女たちに向けて書いたため、テレサは彼女 たちが理解することのできる女性の言葉で書くことを 余儀なくされたというのである。しかし、テレサの著 作の読者は修道女だけでなく、テレサを霊的な指導者 として慕う男性聖職者も多く含まれ、神学を学んだ 人々を視野に入れて書いていたのも事実である。テレ サがカスティーリャ語で読んだいずれの宗教書の書き 方を真似ることなく、女性の口語体という新しい書き 方を選択した理由として、当時の宗教書や霊性に対す るテレサの問題意識の表れを挙げることができるだろ う。

 テレサが問題視していたのは、祈りを実践する者の ための指導が、基本的には人間が精神的にも肉体的に も強いことを想定して行われているということであっ た。テレサは祈りや観想について論じた書物の内容の 大半は「自力ではすぐに手にすることができないも の」(V31,18)であることを指摘している。それらは 例えば「人々が悪く言うことを気に留めず、むしろ彼 らが良く言う時以上に満足すること。名誉を重んじな いこと。親類からの離脱。彼らが祈りを持たないのな らば、彼らと話すことを望まず、疲れさせる人々であ ると思う」(ibid.)ことであり、テレサによればこれ

らはすでに「超自然的な」こと、「神が与えられるべ きもの」であり、「私たちの生まれ持った性質とは対 極にあるもの」(ibid.)なのだ。したがって、このよ うな書物を読んだ祈りの初心者は悲嘆に暮れることに なる。テレサもまた祈りを始めたばかりの頃に同様の 経験を持ったことを記している。

 すでに述べたように、テレサは二十歳の頃にアビラ にあるカルメル修道会の修道院で暮らし始め、23歳 の時には病気を患い一時的に帰宅し、父親と共に病気 の治療のため療養先へ向かった。テレサは療養先へ向 かう途中に父親方の叔父の家へ立ち寄たが、この叔父 は妻を亡くした後、一人で暮らし続け、晩年には修道 士となった。宗教書を読むことを日課とし、テレサに も神やこの世の虚しさについて話した。この叔父から テレサはフランシスコ・デ・オスナによる『テルセ ル・アベセダリオ』という、当時祈りの手引書として 広く流布していた書物を渡された。テレサはこれより 少し以前から宗教書を読み始めてはいたものの、具体 的に祈りの中でどのように振る舞うのか、またどのよ うに潜心するのかを知らずにいた。そのためテレサは 叔父から本を手渡されたことを喜び、この本を「師と して」(V4,7)祈りの道を歩むことを決意するのであ る。だが、テレサはほどなくして本の内容が、祈りの 実践者の実情を考慮して書かれていないことに気付く。

「私はこの本が教えるほど神に背くことからは解放さ れていませんでした。むしろ私はそのことによって苦 しみました。私にはそのような用意はほとんど不可能 に思えました。」(ibid.)。テレサは『テルセル・アベ セダリオ』を手にしてから、前述のイエズス会士に出 会うまでのおよそ

15

年間は自分を理解する聴罪司祭 を持たなかったため、この本だけを手引きとしたので ある。テレサは、本に書かれたことが実際に体験する ことと余りにも隔たりのあることから、彼女のように 本だけを頼りに祈りを始める人々に同情を寄せている

(V13,12)。このように、テレサが手に取った宗教書 の多くは、人間本来の弱さを度外視した、非現実的な 内容を含むものであった。

 祈りの道を歩む者に対して人々が「まだ情動に打ち

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勝っていないのに、大きな危険の中でも不動の精神 を保つことを望む」(V31,17)ことをテレサは指摘し、

それはまだ歩き始めてすらいない魂に飛翔することを 求めることに等しいと批判している(ibid.)。祈りの 人は完全さを要求されるために「彼らがまだ地上で自 分の惨めさに拘束されていること」(ibid.)が忘れら れるのである。テレサは、『テルセル・アベセダリオ』

を師としてからおよそ15年後に親戚のフランシスコ・

デ・サルセドの友人で司祭のガスパル・ダサと話す機 会を持ったが、ガスパル・ダサがテレサに勧めた方法 もまた完全な魂のためのものであった。テレサが司祭 のガスパル・デサに自らの魂と祈りについて話すと彼 は「決して神に背くことがないように、完全な決意に よって…強く導き始めた」(V23,8)。このダサの指導 は「より完全な魂のためのもの」であり、テレサは「苦 痛を感じた」(ibid.)。そして、ダサの命じた行いを実 行することができない苦しみは「希望を失い、すべて を捨てるのに十分だった」(V23,9)と述べている。

 ダサとは対照的に描かれているのがテレサの親戚で あるフランシスコ・デ・サルセドの指導である。ダサ の「余りにも早い決断」(V23,8)や、彼が魂の問題を

「あたかも一度で処理すべきものとして捉えた」

(ibid.)のに対し、サルセドはテレサのもとを度々訪 れ、一日ですべてから離れることはできないと諭した。

そしてテレサにとって最も重要だったのは、サルセド 自身が数年間陥っていた問題について話し、自分の弱 さをさらけ出したことだった。テレサは指導をする上 で、人間が本来的には弱いことを前提とすることは魂 が「飛ぶのを導くのに大変重要に思える」(V23,10)

と書いている。テレサはサルセドやダサに会う少し前 に、カスティーリャ語に翻訳されて間もないアウグス ティヌスによる『告白』59を読んだが、テレサがアウ グスティヌスを好ましく思ったのも彼が自身の罪を明 らかにしたからに他ならない(V9,7)。

 テレサが祈りについて書くのは「希望を失わず、神 の偉大さを信じるのをやめることがないよう、私のよ うな弱い魂のため」(V19,3)である。魂の完全さとは すでに神からの特別な恩寵を受けていることに他なら

ず、これは限られた少数の者が到達する地点であるこ とを考慮すれば、その他の大半は「弱い魂」であり、

テレサが魂全般を弱いものとして論じようとしている ことがわかる。テレサは完全な魂であることを前提と した宗教書が大半を占め、それらが祈りの道を歩む決 意をした人々を落胆させていることを問題視していた。

テレサは学識者の書いたものの特徴として、彼らが「自 分たちには何でもないように思える」(CE pról.3)60小 さな問題、つまり弱い魂が抱える諸問題には注意が向 けられていないことを挙げている。また、テレサにとっ て祈りへの導入となった『テルセル・アベセダリオ』

にも弱い魂が直面する些細な問題への言及がなかった ことが、彼女に甚大な害を及ぼしたことを打ち明けて いる(V9,7)。そのためテレサ自身は人間の弱さを中 心に据えた祈りの手引書を著し、理路整然とした学識 者による著作に用いられたのとは対極にある女性の口 語体を選択したのだ。16世紀スペインにおいて話し 言葉が教養カスティーリャ語を使うことのできない民 衆の言葉として認識されていたことから、テレサが女 性の口語体を使用したことは彼女が民衆のため、もし くは修道女たちに向けてのみ書いたからだと解釈され ることがある61。だが、テレサが女性の話し言葉を選 択したのは、語り手を不完全な魂を持つ女性に設定す ることで魂の弱さを前提とした新しい宗教書を書くの に最も都合が良いと判断したからであり、理論的な宗 教書を著した同時代人を強く意識したものだったとい える。

7.おわりに

 16世紀スペインにおいて神学的な問題を扱う上 で圧倒的に優位にあったのはラテン語であり、カス ティーリャ語が使用される場合には文語体での執筆が 常である中、テレサは口語体で神について論じた。こ れまでテレサがコンベルソや女性であることが口語体 を選択した主な理由として挙げられてきたが、本稿で は別の可能性を模索した。テレサは、いわゆる神学者 のような論じ方ではないにせよ、書き言葉で神学的な

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議論を展開することが十分できた人物である。また、

テレサ以外にも神学を語るのにラテン語ではなく自身 の母語を用いた人々が存在したことや、口語体で神学 を論じるのは実際には高度な技術を要したことを確認

した。これらの事実から、テレサが学術的な文語体で の執筆に失敗した経験や、同時代の宗教書への問題意 識が口語体で書くことを選択する直接的な契機となっ たといえる。

1 もともとイベリア半島のカスティーリャ地方で用いられていた言語。カスティーリャ王国の領土拡大に伴 13世紀頃から公用語へ昇格した。現在の「スペイン語」とほぼ同義。

2 参照と引用に当って使用した版はSanta Teresa de Jesús. Obras Completas. Ed. Alberto Barrientos, Madrid,

Editorial de Espiritualidad, 2000である。本文においては括弧内に該当箇所を示した。書簡集はCtaとする。

Cta 175,3; 370,2.

3 Víctor García de la Concha. Al aire de su vuelo: Estudios sobre Teresa de Jesús, Fray Luis de León, Juan de la Cruz y Calderón de la Barca. Barcelona, Galaxia Gutenberg, 2004, p.42.

4Alison Weber. Teresa of Avila and the Rhetoric of Femininity. Princeton, Princeton University Press, 1990. この点 に関しては他にSalvador Ros García. “Santa Teresa en su condición histórica de mujer espiritual”, en Revista de Espiritualidad (56) (1997), 51-74., Ninfa Watt. “El estilo de Santa Teresa en un mundo antifeminista”, en El Monte Carlmelo 42 (1984), 287-318などでも言及されている。

5 Francisco Márquez Villanueva. Espiritualidad y literatura en el siglo X VI, Madrid, Alfaguara, 1968, p.146によれ ばテレサの祖父親がユダヤ人であったことは1946年にナルシスコ・アロンソ・コルテスによって初めて 明らかにされた。

6Felicidad Bernabéu Barrachina. “Aspectos vulgares del estilo teresiano y sus posibles razones”, en Revista de Espiritualidad, 22 (1963), 359-375.

7 García de la Concha, op.cit., p.13.

8 林屋永吉、小林一宏、佐々木孝、清水憲男、大高保二郎『スペイン黄金時代』1992、日本放送出版協会、154頁。

9 Libro de la vida(以下V)24,5; 27,15; 28,1; 37,9.

10 Santa Teresa de Jesús. “Introducción biográfica y crítica”, Libro de la vida. Ed. Otger Steggink, Madrid, Editorial Castalia, 1986, p. 14.

11Carole Slade. Saint Teresa of Avila. Author of a Heroic Life. Berkely, Los Angeles, University of California Press, 1995, p.72.

12 Steggink, loc.cit.

13 Salvador Ros García. “El epistolario teresiano: un estilo en compromiso”, en El Monte Carmelo 92 (1984), p.388.

14 Cta 37,12; 95,13.

15 Diccionario de Santa Teresa. (以下DST Ed. Tomás Álvarez. Burgos, Editorial Monte Carmelo, 2006, pp. 387- 392によればたとえば教父ではCasiano, Colaciones., San Jerónimo, Cartas., San Gregorio, Los morales., San Agustín, Confesionesなどが挙げられ、16世紀スペインの著者ではFrancisco de Osuna, Bernardino de Laredo, Pedro de Alcántara, Luis de Granada, Juan de Avila, Alonso de Madridなどの作品を読んでいた。

16Joseph F. Chorpenning. The Divine Romance. Teresa oc Avila’s Narrative Theology. Chicago, Loyola University Press, 1992, p.10.

17 Ramón Menéndez Pidal. La lengua de Cristóbal Colón. Madrid, Espasa-Calpe, 1978, p.78.

18 Colin P. Thompson. La lucha de las lenguas. Fray Luis de León y el Siglo de Oro en España. Trad. María Isabel Sánz-Ezquerra. Salamanca, Junta de Castilla y León, 1995,p.130.

19 Alberto Barrientos (ed.). Introducción a la lectura de Santa Teresa. Madrid, Editorial de Espiritulaidad, 2002, p.307.

20Guido Manchini Giancarlo, “Tradición y originalidad en el lenguaje colloquial teresiano”, en Actas del Congreso Internacional Teresiano, 2, Salamanca, 1983, p.481.

21 DST, p.269.

22 Chorpenning, op.cit., p.18.

23 自筆原稿は存在しない。

(12)

24 Luisa Muraro. El Dios de la mujeres. Trad. María-Milagros Rivera Garretas. Madrid, horas y HORAS, 2006, p.5.

25 Carmen Servén Diez (ed.). La mujer en los textos literarios. Madrid, Ediciones Akal, 2007, p.15.

26 Sonja Herpoel. A la zaga de Santa Teresa: Autobiografias por mandato. Amsterdam, Rodopi, 1999, p.31.

27 María-Milagros Rivera Garretas. Juana de Mendoza (ca. 1425-1493). Madrid, Ediciones del Otro, 2004, p.22.

28 Muraro, op.cit., p.8.

29 牛島信明『スペイン古典文学史』名古屋大学出版会、1997年、9頁。

30Bienvenido Morros Mestres. Las polemicas literarias en la España del siglo X VI: A propósito de Fernando de Herrera y Garcilaso de la Vega. Barcelona, Quaderns Crema, 1998, p.257.

31 Lucio Álvarez Aranguren. La gramática española del siglo 16 y Fray Luis de León. Madrid, Neoprint, 1989, p.66.

32 Álvarez Aranguren, op.cit., p,26.

33 Pedro Ruiz Pérez. Manual de estudios literarios de los Siglos de Oro. Madrid, Editorial Castalia, 2003, p.198.

34Ibid., p.203.

35Ibid., p.205.

36Álvarez Aranguren, op.cit., p,37.

37Ibid., p.31.

38Domingo Ynduráin. Estudios sobre Renacimiento y Barroco. Madrid, Ediciones Cátedra, 2006, p.85.

39Richard L. Kagan. Students and Society in Early Modern Spain. Baltimore and London, The John Hopkins University Press, 1974, p.31.

40 内田樹『女は何を欲望するか?』径書房、2002、110頁。

41 Asunción Rallo Gruss. Humanismo y Renacimiento en la literatura española. Madrid, Editorial SÍNTESIS, 2007,p.61.

42 スコラ学のラテン語の特性については國原吉之助編著『新版中世ラテン語入門』大学書林、200730-32 頁を参照した。

43 Vicente Beltran de Hereria (ed.). Tratados espirituales. Madrid, BAC, 1962, p.81.

44Eulogio Pacho. El apogeo de la mística cristiana. Historia de la espiritualidad clásica española. Burgos, Monte Carmelo, 2008, p.791, n.2.

45 DST, p.270.

46Ibid., p.268.

47Ramón Menéndez Pidal. Estudios sobre Santa Teresa. Ed. José Polo,. Málaga, Universidad de Málaga, 1998, p.54.

48Víctor García de la Concha. El arte literario de Santa Teresa. Barcelona, Editorial Ariel, 1978, p.68.

49Steggink, op.cit., p.19.

50Ibid., p.39.

51Ibid., p.32.

52 ベルナルディノ・デ・ラレドについてはDaniel de Pablo Maroto. Lecturas y maestros de Santa Teresa. Madrid, Editorial de Espiritualidad, 2009, pp195-197を参照。

53DST, p.813.

54Alberto, op.cit., p.340.

55Herpoel, op.cit., p.34.

56García de la Concha (1978), op.cit., p.144.

57Ibid., p.159.

58Ibid., p.93.

59 『告白』のスペイン語訳初版はサラマンカで1554年に出された。したがって、テレサは出版後間もなくし

て『告白』を入手したことになる。

60 テレサによる『完徳の道』(Camino de perfección, 1565)にはエスコリアル版とバリャドリッド版があり、

本稿で言及したエスコリアル版をCEと示した。

61Germán Vega García-Luengos. “La dimensión literaria de Santa Teresa” en Revista de Espiritualidad, 42 (1982), p.46.

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引用文献

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参照

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