<研究ノート>記憶の社会的チカラ : 釜石における アートと展示イベントの報告
著者 梅崎 修, 岩井 桃子
出版者 法政大学キャリアデザイン学会
雑誌名 生涯学習とキャリアデザイン
巻 18
号 1
ページ 197‑214
発行年 2020‑11
URL http://doi.org/10.15002/00023637
1 はじめに
本稿の目的は、2020年2月に釜石市内で開催 された「記憶の社会的チカラ−釜石におけるアー トと展示イベント」の報告を行うことである。企 画から実施まで携わったイベントを振り返りつ つ、地域とアートと研究の相互関係を考察する。
次節でも紹介するように、1990年代以降、地 域の「アートプロジェクト」が行われるようになっ た。美術館などの施設で収集された美術品を展示 するという形式を越えて様々な場所で住民を巻き 込んだアートイベントが行われるようになった。
『アートプロジェクト 芸術と共創する社会』(熊 倉純子監修、2014年)は、「アートプロジェクト」
を「共創的芸術活動」と定義する。この共創には、
アーティスト同士のものではなく、地域住民はも とより、社会活動や研究活動に携わる人々との協 働も含まれている。ただし、アーティスト、住民 の間にどのような接点が作られるかについては、
様々な論点が考えられる。
例えば、地域・コミュニティ関連に限定しても 地域経済の活性化という目的もあれば、ローカ ル・アイデンティティの再定義やコミュニティ内 のコミュニケーション活性化、介護や過疎化など の社会課題の認知・解決という目的もある。アー ティスト側も、それぞれが様々なテーマで作品を 作っており、地域住民側の目的とうまく連携でき るかどうかはわからないのである。イベントをす
ることが自己目的になるのではなく、よりよい化 学反応が生まれるかどうかが問われているといえ よう。
今回の「記憶の社会的チカラ−釜石における アートと展示イベント」は、地域住民とアーティ ストだけでなく、社会科学の研究者が先行して参 加していた。梅崎は、釜石地域で長年、調査研究 を続けてきたが、今回、歴史研究に加えて、歴史 実践としてこのアートイベントを企画した。歴史 実践(historical practice)は、狭い意味での歴 史研究・教育とは異なる。例えば、歴史研究にオー ラル・ヒストリーを革新的に取り入れた保苅実は、
「日常的実践において歴史とのかかわりをもつ諸 行為(保苅(2004=2018)55頁)」と述べてい る。歴史研究と歴史実践、さらにアート作品をつ なぐテーマとして、釜石という地域の集合的記憶 に決めた。記憶をテーマに異なる立場の人々が一 つの「アート×研究×実践」プロジェクトに参加 した。本稿は、その経緯や成果を報告することで 地域アートプロジェクトの可能性を考察する試み である。
なお、続く第2節では、近年盛んなアートイベ ントの動向を紹介し、本プロジェクトの位置づけ を明らかにする。第3節では、「記憶の社会的チ カラ」の経緯と計画を説明する。第4節では、展 示や作品の説明を行う。最後の第5節では、全体 を振り返り、今後の課題をまとめた。
記憶の社会的チカラ
釜石におけるアートと展示イベントの報告
法政大学キャリアデザイン学部教授/アートディレクター
梅崎 修
キュレーター
岩井 桃子
198
2 アートイベントの広がり
本節では、様々なテーマで行われているアート イベントの中でも特に本稿と関係性ある地域と記 憶のアートイベントについて紹介したい。
(1)地域にかかわるアートイベント
歴史を遡ると、日本では60年代より野外彫刻 展の開催が見られる。ホワイトキューブから飛び 出して野外彫刻展が行われたり、住宅街や公園と いった屋外空間に芸術作品が設置されたりする動 きは見られたが、地域の歴史や特性を意識した
「場」の概念はあまり意識されていなかった。た とえば、1952年から1990年にかけて2年に1度 開催された「日本国際美術展」(東京ビエンナーレ)
や、1984年から1992年まで岡山県の牛窓で毎年 開催された「JAPAN牛窓国際芸術祭」などが見 られるが、「場」の概念がより強く意識されるよ うになったのは80年代から90年代初頭にかけて のことである。いわゆる「サイト・スペシフィッ ク」という概念である。
90年代初頭は、企業メセナ協議会の発足(1990 年)や、国による芸術文化振興基金の創設(1990年)
など、日本の文化環境が大きく変化した。さらに は地方自治体の文化に対する関心が高まり、「ふ るさと創生事業」をはじめとした国からの支援に より、文化施設や野外彫刻の設置も盛んになった。
このような状況下で、1988年から1998年まで毎 年8月に開催された「白州・夏・フェスティバル」
(アートキャンプ白州)や、1990年から隔年開催 されていた「ミュージアム・シティ・天神」の二 つは、アートプロジェクトの契機となる企画と言 われている。90年代以降に日本各地で様々な形 でアートプロジェクトと呼ばれるイベントが行わ れてきた。熊倉監修(2014)では、アートプロジェ クトを「現代美術を中心に、おもに1990年代以 降日本各地で展開されている共創的芸術活動。作 品展示にとどまらず、同時代の社会の中に入りこ んで、個別の社会的事象とかかわりながら展開さ れる。既存の回路とは異なる接続/接触のきっか
けとなることで、新たな芸術的/社会的文脈を創 出する活動といえる。(p.9)」と説明している。
90年代初頭にバブルが崩壊し、それまでのハ コモノ行政に対する批判が起きてハード(建物)
からソフト(文化)への意識が高まりを見せ始め た。さらに1995年に起きた阪神・淡路大震災に おいては、市民ボランティア活動が社会的に注目 を集め、特定非営利活動促進法(1998年)が施 行された。作家やアート関係者たちの間でも、アー トと社会との関係性を探る動きが見られるように なり、その結果、芸術活動を行う非営利目的の組 織いわゆる「アートNPO」が次々に誕生するこ ととなった。彼らは、アートと社会との新たなか かわり方と模索する様々なプロジェクトを日本各 地で展開した。
そして、2000年から現在まで3年に1度開催 されている「大地の芸術祭 越後妻有アートト リエンナーレ」や、2001年から現在まで3年に1 度開催されている「横浜トリエンナーレ」(図1) という2つの芸術祭以降、地域とかかわるアート イベントの数が増していく。地域コミュニティの 活性化を目的に日本各地で大小様々なアートイベ ントが開催されている。
「大地の芸術祭 越後妻有アートトリエンナー レ」は、新潟県の越後妻有地域に作品を点在させ て鑑賞者の回遊性を促し、それと同時に越後妻有 地域の価値を「日本の原風景」として再発見さ せ、新しい地域づくりのあり方としての評価を確
図 1 2017 年開催時の横浜トリエンナーレ 注) 横浜美術館の外壁にはアイ・ウェイウェイによる難
民問題をテーマにしたインスタレーション作品『安 全な通行』が見える。
立し、開催当初から非常に注目を集めた。2002 年に始まった「アサヒ・アート・フェスティバル」
は、日本各地で立ち上がる中小規模のアートプロ ジェクトをサポートすることを目的に2005年か ら2016年まで企画公募を行った。後述する2000 年以降に見られたアートにおける「まちおこし」
への期待を高めることとなった。
2000年以降、地域にかかわるアートイベント の数が増えてきたことは、社会の変化にも大きな 要因がある。大澤は「日本は2000年代後半に人 口減少社会が到来したとされており、少子高齢化、
中心市街地の衰退、農山漁村の過疎化、限界集落 化といった地域の課題が、日本の各地で叫ばれる ようになった。(アサヒグループホールディング ス株式会社2018, p.101)」とその要因を分析して いる。自治体の消滅が今後増えていくと言われる 中、アートイベントによって芸術振興という領域 を超え、地方創生もしくは観光振興が活性化する のではないかという期待が、各地で広がっていた。
2010年代にはその期待は顕著に見られ、日本各 地で「芸術祭」「トリエンナーレ」等の名前を冠 したイベントが新たに始まっている。たとえば、
2017年度には14件の事例が見られ、その大半は 2000年に入ってから新たに開始されたものであ る。一方、アートに携わる人々のなかでは「アー トはそれ自体が目的なのか、それともまちづくり や観光の主題なのか(アサヒグループホールディ ングス株式会社2018, p.102)」といったジレンマ が広がっていることも事実である。
ここ近年、アート関係者のなかで注目を集めて いるのが「ソーシャリー・エンゲイジド・アート
(Socially Engaged Art)」と呼ばれる海外におけ るアートの動きである(パブロ・エルゲラ(2015) 参照)。作家が地域(社会)にかかわりながら地 域をよりよく変えたいという、作家によって考案 されたものである。
こうして見てみると、アートに対する地域から の期待は今後も衰えることはないだろう。1990 年以降から2000年代に入り、新しい地域づくり のあり方としての一つのモデルを確立した地域の
アートイベントも、ここにきて転換点を迎えてい る。しかし一ついえることは、地域にかかわるアー トイベントが今後も展開されていくのであれば、
アートが地域との対話を行い、地域がよりよく変 わっていくべき、ということである。
(2)記憶にかかわるアートイベント
事象やモノがもつ記憶を、アートを用いて表現 することによって、観るものにより鮮明に印象深 く伝えることができる。以下、5つのテーマに分 けて記憶にかかわるアートイベントを紹介する。
①戦争×記憶
戦争の記憶を表した芸術作品は、自国の強さを 誇示する意味で描かれた絵画が古くから見られ る。近代ではパブロ・ピカソの『ゲルニカ』がス ペイン内戦の悲惨さを表現している。
ドイツ・ベルリンのユダヤ美術館に展示されて いる、イスラエルの彫刻家メナシェ・カディシュ マンによるインスタレーション作品『落ち葉』は、
厚さ3センチの鉄板から出来た10000枚の顔が床 に敷き詰められている。一つ一つの顔の表情は異 なり、鑑賞者にホロコーストの恐ろしさを伝えて いる。
日本の事例では、毒山凡太郎が、第二次世界大 戦中に日本統治下で教育を受けた台湾の人々に会 いに行き、インタビューに基づいた作品『君之代』
を制作している。作品に登場する高齢の男性と 女性は皆、流暢な日本語を話しながら、「君が代」
や軍歌を歌ったり、教育勅語をすらすらと話した り、70年近く時が経っても当時の記憶が彼らに どれほどの深さで刻み込まれていたのか、観るも のに訴えかけている。
②災害×記憶
震災や台風などの災害を後世へ伝承すること若 しくは鎮魂の意味も含ませ、その記憶を芸術作品 として表すこともある。
宮島達男が、2017年に開催された「リボーン アートフェスティバル」に出店した作品『時の海
200
―東北』は、宮島の代表作である『時の海』を東 北に寄贈したいという本人の申し出からプロジェ クトが始まった。石巻市内の数カ所で地元住民と のワークショップの機会を設け、300体のガジェッ トに、数字の変わるスピードを一人ずつ設定して もらい、大切な人の命の光を作品に灯してもらう 試みである。暗い展示空間のなかに散りばめられ た1個1個のガジェットは個々の生命の個性を表 し、カウントしている時間は「生」を、暗闇にな る時間は「死」を意味し、その「生」と「死」が 輪廻転生のように繰り返される。
東日本大震災後、被害を受けた東北3県では
「ハートマークビューイング」というプロジェク トが企画された。「ハートマークビューイング」
は作家の日比野克彦が中心となって企画されたも ので、ハートをモチーフにした作品を作るワーク ショップが被災した各地で展開された。ハート マークによって被災者にすこしでも元気になっ てもらいたいという思いが込められている。釜石
でも布を使ってハートをモチーフにした作品を作 るワークショップが開催されて地元住民が参加 した。釜石市の仮設住宅ではマグネットを使って ハートの作品を作るワークショップが開催され、
出来上がった作品は仮設住宅の外壁を彩った。
2019年夏に岩井が釜石を訪問した際、「ハート マークビューイング」の企画によって制作され たハートのキルティング作品が釜石市民ホール TETTOの2階ホワイエに展示されていた(図2)。
また現在、釜石市中心部に建つ「釜石PIT」の外 壁にアートワークとしてたくさんのハートが見ら れる。
③産業×記憶
産業とアートはもともと近しい関係にある。産 業とは、人間が生活する上で必要なものやサービ スを生み出したり、提供したりする様な経済活動 のことである。そのためには技術が必要であり、
その技術の延長線上で生まれるものがアートであ る。
ドイツのルール工業地帯はかつて世界最大の石 炭や鉄鋼業が集積し、ドイツの重工業と戦後の復 興を支えたという点で釜石と共通点がある。ルー ル工業地帯では1970年代に急激な衰退が始まり、
人口流出と深刻な不況に苦しんだ。さらには自然 環境への壊滅的な影響、工場の閉鎖と多数の失業 者と、負の影響が続けて起こった。なかでも最も 深刻な環境問題を抱えていたエムシャー川流域に 対する社会、産業、都市環境、文化を含む総合的 な再生を目指し、1989〜99年の10年という期 限で「国際建築展覧会」が自治体主導のもとで行 われた。展覧会という名前ではあるが、建築や都 市計画分野においてその当時の先端性のあるテー マを取り上げながら、恒久的な展示を行うドイツ に見られる方式である。工業時代の記憶である産 業遺構は地域に残された資源と促え、その資源を 蘇せながら巨大な工場を創造性を刺激する空間へ 変え、21世紀型の産業への移行をめざす。持続 可能なモデルが追求されており、エムシャー川流 域に対する再生へのアプローチは、住民に逐次情 図 2 ハートのキルティング作品
報共有され、これまで議論が行われてきている。
「国際建築展覧会」が終了した1999年以降、環境 的課題や社会的課題などに対する試みが2020年 まで継続されている。
④場所×記憶
いわゆる「サイト・スペシフィック」のアート もまた、場所の記憶を作品として表すものである。
東京都現代美術館改修中に行われた展示「MOT サテライト」においては、美術館周辺エリアであ る清澄白河の空きスペースが展示場所となり、清 澄白河の地域性を意識した作品が作家によって表 現された(図3参照)。展示場所は清澄白河のエ リアに点在しており、鑑賞者は展示場所を巡りな がら地域の風景を見る。「MOTサテライト」が 行われるまでは美術館を目指して通り過ぎるだけ の地域であったのが、鑑賞する場所へと変わり、
「MOTサテライト」をきっかけに地域と美術館 との関係が近しいものになったように思える。
⑤建築×記憶
古い建築物が取り壊される前に、建築物に対す る感謝の意を込め、長い間刻まれてきた歴史とと もに記憶が呼び覚まされるような芸術作品が、こ こ数年見られる。
法政大学市ケ谷キャンパスに建てられた55/ 58年館が解体される直前の2019年2月、教室の
記憶を表す2作品を、岩井はキュレーションさせ ていただく機会を得た。一つは守章による作品『公 開講座844』。「844教室」と呼ばれた大教室が作 品そのものであり、音というメディアを使い、講 義室の日常の記憶の再現を試みた。チャイムの音 や教室のドアを開ける音、窓の外から聴こえる音 などを実際に「844教室」で録音した。がらんと した講義室に聴こえてくる音によって、講義室の 空気感までもが蘇り、卒業生たちの大学時代の思 い出が呼び覚まされる。
もう一つは、卒業生である青島千穂による作品
『ひとりぼっちのサヨちゃん』(図4)。暗い講義 室のなかで「サヨちゃん」と呼ばれる着物姿の少 女が座っている。それは不気味で不思議な空間で あるが、青島千穂のポップな作品性を表した「サ ヨちゃん」が空間に温かみを持たせている。学校 のもつ「影」の記憶を感じさせる作品である。
また、東京の旧フランス大使館で2010年に開 催された展示イベント『NO MANʼS LAND 創造 と破壊』は、解体される前に旧フランス大使館を 一般公開し、日本やフランスの70名以上の作家、
建築家、映像作家、彫刻家が参加して旧フランス 大使館の庁舎の各部屋や庭にインスタレーション 作品を散りばめて1950年代に建てられたモダン な建築物とアートの融合を図った。
以上、作家のフィルターを通すことによって事 象の記憶がより鮮明にあぶり出され、鑑賞者に新 しい価値観を気づかせること、そして歴史を考え させるきっかけにもなり得る。
図3「MOT サテライト 2017 秋」で展示された 鎌田友介の作品『不確定性の家』
図 4 『ひとりぼっちのサヨちゃん』
注) 清澄白河地区に古くから住む住民にビデオインタ ビューを行い、住民の子供の頃に住んでいた住まい の間取りや記憶を思い出してもらう作品。
202
3 「記憶の社会的チカラ」の経緯と計画
(1)危機対応学
本プロジェクト(記憶の社会的チカラ)は、東 京大学社会科学研究所の全所的プロジェクトで ある「危機対応学プロジェクト(2016-2019年)」
のスピンアウトとして企画された。危機対応学プ ロジェクトは玄田有史教授や中村尚史教授によっ て主導されており、多くの研究者や組織が参加し、
学際的研究を行った。その調査プロジェクトの一 つに釜石の地域調査が含まれる。この地域調査は、
同じく社会科学研究所で2005-2008年に実施され た希望の社会科学(希望学)プロジェクトの釜石 調査を引き継いでいる。希望学では、釜石という 企業城下町の衰退を歴史的に把握し、その当時に 取り組まれていた様々な地域活動を「希望」とい う観点から複眼的に考察している。その後、東日 本大震災を経た釜石の現在地を、危機対応学プロ ジェクトは学際的に調査したのである。
釜石調査は、政治班、経済班、釜石高校調査班、
法意識調査班、社会班といういくつかの班に分か れており、梅崎は、岩手大学の竹村祥子教授(現 浦和大学)、岩手県立大学の吉野英岐教授と一緒
に、社会班の中の「震災の記憶調査」を実施した。
この調査は、釜石地域の多層的な集合的記憶を語 りの形で顕在化し、その意味を読み解く調査であ り、梅崎修・竹村祥子・吉野英岐「第12章 記憶 の社会的チカラ―記憶と共に生きるための歴史実 践」東大社研・中村尚史・玄田有史編『地域の危機・
釜石の対応―多層化する構造』(東京大学出版会)
としてまとめられた(図5)。
この論文のタイトルが、このイベントのタイト ルであることからわかるように、この調査研究と アートイベントは連動している。すなわち、地域 における記憶というテーマを学術研究だけでな く、その研究成果の展示やアート作品においても 同時に考えようという試みであった。実証を重ん じる学術研究と、想像やインスピレーションを重 んじるアートがどのように重なり、またどのよう な違いを生み出すのか、一つの新しい「実験」で あったといえよう。
(2)アートイベントの全体説明
研究展示とアートイベントは、2020年2月 9-16日の8日間で開催された(図6参照)。15日 に危機対応学・釜石調査成果報告会が開催された
図5 出版物としての成果 図 6 「記憶の社会的チカラ」のポスター
《掲載文の種類》
Lifelong Learning and Career Studies - 6 - る「危機対応学プロジェクト(2016-2019年)」の スピンアウトとして企画された。玄田有史教授や 中村尚史教授によって主導された、このプロジェ クトは、多くの研究者や組織が参加した学際的研 究プロジェクトであり、その調査プロジェクトの 一つに釜石の地域調査が含まれる。この地域調査 は、同じく社会科学研究所で2005-2008年に実施 された希望の社会科学(希望学)プロジェクトの 釜石調査を引き継いでいる。希望学では、釜石と いう企業城下町の衰退を歴史的に把握し、その当 時に取り組まれていた様々な地域活動を「希望」
という観点から複眼的に考察している。その後、
東日本大震災を経てた釜石の現在地を、危機対応 学プロジェクトは学際的に調査したのである。
釜石調査は、政治班、経済班、釜石高校調査班、
法意識調査班、社会班といういくつかの班に分か れており、梅崎は、岩手大学の竹村祥子教授(現 浦和大学)、岩手県立大学の吉野英岐教授と一緒に、
社会班の中の「震災の記憶調査」を実施した。こ の調査は、釜石地域の多層的な集合的記憶を語り の形で顕在化し、その意味を読み解く調査であり、
梅崎修・竹村祥子・吉野英岐「第12章 記憶の社 会的チカラ―記憶と共に生きるための歴史実践」
東大社研・中村尚史・玄田有史編『地域の危機・
釜石の対応―多層化する構造』(東京大学出版会)
としてまとめられた(図5)。
この論文のタイトルが、このイベントのタイト ルであることからわかるように、この調査研究と アートイベントは連動している。すなわち、地域 における記憶というテーマを学術研究だけでなく、
その研究成果の展示やアート作品においても同時 に考えようという試みであった。実証を重んじる 学術研究と、想像やインスピレーションを重んじ るアートがどのように重なり、またどのような違 いを生み出すのか、一つの新しい「実験」であっ たといえよう。
図5 出版物としての成果
(2)アートイベントの全体説明
研究展示とアートイベントは、2020年2月9- 16日の8日間で開催された。15日に危機対応学・
釜石調査成果報告会が開催されたので、その報告 会までの1週間と宿泊者の参加を見込んで、16日 の午前まで展示とアートイベントを行った。
図 6「記憶の社会的チカラ」のポスター
ので、その報告会までの1週間と宿泊者の参加を 見込んで、16日の午前まで展示とアートイベン トを行った。
参加者は、研究展示やアートイベントを楽しみ ながら全研究報告を聞くことができる。運営費は、
危機対応学の予算の他に、梅崎の研究費(公益社 団法人 教育文化協会による調査研究事業費の助 成金)、アートイベントに参加した居間theater のイベントに対しては、東京藝大「I LOVE YOU」プロジェクト2020の助成も受けている。
企画された展示とアート作品は、全て記憶を テーマにしている6つであり、釜石市の3ヵ所で 開催された。第一に、釜石市民ホールTETTO ギャラリーでは、①震災の記憶、記憶の未来―語 りの底力、②記憶のブリコラージュ(Bricolage)
―危機対応学・地域社会班調査報告③参加型イベ ント「よろず屋 イマシン」、が開催された。
①は、梅崎が論文執筆のために行ったインタ ビューを日本大学芸術学部の鳥山正晴氏(編集・
撮影)、増田治宏氏(撮影)の協力を得て撮影し、
映像作品に仕上げた。②は、調査で集めた資料、
写真、インタビュー記録などを一ヵ所に集め、住 民の方々と一緒に展示を作り上げていくワーク ショップ型の展示である。③は、4人組のパフォー マンスプロジェクトである居間theaterによる参 加体験型のアートイベントである。TETTOの ギャラリーの一角に架空の「よろず屋 イマシン」
をオープンした。イベントの内容は、参加者によ る粘土を使った実作と、その制作物の展示である。
第二に、釜石市青葉ビル1階では、④平田第6 仮設団地の記憶、⑤懐かしくて新しい、まち歩き 地図「釜石てっぱんマップ」の軌跡の展示を行っ た。④は、釜石の平田第六仮設団地の記憶を取り 扱った展示である。この仮設団地の立案・計画を 行った一員である、東京大学大学院工学系研究科 建築学専攻の建築計画研究室に所属する水上俊太 氏(修士課程)が企画した。氏は、文献資料や居 住者へのインタビューから、これまで仮設住宅が どのように計画され、どのように利用されてきた のかを調査し、パネル・ポスター・模型等の展示
を行った。⑤は、地元で編集者として活躍され、
様々な地域での文化イベント手掛ける平松伸一郎 氏の協力を得て企画された。平松氏は、震災後に 釜石の過去と現在が交差する「釜石てっぱんマッ プ」を刊行していた。この全5回の改訂プロセス を振り返る展示と「釜石てっぱんマップ」を携帯 しながらの市内のまち歩きを行うイベントを16 日に行った。
第三に、釜石の中心街から離れた鵜住居(うの すまい)地区に設置されている「いのちをつなぐ 未来館」では、⑥ビデオ・インスタレーション作 品「告白(confession)」である。東京工芸大学 芸術学部の野口靖氏が、実際に被災された方のイ ンタビュー映像(ドキュメンタリー)と東日本大 震災を題材にした架空のストーリーによる演劇映 像を組み合わせた作品を展示した。
以上6つの展示やアートが企画された。参加者 は、釜石市内を回遊しながら、作品を見たり、実 作に参加したり、研究報告会を聞いたりするこ とができる。われわれは「記憶の社会的チカラ MAP」を作成し1)、展示の場所を紹介しつつ、
論文の中で取り上げた記憶のモニュメントや場 所、さらに資料館や図書館などを紹介した(図7)。
この地図を見ることによって、釜石市全体が人々 にとって「想起の場」として立ち現れてくること を意図したのである。
なお、参加者は、完全にカウントすることは難 しかったが、おおよそ以下の通りであった。9日
(50人)、10日(50人)、11日(95人)、12日(60 人)、13日(70人)、14日(90人)、15日(220人)、
16日(120人)、合計755人。
4 展示や作品の説明
前節の全体説明に続けて本節では、個別の展示・
アートについて説明する。もちろん、作品に関し ては、展示者やアーティストにしか説明できない 部分もあるが、全体企画の中での位置付けを中心 に作品の説明や解釈を行う。
204
(1)震災の記憶、記憶の未来―語りの底力 このアート作品は、先述した通り、梅崎が論文 のために行った、いくつかインタビューの映像を 編集して作成されている。論文では、地域社会に おいて「記憶」が果たす潜在的な力(チカラ)に
ついて記憶の共有や継承に取り組む人々の活動か ら考察した。
論文とこの作品が焦点を当てたのは、記憶であ る。一般的に記憶は、個人が保有するもの(個人 的な現象)と考えられているが、記憶は他者との 図 7 「記憶の社会的チカラ MAP」の一部
283 283
45 283
45 45
釜石鉱山
釜石港
大槌漁港
上有住駅 陸中大橋駅 洞泉駅 松倉駅
唐丹駅 小佐野駅
釜石駅
平田駅 両石駅 鵜住居駅
大槌駅
吉里吉里駅
浪板海岸駅
岩手船越駅
釜石線
滝観洞IC
釜石仙人峠IC
釜石南IC 釜石唐丹IC 釜石JCT
釜石中央IC 釜石両石IC
釜石北IC
大槌IC
山田南IC
釜石自動車道
三陸自動車道
蒜島
金島
鎧島
鰹島 鱈島
大刀根島
柏木島 三貫島 長根島
二才島 野島
弁天島 タブの大島 黒島
唐丹湾 釜石湾 両石湾
大 槌 湾
船越湾
千丈ヶ滝
不動滝
熊野川 片岸川
甲子川
鵜住居川 小鎚川
大槌 川
織笠川
甲子町
野田町 定内町 小川町
唐丹町 小佐野町
釜石 中妻町
鵜住居町
平田 新浜町 両石町
箱崎町 橋野町
栗林町 金沢
小鎚
片岸町
安渡 赤浜
吉里吉里 船越
釜石市
大槌町
O
津波記憶石第3号 岩手県釜石市唐丹町 U橋野高炉跡
A釜石市青葉ビル展示■4
展示■6
展示■5
展示■■■1 2 3
B釜石市民ホールTETTO
C釜石市情報交流センター
D釜石駅
展示展示■〜■の詳細は 裏面をご覧ください。
1 6
記憶のポイント
※国土地理院「数値地図」(国土基本情報・国土基本情報20万)を加工して作成
釜石市大町3丁目8-3
公共施設として、平成20年4月1日に開館、東日本大震災 で被災したが、「NPO法人国境なき子どもたち」、「ロクシ タンジャポン株式会社」の全面的な支援を受けてリニュー アルオープンした。
釜石市大町1丁目1-9
市民の福祉の増進と文化の向上を図るため、にぎわい創出 と文化芸術に関する活動を行う市民文化の総合支援拠点。
釜石市大町1丁目1-10
釜石の情報発信ならびに市内中心部における市民活動 やビジネス活動の拠点として運営される多目的施設。
釜石市鈴子町22-5
駅前には、井上ひさし氏の歌碑がある。釜石小学校校歌
「いきいき生きる」と「ひょっこりひょうたん島」のテーマ ソングである。
E復興の鐘
釜石市鈴子町22-22
市民団体「釜石復興の風プロジェクト」によって作られた。
鐘には、「鎮魂」「復興」「記憶」「希望」という言葉が刻ま れている。誰でもつくことができる。
F釜石市郷土資料館
G石応禅寺
H仙寿院
I 釜石市復興ライブカメラ
釜石市鈴子町15-2
釜石市の郷土資料が整理、展示されている。収蔵品は約 8,000点におよび、「自然」「歴史・考古」「戦災」「民俗」
「郷土芸能」「製鉄」「津波・震災」のコーナーがある。
釜石市大只越町1丁目1-1
曹洞宗の寺院。「明治丙申海嘯記念之像」、「三陸大海嘯 溺死者弔祭之碑」「海嘯災死追悼」などの明治津波の慰 霊の場がある。東日本大震災の慰霊碑も建てられた。
釜石市大只越町2丁目9-1
津波から命を守る避難訓練として市街地から高台の寺ま で全長286メートルのコースを駆け上がる「韋駄天競走」
が行われている。
釜石市浜町1丁目4番近辺の避難道路 釜石湾内を一望できる浜町の避難道路にカメラが設置 された。湾内の津波や高潮などの監視を行いながら、
東前、浜町、只越町、嬉石町などの復興状況をライブ映 像として全国に発信。
J魚河岸テラス UOGASHI terrace
釜石市魚河岸3-3
「魚のまち釡石」を発信していく施設。釜石港を眺めなが ら食事もできる。
K釜石大観音
L釜石市立鉄の歴史館
M釜石市立図書館
N釜石製鉄所山神社
釜石市大平町3丁目9-1
1970年、明峰山石応禅寺(曹洞宗)十七世・雲汀晴朗
(うんていせいろう)大和尚の発願により建立。釜石湾を 見守っている。
釜石市大平町3丁目12-7
大島高任の偉業と釜石の製鉄業に携わった先人たちの 功績を学ぶことができる鉄の総合資料館。原寸大の橋野 三番高炉を使った総合演出シアターがおすすめ。
釜石市小佐野町3丁目8-8
「釜石市誌」をはじめ、釜石市や製鉄所に関する資料、また 釜石や岩手にゆかりのある作家の作品や資料がある(井上 ひさし、柚月裕子、高橋克彦、宮沢賢治、石川啄木など)。近 年、水産やラグビー関連資料、さらに震災関連図書の収集 に力を入れている。「郷土資料室」や「郷土」「震災」コーナー にある「郷土資料」は、H31年3月末で蔵書数665冊である。 釜石市桜木町1丁目5-1
日本製鉄釜石製鉄所の守護神社。鳥居と扁額が鉄製である。
O津波記憶石第3号 岩手県釜石市唐丹町
釜石市唐丹町大曽根
一般社団法人・全国優良石材店の会(全優石)が始めた
「事実と教訓を石に刻み後世に伝えていく」プロジェクト の第3号である。明治の津波記念碑、昭和の津波記念碑 に並び、今回の平成の津波記憶石が設置された。被災さ れた子供たちからのメッセージが彫刻されている。
P両石津波記念碑
釜石市両石町第3地割
東日本大震災の津波で被害を受けた両石に建立された震 災の教訓を後世に伝える慰霊碑。
Qうのすまい・トモス(いのちをつなぐ未来館) 鵜住居町第16地割72-1
「東日本大震災の記憶や教訓を将来に伝えるとともに、生 きることの大切さや素晴らしさを感じられ、憩い親しめる場」 として、複数の公共施設を一体的に配置し、地域活動や観 光交流を促進する鵜住居駅前エリアである。震災伝承と防 災学習のための施設「いのちをつなぐ未来館」や東日本大 震災犠牲者慰霊追悼施設の「釜石祈りのパーク」がある。
R常楽寺
U橋野高炉跡
V風の電話
釜石市鵜住居町第13地割88
釜石市が津波の追悼施設として設置した慰霊堂がある。 もともとは防災センター跡地慰霊堂として設置したものだ が、復興事業の地盤かさ上げ工事お対象地区になったた め、常楽寺の前の敷地に移転した。
S津波記憶石第1号 岩手県釜石市 根浜海岸前
釜石市鵜住居町第20地割93-1
一般社団法人・全国優良石材店の会(全優石)が始めた
「事実と教訓を石に刻み後世に伝えていく」プロジェクトの 第1号である。碑についているステンレス製QRコードを読 み込むと3・11当日の様子が見られる仕組みになっている。
T浜べの料理宿 宝来館
釜石市鵜住居町第20地割93-18
根浜海岸にある旅館。名物女将の岩崎昭子さんが、津波 の語り部活動を続けている。
釜石市橋野町第2地割15
大島高任築造による現存最古の洋式高炉跡である。2015 年に世界遺産登録となった「明治日本の産業革命遺産 製鉄・製鋼、造船、石炭産業」の構成資産「橋野鉄鉱山」は 高炉跡と採掘場跡、運搬路跡の総称である。隣接の橋野鉄 鉱山インフォメーションセンターでは史跡の概要を学ぶこ とができる。また観光ガイド、AR/VRアプリなどで、理解度 が充実!!冬季は見学が困難。
大槌町浪板第9地割36-9(ベルガーディア鯨山内) 電話線に繋がらないダイヤル式の黒電話が置かれている。 2011年に、大槌町在住のガーデンデザイナー・佐々木格 氏が自宅の庭に設置したのがはじまりである。この「風の 電話」をモチーフにした映画『風の電話』が現在公開中。
(http://kazenodenwa.com/)
釜石市街地
小佐野
浪板
鵜住居
大観音周辺 両石
0 250 500 750 1000 m
(1km 約15分)
0 250 500 750 1000 m
(1km 約15分)
0 1 2 3 4 5 km
Art&Exhibition KAMAISHI MAP
記 憶 の 社 会 的 チ カ ラ
関係性において想起されるものであり、想起され なければ記憶として認識されないことを踏まえれ ば、すべての記憶は集合的な現象と考えられる
(Halbwachs,1950-1989)。震災は、多くの地域に おける想起の場を破壊した。さらに、その後の復 興計画も、それ自体は喜ぶべきことであるが、街 の景観を大きく変えた結果、想起の場を消失させ たことには留意すべきである。
これらの忘却に抗う活動として、地域の景観保 存活動、歴史の語り部活動、住民の歴史ワーク ショップなどの歴史実践がある。このような活動 の意味や効果を人々の発言の意味を一つひとつ分 析するのが論文の役割である。映像作品では、論 文と語られる内容は重なるのであるが、観客には 語りそのものに耳を傾けてもらいながら、そして 語る姿を見てもらい、何かを感じてもらうことを 目指したのである。
作品に登場する人物は、以下の11名である。
まず、被災直後から聞き書きを開始し、その後、
仲間を募って釜石・東日本大震災を記録する会を 設立し、聞き書き集『東日本大震災・津波体験集:
3・11その時、私は 第1,2,3集』(2012,13,14年)
を刊行した前川慧一氏、釜石市震災検証室室長の 臼澤渉氏、小学生たちが体験作文集をまとめた釜 石市立釜石小学校の現校長の髙橋勝氏、震災直後、
地域メディアとして誕生した「復興釜石新聞」編 集長の川向修一氏、自分自身の被災体験を中心に、
宿泊客に対して語り部活動を続けている宝来館女 将の岩崎昭子氏、語り部活動を行っている釜石観 光ガイド会会長の三浦達夫氏と藤原信孝氏、釜石 の隣町の大槌で語り部活動を行っている一般社団 法人おらが大槌夢広場事務局長の神谷未生氏、東 日本大震災の被災体験を「相撲甚句」という歌の 形で伝えようとする「釜石あの日あの時甚句つた え隊」の北村弘子氏と藤原マチ子氏、震災前から 地域の防災活動に熱心に取り組まれ、釜石観光ガ イド会の語り部活動にも参加している瀬戸元氏で ある。
登場人物の立場は様々であるが、悩みながら記 憶の共有・継承活動に取り組んでいる。津波の直
接的な被害を受けた人、親族を亡くされた人もい る一方で、自宅が海岸から離れていたので、直接 的な被害を受けていない人や震災後にこの土地に 来た人もいる。映像は、語った内容だけなく、語 り方や表情から記憶の共有や継承の困難がわかる し、その困難に向かう思いを伝えてくれる。他者 の経験を語れないという戸惑いを抱えながら、他 人の経験に耳を傾け、語り継ぐことを続けていた のである。被災の程度に個人差はあるが、我々は 誰しも、他者の、そして死者の経験を語れない。
そのような語りの不完全性に直面しながらも、そ れでもなお、聴き、語ることに向かう人々の力が 表現された作品といえる。初日9日15:00-16: 00(約8名)と15日の研究報告会直前の13:30- 14:00(30名程度)に20分バージョンの上映会を 行い、その他の時間は、10分バージョンをリピー ト上映した(図8)。
図8 震災の記憶、記憶の未来(上映中)
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(2) 記憶のブリコラージュ(Bricolage)
―危機対応学・地域社会班調査報告 はじめに、ブリコラージュについて説明しよう。
この言葉は、フランス語で、「繕う」「ごまかす」
を意味するフランス語の動詞bricolerに由来し、
「寄せ集めて自分で作る」「ものを自分で修繕する」
ことを意味し、「器用仕事」とも訳される。みん なの記憶を寄せ集めて作品を作るという参加型展 示を企画した。
参加型展示は、展示初日には完成していない。
準備されたのは、記憶の想起を促すモノである。
具体的には、インタビュー調査によって集められ た人々の語り、論文の中の文章、そして撮影され た写真が集められた。これらは論文に使われたも のが多いが、それ以外にも、希望学プロジェクト の際に製鉄所調査をはじめとする釜石の歴史の資
料も集められた。加えて、釜石市役所に保管され ていた街中写真のコピーも使うことができた。展 示されるコンテンツが文字情報中心になると、展 示が読書をするだけの場になってしまう。想起を 促す触媒として懐かしい写真は役立ったのであ る。
まず、会場の入口には、「想起の本棚」という 記憶にかかわる研究書や釜石の歴史に関する書籍 が並べられた(図9)。そして、展示の中心のテー ブル席には、想起を促すモノを置いて、お茶を飲 みながら雑談ができる「聞き書きの井戸端」を作っ た(図10)。さらに、街中写真を使った「迷子の 写真」というボードでは、あえてわかりにくい写 真に説明を付けず、いつ、どこかわからないとい う設定で写真について思い出を書いてもらうこと にした(図11)。これらの工夫によって、1週間
図 10 聞き書きの井戸端 図 12 セリフ・コメント・カード
図 9 想起の本棚
図 11 迷子の写真
の間、長居をしてくれる人たち、口コミで来てく れた人たち、毎日来てくれる人たちとの出会いが 生まれた。釜石写真を持ってきてくれる人、この 場所を見ておくべきだと勧めてくれる人もいた。
いただいた写真は、そのまま展示ボードに貼り付 け、新たに撮影したお勧めの場所の写真も張り付
けていった。居間theater、西尾千尋氏には展示 デザイン、さらに聞き取りには三浦美保子氏、荒 木一男氏にも参加してもらった。
展示に足を止めてくれた人たちには話しかけ て、個人的な思い出を図12のようなセリフ・コ メント・カードに書いてもらうことを試みた(た だし、書くことにはハードルがあり、実際は聞き 書きのスタイルに途中から変更した)。初日は、鉄、
海、技能などのテーマごとに少しだけボードに貼 り付け、その上で参加してくれた人たちが付箋に 書き込んでもらった釜石の思い出を追加していっ た(図13-1)。
最終日の3日前に、いよいよ一つの作品にまと めるために貼り直しを行った(写真13-2)。貼り 直しには、どうしても展示する側の解釈が入る。
ブリコラージュする職人などの人物は、ブリコ
ルール(bricoleur)と呼ばれるが、梅崎と西尾
氏が、語り手との出会いを思い出しながら「寄せ 集める」「織りなす」という感覚で貼り直した。「ど うしても分類し難いものがあるよね」という感想 が生まれ、分けることの限界を超えるために、ア ドリブでグループごとを紐でつなげ、キーワード をぶら下げる展示に変更した(図13-3)。
この作品完成後、多くの方が、この「つながっ ている記憶」を眺めた。この作品に現れたのは、
釜石の記憶の全てではないし、もちろん研究のた めの資料でもないといえよう。ただし、バラバラ な個人の記憶の単なる集合とはいえないし、ま たは唯一共有されるべき集合的記憶の発見でもな い。ここに現れたのは、分有されているかもしれ ない釜石のネットワーク的記憶、その生成過程の 一瞬のイメージであるといえよう。
(3)参加型イベント「よろず屋 イマシン」2)
居間theaterは、東彩織、稲継美保、宮武亜季、
山崎朋の4人組プロジェクトで、2013年から東 京谷中にある最小文化複合施設「HAGISO」を 拠点に活動を開始した。音楽家や美術家、建築家 など分野の異なる専門家との共同制作のほか、カ フェ、ホテル、区役所など、既存の “ 場 ” とそこ 図 13-1 はじめのボード
図 13-2 完成した作品
図 13-3 完成した作品の一部
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にある “ ふるまい ” をもとに作品を創作してきた。
現実にある状況とパフォーマンスやフィクション を掛け合わせることで、誰でも参加可能でありな がら、現実を異化させるような独特の体験型作品 を作ってきた。
今回の釜石イベントでは、事前調査として全2 回、釜石に訪問し、イベント期間は、事前の準備 と制作も含めて約2週間滞在している。よろず屋 と名乗っていてるが、実際にモノを売るわけでは なく、「記憶」を扱う、(ニセモノの)よろず屋と いう設定である。よろず屋というコンセプトは、
かつて釜石にあった「丸栄及新(まるえいおいし ん)」というよろず屋の名前から拝借したもので あり、釜石の記憶との連想が生まれることを意図 しているといえよう。
実際に行われたのは、「日常の一コマを土偶にし ようワークショップ」である(図14参照)。過去 の歴史の記憶ではない、釜石の現在の日常(の記 憶)を取り扱うことをアイデアとしている。では、
なぜ土偶づくりなのであろうか。居間theaterの
4人によれば、土偶は、人の形をした土の焼き物 を指すが、縄文研究の中でも、石皿や土器などの 生活用具と比較すると明確な用途などははっきり とせず、その造形も多様なため謎が多いと言われ ている。つまり、現代人にとって「想像できる余白」
が大きいと考えられた。この土偶づくりをしなが ら、それぞれの日常を語ってもらうと、今の記憶 が立ち現れてくると考えられている。
作成された土偶は2種類である。第一に、来訪 者である居間 theaterが街や人に出会い、観察し たものを形にした「観察者の土偶」である。第二に、
ワークショップに参加してくれた方々が作成した
「人々の土偶」である。釜石に暮らす人々や釜石 に訪れた人々の生活のごくわずかな一部や想いが 土偶の形にされた。居間theaterによって、作成 中のコメントや感想メモを添えて展示された(図 15-1)。
「観察者の土偶」が15体、「人々の土偶」が75 体、合計90体の土偶が生まれた。そのうち、自 宅に持って帰りたい人には土偶を渡し(要らなく なったらどこかに埋めてもらうよう手紙を添えて いる)、そのほかの土偶は釜石市内のとある山に 埋めた(図15-2)。この埋めるという作業は、タ イムカプセルのように掘り返すことが目的ではな い。東彩織氏は、エッセイの中で以下のように述 べている。
「未来の誰かがこの土偶を見つけることを想像す
図 14 土偶ワークショップのポスター 図 15-1 作品展示
『日常の一コマを土偶にしようワークショップ』
縄文時代に多く作られた「土偶」。子孫繁栄や病気治癒、食糧確保の成功などへの願いを込め て使われていたのでは……と考えられていますが、本当のところは誰にも分かりません。なぜな ら、それらは4000年以上も前のこと! 私たちがいま生きているこの土地に、かつて誰かが暮ら していたことは確かですが、現代の私たちは、現代の見方でその「日常」を想像するしかないの です。
この『日常の一コマを土偶にしようワークショップ』では、釜石に暮らすみなさんにインタ ビューをしながら、それぞれのお話をもとに、粘土を使ってオリジナルの土偶を作ります。
遠い未来、この土地に住む人々がこれらの土偶を発見したとき、私たちの「日常」はどんな風 に想像されるでしょうか?
日 時 2020年2月9日(日)〜 16日(日) 10:00〜18:00 ※16日(日)は12:00まで
会 場 釜石市民ホールTETTO 1階 ギャラリー(釜石市大町1-1-9)
参加費 無料/ご予約なしでどなたでもご参加いただけます。
作業用エプロンはご用意がありますが、汚れても良い服装でお越しください。
お問合せ [email protected] (イマシン)
図 15-2 土偶を埋める
図 16-1 「平田第 6 仮設団地の記憶」の展示
図 16-2 平田第 6 仮設団地の模型 る。その未来の誰かが、土偶を作った人を想像す
ることを、今という地点から想像する。そういっ た行為それ自体が重要な作品であった。」
(4)平田第 6仮設団地の記憶3)
この展示は、調査・研究の展示である。最初の アイデアは、論文の「記憶の社会的チカラ」のた めの研究会に始まる。この論文のために、吉野英 岐教授が仮設住宅の記憶について調査を行ってい た。仮設住宅では、津波によって家を失った人た ちがお互いに助け合う「「濃密な」関係や助け合 いの精神を中心としたコミュニティが形成されて いたケースがある。(p.322)」しかし一方で、仮 設住宅や仮設商店街は、いずれは出ていく一時的 な建築物である。つまり、「濃密だけどカリソメ、
カリソメだけど濃密な記憶(p.321)」という特徴 を持っていた。さらに、仮設住宅から復興住宅な どへの引っ越しが終われば、物理的に取り壊され てしまう。建物がなくなり、さらにその跡地に新 しい建物が作られたりして風景が変われば、人び とが共有している集合的記憶も失われてしまうの ではないか。だからこそ、仮設住宅にかかわる展 示ができないかという問題意識があった4)。 先述した通り、平田第六仮設団地の立案・計画
を行ったメンバーとして東京大学大学院工学系研 究科建築学専攻の建築計画研究室がある。梅崎は、
この研究室の大月敏雄教授とは旧知の間であった ので、連絡を取ったところ、研究室所属の水上俊 太氏が、この仮設住宅の調査を続けていることを 教えてもらった。そこで展示協力を依頼し、了承 を得た。
水上氏の調査は、平田第六仮設団地が閉鎖され るまでの約9年間に渡る人々の生活を記録し、そ こから得られた知見を今後の仮設住宅の計画に生 かすことが目的であった。この仮設団地は、「医・
職(食)・住」の機能を有する「コミュニティケ ア型仮設住宅」であり、思いがけず入手した当初 の設計資料、インタビューで伺った仮設団地での 思い出話などを基に、パネル・ポスター・模型等 の展示が行われた(図16-1, 2)。展示を見る人た ちは、仮設団地の設計段階でどのような議論が行 われたのかを知ることができるし、そこでの生活 者たちの思い出の語りから仮設団地の記憶に触れ ることができる。さらに、仮設住宅について自由
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記述を募集し、ここでの交流に関して肯定的な思 い出を集めることができた。担当者の水上氏は、
以下のように述べている。
「震災復興におけるすまいの変遷では「避難所→
仮設住宅→恒久住宅」へと一方通行で進んでいく。
しかしながら交流関係では、恒久住宅の交流形成 のみならず仮設住宅の交流維持にも需要がある。
仮設住宅の解消と共に当時の生活は記憶の一部と なりつつも、仮設住宅で形成された交流関係は記 憶に留まらないよう、交流を維持できるような体 制づくりが重要である。」
(5) 懐かしくて新しい、まち歩き地図「釜 石てっぱんマップ」の軌跡
この展示は、釜石訪問した時に愛読してた
「釜石てっぱんマップ」との出会いから始まる。
2014年3月に初版が刊行された「釜石てっぱん マップ」は、読む地図を目指しており、現在の釜 石だけではなく、過去の出来事や「まちの記憶」
を盛り込んでいた。そこで、このマップを使った 展示か、イベントができないかと、梅崎から編集 長の平松伸一郎氏に相談したのが企画のはじまり である。平松氏は、一時期釜石を離れていた時期 もあるが、現在は釜石に住む地元出身者である。
平松氏は、震災と震災後の復興によってまちの 風景が急激に変わり、地元の人も震災前のまちの 記憶を忘れ始めていることに危機感を持たれてい た。また、震災前から長期傾向である地域経済の 縮小に対して、かつて地域経済に元気があった時 代の記憶を継承しようとされていた。加えて平松 氏が、マップの改訂を繰り返した理由の一つは、
この数年間の間にもまちが変化していることを記 録したかったからである。2020年2月にちょう ど第5版が刊行される予定だったので、初版から 5版までの「釜石てっぱんマップ」を展示した(図 17)。また、マップの展示の隣に、岩手大学写真 部の学生に協力してもらい、実際に釜石でまちあ るきをしながら撮影した写真展も行った。
さらに、展示とは別に「釜石てっぱんマップ」
を携帯しながら行うまちあるきも企画した。盛岡 在住で平松氏のマップ作成プロジェクトに参加 し、いつもまちあるきイベントを行っている有坂 民夫氏の協力も得て、2月16日最終日の午前にま ちあるきが行われた(図18)。展示やアートが、
釜石外の人間だけの一方的な発信ではなく、地元 の方々と交流し、相互に影響を与えながら行われ たことは、このアートイベントの一つの達成とい えよう。
(6)告白(Confession)
この作品は、地域の集合的記憶や隠蔽された社 会構造をテーマに、マッピング等の手法を用いた プロジェクトを多く手がけるアーティスト野口靖 氏によるものである。野口氏が下見のために釜石 を訪れた際、釜石市郷土資料館に収蔵されていた 木村正明氏の記録集『語ることにした』に出会う。
ご本人からその記録集を入手し、熟読し、そこか ら作品のイメージを膨らませていった。
そして出来上がった作品は、木村氏へのインタ 図 17 釜石てっぱんマップの展示
図 18 釜石まちあるき
ビュー映像(ドキュメンタリー)と、震災を題材 にした架空のストーリーによる演劇的映像とい う、2種類の映像を組み合わせたビデオ・インス タレーションである。
作品の展示場所は、三陸鉄道の鵜住居駅前に震 災後の2019年3月に作られた、うのすまい・ト モスのなかにある「いのちをつなぐ未来館」が選 ばれた。「いのちをつなぐ未来館」は、震災伝承 と防災学習を目的とする公共施設である。2011 年3月11日に起こった東日本大震災より以前は、
うのすまい・トモスのある辺りに鵜住居地区防災 センターが建っていた。3月11日の大津波によっ て鵜住居地区防災センターに避難していた160名 以上の人々が亡くなった。鵜住居地区では死者・
行方不明者583名という人的被害が発生した。現 在、鵜住居地区防災センター跡には「祈りのパー ク」が作られ、被災者への祈りを捧げる場所となっ ている(図19)。
木村氏は元新日鉄の社員でもあり、東日本大震 災では津波によって母と妻を亡くす。木村氏への インタビューによって、彼の経験を追い、防災と いう観点で未来に伝えるべき言葉を引き出すこと を試みた。木村氏のインタビューのなかで、生い 立ちから現在に至るまで、新日鉄社員時代、妻と 母親に対する思い、現在の心境などが語られてい き、木村氏の半生はまさに釜石の歴史とともにあ る。
一方、架空のストーリーによる演劇的映像には、
患者(坂口という男性・60歳)と心理カウンセラー
(熊谷という女性・40歳)の2名のみが登場する。
患者が「津波に飲み込まれた場面が夢の中に出て くる」という話から映像は始まる。患者は津波に 流される夢について語り始める。毎回の夢の中で は様々な場面で大地震と大津波に遭い、ある日の 夢は患者の弟とともに津波に流される話、翌日に 語られる夢は患者の妻や娘とともに津波に流され る話、別の日に語られる夢は介護を受ける妻と患 者が津波に流される話など、津波をテーマに様々 なストーリーが語られる。心理カウンセラーは初 め、患者の話を聞いているが自分の体験も話し始 め、徐々に患者とカウンセラーの立場があやふや になってくる。
2つの映像は、別々のスクリーンに再生される が、同時並行で観ることによって2つの映像の関 係性が生まれること、消えることを意図して作ら れている(図20)。二つの映像を同時に観ている と、次第に二つのストーリーが混ざり合うよう な、不思議な感覚に襲われた。それぞれのストー リーが別の世界を形作っていると分かっていなが らも、いつの間にかお互いのストーリーが呼応す るような、重なり合うような、そんな感覚をもつ。
5 まとめ
本稿では、梅崎らが企画し、実施したアートと 展示のイベントを振り返り、その活動を整理・報 告した。
第2節でも紹介したように、日本においてより 大きな地域アートプロジェクトは数多く存在す る。しかし、調査・研究が蓄積された地域におい 図 19 鵜住居の祈りのパーク 図 20 インスタレーション作品