はじめに
夕
は、晝から夜へ移行する時
帶として、濃密な
時 末の
意識が 在している。世界文學において、夕
が普
に人
の「老い」や「死」といった生命の無常を象
本稿は日中古典詩における夕 のとして捉えられる。 (1) するも 中國文學との對比から、和歌の特 と無常の關表現を考察し、
を示すものである。
一、中國文學
中國文學において、夕
「離騷」に遡り見出せる。 と無常の關が、戰國・楚の屈原 發 於 梧兮
に を じん
梧に發し さうご 日忽忽其將 欲少留此靈瑣兮少く此の靈瑣に留らんと欲すれば しばられいさ 夕余至乎縣圃夕に余縣圃に至る けんぽ
日は忽忽 こつこつとして其れ將に
吾令羲和弭 れんとす 兮吾羲和をして ぎくわ
を弭めて とど
而勿
えんじを
んで 路曼曼其脩 る勿からしむ 兮路は曼曼として其れ脩
吾將上下而求索吾將に上下して求索せんとす (2) なり
「吾」は天地を縱
に行き交う
人であり、
「 ら出發し、夕 梧」か 「縣圃」(崑崙山にある
の園)に到
「靈瑣」( する。
日 にしばらく留まろうとするところ、靈の國の御門)
れが ってくる。「日は忽忽として其れ將に こつこつ
に詠われる夕日のイメージは、時 れんとす」
の推移の
に さと、それ
う人生の「老い」の心象風景として捉えられる。なお、 (3)
夕
と無常
日中詩歌の
同をめぐって
金中
出部分の
の立たざるを脩名 しうめい に、屈原は「老冉冉として其れ將に至らんとす、 ぜんぜん
る」と、老いが
り、名聲を
そこで、「吾」は「羲和」(太陽の御 いことを憂慮している。 得できな 夕日を「 )に車を止めさせ、
」に(日の入る山)
意欲 する。この大膽な奇想は、時の移ろいや老いに對する屈原の づけさせないようにと命令 な反抗として見てよい。
の「路は曼曼として其れ脩 なり、吾將に上下して求索せんとす」という詠
は、長い で引き續き自分の理想を
求していこうという、
い
取の
夕 を表白している。
白日 立されたと言ってよい。 を「老い」に喩える發想は、屈原「離騷」によって確 其將入兮白日は
ゑんばんして其れ將に入らんとす明
銷鑠而減毀明
は銷鑠して減毀す せうしゃくげんき
忽忽而遒盡兮
老冉冉而愈 は忽忽として遒ぎ盡き こつこつす
老は冉冉 ぜんぜんとして愈 いよいよ
戰國・宋玉「九 る うつ
路長 日杳杳以西頽兮日は杳杳として以て西に頽れ えうえうくづ 」 而窘
路は長
にして窘 きん
す ばく
末・劉向「九
・ ある。なお、屈原がその といった『楚辭』の作品は、いずれもそれを踏まえたもので 」 年に、
路北
兮路を
み北に
日昧昧其將 るに やど 日は昧昧 まいまいとして其れ將に
舒憂 れんとす
哀兮憂を舒べ哀しみを うれひの
なぐさめ限之以大故之を限るに大故 たいこを以てせん「懷沙」と、夕日を自らの「大故」(死)に關付けているが、この發想はあまり繼承されていないようである。白日西南馳、光景不可攀白日西南に馳せ、光景攀 とど
む可からず魏・曹植「名
!篇」
"爲媚少年、夕
#醜老
"には媚少年たれども、夕
には醜老と
魏・阮 #る
忝 $「詠懷詩十七首其五」
%&
'任、白日已西傾忝くも かたじけな
&に
'ぐるの任を
晉・張 %ひ、白日は已に西に傾く にな 短生 (「答何劭二首其二」
)長世、恆覺白日欹短き生もて長き世を せい
)し、 中國詩文論叢第二十六集
156
恆 つねに覺ゆ白日の欹 かたむくを宋・謝靈
倏忽 「預章行」
春度、
波白日頽倏忽 しゆくこつ
春度り、 わた
頽る くづ 波白日
・白居易「
など、以 盧祕書二十韻」
の中國文學では夕
は々にして「老い」の象
として登場し、「日
れが「夕日」のイメージに 老」の系譜を爲している。また、そ
象
功業未 うち、 されることが多い。その (4)
建、夕陽忽西流功業は未だ建つに
ばざる ・・・・・・・・・・・・・・・・・
に、夕陽は忽ち西に流る ・
時哉不我與、去乎
雲
時や我と與 ともならず、去りて雲の
べるが
晉・劉 し ごと
「重
盧
という作例が 」
目される。そこに詠われる
息や 懣は、時
功業がいまだ の推移や老いそのものに對するというより、むしろ名聲や
かれており、根 就されないことへの苛立ちや焦りに重點が置
い現世への執
江 が窺われる。 (5)
思歸客、乾坤一腐儒江
腐儒 思歸の客、乾坤一 片雲天共
、永夜 同孤片雲天と共に
く、永夜
と同じく孤なり
日心
壯、秋風病欲蘇
日心
古來存老馬、不必取長 病蘇へらんと欲す よみが ほ壯んに、秋風 なさか
古來老馬を存するは、必ずしも長
に取らず
・杜甫「江
この詩において、杜甫は邊地で 」
心境を吐露している。「 !の思いにふけ、孤獨の
が象 日」という語には自らの「老い」
されているが、「心は
對決する ほ壯んに」と一轉し、それに
病蘇へらんと欲す」と、 い決意が表明されている。それに續いて「秋風
かえって病氣の身を生き "常寂寥感を引き立てる「秋風」が、
腐儒」としての、國家や 見られる時の推移と老いに格鬪する意志は、杜甫が「乾坤一 #らせるものとなっている。ここに
$會に寄與すべき現世
%&
にし、本質 'を底流
%には屈原「離騷」に共
日は已に光輝を潛む 聞子不可見、日已潛光輝聞く子は見るべからずと、 一方、哀傷題材の作品において、 "している。
末・孔融「雜詩」
夕暮と無常(金)
157
白日入 淵、懸車息駟馬白日は
白日隕隅谷、一夕不再 魏・繆襲「挽歌詩」 けて駟馬を息はしむ しば 淵に入り、車を懸 ぐえん
白日隅谷 ぐうこくに隕 おち、一夕再びは
魏・阮 ならず
朱光馳北陸、 「詠懷詩其八十一」
景忽西沈朱光は北陸に馳せ、
千秋 百年同じく謝す百年同謝西山日西山の日 其二」晉・張載「七哀詩二首 忽ち西に沈む 景は ふえい
古北 塵千秋
古北
ほくぼうの塵
・劉 白日西邊 「公子行」
、滄波東去流白日西邊に
已に一生休めり や 名雖千古在、身已一生休名は千古在りと雖も、身は 東に去りて流る し、滄波 など、夕日のイメージに人の「死」が象 ・姚合「哭賈島二首其一」
人隨 るいは、 されていたり、あ 槿 、客共 鶯悲人は
槿に隨ひて ぼきん
ち、客 は
隋・江總「傷 鶯と共に悲しむ
雲日添 野王詩」
慘、笳簫向
悲雲日
笳簫 かせう を添へて慘み、 いた
に向ひて悲しむ
・白居易「
宗皇 など、夕 挽歌詞四首其四」
が死
への悲しみの
例もある。 る時刻として捉えられる作 體 に見て、中國文學における夕
と無常の關
がより典型
されたのは、夕
を「老い」の象
「日 とする
老」の系譜であり、また、時の移ろいや老いが
れながら、それに對決する根 か い 取 いる。 (6) が底流となって
二、
集
に『
集』から、和歌の世界における夕
と無常の關
柿本 を考察する。
臣人 渡る日の ……玉かぎる磐垣淵の隱りのみ戀ひつつあるに いはかきふちこも し歌二首 !呂の、妻死りし後に泣血哀慟して作り
れぬるがごと照る
つ "の雲隱るごと沖
#のなびきし妹は
$もみちば
の
%ぎて去にきと玉梓 たまづさ 中國詩文論叢第二十六集
158
の使ひの言へば……(
・卷二・
207・柿本人
……世の中を背きしえねばかぎろひのもゆる 呂)
に白たへの天領巾隱り鳥じもの あまひれがく 野
( 入日なす隱りにしかば…… 立ちいまして ・卷二・
210・柿本人
柿本人 呂)
日の 呂の二首の泣血哀慟歌において、それぞれ「渡る 日」のイメージに妻の「死」が象 れぬるがごと」「入日なす隱りにしかば」と、「夕
され、後の表現は大
家持が
……うつせみの借れる身なれば露霜の また、家持の作りし歌一首 妾を悼む、
とくあしひきの山 ぬるがご
やまぢをさして入日なす隱りにしかば……(
・卷三・
466・大 柿本人 という長歌にも踏襲されている。 家持)
呂の泣血哀慟歌には中國哀傷詩文の影
が顯 あり、「鳥じもの (7) で ば」という表現が、晉・潘岳「寡 立ちいまして入日なす隱りにしか
賦」に見える「時は曖曖 あいあい
として昏 くれに向かひ、日は杳杳 えうえうとして西に
る。雀は群れ飛ん かく で楹に赴き、鷄は棲に登りて はしらねぐら
を斂む」に をさ
似すると
「寡潘岳 れている。 (8) 張さ 賦」の該當表現は、『
文
「哀傷部」に 聚』卷三十四の
收される魏・丁
の妻「寡
「時は翳翳として以て東に陰り、日は えいえいくも 賦」に見える
びびとして以て西に
お
つ。鷄は
く」を踏まえたものである。そこに詠われる夕 (9) を斂めて以て棲に登り、雀は分散して以て肆に赴 ねぐらやどり
言うと、 は正確に
き夫を偲ぶ寡
の思いの
る時刻であり、夫の ・・・・・・・・・・・・
「死」の象
ではないことが、それぞれの文
においてはっ ・・・・・・・
きり讀み取れる。また、「雀は群れ飛んで楹に赴き、鷄は棲に登りて
を斂む」に詠われる夕
塒に歸る雀や鷄は、家に ・・・・・・・・・
歸らぬ夫と對比され、寡
の孤獨感を一
あり、それが「鳥じもの 引き立てるもので 立ちいまして」に歌われる
飛 ・・
び立つ鳥とは
なるものと言わざるを得ない。 ・・・・
ここで、同じく『
文 聚』の「哀傷部」に
岳の、「京陵女公子王氏哀辭」という作品に 收される潘 猗歟公子、季女惟王。生自洪胄、禀茲義方。 目したい。
窈窕淑良。如彼春、吐葩含 倩粲麗、
!。葩以霜隕、
彼 !以歇盡。
"
天、胡
#斯
$。曾未
%笄、無疾而隕。宮
震 靡人不愍。嗟爾母氏、劬勞撫鞠。恩斯 &、
'斯、是長是育。
夕暮と無常(金)
159
帷屏媚子、奄離
復。哀無廢心、涕不輟目。于以
于掖閨庭。于以 之、
之、陵岡崔嵬。僕馬回眷、旗
夕陽失映、 旋飛。
鳥 歸。皎皎
、載盈載
一 。冥冥公子、
不
「于に以て之を ここ 。長夜無旦、孤魂曷依。
れば、陵岡崔嵬たり。僕馬回眷し、旗 さいかいかいけん
きちよう
旋飛す」の部分は女公子王氏の
を 子、一たび 寫し、「冥冥たる公 めいめい
きて の はず」は王氏の「死」を詠っている。そ の「夕陽映を失ひ、
鳥歸るを
る。皎皎たる けうけう
載ち盈ち載ち すなはみ 、
おとろふ」の四句は、「輝きを失う夕日」、「歸りを
氏の「死」の心象風景と考えられる。柿本人 れる鳥」と「滿ち缺ける」をそれぞれ詠い、いずれも王
「鳥じもの 呂歌に見える
「 立ちいまして入日なす隱りにしかば」は 飛び立つ鳥」と「隱れる夕日」を歌い、「夕陽映を失ひ、
鳥歸るを
る」と對照してみると、兩
して極めて とも對句表現と 似している。また、「渡る日の
と照るの雲隱るごと」に歌われる「 れぬるがご ことは、「皎皎たる けうけう ほぼ「夕陽映を失」うことに當り、「照るが雲に隱れる」 れる夕日」は、
、載ち盈ち載ち すなはみ
おとろふ」と、いずれもの光の變
を捉えていることに共
している。柿本人
の泣血哀慟歌に見える「渡る日の 呂
れぬるがごと照る の雲隱るごと」
び「鳥じもの
子皇市高 このみちのたけ 潘岳を意識したものと考えられよう。「京陵女公子王氏哀辭」 の心象風景の表現は、死」「の妻という、りにしかば」隱す 立ちいまして入日な
みことの
上の殯宮の時に、柿本 きのへあらきのみや
臣人 呂の作りし歌一首……使はしし御門 みかどの人も白たへの
衣 て埴安 はにやす
の御門の原にあかねさす日のことごと鹿 ししじものい這ひ伏しつつぬばたまの夕に至れば大殿を振り放 さけ見つつ鶉 うづらなすい這ひもとほり侍 さもらへど侍ひえねば春 はる鳥 とりのさまよひぬれば
きもいまだ
( ぬに思ひもいまだ盡きねば…… ぎ ・卷二・
199・柿本人
この長歌において、柿本人 呂)
夕 の夕に至れば大殿を振り放け見つつ」という表現で、 ごと鹿じものい這ひ伏しつつ」と對句を爲す「ぬばたま 呂は「あかねさす日のこと を從 たちが
き高市皇子への悲しみのる時
夕霧に千鳥の鳴きし佐保 さほ し歌一首 圓の悲傷して作り女王方の卒せし後に、女王努智 おほきみぬのまとかたのおほきみち なしている。 帶と見
!をば ぢ
"らしやしてむ見るよし 中國詩文論叢第二十六集 160
をなみ(
・卷二十・
という歌において、圓方女王は 4477・圓方女王)
き智努女王と
保路」の のある「佐 作 いる。初二句に歌われる「夕霧」に鳴く千鳥は、去りし日に れる樣子を推し量ることに、その悲しみを託して
が「佐保路」を
在された形で死 った時の腦裏の殘像であり、夕は潛 に關 なお、山上憶良「悲 付けられている。
俗 假合 離、易去
留詩」(卷五・
旦作席上之 897の序に、)
旦 あしたに席上の
あるじと作 なるも夕爲泉下之客夕 ゆふべに泉下の客 かくと爲るという 文の對句表現が見え、夕は人
して捉えられる。『出 の「死」の時刻と 阿 經』卷一「無常品」に見える釋迦と の 話がその背景として指摘されている (
世 。 )
天地の あめつち の無常を悲しみし歌一首 流らへ來たれぎ天の原振り放け見れば照る き初めよ世の中は常なきものと語り繼
も ・・・・
滿ち缺けしけりあしひきの山の木 こ末 ぬれも春されば
・・・・・・・
きにほひ秋づけば露霜負ひて風交じり つゆしもお
もみち散りけりうつせみもかくのみならし紅の色もうつ ろひぬばたまの
髮變はり
流るるにはたづみうつろふ見れば常もなくとく 見えぬがごとく止まらぬご行く水の吹く風のひ の笑みはら變夕 かゆふへ
( 留めかねつ
・卷十九・
4160・大 という長歌において、大 家持)
家持は無常の
相を列 して悲
している。「紅の色もうつろひぬばたまの
髮變はり は「 の笑み夕變はらひ」という對句表現において、「夕」
」が象する「
!春」の對極に位置して、紅顏や
の移ろう「老い」を意味している ( 髮
『 。 ")
集』では中國の哀傷詩文と佛典の影
それらが が「死」や「老い」の象として登場し始めている。但し、 #により、夕 に長歌の對句表現において斷片
り、夕そのものが和歌一首の焦點として $に現れるに止ま だ至っていないのである。 %目されるにはま
三、古今集
&に '安以
い」と「死」に關 『古今集』では、紀貫之の二首の歌が夕をそれぞれ「老 (の和歌を、八代集を對象に考察する。
付けている。
夕暮と無常(金)
161
歌奉れ、と仰せられし時に、よみて、奉れるゆく年の惜しくもあるかなます鏡見る影さへに
(古今・ 思へば れぬと ・ 明日しらぬわが身と思へど 紀友則が、身まかりにける時、よめる 342・紀貫之)
れぬ
(古今・哀傷・ かりけれ の今日は人こそ悲し
838・紀貫之)
歌は白居易の「對鏡
老」詩を背景に、
しみ、自らの「老い」をうち ぎ行く年を惜
いている。「
れぬ」(
しまう)という表現には「容貌の老衰」と「年の れて か、「日 り」のほ れ」のことも掛けられており、夕
形で「老い」に關付けられている ( が潛在された ら、一方、やがて自分も「死」の 面することにより、現在自分が生きていることを實感しなが 後歌は紀友則を哀悼するものである。貫之は友則の死に直 。 )
している。「 命を辿るであろうと自覺 れぬ
の今日」(まだ
れていない今日の
いう表現が、現在自分が存命していることを と) 夕 焦點となっている。その背後には、命があるのは「今日」の し、一首の までの期
であり、「今日」が
れれば、いきなり生死 の定まらぬ「明日」に
ている。ここで、「今日」の 入してしまう、という意味が含まれ
末時刻である夕
が、命の
切りの時
にもなっており、夕
のと の後には「死」が訪れるも
識される。夕
と「死」の關が『
集』では斷片
に現れたに
ぎないが、古今集
「 838番歌に至って初めて、
れぬまの」という否定
この歌について、 る。 表現によって鮮明に歌われてい した『出
阿 經』卷一に見える釋迦と の 話、
此日已 び、
、命
という、『法 衰減。如少水魚、斯有何樂 懺法』と『例時作法』の「
昏偈」がその背 ・・
景であると指摘されている (
。なお、『出 )
是日已 經』卷二にも、
、命則隨減。如少水魚、斯有何樂 ・・
という、『法
懺法』と『例時作法』の「
昏偈」に極めて 似する偈が見える。これらの佛典はいずれも「夕
「死」に關付けていることに共 」を しているが、釋迦と阿
の
話は夕
そのものを「死」の時刻とするのに對し、「
昏偈」は夕
を一日の
末時刻として、それが
ぎれば
日に「死」が訪れるものとして捉えるのである。古今集 の 838
番歌の背景を、專ら『出
經』卷二の偈や『法
懺法』と ・ 中國詩文論叢第二十六集
162
『例時作法』の「
昏偈」にしたほうが、より
八代集では、夕 思われる。 切であると
と「老い」を關
九 付けた歌は、
盡日、伊勢大輔がもとに
年つもる人こそいとど惜しまるれ今日ばかりなる秋の夕 ける
(後拾
・秋下・
375・大貳
堀河院御時、百首歌たてまつりける時、春の ) つねよりもけふの よめる れを
(千載・春下・ と知らねば るるを惜しむかないまいくたびの春
134・大江匡
) ノ かずならぬ身にはつもらぬ年ならばけふの 懷といへる心をよめる
(千載・ かざらまし れをもなげ ・ など、いずれも特定した晦日歌に限定され ( 472・惟宗廣言)
、中國文學ほど )
一方、夕 んに歌われていない。
と「死」を關
付けた歌は後
く見られる。『古今集』に確立された夕 するように數多
と「死」の關
が、 こよひさへあらばかくこそ思ほえめけふ つかはしける 夜ごとに、來むといひて夜がれし侍ける男のもとに 後の時代に廣く繼承されていると言えよう。
れぬ
(後拾 ちともがな のいの ・戀二・
のゆかりなる人のもとにつかはしける うせにける人の文の、ものの中なるを見出でて、そ 711・和泉式部)
れぬ
(新古今・哀傷・ はかなき の身をば思はで人の世のあはれを知るぞかつは
この二首は貫之の「 856・紫式部)
れぬ 取しており、 の」という表現をそのまま攝 ろ夕 歌は訪ねて來ない男に恨みを言いかけ、むし になる を に死んでしまいたいと歌い、後歌は人の「死」
く我が身も無常であると自省している (
深 『古今集』では貫之歌のほかに、 。 )
のみかどの御國忌 おほむこきの日、よめる ふかき霞の谷にかげかくし照る日の
(古今・哀傷・ あらぬ れし今日にやは
846・文屋康秀)
夕暮と無常(金)
163
という歌が、「
れる夕日」のイメージに深
の 御が象
されている (
。八代集では、「夕日」のイメージに無常を象 )
する作例は極めて少なく (
、この點は中國詩としく )
る。 な
四、古今集以
『古今集』以
、夕 と「死」の關
りける あひ知りて侍りける女の身まかりにけるを、戀ひ侍 ている。 が樣々な形で歌われ
(後撰・哀傷・ なしさ 夕されば寢にゆく鴛鴦のひとりして妻戀ひすなる聲のか に、夜ふけて鴛鴦の鳴き侍りければ をし
1400・ 原 ごと言ひ侍りけるに 妻の身まかりての年のしはすのつごもりの日、ふる め 嗣)
き人のともにし歸る年ならば
(後撰・哀傷・ らまし れゆく今日はうれしか
1424・ 原 夕まぐれ木 一條攝政みまかりにけるころよめる 輔)
き庭をながめつつ木の
とともにおつるな (詞 みだか
・雜下・
396・ 原義孝)
戀 ニフ
ニ故人 ヲ
一といへる心をなき人を思ひ出でたる夕
(千載・戀五・ る は恨みしことぞくやしかりけ
一首目は夕 954・覺性)
の鴛鴦の悲鳴に
き妻への悲しみが託され (
二首目は 、 )
の晦日に、妻の命が年
のように循
いことを 復できな 息している。三首目は夕
き父を偲んで
し、四首目は戀人を を流 憶し、かつて恨んだことを後
る。夕 してい
はいずれも、故人への思いの
る典型 世の中騷がしく侍りける夕 ている。 な時刻となっ に、中 つねよりもはかなきころの夕 につかはしける 言定がもと
(後拾 ける はなくなる人ぞ數へられ
!・雜三・
1010・ けふまでは人を歎きて 世中の常なきころ 原宗)
すらん れにけりいつ身の上にならんと 中國詩文論叢第二十六集
164
(新古今・雜下・
この二首では、夕 1787・大江嘉言)
が無常感の
訪れるものと予感される。 が意識され、特に後歌において、「死」がいつか我が身にも る時刻として故人のこと 臣重 ぢゆう
になりて籠り居たりけるに、出 ぶく
がもとより、訪ひたりけるを
悲しさのその夕 よめる しせよ、と申ければ
(金 やは のままならばありへて人に問はれまし
・雜下・
という歌に見える「夕 624・橘元任)
」は、
の
くなった日の夕
刻を指し、人の「死」を朧 時 百首歌の中に、法文の歌に、普賢の願の唯此願王不 ゆいしがんわうふ した表現である。
相 さう
ふるさとをひとり別るる夕べにもおくるは 離といへる心を しやり
(千載・釋 そ聞け のかげとこ ・ 1222・式子 親王)
いたづらに 懷の心をよめる
ぎにしことや歎かれん受けがたき身の夕
の空 (新古今・雜下・
1755・ 圓)
歌は『
嚴經』「菩賢行願品」に見える「臨命
後刹 時、最
の末句「夕 」を「ふるさとをひとり別るる夕べ」と表現し、後歌
の空」に共
し、いずれも自らの生命の
刻を夕 焉時
として捉えており、
した『出
る釋迦と阿 經』卷一に見え の 行く末をたれしのべとて夕風にちぎりかおかん宿のたち 題しらず 話がその背景として考えられよう。
(新古今・
・ 239・源 この歌は夕 ) に自らの「死」を予感し、「題しらず/五
待つ
橘の香をかげば昔の人の袖の香ぞする」(古今・
・ る人がいるかと、宿の橘を吹く夕 という古歌を踏まえ、死後に誰か偲んでくれよみ人しらず) 139・ 新古今集時代に至って、「秋の夕 ある。 の風に問いかけるもので
「三夕の歌」に代表されるように、夕 」を結句に持つ高名な
の美學が當時の
において普 !會
"
#に
$目されるようになった。そうした風
中で、夕 %の
と無常の關
&表現もいっそう深
像に されたことが想 くない。以下、生命意識の
'り (まれた八代集の夕
夕暮と無常(金)
165
の歌において、いかなる素材がよく登場するか、また、それらの歌がどういう特
入相の鐘「入相の鐘」が を持つかについて考察したい。
山寺の入相の鐘の聲ごとに今日も 題しらず る最初の登場は、 集にはなく、八代集におけ
れぬと聞くぞ悲しき ・・・
(拾
・哀傷・
という歌であり、哀傷卷に配置されることが 1329・よみ人しらず)
「入相の鐘」は夕 目される。
の訪れを
夕 入相の鐘のこゑを聞きてよめる に繋がり、濃厚な悲哀感が在されている。 げるものとして、生命の衰滅
はものぞかなしき鐘の
をあすもきくべき身とし知 ・・・・・・・・・・・
らねば ・・・
(詞
・雜下・
題しらず 357・和泉式部)
れぬめりいくかをかくて
ぎぬらん入相の鐘のつくづ ・・・・・・・・・・・・
くとして(新古今・雜下・
待たれつる入相の鐘の 題しらず 1807・和泉式部)
すなりあすもやあらば聞かんと ・・・・・・・・・・・
すらん ・・・
(新古今・雜下・
など、「入相の鐘」の 1808・西行)
大宰大貳重家入 られており、 に明日の存命への不安や希求が寄せ
みまかりて後、山寺懷
初 心をよめる といへる
山入相の鐘を聞くたびにむかしの
(千載・雜中・ き くなるぞかなし 1154・
という歌においては、「入相の鐘」に 原有家)
き人(父親)への
憶が喚
される (
が指摘されているが ( 「入相の鐘」に生存への不安や無常感が纏わっていること 。 )
、その背景は )
安以
夕 に確立された、
と「死」の緊密な關
此日已 に求められよう。
命
けふ 衰滅
(新古今・釋 なしき ぎぬいのちもしかとおどろかす入相の鐘の聲ぞか
・
という釋 1955・寂然)
歌が典型
に示すように、夕
と「死」を關
ける「 付
昏偈」は、正に寺院で夕
の時を知らせる「入相の 中國詩文論叢第二十六集
166
鐘」の聲によって
識されるものである (
露「露」は佛 。 )
とあるように、典型 思想において、「如露亦如電」(『金剛經』) な無常の表象である。『
集』では、
露のやすき我が身老いぬともまたをち
( たむ り君をし待
・卷十一・
2689・作 合は、「 のように、露が命のはかなさを喩えるものとして歌われる場 未詳)
露」のほうが中心であり、夕
の「露」が、
この夕秋風吹きぬ白露に爭ふ を詠みき
の明日
( かむ見む
・卷十・
2102・作 秋 露に寄せき 未詳)
の
( とも き散る野邊の夕露に濡れつつ來ませ夜はふけぬ
・卷十・
2252・作 など、專ら秋の風 未詳)
として賞美され、無常感は特に
り 崇 れていない。八代集ではそれが一變している。 ま
の夕露 はかなさを我が身のうへによそふればたもとにかかる秋 院に百首歌たてまつりける時よめる (千載・秋上・
よもぎふにいつかおくべき露の身はけふの夕 無常の心を 264・待賢門院堀川)
(新古今・哀傷・ けぼの あすのあ 834・ あれわたる秋の庭こそあはれなれましてえなん露の夕 千五百番歌合に 圓)
(新古今・雜上・
1561・ 原俊
秋の )
百年の秋の嵐は に、身の老いぬることを歎きてよみ侍ける
ぐしきぬいづれの
(新古今・雜上・ れの露とえなん
一首目では「夕露」が袂にかかる 1570・安法)
い我が身の喩えになっており、二首目は下句「けふの夕 を暗示しつつ、はかな
すのあけぼの」に、生命 あ 焉の差し
うに、「露の夕 目は陽氣な「あ」の頭韻に統一される上句に對峙するかのよ りを歌っている。三首 」という陰翳のある末句を据え (
、四首目は )
ごして來た一生を振り
り (
、來たるべき身の )
る「 焉をえ
百首歌に れの露」に喩えている。
夕暮と無常(金)
167
るるまも待つべき世かはあだし野の末
(新古今・雜下・ 也 の露に嵐たつ 1847・式子 という歌は、我が身を日が 親王)
れる露に喩え、やはり夕 れないうちにも嵐に吹きこぼさ
の「露」に生命の
一品 想が背景となっている。 焉を喩える發 子 袖にさへ秋の夕べはしられけりきえし淺 てよみ侍ける 親王にあひて、昔のことども申し出だし
(新古今・哀傷・ つ が露をかけつ
(新古今・哀傷・ 露 別れけんなごりの袖もかわかぬにおきやそふらん秋の夕 秋のころ、をさなき子におくれたる人に 778・徽子女王)
この二首の場合は、夕 780・大貳三位)
の「露」が死
を暗示しており、特に を悼む悲しみの 歌において、村上天皇の
八代集では夕 られている。 去も喩え の「露」が命の儚さの象
背景は、やはり夕 として登場した と「死」の關
の確立にあると思われる。 荼毘の
火 の荼毘の
が「雲」になる
土形娘子の泊 ひぢかたのをとめはつ 念は、
の山に火 せ
せられし時に、柿本
臣人
こもりくの泊 呂の作りし歌一首
( らむ の山の山のまにいさよふ雲は妹にかもあ
・卷三・
428・柿本人
のように、すでに『 呂)
集』から歌われている。
安以
「荼毘の 、
」を意味する「
」や「雲」が夕
の時 思ひ出でよ夕べの雲もたなびかばこれや 題しらず 付くようになる。 に結び
きに
(千載・戀五・ ぶりと えぬけ 922・ わづらふ事ありて雲林院なる 原忠良)
この世をば雲の林に門出して 人のとぶらへりければつかはしける へまかれりけるに、
(千載・雜中・ とならむ夕べをぞ待つ
かくしつつ夕べの雲となりもせば哀れかけてもたれかし ば 例ならで太秦に籠りて侍けるに、心細くおぼえけれ うづまさ 1124・良暹) 中國詩文論叢第二十六集
168
のばん(新古今・雜下・
1746・ 防 などの歌において、作 侍)
が自らの「死」を覺悟して、荼毘の 見し人の ろどころ書きたる繪を見侍りて 世のはかなきことを歎くころ、陸奧國に名あるとこ になることを想定している。
(新古今・哀傷・ になりし夕べより名ぞむつましき鹽釜の浦
という歌は、「 820・紫式部)
」を
對する親 想させる「鹽釜の浦」という地名に 感に、親しくしていた人(夫)への
ており、「 憶が託され 十 ある。 になりし夕べ」はその人の死を朧した表現で 許、水無 ばかり
に侍しころ、
大 正 つかはして、 へ、ぬれて時雨のなど申 圓のもと の年の
無 思ひいづるをりたく柴の夕 みてつかはし侍し中に に、無常の歌あまた詠
むせぶもうれし
(新古今・哀傷・ がたみに 801・後鳥 院)
思ひいづるをりたく柴ときくからにたぐひしられぬ夕 し
かな(新古今・哀傷・
802・
という 圓)
答において、後鳥
院は柴をたく「夕
」から、
き更衣尾張の荼毘の
を 想し、「むせぶもうれし」と、「夕
」に對する親
(新古今・哀傷・ ど なき人のかたみの雲やしほるらん夕べの雨に色はみえね 雨中無常といふことを ノ 感を歌っている。
803・後鳥 夕 守覺法親王、五十首歌よませ侍ける時 院)
はいづれの雲のなごりとてはなたち
(新古今・ ん に風のふくら ・ 247・ この二首は「見し人の 原定家)
ましきかな」という『源氏物語』の歌を踏まえ、(夕顏) を雲とながむれば夕べの空もむつ
歌は
暗い夕
ろうと思いやり、後歌は の雨に、尾張の荼毘の「雲」が沈んでいるだ
橘をそよがせる夕
染んだ誰かの荼毘の の風が、昔馴 馳せる ( の「雲」を吹いてきたものかと思いを 以上、「入相の鐘」「露」や「荼毘の 。 )
」の歌について考察
夕暮と無常(金)
169
してきた。これらの素材はいずれも佛
代集では生命無常の象 なものであり、八 として登場し、『
夕 集』に比べて の時 集』に確立された、佛 との結び付きが非常に緊密になっている。『古今
思想に由來する夕
が、後の時代に一 と「死」の關 目され、その表現が多樣
言えよう。 されたのだ
まとめ
中國文學では夕
が
に「老い」の象
騷」を濫觴とする「日 となり、屈原「離 夕 老」の系譜を爲している。また、
は「夕日」のイメージに
象
『 されることが多い。
集』では、中國の哀傷詩文と佛典の影
により、夕 が「死」や「老い」の象
人 として登場し始めている。柿本 呂の泣血哀慟歌に見える「渡る日の
照る れぬるがごと の雲隱るごと」(
・卷二・
207「鳥じもの)
ちいまして入日なす隱りにしかば」( 立 ・卷二・
を失ひ、 いう表現は、潘岳「京陵女公子王氏哀辭」に見える「夕陽映 210)と 鳥歸るを
る。皎皎たる
、載ち盈ち載ち
を踏まえていよう。但し、夕 ふ」
の表現は
體 には、
歌の對句表現に斷片 に長
に現れるに止まり、和歌一首の焦點と して
目される
『古今集』になると、『法 況にはまだ至っていない。
懺法』と『例時作法』の「
偈」を始めとする佛典の影 昏 を受け、紀貫之の「
れぬ
( の」
838番歌)という表現によって、夕
されている。八代集ではそれ以 と「死」の關が確立 毘の 、「入相の鐘」「露」や「荼
」といった佛
な素材と結びついて、夕
の關は一 と「死」
目され、その表現が多樣
中國古典詩では夕 する。
が 業や に「老い」に喩えられ、名聲・功 會
貢獻への執
が詠われていて、取
・現世 あるのに對し、和歌では夕 で 儚さが歌われていて、悲 が「死」に關し、命の不安や ・
!無 見られる夕 である。日中の詩歌に と無常の關表現の有樣の
る佛 "いは、和歌におけ 思想の影
によるところが大きい。日本文學に
る悲哀感・無常感がより濃厚である、という特 #在す う ( が窺われよ
。 $)
〔
(1)君が見る私はまた 〕
日は西に沈み空にただよう %ぎゆく一日のたそがれ時か
やがて夜の闇のなかに呑みこまれる &ら明かりも 中國詩文論叢第二十六集
170
夜の分身「死」の憩 いこいに封じこめられる生命 いのち
シェイクスピア『ソネット集』
73番(中西信太
など。また、「 譯)
という高名なスフィンクスの謎が、正に は四脚、晝は二脚、夕は三脚のものは何か」
を人 の 晝を壯年に、夕 生に、
を
(2)本稿で引用する中國詩文の本文と訓讀は『新釋 年にそれぞれ喩える發想である。
(明治書院)により、それ以外、『 文大系』
詩』と『
文 本文は中 聚』の 書局版により、必
假名 和歌の本文は『新日本古典文學大系』(岩波書店)により、 に應じて私に訓讀を付けた。
いは 史 假名
いに統一し、
宜に假名と
記を置き換えたところがある。作 字の表
『和 名は實名表記にした。
詠集』は『新
日本古典集
』(新 典の本文は『大正新脩大 )により、佛 經』(大正新脩大
よる。なお、傍點はいずれも筆 經刊行會)に
(3)「言己 の付けたものである。
欲少留於君之省閣以須政
、日又忽去、時將欲
、 ・・・・・・・・・・
年
且盡、言己衰老也」(王
)。 ・・
(4)森
報』第 行「魏・晉詩における『夕日』について」(『中國文學 25冊、
1975)は魏・晉までの中國詩において、「
のような夕日そのものを示す熟語がまだ定せず、 日」
日」の語を含む表現によって夕日のことが示され、楚辭の !に「白
"
い影
#により、時
の推移や老いの象
を指摘している( $として詠われること
(5)梁・江淹「雜體詩三十首劉太尉 25ページ)。
%」に見える「千里何蕭 條、白日隱
&樹。投袂
'(懣、撫枕懷百慮。功名惜未立、玄 ・・・・・
髮已改素」は晉・劉
%「重 )盧
(6)王立「 *」を踏まえた表現である。
靄沈沈詩境闊中國古典文學中
(『學 +昏意象」
,與探索』第
76期、 1991)、趙松元「中國古代詩歌中
+
昏意象」(『求索』
1993年第5期、
1993)、傅
-彬「 學 +昏與中國文 日 .思」(『 鐘聲中國文
/原形批
出版 0』、東方 、
(7)林竹 1996)など參照。 1『 23集外來文學考』(丙午出版
、 1932、 ジ以下)、中西 132ペー 4『 23集の比較文學
5究』(
6談 、 1995、 169ページ以下)、橋本
7雄「 23悼
8歌の 9相人
創 :呂の
;」(『 23宮
<歌人の
5究』、笠
書院、
1975)、上野 「人 :呂挽歌の發想枕と床と」(『日本文學論究』第
45冊、
8()辰巳正明『 など參照。 1986) 23集と中國文學』(笠
書院、
1987、 なお、この見解は佐竹昭廣・山田 279ページ)。
=雄・工
>力男・大谷
山崎 ?夫・
@之『新日本古典文學大系
23集』(岩波書店、
(『和に」端を發景背る中國文學の (9)集番歌におけ五一八譜今古系』の拂ふうち床『稿「拙 も引用されている。 1999)に 比較文學』第
31號、
( 參照。 2003) 10)阿 Aがある
、乞 Bのために舍衞
のような子 Cに入ろうとした時、天 ところが、阿 Dをした男が倡伎の樂をなしてうち興じていた。
Aが乞 Bを Eえて歸る時、この男はすでに
命
夕暮と無常(金)
171
していた。阿
ことが別に珍しくもないとし、「晨 は釋迦にこの事を話すと、釋迦はこのような
睹見、夜則不現。昨
瞻
、今夕則無。我今少壯、無
恃怙。少
という偈を 亦死、男女無數。」 いた。(
賀紀雄「理と
憶良の相剋」、『
集
究』二、塙書
、 1973、 290ページ參照)なお、『和
詠集』の「無常」部に見える「
も、 に紅顏あて世路に誇れど こうがんせいろほこ
に白骨となて郊原に朽ちぬ」( かうぐゑん
793)という
( 願文も、同じ系譜のものである。 原義孝の 11)佐竹昭廣「無常『
集』再讀」(岩波
學と佛 座『日本文 』第四卷無常、岩波書店、
1993)は『佛
罪業應報 水流不常滿、火 地獄經』の偈、
不久燃。日出須臾
、 滿已復缺。 ・・・・・
榮富貴
、無常復
是。念當
、頂禮無上
に見える「 。 滿已復缺」が、大
家持の
る 4160番歌に見える「照 ている(7ページ)。その直 も滿ち缺けしけり」という表現の背景であると指摘し
の「日出須臾
が、「夕日」のイメージに無常を象 」という表現 する佛典の用例として
( 目されよう。
12)拙稿「
!老歌における夕
本 く年のをしくもある哉』の歌について」(『東京外國語大學日 のイメージ紀貫之『ゆ 究 育年報』第7號、
( 2003)を參照。
13)中野方子「
れぬ 佛典受容」(お "の今日『古今集』哀傷部における
#の水女子大學國語國文學學會
$『國文』第
91號、
( 1999)。
14) (
( 12)拙稿參照。
15) (
( 13)中野論文參照。
16)「照る日のくれし」という表現に對し、
(『 %沖『古今余材抄』
%沖
&集』第八卷、岩波書店、
くらすなり。おのずからゆふ日になりてくるゝにはあらず。 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 1973)が「てる日の俄にかき
まだ御世の
と思ふほとに、俄にかくれさせ給へる心也。
に
'壁太子のかくれさせ給へる時、舍人ともの歌の中に、
くもり日の入ゆけばとよめるがごとし」と
「夕日になる」のではなく、單に「日が暗くなる」意味とし ・・・・・・ (べ、それを
て捉えているが、この解釋は「
ある「日が沈んで暗くなる」「夕方になる」ことに背離する。 ・・・・・ る」という動詞の基本意で
なお、
'壁皇子を悼む「皇子
し歌廿三首(その中の一首)/ の宮の舍人等の慟傷して作り ぐもり日の入り行けばみ立 ・・・・・・・・・
たしの島の下り居て
!きつるかも」(
・卷二・
188・ 皇子の舍人)という歌は、「 '壁 を歌っているが、そこには「 日のにわかに暗くなること」
があり、言動詞も「 曇り」という時刻を明示する り、古今集 る」ではなく、「入る」となってお 846番歌の
)況とは
( *なる。
に位 17)「後朱雀院御時、年ごろ夜居つかまつりけるに、後冷泉院
いふに てまつり夜と幾かりかくれし夕べよりひのうへに雲/ける侍 +かせたま門院りてのち、上東ゐにま居夜又て、ひにた を見るらん」(後拾
,・雜三・
977・明快)という歌 中國詩文論叢第二十六集
172
では、「夕日」のことが表面
には現れていないものの、新
の後冷泉院を
に喩えるのに對し、先
の後朱雀院の
( を夕日の雲隱れに暗に喩えている。 御 18)工
重 『後撰和歌集』(和泉書院、
1992)は後撰集
を「いつもは夕方になると寢に行く鴛鴦が、今はひとりで妻 ・・・・・・・・・・・・ 1400番歌
を戀うているらしい鳴き聲の悲しいこと」と
れば」を二句まで係るものとして捉えているが、やはり「夕 ・ 釋し、「夕さ 方になったので寢に行く鴛鴦が一人で妻を戀いって鳴いて ・・・・・・・
いる聲の、何とも悲しいことであるよ」(片桐洋一『新日本古典文學大系後撰和歌集』、岩波書店、
1990)のように、夕
を一首
體の時
( 背景として捉えたほうが相應しい。
19)千載集
1154番歌の下句「昔の
る、故人との くなるぞかなしき」に歌われ
離がますます
くなるという
きは、「中
言
輔妻 ひけるついでに/戀ふる くなりて侍りける年の師走に、貫之まかりて物言
に年の
れなば
き人の別れやい ・・・・・・・・
とど
くなりなん」(後撰・哀傷・
1425/拾 ・哀傷・
1309・紀 ・・・・・・・・
貫之)という歌に共
しており、『文
其十四」に見える「去 』の「古詩十九首 日以疎、來
日以親」を初めとして、 ・・・・・
「惟
之日
、愴傷心而
腸」(魏・曹植「慰子賦」)、「歸 ・・・・・・
無塗兮
不反、年彌去兮
彌 」(晉・陸機「大
賦」)といっ ・・・・・・・
た中國詩文の表現を踏まえたものと考えられる。(
20)
井幸子「中世
抒 考『鐘』の
ぐって」(『就實論叢』第2號、 わされた意念をめ
1973)は中世における鐘の歌に ついて、「鐘と最も血
る危機意識である」と ろいやすさということである。換言すれば、生存や愛に對す が深いのは、生命の無常や愛戀の移 べ(
(『岡大國文論稿』第 における『鐘』の意象(その一)曉の鐘と入相の鐘」 19ページ)、劉小俊「古典和歌 30號、
2002)は を「感傷」と「生死に對する 倉期までの入相の鐘の歌
( 無常感を底流にすると指摘している。 い不安」という二群に分け、
21)『八代集抄』以來、新古今集の釋書はほとんど
題の出典を『出 1955番歌の 傳本では小宮本と東京大學附屬圖書 !經』としているが、この題は、新古今集の
"
#本に「此日已
$命 ・
%衰減」となっている以外、いずれも「此日已
$命
%衰滅」 ・・・・・
となっており、『出
!經』卷二に見える「是日已
$、命則隨 ・・・
減」より、表現が最も
&いのは『法
'懺法』と『例時作法』 ・
の
(昏偈に見える「此日已
$、命
%衰減」である。 ・・・・
(
22)新古今集
はかなく世を去った後の夕 1561番歌の下句に對し、「まして自分が露のように
はどんなであろうか」(久松潛 ・・・・・・・
一・山崎
)夫・後
重 岩波書店、 *『日本古典文學大系新古今和歌集』、 1958)、「まして、私が露の
+える樣に死んでしまう ・・・・・・
夕
は、まあどんなであろうぞ」(石田吉貞『新古今和歌集 註解』、有
,堂、 1960)などの
釋は、それを作
る死後の夕 の想像す の風景として捉えているが、やはり「さらに今 ・
しも
+えるかと見える露のおく夕
は」(田中裕・赤
-信吾 ・・・・・・・・・・
『新日本古典文學大系新古今和歌集』、岩波書店、
1992)のよ
夕暮と無常(金)
173
うに、作
が「今」眺めている夕
( が相應しいと思われる。 の風景として考えたほう
23)「百年」という ももとせ
語から來た言
に對し、新古今集の先行
釋はほとんどそれを單に「多年」という意味の
「百年」えるべきである。の解釋について、詳しくは小島 のは不十分であり、人の「一生」を意味するものとして捉 とした
之『古今集以
』(塙書
、 1976、 76ページ)、木
之歌の 智子「紀貫
詩
表現と場」(『百舌鳥國文』第8號、
( ジ)參照。 1988、2ペー
24)
出した源氏物語の歌や新古今集
803番歌が示すように、夕
の「雲」は、
々にして戀人や配偶
の荼毘の
のであり、新古今集 を指すも
247番歌の場合は、
き人を「誰をという ・・・・・
ことなく昔の人」(久松潛一・山崎
夫・後
重 『日本古 ・・・・
典文學大系新古今和歌集』、岩波書店、
人は、だれと限られた人ではなく、單に昔の人というだけの ・・・・・・・・・・・・ 1958)や、「その昔の
人だったのである」(窪田空穗『完本新古今和歌集
京堂、 釋』、東
でない親しかった死 1964)のように捉えるより、むしろ、「だれとも明らか
」(峯村文人『日本古典文學
集新古 ・・・・・
今和歌集』、小學
、
1974)、「昔なじみのあの人」(久保田淳 ・・・・・・・・
『新古今和歌集
釋』、
談 、
( 定できない戀人として考えたほうが相應しい。 1976)などのように、誰か限
25)日本文學における佛
思想の影
が
國文學のほうが く、それに比べて中
取
であることについて、川合康三「蝉の 詩に見る詩の轉變」(『中國文學報』第
57冊、
における「蝉」の作品を 1998)が日中文學
って共
「( する見解を指摘している。
略)我々にはすぐ
定していないのだ。これには彼我の文學の基本 想される『空蝉』などは、中國では うつせみ
な性質の
!いが關わっている。『うつせみ』も、『
"
單に『この世』『この世の人』を意味していたのが、 集』においては
#安
$
以
%、佛
思想が廣まるとともに『空蝉』『
『はかない』という意味を &蝉』の表記が
'うことになったというが、
この ・・
世をはかないものとする
(念は佛
に由來するとしても、日 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
本ではそれが文學の中心
なテーマとして
)*し、享受され ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
たからであろう。蝉の壽命の短さや
+,の生態が中國で多く ・
言
-されないのは、この世のはかなさを唱うことが中國の文 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・
學の基本
な性質でないことと關わっている。『推移の悲哀』 ・・・・・・・・・・・
を唱う抒
學の中心をなすものではない。人の生をはかないものと .は中國にもあるにしても、しかしそれは中國の文
/識 ・・・・・・・・・・・・・
しながらも、それに抗して生きようとする意志を唱うところ ・・・・・
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
にこそ、中國の文學の獨自性がある。はかない生き物として ・・・
・・・・・・・・・・・・・・
蝉を捉えるよりも、露しか飮まない高
の 0さが文學のなかの蝉
12な特性となっているのは、中國の文學が士大夫の
34
・・・・・・・・・・・・
の表明であるからである」(
29ページ)。 ・・・・・・ 中國詩文論叢第二十六集
174