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高校生の政治活動と規制の論理

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高校生の政治活動と規制の論理  35

高校生の政治活動と規制の論理

高 柳 直 正

は じ め に

 1970年の安保改定をひかえて,次第に激化する学生運動の波は,高校生にもお よんで来つつある。35年の安保闘争にあたって,急激な高まりをみせ,その後自 然消滅したかにみえた高校生の政治活動組織は,42年秋頃から再び,全国的な広 がりと増加をみせている。

 42年11月の第2次羽田事件では,約50人の高校生が参加し,うち6人が公務執 行妨害で逮捕されたのをきっかけに,43年3月には,ベトナム戦争反対,国防教 育粉砕をスローガンとする高校生独自の反戦集会に約350人が参加し,また王子 野戦病院反対の集会にも,高校生グループの進出が目立った。そして10月21日の 反戦デーでは,反日共系だけで全国で900人がこれに参加,高校で何らかの政治        (1)

的組織のあるのは約千校,4校に1校の割で影響があると言われる。

 これらの組織は,いわゆる日共系(民青系)と反日共系のものに大別され,前 者が地区委員会などの計画的指導のもとに,学園民主化運動やクラブ活動など,

比較的身近な問題を通じて組織づくりをし,また歌や踊りを含む地域集会のあと 政治的問題への関心を引きつけるというやり方をとるのに対して,後者は,全学 連の活動家達が直接によびかけ,はでなデモなどで,高校生を引きつけようとす

(2)

る。

 このようにして高校生の政治的組織化が進められて来た結果,現在では反日共 系だけでも352校,2,720人,日共系も加えると2,223校,11,720人が組織に加 わっているといわれる。ことに反日共系では,43年4月未には,1,500人といわ れたのが,半年間に倍増し,更に拡大の傾向にある。

 このような状況を前に,現場の教師たちは,対策がつかめぬまま,困惑の色を

(2)

     (3)

こくしている。

  43年9月の全国高等学校長会は,「未成年である高校生の政治活動は好ましくない」と  いう35年の声明を再確認したにとどまり,また翌11月の東京都高等学校生活指導主任研修  会でのレポートには「高校では一般に政治叉は政治教育についての,教師間での論議や話  題がさけられる傾向である。高校生に対する外部の働きかけが次第に現われているが,そ  の影響に内面的には対抗できるような政治教育叉は対策ができていないし,極めて困難で  ある」という報告をのせている。

 「生徒会」という語を教育辞典などで調べると「生徒の自主的な活動を尊重 し,自治的精神を養成するための全校生徒集団の組織」(小学館教育辞典),「学 校の生徒全員が,学校の教育計画の中で,学校生活上の要求を満たすために,自 主的,民主的,組織的に行なう教科外の活動を包括的にいう」(明治図書・現代 教育辞典)とあるが,生徒会活動と生徒の政治的活動との関係については,議論 がわかれている。

 以下この小論では,主として新制高等学校発足後の高校生の政治的活動の歩み を概観し,教育基本法や学習指導要領などとの関連において,その問題点のいく つかを指摘したい。

(1)昭和43年11月1日付毎日新聞

  本論では主に東京都内に見られる高校生の活動をあげたが,大阪の状況は10月17日付

  朝日新聞参照。

(2)昭和43年4月18日読売新聞。

(3}昭和43年9月20日朝日新聞。

(1)

 終戦とともに始じまった学生運動の中で,中等教育段階のものとして目立った のは,静岡,水戸,佐賀,山形などの高校で相次いでおこった軍国主義的校長の

       (1)

排斥運動であった。これはいわゆるエリptト校に限られたものではなく,東京で も私立上野高女が,この問題で同盟休校に入った。戦時中の学校当局の圧迫に対 する反動として,学校内の民主化,自治への要求が爆発したのであった。

 新学制は中学校が22年4月,高等学校が23年4月から実施されたのであるが,

(3)

       高校生の政治活動と規制の論理  37 校舎難,教室不足,教員不足,経費不足で,新教育の期待とは余りにかけ離れ,

児童生徒の学力底下の恐れも大きかった。東京では,22年4月24日東京都教職員 組合 協議会(都教協)は都教労,都父兄会,都労連など20数団体と教育予算の増 額,施設の整備,2部授業解消,強制寄付反対などを要求して,「6・3制完全 実施促進都民大会」を開催し,更に11月14日,日教組は,「6・3制完全実施促 進国民大会」を開催したが,両大会ともに,教師,一般市民,父兄にまじって,

      (2)

生徒の参加が注目された。このような教育要求は,新制高校生の間に次第に広ま りを見せ,23年5月,東京軍政部が,新制高校の区移管を示唆し,それに反対す る組合始じまって以来といわれた大衆動員がなされる中で,都新制高校生徒自治 連合会は,単独の署名運動,演説会,陳情などを展開し,授業は停止の状態にな

った。学校の地域的偏在と特別区の財政事情を理由に占領軍将校の思いつき的計       (3)

画に反対して展開しkこの運動は,新制高校生の最初の社会的発言であった。

 この期の高校生の政治的行動は,このように学校集団としてのそれのほかに,

家族ぐるみの形で生徒が行動に参加した例が多いのは,今日の高校生の政治活動 の問題を考える上に興味深い。例えば24年のレヅドパージにあたって,「よい先 生の首切反対運動」に母と子が連れ立って参加しているのは,思想の自由や平和 に対する危機感もあったにせよ,同時に,よい教育への要求も秘められていたと 考えられる。また25年の相次ぐ炭鉱ストでは,家族ぐるみ,子供ぐるみの形で,

生活を守るたたかいと,子供を守るたたかいとが結合してなされた。

 一方23年の全学連結成とともに,高校生の政治活動も,その影響を受けていっ た。結成直後の学生運動は,23年度新学期からの,授業科値上げを契機として,

表面化した。全国的に波及していった授業料不払決議を行なった高校は,57校に も達した。この動きは更に教育復興運動へと発展し,全国国立大学学生自治会連 盟,全国学生自治会連合関東支部共催で,6月1日日比谷公園で開催された大会

には,新制高校からも70校,5,000人が参加した。学生戦線の即時結成,交教政 策の徹底的改善,公私学への国庫補助,授業料値上げ反対,大学理事会案反対,

       (4)

学内政治活動の自由,などがその要求であった。

 高校生のこのような動きは,レヅドパー一ヂ反対運動をへて,26年全学連の援助

(4)

のもとに,反戦の高校生組織として,「全国高校生協議会」の結成をみた。しか しこの頃は,広範な高校生に,ほとんど影響力をもつに至っていない。

 しかしサンフランシスコ体制が確立し,27年の破防法,翌28年の内灘,妙義,

浅間と相次ぐ基地問題,29年のビキニ水爆実験による死の灰の恐怖問題,30年の 砂川基地強制測量など,平和と民主主義に逆行する事件は,高校生の現実に対す る眼を,次第に鋭くさせた。学校新聞には,平和の問題に関する特集が続々とあ らわれ,街頭で署名運動やビラまきを行なう動きも見られた。

 28年の池田,ロバートソン会談の結果,権力の教育要求が,一段と軍国主義化 してくるにつれて,高校生の反体制運動としての政治活動も,次第に組織化され

てくる。

 28年,京都では,憲法擁護高校生弁論大会が開催され,これは後に「高校生活       (5)

をめぐる討論集会」へと発展した。

  生徒会連合について,「日本の教育」第8集は次のようにのべている。

  「生徒会のもついみが一般には,教師も含めて,ほとんど知られていないのではなかろ

 うか。

  生徒自治会とは,生徒の自主性をそだてる場として,生徒の基本的欲求をくみだし,実  現するための組織体である。

  生徒自治会連合体を組織することは,A各生徒会の経験の交流をはかり,その活動を高  めることが出来る,B共通の問題(例えば公立図書館の照明,使用規定など)には共同し  て解決をはかり得る。この二点からわれわれが前述のいみでの生徒会を目標とするかぎ

 り,当然支持すべきものである」。

  とあって,政治的活動の是非についてはあえてふれていない。

 高校生の社会活動への集団的取組みが,急速にひろまったのは,33年から34年 へかけての,勤評闘争においてであった。

 34年にはじまった勤評不提出の校長の処分に対する。高知県高校生徒会連合の        (6)

処分撤回闘争はその最大のものであった。

 県下25校中17校の生徒会が,校長処分に対する反撃として,学校自主管理の運 動を展開して,職員室と事務室および施設設備の管理を除く,いっさいの日常の 授業,学校行事をすべて生徒会の大衆討議にもとついて管理運営するというもの で,日本教育史上類例をみない大運動であった。この運動の底を一貫して流れる

(5)

       高校生の政治活動と規制の論理  39 ものは,「教育の主人公はわれわれ生徒だ。教師の仕事は自から成長しようとす る生徒を正しく援助することだ」という思想であったといわれている。

 このような行動と思想の背景には,高知県が守って来た高校3原則一小学区 制,総合制,男女共学制一と全員入学制がある。

 教育の機会均等の実現をめぎす全員入学制のもとで育った生徒たちは,連帯感 を身につけ,連合組織をつくる力量をそなえ,それは29年に早くも結成をみた。

この連合体がまず取り上げたことは,講堂建設促進,授業料値上げ反対,育英資 金の増額など,教育の条件整備についてのものが多かったが,同時に特別教育活 動縮少反対,偏向教育の問題と学問及び教育自由の擁護など,教育の機会均等の 思想が,量的なものから質的なものへと発展しているのが注目される。そしてこ のような動きの高揚しつつあった31年8月,任命制県教委の,無試験全員入学制 をやめ,選抜入試にきりかえようとする動きに対して,県下18,000人の高校生の 一致した決議により,反対運動を展開した。

 このような経過をへて行なわれた処分撤回闘争の中で,学園民主化要求がおこ

ってくる。

 それは教育方法,内容,施設設備,学校運営など広範にわたっており,生徒自 身による,教育を受ける権利,学習する権利についての明確な自覚のあらわれで

あった。それはまた従来の生徒を管理の対象とのみ考える生徒観の告発であり,

民主的教育の必須の条件である自治への要求のさけびであった。

 生徒のこうした動きに対して,教師集団の果した役割にはいくつかの間題が残

る。

 勤務評定は,日本独占資本の利益を集中的に代表する岸内閣が,安保条約を改 定して,アメリカへの追随を強め,アメリカのアジア政策に協力し,自からも東 南アジアへ向けて,対外拡張政策を追求しようとする中で,教育面において,学 校という職場に官僚統制の体制を布き,内容面から教育の自主性をうばい,公然 たる中央統制のもと,教職員の活動をおさえることによって,わが国の教育を支 配権力の下に奉仕する性格につくりかえようとするものである。これが平和と民 主主義を内容とする教育にとって大きな危機であり,高校生が異常な関心をもっ

(6)

て行動に出たことも,正当化されるのであるが,教育組合の運動と高校生のそれ との間には,その方法において相違があるのが当然であり,教師集団としては,

理念において生徒との共闘があるにせよ,生徒の行動については,その任務,限 界,意義など十分に教育的観点から理解せしめる努力が必要であったと思われ

る。「生徒を教育的に指導するときに,組合による主観はさけて客観的になって ほしい」というのが中芸高校の学園民主化要求の第一にあげられているのは,い わゆる進歩派教師にみられる誤りをついたものと考えられる。同時に授業中断,

進度の遅れなどに対する非難にこたえるために,自からの行動について社会科学 的な学習をつみ,空白の中からも生徒が何かを学びとれる態勢をつくることが望

まれる。

  この時期の高知の教師と生徒をめぐってかかれた生徒会長中山士志延の「高校生活の  眼」はその問題を示している)

 学習,労働,家庭,教師などとの関係において,さまざまな疎外条件の中で生 活している高校生は,その条件を克服していこうとする主体的認識とその活動の 中で,社会の法則性の認識に,次第に近づいていった。

 そうした中で迎えた35年の安保闘争では,東京,京都,大阪,高知の各地で,

      (7)

数千人の高校生が闘争に参加した。安保という高度な政治問題が対象であり,史 上かつてない組織化された多数の高校生が参加し,また日教組は「安保の勝利な くして勤評の勝利なし」として,安保闘争と教育闘争を結合させて闘ったなどあ って,高校生の政治活動は大きな社会問題に発展した。

 高校生達はこの闘争参加を通じて,自己と日本の未来について,責任を持ちう るためにはどうすればよいかを考え,そのために学習をし,責任を持ちうるため の行動をとろうとした意欲が,そこにくみとることができる。

 安保における高校生の参加の仕方は,個人の意志によるものから,クラスやホ ームルーム単位の討論をへたもの,生徒会単位で参加したものなどいろいろであ るが,その主なものは,それまで授業料値上げ反対,教育環境の整備,校内民主 化等の学校内の問題に向けられていた批判の目が,社会までも見通すまでに成長

       (8)

したものであった。

(7)

       高校生の政治活動と規制の論理  41  前記高知県の高校生たちの例のほかに,螢光灯の要求に端を発した教育条件改 善の活動をへて,勤評闘争の中で自からに向けられている差別を自覚し,専任校 長,独立校舎獲得への運動を組織していった兵庫県城内高校定時制,校内費の監 査の参加要求やストーブ獲得運動,卒業式の改善,授業料値上げ反対,学力テス ト拒否,強制人事異動反対などをへて安保闘争にいたる京都山城高校定時制の場          (9)

合などがその例である。

 学校が非教育的な現実政治や社会的権力に影響を受けて,青年の正当な要求を も危険として抑圧するというような社会的条件のもとでは,学校内における生徒 の種々の問題解決が,必然的に学校外の諸条件に結びつかなければ,不可能と考       (10)

えられるものが多いのであって,安保反対運動における高校生の参加は,新しい 学習要求が育ってくる可能性を含んだものであった。

 彼らを直接行動にかりたてた動機の主なものは,民主主義に対する危機感,徴 兵制に対する危惧,人格の主張,学校の管理体制に対する反発などが考えられ

る。

 「教育評論」1960年8月号にのせられた高校生の座談会「ぼくらの安保阻止闘 争」の中から,いくつかの発書をひろってみるQ  、

 「あの日(6月18日)は家に帰って,ふつうにごはんを食べて,8時頃机に向  ったけれども,勉強が手につかず,本をよんでも頭に入らないので,ラジオを  かけ放しにしてじっと聞きながら,今後どうするべきかを考えたり,日記をっ  けたりしていました。不成立をめざしてみんなも自分もたたかって来たんだけ  れども,成立したら今度はどういうふうにやっていくのだろうかと思って,そ  の晩は4時頃まで,1人で考えていました。自分のへやでじっと考えているの  が私にできる精一杯のことでした。」

 「……安保は徴兵制などを伴うので,ほんとうにいやだ。もう戦争なんかぶり  返すのはいやだ。そんな問題が出てくる安保はいやだ。という気持をだんだん  強くもつようになった。そんな段階でデモに行ったのです。」

 「18歳未満であるとか,選挙権がないからとか,そういう抽象的な分け方はで  きないと思います。私たちにはたしかに経験とか知識の積み重ねのすくないと

(8)

 いう差はありますけれども,しかし安保問題は,その差を度外視するほど大き  な問題だと思います。」

 「ぼく達の学校では頭からそういう考えで(選挙権がないので,政治活動は禁ず),

 押しつけちゃうのです。でもこれは未成年だから政治行動は認めないとかいう  問題ではないと思うのです。この条約を結んでしまった場合,世界がどう変ろ  うと,日本の立場は安保にしばられるわけです。そしてぼく達が動員されるわ  けです……」

 このようにして高校生の現実を見つめる目は,校内の問題から政治問題へとひ ろがり,実際行動と結びついた学習をへて,再び教育条件,教育内容に対する要

求へと戻る。

 先にのべた山城高校では安保後生徒会は,教育費の増額反対,民主映画の鑑 賞,クラブ活動の充実などの運動を一段と強めた。

 しかし殊に注目されるのは,平和で民主的な文化国家として発展していくべき わが国のにない手としての主権者たる国民に成長しようとする自覚が,行動を通 じて高校生の中に次第に植えつけられ,それが新しい教育内容の要求となって表 われつつあることである。

 再び「ぼくらの安保阻止闘争」から引用する。

 参加者の1人はこう語る。

 「まず行った人同志は・新聞におれたちのことが書いてあるぞと話し合うので すが・それを皆にも話すと・行かない人からも安保になぜ行くのかと聞かれる。

そこでまた深く考えるようになり,理論武装も必要だというわけで,ホ_ムル_

ム・社会科の時間をもらって討論をやるようになるんです,1回でも行くと政治 的な問題について,すご憶識が高まるのカ㍉はつきりとわかり罫」

 また別の1人はこう言う。

 「新しい安保条約は残念ながら成立したわけですが,これからはどうやってい ったらいいかということで頭がいっぱいです。自分たちの確乎とした独自の世界 に,どういうふうに生きていったらいいか,また他の人とどういうふうにやって いったらいいか,自分個人,1人1人の意見が確立できるようになったところか

(9)

高校生の政治活動と規制の論理  43

ら,運動を深めていかなければならない,ただデモをすることだけでは力がな

       (12)

い。1人1人が伸びていかねばならないと思います。」

 しかし彼らの前には学校管理体制という大きな壁が常に立らふさがっている。

教育を権利として考えることが国民の間に定着しておらず,教育を国家目的に従 属させようとする明治以来の教育観は根強く残存し,それらの勢力は・任命制教 育委員会法,学校管理規則,学習指導要領の拘東力の強化,教員の勤務評定など 反動的教育政策を強行して来た。

 ことに安保闘争と勤評闘争が結合してなされた結果,高校生の間に政治不信,

権力批判の動きが急激に広まり,ことにそれらが教員組合の運動と結合する場合 は,戦後の教育政策を根底から動揺させる可能性を含むものであり,ここに権力 が高校生の政治活動の規制にのりだす理由があるのであった。

(1)唐沢富太郎『学生の歴史』 (昭和34年)創文社 310頁。

(2)東京都高等学校教職員組合編『都高教組20年史』 (昭和41年) 66頁。

(3)同書72頁。

(4) 『日本教育年鑑1949年』日本書籍。

(5)京都での生徒会の動向については,全生研編『高校の生活指導』 (1962年)明治図書   196頁に詳しい。

(6》同書 175頁以下

(7)東京における活動の中心は,全学連主流系とみられる「安保阻止高校生会議」と反主   流系の「平和と民主主義を守る高校生協議会」で前者は,34年11月発足,各高校の社   研部員,生徒会役員などが加盟し,後者は教組の勤評闘争の際に一部の高校生活動家   や社研部員などによってつくられた「東京都活動家連絡協議会」から発展したもの。

  5月20日から6月にかけて,かれらはビラまき,激しいデモなどを行い,最高で約   1,600人,1校で160人をこえるところもあった。(「都高教組」20年史)

(8)津高正文「高校生」(『現代教育学』第16巻,昭和36年,岩波書店)250頁。

⑨ 前掲『高校の生活指導』

㈲ 岩波小辞典『教育』(1956年)87頁。

ao 日本教職員組合『教育評論』1960年8月号。

e2)同書。

(10)

(2)

 高校生の政治活動を規制する仕方は,大別して二つある。そのひとつは,「未 成年であり知識も経験も未熟である」という教育上の理由による規制であり,他 のひとつは,教育基本法第8条第2項に違反するという法律的見地からの規制で

  (1)

あった。

 戦後の生徒会に対する考え方は学習指導要領の改訂の度ごとに高校生の活動範 囲を限定していくのであるが,その経過をまず概観すると次のごとくである。

 昭和24年の文部省学校教育局編「新制高等学校教科課程の解説」には高校生の 民主的なあり方に関してこうのべている。

 「個々の生徒は,学校時代も卒業後も,家族,クラブ,職業,政党,おそらく は労働組合または雇傭者の団体,あるいは宗教団体,市町村,府県,国,さらに は人類全体といういろいろの社会に属する。新制高等学校の根本的な目標の一つ は,生徒がこれらの社会の立派な形成者となることができる経験を生徒に与える ことである。われわれは,新憲法において,われわれの目的が民主的な生活を営 むにあることを宣言した。この目的は単にこれを憲法に謳うだけで達成されるも のでなく,国民が自分達の権利と義務について学び,自分達の権利を擁護するた めに戦い,愉快に且つ有効にその義務を遂行するところに達せられるのである。

新制高等学校は,生徒が,日常生活に民主々義をとり入れ,これを実践し,民主 々義の目標を実現するために他の人々に主導権を与えるまでになるような経験 を,生徒に得させるという大切な役目をもっている。生徒はすべての人々の福祉 が,政策と行政に不可分に結びつけられておることを知り,この政策の樹立を助 け,行政を規正することは,自分達の公民としての権利であるばかりでなく,義       (2)

務ででもあることを学ばなければならない。」

 ここにはなすことによって学ぶという特別教育活動の原則が保障されているか に見えるが,これと同じ月に出された「新制中学校,新制高等学校,望ましい運 営の指針」をみると,すでにこの頃から生徒の自治活動の限界が見られる。すな わちこうのべる。「生徒が参与する制度は,生徒が自治を行なう権利をもつとい

(11)

       高校生の政治活動と規制の論理  45 う権利観念に基づくものではない」「学校が生徒に学校の事柄に参与させるの は,それが学校の主要目標を達成する唯一の方法であるからで,生徒の自治権は 全然問題とするにあたらない。ただし生徒はよい教育を受ける権利をもってお        (3)

り,よい教育は,学校の事柄に生徒を参加させることを含むものである。」

 これは論理上自己矛盾であり,生徒の学校運営への参加は,校長が教育的に良 いと判断する場合にのみ,校長から委任された範囲内でのみ許されるのであるか ら,校長の学校管理方針と対立してはならないという拘束があり,また校長自身       (4)

が非民主的であったりする場合にはほとんど意味をもたない。

 このように生徒の自治的活動は出発当時から大きな限界を持っていたのである が,それは,明治以来の日本の教育史において,中等教育以下の段階では,真の 意味の自治の伝統がなかったところヘアメリカから直輸入的にもたらされたもの であること。 占領下という状況のもとでは,民主々義を学び実践するといって も,当然占領政策をおびやかさないという条件つきであったこと,更に以後の学 習指導要領においても常にそうであるように,教員組合をはじめとする専門職と

しての教師集団の意見とは全く無関係に決定されるものであることなどが原因と して考えられる。

 生徒の自治的活動は,26年の学習指導要領一般編になると更に後退する。ここ では自治会に代って,初めて生徒会の名が登場するのであるが,その性格は,生 徒を学校活動に参加させ,立派な公民となるため経験を与えるためのものである としながらも,大きなわくをはめて,「この生徒会は生徒自治会と呼ばれること があるが,生徒自治会というときは,学校長の権限から離れて,独自の権限があ

るかのように誤解されるから,このことばを避けて,生徒会と呼ぶ方がよいと思 われる。この生徒会は一般的にいうと,学校長から学校をよくする事がらのうち で,生徒に任せられた責任および権利の範囲内において生徒のできる種々な事が

      (5)

らを処理する機関である」とのべてその限界を強調した。

 安保闘争前後から今日に至るまで,文部省の通達の柱となり,現場教師が生活 指導のよりどころとしている現行の学習指導要領は,このような傾向の延長のう

えに,昭和35年に改訂されたもので,一段と学校側の生徒に対する管理監督体制

(12)

を強めたものである。その中には生徒を学校の運営に参加させるというようなこ とばは一言も出てこない。そういう領域のことは,校長や教師の側の問題で,生 徒の関与すべき領域ではないと考えられており,生徒会は「規律の維持,風紀の 向上,校内美化,学芸体育振興といったような,学校における生徒の与えられた 生活を,生徒の側で,内部的に向上させていく運動や活動に限られるべきであっ て,学校の社会的,政治的な問題はもちろんのこと,学校内の問題でも,生活 的,教育的環境の改善や,生活的教育的条件の獲得に関するような,学校経営上 の問題には関与すべきでないと考えられているのである。

 しかも生徒の活動には「指導」の名による管理統制のわくがはめられ,生徒会 活動の具体的内容や計画を学校側が持ち,それから逸脱しないように監督し,自 発的な自治活動といっても学校側,教師側から生徒にまかせ与えた責任および権 限の範囲内で,生徒に自発と自治を行使する自治を認めるか,または学校側,教 師側の決めた計画や課題を,きめられた方向に処理し遂行していくように,進ん       (6)

で協力する意味の形式上だけのものである。

 この改訂は教育基本法改悪を公言する文相の手で,安保改定の強行,国民所得 倍増計画と時を同じくしてなされたもので,安保体制を教育思想の面から強化す るものとして位置づけられる。

(1)永田照夫「政治教育としての高校生徒会活動」(雑誌『教育』1967年3月号

(2)文部省学校教育局編

  『新制高等学校教科課程の解説』 (昭和24年)5頁。

(3)文部省学校教育編

  『新制中学校,高等学校,望ましい運営の指針』 (昭和24年)89頁。

(4)宮坂哲文『生活指導の基礎理論』(昭和37年)明治図書240頁。

(5}文部省『学習指導要領一般編』 (昭和26年)36頁。

(6)佐藤IE夫「生徒会活動の性格はどう変ったか」 (『高校の生徒会活動』1966年明治図   書)315頁。

(13)

高校生の政治活動と規制の論理  47

(3)

 次に高校の政治活動の規制の実態について少し見てみたい。

 35年6月21日,全国高校長協会は高校生の政治活動について声明を出した。

 「政治の混迷にともなう社会的動揺は高校にも波及し,一部高校生までがこれ にまきこまれたことは,まことに憂慮にたえない。未成年者の政治活動は,ひと りわが国ばかりでなく,世界いずれの国においても,認めておらWtのが現状であ る。……外部から政治活動の働らきかけがあるのは遺憾である。

 今後高校生が政治活動にまきこまれぬよう,格段の努力を惜しむものではない        (1)

が,広く国民各層の御理解,御協力を請う次第である」。 といった内容のもので

あった。

一般世論の動向も概してこうした考えを支持する動きが強く,例えば安保闘争 直後の6月28日付,時事通信,内外教育版では,高校生の安保闘争参加を「怠業 的気分」と「反抗意識」だとして,高校長声明を「遅すぎたくらいである」と論

じた。

 これら直接行動の反対論の中にうかがえるのは一貫して,日本の青年としての 高校生の独立の人格を認めるのではなく,知識経験ともに未熟な半人前の人聞

としてとり扱い,闘争への参加も,夕倍区からの働きかけが最大の動機であると理         (2)

解していることである。

 法的規制について見ると,教育基本法第8条第2項にある「法律に定める学校 は,特定の政党を支持し,又はこれに反対するための政治教育その他政治活動を してはならない」の中に,学生生徒も含まれるかどうかについて意見が分かれて

いる。

 この場合「学校」とは「学校教育の責任者」の意に解し,右の条項が学生生徒 の政治活動制限の根拠規定とは言えず,制限措置は,学校教育の必要からの最少 限度において行ないうるものと解され,教育上の裁量に基き弾力的に対処すべき

  (3)

である。しかしほとんどの学校では,法律違反にならないように自己規制し,生        (4)

徒に対しては法律的権威を背景に指導するようになりがちであった。

(14)

 日本の教師がいまだ専門職として確立されておらず,権力に盲従することによ って自からの地位の安泰をはかろうとすることから生じるこうした傾向は,いま だ問題を未解決のまま残している。

 安保闘争では教基法第8条の通説的見解に対して,教師を媒介として生徒の直 接行動の規制が考えられたのが特徴的であった。

 それは「教育の本質」という形で提唱されたもので,一言にしていえば,生徒 の政治活動を見て,これを規制することなく放置するなら,学校は教育基本法第

8条で禁じている政治活動を行なったものとみなすというものであった。

 35年9月2日付,時事通信,内外教育版は,「生徒会はどうあるべきか,高校 生の政治活動の是非」と題するシンポジウムを特集したが,席上日比谷高等学校 長,岩下富蔵氏はこう発言した。

 「………ことに一般の通念として,高等学校の段階においては,なお  校内における生徒たちの行動は,教員の指導のもとに行なわれるべきものとみ ているから,たとえ自主的とみられるような生徒会の活動であろうと,一応校長 以下教員がこれを認めたものと解釈され,政治活動にわたるようなことであれ ば,学校の政治活動として,その責任を問われることになるであろう」

 文部省はこの考え方を歓迎した。(同討論会参加者の1人,文部官僚安達健二氏の発

言にも見られる)。

 この見解はすでに23年10月8日付の文部次官通達「学生の政治運動について」

や田中耕太郎氏の「教育基本法の理論」 (616頁)でも見られたのであるが,勤 務評定強行実施の直後という事情もあって,かなり現場の教師の間に影響力をも

ったと考えられる。

 35年に文部省は2回にわたる通達を出した。6月21日付の事務次官通達「高等 学校生徒に対する指導体制の確立について」は,高校生のデモ参加などの動きは 遺憾であり,外部からの不当な勢力に乗ぜられて,生徒会や生徒などが政治活動 にまき込まれることのないよう教職員一体となって,生徒の指導体制を確立して ほしいというものであり,12月24日付,初等中等教育局長通達は,「高等学校生 徒会の連合的な組織について」と題し,生徒会の連合組織が結成されると,外部

(15)

       高校生の政治活動と規制の論理  49 の好ましくない勢力によって支配され,学校の指導も及びがたくなるから,学校 教育課程の範囲からの逸脱であり,教育上好ましくないとのべた。そして両通達 とも生徒会活動は当該高等学校の学校生活を豊かにするためのものであって,学 校外の問題を対象とするものではないことを,くり返し念を押した。

 安保闘争時における政府文部省の政治教育に対する見解は,高校生の政治的活 動に対する否定的な世論にも力をえて,この機会に可能な限りの大巾な制限をね

らったものと思われる。すなわち

 「高校生が政治的教養を高めるために,時事問題を討論することも社会科の時 間に,教師の指導のもとにのみ認められるべきであり,生徒会の問題として取り 上げることは勿論,ホームルームやクラブ活動,学校新聞等で議論することも好    (5)

ましくない。」

という意見に見られるように規制は,行動はもちろんのこと,教室内での知識の 学習にまで及んだ。

 こうして教基法は,より重要な第8条1項の方は故意に無視されて,第2項の 方だけが前面に押し出されていくのであった。

 これに対し「政治問題を生徒会活動の中で取り上げ,それをとおして政治的教 養を高めることは当然考えられてよい」「客観的資料を選び,これを正しく利用

して,現実の諸問題を科学的,合理的に研究し,公正に判断しようとする態度を 養い,それに必要な能力を高めるところまでは社会教育の領域であって,これと のかねあいで,国会解散や内閣総辞職の問題を研究し,討論させることは考えら       (6)

れてよい」とする細谷俊夫氏の意見もあったが実践的には大きな成果に報告され ておらず,問題の困難さがうかがわれる。

  都高教は7月5日の執行委員会で「高校生の政治活動について」公式見解を発表し,高  校生の指導に当っては,形式主義を排し,生徒の要求をじゅうぶんに聞き,全教師が学習  を深め,討議をつくして正しい指導の原則をうちたてることが必要であり,政治教育につ  いても消極的態度をすてて,生徒の要求にこたえ,政治的教養を尊重し,生徒が民主主義       (7)

 を学びとるように積極的に援助し,その自由を保障すべきであるとした)

 しかし下へいく程強い規制力をもつといわれる日本の法体系のもとで,学習指 導要領の拘束力をたてにとった文部省の通達は,現場教師が指導法にとまどって

(16)

いるだけに,大きな影驚力をもった。

 日教組は「文部当局のいう『政治的』のいみには疑義があり,政治行動必ずし も悪いとはいえず,当然正当な行動もある。それに教師と生徒の関係が正しいも        (8)

のであれば,大した問題のおこる可能性はまずない」とのべているが具体性を欠

いている。

 また教育委員会や校長が,複雑な政治問題に対して主体性や教育的方法をもち えず,その努力を放きして,安易に法律や文部省の権威によりかかろうとしたこ        (9)

とも大きな問題として残る。

お わ  り に

 日本の主権者としての自覚のもとに,平和で民主的な国家のにない手として育 てられる権利にめぎめつつある高校生の教育要求に正しくこたえていくには,教 師の側が緊急の態度変更をせまられている。生徒が自己のおかれた状況を客観化 し,自分たちの不満や要求にもとつく自主活動が出来るようになるにはどうして も上からの指導体制としての学校の枠をいちど突きやぶったところで,自己回復        (10)

しなくてはならない。当然教室における実践だけでは限界をもたざるをえない。

 安保闘争における生徒会の統一行動参加は,すべて教師と生徒との共闘の経験

   (11)

をへている。ほとんどの教育問題が,国家の政策の一環として反動的,軍国主義 勢力の拡大をめぎすための,国家による教育支配の意図のもとに出され,それは 同時に憲法教育基本法制の保障する生徒の教育を受ける機会の侵害となって表わ れてくるのであるから,教育問題は教師の問題であると同時に,生徒の問題でも

ある。

 だがもちろんこのことは生徒と教師が全く同じ次元に立ってのことではない し,生徒の学校外に及ぶ活動は,その理解や実践力をこえて行なわれてはならな い。具体的には竹田友三氏の指摘するごとく「生徒を学校の指導から完全に離す

ことのないようにしながら,生徒の自治活動の範囲を可能な限り拡大し,それと 共に機関の組織的運営には正確を期し,学校側の理解ある後退によって,教師集

(17)

      高校生の政治活動と規制の論理  51        (12)

団と先徒集団との信頼関係の確立をはかることが大切だろう。そしてホームルー ムで実現できない要求は生徒の力で,更には地域の民主運動の中で獲得していく

      (13)

ように展開していく以外にないと思われる。

 (1) 『戦後20年史』第5巻「社会,教育」(昭和41年)日本評論社  (2)前掲『現代教育学』第16巻 251頁。

 (3)兼子仁『教育法』(昭和38年)有斐閣 92頁。

   この考え方が通説的であり,有倉遼吉編『教育と法律』や,教育法令研究会『教育基    本法の解説』もこの立場をとる。

 (4)永田照夫,前掲書。

 (5)徳山正人「高等学校生徒指導上の諸問題」『文部時報』1960年10月号。

 (6}細谷俊夫「生きた現実から眼をそらすな」『時事通信内外教育版』昭和35年9月9日

 (7)前掲『都高教組20年史』 277頁。

 (8}日本教職員組合編『日本の教育』第8集264頁。

 (9)永田照夫 前掲書

 ao)国民教育研究所編『民主的高校教育の創造』 140頁。

 ao 時事通信,内外教育版は,34年10月16日付で「生徒を闘争の道具に使うな」と強く非    難した。

 圃 竹田友三『高校教師論』(昭和35年)31書房  169頁。

 個 日本教職員組合編『日本の教育』第13集

(18)

     高校生の政治組織

派    閥 人 員

計 国

i公 1私

革 マ ル 派 120 2 16 5

23

中   核   派

750

1

85

11

97

社学同統一派 610 1

45

7

53

社学同ML派

60

13 3 16

社青同解放派 160

27

7

34

第4インター多数派

60

10 4 14

第4インターB工派

50

5

5

構   革   派 670 1 61 9 71

社   青   同

40

1 7

8

民 青 左 派 10 1

1

そ   の   他 190

25

5

30

2,720 6 295 51

352

代  々 木  系 9,000 5 741 124 870

昭和43年11月1日 読売新聞

参照

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