「 蝉 と 蟻 」 考
‑落穂拾いのように
‑
クレッソソ女史の対日批判は痛烈だった。フランス史
上初の女性首相は'日本人を「黄色いチビども」と罵倒
し'「世界征服をも‑ろむ働‑蟻だ」とこ.き下ろした。
「働き蜂」と呼ばなかったところがみそである。フラン
ス人なら誰もが'日本「蟻」に対するフランス「蝉」と
いう構図を'彼女の発言からすぐさま連想したはずだ。
言うまでもなく'イソップの寓話tより正確には'一七
世紀の詩人ラ・フォンテーヌの﹃寓話詩﹄(7六六八I
一六九四)の冒頭を飾る「蝉と蟻」(「aCigale
et ‑a
Fou
rヨこの一篇である。全国の小学生が暗唱させられる
'
いわば国定教材の一つだ。うらぶれた蝉の懇願をにべもな‑拒絶する冷酷な蟻の朝笑をフランス人の耳
によみがえらせ'屈辱感をあおり'沈滞したフランス経
済に活を入れようという前首相の遠謀が透けて見える。
ひごろ'バッシングの風圧を前に'ひたすら耐えの姿勢
だった日本外務省もさすがに堪りかねたか'エヌキン駐
日大使を呼び厳重抗議し'右翼団体はフランス大使館前 大場恒明
でクレッソソ人形の首をはねた。あの時'メリメの一文
をもじって'Eh!madame・nenousamusons
p as
aferr
er te s c
igates
.(首相'つまらぬことを言い合って時間を浪費するの
はよしましょうよ)とでも応じたら'日本の株も少しあがったかもしれないのに。
前置きがつい長‑なったが'ここで日仏経済摩擦とい
うような生々しいことを論ずるつもりはないしへその資
格もない。「蝉と蟻」にこめられた「人生の真実」にせ
まろうなどという高遠な意図もさらさらない。この寓話
の話柄とはおよそ不似合いな'浮き世はなれした詮索を
あれこれ書き並べてみようとするだけである。
まずは'ラ・フォンテーヌの「蝉と蟻」の翻訳から。
ここは先達の名訳をそっ‑り引用させてもらうのがいち
ばんいいのだが'無謀は東知のうえで'あえて拙訳をこ
ころみよう。もちろん'詩を訳して詩へ至ることなど能
力の及ぶところではないから'訳詩というより'ほとん
ど'悪ふざけである。
(ひと夏を歌い‑らしたそのあげ‑'北風吹いて‑る
ころは'セミのふところ無一文'蝿もみみずも絶え
はてた。)
原詩では'登場人物(と言っておこう)「蝉」を
冒頭に置いてLaci
g
a‑e二・とうたい出しますイソバクーを与える
。
ところで'蝉は女性名詞だから'この登場人物は女性として扱われている。
ほて、雌の蝉は鳴かないはずだが'などといらぬ
難癖をつけるのは野暮というものだ。蝉は'文法
上'女性なのだから仕方がない。こういう寓話で
は'名詞が性をもつのはフランス語のなきどころ
かもしれない。しかし'どっちみち擬人化されシ
ンボライズされた存在だから'文法上の性と蝉の
性別の生物学的特性を結びつけて云々してはミュ
‑ズが怒るだろう。とにか‑'ここで「蝉」
いてもらわないことには話が成り立たない。
てこの「蝉」は
)a
cigatemSte(雄の蝉)な せ に の め 鳴
だということにしておいて先に進む。
(すき腹かかえ是非もな‑'隣りの7‑に泣きついて'
春が来るまで食いつなぐ'穀物などを借りたいとへ さても哀れな頼みょう。セミが言うには'「取り入
れ前に'元利そろえてお返し申す'紳士の誓い破る
まい」)
もうl人の人物「蟻」
la
Fourmiも女性である.もう先と同じ詮索はひかえよう。さらに'群棲す
る蟻が単数なのはおかしいではないか'などとク
レームをつけるのもやめてお‑。文学的単純化と
いう≡1ロで一蹴されてしまうだろうから。それに
しても'樹上生活者(少な‑とも羽化後)の「輝」
が地上(中)生活者の「蟻」と隣人関係にあるの
は'先と同工異曲の愚問とはいえ'なにかひっか
かるものがないわけではない。それに'夏のさか
りの短期間を命のかぎり鳴きつ‑して生を全うし
越冬しない蝉が'「来年の春まで穀物を貸して‑
れ」と頼みこむのも変だと言えないことはない。
もっとも、冷酷無怒な「蟻」が拒絶したために'
「蝉」は越冬できずにおそら‑死ぬ運命にあるの
だろうから'この話柄を生物学的特性の一種の由
来貢のようなものとして深読みすればいいのかも
しれないが'言うまでもな‑'この寓話のテーマ
はそこにはない。もう一つ'「蝉」は'穀物が実
るころ裕福になるようなのだが'樹液を食性とす
る蝉と穀物'さらには噸やみ.みずとどう結びつ‑
16
のか。やはり疑問は残る。
(仲人に貸すなどとんでもない'そんな不徳はア‑に
は無縁'依頼の主に聞きただす'「暑い季節は何し
ていたの」'「はばかりながら'夜昼とわず'人を
選ばず誰にでも'歌を聞かせて‑らしつつ」'「歌
を聞かせて‑らしていたと'それは結構へ恭悦至極'
それでは今度は踊ってみたら」)
蝉が夜昼とわず鳴き続けるというのはどうだろう。
それに'蝉が「踊る」tという動作もイメージが
どうも鮮明に浮かはない。それとも'これは「歌
ぅ」と「踊る」を対にした蟻の底意地悪いレ‑‑
ックとして納得しておけばいいのだろうか。ある
いは'このダンスは「死の踊り」なのか。
ざれ歌のような訳で名詩を台なしにしたうえに'あれ
これと妙なところにこだわったから'原詩をかかげ'そ
のつぐないとLt詩聖に怒りを鎮めてもらおう。
「ACHGArEE
づ
「AFOURMi\
LaCiga‑e、ayantchante
Tou
t
t'gt e'. s e
trOuVafortde/pourvu e Q u
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Pasunseulpetitmo
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⁚F
abZes二
話は'フランソワ‑ズ・サガンの﹃悲しみょこんにち
は﹄(一九五四年)にとぶ〇一八才の彼女の華々しいデ
ビュー作である。この小説の中につぎのような1節がある。
(私たちはまだ七月の初めに入ったところで'星は動
かなかった。テラスの砂利の上で蝉が鳴いていた。
きっと何千匹もいるのだろう。暑さと月に酔って幾
夜も幾夜もよっぴてこのようにおかしな声で鳴‑の
は・・蝉はただ一方の麺鞘をもう一方の麹鞘にすり
つけるものだと聞かされていたけれども'私はそれ
が発情期の猫の声のように'本能的な喉から出る歌
だと信じたかった。(新潮文庫))
場所は南フランス'カンヌ近郊の別荘。蝉
(‑ e sc ig a ‑ te s)が夜っぴてテラスの砂利の上で'麺鞘をこすりつ
けて鳴いているのだ。だとすると'この
ci g
a‑eが「蝉」でないことは明らかだ。フランス語のCiga
‑
eは'われわれになじみの深い'いわゆる「蝉」ではないのかtと
言うとそうではない。いささかややっこしいが'たしか
にtciga‑eは'日本に棲息するのと同種の半麺目の蝉
を意味する。ただし'この輝は南フランスの一部にしか
いない。種類も日本ほど多‑はな‑'概して小柄で'ツ
ッツッツッIと鳴く。
こういうわけで'緯度で言えば日本の北海道以北 に位置するフラソスでは'ciga‑eとい‑ワードは
あっても'その実物を見る機会は多‑ない。人の往
来がきわめて限られていた時代にはなおさらである。必
然的にと言おうか'語義の混清が生じる。ラテン語の
cic ad a
を語源とするCiga‑eは'実際にはsa ute re
eと
混
同されて使われている。sa ute re e
は「はっ
た'いなご」であるが'この語は本来「跳びはねるもの」を
意味するところから'さらに'形態的または生態的に似
ているほかの昆虫'たとえば'「こうろぎ」や「きりぎ
りす」などにも誤用されるようになった。
だから'ラ・フォンテーヌの「蝉と蟻」の
ci g
ateは'(サガンの小説にしてもそうだが)いわゆる「
蝉
」ではなくtg
randesau t
er
ettever
teであろう。つまり「大型の緑のはった」というわけだが'「きりぎりす」
の一種であろうか。この寓話詩の主が蝉ではな‑、きり
ぎりすだとすれば'話はかなり辻複があって‑る。
そういえば'日本では'このイソップ寓話が「ありと
きりぎりす」という題で子供に親しまれてきたはずだ。
周知のように'日本に初めてこの寓話が伝えられたの
は'一五九三年(文禄二年)へ口語訳ローマ字本の﹃エ
ソポのフアプラス﹄による。少な‑とも現存するものと
しては'ヨーロッパ文芸の最初の邦訳である。ブ‑ティ
ッシュ・ライブラ‑1にただ一冊所蔵されるこの天下の
18
稀葡本については多言を要しないだろう.勉誠社文庫≡
﹃天草版伊曽保物語﹄によって現物の複写を見ることが
でき'それを国字に移した角川文庫﹃キ‑シタソ版エソ
ポ物語﹄もある。研究は'新村出氏を先達として隈な‑
行なわれてきたLt最近では'小堀桂一郎氏が﹃イソプ
プ寓話﹄(中公新書五t≡「昭和五三年)の中で「伝承
と変容」を詳細に考証されている。
﹃エソポの77ブラス﹄の訳では「蝉と'蟻との事」
であり'同系統の慶長元和年間の国字本﹃伊曽保物語﹄
(一七世紀初頭)でも「蟻と蝉の事」となっていて'ど
ちらも「蝉」系統であるが'明治以降の英語版から翻訳
されたものは「きりぎりす」系統というようにへ伝承経
路の違いによって'はっきり二つの系統に分かれている。
「蝉」から「きりぎりす」への変容は'蝉の棲息北限
を境にして生じていることは確かであり'したがって'
もっぱら生物分布の観点から説明されている。それは間
違いないとしても'ことは必ずしもそれほど単純ではな
いのではないかtという疑問が実は小文を綴る動機なのである。
三
イソップという人物ははたして実在したのか。この議 論は昔から繰り返されている。紀元前五世紀にヘロドト
スが﹃歴史﹄の中で'紀元前六世紀ごろの解放奴隷であ
る「寓話作家アイソボス」について書き残していること
が実在説の1つの根拠になっている.ソクラテスやプラ
‑ソの話には誓愉が多いし、古代ギ‑シャ人はもともと
寓話ずきだったらしいから'イソップ作として伝えられ
ている寓話の中には'作者不明の民間転乗的な寓話も数
多くまじっているはずである。極端なことを言えば'当
時ギリシャで広‑語り伝えられていた気のきいた寓話を
集めて'それをひっ‑るめて「イソップ寓話」と銘うっ
たとも考えられる。紀元前からイソップの「伝記」なる
ものが書かれていたようだが'「イソップ伝」として定
着したのは'一四世紀のビザンチンの修道士プラヌーデ
スが編纂して'寓話集の前に付けたことに始まる。ラ・
フォンテーヌの﹃寓話詩﹄にも﹃エソポの77ブラス﹄
にも'その「イソップ伝」が巻頭に置かれている。しか
し'それは一休小僧や彦一の「とんち話」に類するもの
で'伝記としての信濃性はもともときわめて薄い.いず
れにせよ'イソップ寓話が編纂されたことが重要なので
あって'イソップその人の実在性について云々するのは
あまり意味があるとは思えない。らんぼうな言い方だが'
紀元前六世紀ごろイソップ風寓話を語るのがうまいアイ
ソボスという名前のイソップ風の男がいたtというよう
なところが実態ではなかろうか。
さて'「蝉と蟻」の寓話に話を限定するとして'この
寓話の祖形ないしはそれに近い話はどういうものだった
のか。おびただしい版本'系統本が錯綜している中で'
系統を遡ることも'祖形を特定するのもほとんど不可能
に近い難事である。それに'比較的入手しやすい流布本
の数は限られているから'手もとにある数種頬の資料を
もとに'「葦の髄から天井を覗‑」ような'学術的考証
からほほど遠い憶測をあれこれめぐらしてみるはかはない。
定説によれば'大きな系統として二つあって、その一
つは通称「アウダスターナ系統本」と呼ばれるもの'も
う1つは「シュタインへIヴェル系統本」である。
まず'アウグスターナの方は'古代ギ‑シャで語り伝
えられていたイソップ寓話の原型に可能な限り近い形を
残しているとみなされているもの。アウグスブルグで発
見されたギ‑シャ語稿本をもとにした一連の諸本である。
この系統のうち手もとにあるのは「シャンブリ‑版」と
松下仁治氏が「ハウスラート版」を底本にして翻訳した
﹃イソップ物語﹄(けいざい春秋社'昭和五
〇
年)の二つ。「シャンブ‑1版」はエミール・シャンブ‑1が校
訂しギ‑シャ語原文と仏訳を対称させたものである。
シャンブ‑1版の仏訳からできるだけ逐語的に重訳す ると'まずタイトルは「蝉と蟻」だが「蟻」は複数形である。(夏のことだった。蟻たちは穀物が湿ってしまったの
で'乾かしていた。腹を空かした一匹の蝉が彼女ら
に食物を求めた。蟻たちは彼女に言った。「どうし
て夏の間にあんたも食糧を貯えて置かなかったのき0J
II「その暇がなかったの」と蝉は答えた.「美し
い調べで歌っていたので.J蟻たちは彼女をせせら笑
った。「なるほど」と彼女らは言った。「夏に歌っ
ていたのなら'冬には踊りなさいよ.Jこの寓話は何
事においても'苦しみと危険を避けたいと思うなら'
怠慢を慎まねばならないということを教えている。)
松下訳では'タイトルが「蟻と蝉」と逆になっている。
(オ‑ユソボスの下は'寒‑て冬であった。併し'蟻
は収穫の時期に'沢山の食物を集めて'自分の家に
積んでいた。すると'飢えた蝉が'飢えと大変な寒
さに耐えながら'穴の中に這入って来て'恩をして
いた。それだから'蝉は'自分も小麦をい‑らか食
べて'救われるために'蟻の食物を恵んで貰わなけ
ればならなかった。飯Lt蟻は蝉に向かって言った。
「夏は何処にいたんだ。どうして'収穫の時期に'
食物を集めなかったのだ。」すると'蝉は言った。
「俺は歌を歌っていて旅人達を喜ばせていたんだoJ
20
そこで'蟻は彼を大変笑って'言った。「それぢゃ
あ'冬には踊るんだね。」この誓え話は'必要な暮
らしを考えて'娯楽や神々の像の行列に気を奪われ
ない事程'良いものはない事を'我々に教える。)
シャンブ‑1版と比べると'話の展開に多少粉飾が目
立つことを除けば大した異同はない。ギリシャ語では、
Te
'TT へE (
蝉)もFLU'.PミkEへ(蟻の複数)も男性だから'蝉と蟻の会話はすべて男言葉で蓑されている。ラ・フォンテーヌの拙訳のところでこだわった蝉と蟻の
性別と'蟻の複数の問題はギ‑シャ語原話では解決する。
いわゆる「教訓」が後置されていること以外は'ラ・フ
ォンテーヌの話柄との大きな異同はない。
四
つぎにシュタインへ1ヴェル系統本。ウルムのドイツ
人医師ハイン‑ッヒ・シュタインへ‑ヴェル(Heinri
ch s te in h tiw et )
が1四七〇
年代に、中世から1五世紀までに流布
し
ていた名種のイソップ寓話集を集大成Ltラ独対訳本を刊行した。もともと庶民の生活の中から生ま
れたイソップ寓話を'当時の日常ドイツ語訳を通じて'
知識階級の占有言語であるラテン語の蛎から解き放ち'
民衆に開放したわけで'これはまさに文化史上画期的な・ 事業だった。その背景には印刷術の発達という強力な援
護もあった。
この初版本は'一八七三年シューゥ‑ガル十の文芸協
会が古典文学叢書として出版したH
er m an
n6st er te
y編纂による翻刻版SteLnk
b
.wed
sAfs
opによって内容を知ることができる。
初版本刊行の直後'ドイツ語訳の部分だけを独立させ
たものが'アウグスブルグで一四七八年から一四八
〇
年まで計三回出版され'これには木版画が付けられた
。
たちまち'シュタインへ‑ヴェル本を底本とした各国
語の翻訳が続出し'そのため'シュタインへ‑グェル本
は近代ヨーロッパにおけるイソップ寓話普及の源泉とな
った。
シュタインへ‑ヴェル本刊行直後の一四八
〇
年に'‑ヨソの聖職者ジュ‑アン・マショー(luenM
ac ho
)のフランス語訳が出た。これも木版画入りであるが
'
シュタインへーヴェル本の木版画をトレースして忠実に覆
刻したものである。そのために'マショー本の木版画は
原画との見分けがほとんどつけに‑いほどの出来はえで
あるが'原画の左右を取り違えて刻んであるものもあっ
て'制作過程がしのばれる。
この仏訳マショー本を底本にして'一四八四年には'
イギ‑スで'ウイリアム・カクストン(WitLiamCaxton)
の英訳が出る。これにもマショー本の体裁にならった木
版画が付けられている。カクス‑ソ本は'英語圏の近・
現代イソップ寓話の源泉となった。
マショー本の完全覆刻版は残念ながら手に入らない。
ただ'一九二六年に'マショー本の木版画の覆刻と収鐘
寓話の‑ス‑に梗概をつけたものが'‑ヨソのA
ss o‑
CiationGuiaumeLeRoyryonから刊行されてい
て(ctaudeDalbanne:].MSubtlZecFables.i.
Ecop
e , N o
tice p
arJ・Bas tin )
'これによって少な‑
とも 木
版画を
見ることができるだけでも幸いとしなければならない。それにカクストン本がかなり忠実な
マショー本の翻訳だということだLt一九六七年にハー
グ7‑ド大学出版会から出版された翻刻版ではR.」.
renaghanによるマショー本との照合が行なわれている
ので、さしあたりは'これによってマショー訳を推定す
るほかはない。
シュタイソへ‑ヴェル本からラテン語本文が切り離さ
れて'三
〇
年たらずの問に一五〇
種以上のラテン語諸版が刊行されたと言われている.このうちの1つがイエズ
ス会の宣教師か'あるいは'天正遣欧少年使節一行によ
って日本にもたらされ'一五九三年(文禄二年)﹃エソ
ポの77プラス﹄としてローマ字訳され'さらに'慶長
元和年間に国字本﹃伊曽保物語﹄として翻訳されること になる。つまり'フランスでラ・フォンテーヌが﹃寓話
詩﹄を完成する百年も前に'日本庶民は宣教師から'イ
ソププ寓話を聞かされていたわけである。
はじめに﹃エソポのフアプラス﹄から「蝉と'蟻との
事」を引用する。
(ある冬の半に'蟻どもあまた穴より五穀を出いて'
日にさらし'風に吹かするを'蝉が来て'これをも
らうた。蟻の云ふは'「御辺は過ぎた夏・秋は'何
事を営まれたぞ?」。蝉の云ふは'「夏と秋の問に
は'吟曲にとり紛れて'少しも暇を得なんだによっ
て'何たる営みもせなんだ」と云ふ。蟻'「げにげ
にその分ぢゃ。夏・秋歌ひ遊ばれたごと‑'今も秘
曲を尽されてよからうず」とて'散々に噸り'少し
の食を取らせて戻いた。下心。人は力の尽きぬ中に'
未来の勤めをすることが肝要ぢゃ。少しの力と暇あ
る時'慰みを事とせう著は'必ず後に難を受けいで
はかなふまい。)
﹃エソポのフアプラス﹄は安土桃山時代末期の民衆の
口語を記録に残し'芥川龍之介の﹃奉教人の死﹄や﹃き
りLとほろ上人伝﹄に特異な文体を提供したことでも'
その文化史的な価値がきわめて高い資料であるが'ここ
で取りあげている寓話「蝉と蟻」に関して言えば'それ
まで'ギリシャ語やラテン語で伝えられてきた「蝉と蟻」
22
の寓話に'﹃エソポの77ブラス﹄はおそら‑歴史上は
じめて重要な変容を‑わえた。ここでは'蟻は蝉を散々
噺笑しながらも'少し食物を恵んで帰すのである.明ら
かにキ‑スト教理念を反映した修正補筆である。西欧的
な自助の精神が当時の日本庶民には強烈すぎて受け入れ
がたいものだと考えた翻訳者(おそら‑宣教師といわゆ
る日本人イルマンの共同作業だったと思われるが不明)
の配慮だったに違いない。はからずも'後世一八世紀に
ジャン=ジャック・ルソIが﹃エ・〜Iル﹄(1七六二年)
の中で'ラ・フォンテーヌの「蝉と蟻」が子供の教育に
有害であると難じた告発を先取りして'それにキリス‑教
的な変他精神と日本的な温情で答えた格好になった。ち
なみにルソーは次のように書いていろ。「子どもは好ん
で蟻を見ならうことになる。人は他人に頭を下げること
を好まない。子どもはいつも輝かしい役割りを演じょう
とする。それは自尊心から‑る選択で、ご‑自然な選択
だ。ところで'これは子どもにたいしてなんという恐ろ
しい教訓だろう。あらゆる怪物のなかでもっともいとわ
しい怪物は'けちんぼで情けしらずの子ども、他人が自
分になにをもとめているかを知りながらそれを拒絶する
ような子どもだ。蟻はもっとひどいことをする。蟻は拒
絶したうえに相手をあざわらうことを子どもに教えてい
るのだ。(今野一雄訳)」明治以降の教科書や童話に収 められた「蝉(きりぎりす)と蟻」は'いずれも温情的
な結末になっているのほ周知の通りだ。
﹃エソポのフアプラス﹄と同一系統の底本から翻訳さ
れたと思われる慶長元和本﹃伊曽保物語﹄では'この変
容は行なわれていないから、このいわゆる「キ‑シタン
版」の独自性がいっそう目立つのである。﹃伊曽保物語﹄
では、次のようになっている。
(去ほどに'春過'夏たけ'秋も深‑て'冬の頃にも
なりしかは'日のうらうら成時'蟻穴よりはひ出'
餌食を干しなどす。蝉来たりて蟻と中は'「あない
みじの蟻殿やtか1る冬ざれまで左様に豊かに餌食
を持たせ玉ふ物かな。我に少の餌食をたび給へ」と
申ければ'蟻答云'「御辺は春秋の営みには何事を
かし玉ひけるぞ」といへば'蝉答云'「夏秋身の営
みとては'木末にこたふばかりなり。其音曲に取乱
し'ひまなきまゝに暮し候」といへば'蟻申けるはへ
「今とてもなど歌ひ給はぬぞ。謡長じては終に舞と
こそ乗れ。いやしき餌食を求めてへ何にかはし玉ふ
べき」とて穴に入ぬ。其ごと‑'人の世にも有事も'
我力に及ぼん程は'たしかに世の事をも営むべし。
豊か成時っゞまやかにせざる人は'貧しうして後悔
ゆる也。盛ん成時学せざれは'老て後悔ゆる物也。
酔いのうちに乱れぬればへ覚ての後悔ゆる物也。)
原文のラテン語
cic a
daは日本では「蝉」と訳されてまった‑支障はなかった。しかし蝉のいないドイツでは
そうはいかなかった。そのことには後でふれることにし
て'﹃エソポの77ブラス﹄と﹃伊曽保物語﹄の底本と
なったラテン語本の「蝉と蟻」がどういう形だったかを
推定させて‑れるシュタインへtヴェル版のラテン語本
文を試訳してみょう。
「一七番蟻と蝉の寓話」というタイ‑ルだが'一七番
というのは'シュタインへ‑ヴェル本第二部を成すイソ
ップ寓話集(ロムルス集)第四巻の中の収録番号である。
(冬の晴れた日に'蟻が'夏に集めて纏めておいた小
麦の粒を'穴から引き出していた。1万'腹を空か
していた蝉は'生きのびるために何か食べる物を与
えて‑れるよう蟻のところに頼みに行った。蟻は彼
女に言った。「夏には何をしていたの.J彼女の方は
言った。「私には暇がなかったの'始終あちこち駆
けまわって歌っていたので.J蟻は噺笑って、穀物を
しまいながら'言った。「夏に歌っていたのなら'
冬には踊りなさいよ.Jこの寓話は'恵まれている時
にしっかりと働‑ように'さもないと、今日のもの
にも事欠‑ようになって'ひとに物を療んでも手に
入らないということを教え'怠慢を戒めている。)
ラテン語のcic
ad a ,
form
ica (
蟻)はフランス語と 同じくどちらも女性で'蟻は単数。構成は「教訓後置」の型であり'これがFイソポのフアプラス﹄には'「下
心」として、﹃伊曽保物語﹄には「其ごと‑」という形
で引き継がれている。
五
ラテン語原文を訳したシュタインへ‑ヴェルの「新高
ドイツ語」は'名詞の語頭が小文字で表記されているほ
か'正字法が現代ドイツ語とかなり違うものの'基本的
には共通の文法体系にもとづいて書かれているようであ
る。い‑つかの書き換えはあるが'全体的にはラテン語
原文のほぼ忠実な翻訳と言えそうである。教訓の部分は'
(仕事をすべき時好働‑ことを好まない者は、もしたま
たまその必要が生じても'誰も助けに来ては‑れない)
となっていて'怠惰を戒めている趣意は共通であると言
ってよかろう。
ところで'ラテン語原文「蝉と蟻」のドイツ語対訳で
は'タイトルがDiexviifabetvonderamais
unddemgrienとなり'「蝉」からGrie(こう
ろぎ)への転換が行なわれた。このシュタインへ‑ヴェ
ルのドイツ語訳が源流となり'蝉が棲息しない国での翻
訳に'「きりぎりす」の系統が形成されてい‑ことにな
24
るのだが'この変容の源はシュタインへ‑ヴェル本のド
イツ語訳文と木版画との‑いちがいにあった。つまり'
ドイツ語訳はgrieなのだが'木版画に描かれている
のは'どう見ても「こうろぎ」ではなくtgrasshopper
であり'フランス語のsa
ut ere e
なのである(図1)。木版画家とシュタインへ‑ヴ
ェ
ルとの間の連携がうま‑いっていなかったのであろうか。それはともか‑'この
ヴィジュアル情報の威力にはって、蝉からgraSShopper
への変容が定着することになったとすれば'シュタイン
へ‑ヴェル本の木版画こそ'本当の意味での変容の現場
だったと言わなければならないだろう。
シュタインへ‑ヴェルの意図は'イソップ物語を民衆
(幽 1)シュ タインへ ー ヴェル本 zd.州 .bbTHRら(rqro:rh2日Eb佃 rL'6・'Jtk・
佃 2)マショー本
のものにすることにあったから'ラテン語原文の寓意を
分かりやす‑提示するために'機械的に言葉と言葉を置
き換えるのではな‑'意味から意味へ翻訳するという方
法をとっている。そういうわけで'「蝉と蟻」の寓話に
関しては'おおかたのドイツ人になじみのない蝉では具
合が悪かったのであろう。
さて'シュタインへIヴェル本を底本にして仏訳した
マショーは聖職者だったから'ローマとの往復が多かっ
たはずで'もちろん'蝉の実物は知っていたに違いない
が'マショー本の木版画でも蝉が
sa ut er e e
として描かれている(図2)のは'原画をそのままトレースした
ためであろう。あるいは'フランス人には
sa u
ter e
eの方がむしろ分かりやすいという判断があったのかもし
れない。いずれにせよ'フランス語のciga‑eがsaute‑
reeと混同して使われるようになったのは'あるいは
この辺がそもそもの始まりだったのではなかろうか。か
りにそうだとしたら、ラ・フォンテーヌの詩は'マショ
ー本の木版画から生まれたと言えな‑もないが'もちろ
ん'それは牽強付会というものである。
カクストン本は仏訳を通した重訳のせいか'シュタイ
ンへ‑ヴェル本とのずれが指摘されたり'訳文が稚拙だ
と批判されたりするが'たしかに正字法の不統一が目立
つという不備はあるようだ。カクス‑ソの初版本の現物
覆刻版がtl九七二年アムステルダムで出版され(The
EnglishExperienceNo・439,publishedin1972
byTheastrvumorbisTe
r
rarvmLtd・)'これによってカクストンの木版画も見ることができる。カクスト ンの木版画は'マショー本木版画のフリーハンド・コピ
ーであり'シュタインへ‑ヴェル本'マショI本の原画
に比べると'荒削りで質が落ちるように思われる。前述
したハーグ'‑ドの翻刻版から'「蝉と蟻」のカクスト
ンによる翻訳を引用してみよう。
ThexviifabteisoftheAntandofthe
syga‑e
ltisgoodtopurueyehymse‑finthesoヨer
seasonofsuchethynges\wherofheshaeヨySt
e
randhauenedeiコWynterSeaSOコ\AsthowヨaySt
seebythispresentfab‑e\Ofthesygae\whicheinthewyntertymewentanddeヨaundedoftheantsommeofherCornefortoeteJAndthennetheAntsaydtothesyga\whathastthowdone
a‑thesoヲer‑astpassed\Andthesygae
ansuerd\‑hauesonge\Andaftersaydtheantetoher\OfヨyCOrneSha‑tnotthounonehaue\
Andyfthowhastsoコgeaethesomer\daunse
nowinwynter\Andtherforethereisonetyme fortodoosome‑abourandwerk\Andoコetymefortohauerest\Forhethatwerkethnotne
dothnogood\ShaJhaueofteathisteethgrete
co‑dand‑ackeathisnede\
構成上の目立った特徴は'冒頭でまず寓話の趣旨を明
らかにLt末尾でもう一度'(だから・・・)と寓意を
説明していることだ。シュタインへ‑ヴェル本の「教訓
後置」の型をそのままは踏襲せずに'教訓部分を前後に
二分して'「教訓前置」と「教訓後置」を併用する形を
とっている。これは'もともとマショー本がそうなって
いたためだろう。冒頭で(冬に必要になるような物を夏
に調達してお‑のは有益なことだ)と前置きして寓話が
始まり'しめ‑‑りほ(こういうわけで'何か仕事をす
るにしろ休息をとるにしろ潮時というものがある。その
わけは'働きもせず'有益なこともしない者は'えてし
て'ひもじい思いをLt必要な物にもこと欠‑ようにな
るからだ)となっていて'教訓の主旨はシュタインへ‑
ヴェル本と大差ない。
肝心の「蝉」はsyga‑e(sygae、sygaと綴り字
が安定しない)となっている。これはマショー本がシュ
タインへ‑ヴェル本の
g
rieをとらずに'ラテン原文のci
ca
daをc ig
a‑e(S
igiaeという綴りになってい2 6
るようだが)と訳し'カクストンがさらにciga‑2をそ
のままtsygateに置き換えたということだろうO門外
漢が単なる憶測で言うのはおこがましいがへ当時の英語
にsyga‑eというワードはなかったのではなかろうか。
なにしろ蝉なる昆虫はイギ‑スにはいないのだから。カ
クス‑ソ本の読者は'この寓話に添えられた木版画から
この昆虫の姿を知ることになったのではなかろうか。カ
クストンにも'木版画に語らせようという気持ちがあっ
たのかもしれない。ところが、木版画に描かれているの
は明らかに蝉ではな‑'イギ‑ス人にもなじみの深い
grasshopper(はった'いなご'きりぎりす)なので
ある(図3)。こうしてカクス‑ソ系統のイソップ寓話
C 印と鞘紳 il。MrW 叫 。仲 r脚 b
亡iB雪○叫bp】冊P.如.qrf(fhlか.roqt的 of
ト地軸呼O/的Ft,(〜r如rrhとrLn4.lりalLIHrk
T'Tu,Pnとー(QdToT)/2t●恥tbmPnErCrSe申ltPqflnL
玄
ト払J016'rpidt'I叫 巾n)QHbとnkHEMtbntA叫
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帥 I'吟・1ntP沖b巾r脚R/tb日付rL吟obb… 叫l
鎧 ntq鵠 惚 忍盟 ig:/ob.㌍ri霊n/.ibh3I.緩 ま
n抑tbLJr/7Lnbzpf句otbWL如5日だ・tarr‑ /h叫qob
k7tbptt/仁lnb)やtF。trF)・tH○…LeqvかLDbol.nf
tAもu川叫tbrTCIか叫onrLprnlFo:也Cburt巾ISo,arF,dE
lbfte'SjR。=Hb申れ0900b?/rb柚山川EhALか○krggTTh
cBeqAltqhくilO亡かOqCk/
(Lgr3)カクストン本
では蝉がgrasshopperにとって代わられることになる。
たとえば'カクストンの現代版ともいうべき'一八九
四年のジョゥゼフ・ジェイコブスの﹃イソップ寓話集﹄
(TheFablesofsop.setected,totdanewandtheirhistorytracedbyJosephJacobs
⁚
doneintopicturesbyRichardHeighway、LondonMacm
i
ltan&Co・,Ltd,FirstEdition1894,Reprintedt90))ではタイトルがTheAnt&the
Grasshopperとなり'挿絵もよりリアルになっている(図4)。参考までに全文を引用してお‑0
)nafietdonesurrmer.sdayaGrasshopper
washopp‑ng
ab
out、chirp‑ngandsing‑ngtoitsheart.scontent・AnAntDaSSedb
y 1
(Eg4)ジェイコブスA‑
bearinga‑ongwithgreattoanearofcornhewastakingtothenest・"Why
notcom
e
andchatwithme㌦saidtheGrasshopper.
"insteadoftoitingand
moitinginthatway?"
"IamhetpingtoLa
y
up
foodfor
th e w in te r ." sa
idtheAnt."andreco m I
m
en d y ou to
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th e sa m e
・""W
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bou t w in te r ? " s
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pperh a
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ntheGra ss h o
pp er k
コeW
ft
is be s
tto p
rep a
re
fo
rthe da
ys o f ne ce ss it
y・シュタインへ‑グェル本の訳文と木版画のずれは'寓
話集の前に置かれている「イソップの生涯」の中のエピ
ソードの部分でも起こっている。イソップがある国王の
怒りをかい殺されそうになったさい'命乞いをするため
に語る寓話で'その内容はこうである。ある人が「いな
ご」を取りに出かけ'蝉を見つけたので'これを描まえ
殺そうとする。蝉は'穀物にも人にも害を与えず木の上
でただ無心に鳴いているだけなのにどうして私を殺すの
かと嘆‑。イソップは国王に私もこの蝉のようなもので
すtと訴え許される。この部分のラテソ語原文では' ーocu
st a s (
いなご)とCica
daとなっているのに(﹃イソポのフ
ア
プラス﹄でもラ・フォンテーヌでも同じ)'ドイツ語訳では「いなご」が'なんとf
o g
et(vog e
t)
「鳥」に変わりtci
ca d a
がgr
ieとなり'木版画(図5)ではg ra S
Shop p er
として描かれている。ラテン語では
ーo cu st a s
とCica da
の有害無害という対比関係は明確だが
'
ドイツ語訳ではこの対比関係が混乱している。木版画で
g
rieをg ra ss
hopper
としてしまっているので'対比関係を作
る
のに苦慮したシュクイソへ‑ヴェルは仕方なく「鳥」としたのだろうか。昆虫の生
物分布に起因する混乱がこんなところにも表れている。
カクストン本では'さらに変容して'「蝿」を追いかけ
‑ 28 ‑
(也5)シュタインへ‑ヴェル本
(也6)カクストン本
ていた男が「ナイチイソゲ‑ル」を描まえるという話に
変わっている。ただし、木版画では
g ra ss h o
ppe r
が描かれていることはシュタインへtヴ
ェ
ル本と同じである(図6)。マショー本ではーe n g ou st e (
いなご)と蝉になっているが'木版画にはやは
り
蝉がgrasshopp er
として描かれている。ていた男が「ナイチィソゲ‑
ル」を捕まえるという話に変わっている。ただし'木版画では
g ra ss h o
pperが描かれていることはシュタインへ‑ヴェ ル 本
と同じである(図6)。マショー本ではーe
ngo・u
st e
・・(いなご)と蝉になっているが'木版画にはやはり蝉が
g ra s
shopper
として措かれている。六
ギ‑シャ語のTgTTEfが'「蝉」のほかにgrass・
ho
pper
などをも包括する多素性をもっているのではないかtと最初はひそかに考えていたのだが'どうやら当て
がはずれて'「蝉」以外の意味はなさそうである。ただ'
ラ・フォンテーヌの「蝉と痕」に登場するCigaleこと'
実はgr
a
ndesa u te jJe ll
ever te
が'ラテン名をte tt
i・g o ni a
vi
ridis s i m a
といい'ギ‑シャ語のpbpp7ke
へと同
一語根をも っ
てい
て'これは「濃緑の蝉のようなもの」というほどの意味だから'「蝉」と「きりぎりす」はも ともと名称のレベルでもあながち無縁ではないわけだ。
このことも'今まで見てきたような「蝉」から「きりぎ
りす」への変容をご‑自然に促す一因になっているので
はなかろうか。
ギ‑シャでは古代から蝉は象徴的な存在だったようだ。
たとえば'アテナイ人はその土地に生まれ育ったことを
誇示するために'地中から生まれる蝉を型どった黄金の
髪飾りをつけたと言われる。そのほか'美しい鳴き音に
よって'蝉は音楽の象徴でもあった。イソップ寓話の編
纂老77エドルスが伝えるプラ‑ソの誓話につぎのよう
なものがある。「ミューズが生まれる前'蝉は人間だっ一
た。ミューズが誕生し音楽が出現すると,人間たちは楽29
しみに耽り歌い続け,食べることも飲むこともすっかりt
忘れはて死に至るほどだった。蝉は彼らの生まれかわり
であり'生まれた時から食をとらず'死ぬまで飲まず食
わず歌い続けるという天恵をミューズから受けているの
である。」そのほか'よ‑知られたイソップ寓話の一っ
に「ろばと蝉」というのがあって'これは'「蝉の鳴き
音を聞いたろばが'その美しい声を羨み'何を食べたら
そのような声になるのかと尋ねると'蝉は露を食べるの
だと答えたので'ろばは露のほかは何もロにせず餓死し
てしまった」という話になっている。蝉が何も食べず、
命と引き替えに美しい歌を歌い続け死に至る(「ろばと
蟻」では飢え死にするのはろばだが)これらの寓話は、
「蝉と蟻」の寓話と同根であり'一種の生物由来帯であ
る。
秋も深まったある日'生を終えた1匹の蝉が地上に落
ち'その死骸を蟻たちが巣穴に運んでいる。これを目に
したギリサヤ人には'まるで蝉が空腹のあまり蟻たちに物乞いをしているように見えたのであろう。生物由来雷
に'怠惰の戒めや勤労の勧めといった教訓話が結びつい
ていった背景には'おそら‑ギリシャ社会の成熟過程が
あるのだろう。「蝉と蟻」の寓話に'日夜饗宴にうつつ
をぬかしていた貴族たちと'農民や奴隷たちの怨念や世
俗の知恵という対比構図を重ねてみるのは'深読みにすぎるだろうか。
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