フィリピン国立自然誌博物館について
櫻井 文子
はじめに
フィリピン国立自然誌博物館(National Museum of Natural History)は、マニラ市中心部の リサール公園(ルネタ公園)にある、開館してまだ1 年半ほどの新しい博物館である。今年度 の人文科学研究所フィリピン総合研究調査の際、筆者はこの博物館を訪問する機会を得たので、 ここではその成立までの概略とあわせて館内の構成と展示の特徴を紹介したい。とはいえ、筆 者はヨーロッパにおける博物館やコレクションの歴史を専門としているため、博物館教育や展 示デザインの専門家ではない。そのため本稿では、フィリピンにおける国立博物館の成立の経 緯や、近現代のコレクションや博物館展示の変遷という歴史的文脈の中に、同博物館のコレク ションやその展示を位置づけてみたい。 1. フィリピンにおける国立博物館の成立 現在フィリピン国立自然誌博物館として使用されている建物は、本来は博物館として作られ たものではなく、農商務省の庁舎として1940 年に建てられたものである1。当時その設計を担 当したのは、フィリピン人建築家のアントニオ・トレド(Antonio Toledo, 1889-1972 年)であ る2。トレドは、20 世紀前半のアメリカ統治時代のフィリピンにおいて、公共事業局の建築部 門(Division of Architecture)所属の建築家として多くの公共建築のデザインに携わった人物で ある。1941 年に竣工したマニラ市庁舎も彼の作品であり、他にも現在は国立美術館として使用 されている旧立法府(Legislative Building)3 の改築にも関与するなど、当時のマニラ市の公共 建築のスタイルを規定した人物のひとりである4。 20 世紀前半のフィリピンでは、アメリカ本国にならい、議事堂をはじめとする政府関連施設 には、荘厳で重々しい新古典主義様式のデザインを用いることが一般的だった5。トレドがデザ インした農商務省庁舎もまた、6 本の巨大な柱が並ぶギリシャ・ローマの神殿風のファサード を持つ、典型的な新古典主義様式の建造物である。【図 1】ただトレドをはじめとする、20 世紀
1 Marga Manlapig, ‘An Exclusive Inside Look of the National Museum of Natural History,’ Philippines Tatler, 24 Dec. 2018. (https://ph.asiatatler.com/life/an-exclusive-inside-look-of-the-national-museum-of-natural-history)(最終閲覧日:2020 年 5 月 7 日)
2 Ian Morley, American Colonisation and the City Beautiful (London/New York: Routledge, 2020), pp. 2-3. 3 Exective House Building または Old Congress Building とも呼ばれていた。
前半のフィリピンで公共事業に関与した現地の建築家たちは、こうした公共建築の細部にフィ リピン的な要素を組み込むことで、アメリカの建築様式の単なる模倣にとどまらない独自の解 釈を行なっている。例えば立法府の細部装飾には、フィリピンの植物や原住民の衣装をまとっ た人物が組み込まれ、アメリカの国鳥であるハクトウワシの代わりに「母なるフィリピン」を 象徴する女性像がモチーフとして使用されている6。 なお農商務省庁舎は、アグリフィナ・サークル7 をはさんで向かい側に立つ財務省の庁舎と ペアでデザインされたため、両者の外観はそっくりである8。この2つの建物の他にも、リサー ル公園の周辺地区には、上述の市庁舎や立法府、中央郵便局など、同時代に建設された公共建 築が複数存在する。これは、当時当局によって進められたマニラ市の美化事業「美しい都市(City Beautiful)」により、街路樹の並ぶ大通り沿いや緑地の中に壮麗な建造物が点在する官庁街とし て、この地区が開発・整備されたからである9。 しかし現在のリサール公園一帯は、官庁街というよりは文教地区と呼ぶべき場所へと変貌し ている。公園内には国立自然誌博物館の他に、上述の旧財務省庁舎を改築してオープンした国 立 人 類 学 博 物 館 (National Museum of Anthropology )、 国 立 プ ラ ネ タ リ ウ ム ( National
6 Ibid., pp. 2-3, 126-30.
7 リサール公園内の円形広場。現在はその中心に国民的英雄であるラプ=ラプ(Lapu-Lapu, ca. 1491-1542) の像(自由の番人像)が立つ。
8 Morley, American Colonisation, pp. 126-7.
9 「美しい都市」計画は、アメリカ政府の委託を受けて建築家ダニエル・バーナム(Daniel Burnham, 1846-1912) が立てた構想を元に、1900 年代から 1930 年代にかけて進められた。Ibid., p. 13, 125.
Planetarium)や国立図書館がある。さらには、公園の北側を走るブルゴス通りを渡ったところ には、旧立法府を転用した国立美術館(National Museum of Fine Arts)もある。これらの施設 の内、国立図書館をのぞいた4 施設は、「中央ミュージアム・コンプレックス(Central Museum Complex)」として、現在フィリピンの国立博物館ネットワークの中核を担っている10。 リサール公園一帯の文教地区化は、フィデル・ラモス政権期(1992-8 年)に始められ、その 後約20 年をかけて実現された事業である。同政権下で「1998 年国立博物館法(National Museum Act of 1998)」が成立するまでは、フィリピンには独立した常設の研究教育機関としての国立の 博物館は存在しなかった。それまでも後述するように「国立博物館」という名称を持つ組織は 存在したが、あくまで教育省(Department of Education)の一部局であった11。1998 年に成立 した同法は、国立博物館に組織上の独立性と専用の施設を与え、それまでエレミタ地区のあち こちの官庁に散らばっていた国有コレクションの管理をまとめて委ねることで、研究と公共教 育に活かすことを狙ったものである12。同法では、国立博物館の役割として次の 3 点が強調さ れた。教育機関として「フィリピンの文化と歴史の遺産についての知識の普及」に努めること、 科学研究機関として「人類学、考古学、地質学、古生物学、植物学と動物学」の研究を推進す ること、そして文化的なセンターとして「国の豊かな芸術的、文化的な伝統の研究と保存」を 担うことである13。この基本方針に従って、以降の国有コレクションの再編成と施設の整備が 進められたのである。 国立博物館法により、博物館の専用施設に転用されることが決められたのは、リサール公園 のアグリフィナ・サークル周辺にあった3 つの政府関係庁舎である。同法の成立と並行してす でに一部の改装工事は始まっており、まずは 1998 年に旧財務省庁舎が国立人類学博物館とし て開館した14。次に、元から一部が国立博物館として使用されていた旧立法府が、2001 年に国 立美術館としてオープンした15。国立自然誌博物館の建物には旧農商務省庁舎が充てられるこ とが決まっていたが、改装工事がはじまるまでには10 年以上を要した16。同庁舎は第二次世界
10 国立博物館ネットワークには、他に 16 の地方博物館(Regional Museums)や地域博物館(Area Museums)、 サテライト・オフィスが所属している。今回の調査で訪問したビガンのブルゴス国立博物館もそのひとつである。 National Museum Annual Report 2018. (http://www.nationalmuseum.gov.ph/nationalmuseumbeta/Transparency/ FY%202018%20NM%20Annual%20Report%20Final.pdf)(2020 年 4 月 15 日ダウンロード)
11 ‘The National Museum.’ https://www.officialgazette.gov.ph/the-the-national-museum/#history(最終閲 覧日:2020 年 4 月 13 日)
12 Section 2, National Museum Act of 1998, Republic Act No. 8492, 12 Feb. 1998. (https://lawphil.net/ statutes/repacts/ra1998/ra_8492_1998.html)(最終閲覧日 2020 年 4 月 15 日;The National Museum. 13 Section 6, National Museum Act of 1998.
14 Section 4, Ibid.,
大戦後、観光省が使用していたが、2013 年にようやく明け渡されたからである17。2015 年に改 装工事が始まり、2018 年 5 月 18 日に国立自然誌博物館は開館するが、同博物館の公開によっ て、1998 年から 20 年以上かけて行われたフィリピンの国立博物館整備事業はひとまずの完結 を見た。 1998 年の国立博物館法にうたわれたような、公共教育と研究、文化の担い手としての国立博 物館の理念は、ヨーロッパやアメリカの多くの博物館において 19 世紀の後半以降広く共有さ れたものであり、20 世紀末の文化政策としては革新的なものではない。早い例では 19 世紀の 後半に、多くの場合は19 世紀末から 20 世紀初頭にかけて、それまで研究と蒐集を主目的とし ていた博物館の多くがその運営方針を転換し、公共教育を重視するようになったのである18。 それに合わせて館内の展示も改革され、専門的知識を持たない訪問者の教育を狙った展示が一 般的になった。例えば現在の博物館では、一般の訪問者向けに教育効果を考慮して選んだオブ ジェクトを展示するスペースと、コレクションの保管と研究を行うスペースとしてのバック ヤードを空間的に分離することが一般的であるが、これはこうした改革の一環で導入されたも のである。 しかしフィリピンにおける国有コレクションの歴史の文脈で見た場合、国立博物館法は大き な転換点を記すものであり、そこに至る経緯からは旧植民地に特有の歴史的条件を見て取るこ ともできる。この点を明らかにするために、以下ではフィリピンにおける国立博物館の歴史を 概観したい。しかし、フィリピンにおけるミュージアムやコレクションの歴史は先行研究の蓄 積がほぼ存在しないため、本稿ではフィリピン政府の広報や国立博物館の年次報告書、さらに は国立自然誌博物館の関連展示などを元に、自然誌関係のコレクションを中心にそのあらまし を整理することしかできなかった19。後述するように不明点も多いため、今後の研究に期待し たい。 フィリピンにおける国有のコレクションの歴史は、アメリカ統治下の 20 世紀初頭まで遡る
17 Manlapig, ‘An Exclusive Inside Look.’
18 Ronald Rainger, An Agenda for Antiquity: Henry Fairfield Osborn and Vertebrate Paleontology at the American Museum of Natural History 1890-1935 (Tuscaloosa: University of Alabama Press, 1991); Susan Leigh Star, ‘Crafts vs. Commodity, Mess vs. Transcendence: How the Right Tool Became the Wrong One in the Case of Taxidermy and Natural History,’ in: Adele E. Clarke, Joan H. Fujimura (eds.), The Right Tools for the Job. At Work in Twentieth-Century Life Sciences, (Princeton: Princeton UP, 1992), pp. 257-86; Susanne Köstering, Biology - Heimat - Family: Nature and Gender in German Natural History Museums around 1900, in: Thomas Lekan, Thomas Zeller (eds.), Germany’s Nature. Cultural Landscapes and Environmental History (New Brunswick/New Jersey/London: Rutgers UP, 2005), pp. 140-157.
ことができる20。アメリカによるフィリピンの植民地化がはじまってすぐの1901 年に創立され た、島嶼民族学・自然誌・商業博物館(Insular Museum of Ethnology, Natural History and Commerce)が、現在の国立博物館の直接の先祖と言えるだろう21。しかし、以降この島嶼博物 館やそのコレクションは幾度となく再編成され、管轄する省庁も二転三転するため、その紆余 曲折をたどることは容易ではない。島嶼博物館の活動の重心は、フィリピンの非キリスト教徒、 とりわけミンダナオ島などフィリピン南部に多い、「モロ」と呼ばれるムスリムの民族学的調査 に置かれた。同博物館は公共教育省の管轄下に置かれ、同省の非キリスト教部族局(Bureau of Non-Christian Tribes)の活動を補完する研究調査機関として、反乱を繰り返すモロの制圧と支 配に学術的に寄与することが期待されたのである22。つまり島嶼博物館は、アメリカによるフィ リピンの植民地化を学術的に補助する機関として設立されたのである。そのため、必然的に調 査目的はフィリピン国内の住民や自然資源のサーベイに固定され、国外をフィールドとする研 究がその目的に掲げられることはなかった。このように植民地統治機構に直属するかたちで博 物館が設置された点でも、また民族学や自然誌といった学知を植民地化に援用しようとした点 でも、この島嶼博物館はほぼ同時代に日本が台湾に設立した台湾総督府博物館(現国立台湾博 物館)と共通している23。島嶼博物館のこうした組織的な特性は、非キリスト教部族局と島嶼博 物館が民族学調査局(Bureau of Enthnological Survey)に統合され、所管が公共教育省から内 務省に移動した後も24、また後述する科学局時代も保持された。 民族学的調査が中心だった島嶼博物館において、自然誌研究が積極的に行われるようになる のは、1904 年以降のことである。同年のセントルイス万国博覧会へのフィリピンの出展を機に、 島嶼博物館はフィリピン博物館(Philippine Museum)に名称を改めるが、この時期から、民族 学に加えて自然誌研究も行われるようになった25。同博物館が所属した民族学調査局は一旦民 族学部門(Division of Ethnology)と改名されて公共教育省の管轄下に戻るものの、わずか 1 年 20 スペイン統治時代についても、個人や修道会などが保有した自然誌コレクションの存在が知られている。 フィリピン国立自然誌博物館の特別展The Pioneering Naturalists in the Philippinesを参照。
21 The National Museum.
22 島嶼博物館が所属した非キリスト教部族局設立の最大の目的は、モロを代表とする非キリスト教徒住民 の民族学的調査を組織的に進めることで、これらの部族の「文明化」、つまりアメリカによる統治や西洋文 明、そしてキリスト教の受け入れを可能にする方法を探ることだった。Michael C. Hawkins, Making Moros: Imperial Historicism and American Military Rule in the Philippines’ Muslim South, Kindle edition (De Kalb: Northern Illinois UP, 2013), chapter 1 Imperial Taxonomies; The National Museum.
23 台湾総督府博物館の設立は 1908 年であるが、それ以前から殖産局による蒐集活動は行われていた。『發 現臺灣―重訪臺灣博物學與博物學家的年代』(國立臺灣博物舘、2017 年)、97 頁。
24 The National Museum.
後の1905 年には科学局(Bureau of Science)に吸収される26。科学局の前身は国立試験局であ り、同年に民族学部門だけでなく鉱山局も取り込み27、多様な分野の学術調査を担うことにな るが、このことからもフィリピン博物館が取り扱う研究領域の多様化をうかがうことができる。 1916 年に同博物館の美術部門がフィリピン図書館(国立図書館の前身)に移されると、所蔵さ れるコレクションの中で大きなウェイトを占めるようになったのは、自然誌と民族学である28。 国立自然誌博物館の展示によれば、この1916 年から 1945 年までは、後述するような博物館の 再編成はあったものの、科学局の民族学部門と自然誌部門は組織的な連続性が維持され比較的 安定していたため29、研究を継続的に行うことができたからと考えられる。 1928 年、マニラにまたひとつ別の国立博物館が開館した。農業自然資源省が設立した、国立 フィリピン島嶼博物館(National Museum of the Philippine Islands)である30。この博物館は、 市中心部の湾岸地区にあるマニラ・ホテルの斜め向かいに建てられ、当初は民族学部門と歴史 美術部門だけで構成され、自然科学関係の部門はなかった。しかし、1933 年に組織の大規模な 統廃合が行われ、美術部門が国立図書館に移されるのと入れ替わりに、フィリピン博物館の民 族学部門と人類学部門が、自然誌関係のスタッフとコレクションとともにこの博物館へと移動 した31。つまり科学局が所有するコレクションのほとんどが、人員とともにフィリピン島嶼博 物館に移ったのである。この再編成により、美術関係のコレクションは国立図書館に集約され るようになり、それ以外の自然誌・民族学・人類学・歴史学関係のコレクションはフィリピン 島嶼博物館が所蔵するようになった。この博物館は、同年に科学局国立博物館部門(National Museum Division of the Bureau of Science)に名称を変え、さらに 1939 年には自然誌博物館部 門(Natural History Museum Division)となり、農商務長官局の管理下に置かれた32。
この科学局時代の博物館が実際にどのようなものを蒐集し、それらがどのように展示されて いたのかは現在では不明である。科学局のコレクションは、第二次世界大戦末期のマニラの戦 い(1945 年 2-3 月)でその大半が失われてしまったため33、現在その詳細を明らかにすること は難しいからである。しかし、例えば第二次世界大戦前夜には国立博物館のハーバリウム(植
26 1910 年代から第二次世界大戦までの科学局民族学部門と自然誌部門を含む、国立自然誌博物館動物学部 門の前史については、フィリピン国立自然誌博物館の展示パネルThe History of the Zoology Division を参 照。
27 The History of the Zoology Division(フィリピン国立自然誌博物館展示パネル)。
28 これを機にフィリピン図書館はフィリピン図書館・博物館(Philippine Library and Museum)に名称を 変更して、司法省(Department of Justice)の管轄下に移管される。The National Museum.
29 The History of the Zoology Division(国立自然誌博物館展示パネル)。この科学局においてどのような研 究が行われたのかは、今後の研究が待たれる。
30 The National Museum. 31 Ibid.
物標本の集積)がアジア最大のものと評価されていたことから34、科学局が蒐集した自然誌コ レクションが質や規模の上でアジア有数のものとなっていたと推測することはできる。また、 植民地フィリピンの調査を任務とする科学局が集めたものであることから、大半はフィリピン 産の標本であり、国外産のものは一部にとどまったと考えられる。そして、当局の研究調査機 関としての科学局の特性を考えると、集められた標本の大半は研究のためのリソースとして扱 われた可能性が高く、従って公開を通して公共教育を行うことが同博物館において重視されて いたとは考えにくいだろう。 第二次世界大戦の終戦後、自然誌博物館部門は国立図書館の美術部門と再統合し、国立博物 館を名乗るようになった。上述したように戦前に科学局が蒐集したコレクションの大半は、ほ とんどの所蔵品が保管されていた立法府と科学局の庁舎とともに焼失したため、現在国立自然 誌博物館が所有する標本は、フィリピンの独立(1946 年)後に改めて蒐集されたものである35。 そうしたコレクション再建プロジェクトの代表的なものが、アメリカの研究者の協力のもと、 フィリピン軍も動員して行われたフィリピン調査隊(Philippine Expedition, 1946-7 年)である36。 こうした調査隊の多くはフィリピンの動植物相や生物多様性の研究を目的としたため37、第二 次世界大戦後の国立博物館のコレクションもまた、戦前同様同国産の標本を主体とするものと なったのである。 1951 年からはこの国立博物館は教育省の管轄下に置かれるようになるが、専用の建物も持た ず、所蔵するコレクションは再建された立法府の1 フロアと、エレミタ地区のあちこちにある 政府関係の施設に分散していた。歴史関係のコレクションについては、1972 年に国立歴史研究 所(National Historical Institute)が創設されると同研究所に移され38、今もリサール公園にあ るプラネタリウムは1975 年に国立博物館の施設としてオープンしたが39、国立博物館が美術や 自然誌、人類学といった分野別の展示施設を得たのは上述の国立博物館法以降のことである。 このことから、戦後から 20 世紀末にかけての時期は、国立博物館のコレクションが公共教育 に積極的に利用されたとは言いがたい状況にあった。 以上が、1998 年に国立博物館法が成立するまでにフィリピンの国有コレクションがたどった おおよその経緯である。こうした制度的な概略からもわかるように、フィリピンの国有コレク ションは 20 世紀の間一貫して政府の研究調査機関(とその機関が保有するリソース)として
34 Dr. Eduardo Quisumbing (b. 1895- d. 1986), Research Profile: Botany – Botanist(フィリピン国立自然 誌博物館展示パネル)。
35 The National Museum.
36 The History of the Zoology Division(フィリピン国立自然誌博物館展示パネル)。 37 Ibid.
位置づけられていた。アメリカ統治時代には、フィリピンのコレクションは植民地統治に寄与 する学知を集積することを第一の目的として運用された。そのため、サーベイの対象はフィリ ピンに限定され、また調査と研究が公共教育よりも重視されたのである。こうした組織的な特 性は戦後にも継承されたことから、独自の予算や専用の展示・研究施設、キュレーターのよう な専門的な人員といった、博物館が公共教育施設として自律的に活動するための前提が長期に わたり欠けていたのである。20 世紀末にようやく公共教育施設としての国立博物館の存在意義 が明文化され、常設機関として組織の独立性や施設の整備の必要性が認められたという点では、 フィリピンにおける公共コレクションとしての国立博物館の歴史は比較的浅いと言うことがで きる。そして国内の調査を国外でのフィールドワークや公共教育よりも重視する組織的傾向が、 アメリカ統治時代に形成され戦後に継承された、植民地時代の「遺産」であると言うこともで きるだろう。とは言え、20 世紀前半の島嶼博物館や科学局のコレクションについては、今回の 調査ではその運営方法や展示の詳細までは明らかにすることはできなかったので、あまり結論 を急ぐべきではないだろう。 2. 現在の国立自然誌博物館 この節では、現在の博物館の展示について、その構成の特徴を紹介したい。今日国立自然誌 博物館となっている旧農商務省庁舎は、第二次大戦による被災後アメリカの資金を得て再建さ れ40、戦後は観光省として使われていた。この時期にオフィス・スペースを確保するための増改 築が繰り返されたため、建物が 2013 年に引き渡された時には、トレドの往時のデザインは見 る影もない姿に変わっていた41。また、配管などの設備の老朽化も進んでいたことから、当初は 5 千万フィリピン・ペソ(約 1 億円)前後と見積もられていた改装工事の総工費は、最終的に は4 億フィリピン・ペソ(約 8 億円)に膨れ上がり、民間企業からスポンサーを募ることでま かなわれた42。この改装工事は、建築家ドミニク・ガリシア(Dominic Galicia)43 とインテリア・ 40 国立自然誌博物館の入口に、アメリカの資金援助を得て行われた再建工事の竣工を記念するプレートが 貼られている。
41 Manlapig, ‘An Exclusive Inside Look’;Teresa Montemayor, ‘PH’s Natural History Museum: A Marriage of Heritage, Modern Design,’ Philippine News Agency, 20 May 2018.(https://www.pna.gov.ph/articles/ 1035818)(最終閲覧日:2020 年 5 月 19 日)
42 Montemayor, ‘PH’s Natural History Museum.’
デザイナーのティナ・ペリケット(Tina Periquet)44 の構想に基づいて進められたが、両者の狙 いはトレドの歴史的なデザインの魅力を復元すると同時に、元はオフィスとして作られた建築 を現代的な展示・保管設備を持つ博物館へと改めることだった45。後述するように、このガリシ アとペリケットによる空間設計は、かなり大胆なものである。しかし開館当時のメディアの報 道を見る限り、2 人のコンセプトはおおむね好意的に評価されたようである46。 2018 年度の報告書によれば、国立自然誌博物館はフィリピンの国立博物館の中では最も入館 者数が多く、669,985 名だった47。もっとも上野の国立科学博物館の2018 年度の入館者数はそ の3 倍以上の 2,458,777 名だったので48、それに比較すると控えめな数字ではある。しかし、同 博物館が2018 年 5 月の開館から実質 8 ヶ月に満たない期間で、マニラの中央ミュージアム・ コンプレックスに属する 4 施設の総入館者数の約 40%に相当する入館者を集めたことを考え ると、同博物館が現在フィリピンで最も人気のある国立コレクションであると言えるだろう49。 2019 年度には、訪問者数が少し落ち着いている可能性はある。しかし 2019 年の報告書はまだ 44 フィリピン生まれのインテリア・デザイナーであり、デザイン事務所「ペリケット・ガリシア」の代表。 ‘Tina Periquet,’ Periquet Galicia. (https://www.periquetgalicia.com/people.html)(最終閲覧日:2020 年 5 月 24 日) 45 Manlapig, ‘An Exclusive Inside Look.’
46 例えば ‘What You can See at the Newly-Opened National Museum of Natural History,’ 18 May 2018. ( https://www.rappler.com/life-and-style/arts-and-culture/202831-national-museum-of-natural-history-manila-opening-day-2018)(最終閲覧日:2020 年 5 月 19 日) ‘Highlights from the National Museum of Natural History: What to See When You Visit,’ 31 May 2018.(https://www.spot.ph/arts-culture/the-latest-arts-culture/73913/the-national-museum-of-natural-history-draft-a1906-20180531-lfrm2)(最終閲覧日:2020 年 5 月 19 日) 47 National Museum Annual Report 2018.
48 『独立行政法人国立科学博物館−概要 2019 年』、20 頁。(https://www.kahaku.go.jp/about/summary/index. html)(2020 年 5 月 24 日ダウンロード)
49 National Museum Annual Report 2018.
立つ50。【図 3】「生命の木(Tree of Life)」 と名付けられたこの構造物は、遺伝子の 二重らせん構造に着想を得てデザイン されたものだという。名前の通り木のよ うに枝を伸ばし、木の葉を想起させる意 匠のガラスドームを支えている、この博 物館のシンボル的なオブジェである。実 はこの「生命の木」はエレベーターシャ フトを兼ねており、館内見学の際の順路 の起点となっている。1 階のアトリウム に入った入館者は、「生命の木」の中にあ るエレベーターで5 階まで上がり、そこ から順に1 から 12 までのギャラリーを 見ながら 1 階に戻るという順路が作ら れているのである。【図 4】アトリウムに 面したスロープを上階から下りてくる 場合、自動的に次のギャラリーの入口に誘導され、見終わった後の出口がまた次のフロアへと 下りるスロープへと続いているため、動線は明確であり迷うこともない。ところが筆者が訪問 した時には、故障のためかエレベーターは使用できず、最上階まで階段やスロープを徒歩で上 り下りしなければならなかったため、せっかくの動線が活かされていなかった。運動不足の筆 者には、1 階から 5 階に上がるだけでも良い運動になったが、現地の訪問者たちは特に疲労し ている様子も見せず、館内を上下に元気に歩きまわっていた。訪問者には家族連れが目立ち、 ギャラリーやスロープではしゃぐ子供の歓声がアトリウムに反響し非常ににぎやかだった。 このように低年齢の入館者が多いにも関わらず、館内では飲食は全面的に禁止されており、 ペットボトル入りの飲料さえもクロークで預けなければならない。しかし、【図 4】のフロアプ ランからも分かるように、館内には飲食のための施設や売店はまったく設けられていない。か なり広い博物館であり、くまなく見学すると数時間はかかるにも関わらず、カフェなどの飲食 店はおろか、飲み物を売る場所さえないのである。欧米や日本の博物館の場合、少なくとも簡 単な飲食ができる休憩コーナーが必ずと言って良いほど併設されているが、同博物館では飲料 水も販売されておらず、館外に出て路上販売の水売りを見つけるしかない。同様に、館内には
50 Montemayor, ‘PH’s Natural History Museum.’
ミュージアムショップも併設されておらず、展示のカタログ等も刊行されていない様子であっ た。ロンドンの自然誌博物館のように、実店舗だけでなく充実したオンラインショップも経営 し51、カタログや葉書の範疇を超えた多彩な物品販売から収益を得る博物館がヨーロッパやア メリカでは珍しくない中、これは予想外のことであった。フィリピンで訪問した他の博物館も あまり商売っ気を感じさせないものが多かったので52、同国ではミュージアム訪問を飲食や ショッピングとセットでとらえる発想はないと見受けられる。これは、余暇の過ごし方や消費 行動といった文化の違いによるものだろうが、先進国のミュージアムではこうした付属施設の 売り上げが無視できない収入源となっているだけに驚いた次第である53。 館内の12 のギャラリーの内、ギャラリー1〜11 は常設展スペースとして使われ、順路の上で は最後となる2 階のギャラリー12 だけが特別展スペースに充てられている。【図 4】常設展の 内、5 階の 4 ギャラリーはそれぞれ異なる切り口から自然を理解する方法を紹介するものであ る。ギャラリー1 では生物多様性の概念が、フィリピンに生息する代表的な動物の剥製標本と ともに紹介されており、アトリウムの垂れ幕に登場したミンドロスイギュウやフィリピンワシ、
51 Natural History Museum Shop(https://www.nhmshop.co.uk)(最終閲覧日:2020 年 5 月 14 日。最終閲 覧日時点では、ミュージアム・ショップは新型コロナウィルスの流行のため一時閉店中である。) 52 例えば今回の調査で訪問した、マニラのカーサ・マニラ博物館、菲華歴史博物館(バハイ・チノイ)、カ ランバのホセ・リサール記念館やバタックのマルコス博物館も同様であった。
53 例えばロンドンの自然誌博物館では、2018 年度の飲食店やミュージアム・ショップの売り上げによる収 入が約600 万ポンドだった。これは総収入約 8,660 万ポンドの約 7%に相当する。Natural History Museum Annual Report and Accounts 2018/2019 (London: Natural History Museum, 2019), pp. 11-2, 16. (https:// www.gov.uk/government/publications/natural-history-museum-annual-report-and-accounts-2018-to-2019 ) (2020 年 5 月 16 日ダウンロード)
フィリピンメガネザルの剥製もここに展示されている。またこのギャラリーには、この博物館 のスター的な存在となっている巨大ワニ、愛称「ロロング」の剥製も中央に鎮座しているため、 とりわけ多くの人が集まっていた。【図 5】ロロングは、2011 年にミンダナオ島で捕獲された 体長6.17 メートルのイリエワニ(Crocodylus porosus Schneider, 1801)だが、生け捕りにされ た世界最大のクロコダイルとして、同年ギネス世界記録にも登録されている54。ギャラリー2 と 3 のテーマはそれぞれ地質、鉱物とエネルギー源であり、ギャラリー4 では進化の概念や生物 の進化の軌跡が紹介されている。4階と3 階のギャラリー5〜10 では、それぞれ熱帯雨林や湿 地、マングローブや海洋など、フィリピンの自然を構成し特徴づけている生態系に光を当てて いる。このギャラリーの構成については、以下で詳しく説明したい。このようにテーマ別アプ ローチ、個々の生態系と進んで、最後に見ることになる2 階のギャラリー11 では、全体のまと めと将来への課題として、フィリピンの生物多様性の豊かさとその維持の必要性が強調されて いる。また筆者の訪問時、同じフロアの特別展は、スペイン統治時代にフィリピンで自然誌研 究を行った先駆的な人物の活動を紹介するものだった55。 特定の生態系を紹介するギャラリー5〜10 のレイアウトは、ほぼ同じパターンになっている。 これらのギャラリーは、およそ3 つのゾーンに分けられているが、まず入口から入ってすぐの ゾーンは、パネルと実寸モデルでそのギャラリーへの導入をする役割を果たしている。入ると
54 ‘Largest Crocodile in Captivity Ever.’(https://guinnessworldrecords.com/world-records/117291-largest-crocodile-in-captivity-ever)(最終閲覧日:2020 年 5 月 19 日)
55 The Pioneering Naturalists in the Philippines(フィリピン国立自然誌博物館特別展)。
示に使用したと考えられるが、【図 9】の空を飛んでいるような不自然なポーズの色あせたネズ ミのように、状態の悪さが目に付くものも散見された。フィリピン政府の広報によれば、公開 時点では、展示されている標本のすべては新しく採集されたものであるとのことだったが58、 その後展示に付け加えられたものについては再加工された剥製も含まれるのだろうか。 メイン・ゾーンとは壁で仕切られた、入り口側の細長い空間にギャラリーの3 つめのゾーン がある。ここには、各種の生物標本を収めた引き出し式のキャビネットが並び、もっと標本を 見たいと思った見学者が、引き出しを開けてじっくりと眺められるようになっている。【図 10】 このようなコーナーがあると、一度に目に入る陳列物の量は抑えつつも、関心を持つ訪問者に は探求の機会を提供できるため、展示経験に深みと多様性を与えることができる。そのため、 こうしたキャビネットはスタンダートな展示方法のひとつとして、現在では多くの博物館で採 用されている59。自然誌博物館でこうした展示方法を用いると、例えば標本がバックヤード(研 究と標本の保存のためのスペース)でどのように保存・管理されているかを見せることができ るので、博物館の役割に関する入館者の理解を深めることができる。しかし、フィリピンの国 立自然誌博物館の場合、とりわけこのゾーンには多くの問題点が残されている。まず、各ギャ ラリーと設置されているキャビネットの関係性が必ずしも明確ではない。それぞれのキャビ ネットには、チョウ類や乾燥植物標本など、同一ジャンルの標本が納められているが、なぜそ
58 Montemayor, ‘PH’s Natural History Museum.’
59 例えばベルリンのコミュニケーション博物館(Museum für Kommunikation Berlin)や東ドイツ博物館 (DDR Museum Berlin)では、上記のようなキャビネットと似た形の展示が行われている。
標本やその保存に関する展示にかなりの面積を割いている。つまり動植物や鉱物そのものだけ でなく、それらを集めて分析を行うという自然誌研究の実践自体にも光を当てているのである。 第3 の特色は、オーソドックスでやや保守的な展示手法が採られていることである。各ギャラ リーの展示は、パネルと剥製やモデルの陳列が大半を占めており、シンプルで明快な反面、変 化に乏しい。ギャラリー10(海洋領域)の海底の風景を映し出す小さなプロジェクション・マッ ピングを除いて、音声や動画を使用した体験的な展示はほぼ欠如している。また、ハンズオン 型の展示(訪問者が自分で触ったり作業をしたりできるタイプの展示)に近いものとして、上 記の標本キャビネットが挙げられるが、上述のように効果的であるとは言いがたい。このよう に、パネルによる説明に頼る展示は、特定のメッセージや解釈を分かりやすく提示するという 点では有効だが、入館者は提示された情報をただ受動的に受け取るだけになるため、自由な解 釈の余地が残されず、展示が単調で押し付けがましくなるリスクがあるのである。 終わりに代えて フィリピンの国立自然誌博物館の最大の特色は、そこに「ない」ものにある。本稿の第2 節 に見たように、現在の展示はフィリピンの自然の豊かさや列島に生きる動植物の姿を十分に伝 えるものである。しかしそれは裏返してみれば、フィリピン以外の地域を切り落とした展示に なっているということでもある。例えば同博物館のハイライトのひとつは、ミンダナオ島で捕 らえられたイリエワニ「ロロング」の剥製である。体長6 メートルを超える巨体は確かにイン パクトのあるオブジェクトではあるが、同時に他国の自然誌博物館において目立つ場所に置か れることの多い、ゾウやキリン、ライオンといったエキゾチックな大型哺乳類の剥製や大型恐 竜の化石がここにはないことを気づかせるものでもある。そして展示の中で、フィリピン以外 の地域の動植物が紹介されていたのはただ1 ヶ所、生物の進化を取り上げるギャラリー4 だけ である。それもパネルによる説明と写真だけであり、標本の展示をともなうものではないので ある。 こうした潔いまでの自国の自然へのフォーカスは、国を代表する博物館の姿勢としては異色 のものである。例えば東京の国立科学博物館の場合、常設展は日本館と地球館の2 本立てとなっ ており、日本はもちろん地球上の生命そのものにも光を当てる構成となっている60。パリの国 立自然誌博物館の目玉となっているのは、地球上の生物の進化の歴史を動物の行進で表現した 「進化の大ギャラリー」であり61、インドのコルカタのインド博物館においても、動植物コレク 60 「常設展」、国立科学博物館(https://www.kahaku.go.jp/exhibitions/permanent/index.html)(最終閲覧 日:2020 年 5 月 24 日)