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セオドア・ドライサー論

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セオドア・ドライサー論

著者 中井 清

雑誌名 主流

号 21

ページ 27‑52

発行年 1958‑05‑15

権利 同志社英文学会

URL http://doi.org/10.14988/pa.2017.0000016644

(2)

セ オ ド ア ド ラ イ サ i 論

現実との対決の問題

美女美男の群像

冒険活劇猟奇的要素

文学のジャンルの一つに小説があり︑その小説の中に歴史

小説という分派がある︒歴史小説だから︑かならず過去を描

いているとは眠らない︒過去を描いて現代を描いている倒も

多くある︒現代小説だから︑かならず現代を描いているとは

限らないのと同様である︒しかし優れた歴史小説はやはり現

在と未来と一言う観点から過去を見る︑即ち︑前進する為にこ

そ過去をふり返ると言う態度から蓄かれたものでなければな

らない︒過去は過去の為にあるのではない︒過去は現代と未

来の為にあるのだ︒そう一言う意識で書かれたものでなければ

ならない︒たとえ作者が意識的にそのような意図で作品を警

かなくても︑優れた作品にはかならず︑そう言った性格が備

わっているものである︒

ドライサ

I

の八つの長篇小説の中で︑一九二五年に出版さ

れるや忽ち洛陽の紙価を高からしめ︑一大センセイションを

惹起した﹁アメリカの悲劇Lの一篇を除いた他の七篇の小説

は︑いずれも過去を扱っている︒過去を扱っていると一言う理

由で歴史小説と言うカテゴリイに加えることが出来るならば︑

彼の小説はすべて歴史小説と言ってよいかも知れない︒

﹁シスター・キャアリ﹂は一九

OO

年に印刷され︑市売さ

れたのは数年後になるが︑物語は一八八九年︑一八歳のキャ

アリがシカゴへ向う汽車の中から始まる︒第二の長篇﹁ジェ

﹃了

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ルハ

iト﹂は一九一一年に出版されたが︑物語は一

八八

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年︑場所はコロンパス市︑十八歳のジェニ

I

に始

まっ

ている︒﹁財界人﹂は一九一一一年︑﹁巨人﹂は一九一四年で︑遺

稿の﹁克己主義者﹂は一九四七年の出版で︑これらは所謂カ

lパウッド物語と呼ばれる三部作であり︑カlパウッド一代

記と一言ってよい作品だが︑物語は一八四

0

年代︑場所はフィ

ラデルフィヤで小学生のカiパウッドに始まり︑やがて舞台

‑27

(3)

は一八七

0

年代のシカゴに移り︑最後にニューヨークで二十

世紀の初めに他界する一生の物語である︒自伝小説﹁天才﹂

は一九一五年の出版であるが︑これはドライサiの自伝であ

り︑従って一八七一年生れの彼の小学生の頃から始まって一

九 一

O

年頃に終っている︒一九四四年に完成して死後出版さ

れた﹁とりで﹂(一九五六年出版)も︑物語は一八七

0

年代

の終りから始まり︑世紀が変り︑一九二

0

年代に終る作品で

ある

このように見てくると彼の作品は﹁アメリカの悲劇﹂(こ ︒

の作品は時代が書かれていないが物語が現代であることには

間違いはない)を除いて︑大体︑十九世紀後半から二十世紀

にかけての物語が圧倒的に多い︒今これを歴史的に見ると︑

南北戦争という内乱を背景に︑没落してゆく古い南部と勃興

してくる新らしい北部との激しい対立とその統一︑リンカー

ンの暗殺に象徴される反攻︑テロリズム︑経済的大混乱など

を経て︑やがて近代資本主義機構の発展にともない︑鉄道︑

石炭︑鉄︑石油︑銅︑鉛︑錫などの工業の急激な発達を得℃︑

次第に資本主義の形態は個人経営から株式組織へと移行して

ゆき︑それにともなって度重る恐慌︑ますます肥る独占資本︑

独占による弱小企業の圧迫と言った現象が著しくなってくる

につれ︑労働者の団結と労働運動の勃興を見るに至る︒全国

労働同盟が組織され︑第一インターナショナルの支部︑労働

騎士団が生れ︑七

O

年には労働改革党が結成され︑七四年に は農民による縁背党が成立する︒七三一年の恐慌後五年間にわたる不況は三百万余の失業者を生み︑七七年には鉄道ストライキを中心とする流血の反抗が労働者によって起されたりしている︒このように資本主義社会の矛盾が暴露されてくるにつれ労働者は団結によってこれに対抗し︑急激に労働組合を成長させてくる︒八六年には比較的組繊力を持つアメリカ労働総同盟

( A

・ F

‑ L )

が結成され︑賃金値上︑労働時間短

縮︑労働条件の改善と言った健実な闘争を展開していった為

初めは五万人に満たなかった組合員が︑一九

OO

年には五五

万人にまで増加している︒

一口に言ってこの時代はアメリカ資本主義の成熟期に当り︑

歴史の頁に所謂近代的工場労働者が激増した時代で︑持てる

者と持たざる者との断層がますます大きくなり︑階級的対立

が次第に激化し始めてきた時代であった︒このような時代的

背景のもとに彼のほとんどすべての小説が書かれているので

ある

ところで︑こう言った歴史的背景を頭に置いてドライサー ︒

の一財界人の生涯を描いた︑﹁財界人﹂﹁巨人﹂﹁克己主義者﹂

の三巻の小説を読んで見ると︑これが普通言われるように︑

南北戦争以後のアメリカ資本主義経済の動向を的確に描いた

ものであるかどうかは疑わしい問題になってくる︒即ち︑カ

iパウッドが果たして典型的情勢に於ける典型的性格として

十分に描けているかどうかと言う問題である︒株券の値段と

(4)

か馬車賃とか弁護士を使って如何にして会社を支配するかと

一言ったことは︑きわめて詳細に描かれている︒が︑一体カl

パウッドの経営の実際面が描かれたことがあるだろうか︒次

から次へと富を求めて狼のように歩き廻ってはいるが︑労働

者のことを一時でも考えたことがあるだろうか︒彼はストラ

イキと一マ一口う言葉の意味さえ知っているかどうか疑わしいもの

である︒その証拠には財界人の生涯を扱った小説で︑しかも

一千数十頁の小説の中で︑労働者とストライキのことが語ら

れるのは次の文章がほとんど唯一のものと言ってよいから だ ︒

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この文章はこれっきりで終り︑その後の経過などは何も描か

れてはいない︒ドライサiの創造したカ

I

パウッドの前には

労働者や労働問題は皆無である︒ただ︑機構だけが抽象的に

存在するに過ぎない︒また︑南北戦争と一言う大事件をこの小

説は数行で片附けてしまっている︒南北戦争がアメリカ経済

に与えた影響は甚大なものがあったことは今さら開き直って

説明するまでもないことである︒カiパウッドにはそれが全

く無関係であったかの如く描かれている︒つまり一口で言え

ば︑歴史的背景と言う大きな視野の中でカiパウッドを把握 してはいないと言うことになる︒勿論この物語は実在した人物をモデルにして書かれたものだから︑その人物の実際の行動以外には創作を附加しなかったからこんな結果になったのだと言う弁解が成り立つかも知れない︒実際ドライサlは精

密に文献を調査して歩いたのである︒しかし︑彼は小説を書

いたのであって︑写真的伝記を書いた訳ではあるまい︒三巻

のこの小説は官険活劇的金儲けの話が数章続いて︑それが退

屈になると官能的恋愛がにゅっと顔を出す︑淫擦なラブシー

ンが一つ済むと今度は新らしい金儲けの話になる︒金儲けの

時は一際︑恋愛の話は出てこないし︑恋愛の話の聞は金儲け

の話は出てこない︒恋愛と金儲けがサンドイッチのようには

さまって最後までそのようなプ戸セスを辿ってゆく︒結局こ

の物語は接吻と金儲けの物語と言った方が解りやすい︒アレ

デリック・ホフマンが茶化すように︑主人公はドライサlの

創った淫廃なラブシーンにあきあきさせられたに相異ないの

だ ︒

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(

村勝治・大橋健三郎共訳・東京評論社・昭和三二年・七回

i

七五頁)

この一連の小説は一九三七年に生れて二十世紀初頭に死ぬ

カlパウッドの大体六十余年の生涯が描かれており︑南北戦

争前夜から戦後のあわただしい混乱の時代に生きて︑資本主

義成熟の為の一翼をになったカiパウッドの物語は︑今日か

ら見ても決して魅力の乏しいものではない筈である︒ところ

(5)

が︑この三巻の小説はそのような問題は皆無である︒それの

みかカ1パウッドが︑彼の生きた時代から遊離してしまって

いて︑現実との対決はまるで冒険小説的なそれでしかないの

である︒もしかりにカIパウッドが財界人として典型的人物

であるとするなら︑当然彼はその時代の典型的性格と対決し

そこから彼自身の生活や富も形成されてくるのであり︑それ

を無視しては単に興味本位の物語に堕する他に道はない︒だ

から︑そこに見られるものはカlパウッドの冒険活劇猟奇的

物語以外の何ものでもないのである︒そう言った冒険誼を描

くのに歴史小説はまたとない舞台を提供してくれることは確

かである︒ドライサーがこれらコ一巻の小説を書いた目的は彼

自身明確であったかどうか疑わしいのだが︑大体﹁ジェニ1

・ゲ

ルハ

iト﹂に描かれた運命に飽周糊される人間に対して︑

運命を支配する人聞をこの三部作で描いたと思われる︒即ち︑

﹁自分ばかりはついぞ運命令}御したことがない︒世の人達は

いつもそれを操って行くのに﹂

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向︒需宮︑毎日高垣松雄

訳・東京新潮社文庫版︑昭和二九年・下巻二四一頁)と︑嘆

息するジェニ!の言葉に見られる︑﹁運命を操って行く﹂人

を描いたのである︒このジェニ!の言葉は当時暗うつな生活

を送り運命の非情に苦しんだドライサ!の考えとそのまま一

致している︒即ち︑

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と︑一言う彼自身の一言葉であって︑ここでドライサーのあげて

いる人聞はすべてジェニ!の限には﹁運命を操って行く﹂人

達なのである︒つまりドライサ!のこう言った人達への憧憶

と羨望がカiパウッド物語を書かせたと言ってよい︒だから

この物語が結局冒険猟奇物語に終っているのも無理はないと

言え

るの

だ︒

もし︑過去の物語が過去だけに留っていないで現在にかか

わりあってくる︑従って現在の生き方の問題にまで深刻にか

かわってくる︑そう言った物語でないならば︑康史物語の意

味など︑どこに存在するのだろうか︒このことは単に過去を

扱った小説だけに限ったことではあるまい︒ドライサI

の小

説は﹁シスター・キャアリ﹂と﹁アメリカの悲劇﹂を除いて

は全く︑現在につながってくる問題を含んでいないと言って

もよい︒回想裡に想い浮べる官険活劇猟奇物語が彼の小説の

本質を形成しているのである︒

例えばメンケ

γ

が第一流の作品と絶讃した﹁ジェニi

・ ゲ

ルハ

iト﹂を読んでみる︒すると︑まずこの小説は彼の思想

が全然作品の中に定着されていないことに︑つまり︑思想だ

けが遊離してしまっていることに気付く︒それはさておき︑

(6)

まずジェェ!と上院議員*フランダ!との関係を考えてみると︑

読者は初め並々ならぬ興味と関心を持って二人の関係を眺め

ている︒上院議員であり︑政界の有力者である0フランダーが

石炭盗みをしなければ生活も出来ないような家庭の娘ジェニ

!と結婚しようと熱望するのだから非常に興味を感じる︒二

人の前途にはどのような困難や障害があるだろうかと︑読者

ははらはらさせられる︒ところが︑貴図らんやブラγダ1は

突然急死してわれわれの前から姿を消す︒そして︑ただ一度

の肉体の交渉でジェューはプランダ!の子を宿してしまうの

だ︒カlパウッドやウィト一プや後からジェニ!の愛人となる

レス

1

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γなどが数えきれぬ女性と淫蕩な関係を結び

ながら︑ただの一度も彼等の子供を宿したことがないと一一言う

ことをここでちょっと考えてみるのも面白い︒つまり︑ここ

では運命と言う便利な武器を乱用しすぎている︑と言うこと

だ︒勿論ハ

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力な車鞠製造会社の次男坊で︑ドン・ファン的人間だがジェ

ニ!と愛の巣を営んでいる︒ところが︑もしジェ?ーとの生

活を断念しなければ︑莫大な遺産を相続することが出来なく

なり︑またかりにジェニ!と正式に結婚すれば一年一万ドル

を死ぬまで与えるが︑万一正式の結婚もせずに同棲を続ける

場合にはびた一文といえども︑もらえないと言う非常に苦し い立場に追いつめられ︑その決断を迫られた時︑彼は結局レティ・ベイスと言う上流社会の未亡人で巨額の富を持つ女と結婚してしまう︒しかし小説はここでは終らないで︑レスターがジェニ!の胸に抱かれて死ぬと一言う皮肉なフィナーレとなって終る︒ドライサーはレスターがジエニーを棄ててレティと結婚するのを次のように必然的な事柄として描こうとし︑レスターの行為を正当化しようと企てている︒

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各自の属している環境以外には︑事実上適合しないのである︒人間もある一定の雰閤気に慣れている鳥のようなもので︑それ以上

高くても︑或は低くても︑気持よく生活して行くことは出来ないのだよミ

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巻二

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作法︑習慣等の細々とした点に就いて習熟しては来たものの︑

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1適るあでのたっかないてしは彼にとこのられそ来生は女OL

(同右︑二ご頁)

つまりレスターのような上流社会の人聞はジェニーのよう

な生れの卑しい人間と一緒に生活するのがそもそもの間違で︑

高貴な人聞は高貴な人問︑卑しい人聞は卑しい人間同志でお

互に暮せば絶対に安全で︑それがアプリオりな︑必然的な法

別であると彼は言いたいらしい︒だがこれを読んでなるほど

と納得する読者は一人もいない筈である︒人間と環境との関

(7)

係が︑魚と海︑鳥と空との関係のような必然的なアプリオリ

なものであったりする訳はない︒有為転変きわまりないこの

人生で︑しかも人間と環境との関係がアプリオリに固定的な

ものでない以上そんなことは絶対にあり得ない訳である︒

一口で言えば︑レスターの行動は富や地位を失うことが恐

ろしく︑たとえ乞食の生活をしても心から愛する女ジェニ!

と人生の苦労を共に味わおう︑と言う覚悟がなかったまでの

話に過ぎぬ︒それを環境だとか︑生れつきだとか一言って︑レ

スタ!の行為を正当化しようとする︑と一言って悪ければ彼の

粗雑な哲学で割切ってゆこうとする︒実際ライオネル・トリ

リングが言うように︑ドライサiが哲学者ぶって語る時ほど

始末におえない時はないのである︒(﹁叶江口

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東京研究社小英文叢書・昭和

二七年・一七頁)

レスターが巨万の富を貯え︑時めく実業家であったればこ

そジェニlの胸に抱かれて︑お前こそ最も愛する女であった

などと戯けたことも言えたのだと思う︒かりに︑レスターが

決断を追られた時堂々とジェニ!と結婚してわずかの金で満

足し︑愛する女と生活を共にしようと腹をくくり︑覚悟をき

めて︑その通りにやっていたとしたならどうであろうか︒そ

の結果がハ!ストウッドのような悲惨な自殺に終っていたか

も知れない︒レスタ!の置かれた立場は本質的には﹁シスタ

ー・キセアり﹂のハiストウッ

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の立場とほぼ同様であって︑ 結局するところ︑ドライサーがハ

I

ストウッドを行動させた

ようにはレスターを行動させることが出来なかったのであ

る︒つまり︑レスターに堂々と真正面から困難な現実にぶち

あたらせ︑人間性の限界を最後まで追求させようとはぜずに

ブラγダーを急死させたと同じ手際で︑レティ・ベイスのよ

うな未亡人を創造して︑レスターを巧妙に逃避させることに︑

より物語を展開させているのである︒﹁シスター・キャアリ﹂

に見られた現実直視の精神が﹁ジェニ1・ゲルハiト﹂では

見事に挫折してしまっていて︑困難な現実との対決の回避と

なって終っている︒

遺稿﹁とりで﹂を取上げてみても同様であって︑この小説

はその本質に於ては︑現実との対決を回避することによって

のみ成立していると言っても過言ではないと思う︒(この作

品についてはいずれ稿を改めて論じたいと思っている︒)

もう一つ︑レスターや﹁天才﹂のウィト一ブに共通して言え

ることは︑破局に直面した場合イニシアティプを取るのはい

つでも女性の側であると言うことである︒ほとんどの場合が

愛情にからまった問題に関してだが︑﹁ジェニ!・ゲルハi

ト﹂の場合も﹁天才﹂の場合もい︑ずれも女性によって︑良い

にせよ悪いにせよ︑破局が打破されてゆく︒そしてその場合

主人公が直面した現実を回避させる役目を女性が果たしてい

る ︒

(8)

レスタ!とジェ一了ーとの別離を考えてみると︑レスターは ジェニーから別れ話を持ちかけられ︑ジェニ

i

に引きずられ て︑レスターはジェニーを棄てざるを得ない羽目にさせられ

る︒だから﹁ジェニ

i

が自分に別れてくれと言ったのだ︒﹂

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司込需品二高垣訳下巻一八七頁)と︑全く身勝手な

ことまで独白して︑レスタ

i

は自分の行為を正当化しようと

する︒レスタiの受身の姿勢に対して︑ジエニlは最後まで

能動の姿勢を崩すことが許きれない︒こうなるとどうしても 女は悲劇大新派のヘロインとならざるを得ない︒そしてそれ が現実との対決を迫られた主人公の存在を読者に忘れさせて

しまうのである︒

﹁天才﹂の主人公ウィトラもヘロインのアンジェラとの聞 に愛情が存在しないと言う根本的な問題に︑ウィトラはいつ までたっても直面しようとはしない︒愛情が存在しないのに

結婚したと言うのは︑実はウィト一ブが性的欲望に負けてアン

ジェラを妻とぜざるを得なくなったからに過ぎない︒勿論ア ソジェラと肉体交渉を持ったとしても︑結婚しなくてよいな らしたくないと言うのがウィトラの希望であった︒が︑一方 アンジェラはもし結婚出来ないなら︑このまま生きてはいけ

ないと一言う悲槍な覚悟でウィトラに結婚を要求する︒結婚と

言う旅券を入手する為に︑アンジェラは自分の肉体をウィト ラに提供したので︑もしそれが失敗したなら︑死が待ってい る訳であった︒肉体を所有することの出来たウィトラは実は

それ以上のものをアンジェラに所有されてしまった訳である︒

ウィトラは第八番目の愛人で絶世の美女︑スザ!ンヌとの

強烈なラプシ

に於ても︑アンジェラとの離婚と言う困難 な現実問題を忘却して︑利那の快楽を味わうことにのみ腐心 する︒現実をしっかりと見つめているのは十八歳の娘︑スザ

iンヌなのである︒

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ウィト一フのこってりとした愛撫の最盛中に︑ウィトラが一一

人の前途をどう考えているかを確める冷静さを︑この若きス

ザiンヌは持ち合せている︒ここでも彼女を抱いているウィ

トラは抱かれているスザiンヌに対して受身の姿勢にある︒

このような場面をカiパウッドとエィリlヌとの聞にも同

様に見ることが出来る︒カiパウッド物語と﹁天才﹂は外面

的には非常に異った作品と言う印象を受けるが︑本質的には

同じものだと考えて大きな間違いはない︒エィリ!ヌは多く

の点でアンジェラと共通しているし︑カlパウッドはウィト

ラと多くの類似点を持っている︒一一つの作品を読みくらべて

見ればそれは明白になる筈であるがここではこれ以上この問

題には触れないことにする︒

さて︑以上の倒によっても解るようにドライサ!の文学の

大きな特色のひとつは︑困難な︑解決しにくい現実との対決

を回避して︑もっぱら安易な世界へ逃れる︑と一言うことであ

る︒(﹁シスター・キセアリ﹂と﹁アメリカの悲劇﹂は例外

と一言ってよく︑これらの二つの作品に於て現実との対決がど

のように行われているかを述べることは︑本稿の目的ではな

いので省略する︒﹀そこには過去という一応現在とは次元の

異った世界があり︑恋愛が花咲き︑美女美男の群像がおびた

だしく登場し︑冒険活劇猟奇談が風擁するのも当然のことで

あろ

う︒

彼の小説が物語をすべて過去に求めている理由はいろいろ

と考えることが出来るだろうが︑少なくとも結果的に見れば︑

現実との対決を回避する為の手段として利用している︒過去

の物語が過去のままにとどまっていて︑現在に生きるわれわ

れに働きかけるものを何ら持ち合せてはいないのであるQ

自伝小説﹁天才﹂の主人公ユIジiヌ・ウィトラをカlパ

ウッドやクライド・グリフィス或はレスタi・ケインと比較

することによってドライサl自身の人間像を措くことは比較

的容易なことであると思う︒この四人の人聞は本質的には全

く同じ人間であり︑ドライサ1自身がこれらの人闘を通して

鮮かに感じられる︒

まず︑﹁天才﹂とカlパウッド物語とは多くの類似点を持

っている︒なるほどウィトラは芸術家であり︑カiパウッド

は財界人であると一言う相違はあるが︑どちらも社会の交問者

になろうとする本能的欲望と女性の美に対する強烈な欲望を

持っていると言う点に関しては︑二人の間には全く相違がな

い︒ウィトラは有名な芸術家になり︑カlパウッドは財界人

として巨額の富を得てどちらも成功するし︑また対女性関係

に於ても二人の態度は同じである︒ヘロインにしても︑ヵi

パウッド物語に於けるエィリiヌは﹁天才﹂のアンジェラと

(10)

いささかの栢異もないくらい類似している︒またドライサー

の八つの長篇の中で﹁天才﹂とカlパウッド物語全三巻の小

説ほどおびただしく女性の登場する小説も他にはない︒主だ

った女性の数をあげると﹁天才﹂では八名の女性がウィトラ

と深い関係を持つし︑カ!パウッド物語では十二名の女性が

カiパウッドと肉体関係を持つ︒頁数で言うとカ!パウッド

物語は﹁天才﹂の約二倍の長さであるが女性の数で言えば大

差はない︒ウィトラとカlパウッドのこのような女性の美に

対する欲望は﹁天才﹂が自伝小説であり︑ドライサl自身の

生活とウィトラの生活とを詳細に比較した場合︑ドライサi

即ウィトラと言っても大きな誤りを犯さない︑と一言う点を考

慮に入れるとドライサi自身の対女性関係を大体知る事が出

来ると思われる︒﹁アメリカの悲劇﹂のクライド・グリブィ

スも対女性関係に於てはウィトラやカ

10ハウッドと全く向じ

素質のある男である

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7対女性関係に関して︑カiパウッド

をドライサ

I

自身と断定する事は出来ないのは当然だが︑ゥ

ィトラとカiパウッドの今見てきたような類似点を考える場

合︑カ

I

パウッドの中にドライサl自身の姿が多分に投影さ

れていると考えて間違いはないように思われる︒先ほども少

し触れたようにカ

I

パウッドのはなばなしい支配者ぶりを︑

ドライサーが非常に憧れていたことは大体誤りはない︒と同

時に︑また彼のドン・ファンぶりに両手をあげて共鳴したこ

とも同様であるc ウィトラとクライドの類似も本質的なものである︒二人の

表面的な相異はいくらでも指摘出来るかも知れないが︑この

ご人の人間性の本質となると全く相異がないと言える︒それ

は対女性関係に於て的確に把むことが出来る︒

ウィトラとアンジェラとの結婚は性的欲望の為に実現した

が︑ウィトラにしても性的対象としてなら他に多くの女性が

いたが︑最も安易にそれを獲得出来る立場にあったからアン

ジェラと関係を結んだに過ぎないのだ︒彼自身それを非常に

後悔して︑立吋

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・﹀と独白する︒もしかりに﹁天

才﹂一巻が何か苦悩と言ったものを描いているとするなら︑

心なら︑ずも性的欲望に屈服して本当に愛していない女と結婚

した男の苦悩の物語である︒一方グライドはと言えば結局孤

独に耐えられず︑交際を求めたロパIタと自己の性的欲求に

抗しきれ︑ずに︑ついに肉体関係を結んでしまう︒そして結局

するところ︑これが原因でロパ!タを溺死させる︒﹁アメリ

カの悲劇L一巻の悲劇は第三部裁判の場で展開される人聞の

実在の悲劇性と第一部第二部に於ける彼の置かれた社会環境

と彼個人の性欲と言うものとが一緒に組合わさって起る悲劇

なのであって︑女体の妖しき魅力に脱帽するクライドを絶対

に忘れてはならないのである︒

多少ニょアンスの違いはあるがレスタi‑ケインもここに

加えてよかろう︒彼は十七歳にしてすでに夜の街に遊んだ経

‑ 35‑

(11)

験の持主で︑一夫多妻の猛烈な讃美者で︑従って﹁富裕の︑

貧乏の凡ゆる種類の女性を知っていた﹂(高垣訳上巻一五七

頁)のである︒カiパウッド︑ウィトラ︑グライド︑それに

レスターを加えてもよいが︑彼等はいずれも淫蕩な抜群の助

平だが︑ドライサーもこれらの主人公と同等の或はそれ以上

の助平な淫蕩な男であったと考えられる︒

ドライサーが非常に人並外れた助平な男であったなどと一言

うと︑一体いかなる資料に基づいてそんな勝手な想像のよう

なことが言えるのか︑︑と言った意見が起るかも知れない︒も

っともなことである︒

A7

見てきたようなことだけではその反

問を納得させることは出来ない︒もう少し詳細に述べてみよ

う︒この場合︑先ほども少し触れたように自伝小説﹁天才﹂

がその有力な手がかりになる︒

﹁天才﹂をドライサ!自身の実生活と詳細に比較すれば勿

論細かい点に於て相具の出てくるのは当然のことであるが︑

この小説の骨組︑根本精神に於ては何らの相異もない︒画家

ウィトラを作家ドライサiに置換えて見さえすればよい︒ウ

ィトラの物語は一八七一年から一九一一年までであり︑ドラ

イサ

lに当てはめれば誕生から﹁ジェニ1・ゲルハ!ト﹂の

出版までである︒

まず﹁天才﹂の物語を見てゆくと︑ウィト一ブがハイスグi

ルを中退して単身シカゴに乗り込むあたりまではあまり似て

いない︒シカゴに出るとウィトラは金物屋や家具商の鴎員或 は洗濯屋の配達人などをしながら︑夜美術学校に通っている間に挿画画家としてグロウブ新聞に採用され︑やがて小金を貯めると︑ユ

L

ヨIクへ出て行く︒数年聞苦しい修業時代l

が続くが︑やがて或る新聞社に見出され︑挿画画家として名

を知られるようになり︑交友も増してくるが︑その頃一以前か

ら知合っていた教師アγジヱ一フと結婚する︒その直後にニュ

ーヨークの一流の画廊で個展を開くのだが︑彼の画は︑五番

街の吹雪︑曳船︑雨のグリlリl広場︑貨物列車の事進︑ブ

ロードウェイの暁コ一時︑と言ったものでリャリスティクで現

実生活の姿を見つめている点に特色があり︑激しい賛否両論

の中に彼は天才的芸術家としての第一歩を歩み出す︒

ここまでをまずドライサ!の実生活と比較してみよう︒彼

は十五歳の時︑ハイスクールの一年を修了すると早速単身で

シカゴに出て︑料理屈の皿洗い︑金物屋の小使︑土地建物周

旋業の事務︑洗濯屋の配達人︑家具月賦販売会社の集金人な

どをしながら自ら生活の途を講じた︒が︑ゃ︑がてデイリー‑

ニューズ︑グローブ等の新聞社に勤務しまもなくセイント・

ルイスに赴きグローブ・デモグラットの社会部記者となった︒

この当時に石油が爆発して十数名の死者を出す大火があった

が︑これを取材した記事が非常に優れていて大いに才能を認

められる︒その後グリlブランド︑ピイツパiグと転々とし

やがてニ

L

ヨークに落着き︑諸新聞に中間読物を寄稿しつl

つ︑やや生活に余裕を得︑教師︑サラ・ホワイトと結婚︒二

(12)

年後に﹁シスター・キャアリ﹂を出版︑やがて暗一々意々たる

賛否両論の中に丈学者としての地位を確立した︒

このように見てくると根本的な点に於ては両者の相具は全

くない︒小説のこれから後のウィトラの生活とドライサ

i

実生活とはひとつに述べてみてもいいだろう︒結婚がもとも

と理想的ではなかったのでいろいろと苦悩︑煩悶している間

にいつしか麗度の神経衰弱に二人ともかかっている︒彼らは

健康回復の為に妻と別居して︑道路工事の従業員として働き

つつ再起を準備するが︑まもなく︑ウィトラは広告会社︑ド

ライ

lは大衆雑誌会社に勤め︑妻を故郷から呼寄せる︒や

がて︑二人ともとんとん拍子に出世街道を歩き︑ウィトラは

大会社の広告業の経営を一切まかされる支麗人になるし︑ド

ライ

lはバタリック出版会社に招かれて五種類の雑誌の総

編輯者となっている︒ところが︑ここにひとつの恋愛事件が

起る︒小説ではスザIンヌとのそれだが︒ドライサ!の場合

は会社の有力者の娘との恋愛だが︑結局これが原因でドライ

サーが総編輯者の地位を失うのはウィト一ブの場合と全く同様

である︒小説ではアンジェラが死ぬことになっているが︑ド

ライサ!の場合は離婚(実際離婚したのは一九四四年︒サラ

・ホワイトが離婚を認めなかった︒)を目的とした別居をし

ている︒しかし︑これ以後ウィト一プは芸術家として︑ドライ

サlは文学者としての仕事に︑それぞれ専心従事する点は全

く同様である︒ さてこのようにウィトラとドライサ!との生活が密接な一

致を見せているのに︑女性関係だけが一致していないと言う

ことは考えられない︒第一パタリックの総編輯者を首になる

のは女の為であり︑大体小説の通りであることも有力な材料

となる︒それに加えてドライサーが女性の妖しき魅力にどれ

だけ首ったけであったかを証明することがひとつの有力な材

料となるが︑それは簡単なことである︒

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ここで言えることは対女性関係に於てはウィトラもカiパ

ウッドもレスターもドライサi自身も全く区別がないと言う

ことである︒われわれは次の言葉をドライサi

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言う

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或はドライサIの︑玉入金の一人が言うのか︑全く識別出来な

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(13)

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もう一つの倒をあげれば︑ドライサーがカiパウッド物語

のモデルに何故︻

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を選んだかと

一言う問題である︒ドライサlは南北戦争当時の財界人約二十

名の生涯を詳細に調査した結果︑ヤjクが財界人的手腕のみ

ならず稀に見る色魔であったと言う事実を知り︑これがドラ

イサーを非常に強く刺戟して︑ついに彼をカiバウッド物語

のモデルに仕上げようと決意したことを︑われわれは知って

いる︒ドライサl

はヤ

lクに自分の色遣の先輩を見てとった

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は彼自身の体験からであって︑自分の性癖をすべての他我に

までも拡大しようとしたまでのことである︒

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この一言葉はまぎれもなくドライサ!自身のもので︑性欲の恐

ろしさを実感したもののそれである︒ドライサlの主人公な

ら誰がこの言葉を語ったとしても可笑しくないし︑ぴったり

とし

てい

る︒

さらにもうひとつつけ加えれば︑彼の小説には性の遊戯は

おびただしく出てくるが︑それにつきものの酒︑タバコ︑賭

博などが全然出てこないと言う事実である︒ハlストウッド

は高級バlの支間人だが酒は社交上たしなむ程度に過ぎない

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iパウッド︑クライド︑プランダl︑レス

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酒に対する措日好は強いと書かれているが︑レスターが

酒を飲む場面は一度もない)の内どの一人を取りあげて見て

も酒欽家︑賭侍家と一一訪った人物は︑一人として含まれていな

い︒女性の方は勿論いない︒これは一体どうした訳であろう

か︒彼の哲学の必然的な帰結だと言ってしまえば話は簡単で

ある︒が︑今まで見てきたようにそれで街単に解決する問題

ではあるまい︒結局これもドライサI自身の淫蕩で助平な性

癖によったまでのことだ︑と私は思う︒またドライサi自身

が淫蕩で抜群の助平であったればこそ彼の小説が美女美男の

おびただしい群像で埋没している理由も納得出来る訳であっ

て︑もしそうでなければこの現象を如何に説明すればよいの

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ドライサ!の長篇小説に︑共通して言える一つの特色は︑お

(14)

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Warm with the fancies of youth

, 

pretty with the insipid 

prettiness of the formative period, possssedof a五gurepro‑

mising eventual shape1iness and an eye alight with certain 

native intelligence, she was a fair examaple of the middle 

American class‑two generations removed from the emigrant. 

Books were beyond her interest‑knowledge a sealed book. 

ln the intuitive graces she was still crude. She could scarcely 

t088 her head gracefully. Her hands were almost ineffectual. 

The feet, though small, were set f!atly. Ancl yet she was  interested in her charms, quick to understand the keener 

plesuresof life, ambitious to gain in material things. A 

halfequipped littJe knight she was, venturing to reconnoItre 

the mysterious city al1d dreaming wild dreams of some vague, 

far‑off supremacy, which should make it prey and subject‑

the proper penitent, groveJling at a woman's slipper. 

Sister Carrie (Constable ancl Co.

, 

LOl1don" 1927) p. 8. 

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His suit was of a striped and crossed pattern of brown 

wool, new at that time, but since become fami1iar as a busIl1es 

suit. The low crotch of the vest revealed a 副首shirtbosom of white and pil1k strip四.From his coat sleeves protruded a 

pair of linen cu{{s of the same pattern, fastened with large, 

gold plate buttons, set with the common yellow agates known 

ascat's eyes." Hisngersbore several rings‑one, the ever‑

enduring heavy seal‑and from his vest dangled a neat goId 

watch chain, from which was suspended the secret insignia of 

(15)

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ストウッド登場の為のプロローグ に過ぎないので︑ハ!ストウッドを引き立てる為にもこれ以 上の描写を避けているのは賢明だ

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の 支 配 人 は さ な が ら 王 者 の 如 く 登 場 する︒しかし登場が操然としていればいる程その没落と自殺

は悲惨である︒

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﹁ジ ェニ

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ト﹂ではまずジョージ・

0フランダー

を描いてみよう︒彼は五十二歳で独身の上院議員︑かつ共和

党の有力者である︒

﹁大廻転扉を押して︑ひえびえする戸外から︑背の高い︑﹃姿

勢のよい︑痩せても肥ってもいない﹄(二七頁)品のよい︑中年の

紳士が入って来た︒シルグハットに緩やかな軍人式の一周マシトと いう服装は︑そこいらをぶらついている群衆の間にあっても︑直ぐに身分のある人物らしく注目をあつめた︒顔は浅黒く︑真面目くさったところもあったが︑顔立そのものからは寛容で思いやりのある性質がうかがわれ︑そして黒く濃い眉毛の下には隅々とした両限が光っていた﹂

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ニ高垣訳上巻一一頁)

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この立派な初老の紳士の愛をかち得る為にはキマアリのよ う な タ イ プ の 女 性 で は い け な い

︒ か く し て 優 し い

︑ 母 性 的 な︑細やかな愛情の持主で十八設の乙女ジェニ

I

の登場とな る ︒

ジ了一ーは﹁女親から︑空想的で︑感情的で︑教養こそなけれ

生れつき情愛の細やかな︑詩的なところを享け︑同時に男親の落

着いた性質をつい﹂(五頁)だ女性でその上彼女には﹁白く秀で

た額︑締麗に分けて編んだ髪︒碧い眼と美しい皮膚︑その口元や

豊かな両の頗:::よく整った︑しとやかな姿︑溢れるばかりの若

さと健康﹂(同右︑一二頁)の持主でもあった︒

ジェニiの中に︑氷遠の女性を見た二番目の男性は率輔製造

会社の次男坊レスタ

1・ケインであるG

彼は﹁一二十五六位で︑中背の︑限の澄んだ︑がっしりした顎

の︑運動家らしい︑飾り気のない︑元気のある男だった︒彼は太

い︑響のある︑よく透る声をしていた︒その声を聞くと︑知る人

も知らぬ人も︑立ち止って聞き耳をたてる程だった︒後は無造作

に 話 し た

﹂ ( 同 右

︑ 一 五 二 頁 )

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