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スポーツの持つ可能性-競技スポーツにおける自己改革の可能性と効果について-: 沖縄地域学リポジトリ

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(1)

Author(s)

宮本, 晋一

Citation

沖縄大学人文学部紀要 = Journal of the Faculty of

Humanities and Social Sciences(9): 69-78

Issue Date

2006-03-31

URL

http://hdl.handle.net/20.500.12001/6191

(2)

沖縄大学人文学部紀要第9号2006

スポーツの持つ可能性

一競技スポーツにおける自己改革の可能性と効果について一

宮本晋

要約 近ごろはスポーツに対しての考えが、「みるスポーツ・するスポーツ」において人々 の関心は別れてきている。なかでも、少子化の中で「するスポーツ」の人口は減少傾向 にある。また「みるスポーツ」においては、野球人気の低迷をよそに、女子ゴルフや女 子フィギュアスケートと女子若年層の活躍もあり、新たに身近なスポーツとしてとらえ られ望ましい傾向にある。このように競技スポーツの捉え方が変化・多様化している社 会状況のなか、自分を変えたい「自己改革」を図りたいE女子大学学生の競技スポーツ の可能性について触れることとした。それは、これまでただ漠然と考えていただけで体 系的に整理したことがなかった。 そこで本稿において試論ではあるが、それの一端を果たしてみたい。自分を変えたい 学生にとっての競技スポーツの可能性とトップアスリートの自己変化認識能力について 考え、競技スポーツに新しい展望を切り開く参考・目的となることが本稿のテーマであ る。 キーワード:競技スポーツ、学生選手権大会、福祉レクリエーション、生涯スポーツ、 自信 1.研究目的と発端 昨年度までの5年間、私はE女子大学の健康スポーツ専攻系の学生のバスケットボール部の監 督を担当してきたが、2005年度の新入生事前合宿(事前学習)において印象的なことがあった。 この事前合宿は、実技練習に加えてメンタルトレーニングとして高校生大会から実業団大会、五 輪大会までの試合のビデオを全員で見て、それについて意見交換を行い、意識をチームとしての 目標を確認し高め、チームカを高めるために毎年実施している恒例行事の中で、毎年新入部員を 迎える側の上級生、特に2年生に「自分に自信がない」、「今の自分に満足していない」、「自分を 変えたい」と思っている部員が8割をこえていることがわかったことである。 「自分に自信がない」という点は、創部5年と歴史の浅い本学学生のひとつの特徴だとかねて から思っていたが、それが、「自分を変えたい」という点に強く関連していることに私は今更な がらに印象づけられた。以前の私ならば、大学生最高峰の大会、全日本学生選手権大会バスケッ トボール競技大会の出場を通じて自分に自信を持ってほしいと言っているだろうし、指導もして きた。しかし、一昨年から自分が大学の体育会総責任者になって学生募集(スカウティング)を 強く意識するようになり、また、他クラブの冬季補強トレーニングをまとめて指導することで、 効率を高めるためのレクリエーションとの関連を意識し始めたこともあり、競技スポーツそのも のが自分を変えたい学生にとって強い魅力を持っていることも意識するようになった。 しかしながら、ただ、今までは漠然と考えていただけで体系的に整理したことがなかった。そ こで、本稿において試論ではあるが、それの一端を果たしてみたい。自分を変えたい学生にとっ ての競技スポーツの可能性とトップアスリートの自己変化認識能力について考えてみること、こ れが本稿のテーマである。 -69-

(3)

以下第2節では、本論に入る前に、自分を変えたいスポーツ選手が全国的にどのくらいいそう

であるかを、フィギュアスケート界の安藤美姫に対する活躍と昨年の12月から週刊少年サンデー

にて人気連載中の本格的フィギュアスケート漫画『ブリザードアクセル』を手がかりに考えてみ

たい。第3節から第5節では、自分を変えたい学生にとって競技スポーツが大きな可能性を持っ

ているという理由を3側面から考察してみたい。第6節では、自分を変えたい学生にとってE女 子大学が持っている可能性について触れたい。 Ⅱフィギュアスケートの人気を考える

『ブリザードアクセル』。この連載中の漫画は、2005年の12月19日に、週刊少年サンデーに

て連載が始まった人気上昇中の本格的フィギュアスケート漫画だ。

私が『ブリザードアクセル」と出会ったのは、学生が読んでいた少年サンデーの中だった。

はじめは「最近フィギュアスケートの漫画が始まったの、知ってる先生?」と言って手渡された

が、漫画ということもあり見る気はあまりなかった。しかし、トリノ五輪女子チャンピオンの荒

川静香、年齢制限で出場見送りとなった浅田真央、トリノ五輪女子で15位と敗れ、異例の特別強

化選手枠から漏れ、強化選手に降格となった安藤美姫など協会側方針など、個々の心'盾にせまる

ファンダメンタルな部分を露出させるような報道がなされるなかで興味がわき、手渡された漫画

に目を通した。ところが意外にも、そのストーリーは、なかなかどうして1今の新ルールの情報

が満載されており、尚且つ点数の配分も分かりやすい。そして、主人公の男の子が、優秀すぎる

兄を持つせいで、小さい頃から家族に自分を見てもらえず、周囲の注目を集めようとして、ケン

カ三昧の日々を送っているなかで、ある日、スケートリンクでフィギュアスケートの四回転半ジ

ャンプを跳び、生まれて初めての注目を浴びる、というストーリーである。他人に誉められる成

功体験がまさに今の自分を変える契機となり、フィギュアスケート界でオリンピックを目指すこ

とを決意する内容で、読みすすめるほど続けてみたいという気持ちが強くなった。その後、連載

が進むにつれ、まわりのライバルたちと競い合いながら人間形成をつみ、夢をつかんでいくとい

う氷上の青春ドラマが描かれており大変面白かった。

しかしながら、この漫画について他の人についてどう映るかは当初全く知らなかった。ところ

が実際はどうだろう。少年サンデーとは文字道理少年向きの内容で、女子大学生を対象としたも

のではないにもかかわらず2回目以降の連載を購読した学生も多く、また、近所の中学生の男の

子たちがショッピングモールの電気店前でフィギュアスケート大会を見ながら話題にしていた。

「へ-、彼らも見てるんだ」。直接その場にいた中学生に聞くと微妙に話題になっているという返

事が返ってきた。また、現実のフィギュアスケート界においては、男`性の試合放映の視聴率は低

迷しているが、トリノ五輪女子では一種のバーンアウト状態で望み、4回転ジャンプ不要論まで

が浮上する中で挑戦、そして失敗、その結果は降格。その逆境から再起を掛けた安藤美姫、子ど

もから大人への変身と連覇への苦悩が見え隠れする浅田真央などの一見華やか見えるトップ選手

の素顔が、またもやインターネットニュース報道を通じて小学生から大人までに親近感とバー

チャルリアリテイーを与え、フィギアスケートとはどういうスポーツなのか、代表選手とはどん

なものなのかなど、漫画や安藤美姫の中に視聴者や読者は多くの共通点を探すことで、ふたたび

人気上昇となったのであろう。

客観的にみるとこれらの共通点はなんだろうか。この一連のスケートを中心とした中で、いわ

ば「自分を変えたい人」の物語である。それはE女子大学の私が手がけたバスケットボール選手

とその点で同じである。ということは、自分を変えたい人がこの漫画やフィギアスケートに注目

していたと仮定することは妥当性が高い。もちろんこの漫画やフィギュアスケートが近年まれに

-70-

(4)

宮本:スポーツの持つ可能性 注目されている理由のすべてではないことはもちろんである。

他には、個人競技ではありながら仲間、友情、励まし、言い古された事柄が、漫画という媒介、

ニュース報道を通して、新しいスポーツ選手像、世界で勝つことの出来る選手のファンダメンタ

ルが描かれ紹介された。その象徴的な人物としての安藤美姫は、トッププレーヤーではあるが決

して特別な能力を持つスーパーマンではない。どちらかといえば、これまでの一流選手に抱くイ

メージとはかけ離れた存在で、言葉使いにも配慮が見られる優等生タイプなどではなく、ごく一 般の女子高校生と全く変わらず、同世代をはじめとする低年齢層の視聴者には安心して見られる

存在「自分でもできるかも」という自分の感情を輸入していくこと、誠実に生きている姿、戦か

っている姿を重ね合わせることが可能な存在として、とても印象に残った。

本稿の文脈に戻ってみよう。ともかく、競技スポーツが低迷をしていく中で、「自分を変えた

い」主人公を描いた漫画やスポーツ(見るスポーツ)がヒットしていることは注目にあたいする。

Ⅲ、生涯スポーツと競技スポーツとの違い

私はもともとの専門分野は幼児から高齢者に至る生涯スポーツ・福祉レクリエーションであ

る。競技スポーツは伝統的な学校体育の延長線上に位置づけられ、子どもの成長には欠かすこと

の出来ない活動として、戦後から1990年代前半まで増加し続けた。しかし、2003年わが国の中

学校体育連盟加盟生徒数は、1994年のそれと比較して80%(日本中学校体育連盟調べ)、2003

年の高等学校の運動部活動部員数は1993年のそれと比較して75%(高等学校体育連盟調べ)と

減少傾向が表面化しはじめた。また、スポーツ(運動部)離れの現象は、サッカー、水泳、体操、

テニスなど一部のスポーツを対象とした民間スポーツクラブあるいはスポーツ少年団によって補

完されていたものまでもが、相対的に減少しはじめ競技スポーツ離れの傾向と少子化による絶対

数の減少も影響して、スポーツを「する」か、全く「しないか」かの二極化が深刻化して競技チ

ームスポーツには特に冬の時代とも言われ始めている。こうした中で大学スポーツも大きく影響

を受けているということは過言ではない。その為か最近の傾向としては、特に選手獲得に主眼が

置かれ以下の言葉をよく耳にするようになった。その言葉とは、「今年の新入部員はすごいのが

入ってきたので、インカレでは上位を目指せるよ」と根拠を失に設定した、いかにも消極的な言

葉で、「競技を深く知ることを学ぶ」、「競技を深く実践することを学ぶ」、「競技者と共に戦うこ

とを学ぶ」、「人間として生きることを学ぶ」等から生じる、目標設定ではないことが多くなって いる。そのことで、指導者本人の勝利が優先され、競技者は将棋の駒であり、どのような可能性 を秘め、どのように指導するべきか、自分を変えたい、すでに変わろうとしている競技者に適切 なアドバイスも出来ない育成指導者がスポーツ離れに拍車を掛けていることに、生涯スポーツか ら移行してきた私にとっては、その取り組み方には随分と違和感を感じる。

そもそも私にもスポーツを通じてこうなり、ああなりたい願望がとても強くあり、それは自分

が大学に入学した当時へさかのぼる。当時の私は、スポーツで勝利するという意欲はあるものの

知識と環境が欠如していた。大学に入ったら一度自分の価値観をすべて解体して点検、そして科

学的に技術向上を目指すための指導者などの人的資源、競技・練習の施設・用具などの物的支援、

指導プログラムなど知的・文化的資源、経済的バックアップのための財政的支援をしていくマネ

ージメント機能の一体化など育成・強化の視点で研究・日本一を目指してみようと考えていた私 は、大学に入学すると同時にその作業を始めてみた。ほどなく「なぜスポーツをしているのか」

ということも疑うようになった。こうなると、すぐに回答など見つかるわけでもなく、当時の私

は1日、1週間、1ヶ月単位でクラブ活動を続けていた。スポーツをしている意味を知るためには、

また、自分がどのような仕事に向いているかを知るために、いわば自分探し「自分らしさの追求」

-71-

(5)

のために、私はいろいろなアルバイトを平行して行い、本を読み、競技スポーツ以外の障害者ス

ポーツやニュースポーツ、レクリエーションなど、いろいろな側面からの体験を通して、いろい

ろな人に合うことに心がけた。 そのようなことを繰り返すうちにわかってきたのは、スポーツをする意味などそう簡単にはわ からないものであること、一生かけて答えを探すものかもしれない、という点であった。

そこでとりあえず、生涯スポーツを自分のライフスタイルに取り込み、生涯スポーツのもつ「自

己発見」という視点から生涯の研究対象として、指導システムの構築を目指すための知識と経験

をつみたいと思い、そのような仕事に就くことを考え始めた。当時の私は、将来の高齢化を見据

えて、高齢者における生涯スポーツの重要性についてのスポーツ社会学的研究を突破口にして研

究者になることがその道に適合するのではないかと思われた。

長い時間はかかったものの、結局私は大学教員になり、これまで過ごしてきたわけである。生

涯スポーツとは、確かに自分を変える契機をいくつも持っている。オーバーに言えば、生涯スポ

ーツに関するすべての領域における活動、学問がそのような契機を含んでいる気はするが、生涯

スポーツの代表的なものとして実践されているニュースポーツ・レクリエーションの場合には、

簡単に動きやゲームを楽しむことが可能であり、経験者も初心者も大差なく楽しめることが特徴

となる。また、幅広い年代層との世代間交流が可能でカラダを動かすことの楽しさを自覚・発見

するさまざまな機会を通じて自分とスポーツについて再発見する機会が与えられることになる。

ただ、生涯スポーツによって簡単にスポーツゲームを楽しんだり、カラダを動かすことの楽しさ

を自覚できても、その上で自分を変えていく更なる具体的方途を多く持っていないことが生涯ス

ポーツの弱みである。その為、絶えずニーズに合わせた講習会や定期開催で授業方式のステップ

アップが期待できる内容「自己発見・開発」を扱う勉強会、サポート環境整備がないと継続が困

難であることも特徴である。

競技スポーツはその点で自分を変えていく具体的方途を多く持っている。それは競技スポーツ

が実践的経験科学に裏打ちされた活動と科学的根拠に基づいた理論的学問が統合されているこ

と、そして自己発見から成功体験を経て自己改革へのステップに進んでいるからであろう。

しかしながら近年の傾向としては、競技スポーツのレクリエーション化がみられ、楽な競技ス

ポーツを学んだだけでそれを生かすような全国大会等に出場する機会を持たなかった場合も多く

あり、その限りではないかと思われる。やはり競技スポーツの領域を極め、全国大会の代表選手

となるような機会を得た場合は、自分を変えていく機会に事欠かないであろう。

E女子大学に赴任してから、生涯スポーツ専攻と競技スポーツ(アスリート)専攻の指導教員

のふたつの機会を経験することになったが、それは、ふたつの領域、方法論的違いを意識させる

良い機会でもあった。生涯スポーツの場合には、「する」、「みる」、「支える」のすべての知識・

技術・指導力が要求される。「する」については技術的、体力的要因が勝敗を左右する要因は低

下し、参加している学生たちは能力評価を受ける機会が「時の運」と2分され外部評価は存在し

ない。しかし、「支える」については、近年の高齢者人口の増加に端を発した福祉レクリエーシ

ョンの需要が、福祉現場実習などの機会(生涯スポーツの生活化を図り福祉レクリエーション援

助)が在学中にあり、育てている学生は援助方法などを含めた外部評価を現役学生のうちに社会

からうける機会が出来たことで、自分を変えていく具体的な方途が広がりをみせてきたといえる。

そして、実習先の福祉施設から実習生についてさまざまな注文は、「出口」確保(就職口)のた

めに非常に労力を消耗するものでもあり、実習期間における生涯スポーツ・福祉レクリーション

を含む活動は、「自己発見・開発」という側面からの実践的学問であることを強く意識させられた。

その意味では、競技スポーツのほうが「する」を主とした活動であり、「みる」「支える」1こつ

-72-

(6)

宮本:スポーツの持つ可能性 いての広がりは狭く一長一短もある。しかしながら、競技スポーツは、定期的に競技会が開催さ れ、育成している学生の外部評価を常に受け止め試行錯誤と調整が余儀なくはされるため、決し て気が休まることはない。 Ⅳ、福祉レクリエーションと競技スポーツとの類似性 (1)自分を変えることと福祉レクリエーションの関係 福祉レクリエーションの魅力とは何だろう。レクリエーション活動を好まない方からすれば取 り立ててやってみたいとは思わないかもしれないが、真剣に追求している私にとっては、いろい

ろな要素があるが、最大の魅力のひとつには、自分を変えていける力を福祉レクリエーション活

動で実践できる、ということである。自分自身を変えようとする契機はいろいろだが、人生、日

常生活に起こるさまざまな苦難を乗り越えるために自分を変えたいと思うときだ。経済的に悩み、

持病を抱えたときにも悩み、人間関係の悩みなどにはまったときは、特にそうである。福祉レク

リエーション活動は、自分にはとても乗り越えられないと思っている苦難を乗り越えていける自

分に変えていく潜在能力を引き出させてくれる。自分を変えていくのは自分だが、その力を引き

出す契機が福祉レクリエーション活動の中にはある。

私が本稿をテーマとした理由は、競技スポーツを追及したい、スポーツをする意味を知りたい、

ということはもちろんあったが、この夏、沖縄県の石垣島において保護者懇談会、そして交流会

を行った際、同席された祖父母が、石垣島伝統的なお面「アンガマア」をつけてステージに出て

きた瞬間、これまでの高齢者夫婦のイメージを一新する激しく、ユーモラスな踊りを目のあたり

にして、この先大学の教員という仮面をかぶり、努力や根性、信念や既成概念にとらわれながら

の人生だけでは自分をさほど変えられまい、と思ったことが大きな理由である。自分をもっとダ

イナミックに変えていけるような私がほしかった。

福祉レクリエーションを研究・実践し始め20年が経過したが、福祉レクリエーションには自分

を変えていける力が無尽蔵にある。私は日々行われている高齢者施設における福祉レクリエーシ

ョンを年間を通じて携わっているわけではないため、ここで私が論じていることには、厳密に言

うと大学の講義・演習と定期的な施設での実習における福祉レクリエーション活動である。ただ

し、日ごろから施設関係者との交流と研修会を通じて学習、研究対象としているため、ここで論

じている限りのことは、程度の差はあれ、おそらく想定内の範囲である。 (2)福祉レクリエーション活動と競技スポーツ(チーム)との共通点

福祉レクリエーションも多種多様だ。従って、どこまでが一般論で語れるのか不安はあるが、

自分が携わっている高齢者向きの福祉レクリエーションの限りでいえば、「自分だけの幸せを追

求するのではなく、同時に他の人への幸せも追求しようとする」という思いを抱いて活動してい

くという点で、福祉レクリエーション活動と競技スポーツの実践活動には共通点があるように思

われる。

私が実践している高齢者向けの福祉レクリエーションは、「自分だけの幸せ・楽しみを追求す

るのではなく、同時に他の人への幸せ・楽しみも追求しようとする」思いを持った活動をチーム

ワーク、いわゆる自己犠牲の上で成りたつチームワークではなく、与え共有する精神をもった

「チームカ」と考えている。福祉レクリエーション活動での参加者(高齢者)は、どうしても自

分のことで精一杯になり人様の幸せ・楽しみまで考えながら活動することに多少無理があるよう

にも思われるかもしれない。ボーダーラインをどこにさだめ達成するかはもちろん限界がある。

だが、その自発的姿勢を保持しながら活動していくのとそうでないのとでは、主観的表現にはな

-73-

(7)

るが活動の仕方に微妙な「味」に差が出てくる。

「チームカ」を高めるチームワークを保持しながら個人の能力を相乗的に高めようとする姿勢

を持っていると、自分の技量、人間的な余裕が確実に広がるものである。その中で、自分の悩み

だけにとらわれていた自分が小さなものに見えてきたり、自分の悩みが些細なものに見えてきた

りする。こうなると自分を変える契機が出てくるのである。

福祉レクレーション活動を行っている人々の大半は、常にチームカを高め個人の能力の向上に

努力しているわけではないため、その点では、競技スポーツ活動でアスリートを目指している

人々と違いがあるかもしれない。しかし、常に目指していようがいまいが、チームワークを基本

とした活動という点では、両者に類似`性はあるように思われる。

福祉レクリエーション活動の場合は、自分自身の生活を豊かにする手段としてレクリエーショ

ン活動を行う場合が多いが、競技スポーツ活動を行っている人々には勝利至上主義意識が優先さ

れ生活を豊かにするという意識が先行している競技者が多いとは決していえない。その意味では、

競技スポーツの場合自分を変えていくには「不十分」かもしれないが、しかし、「自分を変える

力」はこれまで述べてきたとおり競技スポーツ活動には確実にあると思われる。 (3)現場で活躍する卒業生

私の場合、生涯スポーツ、福祉レクリエーション活動は20年の研究と実践経験があり、その意

味では私の思いもある程度実証に裏づけられていると思っているが、私の競技スポーツにおいて

の経験は「水球」が中心であったため、「バスケットボール」については、実際に競技者として

プレイをしたわけではない。もっとも、私の場合、大学時代の水球の練習の一貫としてバスケッ

トボールをしたり、同じ球技ということで他の専門スポーツの専門家が携わるよりは、移行しや

すかったのではないかと感じている。しかし、いずれにしろ、バスケットボールという競技スポ

ーツの世界でプレイしてきたわけではないので、バスケットボールだけに限定した場合はあくま

でも推論である。その意味での限界はある。

創部当初は学生募集の一環として、良く高等学校の体育館を訪ねて、練習を見学し監督が学生

に指導していることを必至でメモをとり理解をしようとしたものである。また、創部1年目の学

生には、よく私の話を聞いてどう思ったか、練習をしてみてどう感じたかを訪ねたものである。

「自覚的に考えたことはなかったが、そう言われてみればそうだったか、とプレイ・役割の意味

についていくつも気づくことがよくあった」、との回答が帰ってくる度に、自らの変化を求め、

変化を感じ、その変化を楽しみながら、より追及している自分に向き合い会話をしたものである。

その後徐々にチームカが高まり、学生選手権大会に出るまでのチームに育ってくると、実際の

試合までの過程は他の事柄と同様にきれいごとだけでは済むはずもなく、ぶつかり合うことは数

え切れず、「宮本のいうことは分からん」「宮本は経験者じゃないから」という声も学生以外の場

所から聞こえてきたこともある。それでも学生より必至に「もがき」「苦しみ」自分を変え、努

力に値すると感じる要素、また、私だけではなく現場の指導者が必至に情熱を傾ける大きな要素

は、競技スポーツの現場が人に感動を与える場であること、自分を変える契機を持った神聖な場

であること、これではないだろうか。 V・全日本学生選手権大会(インカレ)の意味

競技スポーツが持っている「自分を変える力」を補強しているのが、おそらく「全日本学生選

手権大会」の存在であろう。

スポーツゲーム(試合)がそのような力を大なり小なり持っているのであろうが、その力を大

-74-

(8)

宮本:スポーツの持つ可能性 なり小なり最大限に発揮できるかどうかは、試合の「難易度」と「挑戦の可能性」のふたつがお そらく重要である。 五輪大会やその他の国際大会のように超難関な試合は、自分自身に自信をつけられる大きな試 合であろう。但し、この試合はボーダーラインが高すぎて、一般的には多くの人に挑戦可能だと は言えない。その意味で、大学の全日本学生選手権大会は高校時代に個人的能力が高いにも関わ らず、メンバー不足によるチーム成績が低迷していたものも、独自の視点でチームと大学を選ぶ ことができ、挑戦できるという意味で最適な目標となる。 これまでの私の経験では、まずどの県においても、県大会一回戦負けの選手でも学生生活を通 して、必至で頑張ることで出場が可能となる反面、そう簡単に出場して活躍できる難易度の大会 ではない。どの大学に入ろうと、どの競技スポーツでチャレンジしようと全日本学生選手権大会 そのもののボーダーラインは同じであり平等にチャンスがある。高校時代に勝てなかった相手に も、4年の最後の年に学生選手権で恨みを晴らすことも十分に可能である。 そういう意味で、自分に自信のない学生ほど自分に自信を持って自分を変えていく大きな契機 となるのがこの全日本学生選手権大会だ。 かつてのE女子大学は、創部1年目は全日本学生選手権に出場できなかった。学生たちは冒頭 で述べたいわゆるスポーツ優秀選手とは違い無名の選手の集まりで経験も少なく自信もなく無理 だと思い込んでいた。その反面、私は一度でいいから全日本学生選手権大会に出場しているチー ムに前半でも、出だしの5分でも勝ちたい、そして「どうせ負けるのだから」と結果ばかりを追 いかけるのではなく、マイナス思考を変え、個人でも意識をコントロール出来るチームに変える ステップにしたいと思い続け連敗を重ねた。そして、その歴史は変わった。2年目からは昨年の 覇者をやぶり全日本学生選手権の出場資格を獲得したからは連続出場を果たしている。このよう に全国で戦えるチームに変わった詳細は他稿にゆずるが、全国で注目されるチームになってみて 気づいたことは、この全日本学生選手権大会に出場できることが学生にとって持つ意味である。 この試合で活躍した学生が自分に自身を持ち自分の潜在的な力を引き出す大きな契機を与えてく れるのである。その思考重要性一端についての詳細は他稿にゆずろう。この学生選手権大会で活 躍した学生たちは、社会人チームに挑戦したり、大学院に進学し、指導者になるための研究を深 めるためのビジョンを持ち挑戦している者もいる。E女子大に在籍しているときの彼女たちは、 私がシステム化したプログラムでみっちりしごかれるが、卒業後は一人でトレーニングを積んだ、 全く関係のない就職試験などの分野においても難なく合格をするなど、他分野においても、通用 するスキル(意識や思考の習慣性)を体得している。また、全日本学生選手権大会に出場した学 生が口をそろえていってくれるのは、「自分に自信がもてるようになりました」、「どこに行って も大丈夫と思えるようになりました」という言葉が大半名をしめる。競技スポーツはもともと自 分を変えていく力を持っていると思われるが、学生選手権の存在がさらにその力の引き出しを補 強しているのである。 Ⅵ.終わりに体育会活動に大学の独自性・可能性を示唆する 自分を変えられるという性格は競技スポーツ一般がもっている。その意味では、競技スポーツ に力を入れている大学ならどこに行っても、自分を変えたい高校生にとっては自分を変えられる 可能性があるという点は同じだが、しかし、その性格をいかんなく発揮できるかどうかは入学す る大学、監督の方針によって差がでてくる。 E女子大学の場合、①体育会指定、強化クラブの全てが学生選手権大会に出場していること、 ②小規模大学の特徴を生かして時代のニーズに対応するスピードが速いこと、③出口(就職先) -75-

(9)

を明確にした学生募集をしていること、これらが、競技スポーツが持っている上記の'性格をいっ そう強力なものにしている。 奨学金を積み学生を集め練習さえすればどこの大学でも競技成績を上げることが出来ると思っ ている大学経営陣もおられるようだ。それはあまり正しくない。人間育成のためのカリキュラム と競技能力開発のためのカリキュラムなど試合までの対策など、中身が問題である。インターハ イで優勝するようなチームで才能ある競技者の場合には、全日本学生選手権大会は、綿密なシス テム化された練習など設けなくても、すでに何度か「自己改革」成功体験を積み、勝つための方 法を学習していることで、独自の練習メニューは構築されており十分なパフォーマンスを見せる ことは可能であろう。ところが、理論的に練習をする習慣が出来ていない学生や成功体験のない 学生の場合、この大会は、バスケットボールの技術的な方法論やトレーニングだけでは活躍する ことは難しい。かつては、E女子大学でもそのようなチーム状況と練習環境が続いた。その理由 のひとつに入試制度がある。 AO入試やスポーツ推薦制度、体育系大学入試の「難易度」の低下等、「入試」そのものが学生 に与える意味や合格による学生が抱く「自信」など潜在的な能力を引き出し契機となるチャンス を奪っている可能性もある。それは、入り口の広がりと比例し、同じ練習やシステムでの一貫指 導を行っていても、先輩たちやある一部の特待生とは素質違う、メンバーがちがうので無理だ、 と学生たちは自分もできるということを受けいれることができずで終わってしまっていた。この ような学生でも、小さな成功体験を積み重ね、何とか全日本学生選手権大会に出場させられるよ うな練習と意欲を引き出すためのイメージトレーニングといろいろと工夫と経験が必要である。 それはそう簡単に可能になるものではない。 全国16校しか出場を許されない。出場するためには、入学前教育(事前合宿)が必須となる。 この事前合宿は、入学後の学生生活すべてを順調に運ぶための予行演習のようなものである。こ れは手間隙がかかる教育となる。この教育は個々の性格やプレイの特徴、スポーツ学的知識、相 性、学力など、入学後のチームカをいかに高めるかを考えた場合、時間を掛け、他のクラブや学 生が関わらない時期、そして少人数教育が可能な入学前の教育が大変重要である。また、2年次 以降のフオローアップとしての重要性については、先に述べた通りである。 そのほかにも競技スポーツの場合は、個人・団体においても常に自分のプレイは、自分のため にあり、相手の動きにまどわされることがないように自分自身に対して振り返ることが必須であ る。また、ひとつの動作、ひとつのプレイがそのときに出来なくて負けたとしても、セルフイメ ージを縮少させないように、問題解決のための方法を導びくアドバイスと習慣を身に付けるため の目標をもたせ、次のプレイ、次の試合にそれらを求める。 競技スポーツの多くは、自然や人間が相手となることで、常に同じ状況での対処が難しく、天 候や対戦相手など自分自身の要素以外にもたくさんの要素を抽象的に学習・体得して行かなけれ ばならないことが多くなる。それをカラダで覚え、チームでタイミングを合わせていくためには かなりの時間を要する。つまり、全日本学生選手権大会は短期大学や一般大学よりも体育系大学 のほうが有利な大会である。現在の大学では、一部学生と二部学生の練習時間、学外実習などの 調整を含めると、集中して長時間の練習時間を確保するためには、強力なバックアップが必要と なる。その点でE女子大学は、実習のための研修時期を調整するなどバックアップを同時並行で 確立を目指し、現在は確立されている。 いずれにしろ、本稿で述べてきたことは、これから数多くの証明が必要となる。本稿を第1弾 として、今後更なる検証を重ねてゆきたい。 最後に今年度のフィギュアスケートファイナルは最終日に浅田真央がミスを連発し逆転負けの -76-

(10)

宮本:スポーツの持つ可能性 2位、安藤美姫も5位に転落とまたしても、ため息と共感を誘う結果となり次回の活躍に注目が 集まる結果となった。しかしながら、これまで述べてきたように、本来トップアスリートにとっ て、その瞬間、瞬間に訪れる結果そのものよりも、その結果をどう捉えるかのほうが、その後の 結果に大きな影響をもたらすことは言うまでもない。 試合直後のインタビューでも、安藤美姫は、「結果は5位であったけれども、以前のように途 中で集中力が切れるのではなく、最後まで集中して滑れた。そしてスケートを楽しみ、より好き になりましたと語っていたことが印象的であり、未完のアスリートからトップアスリートヘの変 化を目の当たりにした瞬間であった。 今後は競技スポーツの可能性を追及する中で、競技スポーツを支える側の人たち、裏側で活 躍.支える側の可能性について焦点をあてていきたい。 参考文献 1)佐々木秀幸、清水隆一、蒲生晴明「公認スポーツ指導者養成テキスト」財団法人日本体育 協会、2006年4頁~44頁 2)深見英一郎「近年米国に見る体育教師の効果的フィードバックに関する研究の動向」日本体 青学会、2004年、583頁~593頁 -77-

(11)

Shinichi MIYAMOTO

Abstract

Recently, thinking about

'sports'

has identified two types:

'observer sport'

and

'participatory sports' .

The number of people taking part in participatory sports is declining trend as birth

rates fall. While the popularity of baseball, an observer sports is declining, women' s

golf and women' s figure skating are being seen as new popular sports as a result of

young women' s active participation.

This paper discusses the potential of sports for college women who wish to change

themselves self-inprovement in a social situation in which the concept of sports has

changed and diversified. This topic has not been systematically studied before, and has

only be considered at a superficial level.

The theme of this paper is to consider the potential of sports for college women

'\Tho

want to change themselves, and to think about creating a new vievv of sports.

Key words: sports, student Championships, welfare recreation, lifelong sports,

confidence

参照

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