第2章
基本方針改定の基本的な考え方と現状認識
C h a p te r 2
1 市の施策体系の中での基本方針の位置付け
⑴ 松本市文化芸術振興基本方針(以下「基本方針」といいます。)は、松本市文化芸術振興条例(平成 15 年条例第 41 号)及び松本市総合計画(第 10 次基本計画)を具体化させる文化芸術分野の個別方針 として策定します。
⑵ 文化芸術は、様々な分野に波及効果を及ぼす基盤としての側面を持ちます。基本方針はこの点を踏ま え、教育、まちづくり、産業等の分野の関係する個別計画等との整合を図るようにします。
⑶ 期間は、平成 28(2016)年度から平成 32(2020)年度までの 5 カ年とします。
2 文化芸術の定義と基本方針の対象
国の文化芸術の振興に関する基本的な方針(平成 27 年 5 月 22 日閣議決定。以下「国の第 4 次基本方針」 といいます。)は、文化芸術を次のように定義しています。
文化芸術は、最も広義の「文化」と捉えれば、人間の自然との関わりや風土の中で生まれ、育ち、身に 付けていく立ち居振る舞いや、衣食住をはじめとする暮らし、生活様式、価値観等、およそ人間と人間の 生活に関わる総体を意味する。
しかしながら、これではあまりにも広範囲に及ぶことから、基本方針が対象とする文化芸術は、次の考え 方とします。
松本市文化芸術振興基本方針
教育振興基本計画 生涯学習基本構想 松本まるごと博物館構想 子ども読書活動推進計画 松本城およびその周辺整備計画
国宝松本城天守保存活用計画 歴史文化基本構想 (予定 ) 等
連携・整合
具体化 具体化
地域づくり実行計画 観光戦略
中心市街地活性化基本計画 地産地消推進計画
食育推進計画
次世代育成支援行動計画 等
教 育
まちづくり
産業・その他
都市計画マスタープラン
歴史的風致維持向上計画 景観計画等
松本市総合計画
~健康寿命延伸都市・松本の創造~
「6つの健康」による「人と社会の『健康づくり』」とそれらをさらに前進させる「生きがいの仕組みづくり」
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3 文化芸術振興の意義と本市における文化芸術の捉え方
⑴ 松本市の文化芸術は、ぼんぼんと青山様、あめ市、三九郎等に代表される身近なお祭りや地域の行事、 国宝松本城を始め、古くは縄文時代にまで遡る遺跡や古墳、寺院、仏像等の文化財、歴史的街並み、山 岳景観や里山の風景と生活、そこで生まれたものづくりや食から、セイジ・オザワ 松本フェスティバル (以下「OMF」といいます。)、信州・まつもと大歌舞伎、クラフトフェアまつもと、各種企画展等の芸 術鑑賞まで非常に幅広く多種多様ですが、総じて言えることは、文化芸術は、人々に楽しさや感動、 創造性をもたらし、生きる喜びや希望、生活への潤いや精神的な安らぎを与えてくれるものだというこ とです。
⑵ また、松本市は、平成 17(2005)年に旧四賀村、旧安曇村、旧奈川村及び旧梓川村と、平成 22 (2010)年に旧波田町と合併し、市域を拡大してきました。各地区に残る地域文化を育むことは、自己 のアイデンティティの形成にとって重要であり、更に松本市にある様々な文化を共通の認識とすること で、松本市民としての意識の醸成やこの地で暮らすことの誇り、満足感につながるものだと言えます。 ⑶ このような効果をもたらす文化芸術を振興することは、人々に元気をもたらし、人と人とを結び、地
域の活性化や文化的多様性を受け容れる心づくりに寄与します。
⑷ 更に近年は、文化芸術が本質的に備えている創造性に注目が集まっています。文化芸術がもつ創造的 な力によって新たな交流や産業等への潜在力を引き出し、都市の再生に成功しているヨーロッパ等の都 市の実験が、「創造都市」(Creative City)*という新たな都市モデルとして脚光を浴び、日本各地でも これを意識した取組みが始まっているからです。この取組みは、文化芸術を個人の趣味や嗜好の問題、 経済活動から生まれた剰余を消費するだけのものとして捉えがちだったこれまでの発想からの転換を促 しています。国も平成 23(2011)年に閣議決定した文化芸術の振興に関する基本的な方針(第 3 次基
ソフト事業
施設整備等のハード事業に対する用語。文化芸術の振興にとって意義のある事業の内容であるか、中身に注目した捉え方であって、文化施設の中で行うか否 かは問わない。
創造都市(Creative City)
1980 年代以後、産業構造の変化等により地域停滞に直面したヨーロッパの都市が行った都市再生政策の経験を理論化しようとする概念。福祉国家が危機に 直面し、国家からの財政支援が期待できない中で、文化芸術がもつ創造的なパワーを生かしながら、社会的包摂のために、いかに人々の創造力と才能を活用し
⑴ 「松本らしさ」の継承と創造にこだわるとともに、ソフト事業*中心の組立てとします。 ⑵ 文化芸術振興基本法(平成 13 年法律第 148 号)の対象とする文化芸術の範囲を基本とする
とともに、国の第 4 次基本方針に示されている教育、福祉、まちづくり、観光・産業等幅広い 分野への波及効果を視野に入れた内容とします。
文化芸術振興基本法が対象とする文化芸術の範囲
①芸術(文学、音楽、美術、写真、演劇、舞踊等) ②メディア芸術(映画、漫画、アニメーション等) ③伝統芸能(雅楽、能楽、文楽、歌舞伎等) ④芸能(講談、落語、浪曲、漫談、漫才、歌唱等) ⑤生活文化等(茶道、華道、書道、国民娯楽、出版物等) ⑥文化財等(有形及び無形の文化財等) ⑦地域における文化芸術(伝統芸能、民俗芸能等)
本方針)以後、文化芸術を「成熟社会における成長の源泉」と捉える考え方に大きくシフトしてきてい ます。
⑸ つまり、文化芸術を振興することは、市民一人ひとりの感性を育むことに留まらず、人づくり、共に 生きる社会の基盤形成、創造的な経済を含む諸活動の源泉といった社会的な波及効果につながる「未来 への社会的投資」と言えます。
基本方針の改定に当たっては、こうした文化芸術振興の意義を踏まえ、文化芸術を個々の人間が豊かに生 きていくための基盤の一つであり、新たな創造力、発信力を生み、社会的なイノベーション*の源泉となる ものとして捉えます。
4 本市を取り巻く環境と文化芸術の現状認識
⑴ 本市を取り巻く環境
平成 18(2006)年に策定した松本市文化芸術振興基本方針(以下「旧基本方針」といいます。)の 運用以後、松本市の文化芸術を取り巻く環境には様々な状況変化が起きていることから、このことを踏 まえた見直しが必要です。
ア 社会情勢の変化
―2040(平成 52)年までに全国の約半数、896 の自治体が消滅してしまう可能性がある―と する、平成 26(2014)年 5 月に公表された日本創成会議・人口減少問題検討部会のレポートは、各 方面に大きな衝撃を与えました。この推計によると、松本市の人口は、2040 年に総人口、若年女性 人口(20~39 歳)ともに減少する見込みですが、その減少率は、県内 19 市中最も低い値となって います(表1)。これは、現在進めている「健康寿命延伸都市・松本」の創造の取組みが人口減少に 対し一定の歯止めとなることを示唆するものですが、同時に、超少子高齢型人口減少社会の流れは変 えることができない現実です。人口増加の望めない状況の中で、今後いかに地域の魅力を活かし、地 域の活力につなげるかという発想がこれまで以上に重要となります。国が政策として新たに打ち出し た「地方創生*」もこうした経緯によるものです。
他方で、私たちの生活に注目すると、スマートフォン、タブレット端末、ソーシャルメディア*、ク
社会的なイノベーション
芸術家の創造活動から生まれるアート、その集積された都市のもつ刺激によって、これまでなかった新たな知識や価値が生まれ、それが解決困難な課題に対 応する「創造的な問題解決能力」とその連鎖反応を生み、既存の社会システムの変革につながっていくという状態を指す。
地方創生
第 2 次安倍内閣(平成 24 年 12 月~)が、平成 26 年から掲げる主要な施策のキーワードの一つで、国内の各地域、地方が成長する活力を取り戻し、人口減 少を克服して、それぞれの特徴を活かした魅力あふれる地方を築くことを指す。若い世代の就労・結婚・子育ての希望の実現、「東京一極集中」の歯止め、地 域の特性に即した地域課題の解決といった視点が重視されている。
ソーシャルメディア
誰もが参加できる広範的な情報発信技術を用いて、社会的相互性を通じて広がっていくように設計されたメディアで、双方向のコミュニケーションができる ことが特徴
表 1 日本創成会議・人口減少問題検討分科会レポートデータ
2010 年 2040 年 総人口変化率 (2010 → 2040)
若年女性人口 変化率 (2010 → 2040) 総人口 20-39 歳女性 総人口 20-39 歳女性
松本市 243,037 29,579 206,132 20,736 △ 0.152 △ 0.299 県内 19 市平均 89,859 9,968 67,838 5,883 △ 0.245 △ 0.410
単位:人 . 比率
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ラウド*等の情報通信技術の急速な進化と普及は、私たちのライフスタイル等に大きな変化をもたら しています。こうした技術による情報の広がりは、広く国内外に影響をもたらすようになってきてお り、これを踏まえた情報発信の視点が求められます。
平成 23(2011)年に起きた東日本大震災は、過去に例のない巨大災害となり、これまでの日本が 歩んできた社会システムのあり方を根底から揺るがしました。しかしながら、この経験で得た多くの 教訓は、時の経過とともに忘れ去られようとしています。
その教訓の中には、文化芸術が被災者の心や人と人とのつながりを回復、再生する機能をもち、地 域文化を継承しようとする取組みがコミュニティの維持や防災にも大きく寄与すること等があります。 旧基本方針の改定に当たっては、まず、これまでに触れた社会情勢の変化や文化芸術の持つ機能、期 待される力を認識する必要があります。
イ 国の動向
国の文化政策は、この間、大きく転換してきました。地域における歴史的風致の維持及び向上に関 する法律(平成 20 年法律第 40 号)による文化財行政の「点から面へ」、まちづくりと一体となった 展開や、劇場、音楽堂等の活性化に関する法律(平成 24 年法律第 49 号)及び劇場、音楽堂等の事 業の活性化のための取組に関する指針(平成 25 年文部科学省告示第 60 号)による劇場等の機能を 「地域の活性化」につなげる展開等がそれです。また、2020(平成 32)年のオリンピック、パラリン ピックの開催地が東京に決まり、オリンピック・ムーブメント*を国際的に高めるため、今後、各地で 文化プログラムの実施が予定されています。更に平成 27(2015)年 5 月には、国の第 4 次基本方針 が閣議決定され、「文化芸術立国*」実現のための重点戦略や成果目標、成果指標等が定められました。
旧基本方針の改定に当たっては、このような国の動向変化を踏まえ、地域の文化芸術振興や地域の 文化等の魅力を広く世界に発信する取組みを考える必要があります。
ウ 市の取組み
松本市は、このような社会情勢の変化等をいち早く捉えるとともに、「命の質」や「人生の質」を 高めるため、「量から質への転換」を基本に、持続可能な成熟型社会の都市モデル「健康寿命延伸都 市・松本」の創造を将来の都市像として第 9 次基本計画(計画年度 :平成 23~27(2011~2015) 年度)に基づく施策を展開してきました。この取組みの中には、旧基本方針策定時にはなかったもの もいくつかあります。
現在では OMF と並んで松本の夏の風物詩となって中心市街地の賑わい創出にも寄与している「信 州・まつもと大歌舞伎」や「まつもと街なか大道芸」もそうです。「3 ガク都」を活かした人と交流都 市形成の取組みとして生まれた金沢市、札幌市、鹿児島市との文化・観光面における交流都市協定締 結や国内外をターゲットとするシティプロモーションの展開、各地区への地域づくりセンター設置に よる地域づくり、歴史・文化資産の保護と活用による松本城を中心としたまちづくり、松本市教育振 興基本計画の策定や旧波田町との合併についてもその後の展開であり、新たな取組みを包括する新し い基本方針が必要となっています。
クラウド
ソフトウェアやハードウェアの利用権等をネットワーク越しにサービスとして利用者に提供する方式を「クラウドコンピューティング」と呼び、データセン ターや、その中で運用されているサーバ群のことをクラウドと呼ぶ。
オリンピック・ムーブメント
⑵ 本市の文化芸術に関わる特長と課題
私たちの住む松本市は、「文化薫るアルプスの城下まち」と呼ばれるように、文化あるいは文化芸術 が松本市を印象付ける重要な要素となっています。それでは、松本市の文化芸術にはどのような特長と 課題があるでしょうか。ここでは、松本市の特徴である「3 ガク都」の視点から、本市の文化芸術の特 長と課題の現状について触れることとします。
ア 本市の文化芸術に関わる特長
松本市の文化芸術は、大きく二つの潮流があります。一つは、地域の持つ風土に根ざし、歴史に裏 打ちされた「古くから根付く文化芸術」の流れです。この流れが、教育や文化を尊ぶ市民性と産業を 育み、文化性が高いと言われる松本のまちをかたちづくってきました。もう一つは、松本市にもとも とあった地域特性に新しい風を吹き込むことで発展した文化芸術の流れです。この「新たに開花した 文化芸術」の流れにより、様々なものを受け容れ、楽しみ、発信する文化が実を結びました。以下、 具体的に「3 ガク都」の視点で整理します。
○ 松本市は、日本有数の山岳観光地とその恵みを抱える「岳都」です。
日本第 3 位の標高 3,190m を誇る奥穂高岳、登山を志す者の憧れの山、槍ヶ岳等、松本市には深 田久弥が選んだ日本百名山*の 6 座があります。この裾野に広がるのが、日本有数の観光地、上高地 です。その南には乗鞍岳と乗鞍高原が広がります。
また、市域の東側にはなだらかな台上地形の美ヶ原高原が鎮座し、雲上の自動車道ビーナスライン が霧ケ峰へと続いています。
こうした山岳景観とその恵みである湧水や温泉、食文化、国宝松本城、城下町の小路、ナワテ通り、 中町通り、上土通り等の特色のある通りと景観、野麦街道や善光寺街道沿いの宿場町等、豊かな文化 資源、観光資源を目当てに多くの観光客が訪れ、特に海外からの旅行者も多いことも松本市の特徴と 言えます(資料編 資料 1)。
○ 松本市は、学びを尊ぶ伝統的な気風が息づく「学都」です。 江戸時代、松本藩は藩校・崇教館を設けま
した。寺子屋も多くありました。明治時代には、 廃藩置県によりできた筑摩県が「教育」を立 県の指針とし、その後、旧開智学校や旧山辺 学校が住民の力でつくられました。大正時代 には、松本市が旧松本高等学校を誘致しました。 このように松本市には、教育を重んじる伝統 があり、その気風は今日まで息づいています。 文化芸術に関して子どもたちの関心を高める 取組みが多いことも、教育重視の姿勢のあら
日本百名山
作家の深田久弥(1903-1971 年)が、昭和 39(1964)年に出版した同名の山岳随筆で、山の「品格」、「歴史」、「個性」等の基準から選定した日本が誇る 100 の名峰のこと。松本市からは穂高岳(3,190m)、槍ヶ岳(3,180m)、乗鞍岳(3,026m)、常念岳(2,857m)、焼岳(2,455m)、美ケ原(2,034m)の 6 座が選ばれている。
表 2 公民館施設・活動の盛んな状況(平成 26 年度)
市設置公民館 町内 公民館 中央 地区
施設 1 35 475
講座数
地域文化 4 147
趣味・教養 2 113
健康・福祉 2 88
子育て 1 55
料理・食文化 0 97
人権・多文化 6 64
その他 22 556
合 計 37 1,120
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われです。
こうした伝統を背景として、松本市では、戦後、公民館活動が盛んな長野県の中でも施設数と活動 の両面で群を抜いており、市民が積極的に地域活動等に関わる土壌をつくってきました。公民館や文 化ホール等の整備が進み、市民の文化芸術活動の場に恵まれた環境が整ったことも市民活動の後押し が背景にあります(表 2)。
○ 松本市は、国内外に音楽・芸術を発信する「楽都」です。
松本は、戦国時代の町割に始まり、江戸時代後期には町割ごとに産業の個性が集積する等、手仕事 の職人が多く住む城下町として栄え、独自の文化を育んできました。第 2 次世界大戦後は、「民藝運 動」が行われ、また、スズキ・メソードが発祥しました。こうした土壌から、現在の松本市は、OMF、 信州・まつもと大歌舞伎、工芸の五月・クラフトフェアまつもと等の優れた文化芸術を国内外に発信 するまちとして展開しています。
松本市としても、松本市音楽文化ホールが開館した昭和 60(1985)年の「音楽とスポーツ都市宣 言」を起点に、文化芸術を身近に触れる機会や活動環境の整備、県内初となる「文化芸術振興条例」 の制定(平成 15(2003)年)等を進め、音
楽・芸術の「楽都」を推進してきました(資 料編 資料 2)。これらを背景として、多くの 催しに様々なかたちで市民が携わり、「観て楽 しむ」から「運営する側として楽しむ」という 独自の市民文化が育まれています。
このような経過から、松本市は、平成 26 (2014)年度の文化芸術創造都市部門文化庁 長官表彰*を受彰し、自他ともに認める文化芸 術創造都市となりました。
イ 本市の文化芸術に関わる課題
松本市の文化芸術の二つの潮流は、現在でもそれぞれが独立の傾向にあり、「新たに開花した文化 芸術」から多くを学びながら「古くから根付く文化芸術」の活性化等につなげる発想、取組みは少な いのが現状です。また、外部から評価されるほど松本市の文化芸術が魅力的だとは実感していない市 民感覚もあります。今後は、二つの潮流をどう橋渡しし、認識のギャップをどう埋めるかという発想 で取組みを進める必要があります。
○ 関係機関等との連携や人材育成の取組みを今後進めることが必要です。
文化芸術は、これまで個人的な趣味や嗜好の問題として捉えられがちで、行政が行う公共政策には 馴染まないものという考え方がありました。また、松本市は、市民活動が活発だったため、自主的な 取組みに任せきりになっていたという側面もあります。このような背景から、松本市では、特に芸術 家への支援や文化ボランティアの養成に対しての取組みが少なかったと言えます。また、各施設や団
文化芸術創造都市部門文化庁長官表彰
平成 19(2007)年度から始まった表彰制度。文化芸術のもつ創造性を地域振興、観光・産業振興等に領域横断的に活用し、地域課題の解決に取り組む地方 自治体を「文化芸術創造都市」と位置付け、市民参加の下、文化芸術の力により地域活性化に取り組み、特に顕著な成果をあげている市町村が表彰されている。 平成 27 年(2015)度までに、37 の市町村が表彰を受けており、松本市の他に長野県内では木曽町(平成 22 年度)、千曲市 ( 平成 25 年度 ) が受けている。
体等は、多くの事業や活動を単独で行っていて、結果として施設や団体等を越えた連携・協力があま り進んでいないという現状もあります。
進展する超少子高齢型人口減少社会にあっても元気な地域であり続けるためには、地域の魅力を更 に高めるという発想のもと、これまで取組みの薄かった関係機関等との連携、ネットワーク化や地域 に伝わる文化の継承のための担い手の育成、文化芸術に関わる人材の育成・支援といった「つなげる」 取組み、「種をまく」取組みが重要となります。
これらの点については、後述する分野方針のⅠ、Ⅲの基本的施策の中で扱います。
○ 優れた文化芸術に触れあう機会が多い環境を、市民の暮らしや活動につなげる取組みが必要です。 例えば、OMF の期間中に松本市民はどれだけ音楽に触れているでしょうか。松本市に訪れた人が 松本駅に降り立ったときに「楽都」は感じられるでしょうか。こう考えると、「楽都」といっても、市 民と芸術家とが交流したり、文化芸術が暮らしに馴染んだものにはなっていないのが現状です。
今後は恵まれた環境を活かして、文化芸術をどうやって暮らしに浸透させるか、その仕組みづくり や、低調傾向にある若年・中堅世代の文化芸術活動等への参加をどのように活動につなげていくか等 について考える必要があります。
これらの点については、後述する分野方針のⅠ、Ⅱの基本的施策の中で扱います。
○ 文化芸術の創造性を活かし、地域や産業の活性化につなげる発想が必要です。
文化芸術と産業とは、人間の持つ創造性から生み出されるものという共通点があります。しかしな がら、この点に着目した文化芸術と産業とをつなぐ展開や、文化芸術の持つ力を地域の活性化や交流 に活かす取組みは、意識的にはあまり行われてきていませんでした。
松本市には、「岳都」の恵みにより、他市にはない人を惹きつける魅力的な観光資源、文化資源が たくさんあります。産業的にも一定の地域内連関を持っており、松本市は、まだまだ多くの可能性、 発展性を秘めた地だと言えます。この秘められた可能性、発展性を開花させるために、今後、文化芸 術が盛んな土壌が新たな産業連関や交流を生みだすといった発想のもと地域の持つ強みと文化芸術と をうまくマッチングさせ、新たな価値等の創造につなげていく取組みが必要です。
これらの点については、後述する分野方針のⅣの基本的施策の中で扱います。
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松本市の文化芸術を語る上で重要な用語を「まつもと文芸キーワード」としてまとめてみました。 皆さんはどんな認識をお持ちですか?どれだけご存知ですか?
「松本らしさ」
基本方針では、「松本らしさ」を松本の歴史、風土、文化が育んできた他にはない特徴点と捉え、次のものを代表例 と考えました。皆さんはどのようなものを「松本らしさ」と考え、どのような「松本らしさ」を継承・創造したいと考 えますか?
⑴ 松本城やなまこ壁に代表される城下町の歴史文化景観と習俗
⑵ 道祖神等に代表される周辺集落、野麦街道、善光寺街道等に残る街並み等の歴史文化景観と習俗 ⑶ 城下町、内陸地であることに由来する産業、食文化
⑷ 北アルプス等の山岳景観とその恵み(湧水、温泉)、登山文化 ⑸ 教育を重んじる気風と進取の気質、市民力の高さ
⑹ イベントの多さ、優れた文化芸術に触れる機会の多さ
3 ガク都
松本市の特性を示す用語として、平成 17(2005)年の 4 村合併以後使用されている呼び方で、3 ガク都とは、山岳 の「岳都」、学びの「学都」、音楽・芸術の「楽都」の三つのガク都のこと。特に平成 19(2007)年の市制施行 100 周年から多く用いられるようになり、平成 23(2011)年策定の第 9 次基本計画では松本市の特性を示す用語の一つと 明記された。
藩校・崇ソウキョウ教館カンと寺子屋
崇教館は、藩主戸田光行(1769-1840 年)が藩士及びその子弟に文武の道を学ばせるために寛政 5(1793)年に設 立した藩校。現在の松本市役所本庁舎と日本銀行松本支店との間付近の三の丸柳町にあって、生徒数は文政・天保期 (1818-1844 年)で約 60 人、松本藩学に改組された明治 3(1870)年には 300 人余を超えたとされている。明治 6 (1873)年の学制発布による開智学校開校で役割を終えた。
一方、江戸時代中期以降、庶民の教育機関となった私塾や寺子屋は、天保年間(1830~1844 年)にピークを迎え、 全国一多かった長野県の中でも、松本は特に多かったと言われ、維新期には判明するもので 110 を数えたとされている。
民藝運動
柳宗悦(1889-1961 年)が大正時代に提唱した運動。日本各地にある焼き物、染織、漆器、木竹工等、美術史が正 当に評価してこなかったものに光を当て「無名の職人が作る生活用品にこそ美がある」という考えのもと、失われてい く日本の伝統的な文化を案じ、近代化=西洋化という安易な流れに警鐘を鳴らした。
古くから手仕事の職人が多く住んだ松本市では、第 2 次世界大戦後、民藝による戦後の復興を目指し、民藝の思想 を実践する活動が三代澤本寿(1909-2002 年)、丸山太郎(1909-1985 年)、池田三四郎(1909-1999 年)等を中心 に、家具や木工、手織紬等の分野で展開された。柳もこの運動に携わり「民藝のまち・松本」の礎を築いた。
スズキ・メソード
「能力は生まれつきではない」、「どの子も育つ。育て方ひとつ」という考えに基づいて、幼児期から楽しみながら知 らず知らずのうちに上達していくという鈴木鎮一 (1898-1998 年 ) の創始した音楽教育法で、海外でも大きな反響を 呼んだ。この出発点が、1946 年に設立された「松本音楽院」で、1951 年から自宅として使用された建物は、現在「鈴 木鎮一記念館」として保存され、その功績を伝えている。