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[2] ヨーロッパ中世に関する (1)~(7) の文章を読み [ A ]~[ N ] に適する語句を記入せよ また後の問に答えよ ただし (3) の [ E ] には同じ語句が入るものとする (1) ゲルマン人は主にバルト海沿岸の地域を原住地としていたが しだいに西方や南方などに先住の [ A ]

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Academic year: 2021

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(1)

[1 ]下 の 地図 (A ) ・( B) に 関す る設 問 に答 えよ 。 地 図( A )に つい て 問 1 前 18世 紀ご ろ 建国 され た 「あ 」の 国 は、 前16世 紀に 古バ ビ ロニ ア王 国 を滅 ぼし た 後、 シリ ア に進 出し て 、前 13世 紀 に は「 い 」の 国と 戦 った 。世 界 で最 初に 鉄 製武 器を 使 った 「あ 」 の国 名を 答 えよ 。 問 2 「 い」 の国 で はナ イル 河 畔の 低湿 地 に自 生す る 植物 の繊 維 を用 いて 一 種の 紙が 作 られ てい た が、 これ を 何と いう か 答 えよ 。 問 3 「 う」 の矢 印 は前 12世 紀 に「 あ」 の 国を 滅ぼ し 、「 い」 の 国を 衰退 さ せた 民族 集 団の 進路 を 表し てい る 。「 う」 の 民 族集 団 を何 とい う か答 えよ 。 問 4 前 2千 年紀 初 めに 建国 し た「 え」 の 国は 、長 期 にわ たり 他 民族 に支 配 され てい た が、 前8 世 紀に は鉄 製 武器 と強 力 な 騎馬 隊 を使 って 周 囲を 征服 し 、前 7世 紀 には エジ プ トを も支 配 下に 入れ て 、全 オリ エ ント を初 め て統 一し た 。「 え」 の 国 名を 答 えよ 。 問 5 前 8世 紀末 か ら「 え」 の 国の 首都 と なっ た図 中 aの 都市 は 何か 。次 の 中か ら一 つ 選び 番号 で 答え よ。 ①バ ビ ロン ②テ ーベ ③ダ マ スク ス ④ ニネ ヴ ェ 地 図( B )に つい て 問 6 ギ リシ アの 各 ポリ スは 、 前8 世紀 か ら前 6世 紀 にか けて 地 中海 沿岸 や 黒海 沿岸 に 植民 市を 建 設し た。 こ れら のう ち 、 現在 イ スタ ンブ ル とよ ばれ て いる 図中 b の都 市は 、 建設 当初 か ら後 4世 紀 に改 称さ れ るま での 期 間、 何と 呼 ばれ たか 答 え よ。 問 7 図 中c の都 市 は、 前9 世 紀に フェ ニ キア 人が 建 設し た代 表 的な 植民 市 であ る。 西 地中 海を 勢 力圏 とし て いた 都市 c の 名称 を 答え よ。 問 8 3 度に わた る ロー マと の 戦争 の結 果 、前 146年 にc は滅 亡 した 。と こ ろで 、こ の 戦争 は、 当 時有 数の 穀 物生 産地 で あ った 図 中d の島 の 支配 をめ ぐ って 開始 さ れた 。d の 島の 名称 を 答え よ。 問 9 「 お」 の国 は ヘレ ニズ ム 諸国 の中 で 最も 繁栄 し た国 であ る 。こ の王 朝 の名 を答 え よ。 問 10 図 中e は「 お 」の 国の 首 都で あり 、 商業 ・貿 易 で栄 えた だ けで なく 、 学問 ・文 化 の一 大中 心 地で もあ っ た。 前3 世 紀、 首都 e に設 置さ れ 、エ ウク レ イデ ス・ ア ルキ メデ ス ・エ ラト ス テネ スな ど 多く の学 者 が活 動し た 研究 機関 は 何か 答え よ 。

(2)

2 -[2 ] ヨ ーロ ッパ 中 世に 関す る (1 )∼ ( 7) の文 章 を読 み[ A ]∼ [ N ] に 適す る語 句 を記 入せ よ 。ま た後 の 問 に 答え よ 。た だし ( 3) の[ E ]に は 同じ 語句 が 入る もの と する 。 ( 1) ゲ ルマ ン人 は 主に バル ト 海沿 岸の 地 域を 原住 地 とし てい た が、 しだ い に西 方や 南 方な どに 先 住の [ A ] 人を 圧 迫 し なが ら 移動 し、 紀 元前 後に は ロー マ帝 国 との 境を 形 成す るよ う にな った 。 しか し4 世 紀後 半、 ア ジア 系の [ B ] 族 の 西 進を 契 機に ゲル マ ン人 はロ ー マ帝 国領 内 に大 移動 を 開始 した 。 ( 2) 5 世紀 後半 に [ C ] 朝が 成立 し たフ ラン ク 王国 は他 の ゲル マン 国 家に 対し て 独自 の発 展 を見 せ、 や がて 西ヨ ー ロ ッ パの 主 要部 分の 統 一に 成功 し た。 しか し 最盛 期を 実 現し た[ D ]の 死 後、 王国 は 東・ 西フ ラ ンク とイ タ リア の三 つ の 地 域に 分 割さ れ、 後 のド イツ ・ フラ ンス ・ イタ リア の 基礎 が作 ら れた 。 ( 3) 8 世紀 末か ら (a)ヴァ イ キン グ(ノル マン 人 )は 各地 に進 出 し、 10世 紀 初め には 西 フラ ンク の 北部 に[ E ]公 国 を 建 てた 。 その [ E ] 公は 1066年 に[ F ]族 の イン グラ ン ド王 国を 征 服し 、ウ ィ リア ム1 世 とし て王 位 につ いた の で、 西 フラ ン ク(フラ ンス )王 の家 臣 がイ ング ラ ンド 王と い う複 雑な 関 係が 成立 し た。 ( 4) 東 フラ ンク (ド イツ )で は 国王 [ G ] が、 10世紀 後半 に ロー マ教 皇 から ロー マ 皇帝 の冠 を 授け られ 、 この 地域 は 後 に 神聖 ロ ーマ 帝国 と 呼ば れる よ うに なっ た 。し かし 歴 代の 神聖 ロ ーマ 皇帝 は [ H ] への 遠征 を くり かえ し 、ま た(b)ロ ー マ教 皇 との 聖職 叙 任権 闘争 な ども あっ て 、皇 帝権 力 は強 化さ れ ず国 内の 統 一は 進ま な かっ た。 ( 5) フ ラン スは 10世紀 後半 に [ I ] 朝と なっ た が、 王権 が きわ めて 弱 く、 地方 分 権の 傾向 が 強か った 。 しか し12世 紀 後 半に 即 位し た(c)フィ リッ プ 2世 は、 イ ング ラン ド 王の [ J ] と争 っ て領 土を 拡 大す るな ど 、王 権の 拡 大と 伸長 に 努 め た。 ( 6) 11世紀 ごろ か らヨ ーロ ッ パで は遠 隔 地貿 易が 発 達し た。 中 でも ハン ザ 同盟 を結 成 した 北ド イ ツ諸 都市 や 、フ ッガ ー 家 を 出し た 南ド イツ の [ K ] 、ロ ンバ ル ディ ア同 盟 を結 成し た 北イ タリ ア 諸都 市が 盛 んに 活動 し 、ま たパ リ 東部 の[ L ]地 方 もヨ ーロ ッ パの 南北 商 業圏 を結 ぶ 大き な定 期 市で 繁栄 し た。 ( 7) 14世紀 前半 に フラ ンス で [ M ] 朝が 成立 す ると 、イ ン グラ ンド 王 国と の間 で (d )百年 戦 争が 始ま っ た。 この 長 期 の 戦争 の 間、 フラ ン スは ヨー ロ ッパ の人 口 を半 減さ せ た[ N ]の 流行 や 農民 一揆 の ため 国土 が 荒廃 した が 、15世紀 前 半 に は戦 局 を打 開し カ レー 市を 除 く全 国土 か らイ ング ラ ンド 軍を 追 い返 し、 百 年戦 争を 終 結さ せた 。 問 1 下 線部 (a )の 結果 とは 無 関係 なも の を次 の中 か ら一 つ選 び 番号 で答 え よ。 ①キ エ フ公 国 ②両 シチ リ ア王 国 ③ノ ヴゴ ロ ド公 国 ④東 ゴー ト 王国 問 2 下 線部 (b )に 関し て、 ロ ーマ 教皇 と 神聖 ロー マ 皇帝 が争 っ た事 件を 次 の中 から 一 つ選 び番 号 で答 えよ 。 ①ジ ャ ック リー ② アナ ー ニ事 件 ③カ ノッ サ 事件 ④ 「教 皇の バ ビロ ン捕 囚 」 問 3 下 線部 (c )の 人物 につ い て正 しい も のを 次の 中 から 一つ 選 び番 号で 答 えよ 。 ①ア ル ビジ ョワ 派 に対 する 異 端討 伐を 進 め王 権を 南 フラ ンス に 拡大 した 。 ②大 憲 章( マグ ナ =カル タ )を 認め 教 会・ 貴族 ・ 都市 の特 権 を尊 重し た 。 ③聖 職 者・ 貴族 ・ 市民 の代 表 から 構成 さ れる 三部 会 を召 集し 支 持を 得た 。 ④プ ラ ンタ ジネ ッ ト朝 を開 き フラ ンス 西 部の 広大 な 領地 を確 保 した 。 問 4 下 線部 (d ) に関 して 正 しい もの を 次の 中か ら 一つ 選び 番 号で 答え よ 。 ①こ の 戦争 の背 景 には 絹織 物 生産 地の フ ラン ドル を めぐ る対 立 があ った 。 ②こ の 戦争 中に フ ラン スで は 王位 がラ ン カス ター 家 に継 承さ れ た。 ③こ の 戦争 中に ジ ャン ヌ=ダル クが あ らわ れフ ラ ンス の勝 利 に貢 献し た 。 ④こ の 戦争 の結 果 とし てフ ラ ンス では 諸 侯や 騎士 の 力が 強ま っ た。

(3)

[3 ]14世 紀か ら17世 紀ま での ヨ ーロ ッパ に 関す る次 の 文章 を読 み 、下 線部 (a )∼ (g )に 関す る設 問 に答 えよ 。 ペス ト 大流 行が 終 わっ た14世 紀に なる と 、ヨ ーロ ッ パで は「 自 然と 人間 の 再発 見」 を めざ す(a)ルネ サン ス がイ タリ ア か ら やが て ヨー ロッ パ 各地 へ広 が った 。一 方 、中 世以 来 のキ リス ト 教会 の在 り 方に 根本 的 な疑 問を 投 げか ける (b )宗 教改 革 が、 16世紀 に 大き なう ね りと なっ て 広が った 。 これ とは 別 に(c )ス ペ イン 、ポ ル トガ ルを 筆 頭と する 諸 国家 は南 北 アメ リカ や ア ジ アへ 進 出し 、「 世 界の 一体 化 」が よう や く始 まっ た 。こ のよ う な時 代背 景 の中 で(d)イギ リス や (e)フラ ン スの よう に 、 王 権の 強 大化 によ っ て、 絶対 主 義の 確立 に 成功 した 国 家も あれ ば 、逆 に中 央 集権 化に 失 敗し た(f)ドイ ツの よ うな 例も あ っ た 。し か し、 強大 な 王権 を誇 っ た絶 対主 義 体制 も、 や がて 17世 紀 のイ ギリ ス の例 に見 ら れる よう に 、(g )市 民 革命 によ っ て 打 倒さ れ るこ とに な った 。 問 1 下 線部 (a )に 関し て、 ル ネサ ンス に 関す る次 の 説明 のう ち 、正 しい も のを 一つ 選 び番 号で 答 えよ 。 ①イ タ リア 諸都 市 の商 業貴 族 が支 えた ル ネサ ンス を 教皇 庁が 抑 圧し たた め 、イ タリ ア では 学問 ・ 芸術 の発 展 が阻 まれ た 。 ②「 自 然と 人間 の 再発 見」 を とな えた ル ネサ ンス で は、 古代 ギ リシ ア・ ロ ーマ の文 化 に関 する 研 究は 進ま な かっ た。 ③ル ネ サン スは ア ルプ ス以 北 でも 花開 き 、ネ ーデ ル ラン トで は ブリ ュー ゲ ルが 農民 の 生活 をい き いき と描 い た。 ④ル ネ サン スの 三 大発 明と さ れる のは 、 火薬 ・羅 針 盤・ 木版 印 刷の 三つ で ある 。 問 2 下 線部 (b )に 関し て、 宗 教改 革に 関 する 次の 説 明の うち 、 正し いも の を一 つ選 び 番号 で答 え よ。 ①「 信 仰に よっ て のみ 救わ れ る」 と説 い て宗 教改 革 をお こし た ルタ ーは 諸 侯の 支援 が 得ら れず 孤 立し 、挫 折 した 。 ②ル タ ーは ミュ ン ツァ ーと 共 に終 始、 ド イツ 農民 戦 争を 指導 し た。 ③ジ ュ ネー ヴで 宗 教改 革を 進 めた カル ヴ ァン は予 定 説を 説い て 多数 の商 工 業者 の支 持 を集 めた 。 ④ツ ヴ ィン グリ は ウィ ーン で 宗教 改革 を 始め 、教 皇 権か らの 王 権の 独立 を 説き 、独 特 の宗 教独 裁 を樹 立し た 。 問 3 下 線部 (c )に 関し て、 大 航海 時代 の スペ イン 及 びポ ルト ガ ルに 関す る 次の 説明 の うち 誤り を 含む もの を 一つ 選び 番 号 で答 え よ。 ①ス ペ イン では レ コン キス タ 終了 と同 じ 頃、 新航 路 の開 拓事 業 が国 王の 支 援に よっ て 進め られ 、 主に ラテ ン =アメ リ カに 進 出し た 。 ②ポ ル トガ ルの 新 航路 開拓 事 業は 主に ア ジア へ向 け て行 われ 、 イス ラム 教 徒が 握っ て いた 香料 貿 易の 支配 を めざ した 。 ③大 航 海時 代の 到 来と 共に ヨ ーロ ッパ 経 済の 中心 は イタ リア 諸 都市 から 大 西洋 沿岸 の 都市 に移 っ た。 ④ス ペ イン のラ テ ン=ア メ リカ 支配 の 結果 、ヨ ー ロッ パへ の 大量 の銀 流 入に より 物 価変 動 が生 じた が、 領 主支 配へ の 影響 は なか っ た。 問 4 下 線部 (d )に 関し て、 16世紀 のイ ギ リス に関 す る次 の説 明 のう ち、 誤 りを 含む も のを 一つ 選 び番 号で 答 えよ 。 ①イ ギ リス の宗 教 改革 はヘ ン リ8 世の 離 婚問 題を 契 機と して 行 われ 、教 皇 権か らの イ ギリ ス王 権 の独 立が 実 現し た。 ②エ リ ザベ ス1 世 はヘ ンリ 8 世の 政策 を 否定 して 、 教皇 とイ ギ リス 王権 の 関係 を修 復 した 。 ③16世 紀後 半、 イ ギリ スは ス ペイ ンの 無 敵艦 隊を 破 り、 ネー デ ルラ ント の 独立 運動 を 支援 した 。 ④囲 い 込み 運動 の 結果 、多 く の農 民が 農 地か ら締 め 出さ れた 。 トマ ス= モ アは これ を 「羊 が人 を 食ら う」 と して 批判 し た。 問 5 下 線部 (e )に 関し て、 16∼17世紀 の フラ ンス に 関す る次 の 説明 のう ち 、正 しい も のを 一つ 選 び番 号で 答 えよ 。 ①フ ラ ンス はイ タ リア 戦争 で ハプ スブ ル グ朝 を破 り 、北 イタ リ アを 支配 下 に置 いた 。 ②ア ン リ4 世は ユ グノ ー派 に 改宗 して 領 主の 信仰 選 択権 のみ を 認め るナ ン トの 勅令 を 発し てユ グ ノー 戦争 を 終結 させ た 。 ③17世 紀中 頃に 進 めら れた 中 央集 権化 政 策に 反対 す る市 民階 級 が農 民と 連 帯し てフ ロ ンド の乱 を 起こ した が 鎮圧 され た 。 ④17世 紀後 半以 降 、ル イ14世 は王 権神 授 説を 掲げ 、 官僚 制と 常 備軍 を整 え 、絶 対主 義 体制 を確 立 した 。 問 6 下 線部 (f )に 関し て、 16∼17世紀 の ドイ ツに 関 する 次の 説 明の うち 、 誤り を含 む もの を一 つ 選び 番号 で 答え よ。 ①16世 紀前 半の ド イツ 宗教 改 革の 動向 に オス マン 帝 国は 大き な 影響 を及 ぼ した 。 ②16世 紀半 ばの 宗 教戦 争が 終 結す る際 に 成立 した ア ウグ スブ ル グ和 議に よ り、 神聖 ロ ーマ 帝国 で は個 人の 信 仰の 自由 が 認 めら れ た。 ③17世 紀前 半の 三 十年 戦争 は ドイ ツの 荒 廃と 分裂 を 促し 、領 邦 国家 は外 交 上の 主権 を 得た 。 ④三 十 年戦 争後 の ウェ スト フ ァリ ア条 約 によ り、 ハ プス ブル グ 家は アル ザ スや バル ト 海沿 岸地 域 を失 った 。 問 7 下 線部 (g )に 関し て、 17世紀 のイ ギ リス 市民 革 命に 関す る 各事 項を 時 代順 に並 べ た場 合、 ① ∼④ のう ち どれ が正 し い か、 番 号で 答え よ 。 a. 王 政復 古 b. 権利 の 請願 c .権 利の 章 典 d . 航海 法発 布

(4)

4 -[4 ]A か らE の文 章 は史 料の 抜 粋で ある 。 以下 の設 問 に答 えよ 。 A .「 (a )わ れわ れ は、 次の 真 理を 自明 な もの と認 め る。 すべ て の人 は平 等 に作 られ て いる こと 。 彼ら は、 そ の創 造者 に よ っ て、 一 定の 譲る べ から ざる 権 利を 与え ら れて いる こ と。 それ ら の中 には 、 生命 、自 由 、お よび 幸 福の 追求 が 数え られ る こ と 。」 ( 『ア メリ カ 独立 宣言 』 より ) B .(b)国民 議会 を 構成 する フ ラン ス人 民 の代 表者 た ちは 、人 権 につ いて の 無知 、忘 却 ある いは 軽 視の みが 、 公衆 の不 幸 お よ び政 府 の腐 敗の 原 因で ある こ とに かん が み、 人間 の 持つ 譲渡 不 可能 かつ 神 聖な 自然 権 を荘 重な 宣 言に よっ て 提示 する こ と を 決意 し た。 …( 略 )… 第1 条 人 間は 自 由で 権利 に おい て平 等 なも のと し て生 まれ 、 かつ 生き 続 ける 。社 会 的区 別は 共 同 の 利益 に もと づい て のみ 設け る こと がで き る。 …( 略 )… 第6 条 法 は、 (c )一 般意 思 の表 現で あ る。 市民 は すべ て自 分 自 身 で、 あ るい はそ の 代表 者を 通 じて 、そ の 形成 に協 力 する 権利 を 持つ 。… ( 『フ ラン ス 人権 宣言 』 より ) C .1834年1 月1 日 以降 は、 絹 糸製 造工 場 を除 き、 9 歳に 満た ざ る児 童を 上 述の ごと き いか なる 工 場、 ない し 製造 所に お い て も雇 用 する こと は 、い かな る 者に とっ て も正 当で な い。 D .こ れ が(d)六 月 事件 (六 月 暴動 )で あ った 。必 然 的で 痛ま し い事 件で あ った 。そ れ はフ ラン ス から 革命 の 火を 消し 去 り は しな か った 。し か し少 なく と も一 時の 間 、(e )二 月 革命 に固 有 の仕 事と い いう るも の に終 止符 を 打っ た。 六 月事 件( 六 月 暴 動) は パリ の労 働 者の 圧政 か ら国 民を 自 由に し、 国 民を 国民 自 身の もの と した 。… ( トク ヴィ ル 『フ ラン ス 二月 革命 の 日 々 』よ り ) E .プ ロ イセ ンの 国 境は 、健 全 な国 家の そ れに ふさ わ しい もの で はあ りま せ ん。 言論 や 多数 決に よ って は現 下 の大 問題 は 解 決 され な いの であ り ます 。言 論 や多 数決 は 1848年お よ び1849年 の 欠陥 であ り まし た。 ( ) と 血に よっ て こそ 問題 は 解 決 され る ので あり ま す。 … 問 1 下 線部 (a )に つい て、 13植民 地の 独 立宣 言は 、 何と いう 会 議で 採択 さ れた のか 、 答え よ。 問 2 史 料A の起 草 者の 一人 を 答え よ。 問 3 下 線部 (a )に つい て、 こ の議 会が 成 立す る直 接 のき っか け とな った 事 件を 次の 中 から 一つ 選 び番 号で 答 えよ 。 ①バ ス ティ ーユ 牢 獄の 襲撃 ②テ ニス コ ート (球 戯 場) の誓 い ③ ヴェ ル サイ ユ行 進 ④ 蔵相 ネ ッケ ルの 罷 免 問 4 下 線部 (c )に つい て、 『 社会 契約 論 』の 中で こ の言 葉を 用 いた 、啓 蒙 思想 の代 表 的な 人物 を 答え よ。 問 5 史 料C は、 1833年 にイ ギ リス で公 布 され た法 律 であ る。 こ の史 料の 名 称を 答え よ 。 問 6 史 料C に関 し て正 しい も のを 次の 中 から 一つ 選 び番 号で 答 えよ 。 ①産 業 革命 の進 展 によ り、 イ ギリ スの 農 村で は多 く の小 作人 た ちが 農業 と 家内 工業 を 兼ね るよ う にな った 。 ②多 く の労 働者 を 必要 とし た イギ リス の 資本 家た ち は、 アメ リ カや アフ リ カか ら奴 隷 を導 入し 、 酷使 した 。 ③多 く の児 童や 女 性が 工場 で 長時 間の 労 働に 従事 さ せら れ、 社 会問 題と な った 。 ④こ の 法律 は、 ス コッ トラ ン ドの ニュ ー ラナ ーク で 工場 を経 営 した サン = シモ ンら の 努力 によ っ て成 立し た 。 問 7 下 線部 (d )に つい て、 直 接の 原因 と なっ た事 件 を次 の中 か ら一 つ選 び 番号 で答 え よ。 ①ル イ =ナ ポレ オ ンの 大統 領 就任 ② ル イ= ブラ ン ら社 会主 義 者の 政府 参 加 ③パ リ の国 立作 業 場の 閉鎖 ④ 共 和政 の 宣言 問 8 下 線部 (e )に つい て、 こ の革 命の 影 響に つい て 正し いも の を次 の中 か ら一 つ選 び 番号 で答 え よ。 ①ベ ル ギー では 、 民族 的に も 宗教 的に も 異な るオ ラ ンダ から の 独立 運動 が 起こ り、 二 月革 命の 影 響で 達成 し た。 ②イ ギ リス では 、 カト リッ ク 教徒 解放 法 が成 立し 、 宗教 的差 別 が撤 廃さ れ た。 ③ド イ ツで は、 ド イツ 関税 同 盟が 発足 し 、自 由主 義 的改 革を 求 める 労働 運 動が 盛ん に なっ た。 ④イ タ リア では 、 マッ ツィ ー ニ率 いる 「 青年 イタ リ ア」 が、 イ タリ アの 統 一を めざ し てロ ーマ 共 和国 を建 国 した 。 問 9 史 料E の( )に あ ては まる 語 句を 答え よ 。 問 10 史 料E は、 1862年 にプ ロ イセ ンの 宰 相が ドイ ツ 統一 をめ ざ して 行っ た 演説 であ る 。こ の宰 相 の名 を答 え よ。

(5)

[ 5] 1 ∼4 は古 代 イン ド史 ・ 5は イラ ン 文明 ・6 ∼ 10は 中国 の 唐時 代ま で の事 項を 列 挙し たも の であ る。 1 ∼10にあ る (a )∼ (d )の 文は 、 ①一 つが 正 しく て三 つ が誤 って い るか 、② 一 つが 誤り で 三つ が正 し いか の、 ど ちら かで あ る。 (a )∼ (d )の 各文 の 正誤 を判 断 して 、① の 場合 は正 し い文 の番 号 およ び○ 印 を答 え、 ② の場 合は 誤 りの ある 文 の番 号お よ び × 印を 答 えよ 。 1 (a )イ ンダ ス川 下 流の ハラ ッ パー や、 パ ンジ ャー ブ 地方 にあ る パー タリ プ トラ は、 イ ンダ ス文 明 の重 要な 遺 跡で ある 。 (b )イ ンダ ス文 明 は前 3千 年 紀中 頃か ら 栄え た青 銅 器文 明で 、 公共 浴場 や 整然 とし た 街路 など を 持つ 都市 文 明で あっ た 。 (c )前 1500年頃 、 イン ド=ヨー ロッ パ 語族 のア ー リヤ 人が 西 北イ ンド に 侵入 し、 前 1000年 頃か らは ガン ジ ス川 にも 進 出し た。 (d )初 期ア ーリ ヤ 社会 の様 子 は、 「リ グ =ヴェ ー ダ」 を最 古 とす るバ ラ モン 教の 聖 典「 ヴ ェー ダ」 によ っ て知 られ る 。 2 (a )バ ラモ ン教 を 批判 し、 ア フラ =マ ズダ とア ー リマ ンと の 対立 を説 く ウパ ニシ ャ ッド 哲 学が 生ま れた 。 (b )ジ ャイ ナ教 は 、ヴ ァル ナ (カ ース ト )制 度を 認 め、 苦行 と 神へ のい け にえ をす す めて 、シ ュ ード ラに 支 持さ れた 。 (c )ガ ウタ マ=シッ ダー ル タは 、人 生 の苦 から 解 脱す る道 を 求め 、八 正 道の 実践 に よっ て それ が得 られ る と説 いた 。 (d )マ ウリ ヤ朝 は 、ア ケメ ネ ス朝 ペル シ アに よる 東 方遠 征後 の 混乱 期に 、 チャ ンド ラ グプ タが 建 国し た王 朝 であ る。 3 (a )マ ウリ ヤ朝 第 3代 のア シ ョー カ王 は 仏教 を国 家 の基 本精 神 とし 、仏 典 結集 を行 い 、セ イロ ン 島な どに 布 教し た。 (b )カ ニシ カ王 の 時全 盛期 を 迎え たク シ ャー ナ朝 は 東西 交易 で 栄え たが 、 後3 世紀 に パル ティ ア に滅 ぼさ れ た。 (c )ク シャ ーナ 朝 の時 代、 菩 薩信 仰を 中 心に 衆生 救 済を 説く 大 乗仏 教が 発 展し 、従 来 の仏 教を 小 乗仏 教と 呼 んで 区別 し た。 (d )ガ ンダ ーラ 地 方で はヘ レ ニズ ム文 化 の影 響で 仏 像が 製作 さ れた が、 こ の美 術は 中 国・ 朝鮮 か ら日 本に も 伝わ った 。 4 (a )ア ジャ ンタ ー の石 窟寺 院 には 、純 イ ンド 的な グ プタ 様式 の 仏像 がみ ら れる 。 (b )ナ ーラ ンダ ー 僧院 はグ プ タ朝 時代 に 創建 され 、 ヴァ ルダ ナ 朝の 時代 に は唐 僧玄 奘 が訪 れた 。 (c )グ プタ 朝は プ ルシ ャプ ラ を都 とし 、 また この 王 朝の 第3 代 チャ ンド ラ グプ タ2 世 の時 に全 盛 期を むか え た。 (d )サ ータ ヴァ ー ハナ (ア ー ンド ラ) 朝 は、 ロー マ 帝国 や東 南 アジ アと の 海上 貿易 で 栄え た。 5 (a )前 3世 紀中 ご ろセ レウ コ ス朝 から 、 ギリ シア 人 のパ ルテ ィ アと イラ ン 系遊 牧民 の バク トリ ア が独 立し た 。 (b )パ ルテ ィア 王 国は ロー マ と対 立抗 争 し、 また マ ニ教 を国 教 とし た。 (c )サ サン 朝は 6 世紀 のホ ス ロー 1世 の 時全 盛期 を 迎え 、彼 は ロー マ軍 を 破っ て皇 帝 ヴァ レリ ア ヌス を捕 虜 にし た。 (d )サ サン 朝は ゾ ロア スタ ー 教を 国教 と して 教典 『 アヴ ェス タ ー』 を編 纂 した 。 6 (a )黄 河文 明の 前 期は 、彩 文 土器 を特 色 とし てい た ので 彩陶 文 化と 呼ば れ 、ま た遺 跡 の名 をと っ て仰 韶文 化 とも 呼ば れ る。 (b )黄 河文 明の 時 代、 長江 流 域で も新 石 器文 化が 存 在し 、仰 韶 文化 と同 時 期の 河姆 渡 遺跡 では 水 稲耕 作が 行 われ てい た 。 (c )殷 代に 中国 は 鉄器 時代 に はい った が 、殷 王の 支 配は すべ て を神 意を 占 って おこ な う神 権政 治 であ った こ とが わか る 。 (d )鎬 京を 都に 建 国さ れた 周 の封 建制 度 は、 西ヨ ー ロッ パの そ れと は異 な り、 同族 集 団と して の 宗族 を基 盤 とし てい た 。 7 (a )秦 は中 央集 権 を実 現す る ため 郡県 制 をし き、 貨 幣を 半両 銭 に統 一す る と共 に、 焚 書な どの 思 想統 制も 行 った 。 (b )前 漢を 建て た 高祖 が秦 に なら って 郡 県制 を全 国 にし いた た め、 のち に 呉楚 七国 の 乱が おこ っ た。 (c )前 漢の 武帝 の 時代 は財 政 が豊 かで あ った ので 、 塩・ 鉄・ 酒 の専 売を 廃 止し 、か わ って 均輸 ・ 平準 法を 実 施し た。 (d )前 漢の 宦官 王 が 建て た 新は 、黄 巾 の乱 など の 混乱 のう ち に滅 び、 25年に は洛 陽 を都 とし て 劉秀 が後 漢 を建 国し た 。 8 (a )後 漢の 実権 を 握っ てい た 曹操 は、 220年 に帝 位 につ いて 魏 を建 て、 こ れ と劉 備の 呉 ・孫 権の 蜀 との 分立 時 代と なっ た 。 (b )三 国の 一つ 魏 は、 漢代 の 郷挙 里選 に かわ って 九 品中 正を 採 用し た が 、 この 制度 は 、豪 族の 中 央進 出の 手 段と なっ た 。 (c )東 晋の 僧法 顕 は、 海路 イ ンド にお も むき 、そ の 旅行 記と し て『 南 海 寄 帰内 法伝 』 を著 した 。 (d )右 の図 は、 東 晋の 画家 王 羲之 が描 い たと 伝え ら れる 「女 史 箴図 」 で 、 女官 への い まし めが テ ーマ とな っ てい る。 9 (a )隋 は、 第2 代 煬帝 によ る 高句 麗遠 征 が失 敗し 、 急激 な改 革 によ っ て 各 地に 反乱 が 発生 した た め、 618年に 滅び た 。 (b )唐 の第 2代 太 宗は 、三 省 六部 を中 心 とす る官 制 を整 え、 「 貞観 の 治 」 と呼 ばれ る 繁栄 期を 築 いた 。 (c )玄 宗の 時代 に 安史 の乱 が 発生 し、 そ れ以 後唐 王 朝は 衰勢 に 向か い、 各 地 では 節度 使 が自 立化 を 強め てい っ た。 (d )両 税法 は、 大 土地 所有 を 抑え て均 田 農民 を確 保 しよ うと す るも の で あ った が、 失 敗に 終わ っ て唐 末に 廃 止さ れた 。 10(a )儒 学は 秦代 に 迫害 され た が、 漢代 に 董仲 舒の 献 策に よっ て 官学 とな り 、以 後訓 詁 学が 盛ん と なっ た。 (b )後 漢末 の太 平 道・ 五斗 米 道を 起源 と する 道教 は 、の ちに 寇 謙之 によ っ てそ の教 団 組織 が確 立 され た。 (c )紀 元前 後に 中 国に 伝わ っ た仏 教は 、 魏晋 南北 朝 時代 に、 仏 図澄 や鳩 摩 羅什 らの 布 教に よっ て 本格 的に 中 国に 広ま っ た。 (d )唐 代の 韓愈 や 柳宗 元は 、 漢代 以前 の 古文 を排 し 、六 朝以 来 の四 六駢 儷 体の 美文 を 尊ん だ文 章 家で あっ た 。

(6)

6 -[6 ]10∼ 14世 紀の 東 アジ アに 関 する 次の Ⅰ 、Ⅱ を読 み 、設 問に 答 えよ 。 Ⅰ .唐 末 から (a )五 代に かけ て 中国 では 門 閥貴 族が 没 落し 、つ づ く宋 の時 代 には (b )新 興地 主層 が 支配 階層 を 占め るよ う に な った 。 宋は [ A ] を弱 体 化し て文 治 主義 ・中 央 集権 体制 を 確立 した が 、こ のた め 北方 民族 に 対し て守 勢 に立 ち、 そ の 侵 入に 悩 んだ 。(c)富国 強兵 も はか られ た が、 結局 1126年 、女 真 族に (d )首 都を 攻め お とさ れ、 (e )中 国の 南 半分 のみ を 領 有 する よ うに なっ た 。た だ、 宋 代を 通じ て (f)経済 や 文化 が発 達 し、 繁栄 を 見た 。 Ⅱ .13世 紀に 成立 し たモ ンゴ ル 帝国 は(g)さか んに 遠 征を 行っ て 、短 期間 で 中国 から ヨ ーロ ッパ に また がる 大 領土 を築 き 、 東 西交 通 路も 整備 し たの で(h)西方 との 文 化交 流が 盛 んと なっ た 。フ ビラ イ =ハ ンの 時 には 国号 を 元と 定め 、 南宋 を滅 ぼ し、 (i )中 国 全土 の支 配 にも 乗り だ した 。し か し元 は中 国 社会 に根 を 下ろ すこ と がで きず 、 (j )衰退 す るの も早 か った 。 問 1 下 線部 (a )に つい て、 五 代の 後晋 が 建国 時に 援 助を 受け た 代償 とし て 、契 丹族 に 割譲 した 地 域を 何と い うか 答え よ 。 問 2 下 線部 (b )の 階層 の経 済 的基 盤で あ る大 土地 所 有を 支え た 小作 人の こ とを 何と い うか 答え よ 。 問 3 空 欄[ A ]は 唐代 以 来の 軍職 で 、当 時は 地 方で 軍事 ・ 行政 ・財 政 の権 限を 握 って いた 。 何と いう 役 職か 答え よ 。 問 4 下 線部 (c )に つい て、 11世紀 後半 に 宰相 とな り 、新 法を 実 施し て富 国 強兵 をは か った 人物 は 誰か 答え よ 。 問 5 下 線部 (d )に つい て、 北 宋の 首都 で ある 開封 に つい て正 し く説 明し て いる 文を 次 の中 から 一 つ選 び番 号 で答 えよ 。 ①秦 ・ 漢以 来の 古 都で 、周 り を山 に囲 ま れた 要害 の 地で あっ た 。 ②大 運 河と 黄河 の 交差 地点 で 、物 資集 散 の中 心地 で あっ た。 ③す ぐ 北を 流れ る 長江 が自 然 の要 害と な って おり 、 背後 には 穀 倉地 帯を ひ かえ てい た 。 ④北 の 郊外 を長 城 がは しり 、 北方 民族 に にら みを き かせ るの に 絶好 の位 置 にあ った 。 問 6 下 線部 (e )に つい て、 女 真族 が樹 立 した 国家 と の国 境を な す川 は何 か 答え よ。 問 7 下 線部 (f )に つい て、 ア. さ かん であ っ た海 上貿 易 の事 務を つ かさ どる た め、 広州 や 泉州 など の 港市 に置 か れた 官庁 は 何か 答え よ 。 イ. 宋 代に 関す る 次の 文の う ち、 正し い もの を一 つ 選び 番号 で 答え よ。 ① 司 馬光 は、 紀 伝体 の歴 史 書『 資治 通 鑑』 を著 し た。 ② 朱 熹は 、陸 九 淵の 説を 受 けて 宋学 を 大成 した 。 ③ 宋 代に は貨 幣 経済 が発 展 し、 交子 が 発行 され た 。 ④ 宋 代の 米作 の 中心 は長 江 中流 域に 移 った 。 問 8 下 線部 (g )に つい て、 モ ンゴ ル族 の 遠征 を説 明 した 次の 文 のう ち、 誤 りを 含む も のを 一つ 選 び番 号で 答 えよ 。 ①チ ン ギス =ハ ン は西 方遠 征 を行 い、 ト ルキ スタ ン のホ ラズ ム 朝を 滅ぼ し てイ ンド へ も侵 入し た 。 ②オ ゴ タイ =ハ ン はヨ ーロ ッ パ方 面へ 遠 征し 、ド イ ツ・ フラ ン ス軍 をワ ー ルシ ュタ ッ トの 戦い で 破っ た。 ③フ ビ ライ は雲 南 、チ ベッ ト に遠 征し 、 大理 、吐 蕃 を征 服し た 。 ④フ ラ グは 西ア ジ ア方 面へ 遠 征し 、バ グ ダー ドを 攻 略し てア ッ バー ス朝 を 滅ぼ した 。 問 9 下 線部 (h )に つい て、 ア. イ スラ ム暦 を もと にし て 、元 代に 郭 守敬 が作 っ た暦 は何 か 答え よ。 イ. モ ンゴ ル帝 国 また は元 を 訪れ たヨ ー ロッ パ人 と して 誤っ て いる 人物 を 次の 中か ら 一人 選び 番 号で 答え よ 。 ① プ ラノ =カ ル ピニ ② モン テ= コ ルヴ ィノ ③ マテ オ =リ ッチ ④ ルブ ル ック 問 10 下 線部 (i )に つい て、 元 の中 国支 配 に関 して 述 べた 次の 文 のう ち、 正 しい もの を 一つ 選び 番 号で 答え よ 。 ①モ ン ゴル 語を 公 用語 とし 、 漢字 を公 用 文字 とし た 。 ②被 支 配者 の土 地 はす べて 取 り上 げら れ 、モ ンゴ ル 人貴 族に 分 配さ れた 。 ③モ ン ゴル 人や 色 目人 が支 配 階級 を形 成 した 。 ④儒 学 者や 文化 人 を優 遇し た が、 モン ゴ ル人 や元 朝 をそ しる よ うな 思想 ・ 言論 は徹 底 的に 弾圧 し た。 問 11 下 線部 (j )に つい て、 元 の衰 退要 因 とし て適 切 でな いも の を次 の中 か ら一 つ選 び 番号 で答 え よ。 ①交 鈔 の乱 発 ② チベ ット 仏 教保 護の た めの 財政 支 出 ③帝 位 をめ ぐる 争 い ④ハ イ ドゥ の乱

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[7 ]イ ス ラム 世界 に 関す る次 の A・ Bの 文 章を 読み 、 下の 問に 答 えよ 。 A .(a)イス ラム 教 はア ラブ 人 のム ハン マ ドに よっ て 7世 紀に 創 始さ れた 。 ムハ ンマ ド の死 後、 4 代の (b )カ リフ がア ラ ブ 人 を結 集 して 大規 模 な征 服に の りだ し、 ア ラブ 人は 征 服者 とし て 各地 を支 配 する こと に なっ た。 7 世紀 中ご ろ 、ム アー ウ ィ ヤ がカ リ フに つき (c )ウ マイ ヤ 朝を ひら い た。 ウマ イ ヤ朝 は約 90年存 続し た が、 8世 紀 中ご ろ、 ウ マイ ヤ朝 の 支配 に不 満 を も つイ ラ ン人 の支 持 のも とに 、 アッ バー ス 家が ウマ イ ヤ朝 を倒 し て、 (d )ア ッバ ース 朝 をひ らい た 。ア ッバ ー ス朝 の時 代 、 (e )イ ス ラム 商人 は イン ド・ 東 南ア ジア ・ 中国 、あ る いは アフ リ カ東 岸や 西 アフ リカ ま でを 往来 し 活動 した 。 また 、こ の 時 代 には イ スラ ム教 と アラ ビア 語 を核 とし て 各地 の文 化 を融 合、 発 展さ せた (f )イ スラ ム 文化 が開 花 した 。ア ッ バー ス朝 は 13 世 紀ま で 存続 した が 、9 世紀 以 降(g )各 地 の勢 力が 自 立し てい き 、イ スラ ム 世界 は分 裂 して いっ た 。 問 1 下 線部 (a )に 関す る次 の 文の 中か ら 、正 しい も のを 一つ 選 び番 号で 答 えよ 。 ①イ ス ラム 教は ヒ ンド ゥー 教 の影 響を 受 けて 成立 し たた め、 イ スラ ム教 で はヒ ンド ゥ ー教 徒を 「 啓典 の民 」 と呼 んだ 。 ②ム ハ ンマ ドは も とは 遊牧 民 であ った た め、 イス ラ ム教 はま ず 遊牧 民の 間 に浸 透し て いっ た。 ③イ ス ラム 教の 聖 典で ある 「 コー ラン 」 は神 の啓 示 の記 録で あ り、 アラ ビ ア語 で書 か れた 。 ④イ ス ラム 教徒 の 教団 国家 が 最初 に建 設 され たの は メッ カに お いて であ っ た。 問 2 下 線部 (b )に 関す る次 の 文の 中か ら 、正 しい も のを 一つ 選 び番 号で 答 えよ 。 ①カ リ フと は「 預 言者 の後 継 者」 とい う 意味 の言 葉 で、 アッ バ ース 朝が 成 立す るま で はカ リフ は 選挙 で選 出 され た。 ②フ ァ ーテ ィマ 朝 はア ッバ ー ス朝 のカ リ フの 権威 を 否定 し、 そ の君 主は み ずか らカ リ フと 称し た 。 ③ア イ ユー ブ朝 の 君主 がア ッ バー ス朝 か らス ルタ ン の称 号を 認 めら れて 以 後、 カリ フ は名 目的 な 存在 にな っ た。 ④セ ル ジュ ーク 朝 はマ ムル ー ク朝 を倒 し てス ンナ 派 イス ラム 教 の宗 主権 を 握り 、ス ル タン =カ リフ 制を 成 立さ せた 。 問 3 下 線部 (c )に 関す る次 の 文の 中か ら 、正 しい も のを 一つ 選 び番 号で 答 えよ 。 ①こ の 時代 にイ ス ラム 教は サ ハラ 砂漠 以 南に も広 が った 。 ②こ の 時代 にイ ス ラム 教徒 は ササ ン朝 ペ ルシ アを 滅 ぼし た。 ③こ の 時代 、都 は シリ ア地 方 のダ マス ク スに おか れ た。 ④こ の 時代 に非 ア ラブ 人の イ スラ ム教 徒 に対 する 差 別が 撤廃 さ れた 。 問 4 下 線部 (d )に 関す る次 の 文の 中か ら 、誤 って い るも のを 一 つ選 び番 号 で答 えよ 。 ①こ の 時代 、シ ー ア派 にも ス ンナ 派と 同 等の 権利 が 認め られ た 。 ②こ の 王朝 はハ ー ルー ン=アッ ラシ ー ドの 時代 に 全盛 期を む かえ た。 ③こ の 時代 、カ リ フの 権威 を 高め てイ ス ラム 教徒 を 統率 する 必 要か ら、 カ リフ の神 格 化が 進め ら れた 。 ④こ の 王朝 はマ ム ルー クと 呼 ばれ るト ル コ人 奴隷 兵 を導 入し た 。 問 5 下 線部 (e )に つい て、 イ スラ ム世 界 の拡 大に 関 する 次の 文 の中 から 、 誤っ てい る もの を一 つ 選び 番号 で 答え よ。 ①ガ ズ ナ朝 はア フ ガニ スタ ン のイ スラ ム 王朝 で、 北 イン ドに 侵 入し た。 ②奴 隷 王朝 は北 イ ンド のイ ス ラム 王朝 で 、ア イバ ク によ って 創 始さ れた 。 ③マ ラ ッカ 王国 は マラ イ半 島 南部 のイ ス ラム 国家 で 、海 上貿 易 で栄 えた 。 ④ソ ン ガイ 王国 は アフ リカ 西 部で 最初 に 生ま れた イ スラ ム国 家 で、 ガー ナ 王国 から 自 立し 、発 展 した 。 問 6 下 線部 (f )に 関す る次 の 文の 中か ら 、誤 って い るも のを 一 つ選 び番 号 で答 えよ 。 ①イ ブ ン=シー ナー はア リ スト テレ ス 哲学 を研 究 する とと も に、 医学 者 とし ても 後 世に 大 きな 影響 を与 え た。 ②イ ブ ン=ハル ドゥ ーン は 『歴 史序 説 』を 著し て 、定 着民 と 遊牧 民の 関 係を 中心 に 歴史 発 展の 法則 を論 じ た。 ③イ ブ ン=バッ トゥ ータ は 世界 各地 を 旅行 し、 『 三大 陸周 遊 記』 を著 し た。 ④イ ブ ン=ルシ ュド はイ ラ ン系 の地 理 学者 で、 彼 の著 書に は 中国 のこ と も記 され て いる 。 問 7 下 線部 (g )に 関し て、 9 世紀 後半 に イラ ン北 東 部で イラ ン 人が 自立 し て建 国し た イス ラム 王 朝を 次の 中 から 一つ 選 び 番号 で 答え よ。 ①サ ー マー ン朝 ② 後ウ マ イヤ 朝 ③ゴ ール 朝 ④ム ラ ービ ト朝 B .16世 紀頃 のイ ス ラム 世界 を 概観 する と 、西 アジ ア から 北ア フ リカ にか け ての 地域 お よび バル カ ン半 島を 支 配し てい た の が (h )オ スマ ン帝 国 であ る。 ま た、 16世 紀 初め に(i)サフ ァヴ ィ ー朝 がイ ラ ンに 誕生 し 、強 勢を 誇 った 。一 方 、イ ンド で は 16世紀 前 半に (j )ム ガル 帝国 が 建国 され 、 16世 紀末 に はそ の勢 力 は北 イン ド から アフ ガ ニス タン に およ んだ 。 問 8 下 線部 (h )に 関す る次 の 文の 中か ら 、誤 って い るも のを 一 つ選 び番 号 で答 えよ 。 ①15世 紀に ビザ ン ツ帝 国を 滅 ぼし 、コ ン スタ ンテ ィ ノー プル ( 現イ スタ ン ブル )に 都 を移 した 。 ②帝 国 内の キリ ス ト教 徒や ユ ダヤ 教徒 に は自 治が 認 めら れ、 彼 らと イス ラ ム教 徒と の 関係 は比 較 的平 和で あ った 。 ③ス レ イマ ン1 世 はス ペイ ン のカ ルロ ス 1世 と結 ん で、 神聖 ロ ーマ 帝国 に 対抗 した 。 ④オ ス マン 帝国 で はト ルコ =イ スラ ム 文化 が成 熟 し、 壮大 な モス クが 建 てら れ、 華 麗な 美 術工 芸も 生ま れ た。 問 9 下 線部 (i )に 関す る次 の 文の 中か ら 、正 しい も のを 一つ 選 び番 号で 答 えよ 。 ①サ フ ァヴ ィー 朝 はス ンナ 派 イス ラム 教 を国 教と し 、シ ーア 派 を抑 圧し た 。 ②ア ッ バー ス1 世 はオ スマ ン 帝国 にう ば われ た領 土 を回 復し 、 西ヨ ーロ ッ パ諸 国と の 外交 ・通 商 関係 をひ ら いた 。 ③ア ッ バー ス1 世 はテ ヘラ ン に都 を定 め た。 この 都 市に は壮 麗 なモ スク が 数多 く建 て られ た。 ④19世 紀に なる と 、イ ギリ ス ・ロ シア の 進出 によ り 、サ ファ ヴ ィー 朝は 衰 退し た。 問 10 下 線部 (j )に 関す る次 の 文の 中か ら 、誤 って い るも のを 一 つ選 び番 号 で答 えよ 。 ①テ ィ ムー ルの 子 孫と 称す る バー ブル は デリ ーの ロ ディ ー朝 を 倒し てム ガ ル帝 国を お こし た。 ②ア ク バル 帝は 非 イス ラム 教 徒に 課す ジ ズヤ を廃 止 して ヒン ド ゥー 教徒 と イス ラム 教 徒と の融 和 をは かっ た 。 ③ア ウ ラン グゼ ー ブ帝 はジ ズ ヤを 復活 し 、非 イス ラ ム教 徒に 対 して 厳格 な 政策 をと っ たの で、 彼 らの 反発 を まね いた 。 ④ム ガ ル帝 国の 時 代、 ナー ナ クが 仏教 と イス ラム 教 を融 合さ せ てシ ク教 を つく った 。

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8 -[8 ]下 の 年表 は19世 紀中 頃∼ 20世紀 初め に かけ ての も ので ある 。 年表 を見 て 設問 に答 え よ。 ト ルコ ・エ ジ プト イ ン ド 中 国 39 第 二次 エジ プ ト= トル コ 戦争 34 東イ ンド 会 社の 商業 活 動停 止 (∼ 40) 40 アヘ ン戦 争( ∼ 42) G 39 タ ンジ マー ト (∼ 76) D 42 (c)南京 条約 51 太平 天国 の運 動 (∼ 64) A 57 1857年の 反 乱 56 ( う )戦 争 (∼ 60) 69 ( あ ) の 開通 60 北京 条約 76 ミ ドハ ト憲 法 発布 E 77 (a )ロ シア = トル コ戦 争 (∼ 78) B 77 (b )イン ド 帝国 の成 立 H 78 ベ ルリ ン条 約 84 清仏 戦争 (∼ 85) 85 第1 回( い )開 催 C 94 (d)日清 戦争 ( ∼95) F I 05 ベン ガル 分 割令 問 1 年 表中 の( あ )∼ ( う ) に あて はま る 語句 を答 え よ。 問 2 下 線部 (a )の 戦争 につ い て述 べた 次 の文 の中 か ら、 正し い もの を一 つ 選び 番号 で 答え よ。 ①エ ジ プト 太守 ム ハン マド = アリ ーが シ リア を要 求 した こと が 直接 の原 因 であ る。 ②ロ シ アは この 戦 争を 契機 に 国内 の近 代 化を すす め 、農 奴解 放 をお こな っ た。 ③こ の 戦争 に勝 利 した ロシ ア はサ ン= ス テフ ァノ 条 約に より 、 バル カン 半 島進 出に い った んは 成 功し た。 ④こ の 戦争 の結 果 、ブ ルガ リ アの みが 独 立を 承認 さ れた 。 問 3 下 線部 (b )の 帝国 につ い て述 べた 次 の文 の中 か ら、 誤り を 含む もの を 一つ 選び 番 号で 答え よ 。 ①イ ギ リス のヴ ィ クト リア 女 王が イン ド 帝国 の皇 帝 を兼 ねた 。 ②南 イ ンド のマ イ ソー ル王 国 は帝 国の 領 域に 含ま れ なか った 。 ③帝 国 は直 轄領 と 多く の藩 王 国か ら構 成 され てい た 。 ④1880年代 には ビ ルマ (ミ ャ ンマ ー) を 併合 した 。 問 4 下 線部 (c )の 条約 につ い て述 べた 次 の文 の中 か ら、 正し い もの を一 つ 選び 番号 で 答え よ。 ①香 港 の割 譲, 公 行の 解散 が 定め られ た が, 賠償 金 は支 払わ れ なか った 。 ②華 北 の天 津や 長 江中 流域 の 漢口 など 11港が 開港 さ れた 。 ③ア ヘ ン貿 易に つ いて はふ れ られ なか っ た。 ④外 国 公使 の北 京 駐在 ,キ リ スト 教布 教 の自 由が 認 めら れた 。 問 5 下 線部 (d )の 戦争 につ い て述 べた 次 の文 の中 か ら、 正し い もの を一 つ 選び 番号 で 答え よ。 ①朝 鮮 半島 での 甲 午農 民戦 争 が直 接の 原 因と なっ た 。 ②こ の 戦争 をき っ かけ とし て ,清 では 変 法自 強運 動 が衰 え, 革 命運 動が 盛 んに なっ た 。 ③こ の 戦争 をき っ かけ とし て ,朝 鮮で の 義兵 運動 は 急速 に衰 退 して いっ た 。 ④戦 後 ,満 州の 権 益を めぐ っ て日 本と ア メリ カの 対 立が 深刻 に なっ た。 問 6 次 のえ ∼か の 各事 項は 年 表の A∼ I のど の時 期 に当 ては ま るか 。記 号 で答 えよ 。 え. ア ラー ビー = パシ ャの 反 乱 (ト ル コ・ エジ プ ト) お. 東 イン ド会 社 の解 散 ( イン ド) か. 洋 務運 動 ( 中国 )

(9)

[9 ]次 の 文章 を読 み 、下 線部 に 関す る設 問 に答 えよ 。 20世 紀 初め 、植 民 地獲 得を め ぐる 帝国 主 義諸 国の 対 立が ます ま す激 しく な るな かで 、 (a )「ヨ ー ロッ パの 火 薬庫 」と 呼 ば れ たバ ル カン 半島 で 起き た暗 殺 事件 から 第 一次 世界 大 戦が 勃発 し た。 日本 や トル コの 参 戦に より (b )ア ジア に も戦 線が 広 が り 文字 通 りの 世界 戦 争と なっ た 大戦 は、 開 戦国 の予 想 に反 して 長 期化 し総 力 戦と なっ た 。(c)政 治 ・経 済体 制 の遅 れか ら 総 力 戦に た えら れな か った ロシ ア で1917年 に 革命 が起 こ り、 ドイ ツ でも 降伏 と 前後 して 革 命が 起き た 。5 年に お よぶ 世界 戦 争 は 二つ の 革命 がお こ る契 機と な り、 同盟 国 側の 敗北 で 終わ った 。 第一 次 世界 大戦 は かつ てな い 被害 を人 類 に与 えた た め、 (d )パ リ講 和会 議 では アメ リ カの ウィ ル ソン 大統 領 が提 唱し た 十 四 ヵ条 の 平和 原則 が 理念 とさ れ 、史 上初 の 国際 平和 機 構と して 国 際連 盟が 誕 生し た。 (e )大 戦の 惨 禍が 消え な い1920年 代 に は 国際 会 議が しば し ば開 かれ る など 国際 協 調の 気運 が 強か った け れど も、 (f )世 界恐 慌 が起 きる と 、ド イツ や 日本 では 全 体 主 義的 な 政治 体制 が 成立 し、 い ち早 くフ ァ シス タ党 の 独裁 政権 が 誕生 して い た( g) イ タリ アと と もに 、(h)ヴェ ルサ イ ユ 体 制に 挑 戦し てい っ たた め、 国 際緊 張は 高 まり 、さ ら に大 規模 な 世界 戦争 が 始ま るこ と にな った 。 問 1 下 線部 (a )に つい て述 べ た次 の文 の 中か ら、 誤 りを 含む も のを 一つ 選 び番 号で 答 えよ 。 ①ロ シ アは パン = スラ ヴ主 義 を唱 えて 、 バル カン 半 島へ の勢 力 拡大 をは か って いた 。 ②青 年 トル コ革 命 によ って オ スマ ン朝 は 倒れ て、 ト ルコ はア ジ ア最 初の 共 和国 とな っ た。 ③青 年 トル コ革 命 を機 に、 オ ース トリ ア はス ラブ 人 の住 むボ ス ニア とヘ ル ツェ ゴヴ ィ ナの 2州 を 併合 した 。 ④セ ル ビア など バ ルカ ン諸 国 は、 トル コ に戦 争を し かけ 、さ ら にト ルコ か ら得 た領 土 の配 分を め ぐっ て戦 争 をし た。 問 2 下 線部 (b )に 関す る説 明 とし て、 誤 りを 含む も のを 一つ 選 び番 号で 答 えよ 。 ①イ ギ リス ・フ ラ ンス ・ロ シ アの 3国 は 、ト ルコ を 分割 する 秘 密協 定を 結 んだ 。 ②イ ギ リス はア ラ ブ人 の協 力 を得 るた め 、ト ルコ か らの 戦後 の 独立 を約 束 した 。 ③イ ン ドで は、 ガ ンデ ィー 指 導下 に大 戦 への 協力 を 拒否 する 非 暴力 ・不 服 従の 反英 運 動が 高揚 し た。 ④日 英 同盟 を口 実 に参 戦し た 日本 は、 中 国の 袁世 凱 政権 に二 十 一ヵ 条要 求 をお しつ け て利 権の 拡 大を はか っ た。 問 3 下 線部 (c )に つい て述 べ た次 の文 の 中か ら、 正 しい もの を 一つ 選び 番 号で 答え よ 。 ①首 都 モス クワ で 起き た「 血 の日 曜日 事 件」 をき っ かけ にロ シ ア革 命が 勃 発し 、ロ マ ノフ 王朝 は 滅亡 した 。 ②三 月 革命 で有 産 階級 を基 盤 とす る臨 時 政府 と労 働 者や 兵士 が 結成 した ソ ヴィ エト が 並立 する 二 重権 力状 態 が出 現し た 。 ③ケ レ ンス キー が 率い るメ ン シェ ヴィ キ は、 即時 停 戦を 唱え 、 十一 月革 命 でソ ヴィ エ ト政 権を 樹 立し た。 ④ソ ヴ ィエ ト政 権 がド イツ と 単独 講和 を 結ぶ と連 合 国は 対ソ 干 渉戦 争を 起 こし たが 、 日本 やア メ リカ は参 戦 しな かっ た 。 問 4 下 線部 (d )に つい て述 べ た次 の文 の 中か ら、 正 しい もの を 一つ 選び 番 号で 答え よ 。 ①パ リ 講和 会議 に は、 敗戦 国 は参 加で き ず、 ロシ ア のソ ヴィ エ ト政 権も 招 かれ なか っ た。 ②ド イ ツは 全海 外 領土 を奪 わ れた もの の 、ヨ ーロ ッ パに おい て 領土 を失 う こと はな か った 。 ③ド イ ツや トル コ など 敗戦 国 の支 配下 に あっ た諸 民 族は 、民 族 自決 の原 則 に従 って 、 それ ぞれ 独 立を 承認 さ れた 。 ④国 際 連盟 の常 任 理事 国と な った アメ リ カは 、戦 後 の国 際政 治 で主 導的 な 役割 を担 う こと にな っ た。 問 5 パ リ講 和会 議 で東 欧に 多 くの 国が 独 立し たが 、 次の 中で 大 戦前 にす で に独 立し て いた 国を 一 つ選 び番 号 で答 えよ 。 ①チ ェ コス ロバ キ ア ② フ ィン ラン ド ③ル ー マニ ア ④リ トア ニ ア 問 6 下 線部 (e )に 関し て、 軍 備制 限と 中 国や 太平 洋 地域 の問 題 を討 議す る ため に会 議 が開 かれ た 都市 を一 つ 選び 番号 で 答 えよ 。 ①ジ ュ ネー ヴ ②ロ カル ノ ③ロ ン ドン ④ ワシ ント ン 問 7 下 線部 (f )の 世界 恐慌 に つい て述 べ た次 の文 の 中か ら、 誤 りを 含む も のを 一つ 選 び番 号で 答 えよ 。 ①世 界 恐慌 はニ ュ ーヨ ーク 株 式市 場で 株 価が 大暴 落 した こと か ら始 まっ た 。 ②イ ギ リス は金 本 位制 を停 止 して 、排 他 的な ブロ ッ ク経 済政 策 をと った 。 ③恐 慌 でア メリ カ 資本 が引 き 上げ られ た ため 、ド イ ツは 深刻 な 経済 混乱 に 見舞 われ た 。 ④ソ 連 でも 工業 生 産が 急激 に 低下 した た め、 スタ ー リン は独 裁 体制 を強 化 して 国内 の 動揺 を押 さ えた 。 問 8 下 線(g)の イ タリ アが 1930年 代に 侵 略し た国 は どこ か。 次 の中 から 一 つ選 び番 号 で答 えよ 。 ①エ チ オピ ア ②ス ーダ ン ③リ ビ ア ④ モ ロッ コ 問 9 下 線部 (h )の 国際 緊張 が 高ま るな か で、 フラ ン スで は反 フ ァシ ズム 勢 力を 結集 し た人 民戦 線 内閣 が成 立 した 。こ の 内閣 の 首相 を選 び 番号 で答 え よ。 ①ク レ マン ソー ② ド= ゴ ール ③ ブリ アン ④ ブル ム 問 10 下 線部 (h )に 関し て。 第 二次 世界 大 戦を 阻止 で きな かっ た 要因 に宥 和 政策 があ る 。ミ ュン ヘ ン会 談で イ ギリ スと フラ ン スが 容認 し たナ チス ・ ドイ ツの 行 動は 何か 。 次の 中か ら 一つ 選び 番 号で 答え よ 。 ①ラ イ ンラ ント へ のド イツ 軍 進駐 ② オー スト リ アと ドイ ツ の合 併 ③ズ デ ーデ ン地 方 の併 合 ④ ポー ラン ド 回廊 の併 合

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10 -[10]近 代 以前 の東 ア ジア 世界 を 概観 した 次 の文 を読 み 、設 問に 答 えよ 。 東ア ジ ア世 界の 中 心と して 中 国は 大き な 影響 力を 持 って きた 。 現在 知ら れ てい る中 国 最古 の王 朝 であ る殷 の 実体 は [ A ]の 解読 な どに よっ て 次第 に明 ら かに なっ た 。つ づく 周 の時 代に 王 朝の 支配 領 域は さら に 拡大 した が 、や がて そ の 勢 力が 衰 え、 (a )分 裂時 代に は いっ た。 そ の時 代に は (b)多様 な 学派 が生 ま れ中 国思 想 の源 とな っ た。 前221年 に中 国 を統 一 し た(c)秦は 短期 間 で滅 んだ が 、あ とを 継 いだ (d )漢 王朝 は、 初 期に おい て は北 方民 族 の侵 入に 苦 しみ 、ま た 一時 中断 し た も のの 400年 間続 き、 中国 の 統一 が確 立 した 。 漢が 滅 んだ 後、 中 国は (e )分 裂時 代を 迎 える がそ れ を再 び統 一 した のは (f )隋 であ る 。ま もな く 隋に かわ っ た(g )唐 で は 官 僚機 構 や法 制が 整 備さ れ、 後 代の 王朝 に 受け 継が れ ただ けで な く周 辺諸 国 に大 きな 影 響を 与え た 。唐 滅亡 後 の混 乱を 平 定 し た宋 は 文治 政治 を 貫い たが 、 その ため 軍 事的 には 弱 く、 (h )周 辺諸 国に 圧 迫さ れた 。 13世 紀に は いる とモ ン ゴル 族が 力 を 強 め、 (i )第 5代 ハ ンの フビ ラ イは 国号 を 元と 称し 、 南宋 を滅 ぼ して 全中 国 を支 配下 に 入れ た。 元 を北 方に 追 いや り、 (j )漢 民 族の 王朝 を 復活 させ た 明で は、 永 楽帝 の時 代 に最 盛期 を 迎え たが 、 次第 に(k)異民 族の 侵 入や 海賊 に 苦し むよ う に な り、 1644年 に滅 ん だ。 明滅 亡 の少 し前 に 女真 人は 国 号を 清と 定 め、 明の 滅 亡を 機に 中 国に 侵入 し 中国 を支 配 した 。 問 1 [ A ] に あて はま る 文字 は何 か 答え よ。 問 2 下 線部 (a )に つい て、 前 8世 紀か ら 、前 3世 紀 まで の分 裂 時代 を何 と いう か答 え よ。 問 3 下 線部 (b )に つい て、 こ の時 代に 思 想家 たち を 総称 して 何 とい うか 。 漢字 四字 で 答え よ。 問 4 下 線部 (c )に つい て、 秦 は王 をこ え る天 下唯 一 の統 治者 と して の称 号 を定 め、 こ れが 以後 歴 代の 王朝 に 使わ れた 。 この 称 号を 何と い うか 答え よ 。 問 5 下 線部 (d )に つい て、 こ の北 方民 族 の名 を答 え よ。 問 6 下 線部 (e )に つい て、 こ の時 代の 様 子に つい て 正し い文 章 を一 つ選 び 番号 で答 え よ。 ①中 国 の華 北を 統 一し た北 魏 は、 漢民 族 の文 化を 圧 迫し た。 ②日 本 の邪 馬台 国 が三 国の 一 つで あっ た 魏に 朝貢 し た。 ③朝 鮮 半島 は、 百 済と 新羅 の 二強 時代 で あっ た。 ④中 国 の江 南地 方 は、 戦乱 の ため 、あ ま り発 展し な かっ た。 問 7 下 線部 (f )に つい て、 こ の王 朝が 採 用し 、清 の 末期 まで 続 いた 官吏 登 用制 度を 何 とい うか 答 えよ 。 問 8 下 線部 (g )に つい て、 刑 法一 般の こ とを 何と い うか 。次 の 中か ら一 つ 選び 番号 で 答え よ。 ①律 ② 令 ③格 ④ 式 問 9 下 線部 (h )に つい て、 こ の周 辺諸 国 に含 まれ な いも のを 次 の中 から 一 つ選 び番 号 で答 えよ 。 ①渤 海 ②遼 ③ 金 ④西 夏 問 10 下 線部 (i )に つい て、 こ の時 代の 様 子に つい て 誤っ た文 章 を次 の中 か ら一 つ選 び 番号 で答 え よ。 ①日 本 へ二 度に わ たる 遠征 軍 を送 った が 、失 敗し た 。 ②朝 鮮 半島 の王 朝 、高 麗を 服 属さ せる こ とは でき な かっ た。 ③ヴ ェ ネツ ィア の 商人 マル コ =ポ ーロ が 大都 に来 て フビ ライ に 仕え た。 ④こ の ころ から モ ンゴ ル帝 国 は、 事実 上 、元 と4 つ のハ ン国 に 分裂 した 。 問 11 下 線部 (j )に つい て、 明 の成 立と ほ ぼ同 時期 に 朝鮮 半島 で 李氏 朝鮮 が 成立 した が 、こ の王 朝 で作 られ た 音標 文字 を 何 とい う か答 えよ 。 問 12 下 線部 (k )に つい て、 明 を苦 しめ た これ らを 総 称し て何 と いう か。 漢 字四 字で 答 えよ 。

(11)

[11]8 世 紀と 16世 紀 の世 界に つ いて 、地 図 を参 照し な がら 、次 の 設問 に答 え よ。 地 図A を 参照 しな が ら、 8世 紀 の世 界に 関 する 、次 の 設問 に番 号 で答 えよ 。 問 1 イ ベリ ア半 島 では 、8 世 紀中 頃か ら 11世 紀に か けて 「あ 」 が存 続し た 。 (1 )イ ベリ ア半 島 で、 イス ラ ム勢 力の 進 出に よっ て 8世 紀前 半 に滅 亡し た ゲル マン 人 の国 を、 次 の中 から 1 つ選 べ。 ① ヴ ァン ダル ②西 ゴー ト ③ ブル グ ント ④ ロ ンバ ルド (2 )(a )は 「あ 」 の都 であ る 。ヨ ーロ ッ パへ のイ ス ラム 文化 流 入の 拠点 と もな った こ の都 市名 を 、次 の中 か ら1 つ選 べ 。 ① コ ルド バ ② マド リー ド ③ リス ボ ン ④ダ マ スク ス 問 2 8 世紀 に「 う 」で 、イ ス ラム 勢力 の 進出 を防 ぎ 、偶 像(聖像 )崇 拝禁 止 令を だし た 皇帝 はだ れ か。 次の 中 から 1つ 選 べ。 ① ユ ステ ィニ ア ヌス ② レ オン 3世 ③カ ール = マル テル ④デ ィオ ク レテ ィア ヌ ス 問 3 西 アジ アで は 、8 世紀 中 頃か ら13世 紀中 頃に か けて 「え 」 が存 続し た 。 (1 )「 え」 が関 係 した 「戦 争と その 相 手国 」の 正し い 組み 合せ を 次よ り番 号 で選 べ。 ① ニ ハー ヴァ ン ドの 戦い − ササ ン朝 ペ ルシ ア ②ト ゥー ル ・ポ ワテ ィ エ間 の戦 い −フ ラン ク 王国 ③ タ ラス 河畔 の 戦い −唐 ④ワ ール シ ュタ ット (リ ーグ ニ ッツ )の 戦い − モン ゴル 帝 国 (2 )「 え」 の都 バ グダ ード の 位置 を、 図 中の 記号 (b )∼ (e )か ら選 べ。 問 4 東 アジ アで は 、7 世紀 前 半か ら10世 紀初 期に か けて 「お 」 が存 続し た 。 (1 )「 お」 の時 代 に、 西域 か ら伝 わり 流 行し た外 来 宗教 の一 つ であ る景 教 とは 次の ど れか 。次 の 中か ら1 つ 選べ 。 ① ネ スト リウ ス 派キ リス ト 教 ②ア リ ウス 派キ リ スト 教 ③ ゾロ アス タ ー教 ④ マ ニ教 (2 )「 お」 が、 安 史の 乱を 鎮 圧す るさ い に援 助を 求 めた ウイ グ ルの 当時 の 勢力 範囲 を 「か 」∼ 「 け」 より 番 号で 選べ 。 問 5 8 ∼9 世紀 に 「こ 」で 作 られ たボ ロ ブド ゥー ル の石 造建 築 は、 どの 宗 教の 遺跡 か 。次 の中 か ら1 つ選 べ 。 ① ヒ ンド ゥー 教 ② イス ラ ム教 ③ 道 教 ④仏 教 地 図B を 参照 しな が ら、 16世 紀 の世 界に 関 する 、次 の 各文 の( 1 )∼ ( 6 ) に 入る 語句 を 下の 語群 よ り番 号で 選 べ。 ま た下 線 (a )・(b)・(c )の 位 置を それ ぞ れ図 中の 番 号ア ∼エ 、 オ∼ ク、 ケ ∼シ より 選 べ。 (1 )コ ロ ンブ ス以 後 、ス ペイ ン は黄 金や 香 辛料 を求 め て「新 大 陸」の探 険・ 征 服に 力を そ そい だ。 1519∼ 21年 に コル テス が ア ステ カ 帝国 を略 奪 ・破 壊し 、 1533年に は ( 1 ) がイ ンカ 帝 国を 征服 し た。 この 後 、(a)ポ ト シ銀 山や プ ラン テー シ ョ ンで 先 住民 の「 イ ンデ ィオ 」 は酷 使さ れ た。 (2 )ス ペ イン の( 2 )は 、 1571年の (b )レ パン ト の海 戦で オ スマ ン帝 国 より 勝利 を おさ めた 。 だが 一方 で 、( 2 ) がカ ト リッ ク政 策 を強 化し た こと から 、 支配 下の ( 3 ) で 独立 運動 が おこ った 。 (3 )カ ト リッ クの 海 外布 教に つ とめ たイ エ ズス 会の 、 アジ アで の 布教 の拠 点 は(c )ゴ ア であ った 。 そし て、 フ ラン シス コ = シャ ヴ ィエ ルの 死 後、 中国 へ の本 格的 な 布教 を行 な った のが ( 4 ) で ある 。な お この 人物 は 中国 最初 の 世界 地図 「 坤 輿万 国 全図 」の 作 成に もか か わっ てい る 。 (4 )15世 紀後 半に モ ンゴ ルの 支 配か ら自 立 した モス ク ワ大 公国 で は、 16世 紀 中頃 、雷 帝 とよ ばれ た ( 5 ) が、 正式 に ツ ァー リ の称 号を 採 用し た。 ま たこ の人 物 の時 代に は 、シ ベリ ア の語 源と な るシ ビル = ハン 国を ド ン= カザ ー ク(コ サ ック ) の長 で ある ( 6 ) が征 服 した 。 < 語群 > ①ネ ー デル ラン ト ② スイ ス ③ フェ リ ペ2 世 ④ イェ ルマ ー ク ⑤プ ガ チョ フ ⑥ イヴ ァン 4 世 ⑦ピ ョ ート ル1 世 ⑧ラ ス =カ サス ⑨ピ サロ ⑩マ テオ = リッ チ

(12)

12 -[12]キ リ スト 教の 歴 史に 関し て 、次 のⅠ ∼ Ⅲの 著名 な 宗教 会議 に つい ての 設 問に 答え よ 。 Ⅰ .[ A ]公 会 議( 325年) この 会 議は 、ミ ラ ノ勅 令で キ リス ト教 を 公認 した ロ ーマ 皇帝 [ B ] が 召集 した 。 会議 の結 果 、[ C ]の 主張 す る 三 位一 体 説が 正統 教 義と され 、 アリ ウス の 説は 異端 と され た。 問 1 文 中の [ A ] ∼[ C ]に あ ては まる 語 句を 答え よ 。 問 2 こ の会 議以 後 のキ リス ト 教世 界に 関 する 説明 と して 、誤 り を含 むも の を次 の中 か ら一 つ選 び 番号 で答 え よ。 ①皇 帝 テオ ドシ ウ スに よっ て キリ スト 教 は国 教化 さ れた 。 ②教 父 アウ グス テ ィヌ スが 「 神の 国」 を 著し た。 ③エ フ ェソ ス公 会 議で ネス ト リウ スの 説 が異 端と さ れた 。 ④イ タ リア のモ ン テ= カシ ノ にク リュ ニ ー修 道院 が 建て られ た 。 Ⅱ .[ D ]公 会 議( 1095年 ) この 会 議は 、セ ル ジュ ーク = トル コの 攻 勢を うけ た ビザ ンツ 帝 国か らの 援 助要 請に 応 える 形で 、 時の ロー マ 教皇 [ E ]が 召集 し た。 聖地 回 復の 訴え に 人々 は熱 狂 し、 (a )十 字軍 遠征 が おこ なわ れ るこ とに な った 。 問 3 文 中の [ D ] ・[ E ]に あ ては まる 語 句を 答え よ 。 問 4 下 線部 (a )に つい て述 べ た次 の文 の 中か ら誤 り を含 むも の を一 つ選 び 番号 で答 え よ。 ①第 1 回十 字軍 は 聖地 を回 復 し、 イェ ル サレ ム王 国 を建 てた 。 ②第 3 回十 字軍 は エジ プト を 支配 する フ ァー ティ マ 朝の サラ デ ィン と激 突 した 。 ③第 4 回十 字軍 は コン スタ ン ティ ノー プ ルを 攻略 し 、ラ テン 帝 国を 建て た 。 ④200年 に わた る十 字軍 遠 征は 結局 失 敗に 終わ っ た。 Ⅲ .コ ン スタ ンツ 公 会議 (1414年∼ 18年 ) この 会 議は 、(b)14世 紀か ら 続い てい た 教会 大分 裂 (シ スマ ) を解 消す る ため に開 催 され 、(c)ウィ クリ フ の説 を異 端 と し 、ベ ー メン (ボ ヘ ミア )の [ F ] を 火刑 に処 し た。 問 5 文 中の [ F ] にあ て はま る語 句 を答 えよ 。 問 6 下 線部 (b )に つい て、 南 フラ ンス で 教皇 庁の お かれ た都 市 名を 答え よ 。 問 7 下 線部 (c )の 人物 は神 学 で有 名な あ る大 学の 教 授で あっ た 。そ の大 学 を次 の中 か ら選 び番 号 で答 えよ 。 ①サ レ ルノ 大学 ② パリ 大 学 ③ オ ック スフ ォ ード 大学 ④ ボロ ー ニア 大学

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