片仮名古活字三巻本『宝物集』独自本文のゆくえ
片仮名古活字三巻本『宝物集』独自本文のゆくえ
――「片仮名古活字三巻本」
から
「第二種七巻本」
への増広手法にそって――
大
場
朗
一
はじめに
「 片 仮 名 古 活 字 三 巻 本 」( 以 下「 片 活 三 本 」 と 略 す ) 巻 四 と「 第 一 種 七 巻 本( 以 下「 元 禄 本 」 と 称 す )」 巻 三 の 十 二 門開示直前に不可解な偈 ・ 経文の記述がある。これは、 他の 『宝物集』 諸本にみられない二本のみの本文となっている。 内容は『往生要集』から引用した「華厳経」の偈二種と「宝楼閣経(実際は「宝積経」 )」の一種の計三種の偈と経文 からなっている。一見すると、前後の語りを補強する『宝物集』の手法である経典引用のようにも解される。ところ が、この偈・経文は前後の本文との積極的な脈絡も認められず、作者の意図するところがつかめないものとなってい る。そこで小稿では、この偈と経文の三種が何故記されたか、それらの偈と経文が「片活三本」と「元禄本」の内容 とどのような関わりがあるか、さらには他の主要伝本との関連からどのようなことが明らかになるか、などについて 考証してみたい。さらに、もう一例、 「片活三本」 「元禄本」の両伝本にみられ他伝本にみられない独自歌のゆくえを も考察に加え、 これら二例の結果を踏まえて、 「片活三本」が草稿本的性格を有する伝本であることを指摘してみたい。 一大正大學研究紀要 第一〇二輯
二
問題の所在
問題の所在を指摘する前に、 「片活三本」と「元禄本」の関係について一言して置かなければならないことがある。 それは、 「元禄本」 が 「片活三本」 「平活三本」 「第二種七巻本」 の混態本で、 古鈔本七巻本の成立以後はるか時代が下っ たころに成立した伝本であるという点である。これについてはすでに木下資一氏、大島薫氏、山田昭全氏の詳細な考 察が報告されてお り ( 1 ) 、実証的で説得力に富むことから、異論も報告されずほぼ首肯された感がある。したがって、先 述 し た 二 用 例 は「 片 活 三 本 」 の 独 自 本 文 で、 「 元 禄 本 」 の 該 当 箇 所 は「 片 活 三 本 」 か ら の 引 用 と い う こ と に な る。 そ の 点 を 踏 ま え た 上 で、 「 片 活 三 本 」 の 問 題 と す る 前 者 の 箇 所 を『 静 嘉 堂 文 庫 蔵 片 仮 名 古 活 字 三 巻 本 宝 物 集〔 影 印 〕』 から一丁分引用して確認しておきたい。 医家ニハ十二経脈ヲ治シ陰陽ニハ十二式神ヲツカフ天 文ニハ分野ヲ見暦道ニハ直ヲ記ス算道ニハ十二空ヲ算 ニ挙明法ニハ十二貞観格ヲ引宿曜ニハ十二運ヲ勘ヘ 相ニハ十二ノ身相ヲ見ル管絃ニハ十二律ヲ知リ詠曲 ニハ十二山寺ヲ謳フ蓬莱宮ノ上ニハ十二楼ヲ作リ会 昌門ノ内ニハ十二堂ヲ立タリ故ニ往生スル道ヲモ十二 ヲ注シ申也十二ノ中ニテモ各其心ノ引ン方ヲ勤給ヘキ 也世ノ中モ人ノ心モ区ナレハ或ハカミヲソリ捨ル人モアリ カマヘテ長クヲホサントスル人モアリ又カミヲ空ヘカキアクル 人モアリ下ヘ撫下ス者モアリ又加之明君ハ松ヲ愛シ楽 天ハ竹ヲ好ミ寧王ハ笛ヲ吹キ楚王ハ琴ヲ引如此人ノ 」十五丁オ 二片仮名古活字三巻本『宝物集』独自本文のゆくえ 心一シナナラス侍ル者ナリ故ニ十二門ヲハ云申侍ル也 要 ① 集云 華厳経入法界品云 譬如金剛 雖破不全 一切衆宝 猶不能及 菩提之心 亦復如是 雖少懈怠 声聞縁覚 諸功徳宝 所不能及 要 ② 集云 引宝楼閣経偈云 菩提心功徳 若有尽方分 周遍虚空界 無能客受者 入 ③ 法界品上 譬如有人得信水 宝珠瑠璃其身入深水中而不没溺得菩提心信水 宝珠入生死海而不沈没 ○第一ニ道心ヲ起シ出家シテ仏道ヲ可求ト申ハ慥ノ 往生ノ業因也大海ハ涓露ヨリ起リ須弥ハ微塵ヨリハ 」十五丁 ウ ( 2 ) 以 上、 影 印 の 一 丁 分( 中 巻 十 五 丁 オ・ ウ ) を そ の ま ま 翻 刻 し た( た だ し、 異 体 字・ 旧 字 体 は 新 字 体 に 改 め た )。 傍 線部①以前の箇所は十二門開示直後に続くいわゆる 「十二尽くし」 の後半部分である。最後の二行は十二門の第一 「発 道心シテ出家遁世シ」の冒頭部分である。 さて、 問題となる「独自本文」であるが、 傍線部①②③の部分となる。便宜的に引用経典ごと番号を付したが、 「要 集云」とあるように『往生要集』からの引用となっている。 引用の箇所は「大文第四、第三作願門、二利益」のくだりで、内容は「発菩提心の利益」に関するものとなってい る。ちなみに『要集』の本文と数カ所の異同が認められる。この点については後述する。 次に 『要集』 からの引用文 (①②③) と『宝物集』 本文の前後の脈絡であるが、 緊密な文脈とは言いがたい。というのは、 三
大正大學研究紀要 第一〇二輯 引用文の前の部分は「十二門開示」と「十二尽くし」になっており、続く後の部分は十二門の第一で「道心を起こし て出家」を勧める段となっていて、文脈としては寸断され孤立した感がある。ただ後に続く段中には「道心トハ菩提 心ナリ」とあって、引用経文(①②③)の経意となっている「発菩提心の利益」という点では一部脈絡は認められる のである。さらに、 三種の引用文の内、 二種はこの段の本文中に書き下し文 (ただし取意) で引用されているのである。 したがって、漢文と書き下しの重複引用で、叙述展開上未整理・未配慮の感が否めず、草稿的な面を露呈したくだり となっている。小稿ではこうした性質を有する 「片活三本」 の 「独自本文」 が何故ここに記されたか。さらに、 この 「独 自本文」の存在から諸本の成立上どのようなことが知られるか、について私見を述べてみたい。なお、二例目の独自 歌の引用と検討は本考察の後に行うこととしたい。
三
「独自文①②③」と本文の関係
は じ め に、 「 片 活 三 本 」 の 問 題 と な る 箇 所 を 考 察 に 必 要 な 範 囲 で 引 用 し た い。 ま た、 後 の 考 察 で 必 要 と な る「 第 二 種七巻本」の該当箇所も合わせて引用し、 「独自文①②③」と本文の関係を明らかにしたい。 〈片活三本〉 又 加 之 明 君 ハ 松 ヲ 愛 シ 楽 天 ハ 竹 ヲ 好 ミ 寧 王 ハ 笛 ヲ 吹 キ 楚 王 ハ 琴 ヲ 引 如 此 人 ノ 心 一 シ ナ ナ ラ ス侍ル者ナリ故ニ十二門ヲハ云申侍ル也 〈第二種七巻本(吉川本) 〉 か る が ゆ へ に、 十 二 の 門 を た て て 申 侍 り つ る 也。 い づ れ に て も、 心 の ひ か ん か た を つ と め 給 は ば、 皆 仏 道 に い た る 道 な れ ば、 と く ほ と け に な り 給 ふ べ し。 よ く 〳〵 信 をいたしてつとめおこなひ給ふべし。 四片仮名古活字三巻本『宝物集』独自本文のゆくえ 要 ① 集云 華厳経入法界品云 譬如金剛 雖破不全 一切衆宝 猶不能及 菩提之心 亦復如是 雖少懈怠 声聞縁覚 諸功徳宝 所不能及 要 ② 集云 引宝楼閣経偈云 菩 提心功徳 若有尽方分 周遍虚空界 無能客 受者 入 ③ 法界品上 譬如有人得信水宝珠瑠璃 其身入深水中而不没溺得菩提心信水宝珠入生 死海而不沈没 ○ 第 一 ニ 道 心 ヲ 起 シ 出 家 シ テ 仏 道 ヲ 可 求 ト 申 ハ 慥 ノ 往 生 ノ 業 因 也 大 海 ハ 涓 露 ヨ リ 起 リ 須 弥 ハ 微 塵 ヨ リ ハ シ マ ル 無 上 ノ 位 ニ 登 ン 事 又 一 念ノ力ニヨルヘシ 道 心 ト ハ 菩 提 心 ナ リ 菩 提 心 ト ハ 大 悲 ナ リ 千 手陀羅尼経ニ大悲心是ト云ハ則是ナリ 万 法 ハ 心 作 ニ シ テ 心 ノ 外 ニ 別 ノ 法 ナ シ 心 仏 及 衆 生 是 三 無 差 別 ノ 故 ニ 心 ハ 第 一 ノ 怨 ナ リ 心 ニ心ヲ許ス事ナカレ 心 ハ 野 馬 ノ 如 シ 静 メ テ 道 心 ヲ 起 セ 神 ヒ ハ 猿 猴ニ似タリ名ケテ仏道ヲ求ヨ 煩 悩 ハ 家 ノ 犬 打 ト モ 不 去 菩 提 ハ 山 ノ カ セ キ ツ ナ ケ 共 不 留 ラ 猪 金 山 ヲ ス リ 風 求 羅 ヲ マ ス カ 如ク好テ道心ヲ起スヘキ也 爰 以 南 都 東 大 寺 禅 林 寺 永 観 律 師 ト 云 人 非 木 石 ニ 好 ハ 自 ラ 発 心 ス ト ソ 侍 メ ル 早 ク 道 心 ヲ 起 (該当箇所なし) 第 一 に、 道 心 を お こ し、 出 家 遁 世 し て 仏 道 を も と む べ し と 申 は、 た し か の 往 生 の 因 な り。 大 海 は 涓 露 よ り お こ り、 須 弥 は 微 塵 よ り は じ ま る。 無 上 の 位 に の ぼ ら ん 事、 一念の道心の力によるべし。 道 心 と い ふ は、 菩 提 心 な り。 菩 提 心 と 云 は、 大 悲 の 心 なり。千手陀羅尼経に、大悲心といふ則これなり。 万 法 は 心 の 所 作 に し て、 心 の 外 に 別 に 法 な し。 心 仏 及 衆 生、 差 別 な き が 故 に。 心 は 是 第 一 の あ た な り。 心 に 心 ゆるす事なかれ。 心 は 野 馬 の ご と し、 し ず め て 道 心 を お こ せ。 た ま し ゐ は猿ににたり、なつけて仏道をもとめよ。 煩 悩 は 家 の 犬、 う て ど も さ る 事 な く、 菩 提 は 山 の 鹿、 つ な げ ど も と ま り が た し。 猪、 金 山 を す り、 風、 求 羅 を ますがごとく、このみて道心をおこすべき也。 こ ゝ を も っ て、 南 都 東 大 寺 禅 林 の 永 観 律 師 は、 「 人 木 石 に あ ら ず、 こ の め ば を の づ か ら 発 心 」 と 申 た る な り。 五
大正大學研究紀要 第一〇二輯 テ速ニ名利ヲ可離ナリ 一 念 ノ 菩 提 心 ヲ 起 ハ 百 千 ノ 塔 ヲ 造 ニ モ 勝 タ リ況ヤ永ク道心起シテ仏道ヲ求ン人ヲヤ 仏 華 厳 経 ノ 中 ニ 多 ノ 喩 ヲ 以 テ 菩 提 心 ノ 功 徳 ヲハ讃給テ侍リ 喩 ハ 善 現 薬 王 ノ 一 切 ノ 病 ヲ 滅 ル ガ 如 ク 菩 提 心 モ 一 切 ノ 煩 悩 ノ 病 ヲ 滅 ス 喩 ハ 牛 馬 羊 ノ 乳 ノ 中 ニ 師 子 ノ 乳 ヲ 入 レ ハ 煩 悩 ノ 牛 馬 羊 ノ 乳 ハ 消 失ヌ 譬 A ハ 信 水 宝 珠 ヲ カ サ リ テ 水 ニ 入 ハ 人 水 ニ ヌ レ サ ル カ 如 シ 菩 提 心 ノ 玉 ヲ 身 ニ カ ケ ヌ レ ハ 生 死ノ海ニ沈マサルカ如シ 譬ハ一切ノ宝ノ中ニ金如意珠勝タリ 譬 B ハ 瞻 蔔 花 波 師 花 ヲ 以 テ 千 年 衣 ニ シ ム ト 云 ヘ ト モ 栴 檀 香 ノ 一 日 ニ 不 及 如 ク 一 切 ノ 功 徳 ノ 中ニ菩提心モ又〳〵如此 一 念 菩 提 心 ヲ 起 ハ 無 上 尊 ト 成 慎 テ 疑 ヲ 成 事 ナカレト説リ 出 世 菩 提 心 経 ニ ハ 十 万 国 土 ヲ 灰 ニ 成 テ 其 国 は や く 道 心 を こ の み て、 す み や か に 名 利 を は な る べ き な り。 一 念 菩 提 心 を お こ す 功 徳、 百 千 の 堂 を つ く る に す ぐ れ た り。 い は ん や、 な が く 道 心 を お こ し て、 仏 道 を も と め ん人をや。 仏、 花 厳 経 の 中 に、 お ほ く た と へ を も て、 菩 提 心 の 功 徳をばほめたまひて侍るめる。 「たとへば、 善見薬王の、 一切の病をめつするがごとく、 菩 提 心 も 一 切 の 煩 悩 の 病 を め つ す。 た と へ ば、 牛・ 馬・ 羊 の 乳 の 中 に、 師 子 の 乳 を い れ ば、 み な き え う せ ぬ。 菩 提 心 の 師 子 の 乳 を い る れ ば、 煩 悩 の 牛・ 馬・ 羊 の 乳、 き えうせぬ。 た a と へ ば、 住 水 宝 珠 を か ざ り て 水 に い る れ ば、 人、 水 に ぬ る ゝ 事 な し。 菩 提 心 の 玉 を 身 に か け つ れ ば、 生 死 の 海にしづむ事なし 。 た と へ ば、 一 切 の 宝 の 中 に、 金、 如 意 珠 す ぐ れ た り。 一 切 の 功 徳 の 中 に は、 菩 提 心 の 功 徳 す ぐ れ た り。 た と へ ば、 一 切 の 鳥 の 中 に は、 伽 陵 頻 の 卵 の 中 な る、 な を し す ぐ れ た り。 た b と へ ば、 瞻 蔔 花・ 波 尸 迦 花 を も て、 千 年 衣 に し む と い ふ と も、 栴 檀 香 の 一 日 に お よ ば ざ ら ん が ご と く、一切の功徳の中に、菩提心又かくのごとし 。 一 念 菩 提 心 を お こ せ ば、 無 上 尊 と な る。 つ ゝ し み て う たがひをなす事なかれ」ととけり。 出 生 菩 提 心 経 に は、 「 十 方 国 土 を 灰 と な し て、 そ の 国 六
片仮名古活字三巻本『宝物集』独自本文のゆくえ ノ草 木 ト 知 十 方 世 界 ノ 水 ヲ 海 ニ 入 テ 其 河 ノ 水 ト ハ 知 ト モ 菩 提 ノ 功 徳 ハ 難 量 シ 又 若 有 人 テ 恒 河 沙 ノ 数 ノ 仏 ヲ 作 テ 須 弥 山 ノ 様 ナ ル 堂 ヘ 奉 リ タ ラ ン 功 徳 ハ 菩 提 心 ヲ 起 シ タ ラ ン 功 徳 ノ 十 六 分ニ不及ト云ヘリ 宝 C 積 経 ニ ハ 菩 提 心 ノ 功 徳 水 尽 事 ア ラ マ シ カ ハ 虚 空 ニ 満 テ ソ ア ラ マ シ ト イ ヒ 密 蔵 経 ニ ハ 始 ノ 菩 提 能 〳〵 重 〳〵 ノ 十 悪 ヲ 除 ク 況 ヤ 第 二 第 三 第 四 ヲ ヤ ト 教 ヘ 給 リ 出 家 功 徳 経 ニ ハ 在 家 ハ 無量ノ罪アリ出家ハ無量ノ功徳ヲ得ト云リ (『 片 仮 名 古 活 字 三 巻 本 宝 物 集 』 中 15オ ~ 中 17オ) の 木 草 と し り、 十 方 世 界 の 水 を 海 に い れ て、 そ の 河 の 水 と は し る と も、 菩 提 心 は、 は か り が た し。 又、 も し 人 あ り て、 恒 河 沙 の 仏 を つ く り て、 須 弥 山 の や う な る 堂 に す へ た て ま つ り た ら ん 功 徳、 菩 提 心 を お こ し た ら ん 功 徳 の 十六分におよばじ」といへり。 宝 c 積 経 に は、 「 菩 提 心 の 功 徳、 も し 色 あ ら ま し か ば、 虚 空 に 満 な ま し 」 と い ひ、 秘 密 蔵 経 に は、 「 は じ め の 菩 提心、 よく重〃の十悪をのぞく。いはんや、 第二、 第三、 第 四 を や 」 と お し へ、 出 家 功 徳 経 に は、 「 在 家 は よ く 無 量の罪あり、出家又無量の功徳をうる」といへり。 (『 宝 物 集 』 新 日 本 古 典 文 学 大 系 岩 波 書 店 一 四 八 ~一五一頁) 以上、考察に必要となるくだりを二伝本から引用し、以後の検証に必要となる箇所に傍線を施してみた。 さて次に、 「片活三本」の「独自文」 (傍線部①②③)と本文との関連を考察することになるが、 その前に、 「独自文」 の出典となった『往生要集』の本文と比較し異同を確認しておく必要があろう。 片活三本 ① 入 法 界 品 云 譬 如 金 剛 雖 破 不 全 一 切 衆 宝 猶 不 能 及 菩 提 之 心 亦 復 如 是 雖 少 懈 怠 声 聞 縁 覚 諸功徳宝 所不能及 往生要集 ① 入 法 界 品 云 譬 如 金 剛 雖 破 不 全 一 切 衆 宝 猶 不 能 及 菩 提 之 心 亦 復 如 是 雖 少 懈 怠 声 聞 縁 覚 諸功徳宝 所不能及 七
大正大學研究紀要 第一〇二輯 ② 引 宝 楼 閣 経 偈 云 菩 提 心 功 徳 若 有 尽 方 分 周 遍 虚空界 無能 客 受者 ③ 入 法 界 品 上 譬 如 有 人 得 信 水 宝 珠 瑠 璃 其 身 入 深 水 中而不没溺得菩提心 信 水宝珠入生死海而不沈没 (『片仮名古活字三巻本宝物集』中 15オ) ② 宝 積 経 偈 云 菩 提 心 功 徳 若 有 色 方 分 周 遍 虚 空 界 無能 容 受者 ③ 入 法 界 品 云 譬 如 有 人 得 住 水 宝 珠 瓔 珞 其 身 入 深 水 中而不没溺得菩提心 住 水宝珠入生死海而不沈没 (『源信』日本思想大系 岩波書店 三五〇頁) 以 上 が「 片 活 三 本 」 の「 独 自 文 」( 傍 線 部 ① ② ③ ) と『 往 生 要 集 』 と の 比 較 で あ る。 そ れ ぞ れ ゴ シ ッ ク で 示 し た 箇 所に異同が認められる。 さて、この「異同」を念頭に置きながら再度「片活三本」の本文に目を転じてみたい。まず独自文②であるが、本 文中のCと酷似していることが知られる。次に独自文③であるが、これは本文中のAとおおむね共通することが確認 できる。そして、独自文①であるが、これは本文中に該当箇所がないことも知られる。 こ こ で、 「 第 二 種 七 巻 本 」 の 本 文 を 参 考 に し な が ら、 さ ら に 考 察 を す す め る と、 次 の よ う な こ と が 明 ら か に な る。 一 つ は、 独 自 文 ② の「 宝 楼 閣 経 」 で あ る が、 「 片 活 三 本 」 の 本 文 中 と「 第 二 種 七 巻 本 」 に は「 宝 積 経 」 と あ り、 先 述 し た よ う に『 往 生 要 集 』 に も「 宝 積 経 」 と あ る こ と か ら、 『 宝 積 経 』 が 正 し い こ と が わ か る。 そ し て 独 自 文 の「 尽 」 は「 色 」 の、 「 客 」 は「 容 」 の 草 体 誤 写 の 可 能 性 が あ る こ と ( 3 ) 。 二 つ め は、 独 自 文 ① が 本 文 中 に 見 当 た ら な い が、 こ の 独自文を『往生要集』で確認し、その数行前に目を転ずると、次のように記されていることが知られる。すなわち、 ま た 入 法 界 品 に 云 く、 ( 中 略 ) 譬 へ ば、 波 利 質 多 樹 の 花 を 一 日 衣 に 薫 ず る に、 瞻 蔔 の 花、 婆 師 の 花 の、 千 歳 薫 ず といへども及ぶあたはざる所なるが如く、菩提心の花も亦またかくの如し 。一日薫ずる所の功徳の香は、十方の 仏の所に徹り、声聞・縁覚の、無漏智を以てもろもろの功徳を薫ずること、百千劫に於てするも及ぶあたはざる 所なり。 譬へば、金剛の、破れて全からずといへども、一切の衆宝の、なほ及ぶあたはざるが如く、菩提の心も 八
片仮名古活字三巻本『宝物集』独自本文のゆくえ 亦またかくの如し。少しく懈怠すといへども、声聞・縁覚のもろもろの功徳の宝の、及ぶあたはざる所な り ( 4 ) 。 とある。一読して明らかなように、 「片活三本」 の本文では独自文① (傍線部分) を採用せず、 その直前にある経文 (波 線部分)を引用していることが確認できるのである。以上、 「独自文①②③」と本文の関係を簡単に指摘した。
四
「片活三本」の草稿本的性格(その一)
次に、前段で確認した事実を踏まえると、そこからどのようなことが指摘できるかについてさらに考察をすすめた い。 ま ず、 「 独 自 文 」 ① で あ る が、 先 述 し た 通 り こ の 経 文 は 本 文 に 引 用 さ れ て い な い。 代 わ り に そ の 前 に あ る「 入 法 界 品 」 の 一 節 が 引 用 さ れ て い る。 ど ち ら も「 菩 提 心 の 功 徳 の 大 き さ 」 を 述 べ る 経 意 と な っ て い る が、 「 片 活 三 本 」 の 作 者は冒頭に引用した経文を本文中に記していないのである。理由はいくつか考えられるが、おそらくは、冒頭にメモ として『要集』から引用はしては置いたものの、実際「十二門の第一、道心をおこし、出家遁世して仏道をもとむべ し」の本文を書くに際して、 『往生要集』に再度立ち戻ったとき、内容・文脈により適した経文が直前にあったので、 急 遽 書 き 換 え た の で は な い だ ろ う か。 独 自 文 ① に あ る「 破 れ て 全 か ら ず と い へ ど も 」 や「 少 し く 懈 怠 す と い へ ど も 」 の 表 記 は、 「 発 菩 提 心 」 の 譬 喩 と し て は 負 の イ メ ー ジ が あ る。 そ れ に 対 し て「 波 利 質 多 樹 の 花 」 は 華 や か で 文 脈 に 馴 染むことは明らかであろう。 さてここで疑問が生じるのである。それは、冒頭に引用しているにも関わらず本文中に引用せず、しかも、書き換 えや削除などもせず、そのまま載せている作者の執筆態度である。この引用経典はここにあってもほとんど作品に意 味を持たず、削除した方が無理のない本文展開となっている。にもかかわらず、ここに記されているのは極めて不自 九大正大學研究紀要 第一〇二輯 然である。 次の 「独自文」 ②も同様である。まず、 出典が誤りである。 『往生要集』 では先述したように 『宝楼閣経』 ではなく 『宝 積経』からの引用となっている。ところが、本文では「宝積経ニハ」として誤りを正した表記になっている。おそら くこれは、メモ執筆時と本文執筆時で生じた異同で、メモ時の誤りに気づかず本文では正確な出典名で執筆したと考 えられる。もし気づいていたのであれば、メモの誤りも正されていたはずである。いずれにしても、出典を誤った独 自文②の存在は明らかに不自然である。未整理・粗野といわざるをえない。さらに、作品完成に向けての筆者の配慮 と余裕(推敲の跡)が読み取れるものとなっておらず、草稿的な筆使いが感じられるともいえよ う ( 5 ) 。 ちなみに、後に「片活三本」本文中に引用される書き下し文(傍線部分C)が、冒頭の「独自文」②と似て非なる ものとなっている点である。この辺の経緯についても簡単に説明しておきたい。すなわち「菩提心功徳 若有尽方分 周遍虚空界 無能客受者」 が 「菩提心ノ功徳水尽事アラマシカハ虚空ニ満テソアラマシ」 となっているのであるが、 おそらくこれは書写過程で生じた 「草体誤写」 が深く関わっていると考えられる。 すなわち、 祖本 (あるいは翻刻前の本) には「菩提心功徳 若有 色 4 方分 周遍虚空界 無能 容 4 受者」とあったはずで、 それを書写者が「色」を「尽」に、 「容」 を「客」に誤読してしまったものと想像される。これについてはすでに指摘したところであった。さらに本文中にお い て は、 「 菩 提 心 功 徳 若 有 色 4 方 分 周 遍 虚 空 界 」 の 箇 所 を 取 意 で 書 き 下 し た 一 文 を 誤 読 し て「 菩 提 心 ノ 功 徳 水 尽 事 アラマシカハ虚空ニ満テソアラマシ」と誤写してしまったものと推察される。これでは文意不通である。では「水尽 事アラマシカハ」をどのように説明するのかということになるが、具体的には、 「若有色方分」の「若」を「水」に、 「色」を「尽」に、 「方」を「事」に誤読したと考えるのであ る ( 6 ) 。つまり祖本には「若色方アラマシカハ」とあったと あった可能性が高いのである。それは「第二種七巻本」が、 「菩提心の功徳、もし色あらましかば、虚空に満なまし」 とあることからもおおよそ想像がつくのである。 次は「独自文」③である。この経文はすでに指摘したように、 『往生要集』との数カ所の異同が認められる。また、 一〇
片仮名古活字三巻本『宝物集』独自本文のゆくえ 本文中へ取り込んだ書き下し文は取意となっている。ただここで注意を要するのは、独自文と『往生要集』との異同 事由である。もう一度異同箇所を示すと、 1「上」と「云」 、 2「信」と「住」 、 3「瑠璃」と「瓔珞」となる。 1と 2は書写過程で生じた誤読・誤写の可能性が極めて高いの で ( 7 ) 、考察から外すとしても、 3は共通イメージによる記憶 違 い の 可 能 性 が 高 い こ と か ら、 「 片 活 三 本 」 祖 本 の 段 階 で は 記 憶 に 基 づ い て 書 い て い た 可 能 性 が こ こ で も 浮 上 し て く る の で あ る。 先 述 し た 出 典 の 誤 り( 独 自 文 ② の『 宝 楼 閣 経 』) な ど も そ の 可 能 性 を 裏 付 け る。 や は り、 独 自 文 ③ に お いても草稿本的性格の片鱗が窺われるのではないだろうか。
五
「片活三本」の草稿本的性格(その二)
もう一点草稿本的性格が窺える箇所を指摘しておきたい。すでに引用済みであるが、問題点を明確にするため『往 生要集』と比較する形で再度提示したい。 〈片活三本〉 A 喩 ハ 善 現 薬 王 ノ 一 切 ノ 病 ヲ 滅 ル ガ 如 ク 菩 提 心 モ 一 切 ノ 煩 悩 ノ 病 ヲ 滅 ス 喩 ハ 牛 馬 羊 ノ 乳 ノ 中 ニ 師 子 ノ 乳 ヲ 入 レハ煩悩ノ牛馬羊ノ乳ハ消失ヌ 〈往生要集〉 ⓐ 譬 へ ば、 善 見 薬 王 の、 一 切 の 病 を 滅 す る が 如 く、 菩 提 心 も 一 切 衆 生 の も ろ も ろ の 煩 悩 の 病 を 滅 す。 譬 へ ば、 牛・ 馬・ 羊 の 乳 の、 合 し て 一 器 に あ る に、 師 子 の 乳 を 以 て か の 器 の 中 に 投 る る と き は、 余 の 乳 は 消 え 尽 き て、 直 ち に 過 ぐ る こ と 碍 な き が 如 く、 如 来 て ふ 師 子 の、 菩 提 心 の 乳 を、 無 量 劫 に 積 む 所 の も ろ も ろ の 業・ 煩 悩 の 一一大正大學研究紀要 第一〇二輯 B 譬 ハ 信 水 宝 珠 ヲ カ サ リ テ 水 ニ 入 ハ 人 水 ニ ヌ レ サ ル カ 如 シ 菩 提 心 ノ 玉 ヲ 身 ニ カ ケ ヌ レ ハ 生 死 ノ 海 ニ 沈 マ サ ル カ如シ C譬ハ一切ノ宝ノ中ニ金如意珠勝タリ D(なし) E 譬 ハ 瞻 蔔 花 波 師 花 ヲ 以 テ 千 年 衣 ニ シ ム ト 云 ヘ ト モ 栴 檀 香 ノ 一 日 ニ 不 及 如 ク 一 切 ノ 功 徳 ノ 中 ニ 菩 提 心 モ 又 く 如此 (『片仮名古活字三巻本宝物集』中 15オ~ 中 17オ) 乳 の 中 に 著 け ば、 皆 悉 く 消 え 尽 き て、 声 聞・ 縁 覚 の 法 の中に住らざるなり。 (中略) ⓑ 譬 へ ば、 人 あ り て、 住 水 宝 珠 を 得 て、 そ の 身 に 瓔 珞 と す れ ば、 深 き 水 の 中 に 入 れ ど も、 し か も 没 み 溺 れ ざ る が 如 く、 菩 提 心 の 住 水 宝 珠 を 得 れ ば、 生 死 の 海 に 入 りて沈没せざるなり。 (中略) ⓒ 譬 へ ば、 閻 浮 檀 金 の、 如 意 宝 を 除 い て 一 切 の 宝 に 勝 れ る が 如 く、 菩 提 の 心 の 閻 浮 檀 金 も 亦 ま た か く の 如 し。 一切智を除いてもろもろの功徳に勝れり。 ⓓ 譬 へ ば、 迦 楞 毘 伽 鳥 の、 卵 の 中 に あ る 時 す ら 大 い な る 勢 力 あ り て、 余 の 鳥 の 及 ば ざ る が 如 く、 菩 薩 摩 訶 薩 も 亦 ま た か く の 如 し。 生 死 の 卵 に 於 て、 菩 提 心 を 発 せ る功徳・勢力は、声聞・縁覚の及ぶあたはざる所なり。 ⓔ 譬 へ ば、 波 利 質 多 樹 の 花 を 一 日 衣 に 薫 ず る に、 瞻 蔔 の 花、 婆 師 の 花 の、 千 歳 薫 ず と い へ ど も 及 ぶ あ た は ざ る 所 な る が 如 く、 菩 提 心 の 花 も 亦 ま た か く の 如 し。 一 日 薫 ず る 所 の 功 徳 の 香 は、 十 方 の 仏 の 所 に 徹 り、 声 聞・ 縁 覚 の、 無 漏 智 を 以 て も ろ も ろ の 功 徳 を 薫 ず る こ と、 百千劫に於てするも及ぶあたはざる所なり。 (『 往 生 要 集 』 岩 波 思 想 大 系 岩 波 書 店 一 九 三 ~ 一 九 四頁) 一二
片仮名古活字三巻本『宝物集』独自本文のゆくえ 以上が注目したい箇所の対比表である。それぞれ対応する箇所に記号を付したが、この中で特に着目したいのがC とⓒの部分である。 「片活三本」は『往生要集』 「入法界品」の「喩」ⓒを「譬ハ一切ノ宝ノ中ニ金如意珠勝タリ」と 記し、 本文Eへと繋げている。その結果、 「~ノ如ク、 ……ノ如シ」の対応関係が成立せず、 落ち着かない表現となっ ているばかりでなく、よくみると『往生要集』 「入法界品」の取意ともなりえていないことが認められる。 「第二種七 巻本」 はその不安定な表現に気づいたためか、 Cの部分を 『往生要集』 のⓒを踏まえて 「たとへば、 一切の宝の中に、 金、 如 意 珠 す ぐ れ た り。 一 切 の 功 徳 の 中 に は、 菩 提 心 の 功 徳 す ぐ れ た り 」 と 書 き 加 え、 「~ ノ 如 ク、 …… ノ 如 シ 」 の 対 応 表現こそ取らないものの、文脈のバランスを回復させている。 「第二種七巻本」はさらに、 『往生要集』のⓓの部分も 踏まえて、 「たとへば、一切の鳥の中には、伽陵頻の卵の中なる、なをしすぐれたり」を追加して、 『往生要集』の本 文 構 成 に 準 じ た 増 補 を し、 整 っ た 本 文 に し て い る。 そ の 結 果、 「 第 二 種 七 巻 本 」 は 次 の E の「 瞻 蔔 花 波 師 花 」 の 本 文 と接続することで「花鳥」対比の表現効果も自然と加わり、豊かな表現内容になっていることが認められ る ( 8 ) 。 同様のことはAの箇所でも指摘できる。 「片活三本」 『往生要集』共に「たとえば」で始まる文が二つある。最初の 「たとえば」の一文は小さな異同にこだわらなければ同文といって問題はなかろう。ところが、二つ目の「たとえば」 で始まる一文は両者に表現上大きな違いがある。文字数においても 『往生要集』 は 「片活三本」 の三倍近くなるが、 「片 活三本」はそれを「喩ハ牛馬羊ノ乳ノ中ニ師子ノ乳ヲ入レハ煩悩ノ牛馬羊ノ乳ハ消失ヌ」と意を取って三十文字で短 く ま と め て い る。 そ の 結 果、 対 句 形 式 の 表 現 が 崩 れ、 落 ち 着 き の 悪 い 文 と な っ て い る の で あ る。 つ ま り、 「 牛 馬 羊 の 乳―師子の乳」と「煩悩の乳―菩提の乳」の対句が崩れているのである。粗野と言わざるをえない。以上の点も草稿 本的な性格の表れといえよう。 一三
大正大學研究紀要 第一〇二輯
六
「片活三本」の草稿本的性格(その三)
「片活三本」が有する草稿本の痕跡は、 まだ指摘することができる。たとえば、 巻三「愛別離苦」中の「夫婦の別れ」 の段である。参考のため「第二種七巻本」も下段に引用する。 片活三本 同 都 ノ 内 ニ ハ ア レ ド モ、 年 来 ノ 夫 妻 ナ ン ド モ 離 ヌ レ バ、 遥ニ別レ行ク、 同事ニテゾ侍ル。是モ証歌ヲ申ベシ。 小一条院、カレ〴〵ニ、成セ給ケレバ読給ケル。 堀河女御 ○果ニケン年月何ヲ思ケン今シモ物ノナゲカシキカナ 大江公資ニ忘ラレテ読ル。 相模 ○夕暮ハ待レシ物ヲ今ハ只行ラン方ヲ思ヒコソヤレ (『宝物集』おうふう 七七頁) 第二種七巻本 お な じ 都 の 内 に は あ れ ど も、 と し ご ろ の め を と こ な ど も は な れ ぬ れ ば、 は る か に わ か れ ゆ く に、 お な じ 事 にてぞ侍るめる。これも証歌にて申べきなり。 小 一 条 院、 か れ 〴〵 に な ら せ 給 ひ に け れ ば、 よ み給ひける 堀河女御 ○ 松 風 は 色 や み ど り に ふ け つ ら ん 物 お も ふ 人 の 身 に ぞ しみける おとこにわすられて、七月七日によみ侍りける 新左衛門 ○ わ す れ に し 人 に み せ ば や 天 の 川 い ま れ し 星 の 心 な が さを 白河女御越中 ○ 待 し 夜 の ふ け し を な に に 嘆 き け ん 思 ひ た え て も 過 し ける身を 大江公資にわすられてよみ侍りける 相模 一四片仮名古活字三巻本『宝物集』独自本文のゆくえ 一 読 し て 明 ら か な よ う に、 「 片 活 三 本 」 は 二 首 の 証 歌 で、 そ れ に 対 し て「 第 二 種 七 巻 本 」 は 五 首 と な っ て い る。 さ らに両本では、堀河女御の詠草が異なっているのが認められよう。 さて、 ここで注目されるのが、 「片活三本」の「果ニケン年月何ヲ思ケン今シモ物ノナゲカシキカナ」の一首である。 こ れ は『 宝 物 集 』 の 諸 本 中 の 唯 一 の 歌( 独 自 歌 ) と な っ て い る( た だ し、 「 一 巻 本 」 に「 ス キ ニ ケ ム 」 と 初 句 の み 異 なる一首が存在す る ( 9 ) )。この一首は「独自歌」ゆえに、 「片活三本」と「第二種七巻本」の先後関係を語る上でも、基 準となり議論しやすい一首といえる。 次に、両本の先後を論じるにあたって、必要な手順を踏まえておきたい。はじめに、堀河女御の詠草に関連する事 柄を整理しておきたい。 「片活三本」の「果ニケン年月何ヲ思ケン今シモ物ノナゲカシキカナ」の一首も、 「第二種七 巻 本 」 の「 松 風 は 色 や み ど り に ふ け つ ら ん 物 お も ふ 人 の 身 に ぞ し み け る 」 の 一 首 も 堀 河 女 御 の 詠 草 で、 『 栄 花 物 語 』 の巻十三「ゆふしで」と巻十四「あさみどり」の巻に載る歌で、いずれも歌意は、小一条院が訪れなくなったことへ の嘆き( 「愛別離苦」 )の内容となっており文脈上問題はない。参考までに関連箇所を簡単に確認すると、 ○ 夕 暮 は ま た れ し 物 を 今 は た ゞ ゆ く ら ん か た を 思 ひ こ そやれ おとこにわすられて、五月五日によみ侍りける 新少将 ○ 長 か れ と 契 し も の を あ や め 草 い か に た え ぬ る う き ね なるらん (『 宝 物 集 』 新 日 本 古 典 文 学 大 系 岩 波 書 店 一 一 八 ~ 一一九頁) 一五
大正大學研究紀要 第一〇二輯 女御の御衣の袖のかたに、 畳紙のやうなるもののあるを、 取りて御覧ずれば、 「おぼしけることどもを書き給へる」 と御覧ず、 過ぎにける年月なにを思ひけん今しもものの歎かしきかな うちとけて誰もまだ寝ぬ夢の世に人のつらさを見るぞ悲しき 千年経んほどをば知らず来ぬ人を待つはなほこそ久しかりけれ 恋しさもつらさも共に知らせつる人をば憂しといかが思はぬ 解くとだに見えずもあるかな冬の夜のかたしく袖に結ぶ氷の な ど 書 か せ 給 へ る。 い み じ う あ は れ に、 「 物 を 思 は せ 奉 る 事。 な ど か は 時 時 は こ こ に も 泊 ら ざ ら む。 さ れ ど 人 の いみじうもてなしおぼいたる事の煩はしければ、いかでかは。今暫もありてこそは」などおぼすも、いとあはれ なり。 「結ぶ氷の」と書き給へるかたはらに書き給ふ、 逢ふ事のとどこほりつつ程ふればとくれど解くるけしきだになし よろづにただ我御命知らぬ事をのみ、えもいはず聞え給ひて、出でさせ給ふに、宮達のたちさわぎ見送り奉らせ 給ふに、御涙もこぼるれば、つい居させ給て、よろづに慰め奉らせ給て(以下略) 巻第十三「ゆふしで」 はかなく秋になりぬれば、風の音もあはれに心細きに、堀河の女御、松風の音を聞しめして、 松風は色や緑に吹きつらんもの思ふ人の身にぞしみける と仰せられけ り )11 ( 。 巻第十四「あさみどり」 となる。前者の「ゆふしで」の巻の引用が長くなってしまったが、故あっての引用で、両巻に記される堀河女御の歎 一六
片仮名古活字三巻本『宝物集』独自本文のゆくえ き の 浅 深 に 着 目 し た か っ た か ら で あ る。 す な わ ち、 両 者 の 文 脈 を た ど る と、 前 者「 ゆ ふ し で 」 の 巻 の「 歎 き 」 よ り、 後 者「 あ さ み ど り 」 の「 歎 き 」 の 方 が 深 い の で あ る。 あ る い は、 前 者 に は ま だ「 希 望 」( 決 定 的 な 破 局 と な っ て い な い ) が 見 い だ せ る が、 後 者 に は「 絶 望 」 に 近 い も の が 認 め ら れ る の で あ る )11 ( 。 加 え て、 留 意 し な け れ ば な ら な い 点 は、 「片活三本」の初句「果ニケン」が『栄花物語』では、 「過ぎにける」となっている点と、 「第二種七巻本」の「松風ハ」 の一首が、勅撰和歌集『後拾遺集』に入集した一首となっているという点である。 以上、考察に必要な注釈的手順を踏まえたので、次に私見を述べてみたい。問題は、 「抜書説」 「増補説」のいずれ の観点に立つとしても、なにゆえ差し替えたのか、ということになろう。はじめに「抜書説」の観点から検証してみ た い。 小 泉 弘 氏 は、 詳 細 な 伝 本 調 査 に 基 づ き、 「 片 仮 名 第 二 種 七 巻 本 」 系 か ら の 抜 き 書 き し た も の が「 片 活 三 本 」 で あ る、 と 論 じ ら れ て い る )11 ( 。 そ う す る と、 「 第 二 種 七 巻 本 」 が 有 す る「 松 風 は 」 の 一 首 を 含 む 四 首( 相 模 の 一 首 は そ の ま ま ) を 削 除 し て、 「 果 ニ ケ ン 」 の 一 首 を 入 れ た と い う こ と に な ろ う。 こ の 点 に つ い て は、 以 下 の 二 点 に お い て 疑 問 を呈せざるを得ない。一点目は、 先述した堀河女御の「歎き」と「絶望」の深さという点に関わってくる。すなわち、 『 宝 物 集 』 の「 愛 別 離 苦 」 の 章 段 の 文 脈 に そ っ て い う な ら ば、 希 望 が 認 め ら れ 深 刻 さ が な い「 果 ニ ケ ン 」 よ り も「 松 風ハ」の方が文脈にマッチするのである。したがって、 「抜書説」の観点に立つと、 「愛別離苦」の章段に適切な詠草 から、その点においてはおよばない詠草に差し替えたことになる。二点目は、 「第二種七巻本」の伝本が、 「五首一括 方式」の第一首目に、 「勅撰和歌集」の歌を据えることが圧倒的に多い、 という事実である。これは、 第二種七巻本『宝 物集』著者の例証歌配列方針と認められ、全体の八割に及んでい る )13 ( 。したがって、 「抜書説」の観点に立つと、 「片活 三本」の著者が、 「第二種七巻本」の著者の例証歌配列方針を無視して、わざわざ『栄華物語』に載る「過ぎにける」 の歌に、しかも初句を「果ニケン」と誤ってまで差し替えたことになるのであ る )11 ( 。 次 に「 増 補 説 」 の 観 点 か ら 考 察 し て み た い。 「 片 活 三 本 」 は 執 筆 時 に お い て 手 元 に あ っ た 資 料、 あ る い は、 記 憶 に 基 い て「 愛 別 離 苦 」 の 章 段 に 合 う「 果 ニ ケ ン 」 の 一 首 を と り あ え ず 便 宜 的 に 引 用 し て お い た と 考 え ら れ る。 そ の 後、 一七
大正大學研究紀要 第一〇二輯 資 料 の 蒐 集 が 進 み、 「 五 首 一 括 方 式 」 と そ の 第 一 首 目 に「 勅 撰 和 歌 集 」 の 歌 を 据 え る と い う 著 者 の 例 証 歌 配 列 方 針 に し た が っ て 配 列 を 考 え た と こ ろ、 『 後 拾 遺 和 歌 集 』 に 載 る「 松 風 は 」 の 詠 草 を 目 に す る に 及 ん で、 詞 書 と そ の 歌 意 が 「愛別離苦」の章段に適切な詠草で、 しかも勅撰集入集歌であることを確認したので、 「果ニケン」の一首を「松風ハ」 に差し替えて、相模の詠草をそのまま残し、三首を加え五首にした、と推察するのである。 こうした推察を側面から補強してくれる伝本がある。それは『妙国寺本』で、同本についてはすでに山田昭全氏が 翻刻し紹介している。巻三のみの零本であるが、 この本を他の主要伝本と比較すると、 「片活三本」と「第二種七巻本」 の中間に位置する伝本、すなわち、 「片活三本」を増補した伝本で、 「第二種七巻本」の草稿本であることが知られる のである。この点についてはすでに詳細な報告をしているので、拙論にゆずるが、この考察結果も踏まえると、ます ます「抜書説」の可能性は低くなるのであ る )11 ( 。 以 上、 「 抜 書 説 」「 増 補 説 」 の 二 つ の 観 点 か ら 私 見 を 述 べ た わ け で あ る が、 「 抜 書 説 」 が 極 め て 不 自 然 で 説 得 力 に 欠 けるものであることが理解いただけたのではないだろうか。 し た が っ て、 こ の 章 段 に お い て も、 先 の 結 論 と 同 じ く、 「 片 活 三 本 」 は「 第 二 種 七 巻 本 」 よ り 先 に 位 置 す る 伝 本、 別言するならば「第二種七巻本」の草稿本とも言えるのではないだろうか。
七
おわりに
以 上、 独 自 文 二 用 例 の「 ゆ く え 」 を 追 い な が ら、 「 片 活 三 本 」 の 草 稿 本 的 性 格 を 指 摘 し た わ け で あ る が、 最 後 に そ の要点をまとめておきたい。 まず、 『往生要集』からの経文の引用の独自文であるが、この考察から次の三点がまとめられよう。 一八片仮名古活字三巻本『宝物集』独自本文のゆくえ ①引用された『往生要集』の経文三種は、後の本文と無関係ではないが、文脈としては連続せず孤立感があり、内容 的にも後の段と重複している箇所がある。 ②独自文は 『往生要集』 の引用経典名を誤って記しているし、 「瓔珞」 とあるべきところを 「瑠璃」 と誤っていることから、 出典の確認を実施していない。また、引用した『華厳経』の経文に対応する本文がないなど、誤りや矛盾などが明ら かである。引用は記憶に基づいた備忘録的性格、あるいは暫定措置的性格が推認される。 ③「片活三本」 と「第二種七巻本」 の本文を比較すると、 明らかに 「第二種七巻本」 の本文が整っている。 「第二種七巻本」 は「片活三本」の備忘録的・暫定措置的(便宜的)な部分に手を入れながら増訂した伝本であるといえる。 また、独自歌「果ニケン」の考察からは、次の二点がまとめられよう。 ① 「片活三本」 の独自歌は、 堀河女御の詠草で、 『栄花物語』 の巻十三 「ゆふしで」 にのみ載る歌で、 初句は 「過ぎにける」 である。しかし、 「片活三本」 の初句は 「果ニケン」 とあり異なる。ここにも前例と同じく出典確認の姿勢が認められず、 記憶に基づいた暫定措置的性格が認められる。 ②独自歌の内容と 「第二種七巻本」 の選歌意識を踏まえた上で、 「抜書説」 「増補説」 の二つの観点から考察すると、 「第 二種七巻本」を抜き書きして「片活三本」が成立したとする説は、矛盾が多く極めて不自然で説得力に欠ける。 以上の諸点を総合すると、 『往生要集』から引用された独自文と『栄花物語』から引用された独自歌は、備忘録的 ・ 暫定措置的性格を有する本文で、その誤りと矛盾から「第二種七巻本」への増訂の過程で発展的に解消された本文と いえるのではないだろうか。したがって、 「片活三本」は「第二種七巻本」の草稿的本文といえよう。 註 (1)① 木 下 資 一「 『 宝 物 集 』 研 究 ノ ー ト ― ― 元 禄 七 巻 版 本 の 諸 本 系 統 上 の 位 置 ――」 (『 富 山 大 学 国 語 教 育 』 第 一 一 号 昭和六一年一一月) 一九
大正大學研究紀要 第一〇二輯 ②大島薫「宝物集諸本の系統――元禄本について――」 (『国文学』第六五号 関西大学 平成元年一月) ③ 山 田 昭 全「 『 宝 物 集 』 元 禄 本 の 成 立 」( 『 宝 物 集 の 研 究 』 山 田 昭 全 著 作 集 第 二 巻 第 五 章 お う ふ う 平 成 二 七 年 一 月 )、 「『 宝 物 集 』 元 禄 本 本 文 考 ―― 三 巻 本・ 平 活 本・ 七 巻 本 の 混 合 状 態 を 探 る ――」 (『 宝 物 集 の 研 究 』 山田昭全著作集 第二巻 第六章 おうふう 平成二七年一月) (2)黒田彰編『身延文庫蔵宝物集中巻』付片仮名古活字三巻本「片仮名古活字三巻本宝物集」影印(和泉書院 昭和 五九年◯月)二七九 ~ 二八〇頁。 (3)「尽」は「色」の草体と酷似し、 「客」は「容」の草体と酷似する。また両者ともに運筆もおおむね重なる。 「片 活三本」には草体酷似による誤写が多くかなりの数にのぼる。この二例も誤写とみてよいだろう。 (4)『往生要集』巻上〈 『源信』日本思想大系6 岩波書店 昭和五三年二月 一〇六~一〇七頁〉 。 (5)「片活三本」の本文を読んでいくと、推敲を重ねていないのではないか、と思われる箇所に出くわす。大小いく つか指摘できるのであるが、たとえば、首尾の不照応が好例であろう。すなわち、冒頭で清涼寺の釈迦像に「南 無大恩教主釈迦牟尼、無上大覚世尊、滅罪生善、臨終正念、往生極楽」と礼拝してはじまるのに対して、結びで は同じ釈迦像に「南無西方極楽化主弥陀如来、観音 ・ 勢至二菩薩、南無九品蓮台清浄大海衆、必来迎引接シ給ヘ」 と祈って物語を閉じている。この例などはその最たるものであろう。この矛盾に気づいた 「第二種七巻本」 は、 「南 無大恩教主釈迦尊、後世をたすけたまへ」と結び、釈迦にはじまり釈迦で終わるという作品の首尾照応を回復さ せている。ちなみに、 「片活三本」 と 「第二種七巻本」 との混態本である 「元禄本」 もその矛盾に気づいたようで、 「 南 無 大 恩 教 主 釈 迦 尊 。 南 無 西 方 極 楽 化 主 弥 陀 如 来 。 観 音 勢 至 二 菩 薩。 南 無 九 品 蓮 台 清 浄 大 海 衆。 必 ズ 来 迎 引 接 シ給ヘ」と混合本文をもって首尾の対応を回復させている。こうした他本の首尾対応を確認する時、 「片活三本」 の首尾は作品の構成上バランスを欠いていることは明らかであろう。これも「片活三本」が有する草稿的性格が 表れた一例といえよう。 二〇
片仮名古活字三巻本『宝物集』独自本文のゆくえ (6)「若」と「水」 、「色」と「尽」 、「方」と「事」は、主要な「くずし字用例辞典」等で確認すると、著しくくずし た草体になるほど字体が酷似し運筆もおおむね重なってくる。ちなみに、 「片活三本」 の意味不通の箇所の多くは、 草 体 酷 似 に よ る 誤 写 と な っ て い る。 こ う し た 例 に つ い て は、 そ の 主 要 な も の を 拙 著『 宝 物 集 の 研 究 』( お う ふ う 平成二二年)で多数紹介している。 (7)こ の 二 例 も 註 (6)と 同 じ く 草 体 酷 似 か ら 生 じ た 誤 写 で あ る。 す な わ ち、 「 上 」 と「 云 」、 「 信 」 と「 住 」 の 草 体 を 比 較していただければ酷似していることが理解していただけよう。 (8)『宝物集』では、 論じてきたことをさらにわかりやすくするために、 ものに譬えて語ることが多い。その中で、 「花 鳥」に譬えることが散見され、 「片活三本」 「第二種七巻本」の両本にそれは認められる。ただここで注意を要す るのは、 「片活三本」より「第二種七巻本」の方が徹底しているということである。 「迦楞毘伽鳥」の例もその一 つである。ついでにもう一例を 「臨終の悪念をとゞめて仏道をなるべし」 から紹介すると、 「片活三本」 で 「加之、 柑子ノ木ヲ惜ミテ、 本ニマキツキ、 水瓶ヲ惜ミテ中ニ入テ蛇ト成ル人モ多ク聞ヘ侍ヌレバ」 (おうふう 一七五頁) と あ る く だ り を、 「 第 二 種 七 巻 本 」 で は「 さ れ ば、 花 を あ ひ す る 人 は 胡 蝶 に な り、 鳥 を あ は れ む も の は 畜 生 に な るとなむ申たるなり」 (新日本古典文学大系 三〇九頁)と書き換えて、 「花鳥」に譬える方針を徹底させている。 こうした細やかな書き換えは、もはや「片活三本」が「第二種七巻本」の抜書であるという捉え方では説明がつ かないであろう。 「花鳥」に譬える用例は他に二例ある。 (9)「一巻本」 の愛別離苦の段に 「 スキニケム トシツキナニヲオモヒケムイマシモヽノヽナケカシキカナ」 とあり、 「片 活三本」とは初句のみことなる。 「片活三本」が「果ニケン」とした理由は不明であるが、 「一巻本」と「片活三 本」が同じ詠草を有することは興味深い。ここでは論述の都合上便宜的に「片活三本」の独自歌として取り扱う ことにする。 (10)松村博司 『栄花物語全注釈三』 日本古典評釈 ・ 全注釈叢書 角川書店 昭和五七年 四五〇~四五一頁 ・ 五一九頁。 二一
大正大學研究紀要 第一〇二輯 (11)堀河の女御の歎き・哀愁は、小一条院が道長の娘寛子と結婚してから年を経るにしたがって深まっていった。そ の 悲 し み 有 様 は、 『 栄 花 物 語 』 巻 第 十 三「 ゆ う し で 」、 巻 第 十 四「 あ さ み ど り 」 に 詳 し い。 「 ゆ う し で 」 の 巻 に よ れば、小一条院の堀河第訪問の記事があることから堀河の女御の悲しみは深刻な中にもわずかな期待が認められ るが、 「あさみどり」の巻になると、小一条院はほとんど訪れていないことが推認される。 「松風は」の一首はそ ん な 状 況 で 詠 じ ら れ て い る。 ま た、 『 後 拾 遺 和 歌 集 』 は こ の 詠 草 を「 同 じ 院 高 松 の 女 御 に 住 み 移 り た ま ひ て、 た え〴〵に なり給ての頃、 松風の心すごく 吹き侍りけるを聞きて」との詞書を付して入集している。詞書の傍線部 や 季 節 が 秋( = 飽 き ) で あ る こ と な ど を 参 考 に す れ ば、 堀 河 の 女 御 の 心 境 は 絶 望 に 近 い も の を 感 ず る。 「 過 ぎ に ける」より「松風は」の一首が「愛別離苦」の章段の文脈に適合しているとするゆえんである。 (12)小泉氏は「片活本を、古態を存する『原寶物集』に近いものと見る人々が多いが、筆者は、今のところ、片活本 を第二種七巻本系の祖本――就中、久遠寺本に近いもの――をもと本としてこれを抄略した第二種本よりは後に 生じた省略本であると考えている」 (『古鈔本寶物集 研究篇』角川書店 昭和四八年 一一四頁)と論じられて いる。 (13)小泉氏の『古鈔本寶物集 研究篇』 (角川書店 昭和四八年)の巻末に付載された「 『寶物集』諸本の所収和歌一 覽」と「寶物集諸本間の所収和歌對照表」 (二四一~三三一頁)を参考にして算出した。 (14)この点に、次のような事実も加えると、抜書説の可能性はますます遠のくであろう。すなわち、註 (9)ですでに触 れ た 如 く、 「 片 活 三 本 」 の「 果 ニ ケ ン 」 の 一 首 が「 一 巻 本 」 の 愛 別 離 苦 の 段 に「 ス キ ニ ケ ム ト シ ツ キ ナ ニ ヲ オ モ ヒケムイマシモヽノヽナケカシキカナ」とあり、 「片活三本」とは初句のみ異なるものとなっている。 「片活三本」 が 初 句 を「 果 ニ ケ ン 」 と し た 理 由 は 不 明 で あ る( 記 憶 違 い、 あ る い は 誤 写 の 可 能 性 あ り ) が、 「 一 巻 本 」 と「 片 活 三 本 」 が 基 本 的 に は 同 じ 歌 を 引 用 し て い る 事 実 は、 「 一 巻 本 」 と「 片 活 三 本 」 の 関 係 を 語 る 上 で 極 め て 重 要 な ことを示唆していることになろう。つまり、 「片活三本」は「第二種七巻本」の抜書ではなく、 「一巻本」を増広 二一
片仮名古活字三巻本『宝物集』独自本文のゆくえ したものであることが知られるのである。 (11)拙論「山田昭全先生の晩年の学問 ――『宝物集』成立論をめぐって――妙国寺本『宝物集』は第二種七巻本の草 稿本である――」 (『国文学踏査』第二八号 山田昭全名誉教授追悼号 大正大学国文学会 平成二十八年三月) 二二