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日本佛教學協會年報 第11号 002石川海典「日蓮上人の教学と密教」

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Academic year: 2021

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日蓮聖人

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日蓮聖人の教壌の理想が法華経中心の仰教統一の完成にあったことは一五ふまでもない。法華経中心の偽教統一 は支那に於いては陳陪の天台大師、日本に於いては卒安朝の惇教大師によって企闘されに事であって各々其の時 代教壊界に一異彩を放ってゐることは史賓の詮明する所であるが、日蓮聖人はその後ぞうけて之、か完成に全力を 傾注され、その理想ゆ佐賀現された唯一人であるといふのが聖人門下の見解である。印ち法華中心の悌教統一が天 台俸教の理想であり、日蓮聖人がその後を承けられたといふ貼から考へて天台撃と聖人の救閥単との聞に至大の関 係ぞ持つことは多言そ要しない。是を以て古来聖人の教墜に指沿染める程の蘭学者は、皆脅しく天台阜の研舗を先 決問題としてゐ六事も明かであり、終には天台三大部本末六十巻の中に陪首して以て聖人教壌の玄底に蓮せりと なすやの捧害さへ生十るに至った。徳川時代の壊匠一妙院日導は日蓮聖人の遺文そ中心とする組織宗撃の門戸を 聞 か れ に 篤 壌 の 主 で あ る が 、 師 は 深 く 天 台 曲 学 づ り の 日 蓮 教 撃 界 ぞ 慨 嘆 し 其 名 著 ﹁ 組 書 綱 要 ﹄ 二 十 三 巻 六 十 四 章 の 第 一に撃者鑓仰必有弐第の一章を設けて戎のやうに遁べられに υ 1 日 蓮 聖 一 人 の 数 拳 と 密 教

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2 二 四 h y 当 日 リ タ ル ト 宅 レ パ ク ク y ル ニ ン ヅ ン ノ エ ハ エ 高組日日蓮法門似 v 甚 深 天 台 俸 数 等 一 重 立 入 故 也 ︵ 四 係 書 八 五 二 ︶ 有 非 = 篤 信 熟 練 一 安 到 ニ 丈 底 耐 属 一 乎 、 或 希 有 v 叉 ル 寸 ヲ モ 又 ト ス テ ヲ ロ ニ ス ル ヲ ヱ テ ハ フ ヲ ト 〆 ヂ グ レ ハ ル ト ノ ノ エ キ ハ ト 〆 フ 信 ニ 組 訓 − 者 久 習 未 v 必 事 一 向 精 v 苦 曾 ニ ム 日 此 一 其 得 ニ 合 者 一 欣 然 乃 言 此 操 エ 彼 丈 彼 義 一 其 無 ニ 本 操 − 帳 然 而 A 一 三 未 考 一 古 セ レ ヲ モ ヲ ジ ヂ ハ が ジ 干 ニ ヲ グ ノ ム T リ ト ス ル ノ セ ノ 今 注 コ 解 組 書 − 者 大 抵 不 v ニ 此 情 識 − 也 若 及 = 其 太 一 則 以 鋳 遁 時 施 設 也 失 − 一 事 之 中 川 一 其 弊 一 期 v 率 不 ニ 痛 突 − 耶 、 州 山 一 五 ニ 〆 ヒ ヲ ス 凡 吾 宗 皐 者 幼 習 一 名 目 、 四 教 儀 一 拍 渉 ニ 教 観 一 階 ニ 首 六 十 巻 中 − 云 々 日 本 偽 致 事 協 舎 年 報 ︵ 第 十 一 年 ︶ 師は天台風一を以て日蓮救壊の正門とすることは宛も日々に西行して東極冶測らんとするが如き類であるとして 事 則 の 弊 を 指 摘 し 、 講撃をして正しき軌道に復卸せしむべく更に先習組害後車台数の一章ぞ開設して苦言を呈し て ゐ る 。 凡 そ 是 の 如 き は 日 蓮 教 塵 界 に 於 い て 天 台 風 ナ が h と の 程 度 に 重 ん ぜ ら れ て ゐ に か 、 ま仁他の反面に於いて天 台撃が如何に日蓮聖人の教事に甘拡大なる交渉を持っかそ物語るものと云へょう。 日蓮聖人の教壌が天台撃に至大の闘聯や持つことは一五ふまでもないが、それと同時に程度の差はあるにしても 密教との聞にもまに密接なる関係のあることは、聖人の遺交を通覧しに、にけでも直に首肯される事置である。大 Y 古来日蓮教壊界に於いて台風ナに陪首する事者は枚奉に理一ないが、密敬についてそれ程の関心や持つ者が少なか った貼は頗る遺憾な事と云ふベ品。である。而して之が皐的検討は一朝一夕の小問題ではなく猶幾多の究明すべき 諸種の方面があるので他の機舎に譲り、月下の小論は聖人の密教観の一端そ特に雨部三部と十住心とのご動に限 定 し て 之 ぞ 考 察 し 、 聖 人 の 密 救 観 い か 束 密 よ り も 寧 ろ ム 口 密 に あ つ に と い ふ 事 ぞ 明 か に し に い と 思 ふ の で あ る 。 雨 部 コ 一 部 仁 つ い ・ て 先づ耐部三部について見ると束密は術部立、台密は三部立である。肱永大成の宗皐者として東密殊にお野に於

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い て 八 1 猶至賓と仰がれてゐる受性院の宥快法印は弐のやうに蓮ベてゐる。 自 宗 月 二 六 大 一 錦 ニ 諸 法 本 源 一 六 大 者 色 心 印 刷 部 也 。 仰 府 部 外 、 別 無 二 一 所 卸 法 酷 一 此 色 心 雨 部 一 法 就 誠 二 . 1 小 一 一 義 一 只 日 正 義 t コ 一 ァ 、 用 也 。 賢 色 心 外 無 二 決 睦 − 依 v 大 師 御 相 ポ 耐 部 錦 ユ 阿 佐 − 他 門 ︵ ム 口 密 ︶ 相 反 再 三 中 山 − 一 雨 部 一 知 ニ 而 二 日 此 外 立 コ 蘇 悉 ヲ ヤ 玉 フ ト 地 − 鴛 コ . 7 小 二 制 位 − 猶 是 郎 順 常 建 一 夜 建 一 小 v ニ 瀬 網 域 一 也 。 大 師 時 三 日 号 一 4 日 常 敬 一 府 部 秘 競 一 此 立 也 ︵ 大 疏 快 抄 一 ・ 一 ユ ︶ 東密によれば台密は封機遮情の殺であるから而一一隔慌の迷情。ぞ遮遣するところの遮情門沿去とする。印ち台密 は遮二詮一の教であり一心の利刀冶弄ぶものである。 之に針して束密は郎事而且の荊理や談じ、一貫の如く賢相を 開示するところの表徳門の款である。この貼ぞ特に強調されにのが弘法大師の昨字義一やである。同より東山治家 にあって而二不二郎離不謬とは説くけれども雨者の中には而一一門沿表とし、 而 二 の 蛍 成 に 不 二 を 見 て 、 而二の外 に 不 二 の 一 章 一 ぞ 別 立 し な い の が 束 密 の 規 模 で あ り 特 色 で あ る 。 東密の雨部立に封して台密は二一部立である。元来願款は不一一の一重冷特に重んホる傾向が願著である。法華経 中心の叡山に護法し大台密が而二門の外に不二門の一重吾別立

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にことは蓋し常然の事に属する。 東 密 は 一 前 部 立 であるから金剛、大日雨部秘奥につきてゐるのであるが、台密は雨部の外に蘇悉地沿立てふ小二の一重とし、之 を 一 胸 部 の 上 位 に 安 く 。 蘇 悉 地 経 請 同 日 開 第 一 に 、 於 ニ 三 部 中 − 此 経 錦 v と い ふ 文 ゆ 管 轄 し て 台 密 の 組 慈 費 大 師 は 、 ガ ニ ヲ ヤ ト 何故今云 i 於 一 一 − 部 中 此 経 矯 王 h 今 此 文 中 随 コ 所 説 法 是 長 殊 勝 一 故 云 ニ 嬬 王 二 五 々 3 叉 云 く 、 日蓮聖人の数拳と密教 五

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4 日 本 係 数 且 平 協 曾 年 報 ︵ 第 十 一 年 ︶ 蘇 悉 地 掲 羅 経 者 日 正 三 部 経 王 、 諸 章 肝 心 也 。 緒 ニ 棉 異 J一 月 之 秘 旨 一 該 ニ 貫 大 教 之 要 妙 − ︵ 蘇 悉 地 経 疏 了 一 ︶ と、束密に於いて律部の中に揮してさして重視せぎる蘇悉地経そ台密に於いては民言二一部の一に教へ、剰へ之に 特勝の位置身奥へて雨部の上に置き、二宇部の経王、諸掌の肝心なりと断じた慈胞寛大師は、明かに不二門中心の思 ーム ノ、 想に立ってゐるのである。勿論二一部建立の振は慈望大師より以前に俸教大師を数へることが出来る。 ﹃ 叡 山 大 師 俸 ﹄ ︵ 時 誠 一 読 陪 ︶ に よ れ ば 俸 教 大 師 が 三 部 の 大 苧 伊 ︸ 俸 へ さ ︶ と が 記 さ れ て あ る ば か り で な く 、 ま た ﹃ 叡 山 大師俸﹄所載の治部省の公験にも俸教大師がさ部悉地の法や受けた事が明記されてある。随って二一部建立は慈直寛 大師の創見とは云∼ないが、何れにしても大口の理、金剛の知日の上に理智不二の蘇悉地経や置いて之在中心とし た事は台密に異る特色の一つである。また密教に於いて俸法の儀式として重ん十るところの濯頂について観ても 東密では財部の外に不二ぞ立てないのに台密に於いては、最極深耐の濯頂一・として財部不二の慌頂ぞ行ふが如きも 賓

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蘇悉地経王の思想に由来するのである。 一 乗 仁 忠 の さて台東雨密と一嗣部二一部の闘係は略日右の如きものであるが、此の財部三部に射する日蓮聖人の態度は、常に 品言三部と一五はれであるので、聖人の密救観は東密でなくて台密中心であると云ふことが出来る。共に聖人の遺 文 中 か ら 二 二 一 の 丈 謹 を あ け て 説 明 に 代 へ ょ う 。 同 僚 書 に 云 く 、 同 県 ↓ 吉 宗 と 申 す は 大 日 経 、 金 剛 頂 続 、 蘇 悉 地 経 に よ る o こ れ を 大 口 の 一 一 一 部 と 披 す ︵ 哨 酬 明 文 ︶ 星 名 主 に 云 く 、 一 一 部 艇 の 中 に 於 い て 蘇 志 地 仰 が が は て 一 上 と な す ム ﹂ 見 え に り 。 ︵ 甜 九 一 叫 ︶ 間 信 五 円 問 紗 に 云 く 、 弘 法 、 慈 費 、 特 設 の 二 一 大 師 、 子 ぞ 漢 土 に 寄 せ て 大 け の 一 一 一 部 は 法 華 経 に 勝 る と 謂 ひ : ・ ・ ・ ・ ︵ 詔 一 一 一 、 ︶ 此 の 類 の 文 献 は 他 の 法 文 に も 見 出 、 に ・ す こ と が 出 来 る が 、 そ れ 等 は 山 内 悉 く 呉 言 二 企 部 と あ っ て 胸 部 と は な い 。 聖 人

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の門葉に属する壊者も亦:−部なであって−嗣部そ云はない。即ち型人の滋敢闘は東密よりも寧ろ台宮中心であった と見るのが安常である ο この耐部一一却附の思想はと沿救康的に観る時、そこに多彩な場函や展開してゐることや容易に者取することが出 米るばかりでなく、極めて興味ある諸種の問題に闘聯沿持ってゐるのであるが、こ込には之ぞ符略して共に十作 心 の 教 判 に つ い て 蓮 べ て 兄 ょ う 。 十住心について 弘 法 大 師 。 か 大 口 艇 と 菩 提 心 論 と そ 依 擁 と し 、 ﹁ 十 住 心 論 ﹂ ﹁ 雌 戒 管 鎗 ﹄ じ 於 い て 所 謂 十 仲 代 心 必 開 設 さ れ た 意 義 は 大 瞳に於いて一一つの方面から観ることが出来る。その第一は虞言行者菩提心韓日升の究第沿示す矯でありその第二は 顕 密 二 款 の 浅 深 先 別 を 表 は す 矯 で あ る 。 ﹁ 十 住 心 論 ﹄ 第 一 に 、 ス 一 ノ ラ ノ ニ 顕 ユ 且 言 行 者 住 心 次 第 一 顕 密 二 教 差 別 亦 在 ニ 此 中 − とあるのは、その立意に正と粂との二方面のあることぞ説示されに明文である。この開立二意の中、第一の暴 言行者住心の失策冷顕はすといふのが正意であって第二の頴密二教の来別といふのは傍意であることも亦説明を またない。がしかし其傍立の場合が古来願密二款の竪浅深を判別する所謂十住心の教判として教壌界に高丈の波 澗を捲起したことは教皐史の誼明する所であり、著明なる事賓である。 さて十住心ぞ竪の教判と見る立場から九顕一宿願密合論の十位心について考察すると四家大乗古けについて見 その順位は第六法相、第七三論、第八天台、第九華厳となり、法相三論の二宗は三莱敬、天台華厳の一一宗 る 時 、 5 日蓮翠人の教準と密教 Fじ

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日 本 偽 数 挙 協 合 百 年 報 ︵ 策 十 一 年 ︶ 八白 6 は一乗教といふのが弘法大師十性心の判定である。そして昆言密教は第十の最高最勝の位に居。、金剛一一来と稽 して天台華厳の隔一乗家と之や匝別されてある。 この十住心の教判に封して台密の皐庇が執った態度は全面的な反針であった。智誼大師はその著﹃大日経指蹄﹂ − ︸ 、 ー 或 立 二 十 位 心 一 判 二 代 救 − 未 v ニ 此 疏 一 不 v v v 耳 ︵ 智 設 大 師 全 集 中 六 七 二 ︶ と説いて明かに不満の意思ぞ表はした。台密教判の大成者五大院安然は其者﹃教時義引い第二に各方面から之や詳 設 し 批 判 し て 五 失 を 教 へ て ゐ る 。 一 石 く 、 有 − 一 五 失 − 故 不 v 三 十 位 心 究 第 一 其 失 何 一 者 蓮 コ 大 日 経 及 義 韓 − K 八 、 二 者 蓮 司 一 A A M 剛 頂 一 失 、 三 者 逮 ニ 守 護 純 一 失 、 四 者 逮 エ 菩 提 心 論 一 失 、 五 品 作 蓮 − 一 衆 師 説 一 失 ・安然は各項目の下に於いて其の所はや詳論し、十作心のすん隙の縦論の文に遣する貼ぞ指摘し、隠って十位心の 共第は弘法大師の一私見に池‘ぎないと断じて不求総の立味守強調し大 υ また平安末期になって県南耐流の法水そ 和曾すべく企固しに賓地房誼呉は、十作心に封して五失冷泉けてゐるけれどもリセれは前じあけに阿管大師安然の 所 一 説 と 全 狭 山 同 一 の も の で あ る ︵ 上 時 州 ︶ 0 日 蓮 聖 人 は 十 杭 心 の 救 判 沿 否 認 す る 貼 に 於 い て ま ー に 台 浴 車 匠 と 一 致 す る 。 豆 一 一 日 天 台 勝 劣 事 ︵ 六 六 一 ︶ や 旦 一 一 川 宗 私 見 聞 ︵ 鵬 一 議

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︶ に 家 ︵ ト ヘ 徳 一

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数へ仁五失冷引用されてゐる貼から削てもその一斑ル窺ひ知ることが出来よう o 聖 人 は 輩 に 救 時 議 の 五 失 在 引 用 し て 十 住 心 身 破 折 さ れ に ば か り で な く 、 更 に 百 尺 竿 頭 . 歩 丸 信 進 め て 弘 法 卜 へ 師 が 且 ・ 一 片 第一、薬巌第二、法事第二一と断じに事に蝦く一氏針され、法事椛の明文に諸椛中千一とあわ法事長第一とあるに拘は

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ら 令 、 弘法大師は第一とある粧の明文ぞ私見にまかせて第三とドした貼ぞ特に強く非難されに。明愚問答妙に 、 、 ﹄ FUMKTa ム/ 弘 訟 大 師 は 一 の 字 を 一 一 ア と 漬 ま れ に h り ︵ 瑚 五 一 巳 L i 一云はれたばかりでなく、泣交の中に此貼冶反覆章一説して諸経中王法誌で第‘の大義や断乎として主張されてゐ る 。 蓋 じ 申 一 一 人 は 前 に も 述 べ た や う に か 恭 純 中 心 の 仰 救 統 一 や 主 張 し 、 その矯にあらゆる法難泊害の数々冷膿験さ れ、而も一私自惜身命帆惜無上遣の信念に作し、このト八誌に均令ること沿無上の法悦とされたのでめるから、 企 牛 込 会 ! l 一 , 4 1 心 の 一 法 事 第 三 戯 論 の 由 学 設 が 、 聖 人 に よ っ て 徹 凶 微 尾 排 撃 さ れ に こ と は 理 の や 川 然 と 式 は な け れ ば な ら な い 。 法 華 経 中 心 の 仰 救 統 ・ 々 身 命 や 賭 し て 主 張 さ れ た 型 人 に と っ て 、 益 十 叉 . 嗣 . 莱 家 の 順 位 却 ち 八 九 浸 深 論 の 如 き は 寧 ろ 一 波 生 的 な 問 題 で あ っ ・ に と い ふ へ き で あ る η 四 結 持 地 日蓮聖人の殺風ずと密殺との閥係交渉は別個の問題として、東台闘密に叫却する聖人の評破古けについて闘でも多 く の 問 題 ゆ 沼 教 へ る こ と が 出 来 る の で あ る が 八 ー は そ の 凡 べ て か ︸ 省 略 す る η まに日蓮聖人出家得度の房州清澄山の宗 国 H 、特に聖人御出家蛍時に於ける宗門が慈費大師中興の天台伝言印ち台街に属してゐにといふ事は清水立正大島ナ 長 が 早 く 既 に ﹃ 双 榎 翠 報 ﹄ 誌 上 に 発 表 さ れ 近 く ﹁ 日 連 事 一 人 の 生 涯 ﹂ ︵ 二 七 九 l 三 四 二 ︶ に 放 置 さ れ て ゐ る と こ ろ で 明 か であるの其他二三の同日趣の撃者の護表されに’ところに徴しても台宿であっ大といふ貼に異論はない。 この小論は主として教義上から一二の管見冷叙ベーにものに過ぎないがまに以て清澄山宗円寺の一助’とするに足 7 る で あ ら う と 思 ふ 。 日 蓮 翠 人 の 砧 抗 感 ? と 密 教 ブL

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