専 攻 コ ー ス 氏 名
鎌倉期における鶴岡八幡宮寺の成立と展開
教科・領域教育専攻 社 会 系
宇 野 か お る
指導教員 大 石 雅 章
はじめに 承久元年 (1219)に別当の一存で、補任でき 鎌倉期における鶴岡八幡宮寺とは、治承四 る「進止供僧」が登場し、別当と供僧の関係 年 (1180)に源頼朝が造営し、「頼朝の氏神 が進展する。
社jから、「北条氏の守護社jへと変遷を遂げ しかし、弘安六年(1283)に北条一族の別 たといわれている。その実態を探るため、本 当が誕生しても、七坊すべてを「進止供僧j
稿では、人的組織と「三月会Jとしづ恒例行 にすることはできなかった。北条氏といえど 事を通して関係をもった有力御家人足利氏か も、鶴岡の補任権を完全に掌握するには至ら ら考察する。 なかったようである。このことから、鶴岡は 従来、足利氏と鶴岡の関係はその特異性を 「北条氏の守護杜j とは言い切れない可能性 言及するに留まり、十分な評価を得ていない。 を指摘できる。
そこで足利氏の鶴岡関与の背景を探るととも
に、鶴岡が果たして「北条氏の守護社」へと 第二章恒例行事からみた鶴岡八幡宮寺 変質したのか再考する。 第二章では、先の可能性を念頭に置きつつ、
鶴岡の展開について、鶴岡の恒例行事とそれ 第 一 章 鶴 岡 八 幡 宮 寺 の 成 立 を務めた供僧の役割、そして「三月会Jと足
本章では、人的瓶織・補任形式・伽藍造営利氏の視点から考察する。
の三つの観点から鶴岡の成立について考察す 足利氏は御家人として唯一、鶴岡の仏事を る。鶴岡の成立は頼朝生存中、ことに火災で創始・恒例化し、それに勤修する供僧の補任 焼失した鶴岡を再建した建久二年 (1191)前権も掌握していた。幕府滅亡後、北条氏に代 後と考えられてきた。 わって鶴岡を保護したのは足利氏であり、足 補任形式からみると、建久以前から「正式利氏出身の別当も誕生している。そこで足利 補任Jされた七坊が供僧として勤修しており、 氏の動向に注意しつながら鶴岡展開の実態に 彼らが「初期jの鶴岡を支えていたことが注迫る。
目される。 その結果、足利氏が「三月会Jを通して鶴
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一岡とかかわり続けた背景を考えると、これが の世界に留まるのではなく、寺家世界につい
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卸当家累代宝詐延長御願Jとして始められ てもいえよう。北条氏は東国初例の大仁王会 たことが注目される。「御当家jとは将軍家で を鶴岡で始めたり、種々の祭杷に鶴岡の別当 あり、源氏を指す。足利氏は源氏の繁栄を祈や供僧を務めさせたり、さらに北条氏から鶴 願した「三月会Jを維持することで、源氏と 岡別当を誕生させ、これは北条得宗権力の誇しての権威あるいは家格を保持し、また度重示であろう。
なる政治的危機を切り抜けるねらいもあった しかし、それは決して完全なものではなか と思われる。 ったo
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北条氏の守護社jならば北条氏ととも北条氏にしてみれば、これを廃止すること に運命をともにしてもおかしくないが、足利 は可能で、あったかもしれないが、血脈上足利 氏が台頭し、鶴岡は存続の道を歩んだ。足利 氏の代わりにはなりえなかった。そのため、 氏から鶴岡別当が登場することは、鎌倉期に
「三月会」は足利氏に任せてその権威と経済 おける鶴岡の機能を自身も継承・拡大したと 力を利用したと思われる。ここに北条氏の限理解できる。
界で、あったと思われる。従来、鶴岡は「北条
氏の守護社Jと な っ た と 評 さ れ て き た 。 確 か 終 章 今 後 の 課 題 と 展 望
に基本的にはそうであろうが、「三月会jと足 本稿では、鶴岡が「北条氏の守護社Jと言 利氏に注目したところ、足利氏によっても鶴い切れるのかとしづ問題意識のもと、人的組 問は支えられており、北条氏の権威と権力の 織や「三月会jと足利氏に注目して検討した。
不完全さが垣間みえた。 その結果、基本的には鶴岡の補任権を握るな ど、「北条氏の守護社jの様相をみせるが、そ 第三章鎌倉寺院社会と鶴岡八幡宮寺 の実態は足利氏に「三月会jを任せるなど、
第三章では、今まで f北条氏の守護社Jと 北条氏で完結できない一面を持つことが明ら 評されてきた要因である鶴岡の補任権に関し かとなった。これは、北条得宗専制ひいては て、「進止供僧」と関連させて考察する。その 東国国家論にも進展し得る重要な論点である。
際、鶴岡を含む鎌倉寺院社会における幕府の 本稿は鶴岡に考察が偏り、一面的な部分も 宗教政策に視野を広げ、鎌倉期における鶴岡 あるが、足利氏に注目することの有効性が明 の成立と展開の評価を試みる。
その結果、鎌倉期における鶴岡は、将軍や 北条氏、足利氏らが自身の権威や権力の維持 を果たしうる施設と評価できる。それは武士
らかとなった。今後は、足利氏に政権が移っ た後、どのように鶴岡と関係を進展させてい ったのか、北条氏のそれと比較しながら検討
したい
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