印 度 學 佛 教 學 研 究 第 四 十 雀 第 二 號 平 成 四 年 三 月 一三 八
空
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平 安 時 代 の 後 期 か ら 鎌 倉 時 代 前 期 に か け て、 そ の 前 半 生 は 東 大 寺 三 論 を 代 表 す る 碩 学 僧 と し て、 ま た 後 半 生 は 高 野 山 に 入 り ﹁ 蓮 華 谷 聖 ﹂ の 祖 と し て 特 色 あ る 活 動 を 見 せ た 明 遍 と い う 僧 侶 が い る。 今 日 伝 え ら れ て い る 明 遍 伝 は ﹃ 兵 範 記 ﹄ や ﹃ 玉 葉 ﹄ に あ ら わ れ た 史 実 の 部 分 と、 ﹃ 古 今 著 聞 集 ﹄ や ﹃ 法 然 上 人 行 状 絵 図 ﹄ の よ う に 後 世 脚 色 が 加 え ら れ 説 話 化 さ れ て い っ た 部 分 と に 大 別 さ れ、 こ れ ら を 比 較、 対 照 す る こ と か ら そ の 実 像 に つ い て の 再 検 討 を 行 な う こ と を 本 研 究 の 目 的 と し た。 小 稿 で は 特 に 時 を 同 じ く し て 活 躍 し た 仏 師 の 快 慶 と 明 遍 と の 関 係 が 以 下 に 挙 げ る よ う な 仏 像 の 造 像 銘 や、 納 入 品 文 書 な ど に よ り 知 ら れ、 そ こ に あ る 事 象 の も つ 意 味 を 考 察 す る こ と を 通 じ て、 い ま だ に 不 明 瞭 な 部 分 の 多 い 明 遍 研 究 の 一 端 と な れ ば と 考 え て い る。 明 遍 は 一 一 四 二 年、 藤 原 通 憲 の 子 息 と し て 生 ま れ る。一一 五 九 年 の 末 に 起 こ っ た 平 治 の 乱 に お け る 父 通 憲 の 失 脚 に よ り 一 明 遍 も 佐 渡 に 流 罪 と な る (﹃ 平 治 物 語 ﹄ 巻 上) が、 数 年 後 許 さ れ て 東 大 寺 に 入 り、 従 兄 の 敏 覚 の 許 で 三 論 を 学 び 血 脈 を 受 け る ( ﹁東 南 院 三 論 法 脈 ﹂)。一一 六 七 年 の 最 勝 講 に 聴 衆 と し て 参 加 し た 記 事 ( ﹃ 兵 範 記 ﹄ 五・ 一 二) を 初 め と し て、 一 一 六 九 年 の ⋮ 維 摩 会 講 師 ( ﹃ 三 会 定 一 記 ﹄)、 = 七 三 年 法 勝 寺 の 法 華 八 講 講 師 (﹃ 吉 記 ﹄ 六. 一 九) 等 を 経 て 三 会 已 講 と な る。 一 一 七 五 年 二 月 の ﹁東 大 寺 置 遺 文 案 ﹂ ( ﹁顕 恵 法 印 被 寄 百 学 生 文 ﹂ ・﹃ 平 安 遺 文 ﹄ 三 六 七 四) で は、 師 の 敏 覚 の 許 で 明 遍 も ﹁ 権 律 師 法 橋 上 人 位 ﹂ 一 と 署 名 し て い る こ と か ら 三 十 才 前 後 に は 僧 網 位 を 得 て い た こ い と が わ か る。 一 ほ ぼ こ こ ま で が 東 大 寺 三 論 僧 と し て の 明 遍 の 前 半 生 で あ る い が、 一 一 七 六 年 の 最 勝 講 の 講 師 ( ﹃ 玉 葉 ﹄ 五 ・ 二 三) を 勤 め た の ち、 約 十 年 間 そ の 消 息 が ぱ っ た り と 掴 め な い 時 機 が あ る。 伊 藤 唯 真 氏 は こ の こ と と 明 遍 の 光 明 山 隠 遁 の 原 因 が ﹁ 師 の 敏 ( 1) 覚 の 失 脚 と 関 係 ﹂ し た も の と し て 論 考 さ れ て い る が、 こ れ を-654-更 に 裏 付 け る よ う に、 = 八 六 年 法 勝 寺 の 御 八 講 の 講 師 の 選 定 に あ た り、 明 遍 の 席 次 を め ぐ っ て 九 条 兼 実 が 再 度 に わ た り 苦 慮 し て い る 記 事 が 見 え る ( ﹃ 玉 葉 ﹄ 六 ・ 五 / 六)。 つ ま り 明 遍 は そ れ ま で 自 分 よ り 僧 網 藤 次 の 低 か っ た 東 大 寺 華 厳 の 学 僧 弁 暁 に こ こ で 明 ら か に 先 を 越 さ れ る 格 好 と な り、 明 遍 は こ れ を 不 服 と し て 講 師 を 辞 退 す る ( 同 六. = 一)。 さ ら に そ の 代 案 と し て 少 僧 都 昇 進 の 宣 下 ( 同 六 ・ 二 八) を 受 け る が や は り そ れ を 辞 し た。 こ う し た 事 件 の あ っ た 折 り、 奇 し く も 浄 土 宗 系 の 法 然 伝 で ( 2) あ る ﹃ 源 空 聖 人 私 日 記 ﹄ 等 の 伝 え る と こ ろ に よ れ ば、 こ の 年 の 秋、 京 都 大 原 で 開 か れ た ﹁ 大 原 談 義 ﹂ と 呼 ば れ る 法 然 の 浄 土 教 信 仰 を め ぐ る 問 答 に 旧 仏 教 を 代 表 す る 僧 侶 の 一 人 と し て ﹁ 光 明 山 明 遍 ﹂ が あ げ ら れ 法 然 帰 浄 の 人 と な っ て い る。 次 に 明 遍 の 足 跡 は ﹁ 建 久 三 年 ( = 九 二) 三 月 廿 二 日 為 資 先 ( 3) 師 菩 提 明 遍 ﹂ の 奥 付 の あ る ﹃ 観 無 量 寿 経 ﹄ の 書 写 経 か ら 知 ら れ る。 明 遍 の 後 半 生 は 公 請 を 辞 し て 光 明 山 あ る い は 高 野 山 蓮 華 谷 に 住 し た た め か 先 述 の 貴 族 の 日 記 な ど に は ほ と ん ど 見 当 ( 4) ら な い。 そ の 約 十 年 後 の 一 二 〇 一 年 開 眼 供 養 が さ れ た 東 大 寺 鎮 守 八 幡 宮 の 御 神 体 で あ る 僧 形 八 幡 神 像 造 立 に 明 遍 は 結 縁 す る。 こ の 像 は、 東 大 寺 再 興 の 大 勧 進 重 源 が 発 願 主 と な り、 仏 師 の 快 慶 が 製 作 者 で あ る と 同 時 に 施 主 と い う 立 場 か ら 関 係 を ( 5) も っ た こ と が そ の 像 内 銘 か ら 知 ら れ る。 明 遍 の 名 は 像 内 の 腰 裏 部 に ﹁ 空 阿 弥 陀 佛 明 遍 ﹂ と 朱 書 さ れ て い る の が 認 め ら れ、 さ ら に そ の 前 後 に ﹁ 東 南 院 三 論 法 脈 ﹂ に あ る 師 の 敏 覚、 遍、 中 ノ 川 実 範 の 弟 子 で ﹁ 血 脈 類 聚 記 ﹂ に そ の 名 が 見 え る 明 弟 子 の 静 遍 の 師、 大 納 言 僧 都 明 恵 も 結 縁 し て い る。 ま た、 明 遍 と 血 縁 関 係 に あ る 貞 敏、 慧 敏、 澄 憲、 敏 覚 等 の ( 6) 名 も 見 ら れ る。 一 二 〇 一 年 と い う 時 期 と 神 像 造 立 に あ た っ て 明 遍 を 取 り 巻 く 法 縁、 血 縁 関 係 の あ る 人 物 が 結 集 し た こ の 結 縁 造 像 の 意 味 は、 明 遍 晩 年 の 宗 教 活 動 と そ の 形 態 や 人 脈 を 考 え る 上 で 興 味 深 い 史 料 と し て 提 起 が な さ れ よ う。 こ こ に 結 縁 し た 人 物 の う ち で 慧 敏 は や は り 快 慶 が 造 立 し た ( 7) 奈 良 ・ 安 倍 文 殊 院 の 文 殊 菩 薩 像 な ら び に、 大 阪 ・ 八 葉 蓮 華 寺 ( 8) の 阿 弥 陀 如 来 立 像 の 造 立 願 主 と な っ た こ と が 像 内 納 入 品 の 銘 記 か ら 知 ら れ る。 前 者 は 像 内 に 納 め ら れ た ﹃ 尊 勝 陀 羅 尼 ﹄ の 奥 付 に は ﹁ 同 法 沙 門 慧 敏 造 立 九 尺 文 殊 像 / 為 籠 其 御 身 一 字 三 礼 之 願 / 以 此 結 縁 拝 見 大 聖 容 開 発 大 / 菩 提 心 而 干 時 承 久 二 年 ( 一 二 一 九) 庚 辰 四 月 十 二 日 / 病 比 丘 空 阿 弥 陀 仏 ﹂ と い う 記 事 が 見 え、 当 時 病 に 冒 さ れ て い た 明 遍 が、 同 法 の 沙 門 慧 敏 の た め に 書 写 し た も の で あ る こ と が わ か る。 ま た、 後 者 の 納 入 品 で は ﹃ 法 華 経 ﹄、 ﹃ 尊 勝 陀 羅 尼 ﹄、 梵 字 種 子 の ほ か に 明 遍 が 書 写 し た ﹃ 阿 弥 陀 経 ﹄、 ﹃ 無 量 寿 経 ﹄ の 第 十 八 ・ 十 九 ・ 二 十 願 の 抜 粋 や ﹁ 願 我 生 々 / 世 々 之 中 / 心 念 弥 陀 / 口 稻 名 号 / 錐 生 三 悪 / 八 難 之 慮 / 以 此 願 力 ( 下 略) ﹂ と い 空 阿 弥 陀 仏 明 遍 の 研 究 く 青 木) = 二 九
-655-空 阿 弥 陀 仏 明 遍 の 研 究 ( 青 木) 一 四 〇 う よ う な 浄 土 系 の 経 典、 発 願 文 の 納 入 が 認 め ら れ、 先 の ﹃ 観 無 量 寿 経 ﹄ の 書 写 を 併 せ て 見 る と 明 遍 の 浄 土 教 信 仰 が 三 論. 真 言 に 根 ざ し な が ら も 新 興 の 法 然 浄 土 宗 教 団 の 説 く と こ ろ の そ れ に 比 較 的 近 い も の が あ る の に 気 付 く。 明 遍 の ﹃ 阿 弥 陀 経 ﹄ の 奥 付 に は ﹁ 前 権 少 僧 都 明 遍 自 筆 ﹂ と あ り、 先 の ﹃ 玉 葉 ﹄ な ら び に ﹃ 法 然 上 人 行 状 絵 図 ﹄ (巻 + 六) の 少 僧 都 昇 進 辞 退 を 裏 付 け る 資 料 と な っ た。 ` さ ら に 明 遍 の 弟 で 醍 醐 寺 座 主、 東 大 寺 別 当 を 務 め た 勝 賢 が ( 9) 願 主 と な っ て 造 立 さ れ た 醍 醐 寺 三 宝 院 弥 勒 菩 薩 坐 像 は や は り 快 慶 の 手 に な る。 の ち 勝 賢 が 東 大 寺 東 南 院、 光 明 山 寺 を 経 て 高 野 山 に 隠 遁 し て い る 点 は 明 遍 や 重 源 の 足 跡 と 重 複 が 見 ら れ、 醍 醐 寺、 東 大 寺、 高 野 山 に は い ず れ も 快 慶 の 作 品 が 複 数 現 存 す る。 以 上 簡 単 で は あ る が 明 遍 と 仏 師 快 慶 と の 関 係 を め ぐ っ て い く つ か の 視 点 か ら ま と め て み た が、 こ こ に も う 一 点 後 世 の も の で あ る が 明 遍 と 快 慶 の 関 係 を 語 る 興 味 深 い 資 料 が あ る の で 紹 介 す る。 一 六 七 二 年 頃 一 無 軒 が 編 纂 し た ﹃ 高 野 山 通 念 集 ﹄ 巻 五 得 庵 室 の 項 に は、 明 遍 が 高 野 山 蓮 華 谷 に 開 い た (10) 蓮 華 三 昧 院 の 快 慶 作 の 本 尊 像 に つ い て ふ れ、 次 い で ﹁ 安 阿 弥 ( 快 慶 の 号) は 仏 匠 の 名 を 得 た る 人 也。 ( 明 遍) 上 人 の 門 下 の 人 な れ ば 上 人 是 れ に 命 じ 如 来 の 尊 像 を 刻 ま し め 給 ふ。 仏 工 一 刀 を 下 さ ぼ 上 人 み ず か ら 三 礼 を な し 名 号 を 唱 え 給 ひ 成 就 あ り ﹂ と 快 慶 を 明 遍 の 弟 子 に あ て る と い う 伝 承 が 知 ら れ る。 先 に あ げ た 明 遍、 快 慶 の 密 接 な 関 係 を 考 慮 す る と こ の 伝 承 も ま ん ざ ら 否 定 す る 資 料 で は な い よ う に 思 え る。 ま た、 明 遍 滅 後 三 十 年 頃 編 集 さ れ た 浄 土 宗 系 の 僧 伝 ﹃ 明 義 進 行 集 ﹄ ( 巻 二 ・ 明 遍 伝) に は 明 遍 と 共 に 東 大 寺 僧 形 八 幡 神 像 に 結 縁 し た 敏 覚、 澄 憲 に つ い て 他 の 資 料 に な い 詳 し い 記 述 が 見 ら れ、 明 遍、 快 慶 と 併 せ て 比 較 的 近 い 信 仰 的 交 渉 が あ っ た も の と 想 定 さ れ る。 1 ﹃浄 土 宗 の 成 立 と 展 開 ﹄ 二 五 一 頁。 2 ﹃ 私 聚 百 因 縁 集 ﹄ 等 の 一 一 八 九 年 説 も あ る が、 こ こ で は 古 伝 よ り 一 一 八 六 年 説 を あ げ た。 大 原 談 議 に お け る 明 遍 の 位 置 付 け に つ い て は ま た 稿 を 改 め て 論 考 し た い。 3 東 急 久 原 文 庫 所 蔵。 田 中 塊 堂 ﹃ 日 本 写 経 綜 竪 ﹄ 五 二 〇 頁 所 収。 伝 来 不 明。 4 ﹃ 明 月 記 ﹄ 一 二 一 三 年 ・ 一 ・ 十/ 一 二 二 七 年 ・ 八 ・ 七 之 条 に 明 遍 の 名 が わ ず か に 見 え る。 5 久 野 健 編 ﹃ 造 像 銘 記 集 成 ﹄ = 二 二 ー 三 四 頁。 6 ﹃ 尊 卑 分 脈 ﹄ 第 二 巻 四 八 五 頁 -九 四 頁。 7 毛 利 久 ﹃ 佛 師 快 慶 論 ﹄ 九 四 -九 六 頁。 8 根 立 研 介 ﹁ 快 慶 作 八 葉 蓮 華 寺 阿 弥 陀 如 来 像 の 納 入 品 に つ い て ﹂ (﹃ M U S E U M ﹄ 四 四 二) に よ る。 9 久 野 健 編 ﹃ 造 像 銘 記 集 成 ﹄ 一 二 三 頁。 10 現 在、 高 野 山 遍 照 光 院 に 伝 来 す る 快 慶 作 の 阿 弥 陀 如 来 立 像 が 蓮 華 三 昧 院 の 旧 本 尊 像 と 想 定 さ れ る。 ︿ キ ー ワ ー ド ﹀ 快 慶、 結 縁 造 像、 東 大 寺 僧 形 八 幡 神 像、 明 義 進 行 集 (仏 教 大 学 大 学 院)