Author(s) 村松, 晋
Citation 聖学院大学論叢, 24(2), 2012. 3 : 246-228
URL http://serve.seigakuin-univ.ac.jp/reps/modules/xoonips/detail.php?item_i d=3670
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吉
﹀満 義 彦 の 人 間 観
︱︱
﹁近 代の 超克
﹂と
︿ヒ ュー マニ ズム
﹀︱
︱
村 松 晋 1
問題 の所 在 昭和
十七 年秋
、雑 誌﹃ 文学 界﹄ に掲 載さ れた 座談 会﹁ 近代 の超 克﹂ は、
﹁世 界史 の哲 学﹂ とも ども
、今 なお 議論 の対 象た り得 るほ どに
、思 想的 な磁 力を 放つ
︿出 来事
﹀で ある
。し かし 従来
、﹁ 近代 の超 克﹂ を論 じた 研究 書に おい て、 参加 者中
、唯 一の キリ スト 者で ある 吉満 義彦
︵明 治三 十七 年~ 昭和 二十 年︶ は、 ほと んど 論究
︵論 及︶ の対 象と され て こな かっ た()
。む しろ
﹁近 代の 超克
﹂を めぐ るこ れま での 論考 は、 この
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カト リッ ク思 想家 を﹁ 問題
﹂に しな いこ とに より 展開 して きた 感さ え ある し 。 かし 一般 論と して 見て も、 複数 から なる 問題 提起 を、 一部 の立 場 に整 理・ 集約 する こと は無 理が ある 上に
、︿ 近代
﹀を めぐ る論 点の 性質 上、 プロ テス タン トな らぬ カト リッ クの 思想 家な る吉 満の まな ざし は、
﹁近 代の 超克
﹂と いう
︿問 題﹀ を問 う上 で、 原理 的に 無視 し得 ない はず
であ る。 かく して 本稿 では
、吉 満が
﹁近 代の 超克
﹂に 託し た世 界を 詳 らか にす べく
、彼 が座 談に 先立 ち著 した 論考
﹁近 代超 克の 神学 的根 拠
︱い かに して 近代 人は 神を 見出 すか
?︱
﹂の 内、 以下 の一 節を 手が か りに 考察 を加 えた い。 いわ く﹁ この 近代 救済 ない し超 克の 道()
﹂は
﹁人
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間性 を具 体的 全体 性に おい てそ の精 神可 能性 と精 神要 請を 全的 に生 か し秩 序づ ける もの とし て人 間性 の別 途な る肯 定を 意味 する 神中 心的 ヒュ ーマ ニズ ムな いし 充足 的ヒ ュー マニ ズム
︵h um an is me in té gr al
︶ とマ リタ ンが 名づ ける カト リシ ズム の宗 教性 にあ る﹂ と()
。
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この 表現 は吉 満の 言う
﹁近 代超 克﹂ が、
﹁充 足的 ヒュ ーマ ニズ ム﹂ の 提唱 に尽 きる こと を示 して いる
。別 の角 度か ら言 うな らば
、繰 り返 さ れる
﹁人 間性
﹂の 語が 象徴 する ごと く、 吉満 にお いて
﹁近 代超 克﹂ は、
﹁人 間性
﹂の 見方 すな わち 人間 観の 転回 と不 可分 視さ れて いる 点が 注 目さ れる
。然 らば 吉満 の説 く﹁ 近代 超克
﹂を 理解 する にあ たっ ては
、 言う とこ ろの
﹁充 足的 ヒュ ーマ ニズ ム﹂ を、 その 人間 観に 遡及 して 明 らか にす べき は論 を俟 たな い。 吉満 は昭 和十 九年 には 病臥 がち とな
り、 翌年 には 亡く なる ため
、最 晩年 の論 考の 要と 言え るそ の人 間観 に 肉迫 する こと は、 吉満 研究 に対 して も、 いさ さか の寄 与を なし 得る も のと 考え る。 なお 本稿 では 考察 の対 象と して
、初 期論 考か ら晩 年の 著 作ま で扱 うが
、各 著作 から 吉満 の人 間観 を再 構成 し、 その 特質 を浮 き 彫り にす るこ とを 第一 義と する だけ に、 発表 媒体
・時 期へ の目 配り は あえ て捨 象し た点 をご 理解 いた だき たい()
。
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2 目的 論的 存在 とし ての 人間 吉満
の人 間観 を詳 らか にす るに あた って は、 ごく 最初 期の 論考
﹁﹃ 現 代の 転向
﹄と
﹃カ トリ ック への 転向
﹄﹂ の中 の次 の一 節に 注意 を促 すこ とか ら始 めた い。 いわ く﹁ 宗教 の問 題は 永遠 の問 題で ある 超時 間の
、 一切 所造 に依 存す る事 なき 其自 身充 足完 全な る﹃ あり てあ る﹄
︵i ps um es se
︶永 遠の 実在 に関 する 問題 であ る。 而か もそ れは 造ら れた る有 ら され てあ る、 理性 的存 在た る人 間が 此の 創造 者に 対す る問 題で ある()
﹂
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と。 ここ には 吉満 にお ける 人間 が、 何よ りも
﹁造 られ たる 有ら され て ある
﹂﹁ 所造
﹂な るこ と、 すな わち 人間 は﹁ 一切 所造 に依 存す る事 なき 其自 身充 足完 全﹂ な存 在で なく
、あ くま で相 対的 な存 在、 すな わち
︿関 係﹀ にお いて のみ 存立 し得 る存 在と して 把え られ てい るこ とが 明ら か であ る。 同様 の認 識は 昭和 八年 の﹁ カト リッ ク世 界観 の根 本理 念﹂ にも 示さ れて いる
。い わく
﹁神 の完 き自 由意 志に 基づ いて
﹃無
﹄よ り︵ ex ni hi lo
︶
創造 され たも の、 すな わち そは その 有る 限り その 本質 にお いて 神よ り のも の、 神へ の依 属に おい ての み世 界は ある()
﹂と
。こ こで も明 示さ れ
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てい るよ うに
、吉 満は 人間 を﹁ 創造 者﹂ たる
﹁神 への 依属
﹂に おい て のみ 存立 し得 る、
﹁造 られ たる 有ら され てあ る﹂ 存在 と見 た。 言い 換え れば 吉満 は、 この 原理 的な
︿関 係﹀ から 逸れ てし まっ ては
、存 立し 得 ない
︿無
﹀な るも のと して 人間 を把 握し た。 この よう に、 人間 のい わば
︿起 点﹀ とし て﹁ 創造 者﹂ との
︿関 係﹀ を置 き、 その
︿関 係﹀ にあ るべ く﹁ 造ら れた る有 らさ れて ある
﹂存 在 とし て人 間を 捉え る吉 満は
、人 間の
︿起 点﹀ なら ぬ︿ 終点
﹀、 すな わち 人間 が目 指す べき
︿目 的﹀ に関 して も、 各人 の恣 意に 委ね られ た問 題 とし て処 理せ ずに
、あ らか じめ
﹁造 られ たる 有ら され てあ る﹂ もの と して 把握 した
。た とえ ば最 初期 の論 考﹁ 聖ト ーマ ス世 界観 の根 本概 念﹂ では
、﹁ 全宇 宙体 系は 此の 神へ の秩 序づ けに おい て目ヽ 的ヽ 論ヽ 的ヽ に構 成さ れた 一大 コス モス()
︵傍 点原 文、 以下 同じ
︶﹂ とな し、
﹁人 生の 終局 目的 最
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高価 値は 所謂 人間 文化 価値 や精 神生 活︵ Ge is te s- Le be n︶ の位 置に 留る もの でな く宇 宙一 切の 所造 的価 値を 超絶 せる 創造 者自 身で ある()
﹂と 断
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じて おり
、人 間の
︿目 的﹀ をそ の︿ 起点
﹀同 様に
、あ らか じめ 万人 に 課せ られ たも のと して 説い てい た。 晩年 の論 考﹁ 宗教 と文 化の 理念
﹂に ても 同様 であ った
。い わく
﹁ア ウグ ステ ィヌ スが その
﹃告 白録
﹄の 劈頭 にお いて
﹃神 に至 るま でわ れ らの 心は 憩う こと なし
﹄と 言い
、そ れは 神が 神自 身に 向か って 人間 を 造り たも うた から だと いう のも
、す でに 人間 は超 自然 的な 恩寵 の関 係
に当 初よ り置 かれ てあ った その 超自 然的 な恩 寵秩 序へ の救 い出 しに 至 るま では 不安 なる を意 味す る()
﹂と
。右 表現 が示 唆す るよ うに
、吉 満に
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おい て人 間の
︿目 的﹀ は、
﹁超 自然 的な 恩寵 の関 係に 当初 より 置か れて あ﹂ るも のと して
、生 涯不 変の 視座 とな って いた
。 ここ にお いて
、﹁ 人生 の終 局目 的最 高価 値﹂ を﹁ 創造 者﹂ に置 くと は 具体 的に 何を 指す かが 問わ れね ばな らな いが
、こ の点
、吉 満は
﹁聖 トー マス 世界 観の 根本 概念
﹂右 引用 に続 き、 トマ スに より つつ
、﹁ 人間 本性 の究 極目 的と して の神 の観 想︵ Co nt em pl at io De i︶ 乃至 神の 本質 の直 観︵ Vi si od iv in ae es se nt ia e()
︶﹂ と明 言し
、ま た後 にも 触れ てい くと お
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り、 別の 箇所 でも 如上 の趣 旨を 繰り 返す
。こ の意 味で 吉満 は、
﹁人 生の 終局 目的 最高 価値
﹂を
、一 貫し て神 の﹁ vi si o﹂ に、 すな わち 神の
︿直 視﹀ に据 えて いる こと は明 らか であ った
。 しか しな がら ここ にこ そ重 要な 問題 がわ だか まる
。と いう のも 上記 引用 部﹁ 造ら れた る有 らさ れて ある
、理 性的 存在 たる 人間 が此 の創 造 者に 対す る問 題で ある
﹂と の表 現が 表す よう に、 吉満 にお いて
﹁一 切 所造
﹂の
﹁創 造者
﹂と は何 より も︿ 超越 者﹀ であ った
。ま た吉 満の 神 は﹁ 一切 所造 に依 存す る事 なき 其自 身充 足完 全な る﹂ 点で
、﹁ 一切 所造
﹂ とは 一線 を画 す︿ 絶対 他者
﹀で もあ った
。そ れだ けに
、﹁ 所造
﹂た る人 間が その まま で、 かよ うな
︿絶 対他 者﹀ の﹁ vi si o﹂
、す なわ ち神 の︿ 直 視﹀ を﹁ 人生 の終 局目 的最 高価 値﹂ にす るこ とは 矛盾
、否
、﹁ 不遜
﹂と さえ 言わ なけ れば なら ない
。 この 一見 理解 しが たい 主張 を解 析す るに あた って は、 如上 の視 座が
、
トマ スを 通じ て獲 得さ れた
、人 間へ の形 而上 的な 洞察 に裏 づけ られ て いた こと を看 取す る必 要が ある
。た とえ ば吉 満は 前掲
﹁聖 トー マス 世 界観 の根 本概 念﹂ で、
﹁人 間精 神は 理性 なる 限り
、可 能的 には 一切 の有 を包 括し 得る もの()
﹂ゆ えに 理性 は﹁ その 充足 的な 対象()
﹂と して
、個 々
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の有 限か つ特 定の 対象 を超 え﹁ 最普 遍有 即ち 神()
﹂に 至る まで 充た され
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ない もの とさ れて いた
。同 様に
、昭 和七 年の
﹁聖 トマ スに おけ る人 間 概念 の形 而上 的構 成に つい て﹂ では
、
﹁理 性は 普遍 性の 認識 能力 であ り、 普遍 善を もっ てで なけ れば 理性 的本 性は 満足 され 得な い()
﹂と 説き
、﹁ 人
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間本 性の 究極 目的
﹂は 特定 かつ 限定 的な
﹁善
﹂で はな く、
﹁理 性的 本質 の故 に神 自身 の造 られ ざる 善自 身の 他に な()
﹂い こと
、す なわ ち﹁ 人生
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の終 局目 的最 高価 値は 所謂 人間 文化 価値 や精 神生 活︵ Ge is te s- Le be n︶ の位 置に 留る もの でな く宇 宙一 切の 所造 的価 値を 超絶 せる 創造 者自 身﹂ 以外 にな い必 然が 主張 され てい た。 その 意味 で﹁ 理性 的存 在﹂ た る人 間は
、﹁ 人生 の終 局目 的最 高価 値﹂ を、 おの ずか ら﹁ 創造 者自 身﹂ に求 めざ るを 得な いも のと 吉満 は見 通し た()
。
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さら に吉 満は
、か くし て必 然化 され た形 而上 的目 的は
、人 間に おい て現 実化 する 可能 性を はら むと 捉え てい た。 その 際、 吉満 が恃 むの は、 後述 する よう な神 の本 質で あり
、ま た、 そう した 神の 象徴 とし ての
﹁受 肉﹂ の出 来事 だっ た。 後者 につ いて まず 言え ば、 吉満 にお いて
﹁受 肉﹂ の出 来事 は、 第一 に、 神に よる 人間 の肯 定と して 把握 され てい た。 た とえ ば最 晩年 の論 考﹁ カト リシ ズム と弁 証法 神学
﹂の 中で
、吉 満は
﹁所 造性 の深 淵に まで
、人 間本 性の 中核 にま で侵 入し てそ れを 自己 の有 と