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開発土木工学科湯浅司   〃    堀     雅  臣   〃    檀  浦     弘

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Academic year: 2021

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(1)

福岡県北部の活断層露頭

(昭和55年9月18日 原稿受付)

開発土木工学科木原敏夫 門司高等学校竹下  寿

開発土木工学科湯浅司

   〃    堀     雅  臣    〃    檀  浦     弘

 Several Outcrops of Active Faults at the Northern Part of Fukuoka Prefecture.

by Toshio KIHARA

 Hisashi TAKESHITA  Tsukasa YUASA  Masaomi HORI  Hiroshi DANNOURA

Abstract

  In 1977, a report on the outcrops of Fukuchiyama active fault at the s皿thern part of Kita−kyushu City and neighborhood, was made by Professor Urata and others of Kyushu University. Recently, we could discover several outcrops of active faults near the Nishiyama active fault at the eastern vicinity of Fuku・

oka City.

  All of these are reverse faults of dislocated terrace deposits and their strikes show NNW direction except one which shows NNE. These outcrops are not often discovered as they are found at artificial cliffs of sand and gravel open cut, and so taken away in a short time of period. We have worked to accurately keep the record of conditions of these outcrops by survey and photographs.

      が,西山断層に近接して,新たに2力処の断層露頭を発  1. はじめに

      見することが出来た。これらの断層はいずれも段丘堆積  最近直下型地震発生の原因として,活断層の研究が活    物を切っており,十数万年前から数千年前に発生した活 発となり,九州各地にも活断層の報告2)川がある。これ   断層と考えられるものである。

らを取りまとめて,日本の活断層が出版されたが,これ     ここで本報告において活断層として扱った断層につい によると,20万分の1福岡図幅内において,24の活断層   て説明しておこう。『日本の活断層D』においては活断層 が推定されている。これらのうち,確度の高い活断層と    を定義して次のように述べている。『一般に,最近の地質 して,福岡県北部においては,福智山(ふくちやま)断    時代にくりかえし活動し,将来も活動することが推定さ 層と西山(にしやま)断層の2断層が記載されている。    れる断層を,活断層という。活断層という言葉から受け 筆者等はこれらの断層について,地質調査を試みている    る第一印象では,動きつつある断層であると考えられが

(2)

本報告においては,第四紀の段丘堆積物を明らかに切っ      第2図小嶺の断層露頭        (浦田等,北九州の活断層より引用)

ている断層を活断層とした。

 北九州の活断層については,九州大学の浦田教授等2)   すことが出来なかった。浦田等の③地点(現在の北九州 が福智山断層に伴う北九州市上津役(こうじゃく)小嶺(こ   道路小嶺インターチェンジの進入路の南側に当たる)で みね)及び田川郡赤池(あφ・いけ)町上野(あがの)の   は第2図のようなスケッチが示されている。

断層露頭について述べている。又西山断層に伴う宗像郡

福間(ふくま)町大和町の断層纐力欄県高等学校地 3・上野の断層瀬

学部会3)によって報告されている。筆者等も西山断層に     田川郡赤池町上野の第3図の位置に見られる露頭であ 伴うものと思われる活断層露頭を2力処において新たに    り,現在でも浦田等の報告のままに,道路ぎわに見るこ 発見することが出来た。その1つは,西山断層北部の宗    とが出来るが,この道路の向かいがわは,宅地として整備 像郡津屋崎(つやざき)町須多田(すただ)で,他のも    され,立派な石垣となっていて,いつまたこの露頭が造 のは南部の鞍手郡若宮(わかみや)町石宗(いしむね)    成のために見られなくなるかも知れない。そこで筆者等 である。これらの位置をまとめて第1図に示した。      はこの付近の測量と写真撮影を行い,現況資料の保存に        つとめた。浦田等は次のように述べている。(第4図,第       131°      5図,phot.1参照,説明を解り易くするために,浦田等   。.         °  、、      の記載中に筆者等の記号を入れてある)「断層(RF)の走  34       向N40°W,傾斜75°Sである。基盤岩は断層の西側が古      Cク         生層のいわゆる緑色岩(PG)がやや熱変質を受けたもの        が完全に風化したもので,同じく東側は真砂化した花崩

      竃ぎ1.鐵鎌糠

璽・㍊醗麟罐響   募灘纏縫鐸難雌馨i翼・a

 N.西山NAF.西山活断層      至田川     ,

2 小嶺  3 上野  4 福間大和       第3図 上野断層露頭位置図

   5 若宮石宗  6 津屋崎須多田      (この地図は国土地理院発行の1/25,000地形図「金        田」を使用したものである)×印露頭位置

       N  2.小嶺の断層露頭

       GR

       ./350       °だ二

の露頭が認められるとの・とである力槻在では繊工     ・コL≡一澤/

事が進んでいて,段丘礫層を明確に切断した露頭を見出         第4図 上野断層露頭付近測量図

(3)

       第6図 福間大和断層位置図

閃緑岩(GR)である。さらにこの両者を被って洪積層と      (この地図は国土地理院発行の1/25・ooo地形図「津       屋崎」を使用したものである)x印露頭位置 思われる砂礫層(厚さ約3.5m)(TG)が存在するが,こ

の砂礫層も上記の断層によって切られ,約2m西側がず    、, 1、、,,い‥、L⊃臼.v/,いノ(ハ、 、N±ll_

り上っており,・の鵬は洪鯛を切る断層であること 三三㌻三三≡三三≡三ξ三言iUT

ヵ・判る.この融の約2・m北側の露頭で馴断層の走 蘂窪妻違ま蕊三三三i㌻二i三TG

      ノ    ン      ロ      シ     ロ    ロ       ンコ ラヘ       ゴ  シ

で混在しており,新鮮である。この礫の1つが断層で切                 RF られているのが観察された。」と詳細に記載されている。      第7図 大和の断層露頭

筆老等はこの露頭付近の測量を行った。(第4図)この測

量で上記の記載に多少つけくわえるならば,浦田等は断   たっている。断層(RF)は走向N10°W,傾斜52°Eで,

層の北部と南部の露頭では,走向が多少異なっているよ    明らかに東側の段丘礫層(TG)が西側の礫層の上に0.5 うに記載されているが,測量より見ると走向N40°W,傾   mずり上った逆断層である。礫層の基盤は完全に風化し 斜60°SW,断層帯の厚さは約0.5mである(第5図, phot.   て真砂化した花崩岩(GR)で,西側の礫層上にのしあがっ 1)。洪積層下底の礫の大きなものは花嵩岩よりなり,東    た真砂は降雨の浸蝕により,深くえぐられている。断層 側の最大なものの1つは高さ1.7m,巾1.Om,又他のも    面は幸いに断層粘土によってよく保存され・滑動時の条 のは高さ0.6m,巾1.5mの巨礫で,西側の最大なものは    痕が明瞭で,東側が北方へ,走向線より約10°上向きに 径0.3mにすぎず,断層の両側でかなり礫の大きさに相    滑った左ずれ断層であったことが知られる。

異があり,断層の変位は上下のみではなく,横すべりを     段丘堆積物は断層付近で上位より次のようである。

伴ったものであることがうかがえる。(phot.2)       褐色表土   厚さ30cm        砂丘砂層     20  4.福間大和の断層露頭

       褐色粘土     50  宗像郡福間町大和町の第6図の位置に見られた露頭で      黄色シルト    50

あるが,残念ながら昭和55年6月コンクリート垣によ         褐色礫交りシルト 100 り覆われたため,現在でほ見ることが出来ない。この露      黄褐色礫層    60 頭は国鉄福間駅より旧国道3号線沿いに東へ約300mほ      真砂化した花崩岩

どの道路左側の宅地造成のために切り取られた高さ約5     断層は黄色シルト層まで切っており,その上位にはみ mの崖に見られたもので,「福岡県の地学ハイキング」で    とめられず,褐色粘土層以上(UT)は断層変位後に不整 筑紫中央高校の鹿田昭男氏によって紹介されたものであ    合に堆積したことはたしかである。段丘堆積層は緩く西 る。筆者等は幸に,この露頭が覆われる直前の昭和55年    へ傾いており,褐色粘土層以上はこの崖の西端では厚さ 5月中旬ごろ,写真(phot.3,4)とスケッチ(第7図)    3m以上に達しているのが見られた。最下底の礫層中の をすることが出来た。この断層は西山断層系に属するも   礫は最大径8cmほどの緑色岩を主とし,かなり風化し のであろうが,主断層の位置よりは,西へ約2kmへだ    ている。

(4)

丘礫層を切った断層露頭がみられ,北の崖には南の段丘      灰白褐色シルト層     120 礫層よりかなり高位に同じ礫層が露出している。これら         緑色岩礫を主とする礫層  230 の関係を知るために測量を行った(第9図)。南の崖には      風化真砂状花崩岩

第10図のスケッチに見られるように・2力処に断層露・    最下位の礫層中の礫は,犬鳴山塊より供給された緑色 頭がある。西のもの(Fl)は走向N28°W・傾斜84°W・    の三郡変成岩類を主とし,これに半花崩岩,石英岩等を交 東のもの(F2)はN16°W,82°Wで,いずれも西側が東   え,最大礫径は10cmである。断層面は花嵩岩中では巾1 側へずり上った逆断層で・前者(F1)は0・4叫後者(F2)   〜2cmの灰白色粘土によってみたさLれ,又礫と花嵩岩 は1・1mの落差がある。礫層(TG)は風化して真砂化し    との間はシャープな面にへだてられているので断層面を た花崩岩(GR)上にほぼ水平に重なるが・西の断層の西   〃たどることは容易であるが,この上方で礫層同志が接す        至直方       る場合には断層面をたどることが困難で,礫層堆積中に

〔一 

株㍾ョ  ノ…   膨/ FI l 、慈議GR

     第8図 若宮石宗断層露頭位置図       F2 

㌶耀澱鷲鷺瓢訟膿形図「脇    第・・図石宗の断順

(5)

 第9図の測量図に見られるように,多良志神社右側の    の緑色岩を主とし,かなり風化しており,礫の厚さは約 崖には標高71mの真砂化した花嵩岩(GR)上に,段丘礫    2 mで真砂化した花嵩岩(GR)上に水平にのっている。

層(TG)がほぼ水平に乗っており,さきの南の崖の断層

      _       7. 段丘面の地質時代 露頭とその北約40mには礫層の下底が標局61mに見ら

れ,両者の間には南側が10m低い標高差があり,両崖の    以上の活断層が変位した時代について,多少の考察を 段丘礫層は同じ堆積物と考えられるので,両者の間に断   試みて見たい。そのためには段丘面の時代について者え 層が推定せられ,恐らく両崖間に存在するN50〜60°W   て見る必要があるが,筆者等はこれらの段丘面について の小さな谷が断層線であろう。       まだ充分の知識がない。そこで従来より九州地方の段丘       面を研究されている九州大学の浦田・首藤両教授の論文  6. 津屋崎須多田の断層露頭

      より,本報告に関連する福貯)・若松地域5)の面を,九州  宗像郡津屋崎町須多田の第11図の位置に見られる。    総合6)に対比すると第1表のようである。

西鉄津屋崎駅より北方へ県道津屋崎一神湊線にそって約     本報告では,段丘面の名称は首藤が九州を総括対比し 2.2kmの東側に,高さ約10mの土砂採取跡の崖があり,   て提案された1, II及びIII面をもちうることとした。

この崖の中央部に段丘礫層(TG)を切った逆断層が見ら    最近東京都立大学の町田助教授7)・8)は,テフラ層の対 れる(第12図)。この位置は日本の活断層図に示された    比と放射性炭素による年代測定とを結んで,全国の示標 西山主断層線の北方延長部に一致する。しかし断層    テフラ層の層序と編年を行った。

(RFDの走向は西山断層の一般走向方向と斜交する

       第1表 福岡一若松付近の段丘面対比表 N30°E,傾斜80°Wで,明らかに東から西へ約1mずりあ

がった逆断層であり,この断層の北側約2mにも同方向 の0.3m北側がずりあがった逆断層(RF2)が見られる

(第12図)(phot.7)。礫はよく角のとれた最大径10cm    15〜25m

.       一 至神湊      30〜40m

浦田(1962) 首藤(1962) 首 藤 (1962)

福   岡 若   松 (宮  崎) 九州総合

日 佐 面15〜25m 有 毛 面10〜20m 三 宅 面

R0〜50m

1  面

須 玖 面 R0〜40m

島 郷 面40〜50m

新田原面

T0〜90m II 面

春 日 面60±m 頃 末 面90〜100m 三財原面80〜150m

m  面

,ll・ rl震鍵綴γ   熔霞㌶意::三宴㌶巖鷺く魏㌶:

    \    、.  町         ql   じて鍵面と考えられる面で,テフラ層のAso−4火砕流 一 一 一 コ牽墓爾   …一一 一  一   ,  に対比せられ,5〜4万年目ljとすることが出来る。(浦田    第11図 津屋崎須多田断層露頭位置図        等2)は第2図小嶺の露頭の中位段丘層中より埋もれ木を

量㌶麟熈舞駅il=誓図「津 採集し・1℃法⊇3・・58・±10・・年前とした・)

      III面の三財面は,テフラ層のAso−3火砕流に対比され

呉典岨典.呉., ることから・竺〜12万年前と考えられる・

欝難欝運 1鱗ll㌦丘酌年_。と棚

       RF1      来たが,これらの段丘面を切って発生した断層の年代は,

     第12図 須多田の断層露頭       段丘面に変位を与えた年代より現在までという,かなり

(6)

にありIII面の疑がある。       え現在は動いていなくても,将来動く可能性のある活断  II面(5〜4万年前)を切ったものとしては,石宗の   層が北九州地方に存在しているという警告となり,多少 断層が挙げられる。既に述べたように,この断層は段丘    とも建設構造物設計の面に今一層の地震対策が取り入れ 礫層堆積中に発生した可能性も考えられる。        られれぽ幸いである。

 1面(8,000〜5,000年前)を切ったものとしては,須多    活断層の露頭は段丘平坦面付近に存在するので,造成    、 田及び大和の断層が挙げられる。大和の断層は段丘堆積    建設工事の場になりやすい。それだけに露出する機会も 物の下位層のみを切り,上位層に覆われることから,上    多いが・破壊隠蔽されることも早く・調査には偶然性に 位層の年代を考古学的にきめることによって,断層発生    支配されることが多い。まだまだ・この地域には本報告 の時期をせばめることが出来るであろう。         にとりあげた断層露頭以外にも・活断層露頭の発見され        る可能性が多分にある。

 9・ おわりに       最後に,本文の整理と製図を煩わした本学技官牛島和  活断層は近年地震発生の原因として大きな問題を提起    子氏にお礼を申し上げる。

(7)

SE

NW

シ∵ぷ烈㌘いび㌣㌧」㍍≡島☆㌣ぺ∴滑∴…  ㌧    u ÷・…㌘ぷ㌧漂

      Phot.1上野の断層露頭 S段丘堆積層,ノルト TG段丘堆積礫層 PG古生代緑色岩

GR花崩岩(ほとんと真砂化) RF逆断層, N40°W,60°SW,写真の右側に北側の露頭かみられる。

織懸鞍馨謹懸蹴慰,覇繊

      w    ÷  ∨層       蚤   、   s

:織羅 .・  猫

髄爾.  .

人物癬晶禦騨烈幣嬬岩 惜L嬬歴羅(真砂状)

逆断層は人物の後方にあ・・     R曙獺誌‡㌫㌃す,上。てい。の,、

      よくわかる。

 ㌶灘ξ鍵㌶鐘㌶s 鍵  ・ 一・鑛購。   , ↑ , ・

鰭論翻   く駆 博 対盤 「 欝、鍵。灘、鞭。ぴ

 諭議 款      ぷ  ≧      懸㈱糠   , ・s      ÷

 ,UT        ぎ織簗鷲灘撒  、  、噸 ・          LT

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       添          ,

       Phot.4大和の断層露頭のある崖の全景 UT上位段丘堆積層 LT下位段丘堆積層 GR花崩岩(真砂状)

RF逆断層,断層線はUTの下底て止まっている。

(8)

      Phot.5石宗の断層露頭

TG段丘礫層 GR花商岩(真砂状) GRU花闘岩の赤色突起部 Fl断層露頭N28°W,84°W, F2断層露頭N16ΩW,82°W

     Phot.6石宗F2の断層露頭

F2断層, N16°W,82°W,この写真では断層面が東 にかたむいているように見えるが,実際は西にかた むいており,西側が東側に1.1mずり上っている。断 層の上部への延長線ははっきりしない。

      Phot.7須多田の断層露頭

TG段丘礫層GR花崩岩(真砂状)RFI逆断層, N30°E,80°W,東側が西側に1mずり上っている。 RF2逆断層, RFl と同走向同傾斜,0.3mずり上り。

(9)

      参考文献        1962.

1)活断層研究会:日本の活断層,東京大学出版会,1980.       7)町田 洋:テフロクロノロジ「日本の第四紀研究,日本第四 2)浦田英夫外:北九州の活断層,九大理研報,12巻3号,1977.      紀学会,1978.

3)福岡県高等学校地学部会:福岡県の地学ハイキング,博洋社,     8)町田 洋:火山灰は語る,蒼樹書房,1980.

1979.       9)井関弘太郎:完新世の海面変動,日本の第四紀研究,日本第四 4)浦田英夫:福岡市付近の平坦面の地史学的研究,九大教養研     紀学会,1978.

報,8号,1962.       10)前田保夫:縄文の海と森,蒼樹書房,1980.

5)首藤次男:北九州若松市西部の最新統,地質雑,68巻,800号,    11)岡田篤正:九州における活断層の分布状態とその諸特徴,第15 1962,       回自然災害科学総合シンポジウム講演論文集,1978.

6)首藤次男:九州の最新統地史の問題点,地質雑,68巻,804号,    12)宇佐美龍夫:日本被害地震総覧,東大出版会,1979・

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