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明治大正期の植民地思想形成への一試論 : ポール

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明治大正期の植民地思想形成への一試論 : ポール

・ルロア=ボーリュー受容の諸相

著者 柳瀬 善治

雑誌名 三重大学日本語学文学

巻 13

ページ 67‑93

発行年 2002‑06‑23

URL http://hdl.handle.net/10076/6591

(2)

明治大正期の植民地思想形成への一試論

‑ポール・ルロア=ボージュー受容の帝相‑

柳 瀬 善 治

[はじめに] 新聞『日盃の中心人物である陸運岡、福本日南の政治思

想についてはこれまでさまざまな議論が積み重ねてこられた。 だがその対外論的側面、植民地論に関しては、穎原書轡、広

瀬玲舌の業績があるとはいえ、まだ十分なものであるとは言 い難い。殊に彼らが植民地論に関してどのよーえ番外の理論 受容をしたかについては、近年の本田逸署、朴羊侍らによ

る検討が始まったとはいうものの、ほとんど解明されていな いというのが実情だろえまた民友社同人であり、その後『世 界之日直主幹として活躍した竹越与三郎の対外簡植民地 論についても小熊英二あ仕事でそのアウトラインについて

明らかになったとはいえ、まだまだ細部の検討の余地が残さ

れている。本稿では、彼らの植民地論が、フランスのルロア

=ボーリユ⊥P邑訂魯a【詳もの業績を援用し、その非

文明国への差別的膨脹主義的側面を受容して日本の文脈に 応用したものであり、そこから天なる日杢「第壷屋と しての「日本」という認識を引き出していることを論ずる。 一ボール・ルロア=ボーリユーの檀展静‑その概略 ポール・ルロア=ボーリユーは、‑澄∽年ソミュール県知事 の息子として生まれた。加代で道徳政治科学アカデミーの 数々の懸賞論文に入賞し、35才で同アカデミー会員となり、 翌年(‑警告にはコレージュ・ド・フランス教授となるご彗ふ

年には冒8g日計訂音』を創刊、植民地学経済

学の領域で多くの業簾を残し、‑讐今年に死毒その主著が 冒eF邑○日計許n計数宮葛邑詠員をヨ監である屯

ポール・ルロア=ボーリユーにはこの他にも多くの著作が

あり、そのいくつかは明治期に日本にも紹介・翻訳されてい

る。小熊英二は、ポール・ルロア=ボーリユーの植民地論は

ギエスターヴ・ル・ボンの鼓論の流れにつながると整理して

いる、小熊英二が参照した富野穿のぎ乳邑旨許n 邑邑nF増蒜諸F邑○邑嘗‑∞父丁‑望亘;

にはフランスでの植民地簡殊にポール・ルロア=ボーリユ ーについて次のように述べられている。十九世紀末に「比較

植民研声

への関心が増大し、ヨーロッパの植民的な実践に

負うたいくつかの本が出版された。比較植民研究の限定され

(3)

た関心への強さを増大させた。そのために努力する必要性が クリアにされたのがすなわちルロア=ボーリユーの主著冒

F邑○‑訃邑瞥nの訂が訂葛音邑己蕩』だったのである。

この本は版を増すにしたがって影響を増し、続く業練への模

範となっ竜。この本は第一部がイギリス、ポルトガル、スペ

イン、フランス、オランダなど各国の植民地主義の歴史への

検司第二部が筆移民、植民地制度についての分析をし

た理論篇という構成になっており、版を重ねるごとに増量し

たにも関わらず、その構成自体は変わらないー○。

第6版(‑架亀の構成は以下のとおり。 第1冊 第l部 前代の植民地化から19世紀まで 第1章 スペインの植民地化について 第2章 ポルトガルの植民地化について 第3章 オランダの植民地化について 第4章 イギリスの植民地化について 第5章 フランスの植民地化について 第6章 スウェーデンの植民地化についてー前代か ら19世紀までの植民地化の要約‑

第2都 19世紀と鮒世紀の植民地化 第l章 プランテーションと開発のための植民地1 イギリスの植民地‑

第2章 開発植民埠‑フランスの植民地T・

第3章 プランテーションの植民地‑スペインの植 第2冊 第4章 第5章 第6章 第7章 第8章 第9章 第10章 第10章 第11章 第12章 第13章 第14章 第15章

第1部

第1章 第2章 第3章

第4章 民地1 開発権民地‑ポルトガルの植民地‑ 開発権民地‑オランダの植民地仁デンマー クとスウェーデンの古代の島々 ドイツの植民地化 イタリアの植民地化 コンゴにおけるベルギーの植民地化 アルジェリアと19世紀のフランスの植民 地化 チきlジア フランスの植民地

(承前)

19世紀から20世紀のイギリスの植民地化 ロシアの植民地化

植民地の所有とアメリカ合衆国の植民者 の将来

アジアの人々の植民地化

モロッコの事例に関する第6版の加筆文(表

題なし) 人的輸出について 資本輸出について

植民地取引と内地首都に対する有用性につい

内地首都に対する植民地の他の利点について

(4)

第5章 植民地の維持について 第2部 第1章 植民地の他の様々な種牢t植民地化のための 準備作業・‑土地制度について 第2章 ▲植民地の人手=労働力について

第3章 植民地における富の増大について一課税

基準についてー公的事業のためのいくつ かの公準‑ 第4章 植民地の社会学‑その使命‑ 第5章 特別な勅令をもらった会社と植民地化の

ための土地委譲権をもった大規模会社 第6章 植民地における政府と行政 第7章 植民地化の哲学

ルロア=ボーリユーについてはフランスの植民地主義研究と のかかわりで、既にいくつかの研究があ奄それらを補助線

にしながら彼の思想の概略を述べる。

菅原聖書はルロア=ボーリユーの理論を次のようにまとめ

ている。「まず「彼は、単なる移住と植民地化とを区別し、前

者は新しい土地の獲得や処女地の征服といーュ言わば人間の 自然的本能に根ざした活動であるが、後者は、より社会的

内政的配慮の元に行われ、現在の植民地化の根幹を指すもの

とされる。」‑二労働者擁護の論陣を張りつつ義にブル

ジョアジーの代弁者であったルロア=ボーリユーにとつて、 資本こそ新しい社会を生み出す力であった。」 「ルロア=ボー

リユーにとつて植民地は過剰資本の投資先として目下の経済

的利益追求の場を掛供するにとどまらない。その領有は、フ

ランスの『生死にかかわる問題』でもある。『たとえ今日一等 国民であらずとも最も多く植民する国民は、明日には必ず や一等国民となるのである』という確信こそ彼の理論の真

の動機をなしていた。」忘(なお、後述するようにこの「生死 に関わる問夢という主張は、『計F邑○息官nO訂N訂 葛凰訂巨象ヨ莞』の第2版の序文で主張されている。) また、ルロア=ボーリユーの資本を巡る義論については西

川潤の論に詳細な検討がなされているーひ。西川によれば、ル ロア=ボーリユーは、自由主義から帝国主義への最初の転換

を成したイギリスのクエークフィールドの組織的植民地理論 ・‑植民地開発・これを進めるための資本輸出と移邑T⊥‑を支

持しっつも「これが国家の役割を重視していない」と批判し、 「植民地保持は国力を強め、産業を振興するゆえに、工業国

は植民地保持に積極的に乗り出す必要がある。その第一の手

段は移民であり、国家が移民を推進することが望ましい」‑% 「資本蓄積が、労働者階級の立場を改善してきたことを主張

するがここではさらに資本輸出が労働者階級の実質貸金上昇 をもたらすことを指摘するに至亀」「第二に、資本輸出は資

本蓄積、工業化とともに増大する中産階級に対し、海外で活 躍する場を与え亀それ故中産階級が海外に出て、開発・農

(5)

園植民地を維持すべく働くことが適当であるし、それがヨー ロッパでの中産階級台頭に伴つ社会紛争を減少させることに

もなろう」乾そして西川は「この認識はセシル・ローズ、

レーニンの帝国主義を国内平和の条件と見なす認識に先立つ ものであり、いわゆる盛会帝国主義」の思潮の先駆けとな

るものと言えよう」‑→と評価している。この点については、 ポール・ルロア=ボーリユーの『計こ苧8ぎ鼠.担許夢色更訂 琶首彗邑彗監では、第6版では第2部第1章の「人的 輸出について」第2章「資本輸出について」(P猥〜攣で

分析がなされている。 この労働力の移民を重視する点は既に大正期に矢内原忠

雄によって紹介されている。「ルロア=ボーリユーは工業的恐

慌に際し、移住によりて労働者数を減少し労働賃金を高き水 準に維持しておけば、景気回復したるとき生産の円滑なる発

展を阻害し、さらに恐慌を長引かせ、または新たなる恐慌を

惹起するに至るべきを以て、労働階級にとりても亦かかる場

合にはハ移住する代わりに失業の状態において辛抱している 方が有利なりと論じた。最も明瞭なる資本家的論理⊥「工業

労働者の移住を持って不利益なりとなせるルロア=ボーリユ ーは農民の移住を持って利益なりとする。その理由は、農業

上の恐慌は工業恐慌と異なりて長引く性質を有し、かつ農業 上の改良には土地の併合整理、所謂c訂罵言亀窃蛋m坊を必

要とするがゆえに、農民の移住は本国の利益であり、又植民 地においても農民はその最も歓迎する種類の移民なりといふ にあつたごー㊥ (なお、ルロア=ボーリユーの資本輸出論について咤現 在の経婆字音によっても資料的価値があるものとみなされて いるが、そのデータの取り扱い自体は問題がないわけではな

く、原輝史はM・訂薫育の研究を踏まえながら、「彼

ら経済ジャーナリストの統計は、投資家に注目されることを

目的としており、外国証券の購買が普段に増大している印象

を与えるため、二〇〜三〇%の水増しがなされた」「この系列

の研究者たちは、フランス人の所有している外国証券の測定 に当たり、その発行額と実際の購入額とを区別せず発行額

をそのまま引用することにより資本輸出額を過大に評価した

こと」に問題があったとしている亀)

彼の思想は植民地主義だけでなく、同時代の他の言説、例

えば地理学七いうディシプリンにも影響を与えていた。サイ ードの『オリエンタリズム』においてもルロア=ボーリユー

の植民地論についての言及がある。19世紀末から20世紀初

頭にかけてフランスでは「地理学の学会が凄まじい勢いで

次々と創設され、領土獲得への要求が再び声高に叫ばれるよ うになった二P響「学問的・文化的な事業に対する国民的

な自尊心と、利益追求にかけるかなり基本的な欲求との結び

つきが促されるにつれて、科学的な地理学はやがて「営利学 的地理ぎに道を譲り、植民地獲得の支柱となるべく導かれ

(6)

ていった」(P響のである皆。さらにサイードは宮邑d

窟当音n芦川首

の論文 『白ぎ邑已訂β=ぎ・詳論‑訂壷浄

笥9唱眉匡巨害崇邑‑彗T‑浣‑』望を引用しながら、

そのような「地理学的熱狂」の中にはジュール・ヴエルヌ

が先頭に行った『科学的探検のための世界一周キャンペーン』

や、北アフリカの海岸線の南側に新たに広大な海を作り出そ ぅとする計画や、アルジェリアとセネガルを鉄道で結びつけ ようとする計画などが含まれていた」(P撃としている。

さらに宮邑d惑ヨ古n屋によれば、そのような「地理

学的熱狂二等習m占首邑伊達)の一翼を担ったのはルロア

‖ボーリユーが主幹を務める雑誌冒金星昔』

であサ層。また冒邑旦雇】」骨一義は当時のフランス地理学

が植民地化運動に果たした役割について分析し、そこに「愛 国心とドイツ恐喝植民地主義への熱狂」があったことを指

摘している亀

再びサイードの引用に戻れば、そこではルロア=ボーリユ ーが植民地論と民族の自己増殖能力を結びつけていた事が指

揺されている。

「もう一人の思零ルロア=ボーリユーはこの哲学に更

に一層の彫琢を加えた。

「社会というものは、高度の成熟に達し、強さを身につける

ようになると、植民地を建設する。社会は新しい社会を生み、 これを庇護し、成長にとつて良好な環境の中に置ミみずか らが生み出した新しい社会を成年に達せしめる。植民地建設

とは、社会の最遠精妙な生理現象の一つなのである。」

「植民地建設と自己増殖とを同一視するこの考え方は、ル

ロア=ボーリユーをいささか不吉な観念へと導くこと七なっ

た。それは現代社会において活力をもつすべてのものが『そ

のありあまる活動力を外に向かつて拡散していくことによっ

て拡大していく』というものであったご」うして彼によれば、

『植民地形成とは、一民族が拡張していく力であり、自己を

再生産する力である。空間を通しての拡大と増殖である。そ

れは、一つの宇宙ないしその広大な領域を、その民族の言語・

習慣・思想・法律に従属せしめることである』」乾

(なお、この部分のサイードの記述は官冨∈弓すt訂

Ⅰ暑亀暦象F甘罵鼠巴計m.‑空7‑まー(責乳首首n

臣U2.扁邑専句歴缶‑り金)の英文に訳された引用から

の孫引きである。この部分はルロア=ボーリユー前掲書の第

1版の序文に書かれているものであり、音声亡旦すはそ

こから引用している乾)

この点についてP.G翳弓紆tは「啓蒙の世紀の楽天主義を 引き継いでいる」蛤と評している。またD巴】訂 ぎ邑布は、

ルロア=ボーリユーの植民論には人口問題におけるアラブ

(イスラム)の人口の観点が無視されており、そこにはヨー

ロッパの経済的進展によりイスラムとヨーロッパの両者を 「混在」「調製させるという「経済主義者の楽天主義」・があ

(7)

ったとしている驚

このように、資本の移植による「文明国」である国力の増 強を重視する姿琴輸出型の農園・開発植民地への資本の投 与、移住と自然的本能との連関さらに自国が「一等国に

なることと植民地政策とを直結させる「一種の植民地オプテ

ィミズム」皆がルロア=ボーリユーの植民論の特徴であり、

これらをアカデミズム・ジャーナリズムも巻き込んだ「地理

学的熱狂」の中で彼は推進していたのである。

明治期の日本での受容1植民輪・国家翰‑

明治期に日本に紹介されたルロア=ボーリユーの植民論と 七てはまず『馬多加須加児殖民藍(明治31年5月1日印刷

同月6日発行 拓殖務大臣官房文書課)がある乾 この著作でルロア=ボーリユーは「彿蘭西人」に「堅忍不 抜ノ精神」が「欠乏」し、雇民事業ヲ以テ常二第二流ノ目的 トシ」てきたことを欠点とし、次にマダガスカル島を占領す

る際に締結した条約の不備におよび、そこでの「保護」の字

句が曖昧であること、それはチュニジア占領時のパルド一条

約富旨B胃計‑洗‑年5月12日締替に由来すること、

フランス政府の過失は感属地内部ノ行政手段卜其占有ノ名

義トヲ混同スルニ在り」とされる。嘗

ルロア=ボーリユーにはこの他に国家論があり、それは明

治卯年に日本語に訳出されている。ルロア=ボーリユーの国 家簡冒g星許諾乳護許‑旨邑が『近世国家詮(27 年2月13日発行)『近世国務詮(上下巻上巻27年4月測日 発行 下巻8月13日発缶の二つの著作として八尾書店より 訳出されてい壱‑。この本は「日新叢書」の一環として出版 されたものだが、その協賛員として三宅雪嶺をはじめとした 政教社同人が名を連ねており、しかも「日新叢書蓼を書い ているのは陸実(掲南)である亀 協賛員として名が挙がっているのは以下の面々である。

文畢博士 井上哲次郎 法華士 相川正道

法律畢士 磯部四郎

理畢士 磯野徳三郎

法華博士 富井政幸

法華博士

金井

高橋健三

法華博士

謙次郎

陸 実 法律畢士 桑田熊蔵 法華土 山田喜之助 公爵

近衛鴬麿

蓮華士

秋月左都夫 赤石定蔵

法華博士 木下広次 法律学士 岸本辰雄

文畢士 三宅雄次郎

農畢士 志賀重昂

法学博士 本野一郎

文拳博士 未松謙澄

杉浦重剛

文畢士 杉江輔人 鈴木券太郎

法華士 須崎芳三郎 このろち、志賀圭司三宅雄次郎、杉浦重剛杉江輸人は

政教社同人、また杉噂杉巧鈴木券太郎秋月左都考井

上哲次郎は東邦協会のメンバーである亀

(8)

後述の陸掲南、福本日南のルロア=ボーリユーの引用部分

の記述は明治雄、飢4年のものであるのでこの翻訳より以前

ということになるのだが、両者はフランス語に堪能であった

ので原典でいち早く読んでいた可能性はある。この著作が叢

書協賛貞である政教社同人の間で影響力をもつた可能性は否

定できないと思われる。

本稿の問題設定との関連で検討の必要があるのは『近世国

務塗.の下の第5編「当世国家の一代夢に収録された雇

民事業」である。 そこには「要夢として次のような論の要約が出てい亀

○嘗世々界において富強なる国家に当然負塘せしむべき一

大任務は殖民事業なる事○現今の世界及び人民は四大部類に

わかつを得ること○右のうちに第二部類は文明圏民の保護も しくは先導を要すること○此種の干渉なきときは地球の一半

は以前不生産的なるへく旦縦ひ之に干渉するも大部分は尚ほ

比政的に不生産的なるへき事○文明の自然に発達し得ずして 輸入に依りて之を受くべき国土及び人種○妄ひ輸入せられ

たる文明にして外囲の監督を霹する事なぐ無限に之を継続

し得んことは大率必すへからさる事○個人は此野蛮囲を先導

する力たらさる事 この宮世々界におぃて富強なる国家に当然負槍せしむべ

き一大任務は殖民事業なる事○現今の世界及び人民は四大部 類にわかつを得ること」という部分は宮F邑0乱臣声

各市N訂電卓訂む象コ蜜に該当する記述がある乾

この点については、前述の西川論文に検討ぎれており簡潔

なまとめがなされている。以下、西川論文にしたがってルロ ア‖ボーリユーの議論をまとめる。世界には、①フランスの よ一基文明国②日本のよ一基異なる文明をもち、歴史と国

民性により自治を追求する国③ジャワ・インドシナのよう なかなり進んでいるが、停滞的で、撃的進歩的な国民を形

成するに至らない国④野蛮で未開な国の四つの国があり、 ①は③④に介入する権利をもつ。文明国は後進諸民族を妄 では教育し、他方では後見する。それが、東本と文明にとん だ諸民族の任夢.である乾このような、フランスと日本を 明白に別レベルに分類したルロア=ボーリユーの雇民哲ぎ が、日本の文脈ではズラされ、日本が「文明国へと変貌す

ることとなる。 また、雑誌に訳出された論としては、『世界之日盃第9号

明治29年11月25日号の「支那及欧州の未来」、『台湾協会会 整第3号中山至 「アルゼリーの状況及制厚がある。

支那及欧州の未来」は巳謬9宕邑訂嘗‑葉年

7月旭日号の巳冨旨嘗計Fc‑計e七宗亡雇V、

「アルゼリーの状況及制度」は琵野呂告訃訂増訂‑官等 ‑薫年11月14、21日号のど=邑£象呂完t許諾管わ計 宗官許.というルロア=ボーリユーの文章をそれぞれ訳出し たものである。『世界之日直第12号(明治30年2月l日)

(9)

の「列国の形成」には虜蘭西殖民政策の失敗」として「有

名なる彿圃経済学者ルロイ、ボオリユウ氏のいふ所に由れば、

彿圃の植民地はむしろ官更の殖民地ともいふべき有様にてこ れ等の経費は多くはそのため支出せらるるものなりと、氏の

いふ所に由れば、彿蘭西西班牙葡萄牙等の拉丁種族はその殖 民審篭だ拙くして、漫に遷挙制度をその殖民地に応用して、

殊に彿蘭西の如きはその殖民地の事情を参酌せずして、十分 の権限ある町村会制度を行へりと」という文章が掲載されて

おり、当時のフランスの植民政策が失敗したという認識が既

に日本でも受け入れられていたことを物語る。

「アルゼリーの状況及制度」は、「左に辞するところの一篇は

阿弗利加の北部即ちアルゼリー殖民地に就き傭圃経済学者ボ ーリユー氏が千八百九士ハ竿一月十四日及び同二±日発

行の彿国縫済雑誌に於いて自囲政府の殖民政策の非なるを極 限痛論せしものなるが本篇を通讃すれば始めより我が塞滞に

射する政策の嘗否を歴々澄明しその参考に資すべきもの多き

のみならず又我国現時の状態にてらして反省すべきの鮎鮮か らず是れ余が辞して世の譲者に紹介する所以なり」・という中 山孝蒜〓淀引き続ミ「俳圃のアルゼリーに対する任務其

執行方法の考えは十二年来大に変更し、多数の者はアルゼリ ーをもつて彿圃の延長と看倣さず一の殖民地と看徹すに至

れり。今を去る四十七年乃至二十二隻別頃移住者及公法学

者間に絶対的に勢力を蓮ふせし類化誓引用者

蓬は今や全く衰退せり」「故に今日はアラーブ人を彿蘭西風 に同化せず、文枝本的に其風嘩信仰及慣習を改革せず及

アラープ社食を転寝せずして却て之を尊敬し之を保存せざる

べからず」といった同化主帝篭臣nへの批判的言及

が続き、アルジェリアでのフランスの植民地政策の失敗を台 湾での植民地政策の反面教師としよ・呈していたこと掛わか

る。

『ム轟協会会報』には、もう三ルロア=ボーリユーに言 及した記事があ亀中杵純九郎殖民畢上に於ける基準『台

湾協会会報』第4号がそれである。 「今や各大草に殖民制度殖民畢を研究せざるところなく又

巴里府の有名なる政治及び経済畢校においては今より二十

五年前より彼の有名なる経済筆者ボーリユー氏が殖民畢の

講義を担当し、其の著述は第4版に達して世間の歓迎すると ころとなれり、又彿蘭酉には植民省の直轄畢校として巴里に

殖民畢校なるものあり、之に法華士若くは文筆士等にして

殖民地の官更たらんとすることを志望する者を募り、殖民畢 を教授し居れ月是れ今日の賓況なりとす」■ ここから、中村がルロアーーボーリユーの冒F邑○針鼠ぎ

計N訂罵官許監護監の第4版を読んでいたであろう

こと、またフランスの植民地教育について何らかの情報源を

持っていたことが推測される。 このあと、中村は植民地の分類として一

(10)

第一商業的植民地第二梅軍兵略的植民地第三

開発

的植民地第四農業的植民地あるいは栽培的植民地第五

移民的植民地 の五つを挙げているが、後年の矢内原忠雄雇 民及植民政策でのルロア=ボーリユーを受けた分琴l・商

業棟民地または根拠地釘旨邑.認吉舎青倉S声Bわーむ

2・・・普通農資若しくは移住植民地訂ぎ計:百計訂

。音¢2計電卓訂舅邑3・裁植若↓くは採取権民地

訂を象窃計p百家ぎ重奏眉‑邑邑○もを想起させ、また

矢内原が言及するのぎ芦きの植民地分類1・商業棟民地 2・搾取植民地、栽植植民喝居住植民喝軍事権民地及び

刑罰権民地に類似する乾恐らくフランス語を理解したと思

われる中村はこのいずれかを参考に分類を行ったと考えられ

る。

冒蓮協会貪歴はこれ以外にも海外の植民地論の紹介記 事をいくつか掲載している。第10号(明治㍊年7月知日)

には「カバール・ダンヴイル氏仏国議会に植民地防御法案を 提出しその理由を説明したる演説の大音なり」として広国

権民地防御政策」が掲載され、第亜号(明治35年6月知日) では新渡戸稲造が南洋植民地裾野を寄せ、「仏蘭西人の殖 民思想」に触れている。また第甲61貴明治光年9月20日、

10月鱒旦には「仏国権曇ごが掲載され、第甲70真37

年6月瓢日、7月20且には台湾総督府響桑宮森孝三による

「アルゼリーに於ける土人警が掲載されている驚こう

した当時の植民地理論の摂取の流れの中でルロア‖ボーリユ ーの言説は権威をもったものとして様々に受容されていたの

である。

陸揚甫のルロア廿ボーリユ.‑受容

これまで、陸鵜甫の植民地論について検討したものとして

は広瀬玲子「国粋主義者の移民論・植民論覚え書き」誌があ る。広瀬は「対象地が、いわゆる雄飛的性格が薄く、日本隣 接の諸地域に向けられている」点、「略奪的移民に反ぎして

いる点、その代わり「日清戦争後経済的侵略を容認し始める」

点を特徴としてあげている。 当時陸掲南は、後に『国際塗としてまとめられる著作を

『日太』に連載しており(明治餌年4月3日〜4月22日、

続編同年8月7日〜8月11日、補論10月怨日〜11月6日)、

また『蜜眺靂(明治溺年5月10日〜11日)『政治軍何

窪(明治頸年5月16日)などで、ハワイ移民が国に経済的

利益をもたらさないことを、殖民せ移民の混同に基づくもの であり「囲の品格を塗ヱ(置鵜南全蓋4 Plll)「日本

帝国に国際方針ありといふを得るか」(4 P哲として批

判を展開していた亀 『国際直については、既にいくつかの研究があり、本田

逸夫はこれが茅鼠.望宅Jのど音5・訂ヨa許口許の影

響下に成立したことを両者のテキストの詳紳な検討によって

(11)

明らかにしている亀また、朴羊信は、「陸掲南の政治認識と 対外観」のなかで、陸が夢ぎ鼓ロetF崇詔p邑巴を「東 京植民夢として「日本人」に訳出していたことに着目し、

菅原聖書や権上康男らの研究を参照しながら、フェリーの議 論と『国際整との関係について述べ、フェリーとルロア= ボーリユーの「資本植民地論」との差異を強調してい壱‑。

本田や朴が明らかにしたような帝外植民地理論の研究の過程

で、ポール・ルロア=ボーリユーの著作は、陸海南の目に留

まったと思われる。 『日査明治鮨年6月14日の文章には「彿圃の一学者」 の説として殖民事業に於て一の勢力は資本にあ㌔傭囲は

実に莫大の資本を有し、好で之を園外に送り、遂に地球上到

処に散布せしめて曾て顧原することなし。彿囲は既に二百乃

至二百五十億法を園外に散布せり。而して此大数は毎年尚ほ、 少なくも一首方法宛を増加するを見亀苦し此数の二又彗一

分の一」乃至は四分の一にても之を亜耳及率突尼弼セネ

ガル、スウダンに移すことを得ば、余輩は倍ず∵僕圃の勢力

の此等の地において確乎抜く可からざるに至ることは期して

待つ可くハ今より二十五年乃至三十年を経ば、其結果たる洪 大法鱒真に人目を驚かすものあらんなり亀」釜集4

「国

権の周囲

P撃と記されており、それを受ける形で陸角

南自身の説として「亦以て殖民に伴ひて資本の勢力を観る可 きなり。然れば我国権の周囲を国境以外に拡廓(恢廓の誤り か?・引用者注)せんと欲せば、其最も近く最も籍手し易き 朝鮮に対する国民の事業如何と顧る可し。今や我が民の朝鮮 に居留するものは無慮七千に超え、其の中観る可きの資本を 投卸して貿易その他の事業に従事するものも亦砂なしとせ ず」(P撃と述べてい曳この「国権」の「拡廓」(拡聾 は、朝鮮半島を対象として考えられている。その理由は、「何 となれば其の域は四隣中最も我に接近し、其の囲は歴史上最 も我と旧縁あり。加之其土の未開なる、其民の幼稚なる、皆 な其国民の籍手に資するものあればなり。」(P撃という独 断によっているのである。 「殖民事業に於て一の勢力は資本にあり」とい・れ考えは、

前述の通りルロア=ボー甘ユーの植民論の根幹にあるもので

あり、この部分に影響を見ることができると思われる。つま

り、朴羊倍が指摘するフェリーの影響だけでなく、ルロア=

ボーリユーむまた、陸の植民地理論理解の中に入っているの

である。この引用はルロア=ボーリユーの植民論『計F 邑邑邑ぎ註邑訂琶皇彗星許羨』の第二版の序文の から得たものである。 訂乱旨罫毒草鱒ぎ洛象邑百恵皇軍冒慧‑拓宝器

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(12)

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ではなくむしろ資本である。フランスはふんだんに資本を所

有している。それらをフランスは自発的に外国へやっ■てしま

った。安心した手つきで地球の四隅へそれらをばらまいたの

だ。既にフランスは瓢乃至別億フランを世界の外に出し、

そしてその数値は年に少なくとも一億フランづづ増大してい

る。もし、その合計の二分の一か三分の一、いや四分の一で よいから、アルジェリア、チ三ラア、セネガル、スーダン

へ持っていけば、そこで我々はうまく為し遂げられる、と私 は信じる、我らの優勢ミそして我々が得るであろう鮎年か 細年のうちに素晴らしい結果の数々を確かなものにすを】

とによって。)

っまり陸畢岡が「閣尊大博覧会に観て植民事業に感あり」

で引用したのは、ルロア=ボーリユーの主著の冒蘭部分であ る。この初版はー雪舟年に、第2版はーま旧年に出ている事か らおそらく陸渇南はこの著作から植民論を学んだものと考え られる。以下どの部分を引用したかを原文と対照させなが ら、検討することとする。

我輩嘗てボーリユーが殖民論を読みて深く其の(西班牙の …引用者注)興亡の後に慨するあり。其西班牙植民の初に云

アダム・スミスは共著殖民論の首に明言して日く亜米利加

及び東印度に於ける欧州各国殖民地最初の建設たる、其原因

希臓及び羅馬の古橋民地建設の如く然く簡単明白なる利益を

有せしには非ざりしなりと。此深慮なる稽察は、以て西班牙

殖民の組織を説述するの総論に充つべし。人若し嘗時亜米利 加に於ける西班牙所領各州の経済的組嘩乃至三世紀聞に亘 る其子囲と母囲との統治的及政略的関係を蕃にせんと欲せば、

須らく此新世界を発見せし人民、及昔時に一切の事情に翻り

て之を観察すべし。

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(13)

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(「東インドとアメリカでのヨーロッパの様々な植民地の最

初の創設は、ローマやギリシャの古植民地の設立を引き起こ したような、同様の単純な関心を理由=利害として持っては

いない。」これは、アダム・スミスが、彼の植民地論の章の最

初に表現したものである曳この意味深い十全な観察はスペ

インの植民システムの素描全体に対する必要不可欠な前置き

となっている、スペインの植民システムの素描というのは、

一方ではスペインのアメリカ地方の経済機鱒牢もう一方で

は、首都と政治的行政的関係を理解しようとするのに必要で

あり、新世界を発見した人々のすべての特殊な環境へと立ち

戻るためのものなのだ。) 凡そ其人民繁節して膏邦土の狭除を感ずるの嘩若くは ‑宗教的乃至政治的抑魔の以て住民の一部を困しむるの時、

或囲民は乃ち殖民地を建つ。足れ前人の殖民を起せし惟一

の理由にて、今日と錐も欧州移民の二大原因となれる所な り。然るに十五世紀の未造に於て港外に邦土を建てる欧州 の人民は如何と顧れば、其原因全く之に異なれるものあり。 U諸口諷6.n許邑岩已ぎ瞥蛋室邑計芝邑冨.認‑竜野已霞 電琶邑F昏n象訟琶訂籍す口蓋 かせ許り邑計家苦n一計員 官員醇乳房‑書⊥苫きー訂二琶乱雲啓蒙】邑昏一宮¢苫

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(ある国民は、まず最初に植民地を作る、その増大する人 口が古い領土において手狭になったことを了解したとき、ま

たは、政治的宗教的迫害が住人のある種の階級を追放したと

き。それが前人たちに植民を成さしめたそれぞれ固有の動機

なのだ、我々の時代はいまだ二つの虎則的なヨーロッパの移

民の理由がある、十五世紀の終わりに、ヨーロッパの人々に、

海を越えて植民地の創設を決定させたものは異なった秩序を

持っているのだ)

十字軍に由りて一たび欧州を奮起せしめしより、封建制 に克ち得て来りし一大君主制も且つ奪フこと能はぎりし冒険

的精神は一種特別の勇気を鼓し、十五世紀の中葉に於て海外 の事業に投入せり。

(14)

神秘及び富美を以て充たされたる所の東方、締吊真珠、

香料辛料を生ずるところの東方、就中印度及び支那は、会〃 以て吾人の祖先が快奇なる想像上に一新注意を与へた聖是 等特殊の邦囲に達せんが為、最捷最確の道路を発見すること、

井に此時に至るまで薯利的商業の特権を聾断(ろうだん…

利益の独占)せしヴエニーズ人と競争すること、二つのもの は実に昔時勇往冒険精神凝結の目的なり竜是に於てか夫の 葡萄牙替貝が幾ど一世紀聞の久しき、英雄的決心を以て竹島 に垂る可き事業を継続せしと一喝堅実なる企図は即ち起こ

れり。

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然れども当時彼等が未知の地方に聞入せしは、其身及び妻

子と共に此に定居せんと欲せしには非ざりしなり。此に一新

邦固を建立せんと企てしにも非ざりしなり。即ち単だ奇貨物 を見出し、健多の収得を本圃に粛さんと欲せしが為めなるの

み。観来たれば是等の猪勇的航海者中には、嘗て一人の殖民

的精神及び性格を有せし者無之かりしや必せり。何となれば

(15)

此精神や此性格や、実に一世紀後人心高尚の度に進みて英国

のピューリタン教徒、クエツカー教徒に於て初めて之を見る

所にして、而して今日濠州若くは米圃に赴く英圃及び独逸移

住民にして僅に之を有する所なればなり、云々。

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∈r長汀已訂○̀‑旨急呈扁. ℃かし、彼らが知られざる国へと聞入したのは、妻子と共

に定住し新たな集団を作ろうとしたわけではない。そこに珍

しい食料を見つけたため、急速に十分な収穫物を本国にもた らすためである。勇敢な航海者のうちには恐らく、植民的精

神、性格を持った人間はいなかっただろーュその精神と性格 は一世紀以簡後のピューリタンやクエイカー教徒により高

度な形で所有された、また我らの時代のイギリスドイツのオ ーストラリア、アメリカ移民にも所有されているのである。) この引用部分の理解と訳は極めて正確になされているこ

とがわかる。ルロア=ボーリユーの引用の後に続く「後の殖

民論を称道する者之に鑑みざれば、亦第二の西班牙殖民たら

んたり。」(全集4 P撃という感慨は、そのまま日本の植

民政策に対する感慨である。そしてその考えを引き出すため に、陸によりルロア=ボーリユーの著作の序文と冒頭の数真

の記述が援用されたのである。

■福本日常のルロア=ボーリユー受容

福本日南の植民論について、前述の広瀬論文は次のように

まとめている。日南は西欧のアジア侵略について危機意識を

持ち「日本が「興亜」の課題を担わなければならないと考え

ていた」。そして「彼の植民論は西欧列強に対抗する、日本の 独立の維嘩国権の保持と云う思いから導き出され」畠てい た。広瀬が引用しているのは「排俗論」「植民及航準(明治24

年4月23日『日本』711号)「海図恢廓論」だが、まず「海図

恢廓論」についてその論述を見ていノ盲。「海堅では

「邦土の位地を利用す可し」として「好位地に任し」ている

日本の条件を「利用して以て我富美を増進せし」「これを利用

するは即ち大に我海図を恢廓天書く広める…引用者注)す

るに在り。」と論じており帝国主義時代の世界に向かって「日

本」が飛翔する事を願う思いが語られている。 また興味深いことに、福本日南の「排俗夢においても、

(16)

宗‑リチーーが殖民夢が長く引用されているのである。 そして以下に見るように、旦岡のルロア=ボーリユーへの言

及は、詳細に読み込んだというより、実際は第二版と第一版

の序文をそのまま引用したものである。

余輩の思考する所にては二世紀以来彿蘭西の政略は

全く其方向を誤てり。夫れ十七世紀の終わりに営り、欧

州に於ける本圃の境域をして既に慶大強固たらしめた るの後に於て、仏圃の宣しく務むへき所は其米亜二大洲

に於て占領せし廣大無邁の土地、即ち米洲に在りては加 那曙ミシ、ピー沿岸地方、及びルイジアヌ、亜洲に在 りては印度地方の土地を開発するに在りたり。

然るに、その政略は此に出でずして、専ら欧州大陸に

注眼することを之れ務め、而して此の大陸政略は凡そ二

百塵し、為に我国の囲樺を減殺し、その領地を狭

稀せしめたる尊けて青ふ可からざるなり。我政府は欧州

大陸に於て取りたる敗戦の償金に充てんか為に、其植民

地を割輿して豪も愛情の色なく、其状恰かも遊子の金銭 を浪費するに異ならざりミグオルテールは之を評して、

政府が加那陀を棄つるや恰も一片の雪塊を棄つるに等 しいといへ冤嗟乎ルイジアヌは僅かに贅フランの償

を以て売却せられ、センドメング及ひアンチーユは容易

に我手を離れて再たび未開野菅の境遇に陥り、印度に於 る慶大の領地は滅して五ケ魔の貿易地と賛したり、而し て斯かる大災厄は我歴史家の大に注目論及する所とな らず僅かに其記録に登りたるに退きず、我歴史家より 之を観れば、斯かる大災厄は尋常不緊要の事貴たりしに 退きざりき。

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(17)

寂々の考えでは、この二百年間フランスの植民政策は

道を誤っている。十七世紀の終わりにおいて、ヨーロッパで

はっきりとした境界線を勝ち取った後で、フランスに帰せら

れる責務は、二つの世界=大陸において我々が占めた巨大な 領土、カナダ・ミシシッピ流喝ルイジアナ、インド諸島で、 資本=価値を有効に使い、開発することであ色代わりに大 陸での政略を優先させたのだ妄の政略は、二百年持続した、 威厳ある、春夏我々の国をそのままにし、領土を縮小させ

た。我々の植民地は大陸での失敗の代価であったのだ。我々 は、浪費に無頓着なまま、それらをあきらめた二カナダの雪 の数アルパン(農地の単位」の消失についてのヴオルテール の舌真のように、それは取るに足らぬものではないのだ。数

百万の金をもって売り払われたルイジアナ、サン=ドマング、

アンチィーユの真珠は、半野蛮人の手に落ちることで我々か ら消え去った。我らのインド諸島の巨大な帝国は、五つの海

外支所=貿易地へと縮減された、それは我らの歴史家がほと

んど言及することもないカタストロフなのだ。彼らにしてみ

れば、それらは何にも影響=射程を持たない二次的な出来事

に過ぎないのかもしれない。) 今代に於ける経済学者植民論者と七て明見達識一世の 推量する彿園のルロア・ボーリユー氏は、共著「殖民夢

に於て人種将来の消長を隷書して日く

二十世紀の始めに至たらば露西亜は共広廣漠たる領地 に大に蕃息す可き望ある住民凡そ一億二千高を計ふ可 く、六千萬の日耳鼻人と三千萬の換地利人とは相依りて 中央欧羅巴に瞼雇す可し。又一億二千萬のアングロ、サ クサン人種は地球上の最良地方を占零す可し、此時に至 れば今日に於ても既に三億余萬の人口の住居する地方 に勢力ある此の人種の言語は殆と全世界中文化の及ふ 虎至る鹿に行ふるゝに至る可し。且つ此散大国民に加ふ るに支那帝圃を以てせざる可からず些大帝国も亦蓋 し若干年の後に至ればその面目を嘉す可ること疑な かるへし。斯く此敷大国民の勢力大に増加するに嘗りて 我彿蘭西は果たして何状をなす可き鷲彿蘭西が曾て世 界の為に務めたる大職嘩其文明の率先者となりて諸外 国民を指導したる大勢力は果して何等の形跡効果を止 む可きや、鳴呼是等過去の事業は僅かに人々の記憶に存 するに止ま・り、而かも其記憶は日に月に消滅す可きの奄

鳴呼殖民事業は仏圃のために存亡の分る1廟なり、仏 圃が世空の大強国たると、又一世紀若しくは二世紀後

において欧羅巴の第二等圃に陥ゐり、世界に封して彿国

人口の割合は恰も欧羅巴に於ける希鹿又は羅馬尼の地 位に等しきに至ると唱唯些時を勤むると否さるとに あるのみ∵余輩は我圃の為に一層廣大なる未来の運命を

熱望せざるを琴余輩は我囲が断じて殖民国とならん

(18)

ことを切望せざるを琴余輩は此一事の安行に至るを

待ちて、始めて永久の希望と廣大の思想とせ将来に保持

することを得べしと信ず。と ㌢‑合口崇‑詫彗星こF日学蹴落こF野蛮計8月盲達 ‑皆邑穿家宣邑訝象蔓色茸壷言§層邑計蒜琶重 訂曽訃音計計舎邑芦象き穿m琶訝鯵宅急冨弓皆 邑詳学監象鼓野鼠旨邑空邑岳一層層宣旨静.謬邑

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(二十世紀初頭ロシアはその強大な領土に多産な人口をl

億2千万とし、.6千万にならんとするドイツ人と3千万のオ ーストリア人は相互に寄りかかつてヨーロッパの中央を支配

している。1億2千万のアングロサクソンは地球の最良の部

分を占め、文明化された世界のほとんどに彼等の言語、今日

既に3億余人の人々によって住まわれている領土で支配的な 言語を押しっけたのだ。新たな生を再発見するであをえ支

那帝国をこの強大な人々に付け加えるべきだ。この勢力拡大

の傍らで、フランスはどうなるのだ?フランスが過去におい

て文明化した人々の方向を定めていたその偉大な役割、それ

はまだ残っているのか?一つの思い出として、それは日に日 に消え入ろうとしてい亀植民事業は、フランスにとつて生

死を賭けた問題なのだ。アフリカでの巨大な力になりうるか どうかの、この一.世紀の間にヨーロッパの第二等国になって

しまうかどうかの。世界においてフランスがヨーロッパでの

ローマ・ギリシャとほとんど同じ価値しか持たなくなるかも

しれないのだ。我々はより広大な運命を熱望する、フランス

が決定的に植民地国家になることを熱望する、そうなること

で遠天な希望と広い思想とが再び開かれるのである。)

ここで引かれているのが菅原論文のいう「フランスの『生死

(19)

にかかわる間置「『たとえ今日一等国民であらずとも最も

多く植民する国民は、明日には必ずや一等国民となるのであ

る』という確信」である。

さらに「植民及航海」ではより具体的な植民論の展開が見

られる。興味深いのは、ここにもまたルロア=ボーリユーの

植民論が援用されていることであ亀

○殖民政略を定むるべし

殖民事業の今日に急務なるを知り、此国民の殖民事業に

不適不適当の人種ならさるを知れば、政府なるものは確乎

たる殖民政略を定めて以て政府の本務を充たさるる可か らず蓋し殖民なるものは膏社食より更に薪社曾を創立す

るの事業なり、右より殖民に経験ある国民と錐も之を成功

する固より容易のこととなさず「況んや之に閲し未だ曾て 是れをといふ歴史をも有せす経験をも有せさる国民に於

てをや、ボーリユーの膏に云く、

夫れ社曾の造立は人間の生育と同じく天運に一任す可 きものに非ず1世には幼稚社曾にして唯其地形の便利なる と其組織の強固なると、及び其事情の幸福なるとにより、

他の保育を要せずして自然に発達し而して強固の一国と なること亦必すしも之れなきに非ざる可し。然れとも社曾

の斯かる生長をなすことは希有の襲例なるのみな阜果

たして資際これありとせは、共生長は極めて困苦にして且

つ遅綬なるを免れざる如し。抑も殖民を営む国民の職務は 新社食をして天然の能力を暢達するに最も適切なる位地 に在らしむるにあり、即ち新社食に封しその動作を妨害手ノ ることなく、共通路を開通し、而して共生長に必要又は有 益なる方法と器具とを投輿するを要すと。 (福本日南慮氏及航海」

『日透

明治24年4月23日) この部分は、第1版の序文からの引用であ亀以下がその

該当部分である。

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(人間社会の形成は、人間の形成と同じように偶然のままに

放置するべきではない。恐らく、こうなることもないわけで はない、全く入念な手入れのないままに、若き社会が、好都

(20)

合な地理的環境、強固な身俸組織と幸福な環境の、ただ三

の影響によって、大きくなる、または丈夫になるということ

が。しかし、この成長は例外的な事態であり、もしそのよう な事態が起こったとしても極めて遅く困難なままであるだ ろ・笑植民する人々の職務は、若き社会考彼等の自然の能

力を発達させるのにもっとも適切な条件の元で育てるように

持っていくことだ、その進取の気象=イニシアティブを妨げ る事なく道をきれいに準えて、成長に必要な道具と方法を

与えることだ。)

福本が引用したルロア=ボーリユーの一文はサイードが

音すを経由して引用した箇所と実は偶然にも同じ第l版

の序文なのである。サイードが引用した文章から2つ日のパ

ラグラフに福本が引用した文が続く。 「社会というものは、高度の成熟に達し、強さを身につけ

るようになると、植民地を建設する。社会は新しい社会を生

み、これを庇護し、成長にとつて良好な衆境の中に置き、み ずからが生み出した新しい社会を成年に達せしめ奄植民地

建設とは、社会の最も複雑精妙な生理現象の一つなのであ

る。」 U寿賀款註邑昌許‑名岳E已も鉾【房吉邑わ日昌市野巨 訂象静思計盲邑巨q鼓et計二冒癌‑軋訂p巽西卦W、e穿

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結果として、ルロア=ボーリユーのす己増殖と植民地建 設を同一視する考えを「オリエントのような、より弱くより 未発達な地域の空間が、フランスの興味、貫嘩受精‑つま り植民地化を促すものとしてとらえ」る思考法と同一のもの

がこの福本によるルロア=ボーリユーの引用にも見出せるこ

ととなり、サイードのルロア=ボーリユーへの批判はそのま

ま福本にも当てはまることになるのである。 この一民族の膨脹主義の論理や文明国を大人に、支配さ

れる国を子供に置き換える発想は、明治期の徳富蘇峰や高山

樗牛に見られるような同様の膨脹主義的な論理とリンクし、

福本の殖民地論に理論的な毒づけを与えたと思われる。 福本において唱「排俗論」の記述に明白なように、感民 は文明の域内に進歩したる社会の最も高尚なる職務の一な

り」と云うボーリユーの説が、「我が大日本帝国なるものは東

洋に於ける三千年来の一大先進国なり」という独断によって、 日本にも妥当するものへと置き換えられている。つまりボー リユーの著作を媒介としつつ、福本は「先進国の位置に日 本を位置づ咤さらにそれが植民地化する対琴「より弱くよ り未発達な地域の空野に「日本近近傍三四の邦国を選ぶ

のである。

(21)

以上のように、福本旦岡がボーリユーの理論をもとに自己

の植民論を形成したのは明白であるのだが、広瀬論文ではそ の点は指摘されていない。無碍福本の立論すべてをボーリ ユーの影響下にあったものとしてしまうのは乱暴だが、海外

植民地論の受容の問題は無視するべきではないだろ・ち 広瀬玲子は、福本日南の植民論に一瞥土筆年頃つま り明治31〜32年前後に変化が見られるといい、それは「西

欧列強対アジアという対時意識が、帝国主義競争の激化イ ギリス帝国主義への系統によって崩壊していったという事 実」是よるとしている。広瀬は「我観小録」套二次『日本

畑号‑害告に於ける日南の商工業の平和的拡 張は、生民生活の権利を充実する所以にして」毒も人の行為 たるを失わず」という記述から「清への露骨な経済侵略主垂 彗を読み取っている。この変化の時期は、また彼のイギリス、

フランスの留学の時期とも重なっている亀 ただ、植民政策の経済的側面(人的資本と金融資本の輸出 と国家べの虚最を重視する論理はルロア=ボーリユトの理論

の根幹にあるものであり、この影響を受けていた福本日南の 理簡例えば『排俗塗においても経済的側面と日本国を特

権化する意識は強調されていた。むしろはじめから経済的侵

略を是認する論理が福本日南の言説に内包されていたのが、 日清戦争によって顔在化したというところが本当ではないだ

ろうか。

竹越輿三郎の植民地論とルロア=ボーリユー受窄‑ 民友社同人であり雑誌『世界之日藍の中心的存在である

竹越輿三郎は、フランス同化主義批判論の影響のもとで植民 地論を展開していた。明治亜年4月24日に出版された胃 国藍(二酉詰において竹越はフランスの植民政策について

一節をさいており、19世紀のフランスの植民政策を「同化圭 一主義」(同書P撃としてまとめている。

この同化主義への批判は、明治39年に発表された『比較殖

民制藍垂薪竪におけるフランスのアルジェリア植民

政策の分析とそれに対する批判が元となっている。そこでは 「同化圭一主華=「システム・ドニフタツシュマン」官訂m

計邑W崇邑」という「一切の殖民地に、彿圃と同一の

制度法令を布かんとの主張」(P彗が展開された。これは、

経済的にも政治的にも本国の制度管理下におかれる「郡嚇殖 民地」(P哲であり、この制度の失敗はその後の「チユニ

ジャ簡略前後」(P51)にようやく気づくところとなったと される三馬多加須加児殖民整で問題となっていたチュニジ

アの「保護国制度」の問題は「保護国制度の賓例」Pl12〜通 で詳細に検討され、アルジェリアの「干渉政治」(P望に比 べ評価を与えられる。その分析はその後の日韓竺口の際にも 朝鮮を「勝圃」の立場としてで偲なく「妹圃」(P哲とし て見ることを提唱し、同化主義ではない「保護国」(P讐

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