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布教資料 第07集 環境問題への視座

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(1)

布 教 資 料 第

7

環境問題への視座

0 環境問題とは何か

O

環境としての自然

日本文化と自然

0

地球環境と宗教

酒 井 嘉昭 松

i

書誠 達 奈 良 博 順 武 藤 義一

(2)
(3)

布 教 資 料 第7集

環 境 問 題 へ の 視 座

目 次 環境問題とは何か 酒 井 嘉 昭 ( 1) 環境としての自然 松 J奪 誠 逮 (19) 日本文化と自然 奈 良 博 順 (53) 地球環境と宗教 武 藤 義 一 (87) あ と が き (115)

浄 土 宗 総 合 研 究 所

(4)
(5)

環境問題とはなにか

環 境 監 査 研 究 会 幹 事 酒

(6)

環境とは ﹁ 環境 ﹂ ということばは、森羅万象もろもろの空間や現象をさすたいへん幅の広い概念 で す 。 人聞をとりまく空間を環境ということばで説明してみるとどうでしょう 。 私たちの J . '/ンネン71ルF(1968) 身の回りでもっとも日常気になる の が ﹁ 生活環境 ﹂ でしょう 。 小さ いお子さんのいらしゃる方でした 人間環境のモデル ら、ダニやホコリはぜんそく、 ア

l

性皮膚炎の大敵ということ で日夜おそうじを一生懸命してい ることとおもいます 。 さらに﹁住 宅環境 ﹂ ﹁ 地域環境 ﹂ と い っ た具 図 1 合に実に様々な環境があります 。 図ーをご覧ください 。 こ れ は 、

J

・ゾンネンフェルドという人が 考えた人間と環境のモデルです。

(7)

人聞をとりまく環境を大きく四つに分け、それぞれ行動環境、知覚環境、実効環境、地理 的環境(地球環境)というふうに説明しています 。 今日のおはなしの中心は、今さかんに話題になっている﹁地球環境 ﹂ の問題に限定して それを便宜的に生命を育てはぐくむ母胎としての﹁自然環境﹂と人間活動が盛んにおこな ﹁社会環境﹂といった視点からおはなしをすすめていきたいと思いま す 。 本来地球にとっては小さな存在であった人類が、今では地球にとってとんでもない存 われる場としての 在になってしまったそのいきさつと、それに気がつき行動を起こすまでの様子をみてみま しよう 。 環境問題とはなにか 明治時代に﹁武蔵野﹂はなくなっていた 園木田独歩の小説 ﹁ 武蔵野 ﹂ にこんな一節があります 。 ﹁ 武蔵野もここ狭山周辺にの み 、 そ の 面 影 を の こ す の み : : : ﹂ 。 武蔵野の雑木林といえば、それはクヌギやコナラなど 薪炭林の生産地として、またキノコやクリなどが育つ生活林でもあったわけです 。 し か し、この小説が書かれた明治の後半には、すでにその面積もずいぶんと減っていたようで す 。

(8)

ま す 当 。時 四 の 谷 陸 、 軍 青 が

原 し 宿 た

は 地

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かそ

2

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な だ 風 っ 景 た で こ し と た が 。わ

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し、この田園風 景の広がる東京でも燃料に使う薪は自給することはでき ませんでした 。 森 林は切り開かれ畑地として開墾され、 その後家屋が建つといった具合にこの江戸の面影の 残る東京の町も開発されていったのです。 これがおよそ百年前の日本です 。 広島県の宮島では明治の初期に、政府が島の森林を燃 料用に皆伐してしまうことを防ぐために、森林伐採を制限しました 。 そのため、燃料を買 うための現金収入を得る手段として木工のしゃもじを作りはじめました 。 これが、宮島の おみやげとして有名なしゃもじとなったのだといわれています 。 森林の減少 ところで、この百年まえの日本は、主要エネルギーを石炭へ転換し、産業を振興しなが ら自国を開発していきました 。 アメリカ合衆国では 二

O

世紀初頭までに国土の六割の原生 林を耕地や牧場に代えました 。 フロンティアの消滅が宣 言 されたのは一八九

O

年のことで す 。 原始の自然が開発されてゆく様子をみかねてアメリカ最古の自然保護団体シエラクラ

(9)

ブが設立されたのは 一 八 九 二 年のことです 。 さて現在のブラジルでも、かつての日本やアメリカのように盛んに森林を切り開き田畑 へと開墾してます 。 圏内の景気対策を第 一 次産業に求める場合は、開拓地を入植者に分け 田畑の開墾ばかりでなく、安価な木材は 与えることによって解決しようとします 。 ま た 、 伐採され建築用資材などとして輸出されています 。 熱帯林を多く持 つ 国にとってそれら は、輸出の重要な商品でもあります 。 日曜大工でよく使用するラワン材は、マレーシアか ら輸入されています 。 私たちが薬局で買う薬のうち四分の一以上が熱帯林の植物から得た ものを使用しているといわれています 。 抗生物質、鎮痛剤、利尿剤、下剤、鎮静剤などに 利用されています 。 また 、 熱帯林は地球上のわずか六パーセントの面積しかありません が、そこに棲む昆虫は全地球の七

O

から九

O

パーセントを占めるとの調査結果がありま 環境問題とはなにか す 。 森林の減少は人類が出現して、鋤や鍬を手にし大地を耕作しだしたころにすでにはじ まっていました 。 しかし、熱帯林の破壊が地球環境問題として論じられる場合、援助する 先進国が相手の国への環境配慮が欠如していることがおもな原因となっています 。 ま た 、 森林の減少は、そこに棲む生物の量を減らしてしまう 。言 い換えると遺伝資源の消費を意

(10)

味しています 。 遺伝資源が減ることは、生物の多様性が少なくなることにもなります 。 かつて中世ヨーロッパを襲ったジャガイモの黒星病による凶作は、多くを人命の奪いま コロンブスらが中米から持ち帰ったジャガイモはヨーロッ パ の食生活をささえる重 し た 。 要な作物ではありましたが、 一 種類のジャガイモだけを生産していました 。 そ の た め 、 そ の種類が弱い病気が蔓延すると全滅してしまうのでした 。 中南米のインディオたちは、畑 に数種類のジャガイモを植え付けて収穫します 。 その中でもっとも生育したものを収穫し 食料としてきました 。 現在私たちが食料としている作物の多くは、商業用として生産され ているため限られた種類の小麦、とうもろこしなどが作付けされており、潜在的な危険、 つまり、中世ヨーロ ッ パの飢鐘などと同じような大規模な凶作、疫病に対する抵抗力の弱 さを持っていることになります 。 大量消費社会 一 人あたり 一 日に消費するエネルギーを食料、家庭、商業、工 業、輸送にわけで示したグラフです 。 産業革命以前の西暦 一 四

OO

年ごろは、原始時代の 図

2

を見てください 。 十倍、産業革命以後は 三

O

倍、現在の先進国では実に九

O

倍のエネルギーを消費している

(11)

環境問題とはなにか 1日1人当たり消費エネルギー 50.000kcal 100.

o

kcal E是2井.家畜 時 代 産業革命前 産業革命後 時代 原 始 時 代 狩猟時代 AD 1400 1875 BC5000 ト 遷 気 低 ふ λ 変 島 民

ω

い ? の 'のて -J

定 人 し コ ド 家 給 資 K ・ 一 い 町 R M H U U E J 抗 出 川 U W ネ 食 頃 一 ﹄ エ を洋.キ話費れ、消費することによってエネル 一 氏 ル の 潟 M U一一↑ハギ l の需要が増えてきたと理解で キ 西 の ル ド ト ュ ・ 倍 ・ 一 平

E

る の m 別 エ す も は ﹃ 受 た で 均 消 し 国 内 が一ホ進竹 人 て 先 け 代 間 注 出 商 業 , 工 業 , 給 送 に わ 産 業 革 命 後 は30倍.現 現代先進国 1970 ことがわかります。 同じ人間一人が生活するための エネルギーは、原始時代と現代と ではこれほどまでに違うのです。 原始時代の人間と現代の人間では 体の大きさはそれほど変わるわけ ではありませんから、原因は人間 活動によって多くの物質がつくら きましょう。もう一度グラフを見 てみますと、食料に関するエネル ギ

l

の消費は現代でも原始時代 の 数倍しか違いませんが、 工業と商 業、輸送、軍備に費やされるエネ

(12)

b cf ルギ!の量は飛躍的にのびています 。 身近な例ですと、 ふだんわたしたちが使っ ている 水もここ数年の間に使用量はぐっと増えています。 日本の場合、昭和四十年には 一 人あたりの消費量は 軒 一 日 一 七

O

リットルだったのが昭和六三年にはその n E 間 約 二倍の三二

O

リ ッ トルまで増えています 。 一 家族 送五人とすると 一 六

O

O

リットルの水を毎日消費し、 輸 紅消費された水は下水とな っ て 河 川を汚します 。 同じ 帥現代でも、日本とネパ

l

ルとを比較してみますとネ 石 パ

l

ル の山村では、今でも水汲み労働は重要な女性 の 仕 事 で 、 酌 一 家族五人で 一 日に消費する水の量は約 六

O

リ ッ ト ル 。 日本では実にネパ

l

ル山村の二七倍 もの水を消費しています 。 図

3

は 一 九六八年の石油の海上輸送を表したもの です 。 中東から日本と欧州に向かって大量の石油が

(13)

移動していることがわかります。このような地球規模で組織的に大量のモノが移動するよ うになったのは一五世紀から一六世紀にかけての大航海時代以降のできごとです。エネル ギーだけでなくモノ、そして労働力としてのヒト(奴隷)も同時に大 量 に 、 しかも組織的 に移動し、消費されはじめます。これまでは、ある限られた地域のみで資源やエネルギー が循環していたものが海を渡り地球上のあらゆるところへと行き交うようになったので す 。 ゴミにうもれる社会 環境問題とはなにか 一四世紀から一七世紀に始まった産業革命は、化石燃料を大量に消費する社会をつくり ました 。 化石燃料を消費すると、そこからは大量の二酸化炭素が ﹁ ゴ、ごとして排出され ます 。 これまで 二 酸化炭素は、生物活動や山火事などで排出されてはいましたが、産業革 命以後は大量に定期的に組織的に石炭を消費し二酸化炭素を排出するようになりました。 二酸化炭素は 地球温暖化の主要な原因物質として知られています 。 化 石燃料の消費は、二酸化炭素の増加をもたらしましたが、それは植物の光合成によっ て酸素と水とになってふたたび自然界へともどってゆくことができます 。 ところが、二 O

(14)

世紀になると自然界には存在しないか、あるいはほんの少ししか存在しない物質が大量に 生産、利用されるようになります 。 原子力時代の到来です 。 核燃料は当初長時間潜水することのできる潜水艦の燃料として研究されていました 。 当 然それは軍事目的でした。これを平和利用へ転換し産業、生活用の発電に利用したのが原 子力発電です 。 原子力発電は火力発電などにくらべ二酸化炭素の放出量は少ないのです が、発電後にでる ﹁ ゴ、ごつまり核廃棄物は強力な放射性元素を含んでいるためにその処 分は大きな問題となっています 。 放射能は遺伝子などに直接影響するため奇形やガンの原 因となることが知られています 。 これらの放射性の核廃棄物は無毒なものになるためには 気の遠くなるような年月を必要とします 。 つまり、自然にかえることがほとんどできない 有害な ﹁ ゴ、ごを大量に排出するようになってしまったのです 。 ここにいたって 二 酸化炭素をたくさん排出する社会、自然にかえることのできない有害 なゴミを大量に出す社会が誕生します 。 最近まで、いや現在までも資源は無尽蔵にあるも の、物質的豊かさは限りなく追求できるものといった認識が優先していました 。 このよう な認識のもと現代社会は環境破壊を加速度的にすすめながら今日まで至るのです 。 地球環境問題の相互関係(図 4 ) をご覧ください 。 酸性雨、地球温暖化、オゾン層の破

(15)

環境問題とはなにか

E

層階除4 1

各種の'"碍111縄問庖の聞には本国に燭げたり"にも複縄勾因果関係が樗在するが.本園でl惨手省'堕'した.

吋 (備考)圃iAti賃Rーによる0'"

(16)

壊、熱帯林の破壊、砂漠化、開発途上国の公害問題、野性生物種の減少、海洋汚染、有害 廃棄物の越境移動などの原因は、もてる国の大量消費、持たざる国の経済成長、人口の増 大、貧困、対外債務(外国にお金を借りて自国を開発しているため、借金を返済するため に自国の天然資源を海外に輸出したり、公害を規制するより経済活動を優先させるなどの 問題があります)など自然環境の問題と社会環境の問題が相互に作用し合っているのが理 解できると思います 。 成長の限界 これまでの楽観的な地球環境、資源への見通しを根本的に改める必要を世界的な規模で 見直す機会がやってきました 。 もちろんこれまで多くの先見の明のある人たちが唱えてき たことではありますが、それを国際的な枠組みのなかで見直そうという機運が高まるきっ かけとなる報告書が提出されます 。 一 九七 二 年に世界中の地球の問題と未来に関心がある科学者、研究者などで構成される ロ

l

マ・クラブが、世界の人口、資源、産業、食料、汚染などの相互関係をモデル化し、 様々な前提条件のもと未来の地球の様子を コンピュータによ って予測した結果を発表しま

(17)

した 。 図

5

はその結果を示したものです 。 九 果 六

0

年代のように天然資源を消費してゆくと環 鵬境汚染がだんだん激しくなり、そのために人類 押が地球的な規模で繁栄することができなくなっ 柵て、西暦 一 一

000

年を境に人口そのものが減る 臓ことになろうと予測しています 。 もっともこの 5 シナリオは 一 九六

O

年のまま何の対策もたてず 図にいた場合を想定しています 。 いづれにしてもこの結論は、大きな反響を呼 びました 。 世紀末と終末論を唱える人も現れま した 。 これまで感 覚 的に理解されていたことが、かなり確実な問題として予測されたもの 環境問題とはなにか で す か ら 、 楽観視はできなくな っ てしまいました 。 わたしたちの共通の未来 こ の ロ l マ・クラブ の 悲観的な未来像に対し、 ただ手をこまねいてばかりはいられませ

(18)

ん 一 九七八年にノルウェーの首相(当時)ブルントラントさんが中心となって聞かれた 会議いわゆるブルントラント会議では、この成長の限界に対して政府、産業界、

NGO

な どが協力しあ っ て対応して行くための基本的な理念と行動指針がまとめられ ﹁ わたしたち の共通の未来 ﹂ という報告書が発表されました 。 この中で ﹁ 未来の世代のひとたちのニー ズを奪わずに 、 現在いきているわたしたちのニlズを満たす必要性 ﹂ つまり﹁継続可能な 発展 ﹂ という考え方が示されました 。 いまの私たちには 、 将来の人たちにきれいな水、空気、大地と資源を残し、また育てる 義務があることを ﹁ 持続可能な発展﹂ということばに託したわけです 。 この持続可能な発展という考え方は、昨年聞かれたブラジルでの環境と開発に関する国 際会議、いわゆるブラジルサミットへと引き継がれて行きます 。 このブラジルサミットで は 、 持続可能な発展を国際政治、産業活動、市民生活の最重要課題であるということを各 参加国によ っ て確認されました 。 持続可能な発展とは 一 体ど の ような発展のことをいうのでしょうか 。 ブルントラント委 員会の報告 書 で い う ﹁ 現在生きているわたしたちのニ

l

ズを満たす ﹂ といったことにたい してさえ現実には問題が山積みされています 。

(19)

世界の 三 分の一の人たちは飢えと貧困で苦しんでいます 。 国や地域の将来について多く の決定権をもっている政治家にとって自分に投票してもくれない未来の世代についてどれ ほど気を配ることができるのでしょうか。 じつは、継続的な発展をするためには現在のまだ使われていない人類の英知に期待する といったニアンスも含まれています 。 資源の浪費、経済格差を解決するために、また環境 的に持続可能な社会を構築するためには、全ての人に公平な機会を保証し、周知を生かす ことが肝要であることに気づきだしたのです 。 環境問題とは さてこれまでいろいろな話をしてまいりました 。 環 境 問 題 と は 、 一 体なんでしょう 。 こ 環境問題とはなにか タンカーの座礁による原油の流出事故や、自動車の排ガスに よる大気汚染よりも深刻な環境問題が実は戦争です 。 湾岸戦争では、イラク軍が大量の油 こまで触れませんでしたが、 田を破壊し、空は黒雲で覆われました 。 ユーゴスラビアでは、多くの女性が民族浄化の名 の下に辱められだれからも愛されることのない子供が生まれています 。 戦争は最も簡単に 自然環境を破壊し、地域社会を崩壊させます 。 熱帯林の商業的破壊や、ダムによる住民移

(20)

転などとは比較にならないほどの暴力的な方法で戦争は自然環境や社会環境を破壊しま す 。 戦争は、こどもたちに大きな精神的ダメージをあたえ、その後遺症は次の世代までつ づくといわれています 。 それは健全な社会を構築するうえで大きな障害となります。 これまで人類の歴史上いくどとなく戦争が繰り返され、都市が滅び、国家が滅びまし た 。 戦争でなくとも、家畜を放牧し過ぎて土地がやせてしまい滅びた文明や都市もありま し た 。 それは限定された地域でのできごとでしかありませんでした 。 そ の た め 、 っかい方 を間違えた土地は捨てられ、新しい土地を求めて移動すれば当座の問題は解決しました 。 あるいは、他の国や地域から資源や食料を略奪することによってとりあえず問題を解決す ることすらできました 。 しかし、今日直面している環境問題は地球そのものの危機であり、それは人類の危機で もあります 。 かつて

S

F

作家たちは、核戦争によって人類が滅びないとしたらそれは宇宙 からの侵略者が地球をおそってきて、人類が 一 致団結しその局面を乗り切ることによっ て民族の争いや国家間の争いがもとでおこる最終戦争の無意味さを悟るであろうと、小 説の中に書いていました 。 これは共通の敵を宇宙にも・つけることによって、人間の利害を 一 致させ問題を解決させようといったものでした 。 皮肉なことに人類の敵は宇宙からでは

(21)

なく、自分達がこれまでおこなってきた行いが積もり積もって地球環境問題として襲って きたのでした 。 問題は内なる己にあったといってよいでしょう 。 環境問題ははじめて人類に課せられた内なる自己との戦いなのかもしれません 。 あるい は、これまで築いてきた文明を再構築するための試金石なのかもしれません 。 いづれにし ても、地球環境問題は人類に、地球という規模で自分達のおこないを再考せざるをえない 問題を提起しているのです 。 環境問題とはなにか

(22)
(23)

環境としての自然

l

初期仏教の場合

大 正 大 学 教 授 松

f

(24)

ご 存 じ の と お り 、 インドから仏教が出発したわけでございますが、仏教の開祖でありま す釈尊がインドにお生まれになりましたのは紀元前の五世紀のことでございます。今のイ ンドの人々の祖先になる人々を、言葉の上ではインドア!リアンと申しておりますが、か れらが南ロシアの草原地帯から今のアフガニスタンを通りまして、 インダス川の流域に やってまいりましたのは紀元前一五

O

O

年のころでございます 。 彼らは非常に宗教的な人々でありまして、聖典をもっておりました。その聖典のことを ﹁ ヴェーダ ﹂ と申します 。 この﹃ヴェーダ聖典﹄は、基本的には、彼らがその当時もって おりましたいろいろな祭杷にかかわる聖典であったわけです 。 そして、彼らは次第に内陸 に入って東のほうに移動してまいりまして、紀元前五

O

O

年のころガンジス川の流域に定 着したわけでございます。このころ釈尊が、この地域に生まれるということになります。 これからお話ししようといたしておりますのは、まだ仏教が誕生する以前に、彼らが自 然をどう考えていたか。その上で、釈尊が生まれて、創設された当時の仏教は、環境とし ての自然をどう考えていたかということで話を進めてまいりたいと思っております 。 彼らがもっておりました﹃ヴェーダ聖典﹄で、 一番古い聖典が﹃リグ・ヴェーダ﹄と呼 ばれる最古の聖典なのです 。 その中でも割に新しい、第 一

O

巻の第 一 四六番目の讃歌です

(25)

が、そこに森の女神にささげる讃歌があります 。 そ れ を 分 析 す る と 、 その当時、インドに 到来したばかりの人々が 一 体どのように自然をみていたかというところがわかるのではな いかと思います 。 森の女神のことをアラニヤ

l

ニ!と申します 。 そのアラニヤ

l

i

にささげる讃歌 。 紀 元 前 一 五

O

O

年以前の聖典でございますから、一言葉もなかなか難しいのですが、まずこれ をみていただきまして 、 それを簡単に分析してみたいと思っております 。 これは、森の女 神であるアラニヤ l ニ l に呼びかけているわけです 。 ﹃ ア ラ ニ ヤ

l

l

よ 、 ア ラ ニ ヤ

l

l

よ 。 姿を隠しているがごとくなる汝は、何ゆえに 村を訪ねないのか 。 あたかも恐怖が [ 汝を見出さない ] よ う に 、 [ それ(村)は ] 汝を見 環境としての自然 い だ さ な い [ で あ ろ う か ] 。 ﹄ ﹃ 歌いつつあるコウロギにセミが伴奏するとき、車を駆りつつある人がシンバルによっ て [ 尊 敬 さ れ る ︺ よ う に 、 ア ラ ニ ヤ

l

l

は尊敬される 。 ﹄ ﹃ 牛 た ち が [ 草 を ] 食べるがごとくに、そして住まいがみられるがごとく、 そしてアラ ニ ヤ l ニ

i

は夕暮れに、あたかも車のごとくにきしる 。 ﹄

(26)

﹃ 人はまさしく牛を呼ぶ 。 人はまさしく木を切った 。 夕暮れにアラニヤ!ニ!において 住 み つ つ あ る 人 は 、 [ 何者かが ] 叫んだと考える 。 ﹄ ﹃ アラニヤ l ニ l は、他の者が近づかなければ危害を与えることはない 。 甘い果実を食 し て 、 [ 人は ] 欲するがままに [ そこに]横たわる 。 ﹄ ﹃ 香油のかおりのごとき芳香をもち、耕作を行わず [ と も ] 多くの食物を有する、野獣 たちの母であるアラニヤ

l

l

を、私は [ 今まさに ] ほめたたえた 。 ﹄ ( ﹃ リ グ ・ べ

l

ダ﹄叩 ・ 附 ・

1

1

6

)

ほぼ、こういう内容の讃歌であります 。 それを分析いたしますと、次のようにいえるの ではないかと思います 。 森の女神アラニヤ

l

l

は 、 その姿を他人の前にあらわさない神である 。 2 森は村と対照をなす両極を考えられる 。 3 森ではコウロギやセミなどの鳴き声がする 。 4 森では夕暮れどきに、あたかも車がきしるような音や、何者かの叫ぶ声が聞こえるこ とがある 。

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5 森は、人がみだりに接近しなければ危害を与えないーーということは、逆にいいます 6 と、不用意に接近すると危険である 。 森は甘い果実を備え、食物は豊かであり、芳香をただよわせる

l

l

一言で申します と、豊穣力に富んでいるということになろうかと思います 。 7 森には野獣が住む 。 大体こういう内容のことが書かれていると思います 。 これをもっと簡潔に申し上げます と、次のようにいうことができると思います。 森は人が住んでいる村とは対照的であって、むしろその村の周辺の場所である 。 森は豊 穣力に富んでいて、人間の生活に益を与えることが大であるけれども、それにもかかわら ず、うかつに近づきますと人間に危害を与える 。 環境としての自然 森には見虫や野獣などの多くの生物が住んで、豊かな非常ににぎやかな喧騒の場である けれども、半面、得体の知れない騒音が聞こえる無気味な場所でもある 。 森のもつ特殊性は、森の女神であるアラニヤ

l

l

の、尊敬されつつも得体の知れな ぃ、そういう性格にそのまま投影されているということができると思います 。 要 す る に 、 森は人を利するものである半面、危険に満ちていて、人に脅威を与える場所でもあるとい

(28)

うことが、これだけ短い讃歌の中に込められているのではないかと思います 。 このように古代のインドの人々は、人間の広い意味での技術がいまだに加えられていな いという意味での自然、この場合、今申し上げました森と 言 及されているわけですけれど も、それが非常にアンビヴァレントな両義的なものである │ │益すると同時に危険である │ │ そういう両義的なものとして理解していたということを、我々は、この歌の中から知 ることができると思います 。 森という 一 つ の 現 実 の 存 在 が 、 一柱の女神としてみなされておりまして、その讃歌の対 象とされている理由の一つも、こういった人手のかかっていない自然のもつアンビヴァレ ント、両義的な性質にあると考えることができると思います 。 人間の生活に利益を与え て、それを助ける 。 そして、人間の生活を繁栄に導く、人間に利する、利益を与えるとい う意味での自然の側面という の は 、 当然の ことながら歓迎すべきものではありますけれど も、自然が人間に対して、常にこういった側面だけを開示するといいますか、示している のであるならば、自然というのは、人間にと っ て何らかの問題を提起することはないわけ で す 。 ところが、人間にとって自然が非常に重大な問題となります の は 、 自然が人間に対して

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歯をむき出して、人間の生活に害を与える場合、言葉をかえますと、人間生活に脅威を与 える自然の側面が、人間にとって大変大きな問題を提起することになります。簡単に考え ますと、自然の脅威といいますと、地震ですとか暴風雨ですとか豪雨に始まります、 わ ゆる自然現象がありますでしょうし、害虫や野獣などによって与えられる危害といったも のも、自然が人間に与える脅威と考えることができると思います 。 さらに深く考えますと、私たち人間の個体の内面においても、言葉をかえますと、苦痛 ですとか病気、精神的な苦悩といったようなものも、我々の個体の内なる自然と考えるこ とができるのではないでしょうか。人間の個体が自然の 一 部であるという意味において、 自然のもたらす脅威の 一 つとして、こういった我々の感じる苦痛ですとか病気ですとか精 神的な悩みも理解することができるのではないかと考えます 。 人間の個体の現実の上で 環境としての自然 も、人間の個体が存在意義を失うという意味での死も、自然によって与えられる脅威以外 の何者でもないと考えることができると思います 。 自然が人間の生活にとって脅威を与える側面をあらわに示しますとき、人間にとって成 し得ることは 一 体何かということを考えてみますと、その自然に甘んじて身を任せる、あ るがままに自然のうちに生きるという方法が 一 つであろうかと思います 。 もう 一 つ の 方法

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は、その脅威に立ち向かって、これを克服するということでありましょう 。 こ の 二 つ の う ちのいずれかを選択する以外、人間にとって自然と調和できる方法はないはずです 。 今お話しいたしましたように、紀元前 一 五 O O 年のころインド亜大陸にやってまいりま した、みずからア

l

リアと称した人々が、到来する以前からもっていた、ヴェーダの祭杷 が記すところの祭りの目的というのは、我々の生活に脅威を与える自然に果敢に挑戦し て、それを克服して、人間生活に適合させていこうと、 それを目的とするものであったわ けです 。 簡単に延べますと、ヴェーダの祭杷というのは、死に代表される自然を祭杷の上 でいかに克服し、よりよい生を獲得しようかという一つのメカニズムであったということ ができると思います 。 しかし、ヴェーダの祭杷の 一 つのシステムは、決して人聞がつくり上げたものではあり ません 。 むしろ神の命令に基づいてつくり上げられたものと理解されております 。 その意 味では、ヴェーダの祭杷といえども、神という、自然の内に含まれる性質のものであると いうことができます 。 ヴェーダのお祭りというのは祭杷の専門家がおりまして、 その人々を日本の学者が ﹁ パ ラ モ ン ﹂ と称しているのであります 。 バラモン以外の人々は、この祭杷を実際に行うこと

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はできません 。 バラモンは、人々のために祭杷をみずからが実行することによって生きて いた人々でもあったわけです 。 ヴェーダのお祭りの専門家であったバラモンは、この祭りの頂点に位置していた人々で あったわけですけれども、そのヴェーダ祭杷は、自然を人間の生活に適合するように変革 するというメカニズムであるという理解の辺から考えますと、ヴェーダの祭杷自体は、文 明としての体系をもっているものとしてみることができます 。 祭杷の専門家であるパラモ ンは、文明の所有者であり、常にその頂点に立つ権威者であったとみることができるわけ で す 。 次に、先ほどお話ししましたように、紀元前五

O

O

年のころになりますと、彼らはガン 環境としての自然 ジス川の流域に移住してきまして、祭杷を実行することになるわけです 。 実は、この地域 は上流から大変豊かな土を流してまいりまして、ガンジス川の流域は地味が大変豊かなと ころでありました 。 こ の 豊 かな土地は、農耕生活に大 変 通しておりまして 、 畑を耕します と農作物が大変よくとれる 。 そして、余剰の農作物を中心にしまして、この地域で物々交 換、いわゆる商業取引が盛んに行われるようになります 。 そうすると、その商品をあつか う多くの商人が出てまいります 。 その商人たちは、地理的に便利なところにマーケットを

(32)

つくりまして、この流域に商業都市が成立してくるわけです 。 ということは、当然、この地域の農耕生活が盛んになりまして、人々はここに定住する ことになります 。 農業を営むということは、定住しませんと不可能であります 。 そうする と、地味が豊かですから、商品としての作物がたくさんとれる 。 それをもとにして、いろ いろ商業活動が盛んになるということで、現在でも残っております有名な都市の中にはこ のころに成立したものもあります 。 例えば、ベナ

l

レスですとか、後にアショ

l

カが築き ましたマウリヤ王朝の首都でありましたパ l タ リ プ ト ラ 、 これは、今、パトナといわれて いるのですけれども、そういった多くの都市が出てまいります 。 その商業都市では、当時の人々の生活か、りすれば、かなり豊かな生活が行われていたわ その時期に、この地域に一群の出家修行者がいたのです 。 彼らは﹁サマナ﹂と か ﹁ シュラマナ ﹂ と呼ばれた人々です 。 こ の ﹁ サマナ ﹂ という言葉を漢字で写したのが け で す が 、 ﹁ 沙門 ﹂ であり、この人たちの 一 人が仏教の開祖である釈尊であったわけです 。 この人たちは、大体共通の考えをしておりました 。 その共通の考え方は、人間にはあく ことを知らぬ妄執がある 。 この妄執はなぜ起るのかというと、我々に生きるという本能が あるからである 。 我々の生活ですと、おなかが減っているときに、ふかふかのゆげの出る

(33)

ようなおまんじゅうがあった 。 そうすると、我々は、ぜひそれを食べたくなるわけです。 その限りでは苦しみではないのですけれども、 それがとれないとなりますと、我々は、何 とかしてとろうと煩悶するわけです 。 そ う す る と 、 そこで、何とかしてとりたいと悩むわ けです 。 それは、ふかふかのおまんじゅうならおまんじゅうに対するあくことを知らぬ執 着が起こるからです。このような気持ちが起こりますから、当然我々に苦しみが起こって くると彼らは考えたわけです 。 したがいまして、人間存在というのは常に苦しみであって、この苦しみの存在から逃れ る、この苦の生活をやめるためにはどうしたらいいかといいますと、この妄執を絶てばい いということになります 。 我々は肉体をもっていて、本能に基づいて妄執が起こるわけで 環境としての自然 すから、肉体の力を弱めてしまえばいいわけです 。 ということで、苦行を行います 。 そし て、肉体の力を弱め、妄執を断じるわけですが、家庭生活は妄執の根源です 。 子供がいれ ば、子供というのは、我々にとって常にとらわれの対象になります 。 家族は皆そうです 。 妄執を捨てるためには、家庭生活を捨でなければならないと考えるわけです 。 そこで、出 家をするわけです 。 彼らの住む場所といいますと、木の根元ですとかジャングルの中、洞穴の中、場合によ

(34)

りますと墓地に住みます 。 インドには墓地はないではないかとおっしゃるかと思います が、墓地と申しましでも死体を遺棄する場所、死んだ方の遺体をもっていって、そのまま 放置して風葬にする場所です 。 それは、特定の住所をもちますと、その住所に対する妄執 が起こるからです 。 しかも、あいつはあんないいところに住んでいるのに、おれはこんな ところにしか住めないとか、必ず住む場所にこだわりの心が起こります 。 それから、彼らは、死者が包まれていた布ですとか死体が着ていた着物ですとか、汚い ものをめぐって捨ててしまった布を拾ってまいりまして、それを洗い清めて身にまとう 。 その着物のことをカシャ l ヤと申します 。 これを漢字で写したのが袈裟です 。 で す か ら 、 袈裟は何ともいえない、名伏のつかない色をしていた 。 そ れ か ら 、 ﹁ 糞掃衣 ﹂ と申します け れ ど も 、 ふんのような汚ないもの をぬぐった布が捨てられておりますと、それを拾って きて、洗い清めて、洗いつづって、 それを身にまとっていたわけです 。 場合によります と 一 糸まとわぬ素っ裸で生活をしている人もおりました 。 あるいは、人間の髪の毛でつ くったものを身にまとっていた人もいたようです 。 それはいろいろあるわけですが、なぜ、 そういう格好をしていたかといいますと、着物 を着ますと、着物に執着が起こるわけです 。 あいつはあんないいものを着ているのに、お

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れはこんなものしか着られないということで、妄執を絶つためにそういう生活をしていた わけです 。 彼らは、思想の上でも、 一つの基本的な考え方がありました。こういう妄執を絶ち切り ま す と 、 そのとき人間は精神的な大展開を得ることができる 。 そのとき、人間は苦の存在 を脱却することができると考えていたわけです 。 この考え方は、初期の仏教と全く変わる ところはありません 。 釈尊が苦行を捨てたということをいうのが我々の常識ですけれども、私はそうは考えて いないのです 。 文献でみる限り、釈尊は、むしろ苦行を奨励していたところがあります。 事実、釈尊は苦行を 実 行したわけですから、あの苦行を捨てるという意味では、私が文献 の上から理解するところによりますと、我々が今まで常識で考えているのと違うのではな 環境としての自然 いかと思います 。 抄門たちはそういう生活をしていたわけです 。 その中の一人が釈尊で あ っ たわけです 。 初期の仏教の修行者の考え方も、これと変わるところはほとんどないと 思っております 。 ここでは 、 初期の仏教の出家修行者たちを、 その当時の人々が客観的にどうみていたか ということをお話ししたいと考えております 。 それは、環境としての自然を、 その当時の

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人々がどうみていたかということの解決の 一 つ の糸口になると思います 。 ここに書きました ﹃ ヴェーダ聖典 ﹄ というのは大変膨大なも のですけれども、その当時 のシャモンたちのことについて全く触れていません 。 初期の仏教の文献と思われる文献 は、この ﹃ ヴェーダ聖典 ﹄ のこと、特にヴェーダの祭杷についてほとんど知らないので ﹃ ヴェーダ聖典 ﹄ の 系統の人々と、仏教の、もっと す 。 ですから、文献でみる限り、この いいますと抄門の系統の人々とは全く違ったグループの人々であると考えざるを得ないわ けです 。 この文献は、仏教の出家修行者についてほとんど触れておりませんから、 て 、 そ の当時の 仏教の出家修行者がどういう生活をしていたかということを知ることはで きないわけです 。 ですから、とりあえず、この仏教の文献を材料にしてみていく以外に方 法がないわけです 。 ところが、仏教の文献も自分たちの内部のことです 。 逆の言い方をし これを使つ ますと、仏教徒が仏教徒をみるわけですから、 それなりに色 の つ いた見方でみているわけ で す 。 したがいまして、 そのような部分をどうやって取り除いてみていくかということを 考えませんと、客観的に、 その当時の仏教の修行者が、周囲の人々からどうみられていた かということを正確な形で出すことができないわけです 。 そういう意味で、資料の検討に

(37)

大変苦慮するわけです 。 その当時の釈尊をバラモンがどうみていたかということを端的に物語っている と思われるものとして、仏教の文献の中で最も古いものの 一 つ とされております ﹃ ス ッ タ ニ パ l タ ﹄ と呼ばれる文献を見てみます。 こ こ で 、 私は次のように聞いている 。 ︹ すなわち ︺ あるとき尊師(釈尊)は、サ

l

ヴァッティ

l

これは舎衛国のジェ l タ 舎のことです)にとどまっておられた。このとき、尊師は午前中に内衣をつけ、鉢と重衣 ︹ 王 子 ︺ の森にあるアナ l タピンディカの庭園(いわゆる祇園精 と を も っ て乞食のためにサ

l

ヴァッティ!に入った 。 ちょうどこのとき、バラモンであるアッギガ・バ

l

ラドヴァ

l

ジャの住居において ︹ 祭 環境としての自然 杷 ︺ の 火 が 燃 え 上 が り 、 ( こ れ ︹ 祭杷 ︺ の供物が︹祭火に献供するべく、祭杷用の杓に︺ は柄杓のような道具を使いますけれども、火の中に注ぎます)とられていた 。 こ の と き 尊 師 は 、 サ

l

ヴァッティ

l

において托鉢して、バラモンであるアッギガ ・ パ

l

ラ ド ヴ ァ

l

ジャの住居のあるところに近づかれた 。 バラモンであるアッギガ・パ

l

ラ ド ヴ ァ l ジャは、尊師がずっと遠方からやって来られるのをみつけた 。みつ けると、尊師に

(38)

このことをい っ た 。 ムンダカよ(これは意味の上では、頭を剃髪した者よという意味です 。 た だ し 、 それは ﹁ ムンダ ﹂ という 言 葉なのですが、 ﹁ カ ﹂ がつきますと軽蔑の意味になります。 こ の ﹁ カ ﹂ は軽蔑のためにつけた接尾語です)その同じ場所にじっとしていろ 。 サマナカよ (これはシャモンのことです。それに ﹁ カ ﹂ がつきますと軽蔑の意味で使われます)その 場所に ︹ っ としていろ ︺ 。 ヴァサラカよ(実は、 これがキーワードなのですが、 これは 後ほど説明いたします)その同じ場所に ︹ じっと立っていろ ︺ 。 このようにいわれると、尊師はバラモンであるアッギガ・パ

i

ラドヴァ l ジャにこのこ とをいわれた 。 それならばバラモンよ、おまえは、あるいはヴァサラ、あるいは人をヴァサラたらしめ る要素を知っているのかと(﹁ヴァサラ﹂という一一豆莱の意味を知った上で私に呼びかけて いるのかということをいうわけです 。 そうすると、バラモン の アッギガ ・ パlラ ド ヴ ァ l ジャは)貴下ゴ l タマよ 、私は、あるいはヴァサラをも、あるいは ︹ 人を ︺ ヴァサラたら しめる要素も知りません 。 私が、あるいはヴァサラを、あるいは (人を ︺ ヴァサラたらし める要素を知ることができるように、貴下ゴ

i

タマは、私に ︹ その ︺ 理法を適切に示して

(39)

くださいと(逆に、お釈迦様に、ヴァサラというのは 一 体どういう意味なのか教えてくだ さいというわけです) 。 ﹃ ス ッ タ ニ パ

l

タ ﹄ 1 1 7 たったこれだけのことでありますけれども、 この後に釈尊がヴァサラとは、 こういう人 をヴァサラというのだということをたくさん述べ聞かせるわけです 。 実は、これだけの文 章 が、当時の人々が仏教の出家修行者をどうみていたかということ を解くかぎを与えてくれていると思います 。 この部分に関する註釈文献がございまして、 そのところを私が翻訳したのが ﹃ パラマッタ・ジョ

l

ティカ

l

﹄ という註釈文献ですが、 この註釈文献は紀元後の五

O

O

年のころに書かれたものです 。 ですから、釈尊の時代から 環境としての自然 みますと、もう 一 000 年も隔てております 。 これでも 一 番古い註釈なのです 。 こういう註釈文献がなぜ書かれたかと申しますと、もうこのころに教典の本来の意味が 次第にわからなくな っ てきたからです 。 わからなくなったからこそ註釈を 書 く必要があっ たのです 。

(40)

﹃ このとき、すべてのすぐれた様相を備え、あまねく魅力的である尊師をみて、なぜパ ラモンの心は喜ばなかったのであろうか 。 そして、荒々しい 言 葉によって、なぜ [ 彼は] このように尊師に話しかけたのであろうかと考えて、 [ 次 の よ う に ] いわれるのである。 このバラモンは、 [祭杷を]実践しているときに、サマナをみることは凶 このような見解を抱いていたといわれている 。 そ れ だ か ら 、 H 縁起のよい 兆である H と い う 、 H 偉大な 神様が[献供の品 ] を食するときに、不幸の兆しである剃髪したサマナの奴が、私の住ま いに近づいてくる μ と考えて、心を喜ばさなかった 。 それどころか、怒りの支配するとこ ろとなった 。 こ の と き 、 [ 彼 は ] 怒り、不満で、 H ム ン ダ カ よ 、 その同じ場所に [じっとし ていろ]云々と、不満の言葉を発した 。 そ し て 、 その言葉の中においても、 H 剃髪した者は不浄となる H という見解がバラモン たちの間にあるので、 J ﹂の男は不浄である 。 したがって、神々やハラモンたちを尊敬す る者とはならないであろう H と考えて、蔑みつつ、 H ム ン ダ カ よ 、 μ といったのである 。 H ムンダカを性質とする者は不浄であるから、この男がこの場所にやってくるべきではな

μ と [ いう意味である 。 ] そ し て 、 H [ 彼は ] サマナとな っ ても肉体の不浄を説明するこ とがない μ と考えてサマナの状態を蔑みつつ、 H サマナカよ μ といったのであって、単に

(41)

怒りにまかせただけで [ サマナカといったのでは ] な い 。 H [ 彼は

γ

ヴァサラなる者たち を出家させて、彼らと 一 緒に、共に食事をさせたり共に楽しませたりすることによって喜 んでいるのであるから、この男はヴァサラよりも 一 層邪悪であると蔑みつつ、 ペ ヴァサラ カ よ H といったのである 。 ま た 、 H ヴァサラの生まれである者たちが献供を目撃したりマ ン ト ラ [ を唱えるのを ] 聞 く と 、 そのために悪が生じるであろう μ と考えながら、このよ うにいったのである 。 ( ハ ラ マ ッ タ ・ ジョ!ティカ

l

E

V

O

L

Pl75 '-" このように説明がしてあります 。 この説明をもう少し簡単に分析いたしますと、 環境としての自然 1.バラモンが祭杷を執行しているときに抄門をみることは不吉である 。 2 . バラモンにとって、剃髪した者は不浄であると理解された 。 ﹁ ムンダカ ﹂ という 言 葉も ﹁ 侮 蔑 ﹂ の意味を伴 っ た語である 。 3 ﹁ サマナカ ﹂ という 言 葉も同様に ﹁ 侮蔑 ﹂ の意味をもった語であると考えられる 。 4 ﹁ ヴァサラカ ﹂ と い う言 葉も ﹁ 侮 蔑 ﹂ の意味合いをも っ 。 しかも ﹁ ヴァサラよりも一 5 層 悪 い ﹂ と い う 、 マイナスの要因が強化された 語 で あ る 。

(42)

6 ﹁ ヴァサラ ﹂ に生まれた者たちが、バラモンの 祭 杷上の行為を見聞すると、よからぬ 結果が生じる 。 これだけのことがこの中に込められていることは確かだと思います 。 実際そのとおりでありまして、チャンダ l ラ(栴陀羅)と申しまして、バラモンの中心 世界の枠組みの外に置かれた人々と沙門たち、それから犬、獣等が、バラモンの執行して おりますヴェーダの祭杷を目撃しますと、このヴェーダの祭杷は効力を失ってしまうと考 バラモンにとりましては 、 釈尊などが近づいてくるの えられていたわけです 。 で す か ら 、 は非常に困ったことだったわけです 。 こ れ は 、 ジャイナ教の出家修行者の場合もそうです 。 ジャイナ教の出家修行者がパラモ ンが祭杷をしているところにやってきますと、袋だたきに遭ったりしたという記録が残っ ております 。 沙門と呼ばれる人々がここへ来るのは、バラモンにとっては大変危険であっ たわけです 。 その辺が注意す べ きところだと思います 。 そこで 、 今のことを踏まえまして、さらに話を進めてまいりますと、今まさに バ ラ モ ン がいったという ﹁ ムンダカ ﹂ 。 こ の ﹁ ムンダ ﹂ という 言 葉は、先ほど申しましたように、 ﹁ 頭をそった ﹂ という意味の 言 葉です 。 これは 、 もともとは、木の先端に枝葉がないと

(43)

か、動物などが角を失ったという意味で使ったものでした、軽蔑の意味を含まない言葉で あったのですけれども、この場合は、明らかに軽蔑の意味で使われている。実際、頭の毛 バラモンの世界ではこういう文章がございます。﹁うそを証言す をそってしまいますと、 ると裸となって髪の毛を失って、飢えと、 のどの乾きにさいなまれる﹂ということで、偽 証をすると、裸となったり頭髪を失ってしまうぞという言葉があるように、どちらかとい うと、後に侮蔑の意味を含めた言葉として使われるものなのです。 ﹁サマナ﹂というのは、先ほど申しましたようにシャモンのことでありまして、決して 悪い意味をもったものではないのですけれども、それに﹁カ ﹂ がつきまして﹁サマナカ﹂ という言葉になりますと、軽蔑の意味を含むようになります 。 それはともかくといたしまして、﹁ヴァサラ ﹂ と い う 言 葉 は 、 一体どういう意味であっ 環境としての自然 たのかということをお話しすると、当時の一つの自然観がおわかりいただけるのではない か と 思 う の で す 。 バラモンの社会では、バラモンの男の子が七年目になりますと、 一つの儀礼を行いま す 。 これは入門式と呼んでいい儀礼なのですけれども、それをウパナヤナと申します 。 こ れはどういう儀礼かごく簡単に申し上げますと、バラモンの少年は、先生のところに連れ

(44)

てこられるわけです 。 そのとき、黒いカモシカの皮を身にまといまして、腰には、草でつ くりました 三 重のベルトを身につけます 。 そして、これを身につける儀礼がウパナヤナと 呼ばれる儀礼なのです 。 カモシカの皮は、胎児を包む羊膜であると言われ、この三重のベ ルトは胎児の瞬帯であるとされます。 つまり、この儀礼が、その少年をもう一度胎児の状 その後、先生から ﹃ ヴェーダ聖典﹄を 態に戻してしまうという儀礼であります。そして、 教えてもらうわけです 。 その問、非常に厳しい戒律を守りまして生活をします 。 この勉強の時期が終わりますと、 ﹁ サ マ

l

ヴァルタナ ﹂ という儀礼をいたします 。 こ の ときは休浴をするのです 。 その中でカモシカの毛皮と 三 重のベルトを水の中にぬいで、 そ のまま出てきます 。 こ の サ マ

l

ヴァルタナという儀礼は、まさしく誕生の儀礼でありまし て、その少年は、ここで一人前の人間としてもう一度生まれ直すと考えられております 。 ですから、バラモンのことを ﹁ ドヴィジヤ ﹂ │ │ │これは 二 度生まれるものという意味です ー ! と呼びます 。 一 回は母親の体から生まれ、もう 一 回は、この儀礼によって生まれる 。 それで、バラモンのことを ﹁ ドヴィジヤ ﹂ と申します 。 鳥もドヴィジャと呼ばれます 。 こ 一 回は卵として生まれ、もう 一 回は卵から鳥として生まれますので、二度生まれる ものというので鳥のこともドヴィジャと呼ばれます 。 れ は 、

(45)

ところで、何歳のときにこの儀礼を行うかというのは決められているわけです 。 七年目にバラモンの少年にウパナヤナを執行すべきである 。 その少年のブラフマンの威 力を望む者は、五年目にウパナヤナを執行すべきである 。 しかし、その少年の長寿を望む 者は、九年目にウパナヤナを執行すべきである 。 十 一 年目にクシャトリヤの少年に、十二 年目にヴァイシヤの少年にウパナヤナを執行すべきである 。 十六年を超えた少年にウパナ ヤナを執行してはならない 。 なぜならば、彼は皐丸を失うので、ヴリシャラとなってしま うからであるといわれているからである 。 ﹃ ジ ャ イ ミ 二 l ヤ・グリヒヤス!トラ ﹄ ll L

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4

6 環境としての自然 その当時の人は、十六年を超えますと、もう男性としての機能を失ってしまうと考えて いたわけです。その男性の機能を失ってしまった人々をヴリシャラと呼んだわけです 。 十 六歳を超えてしまってヴィリシャラとなってしまった人々は、もう 一 度復帰することが可 能なのです 。 そ れ は 、 一 つ の 儀礼を行う必要がある 。 それは、ヴラ

l

ティヤ・ス卜

l

マ と いう祭杷を行いますと、彼は、もう 一 度もとに戻りまして、さ っ きのウパナヤナを受ける

(46)

資格を得ます 。 ということは、ヴリシャラと呼ばれる人は、まだ男性機能を失ったという 意味合いだけであって、儀礼の上でもう一度正当な男性に戻ることができることを意味し ていることにほかならないわけです 。 リ語でございまして、 そこで、釈尊は、先の文献でヴァサラカと呼ばれた 。 こ の サンスクリット語では﹁ヴリシャラ ﹂ ﹁ヴァサラ﹂というのはパ

l

です 。 ヴリシャラというの は、今お話ししましたように、十六歳を超えてしまって、男性機能を失ってしまった少年 の こ と 。 それと同じ 言 葉 が パ

l

リ語ではヴァサラでして、さっき申しましたお釈迦さんが ヴァサラカと呼ばれたのです 。 それは、ヴァサラよりもさらに悪いという意味だというこ とを説明いたしました 。 つまり、ヴリシャラよりもさらに悪いということなのですが、 それはどういう意味なの かと申しますと、﹁復帰が不可能 ﹂ という意味です 。 もうバラモンの社会に復帰すること は不可能なほど邪悪であるという意味であるわけです 。 ですから、バラモンの祭杷には一 切復帰できない人ということです 。 どういう人たちが復帰できないかと申しますと、さっき申しました 。 シャモンと呼ばれ る人々とチャンダ l ラ(腕陀羅)と呼ばれる人々たちが、ヴェーダの祭杷にとって危険な

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人であったと同様に、二度と、ヴェーダの祭杷に復帰することができない人々たちであると いうことができるわけです。 ここで、これをまとめてお話ししてみたいと思います。 一番最初に申し上げたいのは、 ﹃ ヴェーダ聖典﹄を含めまして、最初期の仏教文献の中では、現在、我々がいう﹁環境汚 染﹂という意味の事柄、人聞がみずからの利益のためにつくり出したもの、ないしはその 手段や副産物によって、彼らを取り巻く環境が人間生活にとって不都合な状況をもたらさ れるという意味での環境汚染という問題認識は 一 切存在しないということは、私の調べま した限りでははっきりいえると思います。 バラモンの祭杷と申しますのは、 その自然を克服するメカニズムでありまして、 その自 然を克服して、自分たちの都合のいいようにするメカ ニズムとしての祭杷をバラモンが独 環境としての自然 占していたわけです。そのバラモンは、 その限りにおいて、みずから文明を代表するもの とみなしていましたし、実際、 そのようにみられていたと恩われます。 ただし、このバラモン中心の文明には、 その中に安住するための一つの厳重な規範が あった 。 この規範をダルマと呼びます。そのバラモンたちは、このバラモン中心の文明の 中に生活する以上、当然このダルマの遵守が要求されました 。 したがって、ダルマはパラ

(48)

モンを中心とした人々の生活を規制してきたわけです 。 つ ま り 、 それを記したものが法典 であったわけです 。 バ ラ モンたちは、この法典に規定されたことを守ることによって、 バ ラモン中心の社会の規範を守り、文明を代表することを続けてきたということがいえると 思います 。 ダルマから逸脱したものは文明に浴することができない c 当然、文明の外と申します か、外側に置かれることになります 。 文明の外ということは、どういうことを意味したら いいかと申しますと、未開であり、未開拓の野生ということもできると思います 。 言葉を 変えますと、文明の外に置かれた者は自然であったということでございます 。 先ほどバラモンの定めた規定から逸脱してしまった、十六歳になっても入門式を行わな い人はヴリシャラになってしまうということを申し上げましたけれども、 それはバラモン 的なダルマである、 その規範から逸脱した者にほかならないわけです 。 しかし、それは、 ヴ ラ l ティア・ス卜 l マを実践することによって、バラモン的なダルマに復帰することが 可能であるということをお話ししたわけです 。 この自然には戻るけれども、文明の中にも う 一 度入ることができる、 そういう余地を残したのが先ほど申しましたヴリシャラと呼ば れる人々でありました 。

(49)

これに対しまして、ヴァサラカ、 つまり、ヴリシャラよりも 一 層悪いものといわれた釈 尊たちは、バラモン的なダルマには決して参入できない人々という意味であったというこ とであります 。 したがいまして、そういう人々は、チャンダ

i

ラと同等の価値をもっ者と 考え事りれたということができます 。 ただし、ヴァサラとチャンダ

l

ラとは、必ずしもイ コールではないのです 。 それは、結論をお話ししてしまいました後でお話しするつもりで おります 。 そこで、先ほどもお話ししましたように、文明は自然がこれに歯向かうとき、常にこれ と対決するわけですけれども、自然が文明に対峠する限りにおきましては、自然は文明に とって非常に危険なものであるということもいえると思います 。 今 、 お話ししたことを整理して申し上げますと、バラモン中心の文明の中に生活するた 環境としての自然 めには、バラモン的なダルマを遵守しなければならない 。 ただし、このダルマから逸脱し ましでも、ヴラ

l

ティア・スト

l

マを実行することによって、もう 一 度このダルマに復帰 する道が聞かれているということをお話ししました 。 しかし 、 仏教者たちは、バラモン的 ダルマとは全く無関係と申しますか、バラモン的ダルマに参入することは不可能な人々と いうことであったわけです 。

(50)

それでは、仏教の出家修行者たちの場合はどうだつたのかということを考えてみます と、先ほどお話ししましたように、家庭生活を完全に放棄してしまいます 。 し た が っ て 、 バラモンのいう、バラモン的なダルマの中に生活する人々とは全く異った精神的風土の中 で生活していた人々であったということがいえるわけです 。 この人たちは、当然バラモン 的なダルマから逸脱した人々であったわけです 。 それゆえに、彼はバラモン中心の文明に とっては、常に危険な人々と考えられていた 。 それが、先ほどお話ししました﹃スッタニ パ l タ ﹄ の中で、釈尊が近づいてきたら、来るなといわれたということを物語っていると 思います 。 ところが 、 仏教でもダルマということをいうわけです 。 これはよく ﹁ 法 ﹂ と訳される言 葉ですが、仏教では、 ﹁ 仏法 ﹂ といいますように、仏教ではダルマということを非常に重 用視いたします 。 したがいまして、仏教でいうダルマというのは、当然のことながら、パ ラモン的なダルマとは異った内容をもっているはずです 。 では、仏教では何をもってダルマと呼んだのかということを振り返ってみますと、先ほ どお話ししたことにもかかわることですが、 ﹁ 苦 ﹂ としての人間存在を成立させる理法を ダルマと呼んだのだと思います 。 それを裏返して申し上げますと、苦としての人間存在か

(51)

らいかにして脱却するか、 その脱却を実現させる理法をダルマと呼んだということができ ると思います 。 そのダルマは、仏教の各段階でいろいろな形で説明されました 。 最初期の 仏教では、苦集滅道の四諦でもありましたし、十 二 縁起でもありましたし、縁起でもあり ました 。 あ る い は 、 ﹃ 般若経 ﹄ になりますと、空の理法と申しますか、 ﹁ 空 ﹂ ということで もありますし、また竜樹時代になりますれば空の理法、あるいは諸方実相、唯識思想でい きますと、阿頼耶識縁起という言葉で説明されたり、さらには如来像縁起などと呼ばれる ものもすべて仏教でいうダルマを説明するものであります 。 ごく簡潔に申しますと、苦と しての人間存在を成立させる理法、あるいはそれを裏返せば、苦の存在をいかに脱却させ るか、脱却するかという、 その理法をダルマと呼んだわけでありまして、バラモンのいう ダルマとは意味合いの全く違ったものであったということができると思います 。 環境としての自然 そ れ は 、 ひ と え に 、 いかにして苦としての人間存在を超克するかを目指すものです 。 言 葉をかえて申しますと、仏教における自然というのは、苦としての人間存在を意味してい ると思います 。 仏 教 は 、 それをいかにして克服するかを教えるものです 。 しかも大切なと こ ろ は 、 それを克服するための方法であろうと思います 。 その方法は、自然、 つまり、苦 としての人間存在そのものを否定するのではなくて、我々の心身を、我々の心を悟りに向

(52)

けて開拓すること 。 つまり、苦としての人間そのものを否定するのではなくて、我々の心 身を、我々の心を悟りに向けて開拓することによって、 ろうと思います 。 ですから、仏教の自然観というのは、苦としての人間存在そのものを否 それが実現できると考えたのであ 定するのではなくて、むしろ我々の心を開拓するのだ、開拓することによって自然との調 和を保とうとしたということができると思います 。 最も端的にあらわれているのは、 四諦の中の道諦だと思います 。 道諦のいっていること は、まさしく我々の心身をいかに悟りに向けて開拓していくか 。 これは事実上﹁八正道﹂ で す 。 これは、我々の身体そのものをいっているわけですけれども、 それを悟りに向かっ その悟りに向かって我々の心を開拓することによって、自然をい かに否定し、自然と調和する道を開こうとしたかというところが最も端的にみえるのは、 て開拓するか 。 つ ま 品 わ ノ 、 四諦の中の道諦ではなかろうかと考えております 。 先ほどチャンダ

l

ラのことについて触れましたので、それを結論的にお話しして終わり たいと思っています 。 実は、仏教の文献の中にも ﹁ チャンダ

l

ラ ﹂ という言葉はたくさん 出てまいります 。 だから、仏教の文献はチャンダ

l

ラの存在を認めているわけです 。 そ う いう意味では、仏教は、差別の存在というのを知っておりましたし、差別の存在のある中

(53)

で出てきた 一 つの宗教であることは間違いありません 。 けれども、仏教の文献の記してい るチャンダ!ラというのは、生活、服装が、仏教の出家修行者と全くそっくりなのです。 チャンダ

l

ラは、出家修行者が住みましたように、木の下ですとか墓地ですとかジヤング ルの中にしか住めませんでした 。 しかも、彼らの身にまとっているものは、仏教でいうカ シ ャ

l

ヤに相当するのと全く同じ 。 死体が身にまとっていたもの 、 人が捨てたものを身に まとっていたわけです 。 ただ、違うのは、チャンタ

l

ラたちは、仏教の文献の記すところによりますと、うこん 色のターバンをしていた 。 それから、職業があるのです 。 仏教の出家修行者たちは職業を もつことはできません 。 チャンダ l ラたちはどういう職業をもっていたかといいますと、 大道芸、しかもそれは、多分アクロバットであったと思います 。 いわゆる曲芸のような大 環境としての自然 道芸を職業としていたとか、死体を運搬したり、死体を処理する職業をもっておりまし た 。 そういった職業をもっていたということと、彼らは家庭生活を営んでいたという点、 この辺は異っておりましたけれども、服装といい、住んでいる場所といい、チャンダ!ラ と出家修行者を区別することはほとんど不可能なぐらいよく似ております 。 しかも仏教の文献の中にこういうことが記されております 。 これは、舎利弗の述べた言

(54)

葉だと思いますが、 ﹁ 我々出家修行者たちが村に托鉢に入るとき、我々はチャンダ

l

ラ の 青年やチャンダ

l

ラの女性と全く等しい心をもっ ﹂ ということを述べているわけです 。 で すから、気持ちの上でチャンダ!ラと全く同じ気持ちを抱いて村の中で托鉢するのだとい うことを、たった 一 回だけですが、仏教の文献の中に記しております 。 ですから、仏教の 出家修行者たちは、自分たちもチャンダ

l

ラと等しい人間であったということを意識して いたということがいえるのではないかと思っております 。 そ う い う 意 味 で 、 日蓮がみずからを﹁栴陀羅の子 ﹂ といったということもそうですし、 法 然 上 人 だ っ て 、 その当時としては身分が低いとされたであろう遊女に法を説いた 。 そ れ か ら 、 一 遍 聖 人 な ど も 、 そういう人々の中に入って布教いたしました 。 そういう伝統とい うのは、法然上人の時代にも、鎌倉時代の仏教の中にも残っていたと確信しているわけで す 。 仏教の出家修行者たちは、バラモンの人からいいますと、自然の中に生き、自然の中で 修行をした人たちですが、仏教の出家修行者たちの内部からみますと、彼らにとっての自 然というのは、むしろ我々の苦としての存在、言い方を変えますと、悟りに向かって未開 拓の心を自然と考え、 それをいかに克服し、 その中で調和していくかという方法を見出そ

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