Sapporo Otani University & Junior College of Sapporo Otani University SapPoro Otanl Unlverslty & Junlor College of SapPoro Otanl Unlverslty
81
無 量
壽
經
本
願
の一
考 察
柴
田泰
1
淨
土 教 思 想の 根 幹は,
彌 陀 如 來の本 願と し て 示 さ れ る念佛
に よ る衆 生の淨 土 往 生と 云 う事が出 來 よ う。 今同 は彌
陀如來
の本 願を詭
く事
を 主要と して形 成さ れ,今
H
に 於い て最 も大 き な 比 重を占め る無 量 壽 經を取
上げ,
その 中で も 中 心となる本 願 文に つ い て考えて み る こ とに し たい 。初め に無 量 壽經諸 本につ い て の概 要を述べ る必 要があろ う。 無 量 壽 緯の支 那譯は古
來
よ り 五存ヒ 缺十二 譯と言はれ, 十
二の 譯 出がなされ,
その うち五 本が 現 存 し七本が失な わ れて 傅わつ てい な い,
と言われてい る。 1)今
そ の 十二 譯を示 すと次の如 くで ある。1.
無 量 壽 經二 巻後 漢 桓 霊 帝の時
安
息
國 沙 門安 世高
譯建
和二年 (AD
.
148
年 )よ り建 寧三年 (AD .170
年} の 間 の 譯 七缺の 第一
2.
無 量 清淨
平 等覺 經後 漢
月支 國 沙 門 支 婁 迦
讖
譯147 年
よりユ86
年の聞に譯 す 五有の第一
(以 後 平 等 覺經 と略稱)3.
佛 論 阿 彌 陀F
耶三佛薩櫻佛櫓
過 度 人 道 經 呉月 支 國 優 婆 寒 支 謙 譯
黄 武
年
中 (223年一228
年 )に譯 す
五
存
の 第二 (大阿 經 と略 稱 ) 4.
無量 壽經二 巻曹
魏洛
陽 白 馬 寺に於い て印 度沙門
康 僣 鎧譯嘉
平四年
壬 申 (252
年 )五 存の第三 (大 經 と略 稱 )5 .
無 量 清 淨 平 等 覺 經二巻曹
魏
洛 陽 白 馬
寺
に於
い て西域 沙 門 白 延 譯甘
露
三年
戊 寅 (258年
)七歓の 第二6
.
無量壽 經二巻西 晋
沙 門竺法 護 譯
永 嘉二 年 戊 辰
(
308年
)七 缺の 第三7.無
量 壽 至眞 等正覺 經一
巻東
晋西 域
沙門
竺法力
譯元 熈 元 年 己 未 (419 年 )七 缺の
第
四8.
新 無量 壽經二巻東 晋
道 場 寺に於い て沙 門覺
賢
譯永 初二年 辛 酉 (42ユ年 )七 缺の 第五
9.
新 無 量 壽 經二巻東 晋
道場
寺
に於い て涼州沙門
賓 雲譯永 初二 年 辛酉
七歓の 第六
10
.
新 無量 壽經二 巻劉宋
沙 門 曇 摩 蜜 多 譯 宋元嘉元年 (424 年)よ り元嘉
1
.
’
八年 (441
年 )に 至る間の 譯 七 缺 の 第七 11.
大 寶積
經 無量壽 如 來 會 第五 之一
二 二 巻唐
南 印 度 菩 提 流 支 譯
706
年〜713
年五存の 第四 (如 來 會 と略 稽 ) ユ
2.
大乗 無 量 莊 嚴 經三 巻一
趙
宋
西 天沙 門 法 賢 譯
982
年〜1001
年五存の 第五 (
莊
嚴經 と略 稱)此 等の うち第
一・
の 安 阯高譯は 譯 出者の 博記か ら考えて も その 出 典 目録 か らも實 際に ぽ 存 在1、
なか つ た とされて お り,
第 十一
譯の 如來 會,
第 十二譯の莊 嚴 經の みが成立年
代が 明 らかに 認め ら れて い82
泰 るが,
第二譯か ら第 十 譯ま で は實 際に譯 出された の か どうか,
或い は現 存せ る譯 本が缺 本に 當る も の で は ない だ ろ うか…
等々 , 成 立年代 ・
譯 出 者に關
し て種 々 の見 解が述べ られ 定 説は 無い。 2) 此れ はその資
料とな る開元録・
歴 代三寶紀 ・
出三藏 記集
等の經録 の信 憑性に も依るわ けで ある が , 今囘 は その 譯 出 者,
成立年 代に對 する問 題は論 究せず,
現 存せ る 五譯のみ を對 象と して各 本の本 願 思 想 につ い て考え て み たい 。 尚無
景 壽 經に は梵
本,藏
本も存在
し てい る。扱
て今日迄に考 え られてい る無 量 壽 經の現 存せ る諸 本の成 立 過 程につ い て は お S よそ三系 統の 見 解に分
けられ る。 〔1 〕 大阿 經→ 平 等 覺經→莊
嚴 經→如 來
會・
大 經。 〔2
〕大阿經→ 平等
覺經一
→大 經・
如 來 會→ 荘 嚴 經 。 〔3
〕 荘 嚴經の みを異 系統
と し他は 〔1
〕 〔2
〕とする。 尚梵
本 藏 本に 關して も四 十八願 群の 前と後の 二 論がある。 木 村 泰 賢・
望 月 信 亨・
薗田香 勲・森
二郎 氏は 〔1
〕 諡を,
鈴 木 宗 忠・
池 本 重 臣 氏は 〔2 〕 説,
南 條 文雄・荻
原 雲 來 氏並 びに 宗 學 者の 諸 師は 〔3
〕説とする 見方 が多い様で ある。 3)2
以上略 逑した無量壽經に は 夫々彌 陀 如 來の 因位に 於 ける誓願が ある。 平 等 覺經
・
大阿 經は 二 十四 願・
大 經・
如 來 會は 四十八願・
莊 嚴 經三十六願・
梵 本 四 十六願・
藏 本四十 九 願と し て 示 さ れ るっ 夫 7r の 願 文に つ い ての 名 稱は今 日最 も流 布 してい る大 經に關
して は 淨 影 寺 慧 遠 を 初め として中 國・
朝鮮 ・
日本へ と展 開されるその時々 の宗 學 者に よりその註 釋 書に種々 の名 稱を用い てい るが, 4) 他 譯 に關し ての 註 釋書
は少
な く各
願 文の 名 稱も定
まつ てい る わ けでは ない。從
つ て大 經に於 ける名 稱を 基 準とし て他 譯の各 願 文を相 應させ る事
に よ り各 本の特 色を考え て行こ う と思 う。各經 願
文
の 基礎
的な檢討
を行つ た後
に5)その 對照表を 大 經 四十八 願を基準
と し て擧 く・
る と株、
の 如 くで ある。 (1) 無三悪 趣願 (2) 不更 悪 趣願 (3) 悉皆 金色 願 (4) 無 有好 醜 願 (5) 宿 命 智通 願 (6
) 天 限智通願 (7
) 天 耳智通 願 (8) 他心智通 願 (9
) 神足智 通 願 (エ0) 漏 盡 智 通 願 (1D 住 正 定 聚 願 〔12) 光 明 無 量 願 (13) 壽 命無 量願 (14) 聲聞 無 數願 (15) 眷 属 長 壽 願 (16
) 無諸不 善 願 (17) 諸 佛 稱 揚 願 (18) 念 佛 往生 願 (19) 來 迎 引接願 (20) 殖 諸 徳 本 願 (21) 三十二 相 願雛
− 23456978mu堕
篝
纛
騰
折
無量 毒經諸本 本 願 比 較 對照表 大阿 大 經 莊嚴 梵藏 經 如 來會 1815
前 9 2217
17 10 17 1弖 24前 19 20 21 4前 4後 7 515 後 12345678910n12131415161718192021 經 1前 2後 475〆
0327 1112 本 1234678951011131512141617 19後 1318
14 19前 15前 (20) (22) 必至補 處 願 (23
) 供 養 諸 佛 願 (24) 供 具如 意願 (25) 読一
切智願 (26) 那 羅 延身願 (27) 所 須嚴淨願 (28
) 見 道 場 樹 願 (29) 得辯才 智 願 (30) 智辯無窮願 (3D
國土清淨 願 (32 ) 寶香 合 成願 (33) 觸光 柔顧 願 (34) 聞 名得 忍願 (35) 女 人 往 生願 (36) 常 修 梵 行願 (37) 人 天 致 敬 願 (38
) 衣 服隨念 願 (39) 受樂無染願 (40) 見 諸佛土 願 (41) 諸 根具 足願 (42) 住 定 供佛願 平 等 盤 2022 前 22後24
大 阿 大 經 莊 嚴 經 如來會 経 13前 13後16
13彳蹇24
寉麦 (2中 ) 後 17158
ム
ほ ー」
霞2
2
) 32 ( 匚 ノ 4も
6 222 ) 72 (一
29 の 31一
後 34 3 2 (n
∠ 222324252627282930313233343536373839404142 梵 藏 本 21 22 23 24 26 2728
29 (30) 124r フ6
3「
3333 (37 )89012
!
Q334
・
4▲
4+
44Sapporo Otani University & Junior College of Sapporo Otani University SapPoro Otanl Unlverslty & Junlor College of SapPoro Otanl Unlverslty
翊
(43) 生 尊貴家 願 (44
) 具足 徳 本 願 (45) 住定見 佛 願 (46) 隨 念 聞 法 願 (47) 得不 退轉 願 (48
) 得三法忍願 (49) 飲 食自然願 (50) 無有女 人願 (51) 轉女 成 男願 (52
) 悉 皆 化 生 願 (53
) 資具自然願 (54) 諸 行 往 生願 (55) 敬 愛無…嫉願23
14
34ム
「
フ67
〔 6 4へ
4亠
44己
4亠
4」
2
前 2 中 (35
)2
後 36
正2
無 量壽經本 願の一
考 察 323336
27
4凸
匚
フ378Q
〆
4亠
4占
4ら
4亠
4‘
4亠
※以 下に記 される ( )の番号は本表の願 名 を 示 す.
(56) 読經 殊勝願 (57) 眷 属 光 明願 (58) 善 根 周偏 願 (59
) 二乘 佛事願 (60) 佛 カロ教 イ匕願 (61
) 往 他供佛願 (62
) 不往 供 佛 願 (63
) 佛 加 供 佛 願 (64
) 二乘成佛 願 (65) 作服 往 生 願 (66) 隨 意 修 習 願 (67) 華雨樂 雲 願 此の樣に 配 列 し た場 合,
お 玉 よ その 見 當と して 次の様な事
が 判明する。 8312 (22後 ) 10891619202128303525
33先 ず 大 經と如 來 會は思 想の
深
淺は別 とし て配 列順序
が全 く同一
である事が判 明 する。 同樣に 梵本 と藏 本とは梵 本に 三十二相 願・智
辯無 窮 願・常
修梵
行 願 が缺 け てい る丈
で 他はすべ て 同配 列であ る。 また大 經・
如 來 會 と 梵 藏 本 は 内 容 的に類 似と云う點で 二 三の移 動を認め た場 合に は,
(5
)〜
(10 )は六神
通で あるか ら一
群と考 え,
(12
)〜
(15
)は如 來 ・ 眷 騰 並びに 光 壽の 點で , (42 )・
(45)は 住 定の點で配 列の順逆は認め られ る か ら,
問 題は 梵 藏 本 第二十五願・
第三十三願 の 二願と(18
)〜 (20
)の 二 點 に しぼ られる。 特に生 因 願と して念 佛往
生 願・來
迎引接
願・殖
諸徳
本願 の 四 十 八願 群 に於
け る支 那 譯 と梵 藏 本の 相 違は留 意 すべ き點で ある。 此 の點 に關し て泉
芳 環氏 は CC 大 經よ り判 斷 して現存梵
本 第 十九願は梵 文寫
筆 者の 二回の脱 漏と一
回の誤 寫に よ る” と解 釋さ れてい る。 そ の 反 論 として西 尾 京 雄 氏は 支 那 譯 諸 本及 び悲華
經 等の關 係經 典を對 照とし て現 存 梵 本はその ま まの 形が 正 しい,
とされてい る。泉
氏は 夏に そ れに答
えて大經を標 準とし た 自己の解 釋 を主張 さ れてい る。 比較 的 新 しい もの で は池本 重 臣 氏は梵 本の形 態を最 新 と規
定 し た上で 大 経 第 十八・
二十 願を梵 本 第 十 九 願は 包 攝 した形態
と解
釋さ れてい る。 6)大 經 ・ 如 來 會 と 梵 戯 本 とは此の檬な難 點を殘 すとは 嵩 つ て も他の各 願文
は一
致 し てい る と考
え ら れ る か ら,
同一
系
統の經 典 と規 定 して間 違い は無い。 但 しい ず れが形 態 的に先んずるか は願 文の み で判 斷 する事は 出来
ない。此の樣に大 經
・
如 來 愈・
梵
藏 本は一
應四十八 願群と看
做 す 事は可 能である が,
そ れで は 二 十 四 願を 読 く大阿經・
平等 覺 經につ い て は どの樣 な事が 判明するで あろ うか。 両 經の 願の 名 稱 を一
見して大 經 との 關 連性 が よ り強
い と気 付 くの は平 等 覺 經である。その 配 列は ほ x’
大經 と 同 じで あり,
四f
’
八願 中の前 半に當る第二十五 願迄に収
め られて い る。 然るに大 經に於い て は獨 立 し てい る願文
が 平等
覺 經で は併 合 願と し て 三願 示さ れ,
本 經 獨 自の願文
が第
二十三飲食
自然 願の み で ある事 を 考 えてイ,大 經・
如 來 會の 未 發 達の 形態
である事は明瞭
で ある。 同 じ二十四願を説い て も大 阿 經は四十八 願 群 と 異な る所は大 きい し獨 自の 願文
も多く,僅
か に飲 食 自然 願 並びに併 合 願の内 容に於い て平 等 覺經 と の 相似 性が認め られ る。莊
嚴 經に つ い て は,
別に發 表 し た如 く,
四十八願 群との 關連
性 はみ ら れ る が二十 四 願 群との關 連 性 は薄
く・
平 等 覺 經二十四願が莊 嚴 經 第 十八願 迄に しか収め ら れてい ない 黜か ら,
四 十八願群の後
の 形 態 と考え ら れる。 T)以上 の 全 體 的 見地か らの 推 論と し て概 略で は あるが夫々 に 關
連
性が見 られ る事に より同一
系統
の 經典と看 做し,
先 ず 大 阿 經が最 も古い 形 態であ り,
次い で 平等 覺 經,
更に 飛 躍 的 に 展開 さ れて大 經・
如 來 會・
梵 蔵 本が形
成さ れ,莊
嚴經 が最
も新
しい 形 態とし て形 成された と考え ら れ る。83
3
そ れで は各 經 典の 本 願 思 想の 特 色は何で あり
,
どの 様な展 開を 示 し てい るの かを各 願 文につ い て 檢 討を進め て い く。 此の黜に關
し て は 各經 獨 自の願 文は比較
の對 照 を他に待
つ べ き 外の何 もの もな い か ら,
先 ず 各 經 共 通の願 文につ い て取り上 げよ う。先 ず 願 文に於 ける法 藏 菩 薩の誓い と願い を 示 す 冒 頭 と最
終
部の表現
は 「使某作
佛 時…
不得 是 願 終 不作 佛」(大 阿 經 ) 「我作
佛時
…
我不作 佛」(平等
覺經)「設 我得
佛…
不取 正 覺」(大 經 )「若
我成 佛…
不取 正 覺 或い は不取菩
提 」(
如來
會 )[世 尊
我得菩
提 成正覺巳…
悉 皆令
得 阿 耨 多 羅三藐
三菩
提 」 (殖
i
嚴經 )ctSacell
me
bhagavan
bodhipr2ptasya
…
ma tavad aham anuttararh sathyaksarbbodhim abhisalhbhudhyeyam ” (梵 本 )と莊嚴
經の 最 終部
が衆 生の 成 佛を論い てい る外,
他はすべ て法 藏 菩 薩の誓 願と し て 示 さ れ る。誓 願の 對
象
に よ り淨
影寺
慧 遠は 大経四 十 八願を 攝法
身願・
攝淨
土願・
攝 衆 生 願に分 類し て い る が S) 此の點 を 考 慮に入 れて考え る と,
先 ず (1
)〜
(4
)の各 願 文を見るに大 阿 經は第
一 ・
八・
十五前 半・
九 願 と全 く離 れて示 されてお り,
(1
) (2
) 共 「泥 犁 禽 獣薜i茘
」の語
を用い ,(2
)〜 (4
)は 「我 國 中 諸菩
薩」 を誓 願の對 象と して説い てい る。 平 等 覺經 は 四十八願 群 と同列である が,
(1
) (2
)「地 獄 禽 獣 餓 鬼 娟 飛 蠕 動 之 類」の 詒 を用い,
(2
)〜
(4
)「我 國 中 人 民」を 誓 願の對 象と し, 大 經・如
來倉
は明確に 「地 獄 餓 鬼 畜 生 (趣 )1
「三悪 道」 の語 を 用い,
「國 中 人 天 (衆 生)
」を 對象
と し て い る。 六神
通に 關し て は大阿經は第
十・一
トー ・
十七・
二十二 願と分離
さ れ, 特に 第 十七願は如 來を 對象
と し,他
は 「我 國 中諸菩 薩 阿羅 漢」 を對 象とし て説か
れるが,
平 等覺
經では 六願共 tt淨
土に來 生 する人 民”
に統
一
さ れ,
四十八 願群も 同 様 で あ る。 (11
)は大阿經に見ら れず,
平 等 覺 經に於い て 初め て 「住二止盡 般 泥湛 .
」と述べ られ,
大 經に至つ て 」住二定聚_
必 至二滅
度司 と展 開 されてい る。 此の (正)定 聚を淨 影 寺 慧 遠の 「三賢 と十 聖」の 階 位とするな ら,
如 來 會 は 「決 定成=等正覺一
證 ・大 浬槃_
」と高
め られ,
莊嚴
経で は 「住二正 信 位_
離二顛 倒 想_
」 と階 位を間はないく
t 正定 聚
” の表現
を 用い てい る。 (12 ) (13 )は 如 來の 光 壽 無 量の特 相を明かす 願 文で ある が,
大 阿 經で は第 十 九・
二 十 四 (前 半 )願と離 れ,
更に第二十四後 半に光 明の勝 相 を 説 く。 平 等 覺 經に な ると第 十三・
十四願と績
き,
両 經とも 「諸 天 人 民蠕
動 之 類」 に よ る如 來の特 相 を表 現 するが, (尚,両 經 共 成 就 文で は如來
の 入滅
を詮
く) 大経如來
會は攝 法 身 願 と して如來
自身
を對象
と し,
その表現
は簡 潔であり,
如 來の入滅
は説
か れ てい ない 。莊
嚴經は衆
生の光
壽無
量の特 相と して説か れる。 (14
) (15
)の眷 麟に關し て は眷 矚 長 壽 願で平 等 覺 經・
大 經・
如 來 會に「除二其 本 願 修 短 自在
_
」 (大 經 )の點で共通
點 が見 られ る。 無 諸不善 願は 大 阿 經 無 く,
平 等 覺 經・
大 經・
如 來 會 共 短か い表 現で ある が沿i
嚴
經は その表 現が 複雜
である。扨て
,
諸佛 稱 揚・念
佛 往 生・
來迎 引 接・
殖 諸 徳 本 願の 四願に つ いて で ある が,
此 の 四願は本 願文
の中で も生 因 願とし てその占め る比 重は 最 も大 き く,
また念佛往 生 願を中心 とし て 今 日 に至 る迄の淨
土 教 思想史
は此の 生 因 願に 解 釋が しぼ られて展 開された と考えて も過 言で は無い 位 種々 の 見 解が な されて い る個 所である が,今
は無量 壽經 諸本の み を 問題と して考え る。 此 の點に關して古くは荻 原 雲 來 氏,
近 年で は 池 本重臣 氏・
薗田香 勲 氏の 著 書が あ る故「
J)そ れ ら を參 考に 私 見を逑べ よ うと思 う。 先ず
二十四 願 經 につ い て見れば 両 經 共,
諸 佛 稱 揚・
念 佛 往 生 願ej
一
願として 示されて い る。 大 阿 經では 第 四 願 「令三我名 字 皆 聞二…
佛 國_
皆 令三諸 佛…
説二我 功 徳 國土之 善_
諸 天 人 民 娟 飛蠕動 之類 聞二我名字_
莫下不二慈心歓 喜 踊 躍_
者上皆 令 來二生 我 國記 平 等 覺 經は 第 十七願 「令三我 名 聞ニ…
佛 國_
諸 佛…
歎二我 功 徳國 土之 善_
諸 天 人民 蠕 動之 類聞二 我 名字_
皆悉 踊 躍來二生我國_
」 と同じ内 容 表 現であ る。 更に 両 經共 此 の願文
と成就
文は存在
しない。 此處で注意
を引
く事
は こ諸
佛の稱揚
する如
來の 名Sapporo Otani University & Junior College of Sapporo Otani University SapPoro Otanl Unlverslty & Junlor College of SapPoro Otanl Unlverslty
無 量 壽經 本 願の
一
考 察85
の 字を聞い て踊 躍し來 生 する と言 う 「聞 名」の 語を 示す 事である。 聞 名往
生の 思 想は四十八願 經に は 多 く示 さ れ る思想
であるが, 明確では ない に して もその萠 芽が初め て示 される個 所で あり, と同時 に四十八願 經に表わ さ れ る念
佛往
生思想は 全 く 汲み取る事は出 來 ない 。 大 阿 經で は 引 續 き第五願 (t 天人 民及娟
飛 蠕 動 之 類で 若し前 世で悪を作 す 者”
第六願 Ct若善男
子善
女 人で在
俗の 者” 第七 願 Ct 沙 門 と作れる者” の 往 生 即ち 三輩 往 生の 思想
を 示す が, 平 等 覺 經で は 第 十八願 (C 菩 薩 道 を1
乍す者
”第
十 九 願 t{
前 世に悪を爲 す者
” の往
生 と,
二種の機
類の往
生を読い て い る。 そし て両 經と も下輩
の 願 文に 「聞 我 名字
」の 語 が示 さ れ る。 尚,
此 等 願 文の成 就 文は三輩 往 生 として 明確に 非常
な長 文で 読かれてい る。 以上 び)諸 點に よ り二十 四 願 經に於い て は生 因 願とし て重要
なの は大 阿 經 第五 ” 六・
七願,
平 等 覺 經 第 十八・
十 九 願なの で あり,
(18
)に相
當 する願 文には生 囚の 色彩
が 殆ん ど示 さ れて い ない事が判 明し よう。 此 れが四一
卜八願 經にな る と諸佛
稱揚 ・念佛
往 生 願は各
々獨立 した願 文 を 形 成 する。大 經で は聞 名の 語は見 え ず「至 心信 樂 欲レ
生二我國_
乃 至十念
」と 言 う念 佛往
生を説 き,如來
會は 「聞
二我名_
巳所有善根
心 心廻 向 願 V 生二我 國一
乃 至 十 念 」 と聞 名を示 しつ X念佛
を説
い て い る。 両 經に は 二十四願に は 詭かれな かつ た両 願 文の 成就文
が示 さ れて い る が,
い ず れ も併 合 願 的 色 彩を 帶びた文脈
を示 し て お り,
願 文と成就
文と は その 展開に 於い て多 少の違いがある事が判 明 する。 箆 十 九・
二十 願は両 經 共 平 等覺
經の 色彩
を その まX 受けて い る が,
明 確 な二 輩の差 別は平 等覺
經程感
じ られ ない。 然るに両願文
の 成 就 文は二 卜四 願 經 と同じく三輩 往 生の 思 想が読か れ,特
に大經に は 「上輩
」「中輩
」「下輩
」の 語があ り,
如 來會 ・梵 (
藏 ) 本は衆
生に約
して詭かれてい る。 以 上の如 く生 因 願に關
して は大 阿經で は第
五・
六・
七願で その内 容は 三種の機 類の夫々 の修
行に よ る往 生て あり, 平等 覺 經では第
十九・
二十 願 と二種の機 類の往 生となり, 大 經・
如 來會
に 於い て 新た に第1
’
八願 が生因願
とし て の様 相を強
く表わ し,第
十九・
二十 願に於
い て も諸 行 往 生を誂 くと言つ て し二 十 四 願 經に見 られるが如 き 明確な機
類の 差 別は薄
れて來
てい る事
が知ら れ よ う。三十:二相 願に つ い て ぽ大 阿 經の み悉
皆
金 色願 との桝 合 願で あり,
他 譯は差 異は 無い 。 必 至補
靂 願 は 住 正定 聚 願 と同様に大 阿 經に み られ ず,
平 等覺
經で は 「不三一
生 ; 等”ンテ置
晝是ノ 餘 願功徳
ヱ)
(淨 土 宗 全 書一
巻63
頁 )こ一
生等
な らず,
是の餘 願の功 徳を置 く. (浄 土 教 之 研 究148
頁 )と訓 讀が異な り,
「一
生 等 」の語
が 大 經・如
來 會に示す 「一
生 補 處」で ある の か ど うか 明 確さを 缺い て い る。 こ 菩 薩の 中で 衆 生の 爲に教
化 する者を除 く. と言 う文章
は 四一
卜八願 經に於
い て初め て示 さ れ,
本 願 思 想の 單 に如 來の みで ない 他の 諸 菩 薩に も認め る多樣 性が窮はれる。 (23
)〜
(25
)は併 合 願と獨 自の願,
表 現 の 違い のみで 大きな差
異 は見
ら れ ない 。以上で各經
典
に共 通せ る願 文の 考 察が終つ た の であるが,
四 十八願 經の後
半 部を占め る願 文に關
し て は 二十四願に は全 く見 られ ない 故, 大 經・
如 來會 ・
梵 (藏 )本に共 通 する特 色を考
え る丈に 留め よ う。 第一
に 前に も逑べ た如
く聞 名思想の強
調で ある。 大 經・
如 來 會共第三十四〜
三十七・
四十一
〜
四十五・
四十 七・
四 十 八 願に示され,
「聞 我 名字
」 (大 經 )「聞 我 名 已 」 (如 來會
)・一
願 ずつ ず れて ミ嘩mama namadheyarh
6rutva
”(
梵 本)
と功
徳莊
嚴の 要因 と し て聞名
を読
い てい る。 次は二十四願維に於い て本 願の對 象とし て全 く表わ れ な かつ た
{
{
他方
國土 の 諸菩薩
”
に 對 しての 願 文が 示 さ れて い る 事で ある。 此 の黒占につ い て池本重 臣氏は配
初 期大 經 の 頃に は未だ菩 薩 思 想が發
達 し てい な かつ た と 考え られ,後期
大 経の 頃に は 多 數の菩 薩を認め る般若
經 典の出 現に よ る大 乘 菩 薩の運 動が白覺 さ れ た後の こ と”
10)と述べ ら れて い る が, 般若 經典
は 大 乘 經典
の 最初
と言 う定 読か ら考
え る と,再考の 餘 地 がある に し て も,
本 願 思 想の 展 開と して誓
願の對 象 が 單一
な もの か ら多様 性 を帶
び て來た事は 明 らかで あ る。此の 部 分は全てが具 體 的 な 淨 土の功 徳 甫i
嚴で あり,思 想 的に は 決し て重 要 な 願 文が台ま れてい るわけで はない 。 本 願 思想の 展開と し て單 純で少 數の 願文か ら複 雑で多 數の 願 文へ と 移 行す る發 展殷階が當 然 そこ には考
え ら れ ようが,
單にそ れ 丈で は な く倫 理 學 的 見 地か ら見
て も衆 生 全てが 自有 する自己の有 限 性 を 認 知 し
,
相 對 的 有 限 的此 土 か ら理想
的淨
土へ と求
めざる を得ない よ う な 衆 生の 願い が淨
土 を 釜々盛
嚴 し展 開させ る と言う人 間の 内的要
因の 必然 的 過 程が強
く推察
さ れる。4
最後
に各
經願 文の 特 色を考え,
併は せ てその成立過程に つ い て 述べ る 。 大阿 經に關
し て は願文
の 配 列は他 譯に 比 して 最 も統一
さ れて お らず,
ま た 併 合 願 等 多 少の類 似 點が見
ら れ る とは言え獨 自の 願 文 も多い。 思 想 的に は住 正 定 聚 願・
必至 補 處願・無
諸不善
願と言 う高
度な願 文が 缺 け て お り,
三 輩 往 生の思 想に代表
される如
く此 土,淨
土 を 閥はず 衆 生の機
根に よ る差 別が見 られ,一
切 平 等の觀念
は認
め られ ない 。 形 態 的に は無 量 壽 經典
中最
も古
い形態
で ある事が判 明 する。 その 點 平等覺
經は第
二 卜三願を 除き,
他は殆んど同 配 列で四 十八願 經に 引 き繼が れ,
僅かに併
合 願に 於い て 大 阿 經と 共 通 性を持つ 。 思 想 的に は念 佛 往 生 願は未だ示 されてい ない が,
三輩往
生と し て で はな く二輩の機 類 を 論 く點で よ り新 しい 思想
へ と移行 し てい る事が判 明 する。 し か し成 就 文は願 文とは相 應 しな く 大 阿 經と 同 じ く三輩
思想
を読い て い る。 四十八願經に於
い ては 願 文の 配 列は 全 く同一
と見て よ く, 思 想 的に は 三輩往
生の 觀念
は薄
れ,
念 佛 往 生 願が明 確に 示 され,一
切衆
生 平 等の 往 生へ と展 開さ れ る。 更に本 願 思 想の 必 然的
發展に よ り願 文 も増 え, 菩 薩の 多樣 性 と 聞 名 思 想が新た に加 え られ,
各 願 文の 内 容 も主旨は 明 快で 高 度である。 四 十 八願 經 中,
大經・
如 來 會に關
し て は大 經が表 現が簡潔
であ り,如來會
は詳 細である違い で願 文か らはその 形 態の 新 舊を知る事
は出來
ない 。但
し成 就 文 と の關 係・
經 典の初め に示 される過 去 佛の遠近・
五悪 段の有無 ・各章節
の移
動 等を考
え る と大 經 が 最 も 二十四願 經に 關連
性が強 く,從
つ て如 來 會・
梵
(藏 )本の方が新しい 形 態と考え る方
が妥 當の 如 く思 わ れる。 莊 嚴 經に 關しては 全 願が攝衆
生願とし て示 さ れ,
生因 願と し て は第
十三・
十 四願の外に四’
.
卜八願 經に 表わ れた 「聞 名」の語が 三十六願 中八願 (第ニー
ト七〜
二 十 九・
三十一〜
三十四・
三十六 願 ) と多 く聞 名 往 生 思 想の色 彩が濃 く,
支 那 譯 經 典で は最 も新 しい 形態
とすべ き如
く思わ れ る。 今 日に至つ た淨
土教史
は無
量壽 經に關 して は大經の み を對 象と して展開
さ れ,
他 譯は偶 々その參考
の 爲に用い られる丈で,
その經 典 その もの の解釋
は少 ない。 今回 は中
國・
朝 鮮・
日本へ と展 開さ れ た淨
土教 史 以 前の立 場で無 量 壽 經の中心をなす 本 願 文を取り上げ.
その 内 容を檢 討し た次 第である。 成 立 過 程に關
し て は 本 願 文の みで 斷 定 出來 得る事で はな く, 經 典 全 体か ら檢 討 し なけ れば な らない事
で もあ り,
ま た他の 經 典 (般 若 思 想の關
連 性を主 張 される諸 氏 もあり) との 影 響に つ い て も考 慮 すべ き 故,
そ れ らに關
し て は 他の機會
に述べ よ うと思うQ (91
)1
) 此の根據は開元縄 教録 巻十 四{
{
此經前後經十一
譯 四本 在 藏 七 本 闕”
(大 正 大 藏 經五十五巻626
頁 )に無 量壽 莊 嚴經が 加え られ る事に依る。2
)諸本の成 立 年 代・
譯出 者につ い て は,
推 尾辨匡・
望 月 信 亨・
境 野 黄 洋・
鈴 木 宗 忠 等 種々論 議は多い。
「淨土三 部經 概説」 (坪 井 俊 映 著 )21〜30
頁に は諸説が紹 介されて いる。 3)「本 願 思 想の開展 とその道徳的,
文 化的,
宗 教的意 義に就て 」木村 泰 賢 (大 乗佛教 概 論470〜490
頁) 「佛教經典 成 立 史論」望 月信 亨200頁e 「無 量壽 級i
諸 異 本の研 究 」 薗田香 勲 「無量 壽經の研 究」森二 郎 (印度 学佛教 学研 究 第4巻 第1号 ) 「淨土佛 教」鈴 木 宗 忠 73一
一
100頁。
「大 無 量壽 經の教 理 史 的 研 究」池本重 臣 「支那五譯 對 照梵文和 譯 佛 説無 量壽徑序」南 條 文 雄 「荻 原 雲來 文 集」230〜
238頁。
「淨三部 經 概読」33〜37
頁。
4)「淨土 教 之研 究」 望 月信 亨 20S頁etは大 經四十八願 名需比較と して, 義寂・
法位・
玄一 ・
環 興・
了慧・
聖 聡・
道 隠の諸師を擧げて お られ るeSapporo Otani University & Junior College of Sapporo Otani University SapPoro Otanl Unlverslty & Junlor College of SapPoro Otanl Unlverslty
無 量讙 脛本願の