The Japanese Association for the Study of Religion and Society
NII-Electronic Library Service The Japanese Assooiation for the Study of Religion and Sooiety
論文
近
代 真 宗
とキ
リ
ス
ト教
一
近
角
常
観
の
布
教 戦
略
一
碧 海 寿 広
*Modern
Shinsha
and
Christianity
:The
Missionary
Strategy
of
Chikazumi
J6kan
OMI
Toshihiro
キー
ワー
ド 近 代 仏 教 / 真 宗 大 谷 派 / 学 生 / 実 践 と信 仰 / 宗 教 空 間 論 文 要 旨近 代 真 宗と は何 か。 その 問い 直しの
作業
を行 う
上 で、
キ リス ト教
か らの流 用、 という
の は有
意義
な視点
である。
本 論で は近 角 常 観(
1870
−
1941
) とい う真 宗 大 谷 派 僧 侶 によ る布 教 戦 略を この観点
か ら詳
細に検 討 し、 近 代 真 宗の研 究に新たな 知 見 を提 示 する。 近角
は、
西洋
に おける宗
教事
情の視察
か ら の帰
国 後、 キ リス ト教 を範とした 宗 教 改 革 を推 進 した。 日曜 講 話、寄宿舎経営、学
生信徒
の 組 織 などの諸 実 践を、
キ リ ス ト教
界の後
を 追う
か たちで展 開 し、
明 治 後 期の都 市 東 京におい て若い 世 代 からの熱 烈 な支持
を獲 得
し た。
だが、
こ の近角
に よ る キ リス ト教 由 来の清 新 な布 教 実 践に おい て 示さ れ た真宗信仰
に は、前時代
か らの連 続 性 も ま た 読み取 れ る。 在 来の真 宗 信 仰 と どう
対 話し、 こ れ を近 代 社 会に再 適 応 させるに は何 をすべ きか。それ が近角
の直
面し た最
大の課
題であ り、
こう
し た 見 識か ら は、
個
人の内面的
な信仰
とその探 求に傾 斜 し過 ぎる従 来の 近 代 真 宗 研 究の再考
が迫ら れ る。
英文
要旨
How
should we consider modernShinsha
?When
tackling
this
question,
it
is
bene
且cialto
adoptthe
perspective
ofShinsha
as an幡
appropriationfrom
Christianity
.
”
Based
onthis
perspective,
this article attempts
to
offer newfindings
in
the
study of modernShinsha
by
exploringthe
missionary strategy of
Chikazumi
JOkan
(1870
−
1941
),
apriest
of theOtani
faction
,
Shinshth
sect.
After
returninghome
from
afact−finding
mission ofthe
religious situationin
the
West ,
Chikazumi
began
a retigious reformation_
in
particular of managerial aspects−
usingChristianity
as a modeLFor
instance
,
there
were regularlectures
onSundays
,
the
construction of ahall
f6r
Buddhists
,
the
management of adormitory
for
studentsin
the
city ofTokyo
,
andthe
organization of studentbelievers
.
This
was alldone
by
foilowing
the missionarypractices
of
Christianity
,
andin
doing
so,
Chikazumi
became
popular among studentsin
Tokyo ,
sim 王lar
to
Christian
leaders
such asUchimura
Kanz60r
Ebina
Danj6 .
At
that
time,
the missionarypractices
ofChikazumi
were seen as veryfresh
and originalin
the
world ofJapanese
Buddhism
.
However
,
when we carefully considerthe
content ofhis
lectures,
orlook
atthe
more earnestbelievers
,
we can see the continuity ofbelief
in
Shinsha
that
has
been
transmitted
from
aformer
age,
When
Chikazumi
began
missionary workin
Tokyo ,
he
thought
deeply
abouthow
he
coulddiscuss
this
traditional
faith
in
Shinsha
withthe
younger generationin
the
city.
His
missionary strategy was createdto
make conventionalua
)国 際 宗 教 研 究所 宗教情 報リ サー
チ セン ター
研究員17
The Japanese Association for the Study of Religion and Society
NII-Electronic Library Service The Japanese Assoolatlon for the Study of Rellglon and Soolety
宗 教と社 会
Religion
andSociety
2011.
06,
Vol.
17
;17−30.
beliefs
in
Shinsha
once again adjustto
modern society.
With
theseinsights
,
we must reexaminethe
tendency
oftoda
ゾs studies of modernShinsha
,
which
place
too
much value onthe
searchfor
internal
beliefs
.
は じめ に
親
鸞
など に代表
さ れ る 日本 中 世の鎌倉 仏教
は、
ル ター
や カル ヴァ ンに始
まる西洋
の プロ テ ス タ ン トに よく似てい るの で はない か。 そ うし た想 念に動 機づ け ら れ な がら両 者 を比 較 考 察 し た論 文と して、 原 勝 郎の 「東
西の宗
教改革」
[
原1911
]
は画 期 的 な作 晶であり、
この 種の 発 想 を学 術 的に論 説 し た 文 章の先 駆 を な す。 日 本の宗 教 伝 統と西 洋のそ れとに共 通 する部 分を 見 出 し両 者の重 な り具 合 を 吟 味 する という
その趣 向
は、 明治30年代
に制度
的な整い を見
せ始め た 比 較 宗 教 学とも呼 応 しあ う、 宗 教 をめ ぐる近 代 的 な知の形 態の一
種で あっ た [鈴 木1979
]。こ
う
し た想
念が素直
に受容
さ れ る た め に は し か し、
宗 教 をめ ぐる学 知の整 備 も さるこ と な が ら、 そ も そ も日本の仏 教と西 洋のキリス ト教 と を 同 列に扱っ て違 和 感の ない 社 会 状 況 が 成 立 し て い ること が不 可欠
で あっ た だ ろう。知
ら れて い る よう
に、幕
末か ら明 治 前 半 期に かけて の仏 教 界のキリス ト教 界に対 する基 本 的 なスタ ン ス は排
耶論
であ り、
キ リ ス ト教
界の側 も日本
の仏教
を対等
な宗
教と し て評価
するこ とに積極
的で はなか っ た。 そう
し た状 況下 で は、 両者
の宗
教 伝 統に同 質 性 を求 める言 論へ の信 憑 性 は 薄 かっ た だろう
。 だ が、
こ の様
な 両者
の「
対立」
の ムー
ド に は明 治 後 半 期になると多 少の緩 和が見 られ る ようにな り、 双 方の関 係 者に よ る 「対 話 」 が 随所
で観察
可能
と なる[
Thelle
1987]。
その
「
対話」
の好
例 と し て た とえば、
1899
年 (
明 治32
)
に発 足 し た「
新
仏 教徒
同 志 会」
がある。 浄 土真宗
本 願寺
派の普 通 教校有
志が結 成 し、
プ ロ テス タ ン ト勢か らの影響
を受
けて禁
酒 運動
を 展 開し た 「反 省 会 」で培わ れ た人 脈を ひ とつ の 大 き な源泉
と し て成立 し た グルー
プ だ が、在
俗 主義、
反儀礼
主義、
既 成 教 団へ の対
抗 意 識な ど を 顕 示 し た た め、
プロ テス タ ン ト的 な 性 格 が 濃厚
に感
じ取
れ る集
団であっ た。 また プロ テスタ ン ト の一
派
であるユ ニ テ リ アンに属す
る入々 と の 交 流が密
で、
は じめ 「仏 教 清 徒 同 志会」
という看
板を掲 げて 出 発し た こ と か ら し ても、
メ ン バー
が宗
教改革
を成
し遂 げ
た西洋
キ リス ト教
の伝 統
に大
い な る共感
の 念 を抱い てい た こ とは明確
であっ た [吉 田1959
:325
−
397
,
森1972
]。 こ の新 仏 教 徒 た ち によ る改 革 運 動は、 在 俗主 義の徹 底と既存
の宗 門 仏 教か らの離脱
を 目指
し てい た わけだが、 そう
し た宗派性
の脱色
に より外
来宗
教 との 「対 話 」 を 試みた 動 きが あっ た一
方で、 同 時 代に は、 あ くまで も特 定の 宗 門に片 足 を置 きつ つ キ リス ト教 界との「
対 話」
を強力
に推
進し た仏 教 運動
も存在
した。 本 論で はその 代 表 的 な事 例として、
近 角 常 観 (1870−1941
)の 布 教 戦 略につ い て仔 細に検 討 してみたい。近 角は、 明 治 後 期 か ら 昭和 戦
前
期に活 躍 した真宗大谷派
の改革
的僧侶
であり、
滋賀県
西源寺
の住 職 を務 めると と もに、 東 京 本 郷に建 設 さ れ た 「求 道 学 舎 」 およ び 「求 道 会 館 」 を拠 点とし て、青年知
識人 を中
心 とす
る多 く
の信徒
を教化
し た 人物
である。
近角
は自己の宗
教体
験 を 中核
とす
る説法
を主 な 武 器 とし て若
い 世代
か らの 熱 狂 的 な 支 持 を 集 め た が [碧 海2010
]、 こ こで特 に注 目し たい の は、
こ の学生間で の彼
の大
人気
という
現象
が、
同 時代
の キ リス ト教 指導
者に対 する好 意 的 な 評 判 と近 接 し て語 られ やすかっ た という事 実
である。た とえば明
治
30
年
代の 日本女
子大
学に通っ た平塚
らい てう
の想 起にい わく、 「
同じ寮
生の な か に、植村
正久
さ んの富
士見
町教会
や壱岐殿
坂 の本
郷教会
に出掛 け
る もの 、森
川町
の真宗
の新
入 近 角 常 観 さんの 説 教 を 聞 きに ゆ く もの な ど何 人かあ り まし た」とい うこ とで あ り [平塚
1994
:45
]、
また 田 辺 元 も自
己の一
高時代
を 回顧 して、
「キリス ト教の 内 村 鑑三先 生 と か 海18
N工 工一
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論 文 ;近 代 真 宗 と キ リス ト教 :碧 海寿広 老
名弾
正先
生 とか、或
は仏教
の近角常観先
生 と か、さ うい ふ宗 教 的に優 れ た 先 達 とい ふ もの は、 その当時
の一
高
の生徒
の掲
示板
に毎
週の やう
に講演す
る とい ふ ことが現は れ て、私
どもに とつ て は非常
に親
しい そう
い ふ方
々 の名前
であつ た の であり
ます」
と述べ てい る[
田辺1964
:276
]。 明 治 後 期の学生 たちにとっ て近 角は、 キ リス ト教の人気指導者
た ち と並び称
さ れ て然
る べ き仏 教者
と し て あっ たの だ。
その よ
う
な評価
を 近角
が獲得
した理由と して は、
彼 が 真 宗 仏 教の伝 道 者 として突 出 した力 を もっ て いた とい う素 朴 な事 実 が ある こ と に加 え て、 そ も そ も彼が、 当 時の学生 たちを魅 了 し て い たキ リス ト教 者らの諸 実 践か ら、様
々 な要素
を巧み に採り
入れて い た という
こと を 指 摘 する こ とが で きる。 キリス ト教 と りわ け プロテス タ ントか ら多 く を学んだ 近 角の宗 教 実 践は、 同 時 代の キ リス ト教系
の指導者
た ち に よ る そ れ と並置
し て語 り
やす
か っ たのである。
西 洋 発の キリス ト教 が 近 代 日本の風 土に
定
着 してい く過 程で、 日本の宗 教 伝 統か ら多
くの要素
を流 用 し自
己変容
を遂げ
て きた歴史
につ い て は、
既に詳しい 実 証 が ある [マ リンズ2005
(
1998
)
]。 だ が、 真 宗とい う 日 本の宗 教 伝 統の一
部が、
近代
日本
の新
しい 社 会環境
に改めて適 応 し直す
た め、
西洋
の宗
教 伝 統 と りわ け プロ テ ス タン ト から有
益 と判
断 され るものを 旺 盛に流 用 するこ とで 自 己 変 容 を経 験 したこ との意 味 に つ い て は、 今の とこ ろ厚
い 研究
の蓄積
は ない。
む ろ ん、
その種
の議論
が近代真宗
をめぐ
る学 説
に批 判的
に寄与す
るので なけ れば、 も とよ りそ の不足 を慨 嘆す
る必 要 も ない わけだ が、後
述 す る よう
に、 そう
し た試み が従来
の近代真宗研 究
のあり方
に少 なか らぬ反 省 を 迫るこ と は疑い なく、
本 論の最 大のね らい も、 その 問い 直 しの作業
に向け
た一
つ の布
石をう
つ こ とにある。
以 下、 近
角
の布
教 戦略
の動機
と実
態 とその意義
につ いて論
述し、
こ れ に依拠
し な が ら、 近代
真宗
の研究視
座に関す
る新 た な知 見 を提 示 する。1
. 対 決
から流 用
へ近角
はい かに してキ リス ト教
に学
ぶ という
意 志 を 形 成し た か。
近角
とキ リス ト教 との 「対 話 」 とは、どの よう
な特質
を もつ事
態であっ たのか。 まず
はこれ を確
認 しておこう
。近 角が キ リス ト教 と本 格 的に
向
き合っ た最初
の 出来事
は、 巣鴨
監 獄 教誨
師事
件であっ た。1898
年 (
明治
31
)
8
月、
巣 鴨 監 獄 典 獄(
所 長)
に 就 任 し た キ リス ト教 徒の有
馬四朗 助が、
翌月 す ぐに真 宗 大 谷 派僧
である巣鴨
監 獄の教誨師
4
人 の辞 職を要 求、 全 員が こ れ に応 じ る か た ち で辞
表
を提 出
し、代
わり
に東京
の雲 南 坂 教 会の牧 師 で あっ た留
岡幸助
が教誨師
に採
用さ れ た。 利権
を侵 さ れた仏 教 界は これに反 感 を示 し、 特に教 誨 師の派 遣 元であっ た大 谷 派は石 川 舜 台を中 心 に激 しい 反 対 運 動を展 開し た。近
角
は、
こ の問 題 を 契 機 とし て同 年10
月に発 足 した 「仏 教 徒 国 民 同 盟 会 」(後 に 「大 日本 仏 教 徒 同盟 会」
に改組)
の幹部
と し て、
同志 らと 共 に反 対 運動
を推
し進
め た。彼
らの 運動
に後押
し され る かた ちで、
翌1899
年3
月、
衆 議 院に仏 教 徒の教 誨 師の復 活 を求め る 「監 獄 教 誨 師に関 す る建 議 案 」が提 出さ れ、採
択さ れ た。
同年
5
月
に は、
仏 教 徒(
大 谷 派 )の 教 誨 師 を再び採 用 さ せ るこ と に成 功 した(D。教 誨 師 問 題の収 束 後ほ どな くの
1899
年末、
近 角は宗 教 法 案 反 対 運 動に参加
する。この法案
は、
「
神
道 と仏 教 とキ リス ト教に無 差 別 平 等の地 位 を 与 えて、一
律に国 家 が 監 督 しよう
という
もの で (略 ) 国 家 が 入 間の精 神 面の宗 教を監 督 する という類
例のない奇
態 な法案
として、
大 多 数の 仏 教 徒の反 対 」にあっ たが [常 光19691244 −
245
]、 近 角はその 反 対 運 動の急 先 鋒の一
人と し て各
地で弁舌
を ふ るい、
法案
の否
決に貢献
し た。彼
はま たこの 運 動の 理 論 的 根 拠 を 「政 教 時 報 』 第26
号に社 説 「宗 教 法 案 反 対 意 見 」と して まと め てい るが、 その一
節として 、 「全 国に通 じて 大 勢 力」
を誇
る仏教宗派
と「
其範
囲頗
る狭 き 」 キ リス ト教勢
とを 同一一
の法文
に よっ て統 制す
る19
N工 工一
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宗 教 と社 会
Religion
andSociety
2011.
06,
Vol.
17
:17−30.
こ との誤 りを 主 張し てい た
[
近角
1900
:4
]
。これ ら二つ の反 対 運 動の背 後に は
、
いず
れ も 仏教
界 と キリ ス ト教 界 との根 深い確
執が あ り、
その渦
中にい た近角
もま た、
キ リス ト教に は常 に対 決 的 な姿勢
を崩す
こ となく
運動
に関 与 し続
け た。 日本の仏 教者
が敵対す
る キ リ ス ト教
か ら 学ぶ こ となど皆 無で ある と、 こ の 当 時の近 角は考
えてい た もの と思わ れ る。こ の
様
な彼
の ス タンス を微妙
に変 化 させ る契機
と なっ たの が、
西洋宗教事
情の 視 察の経 験で あっ た。1900
年4
月、
先の宗 教 法 案 反 対 運動
で の活 躍を高 く評 価 さ れた近 角は、
東 本 願 寺 か ら 欧米
に おける宗
教の現 状を視 察 して くる よう命 じ ら れ、旅
に出た。
アメ リカ、
イ ギ リス 、 フ ラ ン ス、 ドイツ等での 教 会 調 査や社 会事業
の見聞
を主とする その旅 程は、1902
年3
月 まで の約2
年間
に及んだが、
そこで得 ら れ た豊 富 な 知 見は、 キリス ト教に対 する彼の 態 度 を以前 とは別の も のに変 える こ と となっ た。 キ リス ト教は西 洋 社 会に深 く根 付い てお り、 そ こ で生 き る 人々 の 心 意に大 き く 影 響 してい る、 こ の事 実に近 角はま ず 驚い た。 ま た 西洋
キ リス ト教が組 織 的に非 常に よく整 備 さ れてい る こ と、
その実情
にも彼
は感激
し た。 翻っ て現 今 の 日 本 宗 教の 凋 落ぶ りや組 織 上の不 出来
を痛
感 し た彼は、 「日本 宗 教の不 振はた しか に精神
界の委
微 大 原 因 な りと雖、 制 度 組 織の不
整 頓は 大に与
か りて力 あるべ し、 衣 冠 正 し く して礼 楽 興る を知 らば教 界の 経 営 豈一
日も忽にす
べ けむ や」
と、宗
教の いわ ば外 殻で ある組 織 的 側 面 を 改 善す
るこ とか ら、
B
本の宗
教 界を 立て直 して い く決 意 を した [近 角1901
:16
]。
こ
う
し た決 意 を携 えて帰 国 した 近 角は、す
ぐ に、
キ リス ト教 を範 として宗 教 改 革 を進 めてい くこ と を声 高
に宣
言 する。 日本 宗 教 制 度の完 成、
たし か に一
大
問題 な り、 維 新 已 後 憲 法 を初め とし て欧 州の制度
文物
を採
用し た るの結 果、 政 治、 経 済、 殖 産、
工業、
軍制、
教育、
一
往 整 頓 したれ ど も、
独 り宗
教に 至 りて は依 然と し て 旧陋を 脱せず、
欧州
に は欧州
の宗教
あり
て其経営
頗る著しき もの あり、
而して我
国社 会の 現 状を 以て欧 州 社 会の現 状 を 比 するに宗 教の 経 営 不 整 頓 なる点た しか に一
大 欠 陥の存 す る を見る、(
略)
欧 米 諸 国に於 ける実 例を挙 げ
て 以 て参考
に供
し、
基督教
の経営
を挙
げ 他 山の石 以て戒とな さ むとす、
殊に宗 教 制 度、 慈 善 事 業、 社 会 問 題、 何 れ も欧 州 多 年 経 験の結 果に して、 我 国 今 後 将に起 ら む とす
る もの殆
む ど彼
か後
を 追ふの概 あ り [近 角1902a
:3
−
4
] 日本の近 代 化 が 西 洋 文 明 か らの制 度 文 物の輸 入 に大
きく依存
して い た こ と は周知
の と お りだ が、 宗 教に関し て は、 未 だその移 入が十 分に な されてお らず、 今 か らた だ ちにそ れ を 実 行に移 すべ き だ という
認 識である。 た とえば、 明 治 初 頭に欧 州へ と渡
航し実
地見 聞
をし た浄
土真 宗
本 願 寺 派の 島 地 黙 雷 らは、「
宗
教(
religion)
」
の 概 念 を 西 洋 か ら学 び 近 代 的 な 信 教の自 由や政 教分離
の制度
を 日本
に招来
する に 至 っ た が [末 木2004
:19
−
42
]、
この欧米
か らの「
宗
教」
の 学 習という
の は、現
状で は思 想 的 ない し は法制
度
的な レベ ル に と どまっ て お り、 宗 教の経 営す
な わち信徒
の組織
や社会事業
などの実 践 的 な側 面に おい て その学び は な お も乏 しい という
考え
が、 こ の時の近 角の脳 裏に は強 く作 用し てい た のだろう
。 これ か ら キ リス ト教に よる宗 教 経 営 の手 法か ら多
くを流 用 し た改革
を実施
する とい う意 気 込みを、 公に はっ きり
と示
し た。その
宗
教 改 革の要 点 と して近角
が特
に重視
し たの は、俗
人とりわけ若
い 世 代に対 する仏 教の 感 化 力 を向
上さ せ る ことであ
っ た。一方
で は、
仏 教各宗
派の教育機 関
を 開放
し て一
般社会
か ら有
能 な 人 材 を募 り、寺
院で の世襲僧侶
の 再 生産
に閉 塞しない 宗 教 者 育 成 を 試み ること、
他 方で は、
小 学生向
けの 日曜 学 校 あるい は中 高生や 大学
生の た めの仏教青年会
を幅広
く組 織 する こ と に より、
い ず れ は一
般 社 会で活 躍 する ことにな20
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論 文 :近 代 真 宗 と キ リス ト教 :碧 海 寿 広 る
青少年
へ の伝道活動
を強化
する こ と、
こ の 二方
面で の取組
み か ら、若者
と仏教
との接点
を増
大さ せ ていく
こと を彼
は願 望し た。 これ は、
欧米
の トッ プ ク ラス の大学
には神学部
が設置
さ れ てい る場 合 が 多 く、 また欧 州の学 校 や 教 会では学
生に対す
る宗
教 教育
の場
面が充実
し てい る こ と に彼
が感嘆
し た こ と か ら、触発
さ れ た案
で あっ た[
近角
1902b
]
。 か く してキ リス ト教 か らの流 用に積 極 的 な視 点 を打 ち 出 した近 角だが、 で はそ う した素 振 り を見
せ る よう
になっ た彼
が キ リス ト教へ の対抗
心 を完 全に沈
静 化さ せたのか と言 え ば、
そう
いう
こ とに は全 くな ら なかっ た。 近 角 をよく知る 者 た ちに よれ ば、 晩 年に至る まで彼は 「耶 蘇 (教 )」 に 対 して の批 判 的 な 言 辞 を 繰 り返 して い た よう
であり
(2)、真宗
僧侶
の一
人 として キ リス ト教に は終始、相容
れ ない ものを 感 じ取
っ てい た もの と思 われ る。す なわち、キリス ト教との「対 話
」
とい っ て も、 近角
の場合
は自
己の宗教経営
に利す
る事柄
を一
方 的に参 照 するこ との み に限 定 されてお り、 こ れ は先に言 及 した脱 宗 派 的 な新 仏 教 徒の面々 が キ リス ト教者
との交
流その ものに価値
を 見 出し てい たの とは、鮮
や かな対
比 を なす
。排耶論
を 基 調 とす
る明 治の真
宗 教 団に属 しなが ら 自 己 形 成 を遂 げ、 その後 も伝 統 宗 門へ の揺るがぬ忠 誠 心のも
と布
教活動
に邁
進 し た 人間 とし て、
近角
が無条件
に肯定
的な態 度で キ リス ト教に接す
る ことは、決
し てなかっ たのである。2
.
布教
戦
略
の諸相
近
角
が 自己の宗
教経営
に関し て キ リス ト教に学
ぶ こ とへ の意 欲の 成 り立 ちは上記の 如 くだ が、 その 具 体 的 な成 果は彼の布
教 戦 略に おい て どの よう な 形を と り世に出る こ と と なっ た の か。次
に その物
理的な様相
に触
れ て み たい 。欧
米
視察
の旅か ら帰 国 した直 後、 近 角は、 清 澤 満 之の浩
々 洞に取っ て代
わ る か たちで東京本
郷に「
求道学舎」
を設置
し、寄宿舎経営
を開始
する〔3)。清
澤の浩
々 洞 と近角
の求
道学舎
は地 理 的に は連 続 して い るが、 浩々洞が清 澤と彼に師事 す
る大
谷派
の若 手僧侶
た ち に よ る私 塾であ
っ たのに対
し、求
道学舎
に入舎
を許
さ れ た者
の多 く
は東京
の高等学校
や大学
、 とり
わけ第
一
高 等 学 校と東 京 帝 大に通 う一
般の 学生で あ り、寺
院師弟
は排
除さ れ る傾向
にあっ た。帝都
の 中 心 部に寄宿舎
を設 けた近角
の企 図は、真宗僧侶
の育
成で は なく、
日本
の将来
を担 う
べ き有為
の 人 材と生 活 を 共に し、 彼 等 を 日常 的に感 化 する こ とで 、 真 宗 仏 教の思 惟 や 道 徳 を一
般 社 会に浸透
させてい くこ と にあっ たのだ。こ
う
した都 市 部にお ける学 生の た めの 寄 宿 舎 経 営 という
の は、
キリス ト教の人々が 先 駆 けて 行っ て い た。 た とえば東 京 キ リス ト教 青 年 会の 学生寄 宿 舎は、 明 治25
年 に お ける仲 猿 楽 町で の そ れを 皮 切り
に、東
郷 坂(
現・
千 代田区三番 町)、
早
稲田鶴
巻 町、茗荷
谷、一橋寮 (
神田美 土代
町)
な どに明 治30
年 代か ら 陸 続 と建 設 されてい っ た [斉 藤1980
:141−144
]。 近角
の求道
学舎
は、 こう
し た キ リス ト教界
での動
向の 後 を 追う
か た ちで台 頭 し、 東 京に学 びにやっ て き た 若 者 た ち を 囲い 込む宗 教 系の 施 設と して互い に 並 び 立つ格好
と なっ たの で ある。
この
求
道学舎
の食 堂 と さ らに もう
一
部 屋 を 打 ち抜い たスペー
スで は、 毎 週 末に近 角 主 催の説 法 会で ある 「日 曜 講 話」
が開か れ た(4)。 この 会は や が て青年層
を 中 心に上々 の 評 判 を 呼 び、
次 第に多 く なっ た 聴 衆は座 敷に入 り きれ ずに廊 下や縁 側に腰 を下ろして聴 聞 するようになっ た[
近角 2008
:35]。
こう
して窮屈
となっ た会場
の問
題 に対
処す
るため、近 角は説 教 所である「求 道 会 館 」 を 学 舎の 隣接 地に建 設 するこ とを 決 意 する の だがC「
°) 、 その 際に彼
が、 欧米
の都市
に おける キ リス ト教伝
道の た めの施 設の豊富
さ に 比較
し て、 「従
来帝
国の首 都に於て仏 教 徒に属す
る会 館の設 あること な く、 為 めに其 不 便 を 感 ずる こと一
日の事
にあらず」
と 述べ てい る点
は注
日 に値す
る[
近角
1903b
:4
]。 既 存の 仏 教寺
院で は満 た すこ との で きぬニー
ズが、 キ リス ト教 徒が建て てい る の と同じ よう
な施
設を建造
21
N工 工一
Eleotronlo LlbraryThe Japanese Association for the Study of Religion and Society
NII-Electronic Library Service The Japanese Assoolatlon for the Study of Rellglon and Soolety
宗教と社 会
Religion
andSociety
2011.
06,
Vol.
17:17・
30.
する ことで充 足され る の だ とい
う確信
が、
こ こ に は 至極 明 瞭に表 出 されてい るの で ある。その 「仏 教 徒に属 する
会館
」を設 ける際、 近角
が自身
の定期
的な説法
の 場所
を確
保 する とい う 目 的 以 外で 特に こだ わっ たの は、
彼の も と に集 う顔ぶ れの 中 心で あっ た学生の た め に、
安定
的 な 集 ま りの場を構 築 することで あっ た だろう
。前
出の東
京キ リス ト教 青 年 会は、 やは り近 角の 着 想に先 駆 ける か たちで「
神
田の青年会館」
を建 立 し、 様々な 高 等 学 校や大 学の生 徒のため の集 会 場 を提 供 してい た [斉 藤 前 掲 :76
−
77
]。求
道 会館
の設置
は、
こ れに大
きく
遅れ を とりな が ら追従
した 仏教 界
での動
き と位置
づ ける こ と が可 能である。 もっ と も、 近 角は会 館 建 立の実 現よ り以 前か ら、
自己の布 教 戦 略の一
環
として学
生たちの集
ま りの場 を別の形 態でつ く り上 げてい た。 そ れ は 「信 仰 談 話 会 」 とい う、 お お よ そ日曜 講 話の 後に求
道学舎
内で実施
さ れて い た、
学生 主体
の 勉 強 会 あるい は信仰告
白のた めの座談会
で あ る が、 そこに参加 し た学 生メン バー
の所属
校は、
実に多 岐に わたる もの であっ た(6 >。 広 範 な 学 生信徒
の組織
という、
キリ ス ト教勢
が熱 心に巖 開 し てい た布
教の方策
を、
近角
もこれ に負
ける ことの ない よう、 着々 と繰 り広 げよう
とし てい た わけだ。
ま た キリス ト教 界か らの
対
抗 的な模
倣 という
意 味で も う一
つ 挙 げてお くべ き例は、
近角
が主 催 雑 誌『
求 道 』(1904−1922
)で女台め た 「実 験 」お よび「
告 白」
という
コー
ナー
で ある(7 )。 こ れ は近 角が信徒
に自身
の宗
教体
験の内
実につ い て 執 筆 させ、 その文 章 を 誌 上に掲 示 し他の信徒
た ち に読
んで もらう
企画であっ たが、 宗 教 団 体の 機 関 誌 (紙)
に おける こう
し た記事
づ く りの選 択は、 これ ま たキ リス ト教界
が先
ん じ てい た。
た と え ば、 無 教 会の内 村
鑑
三 が 『聖書
之 研 究 』 誌上で 募 集し掲 載 してい た 「実 験 」 録が そう
であ り [
鈴木
1980
:173
−
174
]
、 あるい はホー
リネスな どの民衆
キ リス ト教 団が機
関 紙上で実施
してい た 「あか し」
の宗教体
験談
も 同種
の営
み で あ る[
池
上2006
]
。特
に前者
の「
実験」録
につ い ては、
名 称の一
致 か ら推 量 して も、
一
定 の影 響 関 係 を想 定で きよう。 管 見の限 り、 同 じ よう な趣 旨の企 画は当 時の仏 教 系の雑 誌(
新 聞)
に は存 在 しない。
こ の よ うに、
近 角 は 自 ら宣 言 し た とお りキリ ス ト教の後 を追 うように して自 己の布 教 戦 略 を 組み立て てい っ た わ け だ が、 こ の際、 彼 が 単に 西洋
キ リス ト教に由
来 する経 営手
法の直
輸 入に よっ て 日本の仏 教 改革
を志 し た の で はなく、
む しろ同 時 代の 日本 社 会に定 着しつ つ あっ た キ リ ス ト教勢
に よ る諸 実 践と相 似の戦 略を 立 て これ に競合
し よう
と し た という事
実は非 常に重 要で ある。明治期
のキ リス ト教
の主な支持
基 盤は、農
民 や 工場労
働 者で は な く、
知 識 層であっ た。 特に当初
は儒学
の素養
を もつ 士族
や 地方
の富裕
層が 多か っ た が、
30
年代
まで に は そ れ が学
生や俸給
生活 者 など都市
に登場
して きた新
しい エ リー
ト 層へ と推 移 し た。 これ に とも ない 、 指 導 者の 側 も青年知
識 人の興 をそ そ る 聖書講義
な ど を 中核
とし た宣教
に力
を入 れ始
め、
さ ら に前
述 し た と おりの寄
宿舎
経営
や会館
の建設等
に よ り学
生の糾 合に尽 力 し たことで、 キ リス ト教は都 市 的 な宗
教と し ての相 貌を強 固 な もの に し た [森 岡1970
二194
]。 日本に帰
国し た近角
の視界
に 飛び込んで きたのは、 こ の様に して都 市 社 会に お ける宗
教活
動の勘
所をい ち 早 く押 さ えて い た、
キ リス ト教勢
の動向
に他
な らなかっ た。現
在
の 日本社会
に生き る人々 の心を仏 教に よっ て捉 える に は、
どのよう な 布 教 戦 略 を採る こ と が有効
なの だ ろうか。 こ の問い を胸 中で温 め な が ら東京
での宗
教活動
を開 始し た近 角は、 同 じ都 市のさ な かにおい て清 新 な布 教の ス タ イ ル を誇 示して い たキ リス ト教のや り方 を さ しあ た りの解
答として選び取 り、 これ を 自 己の運 動 の な か に十 全に 吸収
し た、
その結 果、
明 治 後 期 にお ける東 京の 宗 教 空 間で、
両 者は近 似 し た存
在として意 味づ け ら れるようにな り、
そ こに参
入し た学生 たち が 近 角 とキリス ト教の指 導 者 た22
N工 工一
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NII-Electronic Library Service The Japanese Assooiation for the Study of Religion and Sooiety
論文 :近 代 真 宗 とキリ ス ト教 :碧 海 寿広 ち と を並べ て
把
握す
る という
行
いも、
ごく自然
な 出 来 事 となっ てい た。こ の様に して成 功 裏に練 り上 げら れ て き た と い っ てよい 近
角
の布
教 戦略
だ が、
その戦 略 を 駆使 す
るこ とで彼 が 達 成 し よ う と した最 大の 目標 は、
当 然の ことな がら、 自ら が奉
じ る真宗
の教
え をより多 くの信 徒たち、 と りわけ若
い世代
に 対 して伝 えてい くことで あっ た。 で は、
その若
者
た ち に向
けて示
さ れた、
近 角に とっ て の真 宗 とはい かなるもの であっ たのか。 彼 が 構 想 した布
教 戦 略の意 義 を総 合 的に解 明 する た め にも、
今
度はその教 説 的な側面
に踏
み込んでみな け れ ばならない Q3
.
実践
の断絶 /信 仰
の
連 続
明
治後期、若者
たちの 間では「
煩 悶」
が一
種
の ブー
ム と化 して い た。 近代
国家
の体
制 的 整 備 が 進み 立 身 出 世主義
に陰
りが見
え 始めた 時 代 閉 塞 的 な状 況 下、次代
を担 う
はず
の青年
たちの なか に は、
自 己の人生 に悩み悶 える者
が 目 に見
えて増 えて い た。1903
年 (
明 治36
)
年5
月に一
高生 の藤村操
が華厳
の滝で劇 的 な 投 身 自殺 を し、
同 世代
か ら多
くの 追 随 者を出し たこ と は、
当 時の精 神 的 な 雰 囲 気をあら わす象徴 的
な事
件 で あっ た。 そ して、 そう
し た煩 悶青年
た ちの不安定
的な心身
を鍛
え なお し彼 等の人 格の向
上 を 成し遂 げる ためにも、
こ の時 代に は各種
の修養
主 義 的 な 思 想 や 運 動が、次
々 と台
頭し て くる状 況 が 出 来上がっ て い た[
筒井
2009
(
1995
)
:4−21
]。こ の
様
な 修 養 主 義 的 な 文 化の 隆盛
のも
と、当
時の学 生 文 化に おい て は宗
教書
や宗
教 家に対 す る関 心 もにわ か に高
まり、第
一
高 等 学 校 などの エ リー
ト養
成 機 関に通 う学生の なか にも、何
ら かの宗
教にコ ミッ トする人 物は少
なく
な か っ た。 た だ し、 そ うし た学生 た ち求
め たのは、 あ く まで も自
己の内面的
な不安
の 解 消に貢献
して くれ る新
しい タイ プの 宗 教で あ り、
旧来
の寺院
仏教
などはあ ら かた腐 敗 してお り近代
的な知
や教養
とは矛 盾 してい る と判断
さ れ た た め、
むし ろ否定
の対象
と なっ た [手 戸 (伊 達 )1999
]。近
角
の布
教 戦 略の成 功 も、 こう
した学生 と宗
教
をめ ぐる時 勢 的 な 関係 性の なか にまず
は位
置 づ ける こと がで き るだろう。
日本の 学 生 文 化の 中に新奇
かつ 魅惑
的 な もの と して浸 透 して きた キ リ ス ト教 勢 力による諸 実 践 か ら多 くを流 用し た 近 角の布 教 活 動は、 同 時 代の学生 に とっ て も 十 分に魅力
的かつ頼 り
にす
べ き もの と して受 容 され たのである。 た と え ば、 彼の もと には 藤 村 操のか な り仲の良い校友
の一
人 も通っ てい たの だが、
こ の 学 生は、 親 友に先立 た れ た慯
心 とそ の 苦 悶 を契 機 と して真宗
の教
えに 目覚
め られた ことの感 慨を、恩師
である近角
に向 けて告 白 し て い る [藤
原1904
ユ
。こ の明
治後期
の精神
状 況に上手
く適応
し た近 角の宗 教 活 動 を、
だが、 真 宗の 「近 代 化」
と安
直に評 定 し、 単 純に既成
仏 教か らの断絶
とし て の み考 えるの で は、
お そ らく的
を外す
こ と にな るだろう。確
か に、
近 角 が 当 時の都 市東京
で展開
し てい た 布 教の様 式は、 上述の と おり
キ リス ト教 か らの模 倣を ふ ん だ ん に含
む 目新
しい もの で あ り、
そ れ に か か わっ た 青 年 信 徒たちの実 践 も、
従 来の 真 宗 門 徒によ る もの と は明確
に断絶
してい る。 だが 他 方で、
そう
し た信徒
たちに対 して近 角が示し た信仰
の あり方
に は、 む しろ前
時代
か らの 連 続 性 と称 しておそらく誤 りで ない 特 性 も ま た、
読 み 取る こ と が で き るのである。 明ら かに し なけれ ば な ら ない のは、
この近 角の 宗 教 活 動に おける真宗
の「
近 代 化 」の多 層 性で ある。
ひとつ の分 析 事 例と して
、
こ こ で は近角
の修
養 論に着 目 してみ よう
。 先に 述べ た よう
に、 当 時の学
生 文化
に おい ては修 養主義
が隆盛
を極
め て お り、
こ の流 行に敏感
に反 応し た宗
教 者 た ち の多 く も、 修 養 と は何
である か につ い て、
自分 な りの 見解 を提 示 するこ と に意 欲 的であっ た。
も
とより、「
イ疹養 (culture,
cultivation)」
という
翻訳
概 念 が 世に普 及 し 人 口に膾炙
し た要 因 とし て、
キ リス ト教 系の知 識人 が著作
や講 演の中で こ の新語
を繰
り返し使 用 したこ とが 大 きかっ た23
N工 工一
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宗教と社 会
Religion
andSocietOr
2ell.
06,
Vol.
17:17・
30.
わけだ が
[
王2004
]、
仏 教系
の知
識 人である近角
も また、当
時の先鋭
的な宗
教者
の一
人 とし て自前
の修
養 論を開 陳し て い たのだ。「
信仰
は修養
の 産物」
である。 あるい は、 「社会精神
が修養
鍛錬
の極
に達
して醸
し出
し たのが宗教
の開宗者
である」
という
よう
に、
近角
は宗
教や信 仰の 生 成にあたり、修養
は不可欠なもの である と定 義 する。 また修 養 と は、
「人凵 を 以 て培養
する こ とで はな 」 く、 「実 際上の困 難 苦辛
に衝 き当
りて初めて鍛ひ 上げることである」 とし、
与 え られた 人 生 を悩み苦し みなが ら生 き、
その過 程で真の信 仰の 意 義に気 付い てい く過 程 こそ が、 修 養に他 な ら ない と論 じる。 そ して 「修養
的 眼 光 」か らこ の 世 界 を 眺め れ ば、 「人 事の 出 来 事一
として吾 人が信
念 を練磨す
る修養
の師
父 た ら ざる もの は ない 」のだ と、 彼 は 結 論づけ てい る [近 角1903a
]。こ
う
し た論の概括
だ けで は、
豊富
な 人生経
験 の獲 得 が イコー
ル修 養であ り、
そ れが存 分に得 ら れれば信 仰 も 自ず と磨 か れる、 とい う話で し かない が、 注 意 すべ きは、 近 角の論におい ては その 修 養 獲 得の 機 会 という
もの が、
あ く まで も 人 間の意 志 を 超 え た ところか ら受 け 身 的に供 与 さ れ る、 とい う 強 調 が な さ れてい る こと だ。す なわ ち
、
「修 養せむ と欲 して為
し た る修養
の如 きは何 等の用 を もなさぬ」 という
こ とであ り、 修 養は自 ら進ん で得よ う とするべ き もので はない とい う 匚近 角 前 掲 :2
]。 当 時一
般 的に 使 用 さ れ てい た 「修養 」
概 念に は、
その意味
上 の大 き な特 徴の一
つ として、 「能 動 的 」「主 体 的 」 な自
己 形 成、 とい う要 素 が 含 ま れて い たこ とを 念 頭に お きつ つ こ の近角
の修養論
に あ たっ て み れ ば [和 崎2007
]、
そこに は、
当該
の 概 念に対
する彼 独 自の意 味の塗 り替 え を見て取るこ とが で きる だろう
。そ れ は お そ ら
く 「
他力的」
な修養論
と評 する のが 適 当 な、
意 味構築
の作法
であっ た。 仏 陀は吾 人の信 仰 を促 すべ く大 なる催 促 を 下 し 玉 ひ た るもの である、 若 し大 なる催 促 を雲 烟 過 眼し去る如
きは、修養
上最も惜
む べ きことな るの み な らず、
仏天 に対
し て最
も恐るべ き罪 悪である [近角 前
掲 :4
]。 信 仰の形成
にあた り不 可欠
の修養
を練磨
する た めの機会
は、
人が仏 陀に促
さ れ る か たちで出会
う
もの で あり、
その 仏 陀が与
えてく
れ る機縁
を 無 視 して し ま うの は、
罪 悪である。 この 仏 陀 か らの働 き か けに対 する人 間の呼 応 を す すめ る近角
独自
の他 力 的 な修
養の論 説は、 た とえば近 世 以来の「
妙
好 人」
の信仰
生 活の よう
に、普段
の 暮 ら しの中で信 心の熟 成の機 会 が 訪 れる瞬 間 を 常に見 逃 さ ない よ うに と心 が け、 そ してその機 縁の提 供 元で ある阿 弥 陀 仏にひたす ら感 謝 して いく
よう
な生 き方
と、極
めて近い とこ ろ にあ
っ た 匚柏 原1992
]。 こう し た 妙 好 人 的 な 世 界 観 との近 接 性 を読み 取れ る事
例と して もう
一
つ、
近角
が先に言 及 し た雑
誌の「
告 白」欄
で掲載
し てい た、信徒
の体
験 談の 内 容 を検 討 して み よう
。 紙 幅の関 係か ら 学 生 信 徒による もの を二 例、 要 約 して紹 介 する に留
ま る が、
いず
れ もこ の「
告白」欄
に おい て 頻 出 する若い 世 代の人 生 行 路の特徴
をよく
あ ら わ してい る。学
生信徒
の体験談
幼 少 期 より信
心 深い家
族 と と もに仏 壇に手
を合
わ せる習 慣 を 身につ けてい たが、 「小学
より中 学に進むに従っ て、 宗 教 と云ふ もの は無 智 な 老 翁 老婆
を詐す方便
に過 ぎぬ」
という
世 間の言い 草に迎 合 する よう
に なっ た。、
ヒ京
して東京法
学 院(
現在
の 中央 大 学)
に入 学す
る も、「
何
の為
め に学
問をする か とい ふ疑 問が常に常に胸 中に性 来」
し た。 そ こ で「自
分の欠点
を矯
め る こ と に 心 を砕
い て、倫
理哲学
に関す
る書物
、精神
の修
養に資す
べ き書物
も渉猟
つ て見
た」
が、
むなし さは募る ば か り。 高 山樗 牛やニー
チ ェ の 「極 端 な個 人主義 」に傾 倒 しつ つ 、 他 方で、 海 老 名 弾 正の本
郷教会
や伊藤
証信
の無
我 苑を訪 れた り、 精 神 主 義に賛 同 した り した。
こ の頃は 「精神修
24
N工 工一
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論 文 近 代 真 宗 と キ リス ト教 :碧 海寿 広 養 を行つ て大 なる