理学 療 法 学 第 23巻第 6号 380
〜
387 頁 (1996年)紹 介
ベ
ト
ナ
ム
の
障害児 (
者)
と
理
学療 法
一
ベ ン チ ェ省
で の援助 活動
を通
して *一
古
澤
正 道
1)赤塚
み ど り
2)原
泰 夫
3)高 塩 純
一
4)田
中 睦 弓
4) 要 旨1995
年 8 月
, ベ ト ナム の メ コ ンデル タの ベ ンチェ省
で,4
人の理学療
法 士(
PT)
と1
名の作 業 療 法 士 (OT
)が2
名の医 師 等と ともにNGO
と して援 助 活 動を行っ た。 ベ ト ナ ム の1
人 当た りの年間国民所得
は200
ドル で, ベ ンチェ省
の それは96
ドル で ある。 人口131
万 人の省
に2
,
507
人の障害
児がい る が, 貧
困と,
医i
師
及びPT
不足
で7
割弱
が医療
の恩 恵に あずか っ て いない。 ハ ノ イ,
ダナ ン, ホー
チ ミン の各 市に3
校のPT
養 成 校がある。 しか し国 家 試 験制度
は なく,
全 国に何 名のPT
がいるのか把 握されて いない。ホ
ー
チ ミン市周
辺の約 150
名のPT
が, ホー
チ ミン市 PT 協会
を組織
して い る。 活 動は卒 後教育
が主であ る。 キー
ワー
ド ベ ト ナム,
障 害 児,
NGO
序 非 政 府 組 織 (NGO
) の 「ベ トナム の子ども達 を支援
す る会」(
会長
:第一
び わ こ学
園々長 高
谷 清 氏 )は, 教 師 等が中心 と な り 1990 年よりべ ト ナム 南 部 メコ ン デル タ のベ ンチ ェ 省 (Bentre
*
TheConditions o[Handicapped Persons and Physical
Therapy in Victnam:The Activities as Volunteers ill
Bcntre Province
1)ボバ
ー
ス記念病 院(〒536 大 阪 府 大 阪 市 城 東 区 東 中 浜1
−
6−
5)Mustmiichi Furusawa
,
RPT :Bobath Memorial Hospi・
tal2
)八 尾市 立いちょ う学 園
Midori Akatsuka
,
RPT :YaQ City Day Care Center forHandicapped Children
3)心 身 障 害 児 総 合 医療 療 育セ ンタ
ー
Yasuo Hara
,
RPT :Medical and Educational Centerfur Physical and Intcl]ectual Handicapped Children
4)第
一
び わこ学 園
Junichi
Takashie,
RPT,
Mutsumi Tanaka,
OTR :Daiichi Biwako Gakuen
(受 付 日 1996年3月 14 日/受理 日 1996年7月6日)
Province )
に 養護
学 校 建 設な どの援助
活 動 を展
開 して きた。1994
年よりこ の活 動に小 児 リハ ビ リテー
シ ョ ン施 設 をつ くる計 画が加 わっ た1)。こ の プ ロ ジェ ク ト に墓づき
1995年
8
月
,新
た に4
名
の理学 療 法 士(
PT
),1
名の作 業 療 法 士 (OT
) が組 織に参 加し,
ベ ンチ ェ 省 (図1
)で援 助 活 動 を展開
し た。こ の
機
会にベ ンチェ省
の省
庁,
3 病院
,2 保健
所, 1
養 護 学 校, 1
養 護 施 設,
及びホー
チ ミン市 内のPT
養 成 校, 2
肢 体 不 自由 児 施 設, 1
病 院 を 訪れ た。 ベ トナム の障害
児 (者 )と 理学 療 法の実
状
と課 題に っ い て報告
す る。 ベ トナ ム の経 済・
教 育・
福 祉 ベ トナ ム の人口・
出 生 率・
死 亡 率・
病 院 数 等は 表1
の と お りで あ る2−
5 )。 主た る産 業は農 業で 国 民の71
% は農 民である。1
人 当た りの年 聞国民
所得
は200
ドル とき わめて低
い。図 1 ベ トナム の地理
ベ トナム 政
府
は1975 年
の南
北統
一
後か らの 経済
不振
を打
開 する ために, 1986年 12 月
,経済刷
新 (ド イモ イ) 政 策 を採 択 し た。 こ の 内容
は3
点
か ら成
る、1
つ は経済
の重点
を重
工業
か ら農業
と 軽工業にお くことである。2
っ め は国 営や組 合 企 業よ りも,
個 人経営
や民間資本家
の役割
を重視
す ることであ る。3
っ め は上 記の2
っ を通して食 糧 と消 費 財の 生 産 向上 と輸 出を増 加さ せ,
国 民 生 活 の 改 善を図る ことである。 現 在 ド イモ イ政策
に よ る市 場 経 済の導 入6)と民 間 人の 活 力の利用
は大筋
で成 功 しっ っ あり,
経 済 成長率
は8
% に達して い る7)。 と くに ドイモ イ政 策が急 速に進 むホー
チ ミン 市 は活気
に温
れ,経済成長率
は1991
年 以 降12
% を記録
してい る。1994
年の市 民 1
人当
た りの 国 内 総 生 産は810
ドル に な り,
全国平均
の4 倍
にな っ ているs)。
・
方今
回我
々 が援 助 活 動 を 行っ たベ ンチェ省
々 民1
人 当た りの年収
は, ベ ンチェ省人
民 委 員 会に よ る と96
ドル で あ る。 すな わ ち国 内 的に貧 富の 差が拡 大 しっ つ ある、 ドイモ イ政策
が景気
を刺激
して い る反面
イ ン フ レー
シ ョ ンが お こり, セ メ ン トな どの建築資材
が短期
間に2 倍
へ と高騰
して い る9 )。 こ の結 果,
援 助 活 動に お け る見積
も りに も 深刻
な影響
を与
えて い る。 ベ トナ ムの 了ども達はよく働 く。 しか しホー
チ ミン市の ス トリー
トチ ル ドレ ンの問
題の みでな く, ベ ンチェ省
で も貧
困の ため児 童 遺 棄がある 。 この省
の児 童保
護育
成委
員 会は18
歳 未 満の40
名の児 童を養 護 施 設で 保 護 して いる。
子 ど も達は午前中
は学校
へ 通学
し ,午後
は縫製 ・帽
子 作 り・
椰 子 細 工作
りな どの職業
訓 練と,
揚 げパ ンや宝 く じの販 売など を して い る。 これ らの利
益は, 彼
ら が18
歳
以後 自
立して い くた めの資 金と して貯 蓄 されて い る。 中に は両 親 が 病気
で子
どもが働
か ないと生計
を たて ら れない ので, 子どもを養 護 施 設か ら引 き取
っ て し ま う親
もい る。 さ らに施 設に入 れぬス トリー
ト チル ドレ ン は,
児 童 保 護 育 成委
員 会によ るとベ ンチェ の省都
の みでも約
100
人
い る と推 定 さ れ る。 ま た児 童 保 護 育 成 委 員 会に よ ると,
人口130
万 人の ベ ン チ ェ 省に は15 万
人の就学対象
児 が い る が,2
万人
の児童
が学 校へ 満 足に通 えぬ状態
で ある。但 し表
2
の ごと く, 1
人 当た りの国民所得
が100 〜
600
ドル の他
の発
展途
上 国の非 識 字 率と比 較 する と,
ベ ト ナ ム の そ れ は低い こ と が分
か る3)4)6)lo)。 義 務 教 育の期 闇は6 歳
か ら11 歳
まで の5
年 間であ る が, 国家
建 設の 上で非 識 字 率の低 さと勤勉
さ は有 用とい え る。 こ こ で ベ ト ナ ム を 理解 する上で もう一
つ 知るべ きこと は,
我 国の国 家 総 予 算に相 当 するもの が な い ことで ある。例
えば大 蔵省
や厚
生省
とい っ た中 央の省 庁は個 別の収 入と歳出
の機構
を も ち,
さ ら382
理 学 療 法学 第 23巻 第6号 表1
越日の 医療 状況 比較 ベ トナム 口 本 人ロ (千 人) 人口密度 正人 当た りの国民 所 得 (米ドル) 病 院 診 療 所 病 床 数 1病 床 当たり人冂 医師数 人ロ10万人 当たり医 師数 平均 寿命 乳 児 死 亡 率 (%o) 出生率(%。) 死亡率(%o) (全 国 ) (ホー
チ ミン市 ) (ベ ンチェ 省 ) ) ) 男 女 ( (69,
306
(1992
) 209 200(1989) 810(1991) 96(1994) 1,
547(1990) 10,
558 (1990) 205,
100(正990) 33819,
861
(1981
) 3163.
66
(⊥979
) 67.
89 64.
(85−
90)31.
8
(85−90
)9.
5
(85−90
)124,
324
(1992
)33424
,
957 (1992) 9,
963 (1992) 83,
992 (1993) 1,
686,
696 (1992)74
218,
066
(1992
) 17576.
25
(1993
)82.
51
4.
5 (⊥992)9 .
8
(1992)6 .
9
(1992
) に県 (
ベ ト ナ ム では省)
は中央
と切り離
さ れ た独
自の会 計 機 構を もっ て い る。 これ らが医療 ・
福 祉・
教育等
の行 政の一
・
一
貫
し た計画性
を困難
にする1
っ の理由
と なっ て い る。 医療事情
ベ トナム の 医 療 行 政シ ス テム は澤 村 等の報 告11) にも あ る よ うに
,
人凵100
〜200
万 人 単 位の省
(Province
) に728
の省
立 病院
がある。 省 立 病院
の平均病床数
は500
床
であ る。省
の下
には人口10 〜 20
万 人の行 政 単 位の地 区 (District
) があ 表2
1
人 当たりの国民所得と非 識 字 率 1人 当た りの 非 識 字率 (% ) 国民所得 (1990) (米 ドル ) ベ ト ナム ネパー
ル バ ングラ デ シュ イ ン ド 中 国 パ キス タン ス リ ランカ ミャ ンマー
イン ドネシア 200(1989) 149(1987) 180 (1989
)276
(1992
) 290(1991) 375(1993) 484 (1991)622(
1991
)676
(1993)12.
474
.
464
,
751、
822
,
265
.
211
.
619.
418.
4
り, そ れ ぞ れの地 区に100 〜 200 床
を もっ 地 区病 院が あ る。さ ら に地
区
の下に は村 (
Commune
)
が あ り,各村
には プライマ リー
ヘ ル ス ケ アを実 施 する保 健 所がある。 保 健 所には医 師・
看 護 婦・
保 健 婦・
助 産婦
がいて,予防接種
,産
児制
限,保健教育
を行
うこ とに法 的には なっ て い る。 しか し医 師不 足と 予 算 不 足ゆ え,
我々が訪
れ た ベ ンチェ省
の保健
所2
ヵ所
と も2
名の 助 産婦
と1 名
の看護婦
がい るの みで,
室内
に は電灯
すら な かっ た。医師
は予防接
種の た め年に1 〜 2
同 来 所 するのみである。 因み に一
国
の経済
と生 活 水準
全般
を 反映
し,1
人 当た りの 所 得と負の 関 係を示 す 乳 児 死 亡 率lz)は64.
O
%o (1985
〜90
)と高い 。 ベ ンチェ 省は7
地 区 と156
村に分 か れ,
規 則の 上で は156
の 保 健 所が あ る。 図2
はア ン トン村の保健所
の光景
であ る。 日本か ら医 療 団が来ること を知
っ て,24
名の種々 の障 害 児と両 親が我々 の 到 着 を待っ て い た。 脳 室 腹 腔シ ャ ン ト術 を す れ ば 進 行 を止め ら れる水頭
症 児, 定期
的に運 動 療 法を 提 供し たい 脳 性 麻 痺 及 び脳炎後
遺 症 児,
保 育 教 育 を必要
と す る知的障害
児 達な どで あっ た。 予算
不 足と,
病 院 施 設の不 足のた め,
これ まで放 置さ れ表
3
チ ャ ンバ ン ア ン病院 理 学 療 法 科の来院 者の診 断 名1985〜
1994年1995
年1
月〜
(%) 6月 (% ) 図2ベ ンチ
ェ
省ア ン ト ン村保 健所で の援 助 活動 てい た わ けである。 こ の よ うに子ども達へ の 医 療 と教 (保 ) 育の場
が痛切
に求め られて いる。第
二次 世
界 大 戦が終 了 した1945
年か らベ ト ナ ム戦争
が終 了 した1975 年
までの30
年 間で,
全 国 の戦 死者
は約
400
万 入, 戦 傷 者は600
万 人い る と推定
さ れ る13)。 法 的に障 害 児は1
級
か ら9
級まで段
階づけられ ,傷病手 当
が わずか な がら支 給さ れ るこ とに なっ て い るが,
彼 ら の生活実
態は厳
しい。補装
具を供 給で きる体制
づ く り は急務
で ある。 ポリオ後 遺 症 児な ど が装
具を必 要とする ときは,
現状
で は ホー
チ ミン市 まで出 かけ ねばな ら ない。 国 民 皆 医 療 保 険 制度
が な く,経
済 的に困 難な省 民 にとり, そ れ は非 現 実 的で ある。 少 なく と も各省
に 1っ の補 装 具 製 作所
が必須
といえ る 。ベ ト ナム
戦争
の影響
で人口の1
割 弱に相 当 する600
万 人が精神障害
に悩
んで い るこ と も, こ の国 の障害
者 問 題の特 徴で ある。我
々 が援 助 活 動を 行っ たベ ンチェ 省の チ ャ ン バ ン ア ン病 院へ の 来 院 者の診断名 (
表
3
)14) をみて も,神経衰弱症
が多 い ことに気づ く。 ベ ン チェ省
はベ トナ ム戦 争 初 期 に民 族解放戦線
が蜂起
し た根 拠 地ゆ え,米国
によ る爆撃
と枯葉剤散
布が熾 烈を き わめた とこ ろであ る。 終 戦 後20
年 を 過 ぎた今
日 で も,
神 経衰弱
症 の よ うな形 態で戦 争の 後 遺 症が残っ て い るの であ る。 現 状で はマ ッ サー
ジや漢 方 薬や良好
な睡 眠で 心理的
に鎮 静を とる治 療が行わ れて い る。 将 来 的 には 心 理療 法が広 く導 入さ れ ること も期 待さ れる と筆者
等は み る。 凹要 痛 1,
298(28.
2) 関 節 炎909
(19.
7) 脳 卒 中887
(19,
2) 神 経 衰 弱 症633
(13.
7
) 無 力 性 体 質338
(7.
3
) 脊 椎 症 286 (6.
2) 神経炎105
(2.
2
) 脊髄損 傷 (対 麻 痺 )64 (
1.
3
) 顔 面麻痺 58(1.
2) ポ リオ20
(0.
4) 筋疾患1
(0.
0
) 脳 性 麻 痺 0 (0 ) 69 (22.
1) 42 (13.
5
) 94 (30.
2)65
(20.
9)14
(4 ,
5
) 】2
(3.
8
) 15(4.
8) (合 計) 4,
599311
ベ ンチェ 省の障 害 児 医療
の実
態ベ ン チ ェ 省 児 童
保
護育
成 委 員 会のNguyen
Phuong
Trang
副 委 員 長は,
省 内156
自
治体
中151
で15
歳
以 下の 障 害 児の実態
調 査を した。 こ の結
果,131
万 人の総 人口中
に2,
507
人の障
害 児 がい るこ と を,
1995
年5
月に報告
して い る(表
4
)
15) 。PT
に関 連 する疾 患では ポ リオが多い。 問 題は治 療
を受
け ら れ な い 児 童 が1
,
828
人(
68
.
9
%)
い ることである。理由は
3
点 あり,1
つ は貧 困である。2
っ め の 理由はベ ンチェ 省はメコ ン河に囲
ま れ た3
っ の デ ル タ か ら なるが,
各デ ル タの病院
, 医 師,PT
の絶対数
に欠 ける こ とで ある。3
つ めはベ ト ナム の 表4ベ ンチ s 省の障 害 児調査 (1995 年
5
月 現 在 ) 治 療をうけた児 童 (内訳 ) r匿 裂 ポ リオ 先 天 性 心 疾 患 治療をう けてい ない児 童 (内訳 ) ポ リオ 目蓋 裂 先 大 性 心 疾 患 脳 性麻痺 他 疾 患 679(31.
1
%)392
263
24
正,
828
(68.
9
%) 594 128 119 278 709384
理学 療 法 学 第23
巻 第6
号 現状
には一
般 医によ る プライマ リー ・
ヘ ルス・
ケ ア が まず求
め ら れ てい ることにある。 そ れ が優
先 的に求め られる のは当然
で あ る が,
医 師が専 門分
化さ れて いない こと も支 障と なっ て い る。省
都ベ ンチ ェ には襾洋医学
を 提 供 する5GO 床
の グェ ン・
デ ィ ン・
チ ュ ウ病院
が あ り,2
名のPT
が勤務
し て い る。医
師は90
名が常 勤 してい る。 しか し外 科と整 形外科
と脳外科
は分 化 して い ない。 し た が っ て某 本 的な手 術で あ る水 頭
症 児へ のV −P
シャ ン ト術
す らで きない。 ポ リ オ後遺症児
へ の手
術
のた めに,
わ ざ わ ざ ホー
チ ミン市の大 学 病 院ま で出
か け ねばならない。 表3
の チ ャ ン バ ン ア ン病 院PT
科へ の1985 〜 1994
年の来院者中
ポ リオ が少
な い の は,
ホー
チ ミン市の 病 院へ 送られ た症例
が あ る た め と みられ る。肢 体 不 自
由
児で最多
の ポ リオ後 遺 症 児の う ち,中
等 度 障 害 児はチャ ン バ ン ア ン病 院のPT
によ る 運 動療法
を う け る。 軽 症 児は家 族指導
の形
態 をと り, PT
によ る直接的治療
はなされ ない 。手術
や装
具を必要
とする児童
は,
ホー
チ ミン市 内の病 院 で加療
さ れ る。 しか し前 述のよ うに貧困
のた め ホー
チ ミン市の病院
へ行
け る児 童はき わめて少な いo前 述の
Nguyen
Phuong
Trang
副 委 員長
によ ると, 障 害 児 を受 け入れ る ベ ンチ ェ養
護 学 校には これ まで200
人の肢 体 不 自由 児が入学
や職業
訓 練 の た めの入 所を申請
し た。 入学
入 所 した173
人の う ちポ リオ後 遺 症 児が最多
で あ っ た。 残 りの27
人
は最
重 症の ポ リオ後 遺 症 児と脳性麻痺
児で,
自 宅 待 機の処 遇と なっ て い る。 なおベ ンチ ェ 養 護学
校
は, ホー
チ ミン市の病 院で手術
を う け た児童が 術 後に母 親と と も に入 所 し,
機 能 訓練
を学
ん で帰
宅 する中 間 施 設の 役 割 も果た して い る。但
し校
内 にPT
は いな く,
ベ トナ ム独
自の3
年 制シ ス テ ム で養 成され た 医 師 助 手が指導
を し てい る16)。チャ ン バ ン ア ン病 院の
PT
(
図3
)
のハ ン ドリ ン グ は患者 (
児)
をい たわる よ うにや さ しか っ た。 今 後はワ ク チ ンで減少
しつ つ ある ポ リオに代わ り, 比率
が増 しっ っ あ る脳性麻痺
や脳 炎 後 遣 症,
そ し て脳 卒中後
遺 症 (表3 )
な どの 中 枢 神 経 疾 患へ の 図 3チ ャ ン バ ンア ン病 院の
5
名のPT .
左端は医 師 理学療
法の取 り組 み も課 題と な る。PT
養成
制 度 とPT
協 会ベ トナム の
PT
協 会 (ホー
チ ミン市PT
協会)
は1995
年6
月,米
国 ワシ ン トンDC
で開 催さ れ た第 12
回世界
理学 療法
連 盟(
WCPT
)
総 会に て 仮 会 員 と なっ た。 今 回の訪 越 巾に ホー
チ ミン市 内
に あるPT
養 成校
の中央医
療 技 術 学 院 (Central
Medical
Technology
School
)
で, 教務
主任
で ホー
チ ミ ン市
PT
協 会
副 会 長 のNguyen
Thi
Huong
女 史,
ホー
チ ミ ン市PT
協会
々長
で教
員の
Nguyen
Ngoc
Bach
Dao
女 史,
そ して学 院長
で医 師のDo
Dinh
Ho 氏
と会
見した (図4
)。 理 学療法学科
はこの学 院内
に,看護婦
・
助 産 婦・
臨 床 検 査技師 ・
レ ン トゲ ン技 師・
薬 剤 師・
小
児歯科
・
麻 酔の8
科の1
っ と して設 置されて い る。 図 4 ホー
チ ミン市のPT
養成校の巾 央 医療 技 術 学 院 (左 )Nguycn Ngoc Bach Dao ホー
チ ミン市PT 協会々長,
(巾 ) Do Dinh Ho 院 長 (医 師 )
,
(右 ) 教 務 主 任で副 会 長のPT 養成校
は,北部
の ハ ノイ市,
中 部のダナ ン 市,
南部
の ホー
チ ミン 市の3
ヵ所
に あ り,2 .
5年制
であ る(図
1
)。 国 家 試験制度
は な く卒業
と1
司時にPT
と なること がで き る。OT
養 成 校はま だ存在
し ない。3
校の中で もホー
チ ミン市
の養成
校は1972
年に設置
さ れ もっ とも長い歴 史 を もっ 。 北部
と中部
の養
成 校へ の 入 学 希 望 者は多
い が, ホー
チ ミン市の養成校
へ の 応募者
は き わめ て少な い。 3
名の教官
によ る と,
リハ ビ リテー
ショ ン に つ いて の社会的
関心 が薄いこ と と,
市 内の風俗営
業の看 板にマ ッサー
ジ・
理学療法
と併
記さ れて い るこ と が多
く, いか が わ しい業 務という誤っ たイ メー
ジ が市 民 とくに若 者に もたれているこ と が大
きな理 由 と してあ げら れて い る。1989
年,90
年 に はPT 学
科へ の 応 募 者が な かっ た く らいである 。1995 年 8 月
現 在1 学年
の定員 30 名
の とこ ろに,3
年 生12
名, 2 年
生 17名
,1年
生24 名
で ある。多
い戦
傷 者や脳 卒 巾 後 遺 症の増 加など か ら,PT
の需 要は社 会 的に増 大 して い る。Do
Dinh
Ho 学院長
は障害者 (
児)
が満 足に理学 療 法 を 享 受でき る ように, 打 開 策と して次の4
っ の課 題 を 展 開 中であると熱っ ぽく語 っ て いる。1
っ は中
央 の 厚 生 省 か ら地 方の厚
生局
や病院長
に,
リハ ビ リ テー
シ ョ ン科
や 理学
療 法 科の必 要 性を訴え て い く ことであ る。 ホー
チ ミン市に は中 央ベ トナム政府
立の医 科 大 学 と,市
立医科大学
の2
つ が あ る。 両者
の大学病院
には リハ ビ リ テー
シ ョ ン科は設 置さ れて い る が,
内科
医や伝統医学医師
の み が主 治 医 と な るよ う派遣
さ れ, リハ 科へ の 医 師の派 遣 人事
と予算
は後
回しに され が ちで ある。2
っ めの課 題 は,
教 育 水準
を高
め るた め5
〜10
年 後に政府
立の ホー
チ ミン 医 科 大 学 内に6
年制
の リハ 医 学 科 新 設 と, 3
年 半 制のPT
科の併設
をすることである。 こ の計 画 を 政府等
に陳情巾
で ある。3
っ めは1
と2
の課 題の実
現と並行 するが, 理学 療 法が正 し くう け入れ ら れ る た めに リハ ビ リ テー
ショ ンに関
す る社会 的
啓 蒙の必 要 性で ある。
4
っ めの 課題 はベ ト ナム古 来の鍼 灸 悸 旨圧な どの伝
統 的 医学 と, リハ ビ リ テー
シ ョ ン医療
を統合
さ せ るこ とで ある。筆者
の意 見を付 記 すると, ベ トナム とくに南 部 に は道 路 事情
,鉄
道や バ ス等の交 通 網,
大 河の存 在な ど患者
にとり足の 便が悪い条件
が あ る。 し た が っ て5
っ めの課 題として , ベ ト ナム独 自の地 域 に根ざ したT丿ハ ビ リテー
シ ョ ン活 動(
CBR )
が 求 め ら れ る。 す で に こ の 点 で 教務
主任
のNguyerl
Thj
Huong
女史
は ,南部
メコ ン デル タ でCBR 活動
に多忙
であ る。 ホー
チ ミン市
の養成
校
で は,CBR
にっ い て40 時間
の臨床実
習をメコ ンデル タ で実施
して い る。ベ トナム 全 土を
統括
す るPT
協 会は存在
して い ない。 ま た3
養成校
の連 絡 協 議 会 がない ため,毎
年
何 名のPT
が全 国 的に養成
さ れ たの かも把 握さ れて いない。 ホー
チ ミン市の 養 成 校の卒 業 生は391
名
であ る が,
他の仕 事にっ いた者
もい る ゆ え,
PT
の実 数は不明
で あ る 。 但 しホー
チ ミン市 と周
辺には約 150
名のPT
が勤 務 していて,市内
と周辺
の省
のPT
で ホー
チ ミン市 PT
協 会が設 立され て い る。 交 流 を 通して感 じ と れる こ との1
っ は, 旧政権時代
に教育
をう けたPT
及 び西洋医学
の医
師
には, 英 語や仏 語 を 堪 能に話
す方
が少
な くない ことである。 しかし新政権
以 後に養 成 教 育 をう け たPT
は, 専 門 用 語を含めてベ トナム語の みで学
んで い る傾向
にあ り,
援助活動
を進
め て い く うえ で意
志 疎 通に難 しい問
題が ある。 因み にベ トナム の人凵の約 40
% は, 1975
年の終 戦 以 降に出
生 し て い る17)。PT 協会
の活動
の主た るもの は卒 後 教育
で,学
院
を会
場に して の臨 床 教 育が中心で あ る。 すべ て の 障 害 者 (児 )へ の医療保障
の うえで,
ベ トナム 全 土 を統轄
す るPT
協 会の設 立が待
た れ る ところ であ る。 ま と めベ トナム
南部
メコ ンデル タのベ ンチェ省
での援
助 活 動と, ホー
チ ミン 市PT
協 会々長等
との会 見 を通 じて え ら れ たベ ト ナム の障害
者 (児 )や理学
療法
の実 状を報 告 した。我国
は世
界 最 大の対
越援
助 国であり, 580 億
円の援
助を して いるユ8)。
理学
療 法の分 野に おい て も,
ベ ト ナム 国民
が満
足に ご
386
理学療 法 学 第23
巻 第6
号れ を享 受で きる条 件 をっ くる た め19), 我 国の
PT
が ドイモ イの
風
を支援
するこ と を願
っ て や ま ない 。文 献
1)Do Huu Chi :The Project of the Construction
of The
National
Medicine
Hospital.
The
People
’
s Comrnittee of Bentre Province,
Viet−
nam
,
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PP.
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2) 世 界経 済 情 報サー
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3
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東 京,
1995,
pp.
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31,
283一
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)二宮道明 (編 ):ベ ト ナム社 会主義 共 和 国.
デー
タ ブッ ク・
オブ・
ザ・
ワー
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二宮書 店,
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1993,
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東 京, 1995,
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6
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新 聞,
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朝r
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CAM ON 16:L
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93年 版).
1rq
勢社,
東 京,1991,
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ll) 澤 村 誠 志,
幸 幹 雄 ;報 告一
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兵 庫 県 下津 福 祉セ ンター1
坿 属 リハ ビ リテー
シ ョ ン セ ンタ
ー,
神戸,
1991,
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12
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L
中央法規出版 東京,1990,
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岩 波 新 書,
東京,
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Tran Van An Tra・
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Province,
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ェ
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,
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目本 経 済 新 聞 (夕 刊),
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1,1995
年4
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目本経 済新聞 (夕刊 )
,
第39300
号,p.
1,
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本 の理学療 法士は ど う応え る か.
理学 療 法 学20
:458−
462,
1993.
<Abstraet>
The
Conditions
ofHandicapped
Persons
andPhysical
Therapy
in
Vietnam:
The
Activities
asVolunteers
in
Bentre ProvinceMasamichi
FURUSAWA,
RPT
Bobath
Memon'at
Hbspital
Midori
AKATSUKA,
RPT
Ytzo
Citly
Day
Care
Centerfor
HandicmpPed
Child7en
Yasuo
HARA,
RPT
Medical
andEducational
Centerfor
Rhysical
andinteltectuat
Hdndicapped
Chiidren
Junichi
TAKASHIO,
RPT,
Mutsumi
TANAKA,
OTR
Daiichi Biwaho
Galeuen
In
August
1995,
four
physical
therapists and one occupationaltherapist
worked as volunteer withtwo
doctors
in
Bentre
Province
in
the
Mekong
Delta,
Vietnam.
A
per capita national
income
in
Vietnarn
is
200
dollars,
whilethat
in
Bentre
Province
is
96
dollars.
Although
there
are2,507
handicapped
childrenin
the
province,
whosepopulation
is
1.31
million, alrnost70%
ofthose
childrendo
not receive inedical treat-mentbecause
of poverty and alack
ofdoctors
and physicaltherapists,
There
arcthree