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全文

(1)

Title

戦後西ドイツにおける外国人労働者導入への道

Sub Title

Zur Geschichte der Einführung der ausländischer Arbeitnehmer in der

Bundesrepublik Deutschland

Author

矢野, 久

Publisher

慶應義塾経済学会

Publication year 1998

Jtitle

三田学会雑誌 (Keio journal of

economics). Vol.91, No.2 (1998. 7) ,p.261(93)- 280(112)

Abstract

Notes

論説

Genre

Journal Article

URL

http://koara.lib.keio.ac.jp/xoonips/modules/xoonips/detail.php?koara_id=AN0023

4610-19980701-0093

(2)

「三田学会雑誌」

91

2

号 (

1998

7

月)

戦後西ドイツにおける外国人労働者導入への道

は じ め に ド イ ツ の 社 会 問 題 の 一 つ と し て , い わ ゆ る 「外 国 人 労 働 者 」 問 題 が , ドイ ツ の み な ら ず 日 本 に お い て も 少 な か ら ぬ 関 心 を も た れ て 久 し い 。 (旧西) ド イ ツ に お い て は , す で に

1970

年 代 か ら 社 会 学 者 な ど が こ の 問 題 を 本 格 的 に 研 究 し て き て お り , 研 究 の 蓄 積 と い う 点 で は 眼 を 見 張 る も の が あ る が , 歴 史 学 の 領 域 で は ほ と ん ど 研 究 が お こ な わ れ て い な い と い う の が 実 状 で あ る 。 そ こ で 本 稿 で は , 第 二 次 世 界 大 戦 後 , ド イ ツ 連 邦 共 和 国 (西ドイツ)が い わ ゆ る 「外 国 人 労 働 者 」 を 労 働 力 と し て 受 け 入 れ , 近 隣 諸 国 か ら 大 量 に 外 国 人 労 働 者 が 流 入 し て き た 過 程 を 歴 史 学 的 に 分 析 す る こ と を ね ら い と す る 。 ド イ ツ 連 邦 共 和 国 政 府 は

1955

12

月 イ タ リ ア 政 府 と 労 働 力 募 集 協 定 を 締 結 し た 。 ここに現代ドイ ツ の 「外 国 人 労 働 者 問 題 」 の 史 的 起 源 が あ る と 言 わ れ て い る 。 しかし, 協 定 締 結 に い た る 過 程 を 振 省略表記

AA

Ausw^rtiges Amt

BA

Bundesarchiv Koblenz

Baden-W.

Baden-Wurttemberg

BAVAV

Bundesanstalt fur Arbeitsvermittlung und Arbeitslosenversicherung

BKA

Bundeskanzleramt

BMA

Bundesministerium fiir Arbeit

BMW

Bundesministerium fiir Wirtschaft

BML

Bundesministerium fiir Erahrung,Landwirtschaft und Forsten

BMZ

Bundesministerium fur wirtschaftliche Zusammenarbeit

DGB

Deutscher Gewerkschaftsbund

LAA

Landesarbeitsamt

PA

Politisches Archiv des Auswartigen Amtes,Bonn

Pr.

President

Schr.

Schreiben

(3)

り返ると, そ の プ ロ セ ス は 直 線 的 な も の で は な く , 国 内 外 の さ ま ざ ま な 利 害 が 交 錯 し て い る ことが わ か る 。 本 稿 で は , 協 定 締 結 一 年 前 の

54

12

1 4

日 の 連 邦 政 府 閣 議 決 定 ま で の 時 期 に 限 定 し て , 以 下 の 点 を 明 ら か に す る こ と を 課 題 と す る 。 第 一 に , 協 定 締 結 交 渉 に 先 べ ん を つ け た の は イ タ リ ア 政 府 か , は た ま た , ドイツ政府か, 第 二 に , 交 渉 過 程 に お い て ド イ ツ 側 で は 何 が 重 要 事 項 で あ っ た の か, 第 三 に , 西 ド イ ツ 政 府

省 庁 内 部 で 意 見 の 対 立 は あ っ た の か , ま た 仮 に あ っ た と す れ ば ど の よ う な 対 立 で あ っ た の か , そ し て そ れ ぞ れ の 主 張 の 根 拠 は 何 だ っ た の か , 第 四 に , 経済界では イタ リ ア 人 な い し 外 国 人 労 働 者 導 入 へ の 具 体 的 な 動 き は な か っ た の か , あ っ た と す れ ば ど の よ う な 動 き だ っ た の か 。 研 究 史 を 振 り 返 る と , 独 伊 交 渉 は

1954

年 秋 に は じ ま り , し か も 西 ド イ ツ 政 府 が 自 国 の 労 働 力 不 足 を 解 消 す る た め に イ タ リ ア 人 労 働 力 を 積 極 的 に 導 入 し よ う と し て イ タ リ ア 政 府 に 働 き か け た , とい う 見 解 が 主 流 で あ る 。 そ れ に 対 し , 一 次 資 料 に 基 づ い た 研 究 が 最 近 に な っ て よ う や く な さ れ る よ う に な り , そ れ に よ る と ,

1954

年 秋 で は な く そ の 年 の は じ め に , し か も 西 ド イ ツ 政 府 で は な く イ 夕 リ ( 2 ) ア 政 府 が , イ タ リ ア 人 労 働 力 の ド イ ツ で の 就 業 を 求 め た と い う 。

本 稿 で は , コ ブ レ ン ツ 連 邦 文 書 館

(Bundesarchiv Koblenz),

外 務 省 政 治 文 書 館

(Politisches Ar­

chiv des Auswartigen A m te s)

の 一 次 資 料 を 利 用 す る 。 第 一 章 検 討 開 始 ま で 資 料 的 に 確 認 で き る か ぎ り で は , イ タ リ ア 大 使 館 の ア ル ヴ ヱ 一 ラ

A lv e r a

1951

8

月 に 電 話 で , 連 邦 政 府 が

6,000

名 の イ 夕 リ ア 人 労 働 者 を ル 一 ル 地 方 に 就 業 さ せ る こ と に 関 心 が な い か ど う か を 問 い 合 わ せ た の が 最 初 で あ る 。 連 邦 労 働 省 は ノ ル ト ラ イ ン .ヴ ヱ ス ト フ ァ 一 レ ン 州 の 担 当 庁 に 問 い 合 わ せ た 後 , ド イ ツ 人 労 働 力 予 備 軍 に 提 供 す る 住 宅 を ル ー ル 地 方 に 建 造 で き な い の で , イ タ リ ア 人 労 働 者 を 就 業 さ せ る 計 画 に は 目 下 関 心 が な い と 外 務 省 に 報 告 し て い る 。 そ の ニ ヶ 月 後 , キ リ ス ト 教 民 主 同 盟

C D U

連 邦 議 会 議 員 で あ り 連 邦 議 会 農 業 委 員 会 委 員 長 の ミ ュ ラ ー

M Q ller

は, 来 る

1952

年ビ ー ト 農 繁 期 の た め に イ タ リ ア 人 季 節 労 働 者 を 配 置 す る か ど う か と い う 問 題 を イ タ リ ア の 担 当 機 関 と 話 し 合 う よ う ロ ー マ の ド イ ツ 大 使 館 に 要 請 し て い る 。 彼 に よ れ ば , ノ ル ト ラ イ ン .ヴ ヱ ス ト フ ァ ー レ ン 州 は

1952

年 の ビ ー ト 栽 培 に 概 算 で ま ず は

3,000

名 か ら

5,000

名 の イ タ リ ア 人 農 業 労 働 者 を 必 要 と

( 1 ) Siegfried Bethlehem : Heimatvertreibung, DDR-Flucht, Gastarbeiterzuwanderung. Wanderungs-

strome und Wanderungspolitik in der Bundesrepublik Deutschland, Stuttgart 1982

,

S .182

; Ulrich

H erbert: Geschichte der A uslanderbeschiiftigung in Deutschland 1880 bis 1980. Saisonarbeiter,

Zwangsarbeiter, Gastarbeiter, Berlin/Bonn 1986

,

S.190

.

(2 ) Johannes-Dieter Steinert: Migration und Politik. Westdeutschland - Europa - Ubersee 1945­

1961, Osnabriick 1995

(4)

し て い

>

4

。) こ れ に 対 し 外 務 省 は

1951

10

1 1

日, 西 ド イ ツ に は 外 国 人 労 働 力 の 需 要 は な く , したが っ て 労 働 局 は イ 夕 リ ア 人 労 働 者 就 業 の 申 請 を 扱 わ な い 旨 , 西 ド イ ツ 外 務 省 在 外 機 関 に 通 達 し た 。 こ の 事 実 は ,

1951

年 夏 に イ タ リ ア 側 が イ 夕 リ ア 人 労 働 者 の 西 ド イ ツ で の 就 業 に 関 心 を も っ て い た こと, 同 時 に , ほ ぼ 同 じ 頃 , 西 ド イ ツ の 農 業 部 門 も ま た イ タ リ ア 人 農 業 労 働 者 の 雇 用 に 関 心 を も っ て い た こ と を 示 し て い る 。 し か し こ れ ら の 要 請 は , そ れ 以 上 の 進 展 を み る こ と は な か っ た 。 新 た な 展 開 を 見 せ る の は ,

1952

3

月 の こ と で あ る 。 し か も イ タ リ ア 人 労 働 力 へ の よ り 積 極 的 な 関 心 は , 西 ド イ ツ の 農 業 部 門 か ら 発 し て い る 。 ラ イ ン ヘ ッ セ ン 州 の 農 業 団 体 で あ る ラ イ ン ヘ ッ セ ン 農 民 連 盟

Der Bauernverband Rheinhessen e .V .

は,

52

3

2 0

日 の 理 事 会 で 次 の よ う な 決 議 を 採 択 し た 。 「労 働 力 は ま す ま す 強 大 な 勢 い で , ラ イ ン ヘ ッ セ ン の 農 業 経 営 か ら 工 業 あ る い は 占 領 軍 勤 務 に 流 出 し て い る 。 す で に 長 年 ラ イ ン ヘ ッ セ ン の 農 業 経 営 で 働 い て い た 労 働 者 で さ え , 農 業 労 働 者 と し て の 地 位 を し か も し ば し ば 予 告 な し に 放 棄 し た の で , ま す ま す 多 く の 経 営 所 有 者 は 経 営 に も っ と も 重 大 な 困 難 に 陥 っ て い る 。 こ う し た 状 態 に よ っ て , あ ち こ ち で 春 作 業 が 大 き く 妨 げ ら れ て い る 。 そ れ ゆ え , イ タ リ ア 人 農 業 労 働 者 の 導 入 に よ っ て こ の 労 働 力 不 足 を 解 消 す る 予 防 措 置 を 即 座 に 講 じ な け れ ば な ら な い 。」 「ラ イ ン ヘ ッ セ ン 農 民 連 盟 は , 失 業 し て い る 他 の 職 業 構 成 員 を 彼 ら の 意 志 に 反 し て 農 業 に 雇 用 す る こ と は で き な い の で , こ う し た 手 段 を 選 ば ざ る を え な い 。」 農 業 労 働 力 不 足 解 消 の た め に イ タ リ ア 人 農 業 労 働 者 を 導 入 す る と い う 提 案 は , 州 労 働 庁 が 指 摘 す る よ う に , 「これら の 外 国 人 労 働 力 が ド イ ツ 人 労 働 者 よ り も 安 価 で あ る と い う 仮 定 に 非 常 に 大 き く 影 響 さ れ て 」 い た 。 農 業 部 門 の イ タ リ ア 人 農 業 労 働 者 雇 用 へ の 関 心 は , バ ー デ ン 州 で も 確 認 で き る 。

1952

3

月末に 西 ド イ ツ の イ 夕 リ ア 領 事 が バ ー デ ン 州 労 働 庁 を 訪 問 し た 。 バ ー デ ン 州 の ワ イ ン • 農業 経 営に イ タ リ ア 人 労 働 者 を 就 業 さ せ る 問 題 で , 同 州 の 大 規 模 経 営 か ら 依 頼 を 受 け た か ら で あ る 。 州 労 働 庁 は ,

1933

年 の 「外 国 人 労 働 者 令 」 が 再 適 用 さ れ て い る の で , そ の 経 営 が 労 働 力 需 要 を 労 働 局 に 伝 え , そ こ か ら 外 国 人 雇 用 許 可 手 続 き を と る よ う に , 領 事 が そ の 経 営 に 知 ら せ る よ う 伝 え た 。 同 時 に 同 州 労 働 庁 は , フ ラ イ ブ ル ク 労 働 局 の

52

3

2 9

日 付 け の 報 告 を 受 け 取 っ て い る 。 そ れ に よ る と , イタリ ア 領 事 が バ ー デ ン 農 業 中 央 連 盟 に イ タ リ ア 人 農 業 労 働 力 の 提 供 を 申 し 出 て い る 。 同 農 業 中 央 連 盟 は イ タ リ ア 領 事 を 労 働 局 に 紹 介 し , で き れ ば こ の 提 案 を 利 用 す る よ う 依 頼 し た 。

52

4

月 は じ め , 農 業 中 央 連 盟 と 郡 長 は 電 話 で 話 し 合 っ て い る が , 話 の 中 心 は 募 集 行 動 で は な く 個 別 労 働 力 の 導 入 で あ った。 「農 業 の 最 盛 期 は す で に 始 ま り , 労 働 力 不 足 は 非 常 に 大 幅 な も の で あ っ た し , ま た 申 請 さ れ (8) た 未 就 業 の 職 場 は

3

月 末 に

734

4

月 末 に は

825

に 達 し て い た 。」

( 4 ) Bericht Botschaft Rom an AA v.5.10.1951, in : PA, Abt.5/685.

(5 ) Rundschr. AA v.11.10.1951, in : PA, Abt.5/685.

(6 ) EntschlieBung des Bauernverbands Rheinhessen e.V. am 20.3.1952, als Anlage z. Schr. BMA an

BAVAV v.14.5.1952, in : BA, B 119/3039.

(7 ) Schr. LAA Rheinland-Hessen-Nassau an BAVAV v.12.3.1953, in: BA, B 119/3039.

95

(

263

)

(5)

そ れ ゆ え バ ー デ ン 州 労 働 庁 は

1952

4

2 4

日, バ ー デ ン 農 業 中 央 連 盟 に 対 し , イ タ リ ア 人 農 業 労 働 者 を 雇 用 す る 用 意 の あ る 農 業 経 営 に , 「わ れ わ れ は , ド イ ツ 人 労 働 力 で は 取 り 除 く こ と が で き な い 農 業 労 働 力 不 足 に 関 連 し て , 雇 用 許 可 〔雇用者に対するもの〕 と 労 働 許 可 〔労働者に対するもの〕 授 与 に 際 し , 即 座 に 応 じ る 用 意 が あ る 」 と伝え, 「イ タ リ ア 人 農 業 労 働 者 が 営 業 経 済 へ 流 出 す る の (9) を 防 ぐ た め に , 許 可 の 有 効 期 間 を 最 高

1952

12

1 5

日 ま で に 制 限 す る 」 と し てい る 。 同 時 に バ ー デ ン 州 労 働 庁 は 各 労 働 局 に 対 し , イ タ リ ア 人 農 業 労 働 者 の 雇 用 を 希 望 す る 農 業 経 営 に 雇 用 許 可 を 与 え (10) る こ と に 何 ら 疑 念 は な い と 通 達 し た 。 そ こ で バ ー デ ン 農 業 中 央 連 盟 は

52

5

1 6

日, イ タ リ ア 人 農 業 労 働 者 の ヴ ィ ザ を 求 め た 。 イタリ ア 人 農 業 労 働 者 雇 用 は 労 働 局 が 許 可 し て は じ め て 可 能 で あ る こ と が 確 認 さ れ ,

5

2 3

日に州労働庁 (11) は 基 本 的 に こ れ を 承 認 し た の で , 何 人 か の イ タ リ ア 人 農 業 労 働 者 の ビ ザ は 与 え ら れ た 。 ここで留意 し な け れ ば な ら な い こ と は , こ の 州 労 働 庁 の イ タ リ ア 人 労 働 者 雇 用 許 可 が ,

1952

2

1

日に発効 し た 外 国 人 労 働 者 令 (

1933

1

23

日の再公布) に 基 づ く も の で あ る と い う 点 で あ る 。 こ れ に よ っ て , 個 別 に 外 国 人 労 働 者 を 雇 用 さ せ る こ と は 可 能 と な っ て い た 。 農 業 労 働 力 不 足 を 外 国 人 労 働 者 , ここ で は イ タ リ ア 人 農 業 労 働 者 で 解 消 し よ う と す 試 み が , 個 々 の 州 で は す で に

1952

年 に 実 施 さ れ て い た の で あ る 。 し か し イ タ リ ア 側 は , そ れ 以 上 の 対 応 を 西 ド イ ツ 側 に 要 請 し て い る 。 イ タ リ ア 大 使 館 は

1952

6

9

日, バ ー デ ン 州 農 民 連 盟 が

6

月 か ら

11

月 ま で 若 干 の イ タ リ ア 人 農 業 労 働 者 を 雇 用 す る た め に イ タ リ ア の 担 当 当 局 と 協 定 を 結 ぶ こ と を 要 請 し た と し て , イ タ リ ア 人 農 業 労 働 者 に 対 す る 入 国 ヴ ィ ザ 発 行 を 容 易 に す る 指 令 を 出 す よ う ド イ ツ 外 務 省 に 要 望 し た 。 そ れ に 対 し 連 邦 労 働 省 は , ミラノとロ (12) 一 マ の 領 事 館 に 入 国 ヴ ィ ザ を と り あ え ず 出 さ な い よ う 外 務 省 に 要 請 し た 。 西 ド イ ツ 農 業 側 の 積 極 的 な 姿 勢 に も か か わ ら ず , イ タ リ ア 人 農 業 労 働 者 雇 用 の 動 き は そ れ ほ ど で も な か っ た 。 バ ー デ ン 州 労 働 庁 長 官 は

1952

7

月 の 書 簡 で は , 「期 待 に 反 し て 労 働 局 に も 私 の 事 務 所 に も 雇 用 許 可 の 申 請 は 届 か ず , し た が っ て 私 は 計 画 が 失 敗 し た と 思 わ ざ る を え な か っ た 。」 と報 告 し て い る 。 しかし, バ ー デ ン 農 業 中 央 連 盟 は イ タ リ ア 人 農 業 労 働 者 雇 用 を 再 び 申 請 し , いくつか の 労 働 局 に , 「農 業 経 営 に 就 業 予 定 の 何 人 か の イ 夕 リ ア 人 農 業 労 働 者 が 数 日 中 に 到 着 す る と 伝 え た。」 イ タ リ ア 人 農 業 労 働 者 の 募 集 の 実 態 は , 「フ ラ イ ブ ル ク の イ タ リ ア 領 事 代 理 人 の 労 働 者 紹 介 に よ っ て ト レ ン ト 労 働 局 を 通 じ て 目 下 イ タ リ ア 人 農 業 労 働 者 が 募 集 さ れ , 小 集 団 で 農 業 中 央 連 盟 に 供

( 8 ) Schr. LAA Baden an BAVAV v.15.7.1952, in : BA, B 119/3039.

(9 ) Schr. LAA Baden an Badischen Landwirtschaftlichen Hauptverband v.24.4.1952, in : BA, B

119/3039.

(10) RunderlaB LAA Baden v.24.4.1952, in : BA, B 119/3039.

(11) Bericht Generalkonsulat Mailand an AA v.18.7.1952, in : BA, B 119/3039.

(12) Schr. BMA an BAVAV v.26.6.1952, in : BA, B 119/3039.

(6)

給 さ れ た 。 組 合 は こ れ ら の イ タ リ ア 人 を 予 約 し た 経 営 に 回 し た 」 と い う も の で あ っ た 。 農 業 中 央 連 盟 は イ タ リ ア 当 局 に 対 し ,

7

1

日 以 降 は イ タ リ ア 人 農 業 労 働 力 に 関 心 は な く , そ れ 以 降 は 労 働 力 は 受 け 入 れ な い と 通 告 し た 。 し か し そ の 後 も う 一 度 中 規 模 輸 送 が お こ な わ れ て い る が , か れ ら は 農 業 労 働 者 で は な く , 「農 業 経 営 の た め に ド イ ツ に 渡 り な が ら , 実 際 は 建 設 業 あ る い は 採 石 業 に 雇 用 さ れ よ う と し た た め 」, 州 労 働 庁 の 指 示 に よ っ て 外 国 人 警 察 に 引 き 渡 さ れ , 強 制 送 還 さ れ た 。 結局 全 体 で

200

名 の イ タ リ ア 人 農 業 労 働 者 が 導 入 さ れ た 。 さ ら に 州 労 働 庁 は , 「連 邦 職 業 紹 介 •失 業 保 険 庁

Bundesanstalt fiir A rbeitsverm ittlung und A rbeitslosenversicherung (

以下, 連邦職安ノ丁と略記

矢野)設 立 に 伴 い 農 業 労 働 力 の 募 集 は も っ ぱ ら 当 庁 の 任 務 と な り , 農 業 中 央 連 盟 は 将 来 こ の よ う (13) な 行 動 は も は や お こ な う こ と は 許 さ れ な い 」 旨, 農 業 中 央 連 盟 に 指 示 し た 。 し か し 同 年

11

月 の バ ー デ ン

ヴュルテンべノレク州〔組織再編で変更〕労 働 庁 の 書 簡 に よ る と , バー デ ン 農 業 中 央 連 盟 は , 雇 用 許 可 と 就 業 許 可 は 州 労 働 庁 の

1952

4

2 4

日 書 簡 で 認 め ら れ た と 判 断 し , 労 働 局 に こ れ ら イ タ リ ア 人 の 雇 用

就 業 許 可 の 申 請 を 提 出 す る こ と は な か っ た 。 イ タ リ ア 人 農 業 労 働 者 の 募 集 と 雇 用 に つ い て イ タ リ ア 領 事 か ら 承 諾 を 得 た 後 , バ ー デ ン 農 業 中 央 連 盟 の 事 務 局 長 は ア ン ケ ー ト で , 約

200

名 の 農 業 経 営 者 が イ タ リ ア 人 農 業 労 働 者 を 雇 用 す る 用 意 が あ る こ と を 確 認 し た 。

6

月 末 と

7

月 は じ め , ト レ ン ト 労 働 局 か ら

2

回 に わ た っ て 労 働 力 輸 送 が あ っ た 。個 別 労 働 協 約 は 結 ば れ ず , イ タ リ ア 人 農 業 労 働 者 の 賃 金 は バ ー デ ン 農 業 経 営 の 概 括 的 労 働 協 約 に 基 づ い て い た 。 しか し こ れ ら の イ タ リ ア 人 労 働 者 の ほ と ん ど は 雇 用 者 側 か ら す る と 「農 業 の 知 識 を も っ て お ら ず , 多く は ま も な く 職 場 を 去 っ て い っ た 」。 イ タ リ ア 人 労 働 者 側 か ら す る と , 「労 働 時 間 が 遵 守 さ れ ず , 協定 さ れ て い た 賃 金 も 支 払 わ れ て い な い 」 という。 し か も 興 味 深 い 点 は , 募 集 さ れ , 雇用されたイタリ ア 人 労 働 者 の 「正 確 な 数 は 突 き 止 め ら れ な か っ た 」 と い う こ と で あ る 。 と り わ け こ う し た ド イ ツ 農 業 経 営 者 側 の 経 験 を 踏 ま え , 南 バ ー デ ン の

1953

年 春 に 最 低

400

名 の 男 性 ,

100

名 の 女 性 追 加 農 業 労 働 力 需 要 は ど の よ う に 将 来 的 に 充 足 さ せ る の か に つ い て , 州 労 働 庁 は も は や イ タ リ ア 人 労 働 力 で は な く, 「他 に よ っ て は 確 保 で き な い 労 働 力 需 要 を , ザ ン ト ボ シ ュ テ ル

S an d b ostel

の 青 少 年 難 民 収 容 所 か ら 青 少 年 の 受 け 入 れ , バ イ エ ル ン 森 と シ ュ レ ー ス ヴ イ ヒ . ホ ル シ ュ タ イ ン の 若 年 失 業 者 の も と (14) で の 宣 伝 活 動 に よ っ て 充 足 す る 意 図 」 を 表 明 し た 。 こ の 時 期 , イ タ リ ア 人 労 働 者 は 農 業 労 働 者 だ け で は な く , 森 林 労 働 者 と し て も 導 入 さ れ て い た 。 バ ー デ ン • ヴ ュ ル テ ン ベ ル ク 州 労 働 庁 フ ラ イ ブ ル ク 支 所 に よ れ ば , 州 営 林 署 は バ ー デ ン 営林地 区 に 約

20

名 の イ タ リ ア 人 労 働 者 を 募 集 す る 意 図 を も っ て い た 。 州 営 林 署 は

1952

年 春

29

名 の イ タ リ ア 人 森 林 労 働 者 を 募 集 し , パ '一 デ ン 州 森 林 労 働 者 概 括 的 労 働 協 約 の 規 定 に よ る 労 働 協 約 に 基 づ い て 雇 用 し (15) た。 そ の 後 に , 営 林 署 は

52

7

2 5

日なって

29

名 の イ タ リ ア 人 森 林 労 働 者 雇 用 の 申 請 を 提 出 し て い

(13) Schr. LAA Baden an BAVAV v.15.7.1952, in : BA, B 119/3039.

(14) Schr. Pr. LAA Baden-W. an BAVAV v.13.11.1952, in : BA, B 119/3039.

(7)

る。 州 営 林 署 は イ タ リ ア の 企 業 と シ ュ ヴ ァ ル ツ ヴ ァ ル ト の 伐 採 に 関 し 長 期 契 約 を 締 結 し て お り , こ の 木 の 一 部 は 伐 採 後 イ 夕 リ ア へ 運 ば れ る こ と に な っ て お り , 州 営 林 署 は 反 対 給 付 と し て イ タ リ ア 人 の 労 働 給 付 を 保 証 し , 山 道 建 造 の た め に イ タ リ ア 側 が 労 働 力 を 提 供 す る と い う 条 件 で あ っ た 。 この 事 例 は , 森 林 労 働 者 需 要 を イ タ リ ア 人 労 働 者 で 充 足 し よ う と し た こ と , さ らに, 州 営 林署 が 直接 イ タ リ ア 側 と イ タ リ ア 人 労 働 力 の 雇 用 に つ い て 取 り 決 め て い た こ と を 示 す 。 州 労 働 庁 は , ドイツ人木 こ り に 今 な お 失 業 者 が い る た め , こ の 申 請 を 却 下 し た 。 こ の 間 創 設 さ れ た 連 邦 職 安 庁 の 労 働 力 紹 介 独 占 権 を 侵 害 す る も の で あ っ た た め , 外 国 人 労 働 者 の 募 集 は もば ら 連 邦 職 安 庁 の 任 務 で あ る 旨 を _ (16) 営 林 署 に 指 示 し た 。 こ れ ら の イ タ リ ア 人 労 働 者 の う ち

8

名 は

52

11

月 の 時 点 で 継 続 し て 就 業 し て お り, 残 る

21

名 は こ の 間 に イ タ リ ア に 戻 っ て い る 。 営 林 署 は 将 来 イ タ リ ア 人 森 林 労 働 者 を 雇 用 す る つ (17) も り は な い 旨 を 表 明 し て い る 。 州レ ベ ル でま た 個 別 農 林 業 で イ タ リ ア 人 労 働 者 が す で に 個 別 に 雇 用 さ れ て い た に も か か わ ら ず , 連 邦 労 働 省 は この時 点 で は 外 国 人 労 働 者 導 入 に つ い て は ま っ た く 言 及 し て い な い 。

1952

年 秋 の 時点 で 連 邦 労 働 省 は , 一 部 で は 「完 全 雇 用 」 状 態 に な り , す で に 専 門 労 働 者 は 不 足 気 味 で あ る と い う 認 識 を も っ て い た が , 西 ド イ ツ 労 働 市 場 の 軽 減 を 目 的 と し て 想 定 さ れ て い た ド イ ツ 人 の 「海 外 移 住 」 彳 _ (18) に つ い て は 「国 内 生 産 の 維 持 と 増 大 の た め に 慎 重 に 扱 う 」 と い う 認 識 を 示 し て い た に す ぎ な い 。 連 邦 労 働 省 は , 外 国 人 労 働 力 の 導 入 と い う 形 で の 解 決 策 を 示 し て は い な か っ た 。 こ の 時 失 業 率 は ま だ

6 .4%

で あ っ た 。

1952

5

1

日 に 創 設 さ れ た 連 邦 職 安 庁 も , 最 初 か ら イ タ リ ア 人 労 働 者 導 入 に は 懐 疑 的 で あ っ た 。 職 安 庁 は 連 邦 労 働 省 に 宛 て て 書 い た よ う に , そ の 設 立 以 前 に す で に イ タ リ ア 人 労 働 者 の 導 入 に い た 一 (19) る 経 過 は 存 在 し た が , こ れ ら 設 立 以 前 の 問 題 に 関 し て は 「い か な る 責 任 も 持 た な い 」 と 表 明 し た。 し か も 連 邦 職 安 庁 は ,

52

6

月, 「な お 比 較 的 多 く の 失 業 者 が 農 業 労 働 者 に は 存 在 す る の で 」, 「イ タ リ ア 人 農 業 労 働 者 の 導 入 は 目 下 の と こ ろ 得 策 で は な い 」 と い う 認 識 に 立 ち , 西 ド イ ツ 国 内 の 「地 域 間 調 整 と い う 道 で 努 力 す る よ う 」, た と え ば ラ イ ン ラ ン ト

.

ヘ ッ セ ン .ナ ッ サ ウ 州 労 働 庁 に 要 望 し (20) て い る 。 こ の 要 望 に も と づ い て ラ イ ン ラ ン ト

.

ヘ ッ セ ン.ナ ッ サ ウ 州 労 働 庁 は , ラインヘ ッ セ ン 農 業 会 議 所 と 交 渉 を お こ な い , 先 述 の 決 議 を 採 択 し た 「農 民 連 盟 に と っ て イ タ リ ア 人 農 業 労 働 者 の 導 5 6 7 I X I X1 ±

(18)

(19)

(20)

BA,B 119/3039.

BA,B 119/3039.

BA, B 119/3039

. イタリア人森林労働者

Schr. Pr. LAA Baden-W. an BAVAV v.13.11.1952, in

Schr. Pr. LAA Baden-W. an BAVAV v.29.10.1952, in

Schr. Pr. LAA Baden-W. an BAVAV v.13.11.1952, in

がすでにイ タリ ア に 帰 国 し た

52

7

月末,バ ー デ ン 州 営 林 署 は 残 っ た

8

名のイタリア人に対し雇 用

就業許可願いを申請した。

Schr. BMA an BML v.16.12.1952, in: BA, B 119/3039.

Entwurf ders Berichts B M A : “Aktive Beschaftigungspolitik, Neuordnung der Arbeitsver-

waltung, Einzelfragen des Arbeitsmarktes” v.29.9.1952, in : BA, B 149/1437.

Schr. BAVAV an BMA v.6.9.1952, in : BA, B 119/3007.

(8)

入はそれほで重要ではない」 という見解に至った。 さらに連邦職安庁は

52

11

月,バ ー デ ン 農業部門でのイタリア人労働者雇用に関し, 将 来 この募 集行動が再びお こ な わ れ る こ と の な い よ う 措置を命じた。バ ー デ ン . ヴ ュ ル テ ン ベ ル ク 州労働庁が, 「イ タ リ ア人 農業 労働者 が 遅くとも

1952

12

15

日までにドイツを再び去り,他の雇用関係を結ば な い よ う 」配 慮 す ること, そ れ ば かりか, 「バ ー デ ン 農 業 中 央 連 盟 の 態 度 は ま っ た く 理 解 で きない ものであり, 誤解を招きやすい」 とし, ま た 「バーデン州営林署によるイタリア人森林労働者の不 (22) 法な雇用」 は, 「厳しく拒否されねばならない」 と批判した。 こうした状況において,

1952

12

18

日 付 け イ タ リ ア の 新 聞

“Giornale d Italia”

に,数万名の イ夕リア人農業労働者をバ ー ド

.

ゴ ー デ ス ベ ル ク のイタリア大使館を通してドイツの農業での作業 に募集させようという, ラ イ ン ラ ン ト •プ フ ァ ル ツ 州政府の意図が掲載された。 記 事 に は 労 働 •賃 金などの詳細が挙げられ, 準備はすでにかなり進んでいるようだと, ローマの西ドイツ大使館は報 (23) 告している。 これに対し外務省は, 連邦労働省,連 邦 職 安 庁 な ら び に ラ イ ン ラ ン ト •プ フ ァ ル ツ 州 社会省がイタリア人農業労働者募集について知らされていない, これは, イタリア人農業労働者を 募 集 し よ う と い う

F D P

州議会提案の新聞報道によるもので,州議会はまだこの問題に関与してお (24) らず,労働力募集担当庁もこの問題には取り組んでいないとドイツ大使館に答えている。 第 二 章 検 討 開 始 連邦職安庁が各州労働庁に対しイタリア人労働力導入について厳格な立場を貫き,職安庁の労働 許可独占権を声高に主張していた一方で,連邦労働省は

1953

年になると外国人労働力導入の可能性 についての検討をはじめた。 しかも直接のきっかけは防衛力との関係である。 この時点以前にも, 将来的な労働力需要供給関係は各省庁で検討されていた。 しかも労働市場状 況の判断では省庁間で見解の大きな開きがあった。 また,労働力需給関係が防衛力との関連でも検 討されている。 ヨーロッパ防衛共同体創設交渉がすでに進行している

52

2

月の時点で, この防衛 共同体構想によって何名のドイツ人兵士を派遣する必要が生じるのかが連邦労働省の関心を呼び起 こした。 というのも,連邦労働省がまったく具体的な数を知らされていなかったからである。連邦 労働省は経済省との会議ではじめて,ハ。リ交渉ではドイツ人兵士の具体的な派遣数がすでにあげら れていることを知った。連邦労働省は, この問題に労働省も関与する必要があると認識するように なった。 この時点で,労 働省は

40

万 名の 兵士派 遣 を 計 算 に 入 れ て い た 。失 業 者 か ら は (

1928

年から (21)

(21) Schr. LAA Rheinland-Hessen-Nassau an BAVAV v.3.7.1952, in : BA, B 119/3039.

(22) Schr. BAVAV an BMA v.15.11.1952, in : BA, B 119/3039.

(23) Bericht Botschaft Rom an AA v.24.12.1952, in: PA, Abt.5/685.

(24) Schr. AA an Botschaft Rom v_16

1953, in : PA, Abt.5/685.

(9)

Vermerk BMA (Siemer) v.27.2.1952, in: BA, B 149/657.

Schr. BMW an BMA v.4.10.1952, in : BA, B 119/3007.

Vermerk BMA (Kraus) v.2.2.1953, in : BA, B 149/657.Vgl. Steinert, S.217.

Vermerk BMA (Kraus) v.2.2.1953, in : BA, B 149/657.

35

年生まれの

115,300

名の失業者のうち

60%

に相当する)約

7

万 名 し か 確 保 で き な い と 計 算 し た 労 働 省 は, 自 営 業 者 な ど か ら 調 達 し て も , 残 る

27

万 名 を 就 業 者 か ら 調 達 す る 必 要 が あ る と み て い た 。 しか し, 総 数

40

万 名 の う ち

50%

は 熟 練 工 で あ る 必 要 が あ っ た た め ,

185,000

名 の 熟 練 工 は 経 済 過 程 か ら 調 達 す る 必 要 が あ っ た 。 そ れ ゆ え , 連 邦 労 働 省 は こ れ が 「労 働 市 場 政 策 上 の 困 難 」 をもたらすであ (25) ろ う と み な し て い た 。 こ の 時 点 で は 外 国 人 労 働 者 に は ま っ た く 言 及 さ れ て い な い 。 一 方 連 邦 経 済 省 は 同 年

10

月, 兵 士 派 遣 に よ っ て 熟 練 工 不 足 は 「よ り い っ そ う 深 刻 な 状 況 」 になる と 想 定 し て お り , しかも, 熟 練 工 の 兵 士 派 遣 は 失 業 者 の 採 用 と 再 教 育 に よ っ て は 相 殺 さ れ え な い こ (26) と,

1956

年 以 降 後 継 者 減 少 に 転 ず る こ と と い う 労 働 市 場 状 況 の 問 題 点 を 指 摘 し て い た 。 労 働 力 需 給 関 係 で 外 国 人 労 働 者 の 導 入 が 議 論 の 対 象 と な る の は

1953

1

月 で あ る 。 連 邦 労 働 省 で

1953

1

月 に 開 催 さ れ た 省 庁 担 当 者 会 議 で , 労 働 省 側 は , 一 方 で , 失 業 者 は 限 定 的 に し か 利 用 で き ず, 居 住 地 に 拘 束 さ れ て お り , 地 域 間 調 整 が で き な い こ と , 学 校 卒 業 者 数 が

1955

年 以 降 減 少 す る こ と, 他 方 で , 労 働 力 需 要 は

25%

の 生 産 上 昇 と 兵 士 派 遣 に よ っ て 「非 常 に 大 き い 」 と 説 明 し た 。 労働 省 は こ の

25%

生 産 上 昇 に は 約

70

万 名 の 労 働 力 需 要 を , 兵 士 派 遣 に は こ の 時 点 で は

59

万 名 を 見 込 ん で いた 。 失 業 者 か ら は

4

万 名 が 調 達 で き る と し て , 大 部 分 が 就 業 者 か ら 調 達 し な け れ ば な ら な い と み な し て い た 。 こ の 時 点 で , 連 邦 労 働 省 は , 労 働 力 確 保 の 可 能 性 と し て , 女 性 労 働 力 , 「外 国 人 労 働

力 の 導 入

」“H eranziehung auBernationaler K rafte”

, 経 営 内 で の 専 門 労 働 力 の 合 目 的 的 利 用 , 地

(27) 域 内

地 域 間 労 働 力 移 動 を 想 定 し て い た 。 こ こ に は じ め て 外 国 人 労 働 力 導 入 の 可 能 性 に 言 及 さ れ た 。 しかも, 外 国 人 労 働 力 と い っ て も 「ヨ ー ロ ッ パ 労 働 市 場 の 自 由 化 問 題 」 が 絡 ん で お り ,

O E E C

(28) 成 り 行 き の ほ う に 労 働 省 の 関 心 が あ っ た 。 し か し な が ら 実 際 に は , イ タ リ ア 人 労 働 者 , と く に 農 業 労 働 者 は , ド イ ツ 国 内 労 働 力 の 地 域 間 調 整 な ら び に 東 独 難 民 の 流 入 が あ っ た た め , そ れ ほ ど 重 要 視 さ れ て は い な か っ た 。 ラ イ ン ラ ン ト .へ ッ セ ン

ナ ッ サ ウ 州 労 働 庁 は

1953

3

月 次 の よ う に 報 告 し て い る 。 「〔ラインヘッセン〕農 民 連 盟 は そ の 後 こ の 〔イタリア人農業労働者導入〕提 案 の 追 求 に は そ れ ほ ど 強 い 関 心 を 示 さ な か っ た , というの は, こ の 間 ザ ン ト ボ シ ュ テ ル の 青 少 年 収 容 所 の 青 少 年 , カ ー ム

C h am

労 働 局 地 区 の 農 業 労 働 力 の 導 入 に よ っ て 需 要 の 充 足 が 一 部 成 功 し た か ら で あ る 。」 「北 バ イ エ ル ン の 農 業 労 働 力 募 集 強 化 な ら び に ザ ン ト ボ シ ュ テ ル の 青 少 年 導 入 に よ る 私 の 努 力 は , 農 民 連 盟 に よ っ て 完 全 に 承 認 さ れ て い る 。」 カ ー ム 労 働 局 地 区 で の 「募 集 行 動 」 は, と り あ え ず は 期 待 さ れ た 成 果 を あ げ な か っ た が , 北 バ イ エ ル ン か ら の 労 働 者 は 季 節 雇 用 の ほ う を 優 先 し て お り , 「季 節 労 働 力 の 募 集 は 成 功 の 見 込 み は よ り 大 (29) きい。」 5 6 7 8 2 2 2 2

(10)

連 邦 労 働 省 も , イ タ リ ア 人 農 業 労 働 者 の 導 入 は 東 独 か ら の 難 民 流 入 に か ん が み 支 持 で き な い と い う 見 解 を も っ て い た 。 な ぜ な ら ば , こ の 東 独 難 民 か ら 「農 業 労 働 力 需 要 は 充 足 で き る と 予 想 さ れ (30) る」 と 考 え て い た か ら で あ る 。 こ う し た 認 識 は

1953

8

月 に も 確 認 で き る 。 同 月 , 連 邦 労 働 省 は 西 ド イ ツ 労 働 市 場 に 関 す る 報 告 書 を 作 成 し て い る 。 そ れ に よ れ ば ,

1955

年 ま で の 追 加 労 働 力 需 要 は

170

万 名 に 対 し , 労 働 力 予 備 は 男 性

120

万 名 , 女 性

100

万 名 の 合 わ せ て

220

万 名 存 在 す る と 算 定 し , 外 (31) 国 人 労 働 力 は 特 別 の 場 合 に の み 募 集 す る こ と で 充 分 で あ る と 判 断 し て い た 。

53

年 秋 に な る と , 連 邦 労 働 省 は , 現 存 の , さ ら に 想 定 さ れ る 防 衛 共 同 体 構 想 に よ る 熟 練 工 不 足 は , 青 少 年 の 集 中 的 な 職 業 教 育 と 経 営 内 で の 専 門 労 働 者 適 正 利 用 に よて 軽 減 可 能 と み な し , 労 働 市 場 (32) 状 況 に つ い て さ ら に 楽 観 的 に な っ た 。 一 方 連 邦 農 林 省 は , 工 業 の 拡 大 だ け で す で に 「農 業 労 働 力 か ら の 大 幅 な 流 出 」 を 引 き 起 こし て い る の で ,

25%

の 生 産 上 昇 と 兵 士 派 遣 は 「農 業 に と っ て 危 機 」 で あ る と み な し た 。 ド イ ツ 農 業 は , 「労 働 力 の か な り の 引 き 抜 き が は じ ま る と , も は や 生 産 上 昇 の 任 務 を 果 た せ な い 」, 「現 存 の 生 産 量 の 維 持 で さ え お ぼ つ か な く な る 」 と い う 判 断 に 基 づ い て , 農 林 省 は 農 業 を 軽 視 し な い よ う 連 邦 労 働 (33) 省 に 要 請 し た 。 た だ し 外 国 人 労 働 者 の 導 入 と い う 形 で は 要 求 し て い る わ け で は な い 。 ド イ ツ 労 働 総 同 盟

D G B

は, 自 己 の 調 査 に 基 づ い た 見 解 を 発 表 す る こ と は で き な い と し て , 議論 (34) に 関 与 で き な い と 連 邦 労 働 省 に 答 え て い る 。 これは, ド イ ツ 労 働 組 合 が す く な く と も 労 働 総 同 盟 と し て は 積 極 的 な 関 与 を 自 ら 放 棄 し て い た こ と を 示 し て い る 。 一 方 ド イ ツ 工 業 連 盟

B D I

は, 防 衛 共 同 体 へ の 兵 士 派 遣 に つ い て , 近 代 的 軍 隊 の 技 術 専 門 労 働 力 需 要 が 「工 業 の 直 接 的 利 害 に 抵 触 す る 」 と み な し て い る 。 さら に , 軍 需 需 要 の 影 響 に も 言 及 し , と く に 軍 需 と 輸 出 と の 関 連 は 労 働 力 問 題 の 動 向 と か か わ っ て , 「時 期 を 得 て ま た 明 瞭 に 認 識 し な け れ ば な ら な い 」 と み な し て い る 。 軍 需 が 一 定 の 分 野 と 産 業 部 門 へ の 「注 文 の 集 中 」 を も た ら し , 「ひ い て は 労 働 力 の 配 置 に 影 響 を 及 ぼ し 」, 「経 営 か ら 経 営 (専門力の引き抜き), 部 門 か ら 部 門 (再教育

)

, 地 域 か ら 地 域 (配置転換)へ の 労 働 力 の 転 換 と 移 動 」 を 意 味 す る と し て , 軍 需 に 対 し て 否 定 的 な 見 解 を 展 開 し て い る 。 一 方 , 労 働 力 供 給 源 と し て は 失 業 者 の 労 働 力 利 用 は 限 定 さ れ て い る と し て , む し ろ 外 国 人 労 働 力 に 可 能 性 を 見 出 し て い る 。 工 業 連 盟 は , 「ド イ ツ 人 の 失 業 者 が ま だ 存 在 し て は い る が , あ る 種 の 専 門 分 野 や 活 動 に お い て は 利 用 で き な い 場 合 に は , 外 国 人 労 働 力 の 導 入 も 妨 げ ら れ て は な ら な い 。 わ れ わ れ の 考 え で は ,

(29) Schr. LAA Rheinland-Hessen-Nassau an BAVAV v.12.3.1953, in: BA, B 119/3039.

(30) Schr. BMA an AA v.16.4.1953, in; PA, Abt.5/685.

(31) B M A : Bevolkerungssubstanz, Arbeitsmarkt und Arbeitskraftebedarf in der Bundesrepublik,

August 1953, in : BA, B 106/20580 ; Steinert, S.217.

(32) Vermerk BMA (Fittges) v.1.10.1953, in: BA, B 149/657.

(33) Schr. BML an BMA v.17.11.1953, in : BA, B 149/657.

(34) Schr. DGB - Bundesvorstand an BMA v.22.2.1954, in: BA, B 149/657.

(11)

Schr. Bundesverband der Deutschen Industrie an BMA v.19.11.1953, in: BA, B 149/657.

Schr. BAVAV an BMA v.13.3.1954, in : BA, B 149/657.

Schr. Abt. V BMW an Minister v.24.2.1954, in : BA, B 102/58106.

Fernschr. Botschaft Rom an AA v.25.3.1954, in : PA, Abt.5/118.

Bericht Botschaft Rom an AA v.10.4.1954, in : PA, Abt.5/956.

巨 大 追 加 需 要 が 見 込 ま れ る の で , こ れ ま で の 労 働 力 供 給 源 か ら 充 足 さ せ る の は ほ ぼ 期 待 で き な い 建 (35) 設 業 に と く に あ て は ま る 。」 と 主 張 し て い る 。 そ れ に 対 し 連 邦 職 安 庁 は , 連 邦 労 働 省 の 報 告 に 基 本 的 に 賛 成 し た ば か り で な く , 西ド イ ツ の 人 口 構 成 に つ い て 労 働 省 よ り も い っ そ う 楽 観 的 で あ っ た 。

1960

年 ま で 後 継 者 の 数 は 減 少 す る と は い え ,

20

歳 か ら

45

歳 の 労 働 力 人 口 は

372,000

名 で は な く ,

473,000

名 増 え る と 計 算 し て い る 。 こ れは , 労働 力 供 給 源 と し て は 労 働 省 と 基 本 的 に は 同 じ 立 場 に た っ て い た が , 唯 一 外 国 人 労 働 力 に つ い て は ま っ (36) た く 言 及 し て い な い 。 第 三 章 交 渉 開 始 イ タ リ ア 人 労 働 者 雇 用 に 関 す る 第 一 次 交 渉 は

1954

3

月 に は じ ま っ た 。

2

月 の 時 点 で す で に , 連 邦 経 済 省 第

V

課 は 連 邦 経 済 大 臣 に 対 し , 来 る

54

3

月 予 定 の 交 渉 で イ タ リ ア が イ タ リ ア 人 労 働 者 の 就 業 を 問 題 に す る で あ ろ う と 情 報 提 供 し て お り , ド イ ツ 側 は こ の 時 点 で イ タ リ ア 側 の 出 方 を 察 知 (37) (38) していた。 実 際

3

2 5

日, イ タ リ ア は イ タ リ ア 人 労 働 者 就 業 を 要 求 し た 。 そ の た め , 連 邦 労 働 省 の エ ー ム ケ

E h m k e

54

4

7

日 か ら

9

日 に か け て イ タ リ ア を 訪 問 し た 。 貿 易 交 渉 と 独 伊 貿 易 収 支 に お け る イ タ リ ア 側 負 債 問 題 と を 機 に , 「イ タ リ ア 人 労 働 力 導 入 の 増 大 の 可 能 性 に つ い て の 情 報 提 供 の 会 議 」 が お こ な わ れ た 。 こ の 会 議 は , 「ド イ ツ へ の イ タ リ ア 人 労 働 力 の 導 入 と イ タ リ ア へ の 賃 金 の 外 貨 支 払 い と に よ っ て , イ タ リ ア 側 負 債 返 済 に 寄 与 す る と い う 目 的 」 の た め の も の で あ っ た 。 「イ タ リ ア 側 が 絶 対 的 に 決 定 的 な も の と み な し て い た 問 題 は , 移 住 協 定 の 締 結 に つ い て こ の 問 題 に 権 限 を 与 え ら れ て い る 代 表 団 に よ る 公 式 の 協 議 の 開 始 で あ っ た 。」 イタリ ア 側 は , 「ド イ ツ 再 軍 備 の ド イ ツ 労 働 市 場 へ の 影 響 で 追 加 労 働 力 需 要 が 生 じ る と い う 仮 定 か ら 出 発 」 してい る。 し か も イ タ リ ア 側 は , 西 ド イ ツ が イ タ リ ア 人 労 働 力 導 入 の 前 提 を 「相 応 の 協 定 と い う 形 態 で 今 か ら 作 り 出 し , 必 要 な 場 合 に す ぐ に 行 動 で き る こ と に 関 心 を 持 ち , そ う で な い 場 合 に そ れ か ら は じ ま る こ と に な る 交 渉 に よ っ て 不 必 要 な 時 間 を 失 わ な い よ う に し た い と 考 え て い る 」 と主張し (39) た。 一 方 ド イ ツ 側 代 表 団 の 報 告 に よ る と , い わ ゆ る 外 国 人 労 働 者 雇 用 と は 無 関 係 の , 一 定 数 の 独 伊 相 互 熟 練 工 実 地 教 育

就 業 を め ざ す 「客 人 被 雇 用 者 相 互 協 定

G astarbeiterabkom m en

の 活 発 化 の 問 題 」 も 扱 わ れ た 。 イ タ リ ア 人 労 働 者 の ド イ ツ で の 就 業 可 能 性 に つ い て 言 及 さ れ , 「こ れ に 関 す る 協 (40) 譲 を で き る だ け 早 期 に 両 政 府 間 で 継 続 す る 」 こ と で 一 致 し た 。

(12)

さ ら に

1954

7

2

日, ボ ン の イ タ リ ア 大 使 館 付 き 商 務 官 モ ラ ン テ

M oran te

が 連 邦 労 働 省 を 訪 ね て い る 。 連 邦 労 働 省 の エ ー ム ヶ は , 「ド イ ツ の 難 民 問 題 と そ の 労 働 市 場 へ の 影 響 を 考 え て , 連邦 政 府 は 現 在 イ タ リ ア 政 府 と 協 定 を 締 結 す る こ と は で き な い 」 と 言 明 し た 。 そ れ に 対 し 商 務 官 は , イ タ リ ア の 見 解 で は 「問 題 は 貿 易 政 策 と 結 び つ い て い る 」, 「商 品 流 通 が 広 く 自 由 化 さ れ た か ら に は , 同 じ よ う な こ と は 労 働 市 場 で も 可 能 と な ら な け れ ば な ら な い 」, 「連 邦 共 和 国 に 対 す る イ タ リ ア の 貿 易 収 支 の 負 債 は , 一 以 前 と 同 様 一 多 数 の イ タ リ ア 人 労 働 者 が ド イ ツ で 就 業 し , 節 約 し た 賃 金 収 入 を イ タ リ ア へ 外 貨 振 り 替 え す る こ と に よ っ て の み 相 殺 さ れ う る 丄 「人 的 労 働 力 は イ タ リ ア の 国 際 収 支 に お い て 重 要 な 要 因 で あ り , 無 視 で き な い 」 と 説 明 し た 。 エ ー ム ヶ は , 「ヨ ー ロ ッ パ 防 衛 共 同 体 条 約 発 効 後 は 状 況 は 相 当 変 わ る か も し れ な い が , 万 一 の 場 合 に そ な え て , す で に 現 時 点 で イ タ リ ア 側 が 望 ん で い る よ う な 条 約 上 の 拘 束 を 引 き 受 け る こ と は 時 期 尚 早 で あ る 」 と答え た。 し か し 連邦労働 省 の ジ ハ

S ic h a

は イ 夕 リ ア 人 労 働 者 に 提 供 可 能 な 就 業 可 能 性 を 示 し て い る 。 「公 共 の 発 注 者 が 充 分 な 財 政 手 段 を 利 用 で き る か ぎ り , 比 較 的 有 利 な 展 望 は 地 下

道 路 建 設 労 働 者 , さ ら に 採 石 業 な ら び に ホ テ ル

.

飲 食 店 業 の 労 働 力 (給仕, コック, お手伝いさん) に あ る 。 そ れ に 対 し , 農 業 労 働 と 不 熟 練 労 働 に は 外 国 人 労 働 者 に は ほ と ん ど 就 業 可 能 性 は な い 。」 い ず れ に せ よ , 「イ タ リ ア 人 労 働 力 を 欲 す る か ど う か は , 最 終 的 に は ド イ ツ の 雇 用 者 の 決 定 に 依 存 し て い る か ら 」, ド イ ツ 側 か ら は 「一 定 (41) の 包 括 的 な 約 束 は で き な い 」 と 説 明 し て い る 。 続 い て

7

9

日 に は 連 邦 労 働 省 で 省 庁 担 当 者 を 含 め た 協 議 が 開 催 さ れ , エ ー ム ヶ は , ドイツの難 民 問 題 , 約

100

万 名 の 失 業 者 , 月

17,000

か ら

18,000

名 の 東 独 難 民 の 流 入 に 直 面 し て , 「現 在 な ら び に 近 い 将 来 , イ タ リ ア 人 労 働 力 の こ れ と い っ た 就 業 可 能 性 は ほ と ん ど 存 在 し な い 」, 「実 際 に は , その 都 度 小 グ ル ー プ の イ タ リ ア 人 労 働 力 が 利 用 で き な い と い う こ と に 結 果 と し て な る だ ろ う 」 と説明し た。 連 邦 職 安 庁 の ジ ー プ レ ヒ ト

S ieb rech t

は, 西 ド イ ツ 労 働 市 場 に つ い て 以 下 の よ う に 説 明 し て い る。 「今 年 の 経 済 の 労 働 力 需 要 は 大 体 の と こ ろ す で に 充 足 さ れ て い る 。

1955

年 も よ り 大 き な 約 束 は で き な い だ ろ う 。 ヨ ー ロ ッ パ 防 衛 共 同 体 条 約 の 成 立 を 前 提 と す れ ば ,

56

年 に は ド イ ツ 経 済 の 増 大 す る 労 働 力 需 要 が 部 分 的 に も は や ド イ ツ 労 働 市 場 の 予 備 か ら は 充 足 で き な い こ と が 予 想 さ れ る 。 現在 では , 幾 つ か の 熟 練 工 職 業 で の み , あ る 種 の 労 働 力 不 足 が 生 じ て い る 。 こ う し た 職 業 の 適 当 な 労 働 力 が イ 夕 リ ア で 補 充 す る こ と が で き る か ど う か 調 査 す る 必 要 が あ ろ う 。 そ れ に 対 し 不 熟 練 労 働 の た め の 補 助 労 働 者 は , ま だ 充 分 連 邦 共 和 国 の 失 業 者 に 見 出 せ る 。 し か し 個 々 に 特 別 の 状 況 で 需 要 が 充 足 さ れ な い 場 合 (例えば採石業や建設業) に は , 連 邦 職 安 庁 は こ う し た 雇 用 提 供 に は よ ろ こ ん で イ

(40) Delegationsbericht der in Rom weilenden deutschen Delegation v.14.4.1954, als Anlage z. Schr.

AA an BMZ/W u.a. v.15.4.1954, in : BA, B 102/58106.

(41) Vermerk BMA iiber die am 2. und 9.7.1954 mit dem Handelsattache der italienischen Botschaft

stattgefundenen Besprechungen v.25.7.1954, in : PA, Abt.5/956.

(13)

タリアの国家間職業紹介担当局に知らせるであろう。」 ただしこれも建設業などで労働力不足が現 存するという意味ではなく,建設業での労働力需要は現在国内労働市場で完全に充足可能であると している。 エームヶは, 「現在の労働市場は包括的な数のイタリア人労働者を導入することに何ら かの確約をすることはできない。 その都度一定の力テゴリ一の労働力に対し求人が過剰になれば, イタリアの担当局に伝えることは可能である」 と説明し, イタリア側の希望を退けた。 イタリアの 希望に対するドイツ側の見解は, 「連邦 共和国によ る大 規模な包括的募集は目下のところ可能性は ないが,客人被雇用者相互協定の最善の実施と利用,小規模の紹介可能性,行政の協力促進によっ て充分な経験を集めるべきであり, この経験は後に現れるかもしれない大規模労働力需要に際して, 優位と利益を保証することになろう」 というものであった。連邦労働省ならびに連邦職安庁はあく までも西ドイツ労働市場状況からイタリア人労働者導入に言及し, 結論的にはイタリア人労働力は 必要ではないと判断している。 こ の 協 議 で は 外 務 省 の マ リ ン ク ロ ッ ト

M allinckrodt

も, 貿易政策 (42) と労働市場政策を連結させないと主張している。 第 四 章 ド イ ツ 国 内 で の 議 論 イタリア人労働者の導入をめぐる独伊閨係はこれによって一応の決着を見たかに思われたが, 少 なくとも連邦労働省にとっては問題は突発的に提起された。

1954

9

22

日, 連邦経済相エーアハ ル ト が ミ ラ ノ で イ タ リ ア 貿 易 相 マ ル テ ィ ネ ッ リ

M artinelli

と記者会見をおこない, イタリアの提 (43) 案を検討すると言明したからである。 連邦経済相はイ夕リア訪問でイ夕リア貿易相とイタリア人季 節労働者の就業について話し合いをし,新聞報道によると,

55

1

月の独伊通商委員会の次回会議 (44) で, それに関する規定を仕上けるということである。 これに対し労働組合は即座に反対を表明している。 ドイツ労働総同盟は, 「どの職業部門で外国 人出稼ぎ労働者の送り込みが想定されているのか, 関心 をもっている。」

54

6

月現在で農業で約

39,000

名,森林業等で約

22,000

名 の失 業 者 が い る 。 ドイツ労働総同盟の立場は, 「なおこのような 失業者数があり, 東独地区から難民の流入が続く限り,外国人季節労働者の送り込みに関して交渉 (45) のテ一ブルにつくべきではない」 というものであった。 ドイツ農業労働組合も外国人労働者導入に反対した。農業労働組合の論理は, 「近代化•合理化過

(42) Vermerk BMA iiber die am 2. und 9.7.1954 mit dem Handelsattache der italienischen Botschaft

stattgefundenen Besprechungen v.25.7.1954, in : PA, Abt.5/956.

(43) Tages-Nachrichten BMW v.23.9.1954, in : BA, B 102/11243 H 1.

(44) Nachrichtendienst Bundesvorstand DGB, Nr.148/54 v.27.9.1954, zit. vom Denkschrift zur Frage

der Beschaftigung auslandischer Wanderarbeiter in der Landwirtschaft der Bundesrepublik

uberreicht von Hauptvorstand der Gewerkschaft Gartenbau, o.D. o.J., als Anlage z. Schr.

Gewerkschaft Gartenbau an Bundeskanzler v.8.12.1954, in: BA, B 136/8841.

(14)

程 で 労 働 力 の 数 は 減 少 す る と し て , 農 業 で 近 い 将 来 必 要 と さ れ る 家 族 外 労 働 力 の 数 は け っ し て 現 在 よ り も 大 き く は な ら な い 」, し た が っ て , 外 国 人 季 節 労 働 者 は 必 要 で は な い と い う も の で あ っ た 。 む し ろ , 経 営 の 合 理 化 に よ っ て 「中

大 規 模 農 業 経 営 で は 労 働 力 の 余 剰 が 生 ず る 」 と 判 断 し て い る 。 「離 村 」 に よ っ て , 西 ド イ ツ 農 業 が 後 継 者 問 題 に 悩 み , 労 働 力 を 失 っ て し ま う と い う 印 象 は 事 実 で は な い 。 む し ろ , 労 働 局 の 報 告 に は 失 業 者 と な ら ん で , 「つ ね に , 比 較 的 多 く の 充 足 さ れ て い な い 職 場 」 が 示 さ れ て お り , 「既 婚 の 農 業 専 門 労 働 者 」 で は 失 業 と い う 事 態 が 存 在 し て い る の に 対 し , 「未 婚 の 請 け 負 い 農 業 労 働 者 」 の 場 合 は 充 分 な 需 要 が あ り , こ の ア ン バ ラ ン ス こ そ が 問 題 で あ る と (46) み な し て い る 。 連 邦 経 済 相 は ド イ ツ 労 働 総 同 盟 に 対 し , 独 伊 経 済 関 係 に 関 す る 一 般 的 な 意 見 交 換 の 範 囲 内 で , イ タ リ ア 貿 易 相 が イ タ リ ア 人 季 節 労 働 者 の 就 業 問 題 も 取 り 上 げ た と 説 明 し た 。 「イ タ リ ア 側 は , イタ リ ア の 貿 易 赤 字 に 関 連 し て こ の 問 題 に 付 随 す る 意 義 を 特 に 強 調 し た 。」 経 済 相 が い う に は , イタリ ア 人 季 節 労 働 者 雇 用 計 画 は 「一 般 的 な 影 響 に 直 面 し て , 両 国 の 担 当 大 臣 に よ る 特 別 協 議 で 全 体 の 入 (47) り 組 ん だ 問 題 を さ ら に 取 り 扱 う 気 持 ち に さ せ た 。」 一 方 連 邦 労 働 省 は

1954

年 秋 の 労 働 市 場 状 況 の 分 析 を お こ な っ て い る 。 充 足 さ れ て い な い 職 場 の 数 は, 建 設 業 で

32,000

, 農 業 で

15,000

, 金 属 生 産

加 工 業 で

11,000

件 存 在 し , とりわ け , 熟 練 工 需 要 は 建 設 業 以 外 に 鉱 業 , 鋳 物 工 業 , 機 械

機 具 製 作 工 業 , 鉄 鋼 業 に あ る と み て い る 。 さらに, この時 点 で は な お 防 衛 共 同 体 へ の 兵 士 派 遣 が 問 題 と な っ て お り , 実 戦 力 と し て

50

万 名 , そ れ 以 外 に

16

万 名 , 合 計

66

万 名 を 算 定 し , そ れ と な ら ん で , 軍 隊 の 装 備 , 防 衛 施 設 •兵 舎 建 設 そ の 他 軍 需 注 文 の た め の 労 働 力 需 要 も 考 慮 し て い る 。 た だ し , パ リ 条 約 の 締 結 後 に 必 要 な 措 置 が 講 じ ら れ る た め , これは当 面 労 働 市 場 に 影 響 は な い も の と み な し , 早 く て も

1957

年 春 に な る で あ ろ う と 想 定 し て い る 。 以上の 労 働 力 需 要 に 対 し て 連 邦 労 働 省 は , 失 業 者 , 女 性 , 職 業 に 適 し た 労 働 配 置 , 再 教 育

速 成 教 育 , 労 (48) 働 節 約 的 合 理 化 投 資 と い う 措 置 を 考 え , 外 国 人 労 働 力 に は ま っ た く 言 及 し て い な い 。

(45) Nachrichtendienst Bundesvorstand DGB, Nr.148/54 v.27.9.1954, zit. vom Denkschrift zur Frage

der Beschaftigung auslandischer Wanderarbeiter in der Landwirtschaft der Bundesrepublik

Uberreicht von Hauptvorstand der Gewerkschaft Gartenbau, o.D. o.J., als Anlage z. Schr.

Gewerkschaft Gartenbau an Bundeskanzler v.8.12.1954, in : BA, B 136/8841.

(46) Denkschrift zur Frage der Beschaftigung auslandischer. Wanderarbeiter in der Landwirtschaft

der Bundesrepublik Uberreicht vom Hauptvorstand der Gerwerkschaft Gartenbau, o.O. o.J., als

Anlage z. Schr. der Gewerkschaft Gartenbau an Bundeskanzler v_8.12.1954, in : BA, B 136/8841.

(47) Schr. BMW an Bundesvorstand DGB v.22.10.1954, zit. vom Denkschrift zur Frage der Bes­

chaftigung auslandischer Wanderarbeiter in der Landwirtschaft der Bundesrepublik uberreicht

von Hauptvorstand der Gewerkschaft Gartenbau, o.D. o.J., als Anlage z. Schr. Gewerkschaft

Gartenbau an Bundeskanzler v.8.12.1954, in: BA, B 136/8841.

(48) Unterlagen BMA (Unterabt. II b) zur Besprechung mit den Ressorts am 16.11.1954 v.15.11.1954,

in : BA, B 149/657.

(15)

その直後の

11

24

日,連 邦 経 済 省 担 当 官 ヴ ォ ル フ

W olf

は連邦経済相に対し,建設業と農業で季 節労働力不足が予想されるが, その時期は不明であるという点,連邦労働省の労働市場に対する立 (49) 場は経済省とは異なり, したがって決定は先送りされている点を報告している。 それにもかかわら ず連邦経済相は,

11

28

日フライブルクの工業家大会で,すでにイタリア人労働者の導入について イタリア側と協議をおこない, まも なく イ タ リ ア 政 府 と 住 宅 • 道路建設のためにイタリア人労働者 (50) 配置につき交渉すると説明した。 これに対し,翌

29

日連邦労働省は, さしあたりイタリア人労働者を受け入れるつもりはないとい う反対声明を出した。 ドイツにはもはや真の意味での失業は存在しないという連邦経済相の説明に 対し, 国内では熟練工だけが不足している状況であり, しかも熟練工は外国からは期待できないと (51) 反論した。 しかし事は権限問題にまで発展し,連邦労働省事務次官は連邦首相アデナウア一

-^

11

29

日付け書簡の中で, 内閣の任務分担によると誰がこの問題を担当しているのかという質問をし ている。 この権限問題を次回の閣議で話し合い, 閣議が明確な決定をするよう,連邦首相に要望し (52) た。 問題はそこまで深刻になったのである。 連邦経済相は

54

12

2

日あらためて,労働力不足はイタリア人季節労働者によって補うべきで あると表明した。 同日イタリア大使館の商務官は, イタリア人労働力の雇用は

52

年春以降論議され ており,

54

年夏の終わりには,両 政 府 間 で 必 要 と あ れ ば

1

万 名 か ら

2

万名のイタリア人労働者雇用 許可を農業に与えることが話されたと言明した。 イタリアの予算相ヴァノーニ

V anoni

は,

54

12

1

日の公けの声明では

12

12

日にイタリア人労働者雇用についてドイツの官庁と話し合うつもり (53) である。

一方

1954

12

1

日付け労働 組合機 関紙

“Welt der Arbeit”

は, ドイツの労働組合は外国人労働 力がドイツの緊急事態のためにいかなる条件でも, はたまたいかなる労働をも強いられることには

(54)

我慢ならないと書いている。

連邦職安庁は

1954

12

2

日, ドイツ建設業総連盟

Hauptverband der Deutschen Bauindustrie

ならびにドイツ建設業中央連盟

Zentralverband der Deutschen Baugew erbe

とこの問題を協議し た。建設業界も外国人労働者の導入を第一順位とは考えていないこと, むしろ, まず, 国内の労働

力 需 要 を (必要があれば地域間調整によって)充足させるようなあらゆる可能性をまず汲み尽くすこ

(49) Schr. BMW (Wolf) an Minister v.24.11.1954, in : BA, B 102/76250.

(50) Schr. Staatssekretar BMA an Bundeskanzler v.29.11.1954; Vermerk Staatssekretar Globke

BKA v.7.12.1954, in: BA, B 136/8841.

(51) Vermerk Staatssekretar Globke BKA v.7.12.1954, in : BA, B 136/8841.

(52) Schr. Staatssekretar BMA an Bundeskanzler v.29.11.1954, in: BA, B 136/8841.

(53) Vermerk Staatssekretar Globke BKA v.7.12.1954, in

BA, B 136/8841.

(54) Vermerk Staatssekretar Globke BKA v.7.12.1954, in : BA, B 136/8841. Bethlehem, S.145

(16)

とが, 建 設 業 界 の 利 益 に な る と 主 張 し て い た 。 連 邦 職 安 庁 長 官 は つ づ い て

12

7

日, 現時 点で も ま (56) た 近 い う ち に も 外 国 人 労 働 者 を ド イ ツ に 導 入 す る 必 要 は な い と の 声 明 を 出 し た 。 そ の 一 方 で 連 邦 経 済 相 エ ー ア ハ ル ト と ニ ーダ ー ザ ク セ ン 州 経 済 相 ア ー レ ン ス

A h r e n s

54

12

6

日, ハ ノ ー フ ア ー 北 西 ド イ ツ 放 送 局 の イ ン タ ビ ュ ー に 答 え て い る 。 ア ー レ ン ス が ニ 一 ダ ー ザ ク セ ン 州 で は な お

16

万 名 の 失 業 者 が 存 在 し , 軍 需 景 気 に は こ れ ら の 失 業 者 を 投 入 す る こ と が 可 能 で あ り , し た が っ て 外 国 人 労 働 力 需 要 は 存 在 し な い と 主 張 し た の に 対 し , エ ー ア ハ ル ト は 次 の よ う に 答 え て い る 。 「あ ら か じ め 備 え る こ と , つ ま り , 順 調 な 経 済 的 社 会 的 発 展 に 際 し , 労 働 力 不 足 が 労 働 力 の 相 互 引 き 抜 き や そ の よ う な 影 響 を も た ら す 場 合 , 経 済 の 障 害 と し か 特 徴 づ け ら れ な い よ う な 現 象 が 生 じ る 場 合 に は , ど う な っ て し ま う の か と い う 問 題 を 検 討 す る こ と は 経 済 大 臣 と し て の 私 の 義 務 だ と思う。 こ う し た 状 況 が 生 じ た 時 に 外 国 の 同 僚 と 問 題 を 検 討 し て よ う や 〈交 渉 に 入 る の で は な く , ま た そ の 時 は じ め て 根 拠 を 解 明 し な け れ ば な ら な い よ う な こ と は も は や 望 ま な い 。 そ う で は な く , 現 在 の 段 階 で す で に 準 備 を お こ な い , ど の 程 度, ど の よ う な 条 件 , ど の 時 点 で , 必 要 な ら ば 外 国 人 労 働 力 に 依 拠 す る こ と が 可 能 か あ る い は 依 拠 し な け れ ば な ら な い か を 検 討 し た い 」 と 強 調 した 。 つ まり, 連 邦 経 済 相 は 外 国 人 労 働 力 導 入 の 準 備 と 実 施 を 区 別 し , 労 働 市 場 状 況 を 準 備 で は な く 実 施 に 関 わ ら せ て 考 え て い た の で あ る 。 し か も 連 邦 経 済 相 は , 西 ド イ ツ 社 会 で の 外 国 人 労 働 者 の 将 来 的 な 位 置 を 想 定 し て い る 。 「わ れ わ れ が こ れ ま で 以 上 に , ド イ ツ の 不 熟 練 労 働 力 に 職 業 教 育 を 与 え , 再 教 育 し , 彼 ら の な か か ら よ く 教 育 さ れ た 労 働 力 を 専 門 力 に さ せ れ ば , ドイツ 人 労 働者 の 利益 に な る だ ろ う と 考 え た い 。 し か し そ れ を お こ な う こ と が で き る に は , も ち ろ ん わ れ わ れ は , こ の 景 気 が 持 続 す る 場 合 に , ド イ ツ で の 比 較 的 原 始 的 な 労 働 を 最 後 に は 外 国 人 労 働 力 に 片 づ け て も ら わ ね ば な ら ない 。」 す な わ ち , ド イ ツ 人 労 働 者 を 熟 練 工 に し , 不 熟 練 工 の 果 た す べ き 仕 事 を 外 国 人 労 働 者 に さ (57) せ る と い う 分 業 構 造 で あ る 。 第 五 章 閣 議 決 定 へ こ う し た 省 庁 間 の 見 解 の 相 違 が , 省 庁 内 で の 論 議 を 超 え て 社 会 的 な 広 が り を 見 せ た の で , 連 邦 官 房 庁 事 務 次 官 グ ロ プ ヶ

G lo b k e

1954

12

7

日, こ の 問 題 で 連 邦 政 府 は 閣 議 で 統 一 見 解 を 確 定 す (58) る こ と が 必 要 で あ る と 考 え る よ う に な っ た 。 し か も 同 日 , グ ロ プ ケ は , 「す で に 経 済 の 幾 つ か の 個 所 で 生 じ て い る 熟 練 工 不 足 を ど の よ う に 除 去 し う る か が 決 定 的 に 重 要 と な る 」 とみなし, この問題 (55)

(55) Vermerk BAVAV (Schwarz) v.7.12.1954, in : BA, B 119/1024.

(56) Vermerk Staatssekretar Globke BKA v.7.12.1954, in: BA, B 136/8841.

(57) Auszugsweise Abschrift der Niederschrift iiber ein Interview mit NWDR Hannover am 6.12.

1954, als Anlage z. Schr. BMW (Seibt) an BKA (P iih l)v.10.12.1954, in: BA, B 136/8841.

(58) Vermerk Staatssekretar Globke BKA v.7.12.1954, in : BA, B 136/8841.

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