はじめに
北海道の麦作には、二つの大きな目標があった。一つは、秋まき小麦の全道平均反収を一〇俵の大 台に乗せること。もう一つは、 E U並みの反収一トンどりをめざすことである。この数字は、 決して 夢のような 話ではなかった。麦作農家のなかには、圃場の一部ではあるが一トンどりを実現したとの 声があったし、実際に一トンどりを目標にしているという農家の声を数多く聞いた。 事実、平成二十七年産では、北海道の平均反収が六三四㎏と、史上初の一〇俵台を突破し、反収一 トン超え農家が続出した。 ここに至るまでには、さまざまな困難を乗り越える必要があった。 第一に、北海道の厳しい冬を乗り越えるための雪腐病対策。第二に、麦作の難敵である赤かび病対 策。第三に、 「きたほなみ」 というスーパー品種の特徴を生かす栽培技術の確立である。 「きたほなみ」 は以前の品種に比べ、熟期はやや遅いが穂発芽の抵抗性が強まり、穂発芽が少なくなったが、一方で は肥料に対する反応が敏感で、着粒数が増えすぎてクズ麦が増えたり、倒伏に結びついたりする弱点 も持ち合わせていたからである。 著 者 が 農 業 改 良 普 及 員 と し て 勤 務 し 始 め た 今 か ら 四 〇 年 前、 播 種 量 の 基 準 は、 一 ㎡ 当 た り な ん と 三四〇粒 (反当一三 ・ 六㎏) であった。実際には、 反当一五~二〇㎏と、 基準以上の種をまく農家が多く、 まさに「まかぬ種は生えぬ!」という考えだった。春になると 絨 じゅうたん 毯 を敷いたような真っ青な状態とな り、 その麦畑を見て満足する人も多かった。しかし、 そんな麦畑に追肥をするとまちがいなく 倒れた。2 次の年、倒した経験から、播種量はそのままにして、春の追肥を控える。すると今度は、倒れはし ないが、 栄養不足により粒が充実しない細麦となり、 製品にならなかった。当時は、 この繰り返しだっ た。 そ の 結 果、 麦 作 は 儲 か ら な い 作 物 の 代 表 格 で あ り、 儲 か ら な い も の に は 手 間 ヒ マ か け ら れ な い、 だから意欲もわかない。こんな麦作の時代が長く続いた。 北海道の麦作農家にとって、それが麦という作物栽培の経験であった。 こ の 負 の 連 鎖 を 断 ち 切 る き っ か け が、 「 薄 ま き で し っ か り 出 芽 さ せ る 」 と い う、 多 収 農 家 の 栽 培 技 術である。その農家たちは、当時の基準であった播種量を半減させ、倒さず、しかも粒が充実した高 品質の麦を多収していた。試験研究機関や現場の技術者も、そうした多収農家に刺激を受けて、その 技術を裏付けるデータを積み上げた。 し か し、 「 薄 ま き で し っ か り 出 芽 さ せ る 」 た め に は、 た だ 単 に 播 種 量 を 減 ら せ ば よ い と い う 問 題 で はなかった。少量の種子を正確にまくための播種機の調整や、播種深度を安定させるために播種機が 必要以上に沈まないように播種床を締めることなど、実際の作業と深く連動していることに気づかさ れたのだ。つまり、耕起・砕土・整地作業が基本にあって、はじめて小麦の播種機が本来の能力を発 揮することを、農家の事例のなかから学んだ。 本 書 は、 そ う し た 多 収 農 家 と 現 場 の 技 術 者 た ち の 共 同 作 業 で 確 立 さ れ た、 「 小 麦 一 ト ン ど り 」 の 技 術 を ま と め た も の で あ る。 遠 く 九 州 で も、 反 収 一 ト ン の 小 麦 が 現 わ れ て い る と 聞 く。 本 書 を 通 し て、 北海道だけでなく本州でも、一 トンどりがあたり前に実現できる日が来ることを期待したい。 平成二十九年七月 二十五 日 著者を代表して
髙橋義雄
見てわかる
小麦一トンどり
─
革
新
技
術
の
カ
ン
ド
コ
ロ
1
(麦の賢者)8
大
き
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穂
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そ
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え
る
太
い
茎
づ
く
り
へ
の
転
換
● 穂をたくさん立てればとれるのか 小麦をたくさんとりたい! と考え たときに、真っ先に頭に浮かぶのは何 だろうか? 「 穂 を た く さ ん 立 て る こ と 」、 「 肥 料 をたくさん施すこと」……。 し か し 一 方 で、 小 麦 栽 培 に と っ て、 倒 伏 は 大 敵 で あ る。 倒 れ て し ま え ば、 粒の充実度が劣ることから、収量が低 下するだけでなく、穂発芽の危険性が 増し、品質も著しく低下。まさに共倒 れとなる。 実際、たくさんとれた年は、やはり 穂 数 が 多 い 年 と な っ て い る の だ ろ う か? 多収というのは、決まった面積の中 で、できるだけたくさんの小麦の粒を 収穫するということ。 確かに穂数を多くすることで、着粒 数は多くなる。しかし、着粒数に影響 するのは必ずしも穂数だけではない。 図 1 – 1 に、 小 麦 の 収 量 を 決 定 す る 構成要素を示した。 小麦の収量構成要素は、まず面積当 たりに穂が何本立っているか、一穂に 何粒ついているか、これで面積当たり の粒数が決まる。 さらに、 一粒の重さはどれくらいか、 こ れ ら を 掛 け 合 わ せ る と 収 量 と な り、 当然のことながら、各要素が大きいほ ど高収量となる。 表 1 – 1 は、 北 海 道 の 小 麦 主 産 地 で あ る 四 つ の 振 興 局 の 多 収 年( 平 成 二十七年産)の作況調査のデータ(平 年比)だ。この年は、登熟期間の天候 にも恵まれ長年の目標であった「一ト ン/一〇 aどり」の事例が各地で見ら れた超多収年である。 ど の 地 域 も 総 粒 数 が 平 年 よ り 多 く、 また粒も重く多収となっている。しか し、何が総粒数を多くしたかについて は、地域によって異なる。 毎 年 穂 数 が 確 保 し に く い 地 域 で は、 穂 数 が 多 く な っ た こ と が 多 収 に つ な が っ た 例( 空 知、 上 川 ) が あ る 一 方 で、穂数は平年並み ~ やや少なかった ものの一穂当たりの着粒数が多かった ことや粒の大きさが多収に影響した地 域(オホーツク、十勝)もある。 このように、小麦の多収事例をみる と、穂数の多寡は必ずしも大きな要因 となっているわけではない。※千粒重は奨決現地試験データより。他の項目は作況データより算出(道農政部 ・ 各地区農業改良普及センタ−) ※製品収量は 10 月 31 日時点での推定値より ※ G. I. =生育指数 = 稈長×穂数 ●多収を得るための 収量構成要素をイメージしてみる 目標収量一トン/一〇 aを得るため の収量構成要素を考えてみる。 図 1 – 2 に、 一 ト ン / 一 した場合の各要素の組み合わせ例(イ メージ)を示した。実際、その組み合 わせは無数であるが、小麦づくりの現 場 で あ る 程 度 可 能 な 例 と し た。 また、実際にイメージしやすいよう に、北海道十勝地域における、やや低 収年(平成二十六年)と多収年(平成 二 十 七 年 ) の 収 量 構 成 要 素 (一部推定)も掲載した(表1 これを見ると、穂数が六〇〇本程度 でも、他の構成要素で補うことができ れば、超多収は可能であることがわか る。 穂数は、倒伏を考慮すると、少なめ のほうがよい。また、倒れにくいとい う観点からは、一本一本の茎が太いほ 図 1−1 小麦の収量構成要素 穂数 1穂粒数 粒数 /㎡ 粒重 収量 製品収量 穂数 /㎡ 千粒重 粒数 /㎡ 粒数 / 穂 空 知 140 115 104 149 130 上 川 134 134 107 143 107 オホーツク 127 97 116 121 126 十 勝 154 98 105 155 157 全 道 140 104 107 143 138 稈長 穂長 G. I. 107 102 122 106 105 141 97 100 94 96 99 95 99 101 103 表 1−1 作況調査データからみた各収量構成要素の平年比(推定試算値含む %)
10 うが望ましい。 一穂粒数はどうだろう。穂数を控え めとしたなかで一定の収穫粒数を補う ためには、一穂粒数を高めることが大 ※生産実績と作況調査による推計 表 1−2 低収年と高収年の収量構成要素の比較(北海道十勝地域) きなポイントとなる。 粒重については、総粒数 の多寡とともに、登熟期間 と 気 象 の 影 響 を 受 け や す い。 生 育 後 半 の 養 分 供 給 と、一定の登熟期間が確保 できるような管理が必要と なる。 こ の よ う に、 一 ト ン / 一〇 aを得るためには、単 に倒伏するかしないかのギ リギリの穂数確保を目標と したこれまでのような栽培 技術ではなく、各収量構成 要 素 を ど の 程 度 と す る か、 明確なイメージをもとにし た栽培技術の組み立てが重 要と考える。 ● 播種量を減らし、確実に出芽させる 一トンどりの栽培技術をイメージし て み た。 そ れ が、 次 ペ ー ジ の 図 1 – 3 である。 北海道の主力品種「きたほなみ」を 例に、北海道東部での収量構成要素の 目標を、 平方メートル当たりで示すと、 次のようになる。 穂数 六五〇 ~ 七〇〇本 一穂粒数 三六 ~ 三八粒 総粒数 二万五〇〇〇粒 千粒重 四〇g これで一トンである。 一番上の欄に、各収量構成要素を安 定 的 に 確 保 す る た め の 栽 培 の 目 標 と、 三つの要点を示した。 ①種まき半作 ②分げつのコントロール ③草丈のコントロール 個々の時期の技術の詳細は後述する ことにして、ここでは目標を掲げるに とどめる。 ①種まき半作 目標は、越冬までに葉数五 ・ 五葉と、 平方メートル当たり八〇〇 ~ 九〇〇本 図 1−2 1トンどりを想定した収量構成要素 年次 粗原収量 穂数 1穂粒数粗原 総粒数粗原 千粒重粗原 1穂重粗原 H 26 年 511 630 18.2 12,451 41.0 0.73 H 27 年 747 681 29.0 19,908 37.5 1.07 27/26 比 146 108 160 160 91 146 収量 (㎏ /㎡) 600 × 40 = 24,000 × 42 = 1,008 650 × 38 = 24,700 × 41 = 1,013 700 × 36 = 25,200 × 40 = 1,008 750 × 35 = 26,250 × 39 = 1,024 800 × 33 = 26,400 × 38 = 1,003 穂数 1穂粒数 総粒数 (本 /㎡) (粒 / 穂) (粒 /㎡) 千粒重 (g)
図 1−3 小麦の1トン /10a どりの栽培イメージ(品種:きたほなみ、北海道東部の場合) の茎数を確保すること。そのためには 播種時期をしっかり守らなければなら ない。 播種量は一〇a当たり五 ~ 六㎏程度 に抑える。出芽率九〇%以上、しかも 均一な出芽が確保できれば、目標達成 である。 そのためには、 播種床の耕うん鎮圧、 播種機の調整が欠かせない( 77ページ 参照) 。 ②分げつのコントロール 茎数の立ちすぎは倒伏に結びつく。 北 海 道 で は 融 雪 後、 茎 葉 の 生 育 が 再 開 す る 時 期 に 施 す 起 生 期 追 肥 が あ る が、 平 方 メ ー ト ル 当 た り 茎 数 が 一〇〇〇本あれば十分。雪のない地域 であれば、麦踏みや土入れによって分 げつのコントロールを行なう。その後 の追肥についても、茎数と葉色を十分 観察して判断する。 幼穂形成期追肥(穂肥)は、一穂粒 数にも影響を与える。 ③草丈のコントロール 倒伏させないためには、茎数ととも に草丈が伸びすぎないようにすること が重要である。施肥管理が重要である ことはいうまでもないが(とくに幼穂 形成時期) 、倒伏軽減剤の活用もある。 意外に効果が高いのが「麦なで」で あ る。 北 海 道 の 多 収 農 家 の 「 麦 な で 」 を 一 作 で 一 三 回( だから二六回)行なう方もあり、その 農 家 に よ る と、 「 最 終 的 に は、 四 ~ 五㎝短くなっている」そうである ( 100ページ参照) 。 次ページから、一トンどりの小麦の 姿と、そこに至る生育経過と作業を写 真で紹介した。多収小麦のイメージを 焼き付けながら読み進めていただきた い。 穂数 650 〜 700 本 /㎡ 1穂粒数 36 〜 38 粒 / 穂 総粒数 25,000 粒 /㎡ 千粒重 40g