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山陰東部における地形景観とその起源

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(1)

鳥取大学教育学部 研 究報告 (自然科学), 47 (1998), 115-140

山陰東部 における地形景観 とその起源

矢野 孝雄*・ 吉谷 昭彦*

Talcao YANO*and Alcihiko YosHITANI*: Gcomotphic landscape in the eastern

Sanin District,SoutllvestJapan,alld its or亀 ェn

(1998年 6月 5日 受付) ま え が き [地球環境時代 』の地域づ くり構想の原点は

,自

然 自身が もつ再生・循環 プロセス を活か した 地域環境 を創造す ることにあ り

,そ

の際 には

,自

然界 の しくみ を十分理解 してお くことが重要 であるという (武内,1994)。 地形

,地

,土

,水

環境

,植

,さ

らにそれ らに加わる人為作 用

,こ

れらの環境要素の相互関係によって成 り立つ地学的自然のしくみは,「土地自然 システム」 とよばれる。これ らの諸要素の うち

,気

候 に次いで広域的なものは大地形であ り

,そ

れは

,よ

り小規模な地形要素 と複合 して地形景観 を構成 している。地域の地形景観の特徴 とそれ らの起 源 を明 らかにすることは

,土

地 自然 システムを理解するための基礎的課題の 1つ である。 この論文は

,以

上のような観点か ら

,山

陰地方東部における地形景観の特徴 を抽出 し

,そ

の 形成過程を考察するとともに

,西

南 日本の島弧―海溝系に視野をひろげて

,山

陰東部の広域的地 形景観の起源を解明することを目的 とする。あわせて

,地

形景観 と山陰東部の土地 自然 システ ムとの関わ りについて も

,若

千の考察を試みたい。 山陰東部の地形景観 とその形成過程 中国地方は大半が山地に占め られ

,小

規模 な平野が河口部に存在するにす ぎないため

,小

縮 尺の地形区分では “中国山地

"と

して一括 される (今村,1964)。 中国山地の主分水嶺は “中国 脊梁山地"と よばれ, 日本海側にかたよって中国地方を縦貫する (第1図)。 脊梁山地は完全 に 連続 した山稜をかたちづ くっているわけではな く

,い

くつかの横谷によって分断されている。山 頂高度はおよそ1,000∼

1,200mで

あ り,“道後山面 (Nishimura,1963)"と よばれる浸食小起伏 面が

,小

規模なが らも各地 に残存す る。脊梁山地の南北両側 には

,海

抜300∼

600mの

高原状 地形がみ られ

,そ

れぞれ吉備高原 (小藤

,1908)お

よび石見高原 とよばれる。吉備高原は

,中

す おう 国山地の南半部 を占める広大 な高原地帯 をな し

,広

島湾 の西側 では

,秋

吉台周辺 の周 防高原 (小 沢

,1925)に

つづ く (小畑 ,1991)。 吉備高原 と脊梁 山地 との境界 は北へ凸の緩やかな弧 を描 き, 幅 の狭 い急傾斜帯 を境 に比較 的明瞭な高度不連続 をな している。

半鳥取大学教育学部地学教室 DeparttllelltofE Sciences,FacultyofEducation,To位 o U 礎rsbLTO悦O

(2)

矢野 孝雄・吉谷 昭彦 中国地方の うち

,こ

の論文で研 究対象 にす る山陰東部 とは

,鳥

取県 とその周 辺 を指す。 鳥取 県下 では山地 の面積 率が大 き く

(86%),逆

に台地∼低地のそれは小 さい (豊島,1982,1993)。 そ こで以下では

,山

地 を中心 に

,河

川お よび海岸 にわけて山陰東部の地形景観の特徴 を抽 出 し, それぞれの形成過程 について考察す る。 山 地 地 形 広域 的な地形 を概観す るには接 峰面図 (第 1図

)の

ほか

,最

近 で は

,数

値 地 図デー タを もと に描かれる精密な鳥欧図 (第2図 :国 土地理院,1997から編図)力漸可用 で きるようになった。そ 第 1図 中国地方の接峰面図 (等高線間隔:200m,岡 山,1969に 加筆)

申餌脊

界脚地

第 2図 中国地方東部の地形ブロックダイ 長辺 (N―S,左が北)i約 100 1qll, アグラム (国土地理院,1997か ら編図) 短辺

(EW):約

45 km,鉛直強調i3倍

(3)

山陰東部における地形景観 とその起源 れ らに もとづ くと

,山

陰東部の大地形 の もっ とも基本 的な特徴 は

,中

国脊梁 山地か ら日本 海沿 岸へ緩 やか に傾斜す る “南 高北低

"の

地形構造であ ることがわか る。 この地形構造 は

,脊

梁 山 地の長大な北斜面であ り

,①

短 く急勾配の脊梁 山地南斜面 とは対照的で, しか も② 山陰地域全 体 に共通することか ら

,以

下では “脊梁背面

"と

よぶ。“脊梁背面

"は

単一の地形面ではな く, 同準 にちかい複数の地形面が複合 したものであろう。

(1)鉢

伏山面 “脊梁背面

"は

山腹部では解析がすすみ

,壮

年期地形が発達する (豊島,1982)。 ところが

,山

麓部へ くだると

,背

面の平滑性が各地に保存 されている。 もっともみごとなものは

,倉

吉市東 方の鉢伏山山地 (豊島

,1982)で

ある。倉吉市北方の北条砂丘か らは

,こ

の山地の雄大な直線 状 山稜線 を望むことがで きる (第3図A)。 山稜線 は日本海へむかって約4° の角度で傾斜 して いて

,ク

ローズアップすると

,そ

の直線性がいっそ う明瞭になる (第3図B)。 同様な直線状の山稜線は

,鳥

取市南東方の稲葉山山地 (豊島,1982)∼扇ノ山北斜面

,鳥

取市 南西方∼倉吉市南東方の高山山地 (豊島

,1982)お

よび米子市南方の 日野高原 をは じめ

,山

陰 東部に広 く認め られる (第4図)。 これ らの山稜の頂部には, しば しば平滑な地形面が残 されて いて (豊島

,1982),山

範部∼沿岸部の丘陵地 (第4図

)に

み られる海側へ緩傾斜 した丘陵背面 に連続する。 これ らの事実は

,山

稜線が単に直線的であるというだけではな く

,①

かつては山 稜線に接する平滑な地形面が広 く存在 し

,②

それが

,浸

食作用 よって しだいに解析 された結果, ①現在では山稜頂部の平滑面や直線的な山稜線 としてなごりをとどめている, といった経緯 を 物語る。 山陰東部の多 くの山稜 に残存する日本海側へ緩傾斜 した地形面を

,鉢

伏山山地の北斜面 を模 式地 として

,以

下では『鉢伏山面』 とよぶ。その実態は

,形

成時期がい くぶん異なる地形面が 複合 したものであろうが

,山

陰東部における “脊梁背面

"を

代表する地形面の 1つ である。

(2)鉢

伏山面の形成時期 山稜 に残存する地形面を認識できたとしても

,稜

線部では新期の堆積物を欠 くことが多 く

,そ

の形成年代 を決定することは一般に困難である。 ところがィ鳥取県中・東部の山地には

,稜

線部 に三朝層群およびその相当層が比較的広 く分布 し (第4図 ), しか も上述 した鉢伏山面 とは以下 第 3図 鳥取県中央北部の鉢伏山面 (倉吉市北方の北条砂丘か ら束 を望む)

A:遠

, B:ク

ローズアップ

(4)

矢野 孝雄・吉谷 昭彦

中加

・ V日

V ノ

・ ︲

0か

一 ` 氷 ノ " 0 ,o ρO km ー □ 白亜 朧 三紀 ■岩石海岸 ● 豪貨海岸 o 砂 浜 海 岸 □ 醐 綸 地 国 丘 陵 区 ∃ 畑 畑 匡 曇 ( ) 第 4図 鳥取県お よび周辺地域の地形―地質特性 1987;永 尾・赤木,1987,などか ら編図) のような関係 にあるため

,そ

の形成時期 をある程度まで特定することができる。 三朝層群は

,鳥

取県中部∼鳥取/岡山県境部に南北301Qllにわたって分布する。後期中新世∼鮮 新世の溶岩流 を主 とする陸成火山岩類であ り

,一

部 (と くに基底部

)に

河川∼湖沼性の非火山 性砕屑岩や火砕岩 をともなう。下位か ら人形峠

,東

郷お よび阿波の3累層に区分 され (藤田,

1969,1972,1973),東

郷累層か らは5,84±0.51 Ma(Hir00ka and Kawal,1967),5.9± 0.5 Maお よび3.6±0.5 Ma(鹿野・中野

,1985)の

K Ar年代が報告 されている。 三朝層群およびその相当層は, 日野高原を除 く山陰東部に断続的なが らも広範囲に分布 し (第 4図

),堆

積後に削剥 された部分や大山火山の噴出物 に覆いか くされた部分を考慮 にいれると, かつては広大な溶岩台地 を形成 していたと考えられる。 この台地面が解析 された結果が

,上

述 した直線状 山稜線やその頂部に残存する平滑面

,お

よび山麓部∼沿岸部の傾斜 した丘陵背面で あ り

,そ

の山容は

,ま

さに「古い溶岩台地に起源 をもつ山地 (豊島,1982)」 である。 鉢伏 山面はこのような溶岩台地面に起源をもつ ことか ら

,そ

の形成時期は

,三

朝層群の堆積 期間のなかでもとくに広範囲に溶岩流が流出した東郷累層堆積時か ら

,一

部は阿波累層 (舟取

/

岡山県境部に限 られて分布

)の

堆積時であると考え られる。三朝層群の放射年代 などか ら判断 すると

,溶

岩台地面の形成時期はおよそ中新世末∼鮮新世前半 と推論 される。 ちなみに, 日本列島のなかで

,山

稜部に残存する解析のすすんだ地形面の形成年代が

,堆

積 物にもとづいてある程度特定できるのは

,①

島弧会合部を特徴づける鮮第件更新世の “平坦面溶 岩 (■at lava)"がつ くる溶岩台地

,②

八 ヶ岳北麓に分布する下部更新統の松井 くされ礫層 (北 人ヶ岳サブグループ

,1980)が

構成する御牧 ヶ原面

,①

山陰西部に分布する都野津層の基底侵 食平坦面 (小畑

,1991)で

ある都野津面をはじめ

,前

期更新世の地形面であることが多い。 と ころが

,鮮

新世以前の地形面は

,筆

者 らの知 るか ぎりでは

,①

北西九州に分布する鮮新世の東

(5)

山陰東部における地形景観 とその起源 松浦玄武岩 (松井・宇都

,1977)が

構成する上場台地

,②

真弓礫層 (更新世前期∼中期

?:大

森・大和田

,1985)堆

積以前に形成 されたと推論される阿武隈準平原 にす ぎず

,山

陰東部の鉢 伏山面 も希少な事例の1つである。

(3)鉢

伏山面の傾動変形 鉢伏山面の傾斜角は

,模

式地の鉢伏山山地北斜面では

,上

述のとお り約4° である (第3図)。 扇ノ山北斜面では

,新

期の火山噴出物による被覆のために見かけ上やや大 きく, 日野高原 (溶 岩台地面ではな く

,侵

食小起伏面

)で

はい くぶん小 さいが

,い

ずれ も4° 前後の値 を示す。 福 岡 。久保 (1969)は

,①

三朝層群の基盤岩類の高度分布は

,三

朝層群堆積以前の侵食作用 によってすでに現在の地形 と同様の “南高北低

"の

傾向を示 し

,②

断層運動による局部的撹乱 以外には

,三

朝層群の初生的構造 を乱す ような変形作用 は認め られない, としている。いっぽ う藤日 (1973)は

,三

朝層群 は

,基

盤の上昇期 に

,そ

こに発達 した河谷・湖 などを埋積 した堆 積物であると述べ

,三

朝層群 を変位 させる小規模 な断層群 を記載 しているが

,上

昇運動の詳細 については記述 していない。 筆者らは

,次

に述べる4つ の理由から

,①

三朝層群堆積時には

,福

岡・久保 (1969)の指摘 どお り県境部から北へ傾斜する広域的地形配置が存在 したが

,現

在 と比べると

,そ

の平均勾配 や地形起伏ははるかに小 さく

,②

三朝層群は

,堆

積後

,現

在までの間に3° 程度の南上が りの 傾動運動を被 り

,③

同時に広域的地形勾配が増大 して “脊梁背面

"が

形成されていくとともに, ①浸食作用が活性化 して壮年期地形が広 く発達 した, と推論する。

1)藤

田 (1973)に よると

,三

朝層群基底の人形峠累層 (層厚20∼

120m),と

くに

,そ

の主 要部をなす石英安山岩質火砕岩 [N3TK・

M]は

,鳥

/岡

山県境部の人形峠 。辰巳峠付近から 1よく と 北北東へ鳥取市西方の白兎 。浜村 海岸 までの約25 1Qllに わた って

,北

方へ しだい に拡 が りなが ら連続 的に分布す る (平均 幅 :5 kln)。 北部 ほ ど礫 の円磨度が増 し

,淘

汰・分級 も良 くな り

,凝

灰岩などの細粒火砕岩を介在 しなが ら, しだいに成層構造が発達するようになる。いっぽう

,そ

の上位の東郷累層は厖大 な玄武岩∼安山岩溶岩類か らな り

,人

形峠累層 を整合におおって

,蔦

取県中央部に広 く分布する (第4図)。 これ らの事実は

,①

三朝層群の基底不整合面には北北東 へ下る低平な谷地形が刻まれていて

,②

人形峠累層はこのような谷地形 を埋積 し

,③

その後 に 噴出 した東郷累層の溶岩類 は

,地

域全体 にわたって広 く溢流 したことを示す。 したがって

,三

朝層群の基底不整合面に残 された古地形は著 しく起伏が小 さく

,人

形峠累層の層厚 を大 きくは うわまわっていなかった と考えられる。

2)東

郷累層お よび相当層は

,稜

線部を中心 にして断続的なが らも, 日野高原を除 く山陰東 部に広 く分布する (第4図)。 削剥・被覆域 を考慮にいれると

,そ

れ らは堆積時にはかな り広範 囲に連続的に分布 していた と推論 される。火山岩類のこのような広域 的分布は

,そ

れ らの堆積 時の地形起伏が

,現

在 に比べ るとはるかに低平であったことを意味する。 というのは

,東

郷累 層および相当層の堆積当時

,仮

に現在 と同様の中∼高起伏 山地 (起伏量300∼

600m以

上 :豊 島

,1982)が

地域の大半を占めていたとすると

,平

均層厚数

100mの

三朝層群の主要部は谷埋 め堆積物 として

,地

形的低所 を選んで狭長に分布 したはずであるか らである。

3)人

形峠累層が埋積 した化石谷の現在の平均勾配は

,東

郷累層などの溶岩台地面群 (鉢伏 山面

)の

傾斜 (約4°

)と

同等か

,そ

れをい くぶんうわまわる程度であると考えられる。化石谷 の初原的勾配は不明であるが

,当

時の低平な地形起伏か ら判断すると

,化

石谷の現勾配 よりも かな り小 さかったと予測 される。

(6)

矢野 孝雄・吉谷 昭彦 小畑 (1991)に よる と千代 川 [全長約 50 1Qll]の 河床勾 配 は

,智

頭 [河口距離約35k14]ま で は 10‰ (0.6°

)以

,上

流部の智頭∼1可津 原 [同約

45 km]間

で平均19%。 (1°

)で

あ り

,70

‰ (4°

)を

うわまわるのはご く源流部

[lkm未

]に

す ぎない。人形1時累層が埋積 した長 さ 25km以上に達する化石谷の初原的平均勾配が

,仮

に千代川上流部程度 (約1°

)で

あったとして も

,三

朝層群は堆積後 に3° ほど南上が りの傾動運動 を被 ったと推論 される。 ちなみに

,鉢

伏山面の平均勾配 (4°

)を

,鳥

取/岡山県境部の脊梁山地 まで外挿すると

,そ

の 海抜高度はおよそ1,500∼

2,000mに

達する。いっぼう

,脊

梁山地頂部の海抜1,000∼1,200m付 近には

,道

後山面が小規模 なが らも広範囲に散在する。鉢伏 山面 と道後山面の関係 は不明であ るが

,同

準あるいはそれに近い ものであるとすると

,三

朝層群堆積後の南上が りの傾動運動は, 南縁部でその傾動角 を減 じていたことになる。

4)豊

島 (1982)に よると

,鳥

取市南東方の山地では

,溶

岩台地面 (本論の鉢伏山面

)を

浅 く刻む涸谷が広 く発達 し

,一

部は小規模な湿原 と化 している。 これ らの涸谷は下流側 に遷急点 や滝 をもち

,明

らかな前輪廻性の谷であるという。鉢伏山面 を密に蚕食するこれ らの小規模 な 涸谷は

,著

しい谷頭侵食が進行 しつつある現水系の最上流部に残存するものであ り

,鉢

伏山面 の解析初期には

,広

域的な地形勾配や地形起伏が依然 として小 さかったことを示す。 河 川 地 形 鳥取県下の主要水系は

,東

か ら千代川

,天

神川および日野川の 3つ の一級河川に代表 され

,全

長35∼

80 km,流

域面積500∼1,200と

m2の

規模 をもつ (第4図)。 いずれ も中国脊梁山地に発 し

,日

野川上―中流域などでは適従流路 をたどるが

,基

本的には必従河川 として “脊梁背面

"を

下刻 しなが ら北流 して 日本海に注 ぐ。 沖積低地は主にこれ らの主要河川に沿ってひらけ

,全

県面積の13.5%を 占める (豊島,1993)。 沖積低地のうち

,海

抜高度約

5mを

境に上流側は谷底平野

,下

流側は三角州∼旧潟湖地帯 となっ ている (豊島)1982)。 三角州地帯には自然堤防や旧河道などの微地形がみ られ

,海

岸線に沿っ て砂丘や砂州が発達する。 “脊梁背面

"を

解析するこれ らの主要水系の位置選択の経緯には不明なことが多いが

,少

な く とも次の2つの事象のいずれか

,あ

るいは

,両

者がかかわっているもの と考 えられる。

1)主

要水系の上―中流域 には

,い

ずれの場合 も花尚岩類が広 く露出する (第4図)。 花筒岩 類, とくにマサイとがすすんだ ものは一般に風化・侵食作用 を被 りやす く

,そ

れ らが隆起速度の 大 きい脊梁山地に露出していたところでは谷頭侵食が比較的容易にすすんだものと推測 される。 こうして,“脊梁背面

"の

傾動隆起運動の進行にともなって

,幼

年期水系が脊梁山地の花筒岩分 布域で選択的に成長を遂げた結果

,こ

れ らの地域 に大 きな集水盆が発達 し

,主

要水系が形成 さ れたのであろう。 ちなみに花尚岩類は

,主

要河川の中―上流域のみならず

,下

流域∼ 日本海沿岸地帯 にも広 く分 布する。 しか し

,そ

れ らの大半は鳥取層群 (中新統

)や

三朝層群などによって厚 く被覆 されて いて

,花

尚岩類の地表露出の多 くは削剥作用がすすんだ結果にほかな らない。主要水系の位置 選択にかかわったのは

,こ

れ らの下流域∼沿岸域に露出する花尚岩類ではな く

,大

きな隆起速 度をもつ脊梁山地に露出す る花南岩類であった

,と

いうわけである。

2)三

朝層群の東郷累層お よび相当層 (第

4図

)の

分布高度は

,上

述のとお り

,沿

岸部か ら 脊梁山地へ向かって しだいに増大する。

EW方

向でみると

,30∼ 40 km程

度の波長で きわめて

(7)

山陰東部 における地形景観 とその起源 緩やかに波曲しているようにみえる。 しか も

,波

曲の向斜部が主要河川の流域 に

,背

斜部がそ れ らの間の山地にそれぞれ相当 している。

EW方

向の高度変化は波曲構造によるものではな く

,山

内ほか (1981)が指摘 している島弧 変動 (藤田

,1970)期

の断層地塊構造である場合や

,両

者がかかわっている可能性 もある。い ずれに しても

,前

述 した南上が りの傾動運動 は平面的な変形ではな く

,東

西方向の速度変化が 加わった3次元的な変形であることを意味 し

,隆

起速度が相姑的に小 さい部分が主要河川の集 水盆になった

,

と考えられる。今後は

,東

郷累層お よび相当層の高度分布 を詳細 に解明す るこ とが重要になろう。 海 岸 地 形 山陰東部の海岸線 はほぼ

EW方

向に延び

,比

較的平滑な概形 を示す (第4図)。 詳細 にみる と, 日本海へ向かってい くぶん突出 した部分 と

,逆

に陸側へ凸の弧 を描いてゆるやかに湾入 し た部分が くりかえしている。西端部の島根半島は日本海側へ15 1dtlほど突出していて

,陸

側 (南 西側

)へ

凸の弧 をえが きなが ら雨 馬

E方

向にのびる弓ヶ浜半島によって繋がれている。 海岸線の突出部分では山地や丘陵地が 日本海に直接 し

,岩

石海岸∼礫質海岸 (北但地域 にづ づ く浦富海岸

,長

尾鼻海岸を中心 とする白兎一羽合海岸

,大

山北麓海岸

,お

よび島根半島

)を

かたちづ くる。いっぽう湾入部では

,主

要河川下流域の低平 な三角州地帯が 日本海に臨み

,長

大な海岸砂丘 (`専取砂丘

,北

条砂丘

,弓

ヶ浜砂丘

)に

ふちどられている。 山陰東部海岸 を特徴づける岩石∼礫質海岸 と砂浜海岸の交互配置は

,陸

域 における山地 と主 要河川の交互配置に “同調

"し

ていて

,基

本的には前述 した主要水系の場合 と同 じ原因によっ て位置選択 されていることを示す。 これ ら2つのタイプの海岸の発達史 を共通 して制御 して き たのは

,最

終間氷期以降の海水準変動 と気候変動であ り

,赤

木三郎 (1991)・ 星見 (1994)に よってそれ らの諸作用 と多彩な歴史が復元 されている。 “脊梁背面

"の

起源 前節では

,山

陰東部の地形特性 を山地・河川・海岸 に分けて抽出 し

,そ

れぞれの形成過程 を 考察 した。本節では

,そ

れ らのうち山陰東部の地形景観の基本的骨格 を構成 している “脊梁背 面

"の

起源について

,視

野を山陰沖堆積盆地∼中国山地へ

,次

いで西南 日本の島弧―海溝系へ と 拡 げなが ら考察 をすすめる。 山陰沖堆積盆地∼中国山地の地形―地質構造 中国山地北方の日本海には山陰沖堆積盆地 (第5図

)が

並走 し

,全

体 としてENE‐

WSW∼

NE‐

SW方

向にのびる複合構造を形成 している。これ らの構造要素の特徴 と相互関係は次のようにま とめ られる。 (al 山陰沖堆積盆地 山陰東部沖の代表的な地形―地質構造は

,羽

尾岬沖のN―

S方

向の音波探査記録 (第5図)に示 される (田中 。小草,1981)。 大陸棚 (幅10 km前後

)の

クト縁か ら

,大

陸斜面 は隠岐 トラフの北縁部へ向かって緩やか に く だつてい くが

,途

,山

陰沖リッジ (田中

,1979)の

部分ではやや勾配を増す。隠岐 トラフの

(8)

隠岐 トラフ 矢野 孝雄・吉谷 昭彦 隠崚 リッノ □ 第四系 llllllll鮮新統 囲 上部∼ 中部 中新統 □ 中部 中新統∼下部 中新統上部 國 音響基盤 第 5図 山陰沖堆積盆地の地形―地質構造 (田中・小車,1981の 音波探査断面 Line Dに 加筆

,探

査測線 は 鳥取市東方の羽尾岬沖の

WS方

,全

長 145 km:第 8図 参照) 北側 には隠岐 リッジが隆起 し

,海

底面 は リッジの頂部 か ら北方 の大和 海盆へ 向か って再 び緩 や か に くだっている。 この海域 の地質構造 は,ENE‐

WSW方

向の狭 長 な隆起帯 (隠岐 リ ッジ・ 山 陰沖 リッジ

)と

,そ

れ らの南東側 にひろが る沈 降帯 (隠岐舟状堆積盆地 ・鳥取沖堆積盆地

)の

平行 配列 に よって特徴 づ け られ る (第 5図)。 隠岐 リッジの頂部 は水深 350∼

550mの

平坦 面 となってお り

,次

の理 由か ら

,か

つ ての波食 面 で あ る と判 断 され る (山本 ,1990)。 ①緩 やか に招 由 した隠岐海嶺層 (山本 ほか

,1990:ド

レッジ試料 は泥岩・凝灰岩・珪藻土で

,中

期 中新 世 の珪藻化石群集 を産す る

)が

平坦面 に よっ て削剥 されてい る。②平坦面上 には

,海

嶺 の音響基盤 をなす溶結凝灰 岩 の円礫 (基盤 の局所 的 高 ま りの麓 で は角礫 が増加

)が

広 く分布す る。 この波食面の形成年代 は不明であるが

,蔦

取 沖 堆積 盆地 にひろが る中新 世末∼鮮新世初期 の侵食面 (層準

Dl:後

)と

同時期 であ ると推論 さ れてい る。 隠岐 リッジと山陰東部陸域 との間はひろ く山陰沖堆積盆地 となってお り

,山

陰沖 リッジによっ て北側 の隠岐舟状堆積盆地 と南側 の鳥取沖堆積 盆地 に分かれてい る (田中・小草

,1981:第

5 図)。 隠岐舟状堆積盆地 は もっぱ ら鮮新統 によって埋積 され

,最

大沈降量 は

5kmに

達 す る。 鳥 取 沖堆積 盆地で は鮮新統 が

,招

曲 した上部 中新 統 を傾斜不整合 (層準

Dl)に

おお ってお り

,こ

の層準 で堆積盆地が広 く陸化 したことを示す (田中,1979)。 鮮新統 の中位層準 に も

,盆

地 の南 半部 に広域 的 な部分不整合 (層準

D2:田

,1979)が

存在す る。 両堆積盆地 を埋積 している鮮新統の内部反射面 は

,と

もに北方へ発散 し

,南

方へ収 れ んす る。 盆地 の北縁 は ともに

,南

側 の地塊 が相対 的に沈下 した成長断層 に境 されている。 したが って両 堆積 盆地 は傾動盆地 (小玉・矢野

,1985;矢

野 ほか

,1989)に

分類 され

,そ

れ らの北縁 部 はわ ずか にひ きず り変形 を被 ってい る。 田中 (1979)および田中・小草 (1981)は傾動盆地の北縁 断層 を と もに正 断層 型 の推 定 断層 と して 図示 して い るが (第

5図

),逆

断層 との意 見 もあ る (Yalltallloto,1993)。 堆積 盆地 の傾動沈 降が進行 したの は中新 世末∼鮮新世 (田中・小車,1981) あ るい は前期鮮新世後半∼後期鮮新世 lYamamoto,1993)と され

,い

ず れに して も鮮新 世 を中 心 とす る期 間であ り

,こ

の期 間中の累積傾動量 は両堆積盆地 とも3°∼3.5°程度 であ る。

(b)中

国山地 中国 山地 は

,前

述 の とお り縦走方向の比較的明瞭 な高度不連続 に よって

,北

半部の脊梁 山地 と南半部の吉備 高原 に区分 され る (第1・ 2図)。 北半部 の脊梁 山地 (山頂高度 はお よそ1,000

(9)

山陰束部 にお ける地形景観 とその起源 ∼

1,200m)か

ら日本海沿岸 に至 る北斜面が “脊梁背面

"で

あ り

,山

陰西部 において も日本海恨I へ緩傾斜す る (島根 県,1985)。 江津∼益 田間には

,よ

り低位 の丘 陵構 成層 として

,鮮

新―更新 統 (4∼

lMa:井

岡ほか

,1990)の

都 野津層 (Imamura,1957)が分布す る。都野津層 はお もに 河 川性堆積物か らな り

,Ml∼

M4と よばれ る海成粘土層 をは さむ (都野津 団体研 究 グループ, 1972,水野・武智,1993)。 都野津層の基底不整合面 は著 しく平滑で

,都

野津面 とよばれ る。都 野津面 は出雲市以西の 山陰西部沿岸地帯 (最大幅約

15 km)の

海抜 50∼

400mの

高度範 囲 に発 達 し,日本海側へ緩傾斜す る (小畑,1991)。 都野津層 中の海成粘土層 や都野津丘陵頂面 も同様 の勾配 を示す ことか ら

,都

野津面の勾配 は都 野津層堆積後 の傾動量 と考 え られ (小畑,1991), 最近約100万 年 間の傾動角 は約1° と見積 もられ る。 中国山地南半部 を占め る吉備 高原 は 300∼

600mの

海抜 高度 を もち

,高

原 にひろが る広 大 な 浸 食小起伏面 は “吉備 高原面 (大出

,1912)"と

よばれ る。 中央部 に位 置す る神石傾動 隆起帝 (矢野 ほか

,1994)に

よって東西 に

2分

され る ものの

,全

体 と しては著 しい広域性 と平坦性 を特 徴 とす る (第 6図)。 吉術 高原面 は北へ微傾斜 していて (Hlliita,1980),そ の勾配 はお よそ 5∼ 10%。 (0.2°∼0.5°

)と

見積 もられ る。 この勾配 によって

,吉

備 高原

q共

縁 部 にI革 身馳

,三

次一庄 原 な どの山問盆地群が形成 されている (第1図)。 盆地群 の北縁が船佐衝上, 山 内 衝上 (今村 ほか

,1973)お

よび美作衝上 (河合

,1957)を

介 して

,急

傾斜 の中国脊梁 山地南斜面 に接す る こ とか ら

,こ

れ らの山間盆地は断層角盆地 とみ られている (小畑 ,1991)。 ちなみに

,三

次北方 の脊梁 山地内部 には

,上

布野・二反 田逆断層 と呼ばれる同様 な性格の衝上断層が存在 し (今村・ 三浦

,1970),地

表付 近で は低角衝上断層であ るが

,河

川侵食 によって露 出 した下位 の構造 レベ ルでは高角断層∼鉛直断層 に移化 している。 山間盆地の北縁部 には

,中

部 中新統 の備北層群・勝 田層群 を不整合 におおって甲立礫層 と日 本原層が分布 し

,い

ず れ も衝上 断層 に よって断たれてい る (今村 ほか

,1973;河

合 ,1957)。 そ れ らの堆積年代 は不 明であるが

,前

者 に関 して は岩相 ・地形面 の比較 に もとづいて都野津層の ■牌 第 6図 吉備高原の地形景観 せら A:吉 備高原のうち

,世

羅台地 とよばれる広島県三原市北方の侵食小起伏面 (海抜 :400∼ 500m). 手前左端の沼田川 とその支流によって深 く侵食 されている。遠景の小起伏面は

,水

平線 と見 まちが う ほど平坦である

.B:岡

山県川上町の弥高山か ら南方にひろが る吉備高原面 (海抜約

400m).陽

が 傾 くと比較的大 きな谷筋が闇に消え,小起伏面の平坦性が強調 される.遠景の山稜群の定高性は著 し く,中景のなだらかな尾根 は,低平・緩勾配の小谷によって密に蚕食 され,“波浪状"と 形容 される 吉術高原の特徴的な微地形 をなす.小谷の下流側には遷急点があ り,多くの名滝が懸かる.

(10)

矢野 孝雄 ・吉谷 昭彦 最上部層準に紺比する見解 (今村ほか

,1973;小

,1991),お

よび

,岩

相・層序関係にもとづ いて備北層群に対比する見解 (水野

,1993)が

知 られている。 道後山面 と吉備高原面の相互関係 と形成史については くりかえし議論 されなが らも

,な

お見 解の一致をみていない (吉川ほか

,1973,多

,1975;赤

木祥彦

,1991;小

畑,1991)。 両者の 関係 を示す もっとも具体的なデータは

,脊

梁 山地頂部の吾妻山に発見 された備北層群 (多井ほ か

,1980)と

中国地方全域にわたる備北層群基底面の高度分布 (多井

,1972,1975)で

ある。そ れらにもとづいて多井 (1972,1975)は

,①

両地形面は備北層群堆積後に中国地方全域にわたっ て形成 された同準の平坦面であ り

,②

第四紀の断層変位 によって現在み られる高度差が生 まれ た

,と

結論づけた。ちなみに

,中

国山地の隆起準平原面が

,備

北層群堆積後のみならず

,そ

れ 以前 にもくりか え し平坦化作用 を被 った侵食小起伏面であることは

,藤

田 (1978)・ 阿子島 (1980)。 矢野ほか (1995)な どによって指摘 されて きた。これ らの指摘 は

,山

地化する以前の 中国地方では長期間にわたって比較的低平な地形景観が支配的であったことを示 している。

(C)山

陰沖堆積盆地∼中国山地の地形―地質構造 山陰沖堆積盆地∼中国山地の地形―地質構造は

,以

上のように

ENE郭

6W∼

E‐

W方

向に延び, 北北西へ傾斜 した傾動地塊群の平行配列によって特徴づけられる。各地塊 は

,隠

岐舟状堆積盆 地

,鳥

取沖堆積盆地

,脊

梁背面∼脊梁山地

,吉

備高原にそれぞれ対応 し

,背

面の傾動角は前3 者では約3° であるが

,脊

梁山地南縁部で小 さくな りはじめ

,吉

備高原では0.5° 以下になる。各 地塊の境界はENE‐

WSW∼

E‐

W方

向の正断層∼逆断層によって境 され

,い

ずれの場合 も

,断

層 の南側が相対的に沈下するという規則性 を示す。各地塊の構造 レベルは

,北

側のものほど低 く, 海成堆積物 によってより深 く埋積 されているのに対 し

,南

狽Iのものはほぼ全体が陸上に露出 し ていて

,地

塊群全体 として も南高北低の広域的構造配置 を中国山地∼山陰沖堆積盆地につ くり あげている。山陰東部において

,鮮

新世以降に形成 されたENE‐

WSW∼

EW方

向の断裂構造は, 中新世を中心 とするグリー ンタフ変動期のそれ らとは方向性が異 な り

,西

南 日本弧の伸長方向 に平行であることか ら

,島

弧変動 (藤田

,1970)期

の主要な構造方向であるとみ られている (吉 谷

,1982,吉

谷ほか,1982)。 各地塊の傾動運動および地塊境界断層の変位は

,い

ずれの場合 も鮮新世∼第四紀 にはじまり, それに先立つ中新世末頃には

,山

陰沖堆積盆地を含むほぼ全域が低位に広がる準平原状態にあっ た と考えられる。 西南 日本の島弧―海溝系の形成史 と “脊梁背面

"の

起源 山陰東部の地形景観の基本骨格 をなしている “脊梁背面

"は

,中

国山地∼山陰沖堆積盆地を 特徴づける傾動地塊群の背面の 1つ にほかな らず

,そ

の起源は傾動地塊群の

,さ

らには西南 日 本弧そのものの形成過程 に求め られる。 今 日み られる島弧―海溝系 を形成 した地殻変動は

,島

弧変動 (藤田

,1970)と

よばれる。西南 日本における島弧―海溝系の形成過程 については

,こ

れまでに

,Huiita(1980),矢

野 (1982b), 桑原 (1985),矢 野・山崎 (1985),矢 野ほか (1989),矢 野 (1996)を は じめ

,い

くつかの復元 が試み られている。 これ らのうち

,西

南 日本弧の縁海側 を特徴づける傾動地塊群の形成過程 を 具外的に説明 したのは矢野 (1996)で ある。 ここでは

,そ

れにしたがって島弧―海溝系の形成メ カニズムの概要を述べ るとともに

,形

成史をあとづけて,“脊梁背面

"の

起源について考察 をす すめる。

(11)

山陰東部における地形景観 とその起源

(a)ア

ーチテク トニ クス 矢野 (1996)によると

,島

弧―海溝系 の形成メカニズムはアーチテク トニクス lYano andWtl, 1995)とよばれ る一群 の造構運動 に よって説 明 され る (第7図)。 アーチは “大規模で開いた背斜構造"(Dennis,1967)と 定義 され

,比

較的単純な地質構造で ある (第7図-1)。 ところが

,重

力の影響 をうけた り (第7図

-2),ア

ーチが非対称である場 合 (第7図

-7)に

,さ

まざまな

2次

的構造要素が付加 されて

,全

体 としては複雑 な構造系が 発生する。 重力場でアーチが成長すると

,ア

ンティセテ ィックな断層によって

,ア

ーチは多 くの傾動地 塊 に分割 される (第7図-3)。 この場合

,傾

動地塊の背面の傾斜 は

,ア

ーチの翼部の傾斜その ものを代表する。アーチング (arching)が 地層堆積時に進行すると

,ア

ーチの翼部に傾動盆地 (半地滞

:hargraben)が ,ま

たアーチの頂部には陥没盆地 (地溝

)が

形成される (第7図-4)。 隆起地塊のグラビテイースプレディング (grawlty spreading)とこよって

,ア

ンティセティックな 断層はしばしば地表近 くで衝上断層に移化 し

,表

層性衝上断層 (su 髄

ehmsOを

形成する (第 7図-5)。 この現象 は

,重

力による隆起地塊のお しつぶ し作用 (■attning)の結果 とみること もできる。被覆層が重力滑動すると地すべ りや岩盤すべ りが起 き

,そ

の際

,ア

ンティセティッ クな断層によって被覆層の一端が拘束 されていると

,重

力滑動招 曲が形成 される (第

7図

-6)。 非対称なアーチ ングの場合 には

,両

翼のあいだに

,上

述 した

2次

的構造要素の分布 に偏 りが 生 じる。アンティセティックな断層は後方の翼 (後翼

)で

より大 きく成長 し

,前

方の翼 (前翼) では

,そ

の基部を中心に前縁凹地 lforedeep)が形成 され

,傾

斜が増大すると大規模な斜面崩壊 9)アンテ ィセテ ィックな断層運動 + アーチ 前縁 の短縮変形 4)堆積 時 5)重力 によるお しつぷ し 3)アンテ ィセテ ィックな断層運動 8)アンテ ィセテ ィックな断層運動 + 前縁凹地の形成 6)重力滑動 第 7図 アーチテク トニクス (Yano and Wtl,1995を 一部改変) くさび型凹地

(12)

矢野 孝雄・吉谷 昭彦 が発生す る (第7図-3)。 さ らに非対称 アーチが成長す る と

,後

翼側 のア ンテ ィセ テ ィ ックな 断層 の変位が増大す る とともに

,ア

ーチの前縁部が短縮 されは じめ

,座

屈招 曲やお しかぶせ 断 層が発生 す る。お しかぶせ たアーチ前縁部 (南雲

,1980)や

斜 面崩壊堆積物 の重力荷 重 に よっ て

,お

しかぶせ 断層 の下盤が下方撓 曲 し

,ア

ーチの前面 には くさび型凹地が形成 され る (第 7 図-9)。 アーチ ングにともなう以上のような一群の変形作用 を

,以

下ではアーチテク トニクスと総称 する。非対称アーチ ングの場合は

,前

縁部の短縮変形 とアーチ軸部∼後翼の伸長変形が同時に 進行することが特徴である。 また

,ア

ーチテク トニクスに包括 されるさまざまな

2次

的変形作 用 はいずれ も

,地

球重力場で進行するアーチ ングに対 して地殻表層部が最小エネルギーの法則 に したがって応答 した結果 として

,統

一的に理解することがで きる。

lb)島

弧―海溝系の地形―地質構造の形成過程 西南 日本の島弧―海溝系は

,西

南 日本弧 と南海 トラフの組合せか らなる (第8図)。 西南 日本 弧はフィリピン海 (四国海盆)と 日本海 (対馬海盆 。大和海盆)を隔てる地形的―構造的高 ま り 4華

レЮ8シ1 四目海盆における 四田海盆における に車タービアイ ト 未変形4横切の の推定分布増 等 「 Ha tttため ●443 0DPの燿嗣増点 地形等高線 間隔:Ikm 第 8図 西南 日本の島恥 海溝系∼四国海盆の大地形

(13)

山陰東部 におけ る地形景観 とその起源 であ り

,こ

の論文で は

,海

面上 に露 出す る列 島のみ な らず

,海

滞軸 か ら列 島部 をへ て背弧側 の 大陸斜面麓にいたる高 ま りの全体 をさす もの とす る。矢野 (1996)│こ したが うと

,島

弧―海滞系 の形成過程 は

,次

の ように復元 され る (第 9図)。

1)中

新世末期∼鮮新世初期 このステー ジの島弧―海溝域の特徴 は

,現

在 に比べ て地形起伏 が はるか に小 さか った ことであ る (藤田

,1978:第

9図-1)。 陸域 では低位 に準平原が ひろが り (Htti協,1980),四 国山地 に散在す る侵食小起伏面や

,中

国 山地 の吉備高原面 (第6図)・ 脊梁背面 (第3図

)な

どが

,ほ

ぼ同準 の地形面 を構 成 していた。 前述 した ように 日本海側 の沿岸海域 も広 く陸化 し

,現

在 の隠岐 リッジ まで は準平原が ひろが っ ていた。 この時に形成 された侵食小起伏面が山陰沖堆積盆地の広域的不整合面 (層準

Dl:田

中・ 小草

,1981)お

よび隠岐 リッジの海食面 (山本

,1990,山

本 ほか

,1990)で

あ り

,宍

道招 曲帯 では招 由した上部中新統 を平滑 に裁頂 した (田中

,1979;田

中・小草

,1981:第

5図)。 地形面 や不整合面の詳細 な対比 には問題が残 るが

,全

体 としてみ る と

,こ

のス テー ジには準平原状 の 地形景観が西南 日本∼隠岐 リッジに幅500 km以上 にわた ってひろが っていたことになる。 中国山地北半部で は

,こ

のス テージに前後 してアルカリ質∼ カル クアルカ リ質火 山活動が発 わ く ら 生 し (吉谷 ほか

,1976),前

述 した三朝層群 とその相 当層

,松

江 市東方 の和 久羅安 山岩 (南, 1979),山口県油谷湾周辺 のアルカリ玄武岩類 な どが活動 し

,さ

らに遠 く北西九州で も東松浦玄 武岩 (松井・宇都

,1997)が

溢流 し

,低

平 な溶岩台地 を各地 に形成 した。 これ らの火 山岩類 は 比較的浸食作用 され に くく

,山

陰東部の鉢伏 山面 (第3図

)を

は じめ

,溶

岩流 の堆積面 の一部 が今 日まで残存 し

,有

効 な変位基準 となってい る。 四回海盆底 は炭酸 カルシウム補償深度

(CCD)以

深 にあったが

,す

くな くとも南 海 トラフの 西部域 には海溝 凹地がな く (恥rig,1975),西南 日本 か ら大 陸斜面 をター ビダイ トとして流下 し た陸源砂質砕屑物 は,DSDP Si俺

297(南

海 トラフ南縁 か ら約70 klll南方

)以

遠 に まで到 達 し, さ らに陸源泥質堆積物 は薄化 しなが らも北緯25° 付 近 (約700km南方)ま で ひろが った (Ingle et al.,1975:第 8図)。

2)鮮

新世 鮮新 世のあ る時期 か ら西南 日本弧 は

,四

国―紀伊 山地 を軸 として非対称 アーチ ング を開始 し, 地形 的・構造 的起伏 が増大 しは じめる (矢野

,1982b,矢

野 ・ 山崎

,1985:第

9図-2)。 アーチ ングの非汁称性のために

,ア

ンティセテ ィックな断層群が背弧側 に偏 って発生 し

,ア

ー チの北翼 はい くつかの傾動地塊 に分割 された。 こうして

,隠

岐舟状 海盆堆積盆地

,鳥

取 沖堆積 盆地,“瀬戸 内沈降帯

"が

,そ

れぞれ 日本海側へ傾斜 した傾動盆地 (小玉・矢野

,1985;矢

野 ほ か

,1989)と

して沈 降 しは じめた。 山陰沖堆積盆地では

,ア

ーチ ングに ともなって準平原が沈 水 し

,堆

積物 におおわれ ることによって広域 的不整合面 (層準

Dl)と

して保 存された。 また

,鮮

新世 中頃に鳥取沖堆積盆地の陸寄 りに形成 された部分不整合 (層準

D2:田

,1979;田

中 。小 車

,1981)も

,南

上が り (北下が り

)の

傾動運動 を記録 した ものである。 山陰沖堆積盆地 に供給 された多量 の陸源砕屑物 は

,中

国 山地 にお け る隆起運動 ・侵食作用 の 活発化 を反映 してい る。 この当時の中国山地 は 日本海側へ微傾斜 した単一の傾動地塊 を形成 し ていた

,と

筆者 らは考 えてい る。 それ は

,広

島市北部 の上根 峠 を分水 界 とす る江 の川が

,吉

備 高原 にやや穿入 しなが ら二次盆地 まで北東流 したあ と

,中

国脊梁 山地 を北西 に貫 く先行谷 を経 て 日本海 に注 いでいて

,か

つ ては中国山地 をそのほぼ全幅 にわたって北流す る古水系 が存在 し

(14)

汁 螺   靭 謀 ・ コ 昨 吟   掘 削

脚 

脚 

申 

夕 ・ ビ ダ ィ ト

m F I L I I ﹃

9 190 ,29

第 9図 西南日本における島

X海

溝系の地形―地質構造の形成過程

"ジ

七と

y叫

見醒帯i!四 回山地 前弧海派 避低群 鉛 直 強 調 ∼6 O km

(15)

山陰東部 における地形景観 とその起源 た ことを示唆す るか らである。 太平洋側の沿岸海域∼前弧海盆 ・外縁 隆起帯 (第9図 -4)│こは

,後

期 中新世∼鮮新世 (∼更 とさ1まえ 新世初期

)の

土佐磐層 (岡村 ・上嶋,1986)。 足摺沖層 (岡村 ほか

,1987)が

広 く分布 す る。 こ れ らの堆積物 は

,内

部反射面が ほぼ平 行 に発 達 し

,層

厚変化 が乏 しい ことか ら

,大

規模 な斜面 堆積 盆地 の埋積 層 で あ る と考 え られ

,こ

のス テー ジにはクト縁 隆起 帯が未 だ形成 されてい なか っ た推論 され る (岡村 ・上嶋,1986)。 鮮 新 世 中頃 (約 3.5 Ma)に な る と

,四

国海盆へ の陸源砂 質砕屑物 の搬入が停止 し

,DSDP

Site297の 堆積物 も陸源 ター ビダイ ト相か ら半遠洋相 に変化 した lTlle shipboard Scien

c P的

,

1975a)。 この ような変化 は

,南

海 トラフの前 身 (predecessor)がこの頃に発生 し

,陸

源砂 質砕 屑物を集積 しはじめたことに起因するという (Karig,1975)。 南海 トラフの “前身

"と

されるこ の凹地は

,西

南 日本弧の非対称アーチ ングと相補的に発生 した前縁凹地 (第7図

-8)で

あろう, と筆者 らは考えている。

3)前

期更新世 西南 日本弧の非対称アーチが さらに成長 し

,背

弧側翼部の傾動地塊化が顕在化 した。前弧狽I では斜面勾配が増大するとともに

,既

存の構造が改変 されはじめた (第9図-3)。 日本海側では

,非

対称アーチ ングとアンティセティック断層運動が相補的に進行 した結果

,隠

岐舟状海盆堆積盆地お よび鳥取沖堆積盆地の傾動沈降が進行 し

,前

者の北縁部では沈降量が

5,000m近

くに達 した (第5図)。 中国山地において脊梁山地 と吉備高原が別個の傾動地塊 に分割 されはじめたのは

,こ

の頃か らか もしれない。それは

,①

脊梁山地 と吉備高原の間の高度不連続が断層変位によって形成 さ れたのが第四紀 とみ られ (多井

,1972,1975),

しか も②美作衝上断層の南側にひろがる大規模 な扇状地性礫層 ―一 日本原礫層 (河合

,1957)―

の堆積面がほぼ解析 されつ くされているか らで ある。いずれに しても

,脊

梁山地 と吉備高原の分離時期 に関 しては, 日本原礫層の堆積年代が 今後の重要な研究課題 となろう。 阿讃および和泉山地が

,そ

れぞれ四国山地・紀伊山地か ら分離 して

,EW方

向に細長 くのび た北傾斜の傾動地塊 として独立 した (岡

,1978;岡

田・寒川

,1978,水

野ほか

,1990;水

野, 1992;植木・満塩

,1998:第

9図-2。 9図-3)。 これは

,鮮

新世後期に結晶片岩礫が三波川 帯か ら瀬戸内沈降帯へ供給 されていたが

,更

新世初期には供給が途絶えることによって示 され る。その原因は

,そ

れまで四国お よび紀伊 山地か ら瀬戸内沈降帯へ北流 していた水系が

,中

央 構造線のアンティセティックな変位によって発生 した吉野川・紀 ノ川低地に沿って東流あるい は西流 し

,紀

伊水道へ注 ぐようになった, という流路変換 に求め られる。 前弧海盆の埋積層は一般にK3層 (奥日ほか

,1979)と

よばれ

,室

戸半島1中では土紀層群・室 戸沖層群 (岡村・上嶋

,1986)と

名づけ られ

,音

響層序学的には前期更新世以降の堆積物 と推 論 されている。下位層の土佐磐層 (後期中新世∼更新世初期

)は

前述の とお り斜面堆積盆地の 堆積物であるが

,現

在ではクト縁隆起帝 をかたちづ くる緩やかな背斜構造 を形成 している (第9 図-4)。 糟曲した土佐磐層に射 して

,土

紀層群 。室戸沖層群 は前弧海盆底では整合 に累重する

,外

縁隆起帯や前弧海盆陸側の大陸斜面へむかってはオンラップしていて

,外

縁隆起帯 と前 弧海盆が前期更新世のある時期に形成 されはじめたことを示す (岡村・上嶋,1986)。 前弧海盆 と外縁隆起帯の発生は

,非

対称アーチ ングの進行 によって前弧域が短縮場にな り

,座

屈招 山が は じまったことを物語る (第7図)。 同時に

,前

弧海盆へは陸側大陸斜面か ら崩壊堆積物が くり

(16)

矢野 孝雄・吉谷 昭彦

返 し供給 されていて

,こ

の時期 に斜面勾配が増大 したことを反映 している (岡村 ・上嶋 ,1986)。 陸側海溝斜面の先端部 (DSDP Site298:第 8図

)で

,圧

密変形 を被 った下部更新 統 の陸源 ター ビダイ ト層が掘削 された lTlle Shipboγd Scienttc Pa噂,1975b)。 それ らは

,西

南 日本 弧 か ら前縁 凹地へ砂質堆積物が供給 されていた ことを示す。

4)中

期 更新世∼現在 西南 日本弧 の非対称 アーチ ングがいっそ う進行 したため

,ア

ーチの中軸部∼背弧側翼部 では 傾動地塊構造が よ り大 きく成長 して

,重

力 に よるお しつぶ し作 用 (■前ening)を受 けて

,地

塊 境 界 断層 の一部が表層性衝上断層 (suttace hrust)と こ移化 した。 同時に前弧側 では短縮変形が 強化 され

,今

日み られ る島弧―海溝系 の地形―地質構造がで きあが った (第9図-4)。 山陰沖の大陸棚 は隠岐海脚 よ りも西側では とくに幅広 くな り

,最

大120 Lnに達 してい る

c大

陸棚外縁部では水深

280mま

で保存良好 なナウマ ン象化石が産 出 し (亀井

,1967;赤

木,1981), 山陰沖では2∼ 3万年前以 降に も北 方へ の傾動運動 が進行 して きた ことを示 している (山陰第 四紀研 究 グループ,1969)。 中国山地で は一般 に河岸段 丘 の発 達が悪 いが

,秋

吉 台 。帝釈 台 ・阿哲台で は鍾乳洞俳 究 とあ わせ て河岸段丘 の編年が試み られた (河野

,1972,1983;藤

井 ほか

,1973;北

備 後 台地 団体研 究 グルー プ

,1969;阿

哲 団体研究 グループ,1970)。 それ らによる と

,周

防高原面 ・吉備 高原面 と現河床 との比高の過半はいずれの場合 も中期更新世以降に形成 された と結論 され

,中

国 山地 南半部が本ステー ジに大 きく隆起 した ことを示す。 泉 州沖 の関西空港建 設時の詳細 な地盤調査 に よって

,こ

の海域 の基盤 ブロ ックが北西へ傾動 をつづ けてい ることが解 明 された (西脇 ほか ,1984)。 その速度 は,0.52∼ 0.07 Maの期 間 にわ たって3°/100万 年 とい う一定値 を示 し

,そ

れ以 降は約

2倍

になる とい う。 四国山地では

,侵

食小起伏面の高度分布 (第四紀地殻変動 グループ

,1968,1969),水

準測量 デー タ (吉川

,1968,Yoshikawa,1970),平

均 高度分布 (大森

,1990)な

どにもとづいて

,そ

の 隆起様式が議論 されている。手法の違いに もかかわ らず

,い

ず れの場合 も類似 した隆起様 式が 復元 され

,ほ

ぼ石鎚 山∼剣 山を通 る

ENひWttV方

向の軸 を もって四国山地が背斜状 に隆起 して きた こ とを示す。 井 内 ほか (1978)は

,紀

伊水道南方海域 における堆積層 の編年・構造解析 にもとづ いて

,現

在 み られ る急勾 配 の上部大 陸斜 面 の形成時期 が

,前

期更新世 よ りも後で

,中

期更新世 のあ る時 期 までの 間であることを解 明 した。 また

,本

ス テー ジには前弧海盆∼外縁 隆起帯 にお け る座屈 格 曲がいっそう成長 し

,外

縁隆起帯の上昇にともなって前弧海盆の沈降中心は順次陸側へ移動 し (奥田ほか

,1979),IA型

(矢野

,1982a)の

将棋倒 し構造 (藤田

,1953,1958)を

形成 した。 現在

,南

海 トラフの陸側海滞斜面には,“四国海盆の半遠洋性堆積物

"の

上部層準 を剥離層 と

するデコルマが発達 し

,規

則的な覆瓦構造が形成 されている (たとえばKal・ig,198Q Byrne et

al.,1993)。 その形成開始時期は不明であるが

,前

弧域 における短縮変形が大 きくすすむ本ステー ジ

,あ

るいは短縮変形がは じまる前ステージのある時期以降 と考えるのが妥当であろう。南海 トラフの形成史をふ りかえってみると (第9図

-2∼

-4),①

島弧の非姑称 アーチ ングに とも なって前縁凹地が発生 し

,次

いで②非対称アーチ ングの進行 によってお しかぶせ断層が発生 し, さらに①お しかぶせた島弧前縁部の重力荷重 によって下盤 をなす海洋地殻が下方撓 曲す る, と いった経緯をたどってできあがったことがわかる。ちなみに

,現

在南海 トラフに供給 されてい る砂質堆積物は火山砕屑粒子 を多量に含んでいるため

,北

方の列島部に由来するものではな く,

(17)

山陰東部における地形景観 とその起源

富士川―駿河湾周辺か ら海溝 の長軸 にそって運搬 されて きた ター ビダイ トあると推論 されている lTaira alld Ntttusma,1986)。

(C)脊

梁背面 の起 源 以上 の島弧―海満系 の形成過程 に もとづ くと

,山

陰東部の地形 景観 の基本骨格 をな してい る “脊梁背面

"の

起 源 は

,そ

の平滑性 と傾斜 にわけてみ る と

,そ

れぞれ次 の ように考察 される。 脊梁背面 の平滑性 は

,中

新世末∼鮮新 世初期 に西南 日本∼ 隠岐 リッジにひろが っていた広大 な準平原 (第9図

-1)に

由来す る。三朝層群 な どの火 山岩類 におお われた ところで は

,隆

起運 動 に伴 なう侵食作用 にもかかわ らず

,準

平原面あるいはほぼ同準 の地形面 の一部が保存 されてい て (第3図

),お

よそ500万 年前 に展望 されたであろう『山陰東部 の原風景』 を今 に伝 えている。 脊染背面 の傾斜 の大半 は

,鮮

新世以 降 しだい に加 速度的 に進行 した西南 日本弧 の非対称 アー チ ングによって生みだ された ものである (第9図)。 山陰東部沿岸 か ら脊梁 山地側 を望む と

,遠

景 ほ ど高度 を増 しなが らい くえに も重 なった “山の端

"が

み られ (第10図

),そ

れは解析 された 脊梁背面 を傾斜方 向か ら眺めた地形景観 を代表す る ものであ る。 また

,鉢

伏 山面 の直線状 山稜 線 (第3図

)は

F西南 日本弧のアーチ』 を展望で きる希少 な地形景観 であ り, 日本海底へ延長 してい くと

,山

陰沖 リッジを経 て

,山

陰沖堆積盆の最深部 (海面下

6km:第

5図)に つ なが る。 脊梁背面 の起 源 をた どる と

,以

上 の ように

,中

新世末期 ∼鮮新 世初期 に形成 されていた広大 な準平原 と

,そ

の後 に進行 した西南 日本弧の非対称 アーチ ングに逢着す るЬ侵食作用の影響 を も しと りのぞ くことがで きた とす ると

,山

陰東部 には, 日本海側へ緩やか に傾 いた雄大 な隆起 準平原が現 れ るで あ ろ う。 地 形景観 と土地 自然 システム 中国脊梁 山地∼脊梁背面 は山陰地方 を背後か ら包み こみ

,気

候風土

,産

,生

活様式

,文

化 や人 々の気 質 にいたるまで深 くかかわっている。 この論文の さい ごに

,山

陰東部の地形景観 と 土地 自然 システム との関わ りを考 えてみたい。 第10図 山陰東部

tド

か ら展望 した脊梁山地側の地形景観 (鳥取市北部賀露か ら南方 を望む)

(18)

矢野 孝雄・吉谷 昭彦 脊梁背面 と土地 自然 システム まずは

,脊

梁背面が山陰東部の土地 自然 システムにおよば している影響のい くつかを例示 し てみよう。

(1)多

雪 脊梁背面が気候風土におよばす最大の影響は

,冬

季の降雪である。脊梁山地は

,中

国地方の みならず 日本列島の気候 区を三分 し

,人

の居住空間としては世界 にもまれな多雪地帯 を生みだ している。北西の季節風が 日本列島にはばまれ

,脊

梁背面にそって上昇すると, 日本海上で含 んだ大量の水蒸気が冷却 されて大雪 (山雪

)を

降らせる。 もし脊梁山地の高まりがなければ,日 本海側の積雪は著 しく軽減 されるであろう。 しか しいっぽうでは

,冬

季の降雪は山林緑地 と地 下水 を面養 し

,生

活 。農工業用水 をまかなうとともに

,増

加の一途 をた どる酸性物質を希釈 。 洗浄 して

,酸

性雨被害の顕在化 をかろうじて くい とめることにも貢献 している (石,1988)。

(2)地

域圏 脊梁背面の傾動隆起運動 と選択的侵食作用 とが

,山

陰東部の主要1可川や海岸地形の配置を決 定づけた。 これ らの地形配置は土地 自然 システムに

EW方

向のコン トラス トを加 え

,鳥

取県内 では東部・中部・西部 とよばれる主要1可川沿いの地域圏を生みだ している。 これ らの河川空間 は

,F風

の道』(武内

,1994)と

して局地気象にも大 きな影響 をあたえ

,

日本海側の雪崩や大火 災につながるフェーンや

,吉

備高原北縁部における “日本海側天気のは りだ し (福岡,1992)" をひきおこす。

(3)海

岸∼沿岸海域 における土地利用 山陰東部海岸が

,か

つての準平原面である平滑な脊梁背面 (第3図 。第9図-4)と 海水面と の交線であることか らすれば

,海

岸線が

EW方

向に延び

,比

較的直線的な概形 (第4図)を示 すのは当然のことといえる。海岸線 にそって岩石∼礫質海岸 と砂浜海岸が交互に配置 している ものの (第4図

),海

岸地形は全体に単調で

,港

湾の立地条件に乏 しい。そのため

,山

陰東部で は

,島

根半島の風下に位置する 境 港 を除 くと

,千

代川河日の賀露

,兵

庫県境近 くの網代 。日 後などが良漁港 になっているにす ぎない (豊島,1982)。 脊梁背面は陸域のみならず

,沿

岸海底 にも連続 し (第5図

),山

陰東部沖に平滑な砂質底 を形 成する。そのため沿岸海域は好漁場にな りにくく

,人

工漁礁の造成などによる漁場環境の改良が 提案 されている (豊島,1982)。 いっぽうでは

,山

陰東部の小刻みに凹凸する岩石海岸では機 と砂浜が くりかえし

,変

化 に富 む景勝地をかたちづ くっていて

,良

好な海水浴場 としても利用 されている。 また

,砂

浜海岸に 発達する長大 な海岸砂丘は農耕地や住宅地

,一

部は観光地 として

,土

地活用がはか られてきた (松日,1994)。 は

)鳴

り砂 山陰東部の岩石海岸 に臨む脊梁背面は平滑性をとどめ (第3図

),幼

年期地形が比較的よく保 存 されていて

,脊

梁背面 を解析する河川は

,主

要河川に比べ るといずれ も小規模である (第 2 図)。 そのため

,岩

石海岸にみ られるリアス地形は

,海

食崖の比高に比べ海岸線の凹凸力調ヽさく, 半島部はもとより湾奥部の砂浜 も直接外海に面 している。湾内の砂粒子 は

,海

側へ突出 した半 島部 とその延長上の海底岩礁 によって側方移動 をさまたげ られ

,比

較的長期間にわたって同一 湾内に滞留する。砂粒子は毎年

,冬

季の激 しい波浪によって機械 的破砕作用 を長時間にわたっ て被る。その結果

,①

砂粒子のそれぞれは新鮮で角ばったものにな り

,②

著 しい洵汰作用によっ

(19)

山陰東部における地形景観 とその起源 て

,も

っとも再移動 しやすい細粒砂が選択 されてい く。 このような堆積過程が『鳴 り砂』の2 つの必要条件 (星見,1994)一引③細粒砂 を主 とする粒度

,②

か どばった粒子形状― をみた し, F鳴 り砂』のほ とん どが岩石海岸 に きざみ こまれた小規模 な内湾の砂浜 に発達す る (星見, 1994)こ とになるのであろう。 もしそうだとすると

,最

近 しだいに『鳴 り砂』の “鳴 り

"が

悪 くな りつつあるのは

,心

配されている海洋汚染 とは別に

,経

年的な暖冬化にともなう暴風波浪 エネルギーの減少に関わっているのか もしれない。 脊梁山地 と山陰の『周辺』性 中国脊梁山地の存在は

,山

陰の社会経済構造にもきわめて多様な影響 をおよば して きた。 こ こでは

,近

現代 日本における “裏 日本

"を

問いなお した古厩 (1997)に したがって

,山

陰の『周 辺』性の成立過程 をたどるとともに

,そ

れに地形景観が どのようにかかわって きたのかを考え てみたい。 (a)『周辺』の形成 古代 日本には北九州 と畿内がひらけ

,瀬

戸内沈降帯の回廊 (第9図

-4)を

利用 した山陽道が 両圏をむすんでいた。戦国期以降はその東方延長が しだいに幹線化 し

,江

戸開幕 によって東海 道がいっきょに充実する。 こうして山陽道∼東海道が一本の大動脈 とな り

,後

の新全総 にい う 『中央地帯』(第11図

)の

萌芽がで きあがった。 しか し

,近

代以前には唯―の大量輸送手段が船舶であったため

,物

流のメインルー トは陸で はな く海にあった (古厩,1997)。 日本海側には江戸期∼明治初期を中心に

,北

海道か ら佐渡 。 能登 をへて

,瀬

戸内海経由で大阪に至 る幹線航路があ り

,F北

前船」が沿岸各地を繋 いでいた (高田,1992)。 それに先だつ6∼

7世

紀 には

,中

国・朝鮮か ら日本海沿岸に至る “国際航路" がで きあがっていたという (吹きは じめの北西の季節風 をうけて日本海側の各地に漂着同然に た どりつ くという危 うい航海ではあったが)。 さらに先史時代 まで遡っても, 日本海側 は大陸ヘ ひらかれた 日本の表玄関であ り

,人

々の 日は茫漠たる太平洋側ではな く

,文

化が渡来 して くる ユーラシア大陸側へつねに向けられてきた。高田 (1992)・ 古厩 (1997)によると,“裏

"と

“表

"と

いう対 になった格差意識は近代以前には存在 しなかった

,と

いう。 北陸∼山陰を中心 とする地帯が

,社

会的格差 をあ らわす概念 として “裏 日本

"と

よばれるよ うになったのは

,ち

ょうど1900年頃か らである (古厩,1997)。 その実態が形成さはじめたのは, 手工業にかわって機械制工業が本格的に発展 しは じめる1890年代以降の “産業革命期

"で

あ り, その出発点になったのは

,鉄

道敷設に象徴 される社会資本形成の初期段階での格差であった。さ らに,“表

"と

“裏

"の

格差が決定的になったのは

,戦

後復興∼高度成長期であったという。戦 後復興のみならず

,明

治政府による殖産興業や戦後の高度経済成長などでは公共投資がつねに 傾斜投入 され

,業

種のみならず地域的にも “傾斜

"が

つけられたため

,モ

ノ・カネ・ヒ トの集 中による “中心化"と相補的 “周辺化

"が

段階的・加速度的に進行 していった。その結果, 日 本経済が急速 に拡大するいっぽう

,今

日では過密・環境劣化 と過疎・高齢化が幅300 kmほ ど の細長い列島のなかで背中あわせ に同居する極端な分極化が生 じた。

lb)山

陰の『周辺』性 分極化の過程で

,F周

辺』のなかか ら北陸が

,つ

づいて新潟が『半周辺』化を果た し

,中

央地 帯の波及効果をうけて従属的な発展 を遂げたのに対 し

,山

陰は『周辺』のままであ りつづけた (古厩,1997)。 山陰において [周辺』性が維持 されるには複雑な経緯があったのであろうが

,そ

(20)

矢野 孝雄・吉谷 昭彦 の基層には

,中

国脊梁山地の地理的な隔離効果が よこたわっているようにみえる (第11図)。『半 周辺』 と『周辺』の地形環境 を比較すると

,次

のような相違が浮かびあがって くる。北陸は琵 琶湖∼若狭湾の低地帯 をへて

,新

潟は山間盆地 をつ らねる信越線沿いに

,鉄

道敷設 をは じめと す る交通路 を中央地帯 との間に確保 し

,充

実 をはかって きた。いっぽう山陰は

,連

綿 とした中 国脊梁山地 と脊梁背面 を刻む急峻な河谷 にはばまれ

,中

央地帯 との交通の利便性が抜本的には 改善 されないまま今 日に至 っている。 脊梁山地による地理的隔離に くわえ

,山

陰の『周辺』性 には

,中

国地方全体の地形特性一 山 地が優勢で

,大

きな平野を欠 く (今村,1964)一― も深 くかかわっている。すなわち

,北

陸 と新 潟はそれぞれ有数の海岸平野を備 えているのに対 し

,山

陰では小規模 な河日平野が存在するに す ぎず

,地

域の基礎生産力 をおのず と限定 した ものにした。 さらに

,山

陰に対応する中央地帝, すなわち近畿 と北九州 との間の瀬戸内沿岸 に

,大

きな求心力 をもつ巨大都市圏を欠いているこ とも

,交

通路の開発がすす まなかった要因の 1つ になっている。 日本における巨大都市圏の成 立には大規模 な海岸平野の存在が 自然地理的要件になっているが

,瀬

戸内の内海域 には

,中

規 模河川が流入 し, しかも水深が浅いにもかかわ らず

,大

規模 な海岸平野がみ られない。 この現 象 を指摘 した吉川ほか (1973,pp.366-368)は 『瀬戸内海の異常な平野欠如』 とよび

,原

因を ①周辺山地の小起伏性 と②瀬戸内海域の沈降運動 に求めた。いずれにしても, 日本海側お よび 瀬戸内海恨1における大規模 な海岸平野の欠如が

,脊

梁山地の もつ隔離性 に加えて

,山

陰の『周 辺』性の もう一つの基層をなしていると考えられる。 以上のように

,山

陰の社会経済構造は

,西

南 日本弧の地形構造 (第9図

-4)に

大 きく規制さ れていて,『半周辺』化 をさまたげ られ,『周辺どにお しとどめ られてきた。そ して

,そ

の背景 には500万年間にわたる西南 日本の島弧―海溝系の形成史 (第9図

)が

ひそんでいるとい うわけ である。 第11図 新全総 (第二次全回総合開発計画)における地帯区分 と中回脊梁山地 (宮澤,1995に 加筆)

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