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日本における経済特区の導入と変遷 : 国際取引法からの一考察-香川大学学術情報リポジトリ

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日本における経済特区の導入と変遷:

国際取引法からの一考察

目 次 Ⅰ はじめに Ⅱ 世紀後半:地域経済のための特区の例外的導入 .特区導入が進む国際社会と特区導入に慎重であった日本 .沖縄における特区の例外的導入 .国土の均衡ある発展 .地域間格差を是正する制度としての経済特区 Ⅲ 世紀:国家経済のための経済特区の登場と発展 .構造改革特区 .総合特区 .アベノミクスにおける特区政策 .ローカル・アベノミクス Ⅳ おわりに

Ⅰ は じ め に

経済特区は,区域を画定し,当該区域内において限定的な規制緩和措置 を実施するものであるから,短期的には,当該区域の地域経済に対する効 果が企図される。しかし,経済特区設定の影響は,区域限定的な経済効果 にとどまらない。実際,国家規模での規制改革を促進することに主眼を置

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いて経済特区を制度化する国が増えてきており,その中には,日本も含ま れる⑴。 アベノミクスにおいても,国家戦略特別区域(以下「国家戦略特区」と 呼ぶ)の導入は重要な施策の つと位置づけられていた。国家戦略特別区 域法は,「産業の国際競争力を強化するとともに,国際的な経済活動の拠 点を形成する」ための規制改革を推進するための制度として,中央政府主 導型の経済特区を法制化したものである⑵。当該制度により,外国人の活躍 環境の整備に関する特例が整備される等⑶,国際的な産業を誘致しやすい市 場環境を整えることが企図されている。 このように,現在の日本の経済特区関連政策は,国際取引法分野におけ る検討課題の つとして重要性を増している⑷。しかし,歴史的に検証する と,日本においては,経済特区関連政策は,導入当初から現在のように国 際取引の活性化のために有用な政策であると認識されていたわけではな い。むしろ, 世紀後半においては,国際的には経済特区政策が増加し た時期であったが,日本政府は国内における経済特区設置を検討すること に消極的であった。本稿では, 世紀後半には経済特区政策に消極的で あった日本が, 世紀に入ると規制改革目的の経済特区政策を積極的に 推進するようになり,国際競争力強化のための制度的インフラ整備のツー ルと考えるように至る過程を検証する。

! H. HARADA, Special Economic Zones as a Governance Tool for Policy Coordination and Innovation, Zeitschrift für Japanisches Recht ( ) − , .

" 永渕智大「国家戦略特区・構造改革特区の規制の特例措置の追加:外国人を含む開 業促進,規制改革による地方創生等」時の法例 号( 年) 頁以下。 # 例えば,創業人材について在留資格基準の緩和を認める国家戦略特別区域法 条 の ,クールジャパン関連産業に携わる外国人の活動を促進する施策の推進等を定め る同法 条の ,家事支援サービスを提供する企業に雇用される外国人の入国及び 在留について特例を定める同法 条の 等参照。 $ 国際取引法の観点から経済特区を扱う文献として,例えば,徳本穣「特区・企業誘 致・法:欧州における管理運営主体等の紹介」国際商事法務 巻 号( 年) − 頁参照。

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世紀後半:地域経済のための特区の例外的導入

.特区導入が進む国際社会と特区導入に慎重であった日本 戦後の経済特区の最初期の例としては, 年にアイルランドで設置 されたシャノン空港の自由貿易区域が挙げられる⑸。その後, 年代に は,各国で多様な経済特区が発展した⑹。例えば,アジアにおいて経済特区 の導入を先駆的に進めた例としては,インドにおける輸出促進策として採 用された輸出加工区が挙げられる⑺。この動向は,日本の近隣国においても みられる⑻。台湾においては, 年より輸出加工区の設置が進められた。 年代には,韓国においても馬山輸出加工区( 年)や裡里輸出加 工区( 年)が設置されている。その後,中国においては, 年に, 広東省の深圳,珠海,汕頭と福建省の厦門の 地区が,経済特区に指定さ れている。このように近隣国で経済特区の設置が進んだことを契機とし て, 年以降においては,日本の国会においても,経済特区に関連す る議論が扱われるようになる。 国会会議録中で「特区」という語が用いられた最初期の例としては, 年 月 日の第 回国会衆議院商工委員会における石野久男による質問

! J. WHITE, Fostering Innovation in Developing Economies through SEZs, in : Farole and Akinci(eds.), Special Economic Zones : Progress, Emerging Challenges, and Future Directions(The World Bank, ) .

" T. FAROLE, Special Economic Zones in Africa : Comparing Performance and Learning form Global Experience(The World Bank, ) .

# M. MURAYAMA and N. YOKOTA, Revisiting Labour and Gender Issues in Export Processing Zones : The Cases of South Korea, Bangladesh and India, IDE Discussion Paper No. ( ) ; available at :〈http://www.ide.go.jp/English/Publish/Download/ Dp/pdf/ .pdf〉. また, 年以降のインドの経済特区政策について,K. R. GUPTA, Special Economic Zones, in : Gupta(ed.), Special Economic Zones : Issues, Laws and Procedures(Atlantic, ) も参照。

$ 上田慧「国境経済圏と輸出加工貿易」同志社商学商学部創立 周年記念号( 年) 頁以下。張貞旭「韓国の馬山輸出加工区の経済的な効果と外国直接投資(上):

∼ 年」松山大学論集 巻 号( 年) 頁以下。鐵和弘「開発戦略とし ての輸出加工区の有効性」静岡大学経済研究 巻 号( 年) 頁以下。

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が挙げられる。同委員会会合における石野発言は, 年に中国が経済 特区を設定したことを契機に,日本国際貿易促進協会が中国との貿易を一 層拡大する方針を決定したことについて,日本政府がどのような協力を検 討しているかを質問したものであった⑼。このように近隣国の経済特区設定 に対する反応としての議論は当時からあったものの,日本における特区導 入の可能性について議論されていた記録は, 年代の国会会議録中に おいては見当たらない。 国会会議録の中に日本における特区導入の可能性について議論されてい る例が登場するのは, 年代以降のことである。日本における特区導 入の是非について検討されるようになった背景には, 年 月 日に 発生した阪神・淡路大震災があった。震災発生の翌月には,第 回国会 衆議院予算委員会において,赤羽一嘉が,復興支援として新しい産業の誘 致や雇用機会の創出を促進するために,中国の経済特区を参考にし,復興 推進地域を期限付きの特区として,関税や法人税の免除等を行う「規制緩 和の推進モデル都市」にすることを政府に提案する発言をしている ⑽ 。この 発言に対しては,当時通商産業大臣を務めていた橋本龍太郎が答弁した が,復興支援策として特区を用いる案については,要望として聞いている 旨を述べるにとどめ,具体的な政府の方針については明言しなかった⑾。 同様に, 年の参議院本会議においては,本岡昭次が,「阪神・淡路 大震災による経済的打撃から早期に立ち直るためには,(中略)被災地域 を対象としたいわゆる経済特区を設置して税制上の優遇措置を講ずること が必要」との考えを示している⑿。この発言に対しても,橋本(当時通商産 業大臣)が,「被災代替資産の特別償却,特定の事業用資産の買いかえ特 例など,(中略)税制としてできる限りの対応」は進めているとの答弁を ! 第 回国会衆議院商工委員会( 年 月 日・会議録第 号)。 " 第 回国会衆議院予算委員会( 年 月 日・会議録第 号)。 # 同上。 $ 第 回国会参議院本会議( 年 月 日・会議録第 号)。

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しており⒀,特区設定による復興支援は当時の政府の計画中にはなかったこ とがうかがえる。 これら赤羽発言や本岡発言に対する答弁からは, 世紀終盤までは, 国内における経済特区設置の可能性を検討することに対して,日本政府は 慎重又は消極的といえる姿勢で臨んできたことが看取される。 年代 の特区設置の議論に対する政府の慎重な対応の背景については,震災当時 に兵庫県知事を務めていた貝原俊民が具体的に言及している。貝原は,英 国のドッグランズにおいて規制緩和による企業誘致策により当該港湾地区 の経済再生を図ったエンタープライズ・ゾーンの事例を参考に,震災後の 復興事業のための経済特区を設けることを提案していたが,「一国二制度」 を認められないとの考えから政府に受け入れられなかったと述べている⒁。 「一国二制度」という語は,本来は,鄧小平が,中国が香港・澳門の主 権回復や台湾との統一を目指す方針として 年代末に提起したものと して知られるが,ここでは異なる文脈で用いられている。日本の特区政策 における文脈においては,「一国二制度」という語は,経済特区の導入に より規制緩和や税制上の特例が実施されると地域間の経済格差が拡大する のではないかという懸念を指摘する場合に用いられてきた。後述するよう に,地域間の経済格差を解消すべきであるという方針は,「国土の均衡あ る発展」という理念を掲げる政府に重要視されていたのである。このよう に,当時の政府は,「国土の均衡ある発展」という理念と特区制度の導入 とは相反するとの認識を有していたが,次節で述べるように,沖縄につい ては例外的な対応をしている。 ! 同上。 " 第 回東日本大震災復興構想会議( 年 月 日・議事録)。阪神・淡路大震 災復興フォローアップ委員会・兵庫県編『伝える』(ぎょうせい, 年) 頁も 参照。

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.沖縄における特区の例外的導入 戦後,日本国内において最初の経済特区の設置が行われたのは,沖縄県 である。沖縄は,第二次世界大戦中, 年 月に開始された沖縄戦で 主戦場となり,戦後も 年まで米国によって統治されていた⒂。そのよ うな状況下で, 年,那覇港周辺の約 , 平方メートルの地域が, 主に米国輸出用トランジスターラジオ組立ての事業を行う自由貿易地域と して指定された⒃。日本における最初の自由貿易地域は,米国統治下の沖縄 において,米国主導で設けられたという特徴がある。 年の沖縄返還協定調印後においても,自由貿易地域の活用は沖縄 の振興開発を図る上で有効であると考える地元経済界からの要望を受け, 沖縄振興開発特別法により自由貿易地域が法制化された⒄。自由貿易地域の 存在はその後の沖縄県による産業政策においても重視され, 年から 翌年にかけて,沖縄県は,当時那覇地区に限定されていた自由貿易地域を 拡充し,製造業を中心に産業の創出や誘致を進める「国際都市形成計画」 を策定し政府に提案した ⒅ 。これは沖縄県のインフラ整備を進めて情報ハブ 基地や国際観光都市としての機能を形成することを目的としており,当該 計画を契機に,沖縄県側は,県内全域を自由貿易地域にする案まで発展さ せた⒆。もっとも,沖縄県提案ほどの自由貿易地域の大幅な拡大は実施され ず,この議論は, 年制定の沖縄振興開発特別法を 年に一部改正 するにとどめるやや慎重な結論へと収束していった⒇。 ! 加藤久子「沖縄戦で失われた集落の再建と米国の統治法規による占領政策」沖縄文 化研究 号( 年) 頁以下。 " 湧川盛順「沖縄県における特区への取組み」産業立地 巻 号( 年) 頁。 # 同上。沖縄振興開発特別法(平成 年 月 日に失効)。 $ 沖縄県「国際都市形成基本計画:『 世紀・沖縄のグランドデザイン』の実現に向 けて」沖縄県( 年)。 % 沖縄県「国際都市形成に向けた新たな産業振興策:産業・経済の振興と規制緩和等 検討委員会報告を受けて」沖縄県( 年)。 & 高原一隆「沖縄の 年以降の産業政策とその検証(分権型社会における地域自 立のための政策に関する総合研究 )」開発論集 号( 年) 頁。

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年の沖縄振興開発特別法の一部改正により,優遇税制を講じる特 別自由貿易地域の他,観光振興地域及び情報通信産業振興地域の指定が可 能となった。これらは日本政府の主導の下で法制化された最初の経済特区 の出現と位置づけられる。そして,次に述べるように,この動向は,沖縄 振興開発特別措置法に代わる新法−沖縄振興特別措置法−の制定に結びつ くことになる。 年に,当時名護市長を務めていた岸本建男は,アイルランドのダ ブリン市にある国際金融サービスセンター(IFSC)を視察し,優遇税制 措置により外部資本の積極的誘致を成功させたモデルとして,ダブリン市 の例を名護市の目標と位置づけた。岸本は,名護市でも,IFSC と同様に, 金融会社に対する地域優遇税制を実現する金融特区構想を提案したのであ る。もっとも,当時の内閣府や財務省には一国二制度に対する懸念が根深 く,岸本による説得は難航したといわれている。 他方で,同時期においては,特区制度を拡大する方向性の議論が政府内 でも積極的にとりあげられるようになっていたことが観察できる。例え ば,片山虎之助(当時総務大臣)が 年 月に沖縄を訪問した際,稲 嶺恵一(当時沖縄県知事)が片山に対して,IT 特区に関する提案を行っ ている。その後,片山は, 年の第 回経済財政諮問会議において, 情報産業の「ビジネスモデル地区」として規制緩和等を試験的に行う IT 特区の実施を「何か所か試験的に行えばどうか」と発案している。 これらの動向を受け,情報通信産業特別地区制度や金融業務特別地区制 度を制度化するために,沖縄振興開発特別措置法に代わる法として,沖縄 振興特別措置法が制定された。沖縄振興開発特別措置法は 年 月 ! 占部裕典「経済特区税制:沖縄振興特別措置法における『地域優遇税制』」日税研 論集 号( 年) − 頁。 " 同上。

# “A tax heaven for Japan : In Nago’s fair city,”The Economist, June .

$ 平成 年第 回経済財政諮問会議議事要旨( 年 月 日,http://www .cao. go.jp/keizai-shimon/minutes/ / /shimon-s.pdf)。

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日付けで失効し,同年 月より,沖縄振興特別措置法が施行されている。 年 月には,名護市が金融業務特別地区として指定を受け,金融関 連産業の集中的誘致による雇用創出に取り組んできた。このように名護市 を金融特区化したことについては,「国際的な制度間競争の時代」におい て日本の市場を魅力的にするための制度的インフラ整備として意義がある として,積極的な期待も寄せられていた。しかし,ペーパーカンパニーの 設立を防ぐための要件として常時 名以上の従業員の雇用が要件とされ た点や,法人税の控除についても,日本の近隣国を含め他国の租税回避地 と比較した場合には,沖縄の金融特区は控除率が低いのが現状であった 点,及び,金融業務地域としての知名度も低かった点から,実際には,沖 縄経済の自立に寄与するほどの効果は実現できていないとの指摘もある。 これに関連して,名護市の場合に法人税控除率が低めに設定された背景に は,目標としていたダブリン市における優遇税制措置が,OECD により有 害な税制措置(Harmful Tax Practices)の つとして挙げられてしまった こともあるといわれている。 以上でみた通り, 世紀後半の日本政府は,基本方針としては「一国 二制度」批判を考慮して国内における経済特区導入論に対して慎重な対応 を維持していたものの,沖縄についてだけは地域の特殊事情を考慮して例 外的対応を行ってきたことがわかる。そこで,次節以降では,この時期に 日本政府が経済特区の導入に対して慎重にならざるを得なかった「一国二 ! 沖縄県「経済金融活性化計画」( 年 月,http://www.pref.okinawa.jp/site/kikaku/ chosei/kikaku/documents/keikinnkeikaku.pdf) 頁。 " 島袋鉄男「沖縄国際情報金融特区」琉大法学 号( 年) − 頁。 # 高原・前掲注⒇ 頁。 $ 近藤健彦「原提案者が問題点を突く:沖縄金融特区はなぜ機能しないのか」Jiji Top Confidential 号( 年) 頁。また,日本貿易振興会海外調査部欧州課「域 内税制調和への取り組み(EU):共通化・調整(協調)・競争」JETRO ユーロトレン ド 号( 年) 頁,及び,同「『有害』な優遇税制の行方:OECD と EU の 最 新情勢と各加盟国の動向(EU・OECD)」JETRO ユーロトレンド 号( 年) 頁も参照。

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制度」批判の源流を確認し,そのうえで,沖縄における経済特区の例外的 導入を可能にした背景を明らかにする。 .国土の均衡ある発展 前節までに述べたように, 世紀後半において,国内に経済特区を設 ける可能性を検討することについて政府が消極的であった背景には,「一 国二制度」により経済発展の地域間格差が拡大することへの懸念が示され てきたことがある。実際,同時期の政府は,地域間格差の是正を重視する 経済政策の方針を,「国土の均衡ある発展」という理念を用いて,国土計 画等を通じて表明し続けていた。そこで,この理念が用いられるように なった背景を検証しておきたい。 「国土の均衡ある発展」という言葉が用いられた初期の例は, 年代 に複数みられる。 年に,当時の内閣総理大臣近衛文麿のブレーント ラストとして機能していた昭和研究会が,「国土計画に関する覚書」の中 で当該理念を用いたのが,最初期の例とされている。その後,「国土の均 衡ある発展」の理念は,国土計画関連の文書を中心に,政府によって度々 示されることになる。例えば,満州国国務院会議による「総合立地計画策 定要綱」( 年)や,企画院による「中央計画素案」( 年)は,こ の理念を基に策定されたことが示されている。 この時期に,「国土の均衡ある発展」という理念が多く用いられた理由 を説明するためには,当該理念が,第二次世界大戦中の政府によって用意 されたものである点に注意する必要がある。具体的に言うと,前述の複数 の国土計画関連文書は,国内のあらゆる人的及び物的資源を動員する総力 戦を実現するための国家総動員体制と整合する国土計画を起草するため ! 伊藤敏安「地方にとって『国土の均衡ある発展』とは何であったか」地域経済研究 号( 年) 頁。 " 満州国国務院会議「総合立地計画策定要綱」酉水孜郎編『資料・国土計画』大明堂 ( 年) 頁以下。 # 企画院「中央計画素案」酉水・前掲注 頁以下。

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に,当該理念を用いていたことが指摘されているのである。 既に 年には,内閣資源局の「総動員基本計画綱領案」が教育機関 等を通じて「戦争遂行上必要ナル教化ノ処置ヲ講ジ」ること等を構想して おり,「国論の統一」に向けた施策が準備されていたことがわかる。そし て, 年の満州事変は,実際に「国論の統一」のために,戦争遂行を 妨げるおそれのある思想や運動に対しては取締りが強化されたといわれて いる。とりわけ 年 月の盧溝橋事件以降,戦争が長期化する中で, 総力戦体制化を目指す政策が顕著に表れる。 年 月からは,第一次 近衛内閣により「国民精神総動員」が展開され,「欲しがりません勝つま では」等の戦時標語の下に,長期戦による物資不足を国民の耐乏により補 うことが図られた。この点は,軍需への資源分配を最大化することを目的 として国民の節制を奨励していた「堅忍持久」のスローガンに表れている。 また,「挙国一致」のスローガンにも表れている通り,近衛内閣の方針は, 同じ目的に向かって国全体が一体にまとまっている国内情勢を実現するこ とに注力していた。 国民精神総動員の運動にあわせて, 年に国家総動員法を定めたこ とにより,当時の政府は,人的及び物的資源の管制をする権限を法制化す る。例えば,鉄鋼,銅,亜鉛,鉛,ゴム,羊毛等の重要な資材については, 軍需使用のみが許されていた。このような私的経済活動に対する抑圧を維 持する目的で,総力戦に対する批判や不満の鎮圧が図られ,挙国一致の重 要性を強調する標語や政策が採用される傾向にあったものと考えられる。 このような時代背景を考慮に入れると, 年から「国土の均衡ある 発展」という概念が多用されるようになった理由についても,国論の統一 に向けた政策の一環として理解することができよう。 ! 伊藤・前掲注 頁。 " 石川準吉『国家総動員史:資料編第 』(国家総動員史刊行会, 年) 頁。 # 小澤熹「国家総動員体制下における教育制度改革:青年学校男子義務制化への動き」 東北女子大学・東北女子短期大学紀要 号( 年) 頁。 $ 遠山茂樹・今井清一・藤原彰『昭和史(新版)』(岩波書店, 年) − 頁。

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敗戦により,国家総動員法は存在意義を失い, 年に廃止された。 しかし,「国土の均衡ある発展」という理念については,その後も日本の 国土計画に影響力を与えながら存在し続けた。「国土の均衡ある発展」が 時代に合わないものとして,政府が当該理念から離れはじめたのは, 年に閣議決定された「 世紀の国土のグランドデザイン」(現全国総合開 発計画)からである。 世紀の国土のグランドデザインにおいては,当 該理念は「多様な地域特性を十全に発揮させた国土の均衡ある発展」と修 正され,全体としては地域の個性ある発展が提唱されている。 世紀の 国土のグランドデザインが,「第 次」全国総合開発計画という名称を採 用しなかった理由も,「『国土の均衡ある発展』という理念に訣別したこと にある」という指摘もある。 .地域間格差を是正する制度としての経済特区 次に, 世紀後半において政府が,沖縄には例外的に経済特区の導入 を認めることができた理由について検討しておく。ここで,もともと国会 で経済特区に関する議論がはじまった契機が,中国における経済特区の設 置であったという点には注意しておきたい。当時の政府の見解を理解する ためには,沖縄と中国の状況を比較検討することが有益であるように思わ れる。 年 月に開催された中国共産党第 期中央委員会第 回全体会 議において,中国は「改革開放」政策を打ち出し,鄧小平の指導体制の下 で対外開放政策を展開していく。改革開放の一環として, 年 月に 鄧小平は,広東省の経済政策に関する報告を受ける中で,経済特区の設置 を提言したことが知られている。同年,鄧小平の提言に従い, 地域が経 ! 国家総動員法及戦時緊急措置法廃止法律(昭和 年法律第 号)。 " 伊藤・前掲注 頁。 # 同上。

$ G. SHANGQUAN and C. FULIN(eds.), New Progress in China’s Special Economic Zones(Foreign Languages Press, ) ff.

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済特区としての指定を受け,他国からの直接投資が認められるようにな る。このように,中国における経済特区導入の目的は,当該区域内で,改 革開放に関する施策を国内の他の地域に先駆けて推進していくことであっ た。 中国のように国内の他の地域に先駆けて規制改革を進める目的で経済特 区を導入することは,「国土の均衡ある発展」という理念を前提にする同 時期の日本政府にとっては検討すること自体困難であった。しかし,沖縄 における特殊事情は,日本が例外的措置として経済特区を導入する契機を 提供した。 沖縄における経済特区導入の正当性の根拠となった事情の つは,戦後 に米軍の統制下におかれたことで,国内の他の地域に比べて失業率が高い という地域的課題が認識されていたことにある。そのような地域の特殊事 情を勘案すれば,日本政府としては,沖縄における経済特区制度の導入 が,当該地域と国内の他の地域との間の経済格差を是正する目的でなされ るのであれば,「一国二制度」批判の対象外と位置づけることができたの である。地域間格差の是正は,「国土の均衡ある発展」という理念と整合 するからである。 その事情に加えて,国内における米軍基地が沖縄県内に集中的に設置さ れているという事情も,経済特区導入の根拠として考えられていた可能性 もある。実際,経済特区を通じた優遇措置を,米軍基地に関する負担に対 する補償と解することも可能との指摘がある。 以上の事情から,沖縄県においては,「国土の均衡ある発展」の理念が 影響力を有していた 世紀後半において既に,経済特区の導入が実現し たものと理解できる。沖縄の事例は,日本における経済特区の初期の例と して重要であるが,この段階では経済特区の機能は限定的であり,国家規 ! 湧川盛順「沖縄県特別自由貿易地域と構造改革特区について」地域開発 号( 年) 頁。

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模での規制改革を推進する役割や国際取引市場を整備する役割は与えられ ていない。次章で述べるように,日本において経済特区にそのような役割 が付加されるようになるのは, 世紀に入ってからのことである。

世紀:国家経済のための経済特区の登場と発展

.構造改革特区 世紀に入ると,政府による経済特区への考え方は大きな変化をみせ る。国内における経済特区設置の可能性について積極的な検討がなされる ようになっただけでなく,指定された区域の経済成長にとどまらず,国家 経済の成長を目的とする経済特区制度を法制化する政策が採用されるよう になるのである。一国二制度批判の基礎となっていた「国土の均衡ある発 展」という理念は, 世紀初頭には,時代遅れの社会主義的アプローチ として批判されることが多くなった。そして,当該理念への批判の高まり により,地域の特色を活かした成長戦略が模索されるようになる。 世 紀型の成長戦略として,ナショナル・ミニマムからローカル・オプティマ ムへの政策の転換が求められたのである。 また,国家経済を刺激するための経済特区が登場した事態背景を理解す るためには,それが小泉純一郎の内閣によってはじめて採用された点も重 要である。小泉政権の下では,ネオリベラリズムやサプライサイド経済を 基礎とする構造改革を実行することが,政策上極めて重要な課題として扱 われていた。そのような状況の中,経済特区を,構造改革を推進するのに 有用な政策ツールとして捉える議論が現れ,小泉政権下における構造改革 特別区域(以下「構造改革特区」と呼ぶ)の導入に帰結するのである。こ こでは,地域間格差是正の目的に限定的かつ例外的に用いられてきた経済 ! 田中直毅『構造改革とは何か』(東洋経済新報社, 年) 頁。 " 中北浩爾『自民党政治の変容』(NHK 出版, 年) 頁以下。

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特区が,構造改革推進のためのツールとして積極的に活用されるべきとの 議論に変わっていった経緯を検証する。 年 月 日の第 回国会衆議院総務委員会においては,谷本龍哉 が,今後,「国土の均衡ある発展」の理念を基礎とする政策を克服し,個 性ある地方振興策を実現可能にするために,「特別地区構想」を沖縄の例 以外にも拡大していくことが望ましいのではないかと発言し,例として 「教育特区」・「電波特区」・「環境特区」等の名称も示している。谷本の発 言に対しては,政府側からは当時総務大臣を務めていた片山虎之助が,従 来の国土計画においては一国二制度の議論から採用が困難と考えられてき た特区の積極的導入について,今後は検討の対象としていくべきとの見解 を述べた上で,「IT 特区構想」等の要望が複数の地方自治体から挙げられ ていることも紹介した。この答弁から看取されるように,従来,特区導入 の可能性について直接的な検討を避けてきた政府が, 世紀に入ると, 特区制度の活用に積極的な姿勢を示すようになっている。 このような政府の姿勢の変化の背景には,特区制度が,当時小泉内閣が 進めていた構造改革の手段として有用に機能し得るとの考えがあった。こ の谷本発言のあった時期においては,構造改革関係の諸会議を通じて,特 区に関する提案が複数のルートから提出されている。 例えば,総合規制改革会議においては,八代尚宏が, 年 月 日 付けペーパー「総合規制改革会議の今後の検討方針について(修正メモ)」 により,「補助金なしでの経済活性化モデル事業」として機能するととも に,「全国的に一律適用が困難な規制改革の効果に関する社会的実験を可 能とするもの」として,「規制改革特区」を設ける案が提起されている(以 下「八代提案」と呼ぶ)。この案の具体的内容については,同年 月 日 ! 第 回国会衆議院総務委員会( 年 月 日・会議録第 号)。 " 同上。 # 川手摂「構造改革特区の成立過程と制度運用過程」西尾勝・東京市政調査会研究室 編『検証 構造改革特区』(ぎょうせい, 年) − 頁。

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のペーパー「規制改革特区の具体的検討について(追加メモ)」及び同年 月 日のペーパー「『規制改革特区』を規制改革の有効な手段に(メモ)」 で展開されており,この段階で既に,内閣府を窓口として,地方自治体が 首相に対して特定の規制緩和を申請する仕組みが考えられていた。 八代提案がまとめられた時期, 年 月 日の産業競争力戦略会議 においては,当時経済産業大臣を務めていた平沼赳夫が,「教育特区」や 「IT 特区」といった案を例示しつつ,沖縄以外にも特区を設置する可能性 について,積極的に議論すべきとの認識を示し,さらに,どのような形態 の特区が設置可能か,経済産業省の事務方に検討を進めさせている旨の発 言をしている。そして, 年 月 日の経済財政諮問会議において, 平沼は,「経済活性化・競争力強化に向けた基本的視点」と題したペーパ ーを提出しており,その中で,自治体が相互競争しながら個性ある発展に 取り組む枠組みとして「自治体による規制緩和と助成策などからなる『特 区』的手法」を創設することを,検討課題として掲げた。さらに,その翌 月の経済財政諮問会議において,平沼は「『規制改革特区』構想について」 と題したペーパーにより,「規制改革特区」の目的や方針について,「各地 域が自らの創意工夫により企業の立地環境を整備する地域間競争を起こ し,『個性ある地方』の自立した発展と活性化を促進」するという目的, 及び「『民間発・地方発アイディア』を短期に統合,開発させる。そのた めの『実験場』を提供」するという目的を示しながら,「国の国政資金に 頼ることなく,『規制改革』を手段として,『知恵』と『改革への意欲』を 競う形」の特区制度を設計すべきとの提案を行っている(以下「平沼提案」 ! 同上。 " 平沼赳夫オフィシャルウェブサイト「活動報告:大臣閣議後記者会見の概要」( 年 月 日,http://www.hiranuma.org/new/note/note .html)。 # 平沼赳夫「経済活性化・競争力強化に向けた基本的視点」平成 年第 回経済財 政諮問会議提出資料( 年 月 日,http://www .cao.go.jp/keizai-shimon/minutes/ / /item .pdf) 頁。平成 年第 回経済財政諮問会議議事録( 年 月 日,http://www .cao.go.jp/keizai-shimon/minutes/ / /minutes-s.pdf)も参照。

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と呼ぶ)。 八代提案及び平沼提案と同時期に,経済財政諮問会議の民間議員であっ た牛尾治朗・奥田硬・本間正明・吉川洋が,経済財政諮問会議に提出した 年 月 日付けペーパー「経済活性化戦略の実施案」において,「構 造改革特区の設置」を提案した(以下「経済財政諮問会議民間議員提案」 と呼ぶ)。同提案は,「規制改革を大幅に進めて,地域経済活性化の実験を 進める構造改革特区を設置する。構造改革特区では,特定分野の規制が撤 廃され,官の役割は縮小し,迅速かつ横断連携的な事業が実験的に進めら れることが期待される」と述べている。経済財政諮問会議民間議員提案の 具体的内容については, 年 月 日に同会議に提出された「構造改 革特区について」というペーパーの中で敷衍されている。同ペーパーは, 構造改革特区の内容について,「①全国一律の規制について,地域の特性 等に応じて特例的な規制を適用すること,あるいは,②一定の規制を試行 的に特定地域に限って緩和すること,さらに,③産業集積等地域の活性化 のために,これら規制改革に加えて,それぞれの地域に応じた様々な支援 を行うこと」と説明し,それにより期待される効果として,「問題が生じ なければ,それを全国的に拡大することにより,例えば,進展の遅い規制 ! 平沼赳夫「『規制改革特区』構想について」平成 年第 回経済財政諮問会議提 出 資 料( 年 月 日,http://www .cao.go.jp/keizai-shimon/minutes/ / /item .pdf)。平成 年第 回経済財政諮問会議議事録( 年 月 日,http://www . cao.go.jp/keizai-shimon/minutes/ / /minutes_s.pdf)も参照。 平沼提案は,構造改革特区について経済産業省の立場を基礎づける資料として,構 造改革特区に関する意見交換会でも引用されている。例えば,経済産業省「構造改革 特区に関する経済産業省の考え方」第 回構造改革特区に関する意見交換会提出資料 (平成 年 月 日,http://www .cao.go.jp/kisei/giji/ /wg/tokku/siryo - - .pdf) 頁 参照。 " 牛尾治朗・奥田硬・本間正明・吉川洋「経済活性化戦略の実施案」平成 年第 回 経済諮問会議提出資料( 年 月 日,http://www .cao.go.jp/keizai-shimon/minutes / / /item .pdf)。 # 同上。 $ 牛尾治朗・奥田硬・本間正明・吉川洋「構造改革特区について」平成 年第 回 経済諮問会議提出資料( 年 月 日,http://www .cao.go.jp/keizai-shimon/minutes / / /item .pdf)

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改革分野の改革に拍車をかけることができる」と述べている。また,同ペ ーパーは,構造改革特区は,地方の自立的な発展を促す制度にするため, 地方自治体に対する補助金の制度にすべきではないとも指摘している。 以上のように,八代提案,平沼提案,及び経済財政諮問会議民間議員提 案の概要をみてみると,これらが特区制度の設計について類似の構想を共 有していることは興味深い。第 に,これらの提案はいずれも,経済特区 を,将来的な国家規模での構造改革を見据えた,社会実験の場と位置づけ ている。第 に,これらの提案はいずれも,指定された区域に対する中央 政府からの補助金という形での支援策を採る可能性を否定している。 このように類似の構想が同時期に出されたことは,偶然ではない。規制 改革推進策として経済特区の仕組みを用いるという構想が生まれたのは, 経済産業省の若手官僚による政策研究会の場であったといわれている。研 究会メンバーは,特区構想を実現するために,改革派議員や,首相と面会の 機会をもちそうな民間セクターのオピニオンリーダー達に対して,積極的 なロビー活動を行ったという。例えば,平沼や経済財政諮問会議にも特区 構想を示したのは同研究会だったといわれている。また,民間セクターに 対するロビー活動についていえば,後に構造改革特別区域推進本部評価委 員も務めることになる市川眞一(クレディ・スイス証券チーフ・マーケッ ト・ストラテジスト)は, 年 月に同研究会メンバーから特区構想 に関する説明を受けたことを明らかにしている。 こうした経緯で,経済産業省の若手官僚の間で生まれた特区構想が,複 数のルートを通じて政府に吸い上げられた。 年 月 日には,規制 ! 同上。 " 福島伸享「『構造改革特区』戦記:私が霞が関を『脱藩』した理由」中央公論 号( 年) − 頁。また,「特区を作った 人の若手:常識破りの政策決定が 規制を蹴散らした」日経ビジネス 号( 年 月 日) − 頁も参照。 # 同上。 $ 市川眞一「規制の殻破る動き広がれ」日経ビジネス 号( 年 月 日) 頁。

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改革特区ワーキンググループが発足し,関連する法整備に着手している。 同ワーキンググループでは,特区における社会実験を通じて全国規模の規 制緩和を促進するという仕組みを,どのように法制化可能かという点が, 議論の中心となった。各自治体が条例を制定して対応する方法や,各所管 省庁に規制緩和のための個別法改正をゆだねる方法も考えられていた。し かし,その案は,区域限定的に実施した規制緩和策を全国規模に拡大する 場合の手続が煩雑になるとの理由で,採用されなかった。結局,ワーキン ググループでは,構造改革のための特区に関する包括的な法律を制定し, そこに緩和対象となる規制を列挙することで,自治体にそのメニューの中 から選択して特区申請させ,国が認定する方式が採用された。そして,そ のような包括法を暫定的に「特区法」と呼称して起草作業が開始されたの である。 「経済財政運営と構造改革に関する基本方針 」( 年 月 日付 け閣議決定)− 年の「骨太の方針」−により,政府は正式に,構造改 革特区を設ける計画を公表する。その後,計画は早急に進められ, 年 月 日には,内閣官房構造改革特区推進室が発足し,同月 日に は,その上部機関として構造改革特区推進本部が設立されている。 なお,提案段階では,八代提案及び平沼提案が「規制改革特区」という 名称を用い,経済財政諮問会議民間議員提案が「構造改革特区」という名 称を用いていたところ, 年の骨太の方針により,正式名称として後 者が採用された。これは,「聖域なき構造改革」や「小泉構造改革」のス ローガンと合致する文言に統一したためである。それにより,「特区法」と いう法案の仮称も,「構造改革特別区域法」案に名称を改められた( 年 月 日付け閣議決定)。そして, 年 月 日に構造改革特別 ! 白石賢「規制改革特区提案をめぐる法的論点について(上)」自治研究 巻 号 ( 年) 頁。 " 「骨太の方針」が決議されるようになった背景について詳細は,飯島勲『小泉官邸 秘録』(日本経済新聞社, 年) 頁以下。 # 「経済財政運営と構造改革に関する基本方針 」(平成 年 月 日閣議決定)。

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区域法が制定されるに至ったのである。 それ以来,構造改革特区の枠組みの中で,多様な規制緩和提案が採択さ れてきた。構造改革特区の特徴は,それが地域経済の自立的発展と,国家 規模の構造改革の両方を促進するために設置されるという,二重機能にあ る。実際には,政府がより重視しているのは後者の目的であることが指摘 されており,国家規模での政策改革を進める上での社会実験場として構造 改革特区が機能することが期待されている。構造改革特区が法制化された ことにより,国家規模での規制緩和に向けた政策ツールとしての経済特区 が日本に登場したことになる。 .総合特区 以上では,自由民主党政治の下で小泉政権が構造改革特区を法制化した 過程を確認した。次に,経済特区が,国際競争力強化のための政策ツール として用いられるようになっていく つの発展形として,民主党政治の下 で導入された総合特別区域(以下「総合特区」と呼ぶ)について整理する。 総合特区は,国家経済を刺激するための経済特区ではあるが,構造改革特 区とは異なる特徴を有する制度である。ここでは,総合特区構想が生まれ た背景と構造改革特区との相違点を確認しておく。 年 月 日の第 回衆議院総選挙は,民主党が結党 年目にし て衆議院第 党となった総選挙であった。当該選挙の後,鳩山由紀夫は, 所信表明演説において,公金支出の無駄を削減し,消費拡大のために家計 への資源分配を増加させることに重点を置く政策を採る計画を明らかにし た。当時の鳩山政権の政策は,特定の成長戦略を採ることを重視せずに, ! 構造改革特別区域法案( 年 月 日閣議決定)。 " 詳細について,例えば,大前孝太郎・御園慎一郎・服部敦編『特区・地域再生のつ くり方』(ぎょうせい, 年) − 頁を参照。 # 構造改革特別区域法 条。 $ 福井秀夫「社会実験としての規制改革特区」産業立地 巻 号( 年) 頁以 下。

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資源の再分配に関する政策を強調していく方針であったことから,「脱成 長」戦略とも呼ばれる。 しかし,経済の低迷が続く中で脱成長戦略を継続することは困難であ り,政府は, 年 月 日に閣議決定した「新成長戦略」により方 針転換せざるを得なかった。この閣議決定については,大幅な方針転換を 短期間でまとめられたものであったため, 年 月からの通常国会に 備えるための「 週間の突貫工事」に過ぎないと批判されることもあった。 年 月には,鳩山は,政治資金スキャンダルと米軍基地問題に関する 公約の不達成に対する責任をとるために,内閣総理大臣の職を辞すること となり,その後,内閣総理大臣の職は菅直人が引き継いだ。 菅政権の下では,改めて「新成長戦略」( 年 月 日付け閣議決 定)が示され,その中に,総合特区の導入の決定が含まれていた。菅政権 が示した新成長戦略では,類似プログラムの重複を避け,優先順位をつけ て資源分配を行っていく方針が採用され,この方針を示す「選択と集中」 という理念が打ち出された。資源再分配の重要性と公金支出の無駄を削減 する必要性を重視する基本的発想は,鳩山政権からの連続性を意識してい るようにもみえる。そして,菅政権下で導入された総合特区の制度にも, この「選択と集中」という理念が反映されているのである。 年に制定された総合特別区域法の下では,総合特区は 種に分類 される。すなわち,国際戦略総合特別区域(総合特別区域法 条 項)と, ! 「第 回国会における鳩山内閣総理大臣所信表明演説」( 年 月 日,http: //www.kantei.go.jp/jp/hatoyama/statement/ / syosin.html)。 " 白川真澄「経済成長はいらない:脱成長の経済へ」People’s Plan 号( 年) − 頁。 # 「新成長戦略(基本方針)」について( 年 月 日閣議決定,http://www.kantei. go.jp/jp/kakugikettei/ / sinseichousenryaku.pdf)。 $ 金子勝・武本俊彦「鳩山政権『新成長戦略』は国民への裏切りである:中長期的な 経済戦略の構築を」世界 号( 年) − 頁。 % 「新 成 長 戦 略」に つ い て( 年 月 日 閣 議 決 定,http://www.kantei.go.jp/jp/ sinseichousenryaku/sinseichou .pdf)。 & 同上。

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地域活性化総合特別区域(同法 条 項)である。前者は,国家の経済 成長を促す産業クラスターの創設を通じて日本の国際競争力を高めること が期待されるプロジェクトを推進するための区域であり,後者は,地域の 資源を最大限に活用して地域経済の活性化を推進するための区域である。 このように,役割に基づく特区のサブカテゴリーを用意した点は,構造改 革特区とは異なる点である。 また,別の相違点として,総合特区については,政府が,規制緩和の措 置だけでなく,税制上の優遇策や補助金による支援策をとることが可能な 点が挙げられる。これは,民主党政治の資源再分配政策を重視する方針を 反映する特徴である。 さらに,「選択と集中」という理念は,特区の採択数にも反映されてい る。第 次選定作業において,構造改革特区の場合は , 件のプロジェ クトが選定されたのに比べ,総合特区の場合は 件の選定であった。国 家経済の刺激のための特区という基本構想は類似していても,時の政府の 方針により,幅広く規制緩和の可能性を探っていく枠組みにするか,又は, 優先順位を意識して集中的な投資を行っていく枠組みにするかで異なる特 区制度が発展したものと観察できよう。 .アベノミクスにおける特区政策 前節までに触れた構造改革特区と総合特区に加えて,安倍政権下におい ては,いわゆるアベノミクスの一環として, 年より国家戦略特区と いう新たな枠組みが設けられた。国家戦略特区は,アベノミクスの第 の 矢の重要な構成要素として位置付けられている。国家戦略特区導入の主た る目的は,世界で最もビジネスがしやすい環境を日本に実現することにあ るとされている。 ! 中田雄介「特区制度に関する論点整理と国家戦略特区の今後の展望」地銀協月報 号( 年) − 頁。 " 郭洋春「異形の経済制度:国家戦略特区」世界 号( 年) 頁。

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このように,国家戦略特区は,導入当初から国際取引を活性化させるこ とで国内経済全体を刺激するという目的に主眼が置かれていた。他方で, 国家戦略特区法制化の後に,安倍政権の政策に地方重視の傾向が加わった ことで,国家戦略特区の枠組みの中で「地方創生特区」とも呼ばれる特区 が設定されるようになった。 ここでは,国際取引重視の枠組みとして国家戦略特区が用意された背景 とそれに対する評価を検討する。次に,国家戦略特区の枠内に,地方創生 特区というサブカテゴリーが生まれた理由を明らかにするために,アベノ ミクスの中に地方創生という構想が組み込まれるに至った背景を明らかに する。 産業競争力会議の場において,アベノミクスの第 の矢における主要政 策として新しい特区制度を設けることを提案したのは,竹中平蔵である。 年 月 日に開催された産業競争力会議会合の会議録からわかるよ うに,竹中は,同会合開催日までの間に,アベノミクスにおける特区制度 の基本構想(以下「竹中提案」と呼ぶ)を考案し,その考えを内閣のメン バーと共有している。竹中は,既存の経済特区制度による経済効果は限定 的なものにとどまってきたことを批判し,従来とは異なる形で,特区内で 実験した規制緩和政策を国家全体に波及させる動きを促すために,内閣総 理大臣を議長とする「特区諮問会議」を設立する計画を提案していた。竹 中提案の段階で既に,中央政府主導による経済特区の設定・運営という, 現在の国家戦略特区に通じる構想が存在していたことがわかる。 そして,より詳細に同提案の内容を敷衍するために,竹中は, 年 月 日の産業競争力会議において,「立地競争力の強化に向けて」と題 された資料を提出した(同資料は「竹中ペーパー」と呼ばれている)。こ の段階においては,国家戦略特区という名称は決まっていなかったため, ! 産業競争力会議テーマ別会合議事録( 年 月 日,http://www.kantei.go.jp/jp/ singi/keizaisaisei/kaigou/pdf/h _gijiyousi.pdf)。 " 同上。

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暫定的に「アベノミクス戦略特区」という名称が用いられている。そして, 竹中は,世界の最先端のビジネスを誘致するための拠点を国内に形成する ことを目的とする「国際先端スーパー特区」の実現を検討することを提案 しており,この段階で既に,国家戦略特区導入の意義として,国内に魅力 的な国際取引市場を実現するという目的が強く意識されるようになってい る。 竹中提案を受けて,政府は国家戦略特区ワーキンググループを設立し た。そして, 年 月 日付けの閣議決定により示された成長戦略の 中で,国家戦略特区の構想が公表された。同閣議決定においては,国家戦 略の観点から課題の優先順位を明確にし,国家戦略特区の数は限定的にし て運営していくべきとの考えも示された。 このような経緯で,竹中提案に端を発する国家戦略特区構想は,アベノミ クスの第 の矢を構成することとなり, 年 月 日には国家戦略 特別区域法が制定された。同法の下では,内閣総理大臣が,国家戦略特区諮 問会議の議長を務めることが定められている。このようなトップダウン型 のプランニングメカニズムは,他の特区制度との比較において,国家戦略 特区を特徴づける重要な要素である。 年 月には,東京圏,関西圏, ! 竹中平蔵「立地競争力の強化に向けて」平成 年第 回産業競争力会議配布資料 ( 年 月 日,https://www.kantei.go.jp/jp/singi/keizaisaisei/skkkaigi/dai /siryou . pdf)。 " 同上。 # 同上。

$ 「日本再興戦略:Japan is Back」( 年 月 日閣議決定,https://www.kantei.go.jp /jp/singi/keizaisaisei/pdf/saikou_jpn.pdf)。 % 同上。 & 国家戦略特別区域法 条 項。 ' 山本清「地域経済と国家戦略特区」安田信之助編『日本経済の再生と国家戦略特区』 (創成社, 年) − 頁。 ( 例えば,千葉貴律「東京圏:国際イノベーションの拠点」安田・前掲注 頁以 下参照。 ) 例えば,大浦秀和「『医療は関西』:観光とともに日本再生を引っ張る経済圏づくり」 財界 巻 号( 年) − 頁参照。

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新潟市,養父市,福岡市,及び沖縄県が,第 次国家戦略特区として選ば れた。 年 月に第 次安倍内閣が発足して以降,安倍は,規制改革を阻 んでいる岩盤規制を打ち壊すためのドリルの刃の役割を果たす意志を繰り 返し示してきた。 年の世界経済フォーラム・ダボス会議におけるス ピーチで,「いかなる既得権益も私のドリルの前に無傷ではいられない」と 述べたことは有名である。 国家戦略特区の役割もまた,岩盤規制に穴をあけ,構造改革を促進する ことにある。しかし,国家戦略特区に対しては,本来穴をあけてはならな い規制にまで穴をあけてしまうおそれがあるとの批判も示されている。例 えば,全国的にサービスの質が統一的であるべき教育や医療の分野におい ては,市場の競争原理が導入されてしまうことに対する懸念がある。その ように,教育や医療については統一的規制が適用されている状態の維持が 重要であるとの観点からは,規制緩和の突破口をひらこうとする国家戦略 特区をそれらの分野に関連して用いることには慎重であるべきとの議論が ! 例えば,内山晃司郎「新潟市における国家戦略特区の取り組み:新潟ニューフード バレープロジェクト」国際人流 巻 号( 年) − 頁参照。 " 例えば,兵庫県養父市企画総務部企画政策課「国家戦略特区指定によるまちづくり: 養父市の挑戦」地方財政 巻 号( 年) 頁以下参照。 # 例えば,岡﨑敏治「国家戦略特区などによる福岡市の創業支援:スタートアップ都 市ふくおかを目指して」九州経済調査月報 巻 号( 年) − 頁参照。 $ 例えば,安田信之助「沖縄県:国際観光特区」安田・前掲注 頁以下。 % See, for example, Economic Policy Speech by H. E. Mr. Shinzo Abe, Prime Minister

of Japan, Speech of June at Guildhall, City of London, available at〈http://japan. kantei.go.jp/ _abe/statement/ / guildhall_e.html〉.

& A New Vision from a New Japan, World Economic Forum Annual Meeting, Speech by Prime Minister Abe, Speech of January at the Congress Centre, Davos, Switzerland, available at 〈http://japan.kantei.go.jp/ _abe/statement/ / speech_e. html〉.

' 坂村健「国家戦略特区の理想と現実」地銀協月報 号( 年) 頁。 ( 例えば,中島徹「憲法からみた『国家戦略特区』:経済成長の必要性を問い直す」世

界 号( 年) 頁以下。 ) 郭・前掲注 − 頁。

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示される。また,教育や医療以外では,労働法分野における規制緩和につ いても,社会的影響を考慮して国家戦略特区による規制緩和の対象外とす べきとの議論がみられる。 以上でみてきたように,国家戦略特区は,もともと,日本の国際競争力 を高める目的で,規制緩和を促進するための制度として設計された枠組み である。しかし,安倍政権は,地方活性化を促進することを,アベノミク スの主要目標に含める旨を, 年 月 日の記者会見で発表した。次 節で見る通り,この決定は,国家戦略特区のあり方にも影響を及ぼすこと になる。 .ローカル・アベノミクス 安倍政権が 年夏以降に地方活性化のための政策を強調するように なったのは, 年 月の統一地方選挙のための準備活動であるという 指摘もある。しかし,そのような政治的事情以外の背景としては,近年問 題視されている人口問題がある。 国土交通省国土審議会政策部会長期展望委員会が 年 月 日に公 表した報告書は,継続的な人口減少の結果, 年までに日本の約 % の地域が過疎になるとの見通しを示している。同報告書によると,人口増 加傾向がみられる地域は,東京圏と名古屋圏に属するわずか .%の国土 に限られるとの見通しである。さらに,この地方における人口減少と,一 部の都市への人口集中が進む傾向は, 年の東京オリンピックや, 年の東京・名古屋間リニア中央新幹線開通により,一層進むことが ! 同上。 " 東海林智「ルールなき雇用社会は許せない」アジア太平洋資料センター編『徹底解 剖国家戦略特区:私たちの暮らしはどうなる?』(コモンズ, 年) 頁以下。 # 「平成 年 月 日安 倍 内 閣 総 理 大 臣 記 者 会 見」( 年 月 日,http://www.

kantei.go.jp/jp/ _abe/statement/ / kaiken.html)。

$ 岡田知弘『「自治体消滅」論を超えて』(自治体研究者, 年) 頁。 % 国土審議会政策部会長期展望委員会「『国土の長期展望』中巻とりまとめ」(

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予想されている。 このような人口問題に対する懸念が高まる情勢の中で,増田寛也と日本 創世会議人口減少問題検討分科会によりまとめられた一連の出版物−いわ ゆる「増田レポート」−が,大きな注目を集めた。増田レポートは,もと もと,日本創生会議人口減少問題検討分科会からの政策提言として,まと められたものである。人口減少問題検討分科会は, 年 月 日付け で,「ストップ少子化・地方元気戦略」と題された政策提言を公表してい る。同政策提言を基に,増田と研究グループは,その「戦慄のシミュレー ション」結果についてまとめた論文を公表する。増田等は,その後もセン セーショナルなタイトルの論文により継続的に啓発活動を続け!,それらを 集成して「地方消滅」の題を冠する本を複数出版した!。 増田レポートに対する政界の反応は早かった。 年 月 日の政策 提言が出されて間もなく, 年 月 日の経済財政諮問会議会合で配 布された資料では,増田レポートに基づき人口問題の議題が扱われてい る!。さらに,増田レポートによる人口問題の分析結果は「国土のグランド " 佐々木雅幸「創造農村とは何か,なぜ今,注目を集めるのか」佐々木雅幸・川井田 祥子・萩原雅也編『創造農村:過疎をクリエイティブに生きる戦略』(学芸出版社, 年) − 頁。 # 日本創世会議人口減少問題検討分科会「成長を続ける 世紀のために『ストップ 少子化・地方元気戦略』」( 年 月 日,http://www.policycouncil.jp/pdf/prop /prop .pdf)。 $ 増田寛也・日本創世会議人口減少問題検討分科会「戦慄のシミュレーション: 年,地方消滅:『極点社会』が到来する」中央公論 号( 年) − 頁。 ! 例えば,増田寛也・日本創世会議人口減少問題検討分科会「ストップ『人口急減社 会』:国民の『希望出生率』の実現,地方中核拠点都市圏の創成」中央公論 号( 年) − 頁,及び,同「東京圏高齢化危機回避戦略: 都 県連携し,高齢化問題 に対応せよ」中央公論 号( 年) 頁以下を参照。 ! 増田寛也編『地方消滅:東京一極集中が招く人口急減』(中央公論新社, 年)。 増田寛也・冨山和彦『地方消滅:創生戦略 』(中央公論新社, 年)。増田寛也・ 河合雅司『地方消滅と東京老化:日本を再生する つの提言』(ビジネス社, 年)。 ! 「未来への選択(案)(「選択する未来」委員会中間整理)」(平成 年第 回経済財 政諮問会議会合配布資料,http://www .cao.go.jp/keizai-shimon/kaigi/special/future/ / shiryou_ _ .pdf)。

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デザイン 」にも反映された!。 政府が増田レポートの影響を強く受ける中,中小企業・小規模事業者政 策調査会の議長を務めていた伊藤達也が,「ローカル・アベノミクス」と いう構想を考案し, 年末の非公式面談の中で安倍に進言した!。同面 談において,安倍はその構想に賛意を示し,伊藤と中小企業・小規模事業 者政策調査会に対してローカル・アベノミクス構想に基づく政策提言をま とめるよう依頼したといわれている!。安倍からの依頼に従い,同調査会 は, 年 月から同年 月の間に 回の有識者ヒアリングを実施し!, 年 月 日にローカル・アベノミクスに関する政策提言を公表し た!。 そして,同政策提言を反映し,「日本再興戦略」の 年改訂版が同年 月 日に閣議決定される!。同閣議決定に沿って, 年 月 日の 衆議院総選挙のための自由民主党の公約には,地方創生のための特区を設 けることが含まれていた。その衆議院総選挙の後, 年 月 日の 国家戦略特区諮問会議会合で,地方創生特区の選定作業開始が決定されて いる!。 年 月 日には第 次地方創生特区(第 次国家戦略特区), 翌年 月 日には第 次地方創生特区(第 次国家戦略特区)の指定が 行われた。これらは,竹中提案の段階で構想されていた,「国際先端スー ! 国土交通省「国土のグランドデザイン :対流促進型国土の形成」( 年 月 日,http://www.mlit.go.jp/common/ .pdf)。 ! 伊藤達也事務所ウェブサイト「特集『ローカル・アベノミクス』実現へ」(http://www. tatsuyaito.com/feature)。 ! 同上。 ! 有識者ヒアリングの開催記録は,伊藤達也事務所ウェブサイト内で公開されている (http://www.tatsuyaito.com/CMS/wp-content/uploads/ / / _kaisaikiroku.pdf)。 ! 中小企業・小規模事業者政策調査会「地域経済の好循環実現のための提言:『ロー カル・アベノミクス』の実行に向けて」( 年 月 日,https://www.tatsuyaito.com /CMS/wp-content/uploads/ / / _text.pdf)。 ! 「『日本再興戦略』改定 :未来への挑戦」( 年 月 日閣議決定,http:// www.kantei.go.jp/jp/singi/keizaisaisei/pdf/honbun JP.pdf)。 ! 平成 年第 回国家戦略特別区域諮問会議議事要旨( 年 月 日,https:// www.kantei.go.jp/jp/singi/tiiki/kokusentoc/dai /gijiyoushi.pdf)。

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パー特区」のような国際取引の拠点の形成に主眼を置く特区活用とは異な る方向性への発展ではあるが,人口問題の克服という国家的課題に対して 既存の特区制度を活用して取り組もうとするものである!。

Ⅳ お わ り に

本稿で検証したように,現在でこそ規制改革推進や国際競争力強化のた めの策として用いられる経済特区の導入について, 世紀後半の日本は むしろ消極的であった。その背景には,戦時下における国家体制の遺産で ある「国土の均衡ある発展」という理念が,戦後も引き続き影響力を有し ていたことにある。 世紀初頭,「国土の均衡ある発展」の理念と訣別し たことで,小泉構造改革以降は,全国規模の規制改革推進のために経済特 区を活用するという構想が登場する。現在,各種特区制度の議論の中で, 最先端の産業を誘致できる国際取引市場の形成という機能が明確に期待さ れている状況も,当該理念との訣別から連続的に理解することが可能であ る。 (やつなみ・れん 法学部准教授) ! 進藤兵「見えてきた安倍内閣の地方政策:地方創生政策と国家戦略特区」賃金と社 会保障 ・ 号( 年) 頁。

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