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精華大-紀要35号.indb

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Academic year: 2021

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伝統への彷

ま よ い

HUANG Xin

中国の 水墨画伝承の危機

 北京オリンピックの開幕式で,パフォーマンスとして使われたのが中国の伝統文化を象徴 した「水墨画」の絵巻であった。実は,私が今春,中国に帰った時,この中国が誇るべき水墨 画に対して,国内の水墨画画壇の中に 水墨画の危機論 があることを知り驚いた。中国の歴 史と文化,その優秀な伝統の一つである水墨画を,もはや伝え続けることができない時が到来 したのだろうか?中国の人達は水墨画に魅力を感じなくなったのであろうか? 私は日本で「水墨画」の危機論を聞いたことがない。中国からもたらされた水墨文化は日本 に溶け込み,日本文化の一つとして長い間大切に受け継がれている。しかし,日本では水墨画 は主流の絵画ではなく,趣味として学ばれる傾向が大きいジャンルでもあると思う。 私が水墨画の伝統について真剣に考えるようになったきっかけは,恐らく中国を離れ外国で の長い生活があったことに起因すると思われる。 水墨画の伝統という一つの流れがなぜ行き詰まったのか,強烈で多様な西洋絵画の前に押し まくられ,最終的には単なる世界遺産になる運命でしかないのだろうか。 今後,水墨画がどう伝わっていくかを考える時,本来,芸術は最も自由であるべきである, という思いに至る。古代中国においても,多くの芸術家たちが長期に渡る専制政治の中でも自 マンガ学部カートゥーンコース2年生学生の水墨画作品 線は水墨画の造型の基本である。下書きをしないで太い線も筆側鋒を使う面的な線で描写する。

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由な表現を試みている。そうすることによって彼等は封建社会の中で精神の自由と解放を得る ことができたと思われる。まして現代にあっては自由な思想と創造を縛られてはいけないはず だ。今,多くの中国の青年画家たちが多くの革新的な試みを行って,水墨画の明るい未来に希 望を托している。 古い水墨画においては技法や画論に時代によるずれもあった。例を挙げると呉道子(680− 759中国唐代画家,中国画元祖)が古代人物画 曹衣出水,呉代当風 (長い線で古代中国の着 物を表現する技法)の技法を使って表現したものは単純に考えても現代人の異なる服装を表現 する時同じ技法は適応しない場合がある。謝赫(中国南斎,公元479−502中国絵画史最初の理 論本《画品》を著した)の六法に 伝移模写 という技法がある。技法を学習することはひと つの方法としてありえるが,作品を制作する上では必ずしも良い方法ではないと思う。現在で も中国の学生は水墨画の学習において,形をなぞる模写の方法から始める。 伝移模写 で学 生の作品は形が同じ,筆使いも同じというようにまったく独自の表現になっていない。水墨画 を学ぶとすればまずは真似から脱すべきである。大自然に飛び込み,自然を観察,写生し,自 分独特の想像力と創造力を身につける。それが自分自身の東洋的価値観,芸術思想となる。そ の上で,自国の文化,歴史をふまえて制作することが本来の芸術伝承のかたちである。 豊子恺氏(1898−1975中国近代漫画家,文学家,芸術教育家。1921年日本に10ヶ月滞在), 傅抱石氏(1904−1965. 中国近代水墨画家。1933年日本旧東京帝国美術学校留学)は,日本に 留学した後に,近代中国画に大きい影響を与え水墨画も盛んになった。両氏が持ち帰った作品 はその当時,中国ではとくに新鮮に感じられた。しかし私は両氏の作品を研究した結果,豊子 恺氏は竹久夢二から,傅抱石氏が竹内栖鳳の作品から多くの影響をうけ,中国の若い画家に大 きな影響を与えた周思聡氏(1939−1996中国近代水墨画家)は丸木俊の作品から影響をうけて いると感じる。それは情報が発達していない時期の中国では,一時的な新鮮な感じを受けただ けなのではないだろうか。最近では中国の作家たちが日本のアマチュア水墨画から影響をうけ た作品も出廻っている。そこには新鮮さもなにもない。 他の芸術から何らかの影響を受けるということはどこの国でも常にありえることである。水 墨画が伝承芸術である中国の作家たちが他国まして素人の影響を受けそのまま作品として発表

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するということは,私自身水墨画を制作する者として大きな疑問を感じる。一方,日本の作家 たちは中国から学んだ水墨画を日本の風土や文化に沿って独自の表現を工夫展開し,中国水墨 画から徐々にかけ離れた作風を持つようになってきた。 そのような日本の水墨画の移り変わりを見てみても,中国水墨画はこれからますます情報が 発達して行く時代に備え,いかに中国の伝統,伝承を土台にした個性的な作品を輩出していく かが課題になっていくだろう。しかし,前述のように伝統ばかりを重視しても問題は出てくる。 いかにして古さと新しさを融合して行くのかを私は考えてみた。 中国の水墨画は情報化の時代に即応し,いかに個性的で,地域性を持った作品が出現するか が課題になると思う。 確かに中国の水墨画は近代において陳腐になりつつあると思う。私は本気で中国の水墨画の 危機を心配するようになった。オリンピックの中国サッカーのように,成功を急いで,“劇薬” を使ってみても,結局は救えないということが見えてくる。そもそも中国は蹴サッカー球運動を世界で 一番早く取り入れた国なのに。基礎がしっかり出来ていないと次の発展はないと思う。伝統的 な歴史のある水墨画は,因習や伝統に凝り固まった頭脳を打破しないと発展は難しいだろう。 溌墨と称する墨の用法に墨の調子を濃淡で色を表現する。

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西洋絵画は必ずしも厳格に伝統を守ることを条件としないで単純に言えば,カンバス上で描 いた絵はすべて絵であるとするだろう。甚だしきに至ってはカンバスの上で描くという行為を しなくても作品が成立する可能性をもつようになってきた。それでも誰も西洋絵画に危機があ るとは思っていない。 水墨画と比較すると,西洋絵画は早い時期にアフリカとアジアの芸術を受け入れ,西洋の近 代的な造形は東洋の主観的な考え方,線と平面の造形手法,装飾性,自由な散点透視法等を広 範囲に使用した。逆に水墨画制作をする多くの人は伝統の材料,伝統思想,伝統技法といった 重い枠にとらわれ,自由な制作をすることが少なくなってきている。水墨画の教え方も,パター ン化し,一筆一筆同じ用筆で,一種の“塗り絵”に近いものになってきているのが現状である と思う。 人物は近代水墨画の中で最も難しく、学生の作品は対象と特徴をうまく表現している。

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そういう状況がある中,京都精華大学で私が担当している「毛筆研究」という水墨画の授業 がある。学生の水墨画の伝統に対する理解は決して深くはないが,伝統の絵画の筆,墨,紙, 硯の道具を使って,不思議と思えるほど,すぐに正統的な水墨画に近い作品を描き出すことが できることに私は驚いた。 そういう学生達を見て,私は水墨画の伝統である筆や墨等の画材を使い,形式にこだわらな い多様な技法を加えてゆくことで,本来の水墨画をふまえた,より進歩した水墨画の表現が期 待できるのではないかと考えた。そこで私は現在受け持っている水墨画の授業の中でひとつの 実験を試みてみた。以下の記述はその実験の経過と結論であるが,はじめに述べた水墨画の危 機論に対して多少なりとも新たな希望を与えられることを期待する。 素早い筆使いで動感を表現する。

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水墨画も造形の基礎は最も重要

私が教鞭を執る日本の京都精華大学カートゥーンコースの学生は,毎年2年次に2週間の水 墨画の授業を受ける。短時間ながら,学生たちは,私の接したことのないようなものすごく新 鮮なものを描くのである。彼等は水墨画を描いた事がなく,すべて初めての体験で,伝統技法 も何の先入観もないにもかかわらずすばらしい作品を描く。 古来,水墨画の伝統は,堅苦しい筆と墨を使うパターンを教えてきたことは前述の通りであ る。洋画が逐一,油絵の筆の使い方を教えないように,私の授業では,古い技法を無視し,い きなり墨を使い筆の勢いで大胆に描き,まとめ上げてゆくよう指導してみた。カートゥーンコー スの学生は1年次で絵画の基礎であるスケッチやクロッキーのみを年間を通して学ぶ。1000枚 以上の人物と動物をクロッキーで描くことになる。そうすることによって物の形というものが 彼等の脳に記憶されてゆくので,基礎の造形がとてもしっかりしてくる。従って初めての体験 であっても墨,紙,筆を使い,形を生き生きと描くことができるのである。 水墨画の紙は偶然の滲みが強い特殊な材質で,事前に構図等は綿密に計算することができな い。作品完成図を頭の中に置いて,臨機応変に対応しなければならない。したがって即興でイ ンスピレーションまかせに創作することになる。そこには物の形が描けるという造形の基礎が 必要条件になってくる。 描く動作の意識の底に,滲みに対する心構えがいる。描くものを首尾一貫して頭の中に描き, 筆の運びの中で変形をマスターして造型の過程を完成する。一方水墨画の特徴の一つである滲 色彩を観るものの想像力に委ねてしまうのが水墨画である。物事の統合調和の中に美を感じさせる。

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みは,墨と,水と,紙と,筆の出合いによって千変万化するもので,その偶然性を頼みに描く のが水墨画のおもしろさである。タッチで意外なイメージの表現を生むことができ,頭の中で 計算したものと違う風趣を発生することは,水墨画にとって理想な形のひとつであろう。

日本と中国水墨画に対して色の認識の相違

中国の水墨画は墨を使って着色を加えるのが普通である。ところが,日本で色を使うと,水 墨画は色があるの?としばしば聞かれる。私の知識では中国古来の水墨画には着彩が多かった と思うが,残存の作品に着彩かどうか不明なものが多い。では古代の水墨画は本当に色を塗ら なかったのか,或いは年代を経て色を塗ったのがあせてきたのか? 水墨画はそもそも中国の独特な風土から,物事を観察する哲学,芸術観で材料を創造し,作 り上げてきた。洋画家が1枚の景色を写生したくて,イーゼルを持って黄山の山頂に着いた時 に観る,数秒間の中で瞬間の激しく変わる雲霧,そしで突然眼前に出現した山の真っ黒な石。 抽象的な表現を加えた多彩な表情を見 せる。

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外国から来た画家の心がその風景を眺めたとき白と黒の世界をそこに見た。これが水墨画だ! と感じるであろう。そのとき始めて中国の水墨画の原点を理解し始める。 今,カメラの力はこのめまぐるしく変化する像をそのまま残すことができるのだが,それ以 前は人の想像の余地に残しておくことが唯一の方法であった。それを素描画,あるいは単色の 絵の世界にしたことで,観る人の主観を加えて,人の想像は限りなく駆けめぐる。この極めて シンブルな原始的な白と黒の組み合せは,微妙なグラデーションや濃淡,滲み,暈かしなど, 絵画表現の無限の可能性を内に秘め,華やかな色彩に彩られた世界にはない奥深さをかもし出 す。 水墨画はまた白色を殆ど使わないで,白は余白を残して,空白,一層また単純になって,墨 色と余白の白との二つの明度差で構成される絵画である。水と墨を主体として描かれたモノク ロームの絵画である。黒と白は対極にあり,両者ともに無彩色として他の色彩と区別される。 黒と白は色彩の世界において特別な存在である。三原色,赤,黄,青を混ぜ合わせると黒にな り,光の三原色,赤,黄,青を混ぜ合わせると白光になる。こういったことから,黒と白は全 ての有彩色を内包し,かつ超越しているといえるのだ。色の三原色から黒白灰色三玄色へ全て の色彩を統べ,無色の世界はどんなに淡泊で,なんと深淵な世界を創り上げてきたのかと思う。 墨で色彩のイメージをつくるためには,墨の水加減によってその表現の幅をひろげ,濃淡, 滲み,暈かしなど,多彩な表情を見せることできる。墨と水が生み出すのは,黒から白の無限 の諧調である。さらに,中国紙や和紙,描き手の動きを伝える筆との絶妙なバランスの上に質

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感,立体感などが成り立つ絵画形態となる。     つまり水墨の出現から,芸術家が自然の本質に迫ることになったのである。本質と現象は, 中国思想の中で決して対立するものではない。水墨に着色するのも,また同じく対立しないで, 選択別に自由自在に運用することができる。現代水墨画に色彩を施してもいいのだが,ここで はひとまず,基本的に水墨画は色彩不用論に私は賛同したい。墨を主体として描かれた絵画を 学んでの面白さ,墨色の豊かな味わい,自分を取り巻く美しいものを感じ,それを表現するの は,本当の水墨画の伝統を受け継ぐことになるだろう。

紙と筆の条件

作画用紙について特別強調しておきたいのは,画用紙また洋紙は,墨を潤さないため,墨と の相性が悪い。 紙は中国の紙或いは日本の和紙を使用して,滲む紙の種類を選ぶ。滲む紙での描画はかなり 難しく筆をコントロールする事が必要になるので,これはまた水墨画にもう一つの神秘を増す 事になる。故意的にコントロールができにくいためその分神秘的と言える。人の力を超えた神 秘である。これは水墨画が他の画と区別されるもうひとつの面白さである。故意に工夫を凝ら してコントロールを行い,墨をインクに替えて濃淡の描写をするのは,水墨画の本質に背く事 だと言える。自然に逆らわず扱い切ったものでなければ,表現の妙味は出ない。 点、線は躍動感をもった自 由な構図、誇張的なタッチ と面の大きさを対比する。

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水墨画においては,白は塗り残して表現される事が多いのだが,その場合も墨と余白とのコ ントラストは,強いインパクトを生み出す。数ある色の組み合わせの中でも,黒と白のコント ラストほどはっきりしたものはないからである。また,制御して白を守ることもできる。膠と 明礬を使って白い線,白を残す方法もある。一つの画面の中で黒と白,そして中間の灰色,こ れらはすべて画面構成の重要な練習である。

カートゥーンと水墨画の相性

水墨画の形式でマンガを創作することは珍しくはなく,私は本学のカートゥーンコースで「毛 筆研究」の授業を担当している。水墨画でマンガを描く時に,誇張や省略を用いて自由に描け るため,描く楽しさがいっそう増す。学生にとってまったく緊張感がなく,人を驚かすような 作品ができる。毛筆研究の授業の中で絵を描くにあたって,気の向くまま,思うままの気持ち が非常に大切だということを改めて感じた。 もともと美術教育は教条主義的で,忠実に現実を観察して,写実表現させるという規則の下 で学ばせてきた。人は自覚のないままにこれらの規則に制約されてしまう。多くの規則の下で, しかたなくこうした世界に陥ち入るのが美術教育の現状である。一端人まねをしてこれでいい のだと思ってしまうことになったら,創作はできなくなる。個性と独創性の強い作品は,その 他の影響を排除して,理知と固定的なモードの支配を排斥しなければならない。自分の慣らさ れた体験にもとずく作品よりも,大胆な実践を繰り返すことが大切である。習慣を抜け出して, 完備した画面を求めないで,自分の創造についての潜在力を開発してゆくこと,その過程は結 果より更に重要だと思う。 カートゥーンは誇張とユーモアで,風刺を求めてゆく。自由な発想が作品に必要であること はいうまでもない。とても柔軟な,変形,変則を利用して制作して行くことがカートゥーンの 本来である。それは水墨画と同じく伸び縮みに潤滑する作用を発揮できるからである。 このカートゥーンコースはクロッキーを,人一倍描くことによって,実際に学生にとても大 筆に含まれている墨水の滲 みが、周りの空間に溶け込 んでいく。

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きい思惟の余地と作品の空間を与えた。画面の抽象的な構造,筆触の変化,および墨色に滲め る中での不規則な形は最も抽象画に近い絵画で象形文字,書道などの抽象的な絵画の前身のよ うだと言える。水墨は色がない。本来の自然界も同じく線がない。人と物体の形を線で区別す るのもない。想像力をプラスして,画面に点,線,面抽象の要素を生かした,前衛的な作品を 生むこともできる。優れた略画を力強い表現によって完成した学生が多かった。 それは,水墨画の持つ偶然性の特長とも言えるが,カートゥーンと水墨画の相性がいいとも いえるだろう。これは私がカートゥーンコースの大学院に留学したことと,その後,カートゥー ンコースで教育に従事したことによって,一種の 化学反応 を得た結果だと思う。 数年来,授業の中の学生の良い作品を資料にしてコピーをたくさん残した。なんといっても 作品を見ていただいた方がいいと思い,いくつかをピックアップした。水墨画の経験を生かせ ば今後の制作にも役立てることができる。その他に,本場中国の水墨画に対してもある種の刺 激を与えることになるかも知れない。良い意味で中国水墨画についてもっと自由な展開を期待 したいと思うからである。 動物の特徴をよく観察し自由な表現でありながら風格がある。

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クラスメートと先生の顔を実にユーモラスで芸術的に表現している。

参照

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