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La Societe Japonaise de Didactique du Francais Comptes rendus divers (Crise de l enseignement du français en matière de droit) KITAMURA Ichiro Résumé

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Comptes rendus divers 各種報告 なく発信できる研究者はまだ限られています。人文社会科学書の翻訳は,専門家が担 当していても語学力が十分でないため,判読がむずかしいことがあります。自然科学 では,重要な発見はラテン語やフランス語で発表されてきた歴史がありますが,現在 では論文は英語で書くのが世界標準になっています。フランスが誇るパスツール研究 所でさえ,紀要論文の言語を英語に限定しようとして問題になりました。  しかしフランス語は,英語に水をあけられたとは言え,主要国際機関の公用語であ り,知識層を中心に五大陸に話者がいる国際語です。グローバル化に対処するには英 語だけでいいのか。経済効率だけでなく批判的な物の見方をするにはフランス語によ る人文主義的教養が必要なのではないか。語学・文学以外の分野でフランス語を学ぶ, あるいはフランス語で学ぶことにメリットがあるとすれば,それは何か。フランス語 振興のためのディシプリン横断型の協力は可能か。これらがシンポジウムの出発点に ある問いかけです。 (中央大学)

法(学)分野におけるフランス語教育の危機

(Crise de l’enseignement du français en matière de droit)

北村一郎 K

ITAMURA

Ichiro

Résumé

Malgré l’importance du droit comparé pour les juristes japonais, importance cardinale du fait de l’imitation massive des droits européens faite dans la codifica-tion moderne de la seconde moitié du XIXe siècle ainsi que dans le contexte actuel de la mondialisation économique, l’enseignement et les recherches du droit français sont en crise, comme ceux des autres droits, sauf du droit américain, qui, lui, bé-néficie plus ou moins d’une place privilégiée en tant que source internationale de la business law.

La crise provient de ce que les étudiants d’université choisissent de moins en moins souvent la langue française en tant que deuxième langue étrangère. Elle ré-sulte également de l’attraction de plus en plus forte exercée par les études pratiques de droit positif interne, notamment avec la mise en place récente d’un programme universitaire autonome (correspondant au master), appelé law school, destiné à for-mer de futurs magistrats et avocats.

Pourtant, après le succès de l’aménagement des institutions étatiques japonai-ses, la relecture du droit français serait particulièrement intéressante en vue de l’amélioration, aujourd’hui en question, de l’administration de la justice. Seulement, la France est hélas éloignée sur le plan linguistique et intellectuel, ce qui constitue un sérieux handicap.

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Seul un effort de diffusion de la culture française permettrait d’inverser la ten-dance en redonnant de l’attrait aux études du français et de son droit.

Mots clefs

Droit français, droit comparé, enseignement du droit, deuxième langue étrangère, law school. 1 はじめに:法(学)分野における比較法の重要性  法は,もともと国ごとに違うものであり,その国の言葉で観念されるが,歴史的に は,多かれ少なかれ外国諸法の複合的な影響を無視し得ないものである。周知の如く, フランス法もドイツ法も,長い間ローマ法学の大きな影響のもとに発展してきた。  日本の近代法は,明治政府のもとでヨーロッパ法のほぼ全面的な継受によって成立 した。特に明治 20 年頃まではフランス法が好んで参照され,最初の司法組織は,当 時のフランスの司法制度の基幹部分のほとんど直訳の産物であった。次いで,法典化 ― 施行順に,刑法・治罪法(刑事訴訟法)・民事訴訟法・民法・商法 ― が,フラン ス法またはドイツ法に依拠して明治 30 年代初頭に達成された。そのために招聘され た外国人法律顧問のなかで最も有名なのが,周知のパリ大学教授ギュスタヴ・ボワソ ナアド(Gustave Boissonade, 1825-1910)であった1。特に法典化以前には,大学では, 彼自身をはじめとするフランス人教授がフランス語でフランス法を教えていたのであ るから,そのまま推移していたとすれば,日本は,フランス法系とは言わぬまでも, フランス的要素の濃い法の国になっていたかもしれない。  しかし,プロシア憲法を範とする明治憲法の施行(明治 23(1890)年)を契機として, その後約半世紀の間,日本法はドイツ法の圧倒的な影響のもとに置かれた。ボワソナ アドを通じてフランス法の刻印を少なからずとどめる民法典もまた,ドイツの学説に 依拠して解釈された。「法科はドイツ語」との固定観念も,そこから生まれたのである。  第二次大戦後は,今度は,進駐軍の指導のもとで,新憲法制定,家族法・刑事訴訟 法・労働法・経済法の大改正が行われ,いわゆるアメリカ法ブームが到来する。更に 20世紀末には,経済のグローバル化のもとで,とりわけビジネス・ローの分野での国 際的な法規範は,アメリカ法の影響の強いものであり,これに対応する「法務の国際化」 は,現実には,英米法的な要素の日本法への取り込みとして現象する。その意味では, 誇張を恐れずに言えば,英米法は,アメリカ契約法を筆頭として,実定法に準ずるよ うな位置を占め始めているとすら言えるのである。  更に,ここ数年,日本法令の英訳がシステマティクに進行中であるが,日本法は, 継受の経緯からして本来フランス法・ドイツ法系列の大陸法的基盤の上にあるところ, 1 彼は,明治 6(1873)年から 22 年間滞在し,刑法・治罪法に次いで,いわゆる旧民 法(明治 23(1890)年公布)を起草する。しかし,日本の国情に合わないという大論 争(民法典論争)が起こったため,ドイツ民法典草案に依拠した再検討がなされ,明 治 31(1898)年,現行の民法典が施行された(家族法部分は戦後全改された)。参照, 大久保泰甫(1977)『ボワソナアド―日本近代法の父』,東京:岩波新書。

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Comptes rendus divers 各種報告 「英米法」(Common law)は,大陸法とは根本的に異なり,基本概念もカテゴリーも 制度もすべて異なるために,この英訳の作業は困難をきわめている2 。  今日,多くの大学および法科大学院においては,少なくとも英米法の講義は確保さ れており,外国法諸科目のなかでも特権的な位置を占めている。そして,そのことが, それ以外の外国法を更に外国法化し辺境化する効果をもたらすのである。  以下では,フランス法の教育(および,それに関連して研究)の危機に焦点を当て ると同時に,その教育・研究の現代的意義を検討してみたい3 。「危機」と言うのは或い は大袈裟かもしれないが,安穏としていて良いわけではないという意味では,明らか に危機なのである。 2 フランス法の教育・研究の危機 2.1 教育の危機  フランス法は,東大では後期課程(法学部)における専門科目の一つとして提供さ れるが,フランス語に関しては,もっぱら前期課程(教養学部)での履修が前提となる。  外国法の教育に関しては,一方で,法学部の私法コース・公法コースに共通の選択 必修科目として,「英米法」,「フランス法」,「ドイツ法」のなかから 1 科目を履修す ることが義務づけられ,ほかに,選択科目として,「ロシア・旧ソ連法」,「中国法」,「イ ベロ・アメリカ法」,「イスラーム法」(但し,分類上は法制史の系列に属する),なら びに,「比較法原論」の講義が常時提供されている。但し,それらは,いずれも 4 年 生科目であり,それは,外国法の履修には日本の実定法の知識が不可欠の前提となる からであるが,研究志願者募集の観点からはハンデとなることも事実である。  他方で,演習に関しては,上記諸科目の演習はもとより,実定法分野の外国法文献 講読の演習がかなりの数にのぼることが特筆される。  他の多くの大学では,外国法科目として,或いは英米仏独,或いは端的に英米法の みに限られる傾向にあるが,反対に,東南アジア法,韓国法など特色ある教育を行っ ているところも少数ながら見受けられる。  ところが,多くの大学では教養課程が解体されたことに伴う第二外国語の時間削減・ 選択科目化などによる深刻な問題が加わる。  前述のように,法はそれぞれの国の言葉と不可分であり,フランス語やドイツ語を 履修していない学生に対して,フランス法やドイツ法の教育を行うことは非常な困難 を伴う。もとより講義は日本語で行うとしても,外国法の基礎的な用語の説明であっ ても学生にとっては暗号のようなもので実感に乏しく,さりとて日本語だけで通すと 2 柏木昇ほか(2005)「特集・法令の外国語訳整備にむけて」『ジュリスト』1284 号 6 頁以下。同(2006)「特集・法令外国語訳整備の推進」同 1312 号 2 頁以下。 3 但し,本稿においては,研究交流の局面は除外する。これに関しては,日仏法学会 とフランスの比較立法協会(Société de législation comparée)との共催による日仏法 学共同研究集会が定期的に組織されており,学者の招聘・派遣や国際学会への参加・ 報告も活潑に行われている。教育面では,パリ第二大学の比較法研究所において,日 本人による日本法の講義が毎年行われていることも付け加えておこう。

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日仏や日独の違いの部分がぼやけてしまうという問題がある4 。  東大の場合には,教養学部における第二外国語によるクラス編成の制度のもとで, しかし,ここにも新たな現象が存在する。法学部進学予定の教養学部文科Ⅰ類の学生 の第二外国語選択の比率を見ると,かつての「法科はドイツ語」の神話は,ここ何十 年かの間に一貫した減少傾向を辿った後,ドイツ統一によって一時盛り返したもの の5 ,その後再び凋落傾向にあり,その言わば反射的効果として,1993 年から既にフラ ンス語が第 1 位に浮かび上がったものの,同時に,ドイツ語の減少と反比例する如くに, 中国語が激増してきたのである6 。  なぜ中国語が増えたのか。第一の説明としては,経済界の中国ブームの反映,即ち, 国際取引は EC も含めて英語で良いから,あとは中国語,という実利的理由が考えら れる。しかし,文Ⅰの場合については,もう一つの隠れた理由が囁かれてもいる。即ち, 早くから司法試験準備に集中するために第二外国語の負担を軽くしたい,中国語は漢 字を使うのだから何とかなるだろう,というものである。  その真偽はともかく,中国語は,2005 年には文Ⅰ入学生の第二外国語のトップに躍 り出る。最新の 2006 年入学生の統計では,中国語 35.6%,フランス語 24.0%,スペイ ン語 19.5%,ドイツ語 17.7%,ロシア語 2.1%,朝鮮語 1.2%,という順序なのである7 。  フランス語は,一時は 4 割超のこともあったが,この 5 年間だけでも 14 ポイント も減少し,ドイツ語は 2 割を割ったのであるから,いささか「西欧の没落」ないし「ヨー ロッパ精神の危機」の気味もなしとしないのである。それだけ,状況的な脈絡におけ る実利の憶測,または,単位取得の難易の考慮が優越しているということであろう8 。 2.2 研究段階  現状はともかく,将来は相当に暗い。 4 石部雅亮ほか(1995)「シンポジウム 比較法・外国法教育の現状と課題」『比較法 研究』57 号 1 頁以下。因みに,日本法講義を聴講するフランス人学生の場合には,本 気で日本法を研究するなら日本語を習得する必要があると言うと,文字通り「どよめ く」。この特権的「バベル崩壊以前」の状況のもとでも,最近は奇妙な漢字ブーム(例 えば T シャツの模様として)なので,漢字の法律用語が逆に好奇心の対象となるとい うのが御愛嬌ではあるが。 5 1991 年の文Ⅰ入学生の統計では,ドイツ語 46.3%,フランス語 34.9%,中国語 8.1%, スペイン語 6.4%,ロシア語 4.4% の順であった(同年創刊の東京大学教養学部年報編 集委員会編『駒場 1991』278 頁のクラス編成表から計算した)。 6 2001 年には,フランス語 38.1%,中国語 24.8%,ドイツ語 20.8%,スペイン語 12.5%, 朝鮮語 2.0%,ロシア語 1.8% である(同様に『駒場 2001』319 頁から)。 7 『駒場 2006』89 頁。 8 駒場の学生に流通している表現として《フラ語とる馬鹿,スペ語おとす馬鹿》とい う言い方があるとのことであり,スペイン語の増加も「西欧の没落」を止めるもので は必ずしもないようである。参照,松浦寿輝(2006)「フラ語とる馬鹿」『教養学部報』 (東大教養学部)498 号 2 頁。

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Comptes rendus divers 各種報告  外国法の専門家は,文学系統の地域研究とは異なり,ポストの稀少のゆえに稀少で ある。「比較法原論」(法系論や法継受論の一般的考察)の専門家は,もともと複数言 語の素養と広汎な渉猟とを必要とするため一人で行うことは容易ではないという事情 もあって,実務的な比較法の隆盛と反比例する如くに,稀な例外を除いて,ほとんど 絶滅危惧種ですらあり,「比較法文化論」講義の増加がわずかにこれを補う程度である。 これに反して,実定法学者の行う外国法・比較法の研究が,特に量的に圧倒的に重要 であり,日本における比較法学の隆盛を支えてきたと言っても決して過言ではない。  とはいえ,現実には,分野により,フランス法研究の濃淡が存在する。民法では, 民法典へのフランス法の影響の大きさの再認識により,今日大変盛んであり,憲法に 関しても,比較憲法が分野の一環をなしているところから同様である。行政法および 労働法も,これに次ぐ。これらを通じて,同時に,従来支配的だった外国法(主とし てドイツ法,特に労働法では戦後のアメリカ法)の影響に対して,学問の刷新や批判 的対照のためにフランス法が参照されるという動因も見出される。  しかし,反対に,その他の科目では,フランス法研究は残念ながら低調である。民 事訴訟法,刑法,刑事訴訟法 ― 広義の司法の系列 ― では,なおドイツ法研究が優越 しており,これにアメリカ法が次ぐ。商法,国際取引法などの,いわゆるビジネス・ロー の系列では,ほとんどアメリカ法一辺倒とすら見える状況がある。  しかし,それでも,結局のところ,人次第(有力なフランス派の先生がいるかどうか), そして留学先次第とも言い得る。  しかるに,現代的な与件として,2004 年に発足した法科大学院は,専門職大学院の 一つとして修士課程に位置づけられるが(但し,学位は法務博士),外国法教育に関 する限り,いささか深刻な波及効果が危惧されている。  最近の司法改革において法科大学院設置が大きな意義を占めた理由は,従来の司法 試験の一発勝負のゆえに予備校(またはダブル・スクール)の比重が高まり,論点丸 暗記で柔軟な思考力に乏しい合格者が増えて法曹の質が低下したという反省に基づい て,新司法試験は学力確認の趣旨にとどめ,大学が,プロセスとしての法律家養成を 引き受けるという理念からであった。そこでは,基礎法学(外国法・法制史・法哲学・ 法社会学)も教養として重視され,かつ,国際的に伍し得る法律家の養成も設置趣旨 の柱の一つであったが,現実には,それぞれの法科大学院のマンパワーに応じて濃淡 が生ずることは免れず,いずれにせよ,学生の意識が,不可避的に,司法試験科目た る実定法基本科目に集中することは否めない。  そこから,特に憂慮されているのは,次の二つの不都合である。一つは,学部およ び在来型(研究者養成)大学院と法科大学院とを同時に担当する教員の教育負担の激 増 ― 教員にとってのダブル・スクール(!)― であり9 ,特に実定法の教員にとっては, 外国法・比較法の研究時間が不可避的に減少するおそれがあることである。  もう一つは,実定法研究者の志望者もまた,実際上,修士課程レヴェルについては 9 法科大学院の設置態様には,既存の大学院の枠組に組み入れられたものと,それと は独立の教育機関として設けられたものとの二種類があり,本文の趣旨は特に前者で 問題となるが,後者の教員にも多かれ少なかれ起こり得る。

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法科大学院を経由する必要があることの影響である。従来,修士論文は,しばしば外 国法研究に当てられ,外国語のレパートリーの拡張も修士課程で行われることが多 かったところ,研究者養成過程におけるこの「修士課程の比較法研究」の部分が端的 に消滅し,結局,外国法研究も含めた理論的探求は,もっぱら博士課程に委ねられる ほかないことである。法科大学院においても英米法の教育は最低限確保されるであろ うことを前提とすると,実際問題として,ここでも,英米法以外の外国法研究の激減 が憂慮されるということである10 。  そのことから帰結するのは,日本法学の《内への巻き込み》ないし一種の《自閉化》 のおそれであり,遣唐使の廃止にも似た《遣欧使の廃止》の効果への懸念である。  今や,これまで以上に,フランス法教育・研究の意義が問われなければならないのも, この現代的脈絡からである。 3 フランス法教育・研究の現代的課題  フランス法教育・研究には改めて大きな現代的意義が見出されるが,同時に,その 低迷の所以も見きわめなければならない。 3.1 教育・研究の意義  教育・研究の意義は,理念的と実践的との両面に亘る。  理念的には,フランス法は,日本の国家中心的法思考 ―「おカミの法」― に対して, 個人中心的法思考の観点からの反省を促すことを可能にする。フランス語の droit は, 同時に「権利」と「法」とを意味し,国家システムとして権利を体系化するものであるが, 日本語では,古来の「(お上の)法」と新造語としての「権利」とを直結しない発想 が可能となる。西欧法継受にも拘わらず日本人の「権利意識の弱さ」が嘆かれてきた が,そこでは同時に,権利とその主張および不服申立の方途との整備が不充分でなかっ たかどうかを問う余地があるように思われるのである。  実際,1804 年に制定されたフランス民法典が,フランスの「民事憲法」(constitution civile)と呼ばれることがあるように,歴史的に長い間培われてきた市民社会の基本 的権利の保障と相互調整とをカタログ化したものが,民法典なのである。固有の意味 の憲法が,1791 年の最初の成文憲法以来,政体の変更の都度 15 回も制定されてきた のに対して,「民事憲法」の枠組は二世紀に亘って維持されてきた11 。  また,フランスの近代的行政法は,統一法典のないまま,民法典との関係での特則 が体系化されることによって成立したが,その統合概念は「公役務」(service public) である。行政とは私人に対する「役務」であるがゆえに,一方では国の特権と専門技 術的必要とを確保する必要があるが,他方では,それに比例して同時に私人の権利保 障を強化しなければならない,という意味において両者の間のバランスをとるという 10 鈴木賢(2002)「法科大学院後の比較法研究・教育―あるアジア法専攻者の焦燥」『比 較法研究』64 号 104 頁以下。 11 北村一郎(編)(2006)『フランス民法典の 200 年』,東京:有斐閣,特に 2 頁。石 井三記(編)(2007)『コード・シヴィルの 200 年』,東京:創文社。

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Comptes rendus divers 各種報告 基本的な政治哲学が表現されている12 。  明治日本が行った法継受は,現実には国家制度としての「法」制度の整備において 大きな成功を収めたが,今こそ,「権利=法」の観点からの再点検を行う必要があり, これこそが,日本近代法第二世紀の大きな課題と考えられるのである。時あたかも, 2004年以降に実現した一連の司法改革による裁判制度の整備は,行政主導型の事前規 制から司法主導の事後救済への転換を背景理念としているが,その前提として,法曹 の質的量的充実だけでなく,裁判規範たる権利のシステムの充実・補強が不可避であ り,そのモデルとしてフランス法が再評価されなければならないのである。  他方,実践的には,日本とフランスとは,大陸法的法制基盤の点でも中央集権的行 政国家の点でも共通する面が多く,従って,制度論においても解釈論においても,対 比を行うことにつき無理がない。共通の現代的問題に関する改革論議において,フラ ンス法の解決が「落とし所」として有効であることも少なくないのである。例えば, 2009年から実施される裁判員制度に関して,構想段階の議論では,市民のみによるア メリカ型の「陪審制」(jury)の導入も一部で強く主張されたが,結局実現したのは, 裁判官と市民(裁判員)とが共同して審理判決を行う「参審制」(échevinage)である。 この点で,立法者は,主にドイツ法を参考にしたと言われているが,現実にはフラン ス法の制度とも良く似ており,有力な参照源の一つだったのではないかと推測される。  このような重要性にも拘わらず,法分野でのフランス語・フランス法人口が伸び悩 むのは,もともと,前述のように,明治初年のフランス化との関係では「実定法の脱 フランス化」をすら語り得ることもさることながら,根本の原因としては,印象論で はあるが,萩原朔太郎が嘆いたのとあまり変わらないような「フランス(語)の遠さ」 を挙げることができるように思われる13 。 3.2 フランス(語)の遠さ  法律家にとってのフランス(語)の遠さは,星野英一先生(民法)が示唆されたよ うに,日本人にとっての「法律」と「文学・芸術以外のフランス」との二重の遠さに かかわる14 。即ち,フランス法研究は,この二重の馴染み薄さのハンデを負わざるを得 ないということである。一層具体的には,少なくとも,二つの現れ ― 言語習得上の 遠さと知的ないし気質的な遠さ ― が観察されるように思われる。  まず,法律フランス語の習得に関して,法学部の学生は,教養学部で習得した「文 学のフランス語」から「社会・法のフランス語」への応用を確保する必要がある15 。こ 12 参照,滝沢正(2007)「民法典と行政法」『日仏法学』24 号 1 頁以下。ウェール,プ イヨー(兼子仁,滝沢正訳)(2007)『フランス行政法』,東京:三省堂。 13 安藤元雄(2007)「萩原朔太郎とフランス」『日仏文化』74 号 120 頁以下。 14 星野英一(2007)「日本の民法典・民法学におけるコード・シヴィルの影響」前掲『コ ード・シヴィルの 200 年』特に 253 頁以下。 15 一般に辞書の訳語も,文学的で主観的な系列のものが多い印象があり,法分野では, これを客観化的に解釈し直さなければならないことがしばしばある。例えば,texte という語に,「(文学作品の)抜粋」という訳語まで載っていることと比べると,「法文」 とか「条文」という訳語を見ないのは,プチ・ロベールには出ているのだから尚更残

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のこと自体は,どの外国法でも多かれ少なかれ同様であり,例えば法文特有の言葉遣 い ― à moins que... を「但し,... の場合は,この限りではない」と訳すとか,à peine de nullitéは「これに反する場合は無効を制裁とする」とするとか ― は,日本の立法 用語に固有の技術的な問題なので,慣れれば大した問題ではない。  しかし,フランス語の場合には,特に語彙の制限政策ゆえの特別な困難がある。一 方では,語の意義の重層性ゆえに,学習者にとっての単語の知識をシステマティクに 再構築する必要が大きいのである。例えば,signifier は,「意味する」だけでなく,訴 状や判決を「送達する」のでもあり,recommander は,「推薦する」よりも「勧告す る」または「書留にする」頻度の方が法分野では高い。訴訟当事者は事実を「提出」 (soulever)し,裁判官は事実を「摘示」(relever)するという如き微妙な区別もある。 他方では,語の概念野も日本語と比べて一般に広いので,例えば,règle は,「定規」か, 法律の「規定」か,規定が定める内容的な「原則」か,抽象的な意味での「規範」か, 多義的な意味の層から最も文脈に適する明確な語義を見出す必要があるというだけで なく,仏和辞典の訳語には出ていない意味を,語の概念野との関係で文脈から推理す る必要すらある16 。一般化して言えば,ほとんど言語的表象システムの相違そのものに 自覚的でなければならないのである。  東大の場合,前述のように,前期課程(教養学部)では語学漬け,後期課程(法学 部)では法律漬けなので,同時に,後期における語学の空白を埋めつつ,上述の「社 会・法のフランス語」への移行を確保する必要がある。ところが,専門課程の原書講 読は自ずから学問的関心が主になるので,私は,遅まきながら最近,3年生優先でフ ランスの法律家の文章に慣れることを自己目的とする演習を始めている。法学部に外 国語の先生が配置されている大学では,少なくとも応用段階の語学では,政治・法律 の文章を教材とする余地もあろう(東大の2年生についても同様の考慮が可能であろ う)17 。「ル・モンド」を読むというような授業は既に行われているかもしれないが,専 門用語の知識が必要な場合は,ティーチング・アシスタントの活用が期待できるので はなかろうか。  しかし,一層一般的な,知的ないし気質的な遠さ,即ち,メンタリティの相違に関 しては,技術的工夫の域を超えた厄介さがある。  フランス(人)に対して日本人が抱く「軽佻浮薄」ないし「巧言令色」の根強いイメー 念という他はない。 16 例えば,現行 1958 年憲法前文の冒頭,フランス国民は,二つの人権宣言(1789 年 の古典的宣言および 1946 年憲法前文のいわゆる第二世代の人権宣言)および 2004 年 の環境憲章への「愛着を厳粛に宣言する」(proclame solennellement son attachement) と,しばしば訳される部分は,それ自体として捨て難い響きはあるものの,これらの 宣言・憲章を現行憲法と一体のものとみなす趣旨なので,「依拠を公式に宣言する」 とでもしないと法律家にはピンとこない。 17 東京大学教養学部フランス語部会編(2001)『Passages』(東京:東大出版会)には, 憲法やマーストリヒト条約が取り上げられており,喜ばしいことである。

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Comptes rendus divers 各種報告 ジ18 と,日本での幼少期在住経験のあるベルギー人小説家の言う「ニッポン的堅苦しさ」 (raideur nipponne)19 とは,見事に対称的である。また,フランスを論ずる者には,「反 体制的」20 とのイメージすら結びつけられてきた。  メンタリティの正反対とも言えるこの対照は,フランス法分野でも異口同音に論じ られてきた。野田良之先生は,René Le Senne (1882-1954) の性格学の応用から,日 本人に最も多い性格型 ― sentimental 感情的 ― とフランス人に最も多い性格型 ― sanguin多血質 ― とは,3つの識別規準 ― émotif ou non, actif ou non, primaire ou secondaire ― の組み合わせにおいて,まさに正反対であるとされていた21 。また,山 口俊夫先生は,日仏のこの好対照を,例えば,集団主義的統制主義と個人主義的自由 主義,心情主義と知性主義,マテリアリスムとモラリスム,というように鋭く観察さ れている22 。  法分野の思考様式や論述方法の相違も,馴染みにくさを加重するだろう。実質面 で,いささか戯画的対比ではあるが,弁護士事務所においては,依頼人の問題説明が 一通り終わって後,フランスでは開口一番「その問題に関しては,原則として,法律 の規定によれば ...」と聞こえてきそうであるのに対し,日本では,「もう少し詳しく 伺いませんと,何とも言えませんが ...」というほどの法的思考の違いが想定できる。 フランスのこの法律実証主義の学風は一貫して揺るぎないものであるが,それでも, raideur gauloise にならないのは,まさに人文主義的・モラリスト的な精神が立法・判 例・学説の基底自体を貫いているからではないのか。他方,形態面では,論証の仕方も, 日本の合目的的プラグマティスムに対して,フランスの演繹的合理主義の対比が可能 であり,特に法分野では論文の書き方自体にすら顕著な対比が見出されるのである23 。 *  以上のように,状況的でも構造的でもあるようなこれらの危機の解決策については, 残念ながら特効薬を知らない。法学分野で言えば,力不足を痛感しつつも,粘り強い 18 小林善彦(2004)「文科丙類とフランスの評判」『向陵』終刊号・一高百三十年記念 358頁以下。

19 Amélie Nothomb (1999), Stupeur et tremblements (roman), Paris : Albin Michel, p. 13

(翻訳として,アメリー・ノートン(藤田真利子訳)(2000)『畏れ慄いて』,東京:作 品社)。 北村一郎(2001)「異文化の内面化―或るベルギイ女性の日本就職体験小説」 『ICCLP Review』(東大大学院法学政治学研究科附属比較法政国際センター)4 巻 1 号 50頁以下。 20 渡辺守章・山口昌男・蓮實重彦(1983)『フランス』,東京:岩波書店,11 頁(渡辺 守章発言)。 21 野田良之(1971)「日本人の性格とその法観念」『みすず』140 号 2 頁以下;同(1986) 『内村鑑三とラアトブルフ―比較文化論へ向かって』,東京:みすず書房,1 頁以下所収。 22 山口俊夫(1988)「異文化と法」東大公開講座『異文化への理解』,東京:東大出版会, 197頁以下。 23 参照,北村一郎(1996)「フランスにおける法の明晰さについて」『法曹時報』48 巻 11号,特に 14 − 15 頁。

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教育・研究の努力を拡大していくほかはない。  しかし,一般的レヴェルでは,今更言うまでもないが,文化は獲得され蓄積され再 生産されるのであるから,「確信犯」の「仲間うちだけの解放区」を超えて,フランス語・ フランス文化へのアクセスを,大学の内外を問わず,テレビやインターネットやイヴェ ントを媒介として多様に確保する努力が望まれるであろう。次いで,文化を構成する 「物」の普及に務めること24 。そして,最重要課題として,言語習得と旅行と留学とを 厚遇すること。  いずれにせよ,フランス的なものへの「慣れ親しみ」が出発点として重要なのである。 冗談のようではあるが,「ルイヴィトン」やエルメスの日本女性の保有量はおそらく 世界に冠たるものがあり,ポリフェノールの一事を以て赤葡萄酒の消費量がオヤジ層 にも激増したこと,ヒントはそこにあるだろう。 (東京大学)

生物学的多様性から見た言語多様性化の核としてのフランス語

(Le français comme le noyau de la diversification

des langues, un propos biologique)

佐藤直樹 S

ATO

Naoki

Résumé

La langue française avait fait une contribution importante aux archives des sciences modernes, mais l’anglais est la seule langue privilégiée des chercheurs contemporains pour la publication et pour la présentation des découvertes scienti-fiques. La situation est pareille dans tous les domaines d'échanges informatiques, notamment dans la communication par l'internet. Si le rôle de la langue était uni-quement d’assurer un moyen de communication ou de description de faits objectifs, tous les êtres humains du globe pourraient utiliser une seule langue. On croit que c'est ce rôle qui est tenu par l'anglais. Pourtant nous pensons que la langue est quel-que chose de plus, parce quel-que toutes les langues ne sont pas les mêmes. Les Japonais aussi refusent l'alphabet latin pour l'écriture japonaise, parce que les kanji et kana s'imposent sur toute leur culture. Il semble que chaque discours possède une langue et des lettres qui lui sont le mieux adaptées. La diversité linguistique tire son origine de la pluralité humaine, dont la diversité des êtres vivants pourrait servir de

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参照

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