三重県下のローカル私鉄と大軌・参急資本の動向(2)
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(2) うに勧告 している (126) 。. 昭和六年十月実地検査ノ結果二依レハ整理改. 善ヲ要スヘキ不備不穏当ノ事項勘カラス, 殊 二其ノ資産内容ノ甚タシク悪化セルヲ認ムル. ハ財界ノ不況及前頭取ノ失脚等二基因スル所. アルヘシト雖, 主トシテ従来ノ経営振甚夕放 漫無節制ナリシ結果ナリ, 即チ貸出 ノ大半ヲ. 新旧重役其ノ関係者及関係事業会社等二偏荷. セシメ, 而モ概シテ大ロニシテ且此種関係会. 社ノ株式ヲ貸付金ノ担保トシテ徴セルモノ巨. 額二達セルハ経営上最モ戎慎ヲ要スヘキ点二. シテ, 既二前回検査ノ際厳重注意セル所ナル ‘. だ し, 他方武藤グル ー プは大阪資本との提携に. 活路を 見い出そう と した ように思われる。以. 下, これらの 点に ついて少 し詳 しくみていこ. う。. 1930年7月頃名古屋新駅建設にあたり, 名古. 屋鉄道局長は名古屋鉄道 (初代), 愛知電鉄,. 伊勢電鉄に対 し, 意見の開陳を求めていた。さ. らに1932 年に入ると, 名古屋商工会議所副会頭 青木鎌太郎が斡旋に努め, 当時名古屋駅付近に 乗り入れを考えて いた 名岐鉄道 および愛知電. 鉄, これに都心近くに入っていた瀬戸電鉄, 伊 勢電鉄の4社を合同 し, 名古屋を中心とする交. 二拘ラス之力整理刷新ノ跡殆 ノト見Jレヘキモ. 通統制を実現させようとの構想が練られていた. 来シ内容著シク不良化シ居レリ. て経営されている名岐鉄道(社長富田重助, 取. ノナク, 却テ其ノ金額二於テ甚タシキ増加ヲ. この勧告をうけた数日後に, 四日市銀行が休. 業に陥ったことは前に述べたが, 伊勢電に対す. る貸付けは「 一応全額固定卜看倣シ」ている。. そ して, 「大ロニシテ回収困難卜認メラルル」 四社, つ まり伊勢電, 熊沢殖産, 四日市商事,. ようで ある (128) 。水面下では名古屋財閥によっ. 締役神野金之助ほか, 熊沢伊勢電社長も監査役. の 1 人, 熊沢殖産が大株主, 但 し熊沢は疑獄事 件後 辞任) が伊勢電へ接近 して いたといわれ. る。とくに名古屋財界は, 名岐鉄道に先んじて. 大阪・名古屋間に路線を延ばそうと していた参. 静岡電鉄については, 「根本的二 回収其ノ他ノ. 急に対 し, 「伊勢電を 大阪資本にとられるな」. くに 伊勢電の状況については, 「時々報告スへ. いたという (129) 。. 整理方針ヲ樹立スルノ要アルヘ」 しと した。と シ」とつけ加えていた (127) 。. 当然のことながら, 四日市銀行および伊勢電. の更生に関 しては, 広瀬久忠三重県知事も奔走. していた。伊勢電の更生をめぐって, 社内的に. は熊沢擁護グル ー プ(伊勢電の単独再建案)と 武藤支援グル ー プ(外部資本と提携 した伊勢電 の再建案)の対立があったようで, さきに伊勢. 電従業員 700名が 武藤専務に辞任勧告書を突き つけたことを述べた。 どうやら名古屋地方にお. ける交通調整への動きも絡んで伊勢電更生問題 は複雑な様相を呈 していたようである。大 まか にいえば, 単独再建が不可能とみた熊沢グル ー. プは名古屋資本との提携に傾斜 していったよう (1!6) (1!7). 前掲「四日市銀行整理関係書類」。 ° 同上。伊勢電 の 窮状を示すエヒ ソ ー ドとして, たとえば日本信号という会社には, 機械や設備工 事費などが払えず, 各駅 の 切符売上金を差し押 えられるほどだったという(木本政次 , 前掲書, 204-205頁)。 -22. との合言葉で名岐と伊勢電との合併を勧奨 して 一方広瀬三重県知事は, 1932 年4月伊勢電,. 近江鉄道, 参急の3社の中間に立って「協定促. 進に邁進」すべく第 1 回の会合を開いていた。 知事の意向は,「現在の如く省線を中間に前記. 各私鉄が併行又は縦横に敷設されて相互に競争. する事は会社の財政上から見ると頗る不利益で あるから, 之が協定に依って私鉄の発達を期す. べく之には先ず伊勢電鉄の桑名, 名古屋間延長 工事を各社が援助 して速成する事が当面の急. 務」という点にあった (130) 。広瀬知事はその 後 (128) 名古屋鉄道株式会社社史編纂委員会『名古屋鉄 道社史J (1961 年) 188, 206-207頁。 (129) 岡戸武平『士魂商オ—武藤嘉門伝一」(中 部経済新聞社,1963 年) 147-148頁。前掲「ダイ ヤモンド」臨時増刊 —銀行会社 の 実質— 第19 巻第11号,80頁。 (130) 伊勢新聞,1932 年4月19日付夕刊。前掲, 清水 啓次 郎「私鉄物語」は小川鉄相 の 積極主義, つま り「小川式地方幹線 の 並行線をドシドシ免許す る」典型的ケ ー ス の 1つとして伊勢電をあげてい. C300)-.
(3) 個別に 3 会社と折衝を重ねたが.財界の不況に. ……本年( 1932年—引用者注). 加えて,伊努電の更生策も進捗しない状況の下. 社長引退後会社は根本的整理時代に入り専ら. では「県下三私鉄協定.早急提携は至難」とい うことに終わっ たのである (131) 0. 会社の現状に即したる改革案を作成し,大小. 伊勢電では熊沢失脚後,一 時期熊沢腹心の金. 然るに三井銀行及び興業銀行自ら整理の立案. 沢熊男と武藤嘉門の2 人が専務取締役として陣. をなすと称し大債権者の威力を以て小債権者. 頭指揮をとっていたが,まもなく金沢は退き,. を威圧せんと図れるものヽ如く(中略), 結. 武藤1 人となったため.反発を深めたことは前. 城興銀総裁の推薦に力,). る高橋取締役は就任. に述べた. Cl32). 二月熊沢前. 債権者の納得と同情とに訴へざるぺからず,. 。このため, 193 1 年12月の伊努電. 以来整理の方針事務の末迄,徒らに三井,興. 定時株主総会は翌年 2月への継続総会となるな. 銀の鼻息を窮ふに汲々とし,只管大資本家の. ど収拾策をめぐって紛糾し,名古屋線分離案は. 未決に終わったのである Cl33) 。裏面で まとめ役. 債権を擁護するに没頭して改革の誠意見るペ きものなく (中略), 今や会社の現状は僅か. に呈した武藤嘉門は,この段階では名古屋資本. に残れる不動産を担保として高利の負債を起. と大阪資本の双方の顔を立てるとともに,伊勢. し弥縫一 日を過すに過ぎず, ...!…拙生等重役. 電の整理も有利にできる方法として三分割整理. 間においては昨年 来世上に伝ふる内部的論争. 案を考えていたとみられる。すなわち,(1)桑名. を見たることなく,殊に会社と死生を倶にす. から名古屋までの延長線は新会社によって建設. べき拙生は隠忍に隠忍を重ね一意会社の革正. する-名古屋資本,(2)養老線は分離して別会. を期せり,その間僅かに意見の相違と見るべ. 社とする,(3)桑名一宇治山田間は参宮急行電鉄. きものは. (大軌) と合併する 一ー大阪資本, という現実. 一 高橋氏自身の俸給は重役会の決議を経ベ. 的な方法で あった。「これは名案じゃないか. これなら参急と伊勢電は対等で合併してもよい. <妄りに手盛を許さざること ー. よ」とかねて懇意の参急専務種田は語っていた という (134) 。しかし,1932年7月 1 日武藤前専 務は声明書を発表し,「伊勢電内肛更に激化か」 と新聞に報ぜられたほどであり,まだまだ見通 しは立たなかった。声明書の骨子は.次のとお りであり,熊沢社長退任後,伊勢電は整理時代 に入ったとして,武藤は近 日中に伊勢電革新会. を起こすとしている (135) 0. 多年薄給に甘んじたる現在社員を排し情. 実により妄りに高給なる無経験者を入れざ ること 一. 負債整理については四日市,明治,村瀬 の如き休業銀行の交渉を先にせざれば整理. の進捗困難なること ー. 名古屋線は大問贔悶厖徹底的なる援助不 可能なる今 日資金確定を見ざれば軽々に起. 工すべからざること 等僅かに二三を数ふるのみ(中略),拙生等. るCl81頁)。. 辞表を興銀に託したる所以のものは言ふ迄も. (131) 同上,1932年5月14日付夕刊。. (132) 専務2人制は1930年末までのようで,1931年に 入ると武藤1人と なり,金沢は取締役として残 る。 (133) 新愛知,1931年12月19日,1932年 1 月19日付。 (130 岡戸武平,前掲書,149頁。同書 によると,武 藤は県会議員(憲政会系) 3 期をへて代議士 (3 回,政友会優勢のときは立たず,勝算ありとみた 場合に打って出る) となるが,裏面におけるまと め役 に呈し,現実感覚の持主であったことがわか る。戦後は岐阜県知事3期連続当選を果たし,名 誉県民第1号となる。 (135) 名古屋新聞,1932年7月23日付。 -23. なく会社の更生に現実の融資を得るにあり, 然るに何ぞ や今 日に至るまで何等具体的現実 救援の成案を示さず辞表を預りしを奇貨とし 異分子の重役を除き,露骨に大専に大債権者 の権威意恣を退しうす当社更生に対する責任 重且大を加へたり三井,興銀重役能<之を認 識するや,彼等にして五十余人の小債権者又 は工事請負人用品購入先等小債権者を納得せ しむべき公正なる具体案を示さざる以上何ぞ C 301)-.
(4) 会社救援の誠意ありと云はん,拙生等は進ん. 残るはタッタ ー 債権者あるのみ,後者につい. で社会の輿論に訴へ株主の公議を起し以て会. ,ては既に用地の買収も大半終了,目下名古屋. 社を既倒に回さんとす,希くは株主各位拙生. 終端駅の省線交叉跨線橋の工事を鉄道省に委. の微衷を諒とせられよ. 託して進めつ>あり,しかして今 後の建設速. 武籐の声明書発表の10日後に,伊勢電は社内. 成の方法については目下鉄道省に申請中の案. に小林参吉を委員長とする名古屋線新設会社創 立準備委員会を組織している (136) 0. この高橋専務の声明書発表の数力 月前には,. しかし,前途は多難であり,1932年 から193 3. 三重県知事官舎で伊勢電と参急の提携協議を懇. 件決定次第 一気に決行せんとしている云々. 年 にかけての社内の葛藤は激しかった。という. 談していたようである。その会合は広穎三重県. のも,伊勢電の再建をめぐって四日市銀行と日. 知事の要請によるもので,出席者は大軌の金森. 本興業銀行および三井銀行との間の対立が表面. 社長,種田専務,太田京阪電鉄社長,高橋伊勢. 化したからである。 高橋専務の更生案は,「同. 電専務,武藤同社顧問,その他参急側の人々を. 社(伊勢電. ――. 引用者注) 桑名•名古屋間の乗. 合わせて10名位であった。出席者は「何れも両. 入権利,揖斐•木曽両鉄橋払下金,既出用地代. 社の提携と名古屋乗入れを完成せしむる」こと. 金等二百五十万円に乗入完成までの工事費二百. が急務という点で意見の 一 致をみた。「若これ. 五十万円を請負業者に対し仮払の形式を執り,. が完成すれば伊勢電は少く共年 収百二•三十万. 合計五百万円を現物出資として新会社を設立し. 円, 参急も亦三•四十万円, 各年 収を増し従っ. たのち,右仮払金に充当するため二百万円を増. て両社の株主もよくなり, 四日市銀行も復活出. 資し,これに七朱配当保証を付けやうといふ」. 来るといふ 一 挙三得も四得も得られる訳」だか. ものであった (137) 。「四日市銀行は伊努電鉄その. ものの再建をめざしていたが,興銀,三井銀行. らだとする (140) 。但し, 問題は 伊勢電の負債整 理と新線建設の資金調達の方法如何にかかって. 側は,伊勢電鉄の単独の再建は考えず,伊勢電. いた。これらの問頴が複雑に絡みあってのこと. が熊沢社長の時代に獲得していた名古屋一 桑名. と思われるが,高橋専務の弁明書に対し,一部. 間の鉄道敷設権をもとに参宮急行電鉄との合併. 株主は「不信任の意思表示」をすべく臨時株主. による債権保全の道を志向していた」(138) よう. 総会を要求した。この 一 派は,弁明書とは全く. である。こうした推移の中で,1932年 9 月末多. 正反対の見解で,次のように述べている (141) 0. 数株主の代表である高橋専務は,大要次のよう な弁明書を発表した. ー当事者が誠意を以て更生に努力をするとい. < 39) 0 1. ふも高橋専務がお手盛を以て年 額一万円の. 当社更生の 一日も速かならしむる事は役員 一. 報酬を取りつ>ある事実及び同氏就任以来. 同の責任であるが何分財界の不況と一部人士. の人事行政を見る時.余りにそれを裏切る. の策動により,動もすれば整理の進行を妨げ. 事が甚しい. られんとしているが,しかも漸次その成果を. ー. 旧債の整理進行するといふも今日の時勢. 得,当社更生上,最も重要視せねばならぬ旧. として利率を低減さすが如きは最早問題で. 債の整理と名古屋乗入れ線に対しても,前者. な<. しかして未承諾者は一債権者どころ. については既に大体小債権者の承諾を得今や. か,三菱系は依然養老線に対する強制管理. 伊勢新聞,1932年 7 月14日付。 新愛知,1932年 9 月14日付。 (138) 桜谷勝美,前掲論文,23頁。もう少し詳しくい えば,興銀筋(とくに名古屋支店)は伊勢電と名 岐鉄道の合併を主張していたようである(木本政 次,前掲書,206頁ほか)。 (139) 新愛知,1932年 9 月30日付。. の手を緩めず, 村瀬銀行また仮差押の非常. (136) (137). -24. 手段に訴へつヽあり,更に明治. 四日市両 銀行の如きも背後にある多数預金者を思ふ 一. 念からあくまで強制的に出でんとしてい. (HO) 同上,1932年4 月9日付。. (141) 同上,1932年 9月30日付。 C 302)-.
(5) る,更に又,某々銀行の如きは.万 一これ. れは「全然見込のない」 状況の下で結局不参加. が世間的となっては信用 上憂慮に堪へずと 極力その回収に汲々と し ている事実あり,. と決まり.伊勢電は三井 ・ 興銀の了解のもとに 大軌 ・ 参急と 交渉を進めることになる CU6) 。 い. これに 加ふるに 最近 三井銀行 名古屋支店. わば伊勢電と名古屋資本の提携問題の第 1 ラ ウ. が,熊沢前社長に対 し 個人債務の整理を強. ン ド は,ここに一 区 切りがつけられたのである。. 行 した 際.偶々剰余 金の出でたるのを幸 ひ. この間, 「鉄道王」 と謳われた根津嘉一 郎へ. に会社振出 しの手形に対する個人保証の分. 伊勢電入りを勧誘す る動きもあったのである。. と してそれを没収せ し ため.翠に熊沢前社. 根津は,この件や名古屋を中心とする私鉄大合. 長は会社に 向って代償権を確認せ しめんと. 同ならびに当時の伊勢電の経営について,次の. し ていること ー 名古屋 乗入れ 線の 実現を 期するとはい. ように語っている。 興味深い点が少なくないの で,大要を引用 し ておこう<U1>。. ヘ,実際問題と し て資金調達の途なく, ょ. 私鉄の合同統制の必要なることはいふまでも. くそれがつくに し ても伝へられるが如く該. ない,従来も合同統制は渉りと唱へられたも. 線を分離 して別会社を設立することは法律. のであるが,何れも理論倒れに終っている,. 上大に疑義あること. これは何故かといふと私鉄には株主と地方と. さきに武藤が声明書を出 し て批判 し たように.. の関係があって他の事業の如く単に利益のみ. 高橋 専務案による 伊勢電の 更生策は. いわば. で合同が出来ないからである.かつて鉄道省. 「大債権者の 鼻息をうか ゞ ふべく 内 容整理にの. 当局から僕等に東京地方の私鉄合同を怨憑さ. み没頭 しつヽある」 と沿線株主から批判された. れたが,以上の如き事情で実現を見るに至ら. (1 2) 4. 。 この整理案は 「大債権者擁護であり.小. ない,けれども株主と地方との関係さへうま. 債権者並に沿線株主,地方産業の発達を無視 し. く行くところ で あれば 合同は 不可能では な. たものである」 (143) と一蹴されたのである。 そ こで,伊勢電当事者は高橋整理案に幾分修正を. い,この点から考慮すると愛電•名岐 • 伊勢 電 ・ 穎戸電その他を合同 し て名古屋を中心と. 加え,改めて名古屋財界にも援助方を交渉する. する私鉄の大合同は不可能ではないが,これ. 始末であったら しい。 ただ伊勢電の内情からす. が実現には伊努電の名古屋乗入線が先決問題. ると, 養老線の 強制管理 問題があり, さらに. である,だから名古屋を中心の私鉄大合同の. 「重役, 社員, 現業員間の空気も 円 満でないと. 実現は伊勢電の名古屋乗入線完成後のことだ. ころ へ,参急もまた名古屋乗入れに対 しては虎. らうと思っている,今 日の伊勢電は苦境に陥. 視眈眈と し でいるので先づ同社の陣容を 新 し,. っているが,これは従来の経営方針が誤って. 社 内の融和を図ったのちでなければ… … 名古屋. いるからである。 伊勢電の経営は名古屋,桑. 一. 一. 財閥は 顧も与へない模様である」と新聞に報. 名間を第 一に建設すべきであった,それを最. ぜられた (1 44) 。 そのうえ,これまた 一部株主の. 後に建設すること> し たから今日の苦境を見. 間から.主務省の 内 認 可を得て 「伊勢電乗入線. るに至ったのである,だから鉄道の経営は素. の権利譲渡」をすると し ても.「株主 協議会を. 人では到底うまく行くものではない,僕は伊. 開かないのは不都合であり越権行為」 だとの非. 勢電の前重役等から伊勢電入りを勧誘された. 難が出た (145) 。 どうやら 「名古屋方面からの出. が,最近 もまた同社専務高橋君が来訪 し ,な. 資は配当保証を求め」ていたようであるが.こ. (146) 同上,1934年 1 月26日付。 前 掲 1932年 9月14日 付の同紙で は,「名古屋財閥で は, その案の内容 が結果 において,従来の 伊勢電鉄株主 は救 はる ヽ も,新株主 と して は,投資上,余り感心できな い と いふ」 と 報 じていた。 (117) 新愛知,1932年12月17日付。. (142) 名古屋新聞,1932年 9 月14日付。 (143) 新愛知,1932年 9月14日 付。 CHO 同上。 (145) 名古屋新聞,1932年12月7日付。. -25. C 30 3)-.
(6) ほ監査役の竹川 君からも種々相談を持掛けら. 勢電の現状は全く三井,興銀両行の支配下に置. れている,と云って今 直ちに投資してまで伊. かれ,両行の指揮を仰ぎ,両行の了解を得なけ. 勢電を援助しやうとは思ってい な いが,その. れば何事も出来な い 状態となったのである。. 他の方法では出来得る限り援助する考へであ. こうした体制で,改めて伊勢電更生策が模策. る. されることに なるが,秘密裡に交渉は進められ. 以上.伊勢電の再建方法は伊勢電の単独再建. たらし い 。 「参急伊勢電の提携愈々成立」 「整理. ではなく,名古屋線を別会社に委ねる方 向に傾. 会社を結成して名古屋乗入実現の申合」と新聞. きつつあったことがわかる。 しかし,その提携. に 報ぜられた のは, 193 3 年 12月の ことであっ. 先をめぐっては大軌 · 参急のほか.名古屋財界. た。 そこでは続 いて,「参急と伊勢電の 連絡を. に支援を求めてみたり,果ては根津嘉 一 郎にも. 如何にするか尚交渉中であるが,最難関視され (間) ているのは両会社の軌道が参急は四 フ ィ ー ト 八 (半脱力) 吋であり,伊勢電は三 フ ィ ー ト 六 吋であるため. 声を かける な ど 混迷の度を 深めていたのであ る。 このよう な推移の中で,興銀.三井両行は 静観の姿勢に転じるが,193 3 年 5月四 日 市銀行. 根本的に改善する事とて今 後研究する事と なっ. の役員会は 「伊勢電鉄の 再建を 興銀, 三井両. て い るらし い」 と報じてい る (151) 。 翌年 1月に. 行に 依頼する ことに 決し, ほど なく興銀の出. なると,調停の労をとって いた早川 三郎(広瀕. した 条件である 四 日 市 銀行所有の 伊勢電鉄株. 知事の後任, 第29 代知事) 三重県 知事の 談話. (87, 192株) を名義書換え 白 紙委任状を添付し. をのせるとともに,伊勢電と参急の両社提携は. て興銀へ提供し,且株主権の行使も委任するこ. 「愈よ完全に 成立す, 余 す所は株数其他の細目. とを認めるに いたった」(148) のである。 これは 四 日 市銀行にとって,全く屈 辱的 な 条件であっ た。. で」などと報ぜられた 052) 0. ここで,四 日市銀行から大蔵省銀行局長への 答申書 093 4 . 12 .26付) の中にみえる伊勢電債. 四 日 市銀行は「大債権者たる三井,興銀両行. 務整理案 (伊勢電自身の案,武藤案,早川三重. 整理上意見の相違あり種々困難なる問題を生じ. 県知事案) を, 長文を いとわず 紹介しておこ. 伊勢. う。 当時の 四 日 市銀行の置かれていた状況がよ. 電鉄の 整理更生に 関する 一切の 件を一任する. くわかるし,また伊勢電整理案の経過も十分に. 候結果遂に. … …` 止むを得す三井, 興銀に. に至」 ったのである (1 49) 。 193 3 年 2月高橋専務. 看取されよう 1153) 。 な お 岐阜県出身の武藤は商. は辞任し,代わって同年7月に興銀よりの推薦. オにたけた人物とい われ,その様な 観点から参. で半田貢が専務となり,伊勢電の整理更生の衝. 急井内,伊勢電岡本とほぼ同様の考えに立ち至. にあたっていた。 半田は東京帝国大学電気科卒. ったようである。 三重県知事案も,調整役とし. 業のエ ン ジ ニ ア であるが,小田原.京浜 な どの 各電鉄会社の重役を経験していた。 また三河電. て新会社による名古屋線建設を主張している。 仄聞ス )レ所ニ ョ レ ハ鉄道省 ノ 御方針 ト シ テ ハ. 鉄の整理にも手をつけた人物である。 高橋真男. 伊勢電鉄二対 シ 名古屋乗入 レ ヲ 許可 セ ラ ル ヽ. 専務時代に興銀の推薦で経理課長として入社し. ハ 伊勢電鉄 ヲ 整理更生セ シ ム )レ カ 為 ナ リ ,従. ていた岡本勝雄が常務に昇進した。 岡本は藤永. ッ テ先以 テ 伊勢電鉄 ノ 債務 ヲ 整理 ス ヘ シ ,然. 田造船所の整理に腕を振るった経歴の持主であ. ラ サ レ ハ工事二 着手 ス ル事 ヲ 認 可セ ス 又新会 社創立総会 ヲ モ認 メ ス ト ノ 趣 二 候,依 テ 伊勢. る。 以後 半田•岡 本 コ ン ビで伊勢電の整理に 奔走するが,岡本は参急井内専務と同じ土佐出. 身.竹馬の友であった <150) 。 い ずれにせよ, 伊. (HS) 桜谷勝美,前掲論文,23頁。 (149) 同上,25- 26頁。 (150) 前掲 「参考書類(2)」。 木本政次, 前掲書, 204 頁。 -26. 伊勢新聞,1936年 9月8 日付。 (151) 同上, 1933年12月1 3日付。 この 頃井内 ・ 岡本の 2 人 は秘か に会 い,後日の名古屋乗り入れ私案を ま と めた と い う (同上,1938年 6 月27日付) u (152) 同上,1934 年 1 月16日付夕刊。 (153) 前掲 「大蔵省関係書類」 (三重銀行蔵) 。. ( 304 ) -.
(7) 電鉄 ト シテハ第 ー ニ債務整理ノ根本方針 ヲ 改. ル ニ拘 ハラ ス現在 一体 ト ナ リ 居ル 養老線 ヲ 分. 一. 四日市, 明 治両行ノ ミ ヲ 入レ肝心ノ岐阜県下. メテ確立 ス ル ニ 非サレハ鉄道省ノ認可 ヲ 得)レ 事容易ナラ サルモノ ト 存シ候, 然ル ニ 目 下. 離独立セシム )レ事ハ矛盾シ,. 一. 方株主 ト シテ. 部無担保債権銀行 二於テ執ラル ヽ 非常手段ノ. ノ十六, 大垣共立等 ヲ 加 ヘ サル欠点ア リ テ三. 若シ新会社ノ株券 ヲ 公平二担保 二充当セシム. 第三案 (三重県知事案)ハ先 ツ 名古屋乗入レ. 為名古屋乗入レ ニ支 障 ヲ 来シ居)レ模様ナル カ. )レ コ ト ヲ 三井, 興銀 二於テ了解 ス ル ニ 至レハ. 斯ル難問題モ 自 然解消 スルナラ ン カ ト思考仕. 候. 然)レニ伊勢電鉄債務整理案 ト シテハ伊勢電鉄 自 身ノ樹テタルモノ ト , 武藤嘉 門氏ノ樹テタ. ルモノ ト , 三重県知事ノ樹テラレタルモノ ト ノ三案有之. ー 伊勢電鉄案ハ無担保債権銀行二対 スル債 務 ヲ 優先株二振替へ処理シ. 支 払未済金 二. 対シテハ減額又ハ年賦払ニ ヨ リ 整理 ス ト 云 二. フ ニア リ. (イ). (一脱力). )レ コ ト ヲ 第 目 的 ト シ其後整理. ニ ヨ リ 増収 ヲ. 上支 障アラハ時 計 二応シ新シキ案 ヲ 講 スル ト 云 フ ニア リ. 如斯執レノ案モ ー長 一 短ア リ , 当行ハ之等 ヲ. 考慮シ別 二新会社株式取得, 優先株ノ振替,. 増収金ノ受入レ等 ニ ヨ リ 債権回収ノ案 ヲ 樹テ タル次第 二御座候, 何レ ニ ス )レモ三 井, 興銀. 両行 ヲ 相手 ト シテノ交渉ナル カ 故二解決ハ容 易ナラ サル コ ト ヽ 存シ候, 従 ツ テ ー銀行ノカ. ノ ミ ニ ヨ リ テハ解決至難二付他ノ無担保債権. 銀行卜歩調 ヲ ー ニシ協カシテ伊勢電鉄ノ整理. 武藤案ハ. 養老線 ヲ 独立シテ資本金五百万円, 払. 込済弐百五拾万円ノ会社 ト ナシ四日市銀. 行及明 治銀行ノ有 ス )レ債権 ヲ半額ニシ之. レ ヲ 右養老電鉄株式 二振替へ 又東京海上. ノ債権 ヲ 右会社二継承セシメテ強制管理 ヲ 解ク コ ト. (口) 三井. 興銀ノ債権並 二支 払未済金 ヲ 社 債二振替ヘル コ ト. 三. 井, 興銀両行ノ賛同 ヲ 得 )レ コ ト 不可能ナ リ. ヲ 完 成 セシム)レ 事肝要卜 存候, 何分ニモ三. 重, 愛知, 岐阜, 静岡四県二亘ル金融界ノ大. 問題 二 御座候間, 前記事情 ヲ 御諒 察ノ 上三 井, 興銀両行ノ同情ア )レ 取 扱 ヲ 得ラル ヽ 様何 卒御高配相仰度, 此段奉懇願候. 尚興銀へ差入レタル伊勢電鉄株ハ, 既 二交渉. セル処 一応考慮シ置ク 旨 申居 リ 候, 該株券提 供ノ 目 的 ハ名古屋乗入レ新会社ノ設立 ニ ヨ リ. 解消 ス ヘキ ニ ヨ リ 当然返戻 ヲ 受クヘキモノ ト. 四 伊勢電鉄, 参宮急行両社対等合併 ス )レ. 考へ居候 二付, 改メテ右新会社創立総会終了. (.:::.). 右諸案 ヲ 名古屋乗入レ ヲ ナ ス 前二解決. 上記の答 申書は, 同年 12 月 20日付の大蔵省銀. 三重県知事案ハ名古屋乗入レ新会社 ヲ 設. であるが, 伊勢電整理策 と しての3案は, この 答 申書以前 に浮上 して いたものであるこ と は い. コ ト. ス )レ コ ト. 立シ伊勢電鉄, 参宮急行両社 二於テ出 資 ヲ 為シ伊勢電鉄ノ増収 ヲ. リ テ同社ノ債務 ヲ. 整理 ス )レ コ ト. 計 一 右三案 ヲ 検討 ス ル ニ 第 案 (伊勢電鉄案)ハ. 銀行 ト シテ其有 スル債権 ヲ 優先株二振替ヘル. 事ハ債権者力債務者二代 リ 義務 ヲ 負担 ス )レ コ. ト ニナ リ 承諾致シ難シ ト ノ理 由 ニテ容易二承. 諾 ヲ 得サル欠点ア リ. 第二案 (武藤案)ハ伊勢電鉄, 参宮急行 ヲ 合 一. 併シテ電鉄会社ノ統. )レ コ ト ヲ 目 的 ト ス. ヲ. 計. -27. 後 二於テ懇談仕ル ヘク考二御座候. 行局から四日市銀行への問合わせ に対する回答. う までもな い。な お 質問事項 は, 「貴行貸出 金. 中伊勢電気鉄道株式会社二対 ス )レ四百二十二万 円二対シテハ内無担保債権三 百八十八万円 ヲ 一. 部ハ優先株二,. 一. 部ハ新会社株券 ヲ 担保 ト シテ. 提供セシメ, 残額ハ名古屋乗入レニ依 )レ会社増. 収金 ヲ 以テ返済セシム )レ等二依 リ 解決 ヲ 期 ス へ. キ方針ノ趣キナルモ, 果シテ其ノ方針ノ如ク実 行シ得ラル ) レ ヤ,速二伊勢電気鉄道株式会社 ニ. 交渉ノ上其ノ結果詳細 申 出 又日本興業銀行二提. ( 305 )-.
(8) 供 セ ル 同会社株式 ノ 処置二付テハ,其 ノ 後 ノ 交 1. 伊勢電名古屋乗り入れ問題に関して上京し,銀. 渉経過併 セ テ申出 ツ ヘ シ」 ( 5ヽ) と 記されていた. 行局長,興銀総裁と会見してきた早川知事は,. (第 4 表参照)。そ こ では,伊勢電の再建を具体. 帰県 後,私の裁定案発表後の経緯を話してきた. 化していくうえでの重要な論点を指摘していた. が.「 ま だ ま だ ま と ま らないので 内容は発表出 来ない」 「新会社成立に 関 し双方会社の間で ま. のである。 193 4年 1 月下旬に早川知事は,「明年 度 時局 匡救事業費大削減対策並に伊勢電鉄の名古屋乗 入れに対する大債権者の諒解 (東京方面――引 用者注) 等」 に関して折衝のため上京した。帰. と ま らない点もあるので近 日両方から来て 貰っ てよく話 を聞き促進したい」 と語っている 《158) (2) 新会社関 西急行電鉄構想と名古屋資本の 対抗. 県 後の談話によると,伊勢電と参急の提携問題. 伊勢電の更生策,いいかえると伊勢電名古屋. は大債権者の諒解がほぽ得られたので,近 く伊. 乗り入れについての新会社構想が固 ま る ま でに. 勢電,参急,債権者の三代表者会議を 開いて最. は なお 曲折が みられた。 ほぼ新会社案が決 ま. 終決定 を なす考えであるという (155 。 ただ 「知. り, 社名も「関 西急行電鉄」 (関急電鉄) に落. 事に回答の上正式に発表,二月五日頃成立 ? 」. ち着く模様と新聞に報ぜられたのは,193 4年 8. ). と新聞に報ぜられたものの,三者が妥協点に到 達するには,ま だ相当の時 間 を要するのであっ. 月の こ とである。 早 川知事が調停役となり,新 会社の重役割当て なども折衝していたが,原案. た (156) 。その後, 早川知事の斡旋によって 裁定. ではほとんど大軌 ・ 参急側から重役を出す こ と. 案提示と ま で進み,両社は重役会 を 開き協議し. になって いた。 ま ず 新会社構想の 決定にあた り,大軌側 4 名,伊勢電側2 名で手打ちとなっ. たものの,両社とも新会社設立に難色 を示す重 役がいて, 2月中旬には知事の裁定案承認には 至らなかった。 こ のため 2月17日に参急の井内 彦四 郎専務は知事を訪問し,「伊勢電と しては 名古屋乗入れによって 直接利益を得るであらう が,参急としては本線より遠く離れ た所謂栄養 線であるから多くの株主に満足を与へる為めに は優先的持株の按配に充分の考慮 を要する」 と して 裁定案を 承認し難い 旨 を 表明した。 ま た 「大債権者側 なる三井, 興業両銀行にも多少意 一. 見の不 致」 がみられた。 こ れらに対して,早 川知事は「私の提案を鵜呑みにされぬ事は事実 だが,井内君の訪問も優先株の問題で多少難色 (le: 脱力). のある様な話があった。早く纏らぬ事は本県財 界のためにも 交通機関の ためにも 遺憾で ある が,漸次好転している事は事実である」 と語っ ている (157) 。同年 7月になると, 四日市銀行や (154) 同上。 (155) 伊勢新聞,1934年 1 月23日付夕刊。 (156) 同上,1934年 2月1 日 付。 (157) 同上,1934年 2月18日付夕刊。なお木本政次.. 前掲書 は井内彦四郎に焦点をあてて,大軌 ・ 参急 資本の 名古屋 乗 り 入れの 経緯を 克明に綴っ てい る。とくに 197頁以下を参照。 -28. たらしい。大枠は決定したものの,次の実際的 問題として,「伊勢電が 新会社に対し現物出資 としている桑名 ・ 名古屋間の軌条鉄橋その他の 現物に対し十六銀行などが確保している担保権 は如何に解除するか, こ れが解決しない以上新 会社を作っても魂を入れない こ とになるが右に つい て は興銀の松島氏が十六銀行と懇談し誠意 ある解決を要望する模様である」 と報ぜられた ように,債権者側の了解という点で課題を残し て いた (159) 。9 月12日には, 三井,興銀両行の 伊勢電 は,補助会社の期限終了を真近かにひか えた1934年 3 月,新たに新松阪 ・ 大神宮前間に対 し,補助金下付を願い出ているが,そ こで は当時 の同社の状況の 一端を,「経費 ノ 節約ハ 申迄モナ ク 債務ノ 免除,借入金利子ノ 免除等着 々 実 現仕 リ 」 と 記して いる (「補助許可相成度儀二付申請」 鉄道省文害 「参宮急行電鉄」 巻六)。また前掲 「関 西弐百七拾会社の解剖J 1934年版による と ,伊勢 電 は 「大 口 債務に対して は昨 年十一月か ら 利子全 免をして貰ってをる」 (76頁) と い う。 (158) 同上,1934年7月21 日付夕刊。 (159) 同上,1934年8 月22日付。伊勢電整理にあたっ ての債権者側の問題と して担保付債権,無担保債 権を如何に調整するかが課題 と さ れたが,一方で これ ら は銀行間格差を象徴していたと 思われる。 C 30 6)-.
(9) 承認を得て, 改めて大軌 ・ 参急側 4 名, 伊勢電 3. いる。. 名の重役割当変更が両社から正式に早川知事へ. 10月3 1 日に,伊勢電専務半田貢は早川知事を. 回答された。重役顔ぶれの決定を待ち,10月中. 訪ね, 新会社に 関 する参急との 話し合いが 進. 旬には創立総会を開く予定としていた。約 1 カ. み,あとは伊勢電の現物出資など新会社設立準. 一. 年調停の労をとってきた早川知事は, 段落し. 備につき株主総会を開く予定と,その後の経過. た様子を「今 後は自分の手を離れ定款の決定,. を報告している (162) 。伊勢電 株主総会 は,12月. 事業の執行を着々進めるは ずで,顧みれば自分. 28日に開催されたが,これを前に参急井 内 専務. が昨年本県に着任後間もなく四日市銀行の根本. ( 63. は ,次のように語っている 1. ). 。. 的更正を図るに は 同行と密接なる関係のある伊. 伊勢電鉄が廿八日株主総会を開き,関 西急行. 勢電鉄の名古屋乗入線を実現し同電鉄の更生を. 電鉄に対する現物出資並に乗入線敷設権譲渡. 期するにあると考へ,それに は大軌,参急両電. の決議を終れば大軌,参急としては既に 一 切. 鉄との提携を図る必要ありと本県 の経済関係,. の手続きを済 ま しているので,明春早々正式. 交通運輸関 係,四日市銀行,伊勢電鉄に重大関. に関 西急行電鉄会社を創立し新会社発起人か. 係ある県民の福利増進のため斡旋に乗り出した. ら改めて鉄道省に対し名古屋への延長線敷設. とこ ろ ,幸ひ各方面が 同情を以て援助されたの. につき許可申請の予定であるから,その許可. で今日の如く新会社更生の喜びを迎へ得たわけ. あり次第直に工事に着手するがその時期は 多. で県 民のため慶賀に堪へない」 (160) と 語ってい. 分二月末か三月早々にならう,同延長線工事. る。 1 週間後に大軌 ・ 参急社長金森又一 郎 は ,. に は 少くも一 年半を要し,軌条は 伊勢電鉄と. 早川知事へ謝礼の挨拶に訪れた。そこで 「新会. 同様の七十五 ポ ン ド を使用するが,建設費 は. 社に対する出資,重役等の問題で総会を開く必. 用地買収費を加へ約八百五十万 円を要する見. 要 はなく重役会だけできめ得ることになってい. 込みで,既に用地買収その他に約三百万 円 を. る,……参急と伊勢電との連絡地点 は 津,一身. 支出しているが今 後 尚 ほ 五百五十万 円 は必要. 田何れとも ま だ決定していない, ユッ ク リ 研究. である,従 つて桑名 ・ 名古屋間の全通 は早く. して からでも良いと思っている」 (161) と述べて. も昭和十一年末か十二年早々頃にならうと思. (160) 同上,1934年9 月13日付夕刊。広瀬知事を はじ め,歴代三重 県知事の事績 について は,歴代知事 編纂会 「 日本の歴代知事」 第二巻 く下> (同会, 1981年) 103 頁以下を参照。また 中 日新聞連載の 「風雪百 年」 ( 1 - 126, 1976年) の 中で 伊勢電関 係や三重 県下の交通関係の ト ビ ッ ク スが数回取り 上げ ら れており,興味深い ものがある。 (161) 同上,193 4年9 月21日付。 この 年5月に 伊勢大橋が完成し,名古屋を中心 とする 小貨物 は漸次 ト ラ ッ ク 輸送に 奪われてい く 。これ らの対策のため,桑名土木 出張所で は, 同年9 月26-28日の 3 日間 伊勢大橋交通量調査を 行っている。その結果 は,次のとおりである (同 上,1934年10月 2 日付)。 桑名か ら 名古屋方面行き △歩行者89 1 △牛馬 4 △人力車 2 △ 自 転 車 2, 33 0 △荷車53 △牛馬車 27 △ 自 動 自 転 車68 △自 動車84 △貨物 自 動車 226 名古屋か ら 桑名へ来る もの △歩行者83 2 △人力車 2 △ 自転車 2,79 2 △ 荷車44 △牛馬車14 △ 自 動 自 転車75 △ 自 動 車99 △貨物 自動車244 -29. ふ,尚 ほ省線名古屋駅構 内への乗入は 地下線 によるが,その駅は新築される名古屋駅に南 接し省線名古屋駅からも出入りし得るといふ 頗る有利且つ便利な場所が得られた上に,地 下鉄とは言ひながら最も浅い地下鉄なのでエ 事費も非常に安あがりに出来るので大変好都 合である, … … 兎に角延長線全通の 暁 は 名 ・ 阪間,名古屋 ・ 山田間を ス ビ ー ド アッ プで連 絡し地方産業,交通上に貢献すること多大な る は 信じて疑 はないとこ ろ である どうやら,193 4年12月段階で伊勢電整理案は 興銀主導のもとに,大軌 ・ 参急を一方の主役と して ま と ま りかけていたようである。 井 内 談話 にみえる「大軌,参急としては 既に一切の手続 きを済 ま している」 というのは,次の骨子を指 (16Z) 同上,193 4年11月 1 日付夕刊。 (163) 同上,193 4年12月23 日付。 ( 30 7)-.
(10) すもの と思われる (164) 。 1.. 新会社, 関西急行電鉄株式会社 (資本金. 気鉄道株式会社更生 ノ 為メ緊急事ナルモ, 目 下. 渡する と と も に, 用 地, 土工, 橋梁, 機械. 通 ノ 利害関係ヲ有スル参宮急行電鉄株式会社並. 円)を設立し, 伊勢電鉄は養老線および揖. 新会社, 養老電鉄株式会社 (資本金 500万. 設立 シ , 株式会社 日 本興業銀行並二株式会社三 井銀行 ノ 援助 ノ モトニ 本線ヲ 建設経営セムト. 参急は. 伊努電鉄を吸収合併 (比率1 対. 電鉄株式会社へ之ヲ譲渡 ス )レモ ノ ナリ」 と いう. な どを現物出 資する。. 3.. 4.. 出され た 。 申 請の経緯は, 「本線建設ハ伊勢電. 820万円 , う ち参急出 資 500万円)を設立し.. 伊勢電鉄は名古屋延長線敷設権をこれ に譲. 2.. 勢電免許権 (名古屋・桑名間)の譲渡 申 請が提. 斐線を こ れ に現物出 資する。 1 ) する。. 伊勢電鉄は. 岐阜県 に対する債務 (当時. 建設予定であ っ た岐阜延長線の国道長良川. 橋梁併用 分担金75万円)を, 関 西急行電鉄. ノ 状情上単独ニテ建設困難ナルヲ以テ, 之卜共. ニ 大阪電気軌道株式会社卜相協カ シテ新会社ヲ. ス , 肋テ金森又 一郎外七名 ノ 発起セル関西急行. こ と であ っ た (166) 。新会社の 収支 予 測および他. 線への影響調査 (1935 年 3 月)は, こう記され. て い る (167) 。. 昭和 十年三月七 日. 株式 1 万5 , 000株の提供 により弁済する。. 関 西急行電鉄営業収支 予想並. 12月28 日 の伊勢電株主総会では. 十六銀行 に. 他線二及 ボ ス 影響調査. 係る訴訟問題や東洋電機製造会社 に係る問題 に. 名古屋 ・ 桑名間開業後 ノ 成績. つ い ての質問が出 たが, 前者は近 日 中 に解決の. 本区間二於 ケル関係ハ, 嚢二昭和 七年十月. 答して いる。第 2 号議案「桑名, 名古屋間鉄道. タルモ最近 ノ 判 明 スル実績ヲ夫々 引 用 シ 大. 見込み, 後者はすで に解決し た と半田議長は回. 調査 (詳細ハ当時調査 ノ モ ノ 参照)ヲナ シ. 敷設営業免許権 ノ 譲渡及之二伴 ヒ 現物出 資ヲ為. 体前方法二基キ之ヲ調査 シ タルニ, 益金二. ス 為メ 当会社 専務取締役半 田 貢卜 関西急行電. 於テハ大差ナ シ , 只 ダ前調査 ノ 際ハ建設費. 鉄株式会社発起人総代金森又 一郎ト ノ 間二締結. 予 算額ハ七百五十万円ナリ シ ガ, 今回ハ九. シ タル仮契約書 ノ 承認並二之力履行及実行二必. 要ナル事項ハ取締役会ニ. 百万円 ノ 予算ニ シテ百五十万円増加 シ タル. ー. 任 ス )レ コ ト」, 第 3. 号議案「資本金参百六拾万円増資決議取消 ノ 件. —昭和六年六月二十五 日 第三十九回定時株主 総会二於テ決議 シタル名古屋線建設資金二充当. 為, 建設費二対 ス )レ益金割合ハ約三分四厘 (前調査 ヨ リ 五厘低下)ヲ示 ス ニ至 レ リ. 二 他線二及 ボ ス 営養並影署. 伊勢電気鉄道既 成線二対 シテハ約 二十 一万. ス ル為メ丙種優先株式発行ニ ヨ ル増資ハ期限内. 五千円 (前調査 ヨ リ 三万八千余円増), 参. 二 成立セ サリ シヲ以テ之ヲ取消 スモ ノ ト ス 」は. 急及 大軌 ノ 両社合算 シテ 約十五万 六千円. 題は合意 に達し た 。 そして, 参急 と 同様, 伊勢. ナルモ, 省線二与 フル打撃見積額ハ大約百. 滞りな く 承認された <165) 。 ここ に 両社の提携問. 電も新会社設立への具体的な詰めは重役会 に 委. (前調査 ヨ リ 約二万円余増) 程度 ノ 営養卜. 万円 (営業費ヲ控除セ ズ) ナリ. ね ら れるこ と にな っ た。1935年 1 月譲渡人伊勢. と こ ろ で, 伊勢電が債権者側の了解を得て大. 金森又 一郎の連名で, 鉄道大臣内田信也宛へ伊. 名古屋線建設へ と奔走して い た と こ ろ , ま た ま. (161) 桜谷勝美, 前掲 論文, 29頁。 前掲「近幾日本 鉄. き た。以前か らも, その動きがあ っ たこ とはす. 電 専務半田 貢, 譲受人関西急行電鉄発起人総代. 歩み」 24頁。 道 50年 の ( 165) 「 伊勢電気鉄道 株式会社 第 四 拾六回定時株 主総 会 議 事及 決議録」 (鉄道 省文 書 参宮 「 急行 電鉄 く関西急 行 電鉄 >」 巻ー)。. 軌・ 参急資本 と 提携して新設の関急電鉄 による た名古屋方面の電鉄会社か ら 横槍的運動が出 て. (166) (167). 「鉄道敷設営 業免許権譲渡 許可申請 書」 (同上)。 「関西 急行 電鉄 営 業 収支予想並他 線 二 及ボ ス影 響調査」 (同上)。. -30 C 308 ) -.
(11) でに指摘して き たが,改めて具体化 し たのは.. 翌 6月になると,伊勢電の名古屋乗入線は,. 193 5年 5月のことで,愛知電鉄を近 く合併する. 大軌 ・ 参急案のほかに,前述の愛電社長藍川清. 名岐鉄道がさらに交通統一の 目 標の下に伊勢電. 成らによる名岐鉄道の既設線(弥富から津島線. との提携を画し,秘かに株式買収工作に着手し. を迂回する) を利用する乗入線がかなり具体化. たと新聞に報ぜられた (1 68) 。名岐鉄道幹部の 意. しており,その予備案はすでに主務省へ提出さ. 向は,「伊勢電鉄と大軌, 参急が提携して 名 古. れていることがわかった。そこで, 6月 6日富. 屋乗入れを実現せんとするは中京に関 西側の勢. 田 愛次郎 三重県知事は 藍川 愛電社長らを 招致. 力が侵入する も ので打撃である,名古屋,桑名. し,乗入案の聴取を行ってい る。藍川は「名岐. 間の電車連絡は名岐線を弥富から桑名に延長伊 勢電と連絡すべしの案を有し,これが実行方法. 任の立場にないからこの点は明確に確答するこ. • 愛電合併は未だ効力の発生を見ず,従って責. としては伊勢電の絶対多数の十八万株を買収し. とは出来ない 」と答えた。なお.. 大軌参急の提携を破棄せしめて伊勢電整理を引. 城興銀総裁は,この計画予定線を実地に調査す. 6月 7日に結. 受け,同社債二千万 円 のうち無担保の八百五十. る由が報ぜられた (169) 。名古屋 (柳橋) を基点. 万 円を三割減額せしめ五 ケ 年 賦無利息で償還す. に岐阜,犬山.津島方面など広範な地域に路線. る,しかして弥富,桑名間の建設費は伊勢電株. を形成していた名岐と三河,知多方面へ路線を. 払込みを断行してかつ相当社債を起してやると. も っていた愛電は, 193 5年 8月に合併し,名古. いふ」点にあったとみられる。この点に 関し,. 屋鉄道 (2 代) となるが,合併当時の同社路線. 伊勢電側の某有力者は,こう語ってい る。すな. は第 3 図のとおりである (170) 。それはと も かく ,. わち,「名岐方面の意向は 感情的の 大軌参急排. 新たな名古屋乗り入れ問題に直面した井内参急. 斥案で実現性はな い.たとへ十八万株の買収は. 専務は,次のとおり 「名岐鉄道との連絡は真っ. 可能とする も 伊勢電線と名岐弥富線とを結ぶこ. 平」と語った (171) 0 伊勢電の救済策として一大根幹をなす名古屋. とは無謀である.伊勢電は軌道七十五 ボ ン ド 電 力千五百 ボ )レ ト であるが,名岐弥富線は四十五. 乗入れ問題に対し名岐 早鉄の積極的工作によ. (鉄坦. ボ ン ド ,八百 ボ ル ト であり,桑名,名古屋間の. る弥富連絡案は到底考慮の余 地はな い ,さ き. 直線に対して津島へ迂回 するは数哩の遠廻りと. に参急と伊勢電とによって創立された 関 西急. なる.かつ伊勢電の払込みは絶対しないから同. 行電鉄が未だに主務省より認可なきは伊勢電. 整理案は出来るわけはない,富田知事(早川知. の旧債を如何にして返済すべきかとい ふ一点. 一. 事の あとを 継ぐ 第30代 三重県知事 �引用者. において多少の行悩みがある結果に外ならな. 注) に も この間の情況を述べたがよく諒解して. い ,即ち名古屋乗入れによって伊勢電が多大. くれた,月末には東京へ出て鉄道省に も 陳情す. の利益を収め旧債を返済し得る も のでなけれ. る」と。千田名岐支配人は.この問題につ いて 多くを語ることは避けたいとしながら も ,そう いう空気が社内にあることは認めている。 ま だ 重役会にかける ま でに至っていないという。し かし,一方で 「提携が出来れば双方に有利」と みており, 「軌道の ボ ン ド. ・. 電圧の 差等は問題. でない 」とした。そして, 「伊勢電の 内容につ いては十分調査した上でなければ引受けて整理 出来るかどうか判らぬ」と コ メ ン ト している。 (168) 新愛知,1935年5月24 日付。以下. この辺の記 述 は同紙 による。 -3 1. (169) 同上,1935年 6 月7 日付 (170) 愛電 と 名 岐の合併論 は,早く は1929年,1932年 頃 に も み ら れたが,実 現 に 至 らなか っ た。 これ ら は,本文で も述べたよう に,当時の名古屋を中 心 と する 交通調整問題 と も 絡んで いたと 思われ る。1934 年に至り,名古屋地方において は 「名岐 と 愛電 と合同する こ と が交通統制の根本問題であ る と い う結 論」 に達し,名古屋商工会議所副会頭 青木鎌太郎の 斡旋で合併に 踏み切る こ と に な っ た。当初 は名 岐社長の跡田直ーが新会社の社長 に 就任する予定であ ったが,合併を待たず に病死し たため,愛電社長 藍川 清成が その地位についた (前掲 「名古屋鉄道社史」 188- 20 2頁)。 (111) 名古屋新聞,1935 年 6 月11日付。 ( 309 ) -.
(12) (第3 図) 名 古 屋 鉄 道 線 路 図 名 古 屋鉄道 の 路線. (昭和 1岡こ 8 月 現在). =. 宕 1111 ( !JIil. .... 合11来肩翼II. —. 鰊. 含11輝 ( !I 糟 ) 田 書 I責 遺 ti 地 11 糟. 皐. 注) 名古屋鉄道株式会社社史編纂委員会 「名古屋鉄道社史」 2 03 頁 に よる。 ばならぬ, しかるに伝へられているが如き弥. 急行線と併行する省線共同様の 懸隔あり賃金. 富より津島を経由 の名岐との連絡は距離に於. においてまt時間に おいて到底比すべ き で な. て関 西急行予定線の. 一. 六キ ロ に対 し二五•四. (配道). キ ロ と九キ ロ 長く, 最も交通頻繁 の名古屋=. い, ただ名岐電鉄が連絡によって利益を得る のみで伊勢電と し てより効果を期待 し得ざる. 四日市間では三八 キ ロ に対 し 四八 • 六 キ ロ と. のみか, 名古屋=桑名間に投じ た三百十六万. -0キ ロ 以上 の 迂回をとらねば ならず, 関 西. 円 を徒費することとなり, 伊勢電救済の当初. -32. ( 310 )-.
(13) の 目 的 を失 ひ 莫大 な 損害 を蒙 る わ け で, 参急. い う 。 青 木 は , 近 く 横 浜市長 に 就任す る こ と に. と し て は 最初か ら 伊勢電救済 と い ふ点 に根披. 決 ま っ て い た の で, そ の 前 に整理案 を ま と め.. を お き た る 社会的見地 か ら 理想 案 を 立て今 日. 伊勢電問 題 は 最終的決着 を み る と 新 聞 に報ぜ ら. に 至 っ た も の で, こ こ に 至 っ て 名 岐電鉄の提. れ た (177) 。 同 年 7 月 末,. 携云 々 を持 出 す こ と に 対 し て は あ く ま で排撃. の 名 古屋乗 り 入れ は , 鉄道省前 田 監督 局 長 の 談. し , 当 初 へ の 目 的貫徹 に あ く ま で も 邁進す る. と し て 「青木氏の横浜市長就任 前 に 許 可」 と 伝. も のであ る. え ら れ た の で あ る (178) 。 青木 は ,. (鉄道). 長 引 い て い た 関急電鉄. 8 月 3 日 に横. 浜市長 に 就任す る が. こ の 日 鉄道省監督局長室. 愛電社 長 の 藍川 の 方 は ,. 「躍起の 奔走」 を し. が <172) ,. 伊勢電専務 半 田 貢 は. に 関 係者が 集 ま り , 青木整理案 に よ っ て 関急電. 「伊勢電の 意 向 と し て は 債権債務関係 も な け れ. 鉄 の 設立 な ど を骨子 と す る 伊勢電整理が決定 し. ば, 伊勢電の株主で も な い 無縁 の 愛電 の 要 求 に. た 。 い わ ば第 2 ラ ウ ン ド と し て の 名 古屋側 の 動. 応ず る た め に折角 に苦心惨憎 し て 成 立 さ し た 関. き も , こ こ に 立 ち 消 え と な っ た の で あ る 。 正式. 西急行電鉄案 を放棄す る こ と は で き な い 相 談で. 決定 の 前 日 . 早 川 前知 事 に続 き , こ の 問 題 に 尽. ていた よ う である. <173). こ れ は , 名 岐 と の合. 力 し て い た 富 田 知 事 は 「伊勢電, 参急両電鉄の. 併直前 の 動 き で あ る か ら , 愛電単独で も ア タ ッ. 合併条件, そ の 後 の ゲ ー ジ の 問 題等 は 原則 的 に. あ る」. と 述べ て い る 。. ク し た の か と も 思 わ れ る 。 あ る い は合併後 の イ. 青木案が成立 し 名 古屋乗入れ も 許 可 さ れ た 後専. ニ シ ア テ ィ ヴを考慮 し て の 動 き で あ ろ う か。 と. 門 的 に 考究 さ れ る 問 題で. 根本 さ へ決定す れ ば. 「愛電の 要求」 を 問 題視 し な か っ た伊. 附随 の 問 題 は 漸次解決が つ い て 行 く か ら 心 配 は. も あ れ,. 塾電側 は, 一方で 「名 岐鉄道の弥富駅 で名 岐線. な い」 Cl7 9) と 述べ て い る 。 次 に 長文を い と わ ず. と 連絡す る く ら い の こ と は し ひ て拒否せぬ」 <174l. 青木案 を 紹 介 し て お こ う. と 語 る 者が 出 る と い っ た 状態 で 内 部統. ー. 1 0) 0. 青木周 三氏 ノ 裁定 セ ル伊勢電整理案要項. がで き. 第壱条. ていたわけではない。. ( 8. 伊勢電ハ 養老線 ヲ 分離 シ 現物 出 資 二. さ き に, 伊勢電 は 名 古屋乗入線 の 権 利 を 関急. ヨ リ 資本金五百万 円 ( 内 金弐百五十万 円 払. 電鉄へ譲渡す る こ と を 申 請 し て い た が , 議会開. 込済) ノ 新会社 ヲ 設立 シ , 現 二 伊 勢電 力 保. 会 中 で審議が遅れて お り , そ の 間 に 「権利譲渡. 険団 二 対 シ 負担 ス )レ 債務 (養老線担保) ヲ. は 開 店休業 中 の 四 日 市銀行 の更生 に 重 大 な 関 係. 新会社 二 承継 セ シ ム )レ モ ノ ト ス. が あ る か ら , 三重県財界 の た め に も 伊勢電債務. 前 項 ノ 新会社ハ 参急 二 於 テ 之 ヲ 経営 ス )レ モ. の 整理を確立せ し め ら れ た い」 と 投書 し た 者が. ノ トス. 出 て認可が遅れ て い た と い わ れ る の 不統. ー. <17 ) 5 。. 足並み. 第 弐条. ヲ 受 ケ タ ル ト キ ハ 直 チ ニ 同 社 線 ノ 強 制管理. は , 大軌 · 参急側 も 同様で, こ と に 取. ヲ 解除 シ , 且 同 社 ノ 残額債務 二 対 シ テ ハ 利. 締役の 1 人五島慶太は 反対派の急先鋒 で あ っ た と い う 。 加えて,. 「合併屋」 の 井 内 参急専務 と. て建設資金 お よ び整理資金 の 調達 に は苦慮 し て い たのであ る. (176). 。 こ の よ う な 状況下で,. 4月. 下旬 に は 関 係者が東京で会合 し , 鉄道大臣 内 田 信也 の 内 意 を う け た 青木周 三元鉄道次官 に 伊 勢 電整理案 の 作成 を 一 任す る こ と と な っ て い た と (172) 同上, 1935年 6 月 25 日付。 (173) 同上, 1935年 6 月 29 日 付。 (170 同上。 (175) 同上。 Cl76) 木本政次, 前掲書, 232頁以下。 -33. 保険団ハ 新会 社 ヨ リ 金 百万 円 ノ 償還. 率 ヲ 低下 ス )レ モ ノ ト ス 第参条. 参急ハ新会社 二 対 シ 前条 ノ 償還資金. (117) 名古屋新聞, 1935年 6 月 29 日 付。 (178) 伊勢新聞, 1935年 7 月 31 日 付夕刊。 (179) 同上, 1935年 8 月 2 日 付夕刊。 (180) 「青木 周三氏ノ 裁定セル伊勢電整理案要項」(前 掲鉄道省文書)。 後述す る が, 鈴木清秀 「交通調整の実際」 (交 通経済社, 1954年) に よ る と , 伊勢電の債務合計 は 1 , 890万円, う ち 減額263万円, 代物弁済額 324 万円, 現金債務額 1 , 303万 円, 外に 岐阜県寄付金 96万 円 と な っ て い る (279頁)。 C 311 ) -.
(14) トシテ金百万円ヲ融通シ, 残額債務二対シ テハ新二保証人トシテ参加 ス )レモノト ス. 第四条. 三井, 興銀ハ伊勢電 二対 ス )レ債権ノ. 利 率ヲ低下 スルモノト ス. 三 参急ハ伊勢電従事員ヲ新規採用ノ形式 二依 リ 引 継 ク モノト ス. 第拾弐条. ハ誠意ヲ以テ協カ ス )レモノト ス. 第五条 伊勢電ハ四日 市二対 ス )レ債務ノ内,. 三 重鉄道株式会社株式ヲ担保ト スルモノ ニ. 付テハ担保物件ヲ提供シテ債務ヲ完済 スル. モノト ス. 第六条 四日 市, 明 治ハ伊勢電二対 ス )レ無担 保債権ヲ半額 二切下 ク ルモ ノト ス. 第七条 伊勢電ハ前条 二依 リ 切下 ケラレタル 債務ノ ー半ハ現金ヲ以テ支 払 ヒ , ー半ハ新. 契約書. 青木周三氏ノ裁定セル伊勢電気鉄道株式会社. 整理案(以下整理案卜称 ス)実行二関シ伊勢 電気鉄道株式会社(以下伊勢電卜称 ス )卜参 宮急行電鉄株式会社(以下参急卜称 ス )トノ. 間 二契約ヲ締約 ス )レ コ ト左ノ如シ. 第壱条 伊勢電, 参急両社ハ別 紙整理案ヲ承 認シ同整理案ノ 目 的達 成ノタメ誠意ヲ以テ. 会社又ハ関西急行電鉄株式会社 ( 目 下設立. 発起中=以下関急卜称 ス )ノ株式ヲ額面ヲ 以テ弁済二充当シ之力債務ヲ完済 スルモノ. 協カ スルモノト ス. 第弐条 参急 ヨ リ 債務償還資金トシテ伊勢電 ニ対シ融資 ス )レ金百弐拾五万円, 及養老新. トス. 会社二対シ融資 ス )レ金百万円ノ 利率償還期. 前項ノ償還資金百弐拾五万円ハ伊勢電ノ所. 有 ス )レ養老線新会社株式 五万株, 及 ビ其他 ノ残余財産ヲ担保トシテ参急 ヨ リ 融通 ス )レ. 限方法等 二付テハ追テ協定 スルモノト ス. 第参条. 明 治対伊勢電間ノ新株券発行請求訴. 訟ハ, 伊勢電 ヨ リ 明 治 二対シ関急株式四千. 得)レモノト ス. 第四条 伊勢電ノ優先株卜交換 スヘキ社債ハ 左記要項二依 リ 参急二於テ 引 受 }レモノト ス. 株ヲ提供シテ和解 スルモノト ス. 一社債総額. 第九条 岐阜県二対 スル寄付金問題ハ, 伊蟄. 一社債ノ利率. 付テハ, 担保物件又ハ関急株ノ提供其他適 当 ノ方法二依 リ 債務ヲ完済 ス )レモノト ス. 第拾壱条. 本整理案ノ各項確定ノ上ハ伊勢電. ト参急トハ合併シ, 伊勢電ハ解散シ参急ハ 存続 スルモノト ス 合併条件ノ主要ナル事項ハ左ノ如シ. ー 合併ノ比率ハ伊勢電壱株二対シ同額払 込済参急株壱株ヲ交付 ス )レモノト ス. 二 伊勢電ノ優先株( 甲 乙種共)五万株ハ. 優先権並累積配当ヲ放棄セシメ, 普通株. ト同様ノ取扱ヲナ スモノト ス, 但シ優先. 金弐百五拾万円以内. 年参朱(但発行 後昭和拾弐. 年末日 迄無利息). 電参急両社ノ合併前 二円満解決ヲ為 スモノ トス. 第拾条 伊勢電ハ本覚書 二記載セ ザ)レ債務二. 伊勢電ハ整理案中ノ債務ノ処理二付. テハ昭和 拾 年拾弐月末日 迄二相手ノ承諾ヲ. モノト ス. 第八条. 本整理案実行二付キテハ各関係者. 一償還期限. 八ケ 年(但弐ケ年据置). 一其他必要事項ハ別 二協定 ス. 前項ノ払込金ハ直 二参急二預入 スルモノト ス 第 五条 伊勢電整理確定ノ上ハ伊勢電, 参急 両社ハ直 二合併ノ手続ヲナ スモノト ス, 但. 伊勢電ハ参急トノ合併 二関 スル主要事項其. 他整理案遂行二必要ナル事項ヲ昭和拾 年拾 弐月中 二株主総会ヲ招集シ承認ヲ求ム ルモ. ノト ス. 右契約ヲ証スル為メ本書弐通ヲ 作 成シ当事者. 各壱通ヲ保有 ス. 昭和拾 年拾弐月拾壱日. 株主ノ希望ニ ヨ リ 株金払込額卜同額ノ社. 伊勢電気鉄道株式会社 専務取締 役 半田. 債(昭和拾参年 ヨ リ 年参朱以内)卜 引 替. 交換ス )レ コ トヲ得)レモノト ス. 参宮急行電鉄株式会社. -34. C 312 ) -. 貢.
(15) 取締役社長. 金 森又 一 郎. をり二百五十万 円 は払込金. 二百五十万 円は. 青木整理案の 決定に よ って, 「中京財 界 の 癌. 借入金となっているので借入金返済の方法と. とせられた四日市銀行を更生」 させる道も開か. し て半額払込みの 十万株を発行 し て, 内五万. れたといえ よう。 当日の主な 出 席者は. 債権者. 株百二十五万 円 を四日市銀行百万 円 , 明治銀. 側 の三井銀行今井常務. 興銀小竹理事, 会社側. 行に廿五万 円 の割合で借入金 の担保に入れ,. より大軌種田 専務, 参急井内専務. 伊勢電半田. 百万 円 (四万株) は参急が肩代り し て保険団. 専務, 鉄道省 よ り前 田 監督局長. 大山総務課長,. に現金で払 ひ強制管理から免れ更生すること. 早川 業務課長お よび富 田三重県 知事, 調停者青. になつている. 木周三らであった。 整理案の根幹は. 伊努電養. また名古屋乗入れ の 関 西急行電株の資本金は. 老線を独立経営 (参急主導に よ る養老電鉄の新. 八百二十万 円 と し内五百万 円 は優先株を発行. 設) せ しめ. かつ名古屋線を新会社へ譲渡 し て. し て参急側が引受け半額の二百五十万 円 を払. さらに整理案の各項確定のうえ. 懸案の参急と. 込み. 三百二十万 円 は伊勢電鉄の現物 出資と. 伊勢電は合併すると し た点である。 合併条件は. することになつたが桑名, 名古屋間 (廿三キ. 対等で. 大軌 ・ 参急からの 出資と伊勢電側は現. ロ 四) の乗入線建設には伊勢電鉄の現物 出資. 物 出資に より新会社 関急電鉄を設立すると し て. 三百二十万 円 以外に六百五十万 円を要 し参急. いる。 翌 日 の地元紙は. こ の 会社 の意義を 「大. 側 の払込み二百五十万 円 では四 百万 円 足らぬ. 阪. 中 京交通連絡に画期的な変革を及 ぽす」 「大. ので. これは三井. 興銀が低利で融通 して呉. 軌, 参急, 関急 ト ラ ス ト 形成」 と し て大々的に 報 じ ている (181) 。. り 次第建設に 着手 し ,. (3). 伊勢電鉄更生整理と関 西急行電鉄 の 誕生. 青木周三の尽力に よって. 伊勢電整理の大網 は決定 したが, まだ解決されねばならぬ課題も. れることに話が纏まった ので鉄道省の認可あ 遅 く も昭和十二年 秋. (明後年 ) までには複線 (一部単線) で開通 させる計画である 次にゲ ー ジ を広軌狭軌 の 何れにするかについ. 少なくなかった。 以下. 伊勢電整理案決定後の. ては今後技術的方面と採算上から研究の上決. 状況をみることから始めるが, まず井内参急専. 定する考へだが. 鉄道省と しての統制の方針. 務はその見通 しをこう述べていた <182) 0. もあることだから何れになるか今 のところ 自. 伊勢電鉄に対 し三井. 興銀が有する債務の利. 分から言へない, 参急. 伊塾電の合併後の資. 子 引下げ. 養老線に対 し保険団(三菱海上火. 本金は参急三千万 円 . 伊勢電一 千八百万 円 ,. 災. 東京海上火災. 明治生命— 引用者注). 計四千八百万 円 の大会社になるわけで. 伊勢. の有する債務の利子引下げ. 岐阜県 と伊勢電. 電の 優先株十株を普通十五株に振り替へ合併. との間に係争 中 の 寄 附金百二十万 円 の善後処 置等は決定に至らず残 っているが三井, 興銀. は対等の 条件とするといふ話もあるが. そう. も伊勢電の実状に鑑み貸付金 の利子を三朱位. すると伊熱電の資本金は 尚 ほ百余 万 円 増加す ることになるがそれは未だ決定的にな ってい. に引下げるよう雅量を示すことにならうと期. ない. 待 している. また保険団も養老線に対する貸. 合 併 の 暁は宇治 山 田 市へ省線と共に三本も入. 付金利子を三, 四朱見当に引下げるはずであ. つて競争する必要はないので早川前知事は参. るから. 岐阜県との係争問題も何とか妥協 し. 急, 伊勢電何れかの津. 山 田 間を廃線にせ よ. て速に 円満解決を告げることにならうと思ふ. と言 つていたが, 真逆津から廃線にも 出来な. 養老線は分離独立 して養老電鉄と称すること. いけれども何れかの松阪, 山 田 間を廃線にす. になる見込みで. 建設費は五百万 円 を要 し て (181) (182). ることは免れない, 何れになるかはゲー ジ問 題 の決定如何に よるだらう. そ してそ の廃線. 伊勢新聞, 1935 年 8 月4日付。 同上, 1935 年8 月7日付夕刊。. を 関 西急行の名古屋乗入線に使用することは -35. C 313)-.
(16) 常石的 と見て良か ら う と 思 ふ. ま た参急 と伊勢電の結合点を何れにするかも. 未決定だが, なるぺ く なら津から一 身田の間. にしたいが之れ亦技術 と 採算の関係 が あるの で何ん とも言へない. 兎に角整理案にも と づ く. 一 切の実行準備には少. く も本年内は要する. 見込みだが. 合併 後は大軌 ,参急,関西急行.. 養老電鉄 と四電鉄のトラストが出 現し我国最. 月 中か遅 く とも来月末 までには覚をつける意向. の様 だから, 永ら く の懸案も今度 こそはいよい. よ解決するもの と 信 じている, 優先株問題も大 垣共立銀行はすでに諒解済みであり同行の親銀. 行の 安田銀行さへ 承認すれば 解決 するのだか. ら, こ れも もはや解決したやうなものだ」 <186). と 。 内容は後述する が, 2 日後に整理委員長青. 木周 三, 日 本銀行武井名 古屋支 店長らの努力に. 大最長の私鉄 となり関西, 中 京を結んで交通. より大垣共立銀行 と の間に伊勢電優先株問題は. こ の整理案確立に努力され た 青木周三氏, 富 田現早川前知事には大いに感謝しなければな. され た (187) 。11月24日には 上京中の富田知事が. 運輸経済上に貢献する と こ ろ 大であるだけ,. らない. 青木整理案の決定によ っ て, 伊塾電の再建は. 関係者の協力を得て進められてい く が, 何より. の課題は債権者 と協議して伊勢電の莫大な債務. を整理する こ と であ っ た。193 5年 9 月初旬には. 整理案を作成した 青木横浜市長が 早期解決をめ ざす ため来県しており, 伊勢電整理に伴う諸問. 題の 調停にあ た っ た (183) 。関急電鉄の認可は遅 れてい た が, その原因の1 つは伊勢電に対する. 三井, 興銀の利率問題が未解決 だ っ たからであ. る。こ の問題については青木周 三 (委員長) の代. 理 (副委員長) として元鉄道省経理局長, 前満鉄 理事十河信二 (種田虎雄の盟友, 戦後第 4 代 国. 鉄総裁) が 中心 となり, 鉄道省側も加 わ っ て大 軌 ・ 参急側 と伊勢電側の調停に努めている <184) 0. 同年 9 月27日の参急重役会で伊勢電の三井. 興. 銀に対する負債総額780 万円 (三井銀行650 万円.. 興銀130 万円)の金利 が 決 ま っ た と 伝えられ た。 また伊勢電優先株 甲 乙合 わせて 5 万株 ( 甲 1 万. 株,. 乙 4 万株), 250 万円は 社債で 振替える こ. とに 決ま っ た.. と 岡本 伊蟄電常務は語 っ てい. る (185) 。同年11月20 日 に 伊勢電重 役伊坂秀五郎. 代議士は. 県庁で関急電鉄の認可ならびに伊勢. 電優先株問題につき, 頗る楽践視している と 述. べ た。 すな わ ち , 「鉄道省へ急速に認可される. やう何回 とな く 要望した結果, 当局 と し て も本 ( 18 3) ( IBO (185). 同上, 1935 年 9月 9日 付。 同上, 1935 年 9月 11日 付夕刊。 同上, 1935 年 9 月 29日 付夕刊。 -36. 円満な解決をみ た, と 岡本常務から正式に発表 (186). 同上, 1935 年11月 21日 付夕刊。 伊坂代議士 は, さ き に 次 の よう に 語っていた こ と を付記 して お く (同上, 1935 年8月 31日 付夕刊 。 ) 伊勢電鉄 が三井, 興銀 から借入れてい る千数百 万円 の金 に 対 し従来は利払 ひ も出来なか つた の で無利子状態 とな っていたが今回 の理案 整 によ り伊勢電鉄 は参急と合併す る こ と に な つてい る と 三井, ので合併 の暁は多少 と も 利子を支払へ 興銀 が要求 し, 之れ に 対 し 伊勢電 は 関 西急行電 鉄 が名古屋乗入 線 の 建設を終れば 営 業状態が良 く な る見込みだがそれま で は参急と合併 しても 営 業状態が良 く な る訳でな いから従来 の 如く無 利子 に して 置 いて 貰ひた い と 言 ひ, 利子 の問題 の 結果がつかぬ ので鉄道省 も認可を見合 してい るわ けだが, 同利子 の問題 も近 く 双方 の 妥協 で 決定を見 る はずだ し, 元来内田鉄相 は 関 西急行 電鉄 は早 く 認可する意向なんだから先 日 も前 田 監督局長 に 早 く 片付 けて 呉れと 頼んだ 次 第 で, 何れ に しても 極く 最近 に 認可 さ れる こ と は間違 ひな い, 伊勢電 と参急が合併後 伊勢電 の 松江, 大 神宮間を廃 線 に す る と いふ ので 地元が騒 いで い る そ う だがそ の問題は廃 線 に して 同 軌 条を 関 西急行 の 名古屋乗入 線 に 利用 して はと 言ふ話は ぁ ったが決定 してい るわ けではな いから騒 ぐ必 要 もなから う , 然 し現在 の同区間 は複 線 とな つ てい る が合併後複 線 の 必 要があ る と は考 へ られ な い ので, 之を単 線 に して 単 線 だ け 関 西急行 の 乗入 線 に 利用する こ と に すれば 関係 地方 も廃 線 に ならな いから困らぬ し, 双方都合が良 いと い ふも の だから いろ いろ研究された上決定するだ らう (187) 同上, 1935 年11月 23日 付夕刊。 伊勢電で は, 12月 1日 から桑名・ 大 神宮 前 間 の ° スヒ ード ア ッ プをめざ し, 特急電車 (午前 中桑名 から 大 神宮 前 へ 2本 , 午後 大 神宮前 から桑名 へ 2 本) を走らせ る こ と に なる。超特急は 「ハ ッ ヒ 」 カ 「 ミ ジ」 と命名 さ れた。 同区間 の所要 時間は特 急 1 時間25 分, 急行 1 時 間37 分, 準急 2 時 間, 普 通 2 時間8 分で あ った (同上, 1935 年11月 23. 29 日付 。 ). (314 )-.
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