日本銀行の歴史を中心に
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(2) 金 (IMF)の定義をもとに、現代において中央銀行が果. いる役割は国によって若干異なる。以下では、国際通貨基. うかをチェックする。万一金融危機が起きたときには、必. リングし、金融システム全体が安定的に機能しているかど. (. 要 に 応 じ て 最 後 の 貸 し 手 ( レ ン ダ ー・ オ ブ・ ラ ス ト リ ゾ ー. (. たしている役割を整理してみたい。. ト)として行動する。これをプルーデンス政策と呼ぶ。. 札)を発行することである。二つ目は顧客─中央銀行の場. 政府にお金を貸したりすることを行っている中央銀行もあ. さらに、外貨準備の管理を行っている中央銀行もあり、 また、政府の銀行として、政府から預金を受け入れたり、. 以上の三つが中央銀行の役割の主要な部分を占めている。. 合は主として銀行─から預金を預かり、その口座間の振替. る。. 給や信用の量─ここで信用というのは、民間の銀行が顧客. ヨーロッパではユーロ─の価値を維持するために、通貨供. ようになった。. 中央銀行は当初から上記のような役割を担っていたわけ ではなく、長い年月をかけて、今日のような役割を果たす. 一 中央銀行の起源. にどのくらいお金を貸すか─を調節することである。. いる。そこで中央銀行は、民間の金融機関が提供している. う。その一方で、その受け入れたお金を元手にして、ほか. 第一に、預金を受け入れて貸し出しをする、金融仲介で ある。顧客からお金を預かり、元本を保証して、金利を払. 大きく分けて二つある。. 預金の価値が失われないように、金融機関の経営をモニタ. るわけではなく、民間の金融機関が重要な役割を果たして. 第三の役割は、金融システムの安定性を維持することで ある。一国の金融システムは中央銀行だけで成り立ってい. 当然ながら、中央銀行は銀行である。では、そもそも銀 行はどのような仕事をしているのだろうか。銀行の仕事は、. 表示に使われる通貨単位─日本では円、アメリカではドル、. 第二の役割は、マクロ金融政策である。自身が発行する 銀行券の額面や、銀行が顧客から預かっている預金口座の. によって、取引の決済を行うことである。. 目は多くの人が取引に使用することができる銀行券 (お. 第一の役割は、決済サービスの提供である。現在におけ る決済サービスの具体的な内容は二つに大別される。一つ. (. 120.
(3) いて、請求があれば価値のある資産と取り換えることを約. てあり、日本銀行がお札を持っている人から債務を負って. はお札などの現金である。お札には「日本銀行券」と書い. れているお金は、主に二種類に分けることができる。一つ. 客がさまざまな資金の決済をするときに使える。現在使わ. 体的には「流動性」あ 第二に、決済サービスの提供(、具 ( るいはお金を提供することである。現金や銀行預金は、顧. 事となる。. 切に評価する、つまり信用リスクの管理が銀行の重要な仕. うが、その際、お金を借りる人 (債務者)の信用状態を適. 余っている人と足りない人を仲介するので、金融仲介とい. 額が、銀行の付加価値あるいは収益の源泉になる。資金が. 受け入れた預金に支払う金利と貸出から得られる金利の差. 価 (審査)し、リスクに応じた金利を受け取る。顧客から. の顧客に貸し出しをする。このとき借り手の信用状態を評. 過程で両銀行が中央銀行に保有している預金口座の間で資. の取引銀行から売り手の取引銀行への送金が発生し、その. 中だけで完結するが、取引銀行が異なる場合には、買い手. り手と買い手が同じ銀行と取引していればひとつの銀行の. 口座に、買い手の口座から送金する。この送金は、もし売. ラーや住宅販売会社─が取引している銀行の売り手の預金. 書を受け取った銀行は、商品の売り手─例えば車のディー. 商品を買うときに現金で支払わない方法もある。例えば 人々が家や車を買うときには、普通は現金で払わず、預金. 現金は商品と逆方向に世の中を巡っている。. 銀行にある自分の預金口座に入金する。このようにして、. の預金が増え、民間銀行はATMで入金された現金を中央. 行のATMに入金する。その結果、民間銀行にある商店主. する。売り手である商店主は、その日の売上をまとめて銀. 金を引き出して、その現金でさまざまな買い物の支払いを. の口座振替依頼書を自分の取引先の銀行に提出する。依頼. 束している。お札というかたちで流動性を供給しているの. さまざまな商品が生産者から消費者に渡る間に、商品の 流れと反対方向にお金が流れ、その際に銀行が果たしてい. は、究極的には中央銀行ということになる。民間の銀行は、 金が移動することになる。. ら現金を引き出して、自行のATMに入れておく。買い物. る役割が、決済サービスと呼ばれるものである。. 必要があれば、自身が中央銀行に保有している預金口座か. をするために現金が必要な人はその銀行に保有している預. 121. (.
(4) ロッパで最初に銀行券を発行したのは一七世紀の中頃、ス. 代 ( 元 禄 年 間 )に あ た る 一 六 九 四 年 に 設 立 さ れ た。 ヨ ー. の中では、イングランド銀行が有名で、日本では、江戸時. 一七世紀になると、振替銀行の一部が、政府から認めら れて銀行券の発行を行うようになった。こうした振替銀行. 利用して決済を行っていた。. 通貨単位で示された額の預金として受け入れ、その口座を. 表され、さまざまな通貨を一定のレートで換算して単一の. 流通していたが、振替銀行の口座はある一つの通貨単位で. なっていった。当時のヨーロッパでは、さまざまな通貨が. る。 こ う し た 振 替 銀 行 は、 遠 隔 地 間 の 決 済 も 行 う よ う に. の振替によって取引の決済を行う銀行が現れたとされてい. 的な商品流通の中心都市で、顧客から預かった預金口座間. 日本では室町時代頃にあたる当時のヨーロッパでは、広域. 中央銀行の原型は、一五世紀頃にヨーロッパで生まれた 振替銀行といわれている。イタリア・ルネッサンスの時代、. は、中央銀行の歴史について、簡単に振り返って 以(下で ( みたい。. 通貨供給や信用の調整を行う責任があると、広く認識され. に使われる通貨単位の価値を維持するために、一国全体の. たイングランド銀行には、銀行券の額面や預金口座の表示. うなると、社会の中で独占的な銀行券の発行権を与えられ. の顧客に支払うことが一般的に行われるようになった。そ. なくなった。他の銀行は、イングランド銀行に預金口座を. の発行が認められ、それ以外の銀行券は事実上ほぼ流通し. ウェールズ地域では、イングランド銀行に独占的な銀行券. 四四年にピール銀行条例ができて、南部のイングランドと. の発券機能の集中・独占が進展する。イギリスでは、一八. 一九世紀に入り産業革命が進展した時期に、政府が特定 の銀行に独占的な銀行券の発行を認めるようになり、銀行. 完全には中央銀行になっていなかったと言うことができる。. 中央銀行が果たしている役割の一部を担っていたが、まだ. た。すなわち、この時期の振替銀行は、社会の中で現在の. スバンクは、現存する中央銀行の中で最古のものであるが、. スウェーデンの中央銀行であるリクスバンクである。リク. ウェーデンのストックホルム銀行であるが、同行はまもな. るようになっていった。. 持ち、必要があればイングランド銀行券を引き出して自分. 当初リクスバンクは、銀行券の発行を認められていなかっ. く破綻してしまい、その後を受けて設立されたのが現在の. (. 122.
(5) 機が発生して他の銀行が預金の取り付けに見舞われた際に、. 以下では、日本銀行の歴史について概観する。. 二 日本における中央銀行の設立. イングランド銀行がその銀行に貸出を行ってイングランド. 江戸時代の日本では、商業活動が盛んになり、ヨーロッ パとは異なる日本独自のやり方で貨幣経済が全国に浸透し、. 産業革命の時代のイギリスでは、景気の過熱とその反動 が繰り返される中で、何度も金融危機が発生した。金融危. 銀行券を渡すことで、金融危機が収まることが分かり、イ. 全国の物流を支えていた。. (. ングランド銀行には、最後の貸し手としての役割が求めら. を求められていた。ちなみに、一九一三年の法律によって. にできた日本銀行は、設立当初から中央銀行としての役割. ベルギーの中央銀行であるベルギー国立銀行や一八八二年. 半以降に設立された中央銀行、例えば一八五〇年にできた. が、やがて中央銀行になっていった。一方、一九世紀の後. 現在ある中央銀行の中で、イングランド銀行やスウェー デンのリクスバンクは、設立時には中央銀行ではなかった. れている。. る中央銀行としての役割を果たすようになっていったとさ. このようにして、まだ中央銀行ではない中央銀行の原型 が、一九世紀を通じて進化して、現在われわれが知ってい. う銭貨の単位しか使わないところもあったとされている。. ては、匁や両の単位を使わず、高額の取引も含めて文とい. は主として文単位の銭を使っていた。もっとも、地域によっ. ていた。また、大坂でも江戸でも、庶民は、毎日の生活に. をしていて、江戸の商人たちは金建ての両単位で商売をし. ようなもので、大坂では商人たちは銀建ての匁単位で商売. う歴史的な経緯がある。日本の中に幾つかの通貨圏がある. 代から安土桃山時代に金や銀の貨幣としての利用が広まり、. ともと中国から流入して流通していた銭貨に加え、戦国時. と供給で変動していた。こうしたかたちになったのは、も. (. れるようになっていった。. 江戸幕府が発行していたお金は、金貨、銀貨、銭貨のい わゆる三貨といわれるもので、三貨間の為替レートは需要. 設立されたアメリカの中央銀行である連邦準備制度も、設. さらに、領主や商人が金建て、銀建て、銭建てで表示され. もんめ. これら三貨の仕組みを江戸幕府が継承し、制度化したとい. 立当初から中央銀行としての役割を担っていた。. 123. (.
(6) あり、そのうち少なくとも二百程度の藩が紙幣を発行して. た紙幣 (藩札・私札)を発行していた。全国に約三百の藩が. そうした状態は、幕末開港を契機に大きく変化した。一 八五四年の日米和親条約に続いて、一八五八年に日米修好. く、経済取引は国内で完結していたと言える。. いた。煩雑な仕組みのようにも思われるが、歴史的な経緯を. 踏まえ、当時はそれなりに合理的な制度とみなされていた。 通商条約が結ばれ、一八五九年から横浜などが開港する。. 幕府は海外との経済取引を厳重に制限しており、日本は 閉鎖経済の状態にあった。長崎などで貿易取引は行われて. 発展を遂げていたということができる。. 仕組みとは異なるが、日本独自の金融システムが存在し、. 約を結んで決済を担うという仕組みだったと言える。今の. いた。現代風に表現すると、個々の金融機関がお互いに契. 両替商同士の付き合い─コルレス取引─によって行われて. 央銀行は存在せず、離れた地域間の資金の決済は、個々の. めとするさまざまな物資が全国的に取引されていたが、中. いった本業とあわせて、金融業を兼営していた。米をはじ. を 持 ち、 三 井 で あ れ ば 呉 服 屋、 住 友 で あ れ ば 銅 の 精 錬 と. 割を果たしていた。両替商は、金融以外にそれぞれの本業. こうした一見すると煩雑な制度を円滑に運営する役割を 主に担っていたのが両替商で、現在でいう銀行のような役. 一五三行つくるが、その後方針を転換し、一八八二年に、. いるとして、お札を発行する複数の民間銀行=国立銀行を. た。その手段の一つが、近代的な通貨金融システムを確立. 「富国強兵」をスローガンに自 明治維新後の新政府は、 国の独立を維持して欧米主要国に追いつくことを目標とし. さらされていた。. 抑えられていたので、日本の産業界は、厳しい国際競争に. 税自主権がなく、開港後のいきさつによって関税率が低く. チャンスが生まれた一方で、日本は不平等条約によって関. の商人と自由に取引ができるようになり、大きなビジネス. な貿易が開始されたことで、国内の商人にとっては、外国. 川口地区に外国人居留地がつくられた。諸外国との本格的. ができ、神戸は大きな貿易港となり、大阪でも現在の西区. 最初は横浜と長崎と函館、続いて他にもいくつかの開港場. いたが、対外的な取引は政府によって厳格に管理されてい. ヨーロッパで制度として確立しつつあった中央銀行をつく. することであった。最初はアメリカの制度が日本に適して. たので、一般の商人が自由に対外的な取引をすることはな. 124.
(7) 当 時 の ベ ス ト セ ラ ー で あ っ た 福 沢 諭 吉 の『 文 明 論 之 概 略』を読むと、国の独立を維持することが目的であり、西. 行を新たにつくって、当時すでに営業していた国立銀行等. 国の心臓である」という趣旨のことを述べている。中央銀. るという選択をした。. 洋の文明を採り入れることはその目的に達するための手段. とコルレス契約を結ばせることで、日本全国に「経済の血. 日本銀行ができたときに大蔵卿(現在の大蔵大臣)であっ た松方正義は、 「通貨は一国の血液であり、中央銀行は一. である、ということが書かれている。. いた。. 内の生産資源、具体的には資本や労働を近代化に向けて動. した。一方、「殖産興業」を旗印に産業政策を実施し、国. 幕藩体制から引き継いだ藩札や藩債などの政府債務を整理. の背景には、ベルギー国立銀行以前につくられた国立銀行. ギー国立銀行の法律の条文を参考にして作られていた。そ. 下で銀行業務を営むこととされた。日本銀行条例は、ベル. 一八八二年に日本銀行条例が制定された。同条例によれ ば、日本銀行は半官半民の金融機関であり、政府の監督の. 液」ともいえるお金を円滑に循環させることが構想されて. その過程で明治政府は、さまざまな改革を実施した。ま ず、財政構造改革を実施した。秩禄処分や地租改正などを. 員し、あわせて海外の先進技術を導入してこれを既存の技. は、はじめから中央銀行としてつくられたわけではないた. 通じて、財政支出を削減し、税収を確保するとともに、旧. 術と融合させることで生産性の向上を図った。その際、国. ギー国立銀行は中央銀行として単一の法律によって作られ. 内資金を効率的に動員するための有効な手段とされたのが、 め、 法 律 の 形 式 が 整 備 さ れ て い な か っ た の に 対 し、 ベ ル 中央銀行をつくることであった。. に参考になったという事情があった。. たものであり、当時の日本が法体系を整備する上で、非常. 一八八一年、日本銀行ができる前年の日本の金融機関を みると、国立銀行のほか、私立銀行というお札を発行しな. 織形態はそれまでの日本にも存在したが、西洋の制度を採. い民間の銀行もあり、最大の私立銀行は三井銀行であった。 日本銀行条例下の日本銀行は、一言でいえば、政府の監 督権が強い株式会社であった。なお、株式会社と類似の組 それ以外にも銀行類似会社といって、両替商等を起源とす. る商人が金融業を営んでいた。. 125.
(8) 総裁は天皇が任命し、副総裁は政府が任命し、理事は株主. あった。日本銀行も国立銀行と同様に株式会社であったが、. り入れた最初の本格的な株式会社は、先にみた国立銀行で. 度はほぼ完成したということができる。. へ移行した。従って、一九世紀末には、日本の中央銀行制. は、日清戦争の賠償金を準備資産として、念願の金本位制. 移行したのは、一八九九年である。この間、一八九七年に. (. ない民間銀行とすることとされた。. 立認可後二〇年が経過した時点で、お札の発行権限を有し. 銀行設立前にお札の発行が認められていた国立銀行は、設. て、列強の一員である新興の帝国として国際社会で認知さ. 的には欧米主要国と対等な関係になり、アジアで帝国の版. 現れた。不平等条約の改正に成功し、日本は少なくとも法. 日本における中央銀行制度が確立した一九世紀末から二 〇世紀の初頭になると、日本を取り巻く外部環境に変化が. (. 三 軍事費の調達と中央銀行. 総会で選ばれるが大蔵卿が任命することとされ、政府が監 督官を派遣するなど、さまざまな規制がかかっていた。一 方で、兌換銀行券の発行権限を持つほか、普通の銀行と同. 日 本 銀 行 は、 設 立 か ら 三 年 後 の 一 八 八 五 年 に 紙 幣 ( 日 本 銀行券)の発行を開始する。当初は銀行券を銀貨と兌換で. れるようになった。. 様に、さまざまな金融ビジネスを営むことができた。日本. きる銀本位制であった。この当時アジアでは銀貨が国際通. 図を拡大していく。日清・日露戦争、第一次世界大戦を経. 貨として流通していたので、銀行券の発行準備資産として. を進め、中央銀行だけが紙幣を発行するシステムに完全に. 実現には時間がかかった。国立銀行紙幣や政府紙幣の回収. 府は、当初から金本位制を導入する意思を持っていたが、. ヨーロッパの大国は金本位制を採用していたため、日本政. 整備を行う必要も高まる。「強兵」つまり軍備増強にお金. 国内産業を育成し、植民地を経営し、鉄道などのインフラ. ていく。軍部から一層の軍備増強の要求が出てくる一方、. 国」と「強兵」のどちらを優先するかという相克が強まっ. たため、金本位制ではなく銀本位制としたといわれている。 位を維持するためのコストがかかる。政府としては、「富. 主に銀貨が入ってきた一方、金貨はあまり入ってこなかっ. こうした対外環境は、中央銀行としての日本銀行の役割 にも変化を及ぼした。対外的な地位が向上すると、その地. (. 126.
(9) ことはできなかったと考えられる。このとき欧米市場で資. をするが、仮にそれができなかったら日露戦争を戦い抜く. 争のときに、日本政府は欧米の金融市場で巨額の資金調達. が高まるという期待があったとされている。実際、日露戦. ると、金本位制に移行していた方が海外投資家からの信用. 額の資金調達ができるようにすることであった、言い換え. 金本位制移行の隠れた目的の一つは、仮に将来大きな戦 争を戦う─このときの主な仮想敵国はロシア─場合に、多. の日本経済の成長鈍化として現れてきた。. したが、その代償は、銀本位制から金本位制に移行した後. てしまうことになる。日本は一八九七年に金本位制に移行. を使うと、「富国」つまり経済開発に使う資金は限定され. 日本にとって第一次世界大戦は、正貨危機から脱出して高. も米騒動が起こるなどした。しかし、全体として見ると、. たん解消した。同時に、世界的にインフレとなり、日本で. は高成長と経常収支黒字を達成し、国際収支の制約はいっ. る中で、代わりに日本が輸出を伸ばした。この結果、日本. 輸出していたアジアの植民地への輸出が事実上ストップす. 輸入する必要があった。また、今までヨーロッパの国々が. に生産ができないため、日本やアメリカから多くの物資を. ことができるようになった。ヨーロッパの国々は戦争を戦. ここで第一次世界大戦が起き、状況が一変した。日本は 輸出主導で高成長を達成し、同時に豊富な外貨を獲得する. 追い詰められ、正貨危機と呼ばれた。. うために軍事物資を大量に消費する一方、国内で思うよう. 金調達をしていた責任者が高橋是清 (当時日本銀行の副総 (. 成長の機会を与えてくれた「天祐」だったと言える。なお、. (. 裁)で、彼はこの時期から金融家として頭角を現していく。. してくれなくなって正貨が減ってきてしまった。第一次世. をつけて返さなければならず、海外の投資家もだんだん貸. とで、一時的に正貨が積み上がったが、借りたお金は利子. が 下 落 す る 中 で、 ブ ー ム を 当 て 込 ん で 巨 額 の 設 備 投 資 を. 第 一 次 世 界 大 戦 後、 欧 州 に 平 和 が 訪 れ る と、 日 本 で は ブームが終了し、金融不安が起きた。景気が停滞し、物価. 題とはされなかった。. 第一次世界大戦中に、アメリカが金本位制を停止したのに 日露戦争が終わった後も日本の経常収支赤字は継続した。 続いて日本も金本位制を停止したが、このときはあまり問 日露戦争時に外債を発行して海外から資金を取り入れたこ. 界大戦の直前になると、日本はデフォルトの一歩手前まで. 127. (.
(10) くの会社が、経営不振に陥った。. 行ったり、商品を大量に買い込んで在庫を抱えたりした多. の収束に力を尽くした。. 金融恐慌 (昭和金融恐慌)が起きた。日本銀行は、最後の. ルとして採り上げられたことがきっかけとなり、大規模な. 木商店の手形だけは決済されないまま残っていた。一連の. 形は復興が本格化するにつれ徐々に決済されていくが、鈴. 割り引いた鈴木商店の手形がとても多く、しかもほかの手. 行が震災手形の中身を精査してみると、なぜか台湾銀行が. たが、これが震災手形として認められた。半年後に日本銀. 商店では、台湾銀行に大量の手形を割り引いてもらってい. ば神戸を本拠に台湾などで活発な活動を展開していた鈴木. 会社の振り出した手形も震災手形として認められた。例え. 営が苦しくなっていて、関東地方にも事業所があるような. たが、悪用された。もともと第一次世界大戦後の不況で経. が回復したところでそれを返済してもらうという趣旨だっ. 引いた手形で、こうした手形の決済期日を延ばした。経済. た企業が振り出した手形や震災で被害を受けた銀行が割り. 一九二七年の金融恐慌の後、不良債権処理と金融制度改 革が加速した。例えば、金融機関のモニタリングを行う日. たと言える。. 相克に直面し、これが日本銀行の政策にも影を落としてい. この時期の日本経済は、 「成長」と「安定」という新たな. それが限界に達したとみるべきではないか、としている。. 第一次世界大戦後から引きずっていた問題であり、ついに. 真の原因は一九二七年になって新たに生じたわけではなく、. 一九二七年だったのではないかと述べている。金融危機の. て、それが徐々に大きくなっていて、その限界が来たのが. 理しなくてはならない不良債権がずっと未処理となってい. を「弥縫策の限界」、つまり第一次世界大戦の後、本来処. 済新報』のエコノミストであった高橋亀吉は、この出来事. このように、一九二七年の金融恐慌の直接のきっかけは、 鈴木商店に対する融資を巡る政争だったが、当時『東洋経. 貸し手として民間銀行に対して大規模な融資を行い、危機. そこへ関東大震災が発生し、日本経済にとってさらにマ イナスの影響が加わった。関東大震災の際に日本銀行は、. 震災手形処理法案が一九二七年に議会に提出されたが、こ. 本銀行考査という制度ができたのはこのときであった。銀. 震災手形という制度を作った。これは、震災で被害を受け. の法案の審議過程で台湾銀行の救済が政治的なスキャンダ. 128.
(11) 九二七年の金融恐慌以降、金融機関の合同が加速した。こ. 行数は、一九〇〇年前後には二〇〇〇を超えていたが、一. らはいずれもその後のマクロ経済学の教科書に出てくる典. 円安を放任し、財政支出を拡大し、金融を緩和した。これ. テランの大蔵大臣で、就任と同時に金本位制から離脱して. 伸びた。さらに、高橋財政という名前のとおり、財政支出. れによって、金融システムの安定性が回復した。日本にお. 金融危機から脱出した日本は、一九三〇年に金本位制に 復帰した。一九二〇年代においては、第一次世界大戦前に. の拡大を実施した。ひとつは公共事業 (時局匡救)費、も. 型的な景気刺激策である。. 安定していた金本位制を回復するのが国際的な目標になっ. う一つは満州事変の軍事費の支払いであった。金融緩和に. いてプルーデンス政策が確立したのは、この時期であった. ていたが、当時の主要国の中で日本だけが復帰を果たせず. ついては、公定歩合を引き下げ、あわせて日本銀行が国債. ということができる。. にいた。一九二七年の金融恐慌の処理が一段落し、金融シ. を直接引き受けることにより国債の価格を維持して、低金. このときの円安は、今日でいうと、一ドル=一〇〇円が 二四〇円になったほどのインパクトがあり、輸出が大きく. ステムが安定して準備が整ったことで、遅ればせながら一. 日本が金本位制に復帰したこの時期は、世界恐慌が世界各. 財政支出が世の中に散布されて十分にお金が世の中に行き. 市場で消化できないため、いったん日本銀行が買い取り、. 九三〇年一月に金本位制に復帰したのであった。ところが、 利政策を実施した。いきなり大量の国債を発行しても金融. 国に広がり、勢いを増していく時期だったため、日本は世. 債を売るというオペレーションを実施した。. 界恐慌の「嵐の中で窓を開けてしまった」と言われている。 渡ったところで、日本銀行が民間の金融機関に手持ちの国 世界恐慌が拡大、深化していく中で、日本経済は深刻な不. しかも第一次世界大戦中のような急激なインフレは起きず、. 況と物価の下落に見舞われた。 ここで、一九三一年一二月に高橋是清が犬養毅内閣の大 蔵大臣に就任した直後から政策の転換がなされ、高橋財政. 短期的に見ると極めて良好な経済状態を達成した。. 高橋財政下、日本経済は他国に先駆けて回復し、第一次 世界大戦中とほぼ同じ年率+六%程度の高成長を達成した。. が開始される。高橋是清はこのとき五度目の就任となるベ. 129.
(12) 遂行という国家目的の達成を使命とするものとされた。日 一方で、この時期にもう一つ並行して起きていたことは、 本銀行は、政府の管理の下で、国内の企業・産業への信用 対外戦争にかかる軍事支出の増大である。高橋財政が始ま. 分を担う中核としての役割を果たすこととなった。. る三カ月前の一九三一年九月に満州事変が起きた。この後、 の割り当てと金融機関の監督を通じて、社会全体の資金配 一九三〇年代から四〇年代の前半を通じて、軍事支出が日. 本の金融財政政策の最大の制約となる。象徴的な出来事は、 米国をはじめとするそれまでの主要貿易相手国と日本と の外交関係の険悪化に伴い、これら諸国が対日経済制裁を. たって支出し続け、こうした中で一九四二年に旧日本銀行. の政府は、経済力の限界を超える軍事費を十年間近くにわ. 結を選択したのであった。しかしながら、日中戦争期以降. 政府は、経済力の限界を認識していたため、早期の戦争終. 支払いが行われたのは二年間だけだった。日露戦争当時の. はGDPの約二割であったが、その際は大規模な軍事費の. 一九三七年に日中戦争が勃発して以降、政府はGDPの 二割を超える軍事費を支出し続けた。日露戦争中も軍事費. 止めがかからなくなり、財政規律が完全に失われた。. されてしまったことであり、それ以降は軍事費の膨張に歯. 大に歯止めをかけようとしたところ、二・二六事件で暗殺. 需産業向けに資金を供給するための機関となっていった。. 上昇していった。日本銀行は、戦争遂行のために国債や軍. 済統制を強化するが、闇取引がまん延し、闇物価は急激に. 物価上昇の圧力を抑えるために、公定物価を低く抑えて経. から戦争末期には急激に落ち込むこととなった。政府は、. あった。政府の物資動員計画は達成できず、生産は頭打ち. た め の 合 理 的 手 段 を 欠 く も の で、 い わ ば 絵 に 描 い た 餅 で. この構想は極度に楽観的な前提のもとに立案され、実現の. 資が著しく不足するようになった。一九四一年一二月の対. ら諸国とくにアメリカに強く依存していた日本は、必需物. 強化すると、石油をはじめとする天然資源や金融面でこれ. 景気回復を確信した高橋是清が軍事費を含む財政支出の拡. 法が制定された。これは、ナチスドイツのライヒスバンク. 「 強 兵 」 が「 富 国 」 を 完 全 に 凌 駕 し、 最 終 的 に 敗 戦 と 財 政 破綻を招いたと言える。. 米宣戦布告後、政府は、大東亜共栄圏構想を推進するが、. 法をモデルとするもので、日本銀行の目的は国家経済総力 の適切な発揮を図ること、法律制定当時においては、戦争. 130.
(13) もそも海外から物資を輸入するための外貨も底をついてい. 一九四〇年代前半のGDPは一九五五年価格に換算する と七兆円台であったが、終戦直後には四兆円程度に低下し. (. 一九四五年八月、敗戦時の日本は、生産設備やインフラ の破壊、返済不能な政府債務の累増の下、制御不能なイン. た。必要とされる需要に対して、生産の水準が落ち込んだ. (. フレが進行した。これを解決するためにさまざまな方策が. ため、三桁のインフレが続いた。. た。. 実施されたが、日本の課題は、短期的には経済の復興、中. 四 高度成長と中央銀行. 長期的には、それまでの戦争遂行のための政治・経済構造. インフレにより、貸し手から借り手に所得が移転し、意 図せざる所得の再分配が発生した。当時最も多くのお金を. は、想像に難くない。日本は、国際的な経済秩序から疎外. 上ったとの認識が対戦国の国民感情を悪化させていたこと. あった。日本との戦争の中で命を落とした人が膨大な数に. よ れ ば、 最 も 死 者 が 多 か っ た の は ソ 連、 二 番 目 は 中 国 で. は、枢軸国側 Oxford Companion to World War II (1995) 一〇〇〇万人、連合国側四〇〇〇万人としている。同書に. あ っ た。 因 み に、 第 二 次 世 界 大 戦 の 死 者 数 に つ い て. 日本の国際的な地位は決定的に低下した。アメリカのほ か、アジアの多くの国々が日本を敵視する中での再出発で. 変革であった。. 体が変わり、戦前の金融政策運営の制約となっていた「強. かわらず、中央銀行が実現に向けて注力すべき国家目標自. 行から見ると、日本銀行法の大枠は変わっていないにもか. 兵」から「強兵なき富国」への路線転換であった。中央銀. 変 化 し た の が、 い わ ゆ る 吉 田 ド ク ト リ ン に よ る「 富 国 強. 一見すると中央銀行と直接関係がないようにも思われる が、戦後の金融政策の前提条件の中で戦前と比べて大きく. た。. 名目賃金を受け取る契約を結んでいた労働者は損失を被っ. 借りていたのは政府であり、政府の債務負担が大きく目減. を民生中心の構造に転換する、政治・経済秩序の本質的な. され、かつての敵国で今や日本を占領しているアメリカか. 兵」すなわち軍事費ファイナンスから解放されたことにな. りした一方、金融資産を持っていた資産家や、雇用者から. らの援助を別にすれば、海外資源に頼ることはできず、そ. 131. (.
(14) る。さらに、日本経済全体にとっては、潜在的な成長力を. が、高度成長期には+一〇%前後の状態が約二〇年間継続. 高度成長への伏線でもあったと言える。 いた。. 初頭を除けば、高度成長期は総じて緩やかなインフレが続. 解放して最大限発揮する条件が整ったという意味において、 した。物価については、狂乱物価といわれた一九七〇年代. 高度成長の要因は複合的なものであった。教育水準と勤. ことも、成長を支える要因となった。しかしながら、戦前. たとされている。また、海外市場が持続的に拡大していた. 企業の旺盛な投資意欲など、民間サイドの要因が重要だっ. 度成長の末期に日本列島改造論を引っ提げて登場し、都市. 実的ではない。一九七二年に成立した田中角栄内閣は、高. 期の現象であって、永久に高度成長が続くと考えるのは現. 終焉を迎えた。高度成長は先進国への移行過程であり過渡. 労意欲の高い労働人口、労働市場の流動性、欧米先進国と こうして日本は、一九七〇年代に一人当たりGDPで欧 の技術格差がありキャッチアップの余地が大きかったこと、 米の先進国にほぼ並ぶこととなり、その結果、高度成長は. にもこうした条件のいくつかは存在していたわけであり、. 策は抑制的で民間投資を阻害するようなことはなかった。. な低金利政策により設備投資の拡大を支える一方、財政政. 援していくという構図の中で、金融政策運営面では人為的. なったことであったとも言える。民間が主導し、政府が支. を捨てたことで、「富国」に注力することができるように. 戦前の日本経済の成長を制約していた「強兵」という目標. 早晩終わったと考えるのが妥当と思われる。. 率は鈍化したが、仮に石油ショックがなくても高度成長は. ていたと言える。その後、二度の石油ショックを経て成長. 九八五年頃まで長期にわたり 一 + 〇%成長が続くことが 前提になっており、後から考えてみれば、その前提が誤っ. 目標に掲げて人気を博した。しかしながら、その政策は一. 戦後の最も大きな変化は、軍事費の負担という重しが取れ、 部に偏在していた高度成長の恩恵を地方に還元することを. このように、高度成長期のマクロ経済政策は、旺盛な民間. を上手く乗り切り、その結果、一九八〇年代には「メイド. 日本経済は、第一次石油ショック時にはインフレと同時 に景気後退を経験したが、第二次石油ショック時にはこれ. の成長力を後押しする成長促進的なものであった。 戦前の経済成長率は年率でみて平均+四%前後であった. 132.
(15) 過程から先進国への移行を比較的スムーズに達成し、世界. みれば、日本は高度成長による先進国へのキャッチアップ. インジャパン」が良質な製品の代名詞になった。長期的に. バブルの後、不良債権問題が金融システムと金融政策運 営の制約となった。一九九七年に日本銀行法が改正され、. した。その学習過程で、日本はバブルを経験した。. 自国経済の安定を図ることであるというコンセンサスに達. 第二位の経済大国になった。. 日本銀行の目的は、物価の安定を図ることを通じて国民経. した。金融自由化の加速を金融政策運営面からみると、厳. 日米貿易摩擦をきっかけに日本の金融自由化がさらに加速. 一九六〇年代から七〇年代にかけて日本を含む先進各国 の金融市場の規制緩和が徐々に進展し、八〇年代に入ると. 日本銀行の資産総額のGDP比を見ると、長期にわたり 比較的安定していて、概ね一〇%前後だったが、非伝統的. いる。. はさまざまな非伝統的金融政策の試みをして今日に至って. (. 格な規制の下で行われていた公定歩合を起点とする金融政. 金融政策開始後は上昇し、ついに一〇〇%を超えた。こう. (. 済の健全な発展に資することであると再規定された。一九. 策運営から、自由化された短期金融市場でのオペレーショ. した政策対応にもかかわらず、マネーの伸び率は二〇一九. 五 先進国の中央銀行として. ンを軸とする市場中心の金融政策運営への転換ということ. 年一〇月までは、大体年率+三%ぐらいで安定している。. 九〇年代後半から日本はゼロ金利の状況が続き、日本銀行. ができる。こうして一九九八年に新日本銀行法が施行され. この背景として、金融政策が直接影響を与えることができ. 日本銀行の歴史を振り返ると、日本が近代世界に参入す ることとなった一九世紀後半 (第一の時代)に、一国の金. おわりに. ないような構造的な要因の存在が指摘されている。. る頃までには、金融市場の自由化と市場中心の金融政策運 営への移行が概ね完了した。 一九八〇年代後半には、日米主導により先進諸国間でマ クロ経済政策の「国際協調」が試みられた。その結果を踏 まえ、各国の中央銀行は、真の「国際協調」は、各国が同 時に金利を動かしたりすることではなく、それぞれの国が. 133. (.
(16) を供給する機関として設立された。日本が近代世界への参. 融 市 場 を 統 合 し、 経 済 発 展 の た め に 必 要 な 流 動 性 ( お 金 ). 史的実験の渦中にいるのかもしない。. 金融政策を含めた経済政策全体をどう行うべきかという歴. 期的に人口が減少し、経済規模が縮小する経済において、. 鎮目雅人「日本銀行の歴史からみた中央銀行の役割(上) 」. 〔参考文献〕. 入を果たし、新興の帝国をつくることを目指した一九世紀 末~二〇世紀前半 (第二の時代)には、金融市場を安定さ せるとともに、戦争のための資金を確保するために重要な 役割を果たした。とりわけ、日本が従来の主要貿易相手国. 四~二七頁. 『にちぎん』二一号(二〇一〇年春号)、二〇一〇年a、二. 鎮目雅人「日本銀行の歴史からみた中央銀行の役割(下) 」. であった米中と戦争することとなった一九三〇年代から四 〇年代前半にかけては、膨らみ続ける政府債務とインフレ. 『にちぎん』二二号(二〇一〇年夏号)、二〇一〇年b、二 四~二七頁. 圧力に翻弄され、一九四〇年代後半にはその後始末に追わ れた。第二次世界大戦後、日本が経済成長を国家の目標と. 年冬号) 、二〇一八年、二二~二五頁. 鎮目雅人「中央銀行の起源」『にちぎん』五六号(二〇一八. リチャード・J・スメサースト『高橋是清─日本のケインズ. 再定義した高度成長期すなわち一九五〇年代後半から七〇 年代初頭 (第三の時代)には、法律上の目的には変化がな. その生涯と思想』 (鎮目雅人・早川大介・大貫摩里訳)東洋. 日本銀行『日本銀行百年史』第一巻、一九八二年. 経済新報社、二〇一〇年. か っ た に も か か わ ら ず、 一 国 経 済 の 成 長 の た め の 流 動 性 ( お 金 )を 供 給 す る 機 関 と し て 復 活 し た。 日 本 が 先 進 国 と. 日本銀行『日本銀行百年史』第三巻、一九八三年b. 日本銀行『日本銀行百年史』第二巻、一九八三年a. 主な目的は、一国経済の成長のための流動性供給から国内. 日本銀行『日本銀行百年史』第四巻、一九八四年. なった一九七〇年代以降 (第四の時代)には、日本銀行の. 経済の安定へと変化した。. 日本銀行『日本銀行百年史』第六巻、一九八六年. 2016,” Tor Jacobson, Daniel Waldenström and Rodney. Masato Shizume, “A History of the Bank of Japan, 1882-. 日本銀行『日本銀行百年史』第五巻、一九八五年. 時代の変遷とともに日本経済の在り方や国家の目標が変 わる中で、中央銀行に求められる役割も変化してきており、 現在も変化の最中にあるのかもしれない。われわれは、長. 134.
(17) Edvinsson eds., Sveriges Riksbank 350 Years: A Central Bank in a World of Central Banks, Cambridge University Press Studies in Macroeconomic History, 2018a, 328-360. (Goals and Instruments) in Japan: From the Central Bank. Masato Shizume, “Historical Evolution of Monetary Policy of an Emerging Economy to the Central Bank of a Mature Economy,” Battilossi, Stefano, Youssef Cassis and Kazuhiko Yago eds., Handbook of the History of Money and Currency, Springer, 2018b. ( ) International Monetary Fund (2008), Monetary and ( https://www. Financial Statistics, Compilation Guide: imf.org/external/pubs/ft/cgmfs/eng/index.htm 二〇 二〇年一一月五日アクセス) 。. ( ) 鎮 目(二〇一〇a)二七頁。 ) 以 下の記述は、とくに断りのない限り、鎮目(二〇一 八)に依っている。 4. (. (. ) 以下、江戸時代日本の貨幣経済については、日本銀行 金融研究所貨幣博物館『常設展示図録』 ( https://www.. ( 5. ) ス メサースト(二〇一〇)一六九~二六五頁には、こ. いる。. ) 本節の記述は、とくに断りのない限り、日本銀行(一 ( 2018a )に依って 九八三a、b、一九八四) 、 Shizume. imes.boj.or.jp/cm/collection/tenjizuroku/ 二〇二〇年 一一月五日アクセス)を参照。. (. の時期の高橋の詳細な活動が記されている。 (. (. 催、黒正塾 第一七回秋季学術講演会「日本金融史への招 待」 (二〇一九年一一月一六日)での講演をもとに、改めて. 〔編集委員会注記〕本稿は大阪経済大学日本経済史研究所主. (しずめ まさと・早稲田大学政治経済学術院教授). Shizume. ) 本 節の記述は、とくに断りのない限り、日本銀行(一. (. 7. ( 2018a )に依っている。 九八六) 、 Shizume ) 本 節 の 記 述 は、 と く に 断 り の な い 限 り、 2018a,) bに依っている。 8. 執筆いただいたものである。. 135. 1. 2. 3. 6.
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