Title
沖縄大学の四十年
Author(s)
狩俣, 真彦
Citation
沖縄大学紀要 = OKINAWA DAIGAKU KIYO(15): 23-25
Issue Date
1998-03-01
URL
http://hdl.handle.net/20.500.12001/5820
沖縄大学紀要第15号(1998年)
沖縄大学の四十年
狩俣真彦
大嶺哲雄、宇井純の両教授が今年(一九九八年)四月、六五才の定年をむか えることになった。両教授とも今後三年間特任教授として講義を続けることに なっているが、この折に、両教授の足跡、沖縄大学の今日、沖縄の状況等を簡 単にスケッチすることによって、両教授に対する謝意にかえたい。 大嶺哲雄教授の定年を祝うパーティーが、さる四月、波の上の神宮会館で行 われた。主催者は、教授のゼミや卒業生OB達であった。教授の多彩な研究や 学内外での活躍を反映して、学生や卒業生以外にも学外の多数の政治家や文化 人、県や市の職員が出席し、泡盛をくみかわしながら、四十年に及ぶ教授との 交流の思い出を語り合うことができた。 大嶺教授は ̄九六一年に沖縄大学に就任し、生物学や科学概論、環境科学等 を担当して今日に至っている。大学外でも、看護学校や他大学で講師を勤めた ほか、多数の審議会の委員を歴任している。 沖縄大学は法経学部と英語科しかないので、研究室も十分な備えがなく、多 くの点でご苦労なさったことを心苦しく思っている。今後の三年間が、より充 実した教育と研究の日々であることを期待している。いずれ私も共に沖大を去 ることになるが、その際に改めて若い日の思い出を語りあかしたい。その為に も、健康に御留意いただきたいと願っている。 宇井先生は、一九八六年四月に沖縄大学教授に就任された。それ以前の二十 年余を東大の助手として活躍されており、特に七十年代の日本の公害問題に若 い情熱を傾けて取りくんでこられた。沖縄大学就任前から尊敬する伊東光晴教 授から宇井先生についての高い評価を何度となく聞く機会があった。その後も 伊東教授の論文の中に、宇井教授についてのコメントが何度かのっているので、 一箇所だけ引用することをお許しいただきたい。 -23-沖縄大学紀要第15号(1998年) 朝日の公害市民講座の第一日目を担当した私がこの組合の無力さに言及した 時、罵倒とも言える野次がとんだ。労働組合=革新=正義という信念の下に、 公害は労働組合の力によって、階級闘争によって抑えられるという革新の人か らであった。 この時、聴衆の中にいたある人が、このことをコラムに書いた。人伝てに会 うことになり、あの組合批判で私はあなたを信ずるようになった、と言われた。 二昔前の、未だ多くの人に知られることの少なかった宇井純氏との出会いであ る。(伊東光晴『現代経済の変貌』) 沖大では、宇井教授は公害論や沖縄の環境科学、教養ゼミナール等を担当し ながら、沖縄の環境問題全般についても指導や批判を続けてこられた。宇井先 生についても、心苦しいのは、貧乏大学で先生の社会的貢献、特に国際的な貢 献について、支援よりも制約ばかりが多かったのではないかという点である。 その点については、大嶺先生同様に御礼を申し上げ、今後の御健康を祈念いた したい。 次に沖縄大学の今日について述ぺることにする。沖縄大学は一九五八年に短 大として出発したので、今年四十年を迎えることになる。本来ならば四十周年 の記念行事を催すことになるが、来年度(一九九九年度)に短大を改組して、 国際コミュニケーション学科と福祉文化学科より成る人文学部がスタートする 予定であり、人文学部の出発に合わせて記念行事を一年間おくらせることになっ ている。 沖縄大学の歴史として四十年は、例えば京都大学が一九九七年に百年を迎え たことを思えば、そんなに短い年月ではない。第二次大戦前の沖縄には高等教 育機関がなかったことを考えると、琉球大学につぐ沖縄大学の創設は沖縄史に 特筆されるべきモニュメントであるし、また大学としてはたしてきた役割も大 きかった、と考えている。今後の四十年も更に発展を続けることを願いたい。 その頃の沖縄はどの様な状況にあるだろうか。今年、沖縄では七月に参議院 選挙と十一月に知事選挙が予定されている。両選挙の中心となる争点は、普天 開基地の移設問題である。本来ならば「外交は水際まで」といわれる通り、こ -24-
沖縄大学紀要第15号(1998年) の問題は国民的課題として与野党の合意をえて外交問題として対米交渉に当た るべきである。それが沖縄問題として、県民の負担にすりかえられつつあるの は残念なことである。 二十一世紀前半のアジア諸国の政治経済の課題は、アジア・ユニオンの構築 である。アジア・ユニオンの構築によって国家主義の克服を期待したい。アジ ア・ユニオンの中で沖縄も沖大も生きのびて繁栄を続けてもらいたい。これは 私の願望である。 -25-