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『黒田宗信伝来文書』「上棟之巻」の翻刻と紹介

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1. はじめに 幕府作事方大棟梁・甲良宗賀から黒田宗信なる人物 が相伝し、その後加賀藩大工・池上延世が書写した史 料『(甲良宗賀伝来目録)』は江戸建仁寺流系大工技術 書 の 基 幹 本 と 考 え ら れ る 重 要 史 料 で あ る( 河 田 1988:751-753)。 同書と密接な関係を持つ『黒田宗信伝来文書』が近 年、竹中大工道具館に収蔵された。前述の黒田宗信が 書写したもので、池上延世が書写した『(甲良宗賀伝来 目録)』の原本と考えられる内容を含んでいる。同文書 の概要については『建築史学』71号にて紹介している (坂本2018)。 『(甲良宗賀伝来目録)』のうち設計技法を記した「木 割」に該当する巻については『近世建築書堂宮雛形2 建仁寺流』に翻刻が掲載されているが、他の内容は知 られていないので、本稿では『黒田宗信伝来文書』の うち建築儀式の所作や飾付けを解説する「上棟之巻」 を取り上げ、その解題と翻刻を掲載し、研究の基礎資 料としたい。 1.1 甲良宗賀と関係する大工について 甲良宗賀(1628-1717)は幕府作事方大棟梁を代々 務め、建仁寺流を称した甲良家の三代である。豊前を 称し、作事方大棟梁として江戸城の各種普請、元禄度 日光東照宮造替修復など幕府関係の重要工事三十件以 上を手がけ輝かしい実績を残した。 黒田宗信については、池上家との関係から見て加賀 藩御大工を輩出した黒田家に属する人物と目される が、詳細な事績は不明である。黒田家には、建仁寺流で はなく他方の四天王寺流を加賀藩にもたらし加賀藩御 大工も務めた黒田正重がおり、またその子孫と親戚の 渡部家・栗林家の系譜もある程度知られているにもか かわらず、関連資料に「宗信」の名は見い出せていな い(正見2011)。 池上猪右衛門延世(?-1790)は加賀藩にて加賀八家 の一つ奥村家(嫡流)の作事方上級職を勤めた池上家 の第7代であることが判っている。6代政致の婿養子 で、京都大工頭中井方に学んで建築の故実に通じ、多 くの技術書を集成した人物である(内藤1994:153、正 見2012:3)。 概 要 本稿では竹中大工道具館所蔵の大工技術書『黒田宗信伝来文書』のうち、建築儀式を解説する 「上棟之巻」(1684年成立)を取り上げ、その概要と翻刻文を紹介した。「飾之事」「備物飾之事」で は各種儀式用具の供え方や由来について、「上棟行列之事」では参加者の順序と装束について、 「役人所作之事」「釿初之事」では所作について記しており、内容も具体的かつ詳細であって、建 築儀式を研究する上での基盤となる資料と評価できる。 キーワード 黒田宗信、甲良宗賀、大工文書、建築儀式

『黒田宗信伝来文書』

「上棟之巻」の翻刻と紹介

坂本忠規*、加藤悠希** * 公益財団法人竹中大工道具館 主任学芸員 博士(工学) ** 九州大学芸術工学研究院環境デザイン部門 准教授 博士(工学)

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写真1 黒田宗信伝来文書一式(左)  写真2 同 上棟之巻(右)  池上家は同じ加賀藩作事方御大工を務めた栗林家か ら三代新左衛門正次を婿養子として迎え入れている。 この栗林家はまた黒田家とも姻戚関係を持っていた (正見2011:1470-1472)。黒田家ならびに栗林家は18世 紀に入り衰退したため、親戚であった池上家に黒田家 の文書が伝世していたのかもしれない。 1.2 体裁と巻名 巻子本で、表紙は茶地金襴緞子、見返しに金箔貼、本 紙裏地に銀切箔、軸には象牙という豪華な装幀である (写真2)。法量は広げた状態で35.0×624.0cmである。 題簽の文字は損耗が激しいが、「上棟之巻」と読める ので、これを史料名とする。内題には「上棟釿初」とあ り、上棟式だけではなく、釿始式をも含む内容となっ ている。 目次は無いので、見出しを拾うと次の通りである。 ① 飾之事、② 備物飾之事、③ 上棟行列之事、④ 役人所 作之事、⑤ 釿初之事、⑥ 柱立之事 巻頭には序文が記されており、巻末には甲良宗賀に よる奥書が記されている。奥書には貞享元年(1684) 伝授の年記があり、成立年次があきらかである。 1.3 関係する文書について (1) 『上棟巻』1 『(甲良宗賀伝来目録)』として紹介される全7巻の文 書に建築儀式に関する文書は含まれていないが、静嘉 堂文庫(東京)には同様に池上延世が写した『上棟巻』 1巻が残されている(以下、池上本と呼称)。 筆録年次について記載は無く、内容はこの後紹介す る『黒田宗信伝来文書』「上棟之巻」(以下黒田本と呼 称)とほぼ同一である。一部異なるのが奥書部分で、黒 田本では甲良宗賀自筆の奥書と押印があるのに対し、 池上本では、次の通り奥書文の一部が差し替えられて おり(下線部)、筆録年や印・花押も無い。 (黒田本奥書) 件一巻者、家業ノ中大ナル規式ニメ而、職長輩不 レ可レ不レ 知祇ニ、今黒田氏甚七郎宗信慕 二予所業一、且夕ノ悃勉 有レ可レ令二称美一、因レ茲父祖授受之書并加自録以テ 許焉。 貞享元甲子年十一月二日 甲良豊前宗賀(印・花押) (池上本奥書) 件一巻者、家業中大規式而、職長輩不可不知祇、今池 上子予所業、且夕悃勉有可令称美、因茲伝来授受之 并加自録以許焉。 1 静嘉堂文庫「番匠秘書類(池上家所伝)」26740甲27

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理由は不明だが、恐らくは池上延世が書写した際に 改変したのであろう。 なお本巻の奥書にのみ「黒田氏甚七郎宗信」とあり、 黒田甚七郎宗信が正式名だとわかる。かねてより加賀 藩御大工「黒田甚七」との関連性が指摘(河田1988: 772-773)されていたが、同文によりその蓋然性が高 まったといえよう。本件については、本稿の趣旨から 外れるので詳しい考察は別稿に改めたい。 (2) 『工匠式』2 現在は内閣文庫の所蔵だが、もとは幕府直轄の教学 機関である昌平坂学問所の所蔵であった。つまり大工 家に伝来したものではないことに注意したい。内容は 黒田本よりも大幅に省略されており、ダイジェスト版 ともいえる。 これまでは、ダイジェストであることを未発達の状 態と考え、『建仁寺派家伝書』に含まれる「上棟」の原 本だと考えられてきたが(河田1988:758-759)、奥書 に印が無いことや筆跡の違いから甲良宗賀自筆ではな く写本と見られること、奥書の年次が「貞享二年秋」 で、黒田本の年次が「貞享元年」で早いことを考え合 わせると原本とする従来説の再考が必要と思われる。 (4) 『建仁寺派家伝書』「上棟」3 甲良家伝来の技術書の中でも最も完備した内容を持 つとされる(以下、家伝書と呼称)。延宝五年(1677) から宝永頃(~1710)にかけて四代宗員が、父宗賀や 叔父宗俊の著述を清書するかたちで編纂されたと考え られている(河田1988:746-751)。 『(甲良宗賀伝来目録)』の後継本と位置づけられて おり、黒田本と比べると内容は合致するが、記述や表 現に違いが多く見られ、補足箇所も多い。 さらに奥書には「宗俊」と記名があり、宗賀の弟・宗 俊が手を入れたことを窺わせる。 家伝書には元禄元年(1688)の神社上棟の記録であ る「上棟三段品」の巻が含まれているが、黒田本の方 が成立が先であるから当然ながら含まれていない。 以上の関連文書との比較を通して、筆録経緯が詳し く検討できるものと考えるが、本稿の趣旨を外れるの で、別稿に改めたい。 2. 各項目の概要 2.1 序文 上棟について各種あり、時期についても棟上げ後や 竣工後に実施する例や軽重あることを述べ、ここでは 「真」の上棟、つまり最も格上の上棟の作法について解 説するとしている。紫宸殿などの宮殿や堂社では竣工 後に行うことが通例であったらしい。 2.2 飾之事 弓矢や幣、振幣など儀式用装飾具についての解説で ある。 悪魔降伏のために飾る弓矢は今日と変わらず、鏑矢 を丑寅の方角に、雁股を未申の方角に合わすが筋とす る。ただ棟木の両端に置くのが常法だが、これだと堂 社の向きによって弓矢の配置が見苦しいことになる場 合があるので、方角があっていれば良いのではないか としている。 弓について、唯一神道の場合は素木(白木)を用い、 両部習合の場合は重藤弓を用いるとしている。また鷹 の羽のように彩るのは間違いとする。 棟に飾る幣については三本とし、中央を6寸高くす ると示す。幣の飾り方には、その起源を理解する必要 があるとして、『古事記』神代巻の天岩戸の記述を引い て、「天の岩戸は天上の御やしろ」であるから、それに 倣うべしとする。 幣の紙垂について、五色の紙を用いるのも五行説に 叶うので可としている。 興味深いのは今日の幣軸に見られる開き扇を三本丸 く重ねて飾るのは鏡の代用であると解説している点 で、当時からこのような飾が用いられたことがわかる (図1および2参照)。 2.3 備物飾之事 項題の通り、供物の飾り付けについての解説であ る。具体的には①瓶子、②鏡餅、③樽、④肴、⑤洗米と 重ね土器、⑥銚子加え、⑦槌、⑧蒔餅(撒餅)、⑨積み銭 (撒銭)について、個数や大きさ、仕様を解説する。 本項目は記述だけでは内容が理解し難いので、江戸 時代の上棟式を描く絵画資料を「大工上棟之図」(図1) 2 国 立 公 文 書 館 デ ジ タ ル ア ー カ イ ブ に て 閲 覧 可 能 [ 請 求 番 号]183-0702 URL: https://www.digital.archives.go.jp/das/ image/F1000000000000032144 3 東京都立中央図書館所蔵(特別文庫室請求記号:784-53-5)。 TOKYOアーカイブにて閲覧可能 URL:https://archive.library. metro.tokyo.lg.jp/da/detail?tilcod=0000000002-00006999

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図1 「大工上棟之図」(香蝶楼国貞画・1843-44、当館蔵、部分拡大。図中注記は筆者による) 図2(左上)幣の例 図3(右上)声掛櫓 図4(下)棟之御棚飾付け いずれも「御本丸御普請御座之間御 上棟一件」(東京国立博物館蔵) 瓶子 鏡餅 幣 振幣 棟札 銚子加え 肴 弓矢 幔幕 槌 土器 蒔餅

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図 5 「江戸城本丸上棟式図」(部分拡大、先頭から順に。東京国立博物館蔵)Image: TMN Image Archives 順番 役目 位高さ 人数 装束 従者 人数 装束 備考 1番 棟槌役 中3,左6,右7 3 束帯/大紋 銚子加え 6 素襖 2番 四方堅槌役 8 4 槌役より下 銚子加え 8 (素襖) 3番 幣持 - 1 素襖 4番 棟札持 - 1 素襖 5番 随身 - 2 / 4 (記載なし) 棟梁が束帯なら随身を立て、棟梁が大 紋・布衣等であれば随身は立てない。 弓矢を持つ。 6番 幣役 1 1 束帯 太刀持、沓持 2 素襖 7番 玉女(祭)役 4 1 槌役と同 銚子加え 2 (素襖) 8番 書物持役 - 1 素襖 9番 声掛け役 9 1 布衣/素襖 10番 釿初役 2 1 棟梁に準ず 銚子加え 2 (素襖) 11番 道具箱持 - 1 素襖 12番 小工 5 1 布衣 もし大工と同位の者が勤めるなら大工と同じ装束 13番 道具運び/糸引 - 1 素襖 小人 表1 上棟行列の順番と役目

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写真4 江戸城本丸大広間御上棟式に用いられた打盤・槌 (清水建設株式会社蔵) 写真提供:清水建設株式会社 写真3 甲良家伝来儀式道具一式(清水建設株式会社蔵) 写真提供:清水建設株式会社 と「御本丸御普請御座之間御上棟一件」4(図4)に掲げ た。いずれも江戸後期の資料であるが、本書の記述と 照合しても内容に大差は無い。 今日の儀式に見るように、雛壇に飾り付けるのでは なく、机または台の上に平置きしていたようである。 2.4 上棟行列之事 上棟式は関与した職人の行列(行進)から始まった。 この行いは今日ではほとんど見ることは無いが、江戸 城関係の絵画資料「江戸城本丸上棟式図」5に見ること ができるので参考に図を掲示した(図5)。 文章で、順番、役目、人数、装束について解説する。 これについては表1に整理した。 なお行列の順番と儀式の役目の位は一致するわけで はない(表1位高さ参照)。 装束については、大名や上級武士にのみ許された格 好(束帯、大紋、素襖、布衣)が、儀式に限り特別に許さ れていた。この破格の扱いについては甲良宗賀自身一 論あって、後ほど解説がなされている。 2.5 役人所作之事 行列後の各行いについて、所作を詳しく解説する。 (1)誦文(奏上) 棟槌役と四方堅槌役は銚子加え役とともに、棟の足 代(足場)に登り、献酒し、誦文を奏上する。 誦文については、神道で重視される「中臣祓国家経 営之段」(通称中臣祓)の祝詞6を引用している。 その後水天の真言「オンバロダヤ ソワカ」を梵字 で記す。これら2つはいずれの儀式でも奏上するとし ている。続いて玉女役が誦文を奏上する。 (2)槌打 まず棟梁は振幣を左から振り出し、左右へ3度振り、 4 弘化元年(1844)5月に焼失した江戸城本丸御殿は同年7月か ら再建工事が進められ、12月9日に上棟が行われた。本史料は 同上棟式の雑作関係の記録と見られる。作成者は作事方大棟 梁石丸祐二。東京国立博物館所蔵。WEBアーカイブhttps:// webarchives.tnm.jp/imgsearch/show/E0064962 5 注4と同じく弘化度江戸城本丸御殿再建の上棟行列を描いたも の。東京国立博物館所蔵。 6 朝廷の大祓詞を奏上形式に改めて私的な祈願に用いられたも の。吉田兼倶が一二段に分けて、吉田流では「国家経営段」は 家作の際に読むべきものとしており、ここではその説に従う かたちとなっている。

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幣串を地面につく時、声掛け役が「寿命棟」と唱える。 声に応じて、四方堅めを含む7箇所の槌を3回打つ。二 回目は右から振り出し「長遠棟」と唱え、同様に槌を 打つ。三回目は再び左から振り出し「徳自在棟」と唱 え、同様に槌を打つ。 槌は合計9回打つことになり、音を揃えることを本 意とする。掛け声は家伝の他に、公儀用と別の例も示 している。 以後については、釿初を同時に開催する場合はこの 後に続いて行うとする。これで儀式は終了し、再び行 列をなして戻る。 概ね、現在行われている上棟式の作法と大差ない が、弓矢の儀が無いという違いがある。 最後に建築神についての持論が展開される。上棟式 等の儀式において「玉女神」と「金山神」を専門に祭る ことが不明であるという。両方の神はともに山神であ り、土水を穿ち、木竹を彫刻するのは銅鉄であるから、 山神を祭るのはもっともであるとする。また玉女神は 罔象女神で水神であるから火伏を考慮してのことだと 推論している。 2.6 釿初之事 最初に釿初を単独で挙行する場合の、行列について 解説があるが、概ね上棟の例に等しい。 各自着座した後、次の通り所作を行う。道具が出て くるので、手順を詳しく解説しておく。なお項目名は 筆者が付けたものである。 (1)道具の設置 道具箱持は蓋を開け、蓋の内側を上にして、墨壺と 曲尺を取り出し、曲尺の長手を左側にして向かい側か ら取りやすいよう、蓋の内側に飾る。道具運び役は墨 壺(墨サシ含む)曲尺を持ち運び、材木の中央に置く。 (2)墨矩の儀I 大工は材木の前にて礼をし、墨壺曲尺を取って、材 木の元の方へ廻り、左手に曲尺、右の脇に墨壺を置く。 材木に曲尺をあて、墨サシで左右中央の3箇所に3度ず つ墨を指す動作をする。 (3)墨矩の儀II 曲尺の横手(短手)を上にして材木の木口に向かっ て左側(の墨)に当て、墨壺を取り、糸を引き出して軸 にからめ、カルコを持ち引き立てる(垂らす)。曲尺を 合わせて、下の方に廻し墨を3度指す。続いて右側の 墨、中央の墨にも同様に行う。さらに木材の末側に 廻って同様に所作を行う。 (4)墨打ちの儀I 大工は木材の元側に戻り、小工は座を立って正面に 一礼して、末側に着座する。糸引きの役人が座を立ち、 大工の右前方にひざまずく。大工は墨壺を左手に持 ち、糸を引き出してカルコを糸引き役にわたす。この 時、糸引き役は材木の中央あたりまで歩み、右手いっ ぱいに開いて糸を引き出して余らせる。大工は、壺車 を巻いて糸を戻す。同じ動作を3度繰り返し、最後にカ ルコを小工にわたす。 (5)墨打ちの儀II 大工は、左側の墨から糸を3回打つ。続いて右側を3 回、最後に中央を3回打つ。これで墨打ちの儀は終了す るので、小工はカルコを糸引き役に渡し、大工は糸を 巻き取る。続いて道具を元通り、材木の中央に置き直 し、礼をして元の座に戻る。 (6)道具の撤収 道具運び役は墨壺曲尺を持ち、道具箱へ戻り、釿を 取り出して、柄を右に向けて蓋の上に飾り置く。墨壺 曲尺を引き換えに箱へ戻し、釿の刃を左の手に添え て、右手に柄を握り再び材木の中央に運んで、設置す る。 (7)釿打の儀I 大工は座を立って、釿を取り、刃を左向きにして縦 に持ち、幣に対して、左右に3度振り座っていただき、 また立って同様に振る。都合3回行う。 (8)釿打の儀II 大工は釿を持って木の元へ廻り、左右中央と釿を3 回打つ所作を行う。続いて末側に廻り同様の所作を行 う。中央でも同様に所作を行う。最後に釿をいただき ながら礼をして、釿を材木の上に置き戻す。釿を打つ ときは右の膝を立てて半腰の姿勢で打つ。道具運び役 は釿を持ち帰り箱へ納める。 (9)誦文奏上 洗米を土器三点に盛り、三方に据えて木の元へ座 す。続いて銚子加え役も土器を据えた三方を持って木 の元に来る。洗米の土器を持って、先程釿を打った場 所の右に置き、御酒の土器を取って神酒を受け、左側 に並べ、誦文を唱える。同じことを続いて二度行い、都 合3回行う。この所作を材木の末、中央でも同様に行 う。 以上に行った所作は今日の儀式でいう墨矩の儀、墨 打の儀、釿打の儀に相当するが、一方で鋸や清鉋の儀 は行われていないことに留意する必要があろう。なお これらの儀は甲良家伝来の道具備えから見ても行われ ていないことがわかる(写真3参照)。 釿初式の解説の後、唐突に大工と儀式の歩みについ ての解説が始まる。記述の動機として、大工は無位無 官であるが、高位の装束を着ることについて根拠を史

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書に求めたものと思われる。 最初に中世の有職故実書『職原抄』7を引き、内匠寮、 木工寮、修理職において、頭(長官級)は従五位下、助 は正六位下に任ぜられることを引き合いに出してい る。 続いて、鎌倉幕府の歴史書『東鑑』8を引き、建築関 連の記事を延々と引用している。途中の字下げ文は甲 良宗賀自身による注記で、とりわけ官位と装束のこと について注意を払っている。 最後に至近の例として、宗賀自身も参加した日光東 照宮の寛永度造替について記述している。 寛永11年11月17日に木作を初め、同13年に作り終 わったとし、上棟式における甲良一族の装束について 次の通り記載する。 ・豊後宗広 四位 束帯 本社幣 ・左衛門宗次 五位 束帯 御本地薬師堂幣 ・ 左吉宗久、助五郎宗清(豊前宗賀)、その他引頭五 人 五位 束帯 この儀式は飾り物から水引の幔幕にいたるまで、善 美を尽くしたもので、「真々の上棟式」だったとしてい る。また現在国宝に指定されている儀式道具一式が宝 蔵に収納されたことについても触れられている。 2.7 柱立之事 今日でいう立柱式のことである。内題では「上棟釿 初」としていたので当初は執筆予定では無かったので あろう。 初めに柱立、上棟、釿初いずれにも用いられてきた 誦文を紹介している。 ①迷メイ故コ三サン界カイシヤウ城故ゴ悟コ十シツ方ホウ空クウ、本ホン来ライ無ム東トウ西サイ何ガ処シヨ有ウ南ナン北ホク9 ②南無阿ア那ナ含ゴン阿ア羅ラ漢カン二仏 これらは法華経の序品だと書いてあるが、管見の限 り法華経に該当文は発見できなかった。 立て始めの柱について解説があり、春は東から、夏 は南から、秋は西から、冬は北から立てる方式と、その 年の「元方(干支の方角か?)」から立て始める方式が あるとしている。 続いて立て始めに用いる柱は内陣の柱であるべきと し、それは仏神が居る場所であるからだとする。 最後に伊勢神宮の真御柱について言及し、各種の秘 事があるが、田舎でも神宮を勧請することがあるので 神明造のことは嗜んでおくべきだとしている。 このように柱立は上棟や釿初と比べると、薄い内容 であり、当時でも立柱式はあまり催行されていなかっ たのではないかと思われる。 3. まとめ 以上、『黒田宗信伝来文書』「上棟之巻」について、翻 刻を掲載し、各項目の概要を紹介した。「飾之事」「備物 飾之事」では各種儀式用具の供え方や由来について詳 しく解説しており、当時の祭壇を考察する上で重要な 内容である。 同じく、参加者の順序と装束について記した「上棟 行列之事」、所作について記した「役人所作之事」「釿初 之事」の記述も具体的かつ詳細であり、関連資料と照 合することで、当時の儀式のあり方がかなり正確に再 現することができよう。 17世紀まで遡る史料で建築儀式について詳しく記 述したものは他に類例が無く、後継書である『建仁寺 派家伝書』とあわせて、建築儀式を研究する上での基 幹史料と見られるが、詳細については書誌的研究を加 えて史料評価を行う必要があるだろう。 7 南北朝時代、北畠親房の著した有職書。1340年成立。上下2 巻。 8 吾妻鏡とも書く。鎌倉時代の歴史書。鎌倉幕府の家臣の編纂。 52巻(巻45欠)。治承4年(1180)源頼政の挙兵から、文永3年 (1266)までの87年間を変体漢文の日記体で記す。 9 お遍路さんの菅笠に同文が記載されており、無着道忠が表し た『小叢林清規』の中にある文言という説(都立中央図書館レ ファランスhttps://crd.ndl.go.jp/reference/detail?page=ref_ view&id=1000013401)を見たが、同書は貞享元年(1684)の執 筆で、本資料の成立時期と大差ないため、古くから伝えられて いるという記述と矛盾している。『小叢林清規』は本山で伝えら れた清規を略述したものとされているから、無着道忠が纏める 以前から巷間に流布されていたのかもしれない。

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〈翻刻〉 上棟 釿初 夫上棟に品々有、禁裏御造営の時は、成就の後紫震殿にをいて 此義あり、堂社に至りては右に同じく造畢の時是を行ふ、又いまた 出来せさるのうち、其棟の桁を上るの時執行ふ例も有、また常の 屋形に至りては、作事半棟木をあくるの時とりおこなふ事、常の例也 又堂社にあらぬ常の家にて、幣を振り槌をうつの義式は無き事 なり、しかれとも真の上棟を略して執行ふ事なれは、其主たる御方 より仰によらは、いかやうにもしたかふへき事なり、堂社よりつねの 殿舎至まて、略して軽くすへきの品幾重にも有へし、且金銀をちりはめ、 美麗を懸すへきの類ひまた有へし、然は爰に真の上棟の格をしるし畢 軽重は是を元として、時に応じて思慮をくはふへき物ならし 飾之事 弓矢は棟の両のはしに立へし、弓矢の長さは其堂社の恰合にしたかひ見合作る へし、丑寅は地の方なれはかふら矢を以て射下げ、未申は天の方なれはかりまたを 以て射上くへし、天地の悪魔降伏の蟇目なれはなり、但鬼門の方へ射下ると 云へとも、其堂社の向によりて棟に其方そむけは、すみとりに矢をつかふ故に見苦し かるへし、是を以て思えは、只東北に当らん方の矢をいさけ、西南に当らん方の矢を 射上て尤なり、鬼門を射さくるの心に叶わん歟、弓矢を色とる事、唯一 神道の宮なとの棟あけならは白木にても有へし、神代の天のかこ弓 天の羽は矢なと云、桑の弓蓬の矢なと云へは、いかに色取へきかたちもはかり かたし、只白木にて道理にも叶はんや、又両部習合の神道の神社堂塔に 至りては、弓はしけ藤を用藤 数 廿 八、矢の羽は鶴のもと白に色とるへし、是蟇目の 弓法なり、鷹の羽に色取は誤成へし、弓弦は白布を以て用之 棟の幣三本、長さは弓のたけに少し余る程にすへし、中の幣は六寸高く飾 るへし、幣を飾の粧ひ、其元を心得て作意を以てかさるへし、荒々其おこ りを云は、神代の巻に天照御神岩戸籠りましますの時、もろ神たちその 役をわかちてこれをなす、天のかこ山の真榊を伐りて、上津枝に八咫の鏡をかけ、 中津枝には五百つのみすまるをかけ、下津枝には青にきて白にきてを切かけて たゝえことをなし、神おさきにおさき給ひて御神を引出し奉ると也、しかれハ 天の岩戸は天上の御やしろなり、其の御前に此のことくの御幣を立るを表して、 みすまる→御統。多くの 玉を緒に貫いて輪とした 飾り。 に き て → 和 幣。 神 に さ さげるための布。青和幣 は麻布、白和幣は木綿で 追ったもの。幣帛とも。 上ほ つ え津枝=上の枝、下し つ え津枝 =下の枝 八や た咫の鏡=三種の神器の 一つ。 真まさかき榊=祭壇の左右に立 てる祭具だが、ここでは 植物のこと。 しけ藤=重藤弓。藤で幾 重にも巻いた弓。 桑の弓・蓬の矢=中国で 男子が生まれたときに、 桑の弓と蓬の矢で四方を 射て将来の雄飛を願った という古俗。 両部習合=真言密教と神 仏習合説をもとに成立し た神道の一流派。 天のかこ弓・天の羽は矢 =記紀神話に登場する弓 矢。天孫降臨に先立ち、 高霊産霊が天若日子に授 けて地上に遣わした。 唯一神道=室町末期に吉 田兼倶が唱道した神道の 一流派。 義式→儀式 恰合→格好 かふら矢→鏑矢 かりまた→雁股 蟇ひ き め目=響目とも。悪魔退 散の効果があると信じら れた。 禁裏=御所

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今神殿を建神をすゝしむるの表事なれは、上棟にも幣を立るなり 幣は五垂と云へとも、飾る所の躰能様にすへき事なれは、七たれ九たれにも 恰合能程にすへし、五色の紙を用るは五行の色なれば、誤有へからす、花やかに かさらんために用ひ来る法也、其内青白は下津枝の白にきて青にきて共云へし 上津枝に鏡を掛るとあれは、鏡は上に飾るへし、さけ帯はみすまるを表するか 故に中比に飾るへし、幣は下津枝なり、幣を仕立るは頭の剣形の紙を幣串 より余し、其所に鏡を掛、扇は鏡のうしろより出す、金銀の扇は鏡の御光也、 略して鏡無き時は、扇をひらきて三本丸くかさり鏡の替りに用へし、鏡の下より さけ帯を出し、麻を添て飾る、麻は則青にきてなり、又白紅の糸・砂金袋 なとは皆宝の類ひなれは、花やかにかさらんために付る事なり、右の本体 をふまへて余は心得に有へし 四方堅め足もとの槌を打時は、縁の四隅にも棟のかさりのことくにして、幣 壱本宛立へし 振幣之事、金銀の紙を以て五たれにきり、剣形の紙は別に付てよし、飾 物は棟のへいのことくにちいさくして飾り付るなり、又白幣にして外の飾なしにも する事なり、唯一の幣のことくにては紙数すくなくすけなき故、紙数は五六十垂 も有之てよし、幣串は長四尺八寸にも五尺にもすへし、太さは壱寸弐分にして、 割串にすへし、串は金たみ又は白木なり、上下掘りの所は巻紙のたけ八寸にして、 二所結へし、むすふこよりの先をきらす片むすひにするなり 右振幣のことくにして玉女の檀にも壱本立へし、ぬしの御方に幣御 頂戴あらは此幣を奉るへし、棟の幣三本と振へいと此幣と五本に数を合る也 棟の槌の所足代棚をかき、弓矢幣を立備え物を飾る、惣棚の廻りにまん 幕を垂れ、又あらたに金襴純子の巻物を横のに縫ひ合ても引へし、其余 足代の見へ候所、皆白布の幕を以て打隠すへし、四方堅めの所も御縁の廻り を幔幕を以て打囲ふへし 棟の槌大さ定りたる寸法あらす、大さ能程に見合作るへし、木口と胴に宝珠を 絵に書、或は金銀にてたみ松竹宝つくしなと極彩色にすへし、略したる時は木地に 宝珠なと斗も書へし、槌の台は則打盤なり、まな板のことくにして、足無き物也、 絵様は槌に準すへし、棟三所の飾の所毎に有、四方堅めの所も同断 棟札之事、大さは其の文句によりて大小有へし、頭はときんに切なり、近代の 棟札は、公儀より出る札壱枚と御導師より出る札と弐枚納るなり、古法は一 枚也、棟札の文言は時によりて替る事也 幔 幕 = 式 場 や 軍 陣 な ど で、周囲に張り巡らす、 横に長い幕。 金たみ=金彩。金泥また は金箔でいろどること。 玉女=陰陽道でまつる神 の名。『工匠式』では、「玉 女神は両部におゐて珠尊 む天星玉女諸願成就大吉 祥也」という。 ときん→兜巾・頭襟 金襴純子=純は鈍の誤記 で「どん」と読ませよう としたか。金襴緞子とも。 金糸などで紋様を織り出 した豪華な織物。

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  (図版:以下5行図中文字)     年号      施主大檀那誰      経文等…      奉行官位名    卍 ………… 奉建立何堂一宇  副司  名  棟札書様大方如此口伝      …………      大工  名     月日      導師   誰   小工の名も書事も有    堂塔之上棟には、向拝の虹梁のあたりに善の綱を付て、門外に綱柱を立、善の綱 を引へし、綱柱太さ五寸角程にして頭はときんに切へし、唯一の宮等には用捨すへし 備物飾之事 棟の幣の前、瓶子一対大さ高さ三尺斗、木にても籠にても下地を作り、上を 金襴段子の類ひにて張り、口覆はもよう違たる織物にて包むへし、内に 御酒を入は樽をしこみてよし、鏡餅壱重ね餅の台にすへ中に飾へし 台は箱足にしてねた木の端を出す、足にすかし有てよし、其両脇に樽壱荷 肴三種、神社には魚鳥を備ふへし、或は置鳥置鯉なと作り備ふとも云 又仏家ならは精進さかなたるへし、重ね土器に洗米を盛、三方にすへて、又三寸 の重ね土器をも三方に飾り備ふへし、銚子くわへ常のことくにかさり置へし、 槌の台正中に置へし、右之通のかさり三本の幣の前毎に有、四方堅めのつち あらは、其四隅にも此ことく飾るへし、棟の足代に蒔餅五百八十、桶等の うつわ物に盛て置へし、棟の槌相済の時棟より此餅を四方へまく也、或は 銭をまく事もあり 積み銭は向拝の左右に台にてかさるへし、台はかゝみ板にたいわを打、四本足に 貫壱通、大さは銭の数によりて見合有へし、少高くして吉、亦常之家の棟 上等には棟木に銭を掛る事もあり 上棟行列之事 一番棟の槌の役人三人、銚子くわへの者左右に二人宛つれ、中の槌の役人先に立、 槌の役之装束は、幣を振る棟梁四位の束帯ならは、五位の束帯か大紋たるへ し、棟梁五位を着せは布衣を着すへし、銚子くわへの者は素袍を着すへし 善の綱=仏像の手などに かけて参詣者などに引か せる五色の綱。仏にすが る意を表す。 く わ へ = 加 え の 銚 子 と も。長柄銚子に酒を加え る容器。 重か さ ね が わ ら け ね土器=数枚重ねた素 焼きの皿型土器。 瓶へ い し 子=壷の一種。口縁部 が細く窄まる比較的小型 の器。主に酒器として用 いられる。 三方=神前に物を供える 時に使う木製の台。 束帯、大紋、布衣、素袍 =装束の一つ。○頁図を 参照。

(18)

棟の槌の役は重き役義なり 上棟役義之位を云は、一ニ幣之役、是棟梁之役也、二釿初之役、釿初なき時は此役 之者を棟の中の槌に当へし、三ニ棟の中の槌、四玉女役、五小工、六棟の左の槌役、 七ニ同右之槌、八四方堅槌前に立を先とす、九声かけ、其外は次第不同也、役付に是を心得へし 二番に四方堅槌の役四人、何も銚子加への者弐人宛左右につれへし、装束は棟のつち より下りてよし、三番に幣持、装束素袍なり、四番に棟札持、装束素袍也 五番に随身四人にても弐人にても二行に列すへし、弓矢を持、但棟梁役束帯を着せ は随身を立へし、若大紋布衣なとにて勤は随身は立へからす、六番に幣の役、 棟梁装束は四位五位の束帯、太刀持沓持を召連、供之者は素袍なり、笠持 は白丁着し門外に留るへし、七番に玉女祭役、装束は棟中の槌の役と同事 たるへし、銚子加の者左右に召つれへし、銚子くわへの者素袍を着す、八番に書物 持の役、装束素袍 書物と云は声かけの 呪文を書て持事也  九番に声かけの役、装束布衣又素袍 にても、十番に釿初の大工、装束は幣役の棟梁に応じて着すへし 棟梁四位の束帯ならは釿初の役は五位の束帯なるへし、此役は棟梁につゝき たる役なり、棟梁幣を振て又釿初をも勤る事も有、棟梁と云も大工と云も 同じ名也、銚子加之者素袍にて左右に召連へし、十一番道具箱持、素袍を着、 是は釿初の大工の先に立てよし、十二番に小工、装束布衣を着すへし、若大工と 同位の者小工を勤、後の供し物なと執行ふ役義あらは、大工と同じ装束なるへし 十三番道具運び、此者糸引の役もつとむへし、若役人之内小人有は、糸引は小人 にゆつるへし、素袍を着す、小人は小ゆいゑほし也、此跡は後見の者有へし 行列大既此趣なり、上棟斗の時は釿初の役人は可除之   役人所作之事 右之通行列してねり出、棟の槌の役人は酌くわへの者ともに直に棟の足代に 登り、四方堅の役人も其所々に至りて御酒三献供し、天神地祇を祭り 或は諸仏菩薩天部等を祈るへし、面々兼て修行したるおこなひ九字護 身法なと修すへし、亦定りて唱ふへき誦文有り   中臣祓国家経営之段 四ヨ方モノクニナカニヲホヤマトタカミノクニヲヤスクニトサタメタテマツリ シモイワネニミヤハシラフトシキタチ 高 タカ 天マカハラニキタカシリテアカスメマコノミコトツノミアラカニ ツカヘタテマツリアマノミ 陰 カケ 日ヒノカケトカクレマシヤスクニトタイラナク シロシメサン知食  此祓社頭の上棟釿初等には定りて唱へし、中臣祓十二段共に読は、 中臣祓国家経営之段=代 表的な祝詞。 28頁注6参 照 九字護身法=「臨・兵・闘・ 者・皆・陣・烈・在・前」 の九字の呪文と九種類の 印によって除災戦勝等を 祈る作法。 小ゆいゑほし→小結烏帽 子。 誦ず も ん文 = 経文やまじないの 文句。

(19)

 なを〳〵よし   十二天之内水天之呪 (梵字九文字)  又此呪、堂社殿舎の柱立・棟上・釿初等に定りて唱ふへし、三へん  或は五反七反 右両種はいつれの役所にても唱ふへきなり 槌を打の時分は役人其所々に着座いたし、其まま右之通に供し物 して幣を振所の誦文の声を待なり、次に幣持は向拝の左の方にひさ まつき、玉女役の者来る時幣を玉女役へ渡し、しりそきて着座す、次に 棟札持は直に持行て玉女の檀に棟札を直し、下りて着座す、次に随身役 四人は向拝の両脇に表に向ひて円座に座す、又は牀机に腰かくるとも云、此義 いかゝ用捨有へし、或は随身四人は堂社の四隅になをるとも云、是は前後にかま はす行かゝりに座に着く、次に幣役の棟梁は向ひて右の方向拝に近く着座 の畳を敷置、先其前に着座す、太刀持沓持後見の者は其うしろに有へし 次に玉女役向拝にて幣を請取、酌くはへの者引つれ玉女の檀の所に至り、幣を 直し御酒三献供し、玉女神・金山神を祭る、誦文は前にしるすことく、其外 諸神諸仏に祈祷し、ならい得たる誦文等執行すへし、是は幣役の棟梁 に替りて行ふと見へたり、今日の上棟千秋万歳を賀し奉るへし、扨供し 畢て玉女役幣を持出向拝を下るの時、棟梁座を立て向拝にむかひひさ まつく、玉女役も座して幣を棟梁へ渡す、亦最前へい持こはいのかたはらに 持ひかへて、能時分棟梁の出むかふ時直に幣を渡し、玉女役は幣にかまはす檀に 向ひて執行ふ共云、是は儀式の手廻しはやき様にすへきとの事なるへし 扨向拝の前又は御縁の上にても、幣を振る所に膝付を敷置ひさ付は僧衣の座具のことく に段の物いたの物にてする也、 其上にて謹而幣を戴き立て左よりふり出し、左右へ三度ふりて座して幣串 を地へつくの時、声かけの者寿命棟と唱ふ、其声につきて棟四方堅の七所の 槌を三つ打、又棟梁立て幣を右より振出し、左右へ三度ふりて座してへい 串を地へつく時、又長遠棟と唱ふる声につきて、七所の槌を又三つ打、又立て 幣を左ゟふり出し、三度振りて座るの時、又徳自在棟と唱ふ時、七所の槌又三つ 打、以上槌の数九つなり、槌の音七所の揃ふを本意とするなり、声掛役は行列 してねり出座すへき所を定置て、直になをりて棟梁の幣ふる程を見合右之 十二天之内水天=仏教に おける天部の一人。水の 神。真言は「オン バロ ダヤ ソワカ」でそれが 梵字で表示されている。 金山神=カナヤマビコ。 鉱山、金属やそれに関す る技工を守護する神。 こはい→向拝。 随ずいじん 身=貴人の外出のとき に警備に当たる役。 牀しょうぎ机=床机。移動用の折 畳式腰掛け。

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通り誦文を唱ふ、書物持同声かけの下座に座すべし 誦文色々有、我家の流義は右の誦文なり  寿ジュミやウトウ命棟  長ヂやウヲン遠棟  徳ト ク ジ サ イ自在棟   家伝也  善ゼンザイ哉棟  永エイ々棟  徳自在棟   今公儀の上棟には唱之  千センザイ歳棟  万マンザイ歳棟  徳自在棟   如此唱ふも有之 幣を振仕廻ふの時、幣持役其所に立むかひ、棟梁より幣を請取、玉女の檀へ持行 立置て帰る、棟梁は元の座に帰りて着座す、釿初あれは此時材木をもち出 釿初の次第を始る也、釿初之儀式は別にしるすなり、棟の槌四方堅の役 人は槌を仕まひ、下りて然へき座に着て帰りの行列を待へし、此時御 太刀なと拝領の義あらは、御奏者向拝へ出給ふ時棟梁其所に立向ひ謹而 頂戴すへし、御馬なとは中門の外ニ而給ふへきなれは、是も其所に罷出、御馬之 右之方に向ひ手綱をとりて頂戴すへし、是より行列をなして幄の屋に帰るへし 上棟・釿初・柱立等の時、玉女神・金山神を専に祭る事いまたくわしからす、一書に いわく、山神を祭に其日の玉女の方に向ひて草を苅、竪横に七重敷てしときと を 備へ、御酒を供して南無山神南無水神南無土神散供再拝と三度唱ふと云事 有、是を以考るに此三神は伊弉諾・伊弉冉尊の御子、金山彦神・金山姫神・罔象女神・ 垣安彦神也、今我家に祭る玉女神・金山神は是正しく山神成へし、或は土水を 穿ち木竹を彫刻し銅鉄を以てすれは、皆山神のつかさとるところなり、依之 祭るなるへし、両檀は陰陽にわかちて金山彦・垣安彦の陽神を金山の檀となし、 金山姫・罔象女の陰神を玉女の檀とするなり、玉女は遊行の神也、玉女の方と云は、 其日の十二支より九つめに当る方を玉女の方と云、其当日子の日ならは申の方 に玉女神有、余は是になそらへ知るへし、殊に玉女の方を専とするは罔象女の 水神なれは、火ふせを第一に祭る心なるへし、又唯一に山神と立るは大山祇の 命也、今造営等の時祭る山神、右之四神を立る所尤の義なり、山神を以て 玉女神と号する事いまたくわしからす、何れの書に有之や尋へし 又天星玉女の方と云有、正月卯の方二寅三卯四巳五寅六寅七坤八子九亥十坤十一子 十二申とも云り   釿初之事  又木作初共云 手釿初は作事の最初に執行ふ儀式なり、又は作事成就の後上棟の時も 行之、爰には作事最初の釿初をしるす物なり、上棟已後の釿初ならは、左に = 魚『大漢和辞典』に よればギギというナマズ 目の棘をもつ淡水魚を指 すが、ここでは同じく棘 をもち、山神に供える魚 として知られるオコゼを 指すか。 垣安彦→埴安彦。土の神

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しるす儀式之内釿初にいらさる役人等は略すへし、今書しるすところは 真の釿初なれは、常の家つくりなとにおこのふ時は略して、装束を着るを長 上下或は半袴なと着し、二人にて勤る役を一人にて兼而勤る様に軽くすへ きなり、所作の様子にはさして替義なしと心得へし  私云、釿初と云事、堂社殿舎造営の最初に執行ふ事常の義なり、又作事  成就の以後上棟の跡に釿初有之事、或は此義を釿納といへる説有、おさめ  と云へき事心得かたし、我家の業の道具を納るを以て之を祝ひ奉る  の義とせん事曽て心得す、しかも其よそをひ作り初の所作なり、然は納る  と云は非なり、成就の後又初と云は、御代万々歳にして永々の御修理  御造替を祝ひ奉るのことのもとなり 釿初の時に至りて場所に荒蔣を敷、材木を直し置へし、其材木は木 の元を向ひて左へ直す也、或は四季によりて春は東へ元をし、夏は南に直 す等の事あれとも、大概其堂社殿舎の向によりて当座の思慮有へし 材木の前には莚の上にうは敷にても敷へし、是は木に向ひ色々の所作有により、 立ふるまひ自由成様にとの儀なり、材木元末に枕木をかうへし、枕木長きは立廻 りの障り有故に短くすへし、扨大工は相応の装束を着し、小工は大工より 一位ひ下の装束を着す、或は大工五位の束帯ならは、小工は大紋か布衣たるへし、 其外役人は素袍を着すへし、棟梁四位五位の束帯にて勤は、随身弐人にても 四人にても立へし、大紋布衣等にて勤は随身は立へからす 行列之次第は、一番に随身二行に立へし、二番に道具箱、是を持役人則道具 出しを勤むへし、三番に大工、束帯を着せは太刀持沓持其外後見の者等を召連 へし、大紋布衣なとにて勤は後見の者斗召連へし、四番に小工、相応の装束 を着し後見の者つれへし、又小工を勤る者大工同位の者相つとめは、釿たて 成とも後の御酒供る事成共、一役は小工にゆつるへし、此時は大工も小工も同 装束にて然るへし、五番に道具はこひ、糸引役兼而勤むへし、若役人のうち なとに少人あらは、糸引の役は少人に似合たる事なれは、糸引は少人にゆつるへし 六番に銚子くわへの役人弐人、其外時に応し景気能様にめしつれへし、材木 の元の方に着座の席を構へ置へし 所作の次第は、先随身役は正面之左右に円座に着す、道具箱持は大工小工の 座之下、材木に向ふ所に座すへし、大工は木の元の方上座、小工は二之座、道具 うは敷→上敷 蔣=こも。 半袴 = 裾が長い長袴に対 して、足の長さ程に仕立 てた袴。 長上下 = 長裃。長袴。

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箱の次に糸引・道具運ひ等着座、其次銚子加の者、其外は其次に列座す 太刀持沓持は大工の後座左右に有へし、いつれも着座し時分見合せ 道具箱の蓋をあけ、ふたの内を上になしてつほかねを取出し、かねの横 手の方につほを組合せ、かねの長手を向の左へなして、向ふより取て勝手能様 に蓋の内に飾り置、其時道具はこひ座を立て箱にむかひ、つほかねをとりて 指上けて持行、材木の真中に直し礼を仕て本座に帰る、其時大工座を 立て材木の前に至り、謹而礼をいたし、つほかねを取て木の元の方に廻り、左の 手にかねを持、右の脇につほを置、材木にかねを当て、すみさしを以て三所に三度 宛九度墨をさす、但左右中と指なり、扨かねの横手を上へなし、かねを立て材木の 木口左の方に当て、つほの糸を少引出し車の軸にからみて、かるこを取てつほの 糸を引立、かねに合木口に下の方への廻し墨を三度さし、右の方にも同しことくに 指、中にも同しことく左右中とはしつほかねを組合せ持立て、木の末に廻り着座 して木の元にての所作のことく墨を当てつほかねを持立て、又木の元へ帰り居直 る時、小工座立て正面にて礼をして、木の末に廻り大工と向ひ合て着座す、其 時糸引の役人小工に続きて座を立、大工の右の方前に正面に向ひてひさま づく、大工つほを左の手に持、少糸を引出してかるこを糸引に渡すの時、糸 を取て立木の末の方へ木の中比迄あゆみ行、右の手を一はいにひらき糸を引 余す、其時大工車を巻て糸をもとし、又はしめのことく糸をしらへ巻かへし、 三度めに引糸をかるこを持て小工に渡す、取て左より糸を三つ打、右に当て 三つ打、中にて三つ打納め、小工かるこを糸引に渡す、此内糸引は小工の左の後 の方にひかへ居るなり、大工糸を巻納め、つほかねを組合て材木の中に元のことくに 直し置、礼をして本座に帰る、小工も一度に立てもとの座に着也、道具はこひつ ほかねを取て道具はこの所に行、其内に釿を出し、柄を向の右の方むけて 蓋の上にかさり置を、つほかねと引替、釿の刃を左の手を添、右にて柄を握りて 材木の中に持行、右のことくに直し置、礼をして帰る、大工座を立て釿に向ひ取て 釿の刃を左の方へなして竪に持て、謹而いたゝき立て釿を幣に表し左右 へ三度振りて座して戴き、又立て右之ことくにふり、以上三度振りて持立て 木の元へ廻り、正面に向ひ左右中と三つ釿を打立、木の末に廻り右のことくに三つ 打、又中に至りて同しことく釿を三つ打立て、釿をいたゝきなから礼をして 釿を木の上に直し、本座に帰り着座す、但釿を打時は右の膝を立半腰に 成て打へし、右墨を当る時も此心有へし、道具運ひ釿を取てかへり箱に 納る、扨大工御酒を供する時、洗米を土器三つに盛、三ほうにすへて持出るを大 つほかね = 墨壺と曲尺 かるこ = 糸の端につける 小さな錐状の道具。材木 に刺し墨糸を固定する。

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工正面におゐて是を請取、先木の元に廻り座す、其時重ね土器を三組三ほうに すへて、銚子くわへの者共に木の元に来る、洗米の土器壱つ取て材木の上釿を打 たてし所右に置、御酒の土器を取て三寸を受洗米に並べ、左の方に備へ謹而 文を唱へ供する内に如常銚子にくわへして、又右の土器を取て御酒をうけ備へ同 しことく三度供して、又木の末に至り同し通に洗米・御酒を供し、亦木の 中に至りて同しことく洗米・御酒を供し、誦文して礼をして本座に帰る、誦 文の事は右上棟の巻の内にしるす通りなり、儀式相済て行列始のことく にして幄屋にかへるなり 常の屋形なとの釿始軽き儀式にて、時の奉行等人其席に有之時は 右御酒供しおはつて奉行に向ひ今日の御祝義を可申入、此等之事は当 分の作意有へきなり 右材木の上に備へ置御酒・洗米は、後見の者とも罷出元のことく三ほうに取上け、 御酒は銚子にうつし奉行の方に指上げ、其主たる御方へ献上すへき也 大工と云は棟梁なり、小工と云は引頭なり、釿初・柱立・上棟なとの儀式の 時、無位無官の匠も高位の装束を着す事、是先法によつてなり、全く 誤りて着すには有へからす、其堂社殿舎を建るに神位・仏位・主君を 尊敬し奉るの故に、当座の赦しを得て着る事なり、たとへは禰宜神官 の不相応之高位の装束を着すかことし、工匠の者官職なきにあらす、職 原鈔の八省の内中務の被官に内匠寮有、是則掌ル 二工匠事ヲ一、内匠頭は従五 位上なり、助は正六位下なり、允あり、属有、又宮内省の下に木工寮有、是も掌ル 二 工匠事ヲ 一職也、木工頭は従五位上也、助は正六位下なり、允有、属あり、竿師有、また 修理職有、是者宮中禁 中 也の修理の事をつかさとる、修理大夫は従四位下也 四位以上或は公卿任之、権ノ大夫は四位五位の殿上人これに任す、亮は従五位 下、進有、属有、竿師有、此三つの官職に工匠の者すゝむと云にはあらす、此官職を持 人工匠の事をつかさとれは、おのつから時とつては工匠も官位につくのことはりなり、尤 工匠の官位にすゝむ例有、又おもき役を勤めたる例有、禄を給はる等の事多し 殊に右大将家の御時度々例あれは、東鑑のおもむき荒々書しるすものなり 治承五年辛丑七月廿日甲午、鶴岳若宮ノ宝殿上棟社頭ノ東方ニ 構ヘ 二仮屋ヲ一、武衛頼 朝着御シ玉フ、御家人等候ス二其南北ニ一、工匠ニ賜ル二御馬ヲ一、而メ 可大工ノヲ 一之旨被ラルヽレ仰セ二源九郎主ニ義 経一之処、折節無下可レ引二下手ヲ一者上之由被ル 『職原抄』=中世の有職 故実書。一三四〇年、北 畠親房筆とされ、官制の 成立や沿革、補任や昇進 の流れを記す。 内匠寮=律令制において 宮中の器物・造営、殿舎 の装飾を司る役所。 木も く り ょ う工寮=律令制において 宮中等の造営や材木調達 を司る役所。 修す り し き 理職=律令制において 宮中等の修理・造営を司 る役所。 右 大 将 家 = 源 頼 朝 の こ と。 東鑑→吾妻鏡=鎌倉幕府 の歴史書。 引 いんとう 頭=大工に次ぐ役職。 中世に用いられた。 頭、助、允、属=律令制 における官司の中核職員 の役職。 竿師→笇(算)師。計数 を掌る官職 治承五年=一一八一年。 鶴岳若宮=鶴岡八幡宮の こと。

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之ヲ、重畠山次郎次佐貫四郎等ス レ之ニ上ヘ者、何ソ被レ申下無キ二其仁一之由ヲ上 哉、是併存シ 二所役卑下之由一、寄テ二事ヲ於左右ニ一被ル二難渋セ一歟者ハ九郎主頗ル恐怖メ 則起タテテ座ヲ 二兩疋ヲ一、初ノ下手ハ畠山次郎重忠、後ハ佐貫四郎広綱也、此外土肥次郎 実平、工藤庄司景光、仁田四郎忠常、佐野太郎忠家、宇佐美平次実政等 引之、申尅ニ事終武衛令退出給フ  此時鎌倉ニ無二可レ然工匠一、仍武州浅草ノ大工字ハ郷 カ ウ シ 司ト云者 レ召テ七月八日ニ若宮営作ノ  事初アリ、此年七月十四日改元アリテ養和元年也 建久五年七月十四日癸酉、永福寺ノ郭内ニ レ建二立一宇ノ伽藍ヲ一、今日 上棟、将軍家監臨シ、工等預ル レ禄ニ、大工ニ馬三疋一疋 ハ 置 鞍野剣一ツ、小工各 馬一疋、白布十端也、行政仲業奉行之ヲ 同十二月廿六日永福寺ノ内新造薬師堂供養、導師前権僧正勝賢ト 云 々 将軍家御出、北條五郎時連持二御剣一、愛甲三郎懸ル二御調度ヲ一供奉人布 衣 三十人各 名 ア リ最末梶原平三景時、隨兵八騎名 ア リ布施取九人、右兵衛督高能 朝臣、左馬権頭公佐朝臣、上野介憲信、皇后宮大夫為宗、前対馬守親光、 豊後守季光、橘右馬権助次広、工匠蔵人、安房判官代高重、導師諸僧之 布施等ヲ  右工匠蔵人モ被物ノ役人ト見タ リ、蔵人ハ御所ノ工匠ナルヘシ 正治三年辛酉十月廿七日、鶴岳八幡宮ノ廻廊八足門上棟、匠等フ レ禄ヲ  是ハ去ル八月十一日甚雨大風、宮寺ノ回廊八足門已下所々仏閣塔廟顛倒ス、  凡万家ニ一宇モ無シ二全所一、仍造替ナリ 承元二年戊辰七月五日壬寅、鶴岳ノ神宮寺薬 師 堂 也上棟、相模守 義時、武蔵守時房、前大膳大夫等監二臨之一、又惣奉行善信朝光 同参向ス、匠等給 レ禄ヲ、大工ニ馬二疋一疋 ハ 置 鞍、被物一重、裹 ツヽミ 物各納二白布 五段ニ 一  、小工 ニ 馬一疋裸、空衣一領、裸物二各 納白 布 三段ニ 一     、行光奉二行之ヲ一  将軍実朝ノ御時ナリ、 文暦二年乙未正月十五日、五大尊堂ノ門木作リナリ、来月十日 レ可レ 被堂舎ヲ 一。先有二此沙汰一、周防前司親実、摂津左衛門尉爲光奉二行之ヲ一 二月十日将軍家頼 経 二御五大堂之地ニ一、今日被レ立二御堂ヲ一、及テ二午剋ニ一有二其 儀、大工ハ矢坂二郎大夫也、引イントウ四人参上、事終工等賜 レ禄、判官代大夫 隆邦、清判官季氏等為二奉行一  木作リ始ハ釿初ナリ、二月十日ハ柱立ノ儀式ナリ、八月十九日改元、為二嘉禎元年ト一、 嘉禎二年丙申四月二日戊子、若宮大路ノ御所造営之木キ作リ始也 野剣→儀式用の太刀。 建久五年=一一九四年。 承元二年=一二〇八年。 文暦二年=一二三五年。 正治三年=一二〇一年。

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大工着シ 二束帯ヲ一参入ス、事終テ賜二酒肴禄物等ヲ一  釿初ニ束帯ヲ著ス例ナリ、此巻ニ六月廿七日壬子七 日 節今日若宮大路ノ新御所ノ  寝殿ノ柱立上棟トアリ、殿館ノ上棟ハ棟木ヲ上ル時執行フ古例如此 嘉禎三年丁酉三月十日、明王院ノ東可キ レ被レ新二造丈六堂ヲ一事、今日有二其 沙汰一、是今年相二当故禅定二位家ノ十三年ノ御忌景ニ一之間為二御追善一也 同四月十七日番匠大工大夫長宗、依テ レ召ニ自二京都一参着ス ト云々、同月十九日庚子 大倉ノ新御堂ノ上棟也、将軍家 御布衣 御車 令二監臨一給フ、氏信役ス二御剣ヲ一、元忠懸ク二 御調度ヲ 一、修理大夫・左京大夫・権大夫以下供奉ス、大工散位長宗束 帯相二 具引頭ヲ 一参上ス、事終テ有二禄物等ノ沙汰一略スレ之  京大工大夫散位長宗ハ官位有之ニヨリテ上棟ノ役儀ノタメニ京ヨリ被二召下歟  散 サ ン イ 位トハカリハ四位五位無官人云、中チウサン散大タ イ フ正五位上也、朝チヤウサン散大夫従五  下也、此長宗ハ五位ヲカケタル者也、工匠位階有之事爰ニ見タ リ、右ニ書ス工匠  蔵人モ殿上人ト交リ被物之役ヲ勤ル之間、官位有之者ト可知 康元二年丁巳九月十八日己巳、勝長寿院造営ノ事始、大工以下匠 布衣ニテ参上、𨨞始事終 二禄物ヲ一御 衣 正嘉二年戊午正月二日、及テ レ晩ニ勝長寿院惣門四 足上棟也、元ハ無門、始テ被レ建レ之ヲ、 縫殿頭師連向二其所ニ一着 ス 二布 衣一賜 二御馬御衣等ヲ一 同四月十九日戊戌未尅ニ、勝長寿院三重塔一切経蔵等上棟、将軍家宗 尊 親 王 密々ニ入御、工等布 衣 二座ス本堂ノ前ニ一。大工ニ給ル二御馬三疋一疋 鞍 置御衣三 衣等ヲ一、引頭 弁ノ長等ニ 二一疋鞍 置一領ヲ一 同月廿六日勝長寿院并諸堂等挙アケ レ棟ヲ、入ル二五月ノ節ニ一之間、面々取テ二松明ヲ一沙二汰ス之ヲ一、 及テ 二暁更ニ一終フ二其功一、前武州被ル二監臨一  明ル廿七日ハ五月ノ節ニヨリテ、今夜中ニ終事、五月ハ火ニ当ル月タルニヨリテ忌成ヘシ、今モ  此心得アルヘキ儀也、仍書出ス 右東鑑の趣あら〳〵かくのことし、是みな古例なり、近くは下野国 日光山 東照宮御造替、寛永十一年甲戌十一月十七日御木作りはしめ、同十三 年丙子に造畢、御上棟まことに古来まれなる御事なり、棟梁は祖父甲良氏 豊後宗広は四位の束帯を着し、 御本社の幣振たてまつる、父左衛門宗次は五位の束帯を着し、 御本地薬師堂の幣を振たてまつり、叔父左吉宗久、予助五郎宗清豊前宗賀ト 改    、 其外引頭五人五位の束帯にてそれ〳〵の役を相勤む、亦布衣を着る者五 大倉新御堂=頼朝の供養 として実朝が建立した大 慈寺のこと。 嘉禎元年→一二三五年。 康元二年→一二五七年。 正嘉二年→一二五八年。 寛 永 十 一 年 → 一 六 三 四 年。

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十人、素袍長袴白丁を着する者に至まて、其席につらなる者凡五百人に及 へり、所々御備への飾り物、諸具水引の幔幕に至るまて、善を懸し美をつくし、 前代未聞御事、是を真々の御上棟と云へし、其御釿初に用るところの道具 箱、金銀をちりはめあらたに拵へと、御宝蔵に納り有之、此時豊後宗広に 賜御太刀鞘 巻御馬鞍 置一疋 一、左衛門左吉助五郎各御太刀鞘 巻御馬馬 衣 奉拝領之、其余引頭役人には御場に青銅を積みて被下之、其已後 此例を以て御上棟の度々御太刀御馬拝領の事多し 柱立之事 堂社に至りては、内陣の御柱を立、白布垂れて前に三種の引渡しを 三方に飾り備へ、同重ね土器を三方に備へ、御酒を供し、誦文して玉女神 金山神を祭り賀し奉るへし、儀式の品によりて大工は装束を着し、 是をつとむへし 上棟柱立釿初何事にもいにしへよりとなへ来る誦文有   迷 メイ 故コ 三 サン 界 カイ 城 シヤウ 故ゴ 悟コ 十 シツ 方 ホウ 空 クウ   本ホン来ライ無ム東トウ西サイ何ガ処シヨ有ウ南ナン北ホク 又云   南無阿ア那ナ含ゴン阿ア羅ラ漢カン二仏 是は法華経の序品の文なり、此文いにしへより唱へ来るなり   此二仏々法建立の最初に現しまします故に、今堂塔建立の時其縁   を以唱ふる事なるへし 柱を立初るに其家の東西南北の柱、四季によりて替へて立るとも云、或は 春は東より立そめ、夏は南より、秋は西より、冬は北より立る也、又いつれの 方にも構はす、唯其年の元方の柱を立初るとも云り、此類ひまたしいつれを 是としいつれを非とも云かたし、只其時の首尾に叶はん事を以清となし吉事 に取へし 右にしるすところ、内陣の柱を以て立初ると云ふ事、内陣は仏神の御内証 なれは立初るの義尤なり、又伊勢の神宮に神の御柱と云秘事有、若是を表 してする事にや、神の御柱の事は、其材木を伐出す始より、山口の祭りなと云神 秘のまつり神官の家に執行いまして、其御柱を立る等の事、色々秘する事とも有 となん、此等之事荒々知るといふともあさ〳〵しくせん事恐るへき事なり、伊勢 神宮之事は延喜式にも有之、其外内外の儀式帳なと云秘本なとにも 引渡し=本膳に杯を三つ 添えた膳部。また、三方 にのし・勝栗・昆布等を のせたもの。ここでは後 者か。

(27)

しるしこれあれとも、神宮の外他に用ゆへき事ならねは云へきにあらす、然とも 勧請の神宮田舎にも有へきなれは、神明作りの事は兼而たしなむへきなり 口伝多き事と知るへし  件一巻者、家業ノ中大ナル規式ニ乄而、職長輩不レ可レ不レ知、  祇ニ今黒田氏甚七郎宗信慕二予所業一、旦夕ノ悃勉  有レ可レ令二称美一、因レ茲父祖授受之書并加自録以  許焉  貞享元甲子年十一月二日  甲良豊前 宗賀(朱印・花押)

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参考文献リスト 河田克博 1988 『近世建築書-堂宮雛形』 日本建築古典叢書第3巻,大龍堂書店 2004 「加賀藩の木割書と大工の系譜―加賀建仁寺流を中心として―」『金沢城研究』第2号,石川県金沢城調査 研究所: 12-17 河田克博, 渡辺勝彦, 内藤昌 1988 「江戸建仁寺流系本の成立」『日本建築学会計画系論文報告集』 383: 121-133. 国立歴史民俗博物館 1996 『失われゆく番匠の道具と儀式』 国立歴史民俗博物館 坂本忠規 2018 「[史料紹介]黒田宗信伝来文書について」 『建築史学』 71: 80-94 正見泰 2011 「加賀藩お抱え大工の黒田家について」『日本建築学会計画系論文集』 76 (666): 1469-1474. 2012 「加賀八家の作事方の人材確保と役職について―加賀藩陪臣池上家を中心に―」『日本建築学会建築社会 システム委員会第28回建築生産シンポジウム2012』: 1-8 田中徳英 2008 『加賀藩大工の研究 : 建築の技術と文化』桂書房 田邊泰 1936 「江戸幕府大棟梁甲良氏に就て」『建築雑誌 』609: 123-129 内藤昌 1994 『復元安土城 : 信長の理想と黄金の天主』講談社選書メチエVol. 17,講談社

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Introduction and Transcription of New Historical Source: “Joto no maki” out of

“Kuroda Munenobu Denrai Monjo”

Tadanori SAKAMOTO* and Yuki KATO**

SUMMARY

The purpose of this paper is to introduce the outline and transcribe the “Joto no maki” (Scroll for topping out ceremony, completed in 1684), which explains builder’s rites, out of the “Kuroda Munenobu Denrai Monjo” (Documents from Kuroda Munenobu), a technical book on carpentry owned by the Takenaka Carpentery Tools Museum. Specific and detailed descriptions of the ceremonial offerings and origins of the rites in the “Kazari no koto” and “Sonaemono kazari no koto” sections, the order and dress of the participants in the topping out ceremony in the “Joto gyoretsu no koto” section, and the behavior of the “Yakunin shosa no koto” and “Chona hajime no koto” sections make this a valuable resource for studying builder’s rites.

* Chief Researcher, Takenaka Carpentry Tools Museum, Dr. Eng.

** Associate Professor, Environment and Heritage Design Course, Graduate School of Design, Kyushu University, Dr. Eng.

KEYWORD

図 5 「江戸城本丸上棟式図」(部分拡大、先頭から順に。東京国立博物館蔵)Image: TMN Image Archives  順番 役目 位高さ 人数 装束 従者 人数 装束 備考 1番 棟槌役 中3,左6,右7 3 束帯/大紋 銚子加え 6 素襖 2番 四方堅槌役 8 4 槌役より下 銚子加え 8 (素襖) 3番 幣持 - 1 素襖 4番 棟札持 - 1 素襖 5番 随身 - 2 / 4 (記載なし) 棟梁が束帯なら随身を立て、棟梁が大 紋・布衣等であれば随身は立てない。 弓矢を持つ。 6番 幣役 1

参照

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