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<随想>教職教育部での勤務の思い出―担当した業務を通して7年間を振り返る―

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Academic year: 2021

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1.はじめに

平成26年4月から7年間、近畿大学にお世話になりました。大阪府の公立学校教員を退職し ての再スタートです。しばらく、授業をする立場から離れていましたので、大学における90分 間という授業時間には当初、戸惑うのではないかという不安と若い教員希望の学生と交流でき ることへの期待の中での勤務でした。このような不安と期待の中で、始まった大学教員生活を いよいよ終了するにあたって、近畿大学での業務などを中心に、今想うことをここに述べます。

2.本学での業務に関する思い出

 担当授業科目から  教職入門について 1年目の前期は教職入門2クラス、後期は2クラス担当した。授業の内容については、田中 保和先生の資料を参考にした。 本科目については、「教職の意義等に関する科目」であり、 教 職の意義、教員の役割や職務内容等を学ぶ教職課程の第一関門科目として位置づけられている。 大学に入学して、教員を志す学生に対して、教育学の一部の理論を紹介するとともに、私の高 校現場における経験談を交えて授業を行った。学生からは、講義型の授業が中心であり、授業 に集中できないとか早口で聞き取りにくいという声をいただいた。この科目の第9回目に「教 職課程基礎知識確認試験」がある。60点以上でないと教職課程を取得する第一関門であるこの 科目の単位が修得できない。この確認試験に合格してもらうために、第8回目までの授業の中 に、「教職課程基礎知識確認試験」学習用問題集を意識した内容を付け加えた。しかしながら、 毎年数名の学生が確認試験に合格できなった。どうすれば良かったのか今でも悔やまれる。ま *近畿大学教職教育部教授

教職教育部での勤務の思い出

―担当した業務を通して7年間を振り返る―

西 修

一*

(NAKANISHI Shuichi)

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た、本年度は新型コロナウイルスの影響でオンライン授業となった。受講者人数は61名と、こ れまでの最高人数であった。昨年の受講生から感じた手ごたえを感じたかったが、パソコンの 画面に向いて授業をするのは、対面に慣れている者にとっては大変寂しかった。  生徒・進路指導論について 1年目は前期・後期とも3クラス、計6クラスを担当した。この授業は1年目だけ担当した。 授業については、文部科学省発行の「生徒指導提要」を活用した。この科目も田中保和先生の 資料を参考にした。本科目では、 学生たちは「生徒指導の理論及び方法」「進路指導の理論と 方法」を学ぶ必修科目である。生徒指導は、生徒が何か問題を起こしたときに実施される生徒 への指導だと考えている多くの学生に、 生徒指導の意義や課題、教育相談等について講義を 行った。進路指導については、私が教員時代に進路指導部長を経験したので、その経験をもと に、進路指導の基本的概念や進路指導の体制や指導のあり方について授業をした。この授業は 2回生以上が受講対象である。 また、 前期の受講生が3クラスで計175人、後期の受講生は3 クラスで71人であった。また、一番人数の多いクラスで77人、少ないクラスで17人であった。 受講者人数に偏りがあり、大学での初めての講義で80人近くの学生を対象に私にとってはかな り広い教室で、マイクを使用しての授業もあったので今から振り返るとかなりやりづらかった。 板書する字の大きさや学生の授業態度に気を遣ったのを思い出す。また、毎回、授業の最後の 10分程度を使って、今日の学びを各自でまとめ、提出してもらい、学生たちの考えを把握して いた。併せて、その提出物で出席を確認していた。余談になるが、4 年ほど前にこの授業を受 講した方から非常勤講師をされている大阪市立の高校で、声を掛けていただいた。私の事を覚 えていただいている事に感激した。  教職実践演習について 教職実践演習は、教職課程を学ぶ学生が4回生の後期に受講する科目である。その科目のね らいを、第1回目の授業で配付した資料から抜粋する。 教職課程の他の授業科目の履修や教職課程外での様々な活動を通じて、学生が身に付けた資 質能力が、教員として最小限必要な資質能力として有機的に統合され、形成されたかについて、 課程認定大学が自らの養成する教員像や到達目標等に照らして最終的に確認するものであり、 いわば全学年を通じた「学びの軌跡の集大成」として位置付けられるものである。 学生はこの 科目の履修を通じて、将来、教員になる上で、自己にとって何が課題であるのかを自覚し、必 要に応じて不足している知識や技能等を補い、その定着を図ることにより、教職生活をより円

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滑にスタートできるようになることが期待される。 なお、この科目には201教室で他の教職教育部の教員のクラスと合同で実施されるときが ある。 1 年目は201の教室に圧倒されるほどの学生がいたのだが、ここ数年は教員の希望者 が減少しているのか、以前よりは人数があまり多くない状況が続いている。開放制の本学で教 員免許を取得することは大変難しいことであるが、学校教育の現状や教育のあり方を学んだ学 生が数多く巣立ってほしい。 なお、この授業は唯一、私が教科指導ができる時間が確保されている科目でもあった。それ は、講義の後半に模擬授業などが組まれており、理工学部の教員とともに、受講生に教科数学 の話ができる楽しい時間であった。理工学部の教員からの示唆に富んだ助言には私が気づかな いこともあった。  教員採用選考対策指導から  教職ナビについて 1年目は学生主体のサークルである「教職ナビ」を田中保和先生と上林正博先生とともに担 当した。教職ナビの学生には本当に頭が下がる。教員になるという夢の実現に向けて、入学当 初から教職ナビの活動を主体的に行っている。例えば、4 月から講義が始まる中での面接指導 や模擬授業の練習、さらには学級活動の時間に紹介できそうなゲームなど、人間関係調整力の 構築に向けた取組もあった。6 月と12月には大阪府立少年自然の家での合宿もあった。その合 宿には教職ナビを経験した卒業生も応援に駆け付けていた。教職ナビの絆の深さと、教職ナビ 生の教員になりたいという熱い思いが溢れ、若さを感じた経験であった。卒業式の当日、1年 目に担当した教職ナビの学生から教職ナビの活動を写真に納めたアルバムなどをいただいた。 いまでも、研究室においている。本学での私の記念の一つである。  面接指導 「教育は人なり」と言われるように教員採用選考試験で面接は大きなウエイトを占める。 教 職ナビの学生は本当に熱心に面接指導を受ける。今思うと、面接指導を通して、学生自身がど うして教員になりたいのかを見つめ直す貴重な場であったと考える。面接を通して、学校の現 場でどのような事が起こっているのか、また、子どもたちにどのように向き合えばいいのかな ど、私も一緒に考えていた。また、夏季休業中も暑い中大学へきて、面接練習として90分間と いう約束で指導をしたが、あっという間に時間が過ぎ、時々予定の時刻を過ぎることもあった。

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でも、このような努力を重ねた学生から「採用試験に合格しました」と報告を受けたときは、 この仕事に就いてのやりがいを感じる瞬間でもあった。なお、6 月の土曜日などに教職教育部 だけなく他学部の教員と一緒になって、面接官をする場がある。学生たちは、いわゆるスーツ 等に正装して、緊張して面接に臨んでくれるのだが、それ以上に私も緊張していた。他学部の 教員からの示唆に富んだ助言・指導に私も「今の会話からそう感じるのか」など新たな発見も 数多くあった。本学における私自身の学習の場でもあった。  模擬授業の指導について 大阪府教育委員会が教員採用選考試験に模擬授業を導入した。集団面接を廃止しての実施で あった。4 分30秒という与えられた時間で、受験生が学習指導要領に記載されたテーマを教科 書や教科の解説を読み込んで内容を考え、複数の面接官の前で実施する。他の自治体でも実施 されている。その方法は様々である。教育委員会はどのような視点でこの模擬授業の内容を見 ているのかを考えて指導した。例えば、教科的な内容とともに、目の前にいる児童・生徒たち とのやりとり、目線などについて指導した。本学の学生たちは題目を自分なりに読み砕き、指 導案や板書計画を考えていた。その学生たちの思いを生かしながら、よりよくするにはどうす ればいいのかを助言・指導することは楽しかったし、やりがいがあった。でも児童・生徒はい ない中で、パフォーマンスをするのは学生には酷なような気もしないではない。  教育関連法規の指導について 正規の授業科目以外に、教員採用選考試験における教職教養科目の内容を指導する機会が あった。一つは、1 年目の「スタート講座」である。この講座は田中保和先生と上林正博先生 と3人で分担して実施した。私は教育法規の担当だった。大阪府教育委員会事務局で教育行政 に関わったとき、社会教育課では主に社会教育・生涯学習関係の法規、そして、義務教育課で は、就学事務や教科書に関する法規などに触れていた。この講義では教員採用選考試験によく 出題される日本国憲法・教育基本法・学校教育法・地方公務員法など指導主事等試験で学習し た内容も思い出しながら、教員養成セミナーや教職課程といった採用関係の雑誌を参考にして、 教材を作成した。5 月から週一回、計5回の授業であったが、4 回生が中心であったため、教 育実習期間と重なり、回を重ねるに従って参加人数が減った。また、9 月から12月にかけて、 3  回生を中心にした「スタート講座」が始まった。8 回の指導案を考える必要があった。5 月 に実施した授業の教材をさらに深めるとともに、毎回取り上げる法規を変えた。取り上げた法 規は、先ほど述べた法律以外に、いじめ防止対策推進法や教育公務員特例法、学校保健安全法

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などがある。私も様々な法律を学び直す機会にもなった。学生には確実に意味も含めて、条文 を覚えるように指導した。 もう一つは、3 月の春期集中講座である。この講座は、教職教育部の教員だけでなく、他の 学部の教員にも協力を呼び掛けて、9 日間実施されている。教員をめざす学生に対して、本学 が全学体制で取り組んでいる取組の一つである。本学の力の入れように感激した。私はこの講 座では、「教育関連法規Ⅰ・教育関連法規Ⅱ」の2講座を7年間担当した。受講生は毎年100名 近くいた。この講座の教材には、演習問題をいれているため、私が購読している日本教育新聞 からも直近の教員採用選考試験問題を収集し、受講者に回答してもらった。それ以外にも、 ネットで公表されている大阪府・広島県・東京都などの問題を検索して準備した。このように 常に出題されている法規や条文は何があるのかを意識しながら、資料作りをしていた。私も準 備が大変だったが、受講生は本当に熱心に参加してくれた。受講生には感謝している。  Eメール講座論作文の指導について 指導主事等試験の中に教育論作文があった。当初は、前文・本文・結論という形式にも慣れ ず、苦労したことを思い出す。その私が今度は学生を指導する立場になった。本学の教職教育 部が平成21年に発行された「教員採用試験のための論作文」や教員養成セミナー・教職課程に 記載されている論作文コーナーを参考に助言した。この指導は農学部の学生も参加するため E メールで行っている。私はワードの校閲機能などを活用して、コメントを付記した。また、学 生には迷惑だったかもしれないが、東大阪キャンパスで会える学生には研究室に来ていただい て指導・助言もした。さらに、一度だけだが、模範解答を作成するように担当者から依頼され た。書くことが苦手な私にとっては、本当に試練であった。学生の気持ちが少しは理解できた 瞬間かもしれない。  委員会活動などの思い出  所属した委員会について 1年目は進路委員会、教育実習委員会、教務委員会、人権・ハラスメント全学対策委員会に 所属した。進路委員会では、副委員長を上林正博委員長のもとでさせてもらった。上記のに 記載した内容は進路委員会が行っている取組の一部でもある。また、教務委員会ではシラバス の作成・点検、教育実習委員会では、教育実習に関わる取組を経験した。教職教育部に所属し ている教員がそれぞれの役割を与えられ、本学の教職課程の運営を担っているという認識を持

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つことができた。なお、4 月当初のガイダンスでは将来の職業の選択肢に教職を考えている学 生たちと会う事ができた。とりわけ、新入生を対象としたガイダンスでは、これからの本学の 学びに夢と希望を抱いているような輝きを感じる学生が数多く見られた。  教職教育部開設30周年について 令和元年11月23日に記念祝賀会がシェラトン都ホテル大阪浪速の間で行われた。 会場には本学を卒業され、教壇に立って活躍されている方をはじめ、多くの方が参加されて いた。毎年実施されている同窓教員親睦会でも感じたことだが、同期生の横のつながりと、本 学終了という縦のつながりを強く意識した場でもあった。もちろん、近大マグロの刺身も堪能 した。  本学の行事から 平成26年度入学式は、今まで、私が経験したことのないような盛り上がりのある入学式だっ た。本学の卒業生であるつんくさんがプロデュースされていた。志願者数日本一であることの 演出、メダリストの寺川綾さんの司会など、会場の2階の片隅から「すごいな」と思ってみて いた。また、入学式の会場に行くまでの道路も入学生やその保護者の数に圧倒された。新人教 員研修だったと思うが、広報部長がなぜあのような入学式を行うかの理由について次のように 語っていた。「残念ながら、本学に第一希望で入学する学生はまだまだ少ない。その割合を伸 ばしたい。そのために、本学に入学した喜びや我々が歓迎していることをまず示すのだ」とい う趣旨のことを語っておられた。近大マグロで一躍マスコミに取り上げられ、大学の広報活動 でも独自路線を突き進む本学の気概を感じた。今年の教職入門をオンライン授業でやっていた が、 そのうちの一人がまさに、「本学は第一希望でなかった」と言っていた。 コロナ禍でこの 学生に本学の気概がいっぱい詰まった入学式を経験していたら、この気持ちは変わったと思う。 コロナ憎しである。また、卒業式では著名な方を講師に招き、学生へのはなむけの言葉を贈っ ている。私的には、2012年にノーベル生理学・医学賞を受賞された山中伸弥さんの話が記憶に 残っている。いい話を聴かせていただいた。  病名「左被殻出血」について 平成27年5月26日5限、10号館1001教室で教職入門の第7回目の授業をしていた。あと10 分程度で授業が終了する頃だったと記憶している。後ろに座っている学生数人に何かを問いか けていたと思う。そのとき、右手に持っていたボールペンが床に落ちた。それを右手で拾おう としたが、うまく拾う事ができなかった。仕方なく、左でボールペンを掴んだ。その後、教卓

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の傍にある椅子に座り込んだ。学生の誰かが、私の異変に気づいてくれて、近くにあった同窓 会事務局に職員を呼びに行ってくれたようである。このあたりから断片的な記憶しかない。応 接室のようなところで寝かせていただいこと、救急車に乗っていたこと、そして、東大阪市横 枕にある河内総合病院の病室にいたこと。しばらく入院し、6 月6日に無事退院することがで きた。そのときの診断書に記載してあった病名が「左被殻出血」である。私はこれまで入院歴 も病気休暇を取得したこともなく、身体にはどちらかと言えば、自信があった。今から思うと、 2  年目から連合教職大学院に本学から出向しており、勤務形態が変わった。当時のスケジュー ル帳を見返すと、倒れる2週間前は平日は業務があり、土日には地元の自治会の活動などの私 的な用事が書き込まれていた。私自身が気づかない間に、疲労等が溜まっていたのではないか と思う。なお、助けを呼んでいただいた学生の方や本学の職員の皆様には適切な処置・素早い 対応をしていただき心より感謝申し上げる。一分一秒を争う病気だったと思うと、今、このよ うにパソコンに向かい、たどたどしい当日の記憶を整理しているのは不思議な思いである。ま た、その後の休暇中に教職入門の授業をしていただいた西仲則博先生には改めて、心から御礼 を申し上げます。ご心配とご迷惑をおかけした学務部や教職教育部の皆様にも心から御礼を申 し上げます。

3.連合教職実践研究科への出向

平成27年4月に本学・関西大学・大阪教育大学が連合して大阪教育大学の天王寺キャンパス に大学院教職実践研究科高度教職開発専攻を開設された。いわゆる、教職大学院が設置された のである。私は本学から連合教職大学院へ出向することになっていたので、その開設準備にも 本学勤務の1年目から関わった。開設1年目には4名の学生が本学から進学した。その学生の 中には、教職ナビのナビ長を務めた山本健太郎さん(現在、大阪府立東大阪支援学校勤務)も いた。山本君は大学院では私のゼミ生でもあったので、今でも時折連絡を取り合い、学校現場 での様子を聞かせていただいている。この教職大学院に関しては、本学の教職教育部の教員に その状況を把握していただくため、毎月一回の全体会で、時間を確保していただき、現状報告 をさせていただいている。私は昭和52年に大阪府立の高等学校の教員になったときには、想像 すらしていなかった大学院での指導を経験させていただいた。一緒に働く教員は実践研究に秀 でた研究者や教育行政・学校現場で管理職などを経験された方々であり、共に新しい学びの場 を創っていくという仕事はやりがいもあり、重い責任もあった。ここ数年は、本学からの教職

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大学院への進学希望者も減少傾向にあり、関係者からは「学生の確保をお願いします」と言わ れていた。そのような中、2021年度第1次入試では、推薦制度を活用した学生が6名、一般入 試でも2名の学生が志願して合格してくれた。 学校現場では、いじめ・不登校、ICT(情報通信技術)の活用など課題が山積している。そ の課題に理論と研究心を持った教員として、なおかつ、実践的指導力を備えた教員として、教 職大学院を終了された院生には活躍していただくことを心から願っている。また、志願者をで きるだけ増やすため、Googleclassroom への教職大学院希望者のクラスの設置、Zoom による 学内説明会の実施など様々な事務を担っていただいた学務部の赤間亮介さん、鈴木郁華さんに 心よりお礼申し上げます。

4.終わりに

大阪府立学校教員に採用され、指導主事・教頭職や大阪教育大学への派遣、最後には校長職 として退職となった37年。そして、本学の7年間、数多くの生徒や学生に触れ合った。私は小 学生の頃、「青春とはなんだ」というタイトルのテレビ番組を見て、 教員に憧れ、 部活動とし て中学校・高等学校でラグビーを経験した。また、高校の OB チームでもラグビーを続け、高 校教員時代はもちろんラグビー部の顧問をさせていただいた。 20代の頃の私は、わがままで自分のクラスさえ、まとまっていればいいと考えていた。30代 では少しは周囲を見ることができ、学年の生徒たちの事を考えるようになった。30代後半では 進路指導部長を担う事になり、学校全体してどのように生徒を進路実現・自己実現させるかを 考えた。今思えば、先輩教員の助けも数多くあり、部長のときには、PTA 役員の皆さん方から 絶大なるご協力もいただいた。教育行政時代や管理職時代にも本当に多く方々にご支援・ご協 力を賜り、今の私が存在している。主として学校現場に関わってきた44年間の締めくくりとし て、この原稿を仕上げることにより、私の教員生活に一区切りをつけることができた。 このような私の思いを吐露できる場と機会を与えていただいた教職教育部の教員の皆様に心 より御礼を申し上げます。また、日常の事務等で大変ご迷惑をおかけして、お世話になった学 務部の皆さん、本当にありがとうございました。 そして、教員として働かせていただいた近畿大学に感謝します。「人に愛される人、信頼さ れる人、尊敬される人」の育成にこれからも取り組んでください。

参照

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