心に
著者
島本 浣
雑誌名
平安女学院大学研究年報
号
20
ページ
21-31
発行年
2020-03-01
URL
http://id.nii.ac.jp/1475/00002410/
-- 19 世紀の「パリ案内」を中心に --
島本
浣
平安女学院大学研究年報 第 20 号 抜刷 (2020 年 3 月)
観光ガイドブック考
−− 19 世紀の「パリ案内」を中心に −−
島本
浣
要 旨
イーツーリズム(e-tourism)の時代が到来し、観光ガイドブック(以下ガイドブック)のかつての役 割はは少し下降気味である。しかし、観光の発展にガイドブックが大きく寄与したのは間違いない。 このエッセイに綴るのは、ガイドブックの誕生期の諸相の概観とテクストとしてのガイドブックの分 析である。ガイドブックの登場は、産業革命とともに近代社会が産声をあげる 19 世紀前半のヨー ロッパにおいてである。その時代はまた、それまでの時代とは異なった旅行の形式、観光旅行(ツー リズム)が誕生する。ある意味、観光とガイドブックは表裏一体の近代的な文化現象とも言える。そ のガイドブックは 1830 年代から 40 年代にドイツ、イギリス、フランスで出版されるようになる。 トーマス・クックが初の団体旅行を行なった時期である。出版の経緯にも触れつつ、焦点を、日本で はほとんど紹介されていないフランスの「ジョアンヌ・ガイド」の「パリ案内」に当て、19 世紀近 代の都市ガイドブックを情報としてではなく、記述形式を分析することで、ガイドブックとは何かを 考える。はじめに
大学で西洋美術史を長く教えていたこともあり、学生を連れてヨーロッパの美術旅行をしてきた。 その旅行で、ここ 5 年ほどの間に強く印象に残ったことがある。学生たちが観光ガイドブックを持た ないようになってきたことに、である。少し前まで、ほとんどの学生は −− 一般の観光客も同じだろ うが −−、ガイドブックは必携だった。それが、持たなくなってきたのだ。ガイドブックを調べよう と思った小さなきっかけでもある。 持たないといっても、学生たちがガイド(案内)されていないのではない。彼女(彼)たちは旅行案内 をコンピューターのデバイスから受けとっているのだ。今の言葉では e-ガイドというのか。旅行先で もいつもスマホを見ている。日本からのメールやニュースだけでなく、旅行先の情報にスマホを利用 している。今では、スマホでヨーロッパの都市情報を日本語で見ることもできる。そのおかげで、目 的地までもあまり迷わないし、集合時間に遅れる学生は減った。こんな観光情報デバイスの変化を実 感すると、ガイドブックは過去のものになったのかもしれないとも思い、私の世代にはガイドブック へのちょっとしたノスタルジーもわいてくる。イーツーリズムの時代になってきたのだろう。ガイド ブックはなくてもいいが、スマホがないと旅行できない時代なのだ。 ここに綴るのは過去のものになりつつあるガイドブックについてのエッセイ、それも主に 19 世紀 のパリのガイドブックを追いながら、ガイドブックとは何だったのかを考えるきっかけにしたいと 思ってのことである。その前に、ごく簡単に観光そのものについて触れておきたい。 〔キーワード〕 19 世紀、観光、ガイドブック、パリ、ジョアンヌ・ガイド観光と研究
日本では最近、観光研究者たちが観光を「ツーリズム」とカタカナ化するようになってきたが、こ こでは従来通り「観光」の用語を使っていく。日本での歴史性を尊重してのことである。 ともかく、観光全体の研究には膨大な領域がある。政治、経済、文化、テクノロジー等々、いわば 社会全体、それも近代以降の社会に関わっている、というよりそのものとも言えるので当然かもしれ ない。19 世紀に登場する近代社会の思想・経済・文化を含めてのシステムと密接に関係しているか らだ。観光誕生の 19 世紀を見ても、新しい労働概念(あるいは労働思想)における余暇の創出に深く 関係するし、産業革命による新しいテクノロジーの登場(特に蒸気機関の発明による移動のスピード 化)、さらに新しい視覚マシーン(写真)、加えて、観光旅行の重要な要素である芸術とその概念の変 化(あまり話題にされていないが非常に重要な問題である)、さらに新しい情報媒体(ガイドブックや 新聞の旅行記事など)の登場等々。大袈裟に言えば、観光は 19 世紀近代社会のメタファーでもある。 そして、20 世紀に入ると、19 世紀の近代社会のシステムは急速に加速する。観光は地球規模の産業 として発展し、20 世紀の終わりまでには一大産業となる。ちなみに、世界観光機構(WTO、現在は 国連の専門機関であることを示すため UNWTO と表記される。1925 年にそのベースが組織された) の公式サイトには、2018 年の世界の GDP の 10%、世界の雇用の 10/1、観光輸出は 1.6 兆米ドルとい う数字が発表されている1)。こうした観光の大産業化は個人的にも実感される。私のように観光都市 京都に住んでいるとなおさらだ。 そうした観光発展の中で、観光研究は他の研究分野に比べて後発である。旧来のアカデミズム(学 問)の伝統との繋がりが少ないせいかもしれない。なかでも、このエッセイが扱う社会文化学として の観光研究はさらに遅れる。研究の輪郭が見え始めたのは 1960 年代だと思う。なかでも、ガイド ブック研究はさらに後発で、本格化するのは 20 世紀末からだろう2)。 このエッセイはその流れにあるが、ガイドブック全体を総合的に分析しようというのではなく、焦 点を大観光都市パリに絞り、その中から 19 世紀後半の一冊を取り上げ分析しようと思う。観光が本 格的に発展を始める近代にあって、パリのガイ ド ブ ッ ク が 観 光 都 市 パ リ を ど の よ う に 記 述 (description)しているかを見ることで、ガイドブックとはどのような文化装置なのかを、そのエクリ チュール(書かれていること)の中に探るきっかけにしたいという、ささやかな試みである。ガイドブック
まず、ガイドブックという書籍を規定しておこう。ここで言うのは、各地の旅行案内が「ひとつの シリーズ(叢書)として長期間刊行され続けた(されている)旅行案内叢書総体」のことである。現代の 日本での「地球の歩き方」や「ブルーガイド」を思い出してもらえばいい。このシリーズ化されたガ イドブックが誕生・成長したのが 19 世紀前半から中葉以降であるのは、観光を考えるとき重要であ る3)。 よく知られているように、そもそも、旅行を意味する英語のツアー(tour)、旅行者のツーリスト (tourist)、そしてツーリズム(tourism)という言葉も 19 世紀に誕生している4)。観光とガイドブック は、ある意味、表裏一体の文化的現象なのである。つまり、近代以前の旅行に起源を持ちながらも、 その文化的位相を異にする観光は、ガイドブックとともに誕生したと言えるのだ。 19 世紀以前、シリーズとしての旅行案内書はほとんどないし、また、「旅行ガイド」(英語で travel guide あるいは handbook for travellers、仏語で guide touristique、guide des voyageurs)という用語 もないに等しい。例えば、よく知られるグランド・ツアー5)最盛期の 18 世紀には、仏語の旅行案内書も数多く出版
めの「ガイド」という用語も比較的新しく、これも 19 世紀に定着していった用語である。フランス の国立図書館の有名な電子図書サイト・ガリカ(gallica)で「ガイド」を表題に持つ 18 世紀の旅行記 や案内書の検索でもはっきりした6)。 さて、ガイドブックは 19 世紀まで存在していなかったと書いたが、細かく調べると、実は 1 点存 在する。といっても、シリーズでの刊行が意図されていたとは思われないので、厳密にはここで言う ガイドブックではないが、19 世紀のガイドブックの記述形式が出現しているという点では、ガイド ブックのひとつの起源といってよいかもしれない。18 世紀末の 1784 年に、ドイツのライプツッヒで オットカール・ライシャルト(Heinrich August Ottokar Reichard)によって出版された『全ての旅行 者のためのハンドブック』(Handbuch für Reisende Aus Allen Ständen)である。この『ハンドブッ ク』は 19 世紀初めにフランスで名前を変え「リシャールのガイドブック」として出版され、広く知 られていく7)。 この「リシャールのガイドブック」の後、19 世紀前半から中葉に誕生するのが、近代ガイドブッ クの起源として広く知られる 3 点のガイドブックである。ドイツの「ベデカー(Baedeker)・ガイ ド」(以後ベデカーと略記)とイギリスの「マレー(Murray)・ガイド」(以後マレーと略記)、少し遅れ てフランスの「ジョアンヌ(Joanne)・ガイド」(以後ジョアンヌと略記)である(表題に「ガイド」と いう言葉を用いるのはジョアンヌだけで、他はハンドブック)。細かな経緯を追い出せばきりがない ので、ここではごく簡単にその輪郭を書いておく8)。 一般にガイドブックの始まりとされるのは、カルル・ベデカー出版からの 1832 年の『マインツか らケルンまでのライン川旅行』(Rheinreise von Mainz bis Cöln; Ein Handbuch für Schnellreisende)だ が、実際には、コブレンツの出版業者を買取り、そこで出版された上記のガイドブックをベデカーの 名で出版したものだった。本格的なベデカーのガイドブック(ベデカー自身が編集・執筆に大きく関 わったという意味で)が誕生するのは 1839 年のことである(オランダとベルギーのガイドブック)。よ く言われるような、ベデカーをガイドブックの起源とするのは、厳密には正確ではない(このことは 現在では研究者にはよく知られている)。ベデカーが始まりとされたのは、先の 1832 年のものがベデ カー出版からであること、さらに後年、3 ヶ国語(英・仏・独)での出版によりヨーロッパ全体で最も 知られたガイドブックだったからだろう。日本でも、ベデカーの名は明治以来の欧州旅行記にはしば しば登場している9)。
2 番目のイギリスのマレーの最初は 1838 年の『大陸旅行ガイド』(A hand-book for travellers on the continent)で、オランダ・ベルギー・ライン河地域とフランス・南ドイツ・スイスの 2 巻から成って いる。この最初のマレーを下敷きに、ベデカーは 1839 年に自身の手になる最初のガイドブック『オ ランダ・ベルギー』を出版するのである10)。 次は、このエッセイの中心となるフランスのジョアンヌ。このガイドブックの書誌を追いかけるの は省略するが、内容に入る前に、ガイドブックという書籍が 19 世紀前半の観光旅行誕生に伴う大き な文化装置であると同時に、18 世紀までのグランド・ツアー的貴族旅行の大衆化のプロセスを伝え るものであることを頭に留めておきたい。その記述方法には観光とは何なのかがよく示されているか らだ。19 世紀前半は、観光旅行の曙であると同時に、ガイドブックのそれでもある。後半になると ガイドブックも大きく発展することになり、同時に、観光旅行も大規模な産業への飛躍が始まってく る。繰り返すが、ガイドブックと観光旅行は表裏一体の文化現象なのだ。仏語圏での発展(普及する という意味で)に大きく貢献したひとつが、ジョアンヌなのである。
ジョアンヌとギド・ブルー(「青ガイド」:Guides bleus)
日本ではあまり知られていないが、ジョアンヌとその後継ガイドブック「青ガイド」は、フランスではもっとも有名なガイドブックである。その成り立ちを簡単に振り返っておく。1841 年にジャー ナリストで文筆家のアドルフ・ジョアンヌ(Adolphe Joannne)が編纂した『スイス・ジュラ・バーデ ンーバーデンと黒い森……の歴史とその旅行概要』(Itinéraire descrriptif et historqe de la Suisse, du Jura, de Baden-Baden et de la Forêt Noire···, chez Paulin)が始まりである11)。以後、スコットランド、
北ドイツ、南ドイツ、パリと近郊のガイドを編集しながら、ジョアンヌはフランスでもっとも知られ るガイドブックになっていく。そして、1855 年、すでに大出版社であったアシェット社が刊行し始 めた啓蒙的な小型叢書「鉄道文庫」(Collection de la bibliothèque des chemins de fer)12)の一カテゴ
リー、「観光ガイドブック叢書」として加えられる。「鉄道文庫」に入ったこともジョアンヌの名を仏 語圏に広めることになった。 19 世紀後半になると、編集担当はアドルフから息子のポールに移り、最終的には 1919 年まで続く。 「鉄道文庫」に従属するというより、独立したガイドブック叢書として名を馳せていったのである。 その後はアシェット社本体が編集・出版を引き継ぎ、名前を変え、「青ガイド」、仏語で「ギド・ブ ルー」(Guides blues)として刊行され、現在まで続いている13)。また、このガイドブックは最初、イギ リスのマレーの後続出版社との合同出版でもあり、両国で「青ガイド」として 1917 年に出版され 1933 年まで続く。その後は、「青ガイド」の名は同じだが、別々の出版社から刊行され現在まで続い ている14)。
ジョアンヌとギド・ブルーの「パリ案内」を読む?
昨年、パリのトロカデロにある市立観光図書館で、ジョアンヌから「青ガイド」までの「パリ案 内」を年代順に数十冊ざっと読んだ(目を通した)。もちろん、参考のためにベデカーとマレーも。研 究のためとはいえ、かなり疲れたし退屈でもあった(記述の基本はあまり変わらないのと記述量の多 さのせいで)。といっても、そのおかげでヨーロッパの都市ガイドの概要がほぼつかめた。このエッ セイの直接のきっかけである。 まず、ガイドブックを「読む」とはどういうことなのかを考える。それは文学(狭い意味での)では ない。書き手の主体性は、「美しい」といった形容詞や観光地の価値評価のためのゴチック体表記や ☆印(非常に重要な点だが、分析のためには別の論考が必要となる)を除いて、おおむね排除されてい る。従って、ガイドブックは「読まれる」書物だが、小説やエッセイのそれとは違う。旅行先の実利 的情報をチェックし、旅行先では参照する、そういった参照的「読み」である。シリーズでないもの には例外はあるが15)、あくまで実用書なので文章に文学的感動をそれほど求めないだろうし、愛読書 にすることもほとんどないだろう。当たり前だが「実用書」なのだ。「情報書」と言ってもよい。 そのガイドブックは誕生時からたいして変わっていない。情報の内容は時代とともに変化するが、 本の構成と記述はほぼ変わらないので、「変わってない」という印象になる。変化が出てきたとすれ ば、1960 年代後半からだろうか。新ロマン主義的な個人旅行が登場してきてからである。この変化 に関しては、何度も書かれてきたが、まだまだ突き詰める必要はある。 さて、モデルとして読むのは、1875 年に出版されたアドルフ・ジョアンヌ編纂の『挿絵入りパリ 案内』16)である。案内のための図版(地図も含め)が数多く入ったガイドブックである。『挿絵入りパリ案内』のページ構成
さて、最初にページ構成を見てみる。ガイドブックの一般的な形式でもある。都市のガイドブック が目につくようになるのは、19 世紀後半になってからで、パリとロンドンが中心である。おそらく 万博の影響が大きいのだろう。アーバン・ツーリズムという視点の発生である。ジョアンヌ最初の 「パリ案内」は 1863 年。以後何度も再販され、また改訂版も出る(新しい情報があるので当然である)。『挿絵入りパリ案内』もそのひとつだが、「挿絵入り」(写真ではなくエッチングによる図版)と銘打つ ほどなので、挿絵(図版)は、それまでのガイドブックに比べればはるかに多く、442 点が挿入されて いる17)。全ページ掲載のものと文中に挟まれるものを合わせての数字である。ただ全体が 1125 ペー ジあまりと膨大なので、現在の目からはそれほど多いとは感じない。ともかく、1875 年の『挿絵入 りパリ案内』にはパリのすべてが書き込まれているように見える。他の「パリ案内」もほぼ同じであ る。言葉でパリを紹介しつくそうとする 19 世紀ガイドブックには、19 世紀の観光の概念が透けてみ えるが、そのことはまたとしよう。 最初はガイドブックの全体の構成と内容が書かれる「目次」。これは今も昔も変わらない。続いて 編纂者アドルフ・ジョアンヌの「前書き」(出版の経緯、パリの全体概要、そして編者の意図等)が 18 ページにわたって書かれる。この「前書き」も興味深いが、先を急ごう。続いて「序文」として「パ リ実用情報」である。5 項目に分けて紹介される。 1 項はパリ到着時の乗り物案内等。2 項はパリの地区紹介とホテルなど宿泊施設、レストラン・カ フェ、ワイン店。タバコ屋、風呂屋、公衆トイレの紹介などもある。3 項は大使館、領事館、役所と 主な行政機関、警察、郵便局、電話、両替屋、読書室、写真展など。4 項は、パリでの過ごし方で、 美術館、記念物館、公的施設、劇場紹介、5 項が船・バス・鉄道の案内と郊外への交通案内となって いる。 これで 65 ページ。「序文」が長いのは、本編ほどではないが長い記述のせいである。実際は手に取 らないと実感できないが、とりあえず「序文」2 項でのホテル紹介についてごく簡単に紹介する。次 のような書き出しで始まる。 「宿泊の選択はパリを訪れる外国人にとっていちばんの関心事だろう。仕事であれ、勉学や観光で あれ、快適にパリで過ごせるかどうかは、ホテルの選択にかかっている。……費用に関してはホテル のある地区、ホテルのランク、ロケーションの雰囲気によって様々である。また、滞在期間によって 20 から 25 フランの割引もある。」18) 続いて、ホテルの多い地区とホテルの等級の説明があり、地区別に高級ホテルから中級ホテル、家 具付きアパートなどが料金情報とともに紹介されていく。といっても、パリの 20 区すべてのホテル を網羅しているわけではない。当然、観光客の多い地区のホテルが中心である。この紹介の仕方は現 在も変わらない。1875 版で最初に紹介されるのは現在でも有名な「グランドホテル」(Grand Hôtel) である。「今日のパリで最大かつ最も美しいホテルで、カプシーヌ大通りにあり、スクリーブ通りと オペラ座広場の間に位置する。その食堂はパリでもっともモニュメンタルなものであり、時に舞踏場 ともなる。……」19)という所在地から始まり、ホテル内施設などが 12 行にわたって解説される。他の 高級ホテルの紹介もほぼ同様。そして、次はレストラン案内。ホテルと同じように、地区ごとに高級 店から庶民的レストランまでが、これも地区に従って、3 ページ半続く。ページ数を書いているが、 現在の活字で 8 ポイントほど。それが 37 行にぎっしり詰まっていているので、情報量はかなりのも のである。 ガイドブックの序の口なのに説明が細かく、現在の私たちからは読み進めていくのが少々鬱陶しく なってくる。19 世紀の書物が言葉中心であることを再認識する。繰り返すが、これは「序文」なの である。序文としての「パリ実用情報」は、もちろんこのガイドブックの中心ではない。序文の後に 本格的な「パリ案内」が始まるのである。そこでは、パリの政治・社会状況概説の 1 章から鉄道解説 の 25 章までと補遺。図版と地図、そして索引などを含めてガイドブック全体で 1125 ページ。 「序文」にでは、パリ観光(2 週間あまりの滞在者のための情報でもある)のために必要な事柄はほ ぼわかるようになっているが、「本編」ではいっそう詳細な情報を伝えようとする。「序文」で簡単に 説明された項目が繰り返されることも多い。本文の 25 章をすべて紹介するのは不可能なので、興味
ある人はネットで見てほしい。ここでは、ページ数の多い章(重要な観光ポイントということだろう) だけを紹介することにする。教会(カトリック、プロテスタント、ロシア正教、ユダヤ教)を紹介・解 説する 8 章、美術館と美術品コレクションの 14 章、図書館や科学館などの 16 章に多くのページが割 かれている。 宮殿などの歴史的建造物、美術館、博物館がパリの、それだけでなく都市観光の中心となっている のは、18 世紀のグランド・ツアーでの名所巡りを引き継いでいる。いわば「歴史巡り」としてのパ リ案内である。なかでも、美術館は詳しく記述される。19 世紀は美術館の時代となった世紀であり、 ガイドブックにはそれが反映されている。なかでも、「ルーヴル美術館」紹介はページ数も多い。美 術館が観光の中心になることの歴史と意味も興味深いが、今回は省略しよう。
ルーヴル美術館案内
パリは何よりもルーヴル美術館である。現在も 19 世紀もルーヴルはパリ観光の中心だが、その紹 介は宮殿史と建造物としてのルーヴルと、いわゆる美術館としてのルーヴル紹介の二つに別れ、それ ぞれに詳細な記述がなされる。重点は美術館としてのルーヴル。パリの美術館紹介の全 165 ページの 内 72 ページが割かれ(宮殿としての紹介は 9 章「宮殿」の中で 24 ページ)ている。その美術館紹介は 当然ルーヴル美術館から始まる。 「現在の私たちの国立美術館の始まりをフランス王の収集室形成まで遡るとすれば、それはヨー ロッパで最も古い公的収集室であるフィレンツェのウフィッティ美術館と同時代に始まったと言える だろう。そう考えれば、ルーヴル美術館の創設者はフランソワ 1 世となるだろう。……」20)。すべて が歴史から始まるのだ。ここまでも触れてきたグランド・ツアー時代の旅行記から受け継いだ記述で ある。ガイドブックの編纂者は、観光旅行は歴史を学ぶものと見なしているのだ。この概念は 20 世 紀にも続くだろう。ここからすれば、観光は歴史を学ぶことの大衆化とも言えるだろう。 ルーヴル美術館の作品収集史を振り返った後、館内の展示作品紹介が続く。最初にルーヴル内にあ る 15 の美術館(展示品のある部屋のことで、複数の部屋から構成されている場合も少なくない)− 「絵画館(musée de peinture)」、「彫刻館」から「エジプト美術の部屋」や「民族芸術館」、そして 「王室コレクション館」、「七宝・宝石室」から最新の「ナポレオン 3 世館」やルーヴルに寄贈された ばかりで話題を呼んだ「ラ・カーズ・コレクション館」までの 15 の美術館の特徴(時に来歴も)が解 説される。最初の「絵画館」は次のような解説である。短いので全文記しておく。 「絵画館には、F.ヴィヨ氏によって刊行されたカタログによれば、558 点のイタリア絵画、618 点 のドイツ・フランドル・オランダ絵画、約 650 点のフランス絵画と 20 点あまりのスペイン絵画があ り、それらは 7 つの「シュミネ(暖炉のある間)」と呼ばれる部屋、「方形の間(サロン・カレ)」、「大 回廊(グランド・ギャルリー)」、そして「フランス派」と「イタリア派」のギャラリーに展示されて いる。」21) こうして、ルーヴル美術館の各展示室の構成と内容を簡単に説明した後、作品群の見方「ルーヴル 美術館見学プラン(itinéraire du Louvre)」が提案される。「プラン」と訳した仏語、「itinéraire」(イ ティネレール:英語では itinerary)」という言葉に注意しておこう。先に触れたジョアンヌの最初の ガイドブックもこれだった。道順、旅程、巡回、案内等の意味を持つ単語だが、18 世紀には「旅行 記」のタイトルにもよく使われたし、近代になってもこの語をタイトルとするガイドブックも少なく ない。仏語圏だけでなく、「イティネレール」を提示することはガイドブックの重要な部分なのであ る。そもそも、19 世紀にイギリスに登場する観光旅行=ツーリズムという語は、仏語で「周遊」を 意味した「ツール(tour)」(周遊)に由来する。その「ツール」を方向づけ「周り方」を案内するのが 「イティネレール」なのである。従って、二つの語は密接な関係にある。辞書に書かれてはいないが、「イティネレール」は「ツール」のプログラム化でもある。観光とは広い階層に向けて、「周遊」の方 法を組み立てることだとすれば、観光の本質を表す用語とも言える。その語をルーヴルで使うのは、 それだけ見学規模が大きいということだろう。さて、その「見学プラン」を簡単に見てみる。 「すべての絵画コレクションをもっとも便利に見るプランは次の 2 つ。プラン 1−まず、ナポレオ ン 3 世広場の南にあるドゥノン棟からルーヴルに入場。そこから右には「アポロン回廊」(七宝と宝 石)、進むと「方形の間」と「大回廊」に至る。……」22)このような記述で、美術品を展示する部屋や 回廊の歩き方が説明される。 「見学プラン」の記述は、館内地図が挟まれているものの、初めての訪問者がわかるだろうかと心 配になる。でも、これが言葉の時代である 19 世紀後半の美術館案内なのだ。この「プラン」の後に、 各美術館に展示される数多くの作品の解説に入っていく。館内順路案内での各回廊(部屋)に飾られた 作品の一口紹介である。なかでも、よく知られた絵画が展示されている「方形の間」と「大回廊」に 20 ページを割いている(現在も見学の中心である)。その「大回廊」はイタリア派の画家と作品の説 明から始まるが、ここではレオナルド・ダ・ヴィンチの 2 作品の紹介を書き出しておこう。 「ルイーニのフレスコの間」の短い説明の後、ティティアーノの『聖家族』から展示順にルネサン ス・イタリア絵画の紹介が始まり、11 番目にレオナルドの作品が解説される。「482 番。レオナルド・ ダ・ヴィンチ。『岩窟の聖母』は損傷が激しく、すべての識者が、少なくとも制作に関しては、レオ ナルドの真作として受け入ていない。483 番。同レオナルド。『婦人の肖像』、別名『美しき金具商婦 人』(日本では『ミラノの貴婦人の肖像』:筆者)。肖像のモデルは、これまでの由来によれば、フラン ソワ 1 世の新しい愛人である金属商の夫人と言われる。何人かの批評家はマントヴァ公爵夫人、ある いはルドヴィコ・スフォルサの有名な愛人ルクレチア・クリヴェッリとしている。」23)この「岩窟の聖 母」には図版が添えられている。「方形の間」と「大回廊」で紹介される数多くの絵画のうち図版が あるのは 9 点だが、選択基準は書かれていない。 この後、ラファエロ、マンテーニャ、ペルジーノ、ティティアーノ、ヴェロネーゼなどの作品が、 主題と簡単な来歴等の記述とともに紹介され、続いて「大回廊」のスペイン、フランドル・オランダ 絵画が展示順に紹介されていく。 ルーヴル美術館に続いて、他の美術館と個人の収集室がルーヴルの紹介と同じような記述方で紹介 され、美術館、コレクションの 8 章は終わり、図書館、科学館、学士院など国家の重要な施設が紹介 される 16 章に入っていく。そして、23 章の「パリの地下」、24 章「死体置き場、葬儀場、墓」、25 章「鉄道案内」、補遺として「パリの古代ローマ闘技場」でガイドブックの本編が終わる。 「前書き」から 1104 ページ。インデックス等を加えて、ガイドブック全体としては 1125 ページあ まり。現在でも分厚いガイドブックを見かけるが(欧米のガイドブックに目立つ)、写真図版や地図が 数多く入り、レイアウトもわかりやすいので、今の私たちには 19 世紀の文字中心のガイドブックが 「大部」で「わかりにくい」と感じてしまうのだ。ただ、この「大部な」ことも含めて、19 世紀のガ イドブックは観光の本質を語っていると思っている。
結びにかえて −− 欲望のエクリチュールとしてのガイドブックに向けて
ここまで、観光研究とガイドブックの歴史、そしてジョアンヌの『挿絵入りパリ案内』の内容など をごく簡単に概観してきた。もちろんガイドブックは、まだまだ研究の余地が残されている。これか らも少しずつ続けることにしたいが、このエッセイの最後に、書物としてのガイドブックについて思 いついたことをごく簡単に書いておきたい。 ガイドブックと観光は表裏一体だと書いたが、それは単にガイドブックに観光情報が書かれている という意味だけではない。極言してしまえば、ガイドブックそのものがすでに観光だという意味においてである。もちろんガイドブックの基本は情報である。当たり前のことだが、近代社会では、とり わけ都市では、さまざまな要因から観光の情報となる物事は変化していく。ガイドブックはそうした 物事を情報として取り入れていく。ここでの『挿絵入りパリ案内』にも、1875 年時点での新しい情 報が入っている。ホテルやレストランの値段から改装された歴史的建造物まで。また社会・政治的に は、このガイドブックは 1870 年のパリ・コミューンのパリ大破壊を受けてのものだったので(言及し なかったが)、1863 年の『パリ案内』の情報とは違う。また、19 世紀後半に 5 回もの万国博覧会開催 をみたパリには多くの記念物や建造物が建てられ、ガイドブックの不可欠な情報となっていく。1889 年以降のエッフェル塔のように。このようにガイドブックは、基本的には情報媒体として、取り上げ る都市や国や土地の過去と現在を語る書物ともなっている。さらにそのシリーズ性によって、新しい 物事の遺産化=観光化の装置ともなっている。こうした情報面からの視点は、ガイドブック研究に歴 史社会学的パースペクティヴを与えていくし、そうした研究は少なくない。 ただ私がより関心があるのは、最初の方で触れたように、ガイドブックの記述(description)とその 分析からのアプローチである。ガイドブックを文学的テクストとして、書かれていることの全体を、 文学批評学的な意味での「エクリチュール」として読むことである。このエッセイで記述という語を よく使ってきたのも、その概念が頭にあったからだ。 ガイドブックは情報的記述が主だが、そこには歴史的・物語的記述(ナラティフ)、物事を再現しよ うとする描写(デスクリプション)、美的判断に関わる記述、図版や地図などの視覚的イメージ、統計 学的記述の図表など、さまざまな書くことと見ることの形式が混在している。それを精密に分析する ことで、ガイドブックへの新しいアプローチができるだろうと考えている。おそらくガイドブックの エクリチュールは見ること、体験することを目的とする観光という行為を動機づける欲望(精神分析 学的意味での)と関係するだろうと感じる。欲望のエクリチュールとしての観光ガイドブック。そん なことを、文字で埋めつくされた映像の時代以前のガイドブックを読みながら考えたのだった。 *ページ数の関係で図版を掲載できなかった。ご了承いただきたい。 注 1) http://www2.unwto.org/参照(アクセス:2019 年 5 月 1 日)。 2) 日本では長く観光学と呼んできた研究分野は、主に経済学的側面からの研究が多かったと思う。(参照:工藤 泰子「戦前の我が国における観光学についての史的研究」、島根県立大学短期大学部松江キャンパス研究紀要 Vol. 53、2015 年)なお、ネットで検索したところ、日本には 5 つの観光(ツーリズム)の学会があるが、ここ でのエッセイが意図する文化面での研究学会は 2012 年に設立された観光学術学会のようだ。 海外を見ると 1960 年代に観光の文化的側面の本格的研究が始まると見える。フランスでは 1970 年代から。 現在では観光文化学研究の主導者ともいえるマルク・ボワイエ(Marc Boyer)の『観光』(Le tourisme, 1972, Paris, Le Seuil)あたりからだろうか。また、英国やアメリカの観光研究は、管見だが、少しだけフランスに 先んじているようだ。例えば、日本でもよく知られるアメリカの社会学者ダニエル・ジョセフ・ブーアス ティン(Daniel Joseph Boorstin)の『幻影の時代 −− マスコミが製造する事実』(星野郁美・後藤和彦訳、東京 創元社、1664 年)はパイオニアのひとつだろう。ブーアスティン以上に、1960 年前後に、観光に鋭い切り口 を与えた二人のエッセイも忘れるわけにはいかない。ドイツの詩人で批評家のハンス・マグヌス・エンツェ ンスベルガー(Hans Magnus Enzensberger)のエッセイ「旅行の理論」(『意識産業』、石黒英雄訳、晶文社、 1970 年、原著:1962 年)と、フランスの哲学者ロラン・バルト(Roland Barthes)の「ギド・ブルーの旅行案 内」「今日における神話」(『神話作用』、篠沢秀夫訳、現代思潮社、1967 年、原著:1957 年)である。この 1960 年代には観光研究の専門家も欧米で登場してくるとみえる。20 世紀末までの英米の観光研究史について
は、邦訳もあるジョン・アーリ(John Urry)の『観光のまなざし』(1995 年、法政大学出版局、加太弘訳、原 著は 1990 年)や『場所を消費する』(2003 年、法政大学出版局、吉原直樹・大澤善信監訳)の巻末の注にあげ られる研究書や論文からたどれる。21 世紀に入ると、観光の発展とともに、研究も急速に発展しているよう に感じる。なお、欧米における観光の文化的研究の出発は、1960 年代にイギリスで始まるカルチュラル・ス タディーズと深く関係していることも頭に入れておきたい。日本での研究(特に海外の研究を意識した)は 1980 年代からだろうか。地理学者の中川浩一の『観光の文化史』(筑摩書房、1985 年)が初期のものかもしれ ない。こうした世界の観光研究史や観光学の制度史は別に書きたいと思っている。 ガイドブックに関しては、フランスの場合、管見では 1980 年前後から本格的な取り組みが始まる。細かな 研究史は省くが、1 点だけ、フランスのガイドブック研究に重要な役割を果たした 1998 年のパリでの大シン ポジウムの報告書だけをあげておく。『16 世紀から 20 世紀のガイドブックー都市・風景・旅行』(Les guides imprimés du XVIe au XXe siècle-villes, paysages, voyage-. Textes et publieés par Gilles Chabaud et les autres, Paris, Berlin, 2000.) 3) シリーズ(叢書)であることは観光の歴史と発展を考えるときかなり重要である。細かいことは省くが、19 世 紀まで、旅行本(ガイドブックの言葉もなかったのでこう呼ぶ)はシリーズで出版されることはなかった。と いうより、シリーズという近代的出版形式がなかったのである。この出版の形式はガイドブックと観光の発 展を考えるとき重要な要素である。 4) ツーリズム、ツーリスト、ツアー等の英仏語の語源については仏・英・独語のウィキペディアをベースにラ ルースの『19 世紀世界大辞典』等などの辞典を参照している。また、旅行者を馴染みはないが「観光者」と 呼ぶことにする。 5) 日本でも CINII(国立情報学研究所(NII)が運営する学術データベース)で「Grand Tour」で検索すれば海外 の研究書は数多く見つかる。また日本でも何点かの入門書がある。『グランドツアー:18 世紀イタリアへの 旅』(岡田温司、岩波新書、2010 年)、『グランド・ツアー:良き時代の良き旅』(本城靖久、中公新書、1983 年) など。 6) Gallica で、ガイド(guide)、旅行(voyage)のキーワードで 18 世紀フランスでの出版物を検索したところ、 4500 点以上がヒットしたが、そのうちどちらかを含むものは 100 数点だった。多くは「旅行」が表題である。 旅行以外にも、「手紙」形式等での旅行紀も数多いので、旅行を扱った書物の総点数はずっと多いと推測され るが、シリーズ物はない。そうした旅行案内書の多くは、「誰々の、あるいは何処何処への旅行紀」等のタイ トルを持つ。例えば、『シャモニー谷へのルート案内』(Itinéraire de la vallée de Chamonix)等々。ただ、「ガイ ド」(guide)の表題は道路・河川の案内書には使われている。フランスでの最初の旅行案内書とされる、1552 年出版の印刷屋シャルル・エチエンヌによる『フランスの道路・河川案内』(La Guide des Chemins de France) での用法は踏襲されていく。道路・河川案内書に「ガイド」の名を用いることは 18 世紀にも、もちろん 19 世紀に入っても行われている。シャルル・エチエンヌの案内書に関しては次の論文を参照。Chantal Liaroutzos,《Les premiers guides français imprimés》,dans In Situ(フランスの文化庁の運営する『文化遺産 ジャーナル』での論文:https://journals.openedition.org/insitu/486)(アクセス:2019 年 5 月 19 日)。ともか く、19 世紀以前の「ガイド」の語法は複雑だが、18 世紀までの旅行案内書の表題を 19 世紀以降のそれと比 較することは、観光の近代性の一端を理解することになるだろう。 7) オットカールの『ハンドブック』は 1973 年に仏語でも出版され、1812 年までに 12 回再販され、フランス経 由でヨーロッパ各国で広く知られるようになる。また、1816 年からは国・地域別に 4 分冊され、どれも版を 重ねる。このオットカール・ライシャルトのガイドブックは、フランスでは 1823 年から内容を改変しタイト ルも「ギド・リシャール」として、20 年余り続き 24 版を重ねていく。 8) 初期のガイドブックについての書籍と論文は数多くあり、ネット上でも充実した論文が読める。そのいくつ
la première moitié du XIXesiècle》, in Croniques italiennes, 71, p.191∼,(chroniquesitaliennes.univ-paris3.fr/ PDF/71-72/Damien72.pdf)(アクセス:2019年5月20日)、②Gouven Guilder,《Naissance du guide de voyage moderne au XIXe siècle》,in CRLV(フランスの研究者を中心とした旅行研究センター)のセッション 2001 年 で の 論 文:http://www.crlv.org/conference/naissance-du-guide-de-voyage-moderne-au-xixe-si%C3%A8cle (アクセス:2019 年 5 月 21 日)。ベデカーに関しては③Alex W. Hinrichsen,《Baedeker s Travel Guides》,in Yale Review, 74(Spring 1985),pp.386-403,:(http://www.bdkr.com/AWH_bibliography_pt1.pdf#search=%27 alex+w.+hinrichsen+baedeker%27s+travel+guides+18321990%27)(アクセス:2019 年 8 月 1 日)。マレーに ついては、④John Murray III, 1808−1892: a brief Memoire, London, John Murray, 1919.また、ジョアンヌに特 化したものとして⑤Hélène Morlier,《Les Guides Joanne : invention d une collection》,in In Situ(注 8 であげた 『文化遺産ジャーナル』)15/2011. http://insitu.revues.org/524。(アクセス 2019 年 5 月 22 日)。また、私たち に簡便な情報を与えてくれる日本人研究者のエッセイとして⑥石井昭夫、「『観光の世界史』のノートから(8) 旅行ガイドブックの始まり」がある。ネットで展開される研究ノート:http://www7b.biglobe.ne.jp/∼aki 141/worldhistory/hisorypapers/guidebook.pdf。 9) 戦前の欧州旅行者とガイドブックに特化した研究はないが、個別の研究はある。例えば、石井敬三「大原文 庫蔵『ベデカーと高野岩三郎』『大阪府図書館紀要』(24)2−23 ページ、1988 年。その他、数多く書かれた欧州 紀行紀にはベデカーが言及されている。 10)ベデカーとマレーのガイドブックの関係については、注 8 の④。その 3 章参照。 11)ジョアンヌの研究はフランスでは少なくないが、その誕生に関しては、注 8 の⑤の論文が簡潔に説明してい る。 12)「鉄道文庫」は鉄道旅行者向けの小型の叢書。日本の岩波文庫のようなものだがサイズは少し大きい。販売の ために各鉄道駅に旅行者向けの物品を販売する小さな店舗(キオスク:イギリスで 1840 年代に作られた)が設 置され、そこで売られた。「鉄道旅行と読書」という新しいカテゴリーを生み出した。鉄道駅での書籍販売に ついては、Elisabeth Parinet,《Les bibliothèques de gare, un nouveau réseau pour le livre》,in Persée(電子学 術 総 合 ポ ー タ ル の 電 子 雑 誌、1993/80).(https://www.persee.fr/doc/roman_0048−8593_1993_num_23_80_ 6212)(アクセス:2019 年 6 月 16 日)。「鉄道文庫」を始め、19 世紀に書物の大衆化を進めた。啓蒙的叢書一 般については、拙著『日仏「美術全集」史−美術(史)啓蒙の 200 年』(2016 年 1 月、三元社)の 1 部 II 章でも 扱っている。 13)ジョアンヌから「青ガイド」への移行については注 8 の⑤の論文参照。また、仏語の Wiki での「guides blues」も優れた概説である。 14)「青ガイド」の刊行のきっかけはマレーが 1861 年にベデカーと共同で最初のガイド『マインツからケルンま でのライン川旅行』を英訳し出版したことに始まる。その担当者ジェームズ・ムイアーヘッドが 1915 年にマ レーの出版権を買い取り、ムイアーヘッド・ガイドブック出版を立ち上げる。この出版社が設立 2 年後に、 アシェット社と英仏語で新しいガイドブックを共同出版する。そこで誕生したのが「青ガイド」(それぞれ 「ギド・ブルー」と「ブルーガイド」)である。この合同出版は 1933 年に解消され、その後は両国で独自に編 集・出版されていくが、2 つとも「青ガイド」の名で現在も出版されている。ちなみに、日本で 1961 年に実 業之日本社からが刊行された「ブルーガイドブック」は、イギリスの「ブルーガイド」にヒント得たものだ ろうと推測している。 15)その例外として次のガイドブックをあげておく。1867 年のパリ万博を契機として刊行された 2 巻本『パリガ
イド』(Paris Guide, Librairie internationalle, Paris, Bruxelles, Leipzig, Livourne)である。2 巻合わせて 3000 ページを超える大部すぎるパリ・ガイドは、序文がヴィクトル・ユゴー、執筆者には当時の一流の文学者か ら科学者まで揃った、大文学的パリ百科事典ともなっている。
16)
/bibliotheques-specialisees.paris.fr/ark:/73873/pf0001967082/v0001. simple. highlight = guides % 20 joanne. selectedTab=thumbnail 17)挿絵入りは、新しいガイドブックの方向かと思われるかも考しれないが、19 世紀後半では、あくまで文章に よる記述が中心だった。例えば、第 4 回パリ万博のあった 1889 年の『パリ案内』(ポール・ジョアンヌ編纂) では、編集方針として「実用性と便利さのために挿絵を廃止した」(序文)と書かれてる。図版は付属物で、 ページ数がかさみ、携帯用のガイドとしては実利的ではないと考えられたのだろうか。19 世紀後半は、現在 とは違って言葉の時代なのである。
18)Paris illustré(既出)p.LIII 19)同書、p.LVI.
20)同書、p.649 21)同書、p. 652 22)同書、p. 658.
23)同書、p. 670.なお、番号は学芸員 F.ヴィヨの『ルーヴル美術館展示絵画解説』(Notice des tableaux exposés dans
les galeries du Musée du Louvre)(いわゆるカタログである)に従ったと思われる。ただし、何版のものかは確 認できない。ルーヴル美術館の展示品カタログについては拙著『美術カタログ論−記録・記憶・言説』(三元 社、2005 年)IX 章 4 と 6 を参照。なお、19 世紀末からはレオナルドの代表作とされてきた『岩窟の聖母子』 が、このガイドブックでは偽物とされていることは美術史的に興味深い。ただし、ヴィヨはその『解説』で 贋作説に反論し「画面の多くの部分にレオナルドの手の跡が見られる」(『解説』9 版、1854 年、276 ページ) ので贋作ではないとしている。この問題は美術史的に調べてみる必要がある。
Rethinking the Tourist Guidebook
̶ On Paris Guide in the 19
thCentury ̶
SHIMAMOTO, Kan
In the 21th century, where the e-tourism is permeating, the travel guidebook (hereafter called
guidebook ) is little by little losing its important role in tourism in previous centuries. The guidebook is born in the first half of the 19th century in Germany, England and France. At that time, Thomas Cook starts the first package tour, which marks the birth of tourism. In a sense, the guidebook and the tourism are a common cultural phenomenon in the modern society. The purpose of this paper is, surveying the evolution of guidebook in France, to consider its writing formality. The guidebook is essentially an informative tool for tourists. However, it is also a literary text (in a broad sense). As an exemple we take up the Paris illustré (Illustrated Paris) published by the French publisher Hachette in 1875, and we would like to show that the guidebook is a text composed by various descriptive modes--- informative , historical , aesthetic description with adjective and visual images , etc. These modes correspond to the behavior of tourists. From there, we would like to approach to the true nature of tourism.