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1960年代における経済協力によるプラント輸出促進 : 重機械の発展に焦点を合わせて

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(1)1960 年代における経済協力によるプラント輸出促進 ──重機械の発展に焦点を合わせて── 湯 伊 心. た国際的要因の二つの側面から 1960 年代後半. はじめに. 以降,経済協力が本格化していった背景を説明. 発展途上国への援助を手段に経済利益を確保. している.例えば,馬田啓一が執筆した『通商. しようとする動きは,近年経済成長が著しい中. 産業政策史』第 9 巻では,日本高度経済成長が. 国でよくみられる光景である1).他方,戦後日. 達成される過程で,経済協力が輸出振興策とし. 2). 本は「経済協力 を足がかりに東南アジア諸国. て進められたことを指摘し,1961 年の国連総. への経済進出が果たされた」という指摘もよく. 会における「国連開発の 10 年」の決議,1964. されている.経済協力は日本の資本財・プラン. 年 の 第一回貿易開発会議(UNCTAD)で の 南. ト輸出の促進に大きく寄与し,とくに 1960 年. 北問題への注目,そして 1969 年のピアソン報. 代後半から本格化していくが,その発展は,何. 告による新しい援助構想といった流れのなか. によってもたらされたのか.その答えは,国外. で,経済協力が進展したと述べている6).浅井. 要因から国内要因に至るまで多岐にわたる.. 良夫 は『昭和財政史』第 12 巻 の な か で,1965. 3). 4). まず,小林英夫(1983) , (2001) は,1960. 年 に 日本 が 長期資本輸出国 に なった こ と,ま. 年代のアジア諸国の工業化に着目し,その流れ. た 1969 年の対外投資の自由化によって対外投. のなか,日本は 1950 年代からの資本財を中心. 融資が拡大されたといった経済的変化を指摘し. とする賠償を引き続き,借款によるプラント類. た.さらに浅井は,国際的に開発援助への関心. の輸出が始まったと指摘する.それに対して,. が高まるなかで経済援助の拡大が促された点を. 末廣昭(1995)5)は,日本側 の 対東南 ア ジ ア 政. 説明している7).. 策の 視点 が 必要 だと主張し,政策的側面から. アメリカや国連の政策方針は日本に大きな影. 1950 年代から 60 年代までの日本対東南アジア. 響を与えたことは事実であり,また,発展途上. 政策論 を 展開 し た.末廣 の 議論 は,1960 年代. 国の工業化のすう勢も経済協力の拡大の一要因. 後半からの本格化について,東南アジア諸国の. となったことは間違いない.他方,『通商産業. 開発体制の形成,アメリカの対アジア戦略の肩. 政策史』や『昭和財政史』のなかで述べられて. 代わりなどの対外的要因のみを強調し,具体的. いるように,経済協力はプラント輸出振興政策. な国内要因を浮き彫りにすることには成功して. として位置づけられたこと,日本の国際収支と. いない.つまり,対東南アジア政策の枠のなか. 緊密な関係にあることを考えると,本格化の要. で,日本国内における経済協力本格化の要因を. 因が日本経済に大きくかかわり,日本経済史の. 解明することには限界がある.. 枠内で検証する必要もある.その点に関して,. 他方,通商産業政策史や財政史などの通史で. 8) 例 え ば,井村喜代子(1993) は,1960 年代半. は,日本の国内経済要因および国連を中心とし. ばから新鋭重化学工業が確立し,重化学工業化.

(2) 42. (42). 横浜国際社会科学研究 第 16 巻第 1 号(2011 年 7 月). が進むなか,ベトナム戦争を契機として日本は. 本稿では,重機械,プラント産業の発展過程を. 輸出依存型経済に発展し,そこで経済協力,す. たどりながら,輸出,経済協力の展開を明らか. なわち国家資金供与によるプラント類輸出が拡. にすることを課題とする.. 大されたと論じた.. 上記の課題にアプローチするため,本稿で. 周知のように,1960 年代は戦後日本にとって. は以下の三つの分析視点を設定する.第一は,. ダイナミックな時代である.1950 年代の内需中. 1950 年代後半から 60 年代まで,重機械,プラ. 心政策から輸出優先の貿易主義に転換し9),産. ント産業の成長および経済の変動に着目するこ. 業・貿易構造 の 高度化がこの時期に実現され. とである.第二は,第一の視点を前提とした上. た. ま た,1964 年 に IMF 8 条 国,GATT 11. で,プラント産業に関係する造船・機械・重電. 条国 に 移行 し,同年 に OECD(経済協力開発. 機・鉄鋼などの企業,および日本機械工業連合. 機構)に加盟,さらに,1968 年,GNP で西ド. 会(以下,日機連),産業機械連合会 な ど の 業. イツを抜き,アメリカにつぐ資本主義圏第 2 位. 界に焦点を合わせて,経営戦略の変化を分析す. の「経済大国」にのし上がった.以上の変化が,. ることである.第三は,第二の視点を踏まえて,. 経済協力の本格化の原因であることは間違いな. 財界を代表する日本経済団体連合会(以下,経. い.. 団連)および通産省の動向に注目し,輸出促進. ただし,それらをいくら強調しても,プラン. 政策,経済協力の展開を明らかにすることであ. ト輸出,経済協力の拡大要因を説明するには大. る.以上の三つの視点を合わせることによって,. まかな議論にすぎず,実体像がみえてこない.. 1960 年代後半以降 に 経済協力 が 本格化 し た 歴. 経済協力はプラント輸出促進の助成措置として. 史的要因を再検討する.本稿は従来の研究視点. 用いられたのであり,経済協力が展開する背景. と異なり,経済協力によるプラント輸出の本格. には,業界・財界の要望および政府の施策が存. 化に至る要因を国内の経済的側面から解明しよ. 在した.他方,プラントを生産し,輸出の実績. うとするが,本格化の要因が 1960 年代におけ. 10). を作り出したのはプラント関係の企業である .. る日米関係や国際環境との関連を否定するわけ. これらの企業が経済変動に応じ,経営戦略を改. ではないことを断っておく .. 善・拡充し, そして輸出拡大に至った. したがっ. なお本稿で用いる資料は,各企業の社史,業. て,1960 年代後半 か ら の 経済協力,プ ラ ン ト. 界・財界の団体史,通産省が編纂した刊行物,. 輸出の拡大要因をより具体的に理解するために. および新聞,雑誌などである.. は,企業,業界,政策という三つの視点が必要 である.つまり,重機械・プラント産業の発展. 一 総合重機械メーカーの確立. 過程のなかで,成長と停滞を背景とした企業・. 1 機械工業の発展. 業界の戦略変化を理解し,その上で,政策レベ. 1956 年 は,機械業界 に とって 大 き な 転換期. ルでの輸出・経済協力の促進を解明するといっ. で あ る.技術革新的 な 設備投資 が 産業全般 に. た作業が不可欠といえる.それによって,1960. 開花するとともに,機械工業もかつてない発展. 年代後半以降の本格化に至る具体的な歴史的要. 期 を む か え た.機械産業 の 成長 は,民間設備. 因を浮き彫りにすることができる.. 投資 に よって 支 え ら れ,1955 年秋以降,輸出. また,これまでの機械工業・プラント産業に. 関連産業を中心として動き始めた民間設備投. 関する研究は,概説的叙述に止まっているため11),. 資が 1956 年に入ると諸産業に波及して全般的. 輸出,経済協力といった視点を付け加えること. な活況を引き起こした12).1950 年代後半から,. によって,戦後重機械発展史への理解がより深. 1958 年 の「な べ 底不況」を 除 い て,民間設備. められると考える.以上の点を踏まえた上で,. 投資は高い伸び率が続いた.「神武景気」下の.

(3) 1960 年代における経済協力によるプラント輸出促進(湯). (43). 43. %. 注:伸び率は対前年比. 出典:日本銀行『経済統計年報』および経済企画庁調査局統計課『機械受注統計調査年報』各年版より作成.. 図 1 民間設備投資および機種別機械受注の伸び率の推移(1955―70 年). 1956─57 年は,それぞれ 39.0%,25.0%, 「岩戸景. 機振法措置の当初は機械工業の基礎部門あるい. 気」下の 1959─61 年は,それぞれ 16.9%,40.9%,. は部品部門を強化育成することが主たる目的で. 36.8% の設備投資拡大がなされた.民間設備投. あって,産業機械工業に属する業種はその対象. 資の急増に応じて,機械工業,さらに重機械の. 指定業種にならなかった.1958 年 8 月になる. 機種としての産業機械,原動機,重電機の受注. と,鍛圧機械,風水力機械が指定された.また,. は,民間設備投資よりも高い伸び率を示した.. 貿易自由化 に 対処 す る た め に,1960 年 10 月,. 他方,注目すべきことは,不況期において機械. 機振法はさらに 5 年間延長されることとなっ. 工業の受注が,民間設備投資の低落よりはるか. た.これによって,産業機械では運搬機械,化. に下回ったことである[図 1] .つまり,重機. 学機械,合成樹脂加工機械,鉱山建設機械が指. 械類が国内の民間設備投資,景気変動に大きく. 定業種として追加された15).戦後機械工業の発. 左右されたことである.. 展は,直接的な助成措置以外に,日本開発銀行. 機械工業の成長要因には,鉄鋼・電力・化学. による電力・鉄鋼・化学への資金注入がもたら. の急速な発展による連関効果が大きい.具体的. した間接効果も大きかった16).. には,鉄鋼合理化による鉄鋼の増産,高炉の大 型化,圧延工程の自動化,また,電源開発計画. 2 造船・重電の多角的経営の展開. による火主水従への転換,電力発電の設備全体. ⑴ 造船業による「陸上進出」. の大容量化,さらに,石油化学工業の育成のも. 上述のような機械工業の発展は,産業機械の. とでの化学工業の発展がみられた.そして,こ. 企業編成に大きな変動を与えた.その一つは,. れらのダイナミックな変動を背景に,機械工. 造船企業を中心とした兼業的な産業機械部門へ. 業・産業機械 は 海外技術 の 導入 に 依存 し な が. の進出である.1950 年代半ばから活発化した. ら,日本の重化学工業化を先導した13).. 設備投資・建設投資ブームに刺激され,大手造. 政府 に よ る 直接的 な 機械工業 へ の 助成措置. 船業は,総合重機械企業への脱皮が促進された.. は,1956 年 6 月の機械工業振興臨時措置法(以. 日本 の 造船企業 は も と も と 構造的 に 総合機械. 下,機振法)の制定施行によって始められた. 14). .. メーカーの性格が強く,造船不況期には他の機.

(4) 44. 横浜国際社会科学研究 第 16 巻第 1 号(2011 年 7 月). (44). %. 注 1:比率は造船業の全設備投資に占める造機設備投資の比率. 注 2:1959 年度までは主要 24 工場,以後は主要 27 工場を対象とする. 出典:日本造船工業会 30 年史刊行小委員会『日本造船工業会 30 年史』1980 年,333 頁より作成. 原資料,運輸省船舶調べ,日本船舶輸出組合「統計資料」 (国内編) .. 図 2 造船業における造機設備投資額とその比率の推移(1950―69 年) 表 1 主要造船会社部門別受注高の推移 (単位:%) . 受 注. 造船業による陸上部門への進出はボイラー, 化学機械,製鉄機械,土木建設機械,紙パルプ. 売 上 高. 機械,内燃機関 を 中心 に あ ら ゆ る 産業機械分. 新造船・修繕船 その他工事. 野に及んだ18).図 2 は,大手造船企業の陸上部. 船舶部門. 陸上部門. 1958. 52.6. 47.4. 62.5. 37.5. 1959. 39.0. 61.0. 51.1. 48.9. 1960. 33.6. 66.4. 43.9. 56.1. 1961. 41.8. 58.2. 41.4. 58.6. 1962. 43.9. 56.1. 37.2. 62.8. 1963. 47.1. 52.9. 39.0. 61.0. 1964. 47.8. 52.2. 36.7. 63.3. された.投資に伴い,産業機械関係の技術導入. 1965. 48.3. 51.7. 46.6. 53.4. も 1959 年から増える.1961 年の産業機械の技. 1966. 50.0. 50.0. 45.4. 54.6. 術導入合計 59 件に対して,造船兼業者による. 1967. 40.6. 59.4. 40.9. 59.1. 1968. 38.0. 62.0. 38.6. 61.4. ものは 28 件に達し,約全体の半分を占めてい. 注:主要造船会社:三菱重工業,石川島播磨重工業,日立 造船,川崎重工業,三井造船,住友重機械工業,函館ドッ ク,佐世保重工業,名村造船所,佐野安船渠,以上 10 社. 出典:日本造船工業会 30 年史刊行小委員会『日本造船工 業会 30 年史』1980 年,282─283 頁より作成.原資料, 各年度有価証券報告書.. 門の設備投資の推移である.1950 年代半ばか ら設備投資が拡大され,1955 年の 1,396 百万円 の投資に対し,1960 年には 6,732 百万円,1961 年には 7,536 百万円とピークに達した.5 年間 で産業機械部門への設備投資が約 5 倍近く拡大. る19). 結果として,陸上部門は大手造船企業の重要 な 事業分野 と し て 定着 し た.主要造船会社約 27 社の売上高のなかに占める船舶以外の部門 の比率は,1960 年を転機に 50% に達し,船舶 を上回った.とくに,1962─64 年の輸出船ブー. 械市場に進出しようとする傾向をもっていた.. ムにもかかわらず,陸上部門の売上高が一貫し. この性格は,この時期における「陸上進出」の. て半分以上を維持していたことは興味深い点で. 17). 本格化を容易にした .. ある[表 1]..

(5) 1960 年代における経済協力によるプラント輸出促進(湯). (45). 45. 表 ���������������������� 2��������������������� グループ別主要産業機械メーカーの生産状況 区 分. 産業機械部門. 企業数. 伸長率(%). 1955 年. 1958 年. 1958/53. 造船メーカー(兼業). 6. 8,466. 12,143. 26,833. 318. 電機メーカー(兼業). 2. 9,472. 10,636. 33,152. 350. 一般メーカー(兼業). 5. 4,879. 4,473. 14,452. 296. 専業メーカー. 15. 18,822. 16,745. 36,167. 203. 28. 41,639. 43,997. 110,604. 266. 造船メーカー(兼業). 6. 9.0. 13.1. 11.5. 電機メーカー(兼業). 2. 14.9. 16.0. 20.4. 一般メーカー(兼業). 5. 30.6. 25.4. 44.8. 専業メーカー. 15. 81.6. 79.5. 74.8. 28. 21.2. 22.2. 23.2. 合 計. 全生産中の産業 機械の比率(%). 生産金額(百万円) 1953 年. 合 計. . 注:各グループの企業名は以下の通りである. 造船メーカー:新三菱,三菱造船,日立造船,三井造船,川崎重工,石川島重工 電機メーカー:日立,三菱電機 一般メーカー:新潟鉄工,池貝鉄工,小松製作,島津製作,豊田工機 専業メーカー:荏原製作,住友機械,石川島芝浦タービン,豊田自動織機,横山工業,豊和工業,三菱化工機,芝浦機械, 大阪機工,月島機械,日本開発機,田中機械,明治機械,東京機械,大隈鉄工 出典:通商産業省重工業局『日本の機械工業─その成長と構造─ Ⅰ総論』機械工業振興協会,1960 年,114 頁.. ⑵ 兼業メーカーの拡大. 表 2 は,兼業・専業 メーカーに よ る 産業機. 1950 年代 に お け る 産業機械 の 生産拡大 は,. 械の生産状況の推移を示したものである22).ま. 造船メーカーに止まらず,重電機,鉄鋼資本の. ず,1953 年から 58 年までの産業機械生産額の. 兼業的進出が相次いだ.例えば,三菱電機,日. 伸長率について,電機メーカーが 3.5 倍,造船. 立製作所 は,従来 か ら 総合機械 メーカーと し. メーカーが 3.2 倍,一般機械 メーカー(工作機. て幅広く総合技術を有する,多角経営による優. 械,内燃機関などの兼業)が 3 倍弱と急増して. 位性 が あった.日立製作所 は,1952 年 に 会社. いるのに対して,専業メーカーの生産額の伸び. 職制の改革を行い,製品機種別事業部制を導入. 率は 2 倍強で,相対的に低いことが分かる.ま. し,機種別の 8 事業部および輸出部を新発足さ. た,産業機械 の 生産総額 に 占 め る,兼業 メー. せた.8 機種別は, それぞれ電機・車両・機械・. カーの 比重 が 高 ま り,さ ら に,兼業 メーカー. 商品・機工・通信・電線・鉄鋼に分けられてい. が全生産額中に占める産業機械のウェイトも. 20). る .また,鉄鋼業界では,神戸製鋼所は,戦. 増えている23).つまり,多機種の機械を生産し,. 前以来,各種の金属加工,機械工場などをもつ. 多角的経営を図る大企業の産業機械兼業化が,. 多角的な生産形態を有する.日本鋼管は,1959. 形成されつつあった.. 年 に 重工部門 を 強化 す る た め,日本鋼管工事 (株)を設立し,さらに翌 1960 年に,電力・化 学・製鉄・セメントなどの各種プラントの一括 21). 3 プラント生産体制の整備 ⑴ 合併・系列化. 受注を目指してプラント部を新設した .多機. 陸上部門 へ の 積極的 な 進出 に よって,と く. 種を生産する多角化戦略の展開基盤が作り出さ. に大手造船業界は総合的な重工業へと脱皮し,. れたのである.. 種々の機械部門の既存メーカーと競合関係に入.

(6) 46. 横浜国際社会科学研究 第 16 巻第 1 号(2011 年 7 月). (46). ることになった.このため,注文生産から量産. 1959 年に設計製図を業務とする東京エンジニ. 体制 へ の 転換,量産品 の 生産調整,長期経営. ア リ ン グ を 発足 さ せ た31).三井造船 は,1960. 計画の策定などの新しい経営体制の確立が要求. 年に陸上部門の売上比率を 5 年後に造船と対等. されるようになった.その動きは企業間の業務. の水準まで引上げることを目標に,陸上部門の. 24). 提携,系列化,合弁 を 促 し た .1960 年代前. 技術・設備拡充の方針を打ち出し,子会社三井. 半にかけて,造船業界においては経営効率化を. 造船エンジニアリング株式会社を設立した32).. 狙った系列会社の合併が行われた.同時に,船. 日立造船 は,1960 年 9 月,陸機部門拡充強化. 型の大型化や陸上機械の大型化に対応するため. の一環として技術コンサルタント会社の設立を. に,系列化も進んだ25).. 決定し,12 月に資本金 1,500 万円で日立造船エ. 多機種,少量生産といった特徴をもつ機械工. ンジニアリング株式会社を発足させた33).川崎. 業にとって,経営基盤を安定化するためには,. 重工業も 1960 年に資本金 100 万円で,設計製図. 26). 巨大化や系列化は不可欠であった .とくに,. を業務として川崎エンジニアリングを設けた34).. プラントは各種の部品を組み合わせて造る機. 造船業界に続いて,重電機業界では,東芝が. 械・設備であるので,一つの企業内での一貫生. 1959 年に東芝エンジニアリング35)を,鉄鋼業. 産が難しい.多数の部品を外注に依存するピラ. 界では,日本鋼管が重工部門を強化するため,. ミッド型の加工・組立型産業の形成も必要であ. 1959 年 に 現場配管溶接工事 な ら び に 鉄構・プ. る.1965 年前後 に日立製作所の系列企業は 85. ラント類の現場末付据え付き工事を行う日本鋼. 27). 28). 社,東芝は 45 社 ,日本鋼管は 27 社に達した .. 管工事(株),1960 年に船舶・鉄構・各種プラ. このような合併・系列化の動きは,プラント生. ントの設計コンサルタントを行う日本エンジニ. 産の基礎を作り出し,多角経営の基盤を整え,. アリングを新設した36).. 総合重機械メーカーの地位を固めたのである.. 1960 年代に入り,エンジニアリング関係の. ⑵ エンジニアリング産業への参入. 子会社新設に引き続き,各メーカーは企業内部. プラント生産においては,詳細な設計・製図. に化工機・プラント部を設置し,機構拡充を加. などのエンジニアリング作業が欠かせない.高. 速させた.表 3 は主要各社の組織改善の推移を. 度成長による投資ブームのもとで,製品の種類. 表にしたものである.注目すべき点は,これら. が多様化・大型化しており,これらの装置は統. の企業がプラント生産体制を整備するとともに. 合されたシステムとして運転する必要があっ. 輸出体制の強化も進められたことである.それ. た.とくに,石油化学工業,合成繊維工業の発. は戦後重工業・プラント産業の発展史における. 展によって, 化学機械は単一機器としてよりも,. 大きな特徴である.その背景要因については,. プラントに有機的に組込まれ,連続的に機能す. 次章において詳細に分析する.. る方向に進んだ29).そこで,化学プラント部門 の成長性に注目して積極的にエンジニアリング. 二 プラント輸出への期待. 部門を展開する動きが,造船業において始まっ. 1 1 960 年代前半 の 機械工業 における好況感 なき繁栄. た. 1950 年代末から 60 年頃にかけて,産業機械. 貿易自由化の進展に対応して,経済界では積. の生産体制を固めつつあった大手造船企業は,. 極的 な 設備拡充・合理化 が 行 わ れ,1959 年 か. 相次いでエンジニアリング関係の子会社を新設. ら 61 年までの「岩戸景気」のもと日本経済は. し た.例 え ば,石川島重工業 は,1957 年 に ア. 空前の好況をむかえた.他方,3 年続きの高い. メリカの有力エンジニアリング企業との合弁で. 成長の結果,1961 年に入ると,ついに過熱化. 30). 石川島 フォス ターウ イ ラー(株)を 設立 し ,. の様相を呈するとともに,輸入超過によって国.

(7) . 造船・機械. 電 機 日本エンジニアリング(株) プラント部. . 日本鋼管. . . . 輸出増進方針. . 工作本部. . 海外事業部を重電機と家庭電器に分離. 菱電エンジニアリング. 出典:各社の社史および情報企画研究所『エンジニアリング産業 会社録 1982 年版』1982 年より作成 �.. 鉄 鋼. 日本鋼管工事(株). . . . . . 八幡製鉄. . 富士電機. 東芝エンジニアリング. 技術部. . . 東芝電気. . . 富士製鉄. . 日立製作所. . . . 海外プラント建設協力室. . . 海外協力事業部. . . 三菱電機. . . . . 小松製作所. プラント業務開始 . 事業部. . プロジェクト事業本部 , 海外市場調査 機械輸出部の再編成 業務・海外事務所に関する総括企画業務. 東海鋳造(株). 三菱化成. 化工機事業部. . 工事本部. 新潟鉄工所. 化工機事業部. 海外事業管理を海外事業部 に改称. プラント輸出重視 , 機械 事業部・化工機部. . . 富士電機エンジニアリング. 国際協力部を海外事業部 から分離. . . . . . . . . 1965. 1964. 海外市場 プ ラ ン ト 輸出受注増大 を 目標 プラント事業部 に,桜島工場にプラント部. . 1963. 三 井 造 船 エ ン 化工機営業部,輸出課 ジニアリング 日本開発機械(株). 川崎エンジニアリング. 企画部・業務部・輸出部. . 1962. 日立造船エンジニアリング. . 1960. 川崎重工業. 石川島播磨. . . 1959. 石川島フォスターウイラー. . 日立造船. 三井造船. . 1957. 三菱重工業. . 表 3 プラント事業・輸出における各企業の動き. 1960 年代における経済協力によるプラント輸出促進(湯) (47) 47.

(8) 48. (48). 横浜国際社会科学研究 第 16 巻第 1 号(2011 年 7 月). 出典:通商産業政策史編纂委員会『通商産業政策史』16 巻,通商産業調査会,1989 年,260─261 頁 より作成 .. 図 3 経常収支と外貨準備高の推移(1952―69 年). 際収支の悪化が表面化するに至った.1961 年 9. 上部門 の 強化 の も と,日本 の 顕著 な 経済成長. 月に実施された景気調整策の浸透に伴い,設備. の伸びにマッチして,4, 5 年間は良好な採算実. 投資を中心とする需要の激減のため 1962 年前. 績を示したが,それは長く続かなかった[表. 半には深刻な不況に陥った.同年秋に公定歩合. 4].大手造船業界 の 陸上部門 の 売上利益率 は,. 引下げなど金融緩和によって景気は回復に向か. 1957 年頃の 10% 以上から 1964 年に 7% 台に下. ったが,1963 年には輸入が再び拡大し,10月. がった39).船舶部門を含む全体の売上利益率も,. 以降国際収支の悪化が懸念されるようになった.. 1959 年 の 11.1% か ら 1961 年 に 8.2% に,1965. その後,金融引締め政策によって国際収支の平. 年に 5.8% まで落ちた[表 4].その背後には,. 衡を図った結果,過剰設備と消費需要の減退に. 1960 年代に入り各社とも新製品の開発や外国. よって,企業経営の悪化,中小企業倒産の高水. 技術の導入にしのぎを削った結果,設備投資の. 準,株価の長期不振など日本経済は深刻な不況. 行き過ぎによる発注の低調,その発注をめぐる. に 陥った37).図 3 は 1960 年代前半 の「国際収. 過当競争の激化などのため,受注工事の採算の. 支の天井」の低さを表している.. 悪化をもたらしたのである40).電機業界におい. その間の機械工業は,技術革新の展開により. て も 同様 に 業績 の 低迷 が 続 い た.日立製作所. 技術導入が増加したことや,新鋭設備への切り. は 1961 年下期 に 2,045 億円 に 達 し た 受注残高. 替えを通じて国際競争力が強化されたことで生. が,1962 年上期 に 1,476 億円 ま で 減 り,また,. 産規模が拡大し,供給力も充実してきた.その. 売上,利益 と も そ れ ぞ れ 1962 年上期 の 1,476. 一方で,設備投資主導型の景気浮揚力が衰える. 億円,127 億円を頂点に年々減少し始め,1965. とともに,労働力不足による賃金・サービス料. 年下期 に は 売上高 が 1,397 億円,利益 が 74 億. 金の上昇に悩まされたことにより,機械工業は. 円 に なった41).三菱電機 の 場合,1955 年度下. 1964 年まで好況感なき繁栄を続け,1965 年に. 期から 1961 年下期まで維持した年 15% の配当. 38). 入ると深刻な不況に落ち込んだ .. 率 は,1962 年度上期 に 13%,1963 年度上期 に. 不況対策 と し て 拡大 し た 造船業 の 陸上部門. 12%,1964 年度上期 に 10%,さ ら に 1965 年度. も,こ の 時期 に なると採算悪化と受注不振に. 上期 か ら 66 年度上期 に か け て は,4% に ま で. 悩 む よ う に なった.1958 年以来,本格的 な 陸. 落とさざるをえなかった42)..

(9) 1960 年代における経済協力によるプラント輸出促進(湯). 表 4 主要造船会社損益推移 (������� 単位:百万円� ). (49). 49. 表 5 機械工業の生産指数の年平均伸び率の推移 (生産指数の付加価値ウェイト). 売上高. 営業利益. 純利益. 売上利益率(%). 1955. 58,607. 4,448. 2,673. 7.6. 1956. 104,399. 7,473. 4,684. 7.2. 産業総合. 8.0. 17.6. 11.8. 16.5. 1957. 148,068. 15,370. 9,333. 10.4. 製造業. 9.0. 18.8. 12.1. 16.9. 1958. 167,558. 18,464. 10,889. 11.0. 機械工業. 6.8. 34.6. 14.7. 23.9. 1959. 150,310. 16,625. 10,703. 11.1. 資本財(除輸送機械). ─0.2. 25.5. 11.0. 27.2. 1960. 185,545. 19,171. 13,172. 10.3. 耐久消費財. 21.0. 44.0. 9.3. 23.9. 1961. 214,898. 17,604. 12,142. 8.2. 生産財. 4.3. 42.0. 16.1. 25.1. 1962. 241,173. 21,264. 14,694. 8.8. 15.6. 36.0. 22.5. 15.9. 1963. 256,021. 21,813. 14,637. 8.5. 1964. 325,653. 25,724. 17,566. 7.9. 1965. 396,623. 22,892. 13,550. 5.8. 注:主要造船会社 は 三菱重工業,石川島播磨重工業,日立 造船,川崎重工業,三井造船,浦賀重工業,呉造船所, 藤永田造船所,函館ドック,佐世保重工業,名村造船所, 佐野安船渠,以上 12 社. 出典:日本船舶輸出組合『二十年の歩み─戦後日本造船史』 1966 年,165 頁.原資料,各社営業報告書.. 各期間の年平均対前年伸び率(%) 1954─55 年 1956─60 年. 輸送機械(資本財). 1961─65 年. 1966─70 年. 注:機械工業の内訳としては,このほかに非耐久消費財,建 設資材がある.機械工業は金属製品を除く.産業総合と は,鉱工業および公益事業. 出典:武田時夫『機械業界』教育社,1975 年,133 頁.原資料, 『機械統計年報』.. 全面的依存から脱却するため,輸出促進体制を 強化したことである.もう一つは,輸出促進の ためにプラント産業部門などの技術力向上を進. 表 5 から分かるように,1961─65 年まで輸送. めたことである[表 3].. 機械 を 除 く 資本財の生産指数の年平均伸び率. 例えば,造船・機械業界をみると,石川島播. は,前期 の 1956─60 年 の 25������������ .5% と ��������� 比 べ,11��� .�� 0%. 磨重工業 で は,1962 年 の 受注不況 に 対 し,輸. に止まり,成長の減速が著しかった.とくに,. 出ドライブの方針を立て,同年,加工機事業部・. 1962 年から原動機・産業機械などの受注が激. 工事本部を設置し,新たに発足させた44).1963. 減したことは,当時の機械工業がおかれている. 年には,陸上機械の海外進出をより積極化する. 不安定な状況を物語っている [図 1] .次節では,. ため,機械輸出部を改組し,さらに海外市場調. 経済後退期における関係企業の対策を明らかに. 査業務,海外事務所に関する総括企画業務を新. する.. 設した45).また,石川島播磨は,マレーシアの セメントプラント(1962 年),インドの火力発. 2 不況対策としての輸出ドライブとプラント 事業の強化. 電所建設(1963 年,翌 64 年に追加発注)など の海外受注に対応するために,1963 年に新た. 1962 年 に お け る 受注低減 の 大 き な 要因 は,. にプロジェクト事業本部を設置した46).三井造. 急速に成長した化学工業が設備投資の面で停滞. 船では,1962 年に新設された化工機営業部に. したことによるものとみられる.表 6 で示した. 輸出課が設けられ,輸出専門部署として化学装. ように,1962,63 年に化学工業の支払いベー. 置用単体機器並びにプラント輸出の営業活動が. スの設備投資は横ばいとなり,全体の民間設備. 開始 さ れ た47).日立造船 は,1963 年 の 年頭経. 43). 投資よりも後退が著しい .国内の景気変動で. 営方針として,総合国際企業を目指した.海外. 打撃を受けた企業では,会社の組織強化による. 市場におけるプラント受注の増大を目標に,輸. 打開策が図られることとなった.各社の打開策. 出機種を充実させる一方で,輸出・エンジニア. は二つに分けられる.一つは民間設備投資への. リング体制を整備し,積極的な海外市場開拓を.

(10) 50. 横浜国際社会科学研究 第 16 巻第 1 号(2011 年 7 月). (50). 表 ����������������������� 6���������������������� 化学工業の設備投資額の推移(支払いベース) (単位:百万円,%) . 有機化学 化学肥料 伸び率 無機化学 伸び率 石油化学 伸び率 伸び率 (石油化学を除く). 化学工業合計 伸び率. 1957. 76,048. 18.2%. 1958. 67,061. -11.8%. 1959. 93,856. 1960. 145,656. 1961. 18,596 -19.0%. その他化学 伸び率. 12,283 -0.8%. 24,017 187.7%. 19,176. 5.5%. 1,976. -19.6%. 0.2%. 5,936 -51.7%. 23,396 -2.6%. 17,547. -8.5%. 1,545. -21.8%. 40.0%. 18,178 -2.5%. 17,387 192.9%. 27,555. 17.8%. 27,714. 57.9%. 3,022. 95.6%. 55.2%. 21,935. 20.7%. 26,682. 53.5%. 38,494. 39.7%. 52,521. 89.5%. 6,027. 99.4%. 196,647. 35.0%. 19,526 -11.0%. 30,592. 14.7%. 66,435. 72.6%. 69,352. 32.0%. 10,742. 78.2%. 1962. 167,580. -14.8%. 19,668. 1963. 172,878. 3.2%. 1964. 231,999. 1965. 235,767. 18,637. 0.7%. 20,424 -33.2%. 55,904 -15.9%. 63,259. -8.8%. 8,325. -22.5%. 18,133 -7.8%. 17,165 -16.0%. 62,017. 10.9%. 65,237. 3.1%. 10,326. 24.0%. 34.2%. 23,004. 26.9%. 28,086. 91,229. 47.1%. 79,057. 21.2%. 10,623. 2.9%. 1.6%. 23,097. 0.4%. 25,222 -10.2% 110,921. 21.6%. 65,329. -17.4%. 11,196. 5.4%. 63.6%. 注:個別業種のなかに秘匿された数字があるため,個別業種の累計額と化学工業合計とで数値が一致しない場合がある. 出典:社団法人日本化学工業協会創立 50 周年記念事業実行委員会記念誌ワーキンググループ『日本の化学工業 50 年のあゆみ ─日本化学工業協会創立 50 周年記念─』1998 年,301 頁より作成.原資料,通産省「主要産業の設備投資計画」.. 行った48).プラント事業に関しては,桜島工場. 不況のなかにあって,産業機械を代表する産. にプラント部を新設し(1963 年) ,本社機構に. 業機械工業会もまた,輸出促進とプラント事業. プラント事業部を発足させるなど(1964 年) ,. の強化を図り,機構体制を拡充した.1959 年. プラントの受注や生産体制を強化拡充すると. に 海外事業研究会,1961 年 に 産業機械輸出振. ともに,エンジニアリング体制の基礎を固め. 興対策懇談会 が 設置 さ れ た.1962 年 に は,不. た49).ま た,新三菱重工・三菱日本重工・三菱. 況による業界の危機に対し,機械工業難局打開. 造船の合併によって発足した三菱重工は,1964. の社長会議を開催し,近代化の推進,輸出振興. 年当初から,輸出拡大,国際競争力強化を基本. ドライブ,需要喚起特別委員会を設置した.さ. 的課題として取上げ. 50). ,同年,機械事業部・化. ら に 1963 年,産業機械海外市場調査団 を 東南. 工機部を設立した51).. アジアと中南米に派遣したほか,1964 年には. 重電機業界では,1962─65 年の景気後退のな. 輸出推進本部を,翌 1965 年にプラント部会を. か,東芝が,経営方策として営業強化,輸出増. 設置するに至った56).. 進,新技術開発,人材育成活用などを打ち出し,. こうした動向は機械業界に限らず,プラント. 1962 年以降,重電・軽電両部門 の 国内需要低. 産業に関連する専業エンジニアリングおよび化. 下に対する活路を海外に求める輸出強化方針を. 学業界においてもみられた.すなわち,国内の. 52). 固めた .1965 年には海外への進出を視野に,. 化学プラントの低迷を輸出によって打開しよう. 国際協力部を海外事業部から分離した53).日立. とする動きが盛んになったのである.三大専業. 製作所 は,輸出 お よ び 海外進出 の 発展 に 対応. エンジニアリング企業の動向をみると,千代田. するため,1963 年に従来の海外事業部を,第 1. エンジニアリングは,1963 年に海外部を海外. 海外事業部(重電機器等担当)と第 2 海外事業. 本部に格上げし,プラント輸出準備態勢を整え. 部(家庭電器等担当)に 分 け,さ ら に 1964 年. た57).日揮 は,1964 年 に 営業本部内 に 海外営. には海外協力事業部を新設した54).三菱電機も. 業部を設置した58).なかでも,特筆すべきは,. 同様に,1962 年の不況下において輸出に力を. 1961 年 に 肥料大手 の 東洋高圧工業 の 工務部門. 55). 注いでいくこととなった .. から独立し発足した東洋エンジニアリングであ.

(11) 1960 年代における経済協力によるプラント輸出促進(湯). (51). 51. る.1962 年に当時の藤本富次取締役は, 「国内. なくなかったことである61).. 設備投資需要の先行き不安を考え合わせると,. 1962 年 の 不況 を 契機 に,重機械業界,専業. 当分営業の中心を海外に向けるべきではない. エンジニアリング,化学業界は,それぞれ輸出. か」と主張し, 「営業の重点志向として海外へ. 促進体制とプラント事業強化を積極的に推進し. の発展を目指す」ことを営業の基本方針の一つ. ていった.しかしその一方で,当面のプラント. に掲げた.同年,建設事業部営業部を営業本部. 輸出市場は低開発国が中心であったことに加え. として独立させ,営業本部を国内部と海外部に. て,これら諸国は資本不足および外貨不足に悩. 59). 分離したのである .. んでおり,プラント輸出は長期信用供与などの. 化学業界では 1962 年から 65 年にかけて,二. 経済協力を伴わなければ進展しないのが現状. つの方法によって本格的な輸出体制がとられ. であった.経済協力による輸出振興は,すでに. た.一つは社内に専門輸出部門を設けること,. 1950 年代以降,通商産業政策 の 一環 と し て 進. もう一つは新エンジニアリング会社を設立す. められてきたが62),1960 年代前半の不況下に. ることである.前者に関しては,1962 年 2 月. おいて,その効果が一層期待されたのである.. から海外事業部を設けた信越化学が,自社の開 発した塩化ビニールやソーダ技術,プラントを. 3 経済協力促進策の改善. 輸出している.日本瓦斯化学は 1964 年 4 月に. 経団連 は,輸出金融 を 確保 す る た め,1961. 輸出専門の窓口として技術二課を設けた.三菱. 年以降毎年 に わ たって 日本輸出入銀行(以下,. 化成は 1964 年 11 月に機構改革で技術部を設立. 輸銀)と海外経済協力基金(以下,基金)の資. し,そのなかに輸出の窓口を置き医薬品製造技. 金確保や融資条件の改善に関する要望書を提出. 術 な ど の 輸出拡大 を 狙った.呉羽化学 は 1965. し,1963・64 年 に も 経済協力 の 積極的促進策. 年 3 月に,技術の輸出や国内の技術提携を担当. を 政府 に 建議 し た63).ま た,1962 年 に は,通. する部門として事業部を設けた.後者に関して. 産省および外務省の海外開発計画調査委託費を. は,技術やプラント輸出窓口として強化育成の. 利用し,経団連常設委員会の外局的機構として. た め に,1964 年 4 月,昭和電工 が,同社 の 川. 海外開発協力協議会 が 設置 さ れ た64).1964 年. 崎工場の修理,営業部門を分離する形で昭和工. 以降 は,経団連 に よって,「海外経済協力強調. 事 を 新設 し た.住友化学 は,1964 年 9 月 に 自. 運動」が開始された.この運動は,アジア経済. 社の工務部門と住友機械のプラント部門を,そ. 研究所,海外技術者研修協会,海外技術協力事. れぞれ分離独立させ,住友ケミカル・エンジニ. 業団,日本商工会議所,日本生産性本部との共. アリングを発足させた.チッソも同じように,. 催によるものであった65).さらに,1965 年に. 工務部門 を 分離独立 さ せ,1965 年 2 月 に チッ. は日本生産性本部,日本商工会議所,日本経営. ソ・エンジニアリングを新設した60).. 者連盟,経済同友会,経団連の五団体共催によ. 以上 の 変革 の 背後 に は,化学技術革新 の ス. る 経済使節団 を 派遣 し,帰国後,「低開発国経. ピードが速く,技術の陳腐化が急テンポで進展. 済協力に関する提言」が政府に提出された66).. したことを受けて,新技術を開発した企業が,. こうした動きは,従来行われてきたような各経. その技術による生産物の販売だけでは開発費の. 済団体ごとの政府への働きかけとは異なり,連. 回収が困難になる可能性があったため,積極的. 携関係による組織的行動にほかならず,経済協. にエンジニアリングによる技術の商品化を進め. 力への重視が高まったことの現れであった.. たという事情があった.注目すべきは,これら. 1962 年から 65 年にかけて,通産省の重要基. のエンジニアリング会社は,国内市場よりもむ. 本方針として,輸出振興と経済協力の推進が一. しろ当初から輸出を意図して出発する向きも少. 項目として取上げられ,輸銀,基金の充実,低.

(12) 52. 横浜国際社会科学研究 第 16 巻第 1 号(2011 年 7 月). (52). 開発国からの一次産品の買付促進,機械類輸出. るだろう.. 促進,技術協力の推進,日本貿易振興会,輸出. 三 プラント輸出体制の形成. 保険の強化などが図られた67).通産省通商局内 で は,1962 年 4 月 に,経済協力政策課,資本. 1 資本集中化とプラント輸出. 協力課,技術協力課の三課による経済協力部を. 1966 年 に 始 まった「い ざ な ぎ 景気」は,鉄. 68). 新設 し た .1963 年 5 月,閣議了解 で「貿易. 鋼,化学工業,自動車における大型設備投資と. 記念日」を設定し,輸出貢献企業認定制度が始. 輸出増大のもとで長期に及んだ.その間,経済. め ら れ た.ま た,1964 年 4 月 に は,輸出所得. 成長と国際収支均衡との両立がようやく実現さ. 控除制度に代わる税制面の措置として,海外取. れ た[図 3].資本自由化 の 圧力 を 背景 に,産. 引等がある場合の割増償却制度,海外市場開拓. 業構造の改善,企業体質の強化のために大型合. 準備金制度,海外投資損失準備金制度,技術等. 併・大型投資 が 進展 し た.そ の な か,資本財. 海外取引にかかわる所得の特別控除,関税の還. 機械,とくに事務機械,産業車両,土木建設鉱. 付制度などが新設された69).. 山機械,金属加工機械の生産拡大が顕著に表れ. プラントの輸出拡大を目的として,通産・建. る77).1966 年から 70 年まで,輸送機械を除く. 設省は低開発国の工場やダム建設などに積極的. 資本財の生産指数の対前年平均伸び率は,今ま. に参加させるため,建設工事(建設会社)と機. でのどの時期よりも成長が著しかった[表 5].. 械の 据付工事(機械設備メーカー) ,工事の設. また,設備投資の大型化は,大型プラント,エ. 計・監督(コンサルタント会社)の三部門の 「三. ンジニアリング産業にもさらなる発展をもたら. 70). 位一体」方針を立てた .機械メーカーを代表. した.. する日本プラント協会は 1962 年にデモンスト. 日本経済の高度成長と重化学工業化の過程は. レーション・プラント方式を採用し,プラント. 大企業間の激しい競争の過程でもあった.競争. 輸出促進を図った71).コンサルタントについて. は銀行の融資系列企業のコンツェルン集団や巨. は,輸出振興 の 長期対策 と し て,1964 年 に 海. 大企業を中心とするトラスト的企業集団を生み. 外コンサルティング企業協会が設置され,コン. 出 し た.三井,三菱,住友,富士,第一勧銀,. サルタントやエンジニアリングを統一した業. 三和の六大企業集団が,それぞれの金融系列に,. 界団体が作られたのである72).建設業界におい. 電気・機械・造船などの機械業界を代表する企. ては,1955 年に発足した海外建設協力会. 73). と. 業をもち,グループ間の競争が展開される.他. 1956 年に発足した国際建設技術協会74)の両団. 方,プラント輸出においては,国内における寡. 体の合併による土建プラント協会の設置が構想. 占的競争体制とは裏腹に,企業間の共同受注体. 75). されたが,海外建設協会の反対により挫折し ,. 制がとられた.. その後の 1968 年に海外建設協会は組織体制の. プラント輸出の特徴は,工場の建物および関. 76). 強化が行われた .. 連の生産機械,設備の設置など工場総体を輸出. このように,経済協力によるプラント輸出振. するものである.そのため通常数十社にもおよ. 興政策が着実に進められるなか,産業機械[図. ぶ企業がそれぞれ分業し合いながら一つのシス. 4],原動機[図 5]の部門別受注構成にも変化. テム商品を作り上げることである.こうした複. が生じた.1962,63 年を境に,受注全体に占. 数の異種企業間の利害を調整し,最も効率的に. める海外需要の比率が 10% を超え,以降その. 結びつけて,一つのプロジェクトをまとめ上げ. 比重が順調に増えた.この変化は,上述のよう. るエンジニアリング企業の存在が欠かせない78).. な企業・業界・政府の努力による結果であり,. しかし,当時,兼業・専業エンジニアリングが. 戦後重機械輸出における一つの転換点ともいえ. まだ未成熟のため,その役割を担ったのは,日.

(13) 1960 年代における経済協力によるプラント輸出促進(湯). (53). 53. %. 出典:経済企画庁調査局統計課『機械受注統計調査年報』各年版より作成 .. 図 4 産業機械需要部門別受注推移(1957―70 年). %. 出典:同図 4.. 図 5 原動機需要部門別受注推移(1957―70 年). 本プラント協会であった.. 輸出のうち,同協会ベースのシェアは 48.6% に. 日本 プ ラ ン ト 協会 は,1955 年 に 大手造船・. 達し,その大半は大規模プロジェクトが占めて. 機械・電機メーカーによって構成された半官半. いた79).企業間の共同受注体制も日本プラント. 民のコンサルティング機構である.1963 年か. 協会の調整によって整備された80).. ら 65 年の間に,低開発国向けの産業プラント. 1960 年代 に プ ラ ン ト 輸出 の 引合件数 が 多.

(14) 54. 横浜国際社会科学研究 第 16 巻第 1 号(2011 年 7 月). (54). かったが,他方で,他の先進国が日本より積極. が成長するとともに減少した.他方,大手商社. 的な政府借款供与および有利な延払条件を提示. は活発な海外進出に伴って,豊富な情報網と国. したこと,また,プラント価格における国際競. 際経験の豊かな人材が蓄積され,海外プロジェ. 争力が劣ったこと,さらに,技術の面で日本プ. クトにおけるリーダー的な役割を担うように. ラントに対する信頼度が低かったことにより,. なった87).. 81). 受注敗退のケースも多かった .そこで,企業. プラント産業にとって,もう一つ重要な問題. 間で,協調体制を第一に掲げられ82),効率化,. は,多機種生産のための企業系列化である.大. 競争力を優先し,国内における組織的体制が整. 型合併・大型投資 の も と,系列化 が 一層進 め. えられた.. ら れ,1970 年代初 め に,日立製作所 の 関係会. 1964 年のインドのグジャラート肥料工場に. 社 は 約 130 社,東芝 は 約 90 社,三菱重工業 は. おけるアンモニア・尿素部門において,東洋エ. 約 40 社,川崎重工業は約 40 社,石川島播磨重. ンジニアリングがプライム・コントラクターと. 工業は約 50 社に達した88).系列化の進展はプ. なり,機械メーカーの三菱重工業,神戸製鋼所,. ラントの生産・調達に大きな役割を果たした.. 石川島播磨重工業,東芝電気 の 参加 に よって. 1975 年頃の通産省の調査によると,主要輸出. 共同体制が作られた83).また,1967 年のメキ. 産業の生産波及額に占める中小企業の割合(第. シコ電力庁向けの火力発電用ボイラー,タービ. 一次波及効果のみ)は,自動車の 27.7%,鉄鋼. ン,発電機の輸出は,三菱グループが日立製作. の 23.8% に対して,プラントは 35.4% となって. 所・伊藤忠商事グループとの共同で成約したプ. いる.プラント輸出は他の主要輸出製品に比較. 84). ロジェクトであった .さらに,個別企業間に. して中小企業へ波及するウェイトが最も高かっ. おいては,三井系の東芝と第一勧銀系の石川島. た89).. 播磨重工業 が 1965 年以降,提携関係 を 成立 さ せ,国内外の共同受注を開始した動きもみられ 85). 2 鉄鋼企業のプラント産業への参入. る .. 1962 年の不況を打開するために,各企業は. 日本プラント協会と同じような役割を果たし. 輸出促進 と プ ラ ン ト 事業 を 進 め て いった が,. たのは,総合商社である.総合商社は, プロジェ. 1960 年代後半の好況下でも,同様の動きがみ. クトの発掘, オルガナイズ,機器・資材・技術・. られた[表 �������������������� 7������������������� ].ただし,1960 年代後半に入ると,. 役務の調達, ファイナンスといった機能を担う.. 鉄鋼メーカーが技術導入段階から技術輸出段階. 例えば,三井物産は,マレーシア向け砂糖プラ. へと転換し,プラント産業に参入したことが大. ン ト 事業(1962 年)で,日新製糖 の 協力 を 得. きな特徴である �.. ながら,プラント・サイトの選定,所要資金の. 八幡製鉄 は,1955 年以降新鋭 の 大製鉄所 を. 試算などのエンジニアリング関係の業務を行い. 次々と建設したことが,鋳型・ロール主体の事. ながら,相手国との間に契約を締結する一方,. 業構造から製鉄プラント主体の事業構造へと脱. 日新製糖を初めとする日本側の機械,建設など. 皮 す る 契機 と なった90).1962 年 の 鉄鋼業不況. のパートナーとの間に契約を結び,計画全体の. のもとで,工作部門を事業部門として自立させ. 組織者としての中心的な役割を果たした86).. る議論が盛り上がり91),翌年,工作本部の発足. このように,造船・機械・鉄鋼・化学・エン. をみた.工作本部の目標は,まず,自主的な管. ジニアリング・商社などの分業体制のもと,海. 理体制を確立し,従来社外に発注していた設備. 外進出が展開されたのである.プラント輸出. の自製化を目指し,長年にわたり社内に蓄積さ. における日本プラント協会が果たした役割は,. れてきた製鉄設備の建設および操業に関するエ. 1970 年代以降に専業・兼業エンジニアリング. ンジニアリングやノウハウを背景に,付加価値.

(15) 1960 年代における経済協力によるプラント輸出促進(湯). (55). 55. . 表 7 プラント事業・輸出における各企業の動き . 1966. 1967. 三菱重工業. 1969. 1970. 1971. 輸出力強化委員会 三菱重工プラント建設(株). 化学プラントエンジニアリン グセンター. 造 船・機 械. 日立造船. . 陸機建設事業部. . 三井造船. 化工機輸出営業部. 化工機事業部. 機械事業部. . 鉄構事業部 を 鉄構事業本部 に 改組 精機事業本部 「企業国際化の促進」. 川崎重工業 新潟鉄工所. . 国際営業担当課. 三菱化工. 輸出部. 小松製作所. 海外事業本部. 環境プラント部 . . . 久保田鉄工. . . 鋳造プラント部. 海外事業部. 電 機. . 海外事業部を解消 し,海外本部. . . . . . . 鉄 鋼. 三菱電機. . 輸出振興委員会. 日立製作所. 海外事業部を輸出 営業所に改称. 機電事業部. 東芝電気. プロジェクト本部. 富士製鉄. 海外プラント建設協力室を海外プラント 海外プラント部改組 部に改称. . 八幡製鉄. . . . プラント工事部. 出典:各社の社史および情報企画研究所『エンジニアリング産業 会社録 1982 年版』1982 年より作成 .. 表 �������������������������� 8������������������������� 主要製鉄プラントメーカー実績の比較(1969 年 7 ������ 月稼動設備) . 八 幡 石川島播磨 (工作本部). 三菱重工. 川崎重工. 日立製作所. 住友重機械. (単位:基). 日立造船. その他. 高 炉. 14. 26. 5. 3. ―. ―. ―. 10. 転 炉. 26. 10. ―. 10. ―. 5. 11. ―. 鋼板処理設備. 18. 5. 26. 8. 8. 10. 10. ―. 出典:社史編さん委員会『炎とともに 八幡製鉄株式会社史』新日本製鉄株式会社,1981 年,821 頁.. の高い製品の製造外販を行い,全社の収益向上. 年代後半に至って,八幡製鉄は製鉄部門から脱. に貢献することであった92).1963 年に発足し. 皮し,製鉄プラントメーカーへの移行を果たし. た 工作本部 は,1960 年代後半 に 入 る と,事業. た.. 規模が飛躍的に拡大し,営業部門の強化,設計. 八幡製鉄のプラント製造部門の強化ととも. 部門の再編強化,製鉄プラント製造体制が確立. に,他方,富士製鉄は海外技術協力業務に関す. された93).さらに,製鉄プラント工事体制を強. る組織の充実化を図った.1957 年のブラジル. 化するために,1969 年にプラント工事部を設. とのウジミナス製鉄所の建設協力を契機に,海. け た94).表 8 は 1969 年 7 月現在,企業別 の 製. 外からの技術協力要請が急増した.富士製鉄は. 鉄プラントメーカーの稼動実績である.八幡製. 海外技術協力 の 発展性 に 着目 し,1964 年 に 海. 鉄は他の重機械メーカーに劣らず,製鉄プラン. 外技術協力部門 を 設置 し95),1966 年 に は 海外. トを生産していることが分かる.つまり,1960. プラント部と改称した.こうして,海外技術協.

(16) 56. 横浜国際社会科学研究 第 16 巻第 1 号(2011 年 7 月). (56). 表 9 地域別プラント輸出の比率推移 (単位:%) 1962. 1963. 1964. 1965. 1966. 1967. 1968. 1969. 東南アジア. . 32.8. 71.5. 42.6. 75.0. 71.6. 56.1. 66.7. 60.9. 中南米. 15.3. 9.0. 7.7. 12.7. 6.2. 10.2. 16.1. 13.6. 共産圏. 52.0. 9.1. 17.3. 4.3. 12.1. 7.7. 9.6. 5.5. その他. 0.0. 10.4. 32.4. 8.0. 10.1. 26.0. 7.6. 20.0. 出典:通商産業省『通商白書』1970 年版,232 頁.. 力体制の整備強化が積極的に推進され始めたの 96). に拡充強化されたのである102).川崎重工業は,. である .. 1968 年 に 川崎重工業・川崎航空機工業・川崎. 八幡製鉄による機械製造,富士製鉄による海. 車両が三社合併した後,経営効率化,企業国際. 外技術協力,両社が二つ分野における体制強化. 化の促進のため,プラント・建設機械の二事業. によって,ようやく素材製品以外に付加価値の. 本部を新設するなどの拡充措置がとられた103).. 高い加工製品も輸出されるようになった.基金. 中堅機械メーカーでは,大企業より遅れをと. からの融資を受け,1965 年に発足した日本と. る形で企業内の機構改善が行われた.三菱化工. マレーシア合弁によるマラヤヤハタ製鉄に97),建. は 1966 年に輸出部を設置し104),同年に小松製. 設工事 に お け る 主要設備の一部を八幡製鉄の. 作所は総合的輸出対策を立て,第一,第二海外. 98). 工作部門によって供給された .同じく,1965. 事業本部を統合して海外事業本部に改めた105).. 年 の 韓国連合鉄鋼工業,1960 年代後半以降 の. 新潟鉄工所 は 1967 年 に 国際営業担当課 を 新設. ウジミナスの拡張計画などにも八幡製鉄の工. し,プラント輸出を本格的に展開する営業体制. 作本部がプラントを供給したのである99).1970. を確立した106).久保田鉄工は 1969 年に鋳造プ. 年以降,富士製鉄と八幡製鉄との合併によって. ラント部,翌年に従来の輸出現業部門と海外合. 誕生した巨大鉄鋼企業新日本製鉄は,鉄鋼貿易. 弁事業管理を行っていた海外事業部門を一元的. 摩擦対策として,製鉄技術の供与と製鉄プラン. に運営管理する海外事業部を発足させた107).. ト輸出による海外進出を経営方針の重要な施策. そうしたなか,1960 年代後半からプラント. としたのである. 100). .. 輸出が急速に拡大した.その実績は,1961 年 の 146.0 百万 ド ル か ら,1965 年 の 320.9 百万. 3 経済協力によるプラント輸出の拡大. ドル,さらに 1970 年には 965.4 百万ドルに増. 八幡,富士製鉄による経営方針の拡充と同時. 加し,十年間で約 6 倍以上の実績を作り出し. に,大手重機械 メーカーも さ ら な る 組織的強. た108).地域別 に み る と,東南 ア ジ ア 地域 は 7. 化 を 進 め て いった[表 7] .三菱重工業 は 国際. 割近く占めており,圧倒的に高く,次いで中南. 競争力の強化,輸出の拡大を二本柱とし,1967. 米,共産圏 と なって い る[表 9].ま た,1967. 年から,製品別輸出競争力強化運動を全社的に. 年 12 月までの国別の順番をみると,インド(76. 推進 し, 「輸出力強化委員会」を 設置 し た101).. 件,260 百万ドル,12.4%),フィリピン(41 件,. 日立造船 は,1967 年 に 戦力 の 統合・整理 を 目. 220 百万 ド ル,10.5%),韓国(24 件,198 百万. 的 に 事業本部制 を 採用 し,陸機建設事業部 を. ドル,9.4%),ブラジル(15 件,189 百万ドル,. 新設 し た.こ れ に 伴 い,機械・プ ラ ン ト・鉄. 9.0%)となり,次いでソ連,パキスタン,ユー. 構の陸上 3 事業部を陸機事業本部の下に再編成. ゴラスビア,インドネシア,中共,マレーシア. し,陸機輸出体制,エンジニアリグ体制がさら. (以上 10 カ国で全体の 72.6%)と続いている109)..

(17) 1960 年代における経済協力によるプラント輸出促進(湯). (57). 57. 表 10 日本のプラント類用途別輸出実績 (単位:千ドル,%) 1953―63. 化学肥料. 47,282. その他化学 金属工業 鉱山開発. 1964―69 構成比. 構成比. 6.4. 320,563. 11.9. 18,449. 2.5. 372,589. 13.8. 251,425. 34.2. 155,236. 5.8 1.1. 8,555. 1.2. 28,799. 紙・パルプ. 78,726. 10.7. 189,999. 7.1. 繊維. 69,641. 9.5. 339,512. 12.6. セメント. 7,752. 1.1. 183,060. 6.8. 28,881. 3.9. 146,245. 5.4. 4,119. 0.6. 19,987. 0.7. 電力設備. 87,682. 11.9. 483,553. 18.0. 通信設備. 35,353. 4.8. 187,283. 7.0 2.8. 砂糖 その他食品. 機械工業 その他 合 計. 3,208. 0.4. 74,214. 93,469. 12.7. 189,203. 7.0. 734,542. 100.0. 2,690,233. 100.0. 出典:通商産業省『通商白書』1970 年版,233 頁.. 機種別 に つ い て,1960 年代後半 か ら 化学・. ドル)となっている112).公機関による購入に. 化学肥料プラント,電機プラントの輸出が急速. 対し,日本側も政府による融資比率が高かった.. に拡大した[表 10] .その一因は,東南アジア. 例えば,東南アジア地域向けの輸出金融形態別. 諸国が工業化計画の一環として,食糧増産のた. の比率において,円借款は 25.3%,一般延払は. めに化学肥料工場の建設,および電力開発を進. 67.8% に達した[表 11].それに合わせて,経. めたことにある.また,日本側の要因として,. 済協力の実績も急増したのである.1965 年以. 1950 年代後半から 60 年代後半にかけて,化学. 降発展途上国への資本の流れは,1969 年の実. 工業が肥料化学工業時代から石油化学工業時代. 績を 1961 年と比べると,7 年間で直接借款は 7. 110). へと転換したこと. ,こうした動向を受けて. 倍強,輸出信用は 6 倍強に拡大した.とくに輸. 各企業が化学肥料プラントの海外市場を求め始. 出信用 の 実績 は,1966 年以後借款 や 投資 よ り. めたという事情があった.特筆すべきことは,. 大きく上回って展開され,経済協力における重. 1964 年から 68 年の間,東洋エンジニアリング. 要な位置を占めている[図 6].. による化学肥料プラント受注は,国内の 8 件を 超えて,海外から 12 件を受けたことである111).. おわりに. 発展途上国の工業化計画とも関連して,プラ. 本稿 は,1960 年代後半以降 の 経済協力 の 本. ント購入の相手が公機関であることが多かっ. 格化に至る要因を,造船・機械・重電・鉄鋼・. た.金額比 で み る と 政府 は 44%(925 百万 ド. 化学などの企業・業界レベルで検証し,それを. ル) ,公社公団 な ど は 13.6%(286 百万 ド ル) ,. 踏まえて,政策手段としての輸出振興,経済協. 両者を合わせて,公機関によるものは 57.6% に. 力の促進を分析した.そこで,以下の結論が得. 上る.それに対して,民間は 42.4%(829 百万. られた..

(18) 58. (58). 横浜国際社会科学研究 第 16 巻第 1 号(2011 年 7 月). 表 11 ローン別のプラント輸出の実績(1967 年 12 月現在まで) (単位:百万ドル,%) 全地域. うち東南アジア. 件数. 金額. 比率. 件数. 金額. 比率. 351. 1,552. 73.8. 186. 768. 67.8. 円借款. 76. 286. 18.6. 76. 286. 25.3. 特別円. 1. 1. 0.0. 1. 1. 0.0. 一般延払. 世銀借款. 41. 86. 4.1. 28. 71. 6.2. 海外投資. 8. 178. 8.5. 3. 8. 0.7. 出典: 「プラント輸出の現状と問題点」(『日本プラント協会会報』ⅩⅧ 11 号,1968 年 11 月)3 頁.. 出典:通商産業省貿易振興局『経済協力の現状と問題点』各年版より作成 .. 図 6 日本の経済協力の推移(1961―71 年). 1962 年における重機械業界の停滞は,後の経. の積極化に拍車をかけた.1960 年代前半から. 済協力本格化の決定的な要因となった.その背. プラント輸出振興政策および経済協力の枠組み. 後には三つの流れがある.一つ目は,1950 年代. が拡充され,実績の拡大に結びついたのである.. 後半,造船業による「陸上進出」 から始まり,. 重機械・プラント産業が輸出促進と併行して. 重機械業界におけるプラント産業の体制が形成. 発展した理由については,以下の二点を指摘で. されたことである.二つ目は,1960 年代前半,. きる.一つは,日本経済の体質,すなわち,「国. 重機械工業によるプラント産業の拡大,および. 際収支の天井」に対する強い警戒感があったこ. 化学工業によるエンジニアリング産業への参入. とである.もう一つは,プラント産業の発展過. で あ る.三 つ 目 は,1960 年代後半,鉄鋼業界. 程において,造船業界が「陸上進出」により成. による機械製品製造体制の確立である.こうし. 長し,プラント産業の発展をリードする役割を. た流れのなか,重機械・プラント産業は,輸出. 果たしたことがあげられる.1950 年代からの. 促進と併行して発展することにより,経済協力. 輸出船ブームによって利益をもたらした大手造.

(19) 1960 年代における経済協力によるプラント輸出促進(湯). 船会社は,海外市場確保を経営の目標の一つと した.このような経営体質のもとで,大手船舶 会社は,総合機械メーカーとして発展する過程 で,早い段階から,海外市場開拓に目を向けた. そうした動きが,不況に対して強い危機感を抱 えている他の業界にも波及し,輸出・経済協力 の積極化を後押ししたと考えられる. 1950 年代と 1960 年代の関連を整理すれば, 以下のようである.1950 年代には,1957 年の 外貨危機、1958 年 の「な べ 底不況」へ の 対策 として,重機械輸出振興や経済協力の積極化の 機運が高まり,海外経済協力基金の設置に至っ たが,その際に経団連や通産省が大きな力を 発揮したものの113),企業レベルでは,目立っ た動きはみられなかった.1960 年代に入ると, 企業の変革が新たな動きとして表れ,1950 年 代 に 形成 さ れ た 経済協力 の 基盤 が 拡充 さ れ, 経済協力やプラント輸出の本格化に結びつい た.つまり,企業の技術や資本蓄積がまだ弱い 1950 年代に政府と財界が政策の形成に大きな 影響力を発揮したが,1960 年代に企業が成長 するに伴い,積極的な海外戦略が展開され,50 年代に形成された枠組みの基盤も拡充され,実 績の拡大を作り出したのである. そ の 後,1970 年代 に 入 る と,公害問題、貿 易摩擦,通貨危機,石油危機などの構造不況の もと,プラント輸出がいっそう拡大された . そ の経緯を企業と政府の不況対策のレベルで考察 することを今後の課題としたい �.. 謝 辞. 本稿執筆にあたって,成城大学経済学部浅井 良夫教授に貴重な助言を頂きました.記して謝 意を述べます . 注 1)「中国がアフリカを求める 3 つの理由」(『エ コ ノ ミ ス ト』88 巻 10 号,2010 年 2 月 16 日) pp. 32─33.. (59). 59. 2) 「経済協力」は, 「政府開発援助」 , 「その他政 府資金 の 流 れ」 , 「民間資金 の 流 れ」に よって 構成 さ れ る.松井謙『経済協力』有斐閣選書, 1984 年,p. 84. 3)小林英夫『戦後日本資本主義と「東アジア経 済圏」 』御茶の水書房,1983 年. 4)小林英夫『戦後アジアと日本企業』岩波新書, 2001 年. 5)末廣昭「経済再進出への道─日本の対東南ア ジ ア 政策 と 開発体制─」 (中村政則編『戦後日 本:占領と戦後改革─戦後改革とその遺産 第 6 巻』岩波書店,1995 年) . 6)通商産業政策史編纂委員会編『通商産業政策 史 第 9 巻』通商産業調査会,1989 年. 7)大蔵省財政史室編『昭和財政史:昭和 27─48 年度 第 12 巻』東洋経済新報社,1992 年. 8)井村喜代子『現代日本経済論─敗戦から「経 済大国」を経て─』有斐閣,1993 年,第 4 章「ベ トナム戦争と日本の『経済大国』化」を参照. 9)浅井良夫『戦後改革と民主主義─経済復興か ら高度成長へ─』吉川弘文館,2001 年. 10)プラント産業とは,ある産業を対象として, 機械・装置を中心とした,一つのプロジェクト の調査・企画から,設計・機械製造・組合せ・ 施工・稼動までのプロセスを受け持つ,総合的 かつ有機的な産業である.佐藤公久『プラント 業界』教育社,1977 年,pp. 16─18. 11)具体的には以下の書籍があげられる.政治経 済研究所『日本 の 機械工業』東洋経済新報社, 1960 年.機械工業研究会『日本 の 機械工業─ その現状と展望─』通商産業研究社,1969 年. 武田時夫 『機械業界』教育社,1975 年.石川 宏『重電機業界』教育社,1975 年.佐藤公久, 前掲書,1977 年.佐藤公久『プラント業界』教 育社,1982 年.佐藤公久『プラント・エンジニ アリング業界』教育社,1987 年.日本機械工業 連合会『戦後機械工業発展史』1982 年.高倉信 昭『プラント輸出の戦略と実務』ダイヤモンド 社,1987 年. 12)機械工業研究会,前掲書,p. 36. 13)同上,第一章を参照. 14)橋本寿朗『戦後日本経済の成長構造─企業シ ステムと産業政策の分析─』有斐閣,2001 年, 第 8 章,第 9 章を参照. 15)日本産業機械工業会産業機械工業発展過程 編集委員会『産業機械工業発展過程』1965 年, p. 365. 16)機械工業研究会,前掲書,p. 31. 17)日本造船工業会 30 年史刊行小委員会『日本 造船工業会 30 年史』1980 年,p. 42. 18)日本船舶輸出組合『二十年の歩み─戦後日本 造船史』1966 年,p. 163. 19)日本産業機械工業会産業機械工業発展過程編.

参照

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