持続可能性へ向かう道
仁 連 孝 昭
1.持続不可能な現代 2.スループット増加型社会 3.エコシステムの持続可能性 4.持続可能性と資本1.持続不可能な現代
人間社会は 21 世紀に入ってまだ、持続可能性へ向かう道を進んでいないように見える。 2008 年のリーマン・ショックは現在の経済システムに内在する構造的な問題を曝け出すこと になったが、銀行への公的資金注入、国有化によっていったん危機を脱すると、その病弊の根 源には手を付けないままことが済まされている。そもそも、リーマン・ショックとは何であっ たのか。アメリカでは、無理やり住宅需要をつくりだすため、また過剰な資金の儲け先をつく りだすため、サブプライムローンが考えだされた。それは、通常であれば返済の見込みのない 低所得者を対象に高金利で住宅を担保とした住宅ローンを組ませ、住宅需要を過剰に煽るもの であるとともに、ハイリスク・ハイリターンの投資先を開拓し、そのリスクを隠すためにサブ プライムローンを証券化し、世界中から過剰な資金を吸収した。これは、住宅価格が一方的に 上昇し続けるというあり得ないバブル幻想の上にのみ成り立つものであった。案の定 2007 年 の住宅バブルの崩壊とそれに端を発したサブプライムローンの焦げ付きが 2008 年のリーマン・ ショックを招き、世界中の投資家、銀行、ヘッジファンドに拡散していたサブプライム証券が 一気に不良債権化し、世界中の経済を混乱に陥れた。なぜ、このようなバブル経済に依存す る、持続的でない経済を先進国は受け入れることになったのか。 その原因を先進国経済が経済成長を持続できない体質になってきたことに求めなければなら ない。一方では国内消費が飽和状態に近づき、消費の飛躍的な成長はがなくなっている。耐久 消費財の普及が飽和状態であり、あとは買換え需要があるだけである。新興国のように何億人 もの国民が一気に耐久消費財や乗用車を手に入れる時代は過ぎ去った。他方で、グローバルな サプライチェーンの発達により、企業は世界中から部品を調達でき、どこででも製品を組み立 てることができるようになるとともに、為替の変動に対応し、リスクを避けるためにも、主な論 文
市場の通貨圏への立地、異なる通貨圏への立地が求められるようになり、先進国内での立地が 相対的に減らざるをえず、またそれが先進国内の雇用を減らすことになり、国内生産の減少に つながっている。これは先進国経済としてやむを得ないことであり、かつての先進国で経済を 牽引していた仕組みは、いまや新興国には通用しても、先進国にはもはや通用しなくなってい る。にもかかわらず、先進国が経済成長を求めようとすれば、バブル経済に依存することに なってしまうのである。 そもそも、先進国がいつまでも消費と生産を拡大し続ける経済に依存していても良いもので あろうか。IGBP が 2004 年に注目すべき報告書を出している。その一部を引用しよう。 人類の地球システムへの影響力の質は 18 世紀後半の産業革命とともに大きく変化し た。化石燃料に依存するエネルギーシステムの導入とともに、人間生存の構造そのものが 変化し、地球に及ぼす人類の容量が変化した。新しい技術は採取、消費、生産のための社 会的容量を増加させ、1800 年の 10 億人に満たないところから、2050 年までに 90 億人も しくはそれ以上の人口が予測されるまでの膨大な人口増加をもたらし、どこででも生活ス タイルの向上への期待を持たせる市場経済、情報の氾濫する社会へ転換した。その結果 は、漁業ストック、地下鉱物、淡水、農業生産のための土壌を含む地球の資源に対する需 要の総量および一人当りの両方での地球規模での飛躍的上昇であり、地球システムの機能 に対する生産と消費の環境影響の飛躍的上昇である。(Steffen, 2004) IGBP のこのレポートは、地球上の人間活動の規模の拡大、それによる地球環境への強大な インパクトを取り上げ、「地球システムがこれまで、このような形、規模また割合での変化に 遭遇したという証拠はない。地球システムは地球の歴史において、新しい地質時代、アントロ ポセン Anthropocene1)に入ったという他に言い表しようがない状況である。」と記述してい る。 IGBP レポートが示すように、産業革命後の短い期間で大きなインパクトを地球に与えてき た。とりわけ 20 世紀後半以降の人間活動によるインパクトは格段に大きく、地球システムそ のものを変えてしまいかねないスピードでその変化が続いている。これは IPCC によるレポー トでも示され、温室効果ガスの排出をこのまま続けると、地球システムの気候変化の正のルー プが相乗効果を持ち、取り返しのつかない気候変化を加速化させることが危惧されている [IPCC, 2008]。 ま た 同 じ く 国 連 が 組 織 し、 世 界 規 模 で 行 わ れ た ミ レ ニ ア ム 生 態 系 評 価 Millennium Ecosystem Assessment は人間の well-being が生態系サービスに依存していることを体系化し た一方で、2000 年の世紀転換点で生態系サービスが劣化したのかあるいは増強されたのかを 評価している。供給サービスについては、食料供給について野生動植物を除いて供給サービス が増強されたと評価しているが、木材・繊維の供給サービスは増強と劣化が相半ばし、木質燃 料については劣化し、遺伝子資源とバイオケミカル、天然薬品等については劣化、淡水も劣化
していると評価している。調整サービスについては、大気質、土壌侵食、水浄化と廃棄物処 理、病害虫管理、受粉そして自然災害の調整に関しては劣化していると評価している。気候の 調整に関しては地球規模では陸域生態系が 20 世紀後半から二酸化炭素を吸収するシンクに なったため、グローバルには改善されたが、熱帯雨林の破壊や砂漠化の進行などローカルには
劣化していると評価している。水の流出と病気の調整に関しては劣化と増強両方の傾向が見ら れるとしている。文化的サービスに関しては、精神的・宗教的価値は増強されたが、美的価値 は劣化し、レクリエーションおよびエコツーリズムに関しては劣化と改善の両方が見られ、、 その他の知識体系、教育的価値、自然からのインスピレーション、社会関係、場所への愛着、 文化資産の価値の変化については評価できていない[MEA, 2005]。 図 2 人間活動の劇的増大による地球システムの変化[Steffen, 2004]
ミレニアム生態系評価においても人間の「良き生存 well-being」を支えている生態系サービ スが灌漑、化学肥料と農薬そして機械に支えられた農業生産を通じた供給サービス以外は劣化 していることに警告を示している。持続可能な方向に私たちの人間社会が向かっているとは到 底言えないのが現実である。
2.スループット増加型社会
生命は生命を維持するために体外から栄養分や水、酸素を取り入れ、体外に排泄物や二酸化 炭素を排出している。体内に取り込まれる物質は、体内で生物体が利用するエネルギーや有機 体に転換され、最後に排泄物として体外に排出されている。同じように、私たちの社会も自然 界から資源やエネルギーを採取・抽出し、それを産業システムへの投入として利用し、社会が 必要とする財やサービスを生産し、不要なものは廃ガス、廃水、廃棄物として環境中に排出し ている。これら資源の投入に始まり、財へ転換され、最後に環境中に排出される物質・エネル ギーの流れをスループットと呼ぶとすれば(Daly, 1996)、私たちが生活する現代社会をスルー プット増加型社会と呼ばなければならない。それに対して生命界のエコシステムではスルー プットが普段に増加していくことはありえない。なぜならば、エコシステムは究極的に太陽エ ネルギーを利用する光合成に依存し、光合成により合成されたバイオマス(スループット)が 食物連鎖を通じて循環し、エコシステムを支えている(Odum, 1997)。太陽から地球表面に入 射され、利用可能となるエネルギー量は有限であり、この自然の容量を超えたスループットの 増加と生命系の成長はありえないからである。 現代社会がなぜスループット増加型社会になったのか、それは産業社会そのものの構造に求 めることができる。私たちの社会を持続可能なエコシステムから乖離させ、持続可能でないス ループット増加型社会にしている産業社会の構造について整理してみよう。 第 1 番目に、産業社会では生産者と消費者が分離していることを挙げなければならない。産 業社会に先行する農業社会では生計維持のための生産と領主に貢納する余剰の生産を明確に区 別することは容易でない。社会の多数は農民であり、生計維持のために必要な多様な財・サー ビスを自ら生産するとともに、地域社会の中でそれらを互いに分かち与えていた。あるときは 農民は生産者であり、またあるときは消費者であった。日本の農業社会では「結い」や「ゆい まーる」という言葉で表される共同労働、互酬的な労働交換、相互扶助は農作業、屋根の葺き 替え、水路の維持、冠婚葬祭などを通じて行われてきた。生計維持手段の確保、生活の維持、 共同作業などの生存のための様々な営みは、市場での交換を媒介していない2)。産業社会にお ける化石燃料と分業に基づく機械生産の導入による財の供給力の飛躍的増強によって、市場シ ステムが一般化し、一体であった社会が分解し、経済は社会から独立し、逆に社会を規定する システムとして機能するようになった。個人、家庭そして地域社会は必要なものを消費者とし て市場に求め、生産者は社会が必要とするありとあらゆる財・サービスを市場に供給する。こ の生産と消費の分離によって、生産活動と消費活動は別々の行為となり、生産と消費を結びつけ、両者のバランスをとる仕組みは、生産者側からも消費者側からも完全に制御することので きない市場にまかされる。この生産と消費の分離が、生産の暴走、消費の暴走を生みだす構造 的要因となり、生産の暴走が景気変動をもたらし、消費の暴走が際限のない欲望を掻き立て、 社会を秩序化していた欲望抑制システムをむしばんでいく。生産と消費の分離が、生産と消費 をそれぞれ無際限に膨張させる可能性をつくりだしたのであり、生産と消費の増長を支えるス ループット増加型社会の成立条件を整えた。 第 2 番目に、産業社会のダイナミクスはとどまることのない経済成長を構造化していること である。産業社会の経済を牽引する企業は、企業間の競争の中で、市場で競争力を持つために 普段に他の企業より安価に、あるいは差別的な性能を持った財・サービスを市場に供給するこ とを求められている。より安価に、またより差別的な財を供給するために、継続的に生産性を 高め、研究開発の成果を生産に取り入れなければならない。そのために、資本の継続的な投下 をし続けなければならない。また、継続的に増強しなければならない資本は、株式・社債であ れ、借入資本であれ、いずれにしても配当や利子を負担しなければならない。すなわち、配 当・利子を生み続けることによってのみ維持できる資本の調達に依存しなければ、企業として 競争社会で生きのびることができないのである。個々の企業にとって成長を求められるゆえん である。さらに、国民経済レベルでは、租税収入によって支えられている政府活動はそのタッ クス・ベースである所得と消費の成長がなければ、その膨張し続ける支出を賄うことができな い3)。政府は経済成長を目標とした政策をとらざるをえない。経済成長が社会にこのように埋 め込まれることによって、あらゆる社会的目標に対して経済成長が優先されることになる。雇 用の確保のため、公共的な福祉とサービスを維持するため、環境を改善するための投資を確保 するために、経済成長がまず求められる。このように、経済成長が社会に埋め込まれることに よって、あらゆる社会的目標に対して経済成長が優先されることになる。雇用の確保のため、 公的福祉サービスを維持するため、環境の改善をするために経済成長がまず求められる4)。こ のように、ミクロにもマクロにも経済成長が社会に埋め込まれ(Jackson, 2009)、これがス ループット増加型社会を推進することになる。 第 3 番目に、スループット増加型社会を現実にしたのは、スループットを再生可能資源だけ でなく地下にある枯渇性資源に求めたことである。とりわけ、エネルギー源を化石燃料に求め ることによって、分散し、場所に縛られた再生可能エネルギーから解放され、産業社会は無尽 蔵のエネルギーを手に入れたように見えた。水力、風力、マキや木炭そして畜力などの再生可 能エネルギーは、人間社会にわずかなエネルギーしかもたらさなかったが5)、化石燃料の利用 はその利用しやすさと相まって飛躍的なエネルギー消費の増加をもたらした。さらに、一次エ ネルギーを電力に転換し送配電する技術の進歩とともに、化石燃料によるエネルギー消費量は 飛躍的に増加した(Smil, 1998)。世界のエネルギー消費は 1890 年から 1990 年の間で、電力で 約 1700 倍、石油で約 170 倍、天然ガスで約 160 倍、石炭で約 3 倍、マキなどバイオ燃料で約 6 倍となっていることからも、化石燃料と電力の利用はエネルギー消費をこれまで経験しな かったレベルに引き上げ、またそれがその他の鉱物資源の採取、生物資源の生産およびそれら
の消費を飛躍的に増加させ、スループット増加型社会を実現させた。 産業社会における生産と消費の分離、経済成長ダイナミクス、そして地下資源・化石燃料の 利用がスループット増加型社会を支えている。このシステムは際限のない欲望の膨張、経済成 長そしてスループットの増加を持続させるシステムである。しかしながら、このスループット 増加型社会を支えている地球そのものを成長させることができない限り、必ずこのシステムが 限界に物からことは自明である6)。それだけでなく、スループット増加型社会は人間社会に繁 栄をもたらさない。その理由は、経済成長ダイナミクスそのものが孕んでいる矛盾にある。 Jackson によれば(Jackson, 2009)、経済成長を促しているのは競争によって迫られる生産性 の向上である。それは生産への投入の効率を高めることであり、労働生産性の上昇により、製 品のコストダウンを図り、それによって需要を刺激し、生産の拡大することができる。しか し、その同じ労働生産性の上昇は雇用の減少を招き、これを避けるためにさらなる成長を促す 必要がある。さもなければ失業、購買力の縮小そして不況が待ち受けている。これは政府に とって社会的コストが膨らむばかりか、それを支える税収の減少につながっている。成長を止 めることはできない。先進国の経済成長は必ずしも、国民の繁栄をもたらすものとなっていな い。1 人当り GDP が増加しても、GPI(Genuine Progress Index)は増加しないというのが、 アメリカなど先進国の現実である。 経済成長ダイナミクスは市場を通じて供給される財・サービスを拡大していくが、それは同 時にこれまで、家庭や地域社会が担っていた財・サービスの供給を掘り崩し、そのことによっ て、社会の各人の存在価値となっていた社会におけるその役割を奪っていく過程でもある。し かし、すべての生存を支える財・サービスの供給を市場が担えるわけではない。家庭や地域社 会がこれまで供給していた多様なサービスを担えなくなることによって、福祉サービス、医療 サービス、教育・保育サービスなど公共サービスの領域が増えていく。それだけでなく、経済 成長を支えるための公共サービス、インフラの整備もますます必要になってくる。言いかえれ ば、スループット増加型社会は社会を維持していくための間接費用を増加させる傾向を持って 表 1 世界の燃料別エネルギー消費量 単位:EJ(1018J) 1900 1925 1938 1950 1955 1960 1971 1980 1990 石炭 12.62 36.01 37.86 46.65 53.59 59.28 32.11 31.14 36.87 電力 0.02 0.68 1.61 3.4 5.58 8.19 15.75 23.95 33.87 天然ガス 0.25 1.41 2.93 7.45 11.49 18 23.99 37.39 38.98 近代的バイオ 燃料 0 0 0 0 0 0 0 0.04 0.14 石油 0.63 5.76 11.02 21.1 31.69 43.23 73.82 90.49 107.77 伝統的バイオ 燃料 8.51 17.59 20.75 23.28 25.37 27.49 34.52 42.81 49.51 世界計 22.03 61.44 74.12 101.88 127.71 156.16 180.19 224.83 267.14 出典:(Goldewijk and Battjes, 1997)
表 2 各国の実質経済成長率の変化(平均年成長率、 %) 1971-80 1981-90 1991-2000 2001-2010 世界 3.70 3.15 2.79 2.56 先進国 3.34 3.12 2.57 1.41 アメリカ 3.20 3.36 3.47 1.65 カナダ 4.06 2.84 2.94 1.89 EU 15 カ国 3.14 2.45 2.25 1.21 オーストリア 3.65 2.17 2.53 1.56 ベルギー = ルクセンブルグ 3.36 2.19 2.44 1.54 デンマーク 2.27 2.09 2.61 0.67 フィンランド 3.81 3.07 2.14 1.93 フランス 3.70 2.39 1.97 1.15 ドイツ 2.91 2.34 1.95 0.96 ギリシャ 4.70 0.71 2.36 2.42 アイルランド 4.75 3.65 7.20 2.61 イタリア 3.84 2.41 1.59 0.27 オランダ 1.78 1.76 1.76 1.75 ポルトガル 1.45 1.46 1.44 1.45 スペイン 1.50 1.46 1.45 1.46 スエーデン 1.98 2.22 2.12 2.07 イギリス 1.96 2.73 2.55 1.43 アイスランド 6.38 2.78 2.59 2.32 ノルウエー 4.69 2.54 3.71 1.59 スイス 1.30 2.22 1.07 1.64 日本 4.50 4.64 1.19 0.86 オーストラリア 3.01 3.37 3.38 3.06 ニュージーランド 1.82 2.01 2.93 2.64 新興市場 5.35 3.95 4.07 6.02 メキシコ 6.71 1.88 3.53 1.86 ブラジル 8.51 1.65 2.56 3.60 チリ 3.08 3.95 6.45 3.74 チェコスロバキア 3.09 2.64 0.36 3.23 ハンガリー 4.98 1.16 0.99 1.82 ポーランド 3.09 2.80 3.87 3.91 スロバキア 3.09 6.20 0.66 4.41 ロシア 3.09 2.09 -3.61 4.88 中国 6.28 9.35 10.45 10.48 インド 3.09 5.57 5.48 7.78 韓国 7.30 8.74 6.19 4.16 台湾 9.77 7.65 6.24 3.94 インドネシア 7.87 6.41 4.43 5.22 マレーシア 7.87 6.03 7.23 4.63 フィリピン 5.93 1.80 2.89 4.78 タイ 6.89 7.89 4.63 4.37 ベトナム 2.56 3.72 7.59 7.27 シンガポール 9.03 7.81 7.23 5.69
Source: International Macroeconomic Data Set, Economic Research Service, United States Deprtment of Agriculture, on line at http://www.ers.usda.gov/data-products/international-macroeconomic-data-set.aspx#26190.
いる。政府の立場からすると、税収を確保し、公共支出を維持するために経済成長を維持する ことがますます求められる。しかし、経済の規模が大きくなった先進国経済は離陸したての新 興国と異なり、経済成長率は低くならざるをえない。それにもかかわらず、倒れないための経 済成長が必要である。 スループット増加型社会は地球の生命誌の中で蓄えられた資源を採取し続け、消費し続ける ことにより、経済成長を持続させるシステムである。はたして、有限な地球の容量の中で、ま た地球のエコシステムの上で、このようなスループット増加型社会のシステムをいつまでも持 続させられるであろうか。すでに前節でみたように、化石燃料は有限であり、化石燃料の燃焼 による温室効果ガスの大気中の濃度が上昇し続け、気候変動が現実のものとなってきている。 それだけでなく、生物種の絶滅のスピードが速まり、生物多様性が失われてきている。現在の 社会システムは持続可能でないことは明白である。温室効果ガスの排出を削減しなければなら ないと分かっていても、相変わらず経済成長のために消費を促し、資源とエネルギーを消費し 続けている。
3.エコシステムの持続可能性
スループット増加型社会は明らかに生命系とは異質のシステムである。地球上で 38 億年に わたり連綿として続いてきたシステムは多様な生命のネットワークであるエコシステムだけで ある。それはシステムへのスループットを普段に増加させることなく、そのダイナミクスを維 持している。エコシステムは系外から地球表面に照射された太陽光フローをインプットとして 利用する光合成により、水と二酸化炭素から炭水化物を合成し、化学エネルギーと酸素をつく りだしている。これが食物連鎖のネットワークを通じて、多様な生命の間で循環するスルー プットの始まりとなり、生命の代謝により、脂肪やタンパクなどの有機物が合成され、呼吸に より二酸化炭素を放出し、合成された有機物は微生物による分解により再び植物が栄養素とし て取り入れることが可能な無機物に分解される。エコシステムのスループットは多様な生命の 間で循環し、システム外からは太陽光のみを利用しているにすぎない。 このエコシステムのダイナミクスと私たちのスループット増加型社会のそれを比べてみる と、根本的な違いを見出すことができる。それは、前者がシステム内で太陽光の力を借りて、 スループットを循環させダイナミクスを生み出しているのに対して、後者はシステム外からス ループットを次々と取り入れることによってそのダイナミクスを維持していることである。後 者は前者と比べると著しく自律性を欠いている。それにも関わらず、私たちが後者をあたかも 自律的なシステムように信じてきたのには訳がある。 産業社会の論理を最初に体系化した Adam Smith は、富は貨幣であり、貨幣の蓄積を富の 増進とする重商主義7)に対抗して、富の源泉は労働であるとした。Smith は『国富論』の冒頭 で「どの国でも年々の労働こそが、その国が年々に消費するすべての必需品と便益品を本源的 に供給するファンドであり、これら必需品や便益品は労働の直接的生産物であるか、その生産物によって他の国々から購入されるもののどちらかである」(Smith, 1937)と述べ、必需品や 便益品として表現されている年々の物資的富のフローを生産するのは労働のフローであるとし た。 ここで Smith は 2 つの重要な富に対する枠組みを与えている。1 つは労働が富の唯一の源泉 であるという主張であり、これは一方で重商主義に対抗する見解であったが、他方では重農学 派が「土地こそ富の唯一の源泉であり、富を増加するのは農業である」(ケネー, 1933)という 主張を否定するものである。Smith が議論に載せているのは生活に関わる物的な富であり、貨 幣的な富でないことは重商主義批判の脈絡から自明である。しかし、物理的に見れば、それら は無から労働によってのみ創り出されるものではなく、自然界に存在する生物体あるいは非生 物体を労働によって加工して得られるものである。にもかかわらず、Smith が労働を唯一の富 の源泉であるとする主張が合理的となる根拠は、第 1 に自然界から得られる物質は無尽蔵に存 在し、それを獲得するために必要なものは労働のみであるということ、第 2 にエコシステムの ダイナミクスから生み出される生態系サービスがいかに人間にとって有用なものであっても、 それが労働を媒介することのない、すなわち貨幣によって評価される価値を持たないものは富 の構成要素に入れないという前提を置くことにある。 もう 1 つの重要な点は、富をフローの概念として Smith が捉えていることである。Smith は毎年消費する必需品と便益品の大きさが国民の豊かさを表すと考えた。これは消費社会を豊 かな社会と想定していたことになる。より多くの必需品と便益品を消費する社会、そのために より多くの必需品と便益品を分業によって生産する社会がスミスにとって豊かな社会である。 これは、産業革命を経て化石燃料を動力源とした飛躍的な生産力を手に入れることによって、 自然資源を際限のない消費材のフローに変え、際限なく廃棄していくことを追求することにつ ながっていくのである。もう一度エコシステムのダイナミクスと Smith が定式化した経済を 対比してみよう。前者の世界では、光合成植物がまず太陽光という地球上の生命にとっては尽 きることのない外部から与えられるフローを使い、地球上の水と二酸化炭素のストックから炭 水化物というフローを生産し、植物体を自己増殖している。次いで、植物体を摂取する生命体 は呼吸によって酸素ストックを体内に取り込み、タンパクや脂肪のフローを生成するととも に、二酸化炭素を排出している。ここでは植物のみがフローを生産し、動物は植物が生産した フローを消費しているにすぎない。植物が生産者、動物が消費者と言われるゆえんである。ま た、水や炭素、酸素そして窒素などの物質は地球の生命圏の中を循環し、物理化学作用やエコ システム内の代謝を経て劣化することなく循環している。熱力学第 2 法則があるにもかかわら ず、エネルギーや物質が劣化し、高エントロピーの状態にならないのは、植物が絶えず外部の 太陽光を利用しエコシステムを支える生産を続けているからであり、エコシステムが物質を循 環させているからである。エコシステムの生産と消費は地球に入射する太陽光とそれを受け止 める面積に限界づけられている。地球の潜在的純一次生産量は一定の大きさであり、Vitousek らによれば、地球上の潜在的な純一次生産は陸域で 132.1Pg、水域で 92.4Pg、合わせて 224.5Pg である(Vitousek, 1986)。224.5Pg の低エントロピーな純一次生産が毎年エコシステ
ムのダイナミクスを支えるフローとして植物によって生産され、エコシステムの中で消費され ている。その生産と消費は地球上の資源ストックを消費し、利用可能でない高エントロピーな 物質に変換してしまうものではないのである。それに対して、Smith が定式化した産業社会は 化石燃料をはじめとする地球のストックを消費し続け、高エントロピーな物質に変換し続ける ものである。 ここで、生産という概念をエコシステムのダイナミクスと私たちのスループット増加型社会 の対比で整理してみよう。両者の間で決定的に違うのが生産によってエントロピーが増えるの かどうかという一点である。前者は低エントロピーな物質を太陽光で創り出すのに対して、後 者は低エントロピーな物質を一方で作り出すが、同時に他方でそれ以上に高エントロピーな物 質を作り出し、全体としては地球の高エントロピー化を進めている。前者の生産は文字通り新 たにものを生み出しているが、後者は光合成により生産されたものあるいは地球の歴史を通じ て蓄積されたストックを変形し、フローを作り出しているにすぎない。 このように両者にとって、生産の意味するところは物理的な過程として本質的に異なるもの であるが、後者の生産過程を組織化し運営するためには資本が必要である。生産を始めるに前 に、資本が投下され機械設備や労働者を雇い入れ生産が始められ、生産物を販売することに よって事前に投下した資本をようやく回収できることになる。資本がなければ生産過程を組織 することができない。ここで資本は物的な資本であるとともに、貨幣的な資本であるという両 義性を持つ概念となり、資本を巡る議論に混乱をもたらすのである。 生産を組織する資本についての議論で混乱しないために、Georgescu-Roegen の議論に立ち 戻ってみよう[Georgescu-Roegen, 1971]。Georgescu-Roegen は生産過程に入る生産要素を大 きく 2 つに区分している。1 つはファンド要素であり、もう 1 つはフロー要素である。ファン ド要素は生産過程で消費されてしまうものではなく、生産過程で継続して生産に必要なサービ スをもたらす作用主体であり、過程のはじめと終わりでその作用主体は同一のものである場合 (機械や道具)か、共通の内実を持つ場合(穀物の種子)である。機械などの本来の資本とと もに同じ意味で土地と労働もファンド要素に入る。ファンドは生産過程で必要とされるサービ スを提供する。それに対して、フロー要素は過程の中で消費されてしまうものであり、生産物 にその一部が体化されるものであり、織物の原料となる羊毛、ガラスになる砂などがそれに当 る。ここで、Georgescu-Roegen はストックという概念を使わず、ファンドという概念を使っ ているのは、ストックがフローの蓄積されたものであるということからすると自明である。生 産要素としてこのように 2 つの概念を区別したのであるが、物的な生産過程を考察するとき、 この区別は重要である。会計上では資本は生産に先立つ投資であり、それによってファンドを 調達しようが、フローを調達しようが生産後に利益を生んで回収されれば何の問題もない。し かし、生産過程ではファンドとフローは全く異なる働きをしている。それゆえ、生産過程を維 持するためには、ファンドが維持されることと、フローが絶え間なく供給されるという条件が 必要となる。ファンドの中の本来の資本は熱力学第 2 法則により普段に劣化してゆく、それと ともに社会的な陳腐化も起きる8)。それゆえ、この本来の資本を管理し、その機能を発揮でき
る状態に維持し、更新していくことが不可欠である。機械であれば、そのメンテナンスのため の労働ファンドのサービスの他に潤滑油や部品などのフローが必要である。ここから明らかな ように、本来の資本すなわちスループット増加型社会における生産資本はその劣化を防ぐため に、その劣化を他の資源の消費で補給していかなければならない。言い換えれば、ファンドの 高エントロピー化をフローの高エントロピー化で代替していかなければならないのである。こ れに対して、自然界における生産者である植物は光合成を行う葉緑素を備えた葉とそれを支え る茎、根などを資本ファンドと見なすことができる。この植物の資本ファンドもそれ自体は持 続可能ではなく、一年草では 1 年で、多年草でも数年から数百年で枯れ死してしまう。しか し、ファンドの機能は種子の中に情報として保存され、植物の資本ファンドは労働ファンドを 使うのではなく、太陽光という外部からのフローと水、二酸化炭素などのストックから必要な フローを利用して再生維持することができる。ここが、産業社会の資本と決定的に違うところ である。植物は太陽光がある限り、永久に資本ファンドを自己維持することができるのに対し て、人為的資本ファンドを維持するためには労働ファンドと資源フローが必ず必要となる。労 働ファンドはそれを維持するためにその生計が維持されなければならず、そのためにまた資源 フローを必要とする。 植物の資本ファンドは地球上で持続可能なように設計されているが、産業社会の資本ファン ドは持続可能でないことを以上のことは示している。もし、産業社会の資本ファンドを持続可 能なものにしようとするならば、資源フローを太陽光とエコシステムのサービスを通じて循環 する資源に限定させなければならない。私たちのスループット増加型社会は地球環境の危機が 懸念されてからも依然としてスループットを増加させ続けている。それは、前節で検討したよ うに生産と消費の分離がそれぞれの暴走を許容し、経済成長が企業と政府の行動目標となり、 最後に物質的なスループットの増加をまかなう無尽蔵な資源フローを前提としているからであ る。また、このような制約のない生産と消費の拡大、経済成長、スループットの増加の上に社 会を成り立たせているのは、富を物的な世界から切り離し、貨幣で測られる抽象的なスカラー 量として見る近代社会の経済観にもその原因がある。有限な地球環境の中でどのように富を追 求すればよいのかについて、根源的な再検討が現在迫られているのである。
4.持続可能性と資本
現在の私たちの経済体制を表すものとして「資本主義」という言葉があてはめられている。 この言葉は資本の所有関係を表わす概念として使われ、資本が私的に所有されているというの が資本主義の基本的な内実をなしている。それゆえ、資本主義に対して社会主義という対立概 念が存在し、資本が社会的に所有されていることを示している。しかし、このような概念は人 間社会の持続可能性を問題にする上でもっと重要な論点を外してしまっていると言わなければ ならない。 2008 年に世界の経済を震撼させたリーマン・ショックは金融経済の成長に経済成長を依存しようとしたアメリカをはじめとする成熟経済の経済成長経路が招いた悲劇である。明らかに 住宅購入能力のない消費者に住宅ローンを借りさせ、それらを組み合わせた債権を市場で流通 させ、債権のリスクを不可視にし、架空のバルブを生みだし経済成長させようとした仕組みの 崩壊がリーマン・ショックであった。ほとんどの銀行がこれらの債権を大量に保有し、債務不 履行が表面に出るとアメリカなどの先進国だけでなく、世界の金融システムが崩壊し、債務残 高の多い国家の財政さえも破綻させかねない危機を招いた。この危機に直面して、各国がとっ た救済策は危機に瀕した民間金融機関の国有化、公的資金の大量注入による民間金融機関の救 済であった。大量に公的資金を注入された金融機関はもはや、私的所有といえるであろうか。 成長経済の成熟が招いた金融危機とそこからの脱出策は資本主義経済がもはや資本の私的所有 という概念を意味のないものにしている(Jackson, 2009)。 社会主義から最も遠かったアメリカでさえ資本主義経済を救済するために銀行の国有化とい う手段を取った。これは、現在の経済にとって資本の所有関係よりももっと重要な論点が存在 することを示している。それは経済成長である。社会主義新興経済大国の中国も経済成長が為 政者にとって最大の関心事である。経済成長を追求する社会はかつて世界を特徴づけた資本主 義と社会主義の区別さえあいまいにしている。 このように、資本主義のこれまでの定義は現代の経済を分析する上で大事なことを語ってい ない。資本主義という経済システムの持続可能性に関して議論するとき、私たちは資本をどの ように定義するのかということがまず重要である。貨幣量によって表される富を産むものを資 本とすれば、限りある地球の環境容量、資源の制約を議論することができないし、持続可能性 は貨幣で評価される経済成長の持続に置き換えられてしまう。このような資本の定義から持続 可能性を議論できないことは明らかである。したがって、資本は第 1 に実質的に人々の欲求を 満たす財やサービスのフローを産出できる実体であり、第 2 に財やサービスのフローを産出し た後に、その産出能力を備えた実体が残っているものである9)という定義から出発しなけれ ばならない。新古典派経済学がしているように、資本の定義に金融資本まで入れてしまうと、 無用な混乱をもたらすことになるのである。 資本として、機械、道具、道路、建物などの人工資本、種子、生命体、エコシステム、土地 などの自然資本、あれこれの能力を備えた人間すなわち人間資本、そして人間の恊働・協力を 可能にし、労働に喜びを与える社会(関係)資本などをあげることができる。このような例か らも明らかなように、資本の実体とは何らかの物理量をもった物体ではなく、様々な行為を関 係づける構造を指している。そして、資本の実体すなわちその構造は、資源やエネルギーのフ ロー投入により、また生命活動によって維持されている。人工的資本はほとんど資源やエネル ギーのフロー投入によって維持されているのに対して、自然資本はほとんどが生命活動によっ て維持されている。また、人間資本と社会(関係)資本は資源・エネルギーのフロー投入と生 命活動の両方によって維持されている。ここから、資本の維持をできるだけ資源・エネルギー のフロー投入に頼らず、生命活動に依存することが持続可能性を高める要となることが理解で きる。資本を維持するために、再生可能でない地下の鉱物資源や化石燃料ストックに依存すれ
ばするほど、より多く環境中に二酸化炭素をはじめ有害な廃棄物をまき散らし、環境を劣化さ せるとともに、将来世代の資源・エネルギーの利用可能性を奪うことになる。それゆえ、自然 界の有限なストックから資源を取り出す場合には、取り出した資源を循環して利用し、使い尽 くしてしまわないことが大事であり、化石燃料についてはその利用を差し控えることを追求す る必要がある10)。また、木材や漁獲、農作物や家畜など再生可能な生物資源を採取や捕獲、 収穫や飼育して利用する場合にはどうであろうか。その再生能力を超えた資源の採取や捕獲で あれば、熱帯雨林の過剰伐採や北大西洋のタラ漁場の消滅などのように資源ストックの崩壊を もたらす場合があり、将来世代の資源利用の機会を完全に奪ってしまうことになる。さらに、 農地や家畜などの資本を維持するために投入される過剰な化学肥料や農薬によって、土壌その ものを劣化させる場合があるし、牧畜の規模が過大になることによって、過大な負荷を環境に 与え、水汚染を招くことがあり、何れにしても短期的な資本の維持方法が、長期的には資本そ のものの破壊を招くことにつながりかねない。 資本概念に照らして持続可能性の概念を整理しておこう。「持続可能な開発」は将来の世代 を犠牲にすることなく、現在の世代の欲求を満足させる開発であり、世界の貧困を解決し、環 境の能力の限界を理解し、その限界内で現世代も将来世代も生活できる社会をつくりだしてい くことである(WCED, 1987)と唱われている。ここから、持続可能性とは、1)現世代の欲 求充足を将来世代の犠牲によることなく達成することが条件であり、2)特定の集団・階層の 欲求充足をその他の集団・階層の犠牲によることなく達成することが条件であり11)、3)人間 の欲求充足を環境の制約の中で達成することが条件である。人々の欲求は様々なフローによっ て充足され、またそのフローが資本によって産出されるとすれば、持続可能性の条件を満たす ために、人々の利用できる資本の縮小ではなく、維持もしくは増強が求められる。なぜなら、 資本だけが人々の欲求を充足し、繁栄をもたらす源泉であり、またそれを維持すために制約の あるストックを利用するので、もし資本が縮小する傾向を持つとすれば、将来世代の犠牲の上 に現世代が資本を利用していることになる。次いで、資本を維持するためのフローは枯渇して しまう資源フローとエコシステムの中で循環している再生可能な資源フローがあり、前者に依 存する資本は持続可能ではない。したがって、自然の制約の中で循環できる資源フローを利用 できる資本に転換することが必要である。さらに、資本が産出する人々の欲求充足のためのフ ローの公平な分配を考えなければならない。これには、資本そのものの分配と資本の産出する フローの分配の 2 つの問題がある。前者では、市場経済化によって商業作物のプランテーショ ンなど貨幣的に価値を持つ資本が重要視され、森林などの評価されない資本が顧みられなくな ることにより、その産出するフローが広く享受される資本の破壊とその産出フローの享受が限 定される資本の集積による貧富の格差などがその分配の不平等をもたらすので、資本の構成を 配慮する必要が出てくる12)。後者では、市場経済のもとで、所得稼得力の格差は広がるが、 生計維持のために購入しなければならない財貨・サービスのフローの大きさはそれほど変わら ないことにより発生する不平等であり、誰もが享受すべき基礎的なフローとそうでないフロー との異なる分配方法が求められる13)。
持続可能性を展望するとき、有限な地球環境を前提として現在の世代だけでなく将来の世代 も繁栄を持続的に享受できる社会像を描くことがまず必要である。Smith の産業社会像は「無 尽蔵な資源ストックから労働フローにより消費財フローを豊かに供給する社会」であったが、 持続可能な社会像は「限られた資源ストックから豊かなフローを生みだす資本を増強する社 会」となろう。ここで言う資本はもちろん貨幣に代替できる資本を指しているのではなく、フ ローを生みだす人工物、自然、人間そして社会の能力そのものを指している。そしてこの能力 の増強は資源ストックを食い潰さない方法で進めなければならない。そのために、 1)消費を抑制し貯蓄を推奨すること、 2)貯蓄は資本の増強のための投資にまわすこと、 3)投資の対象として自然資本、人間資本、社会資本を優先すること、である。 自然資本への投資は生態系サービスを私たちにもたらしてくれる。それは直接利用できる清 浄な水、木材や食料(供給サービス)をもたらしてくれるだけでなく、気候を緩和したり、洪 水などの災害から守ってくれたり、病害虫の蔓延を防止したり、水や大気を浄化したりという 間接的な効果(調整サービス)をもたらし、自然界と心身を通じたコミュニケーションによる 精神的な満足あるいは刺激を受けることなど(文化的サービス)をもたらしてくれる。これら はすべてエコシステムの働きによって支えられているものであり、エコシステムの栄養循環、 土壌形成、一次生産、水循環の能力を強める投資が人間生存の基礎である。 人間資本と社会(間接)資本への投資はそれぞれのフローを生み出す能力を高めることにつ ながっていく。例えば、個人の能力の向上は質の高いサービスを生みだすことにつながり、社 会の信頼関係を強めることによって、社会の中に恊働が生まれ、社会的なサービスを生み出す 能力が高まる。人間資本への投資はそれだけでなく、心身の健康が進むことによる医療費や介 護費などの社会的間接費用が節約される。社会(間接)資本の投資では、犯罪の減少や精神ス トレスの緩和により、同じように社会的間接費が節約されることになる。 気候変動などによる災害の激甚化への対応、廃水や廃棄物処理・処分への対応、ますます増 え続ける医療サービス・介護サービスへの対応など、どちらかといえばその原因をつくらない 予防的対応の方が安価でかつ満足度が高い。それゆえ、予防的な対応すなわち自然資本、人間 資本そして社会資本に向けた投資こそが、より少ない資源でより大きな繁栄をもたらす鍵とな る。 注 1 )48 億年の地球の歴史の中で、地球のあらゆる場面で人間が支配的な影響力を持つ時代は初めてであ る。約 1 万年前の最後の氷河期が終了し地球が温暖化した時代以降は Holocene(完新世)と呼ばれて いる。holo- は「完成した、完全な」という意味であり、地球史の最後の時代という意味合いを持って いたが、「人間の」という意味の anthropo- を用いた時代「人間世」という新時代に地球は突入した 2 )Polany は市場システムが登場するまでの経済システムはすべて、互恵、再配分、家政ないしは、こ れら 3 つの原理の何らかの組み合わせで組織されていたとし、対称性、中心性、自給自足というパター
ンを利用する社会組織を通じて、これらの原理が制度化されていたとしている(Polanyi, 1957)。個人 の行動は社会を破壊することなく、秩序が自己組織化されていたのである。 3 )現代の政府の役割は、資源配分の効率性の確保、所得の再分配による公平性の確保、完全雇用および 成長の確保による経済の安定であるとされている。この 3 つの役割を果たすための政府支出の膨張はと めどもないことは、先進国の財政の実情が語っている。 4 )「環境クズネッツ曲線」仮説はまさに、経済成長が環境汚染を解決するということを主張する仮説で ある。経済発展の初期は環境汚染が進行するが、発展するにつれて豊かになれば改善されるという仮説 であり、経済発展を横軸、環境汚染の程度を縦軸にとれば、逆 U 字型のカーブを描くとするものであ るが、気候変動をもたらす温室効果ガスの排出に関してこの仮説が当てはまらないことは確かである (Dynda, 2004)。 5 )乾燥した木材の平均熱量は 18MJ/kg で、森林面積当たりのエネルギー密度は 0.3-0.9W/m2しかなく、 寒冷な北部ヨーロッパや北部中国では都市の生活を支えるために少なくとも 20-30W/m2を消費してい た。(Smil, 1998) 6 )Boulding は閉じた地球ではスループットを大きくする「カウボーイ経済」ではなく、「宇宙船経済 spaceman economy」こそが求められ、そこではスループットを最大化するのではなく最小化し、経済 の成功の本質的な尺度は生産や消費ではなく、総資本ストックの性質、程度、質および複雑性となり、 それには人間の体や心の状態が含まれるべきであるとしている(Boulding, 1973)。 7 )Adam Smith(1723-1790)の時代は、現在のような紙幣(銀行券)ではなく、それ自体で価値を持つ 金貨・銀貨などの貨幣や地金が貨幣として使われていた。それゆえ、重商主義は貨幣を富そのものと見 てしまい、貨幣に代表される本当の富は労働によって生み出されることを見失い、特権的な通商からよ り大きな利ざやを稼ぐことや、貨幣を退蔵し投資を怠るなど、真の富の生産に逆行する経済政策を導く として、Smith は重商主義を批判した。 8 )古いコンピュータシステムで動いていた数値制御工作機は、コンピュータシステムの進歩により陳腐 化していくのを、私たちは目の当たりにしている。 9 )前節で紹介したジョージェスク - レーゲンのファンド要素の定義がここで示した第 2 の定義と同等の ことを示している。 10)二酸化炭素の大気中の濃度は産業革命までの数百年間にわたって 280ppm 程度を推移していたが、産 業革命の始まった 18 世紀中頃から上昇し始め、現在では 390ppm (2012 年 ) を超えるまでになってい る。二酸化炭素をはじめとする温室効果ガスの排出を削減し、濃度を上昇させないために、化石燃料の 使用を削減することが効果的な方法であることはあまりにも自明である。(IPCC, 2008) 11)社会の中で貧富の格差が拡大することは明らかにこの条件を満たしていない。したがって、貧富の格 差の縮小することが条件となる。 12)イギリスで 16 世紀に行われた「第一次囲い込み」は羊毛工業の発達により需要の増えた羊毛を供給 するため、領主は農民を農地から追い出し、羊の牧畜をするために農地を囲い込んだ。同じように、途 上国ではヤシ、ゴム、サトウキビなどのプランテーションのために農地や森林を囲い込み、エビの養殖 のため沿岸域のマングローブ林の囲い込みなどが見られる。 13)南アフリカは衛生的な生活の為に必要な最低限の水を国民が無料で享受できる権利を保証しようと し、「人権としての水」を憲法で定めている。そしてこれを実質化するために 2001 年に Free Basic Water 政策を採用し、水の公平な分配をめざしている。しかし、水供給を担っている地方政府の財政 力の弱さ、河川の流量の乏しさ、鉱山用水や大規模かんがい用水の既得権との調整が十分ではなく、ま だ多くの地域で実現できていないのが現状である。(Wallace, 2003)
引用文献
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