日光・二荒山考 : 名義を中心に
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(2) (2) ). 文学 0文 化編 (2004年 3月 甲南女子大学研 究紀 要 第 40号. 本 朝 神 社 考 ︶。 F 一 荒 の和 訓 ﹂、 す に補 陀 洛 山 と 号 す る か﹂ ︵ 原漢 文 ︶ と 述 べ て いる ︵ な わ ち フタ ア ラな いし フタ ラが、補 陀 洛 と 音 が似 て いる の で、 仏 教 徒 が そ こを 補 陀. こと に つ いて、 コ 一 荒 の和 訓 、補 陀 洛 と 音 相 似 た り 。 是 に由 つて浮 屠 国 俗 を 誘 て遂. 、 説 を 紹 介 し て いる ︵ 二荒 山 神 伝 ︶。 な お ま た 羅 山 は 二荒 山 が 補 陀 洛 山 と も さ れ る. ふ。 神 の居 る所 を 以 てな り ﹂ ︵ 原 漢 文 ︶ と 、 男 女 一対 の荒 神 の名 に由 来 す る と いう. 云 ふ。 共 に夫 婦 と 為 り て、 国神 と 名 づ く 。 蓋 し荒 神 なり 。 故 に山 を 号 し て 二荒 と 云. 、 た 、 と あ る。 江 戸初 期 、 林 羅 山 は ﹁ 或 は 曰く 、鶴 草 神 武 の際 に在 り て 二神 有 り と. って、 そ こか ら 年 に 二 回 大 風 が吹 き 出 し て寺 や 国 内 を 破 壊 す る の で 二荒 と 名 づ け. 羅 刹 嘔 ﹂ と いう 大 坑 穴 があ 古 く 瀧 尾建 立 草 創 日記 には 、中 禅 寺 の鬼 門 の方 角 に ﹁. い﹂ と し た 。. 山 のお こり を いろ いろ や や こしく考 証 し て いるが 、 こ の単 純 な推 論 がも っと も 正 し. ふた あ り 、 そ のも と は 補 陀 落 山 であ った 。 ﹁ふだ ら く﹂ が ﹁ふた ら﹂ と な り 二荒 ︵. と 称 す る に至 った﹂ と し て いる。後 に 五 来 重 氏 も 、 ﹁日光 山 のも と の名 は 二荒 山 で. 洛 の地 と し てそ こを と ら え 、 そ の縁 で本 来 の山 の神 を も 、 か れ ら の側 か ら 二荒 の神. 補陀 和 歌 森 氏 自 身 は補 陀 落 由 来 説 に立 ち 、 勝 道 のこ ろ の関東 の仏 教 修 行 者 た ち が ﹁. ア ラと 言 ったと いう ふう な 成 り 立 ち方 は ど う も 認 め がた い﹂ と 批 判 さ れ た 。 そ し て. 味 だ と し た 。 こ の説 は 数 年 後 、和 歌 森 太 郎 氏 によ って、 コ 一 神 の出 現だ か ら 、 フタ. 荒と を ﹁ ︵ 現わ れ て いる﹂ と 解 し、 つま り ﹁ 男体 ・女 貌 の二山 が顕 現 し て いる﹂ 意. に こう ︶ と な った 。 江 戸時 代 の学 者 は 日光 山 と 二荒 ら ︶ と 書 か れ、 音 読 み で 二荒 ︵. 洛 山 と 鼓 吹 し たと いう 説 であ る。 江 戸末 期 成 立 の日光 山 誌 には 、先 の大 坑 穴 説 のほ. 研 究 史 の 一面を も のが た ると も いえ る。 と く に 二荒 が先 か補 陀洛 が先 かと いう 問 題. こう し て 二荒 の名 義 に つ いては古 来 多 く の説 が唱え ら れ てき た 。 そ れ自 体 が 日光. 荒 ﹂ は ﹁二現﹂ 名 によ る か と す る説 も 紹 介 し て いる。 や や遅 れ て下 野国 誌 には 、 コ 一. は 、 神 道 と 仏道 の融 合 ・対 立 をも 含 み こ ん で いる よう で、 そ の様 態 は他 者 か ら み れ. 布 多 ﹂ と あ る こと を 根 拠 に、 フタと いう 地 か に、 和 名 抄 に下 野 国 都 賀 郡 の郷 名 に ﹁ 以 上 、諸 書 の引 用 は菅 原信 海 校 注 ﹃ 神 道大 系 神 社 編 三 であ ると す る説も みえ る ︵. ば ﹁ 荒 山 神伝 ︶ と いう 嘆 き にも な る。 鳴 呼 、 二荒 山 の神 、 神 か 仏 か﹂ 含 一. は こ の説 に疑 間を も つ。 以 下、 そ の理由 を 述 べよう 。. 諸 説 の中 で、 現在 では 補 陀 洛 由 来 説 が や や優勢 であ る か のよう だ 。 け れ ど も 、 私. 。 十 一 日光 ・二荒 山 ﹄ によ る︶ 近 代 に入 って、藤 井 万 喜 太 氏 が 一九 三九 年 の段 階 で古 来 の説 を 五、 な いし 六 にま と め て紹 介 し て いる。 す な わ ち 、 二神 示 現 説 、観 音 浄 土 説 、布 多 の荒 山 説 、 二大 山. た折 、 ﹁ 山 紫 水 明 の勝 境 に悦 惚 と し て神 人 一如 の境 に入 り 、 経 典 に説 く 観 音 浄 土 に. 山 川 原 野名 号 の所由﹂ を 記 せと いう こと があ り 、 現存 風 土 記 には そ の詔命 の中 に ﹁. 七 一三 ︶、 風 土 記 撰 述 の詔 命 が出 て各 国 で風 土 記 が 編 纂 さ れ た が 、 そ 和 銅 六年 ︵. 一つには 、 現在 の男 体 山 は 上代 にお いて何 ら か の名 を も って いた ろう が 、 補 陀 洛. 髪 発 す ると 感 得 し 、 山 を 補 陀洛 山 と 名 け 、 後 補 陀洛 の音 二荒 に訓 読 に近 き によ り 、. の通 り 、多 く の山 名 が挙 げ ら れ、古 代 信 仰 にも と づ く 山 名 の起 源 の説 明 も ま た多 く. 由 来 説 によ れば 、 そ れ が奈 良 時代 後 期 こ ろ に フタ ラ山 に変 え ら れ た こと にな る こと. 一九 六 三 年 刊 行 の 遂 に 二荒 に転 じ た と い ふ﹂ も の で、今 に有 力 であ る。 そ の後 、. み ら れ る。 残 念 な が ら 下 野 国 風 土 記 は散 逸 し てか断 片 す らも 残 ら な いが 、 も し そ れ. 説 、 二季 暴 風 説 、 アイ ヌ語 起 源説 であ る。 藤 井 氏自 身 は そ れ ら を す べて否 定 し て、. ﹃日光 男 体 山︱ ︱ 山 頂 遺 跡 発 掘 調 査 報 告︱ ︱ ﹄ には 近 藤 喜 博 氏 の説 が み ら れ る。 近. が完 成 さ れ て いたと す れ ば そ こ には必 ず や男体 山 の古 名 が記 さ れ て いた にち が いな. への疑 間 であ る。 上 代 にあ って地方 の名 山 の名 が、 いく ら 仏 教 徒 が さか ん に入 り 込. 補 藤 氏 は 藤 井 論 の挙 げ る各 説 に ついて吟 味 を 加 え 、う ち 補 陀 落 由 来 説 に つ いては ﹁. い。 ま た そ の時 代 、 現 地 では 、神 秘 な 山 容 の男体 山 を 神 と 崇 め 、信 仰行事 を と も な. 二荒 、 日光 ︶ に転 じ たと いう 独 自 根 子﹂ の地 名 が ニ コウ ︵ マタ ギ 部 落 に見 ら れ る ﹁ ︲ な 説 を た て て いる。 さ て藤 井 氏 の挙 げ たう ち の観 音 浄 土 説 と は 、 フタ ラ の地 名 は観. 陀 洛 ﹂← コ 一 荒﹂ と いう 変 化 の順序 は逆 であ ると し、も と も と ﹁二荒 山 は フタ ラ山 と. い つ つ山 にま つわ る何 ら か の神 話 や伝 説 も 語 ら れ て いた にち が いな いの 実 際 、 男 体. んだ か ら と い つてそう やす やす と 変え ら れ たと は 思え な い。. 呼 ば れ て いた か ら し て、 補 陀 洛 山 への転 化 が容 易 であ った﹂ のだ と し て、自 身 は 二. 山 山 頂 遺 跡 か ら古 墳 時 代 の遺 物 と し て 二神 三獣鏡 ・勾 玉 ・切 子 玉 ・手 捏 土 器 が 出 土. 音浄土 ﹁ 補 陀洛 ﹂ に由 来 す ると いう も ので、 開山 勝道 上 人 が初 め て男体 山 に登 頂 し. 神 示 現 説 に拠 り 、 二荒 山 の語義 に ついて、 コ こ は 男体 ・女 貌 の二山 を 指 し 、 ﹁ア ラ.
(3) 富 一 :日 光 ・二 荒 山考 神野. (3). ま た、 これ に関 し て、 国 語学 上 の多 少 の疑 問も あ る。 フダ ラ クは サ ン スク リ ツト. 陀 洛 ﹂ に ﹁二荒﹂ を 宛 て るな ど ま わ り く ど いこと を せず 、も と の ﹁ 補 陀 洛 ﹂ の文 字. 筑 波 山 は古 来 筑 波 山 であ り 、富 士 山 も ま た富 士 山 ︵ 上 代 の文 献 では 不 尽 ・福 慈 な. 語 の F ユ 丼”の音 写 だ が 、 仏 書 な ど の万 葉 仮 名 表 記 に よ れ ば 、 フダ ラ ク ・フタ ラ. し て いる のは 、 天応 二年 ︵ 七 八 二︶ と さ れ る勝道 上 人 の登 頂 以 前 にも 男 体 山 が神 祗. ど と 表 記 さ れ て いる︶ であ る。 古 代 に仏 教 化 し た 比叡 山 、 立 山 、白 山 、 箱 根 山 な ど. カ ・フダ ラカ のみな ら ず フタ ラ ・フダ ラな ど と 訓 め る よう にも 表 記 さ れ て いる。 す. に こだ わ つてよか った わ け であ る。 フタ ラ にあ え て 一義 的 に ﹁二荒 ﹂ の文 字 を 宛 て. も 仏 教 化 によ って名 が変 わ った わ け でな い。 む し ろ山 林 修 行 者 は 、讃 仰 し つ つ信 仰. な わ ち フダ ラクが フタ ラと も 称 さ れ た こと は 認 めら れ る。 と こ ろが 一方 ﹁二荒 ﹂ の. 信 仰 の対 象 と さ れ て いた 有 力 な 証 拠 であ る。 山 を 本 格 的 に開 いた のは勝 道 上 人 だ っ. の山 に分 け 入 り 、 山 の神 を 権 現 と 崇 め る な ど し てそ こを 仏 教 化 し て いく のが常 套 で. 字 は 、ま ず フタ ア ラと 訓 ま れ た はず で、 や が て中 間 の ア音 の脱 落 によ って フタ ラと. る必 然 性 は何だ ろう か 。 従 来 の補 陀 洛 由 来 説 にお いては こ の説 明 が欠 け て いる。. あ り 、 そ の場 合 山 の名 は 山 の神 と 一体 と し て重 ん じら れ た 。 地 方 の名 山 た る 男 体 山. な ったと 考え ら れ る。 つま り 、 フタ ラ ︵ 補 陀 洛 ︶を た だ 音 写 す るな ら いき な り 脱 落. た と し ても 、 そ れ以 前 か ら 山 の信 仰 は行 な わ れ て いた の であ る。. が 仏 教 の勢 力 によ って名 を 改 め たと いう のは 、山 や地 の名 に対 す る古 代 信 仰 か ら す. 形 の ﹁二荒﹂ は宛 て にく く 、た と え ば ﹁二良 ﹂ コ 一 羅﹂ な ど 他 のよ り ふ さ わ し い用. 字 も あ りえ た はず な のであ る。 史 料 に 一義 的 に ﹁二荒 ﹂ の文 字 が宛 てら れ て いる の. ると あ り にく いこと のよう に思 わ れ る。 し かも 補 陀 洛 由 来 説 に よ れば 、変 え ら れ た のは山名 ば か り でな く 、山 と 一体 の神. 記 さ れ る 三千 百余 座 の神 々 の名 を な が め る と 、中 には ﹁ 大 洗 儀 前 薬 師 菩 薩 明 神 社﹂. 由 来 す る フタ ラ ノ神 と な ったと いう わ け であ る。 し か し 、 た と え ば 延 喜 式 神 名 帳 に. 男体 山 のも と の名 、 ま た そ こ に いま す 神 の名 であ った ろう 。 そ し て音 の類 似 か ら 、. 荒 ﹂ ︵フタ ア ラ、 フタ ラ︶ こそ が勝 道 以 前 、 風 土 記 以 前 か ら の 成 り 立 ち がた い。 コ 一. 荒 ﹂ の名 が ﹁ 以 上 の二、 三 の考 察 に よ れば 、 コ 一 補 陀 洛 ﹂ に由 来 し た と す る 説 は. は 、 そ の文 字自 体 があ る語義 を 主 張 し て いるか ら であ ろう 。. ︵ 常 陸 国 鹿 島 郡 ︶ や ﹁八幡 大 菩薩宇 佐 宮 ﹂ 宣ユ 前 国宇 佐 郡 ︶ のよう に仏教 に由 来 す る. そ の ﹁二荒 ﹂ が ﹁ 補 陀 洛 ﹂ を 招 き よ せ た と 考 え ら れ る の で、 実 は そ こ に こそ 日光 が. の名 ま でと いう こと にな る。神 も 旧 名 を 捨 て て、山 の仏 教 化 にと も な い、 補 陀 洛 に. 神 名 が な いではな いが 、 非 常 に稀 であ る。 観 音 の住 所 た る フタ ラが、神 の旧 名 を 否. 補 陀 洛 山 と な った 要 諦 があ ろう 。. る。 こ の点 で ﹁ 沙 門 勝 道 山 水 を 歴 て玄 珠 を 螢 く 碑﹂ に ﹁ 卑 に同 じき 州 に補 陀 洛 山 あ. 陀 山 、 ラ サ のポ タ ラ宮 、 韓 国 の洛 山 寺 、 熊 野 の補 陀 洛 山 寺 な ど も 思 い合 わ せ ら れ. ︵ 新 訳 華 厳 経 ︶ な ど の表 記 のま ま で いけ な か った だ ろう か 。 他 の補 陀 洛 、 中 国 の普. いう意味 になる。けれども 、上代 のフトは名詞 に冠す る場合 は、 ﹁絶﹂ ﹁ 太たすき﹂. 可能性だ。 この場合、 フトは太、 アラは荒 であり、 つまリ フト アラは壮大 で荒 いと. い。たとえば語構成とし て考え られる 一つは、 フタラは フト アラから の転化 であ る. フタラと いう語は珍 し い。今 では知られな い本来 の語源をも って いたかも しれな. 〓一 ﹁二 荒 ﹂ の名 義. 定 し て神 名 と な りえ た か どう か 。 さ ら な る 疑 間 は 、補 陀 洛 由 来 説 は 、 ﹁ 補 陀 洛 ← 二荒﹂ を 音 の類 似 か ら 説 明 す る が 、 そ の場合 こと さ ら ﹁二荒 ﹂ と いう 文 字 が選ば れ た 理由 の説 明 がむず か し いと い. り ﹂ と し て、 コ 喜ん山 ﹂ と 記 し て いな い のは かえ って明 解 だ 。 け れ ど も 先 に挙 げ た. ﹁ 太祝詞﹂ ﹁ 太占﹂ など神 聖な物 ・言葉 ・行為 に つく のみで、オホ ︵ 大︶などとちが. 補 陀 洛 ﹂ あ る いは ﹁ 補 但 洛 迦﹂ う 点 にあ る。 補 陀 洛 に由 来 す ると いう な ら 、 な ぜ ﹁. 続 日本 後 紀 承 和 三年 十 二月 条 の ﹁二荒 神 ﹂ を 初 めと し て、 六 国 史 所載 の神 階 授 与 な. って神 や山 の形容辞 にはなりそうもな い。. で示される フタアラまたは フタラに ついてそ の語義を検討す る こと であ る。. 本来 の語源 であ るかどう かはわからな いが、今 可能 な のは、 コ 一 荒﹂と いう 表記. ど に関 す る 八例 はす べ て ﹁二荒 神﹂ ま た は ﹁二荒 神 社 ﹂ と 記 さ れ 、延喜 式 神 名 帳 に も ﹁二荒 山 神 社﹂ と あ る。 和 歌森 氏 の説 に ﹁二荒 ﹂ の呼 称 を 成 立 さ せた のは 勝 道 の こ ろ の関東 の仏 教 修 行 者 たち であ つた と す る が、仏 教 修 行 者 た ち な ら な お さ ら ﹁ 補.
(4) (4) ). 文学 ・文化編 (2004年 3月 甲南女子大学研究紀要第 40号. いら れ る こと は な い。 そ こ で フタ ア ラヤ マのも と も と の語構 成 は 、 フタ ア ラ ・ヤ マ. 形 状 言 ア ラは名 詞を 下接 す るか 、 形 容 詞 ・動 詞 の語 根 の 一部 と な る が 、独 立 し て用. を も つば か り でなく て、 人 間 の側 か ら す る神 霊 への畏怖 の感 情 を 含 ん で いる。 人 為. 各 用 例 を な が め て み ると 、 上代 語 ア ラは ただ 客 観 的 に荒 々し い、粗 いな ど の意 味. 動 詞 荒 す ・荒 ぶ ・荒 び る. でな く フタ ・ア ラ ヤ マであ った と 考 え る の が 自 然 であ る。 つま り ﹁二 つ の、 荒 い. の及ば な い、あ る いは 人 為 を 超え た自 然 の状態 や現象 、 ま た 物 や物 の状態 を 古 代 入 < は神 霊 の状 態 ・作 用 と し て把 握 し た が 、 そ の神 霊 の 一つの属 性 が ア ラ であ った 。 だ. 上 代 語 にお いて フタ は名 詞 ・動 詞を 修 飾 し 、 形 状 言を 修 飾 す る こと がな い。 ま た. 山﹂ の義 であ る。 後 にそ れ が言 い習 わ さ れ て、 フタ アラが連 語 のよう に意 識 さ れ 、. か ら ア ラ の属 性 を も つも のを 、 人 は 恐 れ 敬 わ な け れば な ら な い。 た と え ば ﹁ 荒 野﹂. 涼 と し て いる。 地名 ﹁ 荒 津 ﹂ は荒 々し い属 性 を も った神 の支 配 す る港 の意 だ か ら 、. ﹁フタ ア ラ のヤ マ、 フ タ ラ の ヤ マ﹂ と も 呼 ば れ 、 そ こ に いま す 神 を ﹁フタ ラ ノ神 ﹂ そ の フタ は 二と 解 さ れ 、 古 来 の説 に いう よう に現在 の男体 山 ・女 峰 山 を 並 べ てと. ﹁ 神 さ ぶ る荒 津 の崎 に寄 す る波﹂ ︵ 荒 津 の海 わ れ幣 ま つ 万葉 集 巻 十 五 ・三六 六 〇︶、 ﹁. は 人手 の入 ら な い野 であ って、 そ こは神 霊 が支 配 し て いる ゆえ に、 人 か らす れ ば 荒. らえ た のだ と 思 わ れ る。 万 葉 集 にも 大 和 と 越 中 の二上山 が みえ 、ま た紀 路 の妹 背 の. り 斎 ひ てむ ﹂ ︵ 同 十 二 ・三 二 一七 ︶、と 、 ﹁ 神 さ ぶ る﹂ と いわ れ 、 幣 を 奉 る べき 地 で. 延 喜 式 九 条 家 本 ︶ と も 呼 ぶよう にな った と いう こと にな る。 ︵. 山 や常 陸 の筑 波 山 も みえ て 二峰 を 男 女 一対 と し てと らえ た観 念 の存 在 が知 ら れ る。. ﹁ 荒 波 ・荒 潮﹂ と い つ自 然 現 象 も 、 海 の神 霊 に よ って引 き 起 こ さ れ る も の で あ. あ る。. 山 と し てと らえ る 思 考 は 古 代 に お いて 一般 的 であ った 。 延 喜 式 神 名 帳 にも 二 ︵フ. 荒 風﹂ も ま た神 のし わざ にほか な ら な い。 ﹁いづ の真 屋 に色 草を いづ の席 と 苅 り、﹁. 雄 の神 ﹂ と 呼 ん で いる。 並 ぶ 二峰 を 男 女 の 常 陸 国 風 土 記 にも 筑 波 山 の 二峰 の 一を ﹁ 同宇 智 郡 ︶、 葛 木 二上 神 社﹂ ︵ 大 和 国 葛 下郡 ︶、 コ 一 見 神 社﹂ ︵ タ︶ は 神 社 名 の中 に、 ﹁. り 敷 き て﹂ ︵ 出 雲 国 造 神 賀 詞 ︶と あ る ﹁ 色 草﹂ は神 聖 な 敷 物 に な る材 料 と し て の、. はり 霊 威 こも る ﹁ 荒 木 ﹂ であ る。 ﹁ 大 目 色 籠 ﹂ に こも って彦 火 火 出 見 尊 は 海 に出 か. 陸 奥 国 桃 生 郡 、周 防 国 都 濃 郡 ︶、 コ 一 上 但 馬 国 二方 郡 ︶、 コ 一 方 神 社﹂ ︵ ﹁二俣 神 社 ﹂ ︵ で は ア ラ山 と は 何 であ ろう 。 上 代 語 ア ラは 、 形 状 言 と し て名 詞を 下接 し 、 ま た 形. けたが ︵ 神 代 紀 下 一書 ︶、 そ の ﹁ 色 籠 ﹂ は 目 が粗 いと いう ば か り でな く 無 事 に海 の. 霊威 の こも った 野生 の草 であ る。 山 か ら 切 り 出 し てき た ば か り の加 工前 の本 は 、 や. 時 代 別 国 語大 辞 典 上 代 容 詞 ・動 詞 の語根 と も な って多 く の言 葉 を 派 生 し て いる。 ﹃. 旅 のでき る威 力 あ る乗 り 物 であ った。. 因 幡 国 巨 濃 郡 ︶ な ど と みえ て いる。 神社 ﹂ ︵. 編 ﹄ の掲 出 語を 参 考 に、 上 代 の文 献 か ら得 ら れ るそ れら の主 要 なも のを今 、次 のよ. さ て、 ﹁ 真 木 の立 つ荒 山 中 ﹂ ︵ 万 葉 集 巻 三 ・二 四 〇︶ な ど と あ ら わ さ れ る ﹁ 荒 山﹂. 神 霊 に関す る 語. 物 ・施 設 に関す る語. 生 物 に関 す る 語. 自 然 現 象 に関 す る 語. 地名. 地 勢 に関 す る 語. 荒雄. 荒 御 魂 ・荒 人 神. 荒 籠 ・荒 妙 ・荒 玉 ・荒 床 ・荒 城. 荒 木 ・荒 草 o荒 熊. 荒 風 ・荒 波 ・荒 潮. 荒津. 荒 野 o荒 山 ・荒 山 中 ・荒 山 道 o荒 田. む神 社 名 が ﹁ 荒木神 社 ﹂ ︵ 伊 豆 国 田方 郡 、 丹波 国 天 田郡 ︶、 コ凡 島 神 社﹂ ︵ 越 前 国大 野. 通を 妨 害 す る神 と し てあ ら わ れ て いる。 延 喜 式 神 名 帳 の中 にも ﹁ 荒﹂ ︵ ア ラ︶を 含. び 、神 武 天皇 や倭 建 命 に平 定 さ れ る悪 神 であ り 、 風土記 では や は り 地 方 神 で多 く 交. か も し れ な い。 そ の ﹁ 荒神﹂ ﹁ 荒 ぶ る神 ﹂ は 、記 紀 では 地 方 の山 河 に いて荒 れ す さ. 荒 ぶ る神 ﹂ と 訓 ま れ て いるが、 ア ラガ ミと いう 訓 も あ った 出 て いるも のも 一般 に ﹁. ま た 、 記 紀 ・風 土 記 に は 、 ﹁ 荒 神﹂ ﹁ 荒 ぶ る神 ﹂ が多 く 登 場 し て いる。 ﹁ 荒神﹂ と. も 、古 代 の人 々にはま さ に ﹁ 荒 山 ﹂ の名 に ふさわ し いと 感 じ ら れ た のだ ろう 。. し いの であ る。 平 野 の奥 に秀 でた高 さを も ち 、 人を 寄 せ つけ な い男体 ・女 峰 の 二峰. 一覧 にし て み る ︵ 荒 ﹂ で統 一す る︶。 アラ の表 記 は ﹁ う に分 類 、. 人 に関す る語. 荒し. も 、杉 や檜 を 生 やす 荒 ぶ る神 霊 の領 す る山 であ り 、 そ の顕 現 と し て荒 涼 と し 、 荒 々. 形容 詞.
(5) 富一 :日 光 0二 荒山考 神野. (5). の参 考 にな る。. 島 郡 ︶ な ど は オ ホ ・ア ラと 形 状 言 が 二 つ重 な る語構 成 で、 フタ ・ア ラを 考 え る場 合. 大 荒 比 古 神 社﹂ ︵ 近 江 国高 ラも 霊 威 の強 いと いう 意 味 を も つは ず であ る。 中 でも ﹁. 荒 坂 神 社﹂ ︵ 因 幡 国 法 美 郡 ︶ な ど 二十 ば か り 数 え ら れ 、 これ ら に含 ま れ る ア 郡 ︶、 ﹁. 道 自 身 が 下野 の国博 士 を 勤 めた伊 氏 ︵ 何 人 か 不 明 ︶を 通 じ て、伊 氏 によ し み があ り. ﹁ 洛 山﹂ と 三度 ま で男 体 山 を ﹁ 補 陀 洛 山 ﹂ と 記 し て いる。 そ も そも こ の碑 文 は 、 勝. 師 、補 陀 洛 の山 に上 つて祈 祷 す ﹂、 の碑 文 には、 ﹁ 卑 に同 じき 州 に補 陀洛 山 あ り ﹂、 ﹁. 下 野 の国出身 、沙 門勝 道 の男体 山 初 登 頂 と そ の周 辺 の仏 教 化 を賞 揚 す る趣 旨 の こ. 或 は 曰 く 、 鶴 草 神 武 の際 、 二神 有 り と 云 ふ。 共 に夫 婦 と 為 り て、 国 神 伝 に いう 、 ﹁. て ﹁二 つの荒 い山﹂ と 呼 んだ のが ﹁二荒 山 ﹂ の語義 であ ろう 。 結 局 、前 引 二荒 山 神. 日本 古 典 文 学 大 系 ﹃三教 指 帰 性 霊 集 ﹄ に も 免 れず 。虚 に課 せ て星 を 抽 づ 。 ︵. こと 無き こと を 歎 いて属文 を余 が筆 に要 す 。 伊 公 、余 に与 す 、故 に固辞 す れ ど. 前 の下野 の伊 博 士 公 、法 師 と善 し 、 秩 満 し て京 に入 る。 時 に法 師 勝 境 の記 す る. 都 に著名 な空 海 に作 文 を 求 め て成 った も の であ った。 そ の間 の事 情 を 記 す 文 に、. と 名 づ く 。 蓋 し荒 神 な り 。 故 に山 の名 を 三荒 と 云 ふ。神 居 る所 を 以 てな り ﹂ と いう. よ る。 以 下同 じ ︶. 古 代 の人 々が男体 ・女 峰 の二山 を 対 でと らえ 、 そ こ に荒 ぶ る神 霊 を感 得 し畏 怖 し. 説 が趣 旨 を 正 しく と ら え て いると 考え る。. 余 と道 公 と 生年 より 相 見ず 。幸 に伊 博 士 公 に因 つて其 の情 素 の雅致 を 聞 き 、 兼. と あ り、 ま た 、. 荒﹂ まり ﹁ 男 体 ・女 貌 の 二 山 が 顕 現 し て いる﹂ 意 味 だ と し て いる が、 ﹁ア ラ﹂ の ﹁. ね て洛 山 の記を 請 ふ ことを 蒙 る。余 不才 な れ ども 仁 に当 る。敢 へて辞 譲 せず 。. 荒と を ﹁ な お 、 先 述 のよう に近 藤 喜 博 氏 は 、 ﹁ア ラ ︵ 現 わ れ て いる﹂ と 解 し 、 つ. 現わ れ て いる﹂ の意 味 に導 く 必 要 と いう 表 記 や中 心 的 な 語義 を 考 え れば 、 強 いて ﹁. 靴 ち 拙 詞を 抽 で て並 に絹 素 の上 に書 す 。. の地 誌 、 ま た 湖畔 で の修 行 生活 のあ り さま が 具体 的 で詳 しく 、 む ろん全 体 に空 海 に. 碑 文 の全 体 を 読 む と 、 勝 道 の三、 四度 に及 ぶ登 攀 の年 月 やそ のよう す 、 男 体 山 周 辺. し てく れ るよう 、伊 博 士 を 通 じ て空 海 に依 頼 し た と いう の であ る。 ち な み に、 こ の. 洛 山 の記﹂ と し て作 文 と あ る。 勝道 自 身 が男体 山 を 補 陀洛 山 と し て、 そ の勝 境 を ﹁. は な い。. 荒 から補陀落 ヘ 四 一一. そ れ では 、荒 ぶ る神 霊 の いま す 山 と し て の二荒 山 は ど のよう にし て観 音 浄 土 た る. よ って美 文 的 修 辞 も ほど こされ て いると は いえ 、筆 を お ろす 空 海 の手 も と には ほ か. な ら ぬ勝 道 自 身 の手 にな るかなり 具体 的 、 詳 細 に記 さ れ た資 料 が届 け ら れ て いた の. 補 陀 洛 山 と みな さ れ る よう にな った か 。 補 陀 落 ﹂ か ら ﹁二荒﹂ への変 化 を 説 く も のだ が 、 男 前 引 、 和 歌森 太 郎 氏 の論 は ﹁. す ると こ こ で、 二荒 山 を 補 陀洛 と観 じ た のは 、 勝道 上 人自 身 の宗 教体 験 によ るも. だ と 思わ れ る。 こ の点 か らも 、 二荒 山 は 勝 道 にお いて補 陀 洛 山 と 眺 めら れ て いた と. の類 似 がま ず 補 陀 洛 に重 な った であ ろう 。 先 述 のよう に、 フダ ラクは フタ ラ ・フダ. のであ ったか と いう 考 え に誘 わ れ る。 碑 文 に よ れば 、 勝 道 は 二十 歳 代 の若 き に男 体. 体 山 を 補 陀 洛 と と らえ た の には 関東 の仏 教 修 行 者 一般 が か か わ った と 論 じ て いて参. ラな ど と も 称 さ れ た の で、 山名 フタ ア ラな いし フタ ラは そ れ と ほ ぼ 同音 であ った 。. 山 登 攀を 思 い立 ち 、神 護 景雲 元年 ︵ 七 六 七 ︶ 四月 に試 みた が 二十 一日間 山 腹 です ご. し てよ いであ ろう 。. 山 林 修 行 者 た ち にと って、 こ の音 の類 似 は 偶 合 であ った にし ても 、 二荒 山 を 仏 教 化. し て却き 、十 四年 後 の天応 元年 ︵ 七 八 一︶ 四月 、 再 び 試 み て失 敗 し 、 そ し て翌 二年. 考 にな る。奈 良 時 代 、 関東 の山 林修 行 者 た ち の間 で、 フタ ア ラな いし フタ ラと の音. し て いく のにはす こ ぶ る好 都 合 であ った にち が いな い。 ま た 、 二荒 山 周 辺 は そう し. 三月 、命 がけ に試 み て ついに宿 願を 果 た し た のだ った 。 そ れ は勝 道 三十 代 後 半 の こ. 眺 め を感 動 的 に点 綴 し て いる。 二年 後 の延 暦 三 年 ︵ 七 八 四︶ 三 月 にも 勝 道 は 南 湖. と であ った ろう 。 そ し て空 海 の文 は 、 勝 道 の目 に映 じ た そ の男体 山 頂 か ら の四方 の. て補 陀 洛 と 観 想 さ れ る の に ふさ わ し い自 然 相 を 備え て いた 。 以 上 の こと がら は 、 空 海 の筆 にな る ﹁ 沙 門 勝道 山水 を 歴 て玄 珠 を 螢 く 碑﹂ の読 解 か らも あ る程 度導 か れ る こと のよう に思 わ れ る。.
(6) (6) に登 って祈 祷 し 、 雨 を 降 ら せ たと いう 。 ま こと に勝 道 は生 涯 を 男体 山 の信 仰 と 開 発. 大 同 二年 ︵ 八 〇七 ︶、 早 魃 の時 には 上 人 、 下 野 の国 司 の依 頼 に応 じ てま た 補 陀 落 山. 北 涯 に移 り 住 んだ と 記 す 。 後 に上 野 国 の講 師 に任 じら れ た こと な ど はあ る が 、ま た. 中 禅 寺 湖 ︶ に到 って そ の勝 景 を 賞 で、 神 宮 寺 を 建 立 し て 四年 間 住 し 、 さ ら に湖 の ︵. で興 味 深 いのだ が、 歴 史 の事 実 と し ては やはり 二荒 山 を 補 陀 洛 山 と 見 た のは 、 勝 道. た伝 承 が集 合 し 、鋳 込 ま れ た よう な おも むき があ る。伝 承 の問 題 と し てそ れ は そ れ. が看 てと ら れ、先 に引 いた 日光 山 誌 の文 な ど は いわ ば 、 そう し て時 代 時代 に生起 し. と 、 あ り がち な よう に、 開 山 上 人勝道 の事 績 が時 代 を 経 るご と に増幅 し て いく さ ま. る。 し か し 、 いず れ も 後 に起 こ った伝 え と す べき だ ろう 。 そ れ ら の古 書 を た ど る. そう し て実 際 、 二荒 山 周 辺 の自 然 相 は補 陀洛 と観 想 さ れ る に ふさ わ しか った 。 碑. にか け た の で、 開 山 の師 と いう に ふさ わ し い。 やはり 碑 文 に よ れば 、 勝道 が到 るま る者 有 ら ず ﹂、 つま り 人 跡 未 踏 のさ ま であ った と いう 。 そ の勝 道 の登 攀 の辛 苦 と 山. 文 には 、 男 体 山 お よび 男 体 山 頂 から眺 め た 三 つの湖 、 中 でも 南 湖 の勝 景 がと く に詳. 個 人 と す る より は、 当 時 の関東 の山 林 修 行 者 た ち であ ったと す べき だ ろう 。. にお け る 長 年 の修 行 体 験 の中 で こ そ 、 コ 一 荒 山﹂ が ﹁ 補 陀 洛 山 ﹂ と 劇 的 に結 び つ い. 述 さ れ て いる。 そ れも ﹁ 洛 山 の記﹂ と し て であ り 、空 海 の筆 には補 陀洛 の景 観 が意. では そ の山 は 、 ﹁ 魁 魅 通 ふ こと 牢 な り 、 人 膜 也 絶 え た り 。 借 間 、古 よ り 未 だ 攀 ぢ 踏. た 可能 性︱ ︱ 。 そ の主 旨 を 江 戸末 期 の 日光 山 誌 の文 に借 り れ ば 、. 湖 の西岸 に十 六丈 の千 手 観 音 の石 像 有 り。 千手 崎 と 日 ふ。 山 門 の題額 に ﹁ 補陀. 識 さ れ て いると いう べき であ ろう 。 中 禅 寺 私記 にも 、中 禅 寺 湖 の西岸 の祭 祀 に関 し. 大 士 の影 響 を 感 見 ま しま し て、 ミづ か ら 其 尊 容 を 手 刻 し て安 置 し玉 ひ 、 か つ上. 洛 山 発 心 壇 門﹂ と 書 す 。 是 則 ち 山 勢 の相 似 を 為 す に依 り て、観 音 利 生 の場 な. 伝 へ いふ、 此 山 を 補 陀 洛 山 と 名 付 ら れ し 事 ハ、往 昔 開 祖 上 人 当 山 草 創 多 年 の. 人 情 思 惟 し玉 ふ に、 二荒 各 処 の山 中 にし て、観 音 薩 唾 の種 々 の奇 瑞 を 示 し玉 ふ. り 。 件 の額 は弘 法 大 師 の手 書 なり 。 ︵ 神 道 体 系 本 によ る 。 原 漢 文 ︶. 弘 法 大 師 の手 書 な り ﹂ と いう のは伝 承 にす ぎ な いと し ても 、 ﹁ とあ り 、 ﹁ 山 勢 の相 似. て、. こと 、 是 ただ 吾 信 力 のみ にあ らず 、当 山 は 必 ず 大 士 有 縁 の霊 境 な る べしと 悟 ら せ 玉 ひ 、大 士 のす み玉 ふ南 海 の補 陀 洛 山 を 此 所 に標 顕 し て、 即 ち 当 山 を 補 陀 洛. を 為 す ﹂ によ つてそ こが補 陀 洛 山 と さ れ た と いう 見 方 が みえ る。. 安 末 期 成 立 の中 禅 寺 私 記 には 、 勝道 が 男 体 山 の中腹 に中 禅 寺 を 建 立 し 、丈 六 の千 手. は 、 現存 の文 献 では鎌 倉 時 代 の補 陀 洛 山 建 立 修 行 日記 にみら れ る。 そ れ より 古 い平. と 、 勝 道 が 観 音 の示 現 を 目 に し 、 そ の姿 を 手 刻 し た と いう 伝 承 を 記 す 。 そ の初 見. ど も 記 し て いな い。 日光 山 誌 に は 、 ﹁ 殊 に延 暦 三 年 登 山 し 玉 ひ、 西 湖 の南 岸 に 於 て、 大 士 の影 響 を 感 見 ま し ま し て、 ミ づ か ら 其 尊 容 を 手 刻 し て安 置 し 玉 ひ﹂ な ど. 縁 起 には 常 套 的 に語 ら れ る観 音 の示 現 は 記 さ ず 、ま た 勝 道 が観 音 像 を 祀 った こと な. ま た碑 文 は 、 勝道 の目 に映 じ た 男体 山 と そ の周 辺 の勝 景 を 活 写 はす るが 、 補 陀 洛 の. す ﹂ と 、 勝 道 以 前 か ら そ の山 は補 陀 洛 山 と 呼 ば れ て いた か のご と く に記 し て いる。. ただ し 碑 文 は、 ﹁ 専 に 同 じ き 州 に補 陀 洛 山 あ り ﹂、 ﹁ 師 、 補 陀 洛 の山 に上 って祈 祷. 山 の信 仰 は 山岳 信 仰 であ ると とも に湖 水 信 仰 であ る﹂ と 中 禅 寺 湖 の信 仰 に注 意 を 喚. と あ った 中 禅寺 湖 の水 神 信 仰 が当 地 の千 手 観 音 の信 仰 にな って い った の で、 コ 一 荒. く に山 と 湖 と が ﹁ 山 勢 の相 似 を 為 す ﹂ と 感 得 さ れ た のだ ろう 。 五来 重 氏 が 、 も と も. に華 呆 樹 林 ・泉 流 池 沼 ・巌 谷 ・山頂 の池 な ど で表 象 さ れ て いる。 男体 山 の場 合 はと. 蔵 五十 一︶。 本 来 の補 陀 洛 山 は 海 辺 の山 な いし島 であ る が 、 そ の景 観 は高 山 と と も. 傾 。 山 頂 に池有 り 。 其 の水 澄 鏡 にし て大 河を 流 出す 。 周 流 山 を 続 る こと 二十 匝 にし. 。 玄 美 の大 唐 西 域 記 に は 、 ﹁ 十 八、 大 正 蔵 十 ︶ 布 咀洛 迦 山 ﹂ を ﹁ 山 径 危 険 、巌 谷 敬. の巌 谷 の中 ﹂ で ﹁ 観 自 在 菩 薩 、金 剛 宝 石 の上 に結 珈 映 坐﹂ し て説法 し て いる ︵ 巻六. れば 、 ﹁ 補 但 洛 迦﹂ 山 は ﹁ 華 呆 樹 林 皆 遍 満 し、泉 流 池 沼 悉 く 具 足﹂ し 、山 の ﹁ 西面. そも そも 経 典 では 、本 来 の補 陀洛 山 は次 のよう に描 か れ て いる。新 訳華 厳 経 に よ. 観 音 像 を 安 置 し た こと 、 ま た 中 禅 寺 湖 の西岸 に十 六丈 千手 観 音 石像 が 祀 ら れ 、 山 門. 起 し て いる のは こ の点 で注 意 さ れ る。 そ れ にし ても 、山 と 湖 ︵ あ る いは海 ︶ が勝 景. て南 海 に入 る。 池 の側 に石 天宮 有 り 。 観 自 在 菩 薩往 来 遊舎 す ﹂ と あ る ︵ 巻 十 。大 正. の題 額 に空 海 の手 で ﹁ 補 陀 洛 山 発 心 壇 門﹂ と 書 さ れ た と いう 伝 承 が 記 さ れ て は い. と な る。. 山 と 名 付 給 へる よ し 。 ︵ 神 道 大 系 本 によ る ︶. 間 、 屡 観 音 の霊 験 を 被 り 玉 ひ 、殊 に延 暦 三年 登山 し 玉 ひ 、 西 湖 の南 岸 に於 て、. 文学 ・文化編 (2004年 3月. ). 甲南女子大学研 究紀 要第 40号.
(7) 神野 富 一 :日 光 ・二荒山考. (7). だ ろう か 。. に補 陀 洛 が現 出 し た のは 、 やは り 地 名 に因 由 す ると こ ろが大 き か った か ら では な い. を な す ほど の地 な ら 、 日本 には ほか にも 多 く あ った ろう 。 中 でと く に北 関 東 の日光. 思 わ れ る。. の名 が補 陀洛 と響 き 合 った こと 、 そ こ に 日光 が補 陀洛 と さ れ た 要 諦 があ った よう に. 二荒 ︶ 日光 は そう し て 一つの補 陀 洛 と な った 。 初 発 にお いて フタ ア ラ、 フタ ラ ︵. れ た こと 、ま た男 体 山 と そ の周 辺 の自 然 相 が本 来 の補 陀 洛 に近 いと みな さ れ た こと. 極 め て豊 富 であ る﹂ と いう こと から も 知 ら れ るよう に、 男 体 山 の方 が主 峰 と 見 な さ. 間 が著 しく 長 ﹂ く 、 出 土 遺 物 の内 容 にお いても ﹁ 量 質 と も 男 体 山 が突 出 し 、 種 類 が. べ ﹁ 遺 跡 の年 代 の上 限 と 継 続 期 間 に 関 し ては﹂ ﹁ 男 体 山 が 突 出 し て古 く 、 継 続 の期. ら れ る。 これ は、 山 頂 遺 跡 のあ り 方 にお いて、女 峰 山 ・太 郎 山 な ど 周 囲 の山 々 に比. から 転 じた ﹁ 補 陀 洛 山 ﹂ は 、碑 文 の書 き 方 か ら す れば 男 体 山 一峰 を さ し て いると み. ち な み に、 二荒 山 は 男 体 ・女 峰 の 二山 を さ し た と 先 に述 べた 。 し か し ﹁二荒 山﹂. 太 郎 大 明神 が河内 郡 小寺 山 に移 って ﹁ 若 補 陀 洛 大 明神 ﹂ と 号 さ れ た と いう 所 に見え. 来 、 太郎 山 は馬 頭 観 音 と し て三所 権 現 を 語 る が 、 ﹁ 補 陀 洛 ﹂ の文 字 は た だ 一カ所 、. 新 編 会 津 風 土 記 所 収 本 な ど ︶ に は 、 男 体 山 は 千 手 観 音 、女 体 山 は 阿 弥 陀 如 縁起 ︵. お おう よう な勢 いと は な ら な か った 。 た とえ ば 至徳 元年 ︵一三 八 四︶成 立 の日光 山. 浜 禅 頂 ﹂ の行事 も 行 わ れ た け れど も 、 そ れも 観 音 信 仰 が 一山 を 湖 を 船 で 一周 す る ﹁. 補 陀 洛 船 ﹂ で中 禅寺 像 の安 置 や寺 の設営 な ど のこと も 行 な わ れ た し、近 世期 には ﹁. 信 仰 の実 績 を 示 し て いな い。 平安 ・鎌 倉 期 には 、千手 観 音 の示 現諄 が語 ら れ 、 観 音. は 、 あ る いは中 国 舟 山 群 島 の普 陀山 、 ま た チ ベ ット ラサ のポ タ ラ宮 のよう には観 音. し か し そ の後 の歴 史 に お いて、 日 光 の補 陀 洛 は、 た と え ば 熊 野 の那 智 の よ う に. な ど によ るだ ろう 。 先 述 のよう に ﹁ 中 禅 寺 私 記﹂ には勝 道 によ る男体 山 中 腹 への千. る のみ であ る。 歴 史 の実 際 の進 行 によ った こと ではあ るけ れ ど も 、 日光 の補 陀 洛 信. 荒 山﹂ は 補 陀 洛 化 し て い った 。 こう し て、 コ 一. 手 観 音 像 安 置 を 伝 え 、 後 の三所 権 現 の信 仰 にお いても 男 体 山 の本 地を 千 手 観 音 、女. 山岳 宗 教 の成 立 と 展 開﹄所 0 和歌森太郎 ﹁日光修 験 の成 立﹂、山岳 宗 教 史 研究叢書 1 ﹃ 収、初出は 一九 六九年 一九八 〇年 五来重 ﹃ 修験道入門﹄ 八二、八三頁、. 下野史談﹂ 昭和 一四年 一二月号 七と、﹁ ② 藤井万喜太 ﹁日光開山勝道上人 の再検討 ︵. 一︶︱ ︱太 郎 o日光 ・野 ロ サ ン ・ライ ン ︵こ 0 細矢 藤 策 ﹁二荒 山 神 社 の日神 信 仰 ︵ 一九九 四年 三月 ︱︱﹂、﹁ 野州国文学﹂ 五三、. 注. 補 陀 洛 であ る こと の証左 な のでも あ った 。. も 、 逆 に いえ ば 、 名 称 の偶 合 は何 より も 有 力 な 、永久 に消え る こと のな い、 日光 が. 荒 ︶ の名 が補 陀洛 と 響 き 合 った と いう 一つの偶 合 にあ った た め では な いか 。 け れど. 二 す にとど ま つたと いう べき であ ろう 。 そ れも 信 仰 の初 発 が 、 フタ ア ラ、 フタ ラ ︵. 仰 は け っし て日光 山 の信 仰 のす べて では な く 、 そ の 一部 、 あ る いは 一つの基 礎 を な. お わ り に. 体 山 の本 地 を 阿 弥 陀 如 来 と す る。. 五. 山 の名 はも と フタ ア ラ ヤ マな いし フタ ラ ヤ マと いわ れ 、 コ 一 荒 山﹂ の字 が宛 てら れ た 。 そ れ は 日光 山 地 の前 面 に位 置 す る 二峰 を 男女 の対 な る、荒 ぶ る霊 峰 と 仰 いだ ゆえ の呼 称 であ った 。 こ の人 里離 れ 、 気 象 も 激 し い高 山 は 人 の接 近 を 拒 絶 す る よう だ つた が、 し か し古 墳 時 代 にも 登攀 す る人 々は時 々 にあ った よう で、彼 ら は 山 を 祀 り 、 そ し て人 知 れず 去 って い った 。 奈 良 時 代 にな って関東 の山 々にも 山 林 修 行 す る 人 々が 集 ま り 、山 の仏 教 化 が行 わ れ た 時 代 、 フタ ア ラ、 フタ ラは彼 ら によ って い つ し か 観 音 浄 土 の補 陀 洛 の音 と 重 ね ら れ 、 山 の自 然 相 も ま た そ れ にふさわ し いと 観 想 さ れ た 。 中 で勝道 と いう 若 い修 行 者 が辛 苦 の末 に仏 教 者 と し て初 め て の登 攀 を 果 た し、 中 禅 寺 湖 のそば で数 年 信 仰 生 活 を 送 った。 彼 は 後 に そ の体 験 を 碑 文 に残 そう と 、 都 に著 名 な空 海 のも と へ文 章 を 依 頼 し 、 そ の碑 文 の制 作 によ つて東 の補 陀 洛 山 の名 は 広 く 知 ら れ る よう にな った。. 一九七七年、に ﹁フタ ラはもと太荒神 で﹂ と みえ 0 岡田米夫 ﹃ 日本史小百科 1 神社﹄、. 日条 に、﹁ 補陀羅山﹂ の図が鳥 羽離宮 の成菩提院北面 の壁 に描 かれたともあ る。. 邁多 羅山﹂ が みえ る。ま た、長秋記、天承 元年 ︵一一三 一︶七月 八 華厳経探玄記 に ﹁. 一九九 〇年 大和久震平 ﹃ 古代山岳遺跡 の研究﹄ 二 一五、 四四二頁など、. (6)(5)(4).
(8) 甲南女子大学研 究紀 要第 40号. 文学 ・文化編 (2004年 3月. (8). ). Abstract: Nikkou in Tochigi Prefccture is famous in Japan,together with Kumano.Above all,Mto Nantai has been thought of as the Fudarakusen. Its history ascends to the Nara Era, and it has been said that Priest Shou―. dou from Shiinotsuke is connected with the o」. gin of the name. There are varlous opinions about the reason. why a mountain of North Kantou was said to be Fudarakuscn,thc place where Kannon livcs,from an carly era. Mt. Nantai was caHed Mt.Futara in the old days, and it has been conventionally said that the old name was de五 ved from Fudaraku. I think, however,that this theory has problems both histoHcany and linguisticallyo My. view is this: Mt.Futara was the mountain's name o五. ginally,meaning“ two rough mountains''。. lBut because the. name accidentally sounded sirnilar to Fudaraku, and also because the natural environment around the mountain suited the name Fudaraku,Buddhist ascetics in those days named MtoNantal,Mt Fudaraku.. 。. KANNO Torrukazu. ze. 0 古 代 語 アラに ついて、古橋信孝 ﹃ 古 代和 歌 の発生﹄ 2 九 八 八年︶ にも、﹁ 本来 は始 源 。 し が 的 な、 ば と いう考察 があ る ︵ 霊 強 発 動 て い 力 く 状 を ら る わ こ と 態 あ す ﹂ 二八頁︶ 0 参 考 、 ﹃ 日光市史﹄上巻第 二編第 一章 、益 田宗氏執筆 、 一九七九年. ⑩ 注0 の書、九 八頁など. 国 注同 の書、 四五七頁. υ 柴 田立史 ﹁ 日光 山 の入峰 修行︱︱ 華 供 峰 を 中心 と し て︱︱ ﹂、山岳 宗 教史 研 究 叢 書 8 ﹃日光 山と関東 の修験道﹄ 所収、 一九七九年. Mount Futara,Nikkou,Viewed from the Mcanings of the Name.
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