連載
ケオラ・スックニラン
47
アジ研ワールド・トレンド No.248(2016. 6)
第 5 回
現地調査―地上と上空へ―
発展途上国経済の研究者が、しばしば直面す
る問題は、必要なデータが入手できないことで
あろう。非公開データはあるが、多くはそもそ
も整備されていない場合である。データは、元
をたどれば対面、非対面調査によって得られた
記録である。都市国家でなければ、全国民、ま
たは全世帯を対面で聞き取りをするには、長い
距離を移動する必要がある。非対面でも、書類
など記録媒体を長い距離運ばなければならない
ことには変わりがない。輸送コストが存在する
限
り、
地
上
を
移
動
し
な
が
ら
の
デ
ー
タ
の
整
備
は、
多くの時間と多額の費用が避けられない。輸送
技術が現在に比べ、飛躍的に進歩しないかぎり、
発展途上国では、地上で整備されるデータが充
実されることは考えにくい。
しかしながら、研究に必要なデータの整備に
は、聞き取り以外の方法は存在する。研究対象
と言語によるコミュニケーションができないこ
とが多い自然科学では、データは通常観測、観
察、または物理的な計測で整備される。自然科
学者がモノ、自然現象や動物に聞き取りをする
選択肢はないが、社会科学者、経済学者が観測
などでデータを整備することは可能である。観
測の利点は、より広い範囲を網羅できる点であ
る。視点が観察対象から離れれば離れるほど視
野が広くなる原理を利用し、広い地域の調査を
網羅する航空写真や人工衛星画像が、その例で
ある。とはいえ、地上、すなわち近いところで
の聞き取りのように知りたい情報を直接的に得
られないのが、欠点である。近年、地上と上空
から整備されたデータを、補完的に利用する動
きが、経済学でもみられ始めた。本稿の目的は
これを紹介することである。
●リモートセンシング
本稿は近年地上で整備されるデータを補うた
めに、利用が拡大している航空写真や人工衛星
画像などを中心に紹介する。これはリモートセ
ンシングとも呼ばれる技術である。リモートセ
ンシングとは、対象物に接触することなく、離
れ
た
場
所
か
ら
観
測
す
る
こ
と
を
い
う。
現
在
で
は、
おもに衛星に搭載されたセンサーによって、光
(電磁波)
、音波、気体分子の情報を集めること
を指す。参考文献③によると、一八五八年に写
真家であるナダールが、気球からパリ(フラン
ス)の写真を撮影して以降、リモートセンシン
グは土木や軍事における重要な調査ツールとな
った。一九五〇年代までは、航空撮影がリモー
ト
セ
ン
シ
ン
グ
の
お
も
な
方
法
で
あ
っ
た
が、
一九六〇年代に入ると、より広い範囲を効率的
に
撮
影
で
き
る
衛
星
写
真
に
変
化
す
る(
参
考
文
献
③
)。
冷
戦
下、
衛
星
写
真
は
軍
事
的
に
活
用
さ
れ
た
一方、地球科学などを中心に民間における利用
も発達した。
●現地調査:地上と上空へ
人文社会科学においては、リモートセンシン
グ
デ
ー
タ
が
広
く
利
用
さ
れ
る
に
は
至
ら
な
か
っ
た。
そうなるためには、越えなければならない二つ
の壁が存在するからである。第一は、少人数の
研究が一般である人文社会科学者にとって、高
価なリモートセンシングデータを購入すること
が難しいという、費用の壁である。第二に、こ
れらのデータは、人文社会科学を想定して集め
られていないため、そのままの形では利用が難
しいうえ、処理・変換には専門的な知識が必要
であるという、技術の壁である。ところが、こ
れらの壁が近年急速に低下している。日本では、
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アジ研ワールド・トレンド No.248(2016. 6)
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衛星測位によって正確な位置情報が、だれでも
安
定
的
に
取
得
で
き
る
環
境
の
構
築
な
ど
を
目
的
に、
「
地
理
空
間
情
報
活
用
推
進
基
本
法
」
が、
二
〇
〇
七
年
に
公
布
さ
れ
た(
参
考
文
献
①
)。
国
外
で
は、
二〇〇八年ごろから、アメリカを中心に、公共
機関が収集した衛星画像の無償公開化が急速に
進展する。これにより、たとえば世界規模の分
析なら、以前は入手に数億米ドルを必要とした
データが、数十万円で整備できるIT機器とイ
ンターネットに接続するブロードバンドの環境
があれば、だれでも無償で入手できるようにな
った。一方、技術面では、衛星写真の画像デー
タを土地被覆データなどに一次加工した大規模
データの整備と公開も着実に進展した。パーソ
ナル・コンピュータの性能が向上する一方で価
格が大きく低下したことで、大量のデータを保
存、処理する環境整備コストも大幅に低下した。
小規模の研究予算でも、リモートセンシングデ
ータを利用する環境が整ったといえる。
現地調査で得られるデータと人工衛星などか
ら得られるデータには、それぞれ長所と短所が
存在する。現地調査では、質の高いデータが得
ら
れ
や
す
い
一
方、
収
集
費
用
と
時
間
コ
ス
ト
か
ら、
頻度および網羅率が低くなる傾向がある。現地
調査では、頻度と網羅率は多くの場合、代替的
な関係にある。聞き取り調査であれば、どのよ
うな内容の情報も入手し得るが、同じ場所で行
う頻度を高くすれば、通常は網羅率が低くなる。
反対に国勢調査など網羅率が高い調査は、数年
に
一
度
し
か
行
わ
れ
な
い
頻
度
の
低
い
も
の
に
な
る。
これに対し、リモートセンシングは、直接的に
得られる情報は、事前に搭載されるセンサーが
収集可能なデータに限られるが、はるかに広範
囲を高頻度で網羅することができる。具体的に
はたとえば、土地被覆データが生成されるMO
DISであれば、全世界を一~二日で約一回以
上網羅する。しかし人工衛星から得られる情報、
光の反射などのデータは、そのままでは人文社
会
科
学
に
と
っ
て、
分
析
に
使
え
る
と
は
い
え
な
い。
要約をすれば聞き取り調査は質問次第でどんな
情報も入手しうる質の高い情報である一方で低
頻度、低網羅率であり、リモートセンシングは
「
浅
い
」
情
報
で
あ
る
一
方
で
高
頻
度、
高
網
羅
率
で
あることから、この二つの情報は補完的な関係
にあるともいえる。すなわち、地上と上空から
得られるデータは補完的な関係にある。
実際、これまでのリモートセンシングデータ
の人文社会科学における利用も、現地調査で得
られたデータを時間、または空間的に補完する
ものであった。いくつかの例を紹介したい。参
考文献②は早い段階で、衛星から観測できる夜
間光と地上における経済活動の高い相関関係を
指摘していた。その後、観測された人工夜間光
を使い、電力使用量、地域総生産、経済の成長
率などを推計する研究がみられた(参考文献④
と
④
の
参
考
文
献
)。
し
か
し、
夜
間
光
以
外
に
も、
経済活動に関係すると思われるリモートセンシ
ングデータは多く存在する。たとえば、筆者が
農業部門の推計に一部利用したMODISの土
地
被
覆
デ
ー
タ
が
あ
る(
参
考
文
献
⑤
)。
M
O
D
I
Sの土地被覆データは解像度が高く(約五〇〇
m
×
五
〇
〇
m
)、
森、
耕
地、
市
街
地、
水
な
ど
一六もの土地被覆に分類されている。地上で整
備された断片的なデータと組み合わせれば、人
口、
土
地
利
用、
C
O
2
排
出
量
な
ど
今
後、
七
〇
年
代
前
後
か
ら
保
存
さ
れ
て
い
る
人
工
衛
星
画
像
か
ら、
整備が期待できる高解像度、高頻度経済・社会
データはたくさん存在する。地上と上空から収
集
で
き
る
デ
ー
タ
が
補
完
的
に
利
用
さ
れ
る
流
れ
が、
データが未整備な発展途上国研究の新たな潮流
のひとつといえよう。
(
Keola
Souknilanh
/
ア
ジ
ア
経
済
研
究
所
経
済
地理研究グループ)
《参考文献》
①
柴崎亮介・村山祐司『社会基盤・環境のため
のGIS』朝倉書店。
②
C
ro
ft,
T
ho
m
as
A
.,
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m
er
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n
239
(
1 )
: 1978,
86–97.
(
http://ngdc.noaa.gov/
eog/pubs/Croft_SRI_1979.pdf
二
〇
一
三
年
三月アクセス)
.
③
Hall,
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“Remote
Sensing
in
Social
Science
R
es
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R
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Economic Review 202
(
2 )
: 2012, 994–1028.
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6:
2015, 322-334.
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