〈研究ノート〉
東日本大震災における地方行政のー側面
地方公務員と被災者の証言集
2011年3月11EI141時46分ごろ、宮城 県三陸illlを“旋源域"とする、マグニ チ ュ ー ド9.0(確 定 値)、故大震度7 (宮城県栗原市)、7111純県を除く全都道 府県の震度計が震度i以上の揺れを観i
則する、超巨大地震が発生した (資料 1 ) 1)。
この地震は、気象庁により、 「平成 二十三年 東北地方太平洋illl地震J
と 名付けられ、いくつもの通称がつく。 │制議決定により「東日本大震災J
と呼 ばれるようになった。この巨大地震は、 巨大津波、液状化現象、地提沈下、度 重なる余震、大都市東京での帰宅難民、 計画停電と節電、そして、稲島第一原 子力発電所の爆発 ・放射能漏れ事故な ど、後に事長々な被害を引き起こすこと になる。さらには、被災者、非被災者 間わず、粕神的被害などの阿に見えな い、表部化しない被拝が生じる。被災 した人たちはもちろん、直接被災しな かった人たちも、大反災向き合ってい かなければならなくなった。はじ
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資料 1LIiドタlμ震度分布肉 当研究ノートは、私が被災地及び、準被災地でのインタビューデータを雄理することを向的と する。訪問は二度、J
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初は東日本大震災後初めてのお拾のl則的である2011年8月11日-14日に束a 資料2 移動経路地I~I (H1J~~ ;I)~~注目首) 京都内、千梨県
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ili、茨城県水戸 市・ 大洗IIrf.ひたちなか市、稲山県いわき市 を訪ねた。二度目は東日本大浜災から半年の 2011年9Jl7日-12日に岩手県常古市田老地 区から、 三陸海岸沿いに名取市までの各市町 村や 集 落 、 稿 島 県 福 島 市 を 訪 ね た ( 資 料2
)2)。
東日本大震災の取材にあたり、奈良市l隊員 のSさん、京都府職員のSさん、 Mさん、 K さんのご協力とご尽力により、被災自治体職 員にお話を伺う機会を得た。また、ご協力い ただいた方のけーlには、応援職員として出向い た方や、ボランティアとして山向いた方もお り、その点についてもお討をうかがった。一 方、被災地では宮城県多賀城市のIさん、福 島県職只のMさん、 Sさんにお話をうかがっ た。また、被災地では被災自治体職員の方以 外にも、多くの方の御協力を1
頁き、被災当時 の様子をお話いただいた。1
.避難所での出
来事
震災という非日常において、人々が苦慮する要因の一つに避難所での生活がある。しかし、避 難所での生活において困るのは避雌者だけではない。避鮒所を運営する人たちもまた、避難所の 述営維持に困難を強いられるのである。京都府の応援職員Kさんのお話と、宵城県多賀城市の避 難所運営を担当した職員 Iさんの訴を通じて、両者の1
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にあるギャップについて記述する。二人 の立場などの基本データを表iとしてまとめた。 一74-表1 Kさんと Iさんの基本データ 京都府職員Kさん 宮城県多賀城市職員Iさん 活動場所 福島県郡山市のろう学校 多賀城市の公共施設 被災地での立場 応援職貝 避難所の運営 避難者の境遇 原発事故の避難者(浜通り地区の人々)。 多賀城市民 郡山市民はほとんと'いなかった。 避雄所での活動期間 4月l日から1週間(移動日込み) 3月11日から4月末まで 1-1.京都府駿員 Kさん Kさんは、 4月1日から一週間、福島県郡山市に出向き、福島県の県立ろう学校の避難所の支 援活動に従事した。 一京都府から応援として出かけるにあたり、どういうことがあったのか? 正式に通達が来たのは前日 (3月31日)15時のことだ、った。次の日の朝出発するように言 われた。当時、人事-課で人事異動の処理が終わった直後のことだった。 一応援に出かけた人は、どのように決まったのか? 志願制だった。そのため、京都府の職員さんの中には、「福島じゃなければ、行っても良 かった
J
という人が実際いた。ちなみに、京都市と「支援する自治体を勝手に決めたJ
と、 もめたらしい。京都市は「同じ政令市だから」と、仙台市を支援した。 一関西広域連合の中で、京都府と滋賀県が、福島県の支援を担当する事になったいきさつは、ど ういうものか?3) 「京都府・滋賀県ともに、原発がある福井県に隣接しており、原発対応の装備を自前で用 意できるからとのことであったが、後に、滋賀県は自前の装備が不足していた」という話を 聞いた4)。
一避難所の支媛に出かけてみてどうだ、ったか? 郡山市に到着し支援活動にかかるも、当初は勝手が分からず、また、避難所となったろう 学校の教員たちが避難者への対応にあたっていたため、仕事がなかった。 避難所側の、勤務シフトがあるため、その日、その日で担当が異なり混乱した。また、倉 庫の奥の方にある支援物資が腐っていた。倉庫の整理をかつて出ても、「こちらでやります からJ
といわれた。一応、私たちも公務員だから、信用して欲しかった。 支援物資に関して、同じものが大量に送られてきていた。私のいた避難所には、 SPAM5) と呼ばれる缶詰が大量にきた。 しばらくして、福島県の職員が応援にきたが、その人達も含めてやった仕事は、炊き出し の準備であった。逆に避難所に詰めている自分の方が、避難所の状況を分かっているのでは ないかと考えた。一災害時の行政に関して、どんな問題点を感じたか 災害時のマニュアルが整備されていなし、。整備されていても、何ページにもわたり細かい 字で書かれており、誰も読まない、読めないようなっくりになっているo Kさんは、この一連の体験を京都府庁内の発表会で、「役割分担の必要性Jや「避難所運営の 訓練
J
や「震災発生時のマニュアルの問題点J
などについて発表された。なお、この発表会は2
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1
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年8
月3
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日京都府庁にて、非公開で行われた。1
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宮城県多賀城市職員│さん ・応援職員との関係 一方で、被災した側の自治体職員はどうだったのか。宮城県多賀城市のIさんにお話を伺う。 Iさんは、 3月11日、多賀城市の避難所となった施設で担当職員として働いていた。施設でお よそ2
0
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人の避難者を収容した。1
さん自身に、御家族は無事で、物的被害も小さかった。ただ、 メンタル面でのダメージはかなり受けたとのことで、インタビューにお付き合いいただいたとき、 パーンアウトから千却脅したてだ、ったという。3
月11日の震災発生後、即座に、I
さんが勤務していた施設が避難所となる。-3
月11日とそれ以降の様子について。3
月11日の日は金曜日で、通常の勤務をしていたo地震が発生しその施設は避難所となる。 それから、三日間の眠らない、食べない、トイレ行かないの昼夜を過ごした。 私が運営した避難所は4月から指定管理者の運営という事になったo指定管理業者の管理 とは、「市の施設を民間の金業などが迎営を任されるJ
こと。結果、運営スタッフが変わり、 施設の中身をまったく知らない人が来た。そうすると、残っている職員の負担が増え、家に 帰られるはずもない。私、三日三晩飲まず、食わずの夜が3回あり、え一、 5日間下着も替 えられず、初めて震災以来、風呂に入ったのが4月2日だ、った。 避難所運営が「指定管理業者の運営になったJと聞けば、一般的には「指定管理者に丸投げし たJと捉えがちであるが、説明などの雑務が増え、 Iさんたち自治体職員にも役目はあり、むし ろ、捕えたのである。 -避難所を運営しながら考えたことについて。 あの、え一、市の職員というのはおかしなもので、市民のためにやろうと,思っているから、 「ここで、私だけヤケ起こすと、ここの皆さん死んでしまうJ
と妙に思い込んでいて、そん なことないのに……。-76-Iさんは、避難所の運営が始まったとき「妙な責任感を持った
J
という。この点は、被災地自 治体の職員も、応援職員も共通している。ただ、このことが、双方にギャップとして出てきて、 被災地職員にとっての悲劇となる。 Kさんに聞いた「役割分担」について聞いてみた。 一避難所の役割分担はできたのか? まず、市の職員もほとんどが被災した。そして、電話の応対も本庁のほうでおわれた。出 先機関は避難所となり、人でごった返った。まず、来た荷物を運ぶ。具合の悪くなった人を 介護する。そういう業務に追われた。役割分担などということは考えられなかった。 応援の方が来られたのが、 3月末ごろで、役割分担をしたいんでしょうが、えーと、こう 言っちゃなんですけども、最初はエース級の方が来られます。どこの役場でも、非常に優秀 な方が、やる気満々な方が。しかし、そういう方たちは、なんもなりませんね。一週間で交 代していかれるわけです。交代すると、引き継ぎしている余裕がこちらにないので、そして、 その役割分担がという話もできない。 京都府職員のK
さんの証言や、今回ご協力いただいた奈良市職員のS
さんの証言によると、震 災直後の被災地への支援は移動日込みで1週間程度だったとのこと。応援に来るサイクルが短期 間だったということが、被災地職員を混乱させたということが言えそうである。I
さんは、避難所に4
月末まで、5
月からは被災者相談窓口を担当した。震災発生当初はシフ トや働き方でトラブルが起きたが、少し務ち着いてくると、要領がわかってきたのか、仕事が進 むようになる。 一応援職員はどこから来たのか? いろんな所、(1さんの避難所)は、財務局だとか、富岡市だとか、岐阜県、秋田県……。 財務局は、なんか早くて、とてもうれしかったoその、それが本当に優秀な人で、も一、近 畿だの、え一、東北だの、え一、関東だの……。本当、うれしかった。来てから、家に帰れ るようになって。 一応援職員の働きぶりはどうだったか? 私がいろんな状態でやってるのをみて、秋田県の人が、(救援資材など)のリストを手書 きで、「賞味期限がここでこういうふうになっています」っていうことが書いであるやつを 私の電話のわきに貼ってって、「秋田県の飯場の方が、あの、責任持ってやりましたから、 安心して下さいJ
って言われて、「はーっJ
って……、なんかもうね、私のためにやりまし たっていう感じだったんですね。5
月からは、市役所本庁の被災者相談窓口を担当する。相談窓口にも、各地からの応援職員が いた。その応援職員の中でも、とりわけ印象に残った「香川からの応援職員(個人名)Jのエピ/:L_長夜
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が作成した以l ソードを諮っていただいた。 一印象に残った応援i蹴貝について 荘、がすごいやつをみたのは、(香川の 応援職員)ってやつが、ものすごい優秀 だ.ったですね。パソコンカf使える;伏j兄に なかったんですけども、仕組みを図解し て世いてった(資料3
)
G)。それを私は、 みんなにコピーして、これで説明しろと いった。それで・、切り抜けた人は多いと 川 崎 ι v 句 切 払 ヤ 川 白 川 h w M 1 ω 町 制 川 刷 ミ 叫 H 川 領 制匂 U 札 酌包 思います。 一 「香川の応援l限只」は、どういうお仕事を したのか? 被災者支援のシステムは、大規模半壊、 半壊、全壊の3
秘頒に分けられて、その うちで、「応急仮設住宅扱いになる人、」 それから、「応急4
毎週!の扱 い に な る 人J
というふうに、基準がいろいろなんです。 だから、1'1'訪できる時期も、え一、 l年 と 1 カ月の 1f,~JVJ と、 3 年と 1 カ月の時WJ と、いろいろある。そこの所を何の申請 ができるのかという表をつくった人がい る。附却なんだろうけど、あの、やっぱ り品会にするのは縦しいんだろうね。 一どんな人を保秀だと思ったか? 考えれば摂理!なのよ、自分が来て、何 をすべきかっていうのをちゃんとわかる 人が、優秀ですよ。あの、 2カ月いた避 難所も、私たちいえればよかったけど、 私たちゃっていることをみながら、マニ ュアル (写兵1/)つくった人がいます。 それは、本当素11;与らしかったです。直で、引き継ぎしないで消むような状 況にしていったわ けでー…・。(Iさんの避現住所のマニュアル)は、財務局の人と、愛知県・の人と、岐阜 県の人 なんかが更新して、パージョンアップを、どんどんしていって、つくって行った気がします。 写 真I 避維所マニュアルを合む点 -78-マックス・ウェーパーが定義する「官僚制
J
、すなわち、「①明確な規則、②明確な職務体系、 ③文章によるやり取り、④専門化した職務活動、⑤職務上の活動には管理の全労働力が要求され る、⑥管理の職務遂行は規則によりなされるjが、大規模災害では崩壊することがわかる。それ は、「仮設住宅の申請J
という慣れない仕事でパニックを起こしている様子からもわかる。その 原因のひとつは、引継ぎや情報の共有がうまくいかないということがあげられそうである。 京都府職員Kさんは、「マニュアルが未整備であったり、あっても、機能しない」という問題 を指摘する。パニックの原因としてマニュアル問題が一つあるのは間違いない。しかし、後述す るが、福島県の例では、そのマニュアルが想定する以上のことが起き、混乱した。いずれにせよ、 ある程度の指針となるものは必要であるが、一方で、避難所で組み上げられたマニュアルや香川 の応援職員のような働きなど、新たなマニュアルの再構築、すなわち、「官僚制」を再構築する 働きが、災害の現場では求められるといえよう。 .職員と民間人 次に、避難所では何が起きていたのか。 1さんが経験したトラプルと、その証言から探ってみ る。 一避難所運営にあたり、どんなトラプルが起きたか。 避難者の人が、どんどん暴力的になります。 みんな私たちに質問出してきて、でも、私たちは、被害の情報一切知らないんです。あら ゆる情報が閉ざされて、ずぶ濡れの人がなぜかやってくるんで、そんな場所だ、ったんで、開 けられる会議室みんな開けてるうちに、廊下までいっぱいになって、 2∞
0人以上に達した。 最初はかわいそうな人たちなんですけど、どんどん違う人になっていき、暴力、暴言……ま、 しょうがないんですけども……。殴られそうになったり、3
回は土下座したし、ん一、でも、 それも、判断できない、追い詰められた状態であったら……。(避難所には、)4月一杯まで 居たのですが、 4月の半ばくらいまでの感じでね一、「暇だJ
って言われるの。忙しかった のは、職員だけだ‘ったんです。だ、って、明かり絶やさないために自家発電を動かすて、どう いうことだ‘ったのかと、灯油運ぶんですよ、夜、夜中に、3
月にね、暖房はいれられないけ ど、明かりは自家発電で、大丈夫だ、ったんですよ。そのために、夜も寝ないで、石油を運んで.
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0 ーどんなことで土下座したのか? 食糧が翌日、ビスケット l枚、一人に配るということになったんです。 2∞
0人の避難者名 簿作れませんよね。その時に作ろうということになって、並ばれたんだけど、変な列ができ てしまうんです、どうしても。で、「不平等だから、なんだかんだJ
、「お前らがちゃんと並 ばせんだろうJ
というようなこと。だから、「情報が、すみませんわからないですJと言っ たら、「何言ってんだ、われJ
って、こう、あの、ま一、暴論を言われて。ほんとに、それはトラウマになりますね。 被災当初、世界中が「日本人の秩序ある行動Jを讃えた。しかし、現実には、避難所運営者と 被災者の問で、トラブル起こっていたのである。運営者も同じ被災者であることを、ご留意いた だきたい。以前、「のどかな略奪」というタイトルで、地震で壊れた倉庫から人々が物を持って いく動闘を、動画サイトで見たことがある。そこには、「これは例外Jというコメントがあったo 「臭い物には蓋
J
の発想、があるように思えてならない。次に、報道との関係について聞いてみた。 一報道機関との関係について 報道の人も横暴だ‘ったですよ。いつ来るかどうかわからない荷物を、私たち一生懸命運ん でるんです。そこに、仁王立ちでカメラかまえて立たれて、「帰ってくださいjって、本当 に泣きながら頼みましたが、 NHKですか、毎日来やがって……。 記者の方も、一定のストーリーを持って取材されるので、やっぱし、真実はね、なかなか 伝わらないねー。たとえば、毎日ラジオ体操をしたんです。(中略)みんなで同じ体操をす れば、一体感が生まれて、あの、癒されるかしらというので、私がタッチして毎日やってた んですが、報道の方、どういう報道をしたかというと「エコノミー症候群の防止のための」 -。そういうストーリーで取材するものだから、それにそって答えるわけですよ。聞かれ れば。 後で聞いた話であるが、 Iさんのお話には驚きの連続であったため、何度も、言葉に詰まった。 Iさんも、「もっと面白いお話を用意したほうがよかったかしらJ
とおっしゃった。正直「よく お話いただいたJ
という思いであった。その点を聞くと、「地元の人に話すと、私、変な人にな るJ
ということをおっしゃった。親密でないがゆえにお話いただけたのだろうと思う。同時に、 このことが被災者が孤立していく図式とも思えた。 東日本大震災では、「ボランテイア迷惑論J
という言葉・が聞こえてきた。何が迷惑だったのか をIさんの証言から、探ってみる。 ーボランテイアとの関係について 医療関係者が特にひどかったね。自衛隊の人と、民間の病院の方、二種類来た。最初、も のすごいアツイ人たちが来たんだね、やっぱり。あの、神戸の方たちで、もうあの、よく診 療して下さったんだけど、引き継ぎしないで帰られるから、次の人に同じこと説明をし、診 察しなければ、そのうち、自衛隊は、自己完結で、「テープル二つ、椅子四つJ
と言ったの で、最初から最後まで、それで、自分で片付けて、みんな一緒に帰ったのoその人(自衛隊 でない医療関係者)たち……「椅子もっと貸して下さいjって。長い時間、カンファレンス はするは、私たち、自分たち休む場所もないのに、占拠されて、でもそれが、神戸のときに-80
一役に立ったって言うんだよね。 Iさんは、「ボランティアははしゃいでるようにしか見えない
J
という思いを抱いていた。そ の一方で、こんな話をしていただいた。 避難所で、大変うれしかったのが、私、土下座して謝ったときに、「並ぶの手伝いますか (まま)
J
っていった子がいたんです。「並ばせるの手伝いますかJ
って、その人は、しばら くボランティアをしてくださったんですけど、神の声だと思いました。もう、泣きそうで、 大人なのに、後ろ並んでくれなくて、どんどん怒鳴られて、あの、手伝いますかつて言われ たときに、「あ一、でも、あなた怪我でもしたらどうするのJ
と、「大丈夫ですJ
って言って くれてoそれが本当にうれしかったねo機会があったら会いたいね。 自分の経験を生かすのは当然であるが、経験した人の経験が暴力と化してしまう(行動と結果 のパラドックス )0i
経験者の経験は、あくまで意見の一つであって、正しいわけではないJ
とい う前提を持つことが必要であると感じた。 被災自治体職員と応援自治体職員、およびボランティアの関係を見てきたo被災地という修羅 場では、とりわけ、被災直後において「何が役に立つのか、何が役に立たないかjということが 常に関われ、そして、自分自身で判断することが求められる。しかし、その最低限の判断のため の情報が、被災地では入ってこない。意思の疎通が出来ないというこの不幸は、被災地と非被災 地の問での決裂という更なる不幸をもたらす。被災地と非被災地の決裂のメカニズムの一つであ り、被災地だけでなく、非被災地もかかえたイライラの一つの原因ではないかと考える。 1-3.宮城県南三陸町で民宿を経営するご主人K
さん、I
さんが避難所の運営に取り組んでいた頃、その避難所脱出のため闘っていた人が居 た。三陸海岸沿いを南下するにあたり、南三陸町にある民宿を予約した。その宿では、「お風呂 の石鹸がない」や「自販機のジュースが買えない」など、事前に知らせてもらった不便以外は、 夕食、朝食付きで一泊できた。 そのご主人の話では、民宿は高台にあり、全壊は免れたが、電気、ガス、水道などが使えなく なるなど被害が出た。避難所に入るも、その避難所で考えたことは「ここに長くいると、自分が だめになる気がしたjということだ、った。 2、3日して避難所を出て、今度は、民宿を避難所(二次避難所8)) とするべく行動を開始し た。しかし、民宿を避難所にするためには、「電気、ガス、水道の確保J
が条件になるという墜 にぶち当たる9)。 ガスは元々プロパンガスであったので、業者が復旧すれば何とかなったが、電気と水道が問題 となった。そのための設備投資としてl∞万円ほどの自腹を切ることになる。ご主人いわく、「震グラフ lj控錐所生活官-の推移グラフ 【避難所生活者の推移】東日本大震災、阪神・淡路大震災及び中越地震の比較について│ (人) s∞,白羽 450,日E 4剖),印)() 3,∞αm 250,自刃 2回.0∞ 150,出却 1∞ ,α刃 5凪四国 307.022 : : 2臼.141
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万円というお金集めるのがすごく大変だった」という。なんとか、タンクや発屯機 を入れて、民宿は避難所となった。結果、そこは集裕の避雌所となったことに加え、応援自治体 の前線基地の役目も果たすことになる。そして、少し落ち着いてきた8月ごろから、 一般客も受 け入れ始めた。今では、避難していた人が民宿の手伝いをしている。 インターネッ トにあった統計(啓察庁の発表資料などを基に作成したもの)によると、遊説H~所 生活者は、震災発生の二日後 (3月13日)をピークに、その後は減少していく(グラフ 1) 10)。 一方で、避難所は五日目 (3月16日)を境に怠憎した (グラフ 2)11)。私が出会った避難所生前 を経験した人々の多くは1
2
、3
EIでIJ~IたJ という人たちであった。 それは、家が何とか残った 人であったり、無事だ‘った近所の人の家に111:訴になったり、あるいは、親戚の家に世話になった 人であった。 一方、避難所に残る人は、家が全域状態になった人で・あったり、孤独な人であったりするので ある。被災した人たちが、震災からいかに自立をするのかが、震災復興の一つ阿のハードルであ ることは、間違いない。そのハー ドルが越えられないがゆえに、イライラが募り、 暴力的になり、 結果、多賀城市の Iさんが経験したような事態となるのだろう。 -82-グラフ2避雄所の1ft移グラフ ( 【避難所の推移】東日本大震災、阪神・淡路大震災及び中越地震の比較について
│
(箇所) 3.0∞ 5∞
- 同 -(主因).目窓大.1I1(叩1113111)・
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(3臥 岩手・宮騒・市.11) '目ヨ広大.貫目。11/3/1リ ・唱問中舗匂・0叫附On3) ・・ー阪怜 揖 崎 "・現(1,QS/l/1η 2.5∞
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東京電力桐島
第一
原発
事
故をめぐって
稲山県の災特対策本計1$は、県庁舎の大きな脅1$尿にi
泣かれており、東日本大震災による原発被害 以外の地主i
被持、津波被告-にも対応している (図l、与真2) (2)。地震とi
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波の被害に加えて、 原発事故の対応にも追われる稲山県の職員の方にインタビューを行った。 2-1.福島県災害対策本部原子力班Mさん、 Sさん .災害対策本部の体ililj 一福島県災害対策本部の休ililjについて M:県災特対策本部というのがありまして、原子力だけじゃなく、津波の被害とか、全般的 に災害を対応する木部というのがあり、その1-1-1に災害対策本部原子力班という班があり まして、その中で (中略)総合調控チームというところで、全般のとりまとめを担当し ている。胤子力却の"
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では、その中に、モニタリング班、あと、ロードマップ、それか ら環境回復というのがある。モニタ リング班は放射線測定。ロードマップは、プラン トイン9ビューを行った部屋 ですね。東京電力発電所の回復 状況とかを、東京電力の職員が 会議室 │ 会 議 室 │ 会議室 常駐してますので、すぐ横の、 常に、
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改新の状況の提供を受け ながら、発電所の各状況、長期 的に東京電力 が 示 し て い る、 記者の待後II ロードマップ等通りに進んでい るかを雌認しています。事業者 から全ての'i)Ij報提供を受けて進J
歩を確認するていうところです 災害対策本節の部屋 ので、ま、東屯対応班みたいな 1~ll 災 害対策 本 部 フ ロ ア 凶 もんですね。環境回復は、名前 の;
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り、除洗とか、そういうと ころですね。 整理すると、原子力班の中には、以下 の問つのグループがあることになる。 ① 総合訓蛙チーム :l¥I[さんとSさん が所属。全体の取りまとめをする。 ② モニタリングチーム :放射線測定 を行う。 ③ ロードマップチーム '原発プラン : 与:
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2 稲山県庁内記者会見場 卜の回復状況を、東電J[tt員ととも に雌認する。東電対応J
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のイメージ。 ④ 部坑回復チーム ・除染などの作業を行う。 一災特対策本音15原子力班のスタッフってどんな人たちなのか M 元々は「原子力安全対策課J
というのがあるんですよ。そこは、技術系と事務系がいて、 事務系は、たまたま、異動する人が・田ー・・普通の役所です。技術系は原子力専門の人間と か、環J克系の人間とかが入って構成されておりましてー l¥I[:ほとんどが原子力対策課なんですけど、それだけじゃ人が足りないので、かつて原子力 の経験をした人間とかですね、そういう人1111を集めている。あと、他県から応援に来て いただいている方とかも入っていただいてますし、他の謀になる、山林水産課とか、そ ういう所からも人を出してもらってます。県J[i訟の08
とか、呼び戻して働かせてます。 一人事はどんな仕組みで行:われるのか。人事異動は希望等をするものなのか?-
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ーS:
人事異動っていうのはですね、希望を書くところはあるんですけど、それが採用される かどうかは……。普通の人事異動の中で、技術系だろうが、事務系だろうが、職員の調 書みたいなのがあり、そういうところに、希望する部署とか、どういう業務を希望する かというようなころを書く欄は、当然ありまして、技術でも人事交流みたいなことをや っている部分もありますし、そういった中で、技術の方は、こういう分野というのがあ る程度決まっているんでしょう。 M:もしくは、環境系ですんで、公害とかも担当するんですけど、異動する中で、原子力に 配分される可能性もあると。 福島県に限っては、原子力関係も通常の人事異動が行われている。 一応援自治体との関係について M:原発立地自治体の方は、原発協13)というほうで、応援していただいてますし、あと、協 知事会のほうでも、おそらく、その、派遣の要請の依頼を出してますし、はい、もう、 あの、昔は、派遣という形でお願いしてたんですが、今は、もうあの、なんていうんで すかね、兼務?S:
ま、福島県職員の身分も持って、という形で…・・。 M:一応、お給料は、うちから出る形で……。で、もう何人か人間を送ってもらってるんで すね。ま、3
カ月とか、半年とか、その県によって、パターンはあるみたいですけど.
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0 応援自治体との関係は比較的良好である様子。また、原発協と呼ばれる組織が活動している事 がわかる。 .原子力災害に対する備え ]CO事故14)を受けて、原子力災害への備えが整備された。不幸にしてその整備した結果が問 われる事態となってしまった。どこまで有効に機能したのかを聞いた。 一原子力対策は有効に機能したのか M:もともと法律で、災害起きたときも、災害対策基本法の中、原子力災害対策特別措置法 っていうのができました。それを受けて、県として、地域防災計画を立てて、 EPZっ ていう所が原子力安全委員会の指針で示されていますので、その中での防災対策を、今 までのそれに基づいて、対策を立てておりますし、訓練もそれに基づいて、訓練してる。 そういう訓練をしているというようなところになりますので、こういう実際にことが起 こったときに、この基本に沿って動くという対応はできたと思います。もし訓練、こういう決まり事か、訓練がなかったら、もう、本当に何をしていいのか、誰がどういう役 割をしていいのかさえ、わからないし、もう、右往左往する状態だ‘ったんじゃないかと 思います。 一有効ではなった点は? M:役に立たなかったという意味でいうと、今回の事象が、まず、複合災害であったこと。 原子力の災害対策を想定するにあたって、他の災害を原因としたものでなくて、原子力 発電所の不具合が原因で起きたトラプルに対して、対応するというシナリオになってた んで……。たとえば、複合災害、今回のケースですと、津波であるとか、地震であると か、停電とかありましたし、その停電等に伴って、通信設備なんかの損壊もありました から、想定していた通信手段は、ほとんどがなくなってしまった。 -想定外の事態① 通信手段がなくなる よく、「想定外
J
という言葉がキーワードとなったが、何が想定外だ、ったのかを聞いた。ひと つは「通信機能が失われたJ。もうひとつは、fEPZ1
0
キロ」である。 一通信手段が機能しなかったとは、どういう事態が生じたのか? M:原子力発電所が止まるという事象は、津波が原因であろうがなかろうが、関係ないんで すけど、その事故への対応にあたって、いろんな決め事があります。その中の通信手段 カまほとんど使えなかった。 一有線でなく、無線も使えなかったのか? M:無線機は使えなかったですね。無線機といっても、行政無線……、県内全域を網羅する 無線機というとですね、衛星系の無線は使えたんですね。でも、それも、それぞれの施 設によっては、線が断線していたり、電気が来ていなくて動かなかったりと……。 -福島県庁とか、福島市役所とかで無線が使えなかったということか? M:市役所は把握してないですね。少なくとも県は、県防は……生きてはいたんだけど、県 の防災無線ですかね、衛星系は生きていたんですが、肝心の大熊の防災施設、原子力発 電所のすぐそばに、県の施設があったんですけど、そことうまく(連絡)とれなかった んですね。こちらからの呼び出しに、むこうは答えられるけど、むこうからこっちを呼 び出しても、こっちからは呼び出せないという。S:
だ‘ったですね。あと、電話一切使えませんから、他の通信手段ですね、衛星携帯電話に 限られてしまったo 一衛星携帯電話は何台あったか? M:現地に2台、こちら(県庁)にも、 2台か3台くらいですね。もう本当、話すだけとい うか、あの、いろんな所が、いろんな所に連絡したいんですけど、順番待ちで、大変だ ったでしょうかね。 p o o o一衛星電話というのは、「原子力用に 1台
J
とかじゃなくて、県全体で2台、 3台なんですか? M:そうですよ。 一例えば、津波でどうなったとか、そういう情報も衛星携帯で?S:
ちょっと当時いなかったので、わからないですけど(当時S
さんは、災害対策本部(同 じ部屋)の広報班にいた)、基本的には、衛星携帯については、東京電力との連絡に、 2台使っていたと、発信用と着信用で使っていたというように……。 M:オフサイトセンターとのやりとりは、それでしてなかったと。S:
オフサイトとはやりとりできてないです。はいo M:あと、もう一個使って、国と共同連絡取ったりというようなに使っていた。オフサイト は、とにかく電源がおちたりとか、復旧したりとかっていうようなことがあったので、 ほとんど連絡が取れていない状況です。 一「東京電力用に 2台J
とは、大熊の県施設か、東京電力第一原発か? M:東京電力の事務所ですね。第一原発の事務所との連絡用に・ -想定外の事態② fEPZ 10キロ」 一避難者の置かれた状況 M: EPZ 10キロにしてましたけど、実際には範囲が広かったものですから、それに対して の、それ以上(10キロ以上)の範囲に対しての影響ですね、評価とか、対応の遅れが出 ましたね。住民を避難させるという話も、あくまで10キロ圏内という、想定しかしてま せんでしたから。 S : f10キロ全域避難jということ自体は、訓練で想定しているわけではなくて、 10キロ圏 内の中で、例えば、発電所から2キロとか3キロのところから 10キロ圏内のところに逃 げていくという想定があって、 10キロから外に出るということは、想定上ではないんで すよね。 M:なかったですよね。前提が崩れた感じですね。初めから。それとは日Ijに、何かしらの自 然災害とか起きたときに、避難所に指定されるようなところ、だから、原子力災害じゃ なくて、自然災害の取り扱いみたいな感じで避難者の受け入れが始まったというような 感じですよね。近いところから、うまっていったという感じですかね。 .原発事故対応の情報共有について 一災害対策本部での情報共有は、どのように行われたのか?S:
私は別の班だ、ったので、何ともいえないですけど。メモ書きをコピーしたものを、「ナ ニナニ班からなになに班へJ
みたいなことを書いて共有を図ったというような事はやっ たと思うんですけど、いつ頃から行われたかは、判然としないですね。 M:災害対策本部の中に、情報収集班っていうのがあるんですけど、本当は、原子力災害ではなくて、自然災害のときに立ち上がるんですね、その対応として、一応、被害状況の 集計つてのがあって、こういう形での受付は行われていたようではあるんですが……、 ま、ちょっとさかのぼってみてみるとね……、避難者の数ぐらいは書いてありました。 プラントの件については、原子力班が、東京からの通報を受けて、それは保管してあり ます。今、おっしゃったような、その、細かいことですよね、逐一全部記録されている ようになっているかっていうと、ちょっとわからないですね。
S:
どうしても重要なことは、拡声機で「なになにがいつ始まるJ
とか、「こういう状況だJ とかっていうのをやっていたのは覚えてます。全体に知らせるのに、ズッーと、人が一 杯居て、雑踏にいるような感じの状況だったので、もう伝達できないんですよね。例え ば、「これから会議始めるぞj とか、「こういうことがあったぞ」なんていうことで、ど うしても伝えなきゃいけないことは、拡声機使って「こういう風になってるjとか、 「こういう状況だ」とか、あと、「なになにについて、わかってる班は報告しろJ
とかつ て言うような事は記憶してるんで……。当然その会議を開くのも定時でやってたわけで はなくて、その都度だったり……、緊急、緊急でやってたので、「今から始まるから集 まれJ
とか、「各班集まれJ
とか、「こういうのについて報告しろJ
とかですね。 ここでも、ウェーバーの官僚制が崩壊する様がよくわかる。非常事態においては、官僚制が機 能しないということを念頭に対策を考える必要があるように思えるo -福島県について 一原発事故以降、何か変わったことは。 M:r
何が変わったJ
……「全てが変わったJ
って……(苦笑い)……「変わってない」の はなんでしょう……。みんな変わりましたよ。ま、受け取り方は色々ありますけど、前 とおりには行かないですね……。どこでも同じです……。その場所、その場所で、その 場所なりの受け止め方がありますし、同じ地域に住んででも、人によって受け止め方が 色々ですし……。 一住民の意識調査なとeを県は行っているのか? M:あの、うちら、本部の電話番号を公開してますから、どんどん電話かかってきますから。 (かかってくる電話の内容は、)ま、機々ですね、今の対応に対する不満もあれば、要望。 結局、放射性物質による影響って、色々いわれたけど、これまでなじみのないものだか ら、分かりづらい、インターネットをみてもよくわからない。そういう方が、影響、ど ういう影響があるのかとか、こういうことはしても大丈夫か。とか、そういう質問です よねo ーどんな応対をされているのか? M:受ける電話で可能であれば、その人聞が受け答えしますし、専門的なことになると、そ ∞ ∞の担当部署に回してやってます。例えば、除洗の話になれば、環境回復の班にまわしま すし、放射線の事であれば、モニタリング班であったり、うちが受けたり……広報班と かが受けることもありますし、統括班が受けるときもあります。それとは別に、一時、 放射線対応の窓口をいうのを開設して、専門の人間を何人かおいて、専門に対応させる ということをやってました。えーっと、そこが、しばらくしてから、結局、県にしかそ ういう窓口がなかったので、国に苦情がいったんですかね、よくわかんないけど… 国の方が予算もったからって、国がそういう窓口を開設するっていうことで、委託?予 算確保して、外部に外注出して、その相談窓口を開設したという話になったんで、固と 県で二重はいらないでしょうねっていう事で、県は、相談窓口縮小して、そちらの…… 困が開設した窓口の方に、受付を移行したという形になってます。 一県が運営していたときは、どんな人が対応していたのか M:ま、ちょっと、お手伝いを派遣していただいてましたけど、あの、原子力開発機構の方 にも、ちょっとお手伝いしていただいてましたが、基本、県の職員……県の職員もやっ てました……、直営ですね。 ーなんでそんなに県に電話がかかってくるの
S:
災害対策本部のホームページ上に電話喬号が載ってますし、新聞情報にも載ったんです ね。 M:放射線の測定結果とか、テレビのデジタル放送なんかでどんどん流れて普通にその災害 対策本部の電話番号も公開されてますし、はい……。他のところで、相手してくんない から、結局県にかけてきたっていう……、国に電話かけても、まず電話番号わからない。 電話がたまたまかかっても反応がない。聞いた話によると、もうあの、オフサイトセン ターなんかは、受話器上げっぱなしだ‘ったらしい話聞きましたし、公開してる電話は …要するに、最後は、結局、うちだけしかないんですね。. M
さんとS
さんの健康状態 一健康状態について M:私らは……問題ない。 6月に人事異動をして、本来は4月の頭にされるべき人事異動し て、それを機に災害対策本部も入れ替えたんですけど。それで、 6月まで結構詰めてい て、煮詰まっていた人たち解放されたって話はあったんじゃないかな。聞くところによ ると、 6月以降は、ずいぶん前よりは、楽になってですね……。S:
ある程度落ち着いてきたというのもありますし、当初のそういう状態に比べれば…・・、 状況は変わんないですけどね。メンタル的にどうなのかっていうのは……。 M:私ではないですけど 6月異動してきて、初めの頃、ちょっと、心の病じゃないですけど、 休みがちになった人もいたし…・・。「福島第一原発事故
J
、世界中が岡唾を飲んで見守っている。2
-
2
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原発自治体の祭礼関係者の方 ある原発自治体で、地元の祭りの運営に関わる祭礼関係者のインタビューに立ち会う機会を得 た。インタビューは別のテーマで行われた事、このインタビューは、私が行ったわけではない事 を、ご理解していただいたうえで記述する。お話をうかがった時期は、 6月(震災 3ヶ月日)で ある。 一(祭りの予算の工面について、)商工会議所も、J
C
15)も、ちょっと元気ない状況で(自治体) からの補助金つてのは、もう補助金頼みみたいな…。 そういうことですね。だから、こうやって予算報告観ると、もう(自治体)の予算だけが 頼りなんですわ。(祭礼関係者) ーそれが潤沢に出てくるというのも、その原発とか、そっち関係があるからと言うことになるし、 で、そう考えると、今回のあの震災で、国の原発政策がどうなるかということ,;:t...?
(自治体)は、恐らくはやるでしょう。もう一、いまさら手は引かれんて言うてますから ねー。だから、他のは止めても良いよと。だから、基準さえもっときっちりやってしまえば。 そうして、原発全部止めてしまうと、(原発増設)せなあかんのに、この2
0
年、3
0
年後つて のは、全くね、他の経済まで落ち込んでしまうんで、それは出来ないし・・・。だから、つなぎ としては、やっぱし(原発増設)はやるんじゃないのんなとは…。で、あのー、この間も、 (自治体幹部)が言うのは、r
r
何や一、お前らJって言うやろうけど、頼むわ一、もう協力 してくれやーJとは言ってました。というのは、もうこんなんして、いま、全部やめて、ご 破算にはできんし、ましてや、もう、(原発A)もあんな状態では、(原発A)は、もう駄目 でしょうし、そして、いまの(原発B)も廃炉にいま準備やっとるときゃし、もう一基も、 いま止めてしまうと、んじゃ、(原発C)、(原発D)止めてしまうと、もう、何もなくなり ますから…。だから、今度は、また、その、地震対策なんかで、いま見とるやつより、もっ と上にせなあかんから、見直しはするでしょうけど、基礎工事は、聞く所によると、8
から9
まであげると、3
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倍くらいかかるらしいですね。金、そう、全部で3
0
倍ではないんで、基 礎工事でしょうけど。 だから、あの、この間みたいに、その、「急に止めりやJ
と菅さん言うっていうのは、あ れはかわいそうですわ。やっぱし、自分ところで、順番に廃炉にする段取り組んでるんやか ら…。電気代値上げせないかんわけですから、だから、やっぱし、あんまりあれも、あの、 将来的には考えてよと言うのでは、あれで良いけど…。「何で浜岡だけなんやJというのは やっぱし僕らも思いました。だから、順番に…、一年ずつで止めてってくれやというのであ れば、みんな日本中文句言わんねんやろうけど、なんで、中電だけなんやと…。(祭礼関係 者)-90
一2
-
3
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被災した原発自治体の住民S
さん 福島県以外で被災地となった原発自治体にお住まいで、津波で被災されたS
さんとの話である。 -福島のこと、どう思われました? あーっ、一番かわいそうなのは、福島。私としては、おそらく、部落で、うまいこと図で いうかもしれないけつども、おそらく、5
年、1
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年っていう、長い月日でないと帰ってこれ ない。下手すれば、2
0
年、ずっとかかるんじゃないかなって、本当は、そう思ってるよ。う ん、ちょっとや、そっとで帰れない。だから、私の年代の人たちだ‘ったら、死ななきゃ来ら れねんだよな。だから、一番かわいそうなのは、福島だ‘っちゃ。だ、って、家が流されて、何 が流されて、頑張れば復興って、今、みんなが言ってる復興って、言う事が出来んさ。福島、 復興なんでできねえよ。ねーっ。 -そういうような事を言うと、怒られるようですけど。 だから、私、みんなして言うよ。「あのさ、5
年、1
0
年、でないよね。うーん、2
0
年ぐら いかかるんでねえか。下手したらな j とかつて、みんなで言ってるもんo うん。多くの人た ちだって言ってるよ。「そんなにかかっぺなJ
って。んで、あの、福島の人たちなんかとま って、仕事さ来てたったから、その人たちも、「おら、仕事やめたjって言ってたもんo 「え一、なんで」って、i
4
号機まで入ったらぱ、永い目で見たらば、大変なことになるから、 道路工事の仕事さ着いたJ
って、みんなそう言ってるもん。だから、福島の人が危ないんだ もの、働いてる人たちが、そういうんだものoあの、放射数計だ、かつて、たながせられて、 やってつけども、永い月日では危ないなってoだから言うの。やめたって。ゆってるもの、 みんな。あの、ちょっとや、そっとで、帰れる話でない。永い月日の話だなって、みんな思 うものね。 ー今回は、大丈夫だったという話にはならないんですか? (その人の住む原発自治体)もああなってたら、もう……全滅だ、ベね。ただ、運良く、最 初からかさ上げをして、最初からあったっていうのと、そっから、あと、もし、万が一って 言うので、また、こっから、かさ上げするって言うのは、いってるから、ま、大丈夫だろう なって……。 この人たちだけをして、「原発と日本人J
を考えることはできない。しかし、これが、フクシ マ後の原発自治体に住む人々の姿である。 お話を伺うにあたり、前日から福島市内のホテルに入った。その際、ホテルで働く方の中に、 原発事故にともない避難されてきた方がいたようで、お話をお伺いしたいと交渉したが、「特に 話せることがないj とお話を伺えなかったo また、同行のカメラマンも、ホテルの近くの飲み屋 でお話を伺おうと挑戦したが、「フレンドリーな親父J
が原発の話を振ると、言葉を濁したし、 車を止めていた駐車場の管理人も、我々の目的が旅行ではなく、調査であると知ると、とたんに口を閉ざした。当然ながら、福島の方は原発事故と向き合っているo一方で、多くの人は、福島 に対してどう接すればいいのかを相当悩んでいると感じた。 それは、原子力発電という日本の明るい未来を約束していたと信じて疑わなかったものが、崩 壊した。あるいは、どこかで抱いていた不安が現実のものになった。福島の人々だけでなく、日 本人全員が「節電の夏
J
という形で考えさせられた。しかし、ここでも厄介な事に「経験の格 差Jが生じた。考えようによっては、東日本大震災における経験の格差の象徴であるのかもしれ ない。というのは、福島と日本の分断が生じたのではないかと私は考えている。我々は、東京な どではホットスポットという問題はあるにせよ、私が住む関西では所詮は「節電」程度の問題な のである。福島の人々にとって「放射能の影響J
は、生活に一部になっているのであるo それが、 「特に話せることがないj という言葉であり、原発事故に対して口を閉ざすという行動に現れて いると感じた。 この原発事故の意味を、日本人は考えることを迫られる。「安全性を重視し、工夫することで、 原発と手を握り、第二のフクシマを出すかもしれない道J
を選ぶのか、「電力不足に対応するこ とも覚悟の上で、原発に手を振り、確実に第二のフクシマを出さない道J
を選ぶのかを突きつけ られている。おわりに
今回の研究ノートによって見えてきたことは、「災害時の情報共有がいかに重要かつ困難かJ
ということ、もうひとつは「災害の対策にやりすぎは決してないが、限界が必ずあるJ
ことであ る。 Iさんが経験した悲劇的な状況に対する備えは、平時にある程度の計画は立てられなかったの か。この事は、 Kさんの「マニュアル未整備」証言から、対策が立てられない、そもそも、立て ていないという状況があることわかり、そして、福島県原子力班の「マニュアルがなければ何し ていいかわからなかったJ
証言から、マニュアルの重要性もわかるo ただし、福島ではマニュア ルの想定をはるかに超える事態が生じている。マニュアル以上の事が起きた時の対策もまた問題 となったといえるo この点が、災害対策のネックになることは間違いない。 さらにいえば、日本人がそもそも、災害と向き合ってきたのかということも疑問である。 1さ んの「阪神大震災で役に立ったというボランティアほと'迷惑だったJ
証言から、私は日本人にと って、災害とは阪神大震災しかなかったのであろうか。ここ1
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年で、大地震は何度も起きていた。 毎年台風だって来る。地震直前には火山の噴火も起きていた。にもかかわらず、阪神大震災以外 の経験が生きていたとは、 Iさんの証言からは見えてこない。 被災地からの報道では、「英雄謬J、「武勇伝J、「震災のいい話Jしか聞こえてこない。被災地 からの情報を受け取る身も、そのような話題しか求めないという態度を続ける限り、次の災害で はまた同じ悲劇を生み出すことになろう。 内 4 0 3今回の調査で得たデータの使途として、「日本人の災害観の研究jに生かせるのではないかと 考えている。 {注】 1)気象庁ホームページhttp://www.seisvo.klishou.go.jp/eq/shindo_db/db_map/201103/11より (文字の書き込みは複本)
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)
小学館f
平成大合併日本新地図付録jより 3)関西広域連合では、岩手県を大阪府と和歌山県が支援し、宮城県を兵庫県・鳥取県・徳島県 が支援し、福島県を京都府と滋賀県が支援している。(関西広域連合ホームページ:http: //kouiki・kansa.ijp/contents.php?id=219より) 4) 榎本は、滋賀県に確.認はとっていなし、 5)沖縄県の名物缶詰。ハムのようなものo 6) 1さん提供。これをワープロでイ乍ったパージョンもある。 7) 1さん提供。 1さんにとって、震災後の激務の良くも悪くも思い出との事。震災情報等も含 めて束にしたもので、避難所マニュアルはこの束の一部を構成している。撮影:和田良直 8) 災害発生後すぐの避難所を「一次避難所J(1さんが運営した公的な避難所が大半)という。 一次避難所から仮設住宅などに移るまでの長期的な避難生活をする場を「二次避難所J
とい ワ。 9)宮城県から、山形県への避難所設置の要請の文章に「ライフラインの確保J
が条件としてあ げられている。 (http://www.pref.yamagata.jp/ou/seikatsukankyo/020072/shinsai・kaigisiryo/ shichoson/20110516/shiryou03-
0
7・02.pdfより) 10) http://www.cao.go.jp/shien/l-hisaisha/pdf/5・hikaku.pdfより 11) http://www.cao.go.jp/shien/l・hisaisha/pdf/5・hikaku.pdfより 12)図1は詳細と出所は省略。写真lは和田良直撮影。 13)i
近年の原子力科学の発達は誠に目覚しいものである。特に世界的エネルギー源の将来を展 望して日本産業界の電力需要から、原子力発電所の建設が急ピッチで進められ、又全国各地 に建設計画が決定せられつつある実情であります。すでに、原子力平和利用の法的規制や安 全審査ならびに原子力賠償法が制定されておりますが、法のみによって規制し、あるいは企 業の技術開発のみをたのみとして安じては万全を期し得ないものと思われます。いうまでも なく原子力施設の安全対策は図の責任において積極的施策と実施がなされるべきものであり、 各市町村それぞれの立場で原子力発電所地域の開発と安全対策を図ることは到底十分に望み 得ないところであります。 従ってこの際相共通する各市町村が強く結束して全国的視野に立って調査研究を行うとと もに原子力発電所地滑の幾多の問題を十分国の施策に反映させ、同施設地帯の整備開発と安 全性確保の諸施策を推進することは何ものにも優る緊急事であると考えるものでありまして、このためここに関係市町村長ならびに議長が本会を組織し、政府に対し有効、適切な施策を 強く要請するために設立するものであります。 昭和43年6月5日 全国原子力発電所所在 市 町 村 協 議 会 設 立 発 起 人 一 同 ( 原 発 協 ( 全 国 原 子 力 発 電 所 所 在 市 町 村 協 議 会 ) サ イ ト http://www.zengenkyo.org/