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19世紀視覚メディアの温故知新―メディア技術がもたらした知覚の発見とその可能性―

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Academic year: 2021

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DOI: http://doi.org/10.14947/psychono.37.7

19世紀 視覚メディアの温故知新

―メディア技術がもたらした知覚の発見とその可能性―

茅 原 拓 朗

宮城大学

Discovery of “perception” prepared by 19 century’

s visual media technology

Takuro Kayahara

Miyagi University

The first animation movie apparatus, the phenakistoscope, which displayed apparent motion, was invented and named by J. Plateau in 1832. While this apparatus has been treated merely as an amusing toy in the history of psy-chology, it was, in fact, the first device that brought about a modern perceptual experience through purely bodily (brain) processes. This article describes the innovation process of the phenakistoscope, which was developed through scientific research based on the concept of stroboscopic vision, to reveal its historical distinction as the first scientific apparatus that not only demonstrated apparent motion but also introduced the modern experience of “perception” itself as a scientific objective. This paper will also discuss the relations between perception and media technology, including virtual reality, and the special role and potential of science outreach workshops in promoting the science of perception.

Keywords: perception, media technology, Phenakistiscope, history

1. は じ め に 1910年,Wertheimer, M.がその後仮現運動と呼ばれる ことになる運動視研究の着想を得た時,休暇先に向かう 列車をわざわざ途中下車し,19世紀に発明された当時 は〈フェナキスティ・スコープ(Phenakistiscope)〉と命 名されていたある“玩具”を買い求めて,そのままホテ ルの一室で最適な運動感を引き起こす条件の検討を始め たことは心理学史の中でもよく知られたエピソードであ る(上村,1994; 吉村,2006)。 ゲシュタルト心理学という学派の誕生の瞬間として も,また,運動視研究としてはもちろん,現代と地続き の知覚研究の幕開けの瞬間としても位置づけられてきた このエピソードには,だが,不思議なところが一つあ る。それは,その時点ですでにアニメーションを体験す る装置が存在し,しかも,(それがドイツのフランクフ ルトという大都市でではあったにせよ)急遽思い立って 途中下車をした先でも手に入るようなごくありふれた “玩具”として普及していたことである。 言うまでもなく,アニメーションは要素となる静止画 を一定の時間で次々に提示することで体験できる。つま りまさに仮現運動がその主要な原理となっているのであ り,その時点ですでにアニメーション体験を可能にする 装置が存在していたということは,その段階では仮現運 動についても少なくとも装置として実装できる程度には 現象なり原理の理解が進んでいたと考えるのが自然であ ろう。では,Wertheimerの発見とはなんだったのか? そこでまず本稿では,Wertheimerによる仮現運動の 「発見」からさらに遡り,19世紀に発明され〈フェナキ スティスコープ〉と名付けられた人類初のアニメーショ ン装置の成立過程を改めて紐解いていく。原初の動画体 験に向かうことで,改めて Wertheimerの功績を明らか にすることができるだろう。 さらに,そのことから期待できるのは,〈フェナキス ティスコープ〉が成立した時点まで遡って,その前後を 比較することで,運動視のみならず知覚体験が科学の対 象として分離独立していった過程を理解し,さらにはそ のことから特にメディアとの関係から見た知覚の本性に Copyright 2018. The Japanese Psychonomic Society. All rights reserved. Corresponding address: School of Project Design, Miyagi

University, 1–1 Gakuen, Taiwa-cho Kurokawa-gun, Miyagi 981–3298, Japan. E-mail: kayahara@myu.ac.jp

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ついての洞察が得られることである。 というのもこの〈フェナキスティスコープ〉による体 験は,刺激の物理的配置とそこから得られる視覚が一致 せず,身体(脳)のプロセスが不可欠の条件となってい る点で,現在私たちが科学の対象としている知覚体験と 全く同型のものだからである。 言うまでもなく,知覚体験は古来,純粋な物理的プロ セス(視覚で言えば光学プロセス)と同一視されるか, そうでなければ超越的あるいは神秘的な作用として理解 されてきたのであり,だから,〈フェナキスティスコー プ〉の成立過程をたどることが,遅くともそれ以降は現 代的な知覚体験が存在したことを示す指標になるはずな のである。 もし,フェナキスティスコープ以前をさらに遡って も,そのようなものが見当たらないのであれば,まさに フェナキスティスコープが運動視のみならず,現在につ ながる「知覚」そのものの幕を開けたとも言えることに なるのだ。 このように本稿では,〈フェナキスティスコープ〉の 以前・以後を比較することで,知覚とメディア技術との 単なる道具を超えた関係,さらには知覚の科学における 科学的アウトリーチの独特の位置づけについて論じるこ とも併せて試みる。 2. 世界初のアニメーション装置の発明と展開 最初に,人類に初めてアニメーションを体験させた “玩具”がどんなものであったかを改めて振り返ってお こう。〈フェナキスティスコープ〉と名付けられたその 玩具はFigure 1に見られるとおり,円盤が手で回転させ られるようにその中心軸が柄にとりつけられてある,ご く単純な構造をしている。その円盤には中心から放射状 に空けられたスリットが円周方向に8∼12本程度設けら れており,円盤の片面にはスリットの数と同数のアニ メーションの1コマ1コマとなる絵が描かれている。 この絵をアニメーションとして動かすためには,この 円盤の絵が描かれている側を鏡に向け,手で円盤を回転 させながらスリット越しに鏡に写った絵を見ればよい。 この〈フェナキスティスコープ〉については,ベル ギーの科学者 Plateau, J.が1832年に発明した装置である ことがはっきりわかっている(Sadoul, 1948 村山・出口 訳1992)。〈フェナキスティスコープ〉という名称もPla-teauによって与えられたものであるが「フェナキスティ」 とはギリシア語起源で「騙す,欺く」という意味であり, 後に述べるまさに玩具としての流行と相まって,この命 名の不適切さが,知覚の科学の展開史においてこの装置 の位置づけをややこしいものにしてしまっている。 〈フェナキスティスコープ〉がストロボスコープの一 種であることは視知覚研究者であれば誰もが指摘できる ところだと思うが,実際,〈フェナキスティスコープ〉 はストロボスコープ研究の延長上に発明される。ストロ ボスコープ研究の嚆矢となったのは,イギリスのRoget (1825)による,隙間のあいた柵越しに向こうを通過す る馬車の車輪を眺めるとその輻(や)が静止して見える 現象の発見である。Rogetはその後,スリットを設けた 動くベルトで柵を,輻のように扇形に穴の空いた回転す る円盤によって車輪を模擬することで,実験室内でもこ の現象を再現することに成功している。 Rogetの発見をきっかけにしてWheatstone, C.による瞬 間的な電気スパークを用いたものや,Faraday, M.による いわゆる〈ファラデーの輪〉など,ストロボスコープの 様々なヴァリエーションが生み出されることになる。 ベルギーのPlateauもファラデーの輪に先立つ1828年 に(このときPlateauはまだRogetの研究を知らなかった ようである),回転する円盤のスリット越しに,逆方向 に回転する歯車を観察すると,それらがかなりのスピー ドで回転していても,歯車が静止して見えることを報告 している(Plateau, 1828)。 ここまで来れば,絵を動かすまでにはあと一歩となる わけだが,同時多発的に生じたストロボスコープ視の発 見や諸々の装置の発明の中から Plateauを一歩先んじさ せた着想なりきっかけがどんなものであったか正確なと ころは今では知る由もない。しかし,視覚の時間特性を Figure 1. Phenakisti-scope illustrated in Helmholtz

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利用してフリップする紙の両面に描かれた絵をオー ヴァーラップさせる玩具である〈ソーマトロープ〉の発 売が 1831年になるので,おそらくここからも着想を得 て(後述するように Plateauの主要な関心は残像に向け られていた),1832年,人類ではじめてのアニメーショ ン装置はPlateauによって実現されることになる。 ここまで見てきたように,〈フェナキスティスコープ〉 は,ストロボスコープ視の発見に端を発し,視覚的に体 験できる外界の運動を「静止させる」ことの裏返しとし て発想された,正統的に仮現運動実験装置と呼ぶことの できる装置なのである。 しかしだとすればなぜ,その後すぐに運動視研究が進 展しなかったのだろうか。それは端的に言えば運動視の 問題を問題として取り挙げ定式化するための諸々の前提 が整っていなかったためだし,また,結果として〈フェ ナキスティスコープ〉によるアニメーション体験を運動 視の本質を抽出した科学的現象と捉えることもできな かったためである。 このことを考える時,当時の科学者たちが注目してい た(というより夢中になっていた,と言ったほうがよい かもしれない)現象が,残像であったことを指摘してお くことは無駄ではないだろう。Plateauを含む多くの科 学者は,後述するようにいくつかのメディア体験や知覚 体験から,知覚がなにより我々自身の身体に起因するこ とに気づき始めてはいた。しかし,知覚体験における脳 の果たす役割はおろか「情報」という概念すらまだ整わ なかった当時には,知覚をもたらす身体の作用として唯 一同定可能であり,また諸々の現象の規定因としてなん とか扱うことができたのが残像現象だったのである。実 際,当時〈フェナキスティスコープ〉のアニメーション 体験は残像現象によって説明されていたのだし(残像の みによるアニメーション体験の説明は今でも一部で生き 残っている),少なくとも Plateauにとってストロボス コープは残像の諸々の特性を測定するための装置であっ た。 また,〈フェナキスティスコープ〉という装置の原理 を全く反映していない不適切な名称と,さらにこの装置 がすぐに同じ名称を持つ玩具として大流行してしまった ことも,この装置を運動視研究から遠ざけてしまったも う一つの理由となるだろう。以後,〈フェナキスティス コープ〉は映画という別の領域に属するプリミティブな 玩具として,本来の装置としての意義が忘れられていく ことになるのである。 3. 19世紀メディアによる知覚の発見 その後,〈フェナキスティスコープ〉は,1834年には 早くも複数人で鑑賞ができるように最初の大きな改良が 加えられ(〈ゾートロープ〉),また19世紀後半には幻灯 の技術と組み合わされてスクリーンへの投影が可能にな る(〈投影型プラクシノスコープ〉)など,私たちが現在 映画と呼ぶもの向けて着実に歩みながら,ヨーロッパを 中心にごくありきたりのエンタテイメントメディアとし て広範に普及することになる(森山,2006)。 こうして19世紀の人たちは,自分たちはそうと知ら ぬまま,外界と直接的には対応せず,主に身体内の作用 に起因するような,それまでになかった「知覚体験」を エンターテイメントとして享受していたのだが,まさ に,そのような〈身体がもたらす知覚体験〉あるいは 〈知覚体験の規定因としての身体〉という現在心理学が 扱っているような「知覚」のあり様こそが,〈フェナキ スティスコープ〉をはじめとする19世紀のメディア技 術がもたらしたより本質的な変革だったのであり,あり きたりな玩具のなかから発明された当時の装置としての 本質を見抜き,まさに科学的装置としてのスイッチを入 れ直したことこそが Wertheimerの大きな功績であった ことがここで改めて明らかになるのである。 19世紀に発明され発展したメディア技術の展開を丹 念にたどることで,それらの体験が現在の心理学につな がる身体に起因する知覚体験をもたらしたことを指摘す るClary (1990 遠藤訳 2005)は,そのような新しい知覚 のあり様は,2つのメディア装置,Plateauによる〈フェ ナキスティスコープ〉と,Wheatstoneによる〈ステレオ スコープ〉に如実に反映されているとし,またそれに対 し,17世紀の〈カメラ・オブスクーラ〉を,身体の寄 与をまったく考慮せず神学的あるいは純粋に光学的プロ セスとしてのみ理解されていた「古い知覚」の典型とし て対置させることで,19世紀の断絶がいかに大きなも のであったかが理解できるとしている。 実際,〈カメラ・オブスクーラ〉ではそのスクリーン に映った像は外界の純粋に光学的な反映そのものであ り,また,それ自体が観察可能なものとして共有できる のに対し,〈ステレオスコープ〉や〈フェナキスティス コープ〉では,知覚体験はもはや外界の物理的配置とは 全く異なる身体内部の作用の結果として生じており,か つ,その体験は各人の身体内部で起きていて共有するこ ともできないのである。 Claryはこれらのメディア装置を19世紀初頭の断絶を 明らかにするための指標として用いているが,特に 19

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世紀のメディア技術は単なる指標にとどまらないより本 質的な役割を果たしていることは改めて注意が必要であ る。これまで簡単に歴史を振り返ってみたように,19 世紀のメディア技術はあらかじめ問題として知覚が前景 化されていて,その上でそれを科学的に取り扱うための 装置として開発されたのではない。むしろ,それらのメ ディア技術によって私たちが現在研究対象としているよ うな知覚のあり様を包摂する新たな環境が立ち上がり, その後,そこから現代に通じる知覚の問題が発見され前 景化されるに至った,というのが実際に起こったことな のある。 もしメディア技術が対象となる現象を科学的に取り出 す単なる道具である以上に,むしろ現在私たちが研究対 象としているような知覚の“存立の条件”なのだとした ら,扱っている現象とメディア技術,そして,模擬され ている環境との関係は改めて問い直される必要が出てく るだろう。 4. メディア技術が広げる新たな「知覚」 我々は実験プログラムによって生成された実験刺激を 含むメディア体験を,自然的な知覚から特定のモダリ ティや属性・機能のみを取り出すためにその他のものを 捨象し,そのことでターゲットにする「現実」を実験的 に模擬したものと考えている。しかし,そのような体験 は(それらは確かに現実を織りなす要素の一つではある にせよ),どこまでいってもそのメディアの中でしか体 験できないものであり,実際,ここまで歴史を振り返っ て見てきたようにそのような分節された知覚のあり様自 体,メディア体験を通じて初めて出現したものなのであ る。 むろん,メディア技術を道具として,それによって知 覚の特性やメカニズムが理解できること自体を否定する ものではない。実際,なにより感性メディア化したPC によって実験刺激の精緻な生成・制御が可能になったこ とで,人間の知覚の特性やメカニズムの目覚ましい理解 が達成されてきたのである。しかし,これまでに見てき たような装置とその対象との特殊な関係性から,こと知 覚の科学においては,メディア技術を単なる実験装置と のみ捉えることによって,知覚の本質から目をそらせ, また,知覚の科学の可能性を削いでしまうことすら懸念 される。というのも,メディア技術や情報技術の進展に より,感性メディアは今や我々の知覚の生態学的な環境 にまで影響を及ぼし,またそのあり様を大きく変えよう としているからだ。 実際,バーチャルリアリティ(Virtual Reality: VR)を 始めとした新しいメディア技術とその遍在は,それらに よって模擬されるはずの現実自体を全く新しいものに変 更・拡張しつつある。それらがもたらしつつあるもの は,むしろそこからまた新たな知覚の問題が立ち上がる ような,まさに新しい知覚の生態学的環境とも呼ぶべき ものであろう。 つまり,メディア技術を駆使した(あるいはそれなし には成立し得ない)知覚の科学の範疇には本来的に〈知 覚の未来〉を考えることが含み持たれているとも言える のである。 その意味では,近年むしろメディア情報技術に関わる 理工学分野において,そのようなメディア技術が創り出 す新しい環境における知覚や認知の探求が志向されるよ うになってきているように思われるが(最近では例えば Matsumoto et al. (2016)など),心理学側の動きとして, 日本基礎心理学会「心の実験パッケージ開発委員会」で は,知覚とメディア技術の関係性を明確に意識しつつ, ワークショップという形での実験的フィールドワークと でもいうべき知覚研究の新たなアプローチを試みる活動 が行われている(池田他,2015; 池田・渡邊,2016)。高 大連携や初等教育における基礎心理学の理解浸透を目指 したアウトリーチ活動が実際的な目的ではあるが,その 際,先端的なメディア技術の研究者もメンバーに加え, そのことでパッケージされた知識の一方向的な伝達では なく,メディア技術によって設問や方法が拡張されつつ ある知覚のダイナミズム自体をアウトリーチの中心に据 えるような実践的活動が行われている。その点で,アウ トリーチ活動ではありながらそのためのワークショップ の場が研究フィールドとも捉えられており,実際,この 活動の中から新たな知見が報告されつつある(川瀬他, 2016)。 近年のメディア技術の進展と広範な普及についてはも ちろん,わざわざ本稿で指摘するまでもないことであ る。しかし,歴史を振り返って,当のメディア技術が登 場した19世紀に目を凝らすと,知覚なる問題系を準備 する状況そのものがメディア技術によって整えられ,ま たメディア技術を通じた体験の中でこそそれらが前景化 し得たことが見えてくる。今進行しているメディア技術 の進展が19世紀の単なる延長にあるものなのか,もっ と本質的な断絶を意味するのかはまだわからないが,し かしもし後者なのだとしたら,次に現れる“ウェルトハ イマー氏”のために,新たな「知覚」の状況が着々と用 意されつつあるということだけは言えるだろう。

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引用文献

Clary, J. (1990). Techniques of the observer: On Vision and

Mo-dernity in the 19th Century. Cambridge, MA: MIT Press.

(クレーリー,J. 遠藤知巳(訳)(2005).観察者の系 譜―視覚空間の変容とモダニティ 以文社) 池田まさみ・渡邊淳司・上田祥代・吉田成朗・茅原拓 朗・北崎充晃(2015).メディアワークショップ こ れからの知覚心理学教育を考える―小・中学生を対 象とした心理学実験ワークショップを通して― 基 礎心理学研究,34, 181–183. 池田まさみ・渡邊淳司(2016).基礎心理学とサイエン ス・アウトリーチ―心の実験パッケージ開発委員会 の活動を通して― 基礎心理学研究,35, 72–78. 川瀬佑司・吉田成朗・鳴海拓志・上田祥代・池田まさ

み・渡邊淳司・廣瀬通孝(2016). Mob Scene Filter: 顔 部位の形状・位置変形を利用した他人顔変換手法 

バーチャルリアリティ学会論文誌,21, 483–492.

Matsumoto, K., Ban, Y., Narumi, T., Yanase, Y., Tanikawa, T., & Hirose, M. (2016). Unlimited corridor. Paper presented at

the ACM SIGGRAPH 2016 Emerging Technologies on̶

SIGGRAPH ’16.

森山朋絵 (編) (2006).映像体験ミュージアム―イマ ジネーションの未来へ― 工作舎

Plateau, J. (1829). Dissertation sur quelque vproprietes des

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Roget, P. M. (1825). Explanation of an optical in the appear-ance of the spokes of a wheel seen through vertical aper-tures. Philosophical Transactions of the Royal Society, 115, 131–140.

Sadoul, G. (1948). Histoire Generale du cinema 1: L invention

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(サドゥール,G. 村山匡一郎・出口丈人(訳)(1992). 世界映画全史 (1) 諸機械の発明1832–1895プラトーか らリュミエールへ 国書刊行会) 上村保子 (1994).ゲシュタルト心理学梅本堯夫・大山  正 (編),心理学史への招待 (pp. 2013–2218) サイエ ンス社 吉村浩一 (2006).運動現象のタキソノミー―心理学 は“動き”をどう捉えてきたか― ナカニシヤ出版

参照

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