談話室-香川大学学術情報リポジトリ

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全文

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談 話

新任教官として

岡 内 弘 子 舎人皇子への献歌ユ首を取りあげてみた い。 この献歌のうち,「我妹子」とある③は, 男の立場に立つ歌と知られる。それに対し て②は,男女の別を明らかにする根拠を見 出せない。しかし,恋の歌の中で「たらち ねの母」を問題にするのはすべて女と見て よいという集中の状況を勘案すれば,女の 歌と解して誤まるまい。したがって,この 献歌二眉は,②が女,③が男の立場で作ら れた組歌と考えられる。しかも,女の歌の 「年の緒長く頼め過ぎむや」から男の歌「我 妹子が家のかな門に近づきにけり」への流 れには,恋の成就に至る物語を読み取るこ とができる。 そこで改めて注目されるのが,「右≡眉」 として,②③と一・括された①である。この 弓削皇子献歌と舎人皇子献歌との関係は, 明確でない。しかし,ともに「恋」を歌っ た献歌であり,①が「思ひも過呈宣恋の繁 きに」と結ばれているのに対して,②が「年 の緒長く頼め過ぎむや」と結ばれている点 ほ見逃せない。これによれは,問題の三首 は同じ場で披露された可能性が高く,その ために「右三首」として一・括されたと考え られる。同じ場で詠まれた歌が前の人の歌 の言葉を受けて展開する例は,集中に数多 く存在する。①が恋の激しさを訴える歌で あることと,②がそれをたしなめようとす 万葉集巻九「相聞」に,「右三首柿本朝臣 人麻呂之歌集出」として掲げられた三首の 歌がある。その三首とは,弓削皇子に献じ られた一首と,舎人皇子に献じられたこ首 である。 弓削皇子に献る歌一・首 神なびの 神依せ好に する杉の 思 ひも過ぎず 恋の繁きに(巻9,1773) 舎人皇子に献る歌二首 たらちねの 母の命の 言にあらば 年の緒長く 頼め過ぎむや(巻9,1774) 泊瀬川 夕波り釆て 我妹子が 家の ど かな門に 近づきにけり(巻9,1775) これらは,−㌧昆何の変哲もない「恋」の歌 に見える。だが,実のところ,そう簡単に 見過ごしてほならない歌である。 まず題詞に「献・…・歌」とある点が注目 される。集中の「献歌」と題される歌を調 査することによって,「献歌」とは,第一1こ, 皇子たちを中心に人麻呂の周辺で行われた 歌であること,第二に,「情そのものを歌に 託して送るというよりも…・歌そのものを 『作品』として奉る」(伊藤博『万葉集の表現と 方法』上)という性格が強いことが明らかに なる。 題詞をこのように押さえた上で,次に,

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味を論ず」)。 と述べている。子規や左千夫のこうした理 解は,現在もなお,世間−・般に広く信じら れ,通用している考え方であるように思わ れる。−・般教育の一科目として万葉集を撰 択した学生達は,万葉集を評して,単純・ 素朴・素直な歌の集まりであると言う。だ が,冒頭に示した三首の歌に限ってみても, こうした考え方に従っているだけでは,そ の本質を捉えることができない。万葉集中 比較的古い時代の作であるこの三首でさ え,「恋」を主題として作られた三首−1連の 「作品」である。「偶然」の作でも,「連作 などいふ考ほ竜頭持ってゐずに作った」作 でもなかろう。 万葉集にほ,四首とか八首とかで−・群を なす歌がほなはだ多い。また,七夕歌には, 牽牛・織女二届の逢会の次第に従って詠み 継ぐという法則が見られる。これらはすべ て,最近の研究の成果として学界に報告さ れたものである。万葉集は,決して,古色 蒼然たる歌集ではない。新しい視点から詳 細に歌を読むならば,これまで気付かな かった古代人の息遣いをまだまだ伝えてく れるに違いない。国文学を専攻する学生以 外にとっては,もう二度と紐解くことがな いかもしれぬ万葉集である。それだけに, −L般教育を担当する老として,万葉集のこ うした面白さを伝え.たいと思っている。 る女の歌であることとを比較すると,①は 男の歌と推定される。ゆえに,三首は,男 →女→男と詠み継がれた「恋」の組歌であ ると考えるべ習であろう。 当面の例以外にも,人麻呂歌集には,弓 削・舎人両皇子の関係の深さを示す歌が見 られ,天武天皇の皇子であるニ、人が,きわ めて親しい間柄にあり,同じ場で歌を楽し む機会の多かったことを推察させる。問題 の三首を一・連の歌とする推定は,この面か らも支持されよう。「右三召云々」と記され ただけの三首は,本来,三首で−・連をなす 「恋」の組歌であり,「恋」を題材として作 られ,人々に楽しまれた「作品」であった と考えられる。 「仰の如く近来和歌は−1句に振ひ不申候。 正直に申し候へば万葉以来実朝以翠−向に 振ひ不申侯」(「歌よみに与ふる書」)と述べ、万 葉集を高く評価した正岡子規は,万葉集の 歌に関して,「思ふ所感ずる所を直に歌とな したる老と思しく」(「文学漫竃」)と言う。そ の後,「趣向を以て組織した」連作を推賞し た,子規門下の伊藤左千夫ほ,万葉集に対 して, 川…予の知る所でほ万葉中に,タック 三首の連作(筆者注。巻3,446−448)が−・ つしかない,それとても無論偶然のも のである…‥作者英人は偶然にやった ので,連作などいふ考は奄頭持ってゐ ずに作ったからである(「再び歌之連作趣

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談 話 室 135

分子人類学者のDNAはチンパンジーから

由来したのか?

教育学部地学教室 仲 谷 英 夫

セットされたのは霊長類と有蹄類などが分 岐したと考えている(事実は違うのだが。) 白亜紀末の6500万年をあてています。そし てチンパンジーとヒトとの分岐年代が 250±40万年であるとし,400万年前にはす べてに現われているアウストラロピテクス をヒトの祖先からはずしています。これら アウストラロピテクスが直立二足歩行(ヒ トとアウストラロピテクスが共に持つ新し い形質で他の大型霊長顆にほない。)してい たことはヒトの祖先を示すものでほ.なく, ヒト以外でもおこりうる事(Parallelism 平行進化)だとしています。そして最後に, これら,アウストラロピテクスがチソパン ジー分岐後のヒトの祖先である可能性とし てFトとチンパンジーの祖先集団間での雑 種の形成によってチソパンジ・−の祖先のミ トコンドリアDNAがと十の祖先集団内 (たぶんアウストラPピテクスを差すと思 われる。)に広まったのではないかとしてい ます。 紹介に.時間がかかりましたがその間題点 を簡単に指摘してみましょう。 まず,化石の証拠は主観に左右されやす くDNAの塩基配列は客観的な証拠である という考えですが,後に「分子時計」のセッ (ニュー トン1985年4月号) 最近,DNAの塩基配例の置換をもとに した分子時計によって生物が分岐した年代 が推定されるようになってきましたが,こ れらの主張の中で,ヒトとチソパソジーと の間の雑種がヒトの祖先集団内で産まれ続 けていたのではないかという珍説*を論じ ているものがありました■ので,ここで少し その主張について検討してみ増す。 まず,この中でくり返し主張されている のは化石に残されている形質は生物の系統 を考え.る上で,各研究者の主観に左右され やすく証拠としては不十分で,「分子進化の 中立説」に基づいたDNAの塩期配列を調 べることこそが生物の分岐と迫伝的距離を 表わす最も信頼に足る証拠であるというこ とです。次にそのような分子レベルの証拠 により,ラマピテクスがヒトの先祖よりは ずされ,ヒトと大型霊長類の分岐年代をよ り古くしようとする化石人類学茎(Physi− CalAnthropologist又ほPaleoanthropo, logistのことを差すらしい。)もこのことを 認めざるを得なかったとしています。更に, DNA塩基配列の置換が一・定の速度で進行 することを利用した分子時計によりヒトと 大型霊長類や有蹄類(ウシ)との分岐年代 を出しています。このための基準として *長谷川政美「分子時計でヒトの起源を探る」 長谷川政美「DNAからみた人類の起源と進化」(海鴨社)

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更に,哺乳類の放散が起きた年代につい ては,いわゆる有蹄類や霊長類の最も古い 化石(これらはいずれも小型で断片的な化 石が多かったのですが最近は,全身骨格の 残されたものもよく見つかり始めました。) 白亜紀後期(7500万年前後)より知られて おり,その分岐はさらに古いと思われます。 直立二足歩行が二度(又はそれ以上)狂 得された可能性については,アウストラロ ピテクスとヒトが,大型霊長類との共通の 先祖にはなく,共有している他の新しい形 質(頭骨や歯の特徴)からみて,形質人類 学者で考えている人はほとんどいないで しょう。 トに化石哺乳類の研究によって示された年 代(これもかなり古い研究を引用している が)を使っていることで崩れるでしょう。 逆に化石を成って生物の系統を研究してい るものは,現在生物の類縁由係なり分岐関 係を示す免疫学的分子生物学的データを生 物の形態が非常に離れており,その系統関 係が問題となっている大きなグループ間 (例えば鯨類,長鼻類など)の関係を明ら かにするには有効な手段と認めています。 又,DNAの塩基配列の置換の速度が− 定であるという説に対しても,それは生物 間の退伝的距離を測る上では葡効でも,そ れをそのまま分岐年代に変換するには過去 にも速度が一層であった占いう作業仮説の 上での話しではないでしょうか。事実,こ の中でも取り上げられた,タンパク質を免 疫学的に比較して分岐年代を出したサリッ チ・ウィルソンらも化石の証拠と矛盾した ことは言っていないのです。このことは次 のラマピテクスがヒトの祖先からはずされ た経緯とも関連しています。ラマピテクス がヒトやアウストラロピテクスを含めたヒ ト科に、入るか,それともチソパンジ・−・ゴ リラなどの大型霊長類のグ/レh−プに入るか は,形質人類学老(PhysicalAnthropolo− gist)の間で議論になっていたのであって 分子生物学者だけが,ラマピテクスをヒト の祖先からほずすと主張していた訳ではな いのです。これと同様,いわゆる化石人類 学老(化石という言葉を使って頭の古い人 間たちと言おうとしているのかもしれませ んが)の中に.も今だにアウストラロピテク スをヒト科に入れるのを反対している長老 も存在しており,皆がヒトと大型霊長類の 分岐を古くしようなどとは考えていませ ん。 プ チ ア ヒ ア ゴ チ ヒ 従来の考え ある分子人類学者の考え (ゴ:ゴリラ、チ:チンパンジー、ア:アウス トラロピテクス、ヒ:とり 最後にアウストラロピテクスがヒトの祖 先であるためには,チンパンジーとヒトの 祖先集団における交雑しか考えられないと 言っていますが,ここでこのようなことま で考えなくても,今までに指摘したような 点からみてヒトとチンパンジーの分岐年代 を再検討し,この年代が新たな選択肢とし ては失格であることを認めた方が早いので はないかと考えます。ここで,まだ,自説 にこだわり続けれは分子とか数字で表あさ れるものに対する信仰にすがっているので はと考えざるを得ず,新たに掟称された分 子人類学もu・種の宗教になってしまうので はないでしょうか。

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談 話 室 137 私たち化石を主な対象として生物の系統 後とも,このような分野で生物の系統に関 関係を明らかにして行こうという者にとっ して,いろいろな考丁えが出されるのを期待 ては分子生物学的な資料は化石に残ってい しています。 ない生きだ進化の証拠と考えています。今

もはやエイリアンの時代なのか

武 重 雅 文 ずしもー・致しない。(例えば,ウォークマン を身につけた学生やいわゆる「女子大生」 はあまりお目にかからない。)しかし,語義 風景や演習授業の穿鞘気についての描写に は,いずこも「やはりエイリアン」と首肯 せざるをえない。 私の最近の経験からエイリアン症候群と 思われる二つの例を紹介しよう。 ① 昨今,学生諸君は歴史についての話に はとんど興味を示さない。弁証法的発展 であろうと,直線的な発展であろうと, はたまた循環論であろうと,歴史意識は 現代の位相と未来の方向を確定する重要 な要素であることほ言をまたない。しか し,彼らにとって歴史とはあずかり知ら ぬ過去であって関知することではないの か,たとえ現代史の事件であろうと歴史 の話には非常に鈍感である。共通一・次の 受験料目であった老もかなりいるはずな のにである。 ② 歴史意識の欠如と相互して,保守一革 新イメ−ジも希薄化し,政治意識にも透 明化する傾向があらわれている。歴史に 発展がない以上,論理的には保守も革新 もありえない。彼らがこのどちらに自己 本学に赴任して3年,本人はまだ青春の つもりなのだが,最近,「俺もオジさんか」 と思うことが時折ある。J「今の著名は」とい う言葉をロにした時に老けが始まることを 知っていながら,ついついロに出そうで煩 悶したりもする。ライフサイク/じの移り変 わりには身を奏せるしか術はないのだろう か。 私を悩ませてくれる対象ほ言うまでもな く学生諸君である。赴任薗後の学生と今, 授業でお相手している学生の質が異なって きたのか,それとも当時はこちらに気づく だけの余裕がなかったのか,学生の反応に 首をひねるようなことはあまりなかったよ うに思う。私もかつて劣等学生であったか ら,授業の出席状況や授業中の退室につい てほ,なつかしいわが姿を見るようで十分 に了解可能であった。しかし,次第に授業 での学生諸君の反応から,彼我の差異が気 になってきた。 この最中,最近出版された『まるでエイ リ■アン』という現代学生論を読み,成程や ほりと納得することが多々あった。この本 は東京の私学の学生を対象とする若者論で ある。したがって香川大学生の実像とは必

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それにしても,理念を媒介にしない政治 理解はきわめてリアルであり,感覚的であ る。そして,政治の劇的側面を皮膚感覚で 感知する。ある学生ほこの質問に次のよう に答えている。「保守は論理よりも感情のぶ うかりあい。でもしょせんこんなものかも しれない。革新はあげ足とり。革新は青春 しないだろうなあ。」 これらの例はあまり多くはないかも知れ ない。また,香川大学は都市部の大学に比 し,エイリアンたちも現在のところ少数派 にとどまっているだろう。しかし,時代背 景を考慮すれば,エイリアンたちが今後ま すます増殖すると考えねばなるまい。もほ やエイリアンの時代になりつつあると観念 すべきであろう。 ところで,彼らが多数派になった時,わ れわれを見て彼らはどう思うのだろうか。 きっと,こう言うに違いない。 「あの先生まるでエイリアンだな。」因果 応報,時代は巡る。 を定位するかという問題以上に,保守や 革新なるものの明確なイメージ自体が存 在するかどうか疑わしい。 一・般演習授業での学生たちの反応はおよ そ次のようであった。 保守;安定,中味がある,現状維持,冷 静,堅固な城,強力一・・・。 革新;変化,口先だけ,単なるスロ・−ガ ン,過激,烏合の衆,無力……。 この結果を彼らの保守化と解釈すること も可儲である。しかし,彼らが歴史の変化 に理想もユートビアも見ていないとすれ ば,保守化というよりほ非革新化と名づけ た方がよいのでほないか。彼らの回答は革 新に対峠するものとして庚守イデオロギー への傾斜を示すものではない。むしろ,理 念や概念を排除した政治理解であり,日常 感覚で政治像を表現している。したがって, 日常生活に政治の介入を感知しない多くの 学生たちはこの種の質問に,「わからない」, あるいは「無色」と答える。

期待される人物像

小 林

立 らかもしれない。それでも人物像の基本的 な型としては、、良い子′=、悪い子′‥、普通の 子′‥、おまけの子′′という四つの区分が既に 確立しているように思われる。この区∵分は 、、世のため人のため′′ という大そうな基準 によるものではないかもしれないが、、人に 迷惑をかけない′′ といった控え目な基準に よる区別であると言えそうだ。しかし,こ 戦後もしばらくの間は,ニ官金次郎の銅 像が小学校の校庭に見られたものだが最近 ではほとんどその姿を見かけなくなった。 しかしこ官金次郎に代る銅像はまだ現われ ていないようだ。戦後の日本は自由と平和 と民主主義の世の中に変って価値観が多様 化し,期待される人物像もまた多様化した ため、、画一・的′′ に提示することが難しいか

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139 話 室 の区別は人々の生活に安全を保障するため にも日常的に必要な標識であり,また実際 に役に立っているものに違いない。 人は大人として生まれて来るわけでもな

いし,赤子のままでいるわけでもない。孔

子は晩年,、、われ十有五にして学に志し,三 十にして立ち,四十にして惑わず,五十に

したが して天命を知る,六十にして耳順い,七十

のりこ にして心の欲する所に従って矩を瞼えず。′′

と述べたという。それ故,孔子はおよそ十 年毎に心境に変化があったことを自ら認め ていることがわかるのである。ニ千五首年 前の中国においで七十過ぎまで生きた孔子 は長寿といって間違いないが,もし八十, 九十,さらに育まで生き\ていたら,孔子は 如何なる感懐を述べたことだろうか。昨年 の九月二十二日ほ,孔子生誕ニチ五.百三十 五周年にあたり,生誕地の山東省曲卓では 孔子像の復元を祝う行事が盛大に行われた という。、、至聖先師′′として崇拝される孔子 ですら,というより孔子だからこそと言う べきかもしれないが,世の激動期にほ,先 ず以って孔子は批判,攻撃の槍玉にあげら れ,孔子像も破壊されるという憂目に会っ ていることが窺われるのである。 昔は、、人生五十年′′ といって十代前半で 元服し一人前に.扱われたというが,、、人生八 十年′′ といわれる今日では満二十歳をもっ て成人式を迎える。しかしまだ勉学中の身 で親のスネを寄っている場合も多いから年 令だけで割り切れないに違いないが平均的 年令としてほ鱒難な決まりと言うべきかも しれない。だが主体的条件がどうあれ人は 成人式を境に法的処遇が一・変する以上,満 二十歳の意味と未成年の時期がもつ重要性 とはどんなに強調してもしすぎるというこ とはないのではあるまいか。、、修身斉家治国 平天下′′ というから規範的な知識と広い視 野を学んでおくことが成人後の人生にとっ て必要不可欠なものであることは間違いな いだろうし,その判断力や行動に雲泥の差 をもたらす要因の一つに数えうると言って も過言ではないかもしれない。戦後の日本 においては修身とか道徳とかいった言葉が すべて消え失せたことが一L時期あったよう に思うが,、、終戦′′は日本の、、良い子′′を一・ 朝にして、、悪い子′′に変えてしまったから, 躾とか道徳とかの重要性について叫んでも 反発と蟹感を買うのがおちであったに相違 ない。それにつけても,あの当時,、、外地′′ の残留孤児は言うまでもないが、、内地′′ に おいて戦災孤児や浮浪児になった子どもた ちほその未成年期をどのように過ごしたこ とだろうか。 、、栴檀は双葉より芳し′′ とか、、三子の魂 首まで′とかいわれる。、、良い子′=、悪い子′′ 、、普通の子′′、、おまけの子′′という四区分に も安定性と永続性が期待される所以であ り,それでこそ日常的にも役に立つ標識と 言えるに違いない。就中,、、良い子′′は絶対 的に“良い子′′であり,、、悪い子′′は絶対的 に、、悪い子′′であるという熱い期待が寄せ られて不思議でほあるまい。、、良い子′′と、、悪 い子′′は一挙一・動,片言隻句が注目の的に なることは間違いないが,同じく期待され るとはいえ.、、良い子′′ほ信頼と尊敬の目で その言動を受けとめられるだろうが,、、悪い 子′′は自分で、種′′を播いた以上は当然だが, 、、かい人21面相′′の、、名言′′の通り,、、わ るがぁるいことをやめおったらすじとおら へん′′ という絶対的不信と疑心暗鬼の目で 見られるという差異はあるに違いない。 ところで他方また、、蕃に強いは悪にも強 い′′ とか、、悪に強いは善にも強い′′ とかい

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われる。従って“良い子′′が、、悪い子′′に 転化し,、、悪い子′′が、、良い子′′に変身する 以外に,、、普通の子′′が、、良い子′′に変った

∼「ナ り,逆に、、悪い子′′になったり,さらには

、、おまけの子′′が、、普通の子′′や、、良い子′′ に変ったりすることも全然有り得ないこと ではないかもしれない。それはさておき, 人は死後,閤魔大王により生前の言行を詳 しく取り調べられ,、、地獄′′と、、極楽′′のい ずれかに行先を裁定されるという。従って, 現世における四つの期待される人物像はま だしも人間的であり弾力性に富んだ区分で あるように思われるのである。

講道館柔道,タイを往く

その5 村 田 直 樹 前号迄のあらすじ。 (孤につつまれた様だけど,兎に角,面 白くなってきたぞ。) その肌浅黒き,まさに食べ頃お色気権化 のあのアヤさんが,プ、−ルサイドの白い揺

と り椅子に腰掛けて,長い髪を硫かしながら,

次の様に言ったのだ。 「アチャーンはいつ日本へ帰るの。アタ シをその時連れて一って−・緒に。ねっ。」 「此処では話したくないの。あっちへ行 きたいわ。」 その指差す方をずっと追えば,私の部屋 を指していた。 「OK。レグッゴー。」 勿論これは,私の返事−。

と 首を儲け,先刻より肩の前に垂らして抗

いていたタイ人特有を思わせる黒い髪から 手を離し,彼女は椅子から立ち上がる。白 い揺り椅子,微かに揺れて。 (これから俺の部屋へ行く。一体どうなっ ているんだろう。どうなっていたってどう でもいいぜ。彼女は部屋に向かってる。) 彼女ほ少し前を行く。彼女は私の斜め前。 まぁるい肩が見えている。まぶしい裸の両 肩のツヤツヤ茶色に光る肌。その両肩の問 には豊かで黒い長き髪。こういうものが, 後からついて行く私の眼に映るのだ。さり げなく装いながらも,私ほ息を詰める思い であった。 あゝ。今こそ其の国際交流。日一夕イ契 るの瞬間か。これぞ仏教に於ける因縁のダ イナミズム。私は最早,長政で,前行く彼 女は月光姫か−−−一句 ない−−−・んていう事,思っ たかな。 でも,何でこの仕儀,相成った? 私ほ唯々プ・−・ルサイドにやって釆て,話 し掛けただけなのに。あとは事の流れに身 を任せ,で,こういうのを無意識と言うの だろうか。

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141 いや,無意識などと言ったって,何の事 やら分からない。例えばフロイト。彼は, 無意識に,上位自我,イッド,リビドー, すすんではブ コソプレックスなどの分析装′′ 置を設定する。 アーチャ 無意識の根本に,阿頼邪論があるんだよ, とは,いつか訪れ聴聞した,バンコク効外 のお坊様のお吉菓だった。 それは仏教哲学の極致,唯識論。しかし,

クシヤ 供舎三年唯識八年と言われるそうで,即ち,

「倶舎論」理解に三年掛かり,「唯識論」に 致っては八年掛かるというそうな。 だから無意識論にたち入って,フロイト とも,阿塀耶識の唯識論とも,おつき合い するのを此処ではやめるご桃栗三年柿八年 ならいざ知らず,又,北尾保志小綿の,花

の三八とも違うんだから。

(部屋が近くなってきたぞ‥・…。) 彼女ほ前を歩いている。微笑む限元と まぁるい裸の両肩が,何かこの世の極みを 想わせて,私ほ見てはならぬものを見てい る様な,そんな気持になってきた。そして, 見てはならぬものを見た観音と,微妙な蓑 恥と自責の念も。 私は軽く,自分の頭を振ってみた。もと より,或る期待感が頭の芯を痩れさせてし まって,次々と自分にも判らない感情を, 蚕の糸の様に繰り出していた。 プールを横切り芝生も越えて,やがて空 高く伸びたトックリ椰子の木蔭迄来れば私 の部屋だ。腰の高さ程の囲いが巡らされ, その入口を開ければ,全面ガラスの大きな 部屋が待っている。 囲い迄釆た。禄におおわれ 少し日蔭が 話 室 できている。彼女は其処で立ち止まった。

ま そして静かに振り向き直り,私を直視。寛

がお 顔の中の深い瞳がじっと視た。 (いよいよだぞ……。) 「アチャーソ。」彼女。 「何だい。」ドキドキ。 「あのねェ。アタシを日本へ連れていっ て欲しいの。」 「うん。でもまた何で?」 (オッといけねェ。余計な事を聞いちまっ たぜ。) 「日本で仕事をしたいのよ。」 「ふーん。ワーキングゲィザ取ってい る?」 (いけねェ,いけねェ。また余計な事, 聞いちまったぜ。早く部屋ン中へ行くんだ ヨ。) 私,ニ人の自分と話す破目。 「取ってないわ。でもいいの。私の友達, 皆んなそう。」 「それだとねェ……。」 「お願いがあるの。アチャーンに紹介状 を書いて欲しいのヨ。」 「ニこ∴−ヅ,紹介状?」 「そう。」 「紹介状って,一体どこへ?」 (また聞いちまったぜ。早く部屋ン中へ 行かなくちゃ。) 「どこでもいいの。」 (そ,そんな馬鹿な′) 「紹介状持ってるとね,ナリタほイ1− ジィなのよ。でも何もないと観光って 言っても仲々通してくれないの。」 彼女は真顔で言っている。私は,

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「うん,うん…・。」と,ナマ返事。 私は言った。 が 「でもねェ,どこでもいいって言うけど ね,そんな紹介状否けないよ,悪いけど。 第一どんな仕事をしたいのかも知らない し。」 「何でもいいの。兎に角,紹介状が看れ ばいい。それで入国さえできればいいの よ。あとほ友達が居るからね。」 「じゃァ ,紹介状っていうのは単なる手 段? 成田を通過する為の?」 「チャイカッ。」(註:/、イ,そうよ,の 意のタイ語。語尾カッは丁寧なニュアン

スを出す女催語。男性はクアップと言う

語を付ける。チャイクアップ。) 「警察に捕まったらど1−するの?」 「マイペソラ・−イ.′」(註:気にしない, の意のタイ語。因みに,タイ人社会はこ のマイペソライ精神で成る,と言う人も 居る程で,時間に遅れても,マイペソラ イ,マイペソライ。) 彼女は続ける。 「友達が言ってたよ。日本の警察は GentleでKindだって。」 「どういう意味?」 「日本の警察はね,食事は出してくれる, テレビほカラー,スポ・−ノも愉しまして くれるって。」

参りました/山本,それまで“′ 唖然

投げ。最後はちゃ−んと帰国させてくれる,

だって。強制送還の事だろう。なる程,確 かに元へは戻って来らァ。 それにしても凄いねェ,この発想。カラー テレビも愉しめ,スポーツもやって,日本 の警察はGentleでKindだって。こういう のを,シタタカって言うんだろうか。 私は驚け,と自分で自分に命じていた。 先刻より彼女の真顔を見つめ,彼女の話を 聴いていた私の心に,微妙な変化が訪れて いた。それはパワーダウンのしらけた気持。 それがコップの水に落とした一滴のインク の様に,静かに確かに拡がって,私の心を 変えてきた。あやしく光る茶の肌も,まぁ るい肩も,その望も,今,眼の前に在るの だが,私の心其処になく,どこか遠くを見 つめる顔になっていた。 「アチャーソ,どうしたの。黙ってない で返事して/」 「ソ,ウソ。」 「この話,皆んなにしちゃ駄目よ。だか らこっちに来てしたんだから。じゃ・7 ね。」 と彼女は言って立ち去った。黒い髪を翻し, まぁるい肩が遠去かる。 0」 「 (おかしいと思ったヨ。) 夕陽のバンコク深紅に燃えて,ため息一 つ,ゆめ−つ−。 〈つづく〉 o」 (・・・。) 「そして最後ほちヤーんと帰国させてく れるんだ。」

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参照

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