• 検索結果がありません。

京都近郊における延宝検地の一事例 : 「田中伊連日記」にみる下鴨村延宝検地記事を中心に

N/A
N/A
Protected

Academic year: 2021

シェア "京都近郊における延宝検地の一事例 : 「田中伊連日記」にみる下鴨村延宝検地記事を中心に"

Copied!
11
0
0

読み込み中.... (全文を見る)

全文

(1)

る延

i

田中伊

日記﹂

にみる下

鴨村延

宝検

地記

を中

京 都近郊 における延宝検地の一事例 は  じ  め  に   賀 茂 川 と 高 野 川 の沖 積 地 に位 置 す る下鴨 の地 は 、 そ の両河 川 の合流                                                     点 付 近 に鎮 座 す る賀 茂 御 租 神 社 配 下 の神 領 と し て古 代 以 来、 神社 と の 密 な る関 係 を 存 続 し てき た 。                                                     賀 茂 御 祖 神 社 氏 人 であ り、 神 殿 守 の職 にあ っ た 田中家 の歴 代 の日 記               ③ ( ﹃ 下 鴨 社 家 日記 ﹄ ) のな か で ﹁ 延 宝 六年 戊午 日 記﹂ の 表 題 を も つ 、 田 中 伊 連 の 日記 ( 以後 ﹁ 田 中 伊 連 日 記﹂ と す る ) は 、 延 宝 六年 (一 六 七 八) と 翌 七年 と で行 わ れ た 賀 茂 別 雷 神 社 ( 以 下、 上 賀 茂 社 と す る)・ 賀 茂 御 祖 神 社 ( 以 下、 下 鴨 社 と す る) の両 社 の遷 宮 と 延 宝 五年 夏 から 同 七 年 に かけ て 畿 内 近 国 で行 わ れ た 幕 領検 地、 いわ ゆ る延 宝 検 地 の記 事 を 主 と し た 記 録 で あ る 。   山 城 国 の延 宝検 地 は 、 慶 長 の 検 地以 来 の大規 模 な 幕 府 勘 定 方 管 轄 の 検 地 であ っ たが 、 同 国 の延 宝 検 地 関 係 の史 料 は乏 し く、 故 にそ の 実 態 は明 ら か にさ れ て いな い。 こ の ﹁ 田 中 伊 連 日記 ﹂ に見 られ る延 宝 検 地 の記 事 は、 検 地 実 施 にあ た り、 検 地 奉 行 を む かえ る在 地 側 の立 場 で記 録 さ れ た史 料 と し て非 常 に興 味 深 い 。   寛 文 ・ 延 宝 期 に 全国 的 に実 施 さ れ た 幕領 検 地 は、 関東 幕領 検 地 ( 寛 文検 地) が 幕 領代 官 担 当 下 で実 施 さ れ た のに 対 し、 畿 内 近 国幕 領 検 地 ( 延 宝検 地) は、 周 辺諸 国 の大 名 に 検 地 区 域 が 分 担 さ れ た。 こ のこと は、 在 地 と の 繋 が り の 強 い土 豪 系 統 代 官 の 多 い 畿 内 周 辺 諸 国 に お い て、 検 地 実 施 の際 に 代 官 と 村方 と の馴 合 いに よ る不 正 を 防 止 し よ う と                                     し た 幕 府側 の政 策 と し て 捉 え ら れ て い る。 山 城 国 の検 地 は淀 藩 主 石 川 主 殿 頭憲 之 が 担 当 し、 検 地 惣 奉 行 に は石 川 憲 之 家 臣 石 川 伊 織 、 検 地 元                                             ⑤ 締 に は伴 九郎 左 衛 門 ・ 加 藤 善 太輔 が 任 命 さ れ て い る。   京 都近 郊 の 村 落 は 秀 吉 の京 都 改 造 政策 以来 、 洛 中 の公 家 ・ 寺 社 領 等 の替 地 と し て宛 行 わ れ ると いう 性 質 を も っ て いた 。 故 にそ の多 く は相 給 地 で あ り 、 非 武 家 領 の占 め る割 合 は大 き く 、 十 八世 紀 初 頭 、 下 鴨 村 のあ る愛 宕 郡 の非 武 家 領 の占 め る割 合 は 八五 パ ー セ ン ト で 、 そ の多 く                                     ⑥ は朝 廷 ・ 公家 ・ 寺 社 領 等 で占 めら れ て いた 。 一 方 、 国 内 の幕 領 が 占 め                                     る割 合 は畿 内 のな か で山 城 国 が 一 番 低 い。   以 上 の こと か ら、 村 内 の多 く が 伝 統 的 勢 力 の所 領 で占 めら れ 、 尚 且 つそれ らが 複 雑 に 入組 ん で い た 下鴨 村 に お いて、 そ の 一 部 た る幕 領 を 検 地す る際 に 、 代 官 以 上 に 村 方 と は希薄 な 関 係 で あ っ た大 名 が 担 当 す

(2)

史 る こ と にな ると いう こと を 同 村 に おけ る延 宝 検 地 の実 態 を 考 察 す る 上 で、 念 頭 に置 く こと が 必 須 であ る。   日記 の筆 者 伊 連 は、 こ の検 地 実 施 にあ た り、 在 地側 の 実 務 処 理 を担 っ て い たと 思 わ れ 、 伊 連 の検 地 に対 す る関 心度 の高 さ は、 同 じ く延 宝 六年 の記 録 を 残 し た 下 鴨 社 社 家 で当 時 正 祝 の職 にあ っ た鴨 脚 春 光 の 日   記 と 比 す ると 、 そ の関 連 記 事 の頻 出 度 か ら み ても 明 ら か であ る。 両 日 記 の検 地 記 事 の 内 容 は概 ね 一 致 し て い るが 、 春 光 の 場 合 は事 後 報 告 を 記 録 し て い るだ け であ る の に対 し、 伊 連 は検 地実 施 の 対 応 に追 われ る 当 事 者 と し て、 臨 場 感 のあ る記 録 を残 し て い る。   本 稿 は、 京 都 近 郊 の延 宝 検 地 の 一 事 例 の紹 介 を目 的 と す るが 、 従 来 の研 究 の よう な、 検 地 帳 を 分 析 し、 そ の実 態 を明 ら か に し よう と 試 み た り、 古 検 と 新 検 と を比 較 し、 そ の差 異 に つ いて述 べ た り、 ま た はそ こ か ら村 の生 産 力 や村 内 の経 済 的 階 層 に つ い て 言 及 す るも の で は な い。 そ も そ も 下 鴨 村 に は検 地 帳 はも と よ り、 そ の他 、 地 方 研 究 の基 本 史 料 は残 っ て い な い 。 し か し なが ら、 整 然 と 出 来 上 っ た検 地 帳 は、 む し ろ検 地 の実 態 を 覆 い隠 し て し まう と いう 史 料 上 の 限 界 が あ ると 考 え る。 そ の点 、 延 宝 検 地 実 施 の経 過 を 記 載 す る ﹁ 田中 伊 連 日記 ﹂ は、 京 都 近 郊 に おけ る検 地 の実 態 の 一 端 を知 り得 る こと の でき る貴 重 な史 料 と い え る。   ま た、 当 村 は複 数 の領 主 が 入組 む 相 給 地 であ る こと や下 鴨 社 と いう 在 地 性 の強 い領 主 が 存 在 す る こと など 、 近 世 京 都 近 郊 に度 々 みら れ る 混 沌 と し た 村 落 の形 態 を 持 ち合 せ て い る。 これ ら の こ と を 念 頭 に置 き 、  ﹁ 田中 伊 連 日記 ﹂ の検 地 記 事 を分 析 し、 近 世 京 都 近 郊 村 落 の実 態 に つい ても あ わ せ て考 え て いき た い。   ﹁ 田中 伊 連 日記 ﹂ に 記さ れ て い る検 地 記 事 は、 正 月 の幕 府 勘定 方 巡 見 使 の現 地見 分 、  ﹁ 手 引 帳 ﹂ 作 成 を めぐ り上 賀 茂 社 と の境 相 論、   ﹁ 検 地 奉 行 ﹂ へ の赦 免 地申 告 等 であ る。 以 下 、 こ の ﹁ 田中 伊 連 日 記﹂   ( 以 下 こと わ りが な い場 合 は同 史 料 を典 拠 と す る) の記 事 を 追 いな が ら、 下 鴨 村 の検 地 実 施 の経 緯 を 見 て いき た い 。

一 

使

  日記 中 の検 地記 事 の 初 見 は、 延 宝 六年 正月 十 九 日 の 三 名 の 巡 見使 ( 金 丸 又 左 衛 門 ・ 下 鴨 市 兵 衛 政 重 ・ 遠 藤 新 左 衛 門 信 澄 ) の下 鴨 村 見分       であ る。   巡 見 地 ( " 検 地 対 象 地 ) は代 官 支 配 であ る幕 府 直 轄 地 の ほ か、 大 名 ・ 旗 本 等 にそ の支 配 が 委 託 さ れ た いわ ゆ る 預 地 も 対 象 と さ れ て い ⑩                                                  ⑪ た 。 三月 二十 二 日条 に ﹁ 此 方 御 蔵 入 御 打 被 成 ﹂ と あ る こと から、 延 宝 年 間 に村 内 の 一 部 は幕 領 であ っ た こと が わ か る。 延 宝 期 以前 の下鴨 村 の村 高 及 び 領 有 関 係 に つい て は詳 しく はわ から な いが、 延 宝 期 と最 も                     時 代 が 近 い ﹁ 元 禄 郷 帳 ﹂ で は村 高 は = 島 二三 石 九斗 一 升 七合 であ る。                                     ゆ 明 治 期 に作 成 さ れ た ﹁ 下 鴨 町 村 沿 革 取 調 書 ﹂ にょ る と、   ﹁ 天 正年 中 豊 太 閣 検 地 ノ時 ヨ リ 神 領 ・ 禁 裏 御 料 ・ 諸 家 々領 ・ 社 寺 領 ・ 地 下官 人 知行 等 十 七 本 所 ト 成 ル﹂ と あ り、 旧 時 草 高 二 一三 三石 九 斗 九 升 三 合、 下鴨 社 の五 四 一 石 を 筆 頭 に、 上 賀 茂 社 の 三七 一 石 四斗 八 合 以 下、 禁 裏 領、 公 家 ・ 寺 社 領 等 十 七 領 主 が 書 上 げ ら れ て い る 。 元 禄 期 か ら や や降 り享                                           保 十 四年 (一 七 二九 ) の ﹁ 山 城 国 高 八郡 村 名 帳 ﹂ で は、   ﹁ 取 調書 ﹂ と 同 じ く = 二 二 三石 九 斗 九 升 三合 、 十 七 の領 主 と な って おり、 下鴨 社以 下 の領 主 の領 有 関 係 も ﹁ 取 調 書 ﹂ と ほぼ 同 じ で あ る 。 76

(3)

京 都近郊に おけ る延宝検地 の一事例   ﹁ 八 郡 村 名 帳 ﹂ にみ ら れ る禁裏 御 料 四 十 六 石 は増 御 料 で、 宝永 二 年 (一 七 〇 五 ) に 五 代将 軍 綱 吉 の献 上 し た 一 万 石 の地 の こと で あ り、 こ の こと か ら 延 宝期 に は下 鴨 村 の 一 部 が 幕 領 で あ っ た こと が わ か る。 そ れ が 宝 永 二 年 に朝 延 献 上 のた め の増 御 料 に 宛 て ら れ たと 思 われ る。 故 に、 同 村 で 検 地 が実 施 さ れ た 理由 は、 宝 永 期以 後 禁 裏 御 料 と な っ た幕 領 が 存 在 し て いた た め と考 え ら れ る。   ま た ﹁ 取 調 帳 ﹂ に は旧 草 高 一 三 二三 石余 の ほ か に、 鴨 社 神 馬 料 十 一 石 二斗 が 記 さ れ て お り、 こ の高 に つ いて は ﹁ 天 正年 間中 以 後 、 延 宝検 地 ノ打 出 シ高 ニ テ鴨 社神 馬料 二 寄 附 セラ ル ﹂ と いう 付 記 が あ る。 こ こ から 延 宝 検 地 の際、 多 少 の加増 高 が あ っ た こと が 確 認 でき る。 以 後 、 幕 末 ま で村 高 に大 き な 変 化 はな く、 ま た領 有 関 係 に お い ても 目 立 っ た           変 動 はな い。   さ て幕 府 勘 定 方 の巡 見 使 た ち を 迎 え た のは、 下鴨 社 社 家 の祢 宜梨 木 左 兵 衛 永祐 ・ 祝 鴨 脚讃 岐 春光 ・ 広 庭 志 摩 斯 祐 ・ 鴨 脚 修 理 秀 安 、 氏 人 の                                          ⑯ 宮 川 大 膳 秀 元 ・ 菊 主 水 長 延 ・ 田中 掃 部伊 連 であ る。 そ し て宮 川 秀 元 ・ 菊 長 延 ・ 田 中 伊 連 の三 名 が 巡 見使 の 案 内 役 を務 め て い る。 こ の内 、 社 家 の 中 で は鴨 脚 秀安 、 氏 人 で は宮 川秀 元 ・ 菊 長 延 ・ 田中 伊 連 の 三名 、                             そ し て他 に南 大 路 在 長 ・ 林康 忠等 が 実 際 に ﹁ 検 地 奉 行 ﹂ への対 応 や 上 賀 茂 社 と の折 衝 、 村 方 への指 示等 、 検 地実 施 に際 し て発 起 す る問 題 に 奔 走 し て いる。 社 内 で の 地位 が 必ず しも 高 く な い伊 連 た ちが 巡 見使 の 案 内 役 に 選ば れ た のは、 お そ らく は彼 等 が 在 地 の実 情 を熟 知 し て いた た め であ り、 彼 等 が こ の よう な役 割 を 担 っ た背 景 に は 、 彼 等 と 村 方 と の関 係 が 下 鴨 社 組 織 内 で も よ り密 接 であ っ た 可能 性 が 考 え られ る。   巡 見 はそ の日 の 内 に無事 に 終 了す るが 、 翌 日、 下 鴨 社 が ﹁ 境 内 四方 か ら ミ 高 入組 本 所 L を残 らず 書 付 け て、 巡 見 使 下 嶋 政 重 に提 出 し て い る。 本 来 、 幕 領 支 配 機 関 ( 代 官 ・ 預 り衆 ) や村 方 か ら提 出 さ れ るべ き 書 類 が 、 村 内 の 一 部 を 支 配 し て い る下 鴨 社 から 、 直 接 巡 見 使 に提 出 さ れ て い る こと は大 変 興 味 深 い事 実 であ る。   巡 見 使 派 遣 の前 年 、 幕 府 勘 定 方 は各 関 係 機 関 であ る代 官 所 や 幕 領 預 り衆 に対 し 、 代 官 切 ・ 一 村 切 絵 図 、 反 別 取 ケ帳 、 人 別 帳 等 の 検 地対 象                                         ゆ 地 に関 す る書 類 を 用 意 す る よう に指 示 し て い る。 いう ま で も な く、 延 宝 検 地 は幕 領 を対 象 と し た検 地 であ り 、 基本 的 に 私領 は 対 象 で は な い。 幕 藩 体 制 下 に お い て、 以 上 のよ う な 書 類 は幕 領 支 配 機 関 で あ る代 官 ・ 預 り衆 が 用 意 す るも のが 当 然 であ る。 日 記 にみ ら れ る 書 付 が、 勘 定 方 から 用 意 す る よう に指 示 さ れ た 類 のも ので あ っ た か ど う か は わ か ら な いが 、 幕 領 検 地 実 施 に際 し て、 下 鴨 社 が ﹁ 境 内 四方 から ミ高 ﹂ 、 す なわ ち、 他 の領 主 の所 領 分 も 含 め た 高 を報 告 し て い る と いう事 実 は、 下 鴨 社 抜 き で は在 地 の情 報 を 得 る こと ので き な か っ た こと を物 語 っ て い る。                     ⑲   ま た、 差 出 さ れ た 書 付 によ ると ﹁ 境 内 ﹂ は南 北 九 百 拾 四 間、 東 西 百       四 拾 間 で、 そ の 内 訳 は 六 九 八 石 三 斗 八 升 五 合 の ﹁ 入組 拾 三本 所 ﹂ と ﹁ 御 朱 印 御 赦 免 之 地 ﹂ であ っ た。 こ の こと か ら 延 宝期 、 下 鴨 村 に は 下 鴨 社 の外 に ﹁ 拾 三 本 所﹂ 、 つ ま り 十 三 の領 主 が 存 在 し て いた ことが わ                               ⑳ か る。 伝 存 す る 近 世 下鴨 社境 内 絵 図 を み る と、   ﹁ 御朱 印御 赦 免 之 地﹂ と は、 下 鴨 社 内 ( 森 林 地 ・ 神 殿 敷 地 ) と 社家 ・ 村 民 等 の住 民 区 を含 む 社 領 地 の こと であ っ た こと が わ か る。   こ こ で強 調 す るが 、  ﹁ 境 内 ﹂ 巨 ﹁ 御 朱 印 御 赦 免 之 地﹂ で は な い。 元           ⑳ 禄 期 の境 内 図 を みれ ば 、 明 ら か に ﹁ 境 内 ﹂ な か に 赦 免 地 が 含 ま れ て お

(4)

史 り、   ﹁ 境 内 ﹂ と は概 ね 下 鴨 村 村 域 であ っ た こと が わ か る。 し た が っ て、 こ の ﹁ 御 朱 印 御 赦 免 之 地 ﹂ の高 と ﹁ 入 組 拾 三本 所﹂ の六 九 八 石余 を合 計 し たも の、 そ れ に ﹁ 境 内 ﹂ 周 辺 の田 畠 地 の 高 を加 え た も の が 延 宝期 の下鴨 村 の 村 高 であ っ たと 考 え ら れ る。 故 に ﹁ 境 内 四方 か ら 、ミ 高 入組 本 所 ﹂ の 書 付 の全 貌 は、 下 鴨 村 の領 主 別支 配 高 を書 上げ 、 総 計 し 村 高 を書 付 け た類 のも の であ っ たと 推 測 でき る。 こ のよ う な検 地実 施 に必 要 な 基本 台 帳 を下 鴨 社 が 他 の領 主 分 も 総 括 し て作 成 、提 出 し て い る点 に 、 延 宝検 地 に お け る 下鴨 社 の果 し た役 割 の重 要 性 を う か が う こ と が で き る 。

上賀

社と

境相

  上 賀 茂 社 と の 相 論 の 発 端 は、   ﹁ 検 地 奉 行 ﹂ に提 出 す る ﹁ 手 引 帳 ﹂ の 作 成 を めぐ り 両者 の 意 見が 相 容 れ な か っ た こと にあ っ た 。 下 鴨 村 内 の                                                           ⑳ 上 賀 茂 社 領 は三 七 一 石 四斗 八合 。 こ の 高 は太 閣 検 地 の時 に確 定 さ れ、 以 後 幕 末 に 至 るま で変 る こと はな い 。 上 賀 茂 社 の鎮 座 す る上 賀 茂 村 と 下 鴨 村 の境 は 、 現 在 の府 立植 物 園 あ た り であ っ たが 、 延 宝 検 地 に際 し 両 村 の境 相 論 が 起 っ て いる こと か ら も、 少 な く と も 延 宝 期 以 前 ま で は、 両 村 の村 境 は明 確 でな か っ た こと を う か が わ せ る。   下 鴨 村 は賀 茂 ・ 高 野 川 の沖 積 地 に位 置 し、 東 西 及 び 南 は 両河 川 を自 然 の境 界 と し て有 し て い るが、 松 ケ崎 村 ・ 上 賀 茂 村 と接 す る北 部 は、                   ⑳ 田畠 地 が 広 が っ て お り、 境 を め ぐ る 係 争 が 起 り得 る 場所 であ っ た。   三月 の検 地 実 施 を 控 え、 二月 七 日 に 下鴨 社 領 分 の ﹁ 手引 帳 ﹂ 作 成 の た め下 鴨 社 中 で寄 合 が 開 かれ て い る。 これ 以 後 、 三月 の 検 地実 施 ま で の間 、 連 日 の よう に寄 合 の記 事 が みら れ、 社 中 で 対 応 に追 わ れ て い る 様 子が 読 み と れ る。 ま た、 こ の寄 合 を取 仕 切 っ て い た の は、 先 に触 れ た 伊 連 等 六名 で あ っ た。   ﹁ 手 引 帳﹂ 作 成 の手順 は、 まず ﹁ 面 く ノ 帳 ﹂ を書 出 し、   ﹁ 新 帳 ﹂ を 作 り、 そ の上 で 奉行 提 出 用 の ﹁ 手引 帳 ﹂ に仕 上 げ ると いう も の であ っ た。 実 際 、 他 領 に つ いて 日 記中 に 具体 的 な 記事 が な い た め、 ど の よう に報 告 され た か わ か ら な いが 、 も と よ り幕 領 で な い下 鴨 社 領 の ﹁ 手引 帳 ﹂ が 作 成 され 、 提 出 さ れ て い る 事 実 を考 え る と、 幕 領 を対 象 と した 検 地 に際 し、 当 然 他 の領 主 の所 領 を含 め た 下鴨 村 全 体 に つい て の調 査 が 必要 と さ れ た筈 であ る。 下鴨 社 以外 の領 地 に関 し て は、 在 地 で の下 鴨 社 の立 場 か ら 考 え て み て も、 巡 見使 派遣 の時 と 同 じく 、 同 社 が 下 鴨 村 全体 に つ いて、 一 括 し て対 応 し て い た可 能 性 が あ る 。 下 鴨 社 と同 様 に ﹁ 手引 帳 ﹂ を 作 成 し た 上 賀 茂 社 は、 そ の 内 容 確 認 の た め、 同 月 二十 五 日 に、 そ の 帳 面 を 下鴨 社 へ 提 出 し て い る 。 上 賀茂 社 のこ の行 動 から も 、 下 鴨 村 の ﹁ 手 引 帳し 作 成 の主 導 権 は下 鴨社 にあ っ た と い え る。   問 題 が 起 っ た の は上 賀 茂 社 の 帳 面 が 提 出 さ れ た直 後 、 帳 面 の内 容 が 従 来 の高 一三 七 石 三斗 七 升 に新 たに 五 十 石 加 増 さ れ て いた た め であ っ た。 下 鴨 社 の方 で は、 そ の内 容 に問 題 あ り と し て、 従来 通 り 三 一 七 石 三斗 七升 の ﹁ 手 引 帳 ﹂ に改 め て ほし いと 申 入 れ るが 、 上 賀 茂 社 はそ れ を受 入れ な か っ た。 次 に 下 鴨 社側 は 問 題 の 解 決 策 と し て、   ﹁ 境 内之 境 ﹂ に膀 示 を立 て る こと を提 案 し て い る。 そ し て、 上 賀 茂 社 側 も そ れ に同 意 し て い る。   三月 二目 に 両社 の代 表 者 立 合 のも と で 賀 茂 川 筋 の 膀 示 が 立 てら れ る。 下 鴨 社 側 は 宮 川 秀 元 ・ 菊 長 延 ・ 田中 伊連 ・ 林康 忠 、 上 賀 茂 社 側 は 松 下 順 久 ・ 山本 季 村 ・ 岡本 保 方 ・ 岡本 永 清 が 出向 き 滞 り な く 事 が 済 7s

(5)

京都近郊におけ る延宝検地 の一事例 む 。 し かし肝 心 の ﹁ 本 田之 境 ﹂ つま り 田地 の境 に つい て は、 両 社 の意 見 が 別 れ る。 上 賀 茂 社 側 の言 分 は、 戌 年 に極 め た通 に ﹁ 愛 宕 見 道 ﹂ を 境 と す ると いうも の で、 これ に対 し 下 鴨 社 で は、 上 賀 茂 社 の提 示 し た 境 に は 同 意 でき な いと 主 張 す る。 筆 者 伊 連 は上 賀 茂 社 が こ の よう な 主 張 を す る こ と に対 し、   ﹁ ふ しき 成 事 ﹂ と 感 想 を 残 し て い る。   そ の 晩 は下鴨 村 村 民 を交 え寄 合 が 開 かれ る。 話 合 の結 果 、 上 賀 茂 社 へは三 { 七 石 三斗 七升 の ﹁ 手 引 帳 ﹂ を 提 出 し て ほ し いと 要 請 す るが 、 翌 日 、 上 賀 茂 社 か ら、 下 鴨 社 に は迷 惑 を懸 け な い の で、 三 一 七 石 余 と 前 回 よ り少 な く見 積 っ た 一 四石 余 の帳 面 二帳 を 作 成 す ると いう 案 が 提 示 さ れ る 。 し か し、 問 題 は解 決 さ れ ず 、 そ の後 、 両 社 は神 文 を 作 成 し 決 着 を つけ よ う とす るが 、 結 局 物 別 れ の まま に な っ て し まう 。 三月 十 六 日条 を 見 ると 、最 終 的 に、 下 鴨 社 は下 鴨 村 の近 隣 で検 地 中 の ﹁ 検 地 奉 行 ﹂ のも と へ 鴨 脚 秀 安 ・ 田中 伊 連 を遣 わ し、 相 談 を も ち か け て い る。 これ に 対 し、   ﹁ 検 地奉 行 ﹂ は境 相 論 に つい て は当 方 は管 轄 外 な の で、 高 に問題 が生 じ なけ れ ば 、  ﹁ 其 分 二 被 成 御 直 候 ﹂ と 返 答 し て い                                       る。 そ し て 、 村 境 は決 定 され ず に終 っ て い る。   さ て、 こ こで 注 目 し な け れば な ら な い の が 、 上 賀 茂 社 領 の 三 一 七 石 三斗 七 升 と いう 高 であ る。 既 に述 べ たが 、 下 鴨 村 内 の上 賀 茂 社 領 は太 閣 検 地 のと き に三 七 一 石余 と 定 め ら れ 、 以 後 幕 末 ま で変 る こと が な い。 日記 中 の高 は 、 内 容 か ら い っ ても 延 宝 検 地 以 前 の上 賀 茂 社 領 と い え、 同 社 が そ の高 に五 十 石加 増 し ょ うと す る こと で、 相 論 が 起 き て い る。   日記 中 の高 と古 検 と の 高 の乖 離 の理 由 を こ こ で推 定 す る こと はで き な いが 、 日 記 中 の高 の 方 が よ り在 地 で通 用 し て い る実 質 的 な も ので あ っ た と 考 え ら れ、 在 地 で実 際 通 用 し て い る高 と 幕 府 が 把 握 し て いる 高 と に 隔 り が あ っ た と 思 わ れ る。   ﹁ 検 地 奉 行 ﹂ は下 鴨 村 内 に お け る下鴨 社 領 と 上 賀 茂社 領 の相 論 自体 は 、 も と も と 関 与 し な い が 、 全 体 の高 に 関 し て は、 当 然 把 握 す べ き 立 場 に あ っ た。 と ころが 、 三 月 十 六 日 の記 事 に よ れば 、 在 地 か ら判 断 を 求 め ら れ た のに も か か わ らず 、 それ を在 地 の裁 量 に委 ね て いる。   そも そも 、 延 宝期 の 段 階 で は、 古 検 に よ って領 主 別 の地割 りが 定 め ら れ、 帳 付 され て い る の が 前 提 で あ る。   ﹁ 賀 茂 別 雷 神社 文書 ﹂ に残 存                                            す る天 正十 七年 ( 一 五 八 九) 十 二月 ﹁ 下鴨 之名 寄帳 ﹂ を み る と、 名 請 人 別 に 田畠 の等 級 ・ 字 名 ・ 地 積 ・ 斗代 が書 上げ ら れ て お り、 帳 面 の上 で は、 ど こが 上 賀 茂 社 領 で あ っ た かが 確 定 し て い る 。 し か し、 延 宝 検 地 にあ た り、 両 社 で境 相 論が 起 っ た と いう事 実 は、 これ ら の 帳 面 と実 態 と の間 に、 少 なく と も こ の時点 ま で は、 明 ら か に相 違 が あ っ た こと が 指摘 でき 、 下 鴨 村 内 の社領 に関 す る上賀 茂社 の把 握 は、 帳 面 上 の石 高 の み にと ど ま り、 事 実 、 直 接 の把握 と は い い が た い 。 し か も、 それ                                        ゆ に代 っ て社 領 を把 握 す る村 庄 屋が 存 在 し て いな い。 こ の こと は、 下 鴨 村 内 の上賀 茂社 領 領 有 に お いて、 中 間 層 の 存 在 が 認 め ら れ、 実 際 の耕 作 入 と領 主 と の間 に得 分 権所 持者 の 存 在 を 認 め る中 世 的 領 有 形 態 に近 似 す る も のと いえ る。 で な け れば 、 下 鴨村 内 の上賀 茂 社 領 を めぐ り、 こ の段 に な っ て境 相 論が 起 っ た 理 由が つか な いの であ る。   で は 実 際 、 下 鴨 村 で の延 宝 検 地 は ど のよ う な も のであ っ た のだ ろう か。 経 過 を 追 っ て みて み る と 、 ま ず、 三 月 二十 一 日 に検 地奉 行 衆 が 下 鴨 村 を 訪 れ て いる。   ﹁ 頭 ﹂ の滝 見 助 右 衛 門 ・ 生 田 兵 左 衛 門他 総 勢 十 五 名 は社 家 ・ 氏 人 ・ 百 姓 宅 を 宿 所 と し、 二十 二日 か ら 二十 六 日 の問、 下

(6)

窓 史 鴨 村 内 の 検 地 を 実 施 し て い る 。 検 地 実 施 の具 体的 内容 は乏 し く、 実 際 に検 地さ れ た こと が わ か る の は ﹁ 御 蔵 入 ﹂   ﹁ 東 川 原 買 人分 ﹂   ﹁ 勘助 新             ⑳ 開 ﹂ の み であ る。 と ころ が、 先 に述 べ た よ う に、 上 賀 茂 ・ 下鴨 両社 の 境 相 論 の際 に、 下 鴨 社 か ら ﹁ 検 地奉 行﹂ の判 断 を 求 め た のにも か か わ ら ず、 在 地 に そ の 裁 量 を委 ね て い る と い う ﹁ 検 地奉 行 ﹂ の対 応 は、 ﹁ 検 地 奉行 ﹂ が 両社 の社 領 に つい て 細 部 に わ た る実 情 を把 握 す る に至 って いな か っ た こと を 明 示 し て い る と いえ る。   こ の こと か ら、 実 際 に下 鴨 村 一 円 的 に竿 入れ さ れ た と は 考 え にく く、 む し ろ部 分 検 地 であ っ た可 能 性 が 高 い と 思 わ れ る。 先 の ﹁ 手引 帳 ﹂ も実 際 に古 検 の加 増 分 と し て申 告 し て い る の は ﹁ ぬけ 地 ﹂ の三斗                               ⑳ だ け であ り、 ま た、 村 東 部 の 蓼 倉 郷 に関 し て は、 一 色 神 領 であ り ﹁ 手 引 帳 ﹂ 記載 対 象 外 であ ると 主 張 し 、  ﹁ 検 地 奉 行 ﹂ も 概 ね そ の言 分 を認 め、 蓼 倉 郷 に つ いて は部 分 的 に報 告 し て い る にす ぎ な い 。 以 上 の こ と か ら推 測 す ると 、 下 鴨 村 に おけ る延 宝 検 地 の実 態 は 、 同村 内 にあ る両 社 社 領 に関 し て は、 神 社 側 が 用 意 し た ﹁ 手引 帳 ﹂ を検 地奉 行 が 概 ね追                       の 認 し、 そ し て検 地 帳 を 作 成 す る と いう も ので あ っ て、 実 質 的 に は指 出 検 地 に近 い形 で あ っ た と思 われ る。

内赦

  三月 の 春 検 地が 終 り、 次 に検 地 に関 連 す る記 事 が みら れ る の は 、 八 月 の 秋 検 地 の時 期 にな っ て から であ る。 八 月 十 八 日、 検 地 のた め 一 乗                                             ⑫ 寺 村 に出 向 い て い た ﹁ 検 地 奉 行 ﹂ が 、 下 鴨 村 の 庄 屋 助 左 衛 門 を 呼 寄 せ、 下 鴨 村 境 内 のう ち御 赦 免 地 を 調 査 し、 年 寄 の判 に て書 付 を し た た め、 提 出 す る よう に指 示 を し て い る 。 そ の日 の晩 に 社中 寄 合 を開 き 、 書 付 を作 成 、 一 乗 寺 村 の ﹁ 検 地 奉 行 ﹂ のも と へ 届 け て いる。 そ の書 付 の 内 容 は次 の通 り であ る。             覚                      下 鴨 村                         ︹ 間 ︺     一 、 社 内 在 所 竪 四百 弐 拾 簡     一 、 社 内 在 所 横 三百 八拾 簡       右 ハ 御 朱   印 之 四 社 内社 家 ・ 百姓 才 御 赦 免 之 地 二 而御 座 候                                             年 寄           延 宝 六年 戍 午八月 十 八 日              次 郎 左 衛 門                                             同                                             市 郎 兵 衛   ﹁ 社 内 在所 ﹂   ( 目 赦 免 地 ) は、 下 鴨 社 及 び そ の 西 側 一 帯 を さ し、 ﹁ 社 内 ﹂ と は森 林 地 を含 む 下鴨 社 神 殿 敷 地 、  ﹁ 在 所 ﹂ と は社 家 ・ 村 民 等 の居 住 区 であ り 、 現 在 の下 鴨 本 通 の東 側 の 旧 社 家 町 あ た り であ っ た。   書 付 を提 出 し て か ら、 約 一 ケ月 後 の九 月 十 日 に 、 淀 藩 ﹁ 検 地奉 行 し から 書 付 の内 容 確 認 の た め か、 在 所 に詳 し い 年 寄 と 庄 屋 と で 淀 に参 上 す る よう にと の達 しが 来 る。 直 ぐ さ ま 、 南 大 路 在 長 ・ 菊 長延 ・ 田中 伊 連 等 が 寄 合 い 、 東 西 の年 寄 と 庄 屋代 の三名 を淀 に派 遣 す る こと を 決 め て いる。 伊 連 た ち は そ の三名 に、   ﹁ 検 地奉 行 ﹂ か ら境 内 に つい て 質 問 を う け た 場 合、   ﹁ 東 ハ 高 野 川、 西賀 茂 川、 其 内 半 分 ハ 社 内、 半 分 ハ 社 家 ・ 百 姓 居 屋敷 二 而 御座 候 、 竪横 間 ハ 右 書 上 候 通 二 而御 座 候 ﹂ と 説 明 せ よ と 指 示 し て い る。 翌 日淀 へ 参 上 し た三 名 は 、 ﹁ 検 地 奉 行 ﹂より ﹁ 御                                             ︹ 夫 ︺ 赦 免 之 地 間数 いよく 相異口口口通、其上給所分 ノ 歩役不致 候通、庄 屋 ・ 年 寄 判 仕 、 差 上 候 へ ﹂ と 再 び 書 付 の書 式 に つ い て指 示 を うけ る。   ﹁ 検 地奉 行 ﹂ が 指 示 し た書 式 で の書 付 作 成 に異 を 唱 え た の は 、 庄 屋 助 左 衛 門 であ っ た。 社 中 寄 合 の場 で、 助 左 衛 門 は先 に提 出 し た書 付 の 赦 免 地 の面 積 と 現 状 の面 積 と は大 分 に違 い、 そ の よう な 偽 り の 書 付 に 80

(7)

京都近郊 における延宝検地 の一事例 自 分 の 署 判 す る こ と は迷 惑 であ ると 訴 え る。 これ に対 し、 伊 連 等 は判 を 押 す よ う に促 す が 、 助 左 衛 門 は頑 と し てそ れ を 拒 む 。 そ の結 果、 社 中 で は 、 助 左 衛 門 の 言 分 を 受 入 れ 、 書 付 を 改 め、 そ の日 のう ち に 淀 へ 持 参 し て いる。 そ の 書 付 に 対 し ﹁ 検 地 奉 行 ﹂ は ﹁ 社 家 判 形 被 致候 ハ x、 よく候 ﹂ と指 示 し、 結 局 は庄 屋 以 下 の判 形 で はな く 、 社 家 等 の判 形 に て 書 付 が作 成 さ れ、 十 六 日 に鴨 脚 秀 安 ・ 南 大 路 在 長 ・ 菊 長 延 の三 名 が 淀 へ 書 付 を 持参 し て いる。 そ の書 付 は次 の通 で あ る。             境 内 之覚

一、

        右 之 通、 社 内 ・ 社 家 ・ 百 姓 才 居 屋 敷 二 而御 座 候 、 御 朱 印 御赦         免 地 二 而御 座 候 故 、 古 来 汐 給 所 外 ノ役 儀 ハ 不 仕候 、 即社 内 へ                             ︹ 夫 冒         百 姓 二人 ツ 玉 、 毎 日 つめ歩 仕 候 故 、 他 之 歩 役 ハ 不 仕候         右 之 通 少 も まき れ無 御 座 候 、 以 上                                                     (長   延 )           午 ノ四 月 十 三 日 ノ日付 二 致 差 上 候 留     菊   主   水 判                                                     (在  長 )                                               南 大 路 宮内 少 判                                                     (秀  安 )                                               鴨 脚 修 理 大 夫   鴨 脚 秀安 以 下 の 判 で、 先 の書 付 の約 半 分 の面 積 を 記 し、 御赦 免 地内 に社家 ・ 百姓 等 の 家 屋 敷 が あ る こと 、 これ ま で下 鴨 社 以 外 の給所 か ら の役儀 は 賦 課 され て な い こと 、 下 鴨 社 へ ﹁ つめ歩 ﹂ を 毎 日 二人つ つ 務 めて いる こ と を付 記 し て い る。 結 果 的 に は赦 免 地 は 、 幕 府 よ り南 北 三                   ⑭ 七〇 聞、 東 西 二 九 〇 間 と 認 めら れ て い る。 そ し て、 伊 連 た ち は、 年 寄 た ち へ 前 回 の書 付 の赦 免 地 の面 積 が 異 な る こと に つ いて は、   ﹁ 西河 原 在 所 之 道 ハ 古 ♂ 境 内 ﹂ で あ っ た が 、 京 都 所 司 代 板 倉 重 矩 の時 に、   ﹁ 両 川筋 御 極 被 成 、 神 領 他 領 川 原 地 御 打渡 シ被極 候 故 、 其 時 ず境 内 も せ は ま りL と 釈 明 を せ よと 指 示 し て い る。   以 上 、 赦 免 地 の申 告 を めぐ っ て の 一 連 の動 向 を述 べ た 。 申 告 し た 赦 免 地 と 実 際 の面積 と に隔 り が あ っ た こと が わ か り、 結 果 的 には村 民 の 主 張 が 採 用 さ れ た こと、 最 終 的 に は村 方 で はな く 社 家 等 の判 形 を 以 て 書 付 が 提 出 さ れ た こと 、 社 家 等 が ﹁ 検 地 奉 行 ﹂ と 村 方 と の間 に 立 ち、 ﹁検 地 奉 行 ﹂ の要 請 に対 応 し 、 そ の対 策 を 村 方 に指 示 を 与 え て いた こ と 、 村 民 が 下 鴨 社 の経 営 陣 であ る社 家 等 と 居 住 区 を 同 一 と し て いた こ                                           ⑮ と 、 ま た そ れ が 赦 免 地 内 であ り、 鴨 社 の みが 役 儀 を 懸 け ら れ る権 利 を 長年 継続 し て いた こと な ど か ら 、 下 鴨 村 の在 地 支 配 に つ いて は、 社 領 部 分 にと ど ま ら ず 、 下 鴨 社 が 深 く 関 与 し て い た 在 地構 造が 看 取 でき る。 お  わ  り  に   京 都近 郊 の 村 々 は、 禁 裏 ・ 公 家 ・ 寺 社 等が 入組 む相 給 地 であ る場 合 が多 い。 そ れ 等 の 領 主 の中 に は、 下 鴨 社 と同 様、 伝 統 的 な秩 序 を 踏 襲 し た ま ま の在 地性 の強 い領 主が 含 ま れ る 場合 が あ っ た。 中 世 に お い て 他 の 寺 社 領 同 様 、 下鴨 社 神 領 は 他勢 力 に 浸蝕 さ れ、 縮 小 を余 儀 な く さ れ たが 、 歴 史 的 に 培 わ れ た 下鴨 社 の在 地 への 権 利 自 体 は、 中 近 世 を 通 し て 保 た れ て い た 部分 があ る こと は無 視 でき な い 。 事 実 、 日記 中 に み ら れ る よ う に、 一 社 中 寄合 の場 に村 民が 同 席 し て い る こと は、 神 社 と 村方 と の 関 係 が密 接 で あ っ た こと を物 語 っ て お り、 こ の よう な 神 社 と                                             ⑰ 村方 の 関 係 は、 村 全体 に お よ ん で い た可 能 性 が 高 い。   領 主 と し て は 部 分的 支 配 にと ど ま る はず の下 鴨 社 が 、 下 鴨 村 の幕 領 検 地 にあ た かも 当事 者 のよ う に 登場 す る理 由 と し て、 幕 府 が 自 領 検 地

(8)

窓 を 実施 す るに あ た り、 在 地 の実 質 的 支 配 権 を 行使 し てき た下 鴨 社 を 必 要 と し て いた 実情 を指 摘 で き る。   前 述 の通 り、 延 宝 検 地 は対 象 地 周 辺 大名 に よ っ て実 施 さ れ た検 地 で あ る。 し たが っ て、 彼 ら は在 地 に は不案 内 で あ り、 検 地実 施 す る上 で 必要 な基 本 的 清 報 は他 から 得 るし か な い 。 常 識 的 に考 え て みれ ば 、 そ の情 報 収 集 先 は幕領 支 配機 関 であ る代 官 ・ 預 り衆 、 ま た は村 役 人 であ っ たと いえ る。事 実、 大名 検 地 だ か らと い っ て、 代 官 や預 り衆 が 全 く 関 与 し な か っ た訳 で はな く、 巡 見使 派 遣 に際 し、 幕 府 勘 定 方 から 代 官 切 ・ 一 村 切 絵 図 等 の書 類 の 提 出 を指 示 さ れ て いる。 し かし ﹁ 田 中 伊 連 日記 ﹂ で み る限 り、 下 鴨 村 に お いて実 際 に村 方 と 内 談 し、   ﹁ 境 内 四 方 か ら 、・・ 高 入組 本所 ﹂ の書付 や ﹁ 手引 帳 ﹂ 作 成 、 提 出 し た の は下 鴨 社 で あ る 。   こ こ にお いて、 下鴨 社 の 果 し た役 割 は、 本 来、 検 地 対 象 地 の領 主 ( 代 官 も し く は 預 り衆 ) や村 役 人 が 行 う べき 実 務 であ っ た 。 故 に延 宝 検 地 で下 鴨 社 が 果 し た役 割 は、 替 地 等 で 来 た 在 地 性 のう す い領 主 に は、 為 し得 な か っ たも のと いえ る。 こ の こと は、 下 鴨 村 のよ う な村 方 に 対 し 、 伝 統 的 支 配 権 を 行 使 し て いた 領 主 が 存 在 す る 場 合、 た と え幕 府 で あ っ ても 自 領 掌 握 は希 薄 にな ら ざ るを 得 な か っ た こと を 注意 し て お く 必 要 が あ る。   下鴨 社 が 赦 免 地 を 不正 に現 状 よ り広 く 申 告 し よ う と し て い た こと は、 既 に述 べた 。 こ の下 鴨 社 の行 為 は、 京 都 所 司 代 板 倉 重 矩 の時 に他 領 と な っ た ﹁ 賀 茂 川 筋 ﹂ を 神 領 に回 復 し よ う と し た 領 主 側 の立 場 で 行 っ たも の であ る。 し かし 一 方 で 、 下 鴨 社 は複 数 の領 主 が 入組 む 下 鴨 村 の領 有 関 係 を常 に総 括 的 に把 握 でき ると いう 村 方 の性 質 を も ちあ わ せ て い る。 こ こ に お い て、 領 主 と 村 方 と の両 方 の性格 をあ わ せ も っ て い る こと は注 目 す べ き 事 実 であ る。   村 内 の 一 部 を 領 主 と し て支 配 す る 下 鴨 社 組織 内 に あ っ て、 尚 且 つ 、 村 民 と 生活 を 共 に す る環 境 にあ っ た 社 家等 のな か で、 田中 家 の よう な 決 し て高 い地 位 で あ っ た と は いえ な い 神 職 等が 検 地実 施 の際 、 在 地 側 の 実 務 を 担 っ て い た こと は前 述 し た 通 り であ る。 そ の理 由 と し て 、 彼 等 が領 主 と 村 方 の中 間 層 的 性 格 を も つ存在 であ っ た こ と が 挙 げ ら れ る。   ﹁ 検 地 奉 行﹂ が 村 方 に 対 し、 提 出す る よ う に指 示 し た赦 免 地 申告 の た め の書付 に、 結果 的 に 判 形 し た の は、 宗 教 組 織 と し て の下鴨 社 を代 表 す る も ので も な く、 村 方 を代 表 す る も の でも な い検 地 の 実 務 を担 っ た鴨 脚 秀 安 ・ 南 大路 在 長 ・ 菊 長 延 であ っ た こと は、 こ の こと を裏 付 け て い る と いえ よ う。   ﹁ 検 地奉 行 ﹂ は初 め村 方 の判 形 を求 め て いたが 、 最 終 的 に 判 形 し た のは鴨 脚 秀安 等 であ っ た。 こ の こと から、 彼 等が 単 に下 役 人 と し て検 地 の実 務 を 担 って い ただ け でな く、 下鴨 社 を代 表 す る祢 宜 ・ 祝 と は違 う 立 場 で、 対 外 的 に効 力 を も っ て いた存 在 であ っ た と いえ る。   近 世 京 都 近 郊 に お い て、 こ の よう な 伝 統 的 と も いえ る 在 地 秩序 が 生 き て い た こと は看 過 しえ な い事 実 であ り 、 今 後、 京 都 近郊 に おけ る 地 方 研 究 を進 め る にあ た って、 こ の よう な要 素 を 踏 ま え て考 え て いか な く て は なら な い 。 註 ①   寛 仁 二年 ( 一 〇 一 八) 、朝 廷 よ り山 城 国 愛宕 郡 内 う ち 賀茂 ・ 小 野 ・ 錦 部 ・   大 野 の四 郷が 上 賀 茂 社 に、蓼 倉 ・ 栗 野 ・ 上 栗野 ・ 出 雲 の四郷 が 下 鴨 社 に寄 82

(9)

京都近郊 における延宝検地の一事例   進 さ れ た ( ﹃ 小右 記 ﹄ ) 。 下 鴨 村 は 、そ の四 郷 の 一つ 蓼 倉 郷内 に あ た る。 ② 田中 篆 が 神 殿 守 の職 に就 く のは 、延 宝 期 よ り後 の元 禄 年 間 で あ る。 ③ 京 都 女 子 大 学 図書 館 蔵 ﹃ 下 鴨 社 家 B記 ﹄ 。 本 稿 で 取 扱 う ﹁ 田 中 伊 連 日   記﹂ は、 京 都 女 子大 学 研 究 叢 刊 三 一 ﹃ 下 鴨 社 家 日記 1 ﹄ に既 に収 録 さ れ て   いる。 な お、 日 記 群 の全 体 に つ いて は、 佐 藤 文子 ﹁京 都 女 子大 学図 書 館 所   蔵 ﹃ 下鴨 社 家 日 記 ﹄ ( 田中 家 日記) に つい て﹂ (﹃ 史 窓 ﹄ 第 五 五 号 一 九 九   八年 ) に詳 し い。 ④ 北 島 正元 ﹃ 江 戸幕 府 の権 力構 造 ﹄ ( 岩 波 書 店 一 九 六四年 ) 。 ⑤   延 宝七 年 六月 の ﹁山 城 国 愛 宕 郡 西賀 茂 村 検 地帳 ﹂ ( ﹃ 国 学 院大 学所 蔵 賀 茂   別 雷 神社 座 田家 文 書﹄ マ イ ク ロフ ィ ル ム 版 六 四 七) には こ の 他 に検 地 奉   行 の 加 藤 武 兵 衛 ・ 豊 泉 庄 太 輔 の名 が みら れ るが 、別 の山 城 の国 の 延 宝 検 地   帳 で は検 地 奉 行 と し て山 崎 五 助 ・ 柘 植 左 平 次 の名 が み ら れ る ( ﹃ 京 都 の歴   史 ﹄ 5) 。 こと から 、 検 地 奉 行 は通 常 二名 が 担当 地域 毎 に 任 命 され たと 思   わ れ る。   ﹁鴨 脚 春 光 日次 ﹂ に は、   ﹁ 田中 伊 連 目 記﹂ に みら れ る ﹁頭 ﹂ の肩   書 をも つ 滝 見助 右 衛 門 ・ 生 田 兵左 衛 門 両 人 を ﹁検 地奉 行 ﹂ と し て い るが 、   右 に掲 げ た検 地帳 に みら れ る 検 地奉 行 と 同 様 の 役 職 であ っ た か は断 定 し が   た い。 ⑥ ﹃平 凡 社 大 百科 事 典 ﹄ 山 城 国 の項 。 ⑦ 京 都 市 編 ﹃ 京都 の歴 史 ﹄ 5 ( 一 九 七 二年 ) 。 ⑧ ﹁鴨 脚 春 光 日次 ﹂ ( 京 都 市歴 史 資 料 館 架蔵 写真 版 ﹁ 鴨 脚 正彦 家文 書 ﹂ ) 。 ⑨ ﹁竹 橋 余筆 別集 ﹂ ( 村 上 直 校訂 ﹃ 竹 橋 余筆 別集 ﹄ 近 藤 出 版 一 九 八五 年 )   に よ ると 検 地実 施 の前 年 延 宝 五年 三 月 、幕 府勘 定 方 よ り 関東 及び 畿 内 近 国   の幕 領 への巡 見使 の派 遣 が 触 れ られ て いる 。 江戸 を出 発 し た畿 内 方 面 担当   の巡 見 使 は 、同 年 四月 末 頃京 着 し たと 思 わ れ 、そ の後 担 当 各 地 を巡 回 し 、   翌年 正 月 、 下鴨 村 の見 分 実 施 に至 っ たと 思 わ れ る。 ⑩ ﹁竹 橋 余筆 別集 ﹂ 。 ⑪ ﹁鴨 脚 春 光 日次 ﹂ 三 月 二十 二日条 にも ﹁今 日御 蔵 所 ハ 検 地御 座 候 ﹂ と あ   る。 ⑫ 延 宝 検 地 で定 めら れ た新 高が 、 山 城 国 で実 際 採 用 さ れ る の は 元禄 二年   (一 六八 九 ) であ る ( ﹁ 京 都 御役 所 向 大 概 覚帳 ﹂) 。   コ 兀 禄 郷帳 ﹂ は 、 新 高   採用 から 七 年後 の元 禄 九 年作 成 であ る。 ⑬ 古館 三 徳氏旧 蔵文書 ( 京都 市歴史資料館所蔵) 。表紙 に は ﹁ 明治二 十年﹂   と あ る が、内容は 江戸時代 の も の を多く含んで い る 。近世下 鴨 村を 知 る 数  少 ない 史料 の 一 つ 。 ﹁ 下 鴨 村 ﹂  ( 京都市編 ﹃ 史料京都 の 歴史 左 京区﹄ 一   九八五 年) に は、 こ の 史料掲 載 にあたり 、  ﹁ 明治十 九年 に 各町村から 京都   府 へ 提出した沿 革取調 の 村控とみなし 得 る もの ﹂ と 注釈を付して い る 。 ⑭ 山 口 泰弘家文 書 (京都市歴 史資料館架蔵写真 版 ) ⑮ 享保年間以降 幕末ま で 領 有関 係 の 目立 っ た 変化 は 無 い 。付 表 参照 。 ⑯ ﹁ 鴨脚春光日 次﹂ 。 ⑰ 両者とも氏人 。林家は田中 家同様神殿守 の 職 を 世襲して い る 。神殿守と   しての 由緒は田 中家より古 い 。 ⑱ ﹁ 竹橋余 筆 別 集﹂ 。 ⑲ この 書付は、 破 丁の ため 前部が欠損し て おり、 全文 は 不明である 。 ㊧    ﹁ 山城国愛 宕郡 下 鴨境内 ( 元 禄 二 年鴨社 境内絵 図 ) ﹂( ⑳を参照 ) では 、   ﹁ 山 城国愛宕郡下 鴨境内  南北 九 百 七 拾 六 間  東 西四 百廿七間 ﹂内 ﹁社内  在所御赦免地  南北三百七拾 間 東 西 弐百 九拾間﹂とな っ て い る 。 ⑳ 近世下 鴨社境内絵図は ﹁ 下 鴨境内之絵図 ( 寛 文 古 図) ﹂  ﹁山城国愛宕郡   下 賀茂境内絵図 ﹂  ( 延宝四 年作成)  ﹁ 山城 国愛宕郡下鴨境内 ( 元 禄 二 年鴨  社境内絵図 ) し  ﹁ 鴨社絵図 ( 元 禄 十二 年鴨社丈量 絵図) ﹂と称 す る も の が伝  存 してい る ( ﹃ 鴨社古絵図展 ﹄ 財団 法人糺 の 森顕彰会  一 九八五 年) 。 ⑫ ⑳参照。 ⑱ ⑳ の 絵図をみる と、東西両 河川沿 いに 、それ ぞれ高野川筋 ・ 賀茂川筋と  称す る 土地があり 、境内を示 す境界線 の 外 に 位置 してい る。 後述す る が、   西 側 の 賀茂川 筋 は 、もともと下 鴨社領 で あ っ たところ を京都所 司代岩倉重   矩の 時 に 、他 領 とな っ た土地と 思 わ れ る 。 ⑳   須磨千頴 ﹁ 山 城上賀茂 の 天正 検地﹂  ( 同人 編 ﹃ 中世 の 窓﹄ 吉川弘文館   一 九七七年)にょる と残存している 上賀茂 の 天正 検地帳 の うち 天正十七 年   ( 一 五八 九) 極月 八日 付太田又 助書判 の ﹁ 山 城国京辺愛宕郡下 鴨村御検地  帳﹂ には 、 二 = 一筆三七 一 石四 斗 八 合 の 田畠 が載 せ られて い ると され て お   り 、下鴨村 内 の 賀茂社領 分 の 検地帳 で ある こ と が わか る。 ⑳ ⑳と同じ。 ⑳   下鴨村内 の 上 賀茂社領をめ ぐ る 境相論 は 、延宝 検地 に 際し、 俄 に 起 っ た

(10)

窓 史   の で はな く 、 近世 を通 じ て恒 常 的 に争 わ れ て いたと 考 え ら れ る。   ﹁ 戌年 相   極 候 ﹂ 境 と 上賀 茂 社 が 主 張 し た こと から も 、 延 宝期 以 前 か ら境 相 論 が あ っ   た こ と が う か が え る。 ⑳     ﹁賀 茂 別 雷神 社 文 書 ﹂   ( 東 京大 学 史 料 編 纂 所架 蔵 写 真 帳 ) 。 こ の 名 寄帳   は 下鴨 村 内 の上 賀 茂 社領 分 全 てを 記載 し たも ので は な い 。 一 部 を書 出 し た   も のか、 あ る いは作 成途 中 のも のと考 え ら れ る。 ⑱     ﹁下 鴨 町 村 沿革 取 調帳 ﹂ によ る と 、 下鴨 村 で いう 庄屋 と は、 各領 主付 き   の庄 屋 で あ っ て村 政 に は関 わら な い 。 特 に同 史 料 は 、下 鴨 社 領 庄 屋 を項 黛   に 立 て 、次 の よう に 説明 し て いる ﹁是 ハ 鴨 社 神 領 庄 屋 ニシテ、 一 社役 人 会   議 所 二 於 テ、 租 税 取 立 ノ際 会 議 所 へ出頭 立 合 ス。租 税 ハ 直 納 、 且神 領 ノ地   所 人 民 譲 渡 ノ際 ハ 庄 屋 へ 届 出 ツ レ ハ 、庄 屋 ヨリ 一 社 へ 届 出 ル等 ノ 類 、皐 損   ノ 年 ハ 一 社 役 人 田 面毛 見 ノ際 、 同行 案 内 ス 。 尤 庄 屋 取立 ノ租 税 ハ 無 シ、 且   村 庄 屋 ニ ハ 無 之 ニョリ民 治 二 関 係 ナ シ ﹂ 。 村 政 は 、 東 町 ・ 西 町 に 置 か れ た   年 寄 二名 と 、 補佐 役 の脇 年 寄 を 中 心 に 運営 さ れ て いた。 ⑳   ﹁鴨 脚 春 光 日 次 ﹂ で は、 同 期 間 中 に ﹁ 御蔵 所﹂ ﹁東 買 人 サ バ キ ノ所 ﹂   ﹁ 西買 人 サバ キ ノ 所 ﹂ が 検 地 さ れ て い る こと が わ か る。 ⑳  近 世 、 下 鴨 村 は東 部 を 蓼 倉 郷 と 西部 を中 村 郷 と称 し て いた 。 ⑳  延 宝 の検 地帳 が 実 際 に交 付 さ れ る の は延 宝 七年 六月 であ る 。 ⑫   こ こ で いう 庄 屋 と は下 鴨 社 領 付 き庄 屋 の こと 。⑳ 参 照 。     ⑳ と 同 じ 。 ⑭ ⑳ と 同 じ 。 ⑳     ﹁下 鴨 町 村 沿革 取調 書 ﹂ によ る と年 間 延 一 七 一 一 人 が 人 足 と し て下 鴨 社   神 事 に奉 仕 し て いる。 ⑳   たと えば 、 川島 村 ( 現 西 京 区) の革 島 家 や 調 子村 ( 現 長 岡 京市 ) の調 子   家 など が 挙 げ ら れ るが 、 そ の他 の 事 例 に つ いて は 、今 回 確 認 す る に至 って   いな い 。 今 後 の 課 題 とす る。 ⑰  近 世 の下 鴨 社 と 下鴨 村 の関 係 は 、年 寄 給 の 一 部 を 下鴨 社 が 負 担 し て い た   り 、村 役 人 交 代 時 、 下鴨 社 の承 認 が 必要 であ っ た り等 、 非 常 に 密 な る関 係   で あ っ た。 ま た 、 町奉 行 所 等 への 提 出 書 類 は 、 一 旦 下鴨 社 を 通す のが 慣 例   で あ っ た。 例 え ば 、宗 門 改 帳 は 一 社 役 人 が 奥 書 調印 し、 町 奉 行所 へ 差 出 さ   れ て いる。 ほ かに 村方 の訴 訟 等 は 町奉 行 所 よ り も先 に、 下 鴨 社 の 調 停 によ る和 解 が 勧 め られ て いる 。  ( ﹁ 下鴨 町 村 沿革 取 調 書 ﹂ ) 84

(11)

京都近郊における延宝検地の一事例 付表  近世における下鴨村の領主 ・石高変遷 山城 国 高八郡 村 名帳 単位(石) 下 鴨町 村沿 革取 調書 単 位(石 〉 旧高 旧領取 調 帳 単 位(石)        J 禁 裏御 料(増 御 料) 46.756 禁裏御料 46.756 元御料 48.933 大聖寺宮御料 35 大 聖寺 宮家 領 35 本 光 院領         135 大慈院領 ! 大慈院宮家領 0.28 大 慈 院領 0.28         11 禅智院領 30.028 禅智院宮家領 30.028 禅 智 院領 30.028 花 園殿 家 領 54.542 花 園家 家領 54.542 花 園 家領 54.542 立 入播 磨 守知 行 1.037 立 入加 賀守 知行 1.037 立 入 宗信知 行 1.437 岩 橋美 濃 守知 行 5.83 岩 橋近 江知 行 5.83 岩 橋 元氏知 行 5.83 細川 出雲 守知 行 31.422 細 河三 河知 行 31.422 細 川 常存知 行 31.422 安 田美 作 守知 行 31.334 安 田美作 知 行 31.334 安 田 永親知 行 31.334 吉 田越 後 守知 行 31.317 吉 田遠 江知 行 31.317 吉 田 良栄知 行 31.317 池上 又 五郎 知 行 2.177 地上 幸太 郎 知行 2.177 藤木仙納 ・吉田有童知行 95 御車役人吉田弥市 ・藤木仙納知行 95 藤 木仙 納知 行 吉 田 弥市知 行 祐 森左 近知 行 岩 佐主 馬知 行 蟻 井帯 刀知 行 岩佐 左 衛門 知行 安 田監 物知 行 三 宅宮 内知 行 尾 崎 中務知 行 芦 田主 水知 行 松 野新 九郎 知 行 芥川佐右衛門知行 芥 川左 内知 行 25 20 5 5 5 5 5 5 5 5 5 3 2

i

松海院領   :.: 北 野社吉 見 家知 行 45.868 吉 見資 陳知 行 吉 見 隆永知 行 43.828 2.04 正法 寺領 0.934 霊 山正法 寺領 0.934 正 法寺 領 0.934         li 健仁寺領 0.06 建仁寺領 1!.

1

上 賀 茂社 領 371.408 賀茂社領 371.408 上 賀茂 社領 371.4G8  i         l 下鴨社領 541 鴨社領 541 下鴨社領 541 i 鴨社 神馬 料(延 宝の打 出) II.2 下鴨社神馬料 11.3 〔典 拠〕  「山城 国 高八 郡柑 名帳 」(山 口泰 弘家 文 書)S  厂下 鴨 町村 沿 革 取 調 書 」(古 館 三 徳 氏 旧蔵 文 書),木 村 礎       校訂r旧 高 旧領 取 調 隈』(近 藤 出版  1975年)よ り作成 。

参照

関連したドキュメント

都内の観測井の配置図を図-4に示す。平成21年現在、42地点91観測 井において地下水位の観測を行っている。水準測量 ※5

13

本検討区域は、 「東京都日影による中高層建築物の高さの制限に関 する条例(昭和 53 年 7 月 14 日東京都条例第 63 号) 」に規定する別表 第三及び第