東 南 ア ジア研 究 17巻1号 1979年6月
資 料 ・研 究 ノー ト
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へ
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小
、へ
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隈 =i :[=:聖 典 t . 二 一 .::
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a-RyujiO KUDAIRA*
Theaim ofthispaperistooutlinethehistoryof theorlgln and developmentoftheD】1ammathats
,
thecollectionorrulesembodyingthecustomsand usagesoftheBurmesepeopleinthekingdomsof Burma,whicharethemainsourceofBurmeseLaw,
and to trace t'rieRy the research done on theま
え
現 代 ビル マ社 会 の法 制 度 と法 恩 恵 の基 盤 を
な して い る もの は,現 代 ビル マの代 表 的法学
者 で あ る り ・ミヤ ・セ イ ンが指摘 して い る と
お り
,1)ビル マ諸 民 族 の歴 史過 程 において,良
い間採 用 ,履行 され て きた慣 習 を基礎 と し,
普及 して きた社 会 法 で あ る 「ビル マ慣 習法
」2)(
齢
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M yanm a Dalay H tondanUpaday)で あ り, そ の中核
は,-*外 務省 ア ジア局南東 ア ジア第 2課 ;SecondSouth EastAsiaDivision,AsianAffairsBureau,Mi n-istryofForeignAffairs,Tokyo,Japan1)
呂3
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亭 (U MyaSeinl119701齢
臼つOG
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3 (5thed・一・Rangoon,p・1・2)Lot.liz.
Dhammathatsuptothel・reSent,Sincespecialefforts weremadetoprlnt,editandtranslatethem from the pa一m leafmanuscrlptSandsoonT)ybothforeigners andBurmesebetweentheendofthe18thCentury andtheendofthe19thCentury.
が
き
般 的 に 「ダ ムマ タ ッ」(ビル マ語 で は
QeC
。
C
S
Dham m athat
, パ ー リ語 で は
Dhamm asat -tha血) と呼 ばれ る もので あ る。
「ダ ムマ タ ッ」 とは,
1
885
年 の テ ィ ボ オ
(Thibaw)王流 刑 に 伴 う コ ンパ ウ ン王朝崩 壊
まで の ビル マ歴代 王朝 で, そ の時代 に応 じ,
履行 ・遵 守 されて きた仏教 徒 ビル マ人 の慣 習,
文化 ,社 会規 範 な らび に発 生 した訴 訟 の判 例
を集 め解 説 した 社 会法典 で あ り
,3)い わ ゆ る
「慣 習法 典
」 4)と称す べ き法 典 の総 称で あ る。
3)Iud.,p.3. 4)0.H.ムーサム 『ビルマ仏教徒 と慣習法』昭和
17年 ,満 鉄東亜経済調 査局,p.5. 99この意味 で,僧 侶 に関す る法律 で あ るヴ ィナ
ヤ(
Vi
na
ya)
5
)
とは区別 され るべ き性質 の もの
で あ る
。ダ ム マ タ ッは, その源 流 を マ ヌ法典 を は じ
め とす るイ ン ド諸法典 に さか のぼ る ことがで
き る といわ れ,事 実,初 期 のダ ムマ タ ッにお
いて は,形式 的 に も, 内容 的 に も, ヒ ン ドゥ
ー法 典 の影 響 を少 なか らず受 けて きた形 跡 が
認 め られ る。 しか し, 時代 の変遷 とと もに,
土着 の社 会慣 習 にそ ぐわぬ ヒ ン ドゥー法 思想
は, 仏教 思想 の導 入 な ど と も相 ま って,漸 次
排 除 され, い く多 の法典 編幕 を重 ねて, 内容
的 に も変 質 し, や がて典 型 的 な ビル マ法典 が
で きあが った 。 この よ うにダ ムマ タ ッの編纂
は長 い歴 史過程 を経 て きたた め, ダ ムマ タ ッ
相互 の間 で, あ るい は一 つ のダ ムマ タ ッの中
です ら相 異 な い し前 後不 統一 が見 られ る。 し
か し,各 々のダ ムマ タ ッにお いて, その時代
の人 々の慣習 を考 慮 しつ つ, 補足修 正 が加 え
られ て きた事 実 は, ダ ム マ タ ッが時代 の要請
に応 えた社 会法典 で あ った ことを示 して い る
。王 朝 時 代 に お いて は, 国
現在 で も高 い
存 在 価 値
王や法 律家 は, ダ ムマ タ ッ
を畏敬 の念 を も って取 り扱
った 。裁 判官 は諸 々のダ ムマ タ ッを参照 しな
が ら,直 面す る係 争 を処理 す る ことが要求 さ
れ た。 また,国王 には法律 を制 定す る権 限 は
な く,従 って, 国王 がダ ムマ タ ッを編纂 す る
ことは考 え られな い こ とで あ った。 しか し,
ダ ムマ タ ッが唯一絶 対 的 な法 源 で あ る ことは,
逆 に国王 や法律 家 にダ ムマ タ ッを批 判 させ,
適 宜 必要 な修正 を行 うことを可能 に させ た。6
)
だ が, 英 国 の
ビル マ併合後 ,英 国法 の導 入
に伴 い, ビル マ に も成 文 法 の 時 代 が到 来 し
5)Lbid・,p・7.「
寺院法典」との訳が見 られるが,
ここでは 「
僧侶に関する法律」と訳 しておきた
い。
6) U HlaAung・1969
・
"ThellurmeseConceptof Law,
"
Jo〟-arofTAGBurmaResearchSociez_γ (以下J・B.R.S.と略す)
,Vol.Ⅰ・ⅠIT,pt.ii,p.35. 100た 。ダ ムマ タ ッは もはや唯一 ,絶 対的 な法 源
で はな くな った 。裁判 所 は 「ビル マのダ ムマ
タ ッは, それ らの固有 の力 によ って適 用 され
るので はな く,制 定 された法 に よ って のみ適
用 され うる」7
)
と した 。 また,王朝 時代 の判 例
の多 くは,社 会 の実情 にそ ぐわ ず, そ の存 在
価 値 を失 って しま った 。独 立後現 代 に至 る ビ
ル マ社 会 で は 「
ビル マの慣 習法 と政府 の法規
定 が相 反 す る場 合 には,政府 の法規 定 に従 う
こと
」8)す なわ ち 「ダ ム マ タ ッと成 文法 とが仮
に抵触 す るよ うな事 態 が起 これ ば,成 文法 が
優 先す る」9
)
ので あ り 「
現代 の慣習 の方 が あま
り世 間 に知 られて いな い慣習 法典 の規 定 よ り
も, はるか に 安全 な 指導者 で あ る
」10)とさえ
いわれ る。 しか し, それ に もかかわ らず , と
くに, 婚姻 ,離婚 ,養子 , 相続 な らび に宗 教
的慣例 な どのいわ ゆ る民事 に関す る判 例 の 多
くは, ダ ム マ タ ッの規 定 が, 依然 と して最 終
的 な法源 とな って お り, また,現代
ビル マの
著 名な法学 者 り ・フ ラ ・ア ウ ンが指摘 して い
る とお り
,
「ビル マ人 は,慣 習 的法 規 が法 的,
立法 的承 認 が な ければ法 た りえない との理 論
を容認 して お らず,慣習 もまた, 立法 と同 じ
よ うな意 味で の法 制定手 続 で ある と考 えて い
る
」11)
点 か ら見 て も, 今 日の ビル マ社 会 にお
いて も, ダ ムマ タ ッの存 在価 値 は極 めて高 い
といえ よ う。
な お,ダ ムマ タ ッは,且 葉書
(GUのつPe
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や書 帖 (
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の形 で編纂 され ,
数 々の 異本 が 知 られ て い るが
,19世 紀 中 葉
にな って 欧州 人 の手 で初 めて外 国語 に完訳 ,
出版 された のを 皮 切 り に, コ ンパ ウ ン王朝
(
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)
後 期 にか けて, これ らダ ムマ タ
7)Ibtd.,p.38. 8)U MyaSein,o
j
).tit...p・13. 9)大野徹 『ビルマの社会 と経済
』
〔アジアを見
る目
43〕197
2,アジア経済研究所
,p.74.10)Mootham,O.H.1939.B〟rme∫CBuddht∫tZJau,.
LOndon,p.6.
輿平 :ビル マの 「ダ ム マ タ ッ」 (慣 習法典 ) につい て ッ ・テキス トの刊行事業 が, 欧州 人研 究者 が 中心 とな って進 め られ るにお よんで, ダ ムマ タ ッの存在 が にわ か に脚光 を浴 び, その研究 が鼓舞 された。以 後,英 国統 治下 で は, 欧州 人 研究者 が 中心 とな って,また独 立後,現代 に 至 る時期 において は, 主 と して ビル マ人法律 研 究者 の手 で, ダ ムマ タ ッの研 究 が続 け られ て きて い る。 本稿 で は, ビル マのダ ムマ タ ッの起源 ,性 格 な らび にその成 立過 程 ,ダ ムマ タ ッ諸 本 の 構 成 と内容 , さ らに研 究史 な どダ ムマ タ ッの 全貌 を可能 な限 り明 らか に しよ うと した。今 後 のわ が国 にお けるダ ムマ タ ッ研 究 の一 助 に なれ ば,私 の望外 の喜 び とす る と ころで あ る。 Ⅰ ダム マ タッの起源 お よび性 格
1
起 源 ダ ムマ タ ッが いつ ごろか ら, どんな種類 の ものが, い くつ ぐらい編纂 された か につ いて 正 確 に把 握す る ことは, これ まで 明 らか に さ れ て い る諸 資料 か らだ けで は,極 めて 困難 で あ る。 ウ ・ミヤ ・セ イ ンは 「一 つ の民族 な い し一 つ の国家 が 出現 す る擦, その文 化程 度 に 従 い,慣習 ,社 会的 義務,規 則な どが存在す る ことは間違 い な い。 同様 にわ れわれ ビル マ 人が民族 と して 明確 にな りは じめた時 期 にお いて も,伝統 的慣習,文化 な らび に社 会 的義 務 な どが存在 した に違 いな い。その よ うな社 会 的義務 ない し規則 な どに遠 反 した場合 ,受 けな けれ ばな らない罰 則 の規定 も存在 した は ず で ある。 この よ うな慣 習 , 文化 な らび に社 会規範 な どを集成 した時期 に, われわれ のダ ムマ タ ッが初 めて 出現 した もの とお よそ推定 され る」12)と述 べて い る。 ダ ムマ タ ッの起 源 に関 し, 主 と して 西 欧 人 な らび にイ ン ド人 研 究 者 の 多 くは, これ がサ ンス ク リッ ト語 「ダル マ シ ャース トラ」(
Dhar
ma孟
a
s
t
r
a
)
を語 源 に もち, ヒン ドゥー 諸法典 の影 響 を受 けた もので あ る との説 を唱 えて きた13)の に対 し,ビル マ人研 究者 の多 く は,語源 的 にはパ ー リ語 の 「ダ ムマサ ック ン」(
Dha
mma始t
t
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rh) に由来 し, また,
「ダ ル マ シ ャー ス トラ」 が ヒン ドゥー教聖典 で あ る 12)U MyaSeLin,
o
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・,p・4・ の に対 し, ダ ムマ タ ッは,土着 の慣 習 に基 づ いて編策 された社 会慣 習法 典で あ る と して, ヒ ン ドゥー起 源説 を否定 し,14)あ るい は, ヒ ン ドゥー法典 の影響 を受 けた ことを認 めつつ も, その後大 き く変質 した15)と の 説 を と っ て い る。か よ うに, ダ ムマ タ ッの起 源 を め ぐ って相 対 立す る種 々の学 説 が発 表 されて いて 13)い くつかの例を挙げれば次のとおりである。 ① 「多 くの節が古代 ヒンドゥー諸法典か ら取 り 入れ られている。また,ダムマタッは多 くの ヒンドゥー慣習を承認 している。それ故,ダ ムマタッのヒンドゥー起源を否定することが できない」(1・ahiri・1957.Pri"r
lj)leofModer7i Burme∫cBuddhtsILaw (6thed.
)
. Calcutta,
p.2.) ⑧ 「インド法は,ビルマ法の第 1期の間,クラ イン人によって採用 され,さらに,パ- 1)請 タライン ・テキス トか らの翻訳に際 して,何 らの重要な変更を行 うことな くビルマ人によ り引き継がれた」(Furnivall
,
∫
.
S.によるDr. Forcbhammer説の紹介。1940. HManuin Burma,"JIB・R・S・,VoLXXX,pt.ii,p.353.)⑧ 「ビルマの古代法および若干の相異はあるが, 後代のパー リ語の法テキス トは,マヌなどの
ヒンドゥー ・ダルマシャース トラを基礎とし ている」(MabelHaynes13ode.1965.TAGPall Li/eratureof Burma tphotographicRept.]. Rangoon,p.84.) ④ 「ヒンドゥーの影響は,ワ-ガル ・ダムマタ ッにおいて,明白に識別 しうる。ダムマタッ という言葉そのものが,そのインド起源を自 ら表わ している。それは,明 らかにヒンドゥ ー ・ダルマシャース トラの応用である。マヌ は最終的な権威 として頼 りにされている」
(MaungBalian・1952・A LegalH Cl∫toryof h diaandBurma.Rangoon,p.71.)
興 味 深 いが , これ につ い て 論 ず る こ とは, 本 稿 の 目的 で はな い の で , 別 の 機 会 に改 めて 検 討 して み た い と思 う。 ダ ム マ タ ッは, 主 と して僧 侶 な らび に法 律 家 の手 で編 纂 され て きた 。 そ れ らは, 初 期 の ころに はパ ー リ語 な い しモ ン語 で書 か れた が , タール ン
(
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un)
王 (1629-1648)治 世 以 降, ビル マ語 散 文 あ るい は韻 文 で 書 か れ る よ うにな った 。 王 朝 時 代 に あ って は, これ らの ダ ム マ タ ッを参 照 しつ つ , 裁 判 の 判 決 を下 し た。 ビル マ史 最 古 の ダ ム マ タ ッは, 西 暦 紀 元前5
世 紀 の ドゥ タ ッバ ウ ン(
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王 治 世 に 編 某 さ れ たDut
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番 目は シ ュ リー ク シ ェ- トラ (ビル マ 語 読 み で, タ イ エー ケ ックー ヤ) 国 , ア テ ィ テ ィヤ(
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王 治 世 に編 纂 され たAt
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番 目 は,パ ガ ン国 ビ ュー ・ミン ・デ ィー
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)
王 治 世 (ビル マ暦 89年) に 編 纂 され たPyu
14)い くつかの例を紹介すれば次のとお りである。 ① 「これ らすべての事実を考慮 したのち, ビル マのダムマタッの起源は土着のものであ り, また,その中に並べ られた法律 はほとんどビ ルマの慣習法であるとの結論に達す る」(Maung Kyin Swi .1966."TheOrigin and DevelopmentoftheDhammathats
,
"
I.B.A.S.,Rangoon,p.204.)
⑧ 「賢者マヌが ビルマのテキス トで解説 してい るのは, ヒン ドゥー法ではな く, ビルマの法 と慣習であ り,マヌは便宜 な,威信ある代弁 者である」 (MaungMaung・1963.I-au・a71d CustominBurmaajtdtheBurmc∫eFami/7.
TheHague,p.5・) (㊨ 「ビルマの慣習法は, ビル マ史 とともに発生 して きた。 ビルマ民族はチベ ッ ト・ビルマ族 に属 し,北部山岳地帯か ら平地へ と降 りて来 た時か ら,彼 らとともに慣習法 もたず さえて きた」 (MaungKyinSwi
,p
p.
liz
.,p.194に Dr.HtinAung説が紹介 されている。) (む 「ビルマ法は,起源 において土着の ものであ った。そ して,ほとんど ヒン ドゥー法の影響 は受 けなか った」(HtinÅung.1962.[Preface to]BurmeseLaw TaZe∫.London.)102
Mi
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れて い るが,16)これ ら三 つ のダ ム マ タ ッは, いず れ も現 存 せ ず , また, これ らが 実 際 に存 在 した との確 か な資 料 も見 当 た らな い こ とか ら, 伝 説 の城 を 出 な い との説17)もあ る。
2 性
格
前 述 した とお り, ダ ム マ タ ッは, ビル マ人 仏 教 徒 の慣 習 , 文 化 , 社 会 的規 範 や 判 例 を ま とめ た社 会 法 典 で あ るが, さ らに厳 密 にい え ば, ム ー サ ム(
0.H.Moot
ham)
が 指摘 して 15)若干の例を挙げれば次のとお りである。 ① 「ヒン ドゥー法 に対す るわれわれの借 りには, 少なか らぬものがある。 しか し,われわれの 借 りの程度は しば しば誇張 されてきた」
(
U
HlaA一.lng,02.lit.,p.31.1 ⑧ 「ビルマ法は古代 のタイプの ヒン ドゥー法に 基づいているが,それは次第 に仏教原理が作 用 して,その源か ら,かけ離れて行 った」(Tagore
・
Jardtnel∫Note. Rangoon,pt.III,
p.2.) ⑧ 「ビルマのダムマタッは,随所でイン ド起源 であることを露呈 している0-.- しか し・ ヒ ン ドゥー法 論 文 仕Iindu treatlSeS)がわれわ れの裁判所で権威があるとい う印象を形成 し ていることに対 して学生諸君 は警戒せねばな らない」(U ChanToon・1894.ThePrin{
ziZe o/BuddhistLaTU.Rangoon,p.9.)④ 「ビルマ法は,その初期の段階では,かな り の程度 ヒンドゥー ・マヌ法典 の影 響 を 受 け た。 しか し,それはのちになって ヒン ドゥー 法文献 との関係を全て打 ち破 った。かつてダ ムマタッは, ヒン ドゥー法典か らの応用 によ って編纂 されたが,再びイ ンドか ら借用す る 必要がな くなった」 (U HlaAung,op.citリ p.33.) ⑤HtinAung説 に対する批判 「『ビルマ法の起 源 は土着の ものであ り, ヒン ドゥー法の影響 は,ほとんど受 けていない』 と確信すること は,われわれとしては恩知 らず (Ungrateful) であ り,あるいは熱狂的愛国主義的です らあ る。…… 『ビルマの慣習法は,チベ ッ ト・ビ ルマ族がたず さえて きた』 とす る見解 は信 じ 難 い」 (Maung Kyin Swi,op.cZ'
1
.,PP.199-20ぐ).)
16)U MyaSein,oZb.lit.,p.8.
奥平 :ビル マの 「ダ ム マ タ ッ」(慣習法典)について い るとお り, 法典
(
c
ode
)
あ るい は 法規 類纂(
di
ges
t
)
とい うよ り, む しろ風俗 ・習 慣, 係 争 の論点 に関す る判 決 や従 前 の裁 判 で支 持 さ れ た判例 な どの記 録 で あ る。18)また, ダ ム マ タ ッは, 僧 侶 の行 為 に関す る準 則 や僧 院 関係 の事 件 に関す る規 則 の蒐 集 録 で あ る ヴ ィナ ヤ19)とは峻別 され るべ き性 質 の もの であ る。 す なわ ち, ビル マ人家 族 の慣 習法 は,一 般的 に 「ビル マ人仏 教徒 法」 (
Bur
mes
eBuddhi
s
t
Law
齢 Q
つ7
3。jつ33つ∽甲 2OG
。)と呼 ば れるが, それ は実 際 には僧 侶 の法律 (
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cl
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s
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as
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i
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aw)
で はな く世 俗 法 な ので ある。この点 誤解 を 生 み易 いので と くに注 意 して お く。20) 確 か に 「仏教 徒 法 」 とい う 呼 称 は,Bur
ma
Cour
t
sAct(
1
875*) Uppe
r Bur
ma Ci
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Jus
t
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at
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on (
1886年) LowerBur
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Cour
t
sAc
t (
1
889
年) な どで初 めて用 い られ た が, この呼 称 は,宗教 関係 法 と誤解 され る ので, 表 現 と して は適 切 で はな く, 多 くの ビル マ人研 究 者 が その表 現 の誤 りを指 摘 して い る。21)と くに, ウ ・ミヤ ・セ イ ンは 「ビル マ人 の慣 習 の歴史 を積 み重 ね, 時代 に即 して 修 正 し, 受 け容 れて きた ビル マ婚 姻,社 会 な どの 関係法 は 『ビル マ人慣 習 法』 (
Myanma
Dal
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ondanUpaday
齢
OっoG
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?車
∽S:
20C3) と 表現 して 初 めて 適 切 かつ正確 で あ る」22)と述 べ て い る。Ⅱ
ダ ム マ タ ッ の 成 立 過 程 次 に, 上記 Ⅰの1
で 見 た とお り, ビル マ最 古 のダ ムマ タ ッが 仮 に前5
世 紀 に成 立 して い た と して, そ の後1
9
世 紀 の末 葉 にか けて の ビ ル マ王朝 時代 に一 体 どの よ うな形 態 のダ ムマ タ ッが い くつ編 纂 され た か につ いて 見て みた い 。 まず, ダムマ タ ッに言及 し,解 説 した ビル マ語文献 と して主 な ものを挙 げれ ば, 埼代 順 に(∋1
796
年 に, テ ィ リ ・マ- ー ・ゼ - ヤ ドゥ- (
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iMahaZe
yat
ht
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によ り編 纂 されたKawiLakkhapaDi
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-4・
邦 訳 は満鉄経済調査局版による。
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において,Vi
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年 に, ミンヂ一 ・マハ 一 ・テ ィ リ ・ゼ -ヤ ドゥ- (
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によ り編某 された 『ビル マ文 献史
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年のつ∽ S: と呼 ばれ る
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33等6:
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893-1895
年 に, キ ンウ ン ・ミンデ ー
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ngyiU Gaung)
が 著 わ した 『ビル マ人 仏教 徒法 要 録
』
2
巻 (車 重 G酢c
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年にラング ーンのThudha
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か ら発行された。
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26'の三 つ で あ る。 マハ 一 ・ア イ ① は いわ ば 「綴字 法辞 典 」 リ ・ゼ - ヤ ド と呼 び うる もので あ るが, ウ ー の 貢 献 内容 的 に は, 三 蔵 経 ,星 相 学 , ダ ムマ タ ッな ど に 関 し 知 っ て お くべ き内容 が盛 り込 まれ た一 種 の辞 典 で あ り, コ ンパ ウ ン王朝初 期 か ら今 日まで の ビル マ文学 研 究 者 に と って手 離 せ ない 文 献 と な っ て い る。27)この 中で , ダ ムマ タ ッにつ いて若 干 の 解 説 を行 な って い る。28)また ② につ いて は, ミン ドン王(
1
853-1
878)
か らテ ィボ オ王(
1
878
-1
885)
治世 にか けて 官 吏 と して仕 え, の ち 仁 マ イ ン ・カ イ ン(
M ai
ng Khai
ng)
侯 とな っ た マハ 一 ・テ ィ リ ・ゼ - ヤ ドゥ- が一 時 , 王 室 図書 館 の 司書(
Kee
per
)
を 務 めて いた こと が あ り,この機 会 が彼 に本 書 を編 纂 させ ,ダ ム マ タ ッの 調査 研 究 に大 き く貢献 す る と ころ と な った 。彼 は同書 にお いて ,仏 陀 が説 い た経 , 律 お よび論 の三蔵 パ - 1)聖 典 と と も に, 義 疏(
At
t
hakat
ha)
,復 註(
T王
ka)
を は じめ,星 相 学 典 ,医薬 典 ,四言 長詩 ,韻詩 ,子 守 歌 に至 る ま で,1
886
年 ま で の あ りとあ らゆ る書 帖(
Par
a-bai
k)
,且 葉 書(
Pe
i
hmu)
杏, そ の 名称 , 編 者 , 編纂 年 な どが容 易 に理 解 で き るよ う,項 目 ご とに歴 史 的 に配 列 し, 各 々 に簡 単 な解 説 を付 して い る.29)この うち, ダ ムマ タ ッの リス ト 紘,No.1602
か らNo.1704
まで とな って お り,総 計1
75
のダ ムマ タ ッ (但 し, こ こで い うダ ム マ タ ッと は,広 義 の 意味 のダ ム マ タ ッ と解 され , ダ ムマ タ ッ ・テ キ ス トそ の もの以 外 に,裁 判 記 録, ダ ム マ タ ッ概 説 書 , ダ ムマ2
6)
英訳の正式呼称は A Digestof ike BurmeseBuddh'st Law co71CermlLg .lnAeritance and
Marrtagc; being a CoZZe{tion
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Textsfrom Th-rty-∫
ix Dhammathat∫(
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タ ッ韻詩 を も含 ん で い る) が存 在 した ことを 明 らか に し, そ の うち判 明 して い る もの102
につ いて , 解 説 を行 う一一万 ,残 りの73
につ い て は, 名称 , 編者 な ど一 切 不 明 で あ る と して い る。30)さ らに ③ につ いて は, コ ンパ ウ ン王 朝 末 期 の ミン ドン お よ び テ ィボ オ両 王 の首 席 大 臣 を務 め, 政 治 家 と して , また,枢 密 院(
Hl
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お よび最 高 法廷 の メ ンバ ー と して 法典 に通 暁 して いた キ ンウ ン ・ミンヂ - が, 上 ビル マ の法 務 長官 バ ー ジス(
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Bur
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)
の求 め に よ り,著 わ した もので , 同書 は1
897
年 に バ - ジス に よ り英 訳 され て い る.31)本 要鍾 (
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)
は, 婚 姻 お よび離 婚 に開 し, 過去36
のダ ムマ タ ッの写 本 を 照合 な らび に校 正 した もので あ るが , この 中 で36
のダ ムマ タ ッ を成 立年 代 順 に 配 列 し,32)前 記 ⑧ のPi
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Daw Thamai
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の記 述 を も参考 に しなが ら, 各 々のダ ムマ タ ッの概 要説 明 を行 な って い る。 ジ ャーデ イ ン 次 に, ダ ムマ タ ッの成 立過 と フ ォー シャ 程 に 関す る研 究 の先 駆 者 と マ して活 躍 し た 外 国 人 学 者 は,1882
年 お よ び1
883
年 に下 ビル マ の法 務 長 官 で 判 事 で あ った ジ ョン ・ジ ャーデ ィ ン(
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r John Jar
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)
に 協 力 し,1885
年 にJar
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を 受 賞 した ドイ ツ人考 古 学 者 で, ラ ングー ン ・カ レ ッジのパ - リ語 教 授 フ3
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M am lage; being a Collection of Texts from Thirty-∫ix Dhammatha/
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による英訳について言及 している。
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などにも表示 され ている。奥平 :ビル マの 「ダ ムマ タ ッ」(慣 習法典 )につ い て ォ- シ ャー マ
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)
で あ った が , 彼 はそ の著
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)
の 中 で, ダ ム マ タ ッの成 立過 程 を 三 つ の 時代 に区分 して い る。す なわ ち,第 1期 (1ト 16世 紀) につ いて は, 西 暦10世 紀 よ り 以 前 に南 イ ン ドか らイ ン ドシナ半 島 の西 海 岸 の イ ン ド植 民地 に もた らされた イ ン ド法 が ク ライ ン族 に よ り受 容 され , さ らに ク ライ ン化 され た イ ン ド法 がパ ー リ語 ・モ ン語韻 文 か ら の翻 訳 な どに よ り何 らの 重要 な 変 更 も加 え ら れ る こ とな く,34)ビル マ人 に もた らされ た が, この期 に属 す る もの と してDhal
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約 20にの
ぼる
ダ ム マ タ ッを挙 げて い る。35)第2
期(
16-18
世 紀 前 半) につ いて は,第 1期 の イ ン ド法 が後 退 し,土 着 の慣 習 や ビル マ の マ ヌ(
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な ど) が取 って 替 わ り, また仏 教 と新 バ ラモ ン(
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)
的要素 が導 入 され た と して い るが, この期 につ いて は,Mahar
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な ど僅 か三 つ のダ ム マ タ ッに 言 及 して い るだ けで あ る。36)第3
期 (18世 紀 中葉-19世 紀 後 半) につ い て は, 第 1 期 お よび第 2期 の諸 々の法典 の 内容 が統 合 さ れ, また そ の 時代 の人 々の 間 に存 在 した 諸 々 の法 律 や慣 習 が記 録 され て い る点 や仏 教 的 要 素 が支 配 的 にな った 点 な どを指 摘 して い るが, この期 に属 す る もの と してManuKyay
な ど 30に お よぶ ダ ム マ タ ッに言 及 して い る。
37
)
33) (1)Dr.Forchhammer・1885."OrLtheSourcesand developmentor】iurmeseLaw from theera ofthe丘rstintroduction ofthe lndianLaw tothetimeofBl・itishoccupa・ tionofPeguwithTextandTranslation
,
"
TheJardinePrize:An E∫∫ay,pp.1061 107. (2)U AungThanHtun,oP.ciz・,pp.1831185. 34)Forchhamnler,04.lit.,p.74. 35) (1)Forchhammer,op.cit.,pp.1()6-107. (2)Furnival
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op.cZ
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.,P.353. 36)Forchhammer,oP.lit.,p・107. 37)Lot.cz'Z. 以 上 の よ うな フ ォー シ ャー マ - のダ ム マ タ ッの成 立過 程 に関す る分 類 な い し見解 に対 し て , ビル マ政府 経 済 企 画 顧 問 と して長 ら くビ ル マ に滞 在 した フ ァー ニ ヴ ァル(
∫.
S.
Fur
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)
も, この分 類 を採 用 して い るが,38
)
他 方
で 「フ ォー シ ャー マ - が活 躍 した時 代 は, 仏 教 につ いて も, あ る い は熱 帯 極 東(
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FarEas
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)
の歴 史 につ いて も, ほ とん ど何 も 知 られて い な い時代 で あ った た め, 多 くの点 で フ ォー シ ャー マー の所 説 が再 検 討 を要 す る と して も何 ら不 思議 で はな い」39)と 述 べ て い る。 フ ァー - ヴ ァル は さ らに上 記 ビル マ人 諸 学 者 の代 表 的研 究 を も参 照 しつ つ , フ ォー シ ャー マ一説 の再 検 討 の 必 要 性 を説 いた。40)フ ァー ニ ヴ ァル は,Pi
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を もとに して , ラ ング ー ンの
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で追 跡 調 査 した結 果 判 明 した18のダ ム マ タ ッを 加 え, ビル マ のダ ム マ タ ッの 時代 区分 ,種 類 お よび編 纂 され た 数 を表 示 した41) が, それ を さ らに 整 理 す れ ば 表1
の とお り とな る。 そ して, フ ァー ニ ヴ ァル は ビル マ人 研 究者 のダ ムマ タ ッに関す る文献 を参 照 し, フ ォー シ ャー マ 一説 に検 討 を 加 え た結 果 と し て , 表2
の よ うな結 論 を 出 して い る。 な お, ビル マ国 内 の少 数 民族 の慣 習 法 典 に つ いて は, 例 え ば, ア ラカ ン族 の書 いた ダ ム マ タ ッ が な お 現 存 して い る42)ことが 知 られ て い るが, これ らにつ いて は別 の機会 に取 り 上 げた い と思 う。 38)Furnival
l,op.lit.,pp.353-370. 39)Ibid・
,p・351・ 40)Forchhammer説に批判を 加えたものとして, MaungKyinSwi,oP.tit.,pp.189-193などが ある。 41)Furnival
l,op.liz
.,p.352. 42) E.マウン著, 伊藤正己,鈴木喜久江訳, 宮崎 孝治郎編 「ビルマ婚姻 ・離婚法」
『新比較婚姻 法 Ⅷ一東南 ア ジア (4)』1976,東京 ,pp.9-10. 105表 1
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で言及 されてい る もの ダ ム マ タ ッ の 種 類 2. 3. ダ ムマク ッ ・テキス ト(
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裁判記録 (判例集)(
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ダ ムマ タ ッ概説書(
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ダ ムマ タ ッ韻詩(
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00) クラインによ る アヴァ侵攻まで (1600-1750) 第 3期1
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奥 平 :ビル マ の 「ダ ム マ タ ッ」(慣 習法典 ) につい て Ⅲ ダ ム マ タ ッ 諸 本 の 構 成 お よ び 内 容
1
構 成 前項 で見 た とお り,19世紀 末葉 の ビル マ王 朝崩壊 の時期 に至 るまで,数 々のダ ムマク ッ が編某 されて きたが, その構成上,す べて の ダ ムマ タ ッに共通 して い る点 は, まず ,仏 陀 を 崇 敬す る 文言 で は じま り, つ い でRi
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が宇宙 の果 て の壁 に到達 して,ダ ムマ タ ッを発見 し,公布 す るた め にそれをMaha-s
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に捧 げ る とい う物語 で構成 される 序 論 が続 くことであ る。 この序 論 は,法 の淵 源 に関す る一 つ の重要 な説 明であ り, また, ダ ムマタ ッ文学 で理解 されて い るとお り,紘 の本質 を例証す る もので もあ る。Dl
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のよ うな若 干 のダ ムマ タ ッにおいて は, 序論 は極 めて精 巧で あ り,法 は発 見 され る も め,与 え られ る ものであ って,作 られ る もの で はな いとい うことを実証 して みせ る。 その 淵源 は絶 対 的かつ不変 の もので あ り,法 は一 つの絶 対 的 な倫理 と して の資格 が与 え られて い る。ダ ムマ タ ッ ・テキス ト編者 の職務 は, それ放,解説者 のそれで あ る。す べて のダ ム マ グ ッに当て はまる ことは,法 の絶対性 とい う ことが その様式 の特色 とな って いる ことで あ る。
4
3
)
序 論 につ い で, 法 の 諸 規 18項 目の分類 別 の説 明 が行 われ る。初期 のダ ムマ タ ッの場合 には, ビル マの条件 に適合 させつつ, ヒン ドゥー諸 法典(
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な ど)の条 項 をか な り借 用 した形跡 が 認 め られ る。44)例 えば ヒ43)Hooker,M.a.1978."TheIndian・DerivedLaw TcxtsofSoutheastAsia,"T/zejL,W乃`77ofA∫ia形
Szudie∫,Vol.XXXVIT,No・2,pp・201-202.本
論文は同著者が最近著わ した A C'07m'∫CLcga/ Hi∫toryofSouth-EastA∫ia・1978.0Ⅹford,pp. 17-25に収録されている。
44)U E Maurlg.1951."InsolvencyJurisdictionin EarlyBurmeseLaw,'J・B・R・S・,Rangoon,p・2.
ン ドゥ一 ・マ ヌ法典 の影響 を強 く受 けた とさ れ る
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で はその 編者,Shi
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は ヒン ドゥーの法 律 の部類 (di
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)
を借用 して, それを18の カテゴ リー に分 類 した。 しか し,その際,ビル マに明 白に適合す るよ う若干 の修正 を加 えて いる点 が注 目され る。45)この18の分類 とは, 1)負債 ,2)動 産 の寄託 ,3)所有者 の同意 な く 動産 の外 観を変更 す る こと,4)贈 与 の留保, 5)事 業 の協力,6)労働 お よび職業 サー ビス に 対す る報酬,7)責任 と約束 の不履行,8)家畜, 荷車 お よび ′J\舟 の 所 有者 と借 入,9)売 買, 10)土地 の境界,l
l
)
偽 りの告 訴, 悪 意 の起 訴 お よび中傷,12)窃盗 および強盗,13)襲 翠 (財産 の損傷 お よび破壊 を含 む), 14)殺人, 15)夫 婦 (彼 らの義務 お よび権利, 結婚 お よ び離婚),16)奴隷, 17)相続,18)とぱ く46) とな って い る。 また, 現存最古 のWa
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において は,1)
負債契約,2
)
婚姻 にお ける授受 ,3)離婚,4)姦 通,5)鰭 与,6
)
相続,7)
売 買,8)
財産 の管理 ,9
)
財 産の担保, 10)財産 の分与 ,ll
)
とぱ く,12) 雇用 ,13)2足 お よび4足動物 (鳥獣),14) 奴隷,15)暴 行, 16)中傷 と偽 りの告訴,17) 土地 の配分 と境界,18)窃 盗47)の18分 類か ら な って いる。 しか し,Ka
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な どのダムマタ ッにおいて は,18に分類 しな が ら,ヒン ドゥー ・ マヌ法典 には従 って いな い.48)さ らに1756年
に
Kyum:
wun Bl
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ya(
Kyum:
wun
45)lItinÅung,oP.cit・,pp・1ト12・46)Ibid.,pp.12-13.邦訳に当たっては,田辺繁子 訳 『マヌ法典』 昭和29年,岩波文庫,東京を参 照 した。
47)
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* O・1892・K2'ng Wagaru'∫ManuDhammasattham Text,Trans・ lationandNotes,Rangoon.48)Hooker
,
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lit.,p.202.Bhumma Je
ya Maha Thi
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ngyanAmat
)
が編 纂 した とされ る
Manu
Kyay Dhammat
hat
は, ダ ムマ タ ッ史 上 ,
最 も傑 出 した もの と い わ れ る が
,49)もはや
1
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項 目の形式 に は と らわ れず ,全 体 を
1
4
の部
門 に分 類 し, 不動 産 ,動 産, 債 戸 ・債 権 人 ,
租 借 ,窃 盗 ,殺 害, 婚 姻 ,姦 通 , 離 婚,離 婚
に際 して の財産分 与 ,養 子 , 養女 , 遺産相続 ,
遺 産分 与 ,給 与, 仏 塔 ,僧 院 お よび僧 侶 に関
す る法 な どを は じめ種 々の内容 が網 羅 され て
お り, 奴隷 制 度,売 買 に よ る奴隷 制 度 , 多妻
制 度 な どにつ いて も詳述 され て い る。5
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)従 っ
て, これ は実 際 には,法典 で もな けれ ば法規
類纂 で もな く, む しろ,現 在 の風 俗 や習 慣 な
らび に以 前 のダ ム マ タ ッにおいて保存 され て
いた判 例 の記 録で あるが
,51)さ らに, ビル マ
の著 名 な文学者 , ウ ・ペ イ ・マ ウ ン ・テ ィ ン
はその著 『ビル マ文学史
』
において マ ヌー ヂ
ェ ・ダ ムマ タ ッが 「法律 の世界 のみ な らず ,
ビル マ文学 の世 界 にお いて も, 著 名な文献 の
一 つ で あ り, ビル マ諸 王時代 の行 政,文 化 な
どを 明 らか に した 里程碑 の 一 つ で あ る
」 52)と
述 べ て い るが, これが 「百 科全 書 的性質
」53)を持 つ もの といわ れ るゆ えん で あ る。 か よ う
に
ManuKya
yDhammat
hat
は 「
五 つ の大河
と
500の小川 が海 に注 ぐが ど と く, 大 小様 々
のダ ムマ タ ッが ,
Kyum:
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の
Manu
KyayDha--at
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に吸収 され た た め, この
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,Rangoon,p・112・50)U MyaSein,oP.Cit
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,p・10・ 51)Forchhammer,o
P
・czlt.,p・96・52)呂:GOGOつ
S
∽8
・(UpeMaungTin)・1965・6
亭
Oっ0つ
GO〇
⊃
与8
:・pp・239-241;
齢 O?営C
S
や
o
qS
:・vol
・
3
,pp・425-426参照。 53) (1)G.E
.--ヴィ著,五十嵐智昭訳 『
ビルマ
史
』(略本)(第 2版)昭和
20年,東京,
p.169. (2)レイ ・タン ・コイ著, 石沢良昭訳 『
東南
アジア史
』1970,東京
,p.87. 108一 つ の法典 を 見 れば, 他 の大小 の法典 の由来
を ま とめて 知 る ことがで きる」5
4
)とさえ いわ
れ るので あ る。分 量 的 に も初 期 のダ ム マ タ ッ
に比 し, か な り大部 の もの にな って い る。 ま
た,
Gandi
な どい くつ か のダ ムマ タ ッにな る
と, 上記
1
8
の項 目につ いて は,何 ら言及 して
お らず , テキ ス ト自体 に は イ ン ド法 の枠 組 の
影 響 が, は っき り認 め られ る ものの, イ ン ド
の モデ ル か らは, か な りか け離 れて しま って
い る
。55) 2内
容
既 に見 た とお り, ダ ムマ タ ッは, ビル マ王
朝 時代 の 数 世 紀 間 にわ た り,何 種 類 も, し
か も相 互 に相 当の時 間 を 隔てて編 纂 され, 加
えて貝 葉書 や書 帖 の保存年 数 がせ いぜ い
1-2世紀 程 度 と考 え られ る ことか ら, い くた び と
な く筆 写 を繰 り返 して きた た め,各 種 の異本
を生 む結 果 とな った。他 方 , この間,慣 習 自
体 が変化 した ことが考 え られ,行 為 の準 則 も
漸 次 修 正 され, あ る ものは,法 の規 定 とな り,
また, あ る もの は消 滅 し, さ らに内容 的 に も
各 々のダ ムマ タ ッ相互 にお いて,相 反 す る も
の,5
6
)一 つ の ダ ム マ タ ッの 中で も前 後 不一 致
な もの㍍)が 少 なか らず 見 出 され る こ と にな
った。 そ のた め内容 上 の諸 変 化 を テキ ス トが
編 纂 された時期 の ビル マ にお け る状 況 の変化
と関連 づ け る ことの重要 性 が指摘 されて い る
ので あ る。5
8
)
ダ ム マ タ ッに見 られ る判 例 の多 くは,現 代
ビル マ社 会 の実 情 にそ ぐわ な くな って い る。
54) (1)6
亭
O?営L
Sやc
J
訴 …
・
vo千・8,p・426・ (2)U PeMaungTin,oP・cl
t・
,P・240・ 55)Hooker,op.lit.,p.202. 56)Zbl'd・
,p.202・ 57)例えば
「(夫は)妻 を 多 く要ることができると
規定 していなが ら,他方で妻に対 し,彼女の意
思により夫のもとか ら去 って行 く権利 も与え ら
れてお り,去 ってのち
1年経つと離婚の権利が
生ず る」 (U MyaSein,(
珍.
cit・
,pp.12-13.). 58)Hooker,u
P.
lit.,p.202.奥平 :ビル マの 「ダ ムマ タ ッ」(慣 習法典) につい て 例 え ば, ダ ムマ タ ッに は,奴 隷 制 や 多妻 制 に つ いて詳 述 されて い るが,59)これ らは 現 代 の 法 とは相 反 して い る。 した が って , ダ ム マ タ ッの判 例 の 多 くは,現 代 社 会 とは相 容 れ な い。 しか し他 方, そ の あ る もの につ い て は, 現 代 ビル マ の慣 習 法 と さほ ど 相 異 が な い60),61)こ とに注 目す べ きで あ り, と くに遺 産 ,相 続 , 婚 姻 , 離 婚 な どいわ ゆ る民 事 に関す る 内容 に Ⅳ ダ ム マ タ
1
テ キ ス トの刊行 お よび翻 訳 ダ ムマ タ ッが西 欧人 に初 めて紹 介 された の は, 古 くは18世 紀 末 葉 の 西 欧 人 の ビル マ沿 岸 へ の接 近 の 時代 に さか の ぼ る ことがで きよ う。63)す なわ ち, 1795年 , ア ヴ ァ宮 廷 へ の英 国最初 の 外 交 使 節 と して サ イ ムズ(
Ma
j
or
Mi
c
hae
lSyme
s
)
が ビル マを 訪 問 した が , サ イ ムズ は ビル マのダ ムマ タ ッと ヒ ン ドゥー ・ マ ヌ法 典 の類似 点 に 注 目 した。64)サ イ ム ズ は, 1783年 か ら1806年 まで ア ヴ ァお よび ラ ングー ンに 滞 在 して いた 65)イ タ リア人 初 期 キ リス 59) 「両親には,息子や娘を身売 りすることさえ出 来 る権力があり,また,夫 は自分の妻を殴打す るばか りか,売 り飛ばす ことさえできる権限が ある」 (U MyaSein,o
P
・lit.,p・13.)。同様の内 容が,大野徹,o
p
・ctt・,p.74にも述べ られてい る。 60)例えば 「女性を各 々の夫の遺産相続者 として一 様 に承認 してお り,また,妻が夫を放棄する権 利および追い出す権利,離婚の権利などの権利 が 多 く与え られている」(U MyaSein,o
p.
lit., p・13・
)0
61)AttasankhepaVa叩anaKyam:において 「他人 の妻 と姦通 した男は,その妻が我慢できない場 合には,必要 に応 じ離婚できる」との規定を掲 げている(Lot.lit.)0
62)U MyaSein
,o
Pl
lit.,pl16.63)San germarlO.Father.1966.TheBurme∫ eEm-2irE7(5thed..).London,pp.XXV-ⅩXVIおよ
びpp.22ト223.
64)MaungKyinSwi,oP.li
z
.,p.173, 65)Sangerman0
,0
2.
lit.,p.XXIV.つ いて は, 今 日で も法 判 決 の最 終 的 な拠 り所 と して, そ の存 在 価 値 が 高 い。結 局 ,現 代 ビ ル マ の慣 習 法 に関す る論拠 と して い る基 本 的 諸 点 は, 1)ダ ム マ タ ッ, 2)ビル マ人 仏 教 徒 の現 代慣 習 , お よび
,3)
高等 裁 判 所 ,最 高 裁 判 所 お よび民 事 裁判 所 な どの判 例 の三 つ で あ る。62) ッ の 研 究 史 卜教 宣 教 師 の 一 人 で あ った サ ンジ ェル マ ノ(
Fat
he
rSa
nge
r
mano)
に会 った が, サ ンジ ェ ル マ ノよ り ビル マ法典 の ラテ ン語 - の部 分訳 を得 た結 果 , そ の ヒ ン ドゥー ・マ ヌ法典 (彼 はそ の ペル シ ャ語 版 を 所 蔵 して いた) との類 似 性 に打 たれ た。66)この こ とにつ いて ジ ャー デ イ ンはサ イ ムズ とサ ン ジ ェル マ ノが研 究 に 入 り議 論 を重 ね て い くうち に, サ イ ム ズ が ア ラカ ン法典 の ペ ル シ ャ語 版 とイ ン ドの マ ヌ ・ シ ャー ス トラの ビル マ語 訳 の類 似性 に気 付 い た とい うのが事実 の よ うで あ る と指 摘 して い る。67)サ イム ズ につ いで,翌 年 の1796年 ,もう 一 人 の 英 国 使 節 ヒラム ・コ ックス(
Capt
ai
n
Hi
r
am Cox)
が駐 在 官 と して ビル マ に着任 し た。 彼 は着任 の前 年 , い く人 か の アル メニ ア 人 に, ウ ィ リア ム ・ジ ョー ンズ(
Si
rW i
l
l
i
am
Jone
s
)
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ns
t
i
t
ut
eorManu
の ビル マ語 訳 を させ て い た が, コ ックス は, ビル マ の諸 々の ダ ム マ タ ッが マ ヌ法典 を既 に 内包 して い る以 上 ,無 駄 な作 業 で あ った と述 べ て い る。
6
8
)同
じ く英 国使節 の一 人 ク ロフ ォー ド(
Cr
awf
br
d)
も,ビル マ のダ ムマ タ ッが ヒ ン ドゥー法 に 由 来 して い る点 に留 意 して い る。69) しか し, ど ル マの ダ ム マ タ ッの存 在 が一 躍脚 光 を 浴 び る こ とにな った の は,1847年 , 英 国人 リチ ャー 66)MaungKyinSwi,
o
P.
tit.,p.173. 67)Sangerman0,02.lit.,p.XXV および p・221・ 68)MaungKyinSwi,
o
A.
lit.,p.173. 69)Sangcrman0,0.9.rz't.,p.221
.1
0
9
ドソ ン博 士
(
Dr
.Ri
c
har
ds
on) が, Manu
Kyay Dhammat
hat を貝葉 書 か ら印刷 ・翻
訳
ヮo)した こと に は じま る と いえ よ う。 以
莱, 種 々のダ ム マ タ ッを見 葉書 な どを底 本 と
して 印刷 刊行 す る努 力 が な され る一 方 , これ
らダ ムマ タ ッの刊行 物 が法廷 で用 い られ る こ
と とな った 。 つ いで
1
8
5
2
年 に は, イ ン ド省
(
i
ndi
an
Ofhce
)の ロス ト博 士 (
Dr.R.Ros
t
)
が, ビル マのダ ムマ タ ッの一 つ を西 欧人学 者
に紹 介 し, ヒン ドゥー法 との類似 性 を指 摘 し
た
。71
)さ らにスパ ー クス
(
M a
j
orSpar
ks
)紘,
1
86
0
年 に ビル マ人 の法律 が効 力 を有 す る訴 訟
に おいて, 英 国人裁 判 官 の ガ イダ ンス と し
て, 短 い法典 の形 でダ ムマ タ ッと既 存 の慣 習
か ら集 めた 『基 本 法規 概 要』 を 出版 し
,72)こ
れ ら の ダ ムマ タ ッを マ ヌ諸 法 の ビル マ語 訳
書
73)と呼 んだ。 この法典 は リッター
(
H.M .
Li
t
t
er
)な る人 物 によ り註釈 が付 され た。その
数年 後,仏 教 徒法 の諸 問題 に活発 な 関心を抱
い た サ ン ドフ ォー ド
(
Sandf
br
d) 元 法務 長 官
の要請 で,
M anuVa
ppan克,M anus
昆r
aShwe
Myi
n
,
M anu Re
ng
,
Vi
ni
c
c
haya Pak昆s
an王
な どい くつ か の重要 なダ ムマ タ ッが, 当時 の
ペ グ -管 区 弁務 官 で あ った ホ- レイス ・ブ ラ
ウ ン
(
Co
l
.Hor
ac
eBr
awne
) の監 督 の もと,
ウ ・テ ッ ・ トオ
(
U The
t
t
o)副郡 長 に よ り編
集 された 。ダ ム マ タ ッに対す る彼 な りの評 価
を示 した一 連 の判決 に対 して は, サ ン ドフ ォ
ー ドに負 うと ころが大 きい 。7
4
)しか し, ダ ム
マ タ ッが大 き く脚 光 を浴 び, それ まで あ ま り
活 用 されて いな か った諸 々のダ ム マ タ ッが役
70) TheDhammathatorTheLaw ofMe7100.Tr
a
n-s
l
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d by
D.Ri
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6.
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71
)Cha
nTo
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,op.li
t.,pp.i
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2.
72
)(1)Fo
r
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hha
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.
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ノardinc Pn'ze:A71 Essav.p.2.
(2)Ma
ungKy
i
nSwi
,oj)・lit.,p.1
7
3.
7
3)Ma
ungKy
i
n Sw
i,
o
P.
lit.,p.1
7
3.
7
4)Cha
nTo
o
n
,op.cit・,p・2.
110立 て られ る よ うにな った の は,
1
9
世 紀 末 葉,
下 ビル マの法 務 長 官 を して いた ジ ャーデ ィ ン
の時代以 降 で あ る。 ダ ムマ タ ッの多 くの テキ
ス トが貝葉書 か ら次 々 と印刷 の うえ, 刊行 さ
れ,漸 次 , この分 野 の学 問 の穴 が埋 め られて
い くことにな った 。
2テ キス ト研 究 の刊 行 史
ダ ムマ タ ッの諸 々の テキ ス トの研 究 の奨 励
に努 力 したの は, 前 に 触 れ た ジ ャーデ ィ ン
で あ る。彼 はダ ム マ タ ッの ヒン ドゥー起源 を
見極 め, そ の類似性 と相 異 点 を確 認 し解 説 す
る とい う非 常 に新 し く, 興 味深 い が,極 めて
困難 な 分 野 の 研究 を 鼓舞 した
。75)Va
p・pan豆,
M anus
昆r
a Shwe Myi
n
,
M anu Re
ng
,
Vi
-ni
c
c
haya Pakat
hani な どの ダ ムマ タ ッ ・テ
キ ス トを消化 し, その研 究 の奨励 に努 めた 。
ジ ャーデ イ ンが初期 のダ ムマ タ ッがパ ー リ語
で書 か れて い る ことか ら,パ ー リ語 に造詣 の
深 い フ ォー シ ャー マ-博 士 の助 力 を得 て,初
期 の
ビル マ法 文献 に 接 近 を 試 み た こ とは既
に述 べ た とお りで あ る。彼 は, またダ ムマ タ
ッの ヒ ン ドゥー起 源 を見 極 めよ うと した最 初
の人物 で もあ った。彼 は, ダ ムマ タ ッに関す
る本 質的 な情 報 を 引 き出す た め に,英 語 で書
かれ る ことを条 件 と して 「イ ン ド法 の最 初 の
導 入 の時代 か らペ グー の英 国支 配 の時代 に至
る ビル マ法 の起 源 と発 展 に関す る」一 つ の エ
ッセ イ に対 し,
1
,
0
0
0
ル ピー とい う当時 と し
て は多額 の賞 金を与 え る ことと した が, これ
が
Jar
di
nePr
i
zeEs
s
ay と呼 ばれ る もので あ
る
。76)この賞 金 は結 局 , フ ォー シ ャー マ一 に
贈 られ る こと とな った 。 この懸賞 論 文 の主題
7
5
)(1)M.
T.
Gy
we
.
1
91
9.
A ConPl'cto.FAuthorityin Budd.るi∫tLa・LL・.
Vo
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.
Ⅰ
,Ma
nda
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,p.(2)
7
6
)(1)
(2)
ⅩⅩ
ⅤⅠ.Cha
nTo
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,oP.tit.,p・3.
Loc.lit.M.
T.
Gy
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P.
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i
o
n
および p.XXVI
参周.奥平 :ビル マ の 「ダ ム マ タ ッ」 (慣 習法 典 ) に つ い て は, ビル マ の歴 史 の み な らず , 文 学 , 法 律 お よび パ ー リ語 な らび に姉 妹 語 た るサ ンス ク リ ッ ト語 に至 る綿 密 な 知 識 を 必 要 とす る もので , 極 めて 困難 な もの で あ った 。 これ らの 資 質 が フ ォー シ ャー マ 一 に備 わ って い た とい う こ と にな る 。 ジ ャー デ ィ ンの主 な業 績 は, 彼 の著
Noteson BuddhistLaw77)
(
小冊子全
8
冊)
で あ る。 当 時 仏 教 徒 法 な る もの が混 沌 と して , 暖 昧 で 定 着 して い な か った た め,78)これ らす べ て が裁 判 所へ の 重 要 な指 針 とな り, また, 枢 密 院 (PrivyCouncil)議 員 に よ り, ビル マ 法 の主 要 な権 威 と して 認 め られ た が 「と りわ け, 婚 姻 と 離 婚 の 法 に 関 して の完 壁 な宝 庫 (StoreHouse)で あ り, 傑 出 し た 権 威 で あ る」79)とい わ れ た 。 このNotesの 中 で , ジ ャ ー デ ィ ンは, ダ ム マ タ ッ相 互 間 の相 反 す る部 分 を調 和 させ る努 力 を 行 い , 具 体 的 に都 訳 し, 代 表 的 トピ ックス に は コ メ ン トを付 した 。 他 方 , ジ ャーデ ィ ンを 助 けて ビル マ法 の歴 史 研 究 の草 分 け とな った フ ォー シ ャー マ - の 業 績 につ いて は, フ ァー - ヴ ァル を して 「ク ライ ン人 お よび ビル マ人 に よ って 過 去
5世紀
の 間 に編 某 され た法 典 に これ ほ どの光 が 投 げ か け られ た の は初 めて で あ る。 この最 初 の試 み が一 つ の 見 事 な手 腕 に よ りな され た ことを わ れ わ れ は告 白 しな けれ ば な らな い。 ビル マ と ヒ ン ドゥー のダ ム マ タ ッの類 似 性 が 可 能 な 限 り明 白 に確 立 され た」 80)と いわ せ て い る。 そ の後 の ダ ム マ タ ッに関す る研 究 は, 主 と77)Jardine.1882-83.Noteson Budd'をオ∫tZJa7LJby
TheJudicialCommissionerBritish】∋urma,Vol. トⅤ丁ⅠⅠ.rVol.
Ⅰ
,Marria・ge;Vol.Ⅰ
]
「
,Marriage; Vo!.HT
,Marrlage;Vol.IV,
Mam age and Tlivorce;Vol.V,Inheritance and Partition; Vol.VI,Inheritanceand Partition;Vol.VII,
InheTitanceandPartition;Vol.ⅤⅠⅠ
Ⅰ
,Marriage andDivorce)78)M.T.Gywe,oP.lit.,Jntroduction および p. XXVl.
79))bid.,p.XXIV.
80)ChanToon,・op・Cit・,p・4・
して ジ ャーデ ィ ンや フ ォー シ ャー マ - の理 論 を 基 礎 と して 展 開 さ れて きた とい って も過 言 で は な い。 ジ ャー デ ィ ンや フ ォー シ ャー マ-と同 時 代 に は Rev.D
r
.A.Fuehrerが い る。 彼 は1
8
8
2
年 に M anusaraDhammathatに関 す る論 文 をRoyalAsiaticSocietyの ボ ンベ イ 支 部 ジ ャー ナル に 発 表 した81)が, そ の 中でビ ル マ の M anus昆ra と ヒ ン ドゥー M
anu-dharma孟昆straの 問 の 興 味 深 い 類 似 性 を指 摘 しつ つ82)ダ ム マ タ ッの ヒ ン ドゥー 起 源 説
を提 唱 した 。 さ らにダ ム マ タ ッの編 者 が ヒ ン ドゥー ・マ ヌ法 典 の み な らず ,Yajfiavalkya,
Narada,Brihaspatiお よび Katyayanaな ど の法 典 を 使 用 した こと に言 及,83)同様 の 見解 が サ ンス ク リッ ト語 学 者 ジ ュ リア ス ・ジ ョ リ イ (JuliusJolly)教 授 に よ って も示 され て い る。84)また , ほ ぼ 同時 代 に は, ウ ・チ ャ ン ・ トゥ- ン(U Ch礼n Toon)85)ウ ・メ イ ・オ ウ ン(U M ayOung)86)ウ ・タ ・ジ ュェ (U Tha Gywe)87)さ らにや や 時 代 が下 って
,1
900
年 代81)Rev.Dr.A.Fuehrer.1883
・
"Manusaradha m-masatthanl, the onlv one existing liuddhist law book, compared with the I∋rahmanical Manavadharmasatram ," Joum aZ Bombay BranchoftheRoya/A∫iaticSociety,Vol・ⅩⅤ,
p.371.82)Forchhammer.The./ardinePriJ-le:AnE∫∫qJノ・
p.2.
83)MaungKyin Swi,optcit・,p・174・
84) (1)J.Jolly.1885."Out一ineofan HistolY Of HinduLaw ofPartition,Inheritanceand AdoptlOn
,
"
TagoreLawI-ecture,Calcutta・ (2)MaungKyinSwi,oP.lit.,p・175・85)Chan Toon.1894.ThePrinc・LiZeof Buddhi∫t IJaTLJ.Rangoon.
86)U MayOung.1914.A SeZec/ion
i
,
,
iLeading Ca∫e∫ on Buddhi∫t Law zLJtth D3'S∫erZation∫.Rangoon.
87) (1)M.T.Gywel19101A Treati∫eonBuddhZ'∫t Z.aw.Vol.
Ⅰ
Ⅰ
,Mandalay.(2)M.T.Gywe.A Con.Hz■ctofAldhoriぞvin Buddhz■∫tLafL・.Vol.I(1919),Vol.II
(1920),Mandalay.