一
大
三
輪
神
の
神
格
と
そ
の
重
層
性
1 こ の 神 の 呼 称 に つ い て は 、 後 掲 す る 史 料 1∼ 9に 見 ら れ る よ う に 様 々 で あ る が 、本 稿 で は ﹁ 大 三 輪 神 ﹂で 統 一 す る 。 2 論 文 末 に 掲 載 3 論 文 末 に 掲 載 鈴 木 正 信 M asa no bu Su zu ki 滋 賀 大 学 経 済 学 部 特 任 准 教 授 論 文I
は
じ
め
に
奈 良 盆 地 の 南 西 部 一 帯 は 、 邪 馬 台 国 の 有 力 な 候 補 地 の 一つ と し て 、 ま た ヤ マ ト 王 権 の 発 祥 地 と し て 注 目 さ れ て い る 。こ の 地 域 を 見 下 ろ す よ う に そ び え る 三 輪 山 は 、﹁ 神 奈 備 山 ﹂や ﹁ 御 諸 山 ﹂ な ど と も 呼 ば れ 、 古 来 よ り ﹁ 大 三 輪 神 ﹂ ︵ 1︶の 鎮 座 す る 山 と し て 信 仰 を 集 め て き た 。﹃ 古 事 記 ﹄ や ﹃ 日 本 書 紀 ﹄ に は 、 三 輪 山 や 大 三 輪 神 に 関 わ る 多 く の 説 話 が 載 録 さ れ て い る 。 ま た 、 そ の 山 中 ・ 山 麓 に は 磐 座 な ど の 祭 祀 遺 跡 が 散 在 し て お り 、 大 量 の 祭 祀 遺 物 も 発 見 さ れ て い る 。 古 代 の 三 輪 山 に お い て 祭 祀 が 執 り 行 わ れ て い た こ と は 、文 献 史 料 と 考 古 資 料 の 両 側 面 か ら 確 認 す る こ と が で き る 。 こ う し た 三 輪 山 祭 祀 の あ り 方 に つ い て は 、 様 々 な 説 が 出 さ れ て い る 。 そ の 中 で も 広 く 知 ら れ て い る の は 、 和 田 萃 氏 に よ る 一 連 の 研 究 で あ る ︵ 2︶。 和 田 氏 は 三 輪 山 祭 祀 を 大 き く 二 段 階 に 分 け 、 次 の よ う に 理 解 し て い る 。 す な わ ち 、 四 世 紀 か ら 五 世 紀 に か け て の 三 輪 山 は 、 ヤ マ ト 王 権 の 大 お お 王 き み が 行 う 日 神 祭 祀 の 祭 場 で も あ り 、 ま た 三 輪 山 の 頂 上 は 国 見 儀 礼 の 舞 台 で も あ っ た 。 し か し 、 五 世 紀 後 半 に 伊 勢 神 宮 が 創 祀 さ れ 、日 神 祭 祀 が 伊 勢 の 地 で 行 わ れ る よ う に な る と 、三 輪 山 で の 祭 祀 は 衰 退 ・ 中 断 し た 。こ の こ と が 契 機 と な り 、大 三 輪 神 は 祭 祀 を 怠 れ ば 深 刻 な 祟 り を 引 き 起 こ す 神 と し て 認 識 さ れ る よ う に な っ た 。 そ し て 、 六 世 紀 中 葉 に 祭 祀 が 再 興 さ れ た が 、こ の 段 階 の 祭 祀 は 従 来 の 王 権 に よ る 国 家 的 祭 祀 と は 大 き く 異 な り 、 も っ ぱ ら 祟 り 神 に 対 す る も の へ と 変 容 を 遂 げ て い た 。 和 田 氏 の 研 究 は 、 そ れ ま で 王 朝 交 替 説 に も と づ く 議 論 が 主 流 で あ っ た の に 対 し ︵ 3︶、こ れ と は 一 線 を 画 す 立 場 か ら 、 三 輪 山 祭 祀 を 時 系 列 に 復 元 し た 点 で 高 く 評 価 す る こ と が で き る 。 た だ し 、 詳 し く は 後 述 す る よ う に 、 細 部 に つ い て は 十 分二 4 拙 稿 ﹁﹃ 大 神 朝 臣 本 系 牒 略 ﹄の 史 料 的 性 格 ﹂﹃ 古 文 書 研 究 ﹄六 〇 、二 〇 〇 五 年 ︶、 同 ﹁ 大 神 朝 臣 本 系 牒 略 と 髙 宮 信 房 ﹂ ︵﹃ 大 美 和 ﹄一 一 〇 、二 〇 〇 六 年 ︶、 同 ﹁﹃ 粟 鹿 大 明 神 元 記 ﹄の 写 本 系 統 ﹂ ︵ 河 野 貴 美 子 ・ 王 勇 編 ﹃ 東 ア ジ ア の 漢 籍 遺 産 ﹄ 勉 誠 出 版 、二 〇 一 二 年 ︶な ど 。 5 史 料 の 引 用 は 、 ﹃ 日 本 古 典 文 学 大 系 日 本 書 紀 ﹄上 ・ 下 ︵ 岩 波 書 店 、一 九 六 五 ・ 六 七 年 ︶、 ﹃ 日 本 古 典 文 学 大 系 古 事 記 ・ 祝 詞 ﹄ ︵ 岩 波 書 店 、一 九 五 八 年 ︶、 ﹃ 日 本 古 典 文 学 大 系 風 土 記 ﹄ ︵ 岩 波 書 店 、一 九 五 八 年 ︶、 ﹃ 日 本 古 典 文 学 大 系 万 葉 集 ﹄一 ︵ 岩 波 書 店 、一 九 五 七 年 ︶、 ﹃ 訳 注 日 本 史 料 延 喜 式 ﹄上 ︵ 集 英 社 、二 〇 〇 〇 年 ︶を 用 い た 。 な 論 拠 が 示 さ れ て い な い 点 も 少 な く な い 。 ま た 、 筆 者 は 三 輪 山 の 西 麓 に 本 拠 を 構 え た 大 お お 神 み わ 氏 を 取 り 上 げ て 、 い く つ か の 論 考 を 発 表 し て き た が ︵ 4︶、こ の 氏 族 の 実 態 を 探 る た め に は 、 三 輪 山 祭 祀 と の 関 係 性 を 明 ら か に し て お く 必 要 が あ る 。 そ こ で 本 稿 で は 、 ま ず 三 輪 山 で 国 見 儀 礼 や 日 神 祭 祀 が 行 わ れ て い た と す る 先 行 研 究 の 論 拠 を 再 検 討 し 、 続 い て 大 三 輪 神 が 有 し て い た と さ れ る 性 質 ︵ 神 格 ︶ に つ い て 基 礎 的 な 整 理 を 行 う 。こ れ に よ っ て 、 ヤ マ ト 王 権 や 大 神 氏 と 三 輪 山 祭 祀 と の 関 わ り 、 さ ら に は そ の 祭 祀 の 構 造 や 展 開 過 程 を 考 え る た め の 足 か が り と し た い 。
II
国
見
儀
礼
の
再
検
討
は じ め に 、 三 輪 山 に お い て 国 見 儀 礼 が 行 わ れ て い た 可 能 性 を 検 証 す る 。 そ の 最 大 の 論 拠 と さ れ て い る の は 、 い わ ゆ る 夢 占 説 話 で あ る 。﹃ 日 本 書 紀 ﹄ 崇 神 四 十 八 年 正 月 戊 子 条 ︵ 5︶ に は 、 天 皇 勅 豊 城 命 ・ 活 目 尊 曰 、 汝 等 二 子 、 慈 愛 共 齋 。 不 知 、 曷 為 嗣 。 各 宜 夢 。 朕 以 夢 占 之 。二 皇 子 、於 是 、被 命 、浄 沐 而 祈 寐 。 各 得 夢 也 。 会 明 、 兄 豊 城 命 以 夢 辞 奏 于 天 皇 曰 、 自 登 御 諸 山 向 東 、 而 八 廻 弄 槍 、 八 廻 撃 刀 。 弟 活 目 尊 以 夢 辞 奏 言 、自 登 御 諸 山 之 嶺 、縄 絚 四 方 、逐 食 粟 雀 。 則 天 皇 相 夢 、 謂 二 子 曰 、 兄 則 一 片 向 東 。 当 治 東 国 。 弟 是 悉 臨 四 方 。 宜 継 朕 位 。 と あ る 。こ の 説 話 の 概 要 は 、 以 下 の 通 り で あ る 。 崇 神 天 皇 が 豊 城 命 と 活 目 尊 の ど ち ら を 後 継 者 と す る か を 決 め る た め 、 両 者 の 見 た 夢 に よ っ て 占 う こ と に し た 。 両 者 は 身 を 清 め て 床 に 就 き 、翌 朝 、 自 分 の 見 た 夢 を 天 皇 に 報 告 し た 。 兄 の 豊 城 命 は 、 御 諸 山 ︵ 三 輪 山 ︶ に 登 っ て 東 の 方 角 を 向 き 、 槍 を 八 回 突 き 出 し 、刀 を 八 回 振 る う 夢 を 見 た 。一 方 、弟 の 活 目 命 は 、同 じ く 御 諸 山 の 頂 上 に 登 っ て 縄 を 四 方 に 引 き 渡 し 、 粟 を 食 べ に 来 た 雀 を 追 い 払 う 夢 を 見 た 。こ れ を 聞 い た 天 皇 は 、 両 者 の 夢 を 比 較 し た 上 で 、 東 の 方 角 を 向 い た 豊 城 命 に は 東 国 を 治 め さ せ 、四 方 に 臨 ん だ 活 目 尊 に は 皇 位 を 嗣 ぐ よ う に 命 じ た と い う 。 こ の 説 話 の 内 容 を 踏 ま え て 和 田 氏 は 、 六 世 紀 以 降 に は 天 香 久 山 に お い て 国 見 儀 礼 が 行 わ れ て い た が 、こ の 説 話 で 活 目 尊 が 三 輪 山 の 山 頂 で 四 方 に 臨 ん だ と 描 か れ て い る こ と は 、 か つ て 三 輪 山 の 山 頂 で も 国 見 儀 礼 が 行 わ れ て い た こ と を 伝 え て い る と 推 測 し た 。 ま た 、 そ の 時 期 は 、 三 輪 山 の 西 麓 に 大 王 の 宮 が 集 中 し て 営 ま れ た 四 世 紀 代 に ま で 遡 る 可 能 性 が あ る と し て 、﹁ 四 ∼ 五 世 紀 に は ︵ 略 ︶ 三 輪 山 が 大 王 の 国 見 の 舞 台 で あ っ た ﹂ と 述 べ て い る 。 た し か に 、天 香 具 山 に お い て 国 見 儀 礼 が 行 わ れ て い た こ と は ﹃ 万 葉 集 ﹄一 │ 二 に 、 天 皇 登 香 具 山 望 国 之 時 御 製 歌 山 常 庭 村 山 有 等 取 与 呂 布 天 乃 香 具 山 騰 立 国 見 乎 為 者 国 原 波 煙 立 籠 海 原 波 加 万 目 立 多 都 怜 国 曾 蜻 嶋 八 間 跡 能 国 者三 ︵ 大 和 に は 群 山 あ れ ど と り よ ろ ふ 天 の 香 具 山 登 り 立 ち 国 見 を す れ ば 国 原 は 煙 立 ち 立 つ 海 原 は 鴎 立 ち 立 つ う ま し 国 ぞ 蜻 蛉 島 大 和 の 国 は ︶ と 見 え て い る 。こ の ﹁ 天 皇 ﹂ と は 、 舒 明 天 皇 の こ と を 指 し て い る 。 よ っ て 、 少 な く と も 舒 明 朝 ︵ 六 二 九 ︱ 六 四 二 ︶に は 、 天 香 具 山 に お け る 国 見 儀 礼 が 行 わ れ て い た こ と が 確 認 で き る 。 ま た ﹃ 日 本 書 紀 ﹄神 武 即 位 前 紀 戊 午 年 九 月 戊 辰 条 に は 、 天 皇 陟 彼 菟 田 高 倉 山 之 巓 、 瞻 望 域 中 。 時 国 見 丘 上 則 有 八 十 梟 帥 。︵ 略 ︶ 又 於 女 坂 置 女 軍 、 男 坂 置 男 軍 、 墨 坂 置 焃 炭 。 其 女 坂 ・ 男 坂 ・ 墨 坂 之 号 、由 此 而 起 也 。 復 有 兄 磯 城 軍 、 布 満 於 磐 余 邑 。︵ 略 ︶ 賊 虜 所 拠 、 皆 是 要 害 之 地 。 故 道 路 絶 塞 、無 処 可 通 。 天 皇 悪 之 。 是 夜 自 祈 而 寢 。 夢 有 天 神 訓 之 曰 、宜 取 天 香 山 社 中 土 、︵ 略 ︶以 造 天 平 瓮 八 十 枚 、︵ 略 ︶并 造 厳 瓮 、而 敬 祭 天 神 地 祇 。︵ 略 ︶ 亦 為 厳 呪 詛 。 如 此 、 則 虜 自 平 伏 。︵ 略 ︶天 皇 祇 承 夢 訓 、 依 以 将 行 。 時 弟 猾 又 奏 曰 、︵ 略 ︶ 臣 窃 為 天 皇 憂 之 。 宜 今 當 取 天 香 山 埴 、以 造 天 平 瓮 、而 祭 天 社 国 社 之 神 。 然 後 撃 虜 則 易 除 也 。 天 皇 既 以 夢 辞 為 吉 兆 。 及 聞 弟 猾 之 言 、 益 喜 於 懐 。 乃 使 椎 根 津 彦 、 著 弊 衣 服 及 簑 笠 、 為 老 父 貌 。 又 使 弟 猾 被 箕 、 為 老 嫗 貌 。 而 勅 之 曰 、 宜 汝 二 人 到 天 香 山 。 潜 取 其 巓 土 而 可 来 旋 矣 。 基 業 成 否 、 当 以 汝 為 占 。 努 力 愼 歟 。︵ 略 ︶二 人 得 至 其 山 、 取 土 来 帰 。 於 是 、天 皇 甚 悦 。 乃 以 此 埴 、造 作 八 十 平 瓮 ・天 手 抉 八 十 枚 ︵ 略 ︶・ 厳 瓮 、而 陟 于 丹 生 川 上 、用 祭 天 神 地 祇 。︵ 略 ︶ と あ り 、﹃ 日 本 書 紀 ﹄崇 神 十 年 九 月 壬 子 条 に は 、 ︵ 略 ︶於 是 、天 皇 姑 倭 迹 々 日 百 襲 姫 命 、 聡 明 叡 智 、 能 識 未 然 。 乃 知 其 歌 怪 、 言 于 天 皇 、 是 武 埴 安 彦 将 謀 反 之 表 者 也 。 吾 聞 、 武 埴 安 彦 之 妻 吾 田 媛 、 密 来 之 、 取 倭 香 山 土 、裏 領 巾 頭 而 祈 曰 、是 倭 国 之 物 実 、則 反 之 。︿ 物 実 、 此 云 望 能 志 呂 。﹀ 是 以 、知 有 事 焉 。 非 早 図 、必 後 之 。 於 是 更 留 諸 將 軍 而 議 之 。 未 幾 時 。 武 埴 安 彦 与 妻 吾 田 媛 。 謀 反 逆 興 師 忽 至 。︵ 略 ︶ と あ る 。 こ の う ち 前 者 は 、 神 武 天 皇 に よ る 大 和 平 定 の 場 面 で あ る 。 天 皇 が 菟 田 の 高 倉 山 か ら 大 和 の 国 中 を 見 渡 す と 、 墨 坂 周 辺 に は 八 十 梟 帥 の 軍 勢 が 、 磐 余 邑 に は 兄 磯 城 の 軍 勢 が そ れ ぞ れ 陣 を 構 え て お り 、 容 易 に 進 軍 で き な か っ た 。 そ こ で 天 皇 が 夢 占 を 行 う と 、 そ の 夢 に 天 神 が 現 れ て 、天 香 山 の 土 を 取 っ て 天 平 瓮 と 厳 瓮 を 造 り 、 天 神 地 祇 に 対 す る 祭 祀 を 行 え ば 、 敵 は 自 ず か ら 平 伏 す る だ ろ う と 告 げ た 。 翌 朝 に は 、 弟 猾 も 同 様 に 、 天 香 山 の 埴 土 を 取 っ て 天 平 瓮 を 造 り 、 天 社 国 社 の 神 を 祭 る べ き で あ る と 進 言 し た 。こ れ を 受 け て 天 皇 は 、 椎 根 津 彦 と 弟 猾 に 命 じ て 天 香 山 の 土 を 取 り に 行 か せ 、 天 平 瓮 な ど を 造 っ て 丹 生 川 上 に お い て 天 神 地 祇 を 祭 っ た と い う 。 そ し て 、こ の 効 験 に よ っ て 、 後 段 で は 八 十 梟 帥 や 兄 磯 城 の 討 伐 に
四 成 功 し た こ と に な っ て い る ︵﹃ 日 本 書 紀 ﹄ 神 武 即 位 前 紀 戊 午 年 十 月 癸 巳 条 ・ 十 一 月 己 巳 条 ︶。 一 方 、 後 者 は 武 埴 安 彦 の 反 乱 伝 承 で あ る 。 乱 の 顛 末 は 省 略 す る が 、 武 埴 安 彦 の 妻 の 吾 田 媛 が 密 か に 倭 の 香 山 の 土 を 領 巾 に 包 み 、こ れ を ﹁ 倭 国 の 物 実 ﹂ と し て 帰 っ て い っ た こ と を 知 っ た ヤ マ ト ト ト ヒ モ モ ソ ヒ メ は 、武 埴 安 彦 が 反 乱 を 企 て て い る こ と を 予 知 し 、そ の こ と を 天 皇 に 奏 上 し た と あ る 。 こ れ ら 二 つ の 記 事 に つ い て 和 田 氏 は 、 神 武 紀 で 天 香 久 山 の 土 が 呪 力 を 持 つ と さ れ て い る こ と や 、崇 神 紀 で 天 香 久 山 の 土 が ﹁ 倭 国 の 物 実 ﹂ と し て 描 か れ て い る こ と は 、 天 香 久 山 が 大 王 の 国 見 儀 礼 の 舞 台 で あ っ た こ と に よ る と 説 明 し て い る 。 前 掲 し た ﹃ 万 葉 集 ﹄ の 国 見 歌 も 考 え 合 わ せ る な ら ば 、 少 な く と も 舒 明 朝 以 降 、天 香 久 山 が 神 聖 視 さ れ 、国 見 儀 礼 の 舞 台 に な る こ と が あ っ た と い う 点 は 認 め て よ い 。 し か し 、 そ れ 以 前 の 時 期 に 、三 輪 山 に お い て 国 見 儀 礼 が 行 わ れ て い た こ と に つ い て は 、 前 掲 し た 夢 占 説 話 の ほ か に 、 特 に 根 拠 が 示 さ れ て い る わ け で は な い 。 和 田 氏 は 、 四 世 紀 代 に 三 輪 山 の 西 麓 地 域 に 多 く の 宮 が 置 か れ た こ と を 指 摘 し て い る が 、こ の 点 に つ い て は 、天 皇 の 実 在 性 も 含 め 、宮 の 所 在 地 に 関 す る 記 載 を そ の ま ま 史 実 と 見 る こ と は で き な い 。 そ も そ も 三 輪 山 周 辺 に 宮 が 置 か れ た か ら と い っ て 、 必 ず し も 三 輪 山 で 国 見 儀 礼 が 行 わ れ る と は 限 ら な い 。 ま た 、 寺 沢 薫 氏 も 和 田 氏 と 同 様 に 、 夢 占 説 話 を 大 王 に よ る 国 見 儀 礼 を 示 す も の と し て 解 釈 し て い る が ︵ 6︶、 三 輪 山 の 頂 上 は 標 高 が 高 く 、 樹 木 や 尾 根 筋 の 関 係 か ら も 周 囲 を 見 渡 す に は 相 応 し く な い こ と 、 三 輪 山 頂 か ら 祭 祀 遺 物 が 出 土 し て い な い こ と ︵ 後 述 ︶な ど か ら 、 む し ろ ﹁ 檜 原 神 社 付 近 こ そ 国 見 儀 礼 に は 適 し た 位 置 と 地 勢 を も っ て い る ﹂ と 述 べ て い る 。 た だ し 、こ の 解 釈 に し た が う な ら ば 、 崇 神 紀 に お け る 活 目 尊 の ﹁ 自 ら 御 諸 山 の 嶺 に 登 ﹂っ た と い う 発 言 と 、 様 相 が 大 き く 異 な っ て し ま う 。こ の ﹁ 嶺 ﹂ と は 、 山 頂 と 捉 え る べ き で あ る 。 山 麓 や 山 の 中 腹 で は な く 、 山 頂 で あ る か ら こ そ ﹁ 悉 く 四 方 に 臨 む ﹂ こ と が で き る の で あ る 。 し か も 、こ の 寺 沢 説 は あ く ま で も 、 三 輪 山 周 辺 で 国 見 儀 礼 が 行 わ れ て い た と い う 前 提 に 立 っ た 上 で の 推 論 で あ る 。 そ の 前 に 、 三 輪 山 に お い て 国 見 儀 礼 が 行 わ れ て い た か ど う か と い う 点 が 問 わ れ な け れ ば な ら な い 。 さ ら に 、 次 の 二 点 を 指 摘 し た い 。 第 一 に 、 夢 占 説 話 の 内 容 を 改 め て 辿 っ て み る な ら ば 、 豊 城 命 と 活 目 尊 が 三 輪 山 に 登 っ た の は 、 あ く ま で も 夢 の 中 の 話 で あ り 、 現 実 の 世 界 に お い て 三 輪 山 に 登 っ た わ け で は な い 。一 方 、 崇 神 天 皇 も 両 者 の 夢 を 聞 い て 皇 位 継 承 者 を 決 定 し た に 過 ぎ な い の で あ り 、夢 現 に か か わ ら ず 、 三 輪 山 に 足 を 踏 み 入 れ て す ら い な い 。こ の こ と は 、 三 輪 山 が 国 見 儀 礼 の 舞 台 と い う よ り も 、 む し ろ 通 常 は 容 易 に 立 ち 入 る こ と の で き な い 領 域 で あ っ た こ と を 示 し て い る と 見 ら れ る 。 こ れ に 関 し て 参 考 に な る の は 、 廬 城 部 枳 莒 喩 の 報 復 を 恐 れ た 阿 閇 国 見 が 、 石 上 神 宮 に 逃 げ 隠 れ た と い う 事 例 ︵﹃ 日 本 書 紀 ﹄ 雄 略 三 年 四 月 条 ︶ や 、 謀 反 の 嫌 疑 を か け ら れ た 和 6 寺 沢 薫 ﹁ 三 輪 山 の 祭 祀 遺 跡 と そ の マ ツ リ ﹂ ︵ 和 田 萃 編 ﹃ 大 神 と 石 上 ﹄筑 摩 書 房 、一 九 八 八 年 ︶。
五 気 王 が 、 率 川 神 社 に 逃 げ 込 ん だ と い う 事 例 ︵﹃ 続 日 本 紀 ﹄ 天 平 神 護 元 年 ︵ 七 六 五 ︶ 八 月 庚 申 条 ︶ な ど 、 祭 祀 を 行 う 場 が ﹁ 聖 域 ︵ ア ジ ー ル ︶ ﹂ と し て 機 能 し て い た と い う 指 摘 で あ る ︵ 7︶ 。こ れ と 同 じ こ と が 、 三 輪 山 に お い て も 確 認 で き る 。 六 世 紀 中 葉 に 活 躍 し た 三 輪 逆 は 、 敏 達 天 皇 の 殯 を 警 護 し て い た 際 、 炊 屋 姫 皇 后 を 姦 そ う と し て 侵 入 を 試 み た 穴 穂 部 皇 子 を 制 止 し た 。こ の 一 件 に よ っ て 皇 子 の 怒 り を 買 っ た 逆 は 、 の ち に 皇 子 の 命 を 受 け た 物 部 守 屋 に よ っ て 討 伐 さ れ て し ま っ た 。 こ の 時 、 守 屋 の 軍 勢 が 到 来 し た こ と を 聞 い た 逆 は 、 三 輪 山 に 身 を 隠 し た と 記 さ れ て い る︵ ﹃ 日 本 書 紀 ﹄用 明 元 年︵ 五 八 六 ︶ 五 月 条 ︶。 こ れ は 単 に 樹 木 が 生 い 茂 っ て い て 、 敵 の 軍 勢 に 発 見 さ れ に く い と い う 理 由 だ け で は な く 、 先 に 挙 げ た 石 上 神 宮 や 率 川 神 社 と 同 じ よ う に 、 大 神 神 社 の 禁 足 地 と し て の 三 輪 山 も 、祭 祀 を 執 り 行 う 場 と し て 一 種 の ﹁ 聖 域 ︵ ア ジ ー ル ︶ ﹂ と 見 な さ れ て お り 、 平 時 は た や す く 立 ち 入 る こ と が 許 さ れ て い な か っ た 可 能 性 が あ る 。 し た が っ て 、夢 占 説 話 に お い て 豊 城 命 と 活 目 尊 が 三 輪 山 に 登 っ て い る の は 、 あ く ま で も 夢 の 中 で あ る こ と が 重 要 な の で あ り 、 現 実 に 三 輪 山 の 頂 上 で 国 見 儀 礼 が 行 わ れ て い た こ と を 示 す も の で は な い と 考 え ら れ る 。 第 二 は 、 前 掲 し た 武 埴 安 彦 の 反 乱 伝 承 が 、 崇 神 朝 の こ と と し て 語 ら れ て い る 点 で あ る 。 崇 神 天 皇 は 前 掲 し た 夢 占 説 話 や 、 著 名 な オ オ タ タ ネ コ の 説 話 ︵ 後 述 す る 史 料
5
・12
︶か ら も 知 ら れ る よ う に 、 三 輪 山 と の 関 係 が 頓 に 深 い 天 皇 で あ る 。 そ の 崇 神 天 皇 の 時 代 に 、三 輪 山 の 土 で は な く 、天 香 具 山 の 土 が ﹁ 倭 国 の 物 実 ﹂ と し て 支 配 の 象 徴 の よ う に 記 さ れ て い る こ と は 、 は な は だ 不 可 解 で あ る 。 か り に 崇 神 朝 に お い て 三 輪 山 で 国 見 儀 礼 が 行 わ れ て い た ︵ と 伝 え ら れ て い た ︶ な ら ば 、 そ の 場 合 は 、 吾 田 媛 は 三 輪 山 の 土 を 取 っ て い く は ず で あ る 。 こ の よ う に 考 え る と 、 天 香 久 山 で の 国 見 儀 礼 が 確 認 さ れ る 舒 明 朝 よ り 以 前 に 、 三 輪 山 の 山 頂 や 山 麓 が 国 見 儀 礼 の 舞 台 で あ っ た こ と を 示 す 明 確 な 根 拠 は 見 当 た ら な い の で あ る 。III
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再
検
討
次 に 、四 ∼ 五 世 紀 代 の 三 輪 山 に お い て 、日 神 祭 祀 が 行 わ れ て い た 可 能 性 を 検 証 す る 。 そ の 根 拠 と し て は 、 現 在 の 三 輪 山 頂 に 鎮 座 す る 髙 こ う の み や 宮 神 社 を 、 延 喜 式 内 社 の 神 み わ に ま す ひ む か の 坐 日 向 神 社 に 比 定 す る 説 が 存 在 す る こ と 、 そ し て ﹃ 日 本 書 紀 ﹄の 中 に 三 輪 山 西 麓 の 倭 笠 縫 邑 に 天 照 大 神 を 祭 っ た と す る 記 事 が 見 ら れ る こ と 、こ れ ら の 二 点 が 挙 げ ら れ る 。 ま ず 、 前 者 に つ い て 検 討 し た い 。﹃ 延 喜 式 ﹄ 巻 第 九 神 名 上 大 和 国 城 上 郡 条 に は 、 城 上 郡 三 十 五 座 ︿ 大 十 五 座 、小 二 十 座 ﹀ 大 神 大 物 主 神 社 ︿ 名 神 大 、月 次 ・ 相 嘗 ・ 新 嘗 ﹀ 神 坐 日 向 神 社 ︿ 大 、月 ・ 次 新 嘗 ﹀ と あ り 、 大 和 国 城 上 郡 の 冒 頭 に 大 神 大 物 主 神 社 ︵ 大 神 神 7 和 田 萃 ﹁ 率 川 神 社 の 相 八 卦 読 み ﹂ ︵﹃ 日 本 古 代 の 儀 礼 と 祭 祀 ・ 信 仰 ﹄中 、 塙 書 房 、一 九 九 五 年 ︶。六 社 ︶ が 置 か れ 、 そ れ に 続 い て 神 坐 日 向 神 社 が 記 さ れ て い る 。 こ の 神 社 は 現 在 、 大 神 神 社 の 南 西 に 鎮 座 す る 同 名 の 神 坐 日 向 神 社 ︵ 奈 良 県 桜 井 市 大 字 三 輪 字 御 子 宮 ︶に 比 定 さ れ て い る 。 た だ し 、 そ の 論 社 が も う 一つ 存 在 す る 。 そ れ が 、 三 輪 山 の 頂 上 に 鎮 座 す る 髙 宮 神 社 ︵ 同 字 神 峯 ︶ で あ る ︵ 8︶。 大 神 神 社 所 蔵 ﹃ 三 輪 山 古 図 ﹄ ︵ 9︶に 描 か れ た 三 輪 山 の 頂 上 に は 、﹁ 神 在 日 向 社 ﹂ と 記 さ れ て い る 。こ の 点 に 注 目 し た 和 田 氏 は 、 古 代 に お い て は 神 坐 日 向 神 社 が 三 輪 山 頂 に 鎮 座 し て お り 、そ こ で は ﹁﹁ 日 向 ﹂ の 語 か ら も 推 測 さ れ る よ う に 、 日 神 信 仰 の 要 素 の 濃 い 祭 祀 ﹂ が 行 わ れ て い た と 推 測 し て い る 。 こ こ で 問 題 と な る の は 、 古 代 に お け る 神 坐 日 向 神 社 の 鎮 座 地 で あ る が 、こ の 神 社 に つ い て は 、古 代 の 史 料 に は 前 掲 し た ﹃ 延 喜 式 ﹄ の ほ か 、﹃ 日 本 三 代 実 録 ﹄ 貞 観 元 年 ︵ 八 五 九 ︶ 正 月 二 十 七 日 条 に 、 従 五 位 上 が 与 え ら れ た こ と が 見 え る の み で あ り 、 そ れ を 知 る 手 が か り は 残 さ れ て い な い 。 少 し 年 代 が 降 っ て 、 元 永 二 年 ︵ 一 一 一 九 ︶に 成 立 し た ﹃ 大 神 崇 秘 書 ﹄ ︵ 10︶ は 、﹁ 三 輪 山 峯 青 垣 山 ﹂に ﹁ 髙 宮 ﹂ ま た は ﹁ 上 宮 ﹂ が 鎮 座 し て い る と 記 し た 上 で 、こ れ を 神 坐 日 向 神 社 に 比 定 し て い る 。 文 永 二 年 ︵ 一 二 六 五 ︶ 成 立 の ﹃ 大 神 分 身 類 社 抄 ﹄ ︵ 11︶も 、﹁ 三 輪 上 神 社 ﹂ を 神 坐 日 向 神 社 に 比 定 し て い る 。 よ っ て 、 十 二 世 紀 か ら 十 三 世 紀 頃 に か け て 、 三 輪 山 頂 に 神 坐 日 向 神 社 を 比 定 す る 説 が 現 れ て き た こ と が 分 か る 。 し か し 、こ れ ら の 史 料 で は 、 す で に 三 輪 山 頂 に ﹁ 髙 宮 ﹂﹁ 上 宮 ﹂ や ﹁ 三 輪 上 神 社 ﹂ が 鎮 座 し て い た と 記 さ れ て い る 。 し か も 、 こ れ に 神 坐 日 向 神 社 を 比 定 し て い る と い う こ と は 、逆 に い う な ら ば 、こ の 頃 に は す で に 古 代 の 神 坐 日 向 神 社 が 存 在 し て お ら ず 、 そ の 鎮 座 地 が 分 か ら な く な っ て い た と い う こ と で あ る 。 こ の 点 に つ い て 、 前 述 し た ﹃ 三 輪 山 古 図 ﹄ 以 外 の 絵 画 資 料 で も 確 認 し て み た い 。 三 輪 山 を 描 い た 絵 画 資 料 は 、 管 見 に 入 っ た 限 り で は 、以 下 の 七 種 類 を 挙 げ る こ と が で き る 。 ︵ 12︶ ⅰ .大 神 神 社 所 蔵 ﹃ 三 輪 山 古 図 ﹄︵ 前 述 ︶ ⅱ .大 神 神 社 所 蔵 ﹃ 三 輪 山 絵 図 ﹄ ⅲ .大 神 神 社 所 蔵 ﹃ 和 州 三 輪 大 明 神 絵 図 ﹄ ⅳ .大 神 神 社 所 蔵 ﹃ 三 輪 社 絵 図 ﹄ ⅴ .天 理 大 学 図 書 館 所 蔵 ﹃ 大 和 国 三 輪 神 社 之 図 ﹄ ⅵ .宮 内 庁 所 蔵 ﹃ 大 和 国 三 輪 神 社 図 ﹄ ⅶ .大 神 神 社 所 蔵 ﹃ 和 州 大 三 輪 社 絵 図 ﹄ こ の う ち ⅰ ﹃ 三 輪 山 古 図 ﹄ に 描 か れ た 三 輪 山 頂 の 部 分 に ﹁ 神 在 日 向 社 ﹂ と 記 さ れ て い る こ と は す で に 述 べ た が 、 そ れ に 対 し て ⅱ ﹃ 三 輪 山 絵 図 ﹄に は ﹁ 高 峯 ﹂、 ⅲ ﹃ 和 州 三 輪 大 明 神 絵 図 ﹄に は ﹁ 神 上 ノ 宮 ﹂、 ⅳ﹃ 三 輪 社 絵 図 ﹄に は ﹁ 髙 宮 ﹂、 ⅵ ﹃ 大 和 国 三 輪 神 社 図 ﹄・ ⅶ ﹃ 和 州 大 三 輪 社 ノ 絵 図 ﹄に は ﹁ 上 ノ 宮 ﹂ と そ れ ぞ れ 記 さ れ て い る ︵ ⅴ ﹃ 大 和 国 三 輪 神 社 之 図 ﹄ に は 何 も 記 さ れ て い な い ︶。 お そ ら く ﹁ 高 峯 ﹂ は ﹁ こ う の み ね ﹂ と 読 み 、 そ こ に 鎮 座 す る 宮 が ﹁ こ う の み や ﹂で あ り 、 そ れ に 様 々 な 漢 字 を 当 て て ﹁ 神 上 ノ 宮 ﹂﹁ 髙 宮 ﹂﹁ 上 ノ 宮 ﹂ な ど と 表 記 し て い る も の と 思 わ れ る 。 ま た 、 こ れ ら の 成 立 年 代 は 、 ⅱ ﹃ 三 輪 山 絵 図 ﹄は 室 町 時 代 、 ⅰ ﹃ 三 輪 山 古 図 ﹄は 文 政 8 こ の 二 つ の 論 社 に つ い て は 、 明 治 十 八 年 ︵ 一 八 八 五 ︶、 大 神 神 社 か ら 明 治 政 府 に 対 し て 、本 来 は 山 頂 に 神 坐 日 向 神 社 、山 麓 に 髙 宮 神 社 が そ れ ぞ れ 鎮 座 し て い た が 、 途 中 で 名 前 が 誤 っ て 入 れ 替 わ っ て 伝 え ら れ て い る の で 、正 し い 神 社 名 に 訂 正 し た い と の 申 し 出 を 行 っ た が 却 下 さ れ 、 そ の 後 、特 に 進 展 が な い ま ま 現 在 に 至 っ て い る と い う 経 緯 が あ る 。 梅 田 義 彦 ﹁ 神 坐 日 向 神 社 ﹂︵ 式 内 社 研 究 会 編 ﹃ 式 内 社 調 査 報 告 ﹄三 、一 九 八 二 年 ︶参 照 。 9 ﹃ 三 輪 叢 書 ﹄︵ 大 神 神 社 社 務 所 、 一 九 二 八 年 ︶図 版 、﹃ 大 神 神 社 史 料 ﹄二 ︵ 吉 川 弘 文 館 、一 九 七 四 年 ︶一 二 四 五 頁 に 所 収 。 10 ﹃ 三 輪 叢 書 ﹄︵ 前 掲 ︶、﹃ 大 神 神 社 史 料 ﹄一 ︵ 前 掲 ︶所 収 。 11 ﹃ 三 輪 叢 書 ﹄︵ 前 掲 ︶、﹃ 大 神 神 社 史 料 ﹄一 ︵ 前 掲 ︶所 収 。 12 ⅱ ・ ⅲ ・ ⅶ は ﹃ 三 輪 叢 書 ﹄︵ 前 掲 ︶・ ﹃ 大 神 神 社 史 料 ﹄二 ︵ 前 掲 ︶、 ⅳ ∼ ⅵ は ﹃ 大 神 神 社 史 料 ﹄二 ︵ 前 掲 ︶に 所 収 。
七 十 三 年 ︵ 一 八 三 〇 ︶、 ⅳ は ﹃ 三 輪 社 絵 図 ﹄正 保 二 年 ︵ 一 六 四 五 ︶、 ⅵ ﹃ 大 和 国 三 輪 神 社 図 ﹄は 慶 応 四 年 ︵ 一 八 六 八 ︶の 成 立 で あ る こ と が 分 か っ て い る 。 ほ か は 不 明 で あ る が 、 ⅱ ﹃ 三 輪 山 絵 図 ﹄が 現 存 最 古 の も の と さ れ て い る 。こ れ ら を 分 析 し た 景 山 春 樹 氏 に よ れ ば 、ⅰ ﹃ 三 輪 山 古 図 ﹄・ ⅲ ﹃ 和 州 三 輪 大 明 神 絵 図 ﹄・ ⅳ ﹃ 三 輪 社 絵 図 ﹄ は 、い ず れ も ⅱ ﹃ 三 輪 山 絵 図 ﹄ を 基 礎 と し て 作 成 さ れ た も の と 見 ら れ る と し て い る ︵ 13︶。 と す る な ら ば 、 現 存 す る 七 種 類 の 絵 画 資 料 の う ち 、 三 輪 山 頂 と 神 坐 日 向 神 社 の 関 係 を 示 す も の は 、こ れ ま で 取 り 上 げ ら れ て き た ⅰ ﹃ 三 輪 山 古 図 ﹄の わ ず か 一 例 の み で あ る 。 し か も 、 そ れ よ り 早 く に 成 立 し た ⅱ ﹃ 三 輪 山 絵 図 ﹄に は ﹁ 高 峯 ﹂ と 記 さ れ て お り 、 そ こ に は 神 坐 日 向 神 社 と の 関 係 は 示 さ れ て い な い 。ⅰ ﹃ 三 輪 山 古 図 ﹄ は ⅱ ﹃ 三 輪 山 絵 図 ﹄ を 基 礎 と し て 、江 戸 時 代 に 入 っ て か ら 作 成 さ れ た も の で あ る こ と か ら 、ⅰ ﹃ 三 輪 山 古 図 ﹄ の 作 者 は 底 本 に ﹁ 高 峯 ﹂ と あ っ た 箇 所 を 、 意 図 的 に ﹁ 神 在 日 向 社 ﹂ と 書 き 換 え た こ と に な る 。こ の 書 き 換 え が 何 に よ っ た の か は 定 か で な い が 、 鎌 倉 時 代 に 成 立 し た ﹃ 倭 姫 命 世 紀 ﹄ に は 、 各 地 を 転 々 と し た 天 照 大 神 が ﹁ 倭 弥 和 乃 御 室 嶺 上 宮 ﹂ に 戻 っ て 来 て 、こ こ に 二 年 間 鎮 座 し た と 記 さ れ て い る 。こ う し た 中 世 以 降 の 言 説 の 影 響 を 受 け て 、前 述 し た ﹃ 大 神 崇 秘 書 ﹄ や ﹃ 大 神 分 身 類 社 抄 ﹄ の よ う に 、 神 坐 日 向 神 社 が か つ て 三 輪 山 頂 に 鎮 座 し て い た と す る 説 が 行 わ れ る よ う に な っ た の で は な か ろ う か 。 以 上 、こ れ ま で ⅰ ﹃ 三 輪 山 古 図 ﹄に 描 か れ た 三 輪 山 の 頂 上 部 分 に ﹁ 神 在 日 向 社 ﹂ と 記 さ れ て い る こ と が 、 古 代 に お い て 神 坐 日 向 神 社 が 三 輪 山 頂 に 鎮 座 し て い た と す る 説 の 有 力 な 根 拠 と さ れ て き た 。 し か し 、 ⅰ ﹃ 三 輪 山 古 図 ﹄ の 記 述 は 、 基 礎 と な っ た ⅱ ﹃ 三 輪 山 絵 図 ﹄ に ﹁ 高 峯 ﹂ と あ っ た も の を 、 作 者 が 何 ら か の 意 図 で 書 き 換 え た も の で あ る こ と が 確 認 で き る 。 よ っ て 、こ の こ と は 古 代 の 三 輪 山 頂 に 神 坐 日 向 神 社 が 鎮 座 し て い た こ と を 示 す 根 拠 に は な り 得 な い 。﹃ 大 神 崇 秘 書 ﹄ や ﹃ 大 神 分 身 類 社 抄 ﹄ の 記 述 も 踏 ま え る な ら ば 、 お そ ら く 神 坐 日 向 神 社 は 、貞 観 元 年 に 従 五 位 上 の 神 階 を 授 与 さ れ た の ち に 、 ほ ど な く し て 荒 廃 し た か 、 あ る い は 大 神 神 社 に 関 係 す る 神 社 と 統 廃 合 さ れ る な ど し て 、 院 政 期 に は す で に ︵ 神 坐 日 向 神 社 と い う 神 社 名 で は ︶存 在 し て お ら ず 、そ の た め に か つ て の 鎮 座 地 の 捜 索 が 行 わ れ る よ う に な っ た と 考 え ら れ る 。 少 な く と も 現 在 残 さ れ て い る 手 が か り か ら は 、 式 内 社 の 神 坐 日 向 神 社 が 古 代 の 三 輪 山 頂 に 鎮 座 し て い た と 論 証 す る こ と は 困 難 で あ る 。 ま た 、こ の こ と に 関 連 し て 付 言 し て お き た い の は 、 す で に 和 田 氏 や 寺 沢 氏 も 注 目 し て い る が 、 三 輪 山 の 頂 上 か ら 遺 物 が 出 土 し た と い う 報 告 が 全 く な い こ と で あ る 。 も ち ろ ん 、 三 輪 山 は 現 在 で も 入 山 に 許 可 が 必 要 で あ り 、 発 掘 調 査 な ど を 行 う こ と も 原 則 と し て 禁 じ ら れ て い る が 、こ れ ま で 三 輪 山 の 山 中 や 山 麓 で 発 見 さ れ た 祭 祀 遺 物 に は 、 多 く の 表 採 資 料 が 含 ま れ て い る 。 か つ て 大 神 神 社 の 禁 足 地 に は 容 易 に 入 る こ と 13 景 山 春 樹 ﹁ 大 三 輪 神 社 古 絵 図 に つ い て ﹂ ︵﹃ 大 神 神 社 史 料 ﹄三 、吉 川 弘 文 館 、一 九 七 一 年 ︶。
八 が で き 、 臼 玉 な ど が 採 集 さ れ て い た と も 伝 え ら れ て い る ︵ 14︶。 に も か か わ ら ず 、 三 輪 山 頂 で 祭 祀 遺 物 が 発 見 さ れ て い な い こ と は 、 や は り こ の 場 所 で 日 神 祭 祀 が 行 わ れ て い な か っ た こ と を 示 す と 考 え ら れ る 。 さ ら に 、 現 在 の 三 輪 山 頂 に 鎮 座 し て い る 髙 宮 神 社 は 南 西 の 方 角 を 向 い て お り 、 そ の 背 後 ︵ 北 東 の 方 角 ︶に は 三 輪 山 頂 の 磐 座 群 ︵ 奥 津 磐 座 ︶が 広 が っ て い る 。 髙 宮 神 社 が 日 神 を 祭 る も の で あ っ た な ら ば 、 西 の 方 角 を 向 い て 鎮 座 す る か 、 あ る い は 北 の 方 角 を 向 い て 鎮 座 し 、 参 拝 者 は 神 社 の 背 後 の 太 陽 を 拝 む 配 置 に な っ て い る の が 自 然 で あ る 。 現 在 の 髙 宮 神 社 の 社 殿 が い つ 設 け ら れ 、 そ の 立 地 ・ 向 き も い つ に ま で 遡 る か は 不 明 で あ る が 、 少 な く と も 現 在 の 髙 宮 神 社 は 太 陽 よ り も 、 三 輪 山 頂 の 奥 津 磐 座 を 意 識 し て い る と 見 ら れ る 。こ の 点 も 留 意 し て お く 必 要 が あ る 。 さ て 次 に 、 日 神 祭 祀 が 行 わ れ て い た と す る 示 す 第 二 の 根 拠 を 検 証 し た い 。﹃ 日 本 書 紀 ﹄崇 神 五 年 条 に は 、 国 内 多 疾 疫 。 民 有 死 亡 者 。 且 大 半 矣 。 と あ り 、こ れ に 続 く ﹃ 日 本 書 紀 ﹄崇 神 六 年 条 に は 、 百 姓 流 離 。 或 有 背 叛 。 其 勢 難 以 徳 治 之 。 是 以 、晨 興 夕 惕 、 請 罪 神 祇 。 先 是 、 天 照 大 神 ・ 倭 大 国 魂 二 神 、 並 祭 於 天 皇 大 殿 之 内 。 然 畏 其 神 勢 、 共 住 不 安 。 故 以 天 照 大 神 、託 豊 鍬 入 姫 命 、祭 於 倭 笠 縫 邑 。 仍 立 磯 堅 城 神 籬 。 ︵ 略 ︶ 亦 以 日 本 大 国 魂 神 、 託 渟 名 城 入 姫 命 令 祭 。 然 渟 名 城 入 姫 、髪 落 体 痩 而 不 能 祭 。 と あ る 。こ れ は 三 輪 山 西 麓 の 笠 縫 邑 に お い て 天 照 大 神 を 祭 っ た と す る 、 い わ ゆ る 笠 縫 邑 説 話 で あ る 。 そ の 概 略 は 、 次 の 通 り で あ る 。 崇 神 天 皇 の 時 代 に 疫 病 が 流 行 し 、 国 内 が 大 い に 乱 れ た 。こ れ 以 前 、 天 照 大 神 と 倭 大 国 魂 神 を 天 皇 が 住 む 殿 舎 内 に 並 祭 し て い た 。 そ こ で 、天 照 大 神 を 豊 鍬 入 姫 命 に 託 し て 倭 笠 縫 邑 に 磯 堅 城 の 神 籬 を 立 て て 祭 ら せ 、倭 大 国 魂 神 は 渟 名 城 入 姫 命 に 託 し て 祭 ら せ た 。 し か し 、 渟 名 城 入 姫 命 は 体 が 衰 弱 し 、祭 祀 を 行 う こ と が で き な か っ た と い う 。 こ こ に 登 場 す る 笠 縫 邑 は 、 前 述 し た 檜 原 神 社 ︵ 奈 良 県 桜 井 市 大 字 三 輪 字 檜 原 ︶ の 付 近 に 比 定 さ れ て い る 。 和 田 氏 は こ の 崇 神 紀 の 記 事 か ら 、 三 輪 山 の ﹁ 山 麓 に は 祭 場 が 設 け ら れ て 、素 朴 な 日 神 祭 祀 が 行 わ れ て い た ﹂ と 述 べ て い る 。 た だ し 、こ の 理 解 に は 疑 問 が 残 る 。 先 に 和 田 氏 は 現 在 の 髙 宮 神 社 を 式 内 社 の 神 坐 日 向 神 社 に 比 定 し て 、三 輪 山 頂 に お け る 日 神 祭 祀 の 存 在 を 想 定 し て い た の で あ る が 、こ こ で 挙 げ た 檜 原 神 社 は 三 輪 山 の 麓 に 鎮 座 し て い る 。つ ま り 、 和 田 氏 の 説 明 で は 、 日 神 祭 祀 が 行 わ れ た 場 所 が 、 三 輪 山 の 山 頂 な の か 山 麓 な の か が 判 然 と し な い 。 ま た 、 冒 頭 で も 少 し 触 れ た が 、 和 田 氏 は 三 輪 山 祭 祀 の 展 開 過 程 に つ い て 、 伊 勢 神 宮 の 創 祀 を 五 世 紀 後 半 の 雄 略 朝 と す る 岡 田 精 司 氏 の 説 を 踏 ま え て ︵ 15︶、四 ∼ 五 世 紀 の 三 輪 山 で は 日 神 祭 祀 が 実 施 さ れ て い た が 、五 世 紀 後 半 に 日 神 祭 祀 が 伊 勢 に 遷 っ た た め に 三 輪 山 で の 祭 祀 は し ば ら く 中 断 し た 。 そ し て 、 六 世 紀 前 半 に 至 っ て 祭 祀 が 復 興 さ れ た が 、そ の 時 期 に は 日 神 祭 祀 で は な く 、祟 り 神 14 ﹁ 神 体 山 三 輪 山 と 磐 座 ﹂ ︵ 東 京 三 輪 い か づ ち 講 編 ﹃ 神 郷 三 輪 山 │ 神 々 の 秘 郷 を ひ ら く │ ﹄同 友 館 、一 九 九 〇 年 ︶。 15 岡 田 精 司 ﹁ 伊 勢 神 宮 の 起 源 ﹂ ︵﹃ 古 代 王 権 の 祭 祀 と 神 話 ﹄、 塙 書 房 、 一 九 七 〇 年 ︶。
九 に 対 す る 祭 祀 に 変 容 し て い た と 述 べ て い る 。 そ こ で 、こ の 点 を 考 古 学 の 側 面 か ら 検 証 し て み よ う 。 三 輪 山 周 辺 の 祭 祀 遺 跡 に つ い て は 、 大 場 磐 雄 ・ 樋 口 清 之 両 氏 の 先 駆 的 な 研 究 が あ る ︵ 16︶。 近 年 で は 、寺 沢 薫 ・ 小 池 香 津 江 各 氏 に よ っ て 詳 細 な 整 理 が 行 わ れ て い る ︵ 17︶。 特 に 須 恵 器 に つ い て は 、 佐 々 木 幹 雄 氏 に よ る 一 連 の 研 究 も あ る ︵ 18︶ 。こ こ で は 遺 跡 ・ 遺 物 の 検 討 は 割 愛 し 、遺 物 の 年 代 の み 概 観 す る 。 三 輪 山 の 山 中 ・ 山 麓 か ら 発 見 さ れ た 遺 物 の 中 で 、 最 も 古 い 年 代 を 示 し て い る の は 、 山 ノ 神 遺 跡 か ら 出 土 し た 鏡 ・ 剣 ・ 玉 類 で あ る 。こ れ ら は 四 世 紀 後 半 か ら 五 世 紀 後 半 の も の と さ れ て い る 。 祭 祀 遺 物 の 中 で 最 も 多 く の 出 土 量 を 誇 る の は 、 滑 石 製 模 造 品 と 土 製 模 造 品 で あ る 。こ れ ま で に 確 認 さ れ て い る 一 八 箇 所 の 祭 祀 遺 跡 の う ち 、 滑 石 製 模 造 品 は 一 四 箇 所 、 土 製 模 造 品 は 七 箇 所 か ら 出 土 し て お り 、 両 者 が 祭 祀 の 中 心 を 担 う も の で あ っ た こ と が う か が え る 。こ れ ら は 五 世 紀 後 半 か ら 六 世 紀 前 半 の も の と 考 え ら れ て い る 。 ま た 、 滑 石 製 模 造 品 の 中 に は 、 子 持 勾 玉 が 八 地 点 か ら 出 土 し て い る 。 子 勾 玉 が 勾 玉 形 か ら 突 起 状 に 退 化 し 、 形 状 が 肉 厚 な も の か ら 扁 平 な も の へ 変 形 す る 傾 向 が 見 ら れ る こ と か ら 、 芝 遺 跡 出 土 の も の は 五 世 紀 後 半 、 茅 原 源 水 出 土 の も の は 五 世 紀 末 期 、 禁 足 地 出 土 の も の は 六 世 紀 代 と さ れ て い る ︵ 19︶ 。こ れ に 加 え て 、 大 三 輪 中 学 校 付 近 と 山 ノ 神 遺 跡 か ら 出 土 し た も の が あ る が 、 ど ち ら も 茅 原 源 水 出 土 の も の よ り や や 古 い 形 状 で あ る こ と か ら 、 五 世 紀 後 半 か ら 末 期 の も の と 推 定 で き る 。 子 持 勾 玉 の 年 代 は 全 体 と し て 、 五 世 紀 後 半 か ら 六 世 紀 代 と い う こ と に な る 。 須 恵 器 に 関 し て は 、 山 ノ 神 遺 跡 、 奥 垣 内 遺 跡 、 若 宮 神 社 遺 跡 、大 神 神 社 二 の 鳥 居 、狭 井 神 社 鏡 池 付 近 な ど か ら 出 土 し た も の が 大 神 神 社 に 保 管 さ れ て い る 。 こ れ ら は 五 世 紀 後 半 の も の が 二 一% ・ 六 世 紀 前 半 の も の が 三 五 % ・ 六 世 紀 後 半 の も の が 二 四 % 、 七 世 紀 前 半 の も の が
0
% で あ る と 分 析 さ れ て い る 。 こ の よ う に 三 輪 山 周 辺 の 祭 祀 遺 跡 群 か ら 出 土 し た 遺 物 は 、 最 も 古 い も の は 四 世 紀 後 半 の 年 代 を 示 し て お り 、 五 世 紀 後 半 か ら 六 世 紀 前 半 に は 出 土 量 が ピ ー ク に 達 し 、 六 世 紀 後 半 以 降 は 減 少 傾 向 を 見 せ る よ う に な る 。こ れ が そ の ま ま 祭 祀 の 盛 衰 を 示 す わ け で は な い が 、一 つ の 指 標 に は な り 得 る と 思 わ れ る 。 よ っ て 、 三 輪 山 周 辺 で 行 わ れ た 祭 祀 は 、 四 世 紀 後 半 頃 か ら 開 始 さ れ 、 五 世 紀 後 半 か ら 六 世 紀 前 半 に か け て 最 盛 期 を 迎 え 、 六 世 紀 後 半 以 降 に は 衰 退 し た 、 と い う 大 ま か な 流 れ を 復 元 す る こ と が で き る 。こ の 結 果 は 、 和 田 氏 の 推 測 と 大 き く 異 な る も の で あ る 。つ ま り 、 五 世 紀 後 半 に 祭 祀 が 衰 退 ・ 中 断 し 、 の ち に 六 世 紀 中 葉 に な っ て 復 活 し た と す る な ら ば 、 六 世 紀 前 半 頃 の 祭 祀 遺 物 に 何 ら か の 変 化 が 見 ら れ る は ず で あ る 。 し か し 、 三 輪 山 周 辺 で は こ の 時 期 も 変 わ ら ず に 祭 祀 が 継 続 し て お り 、む し ろ 遺 物 の 出 土 量 が 増 加 し て い る こ と か ら 、 祭 祀 は 最 盛 期 を 迎 え て い た と 推 測 さ れ る 。 ま た 、 か り に 祭 祀 の 内 容 が 日 神 に 対 す る も の か ら 、 途 中 で 祟 り 神 に 対 す る も の へ と 変 化 し た の で あ れ ば 、 出 土 遺 物 の 種 類 や 分 量 17 寺 沢 薫 ﹁ 三 輪 山 の 祭 祀 遺 跡 と そ の マ ツ リ ﹂︵ 前 掲 ︶、 小 池 香 津 江 ﹁ 三 輪 山 周 辺 の 祭 祀 遺 跡 ﹂ ︵ 三 輪 山 文 化 研 究 会 編 ﹃ 神 奈 備 ・ 大 神 ・ 三 輪 明 神 ﹄、 東 方 出 版 、一 九 九 七 年 ︶。 18 佐 々 木 幹 雄 ﹁ 三 輪 と 陶 邑 ﹂︵ 前 掲 ︶、 同 ﹁ 続 ・ 三 輪 と 陶 邑 ﹂ ︵﹃ 民 衆 史 研 究 ﹄一 四 、一 九 七 六 年 ︶、 同 ﹁ 三 輪 山 祭 祀 の 歴 史 的 背 景 ﹂ ︵ 滝 口 宏 先 生 古 希 記 念 考 古 学 論 集 編 集 委 員 会 編 ﹃ 古 代 探 叢 ﹄ 早 稲 田 大 学 出 版 部 、一 九 七 九 年 ︶、 同 ﹁ 三 輪 山 出 土 の 須 恵 器 ﹂ ︵﹃ 古 代 ﹄六 六 、一 九 七 九 年 ︶、 同 ﹁ 三 輪 君 氏 と 三 輪 山 祭 祀 ﹂ ︵﹃ 日 本 歴 史 ﹄四 二 九 、一 九 八 四 年 ︶。 16 大 場 磐 雄 ﹁ 三 輪 山 麓 発 見 古 代 祭 器 の 一 考 察 ﹂︵﹃ 古 代 ﹄三 、一 九 五 一 年 ︶、 樋 口 清 之 ﹁ 三 輪 と 大 神 氏 ﹂︵﹃ 大 神 神 社 史 料 ﹄三 、 吉 川 弘 文 館 、一 九 七 一 年 ︶。 同 ﹁ 三 輪 山 ﹂ ︵ 大 場 磐 雄 編 ﹃ 神 道 考 古 学 講 座 ﹄五 、 雄 山 閣 、一 九 七 二 年 ︶。 同 ﹁ 神 体 山 の 考 古 学 的 背 景 ﹂︵ 前 掲 ︶、 同 ﹁ 日 本 神 話 と 三 輪 氏 ﹂︵﹃ 講 座 日 本 の 神 話 ﹄八 、 有 精 堂 、一 九 七 七 年 ︶な ど 。十 な ど も 自 ず か ら 異 な っ て く る と 思 わ れ る が 、 現 状 で は そ う し た 変 化 は 確 認 で き な い 。 し た が っ て 、 笠 縫 邑 説 話 に 何 ら か の 史 実 が 反 映 し て い る と し て も 、 そ こ か ら 三 輪 山 に お け る 日 神 祭 祀 の 痕 跡 を 読 み 取 る こ と は で き な い と 考 え ら れ る 。
IV
神
格
の
重
層
性
以 上 の よ う に 、 三 輪 山 に お い て 国 見 儀 礼 や 日 神 祭 祀 が 行 わ れ て い な か っ た と す る な ら ば 、 は た し て い か な る 祭 祀 が 執 り 行 わ れ て い た の で あ ろ う か 。 古 代 の 人 々 に と っ て 三 輪 山 に 鎮 座 す る と 観 念 さ れ 、 祭 祀 の 対 象 と な っ た 大 三 輪 神 は 、 多 様 な 性 質 ︵ 神 格 ︶ を 有 し て い る こ と が 知 ら れ て い る 。こ れ ら を 分 類 し た 池 田 源 太 氏 は 、 ① 山 林 と 共 に あ る 神 、 ② 雷 神 、 ③ 蛇 神 の 正 身 を 持 つ 神 、 ④ オ オ ク ニ ヌ シ の 幸 魂 ・ 奇 魂 、 ⑤ 光 あ る も の 、 ⑥ 人 間 の 女 子 と 婚 す る 神 、 ⑦ 氏 族 神 の 七 種 類 に 分 類 し 、こ の 順 番 に 新 た な 神 格 が 創 出 ・ 付 与 さ れ て い っ た と 論 じ た ︵ 20︶。一 方 、 和 田 氏 は 池 田 氏 に よ る 上 記 ① ∼ ⑦ の 分 類 を 踏 ま え た 上 で 、﹁ 霊 異 の 大 き い 祟 り 神 ﹂ と ﹁ 軍 神 ﹂ を 追 加 し 、 前 者 を 池 田 説 の ③ と ④ の 間 に 、 後 者 を ④ と ⑤ の 間 に 位 置 づ け て い る 。 池 田 ・ 和 田 両 氏 の 研 究 は 、そ れ ま で 漠 然 と 捉 え ら れ て き た 大 三 輪 神 の 神 格 か ら 、 個 々 の 属 性 を 抽 出 ・ 分 類 し た 点 で 大 い に 参 考 に な る 。 た だ し 、 や や 細 分 化 さ れ て お り 、 重 複 す る 要 素 も 見 受 け ら れ る 。 そ こ で 両 氏 の 分 類 を 踏 ま え て 、改 め て 整 理 す る な ら ば 次 の よ う に な る ︵ 21︶。 (a
山) 林 ・ 樹 木 の 神 (b
雷) 神 ・ 蛇 神 (c
祟) り 神 (d
人) 間 と 婚 す る 神 (e
光) を 発 す る 神 (f
国) 家 の 守 護 神 こ う し た 分 類 は 様 々 な 基 準 が 設 定 で き る た め 、 上 記 の (a
) ∼ (f
も) 便 宜 的 な も の で あ る こ と は 言 う ま で も な い 。 た だ し 、 ひ と ま ず こ の よ う に 理 解 す る と し て 、 以 下 で は 、 先 行 研 究 と 重 複 す る 部 分 も あ る が 、 大 三 輪 神 が 登 場 す る 記 事 を 改 め て 確 認 し た い 。 紙 幅 の 関 係 上 、 話 の 展 開 を 逐 一 検 討 す る こ と は せ ず 、 各 記 事 か ら 大 三 輪 神 の い か な る 神 格 が 読 み 取 れ る か 、 と い う 点 に 絞 っ て 概 観 す る 。 な お 、厳 密 を 期 す た め 、大 三 輪 神 が 直 接 登 場 す る 記 事 の み を 取 り 上 げ た ︵ 三 輪 山 を 舞 台 と す る 記 事 や 、大 神 神 社 の 関 連 記 事 は 考 察 か ら は 除 外 し た ︵ 22︶ ︶。 史 料 は お お む ね 時 代 順 に 配 列 し た 。 ︻ 史 料1
︼﹃ 古 事 記 ﹄上 巻 故 自 爾 。 大 穴 牟 遲 。 與 少 名 毘 古 那 。 二 柱 神 相 並 。 作 堅 此 国 。 然 後 者 。 其 少 名 毘 古 那 神 者 。 度 于 常 世 国 也 。 ︵ 略 ︶ 於 是 大 国 主 神 、 愁 而 告 、 吾 獨 何 能 得 作 此 国 。 孰 神 与 吾 能 相 作 此 国 耶 。 是 時 有 光 海 依 来 之 神 。 其 神 言 、 能 治 我 前 者 、吾 能 共 与 相 作 成 。 若 不 然 者 、国 難 成 。 爾 大 国 主 神 曰 、 然 者 治 奉 之 状 奈 何 。 答 言 吾 者 、 伊 都 岐 奉 于 倭 之 青 垣 東 山 上 。 此 者 坐 御 諸 山 上 神 也 。 ︻ 史 料2
︼﹃ 日 本 書 紀 ﹄神 代 上 第 八 段 一 書 第 六 大 国 主 神 。 亦 名 大 物 主 神 。 亦 号 国 作 大 己 貴 命 。︵ 略 ︶ 夫 大 己 貴 命 与 少 彦 名 命 。 戮 力 一 心 。 經 營 天 下 。︵ 略 ︶ 其 19 寺 沢 薫 ﹁ 三 輪 山 の 祭 祀 遺 跡 と そ の マ ツ リ ﹂︵ 前 掲 ︶、 同 ﹁ 三 輪 山 麓 出 土 の 子 持 勾 玉 を め ぐ っ て ﹂ ︵﹃ 大 神 神 社 境 内 地 発 掘 調 査 報 告 書 ﹄ 一 九 八 四 年 ︶。 20 池 田 源 太 ﹁ 三 輪 の 神 の 諸 形 態 と 保 護 精 霊 ﹂︵﹃ 古 代 日 本 民 族 文 化 論 考 ﹄ 学 生 社 、一 九 七 九 年 、初 出 一 九 七 一 年 ︶、 同 ﹁ 大 神 神 社 の 鎮 座 ﹂︵﹃ 大 神 神 社 史 ﹄前 掲 ︶、 同 ﹁ 古 代 史 の 中 の 三 輪 山 ﹂ ︵ 東 京 三 輪 い か づ ち 講 編 ﹃ 神 郷 三 輪 山 ﹄ 同 友 館 、一 九 九 〇 年 ︶。 ① ∼ ⑦ の 分 類 は ﹁ 大 神 神 社 の 鎮 座 ﹂に よ っ た 。 21 ② 雷 神 と ③ 蛇 神 の 正 身 を 持 つ 神 は 、 (b雷) 神 ・ 蛇 神 と し て 一 括 し た 。 ④ オ オ ク ニ ヌ シ の 幸 魂 ・ 奇 魂 に つ い て は 、 池 田 氏 が ﹁ 国 土 経 営 の 神 を 助 け る 保 護 精 霊 ﹂や ﹁ 国 家 神 ﹂と も 言 い 換 え て い る の で 、 (f国) 家 の 守 護 神 と し た 。そ の ほ か 文 言 を 適 宜 修 正 し た 。軍 神 と し て の 性 質 は 、 考 察 対 象 か ら 除 外 し た ︵ 注 23参 ・ 24照 ︶。 22 た と え ば ﹃ 日 本 書 紀 ﹄景 行 五 十 一 年 八 月 壬 子 条 ・ 敏 達 十 年 閏 二 月 条 な ど は 、 三 輪 山 を 舞 台 と し て い る が 、大 三 輪 神 が 直 接 登 場 し て い な い の で 、 こ こ で は 考 察 対 象 か ら 除 外 し た 。十 一 後 少 彦 名 命 行 至 熊 野 之 御 碕 。 遂 適 於 常 世 郷 矣 。 亦 曰 。 至 淡 嶋 而 縁 粟 莖 者 。 則 彈 渡 而 至 常 世 郷 矣 。 自 後 国 中 所 未 成 者 。 大 己 貴 神 獨 能 巡 造 。 遂 到 出 雲 国 。 乃 興 言 曰 。 夫 葦 原 中 国 本 自 荒 芒 至 及 磐 石 草 木 咸 能 強 暴 。 然 吾 已 摧 伏 莫 不 和 順 。 遂 因 言 。 今 理 此 国 唯 吾 一 身 而 巳 。 其 可 与 吾 共 理 天 下 者 盖 有 之 乎 。 于 時 、 神 光 照 海 、 忽 然 有 浮 来 者 。 曰 、 如 吾 不 在 者 、 汝 何 能 平 此 国 乎 。 由 吾 在 故 、 汝 得 建 其 大 造 之 績 矣 。 是 時 、 大 己 貴 神 問 曰 、 然 則 汝 是 誰 耶 。 対 曰 、 吾 是 汝 之 幸 魂 奇 魂 也 。 大 己 貴 神 曰 、唯 然 。 廼 知 汝 是 吾 之 幸 魂 奇 魂 。 今 欲 何 処 住 耶 。 対 曰 、吾 欲 住 於 日 本 国 之 三 諸 山 。 故 即 営 宮 彼 所 、使 就 而 居 。 此 大 三 輪 之 神 也 。 此 神 之 子 ︵ 略 ︶大 三 輪 君 等 。 史 料
1
・2
は 、 オ オ ク ニ ヌ シ ︵ オ オ ナ ム チ ︶に よ る 国 作 り の 場 面 で あ る 。 史 料1
の ﹁ 御 諸 山 の 上 に 坐 す 神 ﹂﹁ 海 を 光 し て 依 り 来 る 神 ﹂ と い う 描 写 か ら は (a
) (e
の) 性 質 を う か が う こ と が で き る 。 ま た 、こ の 場 面 で オ オ ク ニ ヌ シ は ﹁ 国 を 作 り 堅 め ﹂ て い た と あ る こ と か ら (f
の) 性 質 も 有 し て い る と い え る 。 史 料2
も ﹁ 日 本 国 の 三 諸 山 に 住 ﹂﹁ 神 し き 光 海 に 照 し て ﹂ と い う 描 写 か ら (a
) (e
、) 大 三 輪 神 は オ オ ク ニ ヌ シ の ﹁ 幸 魂 ・ 奇 魂 ﹂で あ る と い う 描 写 か ら (f
の) 性 質 が う か が え る 。 ︻ 史 料3
︼﹃ 延 喜 式 ﹄巻 第 八 祝 詞 出 雲 国 造 神 賀 詞 乃 大 穴 持 命 ︿ 乃 ﹀申 給 ︿ 久 ﹀、 皇 御 孫 命 ︿ 乃 ﹀静 坐 ︿ 牟 ﹀ 大 倭 国 申 ︿ 天 ﹀、 己 命 和 魂 ︿ 乎 ﹀八 咫 鏡 ︿ 尓 ﹀取 託 ︿ 天 ﹀、 倭 大 物 主 櫛 𤭖 玉 命 ︿ 登 ﹀名 ︿ 乎 ﹀称 ︿ 天 ﹀、 大 御 和 ︿ 乃 ﹀ 神 奈 備 ︿ 尓 ﹀ 坐 、︵ 略 ︶ 皇 孫 命 ︿ 能 ﹀ 近 守 神 ︿ 登 ﹀ 貢 置 ︿ 天 ﹀、 八 百 丹 杵 築 宮 ︿ 尓 ﹀静 坐 ︿ 支 ﹀。 史 料3
は 、出 雲 国 造 神 賀 詞 の 第 二 段 で あ り 、神 賀 詞 奏 上 の 起 源 を 述 べ た 箇 所 で あ る 。﹁ 大 御 和 の 神 奈 備 ﹂ に 鎮 座 し た と い う 点 か ら は (a
、オ) オ ナ ム チ の ﹁ 和 魂 ﹂で あ り 、し か も ﹁ 皇 孫 命 の 近 き 守 神 ﹂ と 明 記 さ れ て い る こ と か ら は (f
の) 性 質 を 、 そ れ ぞ れ 読 み 取 る こ と が で き る 。 ︻ 史 料4
︼﹃ 古 事 記 ﹄神 武 段 ︵ 略 ︶ 然 更 求 爲 大 后 之 美 人 時 。 大 久 米 命 曰 。 此 間 有 媛 女 。 是 謂 神 御 子 。 其 所 以 謂 神 御 子 者 。 三 嶋 湟 咋 之 女 。 名 勢 夜 陀 多 良 比 賣 。 其 容 姿 麗 美 。 故 美 和 之 大 物 主 神 。 見 感 而 。 其 美 人 。 爲 大 便 之 時 。 化 丹 塗 矢 。 自 其 爲 大 便 之 溝 流 下 。 突 其 美 人 之 富 登 。︵ 略 ︶ 爾 其 美 人 驚 而 。 立 走 伊 須 須 岐 伎 。︵ 略 ︶ 乃 將 來 其 矢 。 置 於 床 邊 。 忽 成 麗 壯 夫 。 即 娶 其 美 人 。 生 子 。 名 謂 富 登 多 多 良 伊 須 須 岐 比 賣 命 。 亦 名 謂 比 賣 多 多 良 伊 須 氣 余 理 比 賣 。︵ 略 ︶ 故 是 以 謂 神 御 子 也 。 史 料4
は 、 い わ ゆ る 丹 塗 矢 説 話 で あ る 。こ こ で は 、 容 姿 麗 美 な セ ヤ ダ タ ラ ヒ メ を 見 そ め た オ オ モ ノ ヌ シ が ﹁ 丹 塗 矢 ﹂ と な っ て 溝 か ら 流 れ 下 っ た と あ る が 、こ の ﹁ 丹 塗 矢 ﹂ は 雷 神 を 表 し た も の で あ る と さ れ て お り ︵﹃ 釈 日 本 紀 ﹄ 所 引 ﹃ 山 城 国 風 土 記 ﹄ 逸 文 な ど ︶、 こ こ か ら (b
の) 性 質 が う か が え る 。 ま た 、 セ ヤ ダ タ ラ ヒ メ を 娶 っ て ホ ト タ タ ラ イ ス ス キ ヒ メ を 生 ん だ と あ る こ と か ら 、こ の 神 は (d
の) 性 質 を 持 っ て い る こ と が 分 か る 。十二 ︻ 史 料
5
︼﹃ 古 事 記 ﹄崇 神 段 此 天 皇 御 世 、 病 多 起 、 人 民 死 為 尽 。 爾 天 皇 愁 歎 而 、 坐 神 牀 之 夜 、大 物 主 大 神 、顕 於 御 夢 曰 、是 者 我 之 御 心 。 故 、 以 意 富 多 多 泥 古 而 、 令 祭 我 御 前 者 、 神 気 不 起 、 国 安 平 。 是 以 駅 使 班 于 四 方 、求 謂 意 富 多 多 泥 古 人 之 時 、 於 河 内 之 美 努 村 、 見 得 其 人 貢 進 。 爾 天 皇 問 賜 之 汝 者 誰 子 也 、 答 曰 、 僕 者 大 物 主 大 神 、 娶 陶 津 耳 命 之 女 、 活 玉 依 毘 売 、 生 子 、 名 櫛 御 方 命 之 子 、 飯 肩 巣 見 命 之 子 、 建 甕 槌 命 之 子 、 僕 意 富 多 多 泥 古 白 。 於 是 天 皇 大 歓 以 詔 之 、 天 下 平 、 人 民 栄 。 即 以 意 富 多 多 泥 古 命 、 為 神 主 而 、 於 御 諸 山 拝 祭 意 富 美 和 之 大 神 前 。︵ 略 ︶ 因 此 而 気 悉 息 、国 家 安 平 也 。 此 謂 意 富 多 多 泥 古 人 、 所 以 知 神 子 者 、 上 所 云 活 玉 依 毘 売 、 其 容 姿 端 正 。 於 是 有 壮 夫 、 其 形 姿 威 儀 、 於 時 無 比 、夜 半 之 時 、儵 忽 到 来 。 故 、相 感 、共 婚 共 住 之 間 、未 経 幾 時 、其 美 人 妊 身 。 爾 父 母 怪 其 妊 身 之 事 、問 其 女 曰 、 汝 者 自 妊 。 无 夫 何 由 妊 身 乎 。 答 曰 、 有 麗 美 壮 夫 、 不 知 其 姓 名 、 毎 夕 到 来 、 共 住 之 間 、 自 然 懐 妊 。 是 以 其 父 母 、欲 知 其 人 、誨 其 女 曰 、以 赤 土 散 床 前 、以 閇 蘇 ︿ 此 二 字 以 音 。﹀ 紡 麻 貫 針 、 刺 其 衣 襴 。 故 、 如 教 而 旦 時 見 者 、 所 著 針 麻 者 、自 戸 之 鉤 穴 控 通 而 出 、唯 遺 麻 者 三 勾 耳 。 爾 即 知 自 鉤 穴 出 之 状 而 、 従 糸 尋 行 者 、 至 美 和 山 而 留 神 社 。 故 、 知 其 神 子 。 故 、 因 其 麻 之 三 勾 遺 而 、 名 其 地 謂 美 和 也 。︵ 略 ︶ 史 料5
は 、 前 半 は 著 名 な オ オ タ タ ネ コ の 説 話 、 後 半 は い わ ゆ る 苧 環 説 話 で あ り 、一 連 の 内 容 と な っ て い る 。 前 半 で は 、 大 三 輪 神 が ﹁ 御 諸 山 ﹂に 鎮 座 し て い る こ と か ら (a
、) 大 三 輪 神 の ﹁ 神 の 気 ﹂ に よ っ て 疫 病 が 流 行 し て い る こ と か ら (c
の) 性 質 が 見 て 取 れ る 。 ま た 、オ オ タ タ ネ コ が 自 ら の 系 譜 を 述 べ た 中 で 、 オ オ モ ノ ヌ シ が イ ク タ マ ヨ リ ヒ メ を 娶 っ た と あ る こ と か ら (d
の) 性 質 も 含 ま れ て い る 。 後 半 で は 、 麻 糸 が ﹁ 美 和 山 ﹂ に 至 っ た と い う こ と か ら (a
、) 大 三 輪 神 と イ ク タ マ ヨ リ ヒ メ が ﹁ 共 婚 ひ し て 共 住 め る ﹂ と あ る こ と か ら (d
の) 性 質 が う か が え る 。 ま た 、 麻 糸 が 鉤 穴 を 通 っ て い る こ と は 、こ の 神 が 蛇 の 姿 を し て い る こ と を 意 味 し て い る と 考 え ら れ 、 (b
の) 性 質 も 読 み 取 る こ と が で き る 。 ︻ 史 料6a
︼﹃ 日 本 書 紀 ﹄崇 神 七 年 二 月 辛 卯 条 詔 曰 、昔 我 皇 祖 、大 啓 鴻 基 。 其 後 、聖 業 逾 高 、王 風 転 盛 。 不 意 、 今 当 朕 世 、 数 有 災 害 。 恐 朝 無 善 政 、 取 咎 於 神 祇 耶 。 蓋 命 神 亀 、 以 極 致 災 之 所 由 也 。 於 是 、 天 皇 乃 幸 于 神 浅 茅 原 、 而 会 八 十 万 神 、 以 卜 問 之 。 是 時 、 神 明 憑 倭 迹 々 日 百 襲 姫 命 曰 、 天 皇 、 何 憂 国 之 不 治 也 。 若 能 敬 祭 我 者 、 必 当 自 平 矣 。 天 皇 問 曰 、 教 如 此 者 誰 神 也 。 答 曰 、我 是 倭 国 域 内 所 居 神 、名 為 大 物 主 神 矣 。 時 得 神 語 、 随 教 祭 祀 。 然 猶 於 事 無 験 。 天 皇 乃 沐 浴 斎 戒 、 潔 浄 殿 内 、 而 祈 之 曰 、 朕 礼 神 尚 未 尽 耶 。 何 不 享 之 甚 也 。 冀 亦 夢 裏 教 之 、以 畢 神 恩 。 是 夜 夢 、有 一 貴 人 。 対 立 殿 戸 、自 称 大 物 主 神 曰 、 天 皇 、 勿 復 為 愁 。 国 之 不 治 、 是 吾 意 也 。十 三 若 以 吾 児 大 田 々 根 子 、令 祭 吾 者 、則 立 平 矣 。 亦 有 海 外 之 国 、自 当 帰 伏 。 ︻ 史 料
6b
︼﹃ 日 本 書 紀 ﹄崇 神 七 年 八 月 己 酉 条 ︵ 略 ︶ 布 告 天 下 求 大 田 田 根 子 。 即 於 茅 渟 縣 陶 邑 得 大 田 田 根 子 而 貢 之 。 天 皇 即 親 臨 于 神 淺 茅 原 。 會 諸 王 卿 及 八 十 諸 部 。 而 問 大 田 田 根 子 曰 。 汝 其 誰 子 。 對 曰 。 父 曰 大 物 主 大 神 。 母 曰 活 玉 依 媛 。 陶 津 耳 之 女 。 亦 云 。 奇 日 方 天 日 方 。 武 茅 渟 祇 之 女 也 。 天 皇 曰 。 朕 當 榮 樂 。 ︵ 略 ︶ ︻ 史 料6c
︼﹃ 日 本 書 紀 ﹄崇 神 七 年 十 一 月 己 卯 条 命 伊 香 色 雄 、 而 以 物 部 八 十 瓮 、 作 祭 神 之 物 。 即 以 大 田 々 根 子 、為 祭 大 物 主 大 神 之 主 。 又 以 長 尾 市 、為 祭 倭 大 国 魂 神 之 主 。 然 後 、 卜 祭 他 神 、 吉 焉 。 便 別 祭 八 十 万 群 神 。 仍 定 天 社 ・ 国 社 、及 神 地 ・ 神 戸 。 於 是 、疫 病 始 息 、 国 内 漸 謐 。 五 穀 既 成 、百 姓 饒 之 。 ︻ 史 料6d
︼﹃ 日 本 書 紀 ﹄崇 神 八 年 十 二 月 乙 卯 条 天 皇 以 大 田 田 根 子 令 祭 大 神 。︵ 略 ︶ 史 料6a
∼d
も 、 史 料5
の 前 半 と 同 じ く オ オ タ タ ネ コ に 関 す る 説 話 で あ る 。 内 容 が 重 複 す る た め 詳 述 は 避 け る が 、こ の 記 事 か ら も (c
) (d
の) 性 質 を 読 み 取 る こ と が で き る 。 ︻ 史 料7
︼﹃ 日 本 書 紀 ﹄崇 神 十 年 九 月 条 是 後 、倭 迹 々 日 百 襲 姫 命 、為 大 物 主 神 之 妻 。 然 其 神 常 昼 不 見 。 而 夜 来 矣 。 倭 迹 々 姫 命 語 夫 曰 、君 常 昼 不 見 者 、 分 明 不 得 視 其 尊 顔 。 願 暫 留 之 。 明 旦 仰 欲 観 美 麗 之 威 儀 。 大 神 対 曰 、言 理 灼 然 。 吾 明 旦 入 汝 櫛 笥 而 居 。 願 無 驚 吾 形 。 爰 倭 迹 々 姫 命 、 心 裏 密 異 之 。 待 明 以 見 櫛 笥 、 遂 有 美 麗 小 蛇 。 其 長 大 如 衣 紐 。 即 驚 之 叫 啼 。 時 大 神 有 恥 、 忽 化 人 形 。 謂 其 妻 曰 、 汝 不 忍 令 羞 吾 。々 還 令 羞 汝 。 仍 践 大 虚 、 登 御 諸 山 。 爰 倭 迹 々 姫 命 仰 見 、 而 悔 之 急 居 。︿ 急 居 、此 云 菟 岐 于 。﹀ 則 箸 撞 陰 而 薨 。 乃 葬 於 大 市 。 故 時 人 号 其 墓 、 謂 箸 墓 也 。 是 墓 者 、 日 也 人 作 、 夜 也 神 作 。故 運 大 坂 山 石 而 造 。則 自 山 至 于 墓 、人 民 相 踵 、 以 手 遞 伝 而 運 焉 。︵ 略 ︶ 史 料7
は 、 有 名 な 箸 墓 説 話 で あ る 。 オ オ モ ノ ヌ シ が ﹁ 大 虚 を 践 み て 、 御 諸 山 に 登 る ﹂ と あ る こ と か ら (a
、そ) の 姿 が ﹁ 美 麗 小 蛇 ﹂ と し て 描 か れ て い る こ と か ら (b
、ヤ) マ ト ト ト ヒ モ モ ソ ヒ メ が オ オ モ ノ ヌ シ の 妻 と な っ た と い う こ と か ら (d
の) 性 質 が 読 み 取 れ る 。 さ ら に 、祟 り と は 明 記 さ れ て い な い が 、ヤ マ ト ト ト ヒ モ モ ソ ヒ メ が 悲 劇 的 な 最 期 を 迎 え た こ と は 、 大 王 家 の 巫 女 と は 相 容 れ な い 大 三 輪 神 の あ り 方 を 示 し て い る と 考 え ら れ 、 (c
の) 性 質 も う か が う こ と が で き る 。 ︻ 史 料8
︼﹃ 釈 日 本 紀 ﹄所 引 ﹃ 筑 前 国 風 土 記 ﹄逸 文 筑 前 国 風 土 記 曰 、 気 長 足 姫 尊 、 欲 伐 新 羅 、 整 理 軍 士 、 発 行 之 間 、 道 中 遁 亡 。 占 求 其 由 、 即 有 祟 神 。 名 曰 大 三 輪 神 。 所 以 樹 此 神 社 、遂 平 新 羅 。 史 料8
は 、神 功 皇 后 が 朝 鮮 半 島 へ 出 兵 す る 際 、大 三 輪 神 の 祟 り に よ っ て 、 兵 士 の 逃 亡 が 続 い た と い う 記 事 で あ る ︵ 23︶ 。こ の 神 社 は 、於 保 奈 牟 智 神 社 ︵ 24︶︵﹃ 延 喜 式 ﹄巻 第 九 神 祇 下 筑 23 ﹃ 日 本 書 紀 ﹄神 功 皇 后 摂 政 前 九 月 己 卯 条 に も 、 ほ ぼ 同 内 容 の 記 事 が 見 え る が 、 こ ち ら に は 大 三 輪 神 が 直 接 登 場 し て い な い の で 、 こ こ で は 考 察 対 象 か ら 除 外 し た 。 24 現 在 、福 岡 県 筑 前 町 に 鎮 座 す る 大 己 貴 神 社 に 比 定 。十 四 前 国 夜 須 郡 条 ︶を 指 し て い る 。こ こ で は 大 三 輪 神 を ﹁ 祟 り 神 ﹂ と 明 記 し て い る こ と か ら (
c
の) 性 質 を 読 み 取 る こ と が で き る 。 ︻ 史 料9
︼﹃ 日 本 書 紀 ﹄雄 略 七 年 七 月 丙 子 条 天 皇 詔 少 子 部 連 蜾 蠃 曰 、 朕 欲 見 三 諸 岳 神 之 形 。︿ 或 云 、 此 山 之 神 為 大 物 主 神 也 。︵ 略 ︶﹀ 汝 膂 力 過 人 。 自 行 捉 来 。 蜾 蠃 答 曰 、 試 往 捉 之 。 乃 登 三 諸 岳 、 捉 取 大 蛇 、 奉 示 天 皇 。々 々 不 斎 戒 。 其 雷 虺 々 、 目 精 赫 々 。 天 皇 畏 、 蔽 目 不 見 、却 入 殿 中 。 使 放 於 岳 。 仍 改 賜 名 為 雷 。 史 料9
は 、 少 子 部 蜾 蠃 が 大 三 輪 神 を 捉 え た 説 話 で あ る 。 こ こ で は 、 蜾 蠃 が ﹁ 三 諸 岳 に 登 り ﹂﹁ 大 蛇 を 取 捉 へ ﹂ た と あ る こ と か ら (a
) (b
の) 性 質 が 見 て 取 れ る 。 ま た 、 そ の 大 蛇 は 天 皇 に 対 し て ﹁ 雷 虺 々 て 、 目 精 赫 々 く ﹂ と あ る こ と か ら (c
の) 性 質 も う か が う こ と が で き る 。 以 上 、大 三 輪 山 神 の 神 格 に つ い て 概 観 し た 。 池 田 ・ 和 田 両 氏 に よ る 研 究 は 、 大 三 輪 神 が 持 つ 複 数 の 神 格 を 一つ ず つ 取 り 出 し 、 そ れ ら を 体 系 化 し た 点 で 有 益 で あ っ た 。 し か し 、こ こ で は あ え て 逆 の 視 角 か ら 、 抽 出 さ れ た 個 々 の 神 格 が 各 記 事 の 中 で ど の よ う に 描 か れ て い る か と い う 点 に 注 目 し た 。 そ の 結 果 、 あ く ま で も 大 づ か み な 傾 向 で あ る が 、 史 料1
︵a
・e
・f
︶、 史 料2
︵a
・e
・f
︶、 史 料3
︵a
・f
︶、 史 料4
︵b
・d
︶、 史 料5
︵a
・b
・c
・d
︶、 史 料6
︵c
・d
︶、 史 料7
︵a
・b
・c
・d
︶、 史 料8
︵c
︶、 史 料9
︵a
・b
・c
︶と い う よ う に 、 大 三 輪 神 の 神 格 は9
件 の う ち8
件 の 記 事 に お い て 、 複 数 の 要 素 が 重 層 化 さ れ た 形 で 示 さ れ て い る こ と が 明 ら か と な っ た 。こ れ は 大 三 輪 神 が 本 来 的 に 複 数 の 神 格 を 有 し て お り 、 そ れ ら が 古 く か ら 不 可 分 な も の で あ っ た こ と を 示 し て い る と 考 え ら れ る 。こ の 点 に つ い て は 、 前 章 ま で の 考 察 を 踏 ま え て 結 語 で 総 括 し た い 。V
結
語
こ れ ま で の 研 究 で は 、 日 神 祭 祀 や 国 見 儀 礼 が 行 わ れ て い た 第 一 段 階 ︵ 四 ∼ 五 世 紀 後 半 ︶と 、 祟 り 神 に 対 す る 祭 祀 が 行 わ れ た 第 二 段 階 ︵ 六 世 紀 中 葉 以 降 ︶と い う よ う に 、衰 退 ・ 中 断 期 間 を は さ ん で 、 三 輪 山 祭 祀 を 大 き く 二 段 階 に 分 け て 理 解 し て き た 。 し か し 、 各 章 で 述 べ た よ う に 、 第 一 段 階 で 日 神 祭 祀 や 国 見 儀 礼 が 行 わ れ て い た と は 考 え ら れ な い こ と や 、 遺 物 の 出 土 状 況 か ら も 祭 祀 の 中 断 が 確 認 で き な い こ と 、 さ ら に 大 三 輪 神 の 神 格 が 基 本 的 に は 複 数 組 み 合 わ さ っ た 形 で 描 か れ て い る こ と な ど か ら す れ ば 、 三 輪 山 祭 祀 に 段 階 差 を 想 定 す る こ と は 困 難 で あ る 。 む し ろ 、 祭 祀 遺 物 の 年 代 を 参 考 に す る な ら ば 、 そ れ は 四 世 紀 後 半 に 開 始 さ れ 、 五 世 紀 後 半 か ら 六 世 紀 前 半 に か け て 盛 行 し 、 六 世 紀 後 半 に は 衰 退 に 向 か っ た と 捉 え る こ と が で き る 。 こ の 約 二 世 紀 の 間 に 、 祭 祀 の 道 具 や 場 所 、 さ ら に は 祭 祀 を 執 り 行 う こ と の 意 義 な ど は 、 そ れ を 行 う 集 団 の 中 で 徐 々 に 変 化 し て い っ た で あ ろ う 。 た だ し 、 祭 祀 の 対 象 と さ れ た 大 三 輪 神 の 神 格 は 、 も ち ろ ん 時 と 場 合 に よ っ て 特 定 の 側 面 が ク ロ ー ズ ア ッ プ さ れ る こ と は あ っ た十 五 と し て も 、 基 本 的 に は 重 層 的 な 形 で 人 々 に 認 識 さ れ て い た と 思 わ れ る 。 そ も そ も 祟 り 神 と は 、 祭 祀 を 怠 る と 大 き な 災 厄 を も た ら す が 、 手 厚 く 祭 れ ば 平 穏 や 豊 穣 を も た ら し て く れ る 神 で あ り ︵ 25︶、そ の 意 味 で は 山 林 ・ 樹 木 の 神 で も 、雷 神 ・ 蛇 神 で も 、さ ら に は 日 神 で あ っ て も 、祟 り 神 と は 常 に 表 裏 一 体 の 関 係 に あ る 。 し た が っ て 、 大 三 輪 神 は 祭 祀 が 開 始 さ れ た 当 初 か ら 、 祟 り 神 を は じ め と す る 複 数 の 神 格 を 合 わ せ 持 っ て い た と 考 え ら れ る の で あ る 。 今 後 は こ の 点 を 踏 ま え た 上 で 、 三 輪 山 祭 祀 の 構 造 と 展 開 過 程 を 復 元 し な け れ ば な ら な い 。 以 上 、 本 稿 で は 、 先 行 研 究 の 再 検 討 と 、 大 三 輪 神 の 神 格 を 抽 出 ・ 分 類 す る た め の 基 礎 的 作 業 に 終 始 し た た め 、 三 輪 山 祭 祀 を め ぐ る 王 権 と 氏 族 の 動 向 は も と よ り 、 個 々 の 説 話 や 祭 祀 遺 跡 ・ 遺 物 に つ い て も 十 分 な 検 討 を 行 う こ と が か な わ な か っ た 。こ れ ら に つ い て は 全 て 他 日 を 期 す こ と と し 、 ひ と ま ず 擱 筆 し た い 。 註 2 和 田 萃 ﹁ 三 輪 山 祭 祀 ﹂︵﹃ 桜 井 市 史 ﹄上 、 一 九 七 九 年 ︶、 同 ﹁ 三 輪 山 祭 祀 の 再 検 討 ﹂︵﹃ 日 本 古 代 の 儀 礼 と 祭 祀 ・ 信 仰 ﹄下 、塙 書 房 、一 九 九 五 年 、初 出 一 九 八 五 年 ︶、 同 ﹁ 古 代 の 祭 祀 と 政 治 ﹂︵ 岸 俊 男 編 ﹃ 日 本 の 古 代 7 ま つ り ご と の 展 開 ﹄中 央 公 論 社 、 一 九 八 六 年 ︶、 同 ﹃ 大 系 日 本 の 歴 史 2 古 墳 の 時 代 ﹄小 学 館 、 一 九 八 八 年 ︶、 同 ﹁ 三 輪 山 祭 祀 を め ぐ っ て ﹂︵﹃ 大 美 和 ﹄九 一 、一 九 九 六 年 ︶な ど 。 以 下 、和 田 氏 の 所 説 は ﹁ 三 輪 山 祭 祀 の 再 検 討 ﹂に よ る 。 註 3 王 朝 交 替 説 を と る 立 場 か ら 三 輪 山 祭 祀 を 論 じ た 主 な 研 究 と し て は 、岡 田 精 司 ﹁ 河 内 大 王 家 の 成 立 ﹂︵﹃ 古 代 王 権 の 祭 祀 と 神 話 ﹄ 塙 書 房 、 一 九 七 〇 年 、 初 出 一 九 六 八 年 ︶、 直 木 孝 次 郎 ﹃ 奈 良 ﹄︵ 岩 波 書 店 、 一 九 七 一 年 ︶、 吉 井 巌 ﹁ 崇 神 王 朝 の 始 祖 伝 承 と そ の 変 遷 ﹂︵﹃ 天 皇 の 系 譜 と 神 話 ﹄二 、 塙 書 房 、 一 九 七 六 年 、 初 出 一 九 七 四 年 ︶、 松 前 健 ﹁ 三 輪 山 伝 説 と 大 神 氏 ﹂︵﹃ 大 和 国 家 と 神 話 伝 承 ﹄ 雄 山 閣 出 版 、一 九 八 六 年 、初 出 一 九 七 五 年 ︶、 益 田 勝 実 ﹁ モ ノ 神 襲 来 ﹂︵﹃ 秘 儀 の 島 ﹄筑 摩 書 房 、 一 九 七 六 年 ︶、 佐 々 木 幹 雄 ﹁ 三 輪 と 陶 邑 ﹂︵﹃ 大 神 神 社 史 ﹄吉 川 弘 文 館 、一 九 七 五 年 ︶な ど が あ る 。 25 益 田 勝 実 ﹁ モ ノ 神 襲 来 ﹂︵ 前 掲 ︶。
十
六