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こぺる No.129(2003)

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NO. 129

部落のいまを考える⑪ 『同和利権の真相』の深層 角岡伸彦 ひろは.⑮ 日(毎月1回25日量行)ISSN 0919 4843 こべる刊行会 障害者を援助することとはなにか 石原英雄

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部落のいまを考え る ⑫

l ラ イ タ ー ︶

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二年三月の同和対策事業特別措置法の失効後、 解放運動パッシングが盛んだ。その晴矢となったのが同 年四月に発刊された﹁別冊宝島月刊と同和利権の真相﹄ ︵宝島杜︶である。その後、続編も出され、一冊目は文 庫 本 に も な っ た 。 部落解放同盟中央本部は、これに対し今年四月、解放 新聞紙上で﹁看過できないエセ﹃ジャーナリズム﹂﹂ ﹁出版物を売るための大衆迎合に満ちる﹂などの見出し を掲げ、見解を発表した。この見解に対し、執筆者の一 人である寺園敦史氏が本誌六月号で反論を試みている。 これまで部落問題を取材し続けてきた私は、両方とも興 味深く読んだ。思うところが多々あるので、私が感じる ところを記してみたい。引用は文庫本ではなく﹁別冊宝

の深層

島問

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っ た 。 同和利権の真相﹄︵以下﹃真相﹄︶からおこな 寺園氏は解放同盟の見解について﹁反対者にレッテル をはることで批判をやりすごすのはやめろ、ということ だ﹂と述べ﹁肝心なのはその批判者の所属団体や経歴、 あるいは批判の根拠とする情報源ではなく、いったいど のような批判をしているのか、それは事実なのか、指摘 に論理性があるのか、ということであろう﹂と反論して いる。その通りである。レッテルの貼り合いは、かつて 解放同盟と日本共産党・全解連がおこなってきた。そこ からは何も生まれない。しかし残念ながら﹃真相﹄は、 事実関係や指摘に論理性があるかといえば首を傾げざる を得ない箇所が少なくない。日本共産党・全解連の主張 こぺる 1

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を、場所を変えて繰り返しているだけで、そりゃ﹁日共 H ﹃全解連﹄の別動隊機関紙﹂というレッテルを貼られ でもしょうがないわな、と思わせるような内容である。 ﹃ 真 相 ﹂ の ﹁

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ロ ロ

OZ ﹂に、次のような文章 が あ る 。 部落解放同盟は、同特法施行直後から全国の自治 体を文字どおりの暴力で屈服させ、自分たちを、同 和事業の唯一の受け皿団体として認定させてきた。 ︵中略︶まさにこの﹁窓口一本化﹂こそが、解放同 盟の利権そのものだった。その問、組織内外の反対 派を暴力と脅しで粉砕し、利権システムはより強固 な も の に な っ て い く 。 常識的に考えて、法治国家の日本で﹁全国の自治体を 文字どおりの暴力で屈服させ﹂ることは不可能である。 解放運動の中で暴力事件がなかったとは言わない。残念 ながらあった。しかし、どこの都府県連・支部でもあっ たのか?それって解放同盟が﹁日共 H 差別者集団﹂と 攻撃していたのと同じレベルではないのか。 レッテル貼りは、続編の﹃真相 2 ﹄の中でも多々見ら れる。ここでは同和行政の腐敗について触れ次のように 表 現 し て い る 。 こうした要因には、解放同盟の長年にわたる﹁暴 力路線﹂と、地方自治体の主体性の喪失があること は 間 違 い な い 。 こ の ほ か 、 ﹁ 西 岡 智 、 泉 海 節 一 ら 札 付 き の 暴 力 派 幹 部 ﹂ ﹁暴力闘争を推進する朝田派の清水書記長﹂等、解放同 盟 H 暴力というイメージを、何の説明もなくことさら強 調している。このような表現が、図らずも執筆者の党派 性を露見させてしまっている。私は党派が悪いとは思わ ない。ただ、レッテルをはるな、と言うなら党派丸出し の表現は慎むべきだと思う。また、暴力派、朝旧派とい う党派的な表現が、この本の価値を著しく下げてしまっ ていることに、執筆者や担当編集者は気づかないのだろ 、 っ か 。 ﹃真相﹄で一貫して強調している﹁組織内外の反対派 を暴力と脅しで粉砕し﹂確立したと批判する窓口一本化 は 、 六

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年代から京都で始まる、解放運動内での共産党 員と非共産党系の主導権争いの結果、生じた現象ではな

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いのか。わかりやすい話が、共産党は部落解放運動で主 導権を握れなかったのである。社会運動や政治活動は、 良くも悪くも組織内の権力闘争を抜きにしては語れない。 窓口一本化は、そもそも共産党系のメンバーも当初は積 極的に受け入れていた︵﹃戦後部落解放論争史第五巻﹄ 師岡佑行著、柘植書房、一七一頁参照︶。﹁窓口一本化こ そが解放同盟の利権そのものだった﹂という主張は、共 産党の後知恵である。 この問題について触れている﹃土地ころがし﹄︵朝日 新聞西部本社社会部、葦書房︶によると、八

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年 代 初 頭 、 個人給付にあたって、その資格を確認するのに、同和行 政を実施する全国の三十三都市を調査したところ、@解 同の確認印がいる⑤確認印はいらないが解同と協議し ている。解同も含めた関係団体の代表者らで構成する @ 市 の 独 自 調 査 ⑤ そ の 他 、 の う ち 、 @ ゼ ロ @ 三 @六@十三⑤十一という結果が得られた。窓口一本 化が利権を生んだ事実はあった。例えばこの本で書かれ ている北九州市がそうだ︵かつては④だった︶。しかし、 この調査結果が示しているように、解放同盟が全国的に 同対事業の窓口を一本化していたわけではない。自治体 によっては全解連や全日本同和会が窓目だった例もある。 ﹁ − Z 叶 M N O ロ d の 叶 H O Z ﹂の﹁まさにこの﹃窓口一本化﹄こ そが、解放同盟の利権そのものだった﹂という記述は、 勇み足であろう。 は 本 次 文 の 中 よ の う 解 な q 説 記

引 当 え夕、 一一寸

志 惇

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庫 盟

本と

で 夫 は 産 削 党 l捻 の

1

対 立 図 式 部落解放同盟はなぜ、戦前・戦後と部落解放運動 に取り組んできた日本共産党を敵視したかというと、 自治体に過大な同和対策事業を押しつけ、それを独 占、利権漁りの対象にしていた解放同盟を、共産党 が唯一、批判していたからである。 同和対策事業を﹁独占、利権漁りの対象﹂としてしか 捉えていない。これだと同和対策事業は必要なかったの か、という疑問が思い浮かぶ。なぜ、事業が必要だった のか、という視点がすっぽり抜けている。﹃真相﹂の根 本的な欠陥がここにある。 しかも史実を歪曲している。共産党は六一年以来、部 落解放要求貫徹全国闘争や同対審答申実施要求国民運動 に積極的に参加し、﹁特別措置法﹂制定を要求してきた こべる 3

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︵ ﹃ 赤 旗 ﹄ 六 九 年 二 月 九 日 付 参 照 ︶ 。 史 実 か ら 言 え ば 、 共 産党も﹁自治体に過大な同和対策事業を押しつけ、それ を独占、利権の対象にしていた﹂ことになる。 私は部落解放運動や同和行政に問題がなかったとは思 わない。解放同盟や全日本同和会のメンバーの中には、 自らの立場と同和対策事業を利用して巨利を得た者もい る。﹃真相﹄の中でも指摘されているように事業にから み、不正をはたらいた者もいた。しかし、それは解放同 盟員に限ったことではなく、全解連も同じ穴のむじなで ある。例えば寺園氏が挙げる京都市公金詐取事件は全解 連や部落の自治会もかつてはかかわっていた︵﹁真相 3 ﹂ ﹁﹃同和補助金詐取﹄追及でわかった腐敗の全容京都 ﹃ 同 和 行 政 ﹄ デ ス ・ ト リ ッ プ ! ﹂ 参 照 ︶ 。 同 和 対 策 事 業 に 批判的だった全解連のメンバーが、その事業の恩恵に浴 していた例は枚挙に暇がない︵かといって解放同盟の問 題 点 が 免 責 さ れ る わ け で は 、 断 じ て な い ︶ 。 私は解放同盟員ではないが、部落解放運動︵解放同 盟︶の問題点だけを集めて編んだ﹃真相﹄にはライター として疑問を感じる。例えば全解連の問題点だけを集め て本をつくるのは、なんらかの政治的意図があるのと同 じことである。しかも事実誤認が多く、一方的な見方 ︵ 私 は 日 共 ・ 全 解 連 史 観 と 呼 ん で い る ︶ こ と に 憤 り と 失 笑 を 禁 じ え な い 。 例えばなぜ矢田事件が起こったのかの背景はまったく 述べられていない。﹁ワイド特集ザ・部落解放同盟・ 裏面史!特別編伽謀略の武装集団化﹃矢田問題﹄﹂ の仰々しいタイトルに続くリ!ド︵前文︶には次のよう に 書 か れ て い る 。 で貫かれている 解放運動に対する漠たる恐れは、いつどんな背景 で生まれたのか?発端は、解放同盟がか武装集団 化 μ の道を選択した六九年の差別文書事件﹁矢田問 題﹂。その背後には、巨大利権の独占を狙う謀略が あ っ た 。 ︵ 傍 点 角 岡 ︶ 事件は、大阪市内の教組の役員選挙に共産党系の候補 者が﹁進学や同和のことなどで、どうしても遅くなるこ と、教育こん談会などで遅くなることなどはあきらめな ければならないのでしょうか﹂などと書いた挨拶状をめ ぐって解放同盟と共産党が対立する。挨拶状が差別文書 であるかどうかがひとつの争点だった。私はこの事件を 知る元矢田住民を取材したことがある。当時の同和教育

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は名ばかりでほとんどおこなわれていなかった。越境入 学も当たり前だった。なぜ、矢田で糾弾闘争が起こった か。そのことを知るには当時の矢田の生活や教育がどう であったかを抜きにしては語れない。ところがその点に つ い て ﹃ 真 相 ﹄ で は ま っ た く 触 れ ら れ て い な い 。 ま た 、 解放同盟員が武装した事実もない。﹁解放運動に対する 漠たる恐れ﹂の背景は、共産党の﹁解同朝田派 H 暴力集 団 ﹂ キ ャ ン ペ ー ン に 他 な ら な い 。 ﹁ 謀 略 の 武 装 集 団 化 ﹂ ﹁ 巨 大 利 権 の 独 占 を 狙 う 謀 略 ﹂ と は何かと思い、読み進めると、なんのことはない、事件 が起こった六九年は同対事業が始まった年、というのが そ の 根 拠 だ 。 ﹁ ︵ 解 放 同 盟 ︶ 朝 団 派 は 、 本 格 的 に 実 施 さ れ ようとしていた同和対策事業の独占を狙っていた﹂のだ そうだ。この事件の発端は、役員選挙の候補者の挨拶状 である。これも解放同盟の﹁同和対策事業の独占を狙 つ ﹂ た ﹁ 謀 略 ﹂ だ っ た の だ ろ う か 。 当時の解放同盟大阪府連委員長の岸上繁雄氏は共産党 員である。彼こそが巨大利権の独占を狙っていたことに なるが、岸上氏は後に解放同盟を離れ、部落解放同盟正 常化委員会︵後に全解連と改称︶に合流したので﹁真 相﹄では︵注︶まで入れてグ免罪 d されている。ここで は ﹁ 所 属 団 体 や 経 歴 ﹂ ︵ 寺 園 氏 ︶ で 評 価 さ れ て い る の だ 。 同和対策事業 H 解放同盟の独占、利権漁りの対象とい う短絡的な見方は、差別事件の描かれ方にも散見できる。 寺 国 氏 及 、 び そ の 他 の 執 筆 者 に 言 え る の は 、 部 落 差 別 に つ いての認識の甘さである。私は同対事業を経て、部落差 別は以前に比べて厳しくはなくなってきているけれども、 完全に解消されてもいないことを﹃被差別部落の青春﹄ ︵講談社文庫︶で書いた。だが、寺園氏らは、差別が解 消していることを強調しようとする余り、物書きとして の 戚 只 見 を 疑 う よ う な こ と を 平 気 で 書 く 。 九九年、三重県松阪市の部落内に新居を構 えた高校教師が、町内会の所属を部落に隣接する他地区 に編入する運動を始めた。編入の同意を得ょうと説得を おこなったある住民宅で、その教師は﹁︵同和地区から 町内会を分離すると︶お嬢さんの将来にいいかもしれま せんね﹂と発言。言われた住民は抗議し、教師は謝罪し た。この事件に対し、寺園氏は次のように書いている。

1 こぺる つまり、これは差別事件ではなく、むしろ喜ばし 5

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い事件とすら言うことができる。部落差別につなが る発言を聞いた人がその場で不当性を指摘し、発言 をした本人もすぐにそれを認め、謝罪しているのだ。 この両者の聞では、部落差別は許されないという認 識 で 一 致 し て い る の で あ る 。 ︵ 中 略 ︶ こ の 時 点 で は 、 誰も被害をこうむっていないのである。﹁事件﹂は 本来、ここで完結したとみるべきだろう。 学校の教師は教える立場にある。いわば人間性が問わ れる職業である。その教師が部落の町内会を抜けたいと 思うことは、やはり問題であろう。このような教師が同 和教育を行なうと想像しただけでもぞっとする。しかも 他の住民にも部落差別を広げている。果たしてこの事件 で﹁誰も被害をこうむっていない﹂のだろうか?この 教師が住む同じ町内の部落住民にとっては、実に気分の 悪い話である。謝罪したからといって済む問題なのだろ うか。それを﹁喜ばしい事件﹂として﹁完結﹂させてし ま う 寺 園 氏 の 感 性 を 私 は 疑 う 。 広島県内にある学校の教師の自殺を列挙し た上で、寺園氏は次のように記す。

2 この時期︵七

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年から八一年の間︶、県内では毎 年 六

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件の﹁差別事件﹂が引き起こされた として、解放同盟による糾弾が行なわれていたが、 そのうちほとんどが、学校での児童・生徒の﹁械 多 ﹂ ﹁ 非 人 ﹂ と い っ た 発 言 を 理 由 に し た も の だ っ た 。 仮に相手を傷つける意図を持ってこういった言葉 を使ったからといって、外部団体が数をたのんで学 校に押しかけ、教職員をつるし上げることには何の 合理性もない。町中の大人が大騒ぎする必要もない。 問題が発生したのであれば、教師が解決にあたれば よいことである。だいたい、学校で子どもが間違っ て何が悪いのか。子どもはいつも一

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点を取らな ければいけないという義務はない。 これはもう差別する側を応援しているとしか思えない。 間違ってもいい、だから差別も許される、ということに はならないだろう。﹁問題が発生したのであれば、教師 が解決にあたればよい﹂と書いているが、教師の問題意 識が足りないから差別事件が起こるのではないか。

3 解放教育について一ノ宮美成氏は次のよう

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に 説 明 し て い る 。 ﹁解放教育﹂とは、つまるところ、子どもを解放 同盟の運動の手足として利用することが目的で、人 と人との関係を﹁差別するもの﹂と﹁差別されるも の﹂に二分して教えることで、むしろ差別の固定化 を後押ししたものだと言える。こうした差別の固定 化は、ある意味で﹁解放同盟﹂の巨大な利権獲得の 担 保 に も な っ て き た 。 教育にも、﹁巨大な利権﹂ですか。それにしても、 ノ宮氏はいったい、いつの時代の話をしているのだろう か。一度でも解放教育を取材したことがあるのか疑問で ある。何を根拠に解放教育が差別の固定化を促している というのだろう。私は小学校から大学まで解放教育を受 けてきたが、﹁運動の手足﹂にはなっていないし、﹁差別 の固定化﹂の後押しをされたこともない。それは私だけ の経験ではない。十年、二十年前ならともかく、いまだ にそんな硬直した解放教育がなされているとしたら驚き である︵ちなみに﹁差別の固定化﹂という用語は、共産 党・全解連が好んで使う。私は解放同盟用語、例えば ﹁人権文化﹂や﹁人権感覚﹂を使わない。違和感がある し 党 派 性 丸 出 し だ か ら ︶ 。 一ノ宮氏は狭山事件について触れ、次のように解説し て い る 。 部落解放同盟は、石川被告が同和地区出身者だっ たことから、一方的に﹁狭山差別裁判﹂として運動 に 利 用 す る 。 狭山事件が部落に対する見込み捜査や、背景に当時の 部落の劣悪な生活環境例えば貧しさゆえに学校に行け ず、満足に読み書きができなかったなどーがあったこと はさまざまな書籍や資料を見れば明らかである。だから こそ部落大衆は運動に立ち上がったのではないか。仮に 石川さんが解放同盟に利用されていたとしたら、仮出獄 後、同盟の集会などには出ないだろう。解放同盟に賛同 しないというのは一つの立場であるが、だからといって 部落差別を意図的に見ょうとしないのは、あまりにも偏 り 過 ぎ て い な い だ ろ う か 。 こぺる このような一方的な記述は、同書にはいくらでもある日 7

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なぜ同和対策事業が必要だったのかという視点がなけれ ば、ただの路線を異にする政治的な主張に陥ってしまう。 ところが寺園氏は臆面もなく、次のようなことを書く。 私は、部落問題の取材から多くのことを学んでき たつもりだ。そして本当に部落問題を解決したいと 思うからこそ、運動や行政の内部に巣くう腐敗に強 い 憤 り を 感 じ る 。 本当にそうなのだろうか。私は寺園氏の著作やホ l ム ペ l ジをすべて読んでいるが、彼が﹁本当に部落問題を 解決したいと思﹂っているか疑問だ。先にも見てきたよ うに、差別発言を謝罪したからといって﹁喜ばしい事 件﹂と書いたり、﹁子どもが間違って何が悪いのか﹂と 開き直ってみたり、私には部落差別を軽視、あるいは倭 小化しているようにしか思えない。 また、直接、部落を取材しているものはほとんどなく、 書物や資料の引用が多いのも気になる。例えば寺園氏は、 京都市の職員が覚醒剤を使用していたことを著書でも ﹃真相﹄でも書いているが︵同じネタの使いまわして仮 にもジャーナリストと名乗るなら、なぜ彼らが覚醒剤を 常用するようになったのか、その背景を追わなければ部 落問題の表層だけを描いたに過ぎない。 差別行為とは﹁ひとくくり﹂と﹁思い込み﹂の所産で ある、というのが私の持論であるが、﹃真相﹂ではそれ が十二分に発揮されている。例えば寺園氏は﹁マスコミ 報道のかタブ 1 4 はなぜ犯罪的か?﹂という章で糾弾に ついて触れている。﹁糾弾では何も解決されない﹂と断 じ、ニュースキャスターの筑紫哲也氏が全芝浦屠場労組 ︵東京︶の糾弾︵筑紫氏は﹁討論会﹂と表現︶に応じた ことに、﹁著名なジャーナリストであるからこそ、糾弾 容認発言の影響を考えてもらいたいものである﹂と警鐘 を鳴らしている。事の発端は、筑紫氏が八九年の﹁ニ ュース幻﹂で大要、次のような発言をした。 アメリカは麻薬の供給源の撲滅に躍起になってい るが、自分の国に強い需要があるからこそ供給があ る。もしそれを断ったら麻薬の値段は高騰し、薬代 稼ぎのための犯罪は激増するだろう。そうなったら ニューヨークの五番街も﹁屠殺場﹂となるだろう。 ﹁ 真 相 ﹄ で書かれている﹁殺人現場の説明で﹃屠殺場

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だ ﹄ と 比 験 し た ﹂ ︵ 傍 点 角 岡 ︶ と あ る の は 間 違 い で あ る 。 それはともかく、筑紫氏は屠場労組の抗議を受け、九回 に及ぶ話し合いをもった。その経験を踏まえ、次のよう に書いている。これは﹃真相﹄からの孫引きである。 ︵屠場労組と︶討論して感じたのは、討論の経験 は 表 現 者 の た め に も な る と い う こ と で す 。 : : : 糾 弾 が戦術として賢い方法であるかについては留保はあ りますが、現実を見ていると、糾弾以外に手段をも た な い 被 害 者 側 と し て は 、 や む を 得 な い だ ろ う と 思 う 。 ︵ ﹃ 週 刊 金 曜 日 ﹂ 九 四 年 五 月 二 七 日 付 ︶ これに対して寺園氏は﹃真相﹄で次のように反論して い る 。 繰り返し言おう。糾弾では何も解決されない。 方的に﹁差別事件﹂と断定され、自分のプライバ シーに関わる部分も含めて洗いざらい詮索され、衆 人環視のなか、さらし者にされたうえで自らの﹁差 別性﹂を指摘され、それに全面的に屈服させられて しまう。こんなひどい目に遭うのだったら二度とあ んなことは言わないでおこうと誓っても、﹁お前の 発言で差別を受けた、傷ついた﹂と糾弾してくる相 手と、その後、対等な人間関係が結べるとは思えな い。第一に、関係などいっさいもちたくないと思う だろうし、たとえもったとしても、おびえと憎しみ を内向させた主従関係が関の山だろう。いったいそ れ で 何 が 解 決 さ れ る の か 。 糾弾を受けた当の筑紫氏が﹁討論して感じたのは、討 論の経験は表現者のためになる﹂﹁現実を見ていると、 糾弾以外に手段をもたない被害者側としては、やむを得 ないだろうと思う﹂と感じているのに、なぜ第三者が ﹁ 糾 弾 で は 何 も 解 決 さ れ な い ﹂ と 言 い 切 る の か 。 二

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二年に刊行された筑紫氏の﹃ニュースキャス ター﹄︵集英社新書︶には、この間題に関して次のよう に 記 さ れ て い る 。 私は今では彼ら︵屠場労働者︶に対して同情を超 えた共感を抱いており、その意味では﹁味方﹂と言 えるかもしれないが、出会いの初めは﹁敵﹂であっ た 。 こぺる 9

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こ の 一

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年余、東京の町の中でもっとも変貌が激 しいのは品川

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汐留の辺りである/この変化を私が 年々、この目で確かめ続けているのは、年に最低一 回はこの地を訪れているからだ。︵中略︶東京食肉 市場。︵中略︶そこで働いている、今では旧知の人 たちと会うのが目的だ/向こうからもわが方に訪ね できたり、相談事があったりするから、会うのは年 に一回ではないが、労組の﹁旗聞き﹂などの時はこ ちらが出向く。久しぶりに見る懐かしい顔もあり、 私の目当てはそこで供されるか新鮮な μ もつ鍋や珍 品の﹁はらみ﹂だと勘違いされることもあるが、本 当は彼らと会うのが楽しみなのである。 討 論 ︵ 糾 弾 会 ︶ は 、 ﹁ 毎 回 一

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人の参加が あり、固によっては長時間にわたる拷開会の様相だっ た﹂らしいが、仮に拷問会だったとしたら、なぜその後 も筑紫氏は年に最低一回は屠場に行き、屠場労働者に同 情を超えた共感を抱いたり、彼らと会うのを楽しみにす るのか。それでも寺園氏は﹁糾弾では何も解決されな い﹂﹁対等な関係が結べるとは思えない﹂と言い張るの だ ろ 、 っ か 。 確かにかつての糾弾闘争では、大勢で差別した者を問 い詰め、吊るし上げをしたこともあった。それが部落大 衆にとっての何が差別かを学ぶ﹁学習の場﹂であると言 われた。糾弾のすべてが、それを受ける側にとって効果 があったとは思わない。﹁部落・運動団体は怖い﹂とい う意識を植え付けたことは事実であろう︵もっとも、部 落は怖い、糾弾は怖いというイメージを利用し、解同日 暴力キャンペーンをおこなったのは共産党・全解連であ る。しかもまだ続けている︶。ただ、﹁糾弾では何も解決 されない﹂と言われると、それは違うと断言できる。 かつては部落差別をすることが当たり前の時代があっ た。スラムのような環境があり、部落出身者との結婚は 考えられなかった時代があった。わずか三、四十年前で ある。部落問題に対して、世間はまったく無知であり、 また差別的であった。そのような状況の中で、部落差別 に抗議することは当たり前の行為であろう。部落差別は 以前に比べてましになっている。だが、差別は自然にな くなってきたわけではない。水平社以来の糾弾闘争があ ったからである。糾弾がなければ、世間の差別意識や生 活環境は今ほど変わっていないだろう。その手法には 多々問題があったにせよ、部落問題に限ったことではな

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く、糾弾が社会を変えてきたのは事実である。 寺園氏は糾弾のか問題点 μ について次のように記して い ヲ Q

解放同盟による糾弾行動の一番の問題点は、何が 差別かを決めるのが解放同盟であるということ、そ して被糾弾者が彼らの満足のいく言葉を吐くまで、 追及が続けられるということだ。それが前提となっ ているかぎり、両者の溝は埋まらない。 一般的にいって、差別する側は自分が差別していると は思っていない。それを気づかせるのが糾弾である。何 が差別かを指摘するのは、差別されている側であるのは 当然である。障害者団体は、障害者差別に抗議する。民 族団体は民族差別を弾劾する。もし差別でないと思うな ら、徹底して差別ではないと議論するべきである。それ とも﹁なにが差別か﹂を、裁判所か第三者機関におうか がいをたでなければならないのだろうか。 また、糾弾・追及することによって差別した側、され た側の溝が埋まらないと決め付けるのは、寺園氏の思い 込みであろう。筑紫氏のケ l スがその一例である。﹁糾 弾では何も解決されない﹂と断言してしまうところが、 寺閏氏が部落問題を知らない、あるいは知ろうとしない ということを露呈している。 寺園氏の現状認識もかなりずれている。例えば次のよ う な 文 章 だ 。 いまだマスコミや、少なくない数のジャーナリス トは、解放同盟が﹁弱者﹂であることに疑いをもた ず、彼らの言動を全面的に正しいものだと信じ、彼 らの声にこそ耳を傾けようとする。 解放同盟を﹁弱者﹂だと思っているジャーナリストに、 少なくとも私は会ったことがない。むしろ﹁強者﹂だと 思っている方が多い。また、解放同盟が全面的に正しい と思っているジャーナリストは少ない。はっきり言って、 ほとんどいない。だからダメだと言いたい訳ではなく、 現状認識がかなりずれているのである。 一ノ宮、寺園の両氏は法失効後の事業について次のよ う に 噛 み 付 く 。 こぺる 11

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現時点で残る︵部落と部落外との︶格差は、今後 も固定的に残るものとは言えないし、すべての同和 地区に共通して見られる現象でもない。その格差が 部落差別の結果生じているものかどうかは判然とし ないし、まして、同和地区限定の行政措置を行なわ なければならない根拠にはならない。 部落内の階層分化は、とりわけ都市部では同対事業が おこなわれていた時から聞きつつある。また、富裕層が 部落を出ていく傾向にあり、部落がスラム化しつつある。 つまり格差は拡大しているのだ。法の失効後、それがさ らに悪化しているのは少し調べればわかることである。 それは少なくない部落で共通した現象である。とりわけ ﹃真相﹄で頻繁に取り上げられる京都市内で顕著である。 私は今後も同和対策事業が必要だとは必ずしも思わない し、解放同盟も今はそれを求めていない。 それにしても彼らの現状認識の甘さはどうだろう。部 落解放運動の問題点を論じるなら、部落の置かれた状況 を見なければ﹁木を見て森を見ず﹂に陥ってしまう。障 害者解放運動を批判するには、障害者の現状を見ておか なければならないのと同じである。ましてや史実をねじ 曲げるなど論外である。﹃真相﹂執筆陣は、解放同盟の あら捜しばかりしてないで、少しは部落の過去と現在を 取材してほしい。少なくともジャーナリストを名乗るな 戸 り 。 最後に誤記を指摘しておく。一七八頁以降、頻繁に登 場する﹁暴力団会津小鉄会﹂は﹁会津小鉄﹂ではないか な ︵ 文 庫 本 で は 二 八 一 頁 以 降 ︶ 。 ちなみに﹃真相﹄に対する解放同盟の解放新聞紙上で の反論は、分量的にも質的にも中途半端である。解放運 動の名を借りた公金詐取などは社会的に許されるわけが ない。これまでの解放運動の内実が問われる問題である。 組織としての甘さが解放同盟の中にあり、それを地方、 中央といったレベルできちんと総括されていないのでは ないか、という印象はぬぐえない。総括されていたとす れば、なぜ不祥事が繰り返されるのか。中央本部の主張 する﹃真相﹄の﹁不当な一般化﹂は、解放同盟の問題点 だけを集めて作ったという点では首肯できるが、このま までは解放同盟の信頼はますます弱るばかりだと私は思 、 円 ノ O

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ひろば⑮

障害者を援助する

こととはなにか

石原英雄︵地方公務員︶ ﹃ こ ぺ る ﹄ 一 一 一 月 号 掲 載 の 岡 崎 拓 巳 さ ん の ﹁ 知 的 障 害 者 を援助することとは何か﹂を読んですぐ、思うところが あって感想文を書きました。でもそれは、僕のパソコン の中に入ったままです。その後七月号に高田嘉敬さんの ﹁感性と技術﹂が掲載されました。それを読んで、岡崎 さんの真意が伝わっていないと思いました。でも僕は何 も書かずにとうとう九月になってしまいました。本当に 申し訳ないことをしたと思っています。 九月六日と七日に奈良県部落解放研究集会がありまし た。その分散会で

NPO

法人なら人権情報センターが経 営する介護保険法に基づくホ l ム ヘ ル プ 事 業 ﹁ 菜 の 花 ﹂ の報告がありました。住み慣れたところで年老いても暮 らし続けることを大切にする。それをどうやって支える か、介護保険制度の限界を知りつつ手探りの努力を続け る 姿 に 感 動 し ま し た 。 その夜、﹁菜の花﹂のスタッフと話をしていて、分散 会で報告をした人は、利用者の一人が亡くなったのでそ のお通夜に行っていると聞きました。その瞬間僕は﹁危 ない﹂と直感しました。介護保険事業者は契約によって サービスを提供している。利用者を理解し、親密な関係 を作りながら身の回りの世話をしているけれども、あく までその関係は契約書に書かれたサービス内容を実施す るための関係です。利用者の葬式にその親戚や友人たち と並んで参列すれば、その関係は私的な関係になってし まう恐れがある。主観的にも、他から見ても、私的な感 情でホ l ムヘルプをしているということになったら事業 経営が危うくなると考えました。 でも一方で僕としては、お通夜に行く気持ちを否定す ることはできません。大切なことは感性ですから。分散 会で報告をした人︵たぶんホ l ムヘルプサービス提供責 任者︶は、この利用者が死亡したという知らせを聞いて、 人前もはばからずに涙を流していました。責任者である 厳しい立場と、ひとりの人聞を思う気持ちは、どんなに こぺる 13

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して共存するのでしょうか。そこに援助に携わる者の感 性の問題が有るのではないでしょうか。利用者一人一人 をそのありのままの姿で大切にすること。汗と涙にまみ れて一人の利用者のために試行錯誤をくり返すこと。一 人の人間に限りない思い入れをすること。優しさを限り なく発揮すること、そのような感性が無ければ何も始ま ら な い と 考 え ま す 。 そしてその感性を身につけることは容易ではないと考 えます。援助技術を学び、磨くことは努力をすればでき るでしょう。専門家としての厳しい自覚や冷静な判断は、 環境に強いられて、経験や訓練によって身につけること ができるでしょう。でも最も大切な感性を培うにはどう すべきかは分かりません。だからまず﹁菜の花﹂にその 感性があった事が重要であるのです。 ﹃こぺる﹄七月号で、高田さんが三月号の岡崎さんの 文章について述べられています。﹁感性としてではなく﹂ 援助﹁技術﹂の問題として述べるべきだという論理です。 僕が三月号を読んだときの感想は全く違います。あえて 言えば、僕は三月号を読んで感性の震えを感じました。 ため息が出る、そして涙が出そうな感覚を持ちました。 旅行先で会食中の出来事。ある男性援助職員が、知的 障害者を畳の上に押さえ込み、頭を叩いている。それを 見て激しい嫌悪感を抱きながら泣き顔で食事をする女性 援助職員。そのものすごい形相を見ながら涙をためて食 事をとる岡崎さん︵三月号一

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ページの描写︶。この光 景はいったい何でしょうか。障害ということの苦しさ、 つらさ。そして、障害者を支える人も同じ苦しみの中に 浸かり込んでいる姿。この光景を想像して冷静な気持ち で い ら れ る で し ょ う か 。 障害者を援助することとは何か。援助者はなぜ、障害 者 の 苦 し み 、 つらさの中に入っていこうとするのでしょ う か 。 ﹁障害者﹂とされる人たちは、今われわれが生きる社 会が良いものか、そうでないかという論議はさておき、 この社会に生きるためには援助者による支えがなければ 生きられないことが現実です。もちろん障害の程度には 幅 が あ る の で 、 援 助 の 回 一 一 に も 幅 が あ り ま す 。 ま た 、 環 境 を少し変えるだけで、援助を要しない人も有ります。で

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もここでは、援助を必要とする﹁障害者﹂について述べ ます。例えば、知的障害者が生活するためには、食事の 世話、身の回りの清潔などの世話、もてる能力を生かし て働くための特別の場所が必要です。足の機能を喪失し た者には、車椅子や様々な介助など障害に応じた支えが 必 要 で す 。 しかし、最先端の援助技術をもってしでも、障害が全 くない状態にすることはできない。ここで、僕の少ない 経験の中から、僕に障害のつらさを教えてくれたある知 的障害者のことを考えてみます。障害者ではない若者は 恋人同士で腕を組んで塊爽と街を歩く、気の利いた冗談 を言い合う、しゃれた服装をする、自動車の運転をする。 ある知的障害者は自分にそれができないことを悔やむ。 楓爽と街を歩くことができないどころか、簡単な買い物 をしようとして店員に意思が通じなかった悔やしさに悩 んで、とうとう膝がガクガクして立たないという精神症 状を起こしてしまった事がありました。人がいとも簡単 にできることが自分にはできないと苦しんでいる。知的 障害者授産施設に通所し、家庭ではホ l ムヘルパーが世 話をして、いま可能な援助は全て受けている。それでも 障害のない者と同じにはなれないのです。そのつらさを 表現できないこの人は、自分を苦しめるしかないのでし た。しかも、これは軽い障害者の例です。 障害を軽減すること、すなわち、生き難さを軽減し、 社会に適応する手助けをする努力を尽くしてもその効果 は大きくはない。障害による苦しさ、しんどさ、悲しみ をなくすことはできない。これは人が生きることそのも のの悲しさではないでしょうか。障害者ではない僕にそ れを語る資格はないと言われるかもしれない。しかし、 共にあるという事はできる。どんなに努力をしても障害 を解消できない自分の非力さを悔やみながら、黙って向 き合うことはできる。努力の結果少しだけ障害を軽減し て共に喜び合うこともできるかもしれない。障害者を援 助するということは、そういうものではないでしょうか。 このような思いで障害者と共にあるとき、岡崎さんの次 の文章は心に浸みるものがあります。﹁何となく遠くを 見て一人で何やら笑っている﹂という穏やかな姿。﹁来 る日も来る日も淡々とマイペースで、どんなことにも楽 しそうに、また、どんな時でも元気良く過ごすことの凄 こベる さや大切さ﹂︵三月号一一ページ︶。ここにこそ、生きて 15

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いることそのものの幸せ、生きることの意味があると思 わ ず に い ら れ ま せ ん 。 論理的な援助技術の問題と対照的に、感覚的で暖味と しか言いようのない感性の問題を、僕の乏しい経験の中 から考えてみました。一方では、社会福祉の現場におけ る援助者の倫理問題については、多くの論議があり専門 的な研究もされています。しかし現実には、援助職員の 中には様々な人がいます。仕事としてくり返すうちに、 障害者との権力的関係になれてしまって、障害者を人と も思わないような言動をしてしまう人もいるのです。援 助者の倫理綱領だけで問題が改善されるとは思われませ ん。結局のところ岡崎さんの三月号八ページの﹁これか らの援助者には、利用者一人ひとりに対する障害理解・ 人間理解を図ろうとする見識と力量を備えた豊かな人間 性が問われてくる﹂というところに行き着くのです。 二

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年からの社会福祉基礎構造改革の実施で、福 祉全般における国や地方自治体の責務が軽減され、いわ ゆる民間に転嫁されることになりました。それとひきか えにして、福祉の現場では、利用者本位の福祉が本格的 に追求されるようになりました。障害者や介護を要する 高齢者などの権利を保障することや生きる意味を実感で きる援助が福祉事業の目的とされるようになっています。 福祉の現場になじみのない人には、﹁利用者﹂とか﹁援 助職員﹂という一言葉のなじみのなさとともに、奇妙に思 われるかもしれません。でも、今ようやくそうなったの です。今こそ、障害者や介護を要する高齢者を援助する こととは何かを論議すべきだと思います。そこで、岡崎 さんが論じた﹁感性﹂の問題と﹁豊かな人間性﹂を培う ことの問題がもっと論議される必要があるのではないで し よ う か 。 以上、岡崎さんの切実な思いと、高田さんの援助者と しての厳しい自覚に基づいた論議に、僕として、応えた いという思いが伝わるでしょうか。

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鴨水記 マ﹁徒然草﹄第二四三段に﹁仏はいかな そ う ろ う るものにか候ふらん﹂、仏とは何かと父 に問う八歳のころのエピソードがででき ます。父﹁仏には人のなりたるなり﹂ 0 子﹁人は何として仏に成り候ふやらん﹂ o 父﹁仏のをしへ︵教え︶によりでなるな り﹂。子﹁教へ候ひける仏をば、なにが をしへ候ひける﹂。父﹁それもまた、先 の仏のをしへによりて成り給ふなり﹂ 0 子﹁その教へはじめ候ひける第一の仏は、 如何なる仏にか候ひける﹂ o そこで﹁父、 ﹃空よりやふりけん、土よりやわきけん﹄ といひて笑ふ。﹃問ひつめられて、え答 も ろ ぴ と へずなり侍りつ﹄と、諸人に語りて興じ き。﹂﹁息子に問いつめられ、答えられな くなってしまってね。いやあ、まいった なあ﹂と苦笑しつつまわりに語る、まんざ らでもない父親の表情が浮かんできます。 マそう、たしかにこの十九年、部落問題 全国交流会を開きたい、聞こうよと声を かけあってきた友人たちは、吉田兼好で はないけれど﹁なぜ?﹂﹁どうして?﹂ という間いを手放さなかった。第一回交 流会が終わったあと出したお礼の便りで、 わたしはこう書いています。﹁私どもと しては、今日の部落解放運動をとりまく 情況が、各自のアイデンティティーを問 うているのではないかと考えています。 この十年︵略︶多くの人が部落解放運動 に加わりました。しかし﹃興ざめ﹄現象 も起こっているように見えます。それだ けに、これまでの部落解放運動のありか たと、私たちのかかわりかたに問題はな かったかどうか、ふりかえってみること も 無 駄 で は な い は ず で す 。 差 別 被 差 別 関係の固定化と、組織・運動の物心崇拝 から私たち自身、まだ自由ではないよう ですし、ステレオタイプ化した被差別部 落︵民︶像も根強く、使いなれた言葉を あやつっていないとはいえません。そう したなかで部落解放の課題そのものを見 失いかねない情況も一方にあります。/ その意味で、なにはともあれ部落解放運 動にこだわりつづけてきた友人が一向に 会したことは有意義でした。二日間の議 論は多岐にわたりましたけれども、﹃両 側から超えて対話をつなぐ﹄ことをめぐ ってすすめられたといえます。これはい ささかオーバーな表現をすれば画期的だ ったのではないでしょうか o ﹂ ︵ M ・ 9 ︶ いま読み返すと当時のうずきに似た思い がよみがえる。しかし第初回部落問題全 国交流会を終えたいま、あらためて﹁日暮 れて道遠し﹂の感を覚えています。﹁両側 から超える﹂ってほんとうに可能なのか という問いがわたしをとらえて離さない。 い や あ 、 ま い っ た な あ 。 ︵ 藤 田 敬 二 ﹁人間と差別﹂研究会のお知らせ ロ月日日︵土︶午後 2 時より 野 町 均 さ ん ﹁同和教育・人権教育の︿効用﹀﹂ 、京都府部落解放センター J第二会議室 mO 七 五 四 一 五 一 O 二六 O ﹃こぺる﹄忘年会のお知らせ 研究会のあと左記のとおり、忘年会を 聞きます。ぜひご出席ください。 ロ月日日︵土︶午後 5 時半より 於 が ん こ 三 条 本 店 ︵ 河 原 町 三 条 東 入 る 北 側 ︶ mO 七 五 二 五 五 一 一 二 八 会 費 五 000 円 ※ご出席の方は、ロ月 7 日︵日︶までに 事務局あてにお申込みください。 こぺる刊行会事務局︵阿昨社気付︶ mO 七五 l 四一四八九五一 編集・発行者 こベる刊行会(編集責任藤田敬一) 発行所京都市上京区衣棚通上御霊前下ル上木ノ下町739阿昨社 Tel. 075 414 8951 Fax. 075-414-8952 E-mail: koperu@par.odn.ne.jp 定価300円(税込)・年間4000円郵便振脊 01010-7-6141 第129号 2003年12月25日発行

乙ぺ宅

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涙がとめどなく出てくる。心が熱くなる。 ふっとふきだしてしまう。冷や汗が出る。 障害をもっ子ともたない子の育て方に遣いがあるのかヮ 親・保積者の愛情とまわりの理解さえあれば、子どもは育つ。人間だもの 1

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・四六判・並製・ 19 2頁・定価(本体18 0 0円+税) ISBN 4-900590-77-0 ・目次内容 『クローパーの会j誕 生 の 秘 密 にんげんっていうものは一一税と子の記録 人気者の宗ちゃん/授かったあの日/支えてくれた人身/心臓の手術/保 育所で・学校で/イギPスのスペシャルスクールで/将来への期待 お母さんたちのコテコテトーク〈座談会〉 子どもが生まれてきたときのこと/父娘の存在/学校で/敏育制度につい て/将来のこと お父さんたちのほろ酔いトーク 〈座談会} クローパーの会の発足、入会のころの思い出/病院の対応/子どもの民学/ 子どもの将来 働く暁子と健 現在の状況/一般設労にどのように結びついたか/子育てのうえで気をつ けてきたこと/兄弟姉鎌との関係/父親の役割/健康管理について/統労 と自立のための制度とこれからの課題 ダウン症の子どもと共に歩むく〉手記 三番目の孫・綜君大村峰/費量優ちゃんとともに小祢佳代子/長かった あの一年 安 閑 帽 子/みんなちがって、みんないい糸賀みすづ/娘の成 長を願って歩んだこの十余年藤民干/千暑の足跡廻千恵美/『五体不 満足』を読んで谷井玲名/ダウン症の弟をもって藤原佑佳/般と歩く 山々 阪 上 正 方

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一 一 一 九 号 二 OO 三 年 十 二 月 二 十 五 日 発 行 ︵ 毎 月 − 回 二 十 五 日 発 行 ︶ 一 九 九 三 年五月二十七日第 三 種 郵 便 物 認 可 ※こぺる会員の方は送料サービス 干602-0017京都市上京区衣棚過上御霊前下ル上木ノ下町73-9 ra (075)414-8951FAX(075)414・8952E-Mai I : aunsha@par. odn.問.jp 定 価 三 百 門 戸 本 体 ニ λ 六 円 ︶

阿件社

参照

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