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The Engllsh English Society Soolety of Japan 盟欝售英詩飜譯史概説 ( 海齲以前 ) 大和資雄 正 英詩國譯の創威 ε 生長. 讃美歌 唱歌 讃美歌史の績密な研究は徳川時代に潮るべきで その結果恐らく 勝麟 太郎や中島廣足より前に あらう 西洋詩の國語韻女

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全文

(1)

  

史 概

海 齲

以前

      大  和   資  雄

 

國譯

創威

ε

生長

、.

讃美

≦唱

 

の績

川時代 に

るべ 、 そ の

果恐

ら く、

勝麟

郎や中 島

廣足

より前に・ 西

洋詩

國語 韻女

が あ

つ た こごを證

するで あ ら

現行

「 さんびか諺

文 に 「

明治

七 年

i874 こ ろ

長崎

ッ チ・ リブ广 ム ド及 び メ ソ ヂス トの 兩 ミッ シ# ン の 、

同 し て

の 小

を公 に したるあ り」 ミあるカ

 

この小

を 見る こミが 出

ない の は

遺撚

であ る 。

後 萌

二 十一年五

に新

撰讃美歌 (

植村

野 昌

、 松 出 高 吉 〉、 三 十四年に古 今聖

歌集

、 三 十六

現行

歌第

が 出た。

年謬

の面

られないが、 そ の

傳統

成果

か ら

英詩

講歌

ぶ りを 見 よ う .

    

Lead

, 

kindly

 

Light

, amid  the encircling  

gloom

     

Lead

 

Thou

 me  on  

    

The

 night  

is

 

dark

 and  

I

 am  

far

 

from

 

home

        

Lead

 

Thou

 me  on・ 〔

John

 

Henry

 

Newman

    

「 み め ぐみ ある光 よ。 縫は

れ 1

    

わがいへ は

し . さ び しき

    

や み の なか に迷へ る わ れ を み へ 。」

                            

(現行

1

・22L

 

今爨

329

これは

有萌

調ご いは

て ゐ る

詩行

の走 り

である。

    

GOd

 moves  

in

 a mysterious  way

         Hi

$wonders  to 

perform

    

He

 

plants

 

his

 

f

・ ・

t

・teps 

in

 the sea ,

     

And

 rides  upon  the storm

Wiiliam

 

Cowper

    

b

 

tr

−一一年 版噺 撰讃美歌.には・みめぐみ あ る光よ か こ め る くらきな

1

こも

   

われを導け 夜 は くら く 家は遠し われをみちびきた まへ 」 (第頁六 十 三 )

(2)

94

  

   

   

     

みわ ざをあ らは

す海

は ひ ろ し。 j

      

(現行 L21g ・ 古今貍歌 243 ・ 撰 4L

に な ろ ミ

々 原 意 を雛 れて盆 3 まつい 。

Cowper

讃 美

は この

に も

邦 譯讃 美歌

用されて ゐ る。

邦譯

さんぴか は

人の手 に

つ た か制 明 しないが 明

十 九年の

員に は 松山、

奧野

植 村

の ほ か に

、 田村

初太郎

淺等

の 諸

が あ り、

現行

さん ぴか の

は、 別 所

之 助、

、 三

輪源造

、 和 田

井 成

藤本 罅

吉ら諸 氏 に伍 して

4

羽 湯淺

吉郎 氏 (i858 −一一) も初 期

員 に

して ゐ る.

湯淺

氏 の

した ものは $ れで ある か不 昵 なが ら、

聖書

か ら壇 桝 し た 彼 の

か ら も、 その

流麗

が覗

は れ る。 一

げる :

 

ARd

 

Ehud

 

put

 

forth

 

his

 

left

 

hand

 and  

took

 

the

 

dagger

 

from

 

his

 right

  

thigh, and  thrust 

it

 

into

 

his

 

belly

:and  the 

haft

 

als◎

 

wen と

 

{n after the

  

b1ade

, (

ke

Yge

∫ , 

3

 :2エ

f

£)

 

「 あはや エ ホ デた 手(ゆで ん )もて 、 右の

よ り みつ るぎを

  

ぬ くよε しが

 

はや王の

 

胸板

ふ か く

  

脊(

埀ら

にあ まりける。」 ( 『 二 の石 壕 一n 四。)

 

こ の作は

書の記

ミ不 即不

を保 ちつ つ

分 奔 放

想像

を も

表 現

して

明治 初年

ε

せ られ、

美歌飜

譯 者の うち

れた

才 を代

する。 上

は ただ飜

の手

示 す

た めの見

で 、

此 俸

ミ して は

ろ 不 出來 な部 分で ある。「十 二 の屑 塚」は

嗣治

十八 年に 出版 された 。

 

疆澤 鍮吉作

厂 世

界 國盡

似 來

調 な唱

は 、 十 四年伊

修二

「 小學 唱

丿が出て

目を改め た。 十七 年三

の 「 小

學唱 歌第

七十 八「 菊」

穩 「

」は

ThGmas

 

MOQre

Z

Last

1

?ose “

f

・∫Ummer

なほ

はれて ゐ る。

2

Dilettanti

 

外 山 正一 、

田 部 良 吉、

欠郎

「 新 體

抄 」

治十 五年 (1882

され た。

奥 附

に は 六

二 十 七 貝

板 灌

碑願、 七

二 十 一

、 八

る。

學 者 、

士は

丈 に 「 程子

1

ヨ、

(3)

英  詩

譯 史

 漑

95

古人 之

今 之

曲、 鵬 聞里 童 稚、 皆

習聞

之、 而

知其

設. 故 能興起」 ・・. 且 夫

西之

世而

今 之

、 用 今之

精 緻

使

人 翫 讀不

。」

々 ε あり、 「 用 今 之

精 緻

.で ある の に 、

文で

文 を

い て ゐ る矛 盾は 、 この壯 な 意 圖ご

劣 な作 品 εの間に も見 え る. 爾 今 居士矢 田

理學

士 も同

の趣

べ 、 「

傾者

一二

我邦人

來 夲常

テ用 ヒ テ

詩歌

ル コ

ナ キ ヲ

西

模 倣

新 體 ノ

テ作 リ出 セ リ。 但 シ今成ル 所ハ 西

二 係ル モ ノ

々 ε いつ て ゐ る り、

部分は英

譯で

る。 印 ち外 山 ・ 山 仙 「兵

郷の

J

Robert

 

Bioomfield

’s 

SoldieVs

 

ffome

1

, 「

輕騎 兵 進 撃の詩」

Tennyson

’s α ¢   80f !加

Ligytt

 

BnS

.ade

生の

」 (

Longfellow

s

Psalm

 

of

 

Ltfe

s

悲歌

Charles

 

Kingsley

’s 

Three

 

Fishers

丿 , 「

高信

ウル ゼ ー の

、 (

from

 

Shakespeare

’ s 

ffenry

 

U7U

.、, 「 ハ ム レ , ト中の 一段

の「 玉 の緒の

」 (x4 ・

Psa

!m “

f

 

Ltj

/e

田部 爾 今居士の 「

國 海軍の

Campbell

’ s 

I

Te

 i’

lfa

・“

itters

f

万・顧 ‘〃 !), 「

怒懐

、 (

Gray

’ s 

Elegy

JV7n

’lteXt 

in

 a!ワ α τ !

yσ ”の , 「 船 將 の

J  (

TennySon

’ s /?evenge , 「 ハ ム レ の一

J等が

pq

十頁

の詩

の大 部分 を占めて ゐ る。 譯

當 の

心 を した こ ご は 、 同 じ原

を二 人で

研究 的

み て ゐるの で も解 る。

へ ば “

APsalm

 ofL 漉 ” を ・ 山 ε

巽軒

ミが譯 して ゐるが 、

         

Tell

 me  no 亡

, 

in

 mournful  numl )ers ,

     

Life

 

is

 

but

 an  empty  

dream

         

For

 the soul  

is

 

dead

 tha亡slumbers ,

      And

 things  are  l)ot  what  they seem .

を ・ 山は 「そ も

靈魂

 

ぬ ε いふ べ

の 一

生夢

なりご

 

あは れ なふ しで うたふ な よ。 眠 らに や

は 見 ぬ もの ぞ 此 世 の 事は

事 も

 

Σ お もへ あ らす J 」 ミ

し てゐる のに封 し て、 巽

は 「 余 ノ

略・二

二 同 ジ 。 但 ・二 君 ハ

マ ズ 。

二 韻 踏 ムa ナ リ

i

い つ て、 ・ 山の よ りは原意 に 皀

P

した譯 を

、 「

」ミ題 して ゐ る。 曰 く、 「 眠 る心 は死ね る な り、 見ゆ る形はお ぼ ろ

(4)

96

   

   

   

な り。 あ

を も

らぬ

我命

あ は れ はか な き

ぞか し

 

なさ ミ

は れ に いふ は惡 し。 」 これは

に 目本

は押 韻 す べ

か につ いて 論

εなつ

f

 

・ 出の 譯

で は “

Half

 a 

lea

e ・

half

 a 

league

” の 「一

牟な り一里 掌y 並 び て

む一

4

≧ 、 死 地に

り入 る 六

騎 、 將は

れの命 下 す.が

有名

るが、

矢 田部

の “

Ye

 

Mar

霊ners ・

f

 

E

gl

&nd !

Tha

gua

d

鰹 Ωat …ve

seas ” の

、 「 イ ギ リ ス

の海

 

れ る

水兵

に よい 。 樹

EXegy

は此

一 の作であ ら う。

 

「 出々 か すみい りあひの

は な りつ つ

は 徐に

み歸 り

 

耕 す

人 もうち

れ や うや く去りて

i

 

た そが れ時 に

りけり

 

を望め は

夕暮

の 景

はい ε 曹

寂 し 唯 この 時に

ゆ るは

  飛

び去 る

の 言

 遠

牧 揚

のねや につ く

 

羊の鈴の

 

獪 其外

常春籐(

しげ き

 

宿

れ る梟の

 

近 よ る入 を す か し見て

 

我集に

を なす もの ミ

 

訴へ ん 月 に

 

い ε

れに も

すなり

 

か しこ に は楡 又 こ こ に

 

あ ら らぎの木 ぞ生

 其

に うつ

 

む す土 の ひ た ろ

 壙

もれ この村 の

 

右 人

郭眼

る。 ” 斯 く「 山々 み」  f’ 四方 を望 めば」 「

むす: な♂

計 な

入 り

The

ル7麗η

8

加ノガ” 加 爵 slOwly  o’er the 

iea

「野

はそぞろ

く」 だ けでは

物足

らす 、 ‘

sole2nn  stRlneSs ’ ‘

The

 mop2

n80wl ’ ‘

her

ancient  so/

ilany

 ietg ’n, ’ ‘ 塑

88

‘〆elms , , ‘

The

 n

de

 

forefathers

♂ の

遠慮

な く無

されて は 居 るが、 これは七五調 を

る た

む を

こ ε で 、 碌 な

熬 字 引 も

かつ た

時 ミ して は 立

な業

で あつ た。 な ほ、 爾 今

士 は「 船

將 o

」の

古 膿に な らつ て、

  

「 さ りミ も見 え ぬ

の 上 に

 

つ 三 つ つ 。」 ε

調

を 七 七調で

んで ゐ る。 これは後の新 體

びの

になつ た。

 

爾 今居士 は 七 五 調 に

固 着

すぎ

た。 ‘

To

 

be

 or not  

to

 

be

の 二人の

を 比

較 す

ば明

かで ある。

外 li

は此

後 自由詩形

をか い た。

(5)

英 詩

 

97

   

「 なが

ふ べ 但 し叉

ふべ

に…

lii

 

   

の しさ ころ ぞ. .t .」 (爾 今

   

しか生 くる

が増

 

を するはこ こぞか し・」

・ 山

して「新

抄」の

點 は・

俗 語

突 に用ゐて調 和 を

る に ある・ 即 ち rか せ

に や な らぬ

の身」ε か 「そ り

靈魂

の こ ε な らす」ご か 「 功 を 立て ね

な らぬ そ よ」

愛嬌

ぎる。

らが

dilettanti

で あり なが ら

明治

を生み出 し

た の は ・ 時

だ けの

で な

彼等

心 の 力 に も

る.

 

士の ほか

人 類學

坪井

正五

郎 博

西詩

」 を

發 表

し たミ

へ られる. 此 等の學 者の ほ か ・ 今

迄誰

か らもそ の 名譯 轜 認

され なか つ た

女流

人 がゐる。

に 「 小公子.で有 名に なつ た若松 賤子 (

善治

夫 人 ) である。

明治

二 十

年 (

i887

五 日

發 行

の 「

學 雜 誌」

五 十

Ade

laide

 

A

 

Procter

’s 

Ooublin8

ffearf

の全

つ て ゐ るが

   

Where

 are  the swaUows  

fled

 

P

   

Frozen

 and  

dead

  

Perchance

 upOn  some  

bleak

 and  stormy  shore .

はるか に ミ

り し

 

めのゆ くへ つ く そε 問へ ば

 沖

な み

せて は かへ す

 

す さ ま

に こ ごへ て果 る らめ 。 J 三

士 に

が な

E

..は ない。 同

十二 日

發行

の 同

五 十 一

か ら三

にわ た り、 同じ

Procter

女史

A

VTew

 

jfother

餘節

を彼

は全

して ゐ る。 最 初の

をあ けて そ の 流麗 精 確な譯

を示 さう。

Iwas

 with  my  

lady

 when  she  

died

Iit

 was  who  

guided

 

her

 weak  

hand

 

For

 a 

blessing

 on  each  

little

 

head

 

Laid

 

her

 

baby

 

by

 

her

 on  

the

 

bed

Heard

 

the

 wQrds  

they

 could  not understand .

は姆 が

物語

る さ ま に

したる な り。 讀 む人

し玉 へ

(6)

98

   

   

   

(一

) う

せ た まびたる

 

はは

み の

 

な よ は きお ん手

 

もち そへ

 

それ

S

もわか ぬ

 

わ こた

 

こご ほぎ まぜ し

臨終

の  み こε うけ しは わ らは な り。 」

明 治

二 十 一年十二

十 五 日發

の「

學 雑 誌」に は

文の末 に

T

Otway

詩行

が 引用 されて ゐ る。

巌 本

執筆

になる もの で あ ら う。

     

The

 

Mother

, 

in

 

her

 o缶ce , 

holds

 

the

 

Key

      

Of

the

S

u1 and  

it

 

is

, wh ・ stamps  the 

C

in

     

Of

 

Character

, and  makes  the 

being

, who  would  

be

 a 

Savage

      

But

 

for

 

her

 

gentle

 cares  a 

Christian

 

Man

        

Then

 

Crown

 

her

 

Queen

 o’ the 

world

  

「 母 は

靈魂

持せ り、 品 質の

つ は母・、

人 を

へ て

義人

   

S

すろ亦 母 なり。如 此母 こ そ 全 世 界の

女 皇

た る

冠 を戴

くべ き なれ . 」

Yenice

 

Preserwed

, 

The

 

OiPhan

の二

作 を

した

薄 幸

の 劇

人の名が、

に 此

我 國に紹

されて ゐ た こεは興 味深 い。

3

の純 化

      

The

 

lamp

 must  

be

 replenish ’

d

, 

but

 even  

then

      

It

 wil1  not  

burn

 so 

long

 as 

I

 must  watch :

          My

 slumbers _

if

 

l

 slumber − are  not  sleep ,

          But

 a continuance  of endur 正ng  thought ,

          NVhich

 then 

1

 can  resist  not :

in

 my  

heart

      

There

 

is

 a vigil, and  

these

 eyes  

but

 c1Qse

       

TQ

 

IQok

 within 「 ミ も し

い まひε た び そへ て む されさ毅 い ぬ るまで た もた むミ も思は す

ねむ るεは いへ まこ ミ の ねむり な らホ

のた めに は絶えす くる し め られて

ね は 時

の ;’ NC ひ ま な く うさわ ぎ わがふ ぎ し

は うちにむか ひて あけ り。」

 

Byron

, S 

MTanfred

一幕獨 白

く譯 されて

治二 十 二

國民

.の

夏期附録

、に

れた。 「

」所 載の + 八

文、通 泰、 君子 、

郎 らの新

SSS

・)同人の作で、 上掲の

(7)

 詩  

 

 

 

 

99

で ある こεは

か で

る・ こ の

譯詩

特徴

明治

SS

  ・ 否 ・ 全新

齷詩

めて

在的律

動 を

ぎ 入 れた 一

にある。

從來

宗 敦 的

な 成は

型の

つ て・

表現

を見 出 したの で あ る. この

内在的

動 に

敏 感

青年

は・ 此

譯詩

に各 自の

な る も のを

された。

北村透

谷が この 「v フ レ・ ドJにさ の

したか を、 島 崎

村氏

二 + 八

・ (

女學

雜誌

No

415

〕に

紹 介

して ゐ る. この

され た

聖書

詩篇

も立

な もの であつ た .

高吉

ε

へ られて ゐ る 。 山 田

宮 崎湖

處子 らの

人 も英

譯筆

め た。 明 治二十四 年に出た

美妙齋

の 「

青年

歌集

」 には、

Caml

> −

bell

s 

lord

 

Ullin

’s∠

Daugltter

譯 が ある。

     

A

 chieftain  to the 

Highlands

 

bound

      

Cries

‘‘

BQa

亡man , 

dQ

 not  

tarry

 !

      

And

 

I

11

 

give

hee

 a silver  

pound

      

To

 row  us o’er the 

ferry

.”一 ‘‘

Now

 who  

be

 

ye

, would  cross  

L

 

hgyle

 

This

 

dark

 and  stormy  wa 亡er?”

‘‘

Oh

1

’ m  the chiefofUlva ’ s 

isle

 

And

his

 

Lord

 

Ullin

,s 

daughter

.一

And

 

fast

 

bef

(〕re 

her

 

fa

her

s men

 

Three

 

days

 we ’ve 

fled

 toge 亡

her

For

 should  

he

 

find

 us 

in

he

 

glen

 

My

 

blood

 would  stain

he

 

heather

...

  

「 苫量の か き を

ち た た き、

 

「 や よ、 わた し も り、

守、 ざ くε く

   

をい だ して よ。

 

こりや

豫は で わ た し

、 しろがねあま た取 らせ

   

んJE 言へ ば うちよ り

、 「 あや し、 御身は

もの ぞ〜 か か る

  

夜 をさへ

は す

 

こ こわ た らむ ミ の た まふ か

PJ

  

「 さな り。

や しき

す。

 

吾はあるばの島の圭

 

これは あ りん

   

、 一

ε諸共 に ま

i

ひそ め た る た びころ も 、 呼

   

きあへ す

。 認 め られ な ぱこ ろ されん。 ・.・」 原 作が原

ゆ ゑ、 譯

低 調 を晃 れ ないが

Charles

 

Mackay

の 短

(8)

1◎o

   

   

   

譯 詩

言葉

せぬ こ ころ

め て

 

薔薇

をお く りて それ ε知 らす」 は佳い 。 二 十六

を出 した

宮 崎 湖

處子 は

Mrs

Hemans

CasaOianca

, 

Long

fellow

’ s 乃 物

8

β

1

厩 ∫耀 助 , 

Wordsworth

’ s 晩 σπ &獅 を ・ いつれ も

五調で

して ゐる。

は又

民 友祗

の 十二 文

に 「 ル ズ オ ル ス 」を

いた 。 「

等 七 人」の最

を あげ てお か う。

   

ね り 、 今 は な し、

 

そ の なき

は天つ 國』ご、

  

甲斐

な し

 

童女 鶴 )

 

前の こε くに

ふ な り、

   

『 否

E

我等

人(

な た 絵り

』ミ。 彼 の「

歸省

」に も

Thomas

 

Moore

の小

の 譯が あ る。

 

に逋べ

明治

十 六年

國民

の 新 年

に 「

天地初

發 」を發

した 。 これは譯

で は ない が、 調子 の

文は

文に

られ る こ ミを

する

所 もある 。 聖

比 較

して見よ う。

 

And

 

God

 said :一‘‘

Let

 there 

be

ight

:” and  there was  

iight

 

And

 

God

  

saw  the 

light

, that 

it

 was  

good

: and  

God

 

divided

 the 

Iight

 

from

 the

   

darkness

. 

And

 

God

 called  the 

ligh

Day

, and  the 

darkness

 

He

 called

  

Night

. 

And

 the cvening  and  the morning  were  the 

first

 

day

   

「 エ ロ ヒ ム

あれよミ 然な りぬ。

  

ε暗 εわ か るれ ば 光は

ミ名け られ、 暗は寝 εぞ名 け ら る。

  

此新 しき光 をば

 

よ しミ

親給

ふ エ ロ ヒ ム

 

造 (

   

な。

 

あり

あり

 

は じ めの 日。 」 當時 、 大 西

山博士 は 此

を 「 趣 向に

いて は

我 國

にて

天荒

ε

候 大體 にい て 申分 な し」ε評 した Σ

へ られ る。

 

明治

二 + 六年

1893

は ま「 文 學

.創 刊の年、

明治

文 學

に 一時期

する年で ある。 同人の中で戸 川 殘 花 氏 に は譯

が あ り さ うに思はれ る。

李 田禿 木 氏の

W

S

. 

Landor

’s 

lmaginarpt

 

Conversalion

か らの抄

は譯文ε

い ふ よ り も

ろ譯

である。

 

Dante

. 

When

 

you

 saw  me  

profoundly

 

pierced

 with  

love

 and  reddening

  

and  trembling  

did

 

it

 

become

 

yQu

, 

did

 

i

become

 

you

, 

you

 whom  

I

  

have

 always  called  

the

 most  

gent

!e 

Bice

, to 

join

 

in

 the 

heartless

 

la

(9)

 

 

 

 

 

 

101

 

ef those 

giris

 arOttnd ア◎tt: t ・聖・

     

きみ

る こ こ ろ を

く も

た れ 、

     

わ れ は 身 もふ る ふ ばか りな

b

し を、

     

そを 兇玉ふ君は 心な

世 の

女 (

V

NS

     

ひぞめ きぬ。 か くて も

なるか 、

     

い ε もや さしきビ チエ み ミ

     

われはつ ね に呼 び まゐ らせ しを。」

MeXl

k

を切つ て書 い幌 る

S

の譯 文

が詩 的形 態 鮪

る 認 _

瞭 然である。 しか も

透谷

に も

らぬ

敏 感

さで・

外漁史

の 「 マ ン フ tr ッ ド」に

共感

してゐ る。

4

在留英

人の

影響

 

名な

外 國詩

人の

在留

賜治

二十年 代の 若々 し い

國に

分の

影 響

へ たε

は れ る。

Tlie

’ af  

Asia

1879

名 を

ぎて通

俗詩

人 xS

Sir

 

Edwin

 

Arnold

The

 

Daily

ク厩 妙々誌の

信 記 者ミ して 日本 に

留 して ゐ た。

明治

二 + 護

年高

橋 五

郎浅譯

の ザ 佛 陀の敏

」、 属年木 村

吉氏譯の 「 亜 細 亜

光」、 岡 じ

田牛

峰 博

士の抄 譯

明治

十 五

年)

等は

事 情

觸發

されて

現 れ

丸 もの で ある. 此

人 の三人 旨の夫 入は

H

で あつ た。

5

譯詩

及 、

せ る

述 の こ ミ く少

共 感者

を深 く動か す だけ で 、 廣 く

はれるこεがない。

又廣

はれる

作品

純化

よりは

を具鮪せ る喞 ち低調な

作 品

である こミ

い。 大 和 田建

の 「

米 名

歌詩集

J三卷 も

遺憾

なが らこの部 類に

屬 す

ろa

江の 「 湖上 の

美人

」は

S

して

論 まれた もの で は な く、 「 去

の原

稿

けれ ば

て蔽 に

して

くに εまれ か くまれ

號 稿

した」

心 を

した」譯

で あ .る

・ その

果は大い に

及 した

いつれ も

明治

:+七 年

i894

發行

る。

(10)

IQ2

   

   

   

 

こ の二

内容

嫡 〜くに

立 ち、 數 年 前に

つ て

Tennyson

’ s 

Eneclt

Arden

文 譯 を

筆せね ば な らぬ。 二 十 三 年 一

學 雑 誌 (

N

 i 

sS

に始 まり「小設 」

に連

され た もの で、 「 イ ナ ・ ク、 アー デン

物語

Σ ある が 原

か ら

接 に譯 したε思は れる。 「

女 譯」 Σ い ふ のは 若 松 賤子

し い ロ

文 體である。

 

英 國

の海 岸 に

G

何處

か らε もな く立 列 つ て 來 て

れ た

  

隙(

8

「e )に一つ の漁 村を な した る處が あります。

黄色

い砂の

濱邊

か ら

  

うを眺め る ミ

止 場の まは り に

瓦の

家根

が ひミか た まリミ、

   

の蒸 した 古寺が 見え ます。」

 

(18go )

Tennyson

ξい へ ば忽 ち此

觸 れ

國の奇

Enoch

傳統

は 、

しそ の

を こ こに發 する の で あ ら う。

 

大 和田建

の 「

米 名

家詩集

」 に は

英 詩

か らの 譯

sC“

i

いつ もい い程

い。

人 名

は皆 假 名 が きで書 中に横 文字は 一

内容

上卷に

Shelleジ

s 

SkJ

’/a rle (

天子)を

A

 

Pope

, 

R

. 

Herrick

, 

B

. 

Corn

wall ,

0

W

. 

Holmes

, 

T

. 

MoQre

, 

W

. 

Barnes

, 

Longfellow

, 

Lowell

, 

T

. 

Camp

bell

, 

Tennyson

, 

w

. 

Blake

, 

s

T

. 

coleridge

, 

John

 

IL

 

Payne

, 

ThQmas

 

B

Aldrich

, 

Byron

, 

c

. 

Kingsley

, 

Jane

 

Taylor

, 

R

. 

Soutliey

, 

T

sackville

lst

Earl

 of 

Dorset

, 

W

. 

Cowper

, 

EE

. 

Weatherly

, 

Irving

, 

Scott

, 

S

T

. 

Dobell

Colley

 

Cibber

 

C

S

. 

Calverley

 

Charles

 

XVo

] 

fe

, 

T

. 

Gray

等 の圭ε して

抒情

め られ て ゐ る。 その

Kingsley

「 三 の漁 夫.、

Gray

「 野

」 なき

に譯出 された作 もあり、 後 者 「 夕べ

、 ひ び く

よ り

れ そ め て _ 」は爾 今居 士の 「 山々 か すみ入 相の 」よ り

い。 原

か らひ

E

“ く

れて ゐ る こミを

恕 するな らば、

   

「 リ ン デン

 

しつ か に暮る る雪 の

   

ア イサ ー

ひ ミ リ

 

闇をや ぶ りて ひび くな り ...」 で始 まる 茄 ゐ躍 跏 漉 π は上 }

ii

で あ らう .

 

「 天つ より

井 よ り

 

お のつ か らなる調 べ

 

滿 ち

(11)

詩 驃

譯 史 概

Io3 な

6

が身

をい ざ や

ま し・ たの しき

て しば し・

に て鳥 # らず ..リ の 「

て しば しJtt の

次の

だのは「

新醴詩

抄」 の

調を なほ

めて ゐ る。

して

者に ま か せ て 七五調 に

へ あげ た

が ある・ 但 し

のや うな

式 も

見 す る。

  

5

見しか ひ もな く

 

れ た る

の花 」 〈

Herrick

)・

  

r ...泣 く

火影

された り」 (

W

. 

Barnes

)・

  

r

りつ つ

きつ つ

 

よ り白 き月

 

る は花か.

   

吹 く

つ は

か ...J

Lowell

).

  

白妙

ごろ もきて

 

裝ひ立つ の松 が枝 、

   

た ぐひな き

 

られ し

邊の

...」 (

Lowell

).

卷には沙 翕の「人

As

 

Yoa

 

Like

 

lt

All

 

the

 world

s a stage  一一

、..な く

もな く味 も な く

 

よ り もな し

」 ま で の抄 譯 を

め、

R

Southey

B

・ 

Cornwail

Mrs

Browning

, 

Longfellow

, 

W

C

・ 

Bryant

Lines

 

la

 a 

PVater

fo7vl

, etc・

, 

S

・ 

Rogers

, 

Wordsworth

, 

Byron

, 

W

. 

Cowper

Jane

 

Taylor

, 

Mrs

Hernans

c

Kingsley

shelley

s 

cloud

, 

c

Mackay

, 

T

Hood

, 

T

・  

Moore

, 

Scott

等か ら

り、 最

のは

The

 

1

.・ady  (

yC

 t/ie 

Larke

か ら

抄譯

である。

Hood

の ‘‘

Iremember

 ”

、 わが 生 れ たる故郷 を」の 月 並調 、

She

ley

の 厂

J も同

であるが此 方 が 稿 佳 調で ある:

  

わ れ は

よ り川

よ り

の しつ くを蓮ぴ きて

める

な り

  

われは 日

りて

 

の木の 葉の

休 む

 

るな り。 」

卷には

Byron

, 

C

・ 

Dickens

, 

R

{chard  

Lovelace

7ro

A

theafrom

 .

i

[?rison ”,

R

・ 

Br

wni ・

g

Mrs

B

・・wni ・

g

, 

S

T

C

1

・ ・

idg

・, 

C

. 

L

・mbJ  

M

・ntg ・me ・

y

Whittier

 

R

Burns

, 

Mrs

Hemans

, 

Goldsmith

Tlte

 

Deserted

 

Pt

llage

, 

R

L

Stevenson

, 

S

. 

Rogers

, 

Longfellow

, 

C

. 

Kingsley

, 

W

, 

Raleigh

, 

Sir

 

Samuel

Ferguson

, 

J

. 

Bunyan

 

J

. 

G

. 

Percival

, 

Cowper

, 

Wordsworth

, 

T

. 

Moore

, 

E

Spense

P

「othalamion

等か ら探

譯詩

か ら

. 「

(12)

Io4

   

   

   

リス に」ミか 「

しき村 よヨ三

よJ ミ か

誦に

した譯 しぶ りで ある。

 

三 巻 を

じて

採擇

に定

ある の で は な く、

米 國 あ

た りの

調子の よ さ さ う な、 譯 し易 さ うな ものを

つ た もの こ思は れ る。 谷詩

を一 二 で紹

して ゐ るが、

R

L

 

StevenSQn

の ε ころ には 「

傅詳

つ てある の が

明治

二十

年 代 ら

しい 古 さを

して ゐ る. 爾 この

The

Union

 

Readers

四 卷か ら英 譯 を拔 いて

した越 山玉

譯 「

英 詩

和 譯」

出ナこ。

 

の「

上 の

人」も七五調に ε らはれた

味 が ある

、大 和 田

よ り蓬か に調 子 が高 く、

語彙

も豎 富で、 原 作 を あ まり無

せ ぬ や う苦心 し、 時に 五七の古

調 を交

へ て ゐ るの は佳い .例 へ ば :

Tis

merry , ,

tis

 n}erry , 

in

 

good

 

greenwood

So

 

blithe

 

Lady

 

Ahce

 

is

 singing

On

 the 

beech

’s 

pr

de

, an δ Qak

s 

brown

 si(至e,

L

。・

d

Richard

’s axe 三s ri!}

gin9

Cant

。 

IV

・ xiii・

「 水

 

 

身に

み て

 

しくもある か。 たわや めの

 

ア リス い ε HJ “

しをナに

 

うた ひ

ひつ 。 狛 六の

 

一 むら

 

槇木

の葉の

 

れる

に リチャー ド の

 

斧の昔 きこ ゆ 。

 

あはれ あ は れ 緑の森 そ

 

げに

しか りける。“

の 譯 風の見本 ご して最

の一聯をあけ てお か う、

The

 stag  at eve  

bad

 

d

釦 nk  

his

U

Where

 

danced

 the mQon  on  

Monan

’s riU

A

.nd 

dee

his

 midnight  

la

呈r 

had

 ma 己e

In

!one  

Glenartney

’s 

hazel

 shade

13ut

, wheD  the sun  

his

 

beacon

 red

}訟

dkindled

 Ofi 

Benveirlich

’s 

head

The

 

deep

−mouth ’

d

 

bloodhound

’s 

heavy

 

bay

ReSOunded

 up  the rQcky  way

And

 

faint

, 

from

 

fa

 Tther  

distance

 

1

)orne ,

Were

 

heard

 the clanging  

hoof

 and  

houL

(13)

概 設 か

tt

・・)なが るる

谷水

を の みてあ きた る さを しか の 底の か なたの

 

 

しげる は し

 

その 下に

を こひつ つ ね ぶ るなる

路の 末や

k

な らむ・ あか らひ く日の

 

朝 臼かぴ

 

ボ イル の

 

山の端に か

や き

め い 辞 醜 く 謝 び 謝 びて

路 をの ほる

 

聾 す

な 鉱

 

峰 のあ ら しの

 

のひづめ の

 

お ミすご く

 

吹 く

音 も

 

きこゆな り・ 」 Io5 きこか

葉調

の ひび

の ある

健 な

語は ・ か な り

Scott

作風

へ ・

をして

ま謁 しめ る・ 二 +七

行 以

・ +年

梅 韓 版 して三 十 七年に 十 二

を攝 し・

江全

め られ て大正

初期

まで 愛

さ『れた ニ ミは ・ ゆ ゑ無 きで ない。

6

飜譯o

)出

 

定形 詩

へ の

式の た めに原 意 を

犠犠

に し

附 す

らうざ してゐ ナニ時 、

端ε思はれる程の精礁 譯 が英

に遒 詣 深い二 人の學 者によつ て

み られ た。 泙 内 逍

博 士の 「

評釋

萌治

二十八

年)

ε、

上十

の 「

英 名

歌註驛

i

で ある。

 

「 註

丿 の 出

は三 十 一年である

恐 ら

の や うな

の の

成 で、 二十 八 九年

か ら詼 第 に現れ た もの であ ら う。

註 釋 E

い つ て も殆曹 全 譁である。 譯風 の 一

を あ

You

 

have

 no children

, a:ユ

d

 

you

 can  nQt  

guess

IVhat

 anguish , what  Unspeakable  

dis

亡ress

Amothe

ぎ{壱e三S whose  chiki  

is

 

lying

11

N

α

h

◎wher  

he

離 a癜 cl>ates  

his

 w 三

1

        

Long

{セ

IIOW

 

Tlze

 

Fafcon

&厂 乃 盈ゲ

なの

ハ 未 ダ

ハ ザル

二 、

ノ 母 タル モ ノ ガ

子 ノ

病床

二 臥

 

ツ テ

何 ナル

ジ、

何 ナル 無

愁 ヲ

キ、

 

シテ

如 何

願 望

察ス ル

ハ ザル ペ   シ

精確

りの調 子 々 に註 を挿 み な が ら

 

W

Morris

The

(14)

xo6

   

   

 

〃 励 擁

80n

 

the

ノ脚

8

fr

・m  

The

 

Ea

プ勘 ・

P

♂ ra  ・

1

・の, 

Tennys

。n ・

The

Revenge

1

)ora , 

William

 

Robert

 

Spencer

 :

Beth

 

Gelert

, 

Shelley

To

 a

露 躊 ,

The

α 画

4

 

R

Brownin9

Tfie

 

P

」8 〆 乃

げ ffame

in

, 

R

Southey

The

 

lnchcaPe

 

Rock

,1

塵y∫ 砌 oπ

8

dead

 are  ?αss

d

, 

The

Rev

. 

Charles

 

Wolfe

The

 

Buria

Of

bhn

 

MUOre

, 

Whittier

Maud

蹠 疏

W

.(:. 

Bryant

Thanalopsis

 

g

し、 作 者 小

簿

して ゐ る 。

 

埣 内

士の「

評釋

」は

上 十

らぬ

確 な譯

なが ら、 ご こ か に 鐸

ε しての

鼇律

が あ り、

ふ るに

語 がよ く原

の鑑

を た す け しめ る。

學 ε文 學 ごを よ く

調

和 ゼ しめ た點で、

士は 英

である。

義録

Shelley

The

 

Sen

iline

劭 雇

「為 情の

で あつ た り

の は

瞬治

二 十年代 ε い ふ 古 さを考へ るな ら

むを

ない こミで ある 。

She

 

Ieft

 

the

 web

, she  

left

 the 

loom

, .

She

 

made

 

three

 

paces

 

thro

 

the

 

1

  「◎o搬

She

 saw 繕 e water 一瀲

bloom

She

 saw  the 

helmet

 and  the 

plume

   

She

 

look

d

 

down

 tQ 

Camelo

.  :

Out

 

Hew

 the web  and 盛oated  wide

り「

he

 m 三rror  crack ,

d

 

from

 s三{三e tQ

 

side ;

The

 curse 

is

  come

 

upon

 

me

  cr 三ed−

   T

}}eLady  of 

Shalott

       

i

姫は織物を 打棄てつ  姫を も打棄   てつ 姫は麟 間 を三 あ しあゆ みつ 唳1く蓮の花 をも見つ 兜 を も勿豸根 を も見つ   姫 はカ メ ロ ッ トを 見わ た し け り 突 然 織 物 ほ翻 参

 

絲は 八散 し て漂ひ ぬ 戞 然 こ して明鏡は まッたた申 よ狛割   れ て け り 天 罰 わが身に くた 姿ぬ ミ シ ャロ 鏑 の姆 ま麟 ぴけ

9

簡潔適切

謁語

、 一

の 自然な

動、 「 まッ ナニだ 中 よ り

れ て け

e

) J ご時

折 顔

を畠

置松

淨瑠 璃調

、 それ らの特

は上

の 一

見 られ るで あ らう。 「

評 釋

」に は

The

 

Lady

 of  

Sha

!dillの ほか同 じ く

Tennyson

The

σ

8

Z

)ora  

W

. 

C

・wper :

bhn

 

Gilpt

’ n, 

D

yden

・ オ ∠躍 ・融 〆・ 跏 ∫ろ

W

。 ,

dsw

。rth ;

Te

 

the

 

C

。 ・

k

・ ・ , 

Ode

・n 鋼 翩 繍

加 〃瞬 ・妙

脚 广

Recolledioizs

 of  

Early

α ∫” 加 〃〆等 が

られて ゐる

 

同 じ二 十 八 年

京 専

門學校 編輯局

か ら斟 て ゐ る

の英

(15)

 

 

 

 

 

 

Io7 は ル ∂・・掀 祕 鞠 ・・ 伽 〆 の二

篇撒

め られて ゐ る・

前都

典治

譯で、

  

r うつ く しの 才 ウ パ ル ン や ・ 此の あた りの め でた き村 よ。

  

こ こに は

健康

の りも足 りぬ れ は

耕す 男

等 も

皷 腹

し、

 

める

き春 け しき もまつい はや く

れ き た り・

 

往か な ん

S

する

も名殘 を しみτ たゆ たひぬ 。 」 ごい ふ調子 であるが 時 々七五

調

か ま じつ て ゐ る。 後者 は梗

Σは い へ 菊 版 i77

に わ たる力作で ・

文譯の重 譯で はあるが

詩的

な所 が ある。 坪

内博

士 の

言に 「 …

 

予 之れ を惜むの あ ま り甞て校 友鶴 田喜一郎 氏 こ共に

八百 九十年

に係る英 人 ’  レ ー

文 を も

直譯

リ ア ・ ド

讀 し初 學 者の 爲 に その 梗 概 を叙 し其の中 最 も妙

ミ)なる

箇 處

及 び 世に 名

は 毎

文 を抄出 し て態 ミ

譯に近 き

文 に うつ し た り. 」

々 ミある。 二 十二 卷の

か ら

數行

を引 く。 「 わ

が夫

は ト ロ イ に

 

シー プ ス に生 れた り き。 故里は

れ き蓮 命は 同 じ か りけり. 果

なき夫

の え に し か な。 御身は 此

稚 皃ミ をふ りすて て 黄泉の 國に逝 き給ふ 。 殘 された る このや めの身 をい か に せ まし。 一 しほ

れ なる は 二 人 が 問の こ の孩 兒の ぞや 。 男親の愛 を もえ知 らねば

 

其を

ゆる も及はぬ ぞうた て き. よ し戰 揚の

災禍

E

 

行取の 辛苦い か な らむ。 父 お は さ ね

世の

  侮 ら

め られ

け られて

莊園

を も

は れ な む 。果て は 他 人の

りて 辛 う じて其 が

を うる ほ す な るべ 。 」

梗概

つ て ゐ るの で 、 か な り原文 を端 折つ て ゐるが、 そ れ で も一種の

動が

打つ てゐ る 原 文書 流 しで、

分 けは無い.

 

以 上の 佐 久 間

厂 英 名家 詩 散女集、

註釋、 及 び

橋五郎 氏の 「 短

篇詩集

英 獨詩

研鑽

もこの時

せ しめて よか ら う。

(16)

iO8

  

  

  

II

退

 

治初 年か ら二 十八

譯詩 (

英詩

の)が

の主

を な して ゐ たが、 三十

村 「

若 菓

」、 三十二 年 に

翠 「

情.が出て以

し、

譯 詩

は三 十 八

に 「 海

潮 音

」が

る まで

を ひそ め て ゐ た. 譯

は後

退

し て も、

晩 兩家

吹 し、 山

縣螽湖

して 「 文 庫」の若

らを

吹 し、 泣 董

有明

二氏 を

吹 した。 L

 註解

き譯 詩

 

明治

三十年

に入つ て嶽

まで主ミ して會

や 時文に 力 を

いで

英語

が、

に英 文 學 に も注意 する や うにな り、 且 つ

英語英

專攻 す

出 して 正

文 學 を紹

し始 め た。

  

命 運盡 き

れ ば  身

榮 達

に永 き別れ を告 ぐるな り … 」 これ は

明治

三十一

英語

世 界 .六

號に 出て ゐ る

無 名氏

で ある

現した

Cardinal

 

Wolsey

pathos

を或 程

まで

、 外 山博 士の 「 お さ らば さ らばい ざさ らば

 

再び曾は ぬ暇

 

に永 く別 るべ ..・「 に

比 す

ば隔

世の

が ある。 七 五調 も

和 田建

らに

る ミ

の意

ね まい ご す る努力が 著 し くなつ た。 例へ ば 、

Our

 

bugles

 sang  truce, 

for

 

the

 night −cloud  

had

 

IQwered

 

And

 

the

 sentinel  stars set their watch  

in

 the skア ...

       

Campbell

 

Zhe

 

Sbldie

〆s 

Dream

戰 (

號角(

讃)

りわた り

 

た なび く

の間よ り き らめ く星 は

)を

番(

t

)るが

く室に

る。」

       

明 32

年、 手 塚 雄氏

の や うに

for

無硯

した こミは さて お き)大 體

確 な譯

に なつ て

た。 「 文 庫」の 山

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英米詩 歌集

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参照

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