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南アジア研究 第21号 011書評・三田 昌彦「水島司『前近代南インドの社会構造と社会空間』」

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東京:東京大学出版会、2008年、xii+260頁、10000円+税、ISBN: 978-4-13-026133-3

三田昌彦

本書はこれまでの著者の近世南インド社会論の集大成とも言うべき書で あり、「社会的文法」をはじめ、高度に理論的整理の行き届いた成果となっ ている。序論以降、本論部分は

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章構成になっており、最後に「結語」が 付されるが、結論というよりも「あとがき」に近く、本書の中核部分はむ しろ序論や本論部の随所にわかりやすくまとめられている。以下に、まず 本書の内容から紹介しよう。 序論では

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世紀南アジアに関わる諸研究が振り返られているが、その うちでも「

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世紀見直し論」を提示してきたベイリーの研究を大きく取 り上げ、本書の議論が村落リーダーの台頭にあることから、特に彼の「無 任所資本家(

portfolio capitalist

)」=「中間層」論に注目し、本書の視 角との違いを提示している。ベイリーの論は中間層の台頭に注目している 点では本書と共通しているが、対象が都市の中間層とされているために、 中間層は農村社会にとって外部的な存在と把握され、この時期の変化が都 市から農村へと波及していくものとして理解されている。それに対して、 本書は視点を在地社会の変化に定め、農村の領主権が売買されて農村から 村落リーダーが台頭していく過程の中に、この時代の変化を読み取ろうと している。 第

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章では、

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世紀南インドの基本的な社会構造であるミーラース体 制の構造が論じられる。当時の南インドでは、数十村(?)レベルの在地 社会を再生産単位とする分配体制、ミーラース体制が社会の基礎を形づ くっていた。そこでは在地社会の再生産に必要な職分を果たす人々が、在 地社会の生産物全体に対してミーラース権と称する世襲的な取り分権を手 当ないし免税地という形で保有し、自身と在地社会全体が維持されていた。 土地所有者ミーラーシダールの権益もまた、ミーラース権(ないしカーニ) として表現され、その保有者は村の領主権を株の形で世襲的に保有してい た。このような高い自律性・統合性を持った在地社会の上に支配集団であ る国家、軍事領主、寺院が併存しており、それらに対してもまた、それぞ 書 評

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れの役割と取り分がミーラース体制内において設定されていた。ミーラー ス体制によってこれらすべてが維持・再生産されていたことが、「社会的 文法」においてモデル図を提示しつつ説明される。 第2章では、ミーラース体制の解体要因と著者が目する

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世紀の 商工業と交易活動の繁栄に焦点が当てられる。

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世紀の商工業活動 の展開は、ヨーロッパ市場向け綿布貿易の発展と深く関わっており、対貨 として金銀地金が大量にインドに流入した。そうした中で綿布の集荷地で ある沿岸植民地都市は、有力商人や金融業者を積極的に招じ入れつつ急激 に成長し、都市人口を支えるための農村―都市間の農産物取引がさかんに 行われるようになっていった。その取引額の大きさが、マドラスとポンディ チェリを例に試算されている。こうした過程で植民地都市に輩出されてき た有力商人が、植民地権力と関係を持って徴税請負業にも関与し、「無任 所資本家」として成長していったが、彼らは請負人として在地社会に介入 するために、当時頻繁に売買されていたミーラーシダール権を集積して いった。その結果、不在のミーラーシダールが増加するとともに彼らの地 位も流動化し、ミーラース体制を動揺させることになる。 第3章では、前章で検討した商業的発展の中で、ミーラース体制に依存 しない村落リーダーたちが出現してくる過程が検討される。旧来の存在で あるミーラーシダールは、基本的には村落を単位に資源を支配する「村落 領主層」と呼ぶべき存在であるが、その権益は広域に散在しており、カー ストの広域支配を背景にその支配が実現されていた。ところが

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世紀後 半にミーラーシダール層の中から出現してくる村落リーダー層は、ミー ラース体制を破壊してまでも村落をまるごと支配し、自己の支配村を中核 として周辺の数村から数十村を一円的に支配していくことを目指す存在で あった。著者はその背景として、商業活動の活発化の中でミーラーシダー ル権益の取引がさかんに行われ、村外の者、とりわけ植民地都市の商人た ちが権益を入手していたことに注目し、このような動きが同時に在地社会 全体のカースト構造を崩壊させていくものであったとしている。そして、 こうした動きの中で現れてきた、ミーラース体制に依存しない、村落を基 盤にしたリーダーこそが、

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世紀後半の最も重要な社会階層となっていっ たと締めくくっている。 さて、本書の最大の特徴は、その膨大の数値データとその空間分析にあ ると言ってよいだろう。主にはイギリス東インド会社の調査報告書に記録

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された実にさまざまな権益の数値が、村落レベル・個人レベルで整理され、 その空間的な偏差が地理情報システム(

GIS

)によって「見える」形に図 表化されている。その膨大さのために、書面に掲載しきれないほどの図表 が

CD-ROM

として巻末に添付されており、その体裁自体がすでに、研究 書でも異例と言うべきものである。こうした

CD-ROM

化の措置は、議論 の根拠となる検証可能なデータの公開という点で非常に良心的であり、ま た統計の内容は、その具体性といい、詳細さといい、学界の共有財産とし て極めて利用価値の高い貴重なデータであろう。 次に本書の内容について幾つか気づいた点を述べてみたい。本書をはじ め、著者の論考を読んでいてまず頭によぎるのは、小谷汪之氏や田辺明生 氏によってそれぞれ同時代のデカン西部、オリッサで論じられている在地 社会の体制である。著者も

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世紀南インドの社会原理を小谷氏の言うワ タン体制と同種のものとしているようである(

101

頁)。その上で、国家 と社会を分離させてこの体制を理解する小谷氏を批判し、国家や寺院など もミーラース体制の原理に基づいて維持されていたとする点に、本書の近 世南インド社会論の独自性の一つがある。在地社会の自律性を強調する著 者の意図とは少々ずれるかもしれないが、これに関わる問題を一つ挙げて おきたい。

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世紀デカンを分析した小谷氏は数多くの集会文書を検 討しているが(『インドの中世社会』、岩波書店、

1989

年他)、それらの訴 訟事例では、在地レベルの問題であるにもかかわらず、在地集会組織を経 由せずにいきなり政府の役人に訴えている事例が少なくない(もっともそ の場合でも利用される裁判機関は在地の集会組織であるが)。このことは インドの国家と在地社会のあり方、あるいは自律的在地社会の性格を考察 する上で見逃せない事実であり、国家と在地社会とを分けて理解すること の問題性に関わるものだと思われる。 ここで小谷氏のワタン体制論と本書を比較してみれば(ここでは社会の 捉え方の適否については問わない)、本書はデータの網羅性と空間分析に おいて圧倒的に優位であるが、他方、小谷氏のものとくらべてミーラース 体制のメカニズムが複雑でわかりにくい。これは本書が小谷氏のものより もはるかに実態に即していることを物語るものであるのかもしれない。し かしそれだけでなく、数値データから体制の構造やメカニズム(著者の言 う「社会的文法」)を議論しようとしているところにも、そのわかりにく さがあるのではなかろうか。小谷氏はワタンをめぐる紛争を扱う裁判集会

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文書を主要な史料としているため、当時の人々がいかなる問題で争い、何 を秩序と見ていたかが史料中から比較的導きやすい。 一般に制度や体制は、特定の原理・原則を中核に据えつつも、例外の存 在をも多数認めることで現実に対応するものである。そうした性格の存在 に対して、何が原則かわからずに実際の権益の数値から入り込むと、その 数値すべてを説明する原理を分析側が考えてしまう危険がある。著者は統 計データから「社会的文法」を導き出しているように見えるが、ここで言 う「社会的文法」が当時の人々の共有していた社会の再分配ルールだとす ると、それは当時の人々の残した史料(現地語史料)の言説からしか再構 成し得ないものであろう。本書の統計データは、むしろ「社会的文法」か らどれだけ現実が逸脱しているかを明らかにするものである。その意味で は、本書が実証に成功するのは、新たに出現してきた逸脱者、著者の言う 「村落リーダー」の出現の事実に限定され、体制のメカニズムについては 推測の域を超えないことになる。 本書は以上のような危険を承知の上で、慎重にメカニズムに関する推論 を築こうとしているが、やはりどうしてもわからない点が残ってしまう。 その大部分はミーラース体制を支えていた秩序機構に関わるものだと思わ れる。このシステムは商品交換などを介さない、生産物の直接的な再分配 システムなのだから、当然それは何らかの経済外的な権力によって統制さ れているはずである。ワタン体制であればそれは地域社会をとりまとめる 郷主(デーシュムク)を代表者とするワタンダールたちによる集会組織(村 落集会とその上位の地域社会集会)であり、そこでワタン権が調整される。 本書ではワタンダールにあたるものがミーラーシダールであるのは明らか である。ミーラーシダールがどのような権益をどこにどれだけ持っていた かという点は、これでもかというくらい具体的かつ詳細であるが、彼らが いかにして在地社会のミーラース権を調整していたのかという最も重要な 点になると、非常に抽象的にしか語られない。たとえば在地社会が自律的 であるとするならば、それを代表する役職が存在すべきだと思われるが、 デカンのワタン体制ではその役職とされているデーシュムクは本書では在 地社会とは無関係な国家官吏とされており、また私兵集団を抱えるポリ ガールも軍事領主とされていて在地社会の上位に位置づけられ、評者には 在地社会を代表する役職が何かは結局わからなかった。代表者にあたる役 職名は存在しないということなのであろうか。本書はさかんに在地社会の

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自律性を強調するが、このような史料的限界もあって、自律的な集団、す なわち団体に関わる議論に欠かせないメンバーシップの問題と秩序維持の あり方に関する検討がほとんど欠如しており、そのために極端に言えば自 律性そのものさえ十分実証されているとは言い難い。本書の研究成果は、 これまでの近世インド社会論を見直すいくつもの素材を提供するものであ ることは間違いないが、そのデータの網羅性・具体性は、もし利用可能で あれば、社会秩序やミーラース体制のメカニズムに関わる当時の現地語史 料と付き合わせることで、さらに大きく発展する可能性を秘めているもの だと思われる。 ここで、ミーラース体制の歴史的な位置づけと大きく関わる問題として、 ミーラース体制やワタン体制の形成について考えておきたい。著者は、ミー ラーシダールの前身としてナーッタール(チョーラ時代には確認されてい るナードゥという地域組織の代表者)の存在を指摘している。ミーラーシ ダールの権益であるカーニという用語自体は

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世紀前後までさかのぼる ようであるが、その時代の地域組織ナードゥのメカニズムは不明な部分が 多く、ミーラース体制と異なるのかどうかは本書でもわからない。 ところで、評者はこれら

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世紀の在地社会の体制を、単なる取り 分権システム(余剰生産物などを、特定の職務を果たす人々に分配するシ ステム)とは考えていない。デカンのワタン体制を具体例として考えれば、 取り分の分配および取り分の権利が地域集会なり地域首長といった領域的 な地域団体を代表する機関ないし人物によって調整/保証され、カースト 組織までもこの地域団体に編成されるシステム、言い換えれば、確定され た領域内の資源がその領域を支配する有資格メンバーの間で排他的に分配 されるシステムを指すと考えている(ただし、そのメンバーは領域外の住 人であっても構わない)。優れて高度な地域団体であり、一定の農村的・ 経済的発展(人口増加/未墾地の開発による農村の緻密化)と在地社会の 政治的・行政的成熟(集会に関わる文書行政の在地における発展など)が 前提となる。 もしミーラース体制もこのようなものであるとすれば、それを

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世紀 以前の史料の中に見つけるのは容易ではない。ワタンやミーラースのサン スクリット語にあたる言葉として、

v

tti

va

ṇṭ

aka

pada

が様々な研究 者によって指摘されているが、これらは

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世紀以前の刻文史料では互換 可能な同じ意味の言葉で、バラモン村の収益を複数のバラモンの間で分割

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した際のそれぞれの取り分の意味として使われており、地域団体内の取り 分権を示す用例については、評者は寡聞にして知らない。一方、在地首長 の存在は、とくにデカン以南の中世初期の刻文からも確認できるが(ナー ドゥガーウンダーなど)、彼らが一元的に在地社会内部の諸権益を調整し ていたことを明確に示す証拠はなかなか見つからない。デカン以南では古 くからナードゥという地域組織が存在するのは確かだとはいえ、「ジャー ティ制」が出現するとされているのが

13

世紀とされているので(辛島昇編、 『南アジア史3』、山川出版社、

2007

年、

12

頁)、カースト分業に基づくミー ラース(ワタン)体制が形成されてくるのはそれ以降ということになる。 南アジア史全体では古くから存在するものではなく、中世も後半から現れ てきた可能性がある。 なお、ミーラース(ワタン)体制について著者はベンガルなど一部の地 域では見られないとしている(

108

頁)。評者のフィールドであるラージャ スターンでも、もっとも詳細な史料が期待できる

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世紀でさえ、ワタン/ ミーラースにあたる史料用語やシステムを明確な形で提示している研究は、 まだ現れていないように思われる。この体制はデカン以南において特に発 展したと理解すべきなのであろうか。著者は、サーヴィス関係が在地社会 とは無関係にカースト間で世襲的に行われていたジャジマーニー制度につ いて、これは

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世紀以降在地社会組織が崩壊した後に現れたものであっ て

18

世紀にはミーラース体制のようなものがあったはずだと考えている (

54

頁)。しかしこの制度が確認された場所は元来北インドであり、その 北インドにミーラース体制と同種のものを想定してよいかどうかは、今の ところ不明である。少なくとも

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世紀北インドに関する今後の研究の進 展を俟つ必要があると思われる。 本書の主張/実証の中核部は、ミーラース体制下で分散・重層化してい た権益が、村落リーダーによって一円化されていくという点にあると言っ てよかろう。この過程は、日本の室町期から戦国期にかけて、権益が重層 的に入り組んだ荘園体制が、在地領主や大名の一元的支配の進行とともに 整理・崩壊していく過程や、西欧における中世封建体制から絶対主義体制 への移行の過程に非常に似ている。小谷氏がこの時代のワタン体制社会を 「中世」としたり、大山喬平氏がワタン体制を日本中世初期社会と比較し ていたりすることにも通ずることであるが(『ゆるやかなカースト社会・ 中世日本』、校倉書房、

2003

年)、この時代のデカンや南インドの社会は、

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日本や西欧の中世社会と基本的に同一の性格なのであろうか。しかし著者 も言うように、この時代の南インドは確かに「近世」の時代的環境の中に ある。我々はこうした社会をいかに位置づけ、他地域の研究者と対話すべ きなのであろうか。先述のようにミーラース体制が古くからインド社会の 中にあったものではなく、仮に

13

世紀以降のある時期から形成されてき たものだとすれば、この社会体制をもっと積極的に「近世」社会として把 握する道はないものであろうか。いずれにせよ、本書がまさに一級の研究 に値するオリジナルな成果と精確なデータを有するからこそ、こうした課 題の出発点となるのである。 膨大な情報量をもとに複雑な現実世界を高度に理論化しようとする本書 を、時代も地域も大きく異なる門外漢の評者がとても正しく理解している はずがない。初歩的な誤読をはじめ、多々錯誤があることと思われる。著 者をはじめ、忌憚のないご叱正を心からお願いする次第である。 みたまさひこ ●名古屋大学大学院文学研究科助教

参照

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