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を解読するために蓄積してきた何百年間にもわたる研究を読むために 英語 ドイツ語 フランス語 イタリア語という人文学者にとって最低限必要な学術共通語にくわえて デンマーク語 ノルウェー語 スウェーデン語 アイスランド語といった北欧の言語を身につけねばなりません 膨大な時間をかけてこれらの文字と言語を習

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Academic year: 2021

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歴史学

小澤 実

一.歴史学とはなにか

歴史学とは、何らかの証拠に基づき、在りし世界の姿を明らかとする学問です。歴 史学がなければ、三世紀の日本に邪馬台国が存在したことも、十四世紀のヨーロッパ で黒死病と呼ばれる腺ペストが蔓延したことも、一九四五年八月十五日に昭和天皇の 玉音放送がラジオを通じて流れて日本が終戦を迎えたことも、わたしたちは知ること ができませんし、そうした出来事がかつてどのような意味を持っていたのか、そして わたしたちが生きる現在とどのようにつながっているのかを理解することもできませ ん。出来事は、それが起こったまさにその瞬間にひとびとの記憶から薄れはじめ、そ の出来事を実際に体験した人がいなくなった時点で、起こったという事実自体がわた したちの世界から抹消されてしまいます。しかしながら、ひとびとは、その出来事に ついて、何らかのかたちで記録を残すことがあります。たとえば日記であったり、新 聞であったり、行政文書であったり、詩文であったり、絵画であったり、落書きであ ったり、楽譜であったり、そしてまた古老の記憶であったり…。このような多様な媒 体に記録された出来事は、その出来事を直接経験した人が死に絶えてしまったとして も、その出来事を経験しなかった人に出来事の情報を伝えることが出来ます。ただし、 時間が経過するなかで、記録そのものは、その記録が作成された当時の人であれば容 易に理解できていたにもかかわらず、後世の人には何を伝えようとしているのか明瞭 ではなくなっています。出来事を取り巻く社会環境が変化するからです。そこで歴史 家の登場となるわけです。 歴史家の第一の仕事は、出来事の痕跡を伝える記録に向き合い、そこからなんらか の事実を引き出すことです。これをわたしたちは史料分析と呼んでいます。たとえば わたしは千年前の北欧のいたるところに建立された、ルーン文字というゲルマン人特 有の文字で刻まれた死者を記念する石碑を、専門研究のための史料として用いていま す。このルーン石碑がもたらす情報を読み取るためには、まずルーン文字というラテ ン・アルファベットとは異なる文字と、その文字で綴られた古アイスランド語という 言語を習得しなければなりません。さらに言えば、わたし以外の研究者がルーン石碑

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を解読するために蓄積してきた何百年間にもわたる研究を読むために、英語、ドイツ 語、フランス語、イタリア語という人文学者にとって最低限必要な学術共通語にくわ えて、デンマーク語、ノルウェー語、スウェーデン語、アイスランド語といった北欧 の言語を身につけねばなりません。膨大な時間をかけてこれらの文字と言語を習得し たのち、ようやく、石碑の表面に何が書かれてあるのか理解できるようになります。 しかしながら、それだけでルーン石碑を分析できるようになるのかといえば、そう ではありません。フランスの歴史家マルク・ブロックが主張するように、史料は、歴 史家が問いかけねば何も語ってはくれません。北欧全体で三千基ほど発見されている 石碑のほとんどは、「XがYを記念してこの石碑を建てた」という定型文が記されてい るに過ぎません。したがってこのテクストを読んだだけでは、その石碑に書かれてい る字面どおりの情報しか入手することができません。しかしながら、XとYはどうい う関係であったのか、Yはなぜ死んだのか、Xはこの他にも誰かのために石碑を立て ているのか、そもそもこの石碑はなぜこの場所に建っているのかなどと問いかけるこ とにより、刻まれているルーン文字テクストが直接語る以上の情報を手に入れる可能 性が広がってきます。その問いかけに答えるためには、ただ文字と言葉だけではなく、 XやYの個人的な伝記、石碑の大きさや素材、文字に背景に記された装飾や図像の意 味、建立された場所の地誌や歴史的意味といったありとあらゆる情報が必要となって きます。そのためには、年代を決定するための暦学、背景に描かれた図像を読み解く 図像学、建立された場所の詳細な情報を知るための地誌学、素材を分析する自然科学 といった、本来歴史家の領分を越える学問手法の力を借りなければなりません。そう いった意味で、歴史家は、ただ古い言葉でかかれた文章を読み解く語学力だけでなく、 総合的な知識が要求されます。 史料から何らかの事実を引き出すのが歴史家の第一の仕事とするならば、そのよう にして引き出した事実を組み合わせてひとつの歴史像を描き出すのが、歴史家の第二 の仕事です。これをわたしたちは歴史叙述と呼んでいます。歴史家は、最低限、第一 の仕事である史料分析に従事していれば歴史家と名乗ってよいといえますが、多くの 歴史家は、そこにとどまることなく、それぞれが考える特定の時代の歴史像を決めら れた紙幅のうちに描き出す作業をおこないます。一般的に歴史書と呼ばれているもの がその結果です。動物であれ本棚であれ歴史家はあらゆるものを歴史書の対象としま

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すが、もっとも一般的なものは、「日本の歴史」や「世界の歴史」といったシリーズに おさめられている、「平安時代」とか「中世ヨーロッパ」といった通史でしょう。歴史 家は通史に、対象とする時代の政治、外交、経済、社会、文化、精神といった、人間 生活のあらゆる側面を、歴史家としての能力を総動員して詰め込みます。 命に限りある歴史家は、すべての史料を読むことはできません。したがいまして、 歴史叙述は、とりわけ大きな問題を扱えばあつかうほど、他人が引き出した結果に依 拠せざるを得なくなります。たとえば北欧を専門とするわたしが、中世ヨーロッパに ついての通史を書けといわれたならば、史料を読んだことすらないイタリアやバルカ ン半島の情報も必要となります。もちろん、そうした地域の史料を読み込んだうえで 執筆に取り掛かるのが最善ですが、それは現実的に不可能です。したがって、『イタリ ア史』とか『バルカン史』といった信用できる他の歴史家の手になる文献から、わた しなりの通史の中に詰め込みたい歴史的事実を拾い、拾い上げた事実を巧みに組み合 わせて、わたし自身の「中世ヨーロッパ」像を描くことになります。史料分析という 歴史家のみがなしうる作業を積み重ねることによって歴史家見習いは歴史家となり、 そのようにして成熟した歴史家が、その歴史家特有のものの見方―歴史観―によって 切り出した世界が歴史叙述となるのです。これはエッセイストや評論家には決してで きない職人的作業です。 日本で一般に歴史学といえば文学部の日本史学・東洋史学・西洋史学で研鑽を積ん だ政治や経済の専門家を指すと理解する風潮がありますが、それは間違いです。たと えばわたしの母校の授業案内をざっと見渡しただけでも、文学史、哲学史、美術史、 言語史、科学史、法制史、政治思想史、経済史、教育史、建築史というように、「史」 とつく講座が数多くあります。たとえば哲学史は哲学で論じられる概念の歴史を、法 制史は法律や制度の歴史を教授しています。これらは歴史学ではないのでしょうか。 決してそうではありません。史料に問いかけ、そこから事実を引き出すという原則を 守っている限り、人間の残したあらゆる痕跡が史料となるのですから、「史」と名前の ついている学問はすべて歴史学です。哲学史家は哲学と歴史学の訓練をかさねた歴史 家であり、法制史家は法律学と歴史学の研鑽を積んだ歴史家です。年代記も、裁判史 料も、文学作品も、図像作品も、建築物も、瓦礫の山も、この世界にあるすべての人 間の痕跡が歴史家が読みとくべき史料なのです。

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歴史家は未来の予測も出来ませんし、世界が変化する法則―人間世界にそんなもの は存在しません―も知りません。しかしながら膨大な痕跡の山に飛び込み、自分なり の歴史観に基づいてかつてそこに在った世界を再現する、これほど愉しい作業のでき る学問をわたしは他に知りません。

二.歴史学の実践例

それでは歴史家はどのようにして歴史書をつくるのでしょうか。ここでは、わたし じしんが執筆した『辺境のダイナミズム』を題材として、わたし自身がどのようにし て歴史叙述をおこなったのかを提示してみたいと思います。 『辺境のダイナミズム』は、二〇〇八年十一月から二〇一〇年二月にかけ、池上俊 一(東京大学教授)と河原温(首都大学東京教授)の監修により、岩波書店から全八 巻で刊行された「ヨーロッパの中世」というシリーズの第三巻です。西洋中世世界の 形成過程を論じる第一巻『中世世界とはなにか』(佐藤彰一・名古屋大学教授)、中世 的都市の特徴を描く第二巻『都市の創造力』(河原温)、中世における移動の問題を論 じる第四巻『旅するひとびと』(関哲行・流通経済大学教授)、具体的なものや技術か ら中世社会を読み解く第五巻『ものと技術の弁証法』(堀越宏一・東洋大学教授)、リ テラシーの問題を声と文字の両面から明らかとする第六巻『声と文字』(大黒俊二・大 阪市立大学教授)、中世文学と中世美術の特質を解明する第七巻『芸術のトポス』(原 野昇・広島大学名誉教授/木俣元一・名古屋大学教授)、中世独特の儀礼作法と象徴体 系から時代の深層をみる第八巻『儀礼と象徴の中世』(池上俊一)です。この八冊を読 めば、近年の歴史学の成果を反映した、あたらしい中世ヨーロッパ像を堪能すること ができる、そのような思いのもと準備された企画です。基本的にひとり一冊の書き下 ろしですが、第三巻と第七巻だけ、複数の著者による共著です。第七巻は中世フラン ス文学の専門かと中世美術の専門家が、第三巻は、中世チェコ史家(薩摩秀登・明治 大学教授)、中世スペイン史家(林邦夫・東京学芸大学教授)、そして中世北欧の専門 家(わたし)が協力して執筆しています。依頼を受けたときはまだ大学院生で、博士 号も著作もなかったわたしを除けば、学会の重鎮からなる豪華な執筆陣です。わたし などにお鉢が回ってきたのは、ただ、北欧中世を専門とする研究者が他にいなかった というそれだけの理由にすぎません。

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全巻の中で、執筆にもっとも苦労したのは第三巻だと思われます。と申しますのも、 他の巻が、執筆者のそれまでの研究に基づいて比較的自由に執筆できたのに対し、第 三巻は、最初から二つの制約が課されていたからです。ひとつは監修者による制約で す。それは北欧、東欧、南欧というヨーロッパの三つの辺境が、ヨーロッパの中核に どのような影響を与えたのかという観点から全体を記述してほしいとの要望でした。 つまりわたしであれば、ただ中世北欧の歴史だけを書けばよいわけではなく、ヨーロ ッパの中核とどのような関係にあったのか意識しながら議論をまとめねばなりません。 もうひとつは執筆者三人で決めた制約です。監修者からは、三人が別個に得意なテー マで書いてよいと言われましたが、それではあえて辺境というテーマで一冊にまとめ る必要はないと執筆者全員は考えました。そこで本全体の統一感を考慮して、三人が それぞれ政治、社会、文化という三つのテーマで担当箇所をまとめることになりまし た。そうしたほうが三つの辺境の違いが明確となり地域間の比較が可能となるからで す。 以上二つの制約を念頭に置いたうえで、全体の構成にとりかかりました。執筆にあ たってこれだけはやりたくないというものがふたつありました。ひとつは、事例の大 部分をヴァイキングで埋めてしまうことです。日本で北欧中世と言えば、誰でもヴァ イキングを思い起こすでしょう。かつては『ちいさなバイキング・ビッケ』というア ニメもありましたし、現在連載中の『ヴィンランド・サガ』も人気があります。世界 史の教科書を開いてもヴァイキングについては書かれていますし、書店の北欧コーナ ーをみてもヴァイキングの本は何冊も並んでいます。しかしながらこれは、日本では 北欧中世といえばヴァイキングという図式が出来上がってしまっているということで す。ヴァイキングとよばれる北欧人が活躍したのは九世紀から十一世紀半ばの250 年間ですが、中世といわれる時代は、通常ゲルマン人がヨーロッパに定着し国家を形 成する五〇〇年頃から、宗教改革がはじまる一五〇〇年ごろまでのおよそ千年間にわ たっています。この千年にわたる北欧中世という時代を、その四分の一の期間のみ活 躍したヴァイキングに代表させてよいのでしょうか。たしかにわたしの専門はヴァイ キングですので、ヴァイキングの事例をもちいて原稿用紙二〇〇枚をうめることはさ ほど難しいことではありません。しかしながらわたしは、本書を執筆するにあたって、 ヴァイキングを北欧中世史から可能な限り希釈することに決めました。北欧中世はヴ

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ァイキングだけではない、他にももっと魅力的な事例はたくさんあるとの思いからで す。 もうひとつは文化史を政治史や社会史のおまけとして扱いたくないという点です。 歴史の教科書や通史では、しばしば美術や文学といった人間の精神生活の産物を、王 侯貴族による戦争や外交のついでに書くことが当たり前のようにおこなわれていまし た。それは、教科書や通史の執筆者が政治史や外交史の専門家で美術や文学に疎いと いうこともありましたが、それよりもむしろ、文化などというものは政治や外交とい った大問題の下に位置する、研究対象としてはささやかな存在にすぎないといった一 種の差別意識があったように思います。しかしながら「歴史学とはなにか」ですでに 述べましたように、この世のすべてのものは痕跡であり、そこには等しく在りし世界 を再現するための手がかりが詰まっています。美術や文学もまた、政治や外交、社会 や経済に劣ることない、劣ることがないどころかそのなかに個人と社会がいっそう反 映される対象ではないでしょうか。わたしは第三章で執筆すべき北欧の文化を、第一 章の政治史と第二章の社会史のおまけではなく、その二つの章と肩を並べ、そして政 治史や社会史により深みを与えるだけの特徴を持つ章にしようと考えました。 とは言うものの、わたしは十世紀から十一世紀のデンマークを専門とする駆け出し の学者に過ぎません。歴史学者の質は、どれだけたくさんの史料を読み、他の研究者 の解釈を咀嚼したかによって決定されます。すなわち年齢と時間が大きくものを言う のです。北欧中世の勉強をはじめて十年にも満たない若造が、時間的には五〇〇年か ら一五〇〇年の都合千年、空間的にはデンマーク・ノルウェー・スウェーデン・アイ スランド・フィンランドを包接する巨大な空間の歴史を描き出すことなど本当にでき るのでしょうか。引き受けはしたものの、さてどうしたものかと悩みました。 執筆者三人での取り決めにしたがって、「北洋のヨーロッパ」は、全体を三つの章に 分けました。政治を扱う第一章「北洋の政治秩序」は、北欧中世を、ヴァイキング時 代以前(一世紀から八世紀)、ヴァイキング時代(九世紀から十一世紀半ば)、中世キ リスト教王国時代(十一世紀半ばから十四世紀半ば)、カルマル連合時代(十四世紀半 ばから十六世紀はじめ)という四つの時代に分割しました。社会を扱う第二章「北縁 の社会空間」では、北欧のキリスト教化、都市の拡大、北欧内のマイノリティを取り 上げました。文化を扱う第三章「スカンディナヴィアのアイデンティティ」では、第

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一章と同じく北欧中世を四つの時代にわけ、北欧に特徴的な文化をとりあげました。 全体として何を論じようとしたのでしょうか。わたしは結論部で全体を通して論じ たかったことを三つにまとめました。ひとつは、北欧は辺境ではないということです。 『辺境のダイナミズム』という編者から与えられたタイトルに真っ向から反対する結 論です。北欧は、たしかにキリスト教の導入という観点から見れば、相対的に遅れて いた地域かもしれません。しかしながら北欧は、文化史的な観点にたてばキリスト教 徒は全く異なる文化をその地域の中で醸成していましたし、政治地理学的な観点にた てばヨーロッパ中核とビザンツ世界やイスラーム世界とをつなぐその中間地点に位置 していました。北欧を―そして東欧や南欧もですが―中核に劣る辺境と理解すること によって、わたしたちが見失うものがあまりにも大きいことを気づかせたかったので す。二つ目は、北欧世界は停滞した世界ではなく常に周辺地域との関係のなかで変化 し続ける地域であったことです。ともすればわたしたちは遥か千年前から現在の北欧 5カ国が存在していたかのような錯覚に陥ります。しかしながら中世を通じて北欧に はデンマーク、ノルウェー、スウェーデンの三つの王国しか存在しませんでしたし、 この三王国も紀元千年ごろにようやく成立したに過ぎません。中世の末期にはカルマ ル連合といって、三王国が一人の王をいただく連邦体制となりました。歴史世界は静 止しているわけではなく、たえず変化しているのです。三つ目は、北欧世界は幾重に も重なる過去の遺産を利用しながら、独自の文化的アイデンティティを積み重ねてき たことです。キリスト教を受け入れたことによって北欧世界はたしかに中世ヨーロッ パ世界の一部となりましたが、その一方でルーン文字といった北欧独自の文化装置を うち棄てることなく、利用し続けました。そしてルネサンスの時代に入るや、北欧諸 国は、他のヨーロッパ諸国がこぞってギリシア・ローマという古典古代に歴史の源泉 を訪ねたのとは対照的に、ルーン文字やゲルマン人の一派ゴート人に自らのルーツを 求めました。そのうえで、中世北欧世界の歴史は、つねに北海とバルト海という北欧 を挟み込む二つの海とのかかわりにおいて展開してきたことを指摘しました。いずれ も、日本ではもちろん、欧米で刊行された中世北欧の通史においても論じられたこと のない歴史像だと思います。 終わってしまえば、四〇〇字詰め原稿用紙で二〇〇枚以下の文章です。しかしなが らそれだけの文章をしたためるのに、数え切れないほどの史料、研究書、論文を読み、

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編集者からの厳しい指摘をいれて何度も何度も書き直しました。限られた紙幅で中世 北欧世界の特徴を一般読者に伝えるには、どのような事実を紹介し、そして選択され た事実をどのような物語の中に落とし込めばいいのか。歴史学は一般法則を求める学 問ではありませんから、事件や人物がもつ具体的な情報で北欧の特徴を魅せなければ なりません。二〇〇九年三月二十五日に『辺境のダイナミズム』は刊行されました。 およそ三五〇ページで、定価二九四〇円。初刷り三〇〇〇部。歴史小説でも歴史評論 でもなく、歴史学の本です。わたしが切り出した中世北欧世界の歴史が成功している かどうかは、読者の判断にゆだねねばなりません。

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